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目白庭園の次は、弊社記念式典の打ち合せで、ホテル椿山荘東京です。今回、ロビーには立派な盆栽が飾ってありました。ここで初めて盆栽を見たような気がします。大宮の盆栽博物館は撮影禁止ですが、ここは大丈夫でしょう・・。椿山荘に着いたものの、まだ少し早い、庭園を眺めることにしました。チャペルの近くまで来ると、なんと、緑色の羽に赤い嘴、見たことのないオウムのような、インコのような鳥を見つけました。近づいても逃げる様子がありません、人に慣れているのでしょう。夢中でシャッターを押し続けました・・・。ブロ友「ワオワオさん」のように・・・。そして式典の打ち合せを無事済ませ、次回の打ち合わせ予定は弊社内の予定です。さっ、次はプライベイトで、宿泊のチェックインです・・・。【今日のLifeHack:人生とは孤独であることだ。 ヘッセ】<ホテル椿山荘東京><初めてのワカケホンセイインコ><式典で使うロビー>
March 31, 2017
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椿山荘で予定している弊社式典の打合せの時刻に少し早いので、目白駅前から徒歩5分ほどの所にある「目白庭園」へ行ってみました。ここは、昨年の今頃、娘が上京した時に初めて知りました。娘の「行きたい」との希望で、妻が連れて行った所です。この日、散策する人の数も少なく、園内を行き来して過ごしました。特に、今回は大きな鯉数匹の姿が目に付きます、池の中を悠々と泳ぐ姿に見惚れました。都会の喧騒を離れ、まるでオアシス、静かで心癒されます。桜は・・・早咲きの桜は咲いていますが、ソメイヨシノの本番はこれからです。この日は金曜日・・・プレミアム・・?。ソフトバンクから届いたメール「ファミチキ1個無料」クーポンを思い出し、目白駅近くのファミマで1個Getです。それだけ貰うのも気が引け、合わせて飲み物を求めました・・・。但し、この後、椿山荘で打合せがあるので食べる訳にもいきません。・・結局、その夜、妻の誕生会で・・・。(笑)【今日のLifeHack:年をとってから暖まりたいものは、 若いうちに暖炉を作っておかなければならない。 出典:ドイツの諺】<目白庭園><ワオワオさんを見習い、シャッターを・・・><ソフトバンクから届いたメール「ファミチキ1個無料」クーポンでGet>
March 30, 2017
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宮城で義父母の法要を終え、義妹に車で送って貰い仙台に戻りました。次は母の様子見です。お土産と法要先で求めた苺を持って施設を訪れました。すると、母が美味しそうに頬張りました。夕飯前だったので心配しましたが、特別に夕飯が部屋に運ばれ、それを・・完食!。母の食欲旺盛な姿に驚くと共に嬉しく思いました。そこへ弟が迎えに来てくれ弟一家と夕食です。和気あいあい、美味しくいただき、お店に客がいなくなるまで話し込んでしまいました。(笑)・・姪の友人がこのお店でアルバイトしていて割引券を貰い、使わせて貰いました。翌日は彼岸らしく朝早くから墓参行脚です。最後にまた母の様子を見て安心し、仙台駅へ向かいました。今回は連休にも拘わらず、3割引きグリーン車が予約出来ました。料金は、普通車とほぼ同じです。お得な気分で乗り込みます。乗っている時間は倍近く掛りますが、もっと乗っていたい気分でした。2015年3月の彼岸、櫻井よしこさんと同じグリーン車でしたが、今回、有名な方はいませんでした・・。・・あの時は亡き父のプレゼントかと思ったしだいで・・・。【今日のLifeHack:幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。 出典:文学と倫理著者:ジイド】<仙台駅><夕方、弟一家とお食事・・・青いカラーを付けたまま・・><翌日は朝から墓参行脚><仙台駅><3割引きグリーン車の料金は普通車なみ><2015年3月21日、彼岸、櫻井よしこさんと同じグリーン車両に>
March 29, 2017
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1週間前の話になりますが、お彼岸にお墓参りに出掛けました。更に、今回は義父母の法要が予定されていてチョット忙しい・・・。時間節約で、金曜日の夜に仕事を終えた後、新幹線で仙台へ向かいます。妻とは、最悪、新幹線内での待ち合わせです。いつものことですが、これだと待ちぼうけが有りません・・・。(笑)私が山形へ出張した時など、福島駅での新幹線内待ち合せをし、仙台は勿論、秋田や青森へ向ったりもします。今回は新幹線に乗る前に無事合流し、仙台へ向かいました。仙台駅で石ノ森章太郎のSF漫画『サイボーグ009』のロッカーを見つけました。・・街おこしでしょうか・・ちょっと驚き、ちょっと素敵です。翌朝は早起きし、地下鉄「南北線」の泉中央駅で義妹と待ち合わせです。無事、合流し、義妹の車で北上です。妹は私に車を運転して欲しかったようですが、私の首の青いカラーを見て・・諦めたようです・・。途中、「天平ろまん館」前を通ります。この地は日本で初めて金が採れたと言われる所です。天平21年(A.D.749)、陸奥国守の百済王敬福は小田郡より黄金が産出したことを報告、900両(約13kg)の金を献上。聖武天皇は、これを国始まって以来はじめての産金と大いに慶び、国家事業であった東大寺大仏の造営を完成へと導いたそうです。お寺に着き、義母の17回忌、岐阜の13回忌の法要です。和尚さんにお経をあげて貰い、渡された塔婆を持ってお墓参りをしました。その後、お食事。御斉(おとき)と呼ぶようです。久しぶりで顔を合わせたこともあり、楽しく美味しくいただきました。【今日のLifeHack:私たちが愛する人々の幸福を願うのは当然である。 だが、自分達の幸福を棄ててまでこれを願うべきではない。 バートランド・ラッセル】<金曜日の夜、仕事を終えて新幹線で仙台へ移動><仙台駅着><仙台駅で見つけた石ノ森章太郎のSF漫画『サイボーグ009』のロッカー><翌朝早起きして、法要へ><日本で初めて金が出たという地にある「天平ろまん館」><法要><御斉(おとき)>
March 28, 2017
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昨日、大相撲春場所千秋楽で稀勢の里が、優勝決定戦を連勝し奇跡の逆転優勝を果たしました。-------------------------◆大相撲春場所千秋楽 ▽優勝決定戦 ○稀勢の里(小手投げ)照ノ富士● ▽本割 ○稀勢の里(突き落とし)照ノ富士●(26日・エディオンアリーナ大阪)(2017年03月26日)場内から「キセノサト」コールが巻き起こる中、新横綱は15日目の土俵に上がり、意地を見せた。 13日目に左肩付近を痛めた横綱・稀勢の里(30)=田子ノ浦=は、千秋楽本割で大関・照ノ富士(25)=伊勢ケ浜=を右からの突き落としで破り、13勝2敗で並んで、優勝決定戦に持ち込んだ。 続く優勝決定戦では、ももろ差しを許しながら、右から捨て身の小手投げで勝利。重傷と見られるけがと1差のハンデを乗り越え、逆転優勝を飾った。2場所連続の優勝。貴乃花以来22年ぶりとなる新横綱優勝となった。(スポーツ報知)-------------------------・・・思い出すのは、昨年年1月10日に訪れた国技館での大相撲初場所初日が天覧相撲になったこと。・・まさか、天皇皇后両陛下を目の当たりにするとは思いませんでした・・。また、当日、稀勢の里が、折角物言いがついて取り直しになったのに、ベテラン安美錦(37歳)に押し倒しで負けてしまいました。テレビで観ていればVTRが流れたでしょうが、現場には流れません。一番優勝を期待されている力士でしたが、残念でした。そして、今回、2場所連続の優勝。貴乃花以来22年ぶりとなる新横綱優勝を果たしました。おめでとうございます。更なるご活躍を祈っております。FM ilovecb【今日のLifeHack:どこにも人を引きつける所を持たないことを自覚している人間は、 それについてくよくよとあせるより、 自然のままで一人で生きているほうが賢明である。 出典:人と付き合う法著者:河盛好蔵】<痛みをこらえながら内閣総理大臣杯を受け取る稀勢の里>(時事通信社)<2場所連続優勝を果たし、笑顔で乾杯する稀勢の里>(時事通信社)<2013年2月3日、成田山新勝寺「節分会」での稀勢の里を激写><2016年1月10日国技館で撮影><稀勢の里><稀勢の里の負け><取り直し><また負けてしまいました・・><天覧相撲に・・・初めて天皇皇后両陛下を・・・激写はピンボケ・・・><会場、桝席で自撮り>>
March 27, 2017
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土曜日の朝日新聞「be」に「もういちど歌謡曲」のコーナーがあり、毎回楽しみにしています。中でも1970年代は私の青春時代、ほとんどの曲が分かりますが、今回は1979年1月・・当然、歌はよく知りません。注目したのは1997年1月の出来事、トップに掲載されているのは日本を代表するラリーストの篠塚建次郎さん。この年、パリ・ダカール・ラリーで日本人初の総合優勝を果たしています。そう、篠塚さんは俳優の三浦友和の義兄で、1986年に俳優の夏木陽介と共にパリ・ダカール・ラリーにも参戦しています。・・・思い出すのは、2011年11月8日、「3.11、東日本大震災」のチャリティを兼ね、明治神宮で開催された「La Festa Autunno 2011」のスタート地点。妻と二人、特別に「関係者以外立入禁止エリア」に入場の許可を得て、水を得た魚のよう・・・。妻と一緒に撮影やゼッケンを車に貼る仕事?をしたり、妻が見つけた有名な方々とツーショットが実現したり・・・夢のような時を過ごした、正に「セレンディピティ」を体一杯に感じた日でもありました。そんな中、篠塚さんが乗るクルマは1949年製ヒーレー・シルバーストーン、青色です。彼に接近しツーショットやを握手をお願いすると、快く応じて貰い感謝感激でした。因みに、この時、お話出来た有名な方々は、木内みどりさん、堺正章さん、横山剣さん、篠塚建次郎さん、パンツェッタ・ジローラモさん、夏樹陽子さん、鈴木亜久里さん、中田宏さん、(ムッシュ)かまやつひろしさん、高山善廣さん。お話出来なかったのは、長江健次さん、、ミッキーカーチスさん、柴俊夫さんでした。・・・この時も私は気づかず、妻の指示?で右往左往・・・。(笑)【今日のLifeHack:慣習とは反対の道を行け。そうすれば常に物事はうまくいく。 ジャン・ジャック・ルソー】<3月25日の朝日新聞beに掲載された篠塚建次郎さんのパリダカ優勝><篠塚建一郎氏、車はHEALEY SILVERSTONE・・ギャラリーの中央にサングラス姿の柴俊夫さんが><2011年11月8日、篠塚健次郎さんと>
March 27, 2017
