
妻が昨日上野の森美術館で8月6日から12日まで入場無料で開催されている書家の小林抱牛生誕100年記念展に行ってきた。
素晴らしかったということで、プログラムを見せてくれたので開いてみたらおびただしい作品群が載っており、その中の一つに種田山頭火の『だんだん似てくる癖の父はもういない』の書があった。山頭火はお金持ちの家に生まれたが、浮気好きで放蕩の父親に悩み、山頭火10歳の時母親が井戸に飛び込んで自殺した。そんな父親を山頭火は憎んでいたかもしれない。放蕩癖を持っていたその父はもういないが、自分もその父にだんだん似てきていて困ったものだと詠ったものだと思う。
親子はどこか似る場合とどこも似ない場合がある。
私の場合は父とは全く似ていない。容貌も、体力も、放蕩などしないくそ真面目なところなど全く似ていない。父は村一番の力持ちで80歳過ぎで腰が曲がってよぼよぼになっても重い石を平気で持ったが当時50歳代で元気盛りの私はびくとも動かすことが出来なかった。父は食べ物が地面に落ちてもどこに落ちても平気で拾って食べるが私はテーブルの上に落ちたものでも食べない。
私には周りよりも世界に目があり、アフリカに行って医療に恵まれない人たちの役に立ちたいと思ったが、父は絶対反対で「遠い南方などに行くべきではない。そこで死ぬかもしれない。妻子を困らせたり泣かせたりしてはいけない」という。
私は自分より、自分の妻子よりもへき地などで困っている人たちの方が大事だと思うが、父にはそのようなことは分かっていなかったと思う。
私には二人の子供がいるが二人とも力持ちで力が全くない私には似ていない。でもその二人の子供の孫達が思いやりがあり、私より真の思いやりがあるのではないかと思える節がある。そのうちの一人で今年高校を卒業した女子が医学部を志すという。将来アフリカに行きたいと言ったらもし私が生きていたら喜んで激励すると思う。
発表会や試験前にじたばたするところは学… 2026.09.14 コメント(4)
ピアノの発表会がせまってきた 2026.07.08 コメント(5)
ヨハンストラウス2世の「美しき青きドナウ… 2026.06.17 コメント(6)