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<墨堤 散策>-----#345 龍一郎と佐紀は龍之介を連れて一日休む事にした。 二人は船宿・駒清の裏口から入った。 「おや、まぁ、橘の若様、お久振りで御座います、奥方様も御一緒で、あらまぁ、お坊ちゃまも御一緒ですか、珍しい事で御座います、ちょっとお持ち下さいな、女将さんを呼んで参ります」 「忙しいのに済まぬな」 「いいえ、どう致しまして」 暫くして、清吉とお駒が飛ぶ様にして二人の前に顔を見せた。 「どうかなされましたか」 「何か大事がありましたか」 清吉とお駒が堰を切った様に尋ねた。 「長命寺へ参詣に参りたいと思うてな、墨堤まで船を頼めるかな」 「な~んだ、船の御利用ですかい、何も大事は御座いませんのですかね」 「何か任を下さいますのですか」 「芝の方は良いのかな」 「三郎太さんとお有さんに今日はお任せして御座います」 「左様か、それで船を願えぬかな」 「はい、何を置いてもお乗り頂きます」 「無理はしておらぬかな」 「戯言で御座います、直ぐに向かいますか、座敷で茶など如何ですか」 「出来れば直ぐにも行きたいのだが良かろうか」 「へい、承知致しました」 清吉が前に出て来た。 「何、清吉殿が漕いで下さると申すか」 「へい、ぜひにもご一緒させて下さい」 「願おう」 清吉が先立ち二人、いや龍一郎が背負った龍之介も入れて三人を船へ案内した。 三人が乗り込み清吉が船の支度をしていると竹籠を抱えたお駒も船に乗り込んで来た。 「御一緒させて頂きます、宜しいでしょうか」 「店は良いのかな」 「はい、主と女将が二、三日留守にして潰れる店は長続き致しませぬ、御心配無用に御座います。 軽いお食事とお茶とお酒と甘味をお持ちしました、どうぞ、お召し上がり下さい」 「お駒様、ありがとう御座います。気を使わせましたなぁ~」 「いいえ、お佐紀様、お気になさらないで下さいまし」 龍一郎は背中の龍之介を降し膝に乗せた。 「龍一郎様、私に抱かせて下さいな」 お駒が龍之介に両の手を伸ばすと龍之介がお駒の手に縋った。清吉が操る船は日本橋川を下って隅田川に入り、隅田川を上流(北)へ遡り、向島(墨堤)付近の船着き場で龍之介を背負った龍一郎と佐紀を降ろした。途中、船上で龍一郎、佐紀、龍之介はお駒が用意してくれた食べ物を頬張り腹を満たし茶を飲み喉を潤していた。「まぁ~、お前様、堤が以前とは随分違いますね、桜の樹が随分増えております」「おぉ~、其方に伝えてなかったのぉ。何時だったか一人で出かけた事があったであろう、その刻にな、上様に言上申し上げた幾つかの事の一つが、この墨堤の桜の植生であった」「幾つかのと申されましたが、もし宜しければ、他に何を申されましたか、お教え下さいますか」「花火を打ち上げてはどうかと申した、だが上様は延焼をお気になされてな、持ち越しとなった。他には長崎奉行への文にて唐を通して天竺から珍奇な生き物を取り寄せることになっておる。後は、火消しじゃな」「火消しと申しますと定火消しの仕組みを変えますのか」「そうではない、定火消しは千代田の城を火災から防ぐ為に創設されたもので、火災の際には城の周りの武家屋敷の火災を消す事を勤めとしているようでな。武家屋敷に隣接する町人町は延焼を防ぐためと申し、壊す必要もない家も壊す様だ。そのため町人たちと度々揉めておるようでな」「延焼を防ぐためには、止むを得ないのではないですか」 「お佐紀様、ですがどう見ても壊す必要の無い家まで壊すことが良くあり、町民と揉めるのですよ」 船頭をしている清吉が岡っ引きとしての知恵を披露した。 「それで町屋の火事は町人自身の手で始末をと考えておるのだ」 「それは良い考えで御座いますね」 佐紀が龍一郎に賛同を述べた。 「龍一郎様、広い江戸中の全域にですか」 「お駒、そりゃ~無理な話だろう」 「清吉殿、お駒殿、無理かもしれぬが・・・そのつもりじゃ」 「お前さん、龍一郎様はそれで香具師の元締めだけで無く顔役も調べさせたのではないですか」 「お駒殿、其方は頭が良いのぉ~、清吉殿、其方よりお駒殿の方が十手持ちに向いているのではないか」 「あっしも実はそう思っておりやす」 「旦那様、清吉様と小駒様もお連れになってはいかがですか」 「おぅ、そうじゃのぉ~、清吉殿、小駒殿、二人は長命寺への参詣はおありかかな」 「私は御座いませぬ、お前様ばどうですね」 「俺は仕事が仕事だ参詣は二度、門前町は五度程かのぉ~、実はですね、龍一郎様、一月程前から長命寺様の処へ「店賃集めを任せてほしい」との願いに来る者どもが何人かおりましてねぇ、何度断っても来るらしいのです。それで寺社奉行所へ訴えたらしいのですが、寺社方では誰が来ているかが掴めずに町奉行所へ願ったらしいのです。月番が南町でして大岡様が十兵衛様を通して一朗太さんとわっしの出番になりまして・・・」 「それで何処の者か解りましたか」 「お佐紀様。それがわっしらが見張っています時は現れませんでね」 「何度も・・・何日も通ったのでしょう」 「はい、何度も何日も一朗太さんと一緒にです」 「宿はどちらでしたか」 「へい、寺の奥で御座いやす」 そこまで聞いた佐紀が龍一郎を見つめて小さく頷くと龍一郎も頷いた。 「お寺さんに僧侶の方と下役の方は何人いらっしゃいますのでしょうか」 「大体、十四、五名で御座いましょうか」 「正確にお解りでは無いのですね、お名前も御存じないのですね」 「はい、左様で御座います」 「お二人がいらっしゃる時にお見えにならない・・・何故でしょうか、偶然でしょうか」 「あぁ、内通者が・・・考えも致しませんでした」 「確実ではありませぬ、かも知れぬと言うだけで御座いますよ」 「お佐紀様、ありがとう存じます。その様に当たらせて頂きます。 それで、厄介事がもう一つ御座いまして、最近、長命寺界隈で巾着切りが多くなっております、どうも、大川西の組織が所場を広げ様としておる様で御座います」 「何処のものとも解らないのですね」 「はい、何人入っているかも掴めておりませぬ」 「人が多くなれば闇も多くなるという事ですか・・・やむを得ない事ですね、旦那様」 「締める者が善の心の者であれば良い事です、そのような者に心当たりは御座いますか、清吉殿」 「旦那様、お話の途中ですが、もう直ぐ着く様です。そこで、長命寺への参詣にお二人と一緒ではいかがで御座いましょう」 「おおぉ、どうじゃ清吉殿、お駒殿」 「私は一度は参りたいと思うておりましたので願ってもない事です、良いかい、お前さん」 「勿論だとも」 「船は大丈夫かな、清吉殿」 「網元や船頭仲間が見ていてくれますよ、龍一郎様」 「清吉さん、長命寺、桜以外に見所は御座いますか」 「お佐紀様、見所では御座いませぬが、近頃、山本屋と言う露店の桜餅が人を集めております」 「大人気なのね、美味しいのでしょうね、楽しみだわ。旦那様、道場のお土産にどうでしょうか」 「皆が喜ぶだろう、だが、皆は大食漢だからな、一杯いるな」 「参詣前に願って帰りに貰いましょう、龍一郎様、お佐紀様」 「そうして下さいな、清吉さん」 <つづく>
2026.10.04
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<町年寄り 奈良屋>-----#344 翌日、龍一郎の仲間たちが日本橋を軒並み探索し三人の町年寄りの屋敷を探した。 奈良屋市右衛門は日本橋本町二丁目、樽屋は日本橋本町二丁目、喜多村は日本橋本町三丁目だった。 「三家に剣術使いはおりましたか」 「はい、奈良屋には五人、その内の一人が凄腕です、ですが、殺気には敏感のようですが、気配は探れぬ様です」 「樽屋にも三人おりました、同様に気配は探れぬ様です」 「喜多村家も同様に三人で御座いました、一人は抜きんでております、申し訳も御座いませぬ、私がいることに気づかれたやに存じます」 三郎太、平四郎、平太、が龍一郎の問いに答えた。 「香具師の元締めが雇う浪人よりは使える様だのう。皆の無事、我らを知られぬ事、忘れぬ様にして下さい。 ですが我らも十分な鍛錬をしております、技前に自信を持って下さい、但し、用心も忘れぬ様にな」 「はい」 龍一郎の言葉に皆が声を揃えて答えた。 「佐紀、奈良屋市右衛門殿に挨拶に行こうか」 「はい、旦那様」 「ご苦労様でした、其方らの仕事はここまでに御座る。道場にてお待ち下さい」 龍一郎と佐紀が皆の前から消えた。 二人は奈良屋の隣の武家屋敷の屋根にいた。 「佐紀、気が付いたか」 「この武家屋敷の武家のことで御座いますか」 「そうじゃ、ここは旗本の屋敷じゃが、一人だけじゃが気配を探る力がある様じゃのぉ」 「はい、平太の気配は解らないでしょうが、雪の気配は悟られてしまうのでは無いでしょうか」 「そうじゃのぉ、その辺りであろうの、父上、平四郎、双角、慈恩も危険じゃな」 「念の為に向こう隣に致しましょう、旦那様」 「そうじゃのう、行くぞ、佐紀」 「はい」 二人は目指す屋敷の向こう隣の武家屋敷の屋根に移った。 「さて、残念じゃが、奈良屋殿は一人ではないのぉ、誰か解るかな、佐紀」 「お二人ですね、一人は腹心の方でしょうか、もう一人は武家で御座いますか」 「その様だのぉ、武家は屋敷にもう二人おるの」 「五人と申しておりませんでしたか」 「うむ、そう聞いたな」 「二人は他出で御座いましょうか」 「配下の者の警護で他出しているのであろう」 「私もその様に思います」 「用心棒の技量もましな方だが気を探れぬではな、事を荒立てぬ様に暫く、待つとしょう」 「おやおや、私の旦那様の用心深い事」 「皆に用心深くと申しておるでな、我らが用心を怠ってはならぬでな」 小半刻程して用心棒頭らしい侍が主人の居間から退出した。 龍一郎と佐紀が居間の天井裏に現れた。 「太兵衛、其方はあの田所弥九朗様をどう思うな」 「どうと申されますと」 「私はあの御仁は信に置けると思うております、ですが、副審の室田殿はどうもなぁ、其方はどうか」 「旦那様もで御座いますか、この際ですから申しますが、田所様の座を狙っておる様に思えます。 他の武家や奉公人に在らぬ事を吹聴しておるようです」 「田所様はご存じですかな」 「さて、そこまでは存じませぬ」 「田所様は見識と見分も豊かな御仁です。ご存じやも知れませぬが、其方から一言ご注意を申しなされ」 「畏まりました」 「他に何か御座いますかな」 「明後日の名主方との集まりをお忘れ無きようにお願い申します」 「四つでしたな」 「左様です、では私は此れにて失礼致します」 「ご苦労でしたな」 腹心の仁左衛門が主人の座敷を去って行った。 「其方様方は何方様で御座いますかな」 突然、目の前に現れた二人の黒尽くめの人物に驚く事も無し問うた。 「流石に町年寄りをお勤めのお方で御座います」 「それで、其方様は何処の何方で、この爺に何様ですかな」 「其方様には取引きは要りますまい。某は橘龍一郎と申し、隣におりますは妻女の佐紀で御座います」 「おぉ、其方様が先の大試合の勝者・龍一郎様で御座いますか、隣が見目麗しいと評判の妻女殿」 佐紀が面体を隠していた口当てを下げた。 「うむ、噂は大げさな物と思うておったが、逆のものもあるのじゃな、それで要件を聞こうかのぉ」 「我々は日乃本の、江戸の安寧を目指す者の集まりで御座います、此度、町人に寄る火消しを作りたく、其方様の助成をお願いに参りました」 「二人の名主からも請願が御座いました、定火消しだけでは不足ですかな」 「はい、定火消しは千代田の城、武家屋敷の火消しを任としております。町屋に手を付けるのは武家屋敷への延焼を防ぐ時のみで御座います。江戸の町々に常備の火消し組をと考えております。常駐は二十人程で火災の際には、鳶職、左官職、大工たちが集まり火消しをと思うております。資金は町人からの徴収をと思うております。如何で御座いましょう、ご助力頂けましょうや」 「町人たちが銭を出しますでしょうか、纏め役は何方がなさいますかな」 「はい、幾つかの街の纏め役は決めて御座います」 「町々の全てに必要で御座いましょう、無理な話で御座いましょう」 「・・・ご助成頂けませぬか・・・それでは申しましょう、二、三日中に上様より文が其方様に届きます。内容は町火消しを作れ、との事で御座います。それでも御助成頂けませぬか」 「な・何と上様からの書状とな・・・何故に・・・其方は・・・」 「上様からの書状の前に動かれる事が寛容と思い罷り越しました」 「忝い」 礼を述べ頭を上げた時には二人の姿が消えていた。 「橘龍一郎、佐紀・・・ただの勝者では無いわい・・・太兵衛、太兵衛は居らぬか~」 <参考>----------(町年寄り)---------------------------------------------- 吉宗の時代には2つの異なる「奈良屋」が存在していました。 樽屋、喜多村とともに「三町年寄」と呼ばれ、吉宗の時代を含め、江戸時代を通じて権勢を誇りました。 奈良屋、樽屋、喜多村は、江戸時代の町政を司る町年寄を務めた家で、ともに現在の東京都中央区日本橋本町に拝領屋敷がありました。 ・町年寄の奈良屋(舘市右衛門) ・場所: 本町二丁目(現在の日本橋本町二丁目)。 ・本業: 元々は染物屋だったといわれています。 ・特徴: 江戸の町年寄として、幕府の町奉行のもとで江戸の町政を統括する世襲の役職にありました。 ・屋敷地: 日本橋の本町に居宅を拝領し、職務を行っていました。 ・町年寄の奈良屋は染物屋を本業とする家で、行政官としての役割を担っていました。 ・樽屋 ・場所: 本町二丁目(現在の日本橋本町二丁目)。 ・詳細: 江戸城の常盤橋御門を出て本町通りに面した角地にあったとされています。 ・家名: 当主は代々「樽屋藤左衛門」を名乗りました。 ・喜多村 ・場所: 本町三丁目(現在の日本橋本町三丁目)。 ・詳細: 現在では「町年寄喜多村彦右衛門屋敷跡」として案内板が設置されており、東京メトロ三越前駅 のA9出口付近にその場所が示されています。 ・家名: 当主は代々「喜多村彦右衛門」を名乗りました。 ・豪商の奈良屋(茂左衛門) ・本業: 江戸中期の豪商で、主に材木商として知られています。 ・特徴: 紀伊国屋文左衛門とともに、材木やみかんの商いで巨万の富を築いたとされ、「大尽(だいつく)ぶり」 で有名でした。 ・活動時期: 彼の全盛期は吉宗の時代とほぼ重なります。 ・材木商の奈良屋は豪商で、商業活動で富を築きました。 ------------------------------------------------------------------------------’ <つづく>
2026.04.09
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<吉宗からの呼び出し>-----#343 この日、吉宗は朝起きて直ぐに側用人を呼び、午前の執務の中止を告げ、朝餉の後にお堂に籠った。 「龍一郎、多忙であろうに済まぬな」 お堂の中の吉宗の前に龍一郎が座っていた。 「何を申されます、何を置いても上様の願いが最優先で御座います」 「有難い言葉じゃ」 「して、此度は何用で御座いましょう」 「うむ、其方も存じておろうが、儂は倹約令を発布致した。その所為(せい)だけでは無かろうが、町場に活気が無い様に聞いておる、それが真であれば何か策はないものかと思うてな、知恵を貸してはくれまいか」 「上様は八卦見で御座いますか、私もその事を考えており、幾つか思い立ちまして御座います」 「おぉ、儂は八卦見では無いが案があるならば教えてくれ」 「はい、上様のご先祖・四代将軍・家綱公がお植えになられた墨堤の桜を増やし花見の名所になさっては如何で御座いましょう。 年に一度か二度、花火を打ち上げては如何で御座いましょう。 外国から珍奇な生き物を取り寄せ見世物にしては如何で御座いましょう。 江戸の名物は火事と喧嘩と申します、火事を防ぐ事は皆の行いを改めるしか御座いませぬが、延焼を防ぐ方法は御座います、一つは広場を幾つも作る事、これにより延焼が少なく出来ます。 一つに定火消しの様な組を増やす事で御座います、江戸に屋敷を持つ大名に火消しの組を持たせるので御座います、また、町人にも江戸の地域ごとに火消しの組を作らせるので御座います、如何で御座いましょう」 「うむ、墨堤と申したか、処は何処か」 「上流は隅田川と呼ばれております、大川の向こう、墨田村の辺りで御座います。 名刹としては長命寺と言う寺社が人の足を集めて御座います。 これも上様のご先祖・三代将軍・家光公が鷹狩りおりに腹痛を起こした際に、ここの井戸水で薬を飲み痛みが治まりましたので、この井戸水が長命水と呼ばれ、寺の名も常泉寺(じょうせんじ)から長命寺に変えたそうで御座います。 病気平癒や健康長寿にご利益があるとされて御座います。 それに隅田川の土手道は治水の為で御座いますが、まだまだ地が固まってはおりませぬ、桜を見に来た人々が歩き、地を固めることも願っては如何で御座いましょう」 「おぉ、それは、それは、我ご先祖様がなぁ、其方は合いも変わらず物知りじゃのぉ。良し、儂がご先祖様に負けぬ桜の名所にしてみせようぞ。花火と言うたが火災の元では無いか、如何致す」 「はぁ、大川に浮かべた船から打ち上げてはと思うております」 「うむ、儂は火災が安じられてならぬ、済まぬが花火は据え置きじゃ、火消しは直ぐにも大名に触書を出そうぞ。 手始めに十万石以上と致そう、まずは其方の父上に他藩の手本になって貰いたいものじゃのぉ」 「火消しともなれば五人、十人では役に立ちますまい。 十万石ともなれば上屋敷、中屋敷、下屋敷と御座いましょう。 前田家なれば蔵屋敷も御座いますれば屋敷毎に少なくとも二十人として八十人で御座います」 「そうじゃのぉ、其方の処が先陣を切って手本となれば他藩も真似るであろうでな」 「父上の立場も御座いますれば触書をお願い申します」 「解っておる、家臣の手前、儂からの触書が要るであろうでな、大名は触書で良いとしてじゃ、町屋は如何様にすれば良いかのぉ、知恵はあるか」 「はい、上様には正月の御年賀口上(おねんがこうじょう)と申しますか、御年始拝謁(おねんしはいえつ)で名はご存じでしょうが、三人の町年寄りに頭取を願うと言うのは如何でしょう、此れには忠相様のお力が御入用かと存じまする」 「町年寄りなぁ~、うむ、おぉ、一人確か奈良屋と言う者がおった様に思うがのぉ」 「はい、奈良屋の舘市右衛門殿、樽屋藤左衛門殿、喜多村彦右衛門殿で御座います、忠相殿によりお三方に願うのが宜しいかと存じまする」 「良し、決まりじゃ、忠相に伝える事に致そう、これで町火消しも解決じゃ、次は何であったかのぉ・・・おぉ、そうじゃ、外から珍奇な生き物を求める事であったな、其方にこれぞと言うものがあるかな」 「はい、唐を通じて天竺(てんじく)に住むと言う大きな生き物は如何でしょうか。 何でも高さが八尺五寸で御座いますそうな。 その生き物は「ぞう」と申し、ぞうの字は仏像のぞうの字の人偏が無いもので御座います。 なれど、字の成り立ちは逆で生き物の「ぞう」が先の様で御座います」 「何と、その様な生き物がこの世におるか、儂も見たいものじゃ」 「長崎奉行にお頼み下さい、雌雄の番い(つがい)が宜しいかと存じまする」 「おぉ、我が元で子を為すか」 「はい、目論見が上手く行きますれば」 「良し、早速、爺に言って手配して貰おう、これで少しは町人に活気がでれば良いがな」 「上様、もう一つ御座いました、上様が藩主のおりになされました、町人より願いの書状を受け取る仕組みをこの江戸でもなさっては如何でしょうか」 「おぉ、良う存じておるのぉ、忘れておった、訴えの箱を用意させようぞ。良い考えを幾つも済まぬな、其方の知恵とは言えぬが勘弁してくれ」 「その様な事はご懸念なさいますな、町人が暮らし易くなれば本望に御座いまする」 「お前と言う奴は・・・この席は、将軍の席は其方の方が似合いじゃのぉ、詮無い事じゃがな」 「お戯れを」 「戯れでは無い、儂は常々そう思うておる」 「父上への後押しはお任せ下さい、町屋の火消しの支度も前段階は出来ております」 「流石に其方の為す事に抜かりは無いのぉ、儂は十万石より上の諸大名へ触書を書く事、長崎奉行へ書状を出す事、町年寄りに書状を出す事、ふむ、他に何かあるかな」 「御座いませぬ、宜しくお願い申します」 「何を申す、願うのは儂の方じゃ、良しなに願う、今日の御堂の祈祷は多大なる実りあるものであった。 おぉ、忘れておった、飯も上手かったぞ、礼を申す、儂は其方が羨ましい、毎日暖かいものを食べ、毎日違う物を食べられてのぉ」 「そう申されされますな、これでなかなかに日々の生計(たつき)を手にするのは大変で御座います」 「そう申すな、これで将軍と言うものもなかなかに辛いものじゃ」 「お察し申し上げます、話が尽きませぬ、本日は此れにて失礼申します」 「行くか」 「はい、失礼申します」 龍一郎の姿がかき消えた。 「あ奴、ますます、人離れしおる、まるで天狗じゃ」 吉宗は独り言を漏らしながら御堂を出て直ぐに爺を呼び大名への触書を書く様に、長崎奉行への書状を出す様に、町年寄りにも書簡を出す様に命じ、出す前に確かめるとも念を押した。 <つづく>
2026.03.23
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<紀伊国屋文左衛門>-----#342 「其方は何時から其処に居ったかな」 「四半刻に御座います」 「何、其方、女子か・・・忍びかな」 「いいえ、御家人の妻で御座います」 「して、御家人の妻女殿が紀伊国屋に何用ですかな」 「流石は文左衛門殿で御座います、噂に違わず肝が座っておりますな」 「身体を起こしても良いかのぉ」 「宜しゅう御座いますが、単筒はご勘弁願います、其方様も手が無くなるのはお嫌で御座いましょう」 「・・・儂の手を斬ると言うか、しかし、何故に単筒を知っておるのかな」 「其方様の落ち着きは剣技に信があるからでは御座いますまい、と言いたい処ですが、一昨日より其方様を探っておりましたので御座います」 「そうで在ったか、儂も少しは剣術を修行した身じゃが、其方の気が感じられぬ、其方の仲間がおっても解らぬと言う事かのぉ」 「はい、私は気を消す事が出来ます、例え真剣の立ち合いでも気を出しませぬ、また、剣技の下位の者は上位の者の技量は解りませぬ、技量が解るのは己よりも下位の者のみで御座います」 「其方は女子じゃが儂よりも剣技が上と言う事かな」 「その様で御座います、ましてや材木商に剣技は要りますまい」 「何の、何の、この様な眼に合うでな、己の身は己で守れぬとのぉ」 「用心棒を六人も抱えておっても役には立ちませぬな」 「儂は用心棒の選び方を間違えた様だのぉ、其方、儂に仕えぬかな」 「私の旦那様は御家人と申しました」 「もしやして、近くに其方の御亭主が居られるのか」 「良うお判りですね」 「おぉ、其方はもしやして・・・橘佐紀殿ではないのか、亭主は龍一郎殿ではないのか」 「はい、私は橘佐紀で御座います」 「おぉ、お二人にお会いしたいと思うておりました、見目麗しいとの噂のお顔を拝顔させて下され」 佐紀は障子を通して差し込む月光の中に顔を晒した。 「おぉ、・・・噂以上の麗しいお姿で御座います、忝い、四十八歳にして天上界に参った様です」 「褒め殺して何となさいますな」 「嘘や戯言ではない、本にお美しいお方で御座います、おぉ、何処に居られるかは知らねど、お許しくだされ、御亭主の龍一郎殿、其方にもお会いしたいと思うておりました」 「私たちに何を望まれますでしょうか」 「はい、私が耳にした処によれば銚子の始末も浦安の始末も奉行所の手柄では無うて其方様方の仕事とか、もしやして、私もお弟子にして頂けぬかと存じましてな」 「おや、まぁ、沢山の用心棒では本に満足出来ませぬか」 「今、まさにこの様な時の為にと申しました、もしも、私が聞いた通りに銚子も浦安も其方らの仕事で在れば、私も力に成れると思う、いや、力に成らせて貰いたい、如何かな」 「もし、その仕事が我らとして、其方様は何の力になりますでしょうか」 「私には町名主と町年寄りとの繋がりが御座います、江戸の町名主の皆とは言いませぬが、三人の町年寄りとは懇意にして御座います、また、街の噂、裏話を集める力にもなろうかと思います」 「町名主は存じておりますが、町年寄りは存じませぬ、三人と申されましたな、どの様な任の方で、何方で御座いましょう」 「ご存じないのも最もで御座いますよ、長屋住まいの町人は大家と繋がりを持ち、名主さえも知らぬ者もおります。 商家も中小では名主しか知りません、逆にお上、幕府は町年寄りにお触れ書きを渡しますので名主を知りませぬ。 お触れなどを町年寄りが町名主に指示し、町名主が町民に伝えるのです。 ですから、殆どの町民は町年寄りを知りません、その名前も知らないのが常で、その存在さえも知らぬと思います」 「三人と申されましたな、名と住まいはどちらで御座いましょう」 「奈良屋・舘市右衛門様、樽屋藤左衛門様、喜多村彦右衛門様のお三方で御座います、住まいは三名ともに日本橋で御座います」 「そのお三方がこの広い江戸の全域の総取締りなのですか」 「左様で御座います、武家屋敷に囲まれ、屋敷も武家屋敷で御座いますれば、皆がご存じ無いのも無理からぬ事で御座いますよ」 「奈良屋で御座いますか・・・材木商に奈良屋と言う店もありましたなぁ」 「はい、紅都に奈良屋は二店御座います、ですが何の繋がりも御座いませぬ」 「貴重な御指南、ありがとう御座います。ですが、我らが繋ぎを持つのは其方よりもそのお三方かも知れませぬな」 「そんな殺生な、お佐紀様~」 「ほぉ、ほぉ、ほぉ、要約にも文左衛門殿が慌てましたな、ご安心なされ、戯言で御座いますよ。 其方様が三人をお知らせ下されました、そのご指南は大事に御座います」 「ほぉ~、安心致しました、お仲間に加えて頂けますか、町年寄りにお会いになりますか、仲間になさいますか」 「仲間に加わるには理が御座います、一つ、悪事を働かぬ事、一つ、我らの秘密を漏らさぬ事、これは仲間以外と我々の話をしない事です、一つ、これから渡す物を見られぬ事、一つ、我々との契りを第一にする事です。 約定できますか」 「渡す物とは何ですかな、それにも寄りますが、他は約定致しましょう」 「奉行所にて攻めを受けた刻にも約定を守れますでしょうか」 「うむ~、石を抱かされたでは、うむ~、自信は無いのぉ~」 佐紀が両の手を横に出し暫くすると、その両の手に黒い塊と白い塊が落ちて来た。 文左衛門は天井を見上げたが、何時もと変わりは無かった。 「これは重しと晒に御座います、剣技上達には体力、気が要ります。 寝る刻以外は重しを腰と手首、足首に巻き、お過ごし下さい、身体に力が着きます。 他の方に見られぬ様に重しの上に晒を巻いて下さい。 その重しに慣れましたなら重しを増やします。剣技上達は道場にお出で頂ければ基より教授致しましょう」 「これで私もお仲間ですかな」 「仮りのお仲間で御座います、後は其方様の行い次第で御座います」 「・・・承知致しました。道場へ明日にも、お伺いしても宜しいでしょうか」 「構いませぬ」 「お願い申します」 門左衛門が頭を垂れ戻した刻には、佐紀の姿が消えていた。 「儂は夢を見ていたのか・・・いや、重しがある・・・うむ、重い物だのぉ~、これを着けてか・・・良し」 文左衛門は早速、重しを着け晒を巻き、部屋の中で歩き回った。 「うむ~、少々動き難いのぉ~」 翌日、文左衛門は駕籠にも乗らず、用心棒を連れず一人で宣言通りに道場に現れ、剣術の基を学び、帰宅途中で武具屋に寄り竹刀と木刀を買った。 <参考>----------(紀伊国屋 文左衛門)--------------------------------紀伊国屋 文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)、寛文9年〈1669年〉? - 享保19年4月24日〈1734年5月26日?〉は、日本の江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」(きぶん)と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしない等、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。 ------------------------------------------------------------------------------’ <つづく>
2026.01.29
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<四宿の頭 千住編>-----#341 千住大橋・北側の千住宿の北組にある「勝専寺(しょうせんじ)」の門前を二人の大男が歩いていた。 「さて、双角、千住は其方と儂のどちらが仕切りますかな」 「修行の行き返りに通っておった、儂に任せてくれまいか、慈恩」 「良かろう、其方に任せる、それで、何故に勝専寺へ参ったかな」 「な~に、この近隣の寺社仏閣で一番賑わう処だからの事でな」 「となると、近隣の一番の香具師が仕切っておるかな」 「そう思うておる」 「では、儂は裏方に回るで、暫しのさらばじゃ」 「願う」 慈恩が双角の側から離れて行った。 双角が参道の店道に入ると直ぐに店子と渡世人風の男が揉めていた。 双角は側に寄り話を聞いた。 「だから言ってるだろうが、てめいの店はよう、先月分の店賃を払っていねいんだよ」 「だから儂も言うておろうが、確かにお前さんの処の手先にきっちり払ったってよ」 「だから店賃は儂の手に集まるはずが、おめいの店の分を手にしてねいんだよ、一体うちの誰に払ったね」 「始めて見る顔だったんで、ちゃんと聞いていますよ、留吉さんでした」 「おい、おい、これで解ったぜ、悪いがよ、うちに留吉なんて言う奴はいねいぜ、とっつぁんよ、お前さん、騙されなすった様だねぇ~」 「三次さん、俺はどうすりゃ~良いんだよぉ~」 「本来ならよ、もう一度払って貰う処だがよ、とっつぁんが嘘を言っちゃ~いないと思うからよ、今回は無しで良いぜ」 「有難い、どうして嘘で無いと思うんだね」 「実はよ、騙されたのは、とっつぁんだけじゃねいのさ、他にも二店あってな、儂らの落ち度でもあらぁな」 「ちくしょう、何者だ、捕まえたかね、三次さんよ」 「それが、まだなんだ、また、そいつが来やがったら知らせてくんな」 「解ったぜ、三次さん」 「頼んだぜ」 双角は店先の品物を選ぶ様子で二人の会話を聞いていた。 「親父殿、今の兄さんは何処の者ですかな」 「へい、口入屋の三国屋さんの番頭さんですよ」 「なかなかに話の解るお方の様ですな」 「へい、三次さんと申しますが、三次さんは真っ当な方ですが、此処だけの話、親分がしみったれでしてね、困ったもんです、三次さんが親分ならね、詮無い話で御座いますがな」 「はい、内緒の内緒ですな」 「お願いしますよ」 「承った」 今日の双角の姿・形は武士で、何処かの藩の中級武士に見えた。 双角が参道を奥へ進むと先程の三次が他の店の主と思しき男と話しているのを見つけた。 双角はまたも店先に立ち、品定めの振りをして二人の話に聞き入った。 「三次さん、偽もんの手下は見つかったかい、留吉って言ったかね」 「悪いな、まだだ、捕まえちゃいない」 「余計なことだがね、捕まえたらどうするつもりかね、半殺しに叩きのめすかね、殺すかね」 「まだ決めちゃいないね、どうすれば良いと思うかね、騙された本人の親父さん」 「騙されたと知った時にゃ~、殺してやりたいと思ったがね、考えりゃ~、店賃一回分だ、三次さんに任せるよ」 「ありがとうよ、親父さん」 「捕まえたら、そいつに会わせてくれるんだろう、確かめないとな」 「あぁ、確かめてほしいね、そん時ゃ~頼むぜ」 「よっしゃ、引き受けた」 「じゃあな、おやっさん」 「あぁ、またな」 三次は参道をまた奥へと歩いて行った。 双角の隣に大男が立った。 「双角、どうも三次と言う男は信用できそうだ、私の思い付きなのだが、どうも今の親分の評判が良く無い。 そこで三次を親分にしては、と思うのだが、今の処だが、どう思うね」 「私もそれを考えていた、本当に今の親分が悪い人か確かめてからだな」 「あぁ、その時は三次を仲間にするかどうかだな」 「あいつなら資格はあるだろうな、誠実そうで鍛錬にもきっと耐えるだろう」 二人の両側に同じ顔の武家娘が現れた。 「葉月殿、龍一郎様に会うたおりに一家の代貸しを跡取りにして良いかと確かめて下され」 「承知致しました」 二人の娘が店から離れて行った。 「さて、儂はもう暫く、あの男の跡を着けてみる、警護を良しなに」 「承知」 慈恩が店から離れ、双角も店から離れ参道の奥へと三次の跡を追った。 双角が三次に眼を止めた時、右の店から「三次さん」と声が掛かった。 三次が「何ですね」と声を掛けた女の店に向かった。 「三次さん、今し方、店賃を、私が店賃を渡した男が通り過ぎたんですよ」 「どっちに行ったね、年恰好は、見分けはありますかい」 「丁度、三次さんと年恰好も同じだったよ、奥の方へ向かったよ」 「ありがとうよ」 三次が奥へと速足で向かい、双角が跡を追った。 三次はきょろきょろと回りを見ながら奥へと向かっていたが参道を過ぎ、本堂前の広場に出た。 三次は、そこに三次と同じ様に法被を着ていて、年恰好の似た男を見つけた。 男は与太者と渡世人らしい男と三人で話し込んでいた。 三次は三人に近づき声を掛けた。 「留吉さん、留吉さんですよね」 「あぁ~ん、何だ、てめいはよ」 「留吉、何もんだ、こいつは、知り合いか」 「知らねいな」 「留吉さん、以前と違って随分荒っぽい言葉ですね」 「しゃらくせいや、てめいなんぞ知らねいぜ、何の様だ」 「三軒の店から預かった店賃を返して頂きたいのですよ」 「何だと~、てめいは何もんだ」 「へい、私はね、この辺りの守り役・三国屋の番頭と言うか、代貸しでしてな」 「何だと、三国屋だって~」 「おい、不味いぜ、留吉よ」 「こいつは一人だ、こっちは三人だ、とっとと畳んで逃げるぜ」 「そうだな」 三人は三次を囲む様に散らばり懐から刃物を取り出した。 「しまった、お前さんが、ここまで荒っぽい奴とは思わなかったな」 「悔やんでも、もう遅いぜ」 留吉の仲間がドスを腰溜めにして三次に突っ込んで行った。 反対側からも留吉の仲間が刃物を腰溜めにして突っ込んでいて、三次の逃げ道は無かった。 その時、何処からか大きな男が現れ三次を後に放り投げ突っ込んで来た二人の頬を張り倒した。 叩かれた二人は吹っ飛び気を失ってしまった。 「大丈夫かな、三次殿」 「ありがとうよ、助かったぜ、お侍、あっしをご存じですかい」 「三国屋の代貸しと聞いたがな」 「へい、以前はその名でしたが、番頭と呼ばせる様にしております」 「何故かな」 「渡世人では無く、唯の町人に成りたくてですよ」 「良い心がけじゃ、処で、三次殿、留吉さんをどう致しますかな、留吉、動くで無い」 逃げようとする留吉を双角が刀に手を掛け呼び止めた。 「店賃を返して貰って、骨の二、三本もおりますかな、其方がやるか、某がやってしんぜ様か」 「何故にお侍は助けて下さるので御座いますか」 「悪い奴を懲らしめるに町人も武士もあるまい」 「へい、おっしゃる通りで御座います」 双角の姿が一瞬、揺らめいたと見えたら、次の瞬間には手に巾着を持っていた。 「おお、こ奴五両も持っておるぞ、店賃は幾らかな」 「へい、迷惑料の含めて一両頂きたいものですな」 慈恩は巾着から一両を抜き取り三次に渡し、巾着を留吉に放り投げた。 留吉が投げられた巾着を受け取った途端に「ぎゃ~」と悲鳴を上げた。 右腕の上腕が可笑しな方向に向いていた、双角が骨を折ったのである。 「留吉、良く聞け、此度は一本で許す、次回は二本、その次は痛みを感じぬ様に致す」 双角は暗に三度目は殺すと告げていた。 「お侍、其方様は唯の武家とも思われませんな」 「某を其方の一家の用心棒に雇わぬか、どうじゃな」 「其方様が直参か陪臣かは存じませぬが、解りませぬが、主様の許しは宜しいので御座いますか」 「副業と思うてくれぬか」 「お武家様が副業で御座いますか、それも用心棒の副業で御座いますか、何とも」 「武士もなかなかに懐が寂しいでな」 「親分が決める事で御座いますが、あっしが説き伏せますで、これからご一緒に如何ですかな」 「良しなな願う、留吉の仲間の二人の腕も折っておいたで、それで良かろうかな」 「おぉ、何から何まで念の行った始末で忝のう御座います、二人は気を失って悲鳴も上げませぬな」 二人は参道を戻り、歩きながら三次は三軒の店に寄り、留吉を対峙した事を告げ迷惑料を渡した。 「三次殿、其方は渡世人とも思えぬ御仁じゃな」 「何がで御座いましょう」 「いや、良い、其方に取っては当たり前の行いなのであろう」 三次は参道を出て直ぐ近くの口入屋と看板が掛かった店に双角を案内した。 「戻ったぜ」 三次は敷居を跨ぎ店に入り声を掛けた。 「ご苦労様でした」 「お帰りなさいまし」 店の若者たちの声に迎えられた。 「このお方は客人だ、親分は奥にいるな」 「へい、おいでです」 「良し、店を頼むぜ」 「今日の客はどうだ」 「へい、今日は浪人が多い様ですぜ」 「また、どっかの藩が潰されたのか、お上も銭を出し惜しむのも良いが浪人が増えるぜ」 三次はぼやきながら奥へと双角を連れて行った。 三次は居間の前で声を掛けた。 「親分、土産だ」 「土産、土産とは何だ」 「このお侍ですぁ、店賃を騙し取っていた留吉って奴を見つけましたぜ、銭も取り戻しました。 留吉と二人の仲間の腕の骨を叩き折ってくれたのが、こちらのお侍でさぁ」 「おぉ、そりぁ良い知らせじゃわい」 「それで、このお侍に用心棒になって貰いますぜ」 「駄目だ、銭が掛かる」 「何言ってるんですかい、どっかの一家が手を出して来た時の安心料と思やぁ安いもんですぜ」 「幾ら出すんだ」 「お侍、月二両でどうですね」 「良かろう」 「と言う事でお侍の本業の無い時にゃあ、店に居て貰いやすぜ」 「お侍、しっかりと銭の分は働いてくれよ」 「承知した」 「お侍、台所で何か口に入れませんかい、茶にしますかい」 「頂こう」 「こっちです」 三次は台所に入り女衆に声を掛けた。 「茶を頼むぜ、あぁ、それとよ、このお侍が身内になったからよ、出入りする様になるぜ、宜しくな。 お侍、名をまだ聞いて無かったな」 「某の名はそうよな、双角とでも呼んでくれぬか」 「双角ですかい、何だか坊さんの名みたいですな、良うがす、双角さんと呼ばせて貰います、双角さん、飯は要りませんかい」 「儂は腹っ減らしでな、何時でも腹が減っておる」 「へい、双角さんに飯を頼むぜ、菜は何だ」 「焼いた秋刀魚でどうですじゃろか」 「おぉ、焼き秋刀魚か、儂も食べる、二人分にしてくれ」 「はいよ」 「双角様、直参か、陪臣か位は教えてくれませんかい」 「それを聞いて、其方の某への接し方が替わるのかな」 「いいえ、唯の好奇心で御座いますよ」 「ならば、聞かなかった事に致そう」 「良う御座います、街でお会い致しましたおりには知らぬ振りを致します、宜しいですな」 「そう願う」 女衆が茶と飯と煮物と漬物を二人分持って来て二人の前に置いた。 「秋刀魚が焼けたら持って来るでな」 「おぉ、頼むぜ」 「但し、某の役目柄、武家の形(なり)とは限らぬぞ、心しておけ」 「双角様は探索方ですかい、大変な仕事で御座いますな」 「たつきを得るのはどの様なものでも難しいものであろう、其方の稼業も楽ではあるまい」 「へい、良くご存じで」 「処で、この店の屋号は何と言うな、親分の名は何と言うのかな」 「へい、越後屋と申します、何処の街にもある越後屋で御座います。 この千住にも宿屋、染物屋、呉服屋と御座います、親分は又八と申します」 「越後屋又八か、何やら、そぐわぬのぉ・・・越後屋三次の方が語呂が良いのではないかな」 「・・・あっしに仕切れと申されますか」 「親分は町人の評判が良く無い、其方は町人の受けが良いでな、守り役は町人の信が無ければならぬ」 「へい、此処だけの話で御座いますが、親分には何度も言っておるのですが、改めませんでね。 あっしの言葉が気に入らないのか、逆に酷くなります。 最近は手下からの不満も出ております、なんやかやと理由を付けて手下に折檻を致しますのでね」 「親分は別邸を持っておるかな」 「へい、深川に御座います、妾を住まわせております、女将さんは居りません、一昨年に病で亡くなりまして、妾を女将にすればと申しておるのですがね、たまに会うから良いのだ、と申しましてね」 「何とも身勝手な心根ですな、又八親分には隠居して頂きましょう、其方が跡目です。 但し、親分と言う呼び名は良くない、頭取と変えなさい、代貸しも良く無い、番頭か頭にしなされ」 「私が跡目ですか・・・」 「其方に着いて来ない手下がおりますか」 「いいえ、皆、私に着いて来るでしょう」 「では、善は急げと申す」 双角は立ち上がり三次が立ち上がるのを待ち、又八親分の居間に入った。 「どうしたな、お侍」 「其方、町人の評判が宜しく無い、故に隠居しなされ、妾のおる深川へ行きなされ」 「何だと~、おい、三次、てめいの差し金か」 「又八、三次殿の差し金ではない、某の案じゃ、大人しく隠居せよ。 然(さ)もなくば、手足の骨を叩き折って運ばれる事に成る、どちらを選びますかな」 「おい、三次、てめいの親分が痛めつけると言われてんだ、何とかしろ」 「・・・」 「てめい・・・お~い、誰かいねいか~」 又八親分の大声の呼ぶ声にあちこちから手下が現れた。 「おい、てめいら、三次が裏切りやがった、俺に隠居しろと吐しやがった、こいつらを畳んじまえ」 皆が三次と親分を交互に見て動かなかった。 「どうした、早くやれ、親分の儂の言う事が聞けねいのか」 三次の腹心と思しい男が一歩前に出て言った。 「一家の親分は鬱憤晴らしに手下に折檻をして良いもんですかねぇ~。 町人の守り役の親分が町人に嫌われるもんですかい」 「てめい、何が言いたいんだ、てめいもか、おい、誰かこいつらを叩き出せ」 手下たち全員が三次と腹心の男を見つめ、動こうとしなかった。 「てめいら~、皆出ていきやがれ」 「出て行くのは又八親分、其方の方だ、其方の日頃の行いが悪い、身から出た錆と言う事じゃな」 「ちくしょう、嫌だ、嫌だ、儂は出ていかんぞ」 「では、手足の骨を砕き運ぶ事にします、銭は贅沢が出来ぬが生きられる分は差し上げよう」 「骨を折るのは勘弁してくれ~」 又八は両手を合わせて拝む様に懇願した。 だが、次の瞬間、用心の為に何時も左に置いているドスの鞘を払い双角に突きかかった。 だが、双角は慌てる事も無く一歩下がると手刀で上腕を叩き「ボキ」と音を響かせ骨を折った。 部屋に又八の痛みに耐える悲鳴が響き、手下たちは双角から一歩、二歩と遠ざかった。 「ぎゃ~、ぎゃ~と煩い奴だ」 双角がそう言うと又八の首筋に優しく手刀を打って眠らせた。 「皆、良く聞け、今日只今より、親分は三次殿だ、但し、親分と言うてはならぬ。 今日からは与太者の集まりでは無い、呼び名は頭取とせよ、正業の口入屋を勤め、参道近辺の守り役に勤めよ。某か某の仲間が刻に見回る故、悪さを致するで無い、又八と同じ眼に合うと心せよ、其方が三次殿の腹心であろう、其方が代貸しじゃ、但し、呼び名は頭とせよ、良いな、解ったならば参道の見回りに参れ」 双角の怖い姿を見せられ逆らう事も無く、皆は見回りに外へ出て行った。 