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表参道ヒルズで開催の「エルメスの手しごと」展“アトリエがやってきた”の次は国立新美術館へ移動です。新聞屋さんから貰った招待券での鑑賞です。国立新美術館に着くと、「草間彌生」一色、街路樹まで水玉ピンくの布が巻きつけてあります。勿論、「草間彌生」展の入口は、長蛇の列で、その人気の高さが分かります。私は・・趣向が違い過ぎて、興味ありませんが・・・。「ミュシャ展」の謳い文句は、最強のミュシャ展がスタート!スラヴ叙事詩全20作を見逃すな!。-------------------------アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1912-1926年)です。およそ縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。プラハ市のために描かれた《スラヴ叙事詩》は、1960年代以降、モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城にて夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはありませんでした。その幻の傑作が、80年以上の時を経て2012年5月、ついにプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されました。そしてこのたび国立新美術館では、パリで活躍したミュシャが《スラヴ叙事詩》を描くに至るまでの足跡を約80点の作品を通じて辿りつつ、これら幻の最高傑作の全貌を一挙、紹介。 -------------------------今回の展示は、ミュシャがその後半生の情熱全てを捧げた超大作「スラブ叙事詩」全20点が来日し、日本で初公開。しかも、「スラヴ叙事詩」がチェコの国外に出たことはこれまで一度もなく、チェコ国外でも世界初公開となる貴重な機会になります。更に、ポスターや壁画装飾、切手やお札などのデザインなど、画業の全てを俯瞰することができます。中に入ると、その作品の大きさに驚かされます。因みに代表作「スラヴ叙事詩」は6m x 8mもあり圧倒されます。とても真似のできない色使い、緻密筆使いに感心しきりです。会場内で驚いたこと、良いことが一つ。それは奥の一部屋だけですが、撮影が可能です、有り難いことです。・・・絵ハガキやグッズの売れ行きが落ちるかも知れませんが・・・。撮影が可能だったので、カメラは持参した方が良く、更に双眼鏡があると便利です。細部までよく見ることができますが、私は双眼鏡を忘れました・・・作品の大きさを知らなかったもので・・・。世間の注目度が高いのか、3月16日にはNHKで、3月19日には日経新聞にも掲載されました。但し、ナチスから要注意人物リストの中に載っていたのは意外でした・・・。また、「ミュシャ」が「武者」に聞こえてしまい・・・。(笑)【今日のLifeHack:恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡(ほろ)び、さめるものだ、 ということを知っている大人の心は不幸だ。 坂口安吾】<新聞屋さんに貰った無料鑑賞券><草間彌生一色><入口><撮影可能エリア><3月16日のNHK><作品を描いた広いホール><ナチス作成の要注意人物のリスト><3月19日の日経新聞にも掲載>
March 26, 2017
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「エルメスの手しごと」展“アトリエがやってきた”一番見たかった「カレ」(スカーフ)が作られる工程の次は・・・伝統が受け継がれる10種の手しごと、どのコーナーも混んでいますが、皮革職人・・ 鞍職人・・・時計職人・・のコーナーへ。謳い文句は・・・---------------------------------■ 皮革職人数々のパーツを縫い合わせて出来上がるエルメスのバッグ。これまで、バーキン、コンスタンス、ケリーといった時代に名を刻むバッグも現れてきた。美しさと耐久性を兼ね備えたこれらのバッグは、皮革職人によりひとつひとつ丁寧につくられている。鞍づくりの伝統技術のサドルステッチは、バッグ製作に受け継がれており、もちろん目の間で作られていたバッグの持ち手にも活きていた。糸が摩耗しないように、仕上げにハンマーで縫い目を叩き、続いて縁の部分に蝋止めを行うことで、革の断面は滑らかで艶やかな表情になり、耐久性と耐水性が高まる。■ 鞍職人「鞍職人」のコーナー。1837年に馬具工房として誕生したエルメスは、現在も変わらず鞍の製作・販売を行っている。「美しい鞍づくり」は、まさにエルメスのルーツと言っても過言ではない。丁寧に手縫いされた鞍からくる機能性、耐久性、究極の機能美と言うものづくりは、全ての製品に受け継がれた。■ 時計職人時計職人により、機械式時計の組み立ての精密な工程も見ることができる。ムーブメントは、ばらばらのパーツを組み合わせる微小な積み木を思わせる、シンプルなもので100個、複雑なものになると1,000個以上のパーツが必要になる。---------------------------------どのコーナーモ想像を超える卓越した技と緻密な手しごと。職人技を実際に目の当たりにする機会に恵まれたことは嬉しいです。見れば見るほど、知れば知るほど手に入れたくなりますが、買えません・・・。混んでいなければ、じっくりと各コーナーを回って納得いくまで見て触ってみたかったのですが・・・。会場を後にし、外に出ると、爆音が響いてきました。その方向を見ると「痛車」、白いランボルギーニのオープンです。彼女を乗せて、渋滞の中、見せびらかし?ながら・・・失踪・・いや、疾走?です。エルメスの後は、シトロエンのSMなど、エレガントなフランス車だと良かったのですが・・・。【今日のLifeHack:人生を越えた何かがあるとき、人生は美しくなる。 J.ドルメッソン】<皮革職人><職人の道具><鞍職人><職人の道具><時計職人><ランボルギーニ>
March 26, 2017
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表参道ヒルズの「エルメスの手しごと」展“アトリエがやってきた”・・・現場に潜入です。職人たちがフランスのアトリエを飛び出し、熟練のスゴ技を披露しているこのイベント。まずは、一番見たかった「カレ」が作られる工程です。一枚のカレが出来上がるには、発案から商品化まで約二年もかかるそう。さらに、シルクスクリーン製版職人やグラフィックデザイナーに加えて、カレに最後の仕上げを行う縁かがり職人がいることにも驚きました。 端を1.5cmほど内側へ巻き込み、縫い目が外から見えないように縫うという、本当に緻密な作業にはため息が出ます。----------------------------■ エルメスのカレの作り方:今でも1枚1枚人が行うシルクスクリーンで作られている。だが、色をつけるまでには、グラフィックデザイナーと製版職人の仕事が欠かせない。グラフィックデザイナーは、エルメスのカレの手書きの原画を作り上げる。そして、その原画をデジタルに取り込み、製版職人がシルクスクリーンの型を作るために線と色を付けていく。デザインに忠実に、線、色を付けていくには何十色ものカラーが必要。そして、その分、シルクスクリーンの型も増えていく。つまり、30色で構成されたデザインには30枚のフレームが必要。シルクスクリーン職人は「フラットフレーム」という技法を用いる。この技法は1930年にリヨンで始まったことから「リヨン式フレーム」とも呼ばれる、職人は真っ白なシルクツイル地をプリント台に張ったあと、メッシュと呼ばれる薄い布を張ったステンレススティール製のフレームをその上にのせる。メッシュにインクを流し込み、ゴム製のスクイージーで広げていく。1色ごとにフレームを差し替えながら、布に色を塗り重ね、プリントが終わったら乾かし色止めをし洗浄。これでスカーフになる準備が整う。人物のような複雑なデザインは、1箇所の表現に15枚ものフレームを使うこともある。エルメスのカレの最後の仕上げを施すのは「縁かがり職人」。カレの縁をくるりと巻き込み縫う“ルロタージュ”と呼ばれるフランス特有の技法を見ることができる。全て手縫いで、カレの4周に均一な針目が並ぶ。正確なテクニックが要求される技法でシルクツイル、カシミア、シルクモスリン等どんな素材でも早く正確に仕上げるためには長い経験が必要。----------------------------工業製品ではなく工芸品の数々・・思わずため息が出て、うっとり・・・。【今日のLifeHack:ラブレターを書くには、 まず何を言おうとしているのか考えずに書きはじめること。 そして、何を書いたのかを知ろうとせずに書き終わらなければならない。 ジャン=ジャック・ルソー】<カレ(スカーフ)の作り方><手に触って、どうぞ>
March 25, 2017
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「銀座メゾンエルメス」の次は、メチエ(仕事)の職人たちの技を見る為に表参道へ移動です。映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」同様、こちらも妻の提案です。ブログ・ネタの切掛はいつも妻のようで・・・?。表参道ヒルズに到着、ここは私にとってもう一る魅力が無いのか、オープンした頃は来ましたが、その後、六本木ヒルズや東京ミッドタウンほどは訪れていません。ここでの思い出は、資生堂「TSUBAKI」の発表会くらいです。かなり昔です。今回、妻から提案が無ければ来なかったでしょう。ヒルズの前にはエルメスの宣伝?「ガラス箱」、「表参道ヒルズがエルメス色に染まる」があり、一目でエルメス(HERMÈS)のイベント「エルメスの手しごと」展がここだと分かります。会場は「TSUBAKI」の時と同じで、下へ下へと進んでいきます。吹き抜けになっているので、会場の雰囲気が伝わってきます。上からみると階段の段差がなくなり絵になる仕掛けになっていて、階段途中が記念撮影コーナーになっているのもよく分かります。会場入口まで来ると大混雑、沢山の人が群がっています。謳い文句は------------------------------------「エルメスの手しごと」展では、「カレ」を手がけるシルクスクリーンプリント職人やシルクスクリーン製版職人、縁かがり職人をはじめ、メゾンの始まりでもある馬具を手がける鞍職人、バッグ類を製造する皮革職人、宝石をジュエリーに固定する石留め職人、1989年からエルメスグループの一員でもあるクリスタルメゾン「サンルイ(Saint-Louis)」のクリスタル職人、手袋職人、ネクタイ縫製職人、磁器絵付け職人、時計職人といった11人の職人の技を目の前で堪能できる。皮革職人のブースでは、27年のキャリアを持つ職人が「ケリー(KELLY)」を制作。バッグ1点の制作にかかる時間は20〜25時間で、会期中に「ケリー」を完成させるほか「コンスタンス」なども制作する予定だという。「サンルイ」のブースでは、360°VR映像を用意。ヘッドセットを装着し、アトリエの内部映像を楽しめる。「エルメスの手しごと」展は、クラフツマンシップを讃えるイベントとして2011年に誕生、開始以来、パリやメキシコ、バンクーバーなど世界各都市で開催。今回が日本初。「エルメスジャポン」の有賀昌男社長は、「エルメスでは『全てが変わり、何も変わらない』という言葉を口にする機会が多い。これは時代が激変しても、モノ作りに対する情熱や自由なクリエーティビティ、そして高い品質を保とうとする信念は変わらないということを意味している。熟練した職人たちが最高品質の材料を使い、魔法のようなテクニックで素晴らしいオブジェや製品を作っていく様を楽しんでもらえたら」と。------------------------------------会場には10種の手しごとのコーナーが並び、まるで“アトリエがそのままやってきた”ようです。実際に制作する職人技を見せて貰います。特にカレ(シルクスカーフ)の制作が目の前で繰り広げられるのを見たくて・・・。【今日のLifeHack:「金なんていくらあっても天国まで持っていけやしないよ」 出典:我が家の楽園】<表参道ヒルズ>
