
コース図
4.茂木ぶらぶら~経塚エイド( 146.0km )

コース図
3

じゃがいも農道にて
「日見エイド( 130.0km
)」は他部門の選手も合流し、活気に溢れていた。残りはフルマラソンの距離で時刻は午前 8
時。貯金はあるが、大きな峠越えが 3
つ残っている。「とんの山 CP
エイド (138.8km)
」への急坂はいつものように歩いた。とんの山からじゃがいも農道へ。橘湾越えにゴールの小浜の街がすぐ近くに見えた。「元気くんサイロ」の手前で K
さんに偶然再会した。 13
年ほど前の博多単身赴任時代の走友である。友人の応援に駆け付けたそうだ。思いがけない応援に力が湧く。
だが、飯森経塚エイド (146.0km) 手前の急な下り坂でランナーが道端に倒れ、人の輪ができていた。本人は「大丈夫」と言っていたが、救急車が呼ばれた。
新しく出来ていた道の駅には観光客後が大勢いた。トイレを見学した後、エイドで杏仁豆腐を食べてリスタートした。
5.経塚エイド~ゴール( 173.3km )

コース図
4
残り 30km
弱。昨年はこのあたりで右膝を庇うあまり、身体が右に大きく傾く「斜行」が起きていた。今年も右膝と腰に痛みがあるが、意識して真っ直ぐ前を見る。
「唐比(からこ)の森」を抜け、「唐比温泉エイド (157.1km)
」でそうめんを喉に通して出発した。残り 16km
、練習で走り慣れた距離だ。
雲仙鉄道濱驛跡からいよいよ廃線跡の海岸沿いの堤防道路を進む。最後のCPエイドまで 5km
弱である。右手は岩のごつごつした海岸で左手は愛の展望台の急な崖となっている。ペースはキロ 12
分台に落ちていた。海水浴場の砂浜に出る前に S55km
の部の女性に追い越されたが、ゼッケンを見ると M
さんだったので声をかけた。東京から毎年この大会にやってくる常連である。彼女は骨折後の最初のレースとのことだった。制限時間が厳しいので、少し話をして先に行ってもらったら、すぐに見えなくなった。
雲仙軽便鉄道跡
最後の CP
でエイドの「千々石(ちぢわ)集会所 (163.7km)
」で冷やしぜんざいを食べた。時刻は 15
時だった。残り 9.6km
を 2
時間で走ると完走できる。山が海にせり出してきて海岸下に余地がなくなり、雲仙軽便鉄道跡は海岸から崖の上の切通を走る。
残り 5km
の表示があった。時刻は 16
時 1
分。歩いても間に合う計算だったが、市街地の信号待ちを考えると余裕はない。
小浜の温泉街に入った時、後ろから「残り 3km
、あと 30
分だ!」という声が聞こえた。そのランナーに必死で食らいつく。キロ 8
分台までペースが上がった。
足元から湯気が立ち上る。温泉街の熱気を感じながら、息をあげて信号を必死で切り抜け、最後の交差点を通過。スタッフが歩道に出て待っているのが小さく見えた。なかなか見えてこなかったゴールが、ようやく目の前に現れた。
ゴールテープの向こうでカメラマンが構えていたが、ポーズをとる余裕などなかった。ただ、無事に辿り着いた安堵感だけがあった。
制限時間のわずか 10
分前くらいだった。長かった旅が終わった。
※
結果速報を確認すると、タイムは 33
時間 48
分 39
秒。完走者は私より後ろに 10
人いて最終完走者は 18
時 01
分だった。長年、関門時刻は 17
時だと思い込んで必死に走っていたが、その勘違いがあったからこそ、この 10
分前のドラマが生まれたのかもしれない。
6.朝練

宴会
大会指定のホテルは 3
人部屋である。部屋に入ったらもう 2
人がいた。どちらも E217km
の選手だった。毎年同じ人と相部屋になるものだが、今年は 2
人とも初相部屋だった。
18
時半から選手と大会スタッフの宴会が始まった。大会委員長のギンさん達は片付けを終えて、だいぶ遅れて会場にやって来た。
飲み物は差し入れも含め大量にあったが、私は両手の指のけいれんの痛みと疲れで缶ビール 2 本とワイン 1 杯しか飲めず早々と一人で部屋に帰った。
朝練と称する2次会の話し声が夜通しどこからか聞こえていた。 3 人部屋の一人はとうとう戻ってこなかった。
2026秋 長崎橘湾岸スーパーマラニック273… 2026年10月12日
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