「三次殿、又八の妾の処を聞こう」 三次は妾の深川の処番地を双角に告げた。 「三次頭取、其方の後見に我らがなる、これから言う事を其方だけの秘密とせよ、我らは江戸の安寧を願う者たちの集まりで御座る、其方は橘道場を存じておるか」 「はい、先の天覧試合で勝者と次席を占めた鍛錬所で御座います、まさか、其方様は橘の鍛錬所の方ですか」 「そうじゃ、儂は橘道場の者だ、其方の後見に橘道場がなる、但し、悪行をせぬ限りじゃ、困り事が在れば橘道場に知らせよ、どうじゃ、我らに組するかな」 「はい、ぜひにも、お仲間に加えて下され、お願い致します」 「我々の仲間になるには理があります、誠実、正直、我らの仲間と漏らさぬ事、身体と心を鍛錬する心根のある事、こちらからの頼みがあった刻には無理をせず、己の身を守るを第一とする事、己の身の危機は仲間の危機に繋がるからに御座る、それと重しを着けている事を見つからない様にする事。約定出来るかな」 「最後の重しとは何でしょう、それ以外は約定致します」 双角がもろ肌脱ぎになり腹の晒を見せて晒を取り下の黒く巻いた物を巻き取り三次に渡した。 「何ですか、おぉ、重い、これが重しですか、これを着けていたのですか」 「この重しは初心者の重しでは無い、其方にはもう少し軽い物から始めるのが宜しい」 双角は重しを戻して貰うと一部を外しまた渡した。 「これが初心者用ですか、それでも、この重さですか」 双角は手首と足首の晒と重しを外し、三次に渡した。 「凄いですね、これを全て着けて動いておられたのですね、凄い、凄いです」 手首と足首の重しから一部を外し三次に渡し、腰と手と足の晒に渡した。 「この晒を巻いて重しを着けているのを解らない様にするのですね」 「そうです、決して他の人に見つからない様にして下さい、その重しを着ける事が我らの仲間入りの証の手始めです」 「手始めですか」 「左様、其方の心持ち、続くかどうか、其方が悪行に走らぬかを見ます、宜しいですか」 「解りました、精進致します」 「うむ、其方が続く事を願っております、では、某は此れにて失礼致す、さらば」 双角が三次の前から消えた。 三次は暫く、放心していたが、突然思い出した様に着物を脱ぎ腰に重しを着け晒を巻いて、手首と足首にも重しを着け晒を巻き着物を着て他の人から解らないかを確かめた。 そこへ見回りに行っていた皆が戻って来た。 「代貸し」 「ばかやろう、代貸しじゃねい、頭取だ、頭取と呼べ」 三次の腹心が叱った。 「そう言う、頭取も言葉使いを丁寧にした方が良いですぜ」 「へい、いえ、はい、直しますです。処で、皆、座ってくれ、皆で今後、どうするかを話そうか」 皆が三次を真ん中にして車座に座り話し合いが始まった。 天井裏で双角と慈恩が聞いていた。 「双角、以外とすんなり行きましたな、千住は三次に任せて良かろう」 「余りにもすんなりと行き過ぎて怖いのぉ、次はそうは行くまい」 「次は板橋にしよう、今度は儂が表じゃ、影護衛を願う」 「承知」 「ここの護衛は要らぬかな」 「二、三日、様子を見ようではないか」 「うむ、それが良かろう」 「そうと決まれば、腹拵えに参ろうか」 「承知」 双角と慈恩の二人は口入屋・越後屋から立ち去り、街外れの「めし・酒」と書かれた提灯が掲げられた店に入り食事をした、但し、二人では無く、葉月と弥生の二人も一緒だった。 四人は大いに眼だっていた、大男二人、そのうえ美形のそれも同じ顔の二人の娘が一緒だからだった。 双角が三次と食べた焼き秋刀魚が美味しかったと語り、四人は焼き秋刀魚を願った。 「双角様、慈恩様、私たちは屋根の上におりましたので詳しくは存じません、お教え下さいな」 「葉月様、弥生様、事の他上手く事が進みました。代貸しが危ない処を助けました」 「はい、そこは見ておりましたので存じております」 「用心棒に雇って頂くと言う事で店に入り込めました」 「はい、そこも見ておりました」 「親分が嫌われ者でしてな、町人に嫌われ、一家の手下たちにも嫌われておりました、そこで思い切って町人と手下たちにも人気のある代貸しを親分の後釜に据える事とし親分を排除しました、親分が止める事を嫌がり、私に襲い掛かりましたので腕の骨を折り気を失わせました。親分は深川に妾を囲っておるのでな、そちらへ運んで貰った」 「運んで貰ったとは、何方にで御座いますか」 「おや、其方らは気づかなんだか、三郎太殿とお有殿に願った」 「えぇ、お二人が居られたのですか、気が付きませんでした」 「其方らは屋根の上であったからのぉ、天井裏から軽く気を出してくれたで、儂にも解った。そうで無ければ解らぬ」 「その気も感じませんでした、修行が足りませぬね、弥生」 「はい、お姉様」 「三次殿が新たな親分じゃ、やくざ者から口入屋と真面目な香具師の元締めになって貰うとの思いで、親分と呼ばずに頭取と呼ぶように願った。代貸しを頭か番頭と呼ぶように願った」 「それは良い考えかと存じます、三次殿を我らの仲間になさいましたか」 「おぉ、良う解ったのぉ、重しも渡して参った」 「次は何処になさいますか」 「うむ、慈恩殿とも話合うたが、板橋になる、今度は表が慈恩殿で影が儂じゃ、だが、ここに二、三日は留まり三次殿の影護衛をと思うて御座る」 「では、私共姉妹は一度道場に戻り、三日後に板橋に参ります、宜しいでしょうか」 「うむ、うむ、板橋に着いたなら、何時もの様に気で知らせて下され」 「承知しました、では、三日後に、此処のお勘定を宜しいでしょうか」 「勿論じゃ、龍一郎様にたっぷりと貰ろうておるでな、三日後にまた会おうぞ」 「そうじゃ、某の重しの初心者分を渡したで、板橋で会うた刻に貰いたいのぉ」 「はい、承知致しました」 葉月と弥生が皆の視線を浴びながら店を後にした。 <参考>-----(秋刀魚)----------------------------------------------------- 将軍・徳川吉宗の時代(1716~1745年)には、秋刀魚(サンマ)はすでに食されていました。 ただし、現代とは少し異なる扱われ方をしていました。 ・吉宗の時代の秋刀魚 ・食用と燃料の両方で利用 ・吉宗の時代にあたる江戸時代中期以降、秋刀魚漁が盛んになり、庶民の食材として定着しました。 しかし、秋刀魚の脂は、食材としてだけでなく、燃料としても貴重でした。高価な菜種油の代わりに、 安価な秋刀魚の油を行灯(あんどん)の燃料として用いていました。 ・「下魚(げぎょ)」としての秋刀魚 ・当時の秋刀魚は、武士のような身分の高い人々が食べる魚ではなく、「下魚」と見なされていました。 ・高級な魚ではなかったため、庶民の間で食べられていたようです。 ------------------------------------------------------------------------------’ <つづく>
2026.01.03
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<韋駄天の藤次の訪い>-----#340 ある日の早朝、何時もの様に小兵衛、お久、平四郎、お峰、三郎太、お雪、平太、お雪、葉月、弥生、お糸、お鈴、お春、お夏、双角、慈恩、俊三郎と歳三の柳生の二人、十兵衛と鐘四郎の町奉行所の二人の大勢がそれぞれの技量に合わせた速さで砂浜の往復を繰り返していた。この鍛錬は龍一郎が午前の道場修行の前後に門弟を連れて行った事が始まりであったが早朝にも始めたのは平太とお雪だった。ある朝、道場の裏庭での剣術修行の前に平太とお雪が道場を出る時に葉月と弥生に見られ二人が加わる事になり、またある朝、お久に見られ小兵衛とお久も加わる事になり、徐々に増えて行った。時として、富三郎夫婦と弟子の巳之吉、朋吉、お高夫婦と揚羽、正平夫婦、甚八とその配下の佐助、八重が加わる事もあった。因みに龍一郎と佐紀はこの浜走りには参じていない、二人には負荷が軽過ぎる事と道場の守り番がいる事が理由である。皆は二人が変わりに何をして鍛錬しているのかを知らなかった。そんな浜修行のある朝、常陸屋の藤次郎という男、別名・韋駄天の藤次が加わった。藤次郎は競い合いの巷での大本命であったが三郎太に破れ、悔しさを感じ打倒三郎太の執念に燃え、次回に再度の競い走りがある事に備え修行していた。本業の飛脚の速さを早くしたりと鍛錬している中で砂浜の鍛錬を思い付き早朝に浜に出て見ると、そこには既に走っている人たちを見つけ驚き、小兵衛を見つけて、その人たちが橘道場の者たちだと知った。彼らは無言でもくもくと走り藤次郎を見ても何の反応も示さなかった。その早朝から藤次郎が加わる事となった。ある大雨の早朝、藤次郎はこんな日はいないだろうと雨具を着込み浜に行ってみると、そこには雨具など無しにもくもくと走る人たちを見て驚愕を覚えた。その中に少年と少女がいる事に更なる驚きを感じ、その場で雨具を脱ぎ鍛錬に加わった。そんな藤次郎がもっとも驚いたのは、浜修行の初日に巷で江戸一早いとの評判の彼が少年、少女たちに軽く抜かれ、追い付けぬ程の速さで走っている事と競い走りで争った三郎太の真の速さの凄さだった。藤次郎は自分が見た光景を誰にも話す事はなかった。藤次郎が浜を走るようになって数か月経ったある日の夕方、橘道場を町人が訪ねてきた。「御免下さい・・・御免下さ~い」暫くして、脇の庭からお婆が現れた。「何方様かのぉ」「あっしは藤次郎と申します。飛脚で御座います」「何方への文ですかいのぉ」「いいえ、文のお届けじゃ無いんで」「何か荷物かのぉ」「いいえ、荷物でもありやせん」「文でも荷物でも無いか・・・う~ん、何ですかいのぉ」「飛脚の仕事で来たんじゃ無いんで」「飛脚屋が飛脚の仕事で無いとは、何の用だ」「へい、あの~、その~、あっしを弟子にして貰いに来ました。町人の長屋住まいの店子は弟子にして貰えませんかねぇ」「儂の知る処じゃ、南北奉行所の同心・与力様、勘定奉行所の与力・同心が多いのぉ、ほんでも、町人もおるぞ」「本当ですかい、あっしを弟子にして貰えんかのぉ」「ここで待っとれ、館長に聞いて来る、名は何と言うたかのぉ」「師範代の三郎太様に尋ねてくれ、飛脚の藤次郎だ」「飛脚の藤次郎さんだな、待っとれ」誰が相手でも丁寧な言葉と態度を、と言う龍一郎の理はお勝婆まで浸透していなかった。待たされた藤次郎は、門を出たり入ったり右へ左へと落着き無くうろうろしていた。暫く待っていると、何と庭から三郎太が現れた、無論、隠れた処にお有がいた。「三郎太様、お久しぶりで御座います」「お久しぶりで御座る。婆に寄りますと弟子入りしたいとの事で御座るが真で御座るかな」三郎太は師範代としての応対が故に侍言葉で応じていた。「へい、いえ、はい、弟子入りをお願いします」「お尋ね申すが、其方は弟子入りして、何が望みで御座るかな」「はい、競い走りで走りが本職の私が武士の其方様に負けました、悔しくて悔しくて、飛脚の仕事での走りを早くしました。何かがたりねぇと思い砂浜を走る事を思い付きまして浜に行きますと、何と何人もの人が走っておりました、それが橘道場の方々で御座いました。三郎太様のお姿も見ました。巷ではあっしが一番だとの評判であっし、私は己惚れていましたんで御座います。三郎太様は武士でありながらも走りの鍛錬をしておられた。あっしも、私も早く走りたい、走れるようになりたい」「早く走れるようになって何とするな」「弟子になりたいのは、走りだけではありやせん、実は飛脚は曲者に狙われる事が度々御座います。これまでは、足の速さで逃げておりました。何時襲われるかの恐れの気持ちを持って走っております。その逃げる速さを増したい思いと、剣術を学び、恐れをなくしたいのです。剣術を学べば恐れが無くなりましょうか」「成程のぉ、飛脚も大変じゃのぉ。銭か為替を狙っての事かのぉ」「はい、その様に思いますです」「剣術の修行はどの位の腕前になりたいのかな」「飛脚の仕事に何時誰に襲われるかの恐れが無くなる位にはなりたいと思います」「走りもだが剣術の修行は厳しい、単純な動きの繰り返しが多い、弛まぬ力がいる事ぞ、其方は秘密を抱えて誰にも話さずにおれるかな、酒に酔うても話さずにおれるかな」「飛脚はただただ走るだけの商いです、繰り返しには慣れています、あっし、もとい、私は酒は付き合い程度で御座いやす。酒に酔うことはありません。秘密は守る自信は御座います」「其方は剣術の技量が町の鍛錬所に入門が許される程に成りたいのか、師範代に成れる程に成りたいのかな」「二つの違いは修行の厳しさじゃあ無いですかい。私は厳しい方を選びますです」「其方が思う以上に厳しいぞ、覚悟致せ、但し、楽しくもある」「厳しいのに楽しいのですか」「左様、修行はのぉ、ある時点で苦しみ、辛さが楽しみに変わる、そう成れば、しめたものじゃ、技量の伸びは早いぞ、楽しいぞ、どうじゃ、楽しんでみるか」「はい、お願い申します」「良かろう、今から夕餉じゃ、我らが仲間、家族に合わせよう、その場で見聞きした事は秘密じゃ、良いな」「はい」藤次郎は生唾をゴクリと飲み込み返事をし、三郎太の後に続いた。「三郎太、仲間が増えたか」「はい、ご隠居、私の判断で入れました。いけませんでしたでしょうか」「其方の見立てじゃ、良かろう、のおぉ、龍一郎」「館長は父上で御座います」「良かろう、秘密が守れぬ時は、あの世へ行って貰うだけの事よ」「じいじ、そんなに脅しちゃ駄目」小兵衛館長の戯言に舞が駄目だしをした。すると、他の娘たち、お糸、お鈴、お春、お夏も「じいじ、可愛そうよ」と続いた。最近は、舞に習い、四人の娘たちも小兵衛を「じいじ」と呼ぶようになり、小兵衛を喜ばせていた。だが、お久の事を「ばあば」と呼ぶのは舞だけだった。先ごろは料亭・揚羽亭と船宿・駒清にいる双子の葉月、弥生の姉妹も小兵衛を「じいじ」と呼んでいた。二人が店にいるので大女将のお高とお駒が、この日の夕餉に参加していた。二つの店の主の貞吉と清吉も加わっていた。揚羽亭には板前として慈恩が駒清には板前として正平と双角がいた。「藤次郎さん、此処に座りなさい」三郎太が隣の席を指さし座る事を勧めた。藤次郎は囲炉裏を囲み座る面々を眺め、其処に座り黄八丈を着た南町奉行所与力の浅井十兵衛と北町奉行所の競い走りの受付責任者だった本城鐘四郎を見つけ驚き、佐紀の評判以上の美しさと威厳に驚き、暫し眼が離せ無かった。「藤次郎さん、あそこにお座りの方が館長の小兵衛殿、その隣が奥方様のお久殿、あっちの囲炉裏にお座りのお方が師範の龍一郎様、隣が奥方様のお佐紀様じゃ、後はおいおいと解ろう」「へい、はい、皆様、よろしくお願い申します」藤次郎がその場で後に下がり深々と頭を垂れて礼をした。「挨拶はそれ位にして、食べろ、食べろ」小兵衛が食を勧めた。それを待っていたかのように皆が合掌して食べ始めた。囲炉裏の回りには浜を走っていた小兵衛、お久、平四郎、お峰、三郎太、お有、平太、お雪、お糸、お鈴、お春、お夏、俊三郎と歳三の柳生の二人、十兵衛と鐘四郎の町奉行所の二人に龍一郎、佐紀が加わり大勢がいた。双角、慈恩、葉月、弥生の四人は浜走りの後に料亭・揚羽亭と船宿・駒清の料理の仕込みにそれぞれの店に戻って行った。新たに加わった者が皆、驚く様に藤次郎も皆の食べっぷりを見て驚いていた。藤次郎も飛脚屋の中では大食いであったが、道場の皆の食べっぷりは桁外れだった。比較的、新参者のお糸、お鈴、お春、お夏はまだ少ない方だったが、それでも並みの大人の男の町人並みに食べていた。俊三郎と歳三の柳生の二人と町奉行の十兵衛、鐘四郎に至ってはばくばくと食べ、さも大食いと一目で解った。不思議なのは古参の者たちの食べっぷりで、ゆっくり食べている様に見えて、減り方が早いのである。特に龍一郎と佐紀は一口、二口で御変わりをしていた。とても不思議に見えた。古参の者たちは食事の時も修行をしており、早い動きの繰り返しでゆっくりに見える様にしていた、大試合で佐紀が見せた、竹刀、木刀のゆっくりとした動きに見えて、実は早い動きの繰り返しと同じ事をしていたのである。囲炉裏の横に置いてあった、米櫃と大きな汁鍋の中身が見る間にどんどん減って行った。「藤次郎、どうしたな、食べねば力が出ぬぞ」「皆さまは、何時もこんなに食べるんですかい」「おぉ、其方は始めてであったな、まぁ、始めての者は驚くであろうな」十兵衛が自分が始めて見た時を思い出して言った。「お前様、今宵は思いのほか、人数が多う御座います、御飯が足りませぬ、後は饂飩に致します」「お久、手数を掛けるな、済まぬな」「お気に為されますな、妻の勤めで御座います」「儂は亭主の役目を為しておるかのぉ~」「はい、過分の働きで御座います」「嬉しい言葉じゃ、おぉ、忘れておった、藤次郎、どうじゃ旨いか、たんと食べよ」「はい、美味しく頂いております、ですが、皆様の様に多くは食べられません」「うむ、其方も鍛錬致せば食べる様になる、沢山身体を頭を使えば沢山食べる様になる」「今は身体も頭も使いが足りないと言う事ですか」「人の身体と頭の本来の力の限界に近づけると言う事らしい、これは龍一郎の言葉じゃ」「限界の力で御座いますか」「左様、人はまだまだ力を秘めておるらしい、その力を引き出すのじゃ・・・そうだ」「はい、精進致します」「走りが本職の其方が三郎太に敗れて悔しかろう、解らぬでは無い、無いが浜での我らの鍛錬を見たであろう。競い走りでの三郎太は本気では無かったと解ったであろう、今の其方では、そこにおる幼い娘たちにも勝てぬ」「はい、勝てませんでした、どの様にすれば皆様の様になれましょうか」「お鈴、我らの理を伝えてみよ」「はい、我らの仲間である事を知られぬ事、任を与えられても任よりも我らの存在を知られぬ事を優先する事、己の身を第一に考える事、己の身の安全は仲間の安全に連なるからである故に、捕らえられる怖れの立場に身を置かぬ事、危うい時は逃げる事、それは我らの存在を知られぬ事に繋がり、己と仲間の安全に繋がるからである、重しを着けておる事を知られぬ事、で如何でしょうか、皆様」「龍一郎、佐紀、どうじゃな、儂は幼いお鈴が良くぞ、ここまで解しておると思うがのぉ」「はい、お鈴、誰かに教わりましたか」「はい、姉様に教わりました」「お糸、今の言葉を教えましたか」「いいえ、お鈴なりに考えての言葉と思います」「お鈴、其方は述べた意味を解しておりますね」「はい、無理をせずに、与えられた任を勤めたいと思い、鍛錬致します」「良い心構えです、皆も幼いお鈴の心根を心に留め置く様になされ」「はい、お佐紀様」皆が佐紀に拝礼した、無論、龍一郎以外であり、新たな仲間・藤次郎も拝礼していた。次の日、休みを貰っていた藤次郎は重しを貰い、着け方を習い、剣術の基も習って過ごし夕餉も馳走になり、長屋へ戻って行った。「龍一郎、仲間が増えるのは喜ばしい事じゃが、韋駄天の藤次、本名は藤次郎、神田の香具師の元締め井筒屋の親分、おぉ、頭取であったな、その頭取の藤次郎、代貸し、いや、頭じったな、の藤次、と同じ名、似た名がおって困るのぉ」小兵衛が小言を言った。「はい、仕方が御座いませぬ、行い、心持ちで選び、名で選ぶ訳では御座いませぬ故にです」「呼び名を決めれば良い事です、藤次郎頭取、頭の藤次、韋駄天の藤次で如何ですか、お前様」「久、それしかあるまいのぉ」<つづく>
2025.12.12
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<茶屋の鍛錬 その二>-----#339その日、愛宕下の茶店に大きな男と綺麗な娘が連れだって現れた。 二人は、何処かの大身旗本の姫様と護衛の武士の様に見えた。 店には他に二組の客が団子を食べ、お茶を飲んでいた。 「慈恩、私は餡のお団子とみたらしのお団子とお茶をな」 「はい、畏まりました。亭主殿、餡団子一本とみたらし団子一本と草団子二本と茶を二杯じゃ」 「へ~い」 「慈恩、其方は芝の神明様は初めてですか」 「いいえ、何度か来た事が御座います」 「以前と変わりはありませぬか」 「はい、御座いませぬ」 「お待ちどう様でした」 二人の話が聞こえたのか、店の亭主が餡とみたらしの団子を娘に、草団子を大きな男の横に茶と一緒に置いた。 「ありがとう」 「ありがとう御座る」 「お口に合えば宜しいのですが」 店の亭主が立ち去ると二人は小声で話し合った。 「慈恩様、亭主殿は重しをお着けのようですね」 「その様だ、弥生殿」 「慈恩様は山へは何度行かれましたか」 「三度です、弥生殿は」 「二度ですが、一度が長いですから」 「それは羨ましい事です」 「苦しく、辛いはずなのですが楽しい毎日で御座いました、また、行きたくなります」 「左様、左様、己が日々強うなるのが楽しいのでしょうか」 「そうなのかも知れませぬ、山から江戸に戻ると街々の景色が違って見えるのです、これまでに気づかなかった物が見えるのです、不思議です」 「愚僧は、私は以前も山々を駆け回り、座禅も組んで居りましたが、龍一郎様の理をお聞きしてからの己の伸びが格段に違うのです、何のための修行か、何に意識をするかを知っているのと、知らぬ、意識せぬでは、これほどの違いがあるとは思いも寄りませぬことでした」 「はい、私たち姉妹もそれを感じて居りました」 慈恩と弥生は料亭・揚羽亭では慈恩が料理の師匠で、武術では弥生が師匠で日々を過ごしていた。 昨日、誠一郎と舞から今日の任を受け、追加の重しを持って愛宕下の茶店に来ていた。 二人は声音を元に戻し、何気無い話に終始した。 「姫様は初めてで御座いますか」 「はい、初めてで御座います、荘厳で神聖な処で御座いますね」 「はい、何処の寺社仏閣へ参りましても、その様に感じます、特に此方は感じます」 「此処は特別ですか、慈恩」 「はい、この時刻は人も多いですので、その思いも薄う御座いますが、早朝や夜半になりますと、また、趣(おもむき)が変わります」 「おぉ、左様で御座いますか、早朝に来てみたいものです」 暫くして、二組のお客が順次支払いを済ませ立ち去った。 また、暫くして、慈恩が亭主を呼んだ。 「亭主殿、重しの追加をお望みかな」 「・・・其方様方は橘道場のお方で御座いますか」 「左様、どうじゃな、要り様かな」 慈恩はそう言って、証に袖を捲り上げて重しを覆い隠している晒を見せた。 「証をお見せ頂きありがとう御座います、他の者に知られぬ様にとの事でしたので、失礼致しました。 そろそろ道場へお伺いしようかと思うておりました、お持ち頂いたなら、有難く頂戴致します」 「これにお持ち致しました、どうぞ」 慈恩が懐から二人分の重しと晒を出して渡した。 「おぉ、ありがとう御座います、後程、早速にも着けさせて頂きます」 「処で、裏の雑木林は人気(ひとけ)がありませぬ。鍛錬場に良い様です。今は竹刀、木刀どちらですか」 「はい、竹刀です、同じ処から振り始め、同じ処で止める事はなかなかに難しいもので御座います」 「左様、倦まず撓まず(うまずたゆまず)の心がけがあるのみです、一月後、二月後、三月後にお解りになるでしょう」 「はい、精進致します」 「基の鍛錬が成りましたなら、次の段階が待って居ります、江戸の外れに鍛錬所が御座います、そちらでの鍛錬をして下さい、その後は山の鍛錬所が御座います。留守の間の店の商いは我らの仲間が致します、まずは我ら二人が本日只今より下働きを致し商いを習います、団子などの作り方と商いをお教え下さい。因みに我らは料理人で御座います」 「お姫様では御座いませんのですか」 「私は姫では御座いませぬ、芝居です、龍一郎様にお会いするまでは、無宿者でした」 「名乗りがまだでした、私は宍戸慈恩と申します」 「私は望月弥生で御座います、弥生とお呼び下さい」 「私は山波宗十郎と申します、奥に居りますのが妻女・於登勢(おとせ)で御座います。 私は、この辺りでは宗の字と呼ばれて居ります」 「山波様と呼ばせて頂きます、ですが、店では親父さんと呼ばせて頂きます」 「はい、宜しくお願い申します」 翌早朝、茶屋の裏の雑木林から竹刀を振るう音が聞こえた。 宗十郎と於登勢が振るう竹刀の動きを慈恩と弥生が指導していた。 「於登勢様、真上からは良いのですが、始まりを後にすると始まりと終わりの位置が定まりませぬ」 「如何様にすれば宜しいでしょうか」 「ご自分で定まっていない事を理解することが先決で御座います、如何ですか、解っていましたか」 「残念ですが、同じと思うて居りました」 「折角、お二人での鍛錬ですから、指摘し合うのが宜しいでしょう」 「己の鍛錬に気が行っておりました、のぉ、お前様」 「うむ、確かにのぉ」 「宗の字の親父、団子の味が変わったな、店先に見目麗しい女子がいるせいかいのぉ」 この朝から弥生が店先に立ちお客の接待をし、慈恩が朝、餅を突き、奥で団子を捏ねていた。 「弥生さん、こっちも草団子二本くんな」 「は~い、草団子二本入りました」 「はいよ~」 「弥生さん、こっちは餡団子三本おくれ」 「は~い、餡団子三本入りました」 「はいよ~」 「弥生さん、こっちはみたらしを四本だ」 「は~い、みたらし団子四本入りました」 「はいよ~」 この日は、お客に何時もに無く男衆ばかりが目立っていた。 「お~い、そこの人、食べ終わったんだったら席を空けねいな」 外で席が空くのを待っている人から声が掛かった。 「まだ、終わっちゃいねいや、弥生さん、餡団子、草団子一本づつくんな」 「は~い、餡団子と草団子一本づつ入りました」 「はいよ~」 「てめい、何時まで食っていやがるんだ、店始めからじゃねいか」 また、外で席が空くのを待っている人から声が掛かった。 「何か文句でもあるのか、てめい」 「おぉ、やるのか、てめい」 店先が揉めだした、と、その時、奥から始めて慈恩が姿を見せた。 「お客さん、店で揉め事は困りますな」 慈恩の巨体を見た揉めていた二人だけで無く、店にいたお客も並んでいたお客も驚き固まった。 慈恩は一言だけ言うと奥へと引っ込んで行った。 「とっつぁん、用心棒かい」 「馬鹿言うんじゃ無いよ、何処に用心棒を雇う団子屋があるもんか、ありゃ~料理人だ」 「でっけい料理人だな、それで団子の練りが良くて旨くなったんだな」 「そうだな、そんなに旨いか」 「なんだ、とっつぁんは食べてねいのかい」 「商売もんだからね、食べていないな」 慈恩と弥生が働き出した初日には午後になって直ぐに朝の餅つき分がなくなり団子が売り切れた。 次の日から朝の餅つきの量を増やしたが、看板娘が評判になったか、餅の味が評判になったかで、餅の量を増やしたにも関わらず、やはり午後には売り切れになってしまった。 朝につく餅の量が増えて必然的に起きる時間も早くなった、だが、早朝鍛錬で慣れていたお陰で苦にはならず、餅米が炊ける間に慈恩、弥生、宗十郎、於登勢の四人で鍛錬していた。 とうとう、夕方を過ぎ夜になっても客足が途絶える事が無かった。 そんな日が十日過ぎた夜に弥生が宗十郎と於登勢に告げた。 「私たち二人は今日までです、明後日より別の二人が参ります、暫くでしたがお世話になりました」 「こちらこそで御座る、其方らのお陰で売上が五倍に成り申した、有難い事です」 「何の事がありましょう、其方様のこれまでの誠実な商いの賜物で御座います、なお、明日、次の二人には、此方で習った事を伝え直ぐにも商いの手伝いが出来る様に致します」 「それは有難い事で御座います、何から何までの心使い、痛み入ります」 「では、お休みなされ」 「ありがとう御座った、お休みなされ」 翌々朝、宗十郎と於登勢が裏の雑木林に行くと男女の二人が待っていた。 「おぉ、弥生さん、戻られたか、お連れの方は何方かのぉ」 「宗十郎様、私は弥生では御座いませぬ、弥生と双子の姉、葉月で御座います、隣に居りますのは双角に御座います」 「何と、双子で御座るか、真で御座るか、違いが解り申さぬ、本に弥生さんではないのですか」 「違います、昨日、先の二人、慈恩殿と弥生より、店のもろもろの指南を受けましたが、最初は戸惑い、支度や商いが遅れるでしょうが、お許し下さい。それと先の二人も料理人でしたが我ら二人も料理人です、最も料理の師匠は双角殿、剣術の師匠は私、葉月で御座います。では、ご挨拶はこれ位にして朝の鍛錬を始めましょう」 「はい、宜しくお願い申します。鍛錬は餅米が炊けるまでの間と饂飩が熟すまでで御座います」 「承知しております、刻を無駄には出来ませぬ、始めましょう」 こうして、朝の鍛錬の師匠が慈恩と弥生から、双角と葉月に変わったが何の遅延も無かった。 昨日の一日は餅の風味が以前に近く戻ったが、今日の餅の風味は一昨日に戻っていた。 店先に娘も戻り、店に活気が戻っていた。 「弥生さん、昨日は寂しかったぜ」 「お客様、私は弥生では御座いません、双子の姉の葉月で御座います」 「えぇ、弥生さんじゃ無いのかい、葉月さん、ね、葉月、葉月、お~い、皆の衆、この美人はよ、弥生さんの姉の葉月さん、だってよ、間違えるんじゃないぜ、葉月さんだぜ」 「おぉ、解ったぜ、しかし、綺麗な双子とは世の中の不条理だね」 「何だ、その不、何とかはよ」 「綺麗な処を何も双子に与える事も無いじゃ無いか、と言う事だよ」 「お前さんは綺麗な娘が嫌いなのかい」 「とんでもねい、大好きに決まってらぁあな」 「なら、くちゃぐちゃ言うんじゃねい、話よりも団子を食べな、食べないんなら席を空けねいな」 「葉月さん、餡団子二本くんなぁ、下さいな」 「は~い、餡団子二本入りました~」 「はいよ~」 「葉月さんよ、わっちによ、饂飩をくんな」 「饂飩一丁入りました」 「おいよ、饂飩一丁~」 こうして、茶屋の宗十郎と於登勢が丘屋敷、山鍛錬所への修行の備えがなった。 <つづく>
2025.11.29
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<奈良屋との別れ>-----#338 平四郎とお峰が控えている部屋の廊下に手代がやって来た。 「お侍様、主様がお話したいと申しております、奥のお部屋でお待ちです、お時間が宜しければ、お願い申します」 「畏まりました、直ぐにも参ります」 「はい、その様に申します、失礼申しました」 手代が廊下を戻って行った。 「お峰殿、何用か解らぬが参ろうか」 「はい、旦那様」 二人は部屋を出て廊下を歩き主の居間の廊下に座り入る許しを求めた。 「おぉ、早速見えられましたか、忝い、さぁ、さぁ、お入り下さい」 「失礼致す」 平四郎が主・奈良屋茂左衛門の前に座り、お峰が平四郎の斜め後の廊下側に座った。 「何の用で御座ろう」 「はい、其方様は香具師と言う商いをご存じですかな」 「はい、存じております」 「寺社の参道の守り役は香具師の元締めがほとんどでしてな、まぁ、参道の守り役ですな、守り役と申しても店賃を寺社の代理で集め手間賃を取り寺社に収める任で御座います。店の場所決めの任も御座います。祭礼のおりの場所割りも御座います。これは何処の寺社の参道でも同じでしょうな。いろいろな、いざこざの仲裁も致します。神田の明神様の守り役は井筒屋と言う香具師の元締めが務めておりましてな、この者が最近、店賃を頻繁に上げておりまして店子が困っておりました。ですが、昨日、代替わりを致しました。元締め、つまりは、あちらの商いの名で親分と呼ばれる御仁が入れ替わりました。手下と浪人者が三十人以上もいるのにです。私は案じているので御座います、新たな元締めが以前と同じ様に店賃を上げるのかとな、それを調べて頂けませぬか、お願い申します」 「解り申した、奈良屋殿は調べた後に以前よりも高い店賃にする元締めであったなら、何としますかな」 「何処かの参道の守り役を真っ当にしている方に変わって頂けぬか、とお願いしたいと思うております」 「左様ですか、ですが、真っ当な方が他の香具師の元締めの島を、縄張りを奪う事は致しませぬ」 「おや、香具師の元締めにお詳しいですな」 「処で、奈良屋殿、以前、襲われたと申しておられたが、誰の指金か、お判りになりましたかな」 「いいえ、奈良屋は唯の材木商に御座います、その様な調べを為す術を持ってはおりませぬ」 「出入りの岡っ引きをお持ちで御座いましょう、お頼みして見ましたかな」 「いいえ、幸運にも北町の同心に助けられ、無事で御座いましたのでな」 「それでは、また襲われるやも知れませぬなぁ」 「まぁ、それで其方様をお雇いした次第で御座います」 「付かぬ事をお聞きするが、奈良屋殿はその井筒屋になんぞ曰くが御座いますのでしょうかな」 「火消しの寄合いにお付き合い頂きましたな、井筒屋は神田の火消しの元締めを欲っしているのです」 「成程な、それで邪魔な奈良屋殿を・・・で御座いますか」 「成程、井筒屋が後におりましたか、どうもその様で御座いますな」 「奈良屋殿、もうご心配無用で御座います、確かに先日襲いし者の裏には井筒屋がおりました、ですが、井筒屋は潰れました、奈良屋殿は井筒屋の部屋住み、次男坊の藤次郎殿をご存じですかな」 「はい、存じております、寺子屋の教授方を務めておられました、只今も少し離れた処でお勤めですぞ」 「その藤次郎さんが新たな井筒屋の当主で御座いますよ、親分とは呼ばず頭取と呼び変えるそうです」 「何ですと藤次郎さんが跡目の親分、いえ、頭取で御座いますか・・・何とも、其方様は何故ご存じなので御座いますか」 「以前の井筒屋を潰したのが我らの仲間だからで御座いますよ」 「其方のお仲間・・・と申しますと」 「奈良屋殿は橘道場をご存じですかな」 「はい、先の大試合で活躍為された鍛錬所で御座いますな」 「我らは橘道場の門弟で御座います、我らは江戸の安寧を願う者の集まりです。この事を知るのは其方様と新たな頭取の藤次郎さんと頭の勝次さんだけです、他の方には漏らさぬ様に願います」 「橘道場の方で御座いましたか、道理でお強いはずで御座います」 「藤次郎さんが治める井筒屋さんとこちらの奈良屋さんの後見を橘道場が致します。何か御座いましたなら道場に書簡をお送り頂ければ、お役に立ちましょう。但し、くれぐれも誰にも知られぬ様に願います」 「畏まりました、心強い後見で御座います、では用心棒は終わりで御座いますか」 「左様、災いは取り払って御座いますればな」 「真にありがとう御座いました」 「では、我らは此れにて失礼致す、さらばに御座います」 「真に、真にありがとう御座いました」 奈良屋が頭を垂れ礼をして頭を上げた時には二人の姿は消えていた。 平四郎とお峰は道場に戻る前に井筒屋へ向かった。 そこにはお高と貞吉に替わって揚羽と慈恩が影護衛として天井裏に控えていた。 「お二人さん、何事も無い様ですね」 お峰が二人に声を掛けた。 「お峰様、平穏無事で御座います」 「藤次郎さんと勝次さんの働きは如何ですか」 「二人だけになった時に重しの証の晒を見せ合い、橘の仲間になった事を確かめておりました。 今もまた二人だけで今後を決めております」 「では、ご挨拶に参ります」 平四郎がそう言うとお峰と共に天井裏から部屋の中に降りた。 「藤次郎頭取、勝次頭、どうですかな」 突然現れた平四郎とお峰に驚く風も無く勝次が答えた。 「はい、お蔭様で皆も生き生きと勤めに励んで御座います」 「藤次郎さん、頭取としてやって行けそうですか」 「勝次さんがおられ補佐してくれますので、どうにか出来そうで御座います」 「困りごとが起きましたなら何時でも道場にお知らせ下さい。其方たちが我らの仲間と知るは奈良屋の主殿だけです。我らの事は内緒です、守って下さい。なお、重しを足したい時には道場へ起こし下さい。 重しをお渡ししますし、剣術の基も教授致します」 「私の家族は何処でどうしておりますでしょうか」 「悪い人たちでも家族ですから気になるでしょう、ですが、お忘れ下さい、あの方たちは其方に悪い影響しか与えませぬ、何処にいるかを探さぬ事です、宜しいですね、勝次さんも宜しいですね」 「はい、少し気になっただけです、心配では無く唯の好奇心で御座いました」 「ちゃんと生きております、ですが、其方は、家族はもうこの世にいないと思って下さい」 「はい、きっぱりと忘れます、頭も宜しいですか」 「はい、頭取」 「では、参道と近辺の守りを願います、さらばです」 「ありがとう御座いました」 二人が頭を垂れ礼をして頭を上げた時には平四郎とお峰の二人の姿は消えていた。 <つづく>
2025.11.18
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<神田の香具師の元締め 始末>-----#337 その日から三日の後の早朝、神田の香具師の元締め井筒屋に来客があった。 「頼もう、頼もう」 「へ~い、こんな朝っぱらから誰だい」 「頼もう、親分はいらっしゃるかな」 「うちの親分に何の様だい、てめいらは何ものだ」 「井筒屋藤兵衛殿と女将と若旦那・藤一郎殿に隠居して貰いに参った」 「・・・な・なんだって、何を吐しやがる、おい、親分に知らせねい」 年嵩(としかさ=としうえ)の男が横にいる若者に命じ、若者は奥へとすっ飛んで行った。 年嵩の男は回りを見渡し、自分一人である事を確かめると小声で言った。 「この刻をお待ちして居りました、あっしは代貸しの仲間で御座いやす、芝居を続けますので宜しいですかい」 「良いでしょう、芝居が上手ですね、そのまま続けて下さい」 「へい」 奥から浪人者を先頭に親分、女将、若旦那、多くの用心棒と与太者が現れた。 「何だ、何だ、弱そうな男と女の二人だけじゃねいか、おい、てめいら、世迷言もいい加減にしやがれ、大口を叩いて唯で帰れると思うなよ」 男女二人と知り、用心棒の後から前に出て来て親分が言い放った。 「其方が口入屋・井筒屋の主・藤兵衛殿で御座いますか」 親分の脅し文句に平然として女が問うた。 「おぉ、儂が藤兵衛だ」 「親分、分の良い申し出に参りました、江戸の外れで隠居して下さいな、女将さんと倅殿を連れてで御座います。 なかなか良い申し出で御座いましょう」 「まだ、吐しやがるか、世迷言が過ぎるぜ、二度と来ねい様に痛めつけて叩き出せ」 親分はそう言うと終わったとばかりに振り向き奥へと歩きかけた。 「親分、仕置きを見ぬのか」 最初に先頭にいた用心棒が見ていけと言った。 「面白い趣向でも見せて頂けるのですかい、先生」 「おぉ」 「おやおや、この先生は私を倒すようですよ、お前様」 「その様だな」 「戦う相手の気も気配も解らぬ者が相手を倒すとは、これが当世の武士ですか、世も末ですね」 「な・な・何を生意気な、許せぬ」 用心棒頭と思しき男が刀を抜いた、それに答える様に対するお高が右手を後に回し、帯の間から小太刀様の木刀を出して対峙した。 「小賢しい女め、儂を相手に木刀だと、小太刀だと、舐めくさりおって・・・」 「私の気配も感じられぬ者には無手でも良いのですが、其方に触れたくは無いのでね」 「ああ言えばこう言う、これほどの怒りは久しぶりじゃ覚悟致せ」 「覚悟するのは其方の方です、其方は世の為になりませぬ、武士として「たつき」の立たぬ様に致します」 「吐せ~」 男が刀を上段に移し上から打ち下ろした。 お高は打ち下ろしの半ばで剣筋を変えられぬ様に出来るだけ我慢し切られる寸前に左に身体を捻り身体の右を刀が過ぎた処で相手の右肩の骨を二度叩き、次に右上腕を二度叩き粉々に砕いた。 これで、この男は骨が正しく継ぐ事が出来ず武士としての今後が消えた。 用心棒頭と思しい男は余りの痛みに気を失ってしまった。 人は身体の痛み、心の痛みが耐えられぬ程になると生物としての生存本能が優先され気絶の道を選ぶらしい。 回りを囲み先生が勝つと信じて疑わなかった者たちが「ごくり」と生唾を飲み込み、お高を恐怖の眼で見つめていた。 「さて、次のお方は何方ですか、このお方が一番強いお方でしたか、何方か試してみませぬか」 お高は優しい言葉を使っていたが、聴く者の耳には地獄の底からの言葉の様に心に響いていた。 「代貸し、お前が行け」 「親分、御免こうむります」 「何、儂に逆らうのか、てめい」 「へい、上に立つ者が見本を見せて下せい、あっしの前に若旦那、その前に女将さん、その前に親分ですな」 「て・て・てめい、吐しやがったな、後で覚えていやがれ」 「藤一郎、おめいが行け」 「お・お・親父~、俺にゃ~できね~よ~」 藤一郎は恥も外聞も無く、ブルブルと震え始めていた。 「だらしの無い奴め、女同士だ、お前が行け」 親分は女房に命じた。 「お前さん、女の私に・・・こんな化け物みたいな女と戦えって言うのかい」 「あらら、失礼な、お前様、貴方の妻を化け物呼ばわりしましたよ、許せますか」 「許せぬな、少しのつもりであったが、少々多めに痛い目に合って貰いましょうか」 「ひぇ~~」 女将が悲鳴を上げ、その場に倒れこみ気を失ってしまった。 「おやおや、女将さんは芝居が旨い事、お前様、気を失った振りで、この場をやり過ごすつもりの様ですよ。 我らの様に気が気配が読める者には誤魔化しは利きませんよ、女将さん」 「ちぇ」 女将が悔しそうに舌打ちして立ち上がった。 「おめいは・・・」 親分は言葉が続かなかった。 「さてと、何方もいらっしゃら無い様ですね、では、親分、隠居して頂きましょう」 「嫌だ、嫌だ、お前、いいえ、お二人が後を継ぐのか」 「勝次さん、其方が選んだ者たちを此方にお願いします」 勝次は手下の者の名を呼び、呼ばれた者たちがお高の横に並んだ。その数十七名だった。 「勝次さん、後の者たちは親分の商いのやり方に賛同しているのですね」 「へい、左様で御座います」 「勝次、てめい、裏切りやがったな」 「裏切ったのは親分、あんたの方だ、香具師は、香具師の元締めは地域の町人の味方のはずだ。 苦しめる者じゃねい、増してや、島を広げる資金集めに店賃を上げるなんて飛んでもねい話だぜ」 「吐しやがれ、要はてめいが親分に成りていだけじゃねいか」 「親分、そうじゃねいな、元親分、次の元締めはあっしじゃありませんぜ、藤次郎さんですぜ」 「何だって、あの弱虫の藤次郎が元締めだってか、勤まるはずがねいや」 「出来るかどうか、江戸の田舎で見ているこった」 「嫌だ、おりゃ~ここを出ていかねいぞ」 「では、足の骨を砕いて運びます、が宜しいですか」 お高が非情な事を平然と宣言した。 「儂の足の骨を折ると言うか」 「いいえ、唯折るだけではありませぬ、二度と真ともに歩けぬ様に致します、杖は作って差し上げます、あぁ、他人事の様に聞いている、藤一郎殿、其方も同じ目にあって貰います、女将さんもです」 「ひひひぇ~~」 女将と藤一郎から悲鳴が洩れた。 「仕返ししたければ何時でもどうぞ、但し、藤次郎さんの後ろ盾は橘道場です、皆さまも橘道場をご存じですよね、私どもは門弟で御座います。何時でも仕返しにお出で下さい、お待ち申して居りますよ。 勝次殿、手下の中でこちらに入れたい者は其方に任せます、くれぐれも悪事に染まらぬ者ですよ」 「へい、承知致しました、藤次郎様は何時此方に参られますか」 「今日の午後にも参る事でしょう、あちらの寺子屋の引継ぎも御座いますのでね」 「お二人がいなくなると、こいつらは元に戻りますぜ」 その言葉が終わらぬうちに板の間から悲鳴が上がった。 勝次が振り向くと、親分と女将と若旦那の右足が可笑しな方向に向いており、三人が悲鳴を上げ、のたうち回っていた。 「其方らには解らぬでしょうが、この店の回りは我らの仲間が囲んでおります、私たち二人の気性は穏やかで御座いますが、仲間の中には非情な者もおります、ここだけの話ですが、銚子と浦安の事、南北奉行所の事をご存じでしょうか、何方の働きだと思われますか」 「成程、納得が行きました、奉行所の手柄にしては手並みが良過ぎると思うておりました。 