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林 それに対して、やらなければいかぬ。やれば勝つ、天が祐(たす)け神が助け拾ふから―――君が云ふ神風は何時も吹くから――さういふのがその頃の右翼なんだ(小林秀雄・林房雄「歴史について」(対談):『文学界』昭和15年12月号、 p. 66 )
これが危険思想であるのは言うまでもない。天佑神助(てんゆうしんじょ)を信じ、大国ロシアと戦おうとするなど狂気の沙汰である。否、ある意味、狂気なしに戦争に踏み切るなど有り得ないとも言えるのであるが、最後の一押しが右翼の嚇(おど)しであったとすれば、それはそれで問題だったと言わざるを得ない。
頭山満翁が何処(どこ)かの料理屋にゐたら、二階で伊藤博文が飲んでゐた。二階に上つて行つて、伊藤さん、ロシアと一つやつてもらひたいものです。さうかね、やらなければ殺すと諸君は言つてゐるさうだが、俺を殺せばロシアに勝てるかね。さあ、別に殺しもすまいが、とにかくロシアとやつてもらひたいものです。さうかね、とにかく君たちは怖いよと言つて笑ひ合つたといふ秘話がある。(同)
林氏は、「理論」について次のように語る。
理論といふものは、人間がつくるものだが、人間自身がそれに仕へ、それに動かされるまでも行かなければ、真の理論ではない。左翼の理論は道具なんだから駄目なんだ。いつでも人が勝手に改めることができるからいかん。そこへ行くと、右翼の理論は天であり、神であるから、人間が勝手に理論を変へることが出来ない。人間が理論の方に仕へてしまふ。だから仕事が出来るのだ。(同)
左翼の理論は、人工的な拵(こしら)え物である。万物物事には、紆余曲折が付き物だ。が、理論は、それを嫌い、直線的な道筋を描こうとするから、無理がある。一方、右翼の理論は、自然に積み重なった堆積物である。試行錯誤があり、成功もあれば失敗もある。だからこそ、そこには「英知」が宿る。別言すれば、左翼の理論は「観念」であり、右翼の理論は「信仰」とも言われるだろう。
天の理論と人の理論を区別しなければいかん。人の理論は人の道具であって、これが天の理論を押しのるけやうなことがあつては間違ひが起る。科学振興にはどこまでも賛成だ。科学なしには戦争にも勝てぬ し 、現代生活も成り立たない。しかし科学主義が人間を支配するやうになつてはおしまひだ。合理主義者のインテリゲンチュアの考方がそれだ。人間の理論と天の理論を混同してゐる。人の理論によれば、純粋で無経験な青年は煽動出来るけれども、出来上るものは妙なものだよ、人の理論で煽動した奴は資本主義か共産主義かその結果は頽廃(たいはい)、ニヒリズム、闇取引、さういふものでしかないのだよ。天といふ無理論の理論に我々は一度参入しなければならぬ。それに参じない奴は結局自滅する。(同)
我々は、先人の営みの上に存在する。だからこそ、その営みを引受けることが始めなければならない。そして、酸いも甘いも嚙み分けることが必要なのだ。【続】
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