2006/06/14
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カテゴリ: 習い事
 授業内容は、占星学ではなく、タロットなのですが…

 変わりもの VEGA の授業は、オーストリア人心理学者だけあって、所謂 怪しそうな“占い” といった角度ではない切り口で話をしてくれるので、とても面白い。それはある意味、彼なりの解釈がとても“占い”からは、程遠いからである。

 今日の話は、 Arcani Maggiori の22枚について。先ずは、占星学的視点も含めて、構成のされ方を説明。そしていつものように話は脱線していく…これが聞きたくて、私は通っているようなもので(笑)

 この構成を説明する上で、人生について話し出した。
「数字のない“Matto”(Fool)から、22番の“Mondo”(World)にたどり着くまで、二通りの筋道がある。それは男性的か女性的か…」ここで言う“男性的”“女性的”というのは、生物的な意味合いは全くない。肉体ではなく、「人は皆、男性と女性を持ち合わせている」という前提に、「“Esistere”存在し、“Vegetare”生息し、“Vivere”生きていて、ヒトと動物の違いは、“Coscientemente”自覚的かどうか…」として一言、まるで独り言のように VEGA は言う…

「ま、どれだけの人が、自分が男性として生きよう、女性として生きよう、



そんなことは自分で選ぶことだなんて、生まれてこの方思いもしなかった。確かに、世の中がある意味解放され、男性でなくては!女性でないと!という概念が薄まり、さらに曖昧になってきてる中で、私はどう生きてきたのか…と考えてみた。
 昔は、もっと(生物学でいう) 女性、男性それぞれの生き方 が、選択の余地がなかった分、明確であった。そういう社会では、自分で選択するというよりは、社会に選択させられてきたと思うし、また他に、無意識の中で、もしかすると生物的本能によって、選択してきていたかもしれない。
 しかし、私自身の人生を振り返ってみると、どうもどちらも起こらなかった気がする。というのも、思春期は女子校に通い、女性として目覚めるべき時を、逆に男性がいなかった分、自分が女性として自覚せずに のびのび と(苦笑)過ごし、その後やや?特殊な環境である美大を経て、社会に出る。勿論彼氏がいなかったわけではない。でも彼らとの関係を考えると、私が子供だったか、相手が子供だったか… 男と女の対等な関係 ではなかった様に思う。ある意味自己満足の恋愛しかしてこなかったのかもしれない。
 そして今になってみて気がつくのだ…女性として生きよう!と意識的にも無意識にも思わなかった分、こうして一人でのらりくらいとどっちつかずな生き方をしているのかもしれない、と。

 …自分のことが少しずつ分かってくると、人と比べなくていいんじゃない?と気持ちが楽になり、良い意味で開き直れる気がする。この先、子孫繁栄という視点から人生を考えた場合、生物的男性が必要となるし、そうでなくてもパートナーは欲しいとも思うが、もう少し、自分を見つめて、

自分が何を欲しいと思うか?どうなりたいか?

を明確にしてからにしたいなぁ…。でも、ここイタリアでは、ハッキリしていないとパートナーは見つけ辛いような…??以前 まや にも言われたっけ…「異性を口説きたいなら、ダンスを踊らなきゃダメだよ。鳥や昆虫、他の生き物もそうするんだから、人間だって同じだよ!」(あなたは踊りすぎです、苦笑)

 いつになったら 女性としての自覚





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Last updated  2006/06/15 08:34:55 AM
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