道場の門弟衆に南北の与力・同心が大勢いると聞いておりますが、本当ですかい」 「本当です、今もこの回りの何処かに二人いるのではないでしょうか」 「それで、親分一家三人と浪人頭も入れて四人ですか、何処に運びますかい」 「勝次殿、誰の事で御座いましょう」 「誰って親分一家ですよ」 勝次がそう言って板場を見た時には親分、女将、藤一郎と用心棒頭の四人の姿が無かった。 「ありぁりぁ、いつの間に・・・、あっしは絶対に、何がなんでも、何があっても、橘に従います」 「藤次郎さんが参られるまでは其方が一家を仕切りなされ、親分に付いていた配下の処分も其方に任せます、我らはこの場を離れますが、見えぬ処にいて見守っております、ご安心下さいな。 そうそう、店賃を上げる事は無い、また、上げる前の店賃に戻すと店々にお知らせする事をまず最初の仕事として下さいな、宜しいですね」 「承知致しました、本に、本にありがとう御座いました」 勝次が礼を述べ垂れていた頭を上げた時には二人の姿は消えていた。 「おめいら、絶対に、何が何でも悪さをするんじゃねいぜ、解ったな、嫌な者は出て行っていいぜ」 暫くの静寂が続いた。 「良し、姉御が言いなさった様に、皆で手分けして、店賃を元に戻すと触れ回りねいな」 「へい」 「はい」 「よっしゃ」 勝次に従っていた者たちが外への走り去った。 「さてと、てめいたちの生末だ、てめいたちは親分のやり方に賛同していやがった、どうなんだい、おりゃ、心を入れ替えて、此処に残るも良し、立ち去るも良しと思っている、好きにしねい、決めろ、但し、残って影で悪さが出来るとは思わないこった、橘道場の眼が何処にあるか解らなねいぜ」 「ちぇ、おい、皆行くぜ、馬鹿馬鹿しくてやってられるかよ」 舌打ちして代貸し補佐の鉄二が外へ向かい残りの者に声を掛けた。 だが、誰も動こうとはしなかった。 「何だ、てめいら、半端もんが真面目になれると思っていやがるのか、何の為に一家に入ったんだ、旨いものが食べてい、良い女がほしい、銭が欲しいじゃねいのかよ、それを真面目に働けとよ、やってられるかよ」 それでも誰も動かなかった。 「ちぇ、良いぜ、後で悔いても知らねいぜ、あばよ」 「そんじゃ、皆も店子へ知らせてくんな」 「店の守りは大丈夫ですかい、代貸し一人で大丈夫ですかい、補佐が戻ってきますぜ」 「あぁ、俺が一人と知りぁ来るだろうよ、だがな、どっかで橘のお方が見張っていなさるに違いねい」 その時、天井のあちらこちらから手拍子が聞こえた。 勝次は「にやり」と笑い「行きな」と言って、皆を送り出した。 「勝次殿、見事じゃ」 後から声を掛けられ勝次が振り向くと板場に若い武士が腰かけていた。 「お褒め頂きありがとう存じます・・・もしや、貴方様は橘龍一郎様では御座いませんか」 「左様、某が橘龍一郎じゃ」 「お初にお目に掛かります、此度、お仲間に加えて頂き恐悦至極に存じまする」 「うむ、其方、先程までと言葉使いが異なるのぉ」 「はい、私は藤次郎様の寺子屋に参じておりました、特別に教授も受けておりました」 「うむ、良い心根じゃ、重しも着けておるようだのぉ、重しを着けたは仮の仲間入りの証じゃ、重しを少しずつ重くし、走りも早く、遠くへ行ける様にし、剣術の基を習得して後に丘鍛錬所、山鍛錬所に赴き、始めて正式な仲間入りとなる、其方の覚悟は聞いておる、が、改めて確かめたい、耐える覚悟が在るや無しや」 「御座います」 勝次は即答した。 「其方が重しを着けた時より、其方の身は其方だけのものでは無い、其方が誰かに拐かしに合い、我らの事を問い正された時に漏らさずにいられるかな、君子危うきに近寄らず、と申す、用心に用心を重ねる事を忘れぬ様にな、調べよりも無理をせず危うき時は諦めるも鍛錬であると心せよ」 「承知致しました、心に止め置きます、こう申しては何ですが、まるで禅問答の様で御座います」 「禅問答は知らぬが座禅を組み心を無にする鍛錬もする事じゃ、それにより回りの気配が解る様にもなる、殺気を捉える事も出来る様にもなる、人が近づくのが解る様にもなる、身体の鍛錬も大事だが、心の鍛錬も怠りの無い様にすることじゃ」 「心得まして御座います」 「ほれ、其方はまだ解るまいが、先程の補佐が其方を殺しに戻って参った様だのぉ」 「えぇ~、あのやろう、おっと、言葉が乱れました」 勝次が詫びて頭を下げ元に戻した時には龍一郎の姿が消えていた。 そして、次の瞬間、表の障子が開き、先程出て行ったはずの補佐の鉄二が戻って来た。 「代貸しよ、お前さんが一人になるのを待ってたぜ、俺が一家を頂くぜ。 橘なんぞが何処にいるよぉ、いねいじゃねいか、まぁ、居ても怖くはねいやな。 おぉ、随分落ち着いていやがるじゃねいか、本当に橘の連中が助けてくれるとでも、思っていやがるのか」 「いいや、お前など、橘様の助成など要らぬわ」 「言いやがったな、最近、てめいは動きが妙に遅くなったじゃねいか、病持ちのてめいなんぞ、一捻りだ」 「余計な事だが、助成は要らぬが、橘のお方が本におらぬと思うておるのか、お前が入って来た時に儂が何故に驚かなんだと思うな、お前が近づいて来た事を誰が教えてくれたと思うな」 「・・・」 鉄二は回りを「きょろきょろ」と見回した。 「そんな嘘で儂がびくつくとでも思ったか、騙されんぞ」 「勝次殿、本に助成は要らぬかな」 天井から龍一郎の声が聞こえた。 「はい、お言葉忝のう御座います、私一人で大丈夫で御座います」 「先程も言うた様に己一人の身では無い、用心にも用心をせねば成らぬ、其方らの技前は互角であろう。 だが、今の其方は重しを着けておる、故に其方の負けじゃ」 「おぉ、重しを失念して居りました、前言取り消しで御座います、助成を願い申します」 「良かろう」 その途端に勝次の隣に女が立った。 「勝次殿、私は龍一郎様の妻で御座います」 「えぇ~、では、お佐紀様で御座いますか」 「左様です、以後、宜しくお願い申します。旦那様、この者は心を改める見込みが見られませぬ。 この世に在っては成らぬと思われます。勝次殿、仏の始末をお願い出来ますか」 「はい、近くの寺に無縁仏として収めます」 「さて、橘なぞ怖くは無いと申しましたな、あの世で悔いる事です、あの世があればですが」 「煩せい、しゃらくせいや、橘がなんぼのもんだ」 鉄二は左手に持った長ドスを鞘から抜くと上段に構えた。 佐紀は懐に手を入れると黒い扇子を取り出し前に突き出した。 暫く、静寂が続き、佐紀が言った。 「来ないのですか、では、私が参ります」 次の瞬間には鉄二の頭から血が吹き出し、正面の離れた処に立っていた勝次の全身を血が覆った。 「では、勝次殿、仏の始末を願います」 勝次は言葉も発せられず、唯、首をがくがくの振るだけだった。 どれ程の時間が経ったのか、街々に店賃の戻しを知らせに行った者たちが揃って戻り表戸を開けて、中の様子に驚き固まってしまった。 後から帰って来た男たちも、この状況に驚き固まってしまった。 元代貸し補佐の鉄二が血の池に倒れ、立っている代貸しが全身血まみれなのである。 やっと正気に戻った代貸しが命じた。 「皆、中に入って戸を閉めろ、いや、表に二人立って、誰も入れるんじゃねい」 新入りの二人が表に出て戸を閉めた。 「おい、誰か米屋へ行って籾殻を三俵買ってきな、麻袋も六枚買って来い、何に使うと聞かれたら、持ち上げて身体を鍛えるんだ、と答えろ、いや、十枚買って来い、大八車二台で山へ行って土と浜へ行って砂を積んで来い、棺桶屋から棺桶を一つ買って来い、それから誰か奥にいる女たちに風呂を沸かす様にと握り飯を一杯作る様に言ってきな、早くしろい。銀次、お前は残れ」 皆がそれぞれに俺がこれ、俺があれ、と決め走って行った。 「銀次、午後には新たな元締め藤次郎さんが来られる、そのつもりでいな、今日から新たな一家の始まりだ。 真っ当な仕事だけで一家を守る事になる、覚悟は良いな、悪い行いをすると橘のお方たちに懲らしめられるからじゃねい、おっといけねい、じゃ無い、言葉使いも変えないとな、どうだ、出来そうか」 「へい、いえ、はい、言葉使いに少々刻が掛かるでしょうが、これまでの様に後ろめたい気分に成らずにすみます。 しかし、代貸し、やり過ぎですぜ」 「済まないな、まさか本に戻ってくるとはな、俺を殺しに来たから、しょうがねいじゃないか」 「兄貴は本に強いんですね」 「俺の理想の男はな、日頃は優しい態度と言葉でいて、怒ると容赦しない男だ」 「俺も、それが理想です、着いて行きます、兄貴、じゃ無い、代貸し」 「その代貸しってのも良くないな、親分も駄目だな、う~ん、そうだ、吉原会所じゃ頭を頭取って呼ぶらしい、親分は頭取にして、代貸し、俺が頭でどうだい」 「良いですね、良し、皆が戻ったら伝えます、しかし、少し、匂ってきましたね、早く始末しましょう、処で、親分一家はどうなったんですかね」 「知らない方が良いと思うぜ、解るよな」 「はい、そうですね、解りました」 手下の者たちが集めて来た麻袋と米糠と手下の知恵者が建屋の建築現場から鋸屑を集めて来ていた。 また、他の手下が浜から砂を山から土を大八車に載せて運んで来た。 因みに用心棒たちも手下に混じって力仕事に加わっていた。 米糠と鋸屑で血を吸い取り、遺骸を麻袋に詰め、鋸屑を詰めた棺桶に収め、無縁仏を受け入れてくれる寺へ運んでいった。土間には砂と土を撒き血の跡と匂いを消した。 後始末が全て終わると土間に皆が集まり、奥から四人の女中に大量の握り飯と茶碗とお茶の入った土瓶と味噌汁の椀と大鍋に入った味噌汁を持って来させた。 板場の真ん中に腰掛けた勝次が土間に座り込んだ手下たちに述べた。 「私は昨日までに私に従う者と従わない者を選び分けしました。 皆がこの稼業に着いたのは補佐の鉄二が言うていた様に、旨い物が食べたい、良い女が欲しい、銭が欲しい、楽がしたい、真面目な仕事はしたく無いだったでしょう。 だが、この稼業に着いてみてどうだったかな、親分、女将さん、特に度胸も男気も無い唯の跡目と言うだけの若旦那に無理難題を言われ文句も言えず耐えるだけの毎日、挙句に町の衆には嫌われ、姿を見せれば嫌な顔をされ、それでも親分の命には従わねばならない毎日、其方が真に笑う事があったかな。 私は町人には嫌われたくは無い、好かれたい、町人を守りたい、それが店賃を集め参道を預かる者の役目と思うておりました。ようやく、その思いが叶う事に成ります。 私に従う者たちには、その私の思いが通じていると思います。 私に着いて来ないと思われ、親分に従っていた者たちに聞きたい、私の今の話を聞いて、これからの一家の進む道が解ったでしょう、そんな事など出来ぬと思う者は何も罰は与えぬ、唯黙って出て行く事を許します、今直ぐに出て行く事です。 これは浪人さんも同じです、これまでの様に、毎日、唯、酒を飲んで過ごす日々は終わりです、刀を置くも良し、皆と同じに仕事をして貰います、侍を続けたい者は立ち去って下さい。 酒を飲むなとは申しませぬ、夕餉のおりに飲み過ぎぬ程度は許します。 我らはこの街の守り人となるのです。いつ何時、火災が起きるか解りませぬ、いつ何時何処かの一家の攻めがあるかも知れませぬ、深酒は許されませぬ。どうぞ、出て行って下さい」 勝次は誰かが出て行く刻を与えた。 「浪人さんも家族を養う為にいろいろな勤めをしてきた事でしょう、この際、刀を置くも良し、刀をそのままに用心棒としておるも良し、唯、家にいてごろごろと何もせぬと言う訳には参りませぬ、それは覚悟して下さい。 また、皆に申しておきます、今の私の言葉使いを聞いてお気づきと思いますが、これからは、粗野な言葉使いを許しませぬ、誰に対しても、例え相手が爺様、婆様、屑拾いでも上様に対する様に接して下さい。 私は汚い着物を来た爺様が実は大店の隠居と解った途端に態度を丁寧に変える事はとても恥だと思っています。それ故、誰に対しても上様に対する様に接して下さい、とは言っても、べらんめいな言葉に慣れた皆には急には無理でしょう、少しづつ変えて下さい、此度、親分、いいえ、今日午後にも戻って来られる二代目は親分と呼ばず「頭取」と呼んで下さい、そして私を代貸しでは無く頭と呼ぶ様にして下さい。誰も出て行きませんか。もう一つ、これまでは給金などはありませんでしたが、これからは月々の給金をお渡しします、勿論、働きに応じて銭高は異なります。十日に一日の休みも取って貰います、好きに過ごして下さい、但し、深酒をして次の日の勤めが出来ぬは困ります、これが今日からのこの一家の姿です。では、銀次さんの振り分けで三つの組に分けて貰います、早速ですが一組目に街回りをして貰いたい、二組目は家の掃除を願います、三組目は身体を休める刻です、では、銀次さん、組み分けを願います、私の話は以上です」 勝次は立ち上がり奥へと引っ込んだ。 一家の屋根の上では龍一郎たちが集っていた。 「お高殿、お駒殿、引き続き交代で影護衛を願います、十日で良いでしょう、お駒殿と清吉殿はもう一つの一家もありますで、三郎太に変わりを勤めて貰いましょう、お高殿には、其方の判断で誰かに変わりを願っても良い、お駒殿、三郎太殿も同じです、其方らに判断に任せます、宜しいてすか」 「はい、畏まりました」 三郎太が皆に変わって答え、皆が頷き返事に変えた。 龍一郎と佐紀が屋根から消え、三郎太が割り振りを告げ最初のお高と貞吉を残し他の者たちが消えた。 <つづく>
2025.11.13
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<井筒屋の代貸し 勝次>-----#336 「藤次郎さんが良い人で良かったです」 「鍛錬にも耐えるであろう、楽しみじゃのぉ」 「平四郎様、何故に太郎佐殿を仲間になさらないので御座いますか」 「う~む、考えてもみなんだのぉ」 「七日市藩の師範代として私たちの留守を守っておいでなのですから、お仲間にしては如何ですか」 「性根も根気も十分じゃな、余りにも近場にいるで気が付かなんだ」 「お年はお幾つでしたでしょうか」 「其方は知らなんだか、確か二十二と申して居ったな」 「お仲間に致しましょう、平四郎様」 「あぁ、そうだのぉ、今度誘ってみよう」 「余り乗り気では無いのですね」 「いや、そうでは無い、もう既に仲間のつもりであったで、故に今更と言う気持ちなのであろう」 「藤次郎さんも、お仲間になり、どんどんお仲間が増えます」 「そうじゃな、囲炉裏をもう一つ作る用がありそうじゃな」 「龍一郎様は神田の一家を潰すに当たり我ら二人に任せるでしょうか」 「いや、用心深いお方故、誰かを付けてくれるであろう」 「何方で御座いましょう」 「其方は誰と誰と思うな」 「そうですね、実践経験のある方々と無い方々で御座いましょう」 「うむ、儂もそう思う、となると、慈恩殿、弥生殿、双角殿、葉月殿、柳生の二人、と言った処ではないかのぉ」 「お駒さんとお高さんの出番が少ない様に思いますが」 「おぉ、そうじゃのぉ、此度はお二人にお願いしようかのぉ」 「お駒さんの相方、清吉さんは修羅場には慣れておられましょうが、お高さんの相方、貞吉さんは実践不足で御座いましょう」 「しかし、我らの動きが自由にならぬのは困ったものじゃな、奈良屋の襲ったものは何者で何処の誰に雇われた者かのぉ」 「北町の本城様に救われたと申しておられました故、本城様がご存じなのでは御座いませぬか」 「うむ、良い処に気づかれた、そう言う訳で龍一郎様には、その旨とお駒さんとお高さんの出番が少ないと伝えてくれぬか、 井上殿、鰐淵殿」 「畏まって候、では、これにて失礼仕りまする」 「平四郎様、二人が戻りましたな・・・お前様」 「・・・お峰殿」 お峰が平四郎の胸に顔を埋めた。 「お役を頂きありがとう存じまする」 次の日の昼過ぎ、平四郎とお峰の二人だけの部屋の天井裏からお駒の声が聞こえた。 「お駒殿、お高殿、お二人ともに気を御することが上手くなりましたな、おや、お高殿、喜びの気が洩れましたぞ、殺気などの危ない気は勿論、喜怒哀楽全ての気を御せねばなりませぬ」 「お高さん、この刻に来られたと言う事は・・・本城様は何かご存じでしたか」 「はい、流石は町奉行同心で御座います、奈良屋を襲った族は居酒屋へ入り一刻後に店を出て香具師の元締めの処へ行ったそうで御座います。一刻も居酒屋を見張るなど仲間になって間のないお方の成せる事では御座いませぬ、同心ならではで御座いますね、そう思いませぬか、お峰さん」 「えぇ、それで本城様は香具師の元締めの名を申しましたか、井筒屋と申しましたか」 「はい、井筒屋と申しておりましたよ、私共は食事と厠以外はこちらに居ります、それで宜しいですか」 「お願い申します、二、三日で終わらせたいと思います、ご助力下さい」 「承知致しました。策は御座いますか」 「唯、壊滅するならば我ら四人で店に向かえば良い事でしょう、だが、部屋住み、次男の藤次郎殿を元締めに据える事を考えると、配下の者の中で今の仕事のやり方に納得している者としていない者の判別が必要と思う、納得していない者を残したい、納得している者を排除し香具師として将来を無い様にしたい、藤次郎殿の邪魔をしない様にしたい、賛同頂けようか」 「良い考えかと思います」 お峰が即答し、天井裏に潜むお駒、お高も賛同した。 「では、私とお駒さんで配下の判別を探索して参ります、宜しいですか」 「はい、良しなに願います」 「では、これにて失礼致します」 お駒とお高は伴侶の貞吉と清吉と一緒に香具師の元締めの建屋の屋根の上にいた。 「一番の剣の使い手は相変わらず奥で親分の家族と一緒ですな」 「その様ですね、まぁ、使い手と言っても気配も探れぬ程度ですがね」 「油断は禁物ですが、我らの気配に気づく事はありますまい」 「では、大部屋では何も聞けませぬ故に奥へ探索に参りましょうかね」 「いえ、いえ、浪人頭は親分と同罪は決定事項、配下の中で同罪の者と今後使える者との分別が今回の任で御座います、故に大部屋が妥当かと」 「では、二手に別れましょう、小駒さん方は奥へお願いします、私どもは大部屋へ参ります、如何ですか」 「承知しました」 「では、では」 「山村先生、店賃の値上げの方は上手く行っていますかい」 「すんなりが二割、しぶしぶが二割、残りは強ねて(ごねて)いるなあ」 「手下を総出で店を囲んじまえばよかろうが」 「それでは親分の評判が悪くなるであろう」 「あっしの評判ですかい、お気遣いありがとう御座いやす、ですがね、もう、これ以上落ち様がありませんや」 「お前さんの評判も私の評判も最低だね」 「それ以上に跡取りの評判は身内にも最低ですな」 「山村先生、そりゃ~ないぜ」 「若親分、某の評判も最低で御座る、街中も身内にもな、似たもの同志で御座る」 「それに比べ、代貸しの皆の受けが良いな、我らのやり方に不満の様だ、気にいらん、以前は儂の言いなりだったがな・・・どうも店賃の値上げに反対の様だ、先生、邪魔をする様なら始末して下せい」 「身内の、それも代貸しを・・・良いのか」 「構やしません、儂に逆らう奴は例え身内でもいらねい」 「承知した」 天井裏でお駒と清吉が頷き合い、大部屋の天井裏へ向かい、お高と貞吉と合流した。 大部屋では三十人以上が二手に別れ車座になって小声で話合っていた。 二つの集まりの頭は代貸しの勝次、もう一つは代貸し補佐の鉄二だった。 「代貸しの勝次が親分のやり方の反対派で、代貸し補佐の鉄二が賛成派です、この男、賛成派と言う以上に過激なやり方を望んでいます」 貞吉が極々小声で清吉とお駒に語った。 「跡継ぎを藤次郎にした後の味方を代貸しの勝次にしましょう、ついては誰を残すかを勝次に問いただしましょう」 「外出した処を攫いましょうかね」 「まぁ、手っ取り早くて良いですね」 「では、そう言う事で、どちらの組が見張りで、どちらが攫いますか」 「お高さんの案ですから、攫いをお任せします、良いですか」 「承知、お前さん、良いよね」 「あぁ、良いとも」 「では」 お高と貞吉が大部屋の天井裏から消え、屋根の庇へ移動し、勝次が外出するのを待った。 その刻は四半刻もせずにやって来た。縄張りの見回りに出て来たのである。 勝次は二人の手下を連れ参道への道を歩き始めた。 勝次たちは道の左の隅を歩いていたので、お高と貞吉は先回りし左の脇道に隠れて待った。 勝次たち三人が二人が待つ脇道を通り過ぎ様とした時にお高と貞吉は勝次の後を歩く二人の手下の鳩尾に当て身を食らわせ気を失わせ、身体を支えて倒れる音を消した。 通りを歩く人たちは倒れた二人が与太者風だったからか、素知らぬ顔で通り過ぎて行った。 「勝次さん、ちょっとお付き合い下さいな」 勝次は後から女子に声を掛けられ振り向き、手下二人が倒れている事に気が付き警戒の仕草をした。 だが、直ぐに警戒の姿勢を解き、穏やかな声で答えた。 「あっしに何の様ですね」 「その前に、何故に警戒を解きましたかね」 「手下二人をあっしに気づかれずに倒す御仁に手出しはできませんぜ、無駄な事だ」 「勝次さん、貴方は賢い方の様ですね。お腹が空いていませんか、蕎麦でも手繰りながらで如何ですか」 「蕎麦掻きで一杯やりながらではどうですね、昼からは久しぶりだ」 「良いでしょう、其処の店でどうですね」 「お供します」 三人はお高を先頭に勝次、貞吉と続き、蕎麦屋に入った。 「御免下さいな」 「はいよ、おぉ、勝次さんかい、今日は手下はどうしたね、まさか、その二人が新しい手下じゃないよな」 「違うな~、お客だよ、蕎麦掻きと酒を頼むぜ」 「三人分でいいね」 「おぉ、頼むぜ」 三人は奥の四人掛けの席に着いた。 「勝次さんは街の人に好かれているのですね」 「好かれているかどうか解らねいや、なんせ一家の者だからな」 「率直に尋ねますし、率直に申します。勝次さん、貴方は今の親分のやり方、島の仕切りに反対ですね。 店賃をどんどん上げる事にも反対ですね」 「答える前に聞いておきたいね、お前さん方が親分の手の者で無い証が欲しいや」 「最もなお言葉です・・・お聞きしますが、手下二人を弱いとはいえ気を失わせる者を親分の手の者と思いますか」 「それは無いだろうが、萬一と言う事もあるからな」 「私共の計らいを申しましょう、今の親分一味を排除し、部屋住みの次男の藤次郎さんに跡目を継いで貰うつもりです、藤次郎さんの了承は得て御座います。どうですね、我々に組しませんか」 「・・・藤次郎さんを跡目にですか・・・本当に了承を得ているのですか」 「はい、藤次郎さんは既に我々の仲間です、今はまだ、気も剣技も体力も未熟ですが、後々は・・・」 「そちらさんは・・・貴方がたは何者ですね」 「正直にと申しました、我々は江戸の安寧を願う者の集まりです、其方は橘道場をご存じですか」 「先の大試合で勝者、自席を総舐めにした鍛錬所の事ですな」 「そうです、その道場です、我々は門弟です」 「・・・強い訳だ、失礼ですが、女将さんも門弟ですかい」 「私は高と申します、隣は亭主の貞吉です、門弟は私の方が先人です」 「それは、察しておりました、藤次郎さんも仲間になったと申されたが、私も門下に成れましょうか」 「条件が幾つか御座います。一つ、悪事を働かぬ事、一つ、我らの秘密を漏らさぬ事、これは仲間以外と我々の話をしない事です、一つ、これから渡す物を見られぬ事です、一つ、我々との契りを第一にする事、約定できますか」 「渡す物とは何かによりますが、他の事は約定できる」 お高が隣に座る貞吉を見て頷き、貞吉も頷き立ち上がり店を出て行った。 二人が無言でいると貞吉が店中に戻り席に座った。 店の親父が蕎麦掻きと酒を持って来た。 「お待ちどうさん、どうぞ」 「ありがとうよ、親父」 店の主が蕎麦掻きと徳利と猪口を置いて調理場へ戻って行った。 貞吉が懐から大小の布包みを五つと晒を五枚出して勝次の前に出した。 「これは重しと晒です、腰に大きい重しを、小さい重しと晒を手首と足首に巻いて下さい、晒は重しの上から巻いて他の者に見つからない様にして下さい、見とがめられたら怪我をしたとでも答えて下さいな」 勝次が重しを持って重みを確かめた。 「なかなかの重さですな・・・これを二人も着けているのですかい」 「無論の事です、但し、その様に軽い物ではありませぬ」 「これが軽いですか・・・、橘道場が強い訳だな、あっしももう仲間ですかい」 「まぁ、手始めです、後は其方の行い次第で御座いますよ」 「あっしの行いですかい」 「はい、我々が動き出すまでは、此れまで通りに日々を過ごして下さい、但し、其方に賛同する者を選んでおいて下さい、つまり藤次郎さんが跡継ぎになった時に残す手下を選んでおいて下さいと言う事です」 「・・・承知しました、さて、そうと決まれば、気を失った二人に何と言うかだな」 「あの二人はどちらの味方ですか」 「あいつらは親分の側です、まぁ、あっしの見張りですよ」 「お前らは俺の護衛だろ、何してやがる、と怒鳴りつければ良いでしょう」 「成程、姉さんは香具師の元締めに成れますな」 「それは褒め言葉と取らせて頂きます」 「勿論ですぜ」 <つづく>
2025.11.05
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<井筒屋の部屋住み 藤次郎>-----#335平太とお雪たちが去り、部屋に戻ると直ぐにお峰が言った。「平四郎様、平太殿はどんどん大人になりますなぁ、武家言葉にも馴染んで参った様で御座います」「そうじゃのぉ、平太殿の伸びもあるが、お雪殿の伸びは、それに増して良いのぉ」「あの子の鍛錬は並大抵では御座いますまいに」「あの子の一番良い処は根気のある処かも知れぬな」「はい」「井筒屋の部屋住みを・・・何と言うたかのぉ・・・藤次郎だったかな、手習いをしておるとの事であったが、処が解らぬな」「番頭殿に井筒屋の事を尋ねてみては如何でしょう」「おぉ、それが良い、参ろうか」「はい」二人は番頭がいつもいる店の帳場へ向かい、奥を隔てる暖簾の前で声を掛けた。「番頭殿、尋ねたきことがある、宜しいかな」「はい、先生どうぞ、客間でお聞き致しましょう」番頭は立ち上がると二番番頭に「後は頼みましたよ」と声を掛け、二人の横を通り、店の直ぐ裏の部屋に入った。番頭は下座に座り、上座を空けたので平四郎とお峰は上座に座った。「お聞き致しましょう」「番頭殿は口入屋の井筒屋をご存じですかな」「はい、存じておりますが、先生は何処で、その名をお知りになられましたかな」「こちらへ参るおりに食事処で話しているのを聞いてな、少々気になった」「どのような話で御座いましたかな」「う~む、余り良いものでは無かったのぉ、明神様の門前の店の店賃の回収を請け負っておるそうな、その銭高が高いらしい。寺に収める以上に上前を撥ねておるようじゃ。無頼者、浪人者も雇うておるとも言うておったのぉ」「お侍は、それを知ってどうなさいますかな」「其方には正直にお答え申そう、噂通りであれば一家を潰す」「・・・其方様がお一人で、で御座いますか」「左様」「・・・戯言で御座いましたか、良う御座います、お話致しましょう。その噂話は本当で御座います、井筒屋さんは口入屋が表看板で御座いますが、裏稼業は香具師で御座いまして、主の藤兵衛は、その元締めで御座います。それで大勢の与太者と用心棒浪人を抱えております。門前に少々活気が欠けますのは一家のせいで御座いますよ」「井筒屋に変わる者はおらぬのかな」「おりませぬ、と申しますのも近場の同業の香具師の一家を全て潰しましたのでな」「ほほぅ、やりおるのぉ・・・こちら、奈良屋殿が店賃を集めれば良かろう」「確かに、奈良屋は大店で御座いますが香具師に対峙出来ませぬ」「それでは井筒屋がなくなれば出来ると言う事かな」「いいえ、別の香具師の元締めが狙いに参ります、間違い無く、太刀打ち出来ませぬ」「左様か、処で別の話も聞いたのだが、何でも跡取りは親父に似て悪どい様だが、部屋住みの次男坊は手習所を開き真っ当と言うておったがな」「はい、次男の藤次郎さんは出来た男でしてな、藤次郎さんが跡取りならば真っ当な店賃になりましょうなぁ、まぁ、詮無い話で御座います」「その藤次郎さんは何処で手習いをしておるかな」「増上寺子院の常光寺(じょうこうじ)で手習所を開いているとのことですな」「その寺は、この近くに御座いますかな」「藤次郎さんに何か御用が御座いますのでしょうか」「いや、何、少々尋ねたき事が御座いましてな」「何で御座いましょう、あぁ、これは失礼申しました、常光寺は少々離れております、未申(ひつじさる=南西)に向かった、荏原郡(えばらぐん)上大崎村で御座います、まぁ、一里程でしょうか、行かれますかな」「某は主殿の用心棒に御座る、半刻を超える刻を留守には出来ませぬ」「一刻や二刻位、留守にしても宜しいのではありませんか」「お足(給金)を頂く以上、徒や疎かには出来ませぬ」「う~ん、見上げた、お侍様で御座いますなぁ、ご立派で御座います、主も安泰で御座います。主を宜しくお願い申します」「確と(しかと)承って御座る、お教えて頂き感謝申し上げる、忙しい刻に刻を取らせて済まなかった」「いえいえ、お役に立てて何よりに御座います」番頭が店に戻り、平四郎とお峰は部屋に戻った。「鰐淵俊三郎殿と井上歳三殿がご一緒とは珍しいですな」平四郎とお峰が部屋で茶を飲んでいると、突然平四郎が言った。「本に、お珍しい事ですな、平四郎様、東西の柳生がご一緒とは」「気配が消せておりませぬか」天井裏から微かな声が問うた。「其方らが屋根に着いた時から気配が感じられたわ」「剣者は気配を消す事が難しい様ですね、平四郎様」「儂も苦労したものじゃ」「平四郎殿も気配消しには苦労なされましたか」「し申した、それよりも、良い処に来てくれた。我らは出かけたき処がある故、此処の守りを願いたい。良いかな、ご両者」「はい」「屋根にいて、この店の者たちを守って貰いたい。何も無ければ手出し無用に願う」「畏まりました。念の為に行き先をお聞かせ下さい」「口入屋・井筒屋の次男坊が寺子屋を営む荏原郡上大崎村の常光寺へ参る」「どれ程と思えば宜しゅう御座いましょう」「一刻で済むであろう、では、頼んだぞ」平四郎がそう言うと、天井裏の二人の横に平四郎とお峰が現れ、二人が驚く間に消えた。「俊三郎、我らが平四郎殿の様に成れるのは何時であろう」「歳三、唯々鍛錬あるのみじゃ、天狗様たちも最初から天狗様では無い、そうであろうが」「そうじゃな、しかし、儂は以前よりも数段強うなったと思うがな、まだまだの様だ」「目指す御仁がいる事は幸いな事じゃ」「そうじゃな、じゃが、余りにも高みの方じゃがな」「儂は、まずは平太殿を目指しておる」「儂もじゃ」四半刻も掛からずに平四郎とお峰は荏原郡上大崎村に着いた。二人は「めし・酒」と書かれた提灯が掲げられた店に入った。「親父殿、飯と菜と茶を二人分頼む」「へ~い、菜は煮物で宜かろうか」「魚はあるかな」「イワシとアジとサバが御座いますじゃ。イワシは酢漬けと干物ですじゃ」「アジは焼き物かのぉ~」「はいですじゃ」「お峰、儂は焼きアジにするが、其方はどうするな」「私もご相伴させて頂きます」「親父殿、飯と菜と茶に焼きアジを付けてくれぬかな」嫁と思われる女子が茶を持って来た。「へい」親父の声が奥の調理場から聞こえた。「其方が女将さんかな」「へい」「この辺りの常光寺と言う寺を知らぬかな」「あぁ、この先を半丁程行った左に御座います」「おぉ、左様か、ありがとう」二人は店で焼きアジと煮物で飯を二杯づつと少し抑えて食べ、お峰が勘定を払い店を出た。平四郎とお峰が常光寺の門を潜り、脇の道を進んで庫裏の前で足を止めた。「頼もう、頼もう、御免下され」「障子が開き、僧衣の坊主が顔を覗かせた。「何様かな、お侍様」表の方から小僧が走って来た。「和尚様、申し訳御座いませぬ、お客人に気が付きませんでした」「良い、良い、この御仁は気配を感じさせぬでな、詮方ない(せんかたない)無い事じゃ」「気配を消されておられますか」「其方も見習う事じゃな、して、お侍、何様かな」「こちらに藤次郎と言う手習いの教授方が居られ様か」「藤次郎さんに何様かな」「少々尋ねたき事が御座ってのぉ、申し訳御座らぬが、何かは申し上げられませぬ、お許し下され」「気配を感じさせぬ御仁に何をしても無駄だ事ですな、左の食堂においでなさる」「忝い、参ります、お邪魔を致しました、お詫び申します」「世のお侍が皆、其方の様に礼儀が良ければのぉ」「失礼、仕った」「其方、隣の娘子を嫁になされ」「・・・そのつもりで居ります、本人が良ければですがな」「どうじゃな、娘子」「私もそのつもりで居ります、ありがとう御座います」二人は一瞬見つめ合った後、和尚に深々と礼をし、その場を離れ本堂の反対側へ回った。本堂脇に入ると真正面に障子を開け放した部屋が見え、中には子供たちが習字をし、若い男が見て回って、子供に何かを教えていた。男は二人に気づいたのか、二人の方を向き、廊下に出て二人が近づくのを待った。「藤次郎殿かな」「はい、私が藤次郎ですが、何か御用ですか」「少し、お時間を頂けようか、其方だけと話をしたいのだがな」「お茶を飲む時間程でしたなら、今でも良いですが」「お願い申します」「暫し、お待ちを」藤次郎は部屋に戻ると子供たちに言った「休みの時間じゃ、手を休めなさい」。「では、庭を歩きながらで宜しいですか」「はい、結構です」平四郎と藤次郎が並んで庭を歩き、後ろにお峰が付いて歩いていた。「藤次郎殿、門前町から離れた処を選びましたかな」「・・・」「稼業が、お嫌いな様だのぉ」「・・・」「だがな、稼業が悪い訳では無い、香具師の元締めでも真っ当な者もおる、其方の家族を悪く言うて、申し訳無いが、親父殿と兄者が悪いだけだ。其方が元締めとなり、真っ当な稼業をすれば良いでは無いかな」「・・・私には後盾が御座いませぬ、私には力がありませぬ、後ろ盾が無ければ太刀打ち出来ませぬ。私は暴力は嫌いです、剣も体力もありませぬ」「体力、剣技は鍛錬すれば良い、一番大事なのは胆力に御座る、其方には悪を憎む心と胆力が御座る。力による後ろ盾は某たちがなろう」「失礼と存じますが、お二人では我が家の与太者、浪人どもに太刀打ち出来ますまい」「其方が跡継ぎを引き受け、善行に徹すると申されるならば、某たちが其方の家におる与太者と浪人者を退治致そう、どうじゃな。稼業を引き受けるかな」「・・・本当にお二人で退治できるのですか、お仲間がいるのですか、私は出来る事なら真っ当な香具師の集まりにしたい」「其方は己を鍛える覚悟がおありかな」「体力、剣技ですか」「それだけでは御座らぬ、座禅を組み心も鍛えねばならぬ、覚悟はおありかな」「・・・私の取柄は諦めが悪い事です、やっとう(剣術)を習おうと何軒かの鍛錬所を回りましたが、町人の私を受け入れては頂けませんでした」「町人を受け入れてくれる鍛錬所があると申したら入るかな」「はい、通います」「そこは其定其処ら(そんじょそこら)の鍛錬所とは違う、厳しい、非情に厳しいぞ、耐えられるかな」「申しました様に、私は諦めの悪い男で御座いますし、一度決めたらやり遂げねば気が済まぬので御座います。きっと耐えて見せます。それは何処の鍛錬所で御座いましょう、お教え下さいませ」平四郎がお峰を見て頷いた、お峰も小さく頷き返した。「藤次郎殿、其方は橘道場を知っておるか」「あの大試合の勝者、次席の鍛錬所で御座いますか、ですが、南北の奉行所のお役人が門弟と聞いておりますが」「そうか、そんな話が広まっておるか、だがな、橘道場には町人も百姓娘もおるぞ」「百姓娘もで御座いますか、まさか、いくら何でも、それは御座いますまい、その話は何処からで御座いますか」「但し、門弟では無い、館長と師範の仲間、家族じゃ」「其方様は何故に橘の内情をご存じなので御座いますか」「儂も仲間、家族に決まっておろうが」「それでは、私もお仲間に加えて頂けますので」「厳しいぞ、そして約定して貰わねばならぬ事がある。例え身内にも我らの事は内密にする事、我らとの約定を第一とする事・・・出来るかな」「・・・約定致します」「良し、其方は今日只今より我らの仲間、家族じゃ」平四郎は着物の上半身を開ける(はだける)と腰の晒を解き重しを少し外し、藤次郎に渡し、袖を捲り晒を外し重しを少し渡し、足首の晒を外し重しを少し渡した。「これらの重しを着けて日々を過ごしなされ、上に晒を巻き誰にも見られてはならぬ。その重しに慣れた頃に増やす重しを渡す、某か仲間の者が重しを渡しに来る、待たれよ、もし其方に刻があるならば橘道場に参られよ、重しも渡すし、剣術の基もお教えしよう」「はい、精進致します、其方様のお名をお聞かせ下さい」「おぉ、失礼致した、某は岩澤平四郎と申す、後におるはお峰殿に御座る。我らは奈良屋の用心棒として潜り込んでおる、会うても知らぬ顔を忘れぬ様にな」「はぁ、承知致しました」「話はそれだけじゃ、教授に戻られよ」「失礼致します」藤次郎は重しを懐に仕舞い手習所へと戻って行った。その日から、藤次郎の動きが重く遅くぎこちなくなった。平四郎とお峰は裏道を走り、神田・奈良屋へ戻り、屋根裏に現れた。「変わった事は無い様だの」「はい、御座いませぬ、誰も部屋へ参ってはおりませぬ」「ご苦労様でした、ありがとう、鰐淵殿、井上殿、龍一郎様には藤次郎殿を仲間にした、とお伝え下さい、故に今の一家を潰します、と」平四郎とお峰が部屋の中へ消えた。「平四郎様、今の一家を何時潰しますか、藤次郎様が育つのを待ちますか」「いや、それでは刻が経ち過ぎようでな、ニ、三日内には終わらせたいものじゃな、どうだな、お峰殿」「結構です、私は今日と言うのでは、と思うておりました」 <つづく>
2025.11.03
