PR
Free Space
Comments
Calendar
Keyword Search
《この便利すぎる歴史観を今日最も代表的に表現しているのは、周知のとおり司馬遼太郎である。司馬の影響で日本人がかく考えるようになったというより、現在の日本人のおかれた位置、文明の状況がこういう考え方を好み、司馬の史観がそれにフィットしているということであろう。
司馬は維新を近代革命とみなし、日露戦争を祖国防衛戦争ととらえ、日本人が素朴に国を信じた時代があったことを絵解きした。彼が知識人の世界にではなく大衆的基盤において、戦後の小児病的反戦平和主義を破壊する上で強力な役割を果たしたことを認めるに吝(やぶさ)かではない。けれども明治に対する高い評価とあまりにいちじるしいコントラストをなす昭和の否定はいったい何であろう? 昭和初期から敗戦までの十数年は、「別国の観があり、別の民族だった」とし、この間を「長い日本史のなかでもとくに非連続の時代」とみなす彼の歴史観は、自分のなかの良いものは大好きだと褒め讃え、いやなものは括弧にくくって、自分とは無関係なものとして考えないようにするという都合のよい態度である。
しかし、よいものや、いやなものも、ともに自分の歴史ではないか。暗黒と失敗と愚劣と逸脱の昭和史も、自分の歴史以外のなにものでもあるまい。人は悲劇を後悔しても始まらない。悲劇に終わった歴史もまた自分のいとおしい肉体の一部なのである。いったい歴史に「非連続」はありうるのだろうか》(西尾幹二編『国民の歴史』(産経新聞社)、 pp. 613f )
自分の考えに合うよう、都合よく歴史を解釈し、評価と批判を適宜(てきぎ)散りばめたのが「司馬史観」と呼ばれる歴史観である。が、私は、日清・日露まではよかった、その後がいけなかったなどというご都合主義を認めない。明治維新以降の富国強兵策の同一直線上に日清・日露もあり、大東亜・太平洋戦争もあるということだ。勿論、日清・日露戦争に勝利し、慢心が生じたというようなこともあっただろう。が、大敗北の最大の問題は、英米を敵にしてしまったことなのだ。そのことに対する反省ならいざしらず、日本が軍国主義に流れたかのような総括の仕方では、本当に反省したことにならないだろう。
戦後日本は、戦前を否定することによって成り立っている。詰まり、先人たちの行いを他人事として斬り捨てているということだ。が、それでは、かの戦争から何も学ぶことは出来ない。その結果、また同じような悲劇に突き進まないとも限らない。
実際、例えば、戦前は情報が統制されていて国民には真実が知らされていなかったことを批判することがあるが、今の日本も大差ない。コロナワクチン問題もそう、移民問題もそう、肝心なことは隠されてしまっているのに、何の問題もないかのように国民は毎日を過ごしているのだ。
教育について【最終回】(148)忙しい教師… 2025.01.22
教育について(147)集団教育で自主性を育… 2025.01.21
教育について(146)教えない教師 2025.01.20