March 24, 2017
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「銀座千疋屋」で「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」鑑賞の感想会の後は「エルメス」、「銀座メゾンエルメス」へ向かいます。表参道ヒルズの会場と呼応する形で「エルメスの手しごと」展“メゾンへようこそ"の開催です。建物に入ろうとすると、ドアマンの方が丁寧にドアを開けてくれます。ここに入るのは初めて、こんな機会がないとなかなか入れません。慣れた素振りで奥へ進みエレバータに乗り込みます。催し物の会場は10階ですが、4階までのボタンしかありません。仕方なく4階を押し、そこで降りると、目の前は普通の売り場スペース。棟が違ったようです。但し、売り場の隅に飾られた白馬が素敵で気になりました・・・持ち帰りたいくらいです・・・。(笑)近くの売り場の方に会場を尋ねると隣の棟とのこと、また1階へ逆戻りです。そして、普段一般にオープンしていないという10階の会場に辿り着くと、目の前にあの広告の拡大版が飾られています。ここで記念撮影し、右手に進むと、職人や手しごとに関連する映画上映、トークセッション、ワークショップなどさまざまな参加型のプログラムが用意されていますが、事前予約が必要で我々は参加出来ません。エルメスのスカーフのデザイン原画や色の配合などを感じられたはずですが、残念です。左手の部屋は入場自由で、そこに並べられた本を捲りながら一回りして終了です。さっ、次は、表参道ヒルズで開催の「エルメスの手しごと展」、実際に作業する職人技を目の当たりにしましょう。・・・あっ、売り場で、先日亡くなったムッシュ、かまやつひろしさんがいつも被っている、私とのツーショットの時にも被っていたニット帽を見てくるのを忘れました・・・。(笑)【今日のLifeHack:結婚生活で一番大切なものは忍耐である。チェーホフ】<「銀座メゾンエルメス」> <この白馬が欲しかった・・・><ご案内><10階><故かまやつひろしさんがいつも被っていたニット帽を見てくるのを忘れました・・>
March 23, 2017
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シネスイッチ銀座で「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」を鑑賞した後は、いつもの様に感想会です。お昼になったのでお店を探していると、目に入ったのが「千疋屋」。日本橋にある「千疋屋」のランチはリーズナブルな料金で、よく利用しますが、こちらは時々です・・。2階のフルーツ店は人気があり、階段の下まで人の列が続いています。その列を見ながらエレベータで地下へ下りると、なんと空いているではないですか・・・。一番奥の良い席に案内されました。ラッキーです。注文はもちろん「地下限定ランチ」1296円。妻は「エビとアボガドのジュノベーゼパスタ」、私は「アスパラとベーコンのトマトソースパスタ」です。・・映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」の感想は・・・前日に書いてしまいました・・・。(笑)いずれ、このタイトルからかけ離れた政治・体制が絡んだ作品だった、と・・。【今日のLifeHack:恋の病を癒す薬はいくつもある。しかしそれに間違いなく効く薬というものはない。 ラ・ロシュフコー】<銀座千疋屋>
March 22, 2017
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妻の誕生日が近いのを知ってか、娘から、妻の好きなヨーヨー・マの映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」の情報が届きました。調べてみると、マニアックな映画の為か上映館が少なく、銀座のシネスイッチで観ることにしました。10時30分開演に間に合う様30分ほど前に到着、ほぼ真ん中の席が取れました。自販機のコーヒーを飲みながら待ちましたが、席が埋まりません。我らと同じお年寄りが目立ちますが、2~3割程度のガラガラ状態で映画は始まりました。題名から、シルクロードがスクリーンに映し出され、そこでヨーヨー・マが演奏する姿を想像していましたが、違いました。原題は「The Music of Strangers」、ストレンジャー・・見知らぬ人・・訪問者の音楽?・・。(笑) 解説によると-------------世界的チェロ奏者であるヨーヨー・マが、2000年に「音の文化遺産」を世界に発信するために立ち上げた“シルクロード・アンサンブル” の現在迄の軌跡のドキュメンタリー。異文化がクロスするシルクロードにゆかりがあり、様々な歴史的、文化的、民族的、政治的背景を背負ったメンバー達と共にヨーヨー・マは自分自身のアイデンティティを確立。ケマンチェや中国琵琶、尺八、バグパイプなどによる伝統的な東西の音楽と現代音楽とが融合し、国境を超えた究極の音楽そして人間のハーモニーが紡がれる。------------------------世界には色々な楽器、色々な音色が有るもので、馴染みが無い、普段聴くことが出来ない音色に触れることが出来ました。イランのケマンチェという楽器を演奏する音楽家「Keyhan Kalhor」(ケイハン・カルホール)を通してイランの国が描かれ、芸術家は政治について何も言えず、国の監視下に置かれています。また渡米当初はタクシードライバーをしていたといいます。ヨーヨー・マはケイハン・カルホールと一緒に演奏しながら、ケマンチェの弾き方をチェロに取り入れていました。中国の琵琶はではなく「ピパ」と発音し、女性奏者「Man Wu」 (ウー・マン)が勢いよく演奏していました。「音楽の世界は狭い」「誰かが見つけてくれる」とも言っていました。また、スコットランドのバグパイプとは少し違った音色・音調のガイタを演奏する女性奏者「Cristina Pato」(クリスティーナ・パト)も独特で特徴的、サンティアゴ・デ・コンポステーラのあるスペインのガルシア自治州の出身。ヨーヨー・マはフランスに生まれてアメリカに移住、中国人でチェリストというコスモポリタン。私は・・・サントリーのCM、ピアソラの「リベルタンゴ」を演奏しているので知ったような気がします・・・。様々な土地に音楽のルーツがあり、その時点に立ち戻ってアンサンブルを再構築する試みは興味深く、個性豊かなメンバー、その独特の音色・・・期待せずに観た割には心癒される映画でした。【今日のLifeHack:時を短くするものはなにか――活動。時を絶えがたくするものはなにか――怠惰。 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ】<ヨーヨー・マと旅するシルクロード>
March 21, 2017
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旅を終えるといつも作っている「フォト・ブック」正月版に続いて今年の第2弾は2月の「青森・盛岡経由?で仙台へ」です。勿論、東京発で、大人の休日倶楽部「JR東日本乗り放題15000円」の利用で、同じ料金でどれだけの距離を稼げるかが勝負です。「フォト・ブック」はいつもの「しまうまプリント」製の36頁198円。タイトルは13文字以内、サブタイトルは24文字以内です。デジタルは一瞬で消えるかも知れませんが、紙は簡単には消えません。毎回ですが、撮影枚数が多く、2枚の写真を1枚に、4枚の写真を1枚に纏め・・・何とか、注文しました・・・。フォト・ブック「しまうまプリント」のURLは、 http://www.n-pri.jp/・・・よろしければ、どうぞ。【今日のLifeHack:花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ 井伏 鱒二】<フォトブック><盛岡><仙台>< 1万円のカップ&ソーサーで><21万円のカップ&ソーサーは、どこに?>
March 20, 2017
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楽しかった北茨城の旅、もう少しでお別れです。最終の「MTG」(ミーティング)に選んだ場所は、三菱重工跡地の給水塔の向かい側です。この三菱はかつて友人の父親が働いていた所で、友人の姉がここの社宅で生まれています。古河市・行政自治会だより第18号「市内歴史散歩(第16回)」(平成29年2月15日発行)によると、昭和18年7月、この地に軍需工場として進出した旧三菱重工・茨城機器製作所の遺構とのこと、約85.7ヘクタールあり、ピーク時は約2700人が働いていたようです。尚、現在は陸上自衛隊古河駐屯地として生まれ変わったとのことです。さて、この三菱の向かい側にあるお店の名前は「羅布乃瑠 沙羅英慕」古河店、「ロブノウル サラエボ」と読みます。羅布乃瑠は”砂漠の中のオアシス”、沙羅英慕は”中国にある寺院”から由来するそうです。謳い文句は、「今では貴重な炭火自家焙煎珈琲を、クラシカルな店舗で。多彩なライトミールやデザートも自慢のカフェ・レストラン」です。建物は中世時代を彷彿させるような姿で、中に入ると正面に大きなカウンター調の厨房らしきものが見え、客席には天井からランプ状に吊るされた照明があります。なかなか、いいムードのシャレたお店で、全席半個室的な雰囲気、隠れ家的でもあります。ここで、ケーキと飲み物を注文し、最終精算をしました。そして、出発点の駅まで送って貰い、お別れです。大変楽しい二日間ででした。お疲れ様でした。大変お世話になりました、ありがとうございました。来年も宜しくお願い致します。・・・また、「しまうまフォトブック」198円を作らねば・・・。【今日のLife Hack:長続きするたった一つの愛は片想い。 出典:ウディ・アレンの影と霧】<三菱重工跡地><古河市・行政自治会だより第18号(平成29年2月15日発行)><妻のお腹にも優しいシフォン・ケーキを追加>