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<神田の口入屋・井筒屋>-----#334「平太、佐助と八重の技量の伸びは良い」此処は神田の材木商の奈良屋の平四郎とお峰に割り当てられた部屋だった。「はい」天井から平太の返事が聞こえた。「だが、お糸とお春はまだまだ早いのぉ、気配が消せておらぬし、ミシミシと音もするでな。並みの武家ならば良いが優れた武家にはまだまだ不足じゃ」「はい、屋根上に留めて置きます」「鈴と夏には屋根の上もまだ早い、のぉ、お峰殿」「はい、お前様」「技量の見立てに厳しい平太がどうしたな、龍一郎様の許しを得ておろうな」「はい、龍一郎様には私の判断で良いと言われております」「うむ、ここは材木商、用心棒もおらぬで良いがな、侍のおる処は止めるのじゃぞ」「はい、心得ております」「平太、其方に願いがある、香具師の元締めの口入屋・井筒屋藤兵衛と上の倅の探索を願う。次男の探索も願う、部屋住みの次男が我らの仲間と成りうるかが知りたい。皆で話したように親父と上の倅を排除し、下の倅に一家を任せたい故にな、任せて良いかな」「畏まりました、香具師の元締めなれば浪人者が多数おります故、私とお雪の二人で参ります」「願おう」平太はお糸とお春に奈良屋の屋根で待つ様に言うとお雪、佐助、八重と一緒に口入屋の井筒屋へ向かった。お糸とお春が平四郎の屋根裏からお鈴とお夏が待つ奈良屋の屋根に着くと、そこに平四郎が現れた。「其方ら暇だと言うてうろうろするで無いぞ、じっと一か所に留まるも鍛錬じゃ、回りの人々の気配を探る鍛錬もする事じゃ、刻を無駄にせぬ様にのぉ、平太とお雪が戻るまで、じっとしておれ、良いな」「はい」四人から一様に返事の頷きが返ってきた。その途端に平四郎の姿が消えた。「平四郎様の様になれるかのぉ~」「それよりも、あたいは、お雪ちゃんに追い付く事じゃと思うとります」お糸の言葉にお夏が追従した。神田の元締め・口入屋の井筒屋藤兵衛には家族に女将と跡継ぎの若旦那・藤一郎と部屋住みの次男・藤次郎がおり、配下には与太者が三十六人、用心棒浪人が八人おり、女中が四人いた。平太とお雪、佐助、八重は口入屋の隣の家の屋根の軒下にいた。「平太さん、広い家ですね、多人数がいて守りが固いです、でも、凄腕はいない様ですが違いますか」「佐助さん、何処にどの様な職の人がいるか、解りますか、皆も気を探って見なさい」四人だけに聞こえる極々小さな声で話していたが、暫く、沈黙の時が続いた。「佐助さん、其方が一番、気の練りが足りません、まずは其方が答えよ」「気の凄く荒い者が一人おります、やはり凄腕の人の気を感じません、後はお酒を飲んでいる人が多くて、気が荒れています。少し怯えた女衆が四人います」「八重さん、付け足す事、違う処はありますか」「はい、気の凄く荒い人ですが、本当は臆病な様です」八重からの返事だった。「お雪、どうかな」「はい、配下に女中が四人、用心棒浪人が八人、与太者が三十五人、佐助さんが言った、臆病な凄く気の荒い男は跡継ぎの若旦那です、用心棒の中の一人は私と対等かそれ以上の技前の人です、与太者は人数が多いだけで私でも勝てる技前です、が、なにせ人数が多過ぎます」「だそうだ、私が付け足すとすれば、用心棒の中の強い一人に私は勝てる一対一ならばな。それから、与太者は三十五人では無い、三十六人だ、一人は寝ている。女中たちは嫌々仕事をしている、但し三人だけだ、一人は若旦那と恋仲だな」「どうして、そこまで解るのですか、平太さん」「二人が廊下ですれ違った時に二人の気が変わったんだよ、残りの三人の内の一人がどうもな、店を嫌ってはいるが、何か気が他の二人と違う様だ、何故かは解らぬ。それから与太者は剣技は無いに等しいが、それだけに剣をむちゃくちゃに振るう故に思わぬ処から思わぬ風に振るう、気を着ける事だ、弱いからと言うて気を抜いちゃならない、与太者も用心棒も気配を感じる力は無い、無いが用心棒どもは仕事柄であろが殺気は感じる者が多い、皆も殺気、怒りの気を出してはならぬ、八重、其方は怒りの気が出易い気を付けよ、ほれ、儂の今の言葉だけで怒りの気が漏れてるぜ、俺と雪が探索に行くからよ、お前らは、ここに居て気を探る訓練をしていな、家の中だけじゃねい、回りの家と通りの気も探れ」平太が言うだけ言うと雪と共に消えた。「平太さん、言葉使いがいろいろで、与太者になったり、武家になったり、町人になったり、どれが本当なんだろう」八重が独り言の様に漏らした。「舞さんが言ってた、皆はいろいろな変装をするで、いろいろな言葉使いを覚えているんだそうだで、出るんで、なかろうか」「平太さんは江戸の生まれだで、里の言葉は難しべな、あたいらは地で行けるべ」「だけんど、江戸言葉の方が大変だ、舞さんは武家言葉も話すんだぞな」「さあ、気配を探る鍛錬をするべ」「おぉ」平太たちが立ち去った後、奈良屋の屋根でも同様な話がされていた。「平太さんは、私たちと年が余り変わらないのに凄いです」「お雪ちゃんも里生まれなのに江戸言葉を話すし、気の練りも気配探りも凄い」「舞様はそれに武家の言葉も使こうとるべ、舞様の話ではいろいろな人に変装するんで、いろいろな言葉と仕草を覚えるそうだ」「貴方たちは江戸言葉を覚えるのが大変でしょうが、私は江戸の生まれ育ちだから里言葉を覚えないとね」お夏を除いた、お春、お糸、お鈴の三人は平太とお雪の話を続けていた。「お春様、今は気配の鍛錬の時間です」「そうですね、でもお夏さん、私に様はいりません、お春でも良いですが、家に戻った時を考えるとお春さんが良いと思います」「はい、お春さん」「では、皆で気配の鍛錬をしましょう」平太と雪は、口入屋の屋根で再度、気を探った。「平太さん、寝ている人が三人になりました、近場だと気配が解り易いです、用心棒が一人、与太者が二人、寝込みました、男たちは皆、お酒を飲んでいます、奥の座敷にいるのは、主の井筒屋藤兵衛と女将さんと若旦那と一人の用心棒ですね、用心棒の頭でしょうか、一番剣技が高い様です」「お雪ちゃん、気配探りの力が伸びましたね、それで一番の用心棒は我らが天井裏に行っても気付かぬと思いますか」「今は酒に酔うておりますし、武家は殺気に鋭いですが、殺気の無い者がいる事には気が付かない者が多いです、あの者も気を受けるだけの様です、どうでしょうか、平太さん」「はい、私もそう思います、では、まずは与太者が大勢いる大広間に参りましょう」「はい」二人は戸が開けっ放しの台所の出入り口からそっと入り天井の板張りの無い暗闇に潜み、十分に眼を暗闇に慣らし隣の部屋の天井裏に潜り込んだ。話を聞いていると、その部屋は新参者の与太者と用心棒として雇われた者たちの泊まり部屋だった。平太とお雪は、新参者たちからは何も聞けぬと隣の部屋の天井裏へ移った。隣の部屋は大広間で与太者と浪人たちが酒を飲んでいた。わいわいがやがやと、幾つもの集まりで話をしている様で話柄を聞き分けるのは難しいことだった。「どうだい、聞き分けられるかい、お雪ちゃん」「難しいです、平太さんは簡単そうですね」「まだまだです、三郎太さん、お佐紀様のようには上手く聞き分けられませぬ、龍一郎様には遠く及びませぬ、龍一郎様は全てを聞き分けます、信じられません」「どの様に、何を鍛えれば良いのでしょうか」「龍一郎様は、鳥を手や肩や頭や膝に乗せ休ませます、気で眠らせる事も出来ます、眠らせるのは鳥だけではありませぬ、首筋に手を置くだけで人も眠らせます。座禅を極め心を無にする鍛錬をすると成れるとの事です」「剣術、体術、身体を使うだけでは無く、座禅で心も鍛えるのですね」「そうだ、お前の気の練りでは、ここの様な大人数の時は良いが奥の少人数のそれも剣の使い手がいる時には危ないぞ、お雪」「はい、精進致します。奥の武家は強いですか」「お前はどう感じる」「剣の腕は同じでしょうか、凄い自信の気を感じます」「どうだ、弱点、欠点が解るかい」「気配でけでは解りません」「それが弱点なんだよ、雪があいつの気配を探れるのにあいつは雪の気配を感じていないだろ」「あぁ、そうか、そうですよね、あたいの、私の攻め時が解らないのですね」「そう言うこと、でも、あいつは少々強い、ここの奴らは何も知らないや。じゃあ、ゆっくり、じっくりと奥へ行くとするか、侍の気配が変わったら直ぐに逃げるぜ、暫くじっとしていて、気配が戻ったら逃げるぞ」「はい」平太を先頭に雪が続き、ゆっくりじっくりと奥へ向かった。下の部屋から声が聞こえた。「先生、今度雇った浪人さんと渡世人とぐれ者は如何ですかな」「あの浪人はこれまでの中では使えるな、渡世人はまだ解らぬ、ぐれ者は場慣れしておる」「今回のは、まぁ、ましな奴らって事ですな」「これまでの使えぬ奴はどうする御積りかな」「剣の腕がなくったって数がいりゃあ、相手もびっくりしますぜ」「そりゃそうだ、脅しにはなるわな。また、脅して店賃を上げるのであろう」「へい、そのつもりてせさぁ、手下を増やしましたんでね」「あれ程増やして何をするのだな」「島を増やしたい、広げたいと思いましてなぁ」「何処の島を狙っておるのかな」「お藤、何処だったかな」元締めの藤兵衛が嫁のお藤に尋ねた。「あたしゃ聞いていないよ、藤一郎、お前聞いているんだろ」「あぁ、この間、言ってたのは上野の東照宮門前って言ってたぜ、上野を取ったら次は浅草だって言ってたな」「おぉ、そうじゃ、そうじゃ、噂じゃよぉ、上野の蓑助と言う香具師の元締めの一家が潰れたそうじゅねいか、噂が本当ならよ、絶好の機会だと思わねいかい」「親父、でもよ、蓑助の処にゃ半端者と浪人が五十人以上いたはずだぜ。そんな組を簡単に潰せるとは思えねいけどな、先生なら出来ますかい」「五十人か、う~ん、そうだのぉ、どんなに弱くとも五十人では無理だな、気も力も尽きるでな」天井裏で聞いている若い二人は「にやり」と微笑んだ。「噂が本当なら、頂いちまおうぜ、親父」「良し、若いもんを上野へニ、三人やって調べさせろ、藤一郎、お前は皆に戦支度をさせろ」「只の噂だったら、どうするよ、無駄になっちまうぜ」「戦が始まるとなりゃ~よ、逃げ出す奴がいるぜ、それが誰か解るだけでも占めたもんだ、ねぇ、先生」「あぁ、いるな、ニ、三人は逃げるだろうぜ」「親父、噂が本当だったら何時攻め込むんだ」「本当なら、あの島の上がりは多いや、どっかの組が狙うに違いねぇ、早いもの勝ちだ、直ぐに行くぜ」「おぉお」天井裏では平太が首を振り、お雪が頷き、その部屋から離れた。二人は来た道を遡り香具師の元締めの家を出て隣の家の二階の軒下で佐助と八重と合流し奈良屋へ向かった。奈良屋の屋根の上で待っていたお春、お夏、糸、鈴に合流し、平太は平四郎だけに解る程の気配を出した。平四郎は部屋に、お峰と二人だけだったので平太が気配を出し、平四郎とお峰が直ぐに屋根に現れた。「ご苦労様でした、では、聞かせて貰いましょう、平太」「はい、お雪がお伝えします、店には二人だけで入りました」「浪人者は佐助と八重の気配を察する技量と言う事か」「用心の為です、中は台所、新参者の大部屋に多数、奥に主と女将と若旦那と用心棒頭がおりました。台所と大部屋は大丈夫だったでしょうが、奥の用心棒頭には多分駄目だったでしょう、それで、佐助さんと八重さんには屋根にいて貰いました。奥の部屋で元締めと倅の言葉では、上野を手に入れ、その後、浅草を狙う様です」「上野への時期は」「戻って来たのは、直ぐにも動きだしそうだったからです、ですから、次男の探索はまだで御座います」「上野へは行きましたか」「はい、こちらへ戻る途中で短い間ですが見て参りました、店筋には、それらしい輩はおりませんでした」「ご苦労でした、芝の方はどうですか」「一家には泊まり込みで入り込めたのですが、まだ口入屋には手を付けていません」「どうしたな、清吉殿とお駒殿ならば、直ぐに探索すると思うたのだが」「はい、私もそう思うていましたが、親父が松吉一家が芝を任せるに相応しいかを見るのが先の言いますんで、そちらを先にしてします」「成程のぉ、清吉殿も考えが深くなった様じゃな、お駒殿は如何申されたかな」「はい、おっかぁは直ぐにも口入屋の探索をと思うていた様ですが、親父の言葉を聞いて考えを変えた様です、平四郎さんは、どう思われますか」「清吉殿の申される通りで御座る、松吉一家が良い一家でのうては肩入れも出来ぬでな」「どっちにしても店子に悪さをする口入屋は潰した方が良いでしょう」「まぁ、その様だのぉ」「では、私たちは龍一郎様にお知らせして、芝に戻ります。龍一郎様にお伝えする事は御座いますか」「神田の材木商の奈良屋に住み込みで入り込めたとだけ知らせてくれぬか」「承知いたしました、では」平太とお雪たちが部屋から消えた。<つづく>
2025.10.25
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<火消しの寄合 揚羽亭>-----#333茂左衛門が暖簾を潜り、左に引き戸を開けると板の間に若女将が座っていた。「いらっしゃいませ、お待ち申しておりました。茂左衛門様、皆様がお待ちで御座います」「おぉ、私が待つつもりでおりましたが、最後になりましたか、申し訳ないことです」「さぁ、どうぞ、お部屋は、何時ものお座敷で御座います」「大女将は元気ですかな、若女将」「はい、壮健で御座います。お気遣いありがとう御座います」廊下を歩きながら話をし、奥の座敷の廊下に着いた。「皆様、奈良屋茂左衛門様がお着きで御座います」「おぉ、見えられたか、茂左衛門様、お元気そうで何よりで御座います」芝の呉服商・越後屋太左衛門が迎えの言葉を述べた。「皆さま、遅くなりまして申し訳御座いません」「お共の方は隣の部屋でお待ち下さい、宜しいですか、茂左衛門様」若女将が平九郎へ声を掛けた。「はい、このお侍は平九郎様とお峰様です、私と同じ料理を頼みますよ」「畏まりました」若女将の揚羽は平九郎と名乗る平四郎とお峰を初めて会う様に応対した。「こちらで御座います、お茶を直ぐにお持ち致します」揚羽はそう言って、隣の座敷の障子を開けた。二人は部屋に入り座ると若女将の揚羽が小さな声で言った。「上手く入り込めた様ですね、平四郎様、お峰様」「はい、ですが、まだまだ、任の始まりに過ぎませぬ」「はい、ご検討をお祈り申します」「ありがとう」「では、ごゆっくり」隣の部屋では会合が始まっていた。「鳶の頭から火消しの組を作ってくれぬか、との願いがありましてのぉ」「そちらもですかな、こちらは大工の棟梁からもでしてな」「お奉行様にお願いしてみてはどうかな」「それは良い考えだが、何方かお奉行様と面識は御座いますかな」「・・・」「・・・」「何方もおられぬ様だ、まぁ、そう言う儂も無いがな」「加賀屋さんか能登屋さんなら先の大試合と競い合いで勧進元になっておるで面識があるのではないかのぉ」「おぉ、それは良い考えかも知れませんな」「何方が加賀屋さん、能登屋さんにお願いに参りますかな」「・・・」「・・・」「・・・」「私が参りましょう」「おぉ、奈良屋さんが行って下さるか」「お願い致しますぞ」「頼みましたぞ、奈良屋さん」「願いには参りますが、受けて下さるとは限りませんぞ」「まぁ、それはそうだか、何もせぬよりは良かろうでな」「頼みます、奈良屋さん」後は噂話や四方山話になった。半刻程経った頃、何処かの座敷が騒がしくなった。刀を左手に持った平九郎とお峰が障子を開き廊下に出た。寄合席の人たちも気が付いた様で障子が開いて顔を覗かせた。寄合は離れで行われていて、騒ぎは本館から聞こえた。離れから見える座敷の障子が開き、酔った武家が怒鳴っていて、女中が座敷で頭を垂れていた。見ていると奥から大女将と若女将が現れて女中を庇う様に大女将が武家と女中の間に立ち、若女将が女中を立たせて廊下に出し事の成り行きを聞き奥へと向かわせ、大女将の後に控えた。「其方がここの女将か」「はい、左様で御座います」「この店では、客を粗末に扱うのか」「その様なことは御座いません、お客様が第一で御座います」「儂は恥を掻かされた、どう致すつもりじゃ」「私どもの者がどの様な不始末を致しましたでしょうか」「儂が酌をしろと言うたら断りおった、この店はその様な躾をしておるのか」「いいえ、お酌は駆け付けの一杯と決めております」「何故じゃ、ここは料亭であろう酌をするのは当然であろう」「いいえ、お侍様、ここは仰る通りに料亭で御座います、色街、花街では御座いません、女衆のお酌を御望みならば、そちらへお出で下さい」「大女将、そちらのお客様が、うちの者を抱き寄せ酌を迫った様で御座います」大女将の後に控えていた若女将が武家にも聞こえる様に大女将に伝えた。「お聞き頂けましたでしょうか、うちは料亭で御座います、お武家様は花街へ行かれた方が宜しいのではないでしょうか」「煩い、女中の分際で武士の儂を袖にしおって、恥を掻かせおった、この始末どうしてくれる、この代金は無しに致せ」「それが、狙いですか、お代はしっかりと頂きます、お引き取り下さい」「女将のお前まで武士の儂に恥を掻かせるつもりか」「武士の恥と申されましたか、料亭でお代を払わぬことこそ、武家の恥で御座いましょう。川越藩の方と申されましたな。川越藩では、この様なことを推奨なされますか」「何じゃ、この店は女中から女将まで武士を馬鹿にしおって、許せぬ」武士は右では無く、左に置いていた刀を左手で持つと立ち上がり、鞘に右手を乗せた。もう二人の武家も刀を手にし立ち上がった。「無粋なお侍様ですね、まぁ、始めから、只酒を飲むつもりだった様ですね」「そんなことは、どうでも良いわ、帰るぞ」後の二人に呼び掛けると刀の柄に手を掛けたままに前に出ようとした。その時、大女将が右手を後に回し帯の間から小太刀様の木刀を出して正眼に構えた。「何、女将、お前が立ち会うと言うのか」「はい、ですが、ここは座敷で御座います、私の後の庭でお相手致します。私に勝ちましたなら、お代は払わずとも良う御座います、但し、私が勝ちましたなら、先ほどの女衆への見舞金として一割増しでお支払い下さい」「儂は木刀ではないぞ、真剣じゃぞ」「はい、結構で御座います」大女将がそう言うと、若女将は廊下を入口側へと移り、大女将は白足袋のままに振り向きもせず庭に降り、間合いを取る様に後に下がった。「女、止めておけ。命が無いぞ」「へぇ~、店に入る時に刀を右手に持つ礼儀も知らぬ者が武士と言えましょうか、座敷に座るおりも刀を右に置かぬ者を武士と言えましょうか」「ぬかしたな、手打ちにしてくれるわ」「相手の気配も解らぬ、其方様の腕前では相手に成りませぬ、お一人ですか、お二人でも三人でも宜しいですよ、揚羽、其方も鬱憤が溜まっておりましょう。後の二人を譲りましょう」「ありがとう御座います、御受け致します。母上、詰まらない相手ですが少しは鬱憤が晴れましょう」揚羽も右手を後に回すと小太刀様の木刀を出し正眼に構えて、白足袋のまま庭に降りた。後の二人の武士も足袋のままに庭に降りて刀を抜いて、揚羽に対峙した。暫く、無言の時が過ぎた。「どうしたのですね、そちらが参らぬならば、こちらから参りますよ」「ええい、それ以上言うで無い、死ね~」武士が叫ぶと同時に刀を振り上げ前に出て振り下ろし、後の二人も揚羽に向かって刀を振り下ろした。大女将のお高と若女将の揚羽は稽古の時と同じ様に、何の気負いも気配も見せずに相手の刃を引き付けるだけ引き付けて右に身体を交わすと小太刀様の木刀で相手の刀の柄本を叩き刀をおると、次に相手の髷を切り落とした。三人の武家は折られた刀を呆然と見つめ、髷が切られたことに気が付くと「あぁ~」と叫び、頭を抱えた。その頃には、店に来ている客と店の者たちが全員廊下に出ていて、この光景を見ていた。大女将と若女将の二人は木刀を持ったままに三人の武家が落ち着くのを待っていた。「さて、お武家様、約定通りに一割増しでのお支払いを願います」「は・は・払う、払うが今日のことは内密に願う、頼む」「はい、私どもはお客様第一ですので、漏らすことは致しませぬが、回りを見て御覧なさい、これだけのお客様が御覧になっております、人の口に戸は立てられぬ、と申します」三人の武家は回りを見渡し大勢の客と店の者たちを見渡し、がくりと首を垂れた。先頭の武家が懐から巾着を出し中から二分金を出すと廊下に置き、廊下に上がろうとした。「お武家様、廊下が汚れます、足袋を脱いで廊下にお上がり下さい」三人は言われるがままに素直に従い足袋脱ぎ、廊下に上がると玄関に向かい素足で草履を履いた。その後を着いていた、これも素足の大女将と若女将が玄関の板の間に立ち見送った。三人の武家は持っていた手ぬぐいでざんばら髪の頭を隠して去って行った。二人の女将は内庭の見える廊下に戻るとまだ廊下で成り行きを見守っていたお客様を見渡した。「本日、お出でのお客様に申し上げます。大変、お騒がせ申しました。事は済みましたので、ごゆるりと酒食をお続け下さい」直ぐに誰かが手を叩き、二人の女将の働きに賛辞を送り、皆が続いた。二人の女将は深々と頭を垂れ、賛辞に答え、暫くして廊下を歩き奥へと消えた。「大女将は武家の出かな」「聞いたことも無いな」「儂も勝てぬ、二人の女将の腕前は凄いのぉ」「木刀で刀を折りおったぞ。儂には出来ぬ」「良いものを見せて貰った、今日はお代をはずみましょう」「二人の女将は慣れたものじゃったのぉ、初めてではなかろう」いろいろな座敷で二人の女将が話題となっていた。火消しの寄合いの席でも、二人の女将が話題になっていた。「二人の内の一人でもうちの店の守りに雇いたいものです」「儂の処でも浪人さんを雇いました」「そちらもですか、私の処でも雇い入れました」「うちは商いが商いですので以前から用心棒を雇っております」「腕前の方はどうですかな」「何でも以前は橘道場に通っておったと言うております」「橘道場ですと、今は通ってはおらぬのですかな」「何でも免許皆伝と言うことでしてな」「橘道場で免許を出すなど聞いたことも御座いませんがな」「言われれば無いな、騙されておりますかな」「うちの店では用心棒を雇うてはおりませんでしたが、今日、雇い入れました、隣の座敷におります。珍しいのですが、夫婦で御座います」「夫婦は珍しくはないでしょう」「それがですな、お内儀も剣を使うそうです、それで二人を住み込みに致しました」「大丈夫ですか、盗賊の引き込みと言う者では無いのですか」「私の見立てでは、人品が良ろしいのです。信用致しました」「こっちの腕前は如何ですかな」両の腕を前に出して剣の構えをして見せた。「私の眼の前に懐紙を出しまして宙に放り上げ畳に落ちた時には四枚になっていました、刀を抜いた風には見えませんでした」「こちらの女将とどちらが強いかの」「剣の腕前など比べるものではありませんぞ」奈良屋が皆を見回して言った。「女将は隣のお武家様を見てはいないが、隣のお侍様は女将さんを見ています。お侍さんは比べられるのではないですかな」「そうです、そうです」「そうじゃのう」「奈良屋さん、隣のお侍さんに聞いて下さいな」「その様な失礼、無礼なことは出来ません」「では、私が尋ねてみます、隣のお侍様、お侍様」最後は大声で隣の平九郎を呼んだ。隣との襖が開いて平九郎が顔を出した。右手には刀を持っていた。「奈良屋殿、其方様の庇う気持ち受け取った。ここにいる皆様の奈良屋殿を気遣う気持ちも解り申す」平九郎は座ったままに懐から懐紙を一枚出すと宙に放り上げた。畳に落ちた時には、今度は八枚になっていた。無論、皆には刀がきらりと光ったと解っただけだった。他の座敷の人々の話し声が遠くに聞こえるだけで、この座敷は静まり返っていた。暫く経って一人が声を漏らした。「奈良屋さん、良い御仁を見つけられましたなぁ~」「うん、うん」「失礼を致しました」平九郎が突然の剣劇を詫びて襖を閉じた。「何方か、刀を抜いたのが見えましたかな、私には光が見えただけでした」「私は光も見えなんだ」「何故に先の大試合に出なかったのでしょうな」「あのお侍様は二十番には入れると申しました」「二十番ですか、あの腕前でもですか」「剣術とは難しい、奥が深いものですな」この日の寄合いは奈良屋が加賀屋か能登屋を訪れることと寄合いの会の員数を増やすことが決まった。皆が共の者を連れて駕籠に乗る者、共の者と歩いて帰る者に分かれた。奈良屋は待たせていた駕籠に乗り脇を平九郎とお峰が従い店への道を進んだ。奈良屋への帰り道は大通りを通るので襲われる心配は無いと予想された。だが、それは、後もう少しで店に着くと言う処で起きた。覆面をした渡世人風の男たちと、これも面体を隠した浪人風の武士たちが駕籠の前後を塞いだのだ。平九郎は駕籠を下駄屋の店前に移し平九郎が後の人数の多い方に対峙しお峰は後を守った。通りを歩いていた人たちが叫びながら遠くに離れて行った。「お峰、人様のご迷惑になるで早々に始末致そうぞ」「はい、旦那様」駕籠の前で待ち構えていた渡世人の男たちの右上腕の骨を砕き、浪人者たちの右上腕と右肩の骨を砕き武士としての命を絶った。駕籠の後では、お峰が男たちに同様の仕置きをしていた。あっと言う間に二人は前後の男たちを叩きのめし、痛みで呻き声を響かせていた。「駕籠の中から覗いていた奈良屋は、余りの二人の強さに驚き、二人の駕籠舁きも驚きに舁き棒(かきぼう)を倒してしまっていた。平九郎が駕籠舁きの二人に声を掛けた。「駕籠舁き殿、店は直ぐそこじゃ、早々に送られよ」「へ・へい」「へい」二人は舁き棒を拾い上げると、呼吸を合わせ駕籠を担ぐと走り出し、直ぐに店に着いた。騒ぎにほぼ全員が店の前に出ていて、主を迎えた。「お帰りなさいまし」全員の大声が町内に響き渡った。<つづく>
2025.10.12
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<材木商・奈良屋>-----#332 神田の材木商の奈良屋の敷居を女連れの浪人者が跨いだ。 「頼もう」 「いらっしゃいませ、えぇ、お侍様が材木屋に何の御用で御座いましょうか」 「こちらで用心棒をご所望では御座らぬかな」 「用心棒で御座いますか」 「左様、主殿に尋ねてくれぬか」 「尋ねずとも、うちには用心棒などに用は御座いませぬ」 「番頭殿、そう申さずに、一度だけで良い、主殿に尋ねてくれぬか」 「・・・解りました、一応尋ねて参ります」 「忝い、番頭殿」 番頭は主に尋ねたふりをして戻ろうかとも思ったが、主の座敷の廊下に行き声を掛けた。 「旦那様、ちょっと宜しいでしょうか」 「なんですね」 「只今、浪人者が店に参りまして、用心棒に雇ってほしいと申しております、如何致しましょう」 「用心棒などに用は無いと言わなかったのですか」 「申しました、申しましたが、再度の願いでして」 「お前は二度頼まれると受けるのですか」 「いいえ、それが、その浪人はお内儀連れで御座いまして」 「何、お内儀連れですと、それで人品はどうですな」 「はい、着流しで古いものですが綺麗に洗われております、月代も綺麗に剃られ、髭もありません」 「お前が見て、使えると思うたのですね」 「はい、剣の腕前は解りませんが、人柄は良い様に思いました」 「解りました、こちらへお通ししなされ」 「えぇ、こちらへで御座いますか、客人用の座敷では」 「こちらへと申しました」 「はい」 番頭は信じられぬ思いであったが、主の言うがままに奥座敷へ二人を案内した。 店に戻ろうとする番頭を主が止めて、座敷に座らせた。 廊下に座した浪人が挨拶した。 「突然の訪いに応じて頂き、忝う御座います。某、岩見平九郎と申す、隣は妻のお峰に御座います」 「丁重なる挨拶、ありがとう御座います。さぁ、お入り下さい」 「失礼致す」 平九郎と名乗る浪人が主の前に座った、が、妻女はそのまま廊下に座っていた。 「お内儀もお入りなされ」 「では、お言葉故、失礼致します」 お峰も座敷に入り、平九郎の斜め後に座った。 「実を申しますと、丁度、用心棒をと考えておりました。これは店の者にも話してはおらぬのですが、つい先日、駕籠に乗る私を襲う者がおりました。折よく、本城と申す北町の同心が通り併せてお助け下さいまして、難を逃れました。その様な訳で外でするおりに誰かをと思案しておりました。失礼とは存じますが、剣術の腕前をお聞きしても宜しいですかな」 「剣の腕前は己で申すものでは御座らぬが、しいて申せば、先の大試合の二十人には残れるかも知れぬ」 「お強いですな」 平九郎は懐から懐紙を一枚出して眼の前に投げ上げた、畳みに落ちた時には四枚になっていた。 主と番頭が驚き、眼を見開いた。 「其方様が、先の襲撃者ならば、私の命はありませんでしたなぁ~」 「某は人を殺める事はせぬ」 「では、私が其方様に同道を願い、そのおりに襲われましたなら、どう致しますかな」 「その者が武家で無ければ、右上腕の骨を折ります、その者が無頼の者であれば、右の足の骨も砕きます、その者が武家であり、改心の情が見えねば右の肩の骨を砕き、刀を振れぬ様に致しまする」 「うむ、ある意味、死ぬよりも辛いかも知れませんな」 「成程、某は温情のつもりであったが、そうかも知れませぬな」 「可笑しなご浪人さんじゃ、それで月々、幾ら御所望ですかな」 「雇って下さるか」 「働いて頂きましょう、お住まいはどちらですかな」 「我が侭申す様で御座るが、こちらに泊めて頂けると嬉しいのですがな」 「宜しう御座いますとも、ですが、夜中に閂(かんぬき)を外して盗賊仲間を引き込むのことは、御座いませんかな」 「某はその様な者では無い。と申しても、まだ、信用して頂くのは無理な様ですな」 「初日で信用する程の馬鹿では無いでな、この店は夜の番がおりましてな、気を着けなされよ」 「夜の番人は十人以上でしょうかな」 「十人以上ですと、どうなりますかな」 「騒ぎが他の者に聞こえて仕舞います」 「ほう、では、十人ですと、騒ぎなど起こさずに眠らせられると申しますので」 「左様」 「その際には、御新造殿もご一緒ですかな」 「いや、いや、妻に手伝って貰えば十五人でしょうな」 「旦那様、十八人とおっしゃって下さい」 妻女のお峰が訂正を願った。 「おぉ、済まぬな、其方の技量を誤っておった」 「可笑しな、ご夫婦ですな、良いでしょう。番頭さん、部屋へ案内をお願いしますよ」 「はい、旦那様、失礼ですが、先ほどの話は真で御座いますか」 「あぁ、襲われた話ですか、真の事です、先日、北町へ土産物をお頼みしましたでしょう」 「はい、あれが助けて頂いた方へのお礼で御座いましたか」 「そうです。お前は相手の名を知らなかったのか」 「申し訳御座いません。見ずに手代に申し付けました」 「良い、良い、ちゃんと届けたのなら良い、さぁ、二人を御案内しなされ」 「はい、畏まりました。お二人さん、こちらへどうぞ」 番頭が二人を奥の部屋に案内した。 岩見平九郎を騙る岩澤平四郎とお峰が割り当てられた部屋で茶を飲んで休んでいると、廊下に手代がやって来て告げた。 「失礼致します。旦那様がお出かけです。付き添いを願っておられます」 「承知致しました」 平九郎が刀を右手に持ち、お峰は手ぶらで立ち上がり、手代の後に続いた。 手代は店へ向かわず、主の座敷に向かった。 座敷の前の廊下に主が立って待っていた。 「おぉ、お出で頂けたか、急で申し訳ありませんな、火消しの寄合いに呼ばれましてな。お付き合い下さい」 「その寄合いは、何時も急なのですかな」 「寄合いの時に次の日を事前に決めるのですが、何だかんだと日延べしてしまいます」 「何時も、同じ刻限、同じ処ですかな」 「時刻はまちまちですが、処は同じ、料亭・揚羽亭ですな、ですが、今、評判の船宿・駒清にとの声がありましてな」 「ほほぅ、食通ではない、拙者も知っておる有名処で御座いますな」 「はい、皆、大店の主ばかりでしてな、舌が肥えておると自慢としておるのです」 「拙者には、羨ましい限りで御座る。奈良屋殿の他の方々は何方で御座ろう」 「そうですな、京橋の呉服商・大和屋善兵衛様、神田本石町の両替商と質商の伊勢屋彦左衛門様、浅草の材木商・山城屋藤右衛門様、深川の材木商・中川屋与兵衛、芝の呉服商・越後屋太左衛門様、上野の材木商・三河屋伝右衛門様ですな、今の処ですが、徐々に増えておりましてな」 裏口を出ると町駕籠が待っていて材木商の奈良屋茂左衛門が乗り走り出した。 普通の人の歩きよりも少し早い歩きだったが平九郎とお峰にとっては楽な歩きだった。 東海道を進み、能登屋の角を曲がり、左に曲がり揚羽亭と書かれた「たそや行燈(たそやあんどん)」別名、行燈(あんどん)看板の前で止まり、 茂左衛門が駕籠を降り、銭を払った。<つづく>
2025.10.05
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<三人の修行>-----#331佐紀は道場へ向かっており、門を潜るとお勝婆に「ご苦労様です」と声を掛け道場の入口に向かった。「お帰りなさい、奥様、あぁ、旦那様、お客様で御座いますかいの」「いや、客では無い、お勝殿」「へい」お勝婆は龍一郎の言葉に掃き掃除を続けた。佐紀は式台に上がると三人に「上がりなさい」と声を掛け、龍一郎が上がると自分と龍一郎の草履の向きを変えて揃えた。それを見た吉三が自分の草履の向きを変えて揃えた。勇吉と増吉は「ふん」と鼻で笑った。道場内には珍しく、双角と慈恩、料理の弟子の双子の葉月と弥生もいた。この日、師範代を勤める平四郎が龍一郎と佐紀に気が付き、座っていた見所下から立ち上がり入口に歩いてきた。「師範、新たな弟子ですかな」「いや、いや、佐紀の実家へ参ったのじゃが、佐紀の兄者の素行が良くなってな。両親は喜んでおった。だが、昔の悪友がまたぞろ悪の道に誘うそうでな、その悪友が考えを変えてくれぬかと思うてな」「左様で御座るか、して、その三人が悪友ですな、顔が腫れあがる程に殴りますか」「「なます」にして川に投げ込みますか、裏庭に埋めますか」一緒に来て横で聞いていた弥生が言った。「弥生、それでは死骸が残ります、薪と一緒に燃やして骨を砕いて川に捨てましょう」「お姉様、それが良いですね」「お前たち二人は可愛い顔で言うから、なおのこと怖いぞ」「二人は洒落では無く、やった事がありそうで怖いぞ」慈恩と双角も横で聞いていて葉月と弥生に言った。「焼いた骨を川に捨てた事はありません、ねぇ、お姉様」「他はあると言う事ではないか、そのうちに詳しく聞きたいものじゃ」そんな龍一郎の仲間たちの話を聞きなが三人の若者は肩を寄せ合って振るえていた。「それだけ苦しく辛い思いをして来たと言う事じゃ、儂は何をして来たと聞かされても驚かぬな」「龍一郎様も武者修行の八年の年月に、同じような事がありましたか」「無い、とは言えぬな、双角殿」「慈恩さん、双角さんも旅をなさっておられます、似た様な事は無かったのですか」「無い、とは言えぬ、弥生さんや」「私も、無い、とは言えませんな」「まぁ、狡いわ、双角さんも慈恩さんも」三人の若者は、益々、小さくなり固まって振るえ出した。「平四郎殿、お糸、お鈴、お春、お夏と一緒に三人を鍛えてくれまいかのぉ」「承知しました、こちらに来なさい」三人を竹刀が掛けられた壁へ連れて行った。龍一郎に背負われた龍之介が先ほどから、葉月と弥生を見つけ「だぁ、だぁ」と言っていた。「どうした、お前たちも食べろ」昼前の道場鍛錬を終えて、龍一郎の仲間、家族と三人の若者たちが囲炉裏を囲み昼餉を食べていた。三人は囲炉裏を囲む顔ぶれに萎縮したように箸を持ったまま、囲炉裏を囲む人たちに見回していた。この日は館長・小兵衛と妻女・久、龍一郎と妻女・佐紀、平四郎とお峰、慈恩と双角、葉月と弥生の双子の姉妹、糸と鈴の姉妹、春と夏の娘、お勝婆に今日は珍しく北町奉行所の同心・本城鐘四郎と南町奉行所の与力・浅井十兵衛が揃って昼餉を食べに来ていた。三人は囲炉裏の回りの顔ぶれに驚いていたが、皆の食べっぷりにも驚いていた。大きな丼の山盛りの飯をぱくぱくと食べ、皆が御変わりをしていて、可愛い顔をした双子姉妹も男たちに負けずに大飯食らいだったからである。流石に仲間になったばかりのお糸、お鈴、お春、お夏はそれほど多くは無かった。再三に渡り「食べろ、食べろ」と言われ、三人も飯を口に入れ、汁を啜り、思いの他、腹が減っていたのか、ばくばくと食べ始めた。「どうじゃな、身体を動かした後の飯は旨かろう」昼餉を食べ終わり、皆で茶を飲んでいる時に、龍一郎が三人に尋ねた。「へい、はい、旨かったです」「其方らが、今日やったのは、剣術の初歩の初歩の初歩のと、初歩が二十個位付くものじゃ」「三十であろう、龍一郎」「其方ら二人掛かりでも、そこの双子の一人を相手に服に触ることさえも出来ませぬ」珍しく、お久が話に割り込んだ。「そうじゃな、最近、頓(とみ)に強うなった。気配を御するのも上手くなった」「ありがとう御座います。館長」「傲る(おごる)でないぞ、鍛錬に勤めよ」「はい、私には目指すお方がおりますので、傲り、自惚れはありえません」「うむ、良いことじゃ、其方らの成長が、そのお方の励みにもなろう」「はい、目指すお方が、お目出たで御座いますので、追いつくことは出来ませぬが、少しでも差を縮めたいと思います」「卑怯な考えではあるが、良き考えとも言えるのぉ、女衆は、おめでとうと言いながらも、皆がそのように考えておろうな」「お前様、それは当然のことです、皆、毎日、少しでも佐紀に近づきたいと思うておるのです」「龍一郎、処でこの三人をどうするつもりなのじゃな」「其方らは、二、三日、家を留守にすることはあるかな」「無い」「無い」「勇吉、増吉、嘘を付くのは、もう止めろ。この人たちに嘘を付いても無駄だってのが、まだ解らねいのか。儂らは二、三日処か五日、六日も帰らぬことがあります・・・で御座います」吉三が勇吉、増吉を嗜め言い直した。「では、ここに泊まり暫く修行じゃ」勇吉、増吉はうんざりしたように俯いたが吉三の眼は生気に溢れていた。「お勝殿、若者ら三人を寝間に案内してくれぬかな」「はいよ、何処にすべいかの、奥かの、お長屋かの」「奥は女衆だけじゃ、長屋で良かろう。まぁ、夜中に逃げようとするであろう。やって見れば無駄と解ろう」「解りましただ、若旦那様、さぁ、行くぞ、お若いの」お勝婆は立ち上がりながら三人に呼びかけた。お勝婆の後を三人が立ち上がり歩いて行った。「あの三人は今晩、逃げるかの、龍一郎」「えぇ、間違い無く」「どうするのですか、龍一郎様」「逃がしはせぬ、平四郎殿、父上」「其方に任せる、儂はゆっくり眠りたいでな」「お任せ下さい」「身重の佐紀に負担を掛けないで下さいね」「はい、母上」「もう、良いんじゃないのか、勇吉」「増吉、勇吉、止せ、無駄だって」「こんな夜中だぜ、誰も起きちゃいないぜ」「そうだ、そうだ」「そうかい、やってみるんだな、俺りゃあ寝るよ」「行くぜ、 勇吉」「おぅ」増吉がゆっくりと表戸を開けて、左右を確かめて、後の勇吉に頷いた。二人が外に出て、門へ向かって歩き出した。「おぉ、こんなに早くから道場で修行かな、感心、感心、儂が見守るでな、さぁ、参ろう」龍一郎が二人の間に入り、二人の肩に手を回し道場へと向きを変えた。吉三は六つに眼を覚ますと増吉、勇吉が見えなかった。吉三は二人が無事に家に帰れたのかと、一瞬、一緒に行けば良かったかと思った。外から剣術の掛け声が聞こえたので、吉三は部屋にあった手ぬぐいを持ち顔を洗い、道場へ向かった。入口から中に入り大勢が竹刀や木刀を振るっているのを眺め回すと、直ぐ横の入口の右隅で 増吉、勇吉がふらふらになりながら竹刀を振っていた。「おぉ、吉三殿、参られたか、そろそろ起こしに参ろうと思うておった、其方も、そこの竹刀を持って、一緒に稽古しなされ」「はい」吉三は素直に竹刀を持ち二人に並んで竹刀を振り始めた。その日から七日後の薄暗い早朝、道場の門の前に三人の若者と龍一郎が立っていた。「其方らの修行は終わりじゃ、帰って良い、寿一郎には近づくでない。さらばじゃ」増吉、勇吉は振り向くと走り去って行った、だが、吉三は立ったままだった。「龍一郎様、戻って来ても宜しいでしょうか。無論、親の許しは貰って参ります」「構わぬ、但し、厳しいものとなると覚悟して参れ」「はい、では、失礼申します。後ほど」「待っておる」吉三は振り向くとゆっくり歩いて行った。<つづく>
2025.10.04
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<三人の悪友>-----#330 この日、龍一郎と佐紀はゆったりと歩き佐紀の里帰りに向かった。二人の間には龍之介がよちよちと歩いていた。 二人が店の前に着くと、店の前を掃いていた小僧が「お嬢さん」と叫び、店の中に飛び込んだ。 「番頭さん、お嬢さんが戻られました」 「何ですと」 番頭は叫ぶと同時に立ち上がり奥へと知らせに行った。 「旦那様、女将様、お嬢様が戻られましたぞ」 隣家にも聞こえるかのような大声で叫びながら廊下を奥へと走って行った。 番頭が奥の座敷に着く前に座敷の障子が開き、主が飛び出し番頭を押しのけ店へと向かった。 座敷から女将がゆっくりと出て来て店前へ歩いて行き、その後から番頭が店へと戻って行った。 佐紀が龍之助の手を引いて店の敷居を跨ぎ、龍一郎が続いた。 三人が店に入ると店の板場に主と女将と番頭がにこにこ顔で立っていた。 「佐紀、良う帰った、良う帰った」 「龍之介、婆の処へおいで、おいで」 女将が両手を広げて、待ち構え、そこに向かって龍之介がよちよちと歩いて行った。 女将は龍之介を抱きしめ頬擦りを繰り返した。 「父上、母上、ご無沙汰をしておりました」 「無沙汰をお許し下さい」 佐紀と龍一郎が長く尋ねぬ詫びを述べた。 「さぁ、さぁ、上がった、上がった」 「失礼致します」 そう言って龍一郎は式台に登ったが佐紀は実家だけに無言で式台に登り、二人の草履の向きを変えた。 龍一郎は佐紀を待ち、佐紀を先に立たせ後に続いた。 女将が台所に顔を出し「お道、お客様です、茶を二つ頼みます」と言った。 座敷に五人が入り、定位置の上座に主が座り、その斜めに女将が座り、主の正面に佐紀が座り、斜め後に龍一郎が座った。 「佐紀、久しく顔を見せなかったね」 「母上、申し訳も御座いませぬ」 「責めているのでは、ありませんよ。龍之介に会いたければ、道場に行けば良いのに行かぬ、私たちも悪いのですから」 「父上、その後、場所代の集金はありませんか」 「あの後、ありませんよ。御蔭様でね」 「それは良う御座いました」 「佐紀、昼餉を一緒しましょうね」 「はい、兄者はお元気ですか」 「寿一郎は奥の部屋で手慰みをしておるようだ。あいつにあのような才があるとはな」 「それほどの物ですか」 主の鳩衛門は横の煙草入れを佐紀に渡した。 「それも寿一郎の作りだ」 佐紀は上や下をじっと眺め、龍一郎に渡した。 暫く、龍一郎が眺め、鳩衛門へ戻した。 「素人の手ではありませぬ、見事な品です」 「龍一郎様からのお言葉なれば、もう間違い御座いませぬ。実はこの品物で加賀屋、能登屋様との商い勝負に勝ちを得ました。さる藩の取引きを引き受けることになりました」 佐紀は喉まで出かかった「松前藩ですね」の言葉を飲み込んだ。 「それは、良い知らせで御座います」 「それも龍一郎様の一喝の御蔭で御座います。あれ以降、寿一郎の行い、物言いが少しずつ変わりましてな、今では、すっかり昔の面影はありませぬ、ですが以前の悪友が時折訪ねて参ります。今の所、寿一郎は応じておりませぬがな」 「何処の何者ですか、父上、困り事では御座いませぬか、お知らせ下さい、と何度も申しておりましょう」 「こんな事で、其方の手を煩わしてもと思うてな。龍之介もおるからのぉ」 「うちには子守りが大勢おります」 「寿一郎を訪ねて訪ねてまいるのは米屋・伊勢屋の二男・増吉、酒屋・吾妻屋の次男・吉三、味噌屋・越後屋の三男・勇吉の三人だ」 「伊勢屋、吾妻屋、越後屋ですね、何れもこの近くですね」 「そうじゃ、遠い店でも大体五丁程の処かのぉ、どうするのだな、佐紀」 「何も、ただ、兄さんに近寄るな、と言うだけですよ」 「頼むよ、折角、立ち直ったからのぉ」 「それで、手慰みは良いとして、店の跡継ぎの修行は如何ですか」 「まぁ、そっちの方はぼちぼちと言う処じゃな」 「父上が息災ですから良いのですがね」 「おぉ、儂はまだまだ息災じゃ、寿一郎の備えが出来るまでは死んでたまるもんですか」 「もの気持ちが大切です、父上。処で知らせが御座います・・・龍之介に弟か妹が出来ます」 「おぉ、佐紀」 「佐紀、真ですか」 「はい、真です」 「それで、男か女か」 「お前様、まだ解りませんよ」 「おぉ、そうじゃな、嬉しゅうてのぉ」 「喜んで貰えて嬉しいです」 「婿殿、ようやった。でかした」 「ありがとう、御座います。某も女子が生まれるのは嬉しゅう御座います」 「そうか、やはり、嬉しいことじゃ、う~ん、今、女子と言うたか、女子なのか」 「はい」 「何故、解るのかね」 「女子を望んでおるからで御座る」 「おぉ、婿殿は女子がほしいのか、そうか、そうか」 「父上、母上、御名残惜しゅう御座いますが、この後、行く処が御座います、これで失礼致します」 「まだ、来たばかりではありませぬか、そうだ、龍之介を置いて行きにされ」 「母上、母親の育てが大事と言うたのは母上では御座いませぬか」 「それは、そうなのですが・・・」 「お前の負けじゃ」 「お前様」 女将は名残惜しそうに龍之介を佐紀に戻した。 「では、父上、母上、失礼致します」 「失礼致しまする」 辰巳屋を出て暫く歩いて龍一郎が佐紀に尋ねた。 「伊勢屋、吾妻屋、越後屋の何処へ最初に行くのかな」 「吾妻屋で御座います」 直ぐに「酒屋 吾妻屋」 と書かれた看板を掲げた店に着いた。 佐紀は迷うこと無く、店の敷居を跨ぐと店内に入ると番頭と思しき奥に座る男に呼びかけた。 「こちらの次男の吉三さんはおられますか、おられたら、呼んで下さいな」 番頭は話掛けた女衆の余りの綺麗さに言葉を忘れていた。 「吉三さんを呼んで下さいな」 「あ・はい、どの様なご用件で御座いましょう」 「はい、お願いしたいことが御座いましてね」 「お事付けでしたなら、手前が承ります」 「お心使い、ありがとう御座います、ですが、ご本人にお伝え致します」 「おい、政吉、吉三様を呼んできなされ」 「へい」 小僧が奥へと歩いて行った。 「お嬢様、暫く、お待ち下さいな」 奥から生意気そうな男が現れた。 「おい、藏三、俺に何の様だ」 「いいえ、吉三様、私ではありませぬ、用がお有りなのは、こちらのお客様で御座います」 少し怯えた声と態度で答えた。 「綺麗な女じゃねいか、俺に何の用なんだい」 「其方が吉三さんですね。其方はお客様に、いつも、その様な言葉使いと態度なのですか」 「お前が女だからだよ、それがどうしたってんだよ」 「其方は店の者ではのうて、何処ぞの一家の与太者の様ですね」 「へぇ、舐めた口をきくじゃねいか」 「其方など、舐めたくはありませぬ」 佐紀の言葉に店の皆が笑いを堪えていた。 「笑うんじゃねい」 吉三の一喝に店の皆が恐怖に顔が歪み俯いた。 「其方にお話があります、一緒、外へ出ましょう」 「話なら、ここで良いじゃねいか」 「いいえ、一緒に外でお話しましょう」 「いやだね、ここでしねいな」 「そうですか、私の姓名をお伝えしておりませんでした、私は橘佐紀、隣が私の旦那様の橘龍一郎です」 店の皆が驚きに顔上げ二人を見つめ、吉三は驚きの余り眼を見開いていた。 「いらっしゃい」 佐紀の優しいが威厳のある呼びかけに、吉三はびくりとし一瞬躊躇った後、上がり框(あがりかまち)を跨ぎ長式台に立ち草履を履いた。 佐紀が先に歩き、次に吉三が続き、後に龍一郎が続いた。 店の外に出て、その列のまま道を進むと何時ものように、佐紀の美貌と威厳に佐紀の前の道が開き、その空いた道を三人は歩いた。 佐紀が右の店前に立ち止まった。その店の看板には「味噌 越後屋」と書かれていた。 「吉三さん、勇吉さんを呼び出しなさい。言うまでも無い事ですが、逃げても無駄です。度胸があるなら、お試しなさい」 吉三が無言で素直に店に入って行った。 暫くすると横の小道の店の裏戸が開き、若い男の顔が覗き、左右を確かめると外に出て、後に吉三が続いた現れ、二人は裏道の方へ走りだした。 「何処へ行かれますか」 後から女の声が聞こえ、二人は立ち止まり振り向いた。勿論、声を掛けたのは佐紀である。 「逃げても無駄と申しましたよ、ほれ、向こうは旦那様が塞いでおります」 佐紀に言われた二人は振り向いて、今まで誰もいなかった処に龍一郎の姿を見た。 龍一郎がゆっくりと二人に近づくと押されるように、二人は佐紀の方へ項垂れて歩き出した。 「おや、おや、素直ですね、なんなら、木刀や刃物で向かって来ても良いのですよ」 二人は無言で佐紀の前に立つと、佐紀が振り向き歩き出し、表通りに出ると通りの真ん中を歩きだした。その後を不安を漂わせた二人の青年が続き、龍一郎が続いた。 次に佐紀が止まった店の看板には「米 伊勢屋」と書かれていた。 「吉三さん、増吉さんを呼んで下さいな」 吉三は今度も無言で素直に店に入って行った。 暫くすると吉三が一人で出て来た。 「留守にしているようです」 「旦那様」 佐紀が龍一郎に呼びかけた。 「座敷で酒を飲んでおったではないか」 龍一郎の言葉に吉三の眼が驚きに見開き、振るえ出した。 「吉三さん、嘘はいけません、もう一度」 最後は気を発し、吉三を振ら着かせた。 吉三が再度、敷居を跨ぎ店に入って行った。 再度の待ちに入り、待っている味噌越後屋の勇吉が逃げる素振りを見せ始めた。 「勇吉さん、逃げても無駄ですよ、其方よりも、旦那様の足の方が早いですよ、私もですがね」 勇吉は力が抜け、しゃがみこんで仕舞った。 少し、刻が経ったが吉三が増吉を連れて店を出て来た。 これまでと同様に佐紀を先頭を歩き、三人の若者が続き、最後に龍之介を背負った龍一郎が続いた。 佐紀の実家・辰巳屋の前を通った時に小僧が声を掛けそうになったが見慣れた若旦那の迷惑な三人の若者が続いているのを見て掛ける声を飲み込んだ。 佐紀はゆっくりと歩いているつもりだったが、三人の若者たちは早歩きから小走りに変わり、息も絶え絶えになっていた。 <つづく>
