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この日、異例にも高々一万石の七日市藩藩主前田大和守利理 ( ヨシタダ ) が将軍・吉宗の目通りとなった。
前日の夕方に千代田の城から藩邸に使いが来て、翌日の目通りとなった。
「大和、本日の用向き察しが付いておろ う な」
「はい、指南役公募の一件と推察 致し ます」
「武家の恥と思わなんだか」
「思いまして 御座い ます」
「武家の体面を傷付けたる罪軽からず、故に、断絶の沙汰もあると考えなんだか」
「考えまして 御座い ます」
「して、その答えは」
「はい、その前に、ここに至るまでの経緯をお聞き戴けましょうや」
「話してみよ」
「はい、正直に申しまして、事の起こりは、私の欲にございました」
「そちの欲とな」
「はい、此度、上府される上様が事の他、剣術好きと聞き御呼び、藩士の剣技上達を目論みまして 御座い ます 。
ところが、半年前に当藩館長・・、当藩では剣術指南役を館長と呼ぶ慣わしに 御座い ます。
その館長が半年前に突然、他界いたしました 。 そのおり、次席の師範代に館長になるよう申しますと辞退 致しました。
藩命と申しますと、藩席を抜いてほしいと嘆願されました 。
それが駄目なら脱藩する。それも駄目なら切腹すると申しました 。
何故に拒絶する、誰もが昇進を望むであろうと申しますと
人 には、向き、不向きがあります、私は二番目の補佐役が適任と心得ております、又、剣の技量も不十分にございます 、 と答えました。
そこで、江戸家老、国家老、留守居役と相談いたし、江戸の藩士、国許の藩士より剣術指南役を募りました 。
国許で二十名 、 江戸にて十五名 で御座い ました。
国許にて二名に選抜し、江戸にても二名に選抜いたしました 。
江戸にて四名の試合を行い、勝者が師範代と立会いました が 師範代の圧勝にこざいました 。
そこで、再度、師範代へ指南役を命じましたが、返事は同じで 御座い ました 。
そこで、国許の剣道場に募りました 。 五名の館長と二名の師範が江戸にまいりまして、師範代と試合いました 。
ですが悉く ( ことごとく ) 師範代が倒しました 。
二名の師範を送った館長が急遽、江戸に参り 師範代と試合いましたが師範代の勝ちに 御座い ました 。 かようにも、師範代の剣技は卓越しておるのですが本人が認めません 。
師範代が申しますには、我が藩には時折、試合を願う者が参りますそうな 。
そのほとんどは、師範代 よりも 下位の者、又は師範代が倒したそうに 御座い ます 。
が、二度、館長に手を煩わせ、意とも簡単に 館長が 倒したそうに 御座い ます 。
師範代が申しますには、師範代は負ける事は許されるが館長は一度の敗北も許されない 。
私には、その自信がありません、お許し下さい、と、申しました 。
事ここに至り、江戸家老と相談し、今回の公募と 成りまして御座いまする。
その際、上様よりの、武家不行届の御下問もありやと危惧いたしました 。
です が、家老は上様なれば必ずや、問いの機会を持たれ、この公募が武士の本分たる剣技向上の切っ掛けたる事のご理解が戴けると申しまして 御座い ます・・・・長々とお聞き届け戴き申し訳も 御座 りませぬ」
「・・・・・・・・、そちは、良き家老と師範代に恵まれておるの」
「ありがとう 御座い まする」
「公募、許す・・・・・・一度そちの師範代に、会うて見たいものじゃ」
「ありがとう 御座い まする」と言って退席して行った。
吉宗は、さて、試合検分に誰を送るか、やはり、将軍家剣術指南役の柳生俊方であろうな、と思った。
<つづく>
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