March 19, 2017
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大洗の「あんこうどぶ汁鍋」でお腹を満たし、戻りです。この日、2月26日15時に開通する「圏央道」の「境古河~つくば中央」を初走行の予定です。これで、圏央道の茨城県区間が全線開通し、東京から放射状に伸びる東名高速~中央道~関越道~東北道~常磐道~東関東道の6つの高速道路が圏央道で結ばれ、成田空港から都心を経由せずに東北道、関越道、中央道、東名高速へアクセスできるようになり、大変便利になります。開通前日から、あちこちに表示が見られ、是非走ってみたいと思っていましたが、手前から渋滞、大渋滞です。所謂、お祭り渋滞でしょうか、走るのを諦めました。下道を走り、「堺古河インターチェンジ」付近まで来ると、利用するはずだった圏央道が見えてきました。・・・スムースに流れています。・・・残念・・。【今日のLife Hack:人は急いで結婚し、暇になってから後悔する。 ウィリアム・コングリーヴ】<圏央道「境古河IC~つくば中央IC」開通><常総市地域交流センター「豊田城」><走りたかった「圏央道」が見えてきて・・・><この日は、朝陽も拝み、夕陽も拝み・・・><翌朝のニュース「圏央道開通」>
March 18, 2017
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五浦を後にし向かうは大洗、いよいよ今回のハイライト「あんこう鍋」を目指します。 茨城のソールフード、外見はグロテスクですが、骨以外は食べることができる、捨てるところのない魚と言われています。冬の幸あんこう鍋、旬は2月までと言われています。ギリギリです。友人が事前に予約したお店は、寿司割烹「かま家」です。ところが、店までもう少しのところで大渋滞、市場渋滞?のようです。友人がお店に電話で遅れる旨を伝えると、いつものことらしく、お店の人は笑っていました・・。駐車場にも迷いながら、やっと到着。老舗の寿司やさんを感じる佇まいの左手の扉から入ります。このお店は、予約をしないと入れない人気店の様で、我々の後から来た数組が断られていました。そして、 2階の大広間にご案内ーーー。まず、あん肝が小さなすり鉢に入って出てきます。国産の鮮度な肝です。本格的な「あんこうのどぶ汁鍋」は、あん肝を、マヨネーズ状になるまですり鉢でする作業から始まります。肝は簡単には潰れません、けっこう大変です。長い時間を掛けて、あん肝がトロトロになるとお店の方が来て、土鍋を火にかけあん肝を炒っていきます。その中に味噌を加え、用意された食材「あんこう」を入れます。そして暫くすると出来あがり、純粋なあんこう鍋を味わいます。煮込んだ味にはコクがありくどくなく、アツアツのアンコウの身、コラーゲンたっぷりプリプリです。心も体も温まります。ビタミンが豊富に摂取でき、免疫力を高めることが期待できると言われています。次に、白菜や豆腐、ネギなどを鍋に入れて第二弾。ホクホクして、思いのほか美味しくいただきました。最後、シメは具を全て食べた後にご飯と卵を入れて雑炊です。我々が飲んだのか、蒸発したのか、出汁が少ないと言われてしまいました。(笑)そこで、皆の銘々皿に残ったスープを鍋に戻し、出汁を追加しご飯を入れて沸騰させます。そして、仕上げに卵を入れて5分間蓋をして出来上がりです。あんこうの出汁が濃縮されたうまさ、美味しくいただきました。また、ここ、大洗は、ガルパンの舞台となった、聖地とのことです。どおりで、アニメが商店街の各所の飾られています。調べると・・・今、世を席巻してる”ガルパン”ことアニメ「ガールズ&パンツァー」。女子高生が戦車で戦、その熱い内容と完成度の高さからオタクの間ではかなりの人気を誇り昨年末に公開された劇場版は異例のロングラン大ヒットになっているそうです。アニメ側も地元も一緒になってガルパンを街興しに活用しているのを感じます。【今日のLife Hack:時間が過ぎ去って行くのではない。 われわれが過ぎ去っていくのだ。 出典:西洋の俚諺】<割烹「かま家」で「あんこうのどぶ汁鍋」><「あん肝」をマヨネーズ状になるまで潰すのが大変><友人の画像を無断?借用>IMG_2619 posted by (C)ilovecb<やっと、マヨネーズ状に・・・><まず、あんこうをそのまま食べる・・><次に野菜を入れて・・・><さらに、鍋が少なくなった頃に、卵とご飯をを入れて・・・雑炊に・・・、><確かに、店の前には、聖地・ガルパンらしく、アニメが・・・スタンプラリーも・・・>
March 17, 2017
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岡倉天心縁の「六角堂」を海側から見たいので、係の方に尋ねると、「五浦岬公園」を教えて貰いました。ホテルの駐車場に停めた車で移動し向かいます。間もなく、灯台が見えてます。青い空に白い灯台が映えます。次に、「五浦岬公園」の海が見える方へ向かいます。そして、見えました、見えました、先ほどまで見学していた「六角堂」が見えます。そう、これが見たかったのです。ここから見える「六角堂」は素晴らしく、海の青さとのコントラストが最高です。その素晴らしさに、カメラを向けると、なんと、次から次と観光客が訪れ、シャッター・チャンスが訪れません・・。(笑)ちょっと待って、やっと人に居ない六角堂の撮影に成功しました。・・・青い海原は実に気持ちがいい、開放的な気分に・・・。【今日のLife Hack:娘のために死ねない。 どうしても小学校の授業参観に行きたいんだ。 池田貴族】<大津岬灯台><五浦岬公園><見えました、この角度で見たかったのです><人がいなくなるのを待って、やっと撮影><展望塔><展望塔の上から見ると、また違った趣で><あんこう鍋を目指して走り始めると・・フェラーリが・・・><大渋滞、あんこう鍋は遠く・・・>
March 16, 2017
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五浦観光ホテルのチェックアウトを済ませ、歩いて行ける距離にある「六角堂」へ向かいます。ここは、明治期の美術思想家・日本近代美術の父、岡倉天心が北茨城市の五浦海岸に移り住んで瞑想の場として作った所です。因みに、2013年秋、竹中直人さんが主演を務めた岡倉天心(1863E`~1913年)(本名は岡倉覚三・幼名は岡倉角蔵)の生涯を題材にした映画「天心」が公開されました。東京美術学校(現東京芸大)の設立に尽力し、近代日本美術の発展に貢献した半生や、北茨城市の五浦海岸に移り住んで横山大観(中村獅童)ら弟子たちと日本画再興を目指した晩年を描き、主題歌は、同市出身のアーティスト石井竜也さんが担当したそうです。「新しい日本画の創造を目指した岡倉天心の再起の物語で、東日本大震災から復興に向かう茨城の姿を重ねながら制作されたといいます。映画制作のきっかけは、2013年に天心の生誕150年、没後100年を迎えることから、天心が日本近代美術に残した足跡を見直す機運が高まったことだったといいます。撮影は「六角堂」など、ほとんどを北茨城市で行う予定でしたが、2011年3月11日、同市は震災で大きな被害を受け、津波で六角堂も流失、ロケ地が被災地となってしまいました。もう映画どころではないと、誰もが諦めかけた時、実行委員会の元事務局長の城之内景子さん(70)が「こんな時だからこそ、やりましょう。きっと復興の力になります」と。震災から約1 か月後、茨城大が六角堂の再建を発表したことも追い風となり、再び制作に向けて動き出したといいます。制作費は約2億円で資金難は深刻。厳しい言葉もかけられたが、地元の偉人の物語を描くことは地域の自信や誇りとなり、映画の完成は復興のシンボルになると信じ、必死で説得し、徐々に協力者を増やして、完成に至ったと言います。・・・竹中直人主演の映画「天心」を観てみたいと思います。さて、岬に先に建てられた「六角堂」、ここから見える海に抱かれる景色は素敵で、特等席です。毎日、ここで眺めながら何を思ったのか、何をしていたのか、感慨深いものがあります。更に、ここでのセレンディピティは、平櫛田中(ひらぐし でんちゅう)の作品に出会えたこと。2011年12月1日、近くに住んでいたという同僚に教えて貰い、「小平市平櫛田中彫刻美術館」を訪れています。また、ホテルニューオータニに泊まった時、「ニューオータニ美術館」で田中の作品・創設者「大谷米太郎坐像」を眺めることも出来ました。・・・その同僚に教えて貰わなければ、知ることは無かったことでしょう。その同僚は数年前、65歳の若さで亡くなりました・・・。【今日のLife Hack:人は女に生まれない。女になるのだ。 ボーヴォワール】<「茨城大学五浦美術文化研究所」六角堂へ><岡倉天心と五浦><平櫛田中作「五浦釣人><平櫛田中のお手植え椿><2011/12/11撮影、「小平市平櫛田中彫刻美術館」の田中が100歳の時に取り寄せたクスノキ><ニューオータニ美術館の田中の作品、創設者「大谷米太郎坐像」>
March 15, 2017
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五浦観光ホテルで迎えた朝、日の出を見る為5時半起床です。前夜遅かったのに、早っ!。さっ、日の出を見に行きましょう・・・日の出の時刻は6時12分。部屋からは見えないと思いフロントで聞いてみると、昨夜利用した別館「大観荘」が良いとのこと、バスを頼んでいる客がいたので、我々も便乗、別館へ向かいました。別館で朝陽が見える場所を尋ねると、フロントの先にあるスナック風なコーナーが案内されました。6時12分になってもまだ出ません。海の上に少し雲が出ていて遅れて朝陽が昇ってきました。少しづつ、少しづつ太陽が顔を出します。さっ、撮影!シャッターチャンス!。数枚撮ったところで問題です。私のカメラにバッテリー切れ表示が出てきました。仕方がないので、バッテリーを外し、太ももにこすり付け、活性化、少し戻ってきました。これを2・3回続ける涙ぐましい努力?で、やっと、数枚撮れました。・・・その状況を知った友人から直ぐに画像が送られてきました・・。(笑)ここ「大観荘」の謳い文句は・・・五浦海岸の断崖に建つ別館大観荘は、天心の思いが今に生きる六角堂を眼窩に収め、大観、春草が愛した太平洋の怒濤洗う海岸美、洋上からの日の出が、訪れるあなたの心を洗います。・・・私の心も洗われたでしょうか・・・。日の出を満喫?した後はお風呂、朝風呂です。 朝陽を浴び、お湯を浴び、お酒は浴びずに・・・本館にバスで戻ります。朝食会場は前日と同じ、舞台の前の一番良い?テーブルです。テーブルの上には個別にお盆が用意され、朝食が準備してありました。バイキングでないのが、良いです・・・。美味しくいただきました。友人二人はご飯とみそ汁をお替りしていました。私は不調の妻の分を・・・。食後にもう一度お風呂に入りチェックアウト準備。ロビーで無料コーヒー券を使って憩いのひと時、朝陽を浴びて暖かく眠りそうに・・・。ホテルの斜め向かいに博物館の様な芸術的な建物が見えます。訪ねると、向かいの料理屋さんの自宅とのこと、驚きました。そして出発、ホテルから歩いて行ける「六角堂」へ向かいます。・・・岡倉天心の待つ?・・・。友人等が先を進むのを見ながら、私がいつもの様に周囲を撮影していると、美人若女将が出てきました。昨夜のお話をしながら、記念に看板の前で彼女を撮りました。・・・広角23mmのカメラを左手に持ち、彼女との自撮りツーショットを忘れました・・・首にカラーを付けた姿で・・・。【今日のLife Hack:幸福を手にするための戦いは美しいものです。 出典:ライムライト】<日の出前><公の施設かと思ったら、個人宅でした・・・>