2025.10.03
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<佐紀の懐妊>-----#329「平太、浅草は片付いたのかい」 「おぉ、上野の蓑助一家は潰れたぜ、親父」 「お雪ちゃんも、働いたかい」 「ほとんど平太さんが相手を片付けました、私は少しだけです」 「お雪はまだ修行を始めたばかりですよ、これからです、辛くはないですか、お雪」 「はい、全然辛くはありません、今日の鍛錬で明日の自分がどうなっているかが楽しみです」 「それは良い心持ちです、皆もその気持ちです、一緒に精進しましょう」 「はい、おっかさん」 お雪はここでのお駒が母親なのでそう呼んだ。 「お雪、良い返事です、道場へ戻っても、おっかさんと呼んでも良いですよ」 「はい」 「おっか~、船宿・駒清は女将がいなくて大丈夫なのかい」 「葉月さんが、若女将を務めてくれてね、板長は正平がいるし、双角さんもいるからね」 「浅草で葉月さんと弥生さんに会ったぜ」 「おや、そうかい、二人もまだ慣れない勤めに鬱憤が溜まっているのかねぇ~」 「それでか、お佐紀様が名指しで仕事を振ったんだ」 「その辺は龍一郎様には解らないわね、まぁ、あの人は仙人だから普通の人の気持ちが解らないのさ」 そんな船宿・駒清では双角が葉月に尋ねていた。 「浅草は片付きましたか、女将さん」 「はい、勿論です、上野の蓑助一家は無くなりました。新たに上野を何方が仕切るのかですね」 「またぞろ、悪いのが出て来なければ良いがな」 「その時はまた、潰しましょう」 「今度は儂の出番を龍一郎様が作ってくれると良いがな」 「替わりの板前を育て無ければ無理でしょう」 「女将が主と芝に出張っていて、替わりの女将が一晩とは言え浅草に出張り、儂は板場か」 「板さんと女将の役目が違います、板さんはいなければ料理が作れませぬ、女将は挨拶が出来ないだけのことです。料理を作る訳でも、料理を運ぶ訳でもありませぬ」 料亭・揚羽亭の女将の部屋でも弥生が尋ねられていた。 「弥生さん、浅草は片付きましたか」 「はい、女将、上野の蓑助一家が無くなりました」 「次が何処の組が仕切りますかね」 「何処だろうが、悪けりゃ、龍一郎様が黙っちゃいないよ、揚羽」 「次は私の出番も作ってくれないかしら、龍一郎様は」 「揚羽様、私と葉月姉様の出番を下さったのは、お佐紀様のようです」 「そうですか、仙人か天狗の龍一郎様の弱みはお佐紀様でしたね、今度、お佐紀様に願ってみよう」 「お前様、次は芝ですかね」 平太、お雪、葉月、弥生の四人は持ち場に戻る前に道場に寄り龍一郎たちに知らせていた。 「龍一郎、儂にも働かせろ、毎日、鍛錬だけでは、呆けてしまうわい、のぉ、お久」 「そうですよ、龍一郎殿」 「父上、母上、今回の人選は佐紀で御座います」 「まぁ、佐紀、其方でしたか」 「はい、葉月さんと弥生さんは慣れない勤めで鬱憤が溜まっておるのではと思いました」 「成程、そうですね」 「母上には、お糸、お鈴、お春、お夏を育てる役目も御座います。お糸、お鈴、お春、お夏どうですね、辛いことはありますか」 「お佐紀様、慣れぬことばかりで御座います、疲れます、ですが楽しいです。お料理、お習字に読み書き、言葉使い、行儀作法、剣術、身体作り、毎日、自分が変わっていくのが解ります。楽しい、楽しみです」 「何が一番楽しいですか」 お糸は刀を構えるように両手を前に出して構えた。 「剣術です」 「ほほぅ、剣術が楽しいてか」 小兵衛が驚いたように声を出した。 「鈴さん、其方はどうですね、苦しいこと、辛いことはありませぬか」 「ありません、毎日三回も白飯が食える、いえ、食べられるだけで、お姫さんになったみていだ」 「鈴、言葉使いを直しなさい」 「お春さん、其方はどうですね」 「はい、毎朝、剣術の修行が出来るだけで、私は満足です。楽しいことばかりで、辛い、苦しいことなど何もありません。お佐紀様」 「お夏はどうですね」 「料理も手習いも行儀作法も教えて貰うて嬉しい、剣術が慣れぬで困っとるが楽しいですだ」 「辛くは無いですか、続けられそうですか」 「はい、なんも辛くはねいだ。それに、お春お嬢様には申し訳ねいだすが、親分の処は飯は三度、三度食べられて良いのだが、皆の言葉が怖かっただ、ここは、みんな優しいだ、お佐紀様」 「お夏、一つ年上だから、お夏さんと言うべきね、お夏さん実は私もあの家は嫌いです、皆の言葉も態度も荒いから」 佐紀と久は優しい眼で四人を見ていた、いや、五人だった、糸の膝の上で龍之介が眠っていた。 「旦那様、父上、母上、お知らせしたいことが御座います」 「何だな」 「佐紀、其方」 「はい、母上」 「何じゃ、何じゃ」 「お前様、子ですよ、佐紀にややこが出来たのですよ」 「でかした、佐紀」 「はい、私も嬉しいのですが、鍛錬を控えねばなりませぬ。それが辛い」 「全く、其方ら二人は鍛錬の虫じゃな」 「天狗の夫婦ですよ、お前様」 「確かに、天狗夫婦じゃな、お久」 <つづく>
2025.10.02
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<蓑助の打ち入り>-----#328 平四郎とお峰が源次一家に住み込んで三日後、割り当てられた部屋で午後の休憩を取っていた。 「平太殿、腕を上げられたな、お雪ちゃんはもう少しがんばらねばな」 「まだ、駄目か」 天井から平太の声が聞こえ、次の瞬間、部屋に平太とお雪が現れた。 「来るのかな」 「はい、今晩間違いなく来ます」 「支度をしておるだれでは無いのだな」 「はい、親分がはっきりと今晩、打ち入ると申しました」 「申す、か、悪人相手に申すは要らぬ、言うたで良いわ」 「はい、ご教授ありがとう御座います」 「それで何人かな」 「以前、俺が調べた時は配下に与太者が四十三人に浪人者が十二人だったんですがね、与太者が四十七人に増えて、浪人者が十五人に増えて、渡世人が十人増えたんですよ」 「何だと、こっちは若い者が二十二人しかおらぬのだぞ。何をしようと言うのだ」 「さぁてね、俺には解んねぇよ。念には念を入れてってやつですかね」 「それとも・・・」 「それとも、何ですか」 「儂が参道で勤番者を相手にしたのを見られたかのぉ」 「立ち会ったのですか」 「あぁ、鉄扇で刀を折ってしもうた。見られたかのぉ」 「きっと、それですよ」 「浪人らの腕前はどうじゃな、渡世人の中に上手な者はおるかな」 「浪人者に一人、他の者らと桁違いの者がいます、ですが、平四郎さんの相手にはなりません、渡世人にも一人浪人者よりも強いのがいますね、与太者は数だけですね」 「そうでは無いぞ、怖さを知らぬ者は無茶をするでな、思わぬ動きをする」 「そうですかね、昔の思い出でしょう。今の平四郎さんは大丈夫ですって」 「そうであれば良いがな」 「平四郎様、私たち二人で七十名を超える人たちの相手をするのですか」 「お峰殿は無理かのぉ・・・なら儂一人でも良いぞ」 お峰の驚きを含んだ問いかけに平四郎が答えた。 「平四郎さん、今、自分で言ったことを忘れちまったのかい、俺とお雪ちゃんが手伝うぜ」 「龍一郎様はどう言うかのぉ」 「龍一郎様は何も言わなかったが、どうせ、誰かを影に着けなさるだろうね」 「そうであろうな、あの方は我らの命一番の方だからな」 「だからよ、無理しちゃいけないぜ、平四郎さんよ」 「平太、お前は大人になったのぉ~」 「揶揄わないでくんな、じゃ俺らは消えるぜ」 平太とお雪が部屋から消えた。 「平太さんはどんどん大人になりますね」 「平太は幼さが残る頃に三郎太殿の直弟子となったでな、特別であろう」 平四郎とお峰は座敷に入った、だが、親分の姿は無かった。 暫く、二人で長火鉢の前に座っていると修次と一緒に親分が帰って来て、何時もの場所に座った。 「どうしなすった、平四郎様、御新造様」 「親分、修次殿、二人は上野の一家を御存じかな」 「上野と言っても広いや、何処の一家ですかね」 「修次殿、蓑助と言う香具師の元締めの処じゃ」 「権現様の処を島内にしている一家じゃなかったかな」 「そのようだ」 「それがどうかしましたかい」 「どうも、その一家がこちらを狙っておるらしい」 「何処からの知らせですかい」 「某の友の知らせでな」 「そうですかい、それにしたって、今日、明日の話じゃないでしょう」 「それがな、今夜らしい」 「本当ですかい」 「あぁ、本当だ、七十人程で来るらしい」 「そんな~、こっちは二十二人と用心棒が四人と平四郎様だけですぜ」 「なぁ~に、半分以上は与太者らしい、心配せずとも良い、某と我が妻とで足りることじゃ、知らせておるのは、慌てるでないと言うことでな」 「平四郎様が強いのは解っちゃいますが、七十人ですぜ、本当に大丈夫ですかい」 「な~に、刀を抜かずとも良いであろうよ」 「今までに経験がおありですかい」 「二十人程はあるな、七十人は楽しみじゃのぉ」 「親分、どうしますか」 「平四郎殿にお任せしよう、それ以外に手があるかい、修次」 「ありやせん」 「と言うことで、平四郎様、一家をお任せ致しますぜ」 「承った」 何も知らない配下の者たち二十二人と浪人用心棒四人がわいわいがやがやと夕餉を食べ終わり茶を啜っている時、そいつらはやって来た。 蓑助親分が七十余名の与太者、渡世人、浪人を引き連れて大通りを静かにやって来た。 店の前に立ち並び、裏と横手に散ろうとした時に大声が響き渡った。 「其方らが打ち入ろうとする源次一家の後見は橘道場が致してお~る。この一家に手を出す者は橘道場の敵と見な~す。それを承知の上で参られよ」 源次一家の家の中では何事かと玄関の戸を開け親分と修次を先頭に大勢が覗いていた。 玄関の外に平四郎とお峰が木刀を右手に立っていた。 先ほどの口上は何処かから龍一郎が響かせたものであった。 余りの大声に一家の者たちだけで無く近隣の家の戸口が開き、何事かと覗き、七十余人の戦さ支度の男たちに驚いていた。 「橘道場がなんぼのもんじゃ、こんだけの人数をお前ら二人で相手するってか、しゃらくせいや、皆、一挙に叩き潰せ」 「おぉ~」 与太者たち五十人が一塊に前に押し出した。 その時、ひよっとこ、と、おかめ、の面で顔を隠した小さな二人が平四郎とお峰の前に現れた。 「何だ、てめいら餓鬼が儂らの相手をしようってのか、う~ん、てめいらも橘のもんか」 「そうだよ、お前ら相手には、俺ら二人で十分だ」 「何を抜かしやがる、みんな、餓鬼だろうが、構わねい、やっちまえ」 その途端に面で顔を隠した二人の子供が消え、与太者たちの悲鳴が響き渡った。 叫ぶ与太者たちは皆が右手上腕の骨を折られ痛みに「のたうち」回っていた。 左右から倒されて行き、あっと言う間に真ん中の与太者の頭分一人になり、回りに「ぎゃ~」「ぎゃ~」「うぉ~」「うぉ~」と痛みに叫ぶ者で溢れていた。 「あ~、煩いなぁ~」ひよっとこの面で顔を隠した子供が言うと、また、姿が消えて倒れて叫ぶ男たちが静かになっていった。おかめの面を被った子供も消えた。 暫くすると痛みに叫んでいた男たちが気を失わされ静かになった。 消えた二人の面を被った子供が平四郎とお峰の前に再び現れた。 「橘道場を敵に回すとこうなります」 少年の声ながら、なかなかの大声が響き渡った。 「餓鬼の俺でもこんなもんだ、うしろの二人はもっと強いぜ、止めた方が良いと思うがね」 「餓鬼が相手で油断したんだ、おい、今度は油断しないで、やっちまいな」 渡世人たちが倒れている場所を避けて横に移動し、渡世人たちが前に出て来た。 その時、二人の子供の前におかめ、の面を被ったふたりの娘が現れた。 「あぁ、葉月さん、弥生さん、狡いよ、これから面白くなるのに~」 お雪が小さな声で抗議した。 「狡いのはお雪ちゃんの方よ、楽しみは皆でわれないとね」 「ぶぅ~」 お雪が脹れた。 「何をごちゃごちゃ、言ってやがる、おい、みんな早くやっちまえ、先生方の手を煩わせるんじゃねいぞ」 「へい」 「お姉さん、一人だけ、厄介なのがいますね」 「そうね、妹、他の先にしましょう」 その途端に二人の娘の姿が消え、渡世人たちも左右から倒れ出し、右手上腕が変に曲がり気を失って倒れて行った。 暫くすると倒れた男たちの真ん中に一人の渡世人がぽつんと立っていた。 その残された渡世人は後ずさりし、親分に近づき言った。 「親分、おりゃ、降りた、橘道場相手じゃ、勝ち目は無いぜ、銭はまだ貰っちゃいないんだ、じゃあな」 渡世人は親分と浪人たちから眼を離さずに後ずさりし始めた。 「おい、てめい、三度、三度の飯を食ったじゃねいか、てめいには義理、人情はねいのか」 「これの何処に人情があるんですかい」 渡世人は後ずさりを続け闇に消えた。 「あらあら、お利巧さんが一人いましたね、御浪人さん方も止めませんか」 「お嬢さん方、儂も正直な処、止めたいが、ここで逃げては商売にならぬでな」 浪人たちの頭分と思しき男が言い放った。 「お~い、そろそろ、儂らにも働かせてくれぬかな」 平四郎が平太、お雪、葉月、弥生の四人に話掛け四人の前に出た、お峰も横に並んだ。 「頭の方、其方は物の分別のある方とお見受け申す、どうだな、我らの仲間にならぬか」 「儂を橘道場に入れてくれると言うか」 「暫く、一緒に過ごして、其方の性根を見てからになろうがな」 「性根、性根とは何かな」 「某の見分は間違っておりましょうか、龍一郎様、お佐紀様」 「私もその者に素養があると見ました」 「私もです」 浪人頭がゆっくりと回りを見渡した。 「其方らの師匠殿かな、龍一郎殿とは、先の大試合の勝者の御仁かな」 「左様に御座る」 「あの御仁が源次一家の後見で御座るか」 浪人頭が後に首を回し、蓑助親分に言った。 「親分、止めにしなされ、橘道場が相手では三百、五百でも勝てぬ、止めにしておけ」 「何を抜かしやがる、この裏切り者が、先生方、まずはこの裏切り侍をやって下せい」 「其方、助成いたそうか、姓名を聞いて良いかな」 「助成の申し出、忝い。少々人数が多いが何とかなろう。某、足立雄二郎忠正と申す」 「多忙なる中、丁寧なる口上ありがたく存ずる、助成不要とのことなれど、我ら二人は何もいておらぬで、少々退屈でな、仕事をさせて貰う、ご迷惑かな」 「お好きなように」 「忝い」 「平四郎様、私たちも加えて下さい、渡世人十人、たったの十人だったんですよ」 「儂は構わぬが、足立殿が許して下さるかのぉ」 「構わぬ、但し、某の分を残して下され」 「承知しました」 「何をごちゃごちゃと抜かしてやがる。先生方、早くやっちまって下せい」 次の瞬間、平四郎、お峰、葉月、弥生が消え、浪人たちが倒れ、あっと言う間に一人の浪人しか立っていなかった。 立っているのは、浪人一人と蓑助親分だけだった。 「某の役目を残してくれて忝い、さてと、何と申したかな、其方」 足立と名乗った浪人が一人残った浪人に話掛けた。 残った浪人は刀の鞘を左手で持つと帯から抜き取り、地面にゆっくりと右に置き、胡坐に座った。 「何だよ、何だよ、七十人もいて・・・」 蓑助親分は振る後ずさりしながら言った。 「さてと、親分一人だ、どうするかな、お~い、そこで覗いている、源次親分と修次殿」 「平四郎殿にお任せ致しますです」 「左様か、足立殿、一緒に暮らした其方に尋ねる、この蓑助親分は改心するかな」 「無理でしょうな、仲間になりましたが、銭は一銭も払わぬ、銭に汚く、弱い者に強くでる、強い者は大人数で叩きのめす、とても性根が替わるとは思えぬ」 「左様で御座るか」 「待て、待ってくれ、頼む、待って下せい、お願いします。どうか命だけは」 蓑助親分が懇願した。 「右手、右足の骨を砕いて、真ともに歩けぬようにしなされ」 何処かから、非情な声が響いて来た、佐紀の声だった。 平四郎、お峰、平太、お雪、葉月、弥生は、佐紀からの、その非情な言葉に驚いた。 「平四郎殿、今の声は何方かな」 「其方が橘道場へ来るならば会えよう」 「儂が始末するか」 「いや、某の勤めで御座る」 足立と名乗った男は振るえる蓑助親分に近づくと峰に返した刀で右手、右足の骨を何度か叩き折った。 蓑助親分は「ぎゃ~」「ぎゃ~」と何度も叫んで気を失った。 「そこの浪人さん、あんた一人が無傷で残ったんだ、後始末を頼んだよ」 平太が一人残った浪人に命じた。 浪人は無言で激しく首を縦に振って了承した。 次の瞬間、平太、お雪、葉月、弥生の姿が消えた。 平四郎とお峰は振り返り、源次の店へ向かった。 戸の隙間から覗いていた源次と修次が戸を大きく開けて、二人が入り易くした。 二人が土間に入ると二十一人の配下と用心棒四人と女将さんが揃い、後の戸の両側に源次親分と頭の修次が立っていた。 「お疲れ様でした、どうぞ、奥で茶で喉の渇きを潤して下さい」 源次親分が至極、至極丁寧な言葉で平四郎、お峰を奥へと誘った。 「源次親分、修次殿、お聞きの通り、其方らの後見に橘道場がなろう。但し、悪さをせねばじゃ。悪しき行いを為せば、蓑助親分と同じ目に合うと心して置くことじゃ、良いな、我らの仲間は至る処におる、これも心して置け、では、さらばじゃ」 平四郎とお峰の姿が消えた。 「おい、修次、あの二人は二、三日、本当にいたよな」 「へい、確かにおりましたぜ、あの二人は今日のこの日の為に内に来てくれたんですかね」 「そうであろう、橘道場とは怖い処だ、強いばかりではないの、世情にも通じておるようだ。儂は平四郎殿に、御新造のお峰殿に情を掛けられたようだ」 「情を掛けられたとは、どう言うことですね、先生」 「切られもせず、骨も砕かれなんだ、お峰殿なら簡単なことであったろうにな、儂も精進しよう」 「あっしも、これまで以上に町人のために勤める、皆もそうしろよ」 回りの若者たちが大きく首を振り頷いた。 <つづく>
2025.10.01
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<浅草寺 参拝>-----#327店を出て右に進むと直ぐに左が仲見世通りだった。 「昔は雷門と呼ばれた山門があったそうですが、江戸の名物、大火事で焼けちまったらしいですぜ」 「ほほう、それは見ものであったろうのぉ」 「先を御覧なせい、大きな建屋が見えましょう。あれが仁王門ですぜ」 「おぉ、もう一つ御座るか。近くで見るのが楽しみじゃ、のぉ、お峰」 「はい、旦那様」 仲見世通りの両側に露天商が並んでいた。 修次が歩きながらいろいろと教えてくれた。 「店は大体が露天商でね、筵を敷いて品物を並べた店、茣蓙を敷いて品物を並べた店、板の上に品物を乗せた店といろんな店が並んでます。売られている物も様々でしてね、江戸や近隣の土産物、例えば笊(ざる)かぶり犬、これは竹製の笊をかぶった張り子の犬のでしてね。「竹」と「犬」を組み合わせると「笑」という字になる洒落から「いつも笑顔でいられるように」という願いが込められてる、と言うことらしいですわ」 「ほほぅ、修次殿は物知りじゃな」 「土産物にゃ他に「丸〆(まるしめのねこ)」と言いましてね、背中の腰あたりに、「〇(丸)」と「〆(しめ)」の文字が刻印されているんでさ、「丸〆」は、「金銭や福徳を丸く収め(せしめ)る」「福をひとりじめにする」ということらしいですぜ、まぁ、縁起の良い印ですな。見てくだせい、座った姿で顔は正面を向いていますが、体は横を向いています。首には鈴ではなくよだれかけを付けているでしょう。他は独楽(こま)と、だるま、ですな。米菓子や餅菓子を売ってる店もありやすぜ。他には櫛(くし)や簪(かんざし)、木製の玩具なんかも売られてますな」 「修次殿は本に物知りじゃ」 「実は親分からの受け売りでさぁ」 「左様か、じゃが良く覚えておるでは無いか、修次殿は物覚えが良いのぉ」 「褒められると調子に乗りますぜ」 「おぉ、もっと聞かせてくれ」 三人は両側の店を覗きながら参道を進み仁王門に着いた。 途中、店の者たちから修次への挨拶が何度もあった。 「うむ、見事な物じゃなぁ~」 「口開けている左が阿形像でしてね、力を発する様子らしいですな、口を閉じた右が吽形像でして、内に秘めた力を表しているそうですな。この仁王門は三代将軍・家光公が命じて建てられたとの事ですぜ」 三人は二つの像を前から横からと眺め門を潜った。 「仁王門から本堂側には役店(やくだな)の水茶店が二十軒御座います。何でも当初は境内の掃除をしていた者が「床店」をやっていたらしいや。まぁ、参拝客が休憩し、お茶を飲んで一服できる場所ですな。我々も後で茶でも飲みましょう」 水茶店は参拝客が休むための縁台を置き、日差しを遮るためによしずを立てかける程度の、簡易的な構造だった。 修次は二人を本堂前の煙が棚引き回りに人が大勢いる大きな壺に導いた。 「御覧なせい。皆が身体に煙を掛けておりましょう、常香炉(じょうこうろ)と言いましてね、煙を掛けた処の病が治ると言われていまさぁ、頭にかけりゃ、頭が良くなるそうですぜ」 「ほう、そうか、某は腕に掛けるか、修次殿は信じておらぬようだの」 「へい、あっしは神も仏も信じちゃおりません。てめいの行い次第だと思っておりやす」 「ほほう」 平四郎はお峰の方を向き頷くとお峰も頷きを返した。 平四郎とお峰が腕と頭に煙を何度も浴びせ、修次が後で見守っていた。 その後、本堂で平四郎とお峰が賽銭を投げ入れ参拝し、先ほどと同じように修次が後で見守っていた。 参拝の後、水茶屋の中でも一番大きな店に修次は二人を連れて行った。 「親父、加減はどうだい」 「おぉ、修次さんかい、腰の痛みは軽うなった、塗り薬をありがとうよ」 「な~に、薬のせいじゃないよ、親父の行いの賜物だぜ。団子と茶を頼むぜ」 横で聞いていた小娘が奥へ引っ込んで行った。 「儂の行いのかのぉ」 「あぁ、悪いことをしねいからだぜ、今日はよ、内の新しいお侍を連れて来たんだ。珍しいぜ、夫婦もんだ」 「この二人かね、強いらしいや、俺は見ていねいが、うちの四人の中で一番強い侍を簡単にやっつけたらしいや」 「ほう、このお侍はそげに強いかね」 「親父、それがな、やっつけたのは、御新造のほうらしいや」 「何~、お内儀もやっとう(剣術)をやりなさるか」 「そうらしい」 親父が疑わしそうに、お峰を見つめた。 奥から先ほどの小娘ともう二人の小娘が盆を持って戻って来て三人の横に団子の皿と茶碗を置いた。 「頂き申す」 「頂きます」 平四郎とお峰が団子を口にし、茶を飲んだ。 「旨い、団子じゃ、のぉ、お峰」 「はい、美味しゅう御座います」 「親父、旨いとよ」 「あったりまえだ、うちの団子は水茶屋で一番、いや、江戸で一番、いや、日乃本一じゃ」 「親父、そりゃ~、言い過ぎだぜ」 その時、常香炉当たりが騒がしくなった。 修次が立ち上がり、常香炉へ向かい、その後に平四郎とお峰も立ち上がった。 「お峰、其方は此処におれ、今度は儂の番じゃ」 平四郎が修次の後を追い、お峰は縁台に腰かけた。 常香炉の回りの人垣をかき分け修次と平四郎が前に出た。 そこには何処かの藩士、何処かの武家と何処かの組の者か、長ドスを腰に差した男が睨み合っていた。 「おい、お二人さんよ、ここは、眼の前に仏さんがいなさる処だ、争いは他所でやってくんな」 修次が二人に語り掛けた。 「邪魔立て致すな」 「邪魔すんじゃねい。どっかのよ田舎から出て来た勤番者が割り込んできやがったのよ」 「何を言うか、儂は確かに田舎から来た者だが何度も江戸に来ておるで、訛りなどなかろう」 「何遍来てもよぉ、勤番者は勤番者だ、世の理も知らねいじゃねいか」 「儂は武士じゃ、先が当然である」 「それが田舎者なんだよ。江戸じゃぁな。武士も理を守るもんなんだよ」 「待て、待て、そこの武家の方、其方、この先の事を考えておるのか。これだけの騒ぎを起こせば藩の名に傷が付こう。勝ってもな、負ければ、なおのことじゃぞ」 修次に替わって平四郎が声を掛けた。 「う~う~、煩い、儂が何処の藩の者か解るまい」 「其方は何れは藩邸に戻ろう、其方の後を着ければ良い事よ」 「儂が後を着けられる程の間抜けではねいだ」 「おや、おや、その訛りからすると下総か上総当たりですかな」 「うぬ~、黙れ、黙れ、お前を先に切る」 「おや、おや、矛先を変えますか。其方の腕前では某の足元にも及びませんぞ」 「何を抜かすか、お前などに師範代の儂が負ける訳も無い」 「ほう、師範代で御座るか、何処ぞの藩かは存ぜぬが、相手の気配も探れぬ技前の御仁が師範代しは何とも技量の低い藩ですな」 「我が藩を馬鹿にするか、許せぬ、お前には死んで貰う」 「だ・か・ら、其方の腕前では無理な話ですよ。某はこれで、お相手致そう」 平四郎は前帯に差していた扇を抜いて前に構えた。 「ぬぬ~、儂を相手に扇子で勝負するてか、馬鹿にしくさって」 勤番武士が刀を抜き正眼に構えたが、暫くして上段に変えた。 「どうなされたかな。切るのではないのか。其方が来ぬのなら、長引けば皆の迷惑じゃ、某から行くぞ」 「抜かせ」 勤番武士が上段に構えた刀を振り下ろしながら前に出て来た。 平四郎は引き付けるだけ引き付けて右に身体を交すと扇子を刀の柄本に叩きつけた。 勤番武士の刀が叩かれた処で折れ、手が痺れたのか勤番武士が刀を落とし両手を握りしめていた。 一瞬の静寂の後、回りで見ていた者たちから大歓声が上がった。 「何だ、お前はうちに入ったばかりの三次じゃねいか」 「はい、頭」 「おい、三次、長ドスなんぞ持って回るなと言っただろうが」 「へい、すんません、どうも、これがねいと気が落着きませんので」 「馬鹿やろう、何度言やぁいいんだ、慣れろ、短いドスでも懐に入れな」 「へい」 三次と呼ばれた男は懐の白鞘のドスを見せた。 「何だ、持ってるじゃねいか、それだけに慣れろ、良いな、今度見つけたら叩きだすぞ」 「へい」 「お前せいで、町の衆の評判が悪くなるんだよ。解ったな」 「へい」 「おい、そこの勤番侍さんよ、お前さんは師範代だってな、こんなざまじゃ藩に帰って話も出来めい、まぁ、大勢に囲まれた、なんてよ、嘘も良いがな。うちのお侍の腕前を見たろ、誰が何人来たって無駄だ。 さぁ、残りの団子を食べましょう」 修次は三次に耳打ちした後、団子屋へ歩き出し、平四郎も続いた。 「お侍さん、いや、平四郎さん、強いねぇ~、御新造さんより強いと言ったそうだが、強いね」 「相手が弱すぎるだけじゃ、あれで本当に師範代かのぉ、信じられぬ」 「今の武士なんて、大体がそんなもんですよ」 新しい茶を持って、主がやって来た。 前の茶碗を引き上げると新たな茶碗を三人の横に置いた。 「お侍、お前さん強いね、強い、お前さんなら今評判の橘道場の者にも勝てるね」 平四郎とお峰の眼が合い、微かに「にやり」と微笑んだ。 修次、平四郎、お峰が店に戻り、修次が親分に参道での騒ぎの話をした。 「おぉ、初日からの働き、ご苦労様でしたな」 「なんの」 「失礼します」 先ほどの三次が座敷に入って来た。 「勤番者ですが下総 の多古(たこ)藩の上屋敷に入りました」 「聞いたことも無いや」 「小石川西富坂上であったかな。藩主は松平氏ではなかったかのぉ」 平四郎が即答した。 「流石は、お侍さんだ」 「定かではないぞ」 「三次、小石川西富坂上からにしては帰りが早いな」 「へい、あっしは足が自慢です」 「ほぅ、そうかい、覚えておくぜ。長ドスのことは慣れろよ」 「へい、失礼しました」 「お侍、部屋でお休み下さい」 「そうさせて貰おう」 平四郎とお峰が立ち上がり、割り当てられた離れに向かった。 「どうだえ、あのお侍は」 「何がですかい」 「腕前は凄いが信用が置けるかということよ」 「まぁ、今の処良いと思いますがね」 「なら、安い買い物かもしれねいな」 「幾らですかい、と聞いても良いですかい」 「お前には言って置こう、月五両だ」 「他の四人には高過ぎるが、あのお侍さんにゃぁ、ちょいと安いかも知れませんぜ」 「修次、気に入ったようだな」 「へい」 こうして、平四郎とお峰も源次一家に潜り込んだ。 <つづく>
2025.09.30
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<浅草源次一家>-----#326龍一郎への探察の報の夕餉があった翌日の六つ半(九時)、香具師の元締め源次一家の敷居を浪人とその妻と思しき女の二人が跨いだ。 「頼もう」 「何だな、お侍」 式台に見張りに座っていた若者が尋ねた。 「儂を雇って貰えぬかと思うてのぉ」 「お侍、内には既に用心棒のお侍が四人おりますんでね」 「もう一人雇うても貰えまいか」 「親分に聞いてみなくちゃ解らなねぇ~な」 「では、尋ねてくれぬか」 「ちょっと待ってくんな」 若者が奥への引っ込んで行った。 もう一人の見張りの若者が侍を値踏みするようにみた後、隣の女に眼を移した。 暫くの静寂の後、奥から戻って来た若者が言った。 「親分は四人で良いとよ、だからよ、他の当たってくんな。悪いな、お侍さんよ」 「左様か、じゃがな某は、親分の良き評判を聞き、ここに決めたのじゃ。是非にも願いたい」 「ほう、内の親分の評判は良いのかい。嬉しいことを言うじゃないか。おりゃ気に行ったぜ。もう一辺聞いてくるからよ。待ってくんな」 「済まぬな」 「なぁに良いってことよ」 若者がまた奥へと向かった。 「お侍、奥方かい」 「左様、見目が良いであろう」 「あぁ、見目が良いぜ。旦那は幸せもんだな」 「うむ、儂もそう思う」 二人の会話に女は照れたように俯き顔が少し赤みを帯びた。 奥から中年の男が先ほどの若者と浪人者を従えて現れた。 「お前さんかい、用心棒になりたいってのは」 「左様」 「儂の評判でここに決めたってな」 「左様」 「かみさん同伴てのは珍しい御仁だの」 「聞いたと思うが、内にゃあ、もう四人もいなさるんでな」 「もう一人増えても良かろう」 「まあ、一人増やしても良いが・・・お前さん、強いかね」 「剣のことかな。まぁ、それなりにと言う処じゃな」 「先生、どう思いまいね」 親分が後に佇む浪人に呼び掛けた。 「親分は我ら四人では不足かな」 「いいえ、不足は御座いません、お侍、そう言う訳で他を当たってくれ」 「いいや、親分、儂はここに決めた。先生と言われた、おぬしは四人の中で一番強いのかな」 「何、儂と勝負しようと言うのか」 「しても良いが、其方は何番目なのだ」 「儂が一番だな。鍛錬所の師範代をしておったでな」 「ほう、では今も毎日鍛錬を欠かしてはおられぬのかな」 「儂ほどの技前になれば毎日の鍛錬などいらぬわ」 「左様か、親分、この者が一番強いのは間違い無いので御座ろうか」 「何が言いたいのだな」 「この者が一番では四人とも役には立たぬな」 「何をぬかす」 用心棒浪人が怒り刀の柄に手を掛けた。 「この者の相手など、某が相手せずとも某の妻女で十分じゃ」 「何~、儂の、元とは言え師範代であった儂の相手を女で十分と言うか」 「親分、この者を使えぬようにしても良いかな」 「お侍、本当に女子に相手をさせるのか」 「左様、良いかな、お峰」 「はい、旦那様」 「親分、土間を血で汚しても良いな」 用心棒浪人が刀を抜き、親分に許しを求めた。 「お侍、本当に良いのだな」 返事の替わりにお峰が前に出て、右手を後に回し帯の間から小太刀様の木刀を出した。 「おのれ~、儂を相手に木刀で勝負をするか」 用心棒浪人が土間に降りて刀を正眼に構えた。 二人はもう一歩踏み込めば死線を超える位置に立っていたが、お峰の木刀は右に垂れたままだった。 用心棒浪人は流石に師範代を勤めていただけあって気配を探れる様で相手が殺気も気配も発していないことに訝しさを感じていた。 「旦那様、どの程度にいたしましょう」 「そうじゃのぉ、この者はそれほどの悪人ではなさそうじゃ、今後も一家を守って貰いたいものじゃ」 「畏まりました。元師範代殿、来ないのでしたら、私から行きますが宜しいですか」 「・・・」 殺気も気配も発せずにお峰が一歩前に出た。 驚いた用心棒浪人は刀を胸前に刀を引き振り下ろした。 お峰は十分に刀を見て、右に身体を少し捻り刀を交わすと木刀で刀の柄元を叩いた。 刀が用心棒浪人の手を離れ土間に音を立てて落ち、用心棒浪人は手が痺れたのか両手を抱えていた。 「おぉ~」 「すげぇ~」 見物していた親分と若者から驚きの声が漏れた。 「お侍様、お内儀よりも、貴方様の方がお強いのですか」 親分の言葉使いが至極丁寧に替わった。 「無論じゃ、お峰、儂に勝てるかな」 「旦那様、私など足元にも及びませぬ」 「だ、そうだ、親分、で、どうだな、我らを雇うかな」 「はい、勿論で御座います。月に二両で如何で御座いましょう」 「何、二両とな」 「足りませぬか」 「いや、いや、十分で御座る」 「良かった、さぁ、奥へ上がって下さいませ。おい、足拭きをお持ちしねい」 親分が若者二人に命じ、二人は慌てて台所に走って行った。 用心棒浪人は、まだ胸に両手を抱えて痺れに耐えていた。 訪れた浪人者は平四郎で妻女はお峰だった。 源次親分が平四郎とお峰を座敷に案内した。 親分が座敷に置かれた長火鉢の向こうに座り、その向かいに平四郎が座り、少し後にお峰が座った。 「お侍様、お名前をお聞きして居りませんでした、お内儀をお峰と呼ばれましたが」 「某は元はある藩の藩士であったが訳あって、浪々の身となり申した。名は岩見平九郎と申す。我が妻は峰じゃ」 「丁寧なご挨拶、ありがとう御座いやす。先ほど申しました、お手当で御座いますが、五両に致します」 「ほほう~、値切るかと思うたが、上げてくれるか」 「へい、その替わりと言っちゃなんですがお内儀にも働いて貰いたいのですが」 「それは構わぬが、我ら二人は何時も一緒じゃ、離れるのは風呂と厠だけじゃ」 「お前様、そこまで言わずとも・・・」 「兎に角、一人では外に出ぬ」 「解りました。お二人には一部屋を用意させます。お~い、茶を三つ頼むぜ、客人が二人だ」 「は~い」 「こちらに住まいするのは何人で御座るかな」 「あっしの嫁と女中が三人と飯炊きの爺様が一人と若い者が二十二人でさぁ」 「子はおらぬのか」 「へい、残念ですが出来ねぇんで御座いますよ。平九郎様方もまだのようで」 「うむ、左様」 「失礼しますだ」 障子の向こうから声が聞こえ、小女が茶を乗せた盆を持って現れ、客の二人の前に茶碗を置き、親分の前の長火鉢の上に専用の湯呑を置き、それまで飲んでいた湯呑を引き上げた。 「失礼しましただ」 小女が障子を閉めた。 「一休みしなすったら、部屋へ案内します、その後、縄張りを見て頂きたいのですが、宜しいですかい」 「うむ、構わぬ」 「修次、修次はいねいか、修次を呼んでくれ」 「へい、親分」 「儂らに子がありません、修次に後を継がせたいと思っとります」 「ほう、左様で御座るか。孫の見込みも御座ろうかな」 「さて、修次に来世を誓った者がいるかまでは存じませんでね」 「親分、何の様でがしょう」 「こちらのお侍様を今日からこちらに泊まってもらうことにした。見ての通り夫婦だ、一部屋用意してくれ。 その後、うちの縄張りを見て貰ってくれねえか」 「あっしが案内しますんで」 「あぁ、手数だが半端もんじゃ無く、町人の受けの良い、修次、お前さんに頼むぜ」 「解りやした、今直ぐで良いですかい、親分、お侍」 「良いぜ」 「某も構わぬ」 「じゃあ、まずは部屋を見せましょう」 平四郎とお峰が立ち上がり、立ったままの修次に付いて行った。 廊下を進み、途中で右の渡り廊下へ進み離れ屋の一部屋の障子を開けた。 「この部屋でどうですかい」 その部屋は八畳の部屋で隅に箪笥があり、押し入れがあった。 布団は押し入れに入ってまさぁ。昨日、日干ししてありますんでね」 「おぉ、それは良い」 「じぁ、次は見回りに参りましょう。あっしも昔は毎日でしたが、今じゃ、さっぱりで、久々です」 「修次殿は偉いのじゃな、頭かな」 「へい、皆からは兄貴、頭と呼ばれております」 修次はそう答えると廊下を歩き、玄関に着くと見張りの二人に声を掛けた。 「今日の昼の見回りは儂がこの二人を連れて行ってくるぜ。後は頼んだぜ」 修次は草履を履き、お峰も草履を履き、平四郎は高下駄を履いた。 <つづく>
2025.09.29
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<芝 松吉一家>-----#325翌日の昼前に芝の香具師の元締め・松吉一家の玄関土間に妻女と子供二人を連れた浪人者が入って来た。 「頼もう」 「何ですかい」 式台に座っていた若い町人風の男が答えた。 「某は轟清吉郎と申す。こちらで用心棒を所望とのこと、雇って貰えぬかと参った」 「ちょっと待ってしんな」 若者が奥へと引っ込んで行った。 初老の男が先ほどの若い男と一緒に現れた。 「あっしが主の松吉ですが、用心棒にとのことですかな」 「はい、こちらで用心棒を所望とのこと、雇って貰えぬかと参った。某は轟清吉郎と申す」 「お侍、腕は確かですかい。しかし、お内儀と子連れでとは珍しい御仁ですな」 「恥ずかしながら、店賃を払えぬで長屋を追い出されてな」 「おやおや、それは難儀なことで。失礼ながらお侍なら誰でも雇うと言う訳にも参りませんや、腕前を確かめたいが、生憎と内にはお侍がおりません。どうしましょうな」 轟清吉郎と名乗った浪人がおもむろに懐から懐紙を一枚出すと眼の前に投げ上げた。 次の瞬間、浪人は少し腰を沈めると刀が抜かれ剣風が二度成り懐紙が四枚に切られた。 浪人は剣をゆっくりと静かに鞘に仕舞った。 「おぉ、凄腕で御座いますな。解りました。働いて頂きましょう。住まいが無いとのこと。内には部屋が沢山あります。内に住まい下さいな。如何ですな」 「それは、合い済まぬな。世話になる。お駒、良かったのぉ。今宵は夜露に濡れるかと思うたが来て良かったわい」 「はい、お前様、良う御座いました」 「父上、良う御座いました」 「親分、ありがとう御座る」 浪人の倅が侍言葉で礼を言った。 「おぉ、流石はお侍のお子だ、礼儀が良いですな。さぁ、さぁ、お上がり下さいな。茶でも飲みなさい」 「忝い。馳走になり申す」 轟清吉郎と名乗った清吉が式台に上がり、お駒、平太、お雪が続いて上がり、松吉の後に続いた。 松吉は座敷に入ると奥の火鉢の向こうどっかと座った。 清吉郎が火鉢を挟んで正面に座り、後ろにお駒、平太、お雪が座った。 「朝餉はお済みですかい」 「いや、まだで御座る」 「昼には少し早いが昼餉を食べますかい」 「おぉ、馳走して下さるか。忝い」 「続きは昼餉を食べながら、お話致しましょう。面倒ですから、台所で宜しいですかい」 「食べられるなら、何処でも結構に御座る」 「こちらで御座います」 松吉は一旦座った座敷から立ち上がり、部屋の障子を開け台所の囲炉裏端に座った。 清吉郎、お駒、平太、お雪も囲炉裏端に座った。 「お~い、昼餉を頼むぞ~」 「は~い」 女将と思しき女子と三人の娘が鍋二つと食器が乗った盆を持って囲炉裏端に来た。 「こいつがあっしの女房で松で、そっちが娘の梅、二人が女中で御座います」 四人の女衆が茶碗に茶を注ぎ、丼に飯を盛り、椀に味噌汁を注ぎ、五人の前に器を配った。 他に煮物と漬物が添えられていた。 「ご苦労でした。さぁ、召し上がれ」 「忝い、頂き申す、皆も頂きなされ」 「頂きます」 お駒、平太、お雪が声を揃えて言った。 「食べながら、お話するが許して下され。口入屋が参道の利権を狙っておる様でしてな。最近、度々店に悪さを仕掛けて来るのです。今の処、内の若い者らで始末しておりますが、向こうが浪人者を雇ったようでな、こちらもと思っておりました。其方様の様な凄腕が向こうに着かなくて良かった」 「さて、某の方が腕前が上であれば良いのですがな」 「いやいや、儂も剣術が好きでしてな、見物するだけですがな。倅がおれば鍛錬所に通わせるのですが、残念なことに娘だけでしてな」 「こちらに、其方の配下は何人で御座いますかな」 「五人おります、後は女房と娘と女中がそこの二人と飯炊きの爺が一人です」 「其方、いや、親分、頭は他に人を集めるつもりですかな」 「あっしのことは親分でも頭でも好きに呼んで下され、そうですな、用心棒は其方様の働きを見てからとしたいのですが」 「その機会が無い方が良いのですがな。人手なら倅の平太を配下の一人に加えてくだされ、家事仕事に女房と娘がお役に立とうと思います」 「おぉ、それは嬉しゅう御座います」 「倅、平太も剣術、体術もそれなりに修行しておりますので、お役に立つと思います」 「それは、それは頼もしい」 「まずは住まいする部屋をお見せ致しましょう、梅、客間二つに案内してくれ」 「はい、おとっつぁん。皆さん、さぁ、こちらです」 「銀次、銀次~」 「へい、親分、何で御座んしょう」 「今、雇い入れたお侍と倅を連れて縄張り回りをしてくれ」 「承知しました」 「越後屋太左衛門さんの処へも顔見せに寄ってくんな」 「へい、承知しました。ここの守りに四人は置いて行きます」 「うむ、そうしてくれ、一人で大丈夫か」 「へい、顔見せだけですから」 「お前の昼餉を食べたら早速頼む」 「へい」 「お松、女房のお駒さんと娘のお雪に台所の案内を頼む」 「はいよ」 松吉が立ち上がり座敷へ戻り、入れ替わるように四人の配下が囲炉裏端に座り昼餉が始まった。 銀次と横に清吉郎が並び、その後に平太が続き、参道を歩いていた。 居並ぶ店の者たちが銀次に気が付くとぺこりと頭を下げて挨拶し、横の清吉郎に眼を止めた。 中程に来た時、前方から声が響いた。 「喧嘩だ、喧嘩だ」 「切り合いだ」 銀次が清吉郎を見て走り出し、清吉郎も続き平太も続いた。 三人が人垣を欠き分けて前に出ると浪人者と与太者二人が刀と長ドスを抜いて向き合っていた。 「お~い、お前さん方、ここは芝神明の境内だぜ、人も多いや、切り合いなら横の空地でやってくんな」 「邪魔するんじゃねいや」 「止めるで無い」 「だ・か・ら・ここでやるなって言ってんだよ」 「止めねいって言ったらどうすんだよ」 「其方が相手するのか」 浪人者と与太者二人が向きを銀次に変えた。 その時、後にいた清吉郎と平太が銀次の前に出た。 「おい、餓鬼、お前が相手をするってのか」 「おい、お前も仕事が無いのであろう、一緒にこいつらを叩きのめし、懐のものを貰おうでは無いか」 「いや、いや、某は無宿者では無い、この境内を守る一家の用心棒でな。丁度良い機会じゃ、参道の店の方々、某の顔を覚えて下され、今朝程より松吉殿に雇われ申した。良しなに願い申す」 「おぬしが用心棒か、おぬしを倒して儂が職に就くか」 「おい、さんぴん、今、何て言いやがった、俺っちの懐から銭を取るとぬかしやがったな」 「おやじ、もう良いだろう、やっちゃって早くかえろうよ」 「そうだな、問答はもう良いな」 清吉郎は前帯に挟んでいた黒い扇を抜き、平太は左の懐から右手で黒い扇を引き出した。 「お前らそんな扇で勝負しようってのか」 「話はもういらない」 その途端に平太が前に出て、与太者二人の右手上腕の骨を砕いて長ドスを落とさせた。 清吉郎も浪人者の右手上腕と右の鎖骨を砕き刀を落とさせていた。 「おぉ、言い忘れておったがこの扇子は鉄で出来ておる」 骨を折られて痛みに耐えている三人の耳には届いていなかった。 「お前さん方・・・強い、強いな」 「兄さん、こいつらが弱すぎるだけですよ、次は何処ですか」 平太が銀次に言った。 「銀次さん、こいつらは儂らがお医師の処に連れていきますよ」 「ほっとけ、こいつらにお医師に払う銭なんてないよ」 「その通りじゃ、悪さをした報いじゃ、ほっとけ、ほっとけ」 参道の店の者の言葉に銀次と清吉郎が止めた。 「さて、次はこの辺りの顔役の越後屋太左衛門様の処へ行きましょう。越後屋さんは呉服屋です。 この辺で火が出た時には、火消しの纏めもなさる方です」 銀次は参道脇の小道に入り清吉郎と平太が従った。 参道の裏道を通り表通りに出ると角に大きな呉服商・越後屋と書かれた看板を掲げた大きな店が見えた。 「御免よ、太左衛門様はいなさるかね」 「へい、あぁ、銀次さん、奥におります、どうぞ、お上がり下さい」 「ありがとうよ、上がらせて貰うよ」 「吉次、旦那様にお知らせしなされ」 「へい」 「これ、吉次、はい、と言いなされと何度言えば良いのだ」 「は~い」 「これ、吉次、は~い、と伸ばすんじゃない」 吉次と呼ばれた男は奥へと飛ぶように向かった。 銀次、清吉郎、平太の三人は横から台所に入り、置いてあった足拭きで足を綺麗にして台所に上がり、廊下を奥の座敷へと向かった。 障子が開かれた座敷の廊下に銀次は正座した、後の清吉郎と平太も真似た。 「太左衛門様、急な訪い申し訳御座いませぬ」 「いえいえ、松吉親分には、御変わり御座いませぬかな」 「はい、御蔭様で壮健で御座います。旦那も御壮健で良う御座いました」 「ありがとうよ、さぁ、入りなされ、銀次さんや、今日は新顔の顔見せかのぉ」 「はい、左様で御座います。今日、加わりました、住み込みのお侍さんで御座います」 「お侍の住み込みですか、何とも珍しいことですな。何時お知り合いになりましたのでかな」 「今朝で御座います」 「何、今朝じゃと。ご本人の前で言うのも何じゃが信じて良いのかのぉ」 「あっしも不思議なのですが、親分が良いと言うものですから、それに、先ほど参道で騒ぎがありましたが、この二人があっさりと始末致しまして、強いのなんの、大したものでした」 「ほほぅ、う~ん、今、二人と言いなさったかな、この子供も働きましたかな」 「はい、この子も強いのですよ、旦那」 「やはり、剣術好きな親分の見立ては確かなようだのぉ」 「何か御座いましたなら、お知らせ下さい」 「銀次さんや、まだ、名を聞いておらんぞ」 「おぉ、忘れておりました。二人は親子でして、父親は清吉郎殿、子は平太と言います」 「轟清吉郎と申す、良しなに」 「平太です」 「旦那、それじゃ、あっしらはこれで」 「銀次んや、何やら何処かの一家が島荒らしをしていると聞いたがな」 「はい、まぁ、それでお侍に来て貰ったと言う訳でしてね」 「成程、成程、良い働きをな、お侍さん」 「はい」 「失礼致しました」 銀次、清吉郎、平太の三人は店を後にし、通りを歩いて自宅となった店に戻った。 「只今戻りました」 「あぁ、兄貴、お疲れ様でした」 「お疲れさんでした」 「おぉ、こちらが今日からここに住む事になった、清吉郎様と倅の平太さんだ、よろしくな」 「へい、こちらこそよろしくお願いもうします」 「申します」 三人は座敷に上がり、松吉親分に帰宅の挨拶をして、清吉郎と平太は割り当てられた部屋へ向かった。 「只今、戻った、お駒、お雪」 「お疲れ様でした、旦那様」 「父上、お疲れ様でした」 暫く、無言の時が経ち、隣部屋で衣擦れの音がして暫く経った。 「お前さん、どうでした」 「隣にずっと見張りがいたのかい、お駒」 「はい、部屋に入ってからずっとでした」 「そうか・・・まぁ、上手く入り込めたのだ、良しとしよう」 「でも、不思議ですね、一目で泊めてくれるとはね」 「松吉親分は剣術好きと言ってたじゃねぇか、ひょっとすると儂の顔を橘道場で見ていたかもな」 「えぇ、じゃあ、私らを橘の者と知っていて住まわせたってのかい」 「会ったばっかりで人品が解るのは龍一郎様くらいのもんだろうよ」 「良いように使われるってのは、何だかしゃくだね」 「良いじゃないか、おっかさん、こっちの思惑通りなんだから」 「お前、良い性格してるね。良いように取るなんてね。何時からだい。我が子ながら感心するよ」 「しっかし、お雪ちゃんは、いつも静かだな」 「そうよね、私の子なんだから、もっと、おしゃべりになんなさい」 「はい、お駒様」 「違うよ、おっかさんと、お呼び」 「・・・お・・っかさん」 「はいよ」 「舞もお雪ちゃんみたいに優しいと良いのにね~」 「舞様は優しいです」 「そ~かね~」 「それより、おっか~、早速、顔役の越後屋太左衛門さんの呉服屋に行ってきたぜ」 「どんな人だったね」 「優しい人のようだった」 「お前さんも、そう思ったかい」 「あぁ、儂もそう感じたな」 「でも、何で龍一郎様は参道の取り締まり役だけで無く、顔役まで気になさるのかね」 「さぁあな、そう言われりぁ、何でかなぁ~。今度聞いてみよう」 その頃、座敷では、銀次が参道奥での一悶着の話を松吉親分にしていた。 「そうかい、そんなに強いか、こりゃめっけもだったね」 「しかし、親分は会ったばっかりなのに、どうして泊まり込みになさったんで」 「まぁ~な。感だよ、感」 「本当ですかい」 こうして、清吉たちは上手く松吉一家に潜り込んだ。 <つづく>
