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日本語には「ナショナリズム」に該当する適当な言葉がない。日本は、西欧と違い、歴史的に「ナショナリズム」を生じる環境にはなかったということだ。だからそういった文化がなく、そのような概念も生まれなかった。だからこそ、そのまま外来語として「ナショナリズム」という言葉が使われているのだ。「ナショナリズム」とは何なのかについて、日本人には今一つピンと来ないのも致し方ないだろう。
今回の連載では、様々な論者のナショナリズム論を取り上げ検討していこうと思う。 最初に取り上げるのは、吉本隆明だ。
《「ナショナリズム」というとき、ひとによってさまざまなかげりをこめて語られる。社会学・政治学の範疇(はんちゅう)では、世界史が資本制にはいってから後に形成された近代国家そのものを単元として、社会や政治の世界的な諸現象をかんがえる立場をさしている。近代資本主義そのものと相伴う概念である。
しかし、「ナショナリズム」という言葉が、世界史の尖端におくればせに登場した国家・諸民族によってかんがえられるばあい、民族至上主義・排外主義・民族独立主義・民族的革命主義などの、さまざまなかげりをふくめて語られる。そこでは、すでに規定そのものが無意味なほどである》(吉本隆明「日本のナショナリズム」:『現代日本思想大系 4 ナショナリズム』(筑摩書房)、 p. 7 )
が、「ナショナリズム」が何かを先に言わずして、民族至上主義や排外主義など「悪しきナショナリズム」を持ち出して、「ナショナリズム」自体に悪い印象付けを行おうとするのだとすれば、それは間違いだと言わざるを得ないだろう。「ナショナリズム」の本質がどういったものなのかを先に考えるべきだ。
《さらに、これが、日本の「ナショナリズム」として、明治以後の日本近代社会におこった諸現象について語られるとき、天皇制的な民族全体主義・排外主義・超国家主義・侵略主義の代名詞としての意味をこめて、怨念(おんねん)さえ伴われる。もちろん、この場合でも、桑原武夫・加藤周一その他におけるように、近代日本資本主義社会の体制的表現としてのナショナリズムの意味でつかわれ、その再認識が語られるばあいがないわけではない。しかし大抵は、日本のナショナリズムは、天皇制を頂点とする排外主義・帝国主義・膨脹主義の権化としてリベラリスト・進歩主義者・「マルクス主義」者の指弾の対象として取上げられるか、あるいは、この反動として日本近代天皇制トオタリズムの再評価すべきゆえんとして語られるか、である》(同、 pp. 7f )
吉本が言っているのは、「ナショナリズム」には様々な悪しき側面が付随するということでしかない。これは謂わば、直接本人のことには言及せず、間接的に友達が悪いのだから本人も悪いに違いないと匂(にお)わせているようなものだ。
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