March 14, 2017
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五浦観光ホテルでの夕食の後は二次会。お酒は友人持参のジョニーウォーカー、盛り上がります。二次会のメイン・イベントは友人のポルトガルとスペインのお話。今年の春に定年退職で会社を去る予定で、記念にポルトガル旅行を計画したのですが・・・社内の事情でもう少し延びることになったようです。そして、彼の「iPad」がテーブルの上に置かれ、プレゼンの始まりです。・・・お酒が効いて所々しか聞いていなかったような・・・。(笑)旅行のベテラン添乗員の方がマメで、ネットにアップされていて、そこで復讐・・いや復習しました・・・。ベテラン添乗員の方がマメで、友人からネットにアップされたとの連絡が入り、そこで復讐・・・。------------------------『嵐を呼ぶ 男と女!』・・もとい『北スペインとポルトガル』ツアー。ほぼ毎日雨、空の機嫌に振り回された8日間。■1日目(くもり/11℃):11時間55分の空の旅でフランクフルト空港。アーチ構造が印象的なポルト空港着。■2日目(雨/11℃):深夜、ホテル到着で9時30分出発。ポルト市内観光。クレリゴスの塔でバスを降りレロ・イ・イルマオン書店へ€4払い入場。ハリーポッターの作者J・Kローリングの行きつけの書店、ホグワーツ魔法学校のよう!。サンベント駅構内のアズレージョはポルトガルの重要な歴史を。ポルトワインの老舗(今年225周年)「サンデマン」で甘い芳 醇な白ポートと12年物ヴィンテージ赤を。サンフランシスコ教会は金泥細工が美しい教会。雨のドウロ川クルーズ、ロープウェイで展望所へ。ドン・ルイス1世橋をトラムのすぐそばを歩いて渡るスリルも。■3日目(雨時々晴/12℃):ポルトガル王国初代国王アフォンソ1世の生まれたギマランイス城。彼が洗礼を受けたサンミゲル教会、39本の煙突が特徴のブラガンサ公爵館。旧市街へ。バルコニーが特徴のサンチャゴ広場から教会前アーチが完成すると突然オリーブの葉が出た奇跡のノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会。北上するとミーニョ川の真ん中が国境でシェンゲン協定のため入国審査なし、看板1つでスペイン。ビーゴ湾でカキの養殖棚を見てサンチャゴへ。500年前、カトリック両王(フェルナンド王とイサベル女王)が巡礼者のために病院と救護院を作り保全のために国営のホテルにしたのがパラドール。■4日目(くもりのち大雨/11℃):サンチャゴ・デ・コンポステーラ旧市街へ。フランス方面からの巡礼者の道、フランコ通りを逆に歩いてアラメダ公園からのカテドラル全景を。聖堂内に入り聖ヤコブのお墓を見て金塗りの銅像を後ろからやさしく抱きつきお祈りをささげます。12時からの厳かな聖なるミサに参列。ボタフメイロ(大香炉を縄で引上げ振り子のように振る)、巡礼者の匂い消しでもあり清めにもなる乳香をたき、空気を浄化させるのに45kgの純銀製の香炉を8人がかりで縄を引き振り上げ、司教が乳香に火をいれると煙が立ち上がり大きく持ち上げられた香炉が振り子のように跳ね上げ天井につくほどに上がる様は圧巻、大興奮の10分間。レストランで、シーフード・タパス、カニ酢、ムール貝、赤貝、エビ、ホタテ貝、タコ、珍しいマテ貝...と盛り沢山。モンテ・デ・ゴッソに行こうとすると霧雨になり・・ポルトガルへ。1時間時間を戻し、ヴィアナ・ド・カステロの街を散策。■5日目(霧のち雨/12℃):この日も終日雨、運河近くで名物のオヴォスモレス(黄身クリーム入りのモナカの原型)を試食。運河には牛が食べる藻を採取するのに使うモリセイロという舟(お蕎麦が食べたくなる)が浮かんでいて色鮮やか。丘の上のコインブラ大学、無情の門から中庭へ。ジョアニア図書館 には30万冊の蔵書を害虫から守るためにコウモリが7匹ほど飼われて!?大学のマスコットにも。ポルトガルの石畳はカルサーダスといい白黒模様。名産、コルク製品は傘に靴、帽子と様々な製品に加工。コンフェイトウは日本にて味も形も変わり角ありのコンペイトウに。■6日目(くもり!!/13℃):ナザレ展望台オ・シティオ地区へ。ノッサ・セニョーラ・デ・ナザレ教会の床から壁天井にいたるアズレージョの間をサービス入場。オビドスは城壁に囲まれたポルトガル国王が彼らの王妃にプレゼントした、という街。名物のジンジャはサクランボのリキュールで、小さなチョコレートカップに入れクイッと一気に口にいれます。シントラ王宮は2本の白い煙突がシンボルのポルトガル国王の夏の離宮。ユーラシア大陸最西端ロカ岬、日出ずる東の果てから来て、日の沈む西の果てに来て感無量。個人名を古い花文字で書かれている最西端到達記念証明書。リスボンのホテルの前にアモレイラス・ショッピングセンター。ポルトガル料理のカルドヴェルデスープやタラのグラタンに舌づつみ。赤い照明の下3人の女性ファディスタが切々とファド=運命を歌いあげる。■7日目(あめ/11℃):終日雨。朝食レストランでは朝シャン(シャンパン・・・スパークリングワイン)後、リスボン⇔ベレン観光へ。日本の芳香剤のTVコマーシャルのロケ地サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台からリスボンの街を見渡す。ジェロニモス修道院はマヌエル様式(大航海時代の海、舟、植民地にゆかりの彫刻装飾)の最たるものが集結!詩人カモイエスとヴァスコ・ダ・ガマの石棺はポルト ガルの英雄らしい素晴らしい細工。ベレンの塔に発見のモニュメントはテージョ川のシンボル。しめくくりはアズレージョ博物館で採油タイル三昧。■8日目(晴れ!!/13℃):帰国の朝、まさかの快晴!。空港へ。お別れ。オブリガーダ!アディウシュ!窓側席からリスボンの街を。日本へは追い風なので飛行時間が往路より短く。■9日目(晴れ/9℃):日本の空も快晴でお迎え。ポルトガル・北スペイン2か国と日本の親善大使。ロカ岬 ユーラシア大陸最西端記念碑『ここに地果て、海始まる by詩人カモンイス』------------------------------------------------------私、ポルトガルへ行ったことがありません・・・香りが漂ってきます。【今日のLifeHack:甘い恋よ!ああ、お前が翼を持っていなければいいんだが……。 アイヒェンドルフ】
March 13, 2017
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五浦観光ホテル別館「大観荘」で入浴を終え、本館に戻り夕食です。畳敷きの大広間に、グループ毎のテーブルが並んでいます。我々のテーブルを探すと、舞台前の一番良い?場所でした。尚、舞台の出し物は有りません・・・。焼き肉用の固形燃料に火が入れられ、「取り敢えずビール?」で乾杯です。この日野の「取り敢えずビール?」は、「取手づくり」。2016年に発売した全国47都道府県ごとに味の違いや個性を楽しめる「47都道府県の一番搾り」。・・・先日仙台で飲んだのは、「仙台づくり」でしたが・・・所変われば名前が変わるで・・・。謳い文句は・・・「47都道府県の一番搾り」は、“地元の誇りを、おいしさに変えて”をスローガンに、地域で暮らすお客様と一緒になって、地域の魅力を発掘しながらつくりだす、特別な「一番搾り」。全国9工場(キリンビール北海道千歳工場、仙台工場、取手工場、横浜工場、名古屋工場、滋賀工場、神戸工場、岡山工場、福岡工場)の醸造長(商品開発から醸造までを担当している醸造開発責任者)および全国の支社長が、地域の食・文化・情報などに精通されているお客様と一緒に商品コンセプトやその楽しみ方などを共創し開発しました。------------------------------牛肉はレアで、と思っていましたが、肉厚でしっかり焼いたらミディアムぎみ、美味しくいただきました。次々に料理が運ばれてきて、テーブルに乗らない位、仲居さんが食べ終わったものを下げていきます。後半、この宿の美人女将・村田和華子さんがご挨拶に見えました。ご活躍のようで、ネットにも沢山出ています。折角なので、記念撮影を・・・。贅沢な品々に舌鼓を打ち、満腹、満足、幸せを感じる所はお腹にあるそう・・です。調子の悪い妻も楽しめたようでした。【今日のLifeHack:つまらないことに熱情を感じてよく記憶していること、 これが女の一番の特徴である。 数年前の友達と交わした世間話の中に出てきたこまごましたくだらないことを その気になればいつでも正確に話せるのである。 しかもやりきれないことに、女はいつでもその気になるのである。 モーム】
March 12, 2017
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「五浦観光ホテル」に着き、部屋でちょっと寛ごうとすると、17時から別館「大観荘」ロビー前で「あんこうの吊るし切り」が始まるとのこと、歩いても行けるのですが、急いでバスに乗り込みました。この催しは、毎週金・土・日の3日間、それも1日に1回のみです。別館に着くと「あんこうの吊るし切り」が始まったところ、人をかき分けシャッター・チャンスを狙います。次々に解体され、その度に歓声が上がります。「あんこうは捨てる所が有りません」で、ショーが終了しました。間に合って良かった・・・最後の姿だけでは、まるで映画「ジョーズ」です。(笑)ショーの後は別館の温泉、久しぶりの湯です。温泉を見たのは、昨年12月に訪れた三重県「なばなの里」以来でしょうか・・・。ここの湯は、源泉掛け流し塩化物泉と太平洋眺望の絶景露天風呂が売りです。大きな内風呂と、外には露天風呂が二つあり、一つ一つ渡り歩き、その感触を確かめます。たまたまお湯が口に入り舐めてみると、塩辛い味でした。また、風呂ごとに油温・・いや、湯温が少しづつ違うのが分かります。いいお湯で、のんびり、ゆっくり入りました。ここは横山大観の名に因んで名前が付けられていて、大観画伯が好んで描いた松と日の出と月のモデルが五浦海岸だと言われています。【今日のLifeHack:孤独は、知恵の最善の乳母である。 出典:唯一者とその所有著者:M・シュティルネル】<あんこうの吊るし切り><そして、別館「大観荘」のお風呂へ><大観の湯><風呂上りの一杯・・(水)><別館に別れを告げ、本館へバスで移動>
March 11, 2017