2025.09.28
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<探察の報>-----#324龍一郎からの探索指示が出た五日後の夕餉にまた皆が集まった。「まずは儂と佐紀が調べたことを申す、佐紀、願おう」「はい、旦那様。奥山の顔役はやはり香具師の元締めで御座いました。倉蔵と申す者で御座いました。見世物小屋から寺社に替わって場所代を徴収し手間賃を得ております。評判は小悪と言う処でしょうか。地域の顔役は材木商の山城屋藤右衛門様で御座います」「と言うことかのぉ。倉蔵には配下に与太者が三十人と用心棒浪人が五人、女将に倅と娘と女中が三人おった。浪人者の技量はそこそこでな、と言うても一人づつならばお雪でも勝てよう、神田はどうであったな、平四郎殿」平四郎がお峰を見て頷いた。「では、私がお知らせ致します。神田は明神様が御座いますので参道の店は夜半まで賑わいを見せておりました。こちらも参道の場所代を香具師の元締めが集めておりました。奥山と同じで土地は明神様からの借り物ですので場所代を払うております。元締めは口入屋の井筒屋藤兵衛と申す者で御座います。配下に与太者が三十六人、用心棒浪人が八人、女将と跡継ぎの倅と次男に女中が四人おりました。土地の借り料を地子と申しまして、この地子が都度に値上がりしております。香具師の元締めの取り分を増やしておるのです。断ろうものなら与太者や用心棒の出番の様で御座います。この近辺の顔役は材木商の奈良屋茂左衛門の申す方で御座いました。このお方は近隣で火事がありますと鳶の者たちと火消しの任に当たっておるとのことで、とても人望のある御仁のようで御座います」「火消しの元締めですか、うむ、それも考えねばならぬな。その口入屋は邪魔のようだの。どうだな」「はい、今の主と嫡男は変わりようがありませんが次男は使えそうです」「我らの仲間にせよと申すか」「そうしても良いように思われます、と言うのも近隣の子供達を集めて寺子屋を開いております、それも銭を取っておりませぬ。昼餉も出しておりまして、これも無賃です」「おぉ、その者に店を継がせるのも良いな。では、芝を聞こう」「お駒、お前がお知らせしねぇな」「はいよ、お前さん。芝も芝神明様が御座いますので賑わっております。こちらも香具師の元締めがおりまして松吉と言う者で御座います。こちらは至って堅実で御座いまして、配下は下働きが五人だけで、女将と娘が一人に小間使いの小娘が二人に老人が一人おりました。用心棒侍はおりませんでした。地子も店子が納得する額でしてね、歩合もきっちり守っておりまして、支社に収めております。ですからでしょうか、最近、近場に新たに口入屋が与太者と浪人者を集めて参道の店に悪さを致しておる様です。その都度、香具師の処の者が出張っておる様です。どうも浪人者を雇うつもりの様です」「浪人者として清吉郎と言いたいが其方は岡っ引きの顔が売れておるでな。平四郎殿と替わるかな」「龍一郎様、岡っ引きの装束と髪型は町人です、浪人姿になれば似た者ですみますって大丈夫ですよ。女房持ちで入り込みます」「良いでしょう。そうじゃ、平太と雪の子持ちではどうだな」「平太もですかい、お雪ちゃんは良いのですがな」「実の子に何て事を言いやがる。拗ねるぜ」「与太話はそれぐらいでな、その新興の一家を潰してしまいなさい。始末したなら、松吉には橘道場が後見していると喧伝(けんでん)しなされ」「下働きの若者頭が出来た男で御座いまして、親分の一人娘とくっ付けば安泰なんですがね」「二人は恋仲なのですか」お駒の言葉に佐紀が興味を唆(そそ)られたのか問うた。「そこまではまだ解りません、中に入れば直ぐにも解るでしょう」「そうなると良いですね」「はい、二人は女雛男雛と言う言葉がぴたりなのですよ、お佐紀様」「ますます良いですね」「まぁ、それは清吉郎殿がお駒殿と子供らと入り込んでの楽しみとしようではないか。次は上野です、平太」「はい、龍一郎様、しかし、どうしてこうも江戸の町には香具師が多いのですかね。上野は権現様の土地ですよ、それなのに与太者が多い多い、こちらの香具師の元締めは蓑助と言いまして、配下に与太者が四十三人に浪人者が十二人、女将と倅と娘が二人です、娘の一人は近々、米屋に嫁に行きます、それと下働きの老夫婦と小娘が二人おります。稼ぎは祭りの場所代だけです。まぁ、真っ当な方でしょう」「大体ニ丈の、二十尺の大仏は大きかろう」「はい、でっかいのなんの、なぁ、お雪ちゃん」「はい、すっごく大きかったです、婆様にも見せたいと思いました」「うん、婆様がもう少し元気になったら行くと良い。しかし、平太に真っ当などと言われるとはな。そのままでも良いかな」「それが、以前は配下と用心棒侍は半分程だったらしいのです、近頃、増やしたようで、どうも、浅草を狙っているようなのです」「ほう、浅草をのぉ。それで浅草はどうですかな、お高殿」「はい、浅草も浅草寺の門前の土地を寺社に借りて居りますので替わりに一家が銭集めをしております、香具師の元締めは源次と申します。配下は町人くずれが二十二人、浪人が四人で女将と女中が三人と飯炊きの爺様が一人で御座います。評判は悪くは御座いません」「その人の良い処を上野の香具師が狙っているかのぉ」「さて、龍一郎、まずは何処を始末するかな。やはり、芝かのぉ」「はい、父上、芝神明を手始めにしましょう。が、併せて平四郎殿に浅草の一家に用心棒として入って頂きましょう」「龍一郎、用心深いのぉ~、其方は」「平四郎殿、お峰殿と夫婦では如何かな」「夫婦で御座いますか」「二人に異存が無ければじゃがな」「某には異存はありませぬが・・・」「お峰殿はお嫌かな」「・・・いいえ、異存はありませぬ、龍一郎様」「では、願おう、何時、上野の一家が何時来るやも知れぬでな、明日にも願おう」「はぁ、畏まりました」「あぁ、はい」「清吉殿、他に江戸に人が集まる処は無いかな」「そうですな、増上寺、愛宕神社、回向院、目黒不動、亀戸天神と言った処でしょうか」「そうじゃな、分担は決めぬが、おりを見て探索を心がけて貰いたい」皆が頷き、この日の会の幕が閉じ、四方山話となった。<参考>-----(吉宗期に人出が多かった主な場所)---------------------・寺社・名所 ・上野東照宮・寛永寺 ・将軍家ゆかりで格式が高く、庶民も花見(上野山の桜)や参詣で大賑わい。 ・浅草寺と奥山 ・江戸最大の観音信仰の場。門前町「奥山」には見世物小屋・操り人形・ 見世物動物などが並び、庶民娯楽の一大拠点。 ・芝神明(芝大神宮) ・伊勢神宮の御分霊を祀るため「関東のお伊勢さま」として人気。縁日 (芝神明祭礼)は大賑わい。 ・神田明神 ・江戸総鎮守。神田祭は将軍上覧の天下祭として盛大。 ・富岡八幡宮(深川八幡) ・深川の総鎮守。例祭(富岡八幡祭)は神田祭と並ぶ江戸二大祭の一つ。 ・増上寺(芝) ・徳川将軍家の菩提寺。将軍の法事や葬列があると多くの見物人が押し寄せました。・周辺の人気社寺 ・目黒不動(瀧泉寺) ・「江戸五色不動」の一つ。庶民の行楽参詣の地として大人気。門前町も繁盛。 ・王子稲荷(王子神社・王子稲荷) ・稲荷信仰の中心の一つ。正月の狐火伝説でも知られ、参詣者が多かった。・その他 ・湯島天神(学問の神)、愛宕神社(出世の石段)、谷中感応寺(猫塚でも有名) なども人出がありました。------------------------------------------------------------------------------’<つづく>
2025.09.27
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<龍一郎の探索指令>-----#323裏庭での朝稽古の後、龍一郎が平太を呼んだ。「平太、頼まれてくれぬか」「何で御座いましょう。師範」「今日の夕餉に双角と慈恩と十兵衛と鐘四郎と其方の親父殿を呼んでくれぬかな」「何だ、そんなことですか。承知しました。師範」「どうした、平太、其方から師範と呼ばれるとちょっと妙な気分じゃな。何時ものように龍さん、で良いぞ」「ありがとう御座います。なれど門弟たちの手本にならねばと存じます」「おぉおぉ、ご丁寧なるお言葉、痛み入りる。良しなにお願い申す」「良かろう。任せて置きなれ」途端に龍一郎の手が伸び平太の頭に拳骨が飛びゴリゴリとやられた。「痛て~」「頼んだぞ」「はい、師範」夕餉が済み、食器や鍋も洗い終わり、囲炉裏端で皆が茶を飲んでいた。「龍一郎様、あっしらに一体何の御用で御座いましょう」「今日、富岡八幡に行って参った。そこで一悶着あってな。香具師の元締めの辰次親分と縁が出来ました」「辰次親分と縁ですか。今、あの当たりは新興勢力の勝三が伸びて来て、辰次親分の縄張りが危ないらしいですぜ」「おぉ、そのことなら、もう大丈夫であろう。女衆たちが始末を着けてくれたでな」「勝三一家を潰しましたか」「大勢の見物人の前で女衆に倒されたのじゃ、もう大きな顔も出来ぬわ」「それで辰次親分と縁が出来ましたか」「女衆が退治した後にちょうど辰次一家が来たでな、後始末を願い、家に誘われて行ってまいった。おぉ、そうじゃ、そこにおる二人の娘、お春とお夏と申してな、お春は辰次の娘じゃ、お夏は辰次親分の処で手伝いをしていた者じゃ、昨日から我らの仲間となった。皆で面倒をみてくれぬか」「お春で御座います。ご指導の程お願い申します」「お夏と申します。ご指導、よろしくお願い申し上げます」皆の眼が二人に集まり、二人はお辞儀をした。「左様で御座いますか。それで私への御用は」「あぁ、そこでじゃ、江戸の賑わう処に我らの息の掛かった者を置いてはどうかと思うてな」「成程、辰次親分は悪い評判もありませんので良いと思います。そのような者を他の処にもで御座いますな。それは良い考えかと思いますぜ。そうですなぁ~、江戸で人の集まる処・・・神田明神、芝神明、上野東照宮、浅草の浅草寺と奥山でしょうか。そうそう、後は四宿ですな」清吉が趣旨を聞き龍一郎の言葉に答えた。「双角殿と慈恩殿に来てもらったのは、その四宿のことでです。十兵衛殿と鐘四郎殿も同様です。四宿の情勢を南北の奉行所も弾左衛門様の処も四郎兵衛様の処も別々に単独で調べております。ですが、繋ぎが上手く行っておりませぬ。四宿を纏める者がおらぬのです。そこで、双角殿と慈恩殿に四宿を纏めて貰いたいのです。四郎兵衛殿と弾左衛門殿と南北奉行所の許しは得ております。双角殿と慈恩殿には四か所の繋ぎの者との引継ぎと四宿の纏めを願いたい」「私と慈恩殿を通して四宿の状況や噂が我らに集まるようにするのですね」「左様、与太者たちの精々顔役になって下さい。鍛錬の成果を存分に発揮してみなされ」「双角殿、こりゃあ~、楽しみじゃのぉ~」「二人で二か所づつ主になって頂きたい、但し、影の主です。悪さをすれば何者かに成敗される、そして、その影の顔役に状況や噂が集まる、そんな存在になって下さい。それぞれが影護衛をして下さい。決して一人では動かないようにして下さい。其方ら二人の影護衛を葉月殿、弥生殿にお願いしたいが、よろしいかな、お二人」「私と弥生の二人が四宿で影護衛ですね」「はい、それともう一つ、御座います」「何で御座いましょう」「何時何刻、双角殿、慈恩殿に呼び出しが掛かり四宿へ行くことになるか解りませぬ。そこで葉月殿、弥生殿には揚羽亭と駒清に分かれて住み込んで料理の弟子になって貰いたい。如何ですかな」「料理・・・ですか、一番苦手なことです、最近はこちらでお手伝いは致しておりますが」「其方らの体術、剣術の練度を持ってすれば楽なものじゃ」「はぁ、そうですか・・・精進致します」「龍一郎様、料亭・揚羽亭と船宿・駒清をどう致しますか」「双角殿、大変でしょうが、掛け持ちでお願い申す。慈恩殿もな」「南町奉行所では臨時回りがときおり四宿を見回っておる様で御座います、北はどうだな」「北町も同様に臨時回りです」「十兵衛殿、鐘四郎殿、双角殿と慈恩殿にその臨時回りとの繋ぎをの」「龍一郎様、南の臨時回りは信用に欠けます、直接に双角殿、慈恩殿を合わせぬ方が宜しいやに思われます」「北町も同様で御座います」「良いでしょう。我らのいることを知られぬに越したことは御座いませぬ」「南北の臨時回りには無駄骨を折らせましょう」「吉原の年番所も臨時回りの役目でしてな、無駄骨には慣れておりますよ。奴らには勝手に調べさせましょう。但し、四宿の繋ぎの人物は抑えて置きます」「願います。四宿はそれで良いとして、神田明神、芝神明、上野東照宮、浅草の浅草寺と奥山近辺の元締めを調べて信用の置ける者を見つけて置き換えたい。まずは皆で探索を願えるかのぉ」「畏まりました」皆が囲炉裏端でうきうきした顔で答えた。「賛同して貰えて嬉しく思う。ありがとう。探索区域の神田明神を平四郎殿に願う、芝神明は清吉殿に願う、上野東照宮は平太殿に願う、浅草の浅草寺はお高殿に願う、奥山は私と佐紀が致す」「龍一郎、儂と久に役目は無いのか」「龍一郎様、私とお有殿にも役目は無いのですか」小兵衛と三郎太が問うた。「親父殿には一番難しい仕事が御座います。上様が地下道を通り道場へ通うようにして頂きたい、それには、事前に上様へ市中での庶民の決まり事、言葉使い、仕草の教え、体力の増強も含まれます。上様が市中へ出る時は加納殿の甥とし名を加納新之助として下され、もう一つ道場に通う者の中で上様の面体を知る者への対応です、上様が道場に参った時に平伏しないように根回しを願います、真実を告げるのでは無く、加納殿の甥が上様に似ていると説得して下され」「それは確かにやっかいな事じゃのぉ、お久」「はい、やっかいなことで御座いますな、お前様」「柳生俊方殿をどうするのじゃ」「俊方殿には処し方はご自分で決めて頂きます」「道場へは俊方殿が先かも知れぬな」「さて、どうで御座いましょう。解ってはいても気持ちの整理はなかなか着きますまい」「それで、私は何を致しましょう」「三郎太殿、其方の役目も少々厄介でな。甚八殿らの更なる技量向上と城におる伊賀、甲賀、雑賀のまずは組頭の信頼度を確かめ、信用なれば丘屋敷での鍛錬を行い、体力、技量、心の鍛錬を願いたい」「龍一郎様、これまでの役目の延長ですね、なぁ、お有殿」「はい、三郎太様」「処で佐助と八重、巳之吉、朋吉の技量は伸びたかな。探索に使えるかな」「佐助と八重はもう直ぐにも使えましょう。巳之吉と朋吉はもう暫く掛かります」「では、そちらも願う、巳之吉と朋吉には富三郎殿にも協力を願おう。良いかな、三郎太殿」「畏まりました」「平太殿、お雪殿、お糸とお鈴、お春とお夏はどうかな」「お糸とお鈴は体力と心の鍛錬の次の段に入りました。お春とお夏はお佐紀様が面倒を見ています」「佐紀、どうだな」「はい、お春とお夏も体力の向上を始めたばかりです、どうも座禅は苦手なようですね。お春は剣技には優れておりますが、変な癖が抜けませぬ」「心の鍛錬を早めにのぉ。我らの存在を知られる訳には行かぬ、同道できるように鍛錬を願う」「はい」「畏まりました」「私からは、こんな処かの。皆から何かあるかな」龍一郎が回りを見渡し、皆も見渡した。「龍一郎様、一月に一度程、富岡八幡様にお参りに行きたいのですが、宜しいでしょうか」「其方が見分し、信用が置けると思うたならば其方が我らの仲間であり、十手を見せても良い」「あっしの見分で宜しいので」「構わぬ、願おう、清吉殿」「へい、承知致しました」その日、深夜には道場から小兵衛と久、お糸、お鈴、お春、お夏、勝婆以外の姿が消えた。<つづく>
2025.09.26
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<香具師の元締め 辰次>-----#322そこへ地元の香具師の元締めの辰次が配下の者たちを連れて現れた。 「おぉぉおぉ、みんな伸びとるぞ。お前さん方がやったのかね」 「辰次親分、橘道場の方々がやっつけてくれましたぞ」 「おぉ、植木屋の隠居、ここにおられる方々が橘道場の者かのぉ」 「親分、その通りじゃ、よう礼を言うこっちゃ」 「隠居、ありがとうよ。橘の方々、お礼申し上げたいで拙宅へ起こし下さい」 「礼など結構、ここの人達を不埒な者たちから守って貰えるだけで宜しい」 「そう言わずに付き合って下され」 「植木屋の隠居殿、この親分は良い親分かな」 「龍一郎様、まぁ、そこそこに良い親分でしょうな」 「おぉ、貴方様が、あの大試合の勝者・橘龍一郎様ですか」 「お前様、親分さんにご子息がおられ、お人柄が宜しければ、お仲間に為されては如何でしょう」 「おぉ、その手もあったか、親分、倅はおありかな」 「貴方様がお佐紀様ですな、噂に違わずお美しい。おぉ、倅の話でしたな。はい、跡継ぎの倅が一人とそれに娘が一人おります」 「御幾つですか」 「倅が十四で娘が十二です」 「家に居られるのであれば、お伺い致そう」 「ありがとう御座います。こちらですどうぞ」 「処で親分、こちらに来るのに時がかったのは何故ですかな」 「私が寄合に行って居りまして知らせを受けるのが遅くなりました。申し訳御座いません」 「我らは大人数ですが宜しいのですか」 「へい、大人数には慣れております。ご安心下さい」 参道を出て右に少し歩いた処に口入れ屋の看板を掲げた店があり、そこに入った。 「お~い、大人数のお客様だ。頼むぜ」 「は~い」 親分が式台に上がり、続いて龍一郎が上がり、佐紀が続き、龍一郎と自分の草履の向きを変えた。 続いて平四郎とお峰が式台に上がり、お峰が平四郎と自分の草履の向きを変えた。 次々と男女の組が式台に上がり、女子が二人分の草履の向きを変えて揃えた。 葉月と弥生の姉妹、糸と鈴の姉妹は姉が先に式台に上がり、妹が二人分の草履の向きを変えた。 皆が座敷に入り、辰次親分は上座を龍一郎に勧めた。 龍一郎には珍しく、遠慮無く勧めるままに上座に座り、隣に佐紀が座った。 そして、一段後ろに平四郎たち仲間が次々に座った。 辰次親分は龍一郎と佐紀の正面に座り、配下たちが後ろに並んで座った。 「新ためまして本日は難儀を御救い頂きありがとう御座いました」 「私の耳に最近、富岡八幡宮の参道が荒れておると風聞が届きましたが、真のことですかな」 「はい、申し訳も御座いませぬ。北町の風間様より鑑札を頂いておりながら纏めることが出来ませんでした。何しろ、勝三の処には荒くれの渡世人や浪人者が大勢おりまして我らの空きを突いて悪さを致しておりました。こちらの者が少人数の処を後ろから襲われることが度たび御座いました。お恥ずかしいことで御座います。ですが、今日の皆さまの働きで収まりそうで御座います。今、内の者たちが後始末をしていることと思います。本当に忝う御座いました」 その時、茶碗を乗せたお盆を持った母娘と思われる二人が女中と思われる娘を二人従えて現れた。 そのと後に幼さの残る男が現れた。 「粗茶と菓子で御座います」 と龍一郎たちの前に茶の入った椀と和菓子の乗った皿を置いた。 「私の妻の才と娘の春、そして倅の竜次で御座います」 「親父、勝三らの始末は済んだぜ」 「始末と言うとどうしたな」 「大八に積んでよ、奴の店の土間に置いて来ただけだよ、悪さをした訳じゃないから奉行所へ突き出す訳にも行かないしな。あれだけ恥をかいちゃあ、もう、でかい顔も出来めいさ」 倅の竜次は父親に知らせながらも眼は佐紀に釘付けだった。 龍一郎と佐紀の眼が合い、佐紀が小さく首を横に振り龍一郎が頷いた。 「辰次殿、そこのお二人はお女中ですか」 「はい、奉公人で御座います。何か不始末を致しましたでしょうか」 「いいえ、背の高い娘のお名前とお年を教えて頂けますか」 「あの娘は十三で御座います、奉公には早いのですが父親からぜひにもと望まれまして引き受けました。 名は夏と申します。お佐紀様」 「娘さんが春さん、その子が夏さんですか。良い名です」 「ありがとう御座います、後は秋と冬が足りませぬ」 「ほぉ、ほぉ、ほぉ、左様ですね。処で娘さんの春さんは幼き頃より何かしておりますか」 「はぁ、流石は橘の方ですな、十歳の頃でしょうか、突然、剣術を習いたいと申しまして鍛錬所に通い始めました。女子を門弟にする処など無いと申しましたら、近隣の鍛錬所を軒並み回ったようで、とうとう向島で女子の門弟を許す処を見つけて参りました。私が見て参りまして良い師匠の様でしたので、その内諦めるだろうと許しました。処が今も続けております、故にかれこれ四年になります」 「春さん、向島までは走っておりますね」 「はい」 「解りました、ありがとう。次は夏さんですが、在所はどちらですか」 「へい、鐘ヶ淵で御座います。米と野菜を作る百姓の娘です」 「お夏さん、何か家の手伝いをしていましたか」 「はい、おっかさんと一緒に江戸に野菜を売りに来ていました」 「天秤棒に野菜を積んで、毎日ですか、畑仕事も手伝っていましたか」 「はい、田んぼも畑も手伝ってな、毎日、野菜を売りに来とった」 「親分、ものは相談じゃが、娘子の春殿とお女中の夏殿を我が道場にて預かりたい。今日の始末賃と思うて貰っても良い。今後、其方の後見にもなろう、但し、悪さをしなければじゃがな」 「おとっつあん、あたいは行きたい」 「お前には聞いとらん、聞かんでも解っとる。夏、お前はどうするな」 「親分さん、あたいはお佐紀様に憧れとる。親分さんはあたいに良くしてくれただ、でも、あたいも行く」 「龍一郎様、お聞きの通りだ。二人を頼みます。何時からですかな」 「親分さんと二人が良ければ、今日、今直ぐにでも宜しいですよ」 「龍一郎様、お佐紀様、お尋ねしても宜しいでしょうか」 「何なりと、何をかに寄りますが、お答え出来ることと出来ないことが御座います」 「何故に娘子が二人で倅では無いのですかな。わっしは倅に強くなってほしいのじゃが」 「倅殿にお聞きすると良い。厳しい、とても厳しい鍛錬に参する気がおありかどうかをのぉ」 「どうなんだ。竜次」 「・・・おりゃ~、強くなりてぃ~。俺も行きてぃ」 「ほぉ~、では、女衆二人と一緒に浜まで走って行って戻って来て下さいな」 「はい、岬までで宜しいですか」 娘の春が即座に答え、夏も顔を引き締め頷いていた。 竜次はと言えば、顔を歪ませ首を横に振っていた。 「どうした、竜次、女衆が行くと言うとる。男衆のお前も行って来い」 「おりぁ~、走るのは嫌いだ」 「では、そこな庭石を五度持ち上げてみて下さいな」 お佐紀が座敷から見える中庭の少し大きな石を指差して言った。 春と夏は庭に向かったが竜次は動かなかった。 「お春さん、お夏さん、持ち上げなくても良いですよ」 「親分さん、正直に申しましょう。親分さんに走って来い、石を持ち上げろ、と申しましたなら、どう致しますか・・・年だからと言い訳でもして止めますか、試してみますか」 辰次親分は庭石を持ち上げる気のように立ち上がりかけた。 「親分さん、良いのです、お座り下さい」 辰次親分は立ち上げかけた動きを止め座り直した。 「お尋ね致しますが倅殿を跡継ぎにとお考えでしょうなぁ」 「へい、そのように思うておりやす」 「残念ですが、倅殿を跡継ぎすれば一家は潰れます。そこにお座りの方に継がせたが良いでしょう。 そちらの世界では代貸しと申す立場の方でしょうか。若い者、皆が倅殿見る眼は恐怖、代貸しの方を見る眼は信頼です。多分、倅殿は若い者に無理難題を言うのでしょう。 代貸しの方は若い者を気づかい相手を選ぶ配慮があるのでしょう」 竜次以外の皆が眼を見開いて驚き、辰次親分は顔を歪ませていた。 「何、言いやがる。ちょっと見ただけで何が解るってんだよ。ちょっと見目が良いからって調子にのるんじゃねいや」 お佐紀は恐れることも無く微笑むと言った。 「竜次さん、では私と勝負致しましょう。こちらに長ドスがおありでしょう、貴方は長ドス、私は木刀でお相手致しましょう。但し、木刀でも骨を砕くことなど簡単ですよ」 佐紀が右手を後ろに回し帯の間から小太刀様の木刀を前に出した。 竜次は今の勢いを忘れたかのように後ろにのけぞった。 「今程の勢いはどうしたのですか。女子の私の挑戦を受けないのですか。女子ですよ」 「・・・」 「親分さん、残念ですが、御覧の通り倅殿は口先ばかりで気が、心が鍛えられておりませぬ。 幼き頃から親分さんの威光を借り、配下の方を動かしてきたのでしょう。 親分さんの威光を己の力と勘違いしているのです。我らが帰ったなら悔しくて配下の者たちに辛く当たるでしょう。特にそちらの代貸しの方に辛く当たるでしょう。そう出来ないように、私は今、釘を刺して置きます。二人の娘さんをお預かり致しますので、こちらと縁が出来ました、時々我らの仲間が見回りに参ります。倅殿、心して置いきなされ」 佐紀が珍しく饒舌だった。 「流石は評判の橘道場のお方で御座います。一目でお解りとは噂以上で御座います。今後ともお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます」 親分は両手を着いて平伏した。それを見た配下の者たちも平伏した。但し竜次以外であった。 その静寂が暫く続き龍一郎が言った。 「お春殿、お夏殿、では持ち物を備えて一緒に道場へ参るぞ」 「はい」 「はい」 お春とお夏が元気良く返事をし立ち上がり支度に部屋を出て行った。 「お佐紀様、申して置きますが、お春はそりぁもう大変なお転婆で御座いますので、ご迷惑を御掛けすると思いますが、よろしくお願い申します」 「お転婆ですか、それは良いことです。ここにおる、舞、雪、葉月、弥生に比べれば高が知れております」 「えぇ~、そちらのお綺麗な娘子がで御座いますか」 「はい、其方様の配下の方々全員が相手でも一人では少々無理でしょうが二人で十分でしょう」 「これだけの員数の男衆を相手にで御座いますか」 「はい、こちらの糸と鈴の姉妹は参じたばかりですので、まだまだお相手は出来ませぬがな」 佐紀は糸と鈴の方を向き言った。 負けず嫌いの糸がぎゅっと唇を噛んでいた。 お春とお夏が着物などを入れたであろう風呂敷を持って戻って来た。 「お前様」 「では、親分、世話になったの」 龍一郎たちが立ち上がり座敷から玄関へと向かい一家を辞去した。 「少しはお転婆が静まれば良いのだがな」 見送りに出た親分がぽつりと漏らした。 「あっしも道場に行きたいな」 代貸しもぽつりと漏らした。 「おぉ、お前なら耐えられるだろうよ。お前が倅ならばなぁ~」 「いいえ、あっしも同じになったと思いますぜ」 「儂の育て方が悪いと言いていのか」 「この際だから、はっきりと言いやすが甘やかし過ぎですぜ」 「今までなら怒鳴る処だが、今日の佐紀様の言葉を聞くとなぁ」 <つづく>
2025.09.25
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<富岡八幡宮の騒動>-----#321この日、道場の囲炉裏端の夕餉に多くの仲間が集まっていた。館長の小兵衛と妻女のお久は勿論の事、昨日まで橘屋敷に戻っていた龍一郎とお佐紀と龍之介も今朝の朝稽古には戻っていた。道場を我が家としている、お雪と婆のお勝、舞、葉月と弥生の双子の姉妹、お糸と鈴の姉妹がいた。この日、珍しく南町奉行所与力・浅井十兵衛と同心の坂下誠一郎こと大岡誠一郎、北町奉行所の本城鐘四郎もいて、七日市藩の岩澤平四郎とお峰も来ていた。そして、店の切り盛りを若い者に任せられるようになった料亭・揚羽亭のお高と定吉に船宿・駒清からは清吉とお駒まで揃っていた。そして、この日初めて甚八と佐助と八重と巳之吉と朋吉も朝稽古から参じていた。橘屋敷の守り番は富三郎一家、料亭・揚羽亭の守り番はお花改め揚羽と慈恩、船宿・駒清の守り番は正平夫婦と双角、七日市藩の守り番は師範代の太郎次であった。この道場には元々囲炉裏は一つで竹と金具で出来た自在鉤(じざいかぎ)も一つだけだったが、仲間が増えるに伴い、 自在鉤を一つ増やし、それでも足りなくなり、広い板の間を幸いにもう一つの囲炉裏を作り自在鉤も二つ増やしていた。この日のように三十人近くの人数でも十分な広さがあった。「十兵衛殿、鐘四郎殿、ちと尋ねたいことがあるのだが、良いかな」「何で御座いましょう」龍一郎の問いに十兵衛が答えた。「富岡八幡の参道は何処の誰の縄張りなのかな」「富岡八幡宮で御座いますか、申し訳御座いませぬ、私の持ち場は日本橋方面で御座いまして、奉行所に戻らねば解りませぬ。鐘四郎殿、お解りか」十兵衛が答え鐘四郎に振った。「私の記憶では北町奉行所の同心から鑑札を貰う香具師の元締めの辰次ではないかと」「富岡八幡宮で何か御座いましたか」鐘四郎が答え、十兵衛が龍一郎に問うた。「うむ、ある筋からの知らせでな、またぞろ縄張り争いがあるようでな」「龍一郎様は何処からそのような知らせを受けられましたでしょうか」「加賀屋に立ち寄った時に聞かされた、十兵衛、其方は与力故町歩きも少のうなったかな」「一朗太の持ち場で御座いますが、加賀屋、能登屋が我らの仲間内とは知らせておりませぬ、能登屋、加賀屋も一朗太に気は許しておるでしょうが、仲間ではありませぬ故、申さぬので御座いましょう」「そうじゃな、そろそろ一朗太を仲間に加えようかな」「ぜひ、そうして下され。よろしくお願い申します」「南町は一朗太を加えるとして、北には良い人材はおらぬかな、鐘四郎殿」「はぁ、通り一辺倒の剣術稽古をするのみで張り合いが御座いませぬ」「左様か、残念じゃな。まぁ、気に掛けておいてくれぬかな。それで鑑札を渡している同心は誰かな」「申し訳御座いませぬ、奉行所に戻り次第調べておきます」「龍一郎、儂らで調べた方が早かろう」「父上、そのつもりでおります。誰か望む者はおるか」「お前様、それよりも皆で八幡様へお参りに参りませぬか。舞は参ったことがありますか」「お佐紀様、御座いません、おっとうは捕り物に忙しくて家族で何処かへ出かけたことがありません」父親の清吉が首を竦めた。「平太はあるようじゃな、どうじゃ」「うへぇ、どうして館長に解るんだ」「儂が幼き頃もあちらこちらと親に内緒で見て回ったものじゃ」「佐紀、それで誰と誰を連れて行くつもりなのじゃ」「はい、お前様、八幡様へは船便が便利かと思いますので、お勝婆様も行けると思います、本人が行きたいと申せばお雪と一緒にどうで御座いましょう」「お勝婆殿、ここから船着き場までと八幡様の船着き場から八幡様までの歩きがあるが、どうじゃな」「へい、御蔭さんで最近は足腰も丈夫になったで、許して貰えるならお参りに行きていだ」「では、お雪と婆様は決まりです、他にお糸とお鈴、葉月と弥生を加えたいと思います。ほかに行きたい方はおられますか」佐紀の問いに名を呼ばれなかった全員が手を上げた。「あれまぁ、皆様で御座いますか、どう致しましょう、旦那様」佐紀が戸惑い龍一郎に判断を委ねた。「某が思うに父上と母上が一番お参りに行っておるようだがな」「久はどうじゃな、儂は二十度くらいかの」「私は十度ほどでしょうか、お峰は幼い頃故覚えてはおりますまい、どうですね、お峰」「私には覚えがありませぬ」「これで決まりじゃな、申し訳無いが道場の守り役は父上と母上にお願い申そう、宜しいですか」「うむ、儂は良いが、久、どうじゃな」「私も守り役で宜しゅう御座います」「では、明日は皆で八幡様へお参りじゃ」「お前様、歩きですか、船ですか」「ここ鍛冶町から陸路ならば茅場町を通り永代橋を渡って門前仲町へと行き富岡八幡宮じゃな。舟路ならば日本橋川、隅田川、小名木川、大島川西支川、富岡八幡宮宮前の船着場と言う処かの。どちらにしろ半刻程で着くであろう」「龍一郎様、お佐紀様、あっしの家の商いをお忘れじゃ御座いませんかい」「おぉ、そうであった。其方、明日と急であるが、これだけの員数の船を支度出来ようか」「あっしは形ばかりの主ですが、それぐらいは何とかなるでしょう・・・大丈夫だよな、お駒」「お前さん、任せておきなって、私が女将だよ、他の客を待たせても用意しますとも」「お駒さん、それはいけませぬ。お客様が第一です」「お佐紀様、おふざけで御座いますよ。明日の御客様は頭に入っております。お任せ下さい」「明日の道場稽古はお二人にお任せして五つ半に駒清で待ち合わせで良いかな」皆が頷き、否の声は無かった。翌日、毎朝恒例の裏庭での鍛錬の後、何時もなら朝餉を食べそのまま道場で門弟たちと道場稽古をするのであるが、今日は風呂に入り朝餉を食べ、五つに道場を出て船宿・駒清へ向かった。大員数で二隻の船に便乗していた。料亭・揚羽亭からと船宿・駒清が用意した酒と食べ物が船の席に並べられ、朝餉を食べた道場の者たちももりもりと食べ酒を飲んでいた。船は予定通りに日本橋川、隅田川、小名木川、大島川西支川、富岡八幡宮宮前の「大島川西支川」に面した宮前の通称「水の玄関口」と呼ばれる水際の船着場に着いた。富岡八幡宮門前の道から北を見ると鳥居があり、いろいろな屋台や店が両側に並ぶ参道が続き、朝、早いにも関わらず大勢の人で溢れていた。船から道に上がった皆はお勝婆様とお雪、お糸、お鈴の幼い娘たちと葉月、弥生、舞の娘たちを真ん中に回りを男たちが囲み龍一郎とお佐紀を先頭に参道へと向かった。お佐紀の見目麗しい姿と龍一郎の二人の大試合の勝者に人々が道を空け参道の真ん中に通り道が出来た。両側に「深川めし」「葛餅」などを売る茶屋が並び 曲芸、軽業、人形芝居、茶屋、見世物小屋が並ぶ、縁日のような賑わいだった。団子、草餅やぼた餅の餅菓子、煎餅、甘酒、ところてん、屋台寿司、立ち食い蕎麦、豆腐田楽とこんにゃく田楽などの食べ物屋も並んでいた。お雪、お糸、お鈴は食べたそうに眺めていたが「帰りにね」とお佐紀に言われ、それでも名残りおしそうにしていた。龍一郎たちがずらりと並び賽銭を投げ入れ頭を垂れ一心に皆が祈った。帰りの参道で約束通りにいろいろな店に立ち寄り、次から次と皆が口に入れた。その時、参道の入口付近が騒がしくなった。龍一郎たちがそちらに近づき眺めると、渡世人風の男三人と用心棒らしい浪人者二人が立ち食い蕎麦の主人と言い争いをしていた。「儂は場所代を辰次親分に払っている、何でお前らに払わなきゃならんのじゃ」「だから言ってんじゃねぇか、ここらは俺っち勝三親分の縄張りなんだよ、だから払いねぇ~な」「大体、一朱なんて大金払える訳ないだろう」「幾らなら払えるんだよ」「だから払う気なんぞ無いと言ってるだよ」「ええ~い、面倒だ、見せしめに叩き壊せ」渡世人風の兄貴分らしい男が叫ぶと子分二人が「おぉ」と叫び前に出て来た。その時、雷鳴のような大声が響いた。「ま~て~い」龍一郎の腹の底からの地響きの様な声で、渡世人と浪人も含め回りの見物人も声のした方を見た。平太が前へ出ようとするのをお雪が止めて前に出て、平四郎が前へ出ようとするのを葉月と弥生が押しとどめ二人が前に進んだ。「何だ、お前たちは、おぉ、可愛い娘たちじゃねぇか、おや、同じ顔が二人だぜ」「兄貴、吉原に売りゃあ高く売れますぜ、小さいのも将来は花魁だ、禿に売れますぜ」「おやおや、私たちは吉原に売られるようですよ、弥生、お雪ちゃん」「葉月お姉様、幾らでしょうか、私は二百両よりも安いのは嫌です。お雪ちゃんはどうですか」「私は幾らでも嫌です。でも吉原って何ですか」「何をごちゃごちゃ言っていやがる。邪魔をするんじゃねぇや」「それは困りましたね。私たちは邪魔をしに来たのですよ」「何だと、俺らの相手をするってのか」見物人の誰かの声が響いた。「あそこにいなさるのは橘道場の龍一郎師範と奥方様のお佐紀様じゃないかい」「おぉ、本当だ。回りにいなさるのは門弟衆じゃないのかね」「まさか、三人の娘さんも門弟なのかい」そんな声が聞こえたのか、与太者五人が龍一郎の方を向いて三人の娘たちに言った。「てめいたちは橘道場の者か」「はい、左様で御座います。自分で言うのも恥ずかしいですが、私たちはとても強いですよ」「何、ぬかしやがる、橘道場がなんぼのもんだ、第一若い娘が二人に餓鬼が一人じゃねぇ~か」「兄貴、儂ら二人に同じ顔の二人を貰えますかい」「良し、良いだろう、てめいたちに任せるぜ、好きにしねい」「へい」子分二人が前に進み葉月、弥生が前に出ようとするとお雪が二人を止めて前に出て行った。「何だ、餓鬼が、引っ込んでいやがれ、邪魔だ」「其方ら二人には私で十分です」「何をぬかしやがる」「生意気な餓鬼め」二人の与太者が再度前に進むと、お雪が右手を後ろに回し、帯の間から小さな木刀を出して、一瞬の内に間合いを詰め、二人の右上腕を叩き折った。「ぎゃ~」「痛て~」二人の叫び声が参道に響き渡り、他の音も声も聞こえなかった。「葉月お姉様、弥生お姉様、これで宜しいでしょうか」「はい、お雪ちゃん、上出来です、精進しましたね」「葉月お姉様、私たちも負けずに精進致しましょう」「そう致しましょう、さて、次は用心棒のお二人でしょう、お雪ちゃんばかりに働かせる訳にもいきませぬ」お雪が後ろに下がり双子の二人が前に進んだ。見物人からまた声が掛かった。「あんなに小さな娘子がむちゃくちゃ強いじゃねいか」「おぉ、流石は橘道場の門弟だね」「あんな小さな門弟がいたかね、それも娘だぜ」「師範の養女じゃねぇのか、それとも隠し子かねぇ」「あらあら、お雪は、お前様の隠し子だそうですよ。私は怒るべきでしょうか」「すまぬな、許してくれ、他に二人の双子もおる」お佐紀と龍一郎が戯言を言い合った。兄貴分が痛みに叫ぶ二人を蹴とばして叫んだ。「煩せい、情けねい奴らだぜ、退け、退きやがれ、先生方、お願いしますぜ」「ほらね、弥生、やはり次は用心棒ですよ」「はい、お姉様、あの兄貴分は口ばかりのようですね」「さて、お雪ちゃんのように致しましょう」「お雪ちゃんは二人が相手だったのに私たちは一人づつですね。狡いわ」「でも、先ほどの二人よりは少しは強いでしょ」「強いと言ってもね」「弥生、貴方の自惚れではありませぬか」「欠点、弱点が解るかですね。二人とも手に豆がありませぬし、左肩が刀の重さで下がっています」「武士ならば刀の重さで肩が下がるものですよ、弥生」「はい、お姉様、ですがそんな方たちは鍛錬不足です。龍一郎様も館長も左肩が下がりませぬ。十兵衛様も鐘四郎様も当初は下がっていましたが今では下がっておりませぬ」「良い見識です、私もそのように思います。但しもう一つ、一人は左膝が悪く以前の怪我が完治しておらぬのでしょう」「勉強になりました。お姉様」「もう一人は左足首が悪いように見えるのですが」少し後ろにいた、お雪が言った。「はい、そのようですね。お雪ちゃんの気付きは凄いですね、弥生」「はい、 勉強になりました」回りが固唾を飲んで見守っていて静まりかえっているので三人の声が見物人の後ろまで聞こえた。「綺麗な同じ顔のお二人さんよ、大丈夫かい」見物人の一人が声を掛けた。「ご心配ありがとう御座います。ですが、先ほどの妹よりも姉の私たちの方が少し強いのです」声を掛けた見物人の方を向いて弥生が答えた。前に出て来た用心棒の二人が娘二人が相手だと言うのに剣を抜き、峰に返すこともしなかった。「おやおや、真剣です、お姉様・・・お雪ちゃんよりも多くしたいのですが宜しいでしょうか」「はい、右の肩も粉々に砕き武士として『たつき』の立たぬように致しましょう。弥生」「この小娘らは、我らに勝つつもりのようじゃぞ」「小娘とて橘の者じゃぞ、先ほどの小童も思いのほか強かったで、気を抜くでないぞ」「与太者と我ら武士との違いを見せてくれるわ」葉月と弥生がお雪と同じように右手を後ろに回し帯の間から小太刀様の木刀を出して右に垂らした。「お姉様、この人たちは気配を感じることも出来ぬようです、がっかりです」「そのようですね、遊びにもなりませぬな、弥生」「ぬかしおったな、死んでから悔め~」二人の用心棒が同時に剣を頭上に掲げ前に突っ込んで来た。次の瞬間には二人の用心棒がその場に倒れ刀を落とし左手で右手を包み痛みに苦しんでいた。双子の二人はと言えば、何事も無かったかのように元の位置に戻り木刀を右手で後に回し帯の間に入れていた。「さてと、兄貴分さん、貴方一人になりました、どう致しますか」「・・・」「どうなさいました、お~い、聞こえていますか、兄貴分さ~ん」兄貴分は少し振るえ、顔を引き釣らせながら少しづつ後ずさりしていた。「兄貴分さん、用心棒と弟分の四人を置き去りにするのですか」弥生の言葉が終わらぬ内に兄貴分は振り返り脱兎のごとく走り去って行った。「あらあら、置き去りですね」「私たちも見習わなければなりませぬね、知らせが大事な時もありましょう、そのような時には仲間を置き去ることにもなるでしょう、弥生、お雪ちゃん」「では、暫くすると大勢がやって来ますね、お姉様」「多分そうなるでしょうね、ですが、此処では参拝の皆さまのご迷惑です」「娘さんよ、そっちの裏に広い空地があるぜ」最前列の見物人の一人が指差して方向を示してくれた。「教えて頂き、ありがとう御座います。龍一郎様、向こうに広場があるそうです、そちらで待ちましょう」「良い考えじゃ、皆でその広場へ行きなさい、私はここで其方らが広場で待っていると伝えよう」「お前様、私もご一緒致します」「願おう」葉月と弥生を先頭に仲間たちと見物人たちがぞろぞろと広場へと向かって歩き出した。参道には店番も誰もいなくなり、龍一郎と佐紀だけが参道の入口に立っていた。四半刻が経とうとする頃に右手から大勢の人が走る足音が聞こえた。逃げ去った男を先頭に四、五十人程の渡世人、浪人が現れ、四人が担ぐ輿に乗って派手な服を着た男が先頭に出て来た。「おい、二人だけで誰もいねいじゃねぇか、どうなってんだ」「あれ、大勢の人でごったがえしておりやしたんですが」「店にも誰もいねいじゃねいか」「おい、そこの二人よ、みんなはどこに行っちまったんだ」「おぉ、其方は仲間を置き去りにして逃げた兄貴ではないか」「それに私たち二人だけではありませぬ、其方が置き去りにした四人も苦しんでおりますよ」「そんな役立たずはどうでもいいや、小童は何処へ行きやがったか、言え」「怖がって震えて逃げた者が戦った者を足蹴にするとは、親分さん、良い子分をお持ちですね」「てめい、言ってたことと違うじゃねぇか、くそ、おい、この裏切り者を畳んじまえ」「ひえぇ~、親分、勘弁してくだせい、お願いです」逃げた男は子分たちに足蹴りされ痛みに呻いていた。「それで、そこの四人を倒した者たちは何処におるか、教えてくれぬかな」「流石に親分さんですな、ものの聞き方をご存じじゃ。その者たちと店の者たちと参詣の者たち、皆は向こうの広場で其方らを待っておる」「処で親分さんのお名前を御聞かせ下さいませぬか」「良い女だのぉ、答えよう、儂はこの当たりの縄張りを仕切る勝蔵だ、覚えておいてくれ」「お名乗りありがとう御座います、ですが、覚えてもしょうがありませぬ」「何故だな」「今日で一家が解散するからですよ」「何だと、このあま、ちょっと良い女だからって調子に乗りやがって」「待った、親分、この女は大試合で女子の部の勝者になった、確か・・・佐紀ですぜ、それに、隣にいるのは成人の部の勝者の橘龍一郎ですぜ」「何だと~、嘘じゃ無いだろうな、じゃあ何かこいつらは橘道場の連中を相手にしたってのか」「さぁ、どうでしょう、解りません、ですが、娘三人と言ってましたんで違うでしょう」「良し、兎に角、向こうへ行ってみるか、行くぞ」ぞろぞろと皆が広場へ向かって歩き出し、その後を龍一郎と佐紀が続いた。広場では群衆がコの字になって口を空け与太者たちが来るのを待っていた。コの字の奥の先頭に龍一郎の仲間たちが立っていた。皆は誰が先に対するかを「虫拳」 で決めていた。「虫拳」 または「狐拳」 は現代の「じゃんけん」に当たるもので、カエル・ナメクジ・ヘビの3種類を出し合い、ヘビはカエルに勝ち、カエルはナメクジに勝ち、ナメクジはヘビに勝つ、という決まりだった。 「やった~」平太が喜びの声を上げた。二番は舞で三番はお峰で四番はお駒だった。当然のように、それぞれの合い方が横に並んだ。一番手の平太の横にお雪、二番手の舞の横には誠一郎、三番手のお峰の横には平四郎、四番手のお駒の隣には清吉が立っていた。コの字の中に無頼者たちが入ると龍一郎と佐紀が逃げ道を塞ぐように立ち、その後ろに見物人たちが移動して塞いだ。「三人じゃねぇじゃないか、それに娘じゃないぞ、どうなってやがる」「親分、橘道場の奴らですぜ、逃げやしょう」「ばかやろう、儂らの商売は後ろを見せたら仕舞なんだよ、行け、行け」「よ~し、これだけの数がいりゃあ大丈夫だぜ、皆で掛かるぜ」「おお~ぉ」渡世人たちと用心棒浪人たちが刀を抜き一斉に飛び出して行った。一番手の平太とお雪が真っ先に迎え打った。道場の男たちは鉄扇、女達は小太刀の木刀で一家の者たちの上腕と鎖骨を叩き砕き、浪人は剣者としての道を絶ち、渡世人たちは足の骨を砕かれ悪さが出来ないようにした。後で数えて見ると渡世人が三十五人で浪人が十人の計四十五人だった。対した龍一郎の組は四組の八人だった。「流石に橘道場だで、強いやね」「んだ、んだ、女子も強いやね」「女子だが、小童も強かったの」「こいつらどうすべ」「ほっとけ、ほっとけ勝手に眼を覚ますだでよ」「お前ら何処の者だ、訛りが強いな」「おら、神田の生まれだでよ」「ぬかしやがれ、江戸者がよ、おら、だの、だでよ、なんぞ言わんぞ」「訛りなんぞ、どうでも良いわ、橘道場の者は強い、なしてあげにつよかと」「ほうじゃのぉ、まぁ、厳しい、厳しい修行をしておるのじゃろう」<つづく>
