今が生死

今が生死

2019.03.24
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カテゴリ: 生き方
1912年生まれで日本の宇宙工学、ロケット開発の父と呼ばれる糸川秀夫氏についてノンフィクション作家の清武英利さんが、「人間は逆境の時だけ成長する」という題で文芸春秋3月号に評論を載せていたので興味深く読んだ。彼は東大教授を退官した後東京の家に妻や子供を残して飛び出し、長野県丸子町(現上田市)で19歳歳下の女性、岩泉定江さんと暮らしていた。
社会的、学問的には飛行機やロケットの制作などで日本の第一人者で大変有名な方だったがその私生活をみるとどこの家庭でも同じだなと思った。彼は何時も強気で開発の邪魔になる科学技術庁の役人たちを大会議で罵倒することもしばしばあり、変人ともいわれていた。彼は人と同じということは最大の侮辱と考える人間で、それぞれが役割を持ってこの世にやってきたのだから、みんな違っていてそれでいいのだ、神が与えてくれた宝物はお金ではなく、人に役立つ独創力なのだよと言っていたとのことである。
しかし一緒に暮らしていた岩泉さんから見ると糸川さんには冷徹でわがままな面があり、周りの人を平気で切り捨てるようなところがあり、彼女はしばしば邪険にされた周囲の人をかばったり包み込んでやったりしたとのことである。他人には偉そうなことを言って威張ったりするが彼女の前では子供みたいでちょっとしたことでいつも怒られていたようだ。「彼女は僕にないものをみんな持っている」と周囲の人に言っていたようだ。彼が脳梗塞で倒れて寝たきりになって86歳で亡くなるまで約2年間彼女は病院に泊まり込んで褥瘡一つ作らないように心のこもった介護を続けたとのことである。岩泉さんにも夫も子供もいたが何故其の家庭から離れて糸川さんと一緒に暮らすことになったのか詳細は知らないが、2年間ずっと付きっ切りで看病したことを考えると愛し合っていたのだと思う。男と女の関係は大博士も我々庶民も同じだなと思った。社会や会社では威張っていても奥さんの前ではおとなしくいつも叱られている男性は結構いるのではないかと思った。





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Last updated  2019.03.24 23:17:23
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