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「日本三大瀑布」の茨城県大子町「袋田の滝」の次はこの日のお宿「五浦海岸」へ向かいます。「五浦」・・読みは「いづら」、ちょっと読めません・・。さて、その五浦海岸へ向かったはずでしたが、曲り角を間違ったようで、林道に迷い込んでしまいました。狭く、曲がりくねって、所々ガードレールが無く、崖下に落ちそうな所もあります。友人・・いつもは余裕のドライバーですが、言葉が少なくなり、顔も真剣です。また、周りには車が1台も見えず寂しい・・・地獄の林道です。そして、ついに対向車出現、それも大型トラックです。すれ違いは無理です。すると、トラック・ドライバーは慣れているのか、道を知っているのか、バックを始めました。少し広い場所で止まり、我々の車は右に寄せてすれ違いに成功です。助かりました。次の試練は、車の下に木の枝が引っ掛かてしましたこと。床の下から引っ掛かった音が続き外れそうになく、車を止めて外しました。ほどなく、広い道に出て、地獄脱出、成功です。そこからは快調、走りに走り、お宿「五浦観光ホテル・本館」に到着です。因みに、こちらの「五浦」の読みは「いつうら」です。なかなか、予約が取れなかったというだけに、満室です。我々のお部屋は、海の見えるいいお部屋。目の前には、プライベイト・ビーチの様なきれいな浜辺が広がっています。夏なら、直ぐに飛び込みたいところです。また、その先には「六角堂」が見えます。・・いい雰囲気・・・・流石は岡倉天心!・・・。【今日のLifeHack:孤独は、知恵の最善の乳母である。出典:唯一者とその所有著者:M・シュティルネル】<道に迷って林道地獄に迷い込み・・・><対向車は大型トラック・・・バックして貰いました・・・><やっと、地獄を脱出・・外車のウインカーは当然ハンドルの左側><・・・海が見えてきました・・・><この日のお宿は五浦観光ホテル本館><おひな様が迎えてくれます><窓の外は、プライベイト・ビーチの雰囲気><その先に「六角堂」が見えます>
March 10, 2017
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本州一長い「竜神大吊橋」で日本最大級のバンジージャンプを見た後は、日本の名勝「日本三大瀑布」の茨城県大子町「袋田の滝」です。因みに、他二つは、栃木県日光市「華厳の滝」と和歌山県那智勝浦町「那智の滝」と言われています。ここで、「西山荘・竜神大吊橋・袋田の滝」共通券の3か所クリアです。中に入ると長いトンネルがあり、途中にカップルの姿も見られる「恋人の聖地」があります。そして、目の前に「袋田の滝」、長さ120m 幅73mで迫力があります。私はこれで何度目かになりますが、今回は趣が違います。エレベータ付きの展望台が出来ていました。また、ひな祭りが近いせいか、不動尊拝殿の前にも吊るし飾りが・エレベーターホールの前にもおひな様が並んでしました。展望台に上り、初めて上から滝を見ることができました。この時季、テレビでも取り上げられ「氷爆」、そう「滝全体が凍結する現象」が話題になります。しかし、この日は、生憎?暖かく、普通の滝でした・・。(笑)・・・次回は「氷爆」を是非見たいもので・・・。 【今日のLife Hack:幸福は婦人に似ている。若い者を好み、移り気だ。 出典:ドイツの諺】<この時季、この景色「氷爆」が見たかったのですが・・・><外におひな様><西山荘・竜神大吊橋・袋田の滝で3か所クリア><恋人の聖地><目の前に「袋田の滝」・・・「氷爆」は・・・><エレベータで上の展望台で><展望台から><滝壺?><西行法師・水戸光圀・・・><駐車場の近くのお店・・何のお店?>
March 9, 2017
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水戸光圀公の「西山荘」を後にし、お昼です、途中にあった食事処「藤ひろ」で蕎麦を美味しくいただきました。そして、本州一長いと言われる「竜神大吊橋」です。奥久慈県立自然公園にあり、美しい渓谷「竜神峡」の中を流れる竜神川をせき止めた竜神ダムの上に竜神大吊橋はかけられています。橋の長さは全長446m、中央支間は375mもあり、歩行者専用としては「本州一」の長さの吊橋で、一度に3500人もの人が渡っても大丈夫。また、桁は横風にも強いトラスト補剛型式、ケーブルはパラレルワイヤーケーブルを採用した本格的な長大吊橋の形式で、架橋地点附近で100年に1回程度吹くと想定される30メートル/秒(10分間平均風速)の状況下で安全な設計になっているとのことです。ダム湖面からの高さは100m、橋の上からの眺めは絶景です。橋の両側にある壁面には竜の絵が描かれています。また、ここはバンジージャンプのメッカ、高さ最大100mでシーズン常設開催サイトとしては日本最大級、「圧巻の絶景を臨み湖面に向かってジャンプ」が謳い文句です。経験豊富なバンジーファンや、バンジーのスタッフでさえ「想像以上のスリル」と口を揃えてコメントするそうです。通常、バンジージャンプではジャンプした後は下に降りますが、ここでは電動ウインチで橋の上に引き上げられ、ジャンプ後は直ぐに上に戻り、皆で感動を分かち合えるとのことです。尚、料金は1回目15,000円、同日の2回目は 7,000円とのことです。そして、バンジージャンプの瞬間が見られました・・・ラッキーでした。・・・見たのは何年ぶりでしょう・・・。戻りに、ここで、ミニスカートのお姉さん方々がジャンプ台へ下りていくのに遭遇。ジャンプする場所の橋の上には「東京スカイツリー」にあるような「ガラス床」らしきモノがあり、そこからジャンプする姿を見ようとしましたが、アクリル板でキズだらけで、良く見えませんでした。取り敢えず、証拠写真だけで・・・。・・調べてみたら、そのお姉さん方は、アイドルグループ「」「TTTs」こと「There There Theres」の方々だった様です。あの時の様子が詳しく載っていました。 【今日のLife Hack:君と世間が戦う時は、君は世間の味方をしろ。 作者不明】<本州一長い竜神大吊橋><「竜神峡」を流れる竜神川をせき止めてできた「竜神ダム」><お賽銭のようなもの・・・?><竜の絵が・・・><橋の中央で、バンジージャンプが始まろうとしています><ズームすると・・・><ジャンプ!><ミニスカートのお姉さんがジャンプ台へ?・・・><左側がお姉さんでカメラに向かってポーズを・・「ガラス床」風だが、よく見えない><調べたら、アイドル・グループ「ゼアー・ゼアー・ゼアーズ」の方々><・・・我々は、この中にいません・・・><アイドルユニットThere There Theres/ゼアー・ゼアー・ゼアーズ ><橋の手前に「若ガエル石」><「みずにも えたつ」と読んでしまった「水に燃え立つ」><順番が逆ですが、竜神大吊橋へ行く前にお食事処「藤ひろ」で蕎麦を>
March 8, 2017
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まず、訪れたのは常陸太田(ひたちおおた)にある水戸黄門こと、光圀公が晩年を過ごした隠居所「西山荘」です。ここの入園料は780円ですが、友人の提案で「竜神大吊橋」と「袋田の滝」とのセット券1000円を求めました。売店を抜けると、目の前に庭園が広がり、更にこの日は2月とは思えない暖かさ、散策日和。園内の杉は、光圀公が紀州熊野から取り寄せた熊野杉で樹齢300年を超えるとのことです。暫く歩くと、受付の先に櫟(くぬぎ)門が見えてきます。・・「櫟」・・「くぬぎ」とは読めません・・。ここは通用門、茅葺きに櫟の丸太を柱とした門で、家臣や近所の民が出入りした裏門だと言います。また、門の前には「下乗」の立て札があります。「どんな人でも ここからは駕籠・馬から下りて歩け」との意で光圀公の分け隔てないお人柄の現れかと思います。先にある坂を上ると、西山荘を守護した武士たちの家「守護宅」(復元)があり、入口には時代劇「水戸黄門」の歴代の主演者の方々のパネルがあり、懐かしさを覚えます。特に東野英治郎さん、西村晃さんが強烈。・・石坂浩二さんが光圀公役を演じたのは知りませんでした。「守護宅」の奥に目的の「西山荘」、その前に一対の梅の木があり、花を咲かせて我々を迎えてくれます。ナニワ梅で、光圀公が好まれた梅とのことです。心和みます。光圀公は、華美を嫌い最低限の身の回りの品と「大日本史」に必要な書物・資料を運ばせて、質素な生活を送られたたようです。さて、光圀公は徳川一門の長老、「天下の副将軍」と言われていますが、時の将軍・徳川綱吉の治政、とくに「生類憐れみの令」に批判的で、次第に綱吉も光圀公をうっとおしく思うようになっていきたようです。綱吉との微妙な関係もさることながら、健康面で不安もあり身を引く時期だと考え、元禄3(1690年)養嗣子(実は兄・頼重の息子)である綱條に家督を譲り隠居しました。そして、父・頼房や母・お久の方の墓の近くにある新宿村(現在の常陸太田市)の西山という場所に隠居所を建てることにし、工事が終わる前に入居したといいます。建物は、文化年間に火事で焼失し、現在のものは規模を縮小して建て直したものです。ドラマでは、この西山荘からご老公一行の旅が始まりますが、実際は諸国を漫遊せず藩内を巡検して民人らと交流を持ったそうです。また、光圀公は隠居後死ぬまで西山荘にいたわけでもなく、江戸へ行ったりもしています。その時に小石川藩邸において藤井紋太夫を手討ちにしたそうです。西山荘へ移り住んでから9年目の元禄13(1700)年、光圀はここ西山荘にて73歳の生涯を閉じました。尚、光圀公の墓がある瑞竜山の水戸徳川家墓所は非公開です。・・・残念だったのは、「心字(白蓮)池」がどれか分からなかったこと。「人の心は裏からも見よ」、心を裏側から見ても潔白(正直)な人は友人に値するとの戒めから、心を裏から見た形の字に池を掘り、光圀公はこの池に白蓮を植え、泥中の君子としてこの花を愛されたそうです。・・・久しぶりで、歴史を感じる良いひと時となりました・・・。【今日のLife Hack:「ダメね。40歳にもなってこれじゃあ」 「こうでなきゃいけないってことなんかないよ」 出典:カラー・オブ・ハート】<西山荘><水面に映る姿が美しい・・・><「櫟門」、「櫟」の漢字が「くぬぎ」とは読めない・・・><西山荘を守護した武士たちの家を復元、「守護宅」><歴代の水戸黄門ご一行様・・・><西山御殿>
March 7, 2017