2025.09.24
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<走り競い>-----#320 以前、江戸では誰が剣術で一番強いかが読売にもなり評判になったが、今また評判になっていることがあった。 それは、だれが一番早く走れるかだった。 勿論、大本命は飛脚屋だった。その中でも常陸屋の藤次郎という男が別名を韋駄天の藤次と言われ、大本命だった。 「走り競い」現代で言えばマラソン大会のような催しが行われることとなった。 勧進つまり掛かる資金を提供するのは加賀屋と能登屋であった。幕府はと言えば何か江戸の街に活気を取り戻すにはと思案していた事もあり諸手を上げて賛同した。区間は、街道の起点・日本橋から東海道を下り、次の宿場・品川までの往復と定められた。御府内の催しであることから、警備には月番に限らず南北両奉行所が当たり、さらに街道筋に関わるとして勘定奉行所までもが加わることとなった。 南北の奉行所が合同で何かを行う事は非常に珍しく、ましてやそれに勘定奉行所が合同するなど前代未聞な事であった。 事の起こりは龍一郎である。道場の門弟たちの足腰を鍛えるために近くの浜辺を走らせた。砂場を走ることは普通の地面を歩く、走ることよりも大いに鍛えられる。龍一郎と佐紀が先頭を走り、次は小兵衛、久が続き、次に門弟たちが走り、最後尾を葉月、弥生、平太、雪、柳生の二人が走り、浜辺の区間を何往復もする内に門弟は遅れ始め、龍一郎の仲間たちが門弟たちを追い抜き小兵衛、久の後に続いた。時に師範代の平四郎、峰、三郎太、有が参加していた。そして、時に町奉行所の十兵衛と鐘四郎も加わることもあった。 ある日、門弟が師範代に尋ねた。「皆さまの中でどなたが一番早いのですか」「競うたことが無いで解らぬな、まぁ、儂で無いことは確かよ」館長・小兵衛が答えた。「其方らやってみるか」小兵衛が師範代たちに尋ねた。門弟たちと離れて、小兵衛の回りに龍一郎と佐紀を除いた仲間たちが集まった。「館長、本気で御座いますか、我らが真の力を出しますと不味いことになりましょう」「解っておる、じゃが、この状況でやらぬ訳にも行くまい。そこでじゃ、この中で三郎太よりも早いと思う者は居るか、どうじゃ」皆が他の者たちを見渡したが、誰も名乗りを上げなかった。「と言うことじゃ、結果は見えておる、そこでじゃ、三郎太が力を十分に抑えて走り、皆が抜かぬようにすれば、それらしく見えるであろう、走り終えた後に息切れも忘れぬようにな、どうじゃ」「畏まりました」皆が承知し、小兵衛が砂浜に足を引きずり線を引いた開始線の前に立った。「行って、帰るの往復を二回じゃ、用意は良いな・・・始め~」皆が一斉に走り出した。真っ先に走り出したのは平太とお雪だった。この日の師範代は三郎太と平四郎で女子の部の師範代はお有とお峰で雪の後に続いた。一往復した処で三郎太が先頭になり、次が平四郎で平太、お雪、お有、お峰と続き終わった。「流石は三郎太さんだ、今評判の韋駄天の藤次とどっちが早いのかな」 門弟の一人が言った。 「何者だな、韋駄天の藤次とは」 「飛脚の藤次郎という男が別名を韋駄天の藤次と言うて早いと評判なのです、館長」 「定飛脚の権兵、治助も早いと聞いたぞ」 「公儀飛脚の与一が早いらしいそぞ」 「誰が早いのかな~」 巷では町飛脚の走吉、定吉、権太の名前も上がっていた。 そんな中、褒美の賞金を加賀屋、能登屋を勧進に催し物が行われるとの噂が流れた。 加賀屋の前に武家駕籠が止まり武家が降り立った、月番奉行・大岡忠相だった。 先振れの共侍を送ること無く忠相本人が敷居を跨いだ。 「主はおられるかな、南町奉行・大岡である」 「は・はい、どうぞお上がり下さい」 大試合の時にも会っていたので番頭は忠相を覚えていた。 「うむ、突然のお訪い、あい済まぬな」 忠相はそう言うと式台を上がり、番頭の案内で客人用の座敷に入った。 その間、二番番頭が奥の主・総左衛門へ知らせに行った。 忠相に台所の小女が茶を出して間を繋いだ。 総左衛門が襖を空け、その場で平伏した。 「お奉行様、じきじきのお出まし、恐れ入ります」 「まぁ、入れ、と言うても、ここは其方の家じゃ」 総左衛門が忠相の前に座り、番頭が座敷を出て行った。 「早速じゃが、今日は巷で評判になっておることで話に参った」 「はて、巷で評判と申しますと何で御座いましょう」 「誰が一番早いかじゃ」 「おぉ、そのことで御座いますか」 「誰が早いかの催しを行いたい、その催しを行うは世に活気をもたらすであろうとの幕閣の言葉でな、じゃが、幕府には銭が無い。 そこで、其方が勧進になってくれぬか、但し、催しの主催は幕府と言う、虫の良い話よ」 「これはまた、大岡様らしい正直なお話で御座いますな、先の大試合のようにで御座いますな、では、能登屋にも声を掛けますか」 「うむ、この後に訪ねるつもりじゃ」 「それは面倒な、今ここに呼びましょう」 「そうして貰えるとありがたい」 「番頭・善兵衛、聞こえたかな」 「はい、手代を向かわせました」 「そうか、ありがとう」 「はい、暫しのお待ちを」 二人は茶を飲み待った。 「総左衛門、其方と能登屋の主も元は武士であろう。龍一郎様の仲間では、いや龍一郎の言葉を借りれば家族ではないのか」 その時、襖の向こうから声が聞こえた。 「能登屋・庄右衛門で御座います」 襖が開き、庄右衛門が平伏していた。 「能登屋殿、手数を御掛けするの」 「とんでも御座いませぬ」 能登屋・庄右衛門が座敷に入り、総左衛門の隣に座った。 「それで、其方らは元武士であろう、龍一郎様の家族であろう」 「お奉行の眼力、恐れいります、確かに我らは元武士で御座います」 「して、龍一郎様の家族ではないのか」 「それについては、お答え出来かねます」 「解る、龍一郎様の許しがいるのであろう、これ以上は聞かぬ」 「ありがとう御座います」 「話を戻そう、誰が一番早いかの催しの話じゃ、主催は幕府で銭は其方らが出すと言う虫の良い話じゃ、どうじゃな」 「私どもも話をしておりましてな、まぁ、巷では常陸屋の藤次郎・別名を韋駄天の藤次に、定飛脚の権兵、治助、公儀飛脚の与一と言うものもおりますが・・・」 「みなを言わずとも良い、巷では知られておらぬが龍一郎様の仲間、いやそれ以前に龍一郎様がこの世で一番早かろう」 「・・・」 「・・・」 「其方らは知るまいのぉ、儂と龍一郎様は入魂じゃ、道場へは何度も行っておる。何度も龍一郎様にも、そのお仲間にも捕り物の世話になっておる」 「・・・」 「・・・」 「儂の言葉だけでは信用なるまい、次に龍一郎様と会うおりがあれば尋ねると良い。それで走りの催しのことじゃが勧進をお願い出来ようか」 「いか程、ご入り用ですか」 「二百両と見込んで居り申す」 「一軒でですか、併せてですか」 「併せてで御座る」 「それでは足りますまい」 「左様、二百両づつ、併せて四百両をお出し申します」 「おぉ、真か、忝い、恥を忍んで来たかいがあり申した。忝い」 大岡は上機嫌で店を後にした。 大岡は走りの催し物の支度は幕府が全て行うと言い残して行った。 大岡が加賀屋を訪ねた五日後に金六、銀八によつて読売が売られ、辻に高札が張られた。 「 勧進競い走り御試合之事 開催趣旨は誰が一番早く走れるかを決める催し成り、及び、両国橋の修繕成り。 その名を<江戸競い走り大試合>と致す。 走る区間は日本橋から品川までの行き帰りと致す。 出たき者は北町奉行所へ申し出ること。 主催日は翌月十日と致す、出る者は七つ半に日本橋に来るよう。 一等は十両、二等は五両、三等は一両を召し与えるもの成り。観覧料は無料なれど寄進を願い致す。 諸人来観致すべく候。 興行主は加賀屋及び能登屋。 南北奉行所、並びに勘定奉行所」 読売には高札の内容だけでなく、出場予定者と勝者予想も書かれていた。巷では常陸屋の藤次郎・別名を韋駄天の藤次に、定飛脚の権兵、治助、公儀飛脚の与一、町飛脚の走吉、定吉、権太の名前も上がっていて読売にも書かれていた。 まず最初に韋駄天の藤次が出ると読売に乗り、多くの者たちが辞退した。 だが、読売が予想した定飛脚の権兵、治助、公儀飛脚の与一、町飛脚の走吉、定吉、権太が出ると申し込みをした。 橘道場では門弟たちが三郎太に出ることを勧めたが三郎太は拒否していた。 夕餉のおりに小兵衛が尋ねると三郎太は忍び故に目立つことは避けたいと言った。 だが、お久に言われた。 「其方はもはや橘道場の師範代として世に名が知られていることをご存じではないのですか」 「えぇ~、そのようなことは考えても居りませんでした」 「いまさら、競い走りで勝者になっても橘道場の師範代なれば当然と思われるだけのことですよ」 「はぁ、左様ですか」 「其方もそろそろ表舞台に出る時と思いますがな、どうですな、お前様」 「久の言う通りに致せ」 「じいじはばあばの言う通りにしか言わん」 舞が小兵衛とお久をからかった。 「龍一郎様、宜しいでしょうか」 「許す、但し、二番手の者との差を一丁と致せ、良いかな」 「はい、一丁で御座いますね」 「三郎太さんには全力で走るよりも大変なことやも知れませぬな」 佐紀が珍しく言葉を添えた。 翌日、受付の北町奉行所へ出場の申し込みに三郎太が出かけて行った。 掛かりは中間で、その後ろに責任者の武士が控えていたが、その武士は橘道場の門弟だった。 「おぉ、三郎太師範代、今朝程はご指導ありがとう御座いました。師範代が競い走りの申し込みで御座いますね。 ありがとう御座います。我ら門弟衆は応援致します。治助さんや、橘三郎太殿の名を記入致せ」 「何を騒いでおる」 と奥から先輩同心が現れた。 その男は三郎太を見ると、同じように大喜びした。門弟、家族の鐘四郎だった。 「師範代なれば、巷で噂の韋駄天の藤次や定飛脚の権兵など眼じゃありませぬ」 「はぁ、ありがとう御座います、申し込みはこれで宜しいでしょうか」 「治助さん、書き込みましたか」 「はい」 「三郎太先生、受け付けまして御座います」 「ありがとう御座います」 三郎太はそうそうに奉行所を後にした。 三郎太は道場指南、丘修行、山修行よりも疲れを覚えた。 忍びとして役に扮しての会話は平気だが、三郎太としての素での会話に疲れを感じた。 催しの前日、参加者が決定した。公儀飛脚の与一、定飛脚の権兵、治助、町飛脚の韋駄天の藤次、走吉、定吉、権太、三郎太の八人だった。大会当日は沿道に見物人がこんなに人がいるのか、と言う程に人が集まり、食べ物屋が軒を並べ、大道芸人も大勢集まっていた。出発地点であり、終着地点でもある日本橋は身動きも出来ない程に人でごった返していた。龍一郎たちはと言えば清吉とお駒の料亭・駒清が競い走りの通りにある為二階の窓から覗いていた。 競い走りの始まりの地点は橋の手前だった。橋の上に八人が横に並び開始を待っていた。南町奉行所の与力・十兵衛が橋の端に立ち右手を上げて大きな声を上げた。「宜しいか、宜しいな・・・用意・・・はじ・・・め~~」八人が一斉に走り出した。先頭は町飛脚の韋駄天の藤次、続いて定飛脚の権兵、治助、公儀飛脚の与一、町飛脚の走吉、定吉、権太と続き最後が三郎太だった。折り返しの品川に着く頃には先頭が韋駄天の藤次と変わらなかったが、二番手が公儀飛脚の与一、三番手が定飛脚の権兵、続いて三郎太、町飛脚の走吉、定吉、定飛脚の 治助、町飛脚の権太だった。一回目に日本橋に着いた時には先頭が韋駄天の藤次と変わらなかったが、二番手が定飛脚の権兵、三番手が三郎太、その後に定飛脚の権兵、定飛脚の 治助、町飛脚の権太、走吉、定吉だった。沿道に並ぶ観覧者たちは前に走者が近づくと大歓声を上げていた。二度目に折り返しの品川に着いた時には先頭は変わらず韋駄天の藤次だったが、その直ぐ後ろに三郎太が走っていた。続いて定飛脚の権兵、定飛脚の権兵、町飛脚の権太、走吉、定吉、定飛脚の治助だった。そして、最終地点まで後二丁程の処で三郎太が韋駄天の藤次を抜き、先頭に立った。三郎太は速さが衰えるどころか、速さが増し韋駄天の藤次との差をどんどん広げて、二番手と一丁程の差を開けて、最終地点に達し勝者となった。二番手は韋駄天の藤次、三番手が町飛脚の権太、四番手が定飛脚の権兵、町飛脚の走吉、定吉、定飛脚の治助と続いた。三郎太が到着した時には大騒ぎとなり、二番手の韋駄天の藤次が到着した時には紙吹雪が舞った。祝いの紙吹雪では無く、一番を韋駄天の藤次に掛けていた紙切手が予想が外れて舞ったのである。 龍一郎の仲間の内、お駒とお高が真っ先に競い合い切手を買い、二人から話を聞き、平太、雪、平四郎、清吉、定吉、双角、慈恩、正平が買い、平太から葉月、弥生、糸が勧められて買っていた。勿論、勝者が三郎太へであり、巷の一番予想が韋駄天の藤次だったので百倍になる計算だった。 日本橋の広場で授賞式が行われ、一番手から三番手までに賞状と賞金が渡された。賞状と賞金が一人一人に渡される度に大歓声が沸き起こった。授賞式が終わり、皆が入り乱れた途端に三郎太の姿が消え、暫くすると船宿・駒清で見物していた皆の部屋に降り立った。「三郎太殿、ご苦労でした」「ありがとう、御座います」「速さを抑えることは、事のほか疲れたであろう」「はい、山への行き帰りよりも疲れました」龍一郎の労いと問いに三郎太が答えた。その後、皆から労いの言葉が掛けられた。 <つづく>
2025.09.23
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<団子茶屋の鍛錬>-----#319「ご亭主殿、茶と団子をお願い致す」 「はいよ、茶と団子を二人分ですな、婆さんや聞こえたかのぉ」 「婆さんはいませんよ、私はまだまだ娘ですよ」 主は近くに人がいないことを確かめて二人の客に声を掛けた。 「誠一郎様と舞様でしたな、今日はどのようなご用件で御座いましょう」 「はい、左様で御座います。さして用は御座いませぬ、しいて申せば、お二人の鍛錬は如何なものかと」 「御蔭様で生きがいが出来まして朝な夕なと鍛錬ずくしで御座います。朝は暗い内に走り、その後、竹刀振り、夜も竹刀振りをしております。近々、道場に重しを頂きに参ろうかと思うておりました」 「それは、それは良き刻に参ったということで御座ろう。さもあろうかと重しを持参致しました」 誠一郎と舞は背中に背負った背嚢(はいのう)を降ろし、中から重しを出した。 そして、もう一つ折り畳まれた背嚢を出した。 「走る時にこの背嚢に石を詰めて重しとし鍛錬するのです、我らはそうしています」 「成程、成程、それは良い、それを我らに貰えるのかな」 「そのつもりでお持ちしました。どうぞお使い下さい」 「ありがとう、では早速、石を入れてみたいが宜しいか」 「どうぞ、既に貴方がたの物です。どうぞ、お好きなように」 主は折り畳まれた背嚢を受け取り開くと近くの大きな石を詰め込み重さを計り、満足すると背中に背負い家の回りを走り回った。妻も舞から背嚢を受け取ると石を詰め背負うと亭主と同じように家の回りを走り出した。 その走りはなかなかのもので、龍一郎たちが訪れてから毎日相当に鍛錬していたことを伺わせた。 山門から人が出て来たので二人は走りを止めて止まった。少し息が荒く肩が上下していた。 山門から出て来た老夫婦は茶店にやって来て、空いた縁台に腰かけた。 「いらっしゃいまし、何に致しましょう」 「そうですね、私は草団子を二本お願いします。貴方は」 「そうじゃのぉ、儂はあんこの団子とみたらし団子を一本づつにしよう」 「畏まりました。少々お待ち下さい」 誠一郎と舞はただの団子と注文したので、みたらし団子が皿に乗っていて、二人はお茶を飲みながら五玉の団子二串をゆっくりと食べた。 その間に老人二人の注文の品も届き食べ始めていた。 参道に人通りが多くなり、先ほどまでの静寂が嘘のように騒がしくなった。 その中の渡世人風の二人が一度行き過ぎて戻り茶店の前に来て老夫婦に話掛けた。 「爺さん、婆さん、旨そうなもん、食ってるじゃねぇえか。儂らにも食わせてくれよ」 老人二人は怯えて何も答えられずにいた。 「どうした、どうした、儂らにも食わせろと言ってるのが聞こえねぇえのかよ」 老人の亭主が振るえながら一本残った皿を前に出した。 「お客人、ご注文でしたら私が主人です、私にして下さい」 「煩せいや、引っ込んでいやがれ」 「ご亭主、こう言う御仁は多いのですか」 誠一郎が横の縁台に座ったままで間に入った亭主に尋ねた。 「いいえ、初めてのことです」 「なに、二人でくっちゃべっていやがる。儂が話ているんだ、餓鬼は引っ込んでな」 「御亭主、拙者がお相手致しますか」 「御親切ありがとう御座います。私が対処致します」 「てめいら、いい加減にしやがれ、俺を除け者にしやがって」 亭主が右手を後ろに回すと妻の於登勢(おとせ)が心張棒を渡した。 「一緒に暮らしている時が長いと左様に心が通うものですかな」 「他の夫婦は存じませぬが、我ら夫婦に言葉は要りませぬ」 「大変勉強になりまして御座います」 「てめいがおれっちの相手をするって~のか」 「はい、左様で御座います」 亭主は心張棒を正眼に構え、少し斜め後ろに控えた於登勢も竹の棒を正眼に構えていた。 渡世人風の男二人が長ドスを抜いて構えた。 亭主が一歩前に出た、途端に渡世人風の男の一人が長ドスを上段に移し亭主に切り付けた。 亭主は右に避けると心張棒を腹に叩きつけ、横では於登勢も竹の棒をもう一人の腹に叩き付けていた。 老人二人は唖然として亭主と於登勢を見つめていた。 渡世人風の男二人は気を失っているのか、ぴくりとも動かなかった。 誰が知らせたのか、暫くして岡っ引きが来て二人の眼を覚まさせ番所へ連れて行った。 岡っ引きには老人二人が亭主と妻女の無実を証言した。 「危ない処をお助け頂き、ありがとう御座いました」 老人の客が亭主に礼を言った。 「いいえ、私どもこそご迷惑を御掛け申しました」 「私は薬種問屋・越中屋の隠居・徳右衛門で隣は女房の土岐で御座います。 茶店の主が悪党退治するなど聞いたこともましてやみたこともありませんでした。 忝う御座います」 「私は、この辺りでは宗の字と呼ばれております、女房は於登勢(おとせ)で御座います」 徳右衛門は紙入れから一分銀を出して主に渡した。 「釣りは要りません」 「ご隠居様、これでは多すぎます」 「珍しいものを見せて頂きました。見物料で御座います」 「ありがとう御座います。またの起こしをお待ち致します」 「はい、寄らせて頂きます」 老夫婦は改めてお辞儀をして店を去って行った。無論、店の二人もご辞儀をして見送った。 「やっぱ本当のようだ、あん店の主は元武士のようだ」 この光景を見ていた見物人たちが話合っていた。 「女将もやっつけたぞ、流石は武士の嫁さんだの」 「武士の嫁さんも剣術の稽古をするのかの」 「いや、いや、わしゃ~聞いたことがない」 「儂はあの茶屋の団子が好きでの、よう食べとるが武士だとは気付かなんだ」 「士分が団子屋に変わるとは、見上げたもんじゃ」 「団子は旨いか、御隠居よ」 「あぁ、旨いぞ、種類も多いぞ、みたらし団子、胡麻団子、醤油焼き団子、餡団子、草団子、黄粉団子(きなこ団子)となんでもあるぞ」 「よし、儂は餡団子、草団子を食べに行くべ」 「儂はみたらしを食べに行こう」 店は見ていた者たちが客になり込み合って来た。 舞が支払い、誠一郎と舞は店を立ち去った。 支払いの時に舞は小さな声で主人に言った。 「座禅を修行に加えて下さい、気を消すことも学んで下さい」 その後、普通の声に変え「御馳走様でした」と言った。 店を離れて誠一郎と舞は並んで歩いていた。 「お二人の鍛錬は私の予想以上のようです」 「はい、私もそのように感じました」 誠一郎の言葉に舞も賛同した。 「龍一郎様に浜屋敷での鍛錬を具申してみます」 「私もそれが良いと思います」 「お前様、私たちの技前が上がりましたようです」 団子屋が店終いの片づけを終わり、奥の部屋で茶を飲んでいた。 「そのことよ、無頼者の動きが遅く見えた、其方はどうであったな」 「私もそのように感じました」 「龍一郎様の言葉を信じ、鍛錬致そうぞ」 「はい」 「其方は辛くは無いかの」 「苦しい時も御座いますが、楽しくもあります」 「そうそう、舞殿が一言言うて言った。座禅をしろ、とのことでな」 「座禅で御座いますか」 「そうよ、気を消すことを学べと言うておった」 「座禅で気が消えますか」 「龍一郎様からの言葉であろう。従おうではないか」 「はい、では早速、座禅を致しましょう」 「うむ、始めよう」 二人は結跏趺坐に足を組み、座禅の態勢になった。 <つづく>
2025.09.22
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<城への地下道>-----#318富三郎は養老の山で地下蔵を作った時にレンガ作りに慣れ、龍一郎達に伝授し彼らも慣れた。 その後、丘屋敷にも地下蔵を作ったことで熟練し、この時に甚八達、元伊賀の住民達も熟練の域に達していた。 龍一郎の依頼により吉宗から甚八が拝領した屋敷から千代田の城の吉宗の瞑想の御堂への地下道を龍一郎から依頼され富三郎が測量と設計を行い甚八達が地下道建設を行っていた。 甚八達は千代田での吉宗の警護と城全体の警護、山での修行、丘屋敷の警護と鍛錬、拝領屋敷の警護、吉宗と龍一郎から受けた地方や江戸市中の探索と非常に忙しい合間を縫って拝領屋敷から千代田の城への地下道の工事を行っていた。 以前は養老一帯の悪餓鬼集団の大将と副将だった巳之吉と朋吉は龍一郎の一睨みで改心し、龍一郎の命で富三郎の弟子になりレンガ作りとレンガを使った蔵作りを教わり熟練しており、この地下道作りに率先して参加し仲間の指導も行っていた。 千代田の城への地下道は御濠の下を通る為、深く深く作らなければならなかった。 その為もあり、当初、拝領屋敷の蔵から地下にレンガ作りの武器や非常用の食料貯蔵倉庫を作った。その後、その下から城への地下道を作り始めた。 材料のレンガは養老の里で作られ、一旦、丘屋敷に貯め置かれ、必要に応じて拝領屋敷に運ばれていた。 富三郎は最初に測量し城の御堂への道筋を図面に書き甚八に渡した。そして時々深さと向きの検証に訪れていた。 一度、富三郎が検証に訪れた時に道筋が外れており少し手前から向きを変えたことがあった。 逸れた穴は広めて倉庫に使うことにした。 穴を掘る時には籠に鳥を入れ穴の先頭に置くようにしていた。これは富三郎の助言によるので、 この時代には呼び名はないが身体に良くないガスや酸素が薄くなった時に鳥が弱り、知らせてくれるのである。幸運なことにこれまでのところ鳥は元気だった。 穴が堀の下に達した時に天井から、横から水が噴き出して来た。 富三郎は床、横壁、天井の全てをレンガで作らせレンガの繋ぎに漆喰を使わせた。そして床の両側を一段低くし屋敷に向けて傾斜するようにしていた。床は中央が少し高くなっており水はどちらかの壁に向かい、壁際の溝を伝い屋敷下の大穴に向かうようになっていた。 こうして穴を堀り一列づつレンガで穴を補強して堀り進んでいた。 流石に堀の下を掘っている時は進みが遅くなったが堀を過ぎると進みが戻り十月で目的の御堂の下に辿り着いた。目的地に近くなると富三郎の訪問頻度が増し何度も何度も測量と修正を繰り返した。 最後に富三郎は御堂の床下から穴を堀り長い鉄の棒を繋ぎ地下に打ち込み横穴に繋がると縦穴を大きくしていった。竪穴の壁もレンガで覆い梯子を着けた。 実は御堂の図面を書き、建築を主導したのは富三郎だったのである。 吉宗と御側御用取次の加納との計らいで作られ依頼が富三郎になったのである。 無論、龍一郎が門弟である加納に道場で依頼し吉宗に伝え、吉宗が側用人の加納に伝えた形を取り、加納が作事方に御堂の図面を巷で評判の棟梁・三代目・作衛門にせよ、と指示したのである。 三代目・作衛門は清吉の船宿と浜屋敷を建て巷で評判になっていた。 作衛門は浜屋敷を作りに当たり縁の出来た富三郎を図面作りに加えることを清吉に依頼された時に一も二もなく了承した。 千代田の城で吉宗の信頼厚い用人は絶大な権限を持ち序列では将軍に継ぐ老中でも無下には出来ない存在だった。 富三郎は図面書きだけでは無く、大工でもあり秘密の出入口の造作は富三郎自身が細工した。 そして、時に腐り具合や不具合を確かめるとの理由で富三郎が城に上がっていたのである。 こうして、千代田の城の粛清が終わり二月程経った頃に城から甚八の屋敷への地下道が完成した。 御堂から地下道への入口は仏像が置かれていて五か所を順番に移動させて初めて横に動くようになっていた。そして、降りる途中で棒を下に降ろすと重しにより仏像と台座が元に戻るように工夫されていた。 この地下道の建設目的は非常時における将軍・吉宗の逃げ道、これは名目上のことで、真の目的は吉宗を市中への散策へ誘う為のものであった。 勿論、最初にこの地下道を利用したのは龍一郎だった。 それは完成を祝した宴を龍一郎の指示の元、丘屋敷で行われた日のことだった。 <つづく>
2025.09.21
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<四宿の頭>-----#317江戸は千代田の城を中心に北東の道を辿れば日光街道の起点千住の宿場、北西の道には中山道の板橋の宿、西へ進めば甲州街道沿いの内藤新宿 、南に向かうと東海道の起点である品川宿の四つの宿場町があった。吉原は幕府公認の色街であったが、四宿には非公認の色宿があり、吉原では会所・頭取の四郎兵衛の指示の元、四宿の情報を集めていた。関八州の清掃、排泄物の処理等を担っていた非人の元締め浅草弾左衛門も、四宿の情報を集めていた。南町奉行の大岡忠相から江戸全域を担当区域として認められた岡っ引きの清吉は異例にも十手を常時持たされ、四宿の情報を集めていた。吉原の四郎兵衛、非人元締めの弾左衛門、南町奉行の忠相も互いにそれぞれに情報収集をしていると想像はしていたが確実にその事を知っているのは龍一郎だけだった。この日、料亭・揚羽亭では夕餉前七つのいつもは受付ない時間にお客様を迎えていた。予約したのは龍一郎で料亭では断れるはずも無かった。訪れたお客様は吉原会所頭取・四郎兵衛、非人頭・弾左衛門、南町奉行・忠相の三人に龍一郎とお佐紀だった。「本日はお忙しい中、お集り頂き忝のう御座います」「何を申す、龍一郎殿、其方様のお声が掛かれば何を置いても駆けつけるに決まっております」「左様、儂は其方の家来と思うております」四郎兵衛に続いて弾左衛門が己の心の内を述べた。「龍一郎殿、其方は不思議な御仁じゃな。儂も二人と同じ心持ちじゃ」忠相も賛同した。「有難き幸せに御座いまする」三人の心持ちに龍一郎が礼を述べ頭を垂れた。「それで、龍一郎殿、此度の呼び出しは何で御座ろう」「おや、お奉行もご存じないので御座いますか」「私はお奉行の仕事ではと思うて居りましたが」忠相が龍一郎に要件を尋ね、四郎兵衛と弾左衛門がそれぞれの思いを言った。「皆さまは急ぎの御用でも御座いますでしょうか、なければ折角の揚羽亭で御座います、美味しい料理など食べてからと思うて居りますが如何でしょう」「某は構わぬが」「揚羽亭の料理ならぜひにも食して見たいものですな」「私はそのつもりでおりました」「では、食事を先に致しましょう、女将さん、お願いします」「はい、畏まりました」襖の向こうから女将と思しき女性の声が答えた。「三人はこの揚羽亭での飲食のご経験は御座いますか」「私は二度寄せて貰いました」「儂は一度だけ参りました」「某は今日が初めてで御座る、来たい、来たいと思いながらもまだで御座った、一度予約が取れたのじゃが盗賊が出おってな、取り消しで御座った」「失礼致します、先付けで御座います。お召し上がり下さい」大女将のお高と若女将の揚羽が二人分のお盆を持って来て、まず忠相と弾左衛門の前に置き、廊下に控える女中からお盆を受け取ると四郎兵衛と龍一郎の前に置いた。「こちらは湯葉と釜揚げ豆腐と大根の千切りで御座います」「おぉお、この白いのは亀ではないか、これが化粧彫りという物ですかな」「おや、女将、確か湯葉と釜揚げ豆腐は船宿・駒清の物ではなかったかな」大女将の料理の説明に弾左衛門と四郎兵衛が述べた。「はい、良くご存じで嬉しく思います。本日は特別に駒清の料理人をこちらに呼んで御座います」「おぉお、では、こちら、揚羽亭の精進料理だけではのうて、駒清の京料理も賞味できるのかな」「頭取・四郎兵衛様はお詳しゅう御座います。おしゃべりもよろしゅう御座いますがお食べ下さい」大女将の言葉に皆が箸を取り思い思いに口に運んだ。「旨い、これが大根とは思えぬ」「旨い、これが豆腐本来の味なのかな、何、大根も旨いか・・・うむ、旨い大根がこれほど旨いとはな」「本当だ、旨い豆腐も旨い、今まで食べていた豆腐は何だったのだな」弾左衛門と四郎兵衛が交互に料理を褒めちぎった。「龍一郎殿、儂の酌を受けて下され」弾左衛門が銚子を持ち龍一郎に向けた。「忝い、頂き申す」龍一郎が杯に受け一気に杯を空けた。「次は儂のも受けて下され」四郎兵衛が銚子を龍一郎に向け杯に注いだ。龍一郎は、これも一気に飲み干した。「龍一郎様は酒に強いようだ、某からも受けて下され」弾左衛門、四郎兵衛に続いて忠相も銚子を持ち龍一郎の杯に注いだ。龍一郎はこれもまた一気に飲み干した。「私も大岡様の倅・誠一郎殿のことは責められませぬ、幼き頃に悪童で御座いました」「儂とて同じでしてな、若き頃には悪垂れでした」「大岡様も龍一郎様も幼き頃は遊ばれたようで、儂と同じですな、儂はご存じのように吉原生まれ、真面目に育てと言われても無理でしてな。弾左衛門様は如何でしたかな」「儂とて同じようなものでな、非人部落で生まれ、育てば真面目に育つ訳もないでのぉ」「大岡様はその若き頃の行いが今に生きているのでは御座いませぬか」「四郎兵衛殿の申される通りで御座る。町屋を見守る役目の者が町屋を知らぬでは役目になりませぬ」「此処だけの話、こう申しては御幣が御座いましょうがお奉行様で町屋を知る方は御座いませんな」「弾左衛門殿の申される通り、大岡様のように吉原に足を向けた方は居りませんでしたな」それ以降、精進料理と京料理の膳が出され皆が舌鼓を打った。料理も酒も打ち止め皆が茶を飲み始めた。「さて、龍一郎様、そろそろ本日の主題を御聞かせ下さらぬかな」四郎兵衛が龍一郎に願い、忠相と弾左衛門も頷き龍一郎を見つめた。「では、本日、お集まり頂きましたのは四宿についてで御座います。三人はそれぞれの組織が四宿の状況を調べさせていると薄々感じてはおられようが実態はご存じでは御座いませぬ。全てを知るのは某のみに御座る。まずは町奉行所、南町と北町が独自に探索をしております。与力・同心は感知せず、岡っ引きが下ッ引きを使い探索をしております。ですが下ッ引きのそのまた下ッ引きは小銭欲しさに噂を見てきたようにいう者、嘘を伝える者もおり、どれが真実やらの状況に御座います。四宿を束ねる者もおらず、状況が纏まっておりませぬ。次に弾左衛門殿のところは四宿に状況を纏める者を定めて居りますが非人は一処に長いは致さぬようで定まりませぬ。四郎兵衛様の処は上手くいっているのは千住だけで御座います、新宿、品川、板橋は纏め役が定まらず、会所の人間が時に状況を調べに行って居ります。いずれも、纏め役の欠如で御座いましょう。そこで、我らの仲間の者を長にと思うております。三人様の組織を一つに纏め状況を四宿の頭に集めとう御座います」「その任に適した者がおろうか、統率力があり、技に優れ、話も上手くなければなるまい、そんな者がおれば、儂の側近にしたいくらいじゃわい」「左様、弾左衛門様の申される通り、その者なれば会所で雇いたいものじゃて」「儂は其方の仲間の清吉殿に任せておるがまだ千住だけのようじゃ」「はい、清吉は上手く働いておりますが岡っ引き仕事の片手間ではなかなかに進みませぬ、そこで新たに二名をと考えました」「その二名は龍一郎殿の仲間で御座るな」「左様、その二名、ここに、揚羽亭に来て居ります。本日の料理人・双角と慈恩に御座います」「何、揚羽亭と駒清の新たな名物を作った料理人か」「左様、双角、慈恩、参れ」襖が開き二人が頭を垂れ膝行して部屋に入って来た。「おぉお、大きな御仁じゃのぉ」「真に大きな御仁じゃ」「双角と申します、以後、御見知り置きをお願い申します」「慈恩と申します、以後、御見知り置きをお願い申します」二人が顔を上げ名乗った。「何とも勇ましい顔付きじゃ。儂は龍一郎殿、其方にお任せ致す。清吉の仲間なれば繋ぎも早かろうでな」「儂も龍一郎様にお任せ致す。仙太郎と繋ぎを付けて下され」「儂も依存はない、次郎太に繋ぎを頼む」忠相、四郎兵衛、弾左衛門が龍一郎の願いを聞き入れた。「我らは決して一人では動きませぬ。弾左衛門殿の倅殿と妻女、四郎兵衛殿の倅殿と妻女の技量が高ければ、この任を任せたいのですが、残念ですがまだまだで御座います。大岡様の倅殿は任に十分で御座いますが同心の任が御座いますれば。故に他の仲間四名の者たちが初めの頃は加わります。その内の三名の顔を覚えて頂きましょう」龍一郎の言葉が途切れた途端に双角と慈恩の横に三人が現れた。「おぉぉ、分身の術を使いおるか」は知らん」「では、網元の家を教えてくれぬか」「おぉお、この店の女将ではないか」「大岡様、分身の術では御座いませぬ。双子に御座います」「なんと、同産の子と申すか、う~む、分身と双子の区別が着かぬわ」「しかし、龍一郎殿、何故に其方の処には見目麗しい娘子が集まるのかのぉ」「確かに、お佐紀様を筆頭に双子しかり、若女将しかり、大女将しかりじゃわい」四郎兵衛の言葉に弾左衛門が賛同した。「この者達は裏に徹します、表は双角も慈恩の二人で御座います」「二人は揚羽亭と駒清の料理人で御座いましょう、料理にお困りにはならぬのですかな」「我らは剣技も全て己だけのものには致しませぬ、己で考え鍛錬し教授致します。料理も他の者に教授して御座います」「お二人は元々料理人ですかな、剣技の程はどうですかな。四宿は荒くれどもも多う御座いますでな」「慈恩殿は一心流鎖鎌術の使い手、双角殿は宝蔵院槍術家で増上寺の槍術師範で御座います」「おぉお、増上寺様とも御縁が御座いますか、まさか法主様にもお会いには・・・」「御縁があり、お会い致しました。光栄なことで御座います」「何とも、龍一郎様の人の繋がりは計りしれませぬな」「四郎兵衛殿、我ら二人を合わせ、南のお奉行様とも繋がりを持たせて貰いました」「左様、左様」「その内に北町奉行もご紹介致しましょう、何せ、某も北の奉行も龍一郎様の弟子で御座いますでな」「我ら二人も勝手ながら弟子と決めて居ります、兄弟弟子で御座いましたか」四人は料亭・揚羽亭と船宿・駒清の評判の料理を堪能し帰宅の途に着いた。勿論、弾左衛門、四郎兵衛、忠相には影護衛が付いていた。こうして、千住、板橋、新宿、品川の四宿の頭が決まった。<参考>-----(銚子と徳利)-----------------------------------------------「お銚子1本!」という言葉を宴席で聞くことがありますが、たいていは一合(180ミリリットル容)ほどの徳利を想像されることでしょう。しかし、もともと「銚子」とは、あらたまった酒宴や三三九度などの儀式に用いる、長い柄(え)のついた金属や木製の器の ことを指します。宮廷の祝宴で使われた銚子は一箇所に注ぎ口のある片口となっています。大勢で酒盛りをする時など略式では両口のものを用い、左右の口から盃に注いでいました。 樽から取り出した酒は、「提子」(ひさげ)と呼ぶ上部に取っ手のついた器に移し、「銚子」の酒が足りなくなると酒を加えて補充します。そのため「提子」は「くわえ」とも呼ばれ、銚子の補助的な容器でした。 桃山時代(16世紀末)には、蓋(ふた)付きの提子があらわれました。 提子は湯や汁用などにも使われましたが、特に酒用の提子を江戸時代前期から「銚子」と呼び、 直接、盃に注ぐようになりました。天保年間(1830~1844年頃)には、鉄や錫・木製に加え陶製のものが使われはじめました。同じ頃、磁器の使用が広まると、カラフルな色絵や染付けを施した磁製の銚子もよく使われるようになりました。 「徳利」は酒を神棚に供えるための瓶子(へいし)が変化したものです。室町時代にはすでに「とくり」という呼び名がありました。二升、三升もの「大徳利」 が、酒だけでなく醤油や酢など液体や穀物の運搬、貯蔵に用いられていました。 ------------------------------------------------------------------------------’<つづく>
2025.09.18
