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《 宮台 したがって、「つくる会」のような連中を葬りたい近代主義者からすれば残念なことに――「つくる会」のような連中(将棋指し!)を葬(ほうむ)るために天皇を戴(いただ)いた維新革命を企図する僕としては幸いなことに(笑)――天皇は聖なる存在なので、発言の政治的影響力を封じることは難しく、したがって天皇は「立憲君主」にはなれない。日本では永久に天皇の発言が政治的な意味を持つのです》(神保哲生・宮台真司他『天皇と日本のナショナリズム』(春秋社)、 p. 289 )
宮台氏は、天皇を人としか見ていないからこのように考えてしまうのだ。私は、天皇は、人間的側面と伝統的側面の二面性を有する存在であると見る。それどころか、政治制度としてではなく伝統に基づく存在である限り、天皇の言動は、陛下個人の思いではなく、皇室の伝統に発するものであらねばならない。天皇が抽象的、伝統的存在であるのなら、天皇が俗世の政治に具体的に口を挟むこと自体がおかしいのだ。
《逆にいえば、維新革命を企図する側にとっては、宮内庁的な囲いこみを切り崩して、天皇の政治的メッセージを引きだすことが極めて重要になります。後南朝の伝統とはそういうものですし、新たな各幕府も、明治維新を企図した岩倉使節団系も、南洲翁(西郷隆盛)も、北一輝も、2・26の青年将校らも、 GHQ も、そうした伝統を利用しようとしつづけできました》(同、 p. 289 )
こういった天皇の政治利用はやめるべきだ。宮台氏が指摘するように、これまで天皇が政治に直接関与したことは少なくないのかもしれない。恐らくそうなのだろう。が、これを「伝統」と見做すべきではない。これは謂わば「伝統という光の影」の部分でしかない。
《だから、天皇は民権派の象徴にもなるし、国権派の象徴にもなるんです。そこが国家ないし政治システムとして見た場合に、日本の非常に危ういところです。天皇を利用したがる日本の田吾作のなかには、利権官僚や利権政治家も利権財界人もいるし、これらの売国奴を打ち倒そうとする反体制的な人々もいます。戦前でいえば、統制派と皇道派の対立になるでしょう。
「聖俗二世界論」の伝統が存在しないがゆえに「立憲君主制」も「政教分離」も不可能な日本国で、「天皇抜きのナショナリズム」だけが可能だなどということが、ありうるでしょうか。とはいえ、「天皇を掲げたナショナリズム」は、民権派的にも国権派的もなりうるし、皇道派的にも統制派的にもなりうるという点で、振れ幅が大きすぎて極めて危うい。この危うさをどうハンドリングできるかということが重要になります》(同、 p. 290 )
「天皇を掲げたナショナリズム」が危ういことは分かる。が、果たして日本にこのような「ナショナリズム」は存在するのだろうか。
日本には、国家統合の象徴として天皇が存在している。だから、「ナショナリズム」のような統合観念は不要である。
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