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毎年恒例、一番遅い新年会。昨年は水上温泉でしたが、今年は北茨城「五浦(いずら)温泉」を含む一泊二日です。出発地点は茨城県古河市、そこで待合せです。我々は、事前に友人から指定された電車で古河へ向かいます。今回、妻の調子が悪く、古河で妻だけUターンさせようかと思いましたが、なんとか行けそうなので・・・。いつものように、友人のワーゲン「ゴルフGTI」で駅まで迎えに来て貰い、同乗の友人と我々の計4人で出発です。空は晴れ渡り、妻の体調以外は最高のコンディション、ドライブ日和で、直ぐに高速を飛ばしたい気分です。翌日26日になれば、「圏央道」の「境古河インターチェンジ」開通し高速を利用出来るのですが、下道を走ります。そう、茨城県の南西端から出発して、北東端を目指す、左上がりの斜め縦断?横断?の旅です。先へ進むと、茨城の名峰、筑波山が見えてきます。標高877m、西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)からなっていると友人が教えてくれました。「桜川築西IC」で高速に乗り、「那珂IC」で下りましたが・・・工事中で道がありません、迷子?です。そこで、交通整理風な女性に道を尋ねて・・・・分かりました・・やっと道が分かりました。そして、常陸太田へ向かいます。そう、最初の目的地は・・・水戸黄門!です。(笑)【今日のLifeHack:自分にとって大切なことは、 他人が自分のことをどう考えているかということではなく、 自分が彼らのことをどう考えているかということだ。 ブリヤン】<友人のワーゲン・ゴルフ><遠くに筑波山><高速は下りたものの、工事で通れず、道に迷い、道を尋ね・・・>
March 6, 2017
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「ポケモンGO」のニュースで知りましたが・・・2月27日は、いちばん最初のポケモンのゲームソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が1996年2月27日に発売され、この世に”ポケモン”が誕生した日だそうです。『Pokémon GO』でも、とんがり帽子をかぶったピカチュウがお祝いに駆けつけてくれます!。このピカチュウが現れるのは、2月27日(月)の早朝から3月6日(月)まで。とんがり帽子をかぶったピカチュウは、このお祝いの期間が過ぎても帽子を脱ぐことは無いとのことです。謳い文句は・・帽子をかぶったピカチュウを探して、一緒にポケモンの誕生日をお祝いしましょう!。今日までが期限で、夜な夜な徘徊・・・いや、散歩して6匹ほどゲットしました。グラス片手にポケモン誕生の日に「乾杯!」です。・・・飲める理由を探しているだけかも・・・?。【今日のLifeHack:世間一般の考えに従って生活することはごく易しい。 また、自分の事だけ考えて孤独の生活を送る事もごく易しい。 だが悟りを開いた人間とは、群集の真っ只中にありながらも、 自立の醍醐味を心ゆくまで味わうことのできる人間である。 ラルフ・ワルド・エマーソン】<とんがり帽子のピカチュウを6匹ゲット!>
March 6, 2017
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封切から1週間遅れで、話題の「ラ・ラ・ランド」(LA LA LAND)を観てきました。第89回アカデミー賞で、1997年のタイタニックに並ぶアカデミー史上最多の13部門14ノミネート、同年最多の6部門を受賞し、作品賞で「ムーンライト」との取り違えがあったことでも話題になりました。さて、舞台は夢を追い求める人が集まるロサンゼルス、映画スタジオのカフェで働きながら女優を目指すミア(エマ・ストーン)が主人公で、オーディションは落ちてばかり。パーティの帰りに流れるピアノの音に惹かれて入ったクラブで売れないピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)と出会う。夢を追う二人はだんだん惹かれ合う・・・。。予告編に出てくるレトロな雰囲気、クルマから1970年頃かと思っていましたが、ミアの車が「プリウス」だったり、審査員がスマホに夢中になるような現代版です。まず、冒頭に流れるミュージカルシーンは予告編通りで、高速で渋滞する中、車から出てきて踊りはじめる姿は楽しく、車の屋根の上で一斉にジャンプする姿は圧巻です。また、トラックの荷台からバンドが現れるところはムードを盛り上げてくれるのは良いアイデアです。但し、クルマのボンネットや屋根の上で、飛んだり跳ねたりは、車がかわいそうで心が痛み・・・。まっ、それほどのクルマは見当たりませんが・・。ストーリーは単純明快で分かり易いのですが、私の感想はもう一つといったところです。ミュージカル仕立てすが、歌・ダンス共にそれほど上手とも感じられず、アカデミー作品賞を逃しいたのがこの辺りにあるような気がします。最後に二人が再会するシーンがあり、他の人に分からない様に互いに笑顔で分かれたのは良かったと思います。劇中、セバスチャンが「世間はジャズを死なせてやれと言うけれど、俺はそれを許さない」は、名言かと思います。夢と現実が交錯し・・「夢」がキーワード」かも知れません。最後、エンドスクロールを観ていると、「Japanese Folk Song」「Rentaro Taki」(瀧廉太郎)と流れ、驚かされました。終了後、妻に話すと、「分からなかったの?」と。また、やられてしまいました。いつも、妻が買ったり、私が負けたり・・・(笑)因みに、劇中挿入曲として、滝廉太郎が岡城をイメージして作曲した「荒城の月」が。伝説のジャズ・ピアノ、セロニアス・モンクが66年のアルバムの中で、アレンジした曲「Japanese Folk Song」を演奏しています。【今日のLifeHack:青年は完全なるものは愛さない。 なぜなら、彼らの為すべき余地があまりにもわずかしか残っていないので、 彼を怒らせるか退屈させるからである。 ヴァレリー】<「LA LA LAND」><館内に用意されたパネルと椅子・・記念撮影用?>
March 5, 2017
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1月にパソコン不調で、ネットカフェ通いが続き大変な目にあいました。今のパソコンにしてからPCの内臓ハードディスクをほとんど使わず、外付けHDDを使っています。今回のパソコン故障の時も、データは外付けHDD内で助かりました。現在手持ちの外付けHDDは2台。持ち運びし易いコンパクトな機種な好きで、今稼働中のHDDは、古い方から・・・I-O DATA製「カクうす」の「HDPC-U500K」(500GB)I-O DATA製「カクうす」の「HDPC-UT1.0SC」(1.0TB)。そして今回、バックアップ用で新たにI-O DATA製「カクうす」の「HDPF-UT1.0KC」(1.0TB)を購入しました。今のところHDDで問題は起きていないので、同じメーカーで「コレクション?」しています。形・大きさはほぼ同じなのですが、箱の大きさが小さく変化しているのが分かります。軽薄短小はいい・・・。ハードディスク3台体制!、これでデータ保管は万全でしょうか・・・。これでも、ダメな時はダメなのでしょう・・・。(笑)昔、パソコンを始めた頃は「25メガ」で充分と言われましたが、ギガになり、テラになり、ペタ、エクサ、ゼ[ッ]タ、ヨ[ッ]タ、ハーポ harpo、グルーチョ groucho ・・・に?。【今日のLifeHack:人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。 死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。 シャトーブリアン】<I-O DATA製「カクうす」の「HDPF-UT1.0KC」(1.0TB)><左から右へ進化?する3台のHDD、ラインナップ>
March 4, 2017
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先週末、病院で診察して貰った後、目白へ向かいました。目的は、学習院大学文学部日本語日本文学科主催の五木寛之氏文化講演会「文学のチカラとは?」です。五木さんの講演は、2012年7月7日に武蔵野大学で聴講して以来2度目です。あの時は、「恨息」(ハンスム)と「暗愁」(あんしゅう)という二つの言葉に感動したのを覚えています。因みに、「恨息」(ハンスム)とは心の奥底から沸き上がる「ため息」。人生では深い悲しみに沈むことがあり、そんな時は、「ため息」をついて悲しめば、立ち上がる時が来ると。「暗愁」(あんしゅう)とは原因や理由の分からない愁いで、言葉にならない感情に見舞われ、「ふさぎの虫」が活発に動きだし心萎える瞬間のこと。韓国の人々は大きく「ため息」(恨息)をついて、「暗愁」にも似た「恨」(ハン)の心を癒しているという。「暗愁」を感じたら、腹の底から大きな深い「ため息」をつけばいい、と。今回の講演会は無料で、事前予約制でも無いので少々不安でしたが、運良く前の席に座ることが出来ました。プロフィールが紹介された後、五木さんの登場です。石原慎太郎氏と生年月日が同じで、1932年福岡生まれの84歳、今日記者会見した石原さんより若く見えます。また、いい男は何歳になっても魅力的です。五木さんは今回学習院を訪れるのが初めてで、正門で係の方にその旨を伝えると、夏目漱石の第一声も同じだったと言われたそうです。講演内容を抜粋すると・・・・昔、小説家は無頼と呼ばれ、「二丁目」(新宿二丁目)から顔を出すようでないと一人前ではない」と。・質疑応答は受けないことにしている。理由は、質問者がそこでスピーチしたいだけで、その後で感想を求める程度。また、「なんで書くのですか?」と大命題を突き付けられ、考えた末に応えると、「万年筆かボールペンか?」の質問だった、と。・仙台の福祉大で講演をした時、最後の拍手がまばらで不思議に思ったが、後に計10通もの手紙が届き、そこには「拍手を忘れるほど感動した」と。その誠実さ、反応の鈍さに感動、それ以来東北人を尊敬するようになった。それに比べ九州人は拘らず、「忘れたけど、楽しかった」と。福岡・久留米では、お調子者を「のぼせモン」と呼ぶ。・今、文学は黄昏の時だが、19世紀のロシアの様に、文学の黄金の時があった。プーシキンに代表される韻を踏む詩が文学の王様でその下に小説があった。・両雄、トルストイとツルゲーネフの時代、朝の3時に、ドストエフスキーの語りを大批評家「ベリンスキー」に聞かせると、「天才が生まれた」と大絶賛。・国民的ヒーローの時代は終わった。国家行事で11mのプーシキンのブロンズ像を建てた時、ドストエフスキーの講演にロシア人は感嘆し、言葉を発する度に会場がどよめき、皆が涙を流してお互いに抱き合い、絶叫が轟き渡る血沸き肉躍る講演があった。今、作家の講演で号泣する者はいない。・本は目で見るものではなく、朗読するのが19世紀までの常識。活字は記録するためだけ。・日本でも、万葉集は声に出して歌われたもの。・葬儀の時、泣きや、「一升泣き」「二升泣き」(米一升の意)がいて、先頭の景観詩人が「おらぶ」(叫ぶ)。・当時の合コンも、耳元で良い歌を歌わなければならず、言われた方も即座に気の利いた文句を返さないといけない。・偉人が残した著書は無い。聖書は神が・キリストが、論語は孔子が語った言葉を書き留めたもの。<五木氏が「ここからが本論」、と>・ドストエフスキーは朗読が得意。『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』が、ドストエフスキーの三部作。・将来妻になるアンナは彼の語りを速記し翌日には提出を続けていた。彼女は数字に細く、本を印刷して売っていた。3000部刷って、サンクトペテルブルクだけで即完売するほどの売れ行き。・マリリン・モンローはドストエフスキーが好きで、勉強家。1956年、マリリン・モンローと結婚し1961年に離婚したアメリカの劇作家・アーサー・ミラーよりも知的だったかも知れない。・「罪と罰」の原題は、「犯罪と刑罰」・・この題では売れない。高利貸しの老婆を殺す主人公をラスコーリニコフと名づけているのも、第二部の放浪教徒「ラスコーリニキ」、「分離派」に引っ掛けている。彼の小説は、主人公の名でその人間性が分かるようになっている。・三面記事を丹念に読み、目を皿の様にして読み、ジャーナリスティックな作品を世に出している。・ドストエフスキーの『白痴』(イディオット)は、一つのページの中で「ウドゥルク(突然)」という同じ表現が何度も出てくる。フランス人は、同じ形容詞が2度出てきたら、その本を捨てるのに。・ドストエフスキーは画才もあり、デッサン力も凄い。・ドストエフスキーが60歳で亡くなった時、6万人の行列が出来たが、今それだけ集められる人はいない。・映画が出てきて劇はダメに、テレビが出てきて映画はダメに、インターネットが出てきてテレビがダメになると言われたが、種類が増えるだけで、滅びはしない。・芥川賞と直木賞は文学と芸能。文学は学問で、芸能はエンタテイメント、泥まみれで恥をかく仕事。私は大衆小説を、蚊ではなくボウフラの道を選んだ。クラシックとポップスは分けた方が良い。・親鸞は80歳を超えて「和讃(わさん)」を500以上書いている。和讃は台本の様なもので、節が付いて人間の声で歌われて輝く。「今様(いまよう)」は、現在の歌謡曲、流行歌で、やわらかな曲調で喜びや悲しみを歌い大流行。それを記録したのが「梁塵秘抄」。一世を風靡する今様が都で流行り、その時親鸞はまだ子供で、80歳を過ぎ書こうと思ったのは、それが頭に残っていたからではないか。和讃は七五調で、楽しく歌うことで仏教の真髄を伝えようとする親鸞の晩年の立場が現れている。「和讃」は讃美歌の様なもので、プレスリーも讃美歌から入り、ゴスペルもしかり。五七調から七五調の今様、ニューミュージックに。・小乗仏教が己中心の純文学、大乗仏教が他人を救う大衆芸能で落語・講談・語り物・乞食歌は下層階級から出てきた。・「週刊現代」は素晴らしい、ヘーゲルから五木寛之からヌードまで載っている。・「ラジオ深夜便」等を担当しているが、NHK「昭和の名曲」のCDを持参し披露。信じられない人の肉声を・・歌を。1)三島由紀夫「からっ風野郎」、マンボ調、「昨日の風は~♪、今日の風は~♪」、10960年若尾文子出演映画。2)石原慎太郎「夏の終わりに」、ペギー葉山とデュエット。作詞作曲3)戸川昌子「?」4)新井満、「ワインカラーのときめき」。5)野坂昭如、「マリリン・モンロー・ノー・リターン」。結局、1)と2)を披露して終了。それでも予定をオーバーし2時間以上の講演になりましたが、最後に「1/5位しか話していない」と言って会場を沸かせていました。今回の講演は前回より難解で復習が必要でしたが、新たな面を知ることができ良い2時間となりました。私がはじめて五木さんの作品に触れたのは「四月の海賊たち」の中に納められた短篇小説「ヘアピン・サーカス」。1972年に東宝で映画化されています。ストーリーは・・・・ 主人公・島尾俊也(三崎清志)は、自動車教習所の個人指導員で、ある日、かつて運転を教えた小森美樹(江夏夕子)と再会した。美樹はトヨタ2000GTを駆り、自分に勝負を仕掛けて来る街道レーサーたちを次々とクラッシュさせていた。その車体には菊のマークが描かれていて、トヨタ2000GTの挑発に乗って、ハイスピードでの戦いを挑み、撃墜された相手の数。島尾は美樹をたしなめるが、そんなことはどこ吹く風。2000GTに刻まれた菊のマークは増えてゆく。かつて島尾はプロのレーシングドライバーだったが、マカオグラン・プリでライバルを事故死させてしまい、レースの世界を退いた。そんな彼は、美樹の走りが心配でならなかった。島尾はサバンナRX-3を手に入れ、美樹に戦いを挑んだ。運転には多少の自信がある、美樹の取り巻き連中もついてくるが、島尾と美樹のハイペースな走行についてゆけず、1台ずつ脱落。ついに島尾と美樹の一騎打ちになり、猛スピードで絡み合うように走る2台の車は、しなやかな跳躍で睦み合う2頭の獣のよう。しかし、あっけなく決着がつく。美樹の駆る2000GTはコーナーリングでミスを犯し、クラッシュ。美樹は車とともに散った・・・。因みに、監督は西村潔、キャストは島尾俊也役で三崎清志(1971年のマカオグラン・プリで3位入賞のレーシングドライバー)、と小森美樹役で江夏夕子(目黒祐樹夫人でA級ライセンス所持)。また、劇中に1967年から1970年までに337台しか生産されなかった希少なスポーツカートヨタ2000GTが登場しています。・・・作家の中では早くから車の免許をとったという五木さん、暫くクルマ関係の小説を書いていませんが、クルマには戻らないのでしょうか・・・寂しい限りです・・・。【今日のLife Hack:醜い女は我慢できるが、高慢な女は辛抱できない。 ナポレオン・ボナパルト】<五木寛之氏文化講演会「文学のチカラとは?」><学習院><お土産「日刊ゲンダイ」掲載の「流されゆく日々」全タイトル><講演終了後>
March 3, 2017
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「ムッシュかまやつ」こと、かまやつ ひろしさんが、昨日(3月1日)、午後6時5分、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で亡くなりました。78歳でした。昨年5月に肝臓がんが見つかり、9月に公表されましたが、12月に堺正章さんの70歳を記念したライブに飛び入りで参加し、デュエットを披露するなど,元気な姿を見せていたとのことで、お元気そうでしたが、残念でなりません。Wikiを覗くと、既に更新されていました。-------------------------------------かまやつ ひろし/ ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)(1939年1月12日 - 2017年3月1日)は、「ザ・スパイダース」の元メンバーで、1989年以降、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名。父は、日本に初めてジャズを紹介したジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつこと、かまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元歌手の森山奈歩(おぎやはぎの小木博明の妻)は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。-------------------------------------思い出すのは、お元気だった2011年10月8日に明治神宮でムッシュとお話しさせて貰った「セレンディピティ」。3月11日に発生した「東日本大震災」のチャリティを兼ねて開催されたクラシック・カーのイベント「La Festa Autunno」で、私と妻が知り合いの紹介で特別に関係者エリアに入れて貰った時のことです。そこでムッシュをお見掛けし、お話させて貰いました。 ・・私が中学生の時、ザ・スパイダースの曲をよく聴いていたことを、よく歌っていたことを・・・。更に、ツーショットをお願いすると、快く応じてくれ、トレード・マークの「エルメス?」のニット帽を被ったムッシュとの記念写真が撮れました。今、同じ「ザ・スパイダース」の堺正章さんや井上順さんとのツーショット写真と一緒に我が家の宝物の一つになっています。壁に飾ったそれを眺めていると、あの時・あの瞬間を鮮明に思い出すことが出来ます。この後、イベントが始まり、「F1フルタイムドライバー」の鈴木亜久里さんが運転する、あの往年の名車「ベンツ300SL」の助手席に乗り込み、そこから私に?手を振ってくれました・・・。昨年の8月27日の朝日新聞「be on Saturday」の「もういちど流行歌」シリーズに、かまやつひろし さんの1975年オリコントップ10の第2位にランクインした、吉田拓郎さん作詞作曲「我が良き友よ」の記事が掲載され、ブログ・アップしたのを覚えています。このブログを書きながら頭の中では、「我が良き友よ」のフレーズが響いています・・・。R.I.P(Rest in Peace)FMilovecb【今日のLifeHack:友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。 正しいときにはだれだって味方になってくれる。 マーク・トウェーン】<20111年10月8日、かまやつひろし さんとご一緒><かまやつひろしさんが鈴木亜久里さん運転のベンツ300SLに乗り出発><20111年のこの日、境正章さんとも・・右後ろにこの日発表された奥様が・・>< ↑ 初めてお話しさせて頂いた2008年04月20日の画像><同じく、ザ・スパイダースの井上順さんとも明治神宮前で・・>< ↑ 上が2008年10月11日-下が2010年10月9日に撮影>
March 2, 2017
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昨年夏に息子に教えられて「ポケモンGO」を始めて半年、やっとレベルが25に達しました。私と同い年でリタイアした友人は毎日徘徊・・いや、散歩して数か月前にこのレベルに達しています。もっと、もっと歩かなければなりません・・・。さて、1月22日に放送されたTBS「がっちりマンデー」のゲストは、事務用品の超大手「KING JIM」キングジムの宮本彰社長でした。番組の中で、社長が秋葉原で文具売れ筋をチェックし流行を肌で感じ歩いている最中、突然「ちょっとストップ!」 険しい表情でスマホを見つめ始めたので、仕事のメールかと思いきや、 「今ポケモン来てました」と・・・。宮本社長の「ポケモンGO]の腕は、トレーナーレベル33、図鑑コンプ率は国内のポケモンはコンプリート、全て捕まえたと聞かされて驚いてしまいました。因みに、宮本社長は1954年生まれで私と同じ年。実にお若い。但し、これまで152種類だったモンスターの数が、最近、「セレビィせれびぃ」迄の251種類に増えてしまいました。変化に私は、意欲を失いかけていますが、宮本社長は、意欲をかき立てられていることでしょう・・・。【今日のLife Hack:青年よ、大志を抱け! それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、 また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。 W・S・クラーク】<レベル25><136種類><キングジムの宮本彰社長が「ポケモンGO」の達人とは・・・驚き!>
March 1, 2017
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