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<清吉の感>-----#316千代田の城と南北町奉行所の改革が成り庶民も安堵し江戸の町に平穏な日々が続いていた。 清吉は品川での用向きを終え街周りを兼ねて東海道を家へと向かっていた。 家にもうすぐという処で不信な事に出くわし何気に脇道に入り様子を伺った。 それは何人かが店の様子を伺うもので普通の者たちには気が付かない様な風だった。 一人はお店風の恰好の男、一人は遊び人風の男、そして浪人者二人の計四人だった。 清吉も当初浪人二人が店を覗き込む様子に不信を感じたのであるが脇道に入り観察して二人だけではなく四人いる事に気がついたのだ。 清吉が歩き疲れて休んでいる風に装い見ていると四人は街道を行ったり来たりと三往復し前後して南の方へ向かった。 清吉は後を着けようかとも思ったが龍一郎様への報告が先だと諦めた。 それは四人が様子を伺っていた店が加賀屋と能登屋だったからである。 清吉は加賀屋の前を通り過ぎ、能登屋を過ぎて右に曲がり橘家の門を潜った。 「御免下さいな、清吉でございます・・・ご・め・ん・く・だ・さーーい」 子供のお民と太助が元気良く玄関に現れた。 「清吉おじさんだ」「わ~い」と喜んだ。 いつも訪れる時にお菓子を持ってきているからだ。 「御免な、今日は菓子を持っていないんだ」 「え~~、つまんな~い」 「ちゅまんない」 とだだを捏ねた。 「今度は必ず持ってくるからな、龍一郎様は居られるかな」 「お・ら・れ・るって何」 「龍一郎様は屋敷に家にいますか」 「いるよ、庭で遊んでいるよ」 「庭で庭で遊んでいる・・・あぁ、剣術の稽古か」 そこへお景が現れた。 「おや清吉さん、ご予定でしたか」 「いや龍一郎様にご報告がありまして、居られますか」 「庭でご隠居とお佐紀様と修練されておられます、どうぞお上がり下さい」 「では、失礼いたします」 清吉も言葉使いの修練で丁寧な言葉を難なくこなす様になっていた。 二人が庭に向かうと縁側に小兵衛が座り汗を拭きながら庭の龍一郎とお佐紀の修練を見物していた。 清吉は小兵衛への挨拶も忘れ庭の二人の稽古に見とれてしまった。 佐紀が木刀を素早い動きで連打しそれを龍一郎が竹刀で受けたり弾いたりしていた。 木刀と竹刀の速さもさることながら足運びの素早さも清吉の知る二人とは全く異なっていた。 「おお清吉、来たか???」 「・・・・・」 「お~い・・・せ・い・き・ち~~」 「・・・・・」 「こりゃ清吉」 「あぁご隠居お久振りに御座います」 「驚いた様じゃのぉ・・・凄かろう」 「はい、驚きました私の知るお二人とは全く違います」 清吉は思った事をそのまま口にした。 「ところがじゃ、あれでも二人には遊びでの、体が温まればあんなものではないわ、それになお佐紀の木刀はな並みの物では無い龍一郎の竹刀とて並みの物ではないのじゃ」 「えぇ~、並みの物ではない・・・あれで遊び・・・何とも」 「まあな、見ておると馬鹿馬鹿しくもなる・・・が・・・大いに励みにもなる」 「はい、しかし私も励めばあれほどにも成れますでしょうか」 「成れる・・・と儂は思うておる」 気が付くと二人の前に龍一郎とお佐紀が立っていた。 「おぉ~」と清吉が驚きの声を上げた。 「どうなされたな。清吉殿」 「おぉ~、お二人に驚き用向きを忘れておりました」 「何か御座いましたか」とお佐紀が問うた。 「はい、ちょいと気になる事を目にしまして・・・」 と清吉はたった今、目にした事を語った。 「わっしの勘違いなら良いのですが」 「いや、長年の十手持ちの清吉殿の目利きと感で御座る、間違いなかろう・・・で・・・そ奴らは次にどうすると思われるな」 「へい、このところ千住、品川と四宿で押し込みがありました、わっしの見ます処やつらではないか・・・と思います」 「で・・・何時押し込むと思われるな」 「へい、奴らのやり口は残忍でして塀を乗り越え戸を蹴破る、家人を皆殺しにする、といった風でして、多分・・・今夜にも」 「何、今夜か」と小兵衛が驚きの声を漏らした。 「そ奴らの員数は何人であろうかな」 「時間を掛けずに加賀屋と能登屋を同時に襲うとすると二十人以上・・・と」 龍一郎の問いに清吉が読みを伝えた。 「う~む、二十人以上か・・・良し・・・お手柄の清吉殿にもう一働きを願う、皆を集めて貰いたい。 皆と言うてもそれぞれの家を守る者を残してじゃ・・・そうだの~、それぞれの守り役は富三郎、お高、お駒、母上に人選して頂こう、装束と獲物を持ってと伝えて貰おう、よろしいかな清吉殿、刻は暮六半で善かろう」 「合点だ龍さん」と答えると清吉はすっ飛んで行った。 清吉は興奮の余り子供たちが龍一郎を呼ぶ時に使っている「龍さん」と自分も言った事も気づかず駆け出して行った。 「龍一郎、儂の出番もあろうな」と小兵衛が問うた。 「はて、参加はして戴きます・・・が・・・出番がありますかどうか」 「うむ、確かにな、皆も上達したでの、儂の出番は無しか、つまらぬ」 刻限の六つ半前には皆が橘の屋敷に集まっていた。 龍一郎が巳之吉と朋吉の二人を見ていると清吉が言い訳をする様に言った。 「二人にも実践経験させたい・・・と富三郎が申しまして・・・駄目でしょうか・・・気配を消す事に関しては三郎太のお墨付きを貰っております」 「三郎太殿、基準を少し上げた方が良いな、本日の相手には良いでしょうが」 「はい、畏まりました」 と三郎太が即答した。 「いつも言っている様に私は皆の安全が第一なのです。 そして皆には人殺しをさせたくは有りません、平気で人を殺す人間にはなってほしくはありません。 が・・・かと言ってそれを躊躇する一瞬が自分を又は仲間を危険に晒す事にもなるでしょう。 それを心に留め置いて下さい」 皆は龍一郎の言葉を噛みしめる様に真剣な眼差しで聞いていた。 「本日集まってもらった事に改めて礼を申します。本日の用向きは・・・」 と龍一郎は清吉の感働きから話し出した。 「これも何時も私が言っている事ですが、私には皆に秘密は有りません、只言う刻を見計らっているに過ぎません。本日は加賀屋、能登屋と私の繋がりについてお話しましょう」 と龍一郎は二つの店の開業からの話をした。 途中何度も皆から「おお」「へーえ」「あらまー」などの驚きの声が上がった。 「それ故、今夜は地下を通って二店に参る事と致す」 「おとっつあん、富さんて凄いね」 舞が地下道を作った富三郎に感嘆の声を上げた。 それに賛同する様に皆が頷いていた。 「では皆で出迎え様ではないか」 龍一郎の言葉に従い皆が予定の行動を開始した。 加賀屋の守備の統領は龍一郎、能登屋の守備の統領は三郎太が務めることになった。 「おお」と小兵衛が小さな声を上げた・・・が後は押し黙り黙々と地下道を進んだ。 突き当ると龍一郎は三郎太に右を指さし自らは左に進みそれぞれの組員が後を追った。 龍一郎の組にはお佐紀、誠一郎、舞、お花、慈恩、十兵衛、鐘四郎、佐助、八重、巳之吉、朋吉が従い、三郎太の組にはお有、平太、お雪、小兵衛、お久、清吉、お駒、平四郎、お峰、葉月、弥生が従っていた。 料亭の店番はお高と定吉、船宿の店番は双角と正平夫婦、道場の留守番は柳生の二人、橘屋敷は富三郎とお景で七日市藩は藩邸であり、何時ものように留守番はいなかった。 龍一郎たちは加賀屋の奥座敷から出ると障子を空け庭に出て屋根に登って待った。 勿論、最後の人が皆が歩いた畳の汚れと庭の足跡を消していた。 三郎太の組も同様にして屋根の上に登り待機した。 「龍一郎様、族は何人でしょうか、こんなに人数がいたのでは私の取り分がありません」 「心配致すな、一人は割り当てがあろう」 「ぶぅぅ、たった一人ですか」 「それでしたら、私が全員を始末しても良いのですが、どちらにしますか、舞」 「一人で我慢します」 「それが良いでしょう。揚羽殿、慈恩殿、十兵衛殿、鐘四郎殿、佐助、八重、巳之吉、朋吉、其方らは我らの動きを見て同じようにしなされ。やることは簡単です、相手に当身をし気を失わせ後ろ手に縛り猿轡を噛ませ、庭の片隅に捨て置くだけ、後は月番の奉行所にお任せします。今月は南でしたな、十兵衛殿」 「はい、某が奉行所に知らせに参ります」 「宜しく、鐘四郎殿も一緒ですぞ」 「承知」 「葉月、弥生、其方らは我らの動きを見て同じようにして下さい。相手に当身をし気を失わせ後ろ手に縛り猿轡を噛ませ、庭の片隅に捨て置くだけのこと、後は月番の奉行所にお任せします。今月は南ですので十兵衛殿が知らせに走ります。皆も良いですね」 皆が頷いた。 それから四半刻程後、裏口に大勢の気配が漂ってきた。 その時、巳之吉、朋吉の気が微かに乱れて、龍一郎にじろりと睨まれ首を竦めた。加賀屋の裏の塀を一人が乗り越え裏戸の閂(かんぬき)を外し仲間を庭に招き入れた。 十三人が庭の中央に来た時に龍一郎が手を上げた。 その瞬間、屋根の上から皆が飛び降り皆がそれぞれに当身を食らわせ気を失わせた。 巳之吉と朋吉が出遅れた為、龍一郎が四人の族の気を失わせ、佐紀も三人の気を失わせた。 皆で族を後手に縛り、猿轡を噛ませ、肩に担ぎ庭の隅に集められた。 能登屋でも同様に三郎太の指揮の元、十二人の族の気を失わせ後手に縛り猿轡を噛まし庭の隅に集められた。 龍一郎が能登屋の状況を確かめ、十兵衛に合図を送った。 待っていた十兵衛と鐘四郎が塀を乗り越え南町奉行所へ知らせに走った。 皆は元の待機していた場所に戻り、待ちの体制になった。 <つづく>
2025.09.17
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<銚子の姉妹の住まい>-----#315銚子の姉妹、糸と鈴は龍一郎、佐紀、平太、雪と共に銚子から道場に辿り着いた。 行徳までは龍一郎が糸を背負い、佐紀が鈴を背負って走った。だが、平太と雪が同行していた為、龍一郎と佐紀にとっては至極遅いものだった。 銚子から佐倉までの途中、利根川は「飯沼の渡し」で渡り、佐原から成田への黒部川は板橋を駆け抜けた。成田から船橋、行徳にかけての真間川や海老川も板橋を駆け抜けた。 その走りはとても早く背負われていた糸と鈴の二人は信じられぬ思いで眼を固く閉じひっしにしがみ付いていた。 すれ違う人々や追い越される人々は一瞬のことに何が起きたのか解らず唖然とするだけであった。行徳に着いた彼らは蕎麦屋に立ち寄った。 佐紀は蕎麦を六人分願った。この時代、蕎麦は現代のかけ蕎麦しか無かった。 四人用の席二つに龍一郎と平太の二人、佐紀と雪と糸と鈴の四人と男女に分かれて座った。 「お待ちどう様」 と皆に順に蕎麦のどんぶりが配られた。 丼の中を見た糸と鈴の二人は初めてのようで困惑を絵に書いたような顔をしていた。 雪が手本を見せるように箸を使い蕎麦を掬うと勢い良く「ずず」と音を立てて啜りこんだ。 佐紀も同じように啜りこんだが音は控え目だった。 糸が意を決して箸で蕎麦を掬い上げて口に運び一口食べた。 「旨い、旨いぞ、鈴、食べれ」 鈴も一口食べて言った。 「姉ちゃん、旨い、旨いべ」 二人はよほど腹が空いていたのか、勢い良く蕎麦を啜りあっと言う間に食べ終えてしまった。 「もう一杯食べますか」 佐紀が御代わりするかと尋ねた。 「佐紀、駄目じゃ、日頃食べておらぬ者が急にたくさん食べてはならぬ、胃の腑が慣れては居らぬ故な」 「だそうです、旦那様はお医師でも御座います。食べる量を少しづつ増やしましょう」 行徳からは船に乗り江戸川、中川、小名木川を通り茅場町に着いた。 茅場町からは最初のように龍一郎が糸を背負い、佐紀が鈴を背負い、街中故に早歩きで道場を目指し五つ半に着いた。 道場にいた者達は既に夕餉を済ませていたが、龍一郎と佐紀の帰宅に再度の夕餉の支度がされた。 囲炉裏端には館長・小兵衛、妻女・お久、舞、この日の師範代・三郎太とお有、葉月と弥生の姉妹、江戸柳生の鰐淵俊三郎と尾張柳生の井上歳三の二人の柳生と龍一郎、佐紀、平太、雪と新たな仲間の糸と鈴、そして雪の婆がいた。 自在鉤には、何時ものように大きな鍋が掛けられぐつぐつと煮立っていた。 囲炉裏端には急遽炊かれた飯が御櫃に入れられ、その横に台所で作られた味噌汁の入った鍋が置かれていた。 お久、婆、雪、葉月、弥生が飯を椀に盛り、味噌汁を椀に盛り、自在鉤に吊るされた鍋から椀へ盛りと分担して皆に配った。道場にいた者たちにとっては二度目の夕餉だがまるで一度目のように旺盛にたべていた。 新たな仲間の糸と鈴は渡された白飯の盛られた椀を信じられないようにじっと見つめて持っていた。 「どうなされました、お食べなさいな」 お久が優しく声を掛けた。 「ほんとに食べていべか。白飯だぞ」 「はい、たんと召し上がれ、遠慮のうの」 「姉ちゃん、食べていべか」 「うん、食べよう」 糸と鈴は白飯を少しづつ食べ始めた。 「汁ものう、熱いで気を付けてな」 婆が二人に注意した。 夕餉を食べ終わり食器と鍋が洗われ、皆が茶を飲んでいた。 「さて、龍一郎殿、二人は何処から参られ、これから如何いたしますかな」 お久が尋ねた。 「私がお話申します。この者たちは銚子から連れて参りました、姉の糸、妹の鈴で御座います。 そういえば、年を聞いて居りませなんだ、お糸ちゃん、二人の年は幾つですね」 「へい、わいは十四でこの子は十一だ」 「十四歳と十一歳、ようも幼い二人でそれも娘子が頑張ったの。偉い、偉い。だがな、今日からは其方らは幼子に戻って良い。今日から此処で暮らすのじゃ。飯も朝、昼、晩と三度、三度お腹いっぱい食べられるぞ」 「ほんとけ、ほんとのことけ」 「真のことですよ。安心なさい。母上、この子は十三歳にして父親の跡を継いで漁師になったのです。 母上は銚子の出来事を覚えておられましょう、あの時、大山の天狗様に願いに来た三人の中の一人が糸でした、その時にこの娘の素養を感じました、故に此度、仲間に加えることに致しました。異存が御座いましょうか」 「ありませぬ、其方が見込んだ雪の素養、見事でした、此度も糸の素養に期待したいものです。お前様は如何ですか」 「佐紀と龍一郎の見立てじゃ。文句などあるものか」 「皆も宜しいですね。今日から糸さんと鈴さんは我らが家族です。糸さん、鈴さん、皆の言うことを良く聞いて覚えなれ。今日は疲れたでしょう、舞殿、お雪、湯に入れて寝床へ案内して上げなされ」 「はい、畏まりました」 糸と鈴は素直に立ち上がり、舞と雪の後に従って行った。 「龍一郎、糸が雪のように期待を超えるかが楽しみじゃの」 「はい、ですが私は妹の鈴の方が楽しみなのです」 「おや、鈴に何かあるのですか」 「はい、母上、鈴は糸が無事に戻って来るようにと糸が漁に出た後、近くの神社に願っていのだそうです」 「神社は山の上なのですか」 「はい、見て参りましたが、なんと三百二十一段もあるのです、それもなんと砂浜を歩いた先にあるのです、村の人は砂浜を歩かないのですが、鈴は姉を浜で見送った後に参りますので砂浜を歩いているのです」 「それは感心なことですね」 「姉は船を毎日漕ぎ、足腰が鍛えられ、妹は毎日、砂浜を歩き長い階段の登り降りですか。 何とも楽しみなことじゃて」 「糸さん、鈴ちゃん、ここが二人が寝る部屋です。こちらの舞さんと私・雪と囲炉裏におりました、葉月、弥生の姉妹と六人の部屋です。これから、湯に入ります、鈴ちゃんは私の着物を湯上りに着て下さい、糸さんは舞さんに貰うと良いでしょう、良いですか、舞さん」 「はい、これを湯上りに着て下さいね」 雪と舞が着物を鈴と糸に渡し、自分の着替えも持って湯場に向かった。 舞と雪はさっさと着物を脱いで湯殿に入ろうとしたが、糸と鈴は着物を脱ごうとしなかった。 「どうしたの、糸ちゃん、鈴ちゃん、早く入りましょう」 「あたいは漁をしていたで肌が焼けとる、色が黒と白で醜い」 「何を言っているのよ、私たちを見て御覧なさい、貴方よりも黒いでしょう」 「ほんとだ、二人も漁師け」 「いいえ、私たちは毎日、外で剣術の鍛錬をしていたり、外を歩き回っていますので黒くなるのです」 「ええ、二人はやっとうをするのけ」 「ええ、剣術の鍛錬をしています、貴方もこれから一緒にするのです」 「わしらも剣術をするだか」 「そうですよ、お話は湯に浸かってしましょう、早く脱いだ、脱いだ」 糸が脱ぎ始め、鈴も続いて脱ぎ、四人が掛け湯をして湯舟に浸かった。 道場の湯殿である、十人が浸かっても余裕がある程の大きなものだった。 「お糸ちゃんは漁師をしていたの」 「んだ、おっとうが死んだで、おらが働かねば、おまんまが食えんべ」 「他の仕事を考え無かったのですか」 「おら、おっとうの手伝いで船に乗っていただで船が漕げただ」 「漁師になってどれ位ですか」 「う~んと、去年の今頃だから一年だ」 「一年のわりには足腰がしっかりしていますね」 「漁の他に何かしていることがありますか」 「おらは神社に毎日行っとる」 妹の鈴が言った。 「鈴、お前、毎日あの神社に行とったか」 「うん、姉ちゃんが帰って来るようにって、お願いしに行っとった」 「その神社の場所は高台ですか」 「た・か・だ・い・ってなんだ」 「神社の場所は高い処にありましたか、階段を使って登りましたか」 「ここへ来る前にあの人を連れて行っただ、そしたらあの人が三百二十一段て言ってただよ」 「三百二十一段の階段を毎日ですか」 「姉ちゃんが魚を捕りに行った日には行っとった」 四人は風呂から上がり、寝床の部屋に入った。 舞と雪が押し入れから布団を出し、寝床の作り方を教え、自分達で自分の寝床の用意をさせた。 糸、鈴が寝床に入り横になった。 「姉ちゃん、ふかふかだ、姫さんになったぞ、ここで寝て良いだか」 「鈴、糸、今日からここが、それが其方の寝床です、お休みなさい」 「お休み、姉ちゃん」 「お休み」 <つづく>
2025.09.14
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<会見>-----#046雄一郎が宇宙船に戻り、与圧室を出た途端の宇宙服を脱ぐ前に皆が質問を浴びせ掛けた。 「待った、まず座って珈琲を飲ませてくれ、ゆっくり話そう」 皆が黙り込み雄一郎が宇宙服を脱ぐのを手伝だった。 その後、雄一郎の後を皆がぞろぞろ歩いて管制室へ向かった。 管制室のテーブルには既にリサに寄って皆の好きな飲み物が準備されていた。 「リサ、ありがとう、処でリサ、向こうのキー達は君にハッキングを試みて来たのかね」 「いいえ、質問と会話だけでハッキングはありません、もっとも私の知る方法の範囲ですが」 「そうだね、彼らの進んだ技術力では通信が繋がっただけで君の全てのデータにアクセスされた可能性も考えられるね」 「では、兄さん、落ち着いたでしょうから話をお願いします、その前に異星船に入って直ぐに通信が遮断され直ぐに回復したのに映像も会話も消えました、どうしてですか」 「相手に大げさに言えばスパイ行為と思われない様にだよ。 但し、宇宙服のオフライン録画があるから、まず、それを見てもらおう、リサ、頼むよ」 「はい」 正面の大きな画面に宇宙服の胸に装備されたカメラ映像が写し出された。 「アーがトップで迎えに来たキーが七番目と言う事ですかね、我々が言い難いとの事でしたが一度、アーの本名を聞いて見たいものですね」 ケンが録画を見ての第一声だった。 「それとアー、キーとアイウエオ順でABC順じゃないのは面白いですね」 ヘンリーのコメントは皆に無視された。 「少し身長が高い様に感じられましたがどうですか」 「ジェニー、鋭い、会ったら驚くぞ、多分3メートルを超えているだろうな」 「3メートル、巨人ですね、そう言えば巨人伝説があったわね、ヘンリー」 「世界中に巨人の骨が見つかっている様なんだけど、実物が残っていないんだ。 アメリカでも大量に見つかった様なんだけど一つも残っていないんだ。 不思議だよね、嘘なのか、誰かが骨を隠しているのか」 「1万3千年前にいた事が解ったから事実なんだろうね」 「ケン、まだだ、彼らの故郷が本当に地球なのかを確認してからだな、結論はな」 「そうですよ、ケン、ヘンリー、リサ、地球の歴史がひっくり返るんですから」 「悪い、悪いそうだね、佐紀、只、一つのミッシング・リンクが解明される事だからね」 「ミッシング・リンクってなんですか、ケン」 「いろいろあるがね、その内の一つに石器人が短い期間にピラミッドを作る位に進化している事だよ。 それが1万3千年前に進化した先生がいたとすれば納得できるんだよ。 只、今度は別の疑問が生まれる」 「何なの、ケン」 「ジェニー、1万3千年前にピラミッドの作り方を教えられる程の進んだ頭脳を持った種族がいたのなら何故その時期なのか、それ以前でも良いはずなのに、それ以前に電気や楽器や火薬や印刷機でも良いはずなのに何故ピラミッドなのか、教えて作ったが発見されていないだけなのか、腐敗してしまったのか」 「成程ね、確かに新たな疑問ね・・・待って、ケン、兄さんは出かける前に考えていたんじゃなかったっけ」 「そうだ、兄さん、あの時何を考えていたんですか、僕は彼らが地球にいた時期を考えていた、と思ったのですが」 皆が期待の籠った眼で雄一郎を見つめた。 「ケン、正解だ、それを考えていた・・・1万2千年前と考えた、だが、ケンが言った疑問が残った。 それで得た結論は何らかの理由で彼らは眠るか隠れていた。 何万何億人もだ、それも二つの種族がね」 「二つの種族・・・もう一つ種族がいるのですか、それは今、何処に」 「一種族が宇宙にいる事を受け入れれば・・・」 「もう一種族も宇宙にいるのね、彼らは知っているのかしら、ね~、お父さん」 「私は知っていると思うがな」 「それが本当なら地球の歴史が、人類の歴史がひっくり返りますよ、お兄さん」 「だからこそ慎重に証拠が、確証が必要なんだ、ヘンリー」 「兄さん、何故一種族では無く二種族なんですか」 「昔の言い伝え、彫刻、壁画では巨人、鳥人間が多く描かれている、日本では天狗もあるがね。 だが、古い物はやはり巨人と鳥人間だ、伝説か想像と思われていた巨人が実在していた。 なら鳥人間もいるかも知れないだろう。 私は巨人に会うまでは鳥人間に会うのではと思っていたがな」 「本当に新たな疑問が増えたんじゃないかしら、人類が突然進化した不思議、一種族か二種族が何時からいたのか、何故消えたのか、何故宇宙にいるのか、何時地球を出発しどこへ行ったのか、彼らの文明の痕跡は地球の何処に眠っているのか、お父さん、この疑問の答えは考えたの」 「まだヒントが少なくてな、只、オーパーツを知っているか、みんな」 「時代と合わない遺物の事でしょう」 「おぉ、佐紀は考古学にも詳しいのかい」 「そうよ、ケン、驚いたかしら」 「あぁ、例えばと言えば何と答えるかによるなぁ、それとヘンリーも遺物が好きだよ」 「えぇ、ヘンリーも、じゃあぁ、間違えない様にしないとね、まずはコスタリカの石の真球、次はアンティキティラの機械、デリーの鉄柱、ピリー・レイスの地図と言った処かな、後はいろいろ言われている物はあるけど私は眉唾だと思うのね」 「ヘンリー、どう」 「どうってどう言う事だい、姉さん」 「佐紀ちゃんが言った物はオーパーツなの」 「そうだよ、僕もそう思うよ、石の中から見つかったボルトとか恐竜の彫刻とかはちょっとね」 「そうそう、他には勿論ピラミッドとスフィンクスも私は入れたいな」 「二つともオーパーツなの」 「不思議なんですよ、だって一番古いクフ王のピラミッドが一番精密で次のカフラー王のは100年も経っていないのに技術力が落ちたみたいなのはどう見ても可笑しいでしょ」 「そうなの、ヘンリー」 「そうなんだ、クフ王のピラミッドは正四角推と思われているれど本当は8面あるんだよ。 処が後からの物は4面なんだ、可笑しいだろ」 「えぇ~四角推にしか見えないけど」 「姉さん、面の真ん中に縦に線があってね正確には八角錐なんだよ、リサ、写真を出して下さい」 リサがクフ王のピラミッドの上空からの写真を大きな画面いっぱいに表示した。 リサが輪郭に沿って赤い線を描き八角錐が解り易くしてくれていた。 「あぁ、本当だわ・・・それを次のピラミッドでは止めたのか、出来なかったのか・・・」 「えぇ、私は出来なかったと思っているの、クフ王のは言われているよりもずっと古いもので技術が解らなかったんだと思っているんです」 「ヘンリーもそう思うの」 「不思議だなとは思ってはいたけどね」 「そんな事よりも彼らとの連絡はどうなっている、リサ」 「はい、現在、七人とあちらのコンビューターのゼロと日本語の精査を行ってします。 言葉で誤解を生まない様にとの事です」 「適切な事だね、人類の歴史ではたった一つの言葉の誤解で大事件が起きた事もあるからね。 ところで向こうのコンピューターはゼロと言うんだ」 「へぇ~、そんな事があったのですか」 「その説明は後にしよう、リサ、尋ねてほしい、向こうの大きな船にこの船を格納出来るかね」 「はい、出来るそうです」 「では、格納依頼して下さい」 「兄さん、そんな事をしたら捕虜になりますよ」 「彼らはやろうと思えば何時でも出来たんだよ、僕たちの意思を待ってくれていたのさ」 「牽引ビームに捕まりました」 「距離は???」 リサの知らせに雄一郎が問いを追加した。 「はい、500キロ・メートルでした」 「そうか、さっきは100キロだったが限界、最大では無かったか」 「5分で到着します」 「5分・・・もう腹を括るしか無いか」 ケンが皆を代表する様に言った。 暫くして雄一郎たちの船は異性人の船の格納庫に飲み込まれる様に入って行った。 入った処は何台もの異星人の小型船が止まっている格納庫で高さが100メートル位、幅と奥行がそれぞれ200メートル位ある様に見える大きなものだった。 暫くすると何処かから車が現れ彼らの船の近くで止まった。 「リサ、この格納庫の空気の組成と酸素濃度を調べてくれ」 「はい・・・組成は地球のものと同じですが酸素濃度は22%と地球よりも2%多く含まれています、代わりに窒素濃度が低くなっています」 「キーは酸素濃度を変えてくれたようだね。だが、まだ2%高い様だ。 2%高いとどれ位・・・身体が持つか、私には解らないが、リサ、何か資料はあるかね」 「酸素濃度が低い場合と気圧が低い場合の資料は大量にあるのですが逆は少ないのです」 「ケン、リサの情報源は何なんだい、インターネットでは無い様だね」 「いいえ、インターネットですが無作為と言う訳には行きません、データー量が多過ぎます。 それでサイトアドレスの文字数が30文字以内の物に限ったんです」 「そうだな、全てを入れる事には無理があるからな、1分毎に何千、何万、何十万文字増えるのか、それも世界中の言語でね、無理な話だ、サイトの文字数で情報限定したのは良い方法だな、当然記憶容量を増やせば文字数を増やすんだろう」 「その通り、最初は10文字だったんだ、次に15、20、25と増やしたんだ」 「さて、降りようか、その前にリサ、カメラを記録用に撮って良いか尋ねてくれないか」 「良いそうです」 「早いなぁ、予想していたのかな、では全員で行く事は出来ない事は皆、解っていると思う」 雄一郎は間を開けて皆を見渡した。 「では、行くのは私とルイの二人だ」 「・・・」 「何故かは解るよね」 「・・・」 「安全が確認出来たら第二陣はヘンリーと佐紀に来てもらいます。 最後はケンとジェニーだ、勿論、リサにはバリアーを張って貰いたい。 ・・・皆、良いか・・・良し行くぞ」 雄一郎が皆の顔を確認しルイを従えて格納庫へ向かった。 途中で研究室に寄ってメガネ型カメラとブローチ型カメラ、普通のビデオ・カメラを持ち気密室で二人は宇宙服を着た。 宇宙服には頭の上と肩に前後を映すカメラが付けられていた。 彼は、此れでもかと言う位の記録装置を準備した、歴史上人類初の異星人との直接遭遇なのである。当然と言えば当然の処置だった。正確には二度目ではあるが。 念の要った事に記録は媒体そのものと無線でリサへも送られる様にもなっていた。 内側のドアを閉めるとリサが外部と気圧が同じに調整し外部ドアが開いた。 二人がドアに着けられたタラップを降りながら迎いに来た乗り物を見つめた。 地球の普通自動車よりも大きくバスよりも小さい物で車輪が6個付いていて扉が開いていた。 好奇心が旺盛な二人は恐れる事も無く珍しい物をあちらこちらに見つけ眺めながら乗り込んだ。 二人が乗り込み椅子に座るとドアが何処かから現れ閉まった。 直ぐに車が発進し広い格納庫を壁に向かって走り6個の車輪が独自に向きを変え通路に向かった。 車は通路に入ると線路の様な2本の軌道に沿って走り速度を増して行った。 幾つもの部屋や広場を通り過ぎ闘技場の様な広場に辿り着いた。 ドアが開き二人が車の外に出ると周りの階段状の処に沢山の人が座っていた。 二人が周りを詳しく見ると何万人もの人たちが居る様でまるで艦内の全員がいる様だった。 正面の七つの特別席の真ん中の席に座る人が宇宙人が日本語で言った。 「ようこそ、我らの船へいらした、歓迎します」 彼は七人の中では一番小さく見えた。 「ご招待ありがとう、全員で来ていない事をお詫びします、貴方がたの技術力では無駄な事だとは思いますが用心しました」 「謝る事など無い、当然の事です、それに無駄な事では無い、貴方がたの船のバリアーを破る事は出来ますが我らの船も損害を受けます」 「安全が確認できたら順番に船を出る事になっています」 「私が安全です、と言った処で嘘か真か解らない、ご自分で判断して下さい」 「ありがとう御座います、早速ですが、我々は他の星の人類を宇宙人と呼びます。 貴方がたは宇宙人と遭遇するのは初めてでは無い様ですね、我々は初めてですが」 「この星系の人類を観察しています、貴方達は3種族目です」 「貴方がたは、この星系の方では無いのですか」 「違います、私達の母星はこの近くです、15光年の距離です」 「貴方がたは慣性制御が出来る様ですね、私達はまだ出来ません、だが速度は私達の方が早いのでしょうか」 「慣性制御が出来ますから加速度はやはりこちらが早いが燃焼効率はそちらが高い様です」 「技術、理論を教え合うと言う事は不可能でしょうね」 「お互いの技術を教え合えばお互いが大進歩するでしょう。 ですが宇宙には良い文明だけではありません、他の文明を征服しようとする文明も存在します」 「それは残念です、私は文明が成熟すれば悪意は無くなるものだと考えていました」 「基本的には貴方の考えは正しい考えです、ですが独裁者が強大な権力を持ち、その独裁者が邪悪な、貴方がたの言葉では宗教とでも言えば良いでしょうか、邪悪な宗教で文明を支配した時にその文明は他の文明に対して支配的になるのです」 「貴方の話は独裁者、宗教と具体的ですね、その様な文明があり貴方がたは既に遭遇しているのでは無いのですか」 「その通りです、その様な文明には協力する事は出来ません」 「私たちはその様な文明ではありません、まだまだ未熟な文明ではありますが、もし他の文明が攻撃して来れば攻撃するでしょうが自ら攻撃する事は無いと信じたい」 「それは貴方の言動で理解しています、貴方とは文明の交流を行いたいものです」 「ありがとう御座います、船に残っている者たちも呼びたいのですが、宜しいですか。 そしてこの船の見学をさせて頂けますか」 「良いでしょう、皆さんを歓迎し船を案内しましょう」 <つづく>
2025.09.12
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<愛宕下の茶店>-----#314 その日、佐紀と舞は愛宕下にいた。 「ご主人はご健在でしょうか、お佐紀様」 「無論です。あのお方なれば何ごとにも動ずることなどありますまい」 茶店は以前のままに、その場所にあった。 「御免下さい。お茶とお団子を二つづつ下さいな」 舞が奥に向かって呼び掛けた。 「はいよ、茶と団子を二つですな。少々お待ちを」 佐紀と舞が縁台に座った。 奥から主人がお盆に茶碗と団子を持って来た。 「おや、お二人は以前にもお見えになられた方で御座いますな」 「はい、覚えていて下さいましたか」 「忘れるはずも御座いません、何処ぞの御姫様かと思いましたら、御家人の妻女と申されました」 「はい、その通りで御座います。お内儀は奥に居られますか」 「はい、団子は家内が作って居ります」 「率直にお聞き申します。ご主人は元は武家で御座いますな」 「・・・お解りになりますか。武家の眼は誤魔化せませぬな」 「私どもは橘道場の者で御座います」 「と申しますと、其方様はお佐紀様で御座いますか」 「はい、佐紀で御座います。隣に居りますのは娘のような妹のような者にて舞と申します」 「舞と申します。よろしくお願い申します」 「丁寧なるご挨拶恐れ入ります。某、元川越藩藩士・山波宗十郎と申します。只今は茶屋の主にて宗の字と呼ばれて居ります」 「本日、参りましたのは、我らの仲間入りのお誘いに御座います」 「仲間と申されると何の仲間でしょうか」 「府中の江戸の日乃本の安寧を願う者の集まりで御座います」 「江戸の安寧と申されると・・・もしやして、銚子の騒ぎ、行徳の騒ぎ、南北奉行所の騒ぎなどは其方様のお仲間の仕事で御座いますか」 「正直に申します、左様で御座います」 「その方々が某に何を求められますかな」 「はい、江戸の町々の動静や噂を集めて知らせて貰いたいのです」 「深く探るとなりますと危ないこともありましょうな」 「私どもには決まりがあります、己を危険には晒してはならない、己の危うきは仲間の危うきになる故に無理をしてはならぬ、で御座います」 「その為には鍛錬を致しますかな」 「左様です、身体の鍛錬、技前の鍛錬、心の鍛錬で御座います」 「私は遠くからで御座いますが、先の大試合を拝見致しました。お佐紀様の剣技、あの獲物を早く振り、さも振っていないかのように見せる技、龍一郎様の二人、三人になる技、只ならぬ鍛錬の賜物と思われます。某のような年寄りに為せましょうか」 「私の義理の父は還暦近くで御座います、この娘・舞も耐えております」 「舞さん、修行が辛くはないかな」 「はい、辛いなど思うたことは御座いませぬ、今日の鍛錬で明日がどのようになっているかが楽しみで御座います」 「良い返事じゃ、娘子とも思えぬ。近頃の武家の若様に聞かせたいものじゃて」 団子屋の主人は知ってか知らずか徐々に武家言葉になっていた。 「この娘が一番の年下では御座いませぬ」 「何とまだ幼子がおると申すか」 「はい、一つ、二つ年下で御座います。また、その子は百姓の娘、この娘は蕎麦屋の娘で御座います」 「なんと一番の年下も娘で御座るか、なんと、なんと」 「失礼で御座いましょうが、其方様は御幾つで御座いましょうか」 「某は五十路で御座る、妻女は二つ下でな、職務は祐筆でありました。倅に家督を譲り隠居して御座います」 「左様で御座いますか、道理でこちらの案内板の字が達筆で御座います」 「お恥ずかしゅう御座います。某は剣の道に進みたかったので御座いますが男子が一人ではのぉ」 「では、剣はそれなりの修行を為されましたでしょうか」 「はい、家督を継ぐまでは鍛錬所に泊まって居りました」 「それは、それはかなり剣がお好きでしたね、では今も鍛錬をなさっておられますね」 「祐筆のおりも団子屋の主になってからも毎朝欠かさずに怠りなく」 「貴方ならば、いかように過酷な鍛錬にも耐えられるでしょう。そう思いませぬか。旦那様」 佐紀の言葉の直後、佐紀の隣に二人の武士が立った。 「親父(おやじ)殿、我らにも茶と団子を願おう、それとのぉ、二人にも追加を願おう」 「・・・はい、り・り・龍一郎・・・様」 主は一歩、二歩と後ずさりし奥へ向かい叫んだ。 「茶と団子を四人分追加じゃ」 龍一郎が佐紀の隣に座り、誠一郎が舞の隣に座り、二人が佐紀と舞を間に挟んだ。 「ご苦労様でした。佐紀、舞」 「ご苦労様で御座いました。佐紀様、舞殿」 茶屋の主と女将の二人がお盆に茶と団子を乗せて四人に持って来た。 「お待ちどう様で御座います。私の愚妻が佐紀様の大のご贔屓でして、一目お会いしたいと申しまして」 「それは、それはありがたいことです。私が佐紀で御座います。よろしく御願い申します」 佐紀は立ち上がり、深々とお辞儀をした。 慌てて妻女・於登勢(おとせ)も深々とお辞儀を返した。 「ご亭主、この団子は大層旨い、土産に五十程包んで貰えますかな」 「五十本で御座いますか、真で御座いますか」 「はい、道場には腹減らしが大勢居りますので、お願い出来ますでしょうか」 龍一郎の願いに佐紀も追従した。 「みたらし団子が二十本、胡麻団子が十本、醤油焼き団子が二十本、餡団子が二十本、草団子が十本、黄粉団子(きなこ団子)が十本、御座いますが、どれを幾つに致しましょう」 「全部で九十本ですか、もしご迷惑で無ければ全て頂きます」 「御新造様、一本に五玉で五文で御座います、九十本で四百五十文で御座います、本当に宜しいのですか」 「佐紀、一分金で釣りはいらぬ」 「はい、旦那様」 佐紀は巾着から紙入れをそっと取り出し、中の一分金を団子屋の渡した。 「於登勢、今日は店終いと致そう」 「はい、お前様」 四人の客はそれぞれに自分の団子の乗った皿と茶碗を持って店内の小上がりに席を移した。 主が縁台を店内に運び込み、妻女の於登勢も暖簾を巻き上げ、戸口に戸締り棒を差し込んだ。 窓から差し込む光の中、主が行燈に火を入れ、店内に明かりが戻った。 於登勢が奥から茶の入った土瓶を持ってきて、四人の卓に置いた。 主は自分と妻の為の茶碗を持って、四人の隣の席に置き二人も座った。 「改めまして、某、元川越藩藩士・山波宗十郎、年は五十路、前職は祐筆で御座います」 「私は妻の於登勢(おとせ)に御座います、年は亭主の二つ下で御座います」 「それで私共に江戸の町々の動静や噂を集めて知らせるだけで宜しゅう御座いますか」 「左様、なれど危うきこともあるやも知れぬ。故に鍛錬して貰わねばなりませぬ。其方らの身は其方らだけのものではないのです。其方らの身の安全は仲間の安全でもあるのです。もう一つは我らの存在を知られぬことです」 「お言葉を返すようで御座いますが、お二人は大試合に出られて勝者になられております。 佐紀様は幾度となく読売に出られております」 「それは表の顔で御座る。私が存在を知られてはならぬと申しておるのは裏の顔で御座る。誰ぞの跡を付けておること、誰ぞを探索しておることが我らと知られぬことで御座る」 「それでは、私共が其方様の仲間と知られることもなりませぬな」 「左様に御座る。ご不満かな」 「いいえ、不満など御座いませぬ。では鍛錬はどのように致しましょう。このままでよう御座いますか」 「平太、雪、其方らの重しを差し上げろ」 「ほらな、だからまだ駄目だって言ったろ」 「今度は大丈夫と思ったのですが」 天井から平太の声が聞こえ、次の瞬間、土間に少年と少女が現れた。 「おぉ」 「あれま~」 主と妻女が驚きの声を上げた。 「佐紀様もご存じでしたか」 「当然です、雪」 「見て、着ける場所、着け方を覚えて下され」 雪が後ろを向いて着物を脱いで腰と胸のあたりに晒を巻いている姿を見せ、腰の晒を解き重しを外した。 次に足に巻いた晒を解き重しを外し、次に手に巻いた晒を解き重しを外した。 平太も同じように晒を解き重しを外した、但し平太は胸に晒は無く腹に晒を巻いていた。 平太が主の宗十郎に重しと晒を渡し、雪が於登勢に重しと晒を渡し、二人は奥の部屋へ向かった。 宗十郎が着けるのを平太が手伝い着け終わり、暫くすると奥から二人が戻って来た。 二人は団子を入れた包みを抱えており、於登勢の動きは少しぎこちなかった。 「お内儀も剣を嗜むように見受けられるが違いましょうか」 「はい、主人と一緒に毎朝、木刀にて素振りをしております」 佐紀の問いに於登勢が答えた。 佐紀が竹刀から始めることを進め、振り始めと振り終わりについての理を述べた。 「早速ですが、何か知らせは御座ろうか」 「あいも変わらず、岡っ引きと香具師の元締めの二足の草鞋の者がおるくらいでしょうか」 「今の世の必要悪であろう、余りにも阿漕であればお知らせ下され」 「確かに、今の処それほどの額では御座いませぬ」 それから暫く、近隣の状況や噂話を話柄に話をし、四人は茶店を辞去した。 「お前様、お佐紀様との縁が出来ました、夢が叶いました。嬉しゅう御座います」 「そうよのぉ~、精々方々の邪魔にならぬように鍛錬いたそう」 「はい、楽しみなことで御座います」 「うむ、退屈の虫が沸いておったでな、楽しみなことよ」 <つづく>
2025.09.08
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<銚子の姉妹>-----#313この日、龍一郎と佐紀は銚子港にいた。 龍一郎は羽織袴姿で佐紀は御衣(おこそ)頭巾で顔を隠していた。 二人は道端で網の補修をしていた老人に糸という娘漁師の家の場所を尋ねた。 「糸なら知っとる、知っとるが、どこに住んどるか知らん」 老人は網元の家を教えてくれた、佐紀が教えて貰った駄賃に一朱銀を渡した。 何気に手を出した老人は乗せられた一朱銀を見て呆然とし手の上と渡した佐紀を交互に見つめた。 「ありがとう御座いました」 老人は佐紀の礼の言葉に間違いや冗談ではないと理解し、首を激しく縦に振った。 網元の家は村から少し離れた処にあり、石塀で囲まれた大きな家だった。 「御免下され・・・御免くだされ」 「はいよ、誰じゃね、おぉ、お武家様とは珍しいことじゃ」 「お尋ねしたいことがあって参った」 「尋ねていことっちゃなんじゃね、何で御座いますだね」 「この村に糸という娘・漁師がおるはずじゃ、その家を教えてくれぬか」 「糸に何のようで御座いますだ」 「其方は網元故ご挨拶しておこう。某は江戸は鍛冶町に道場を構える橘龍一郎と申す。 これより、糸と妹御の鈴に会い、許しを得たならば我が家に奉公をと思うております。 本人の了承を得ましたならば人別帳からの外しことをお願い申します」 「武家奉公で御座いますか、漁師が勤まるかのぉ。二人の家は向こうの村外れだわい」 「忝い。これは礼じゃ」 龍一郎の言葉に佐紀が一分銀を渡した。 「道案内にしては多すぎるのぉ。お侍さんは金持ちのようじゃな。糸を些末に扱わんでくれろ」 「無論のこと、大事な娘子じゃ。粗末になどせぬ。世話になったな」 龍一郎と佐紀の二人は村外れへ向かって歩いて行った。 その家は家というには余りにも小さく小屋というべきものだった。 家の前で二人の少女が網の繕いをしていた。 「お仕事中、失礼致します。こちらはお糸さんとお鈴さんの御家ですか」 少女が相手だけに暗黙のうちに龍一郎ではなく佐紀が話掛けた。 二人の少女は顔を上げ、武家の二人を訝しむよりも、むしろ疑わしげな眼で見つめた。 「お武家さんがあたいらに何のようね」 「貴方がお糸さんですね、私は橘佐紀と申します。江戸で剣の鍛錬所に務めております。隣の旦那様が師範を務めて居ります。お二人に我が家の手伝いをお願いに参りました」 「なして、おらたちだ、何処でおらたちを知っただ」 ここで後ろに控えていた龍一郎が前に進んだ。 「其方は天狗を信じておるか、天狗がおると思うか」 姉の糸の眉間に皺がより下を向いて考え込んだ、暫くの後、はっとして顔を上げ龍一郎をじっと見つめた。 「養老の村の村長が領主様が橘と言うとった・・・領主様け」 「そうじゃ、江戸から参った。其方ら二人を雇いたい。どうじゃな一緒に来ぬか。其方らが行くと申せば持ち物は何もいらぬ。網元に挨拶をして江戸に参ろう」 「なして、儂ら二人なんかな、正直いうて人攫いにしか見えん」 糸の口から暫く考えた末に出た言葉だった。 「であろうな、儂と隣の儂の妻女が其方の素養が気に入ったからじゃ」 「素養ってなんだべか」 「其方の足腰の強さ、船を漕ぐことで鍛えられた身体の使い方、其方の頭の良さかのぉ」 「何処でおらの動きを見たのけ、それに頭は良くねぇぞ」 「其方は頭が良い、学ぶ機会がなかっただけのことじゃ、いろいろと学びたくはないか」 「おらは読み書きができん、できるようになるだか」 「其方次第じゃ、教えることはできる、じゃが其方に学ぶ気がなければ無理じゃな」 「給金はいくらくれる」 「いくらほしい」 「分からん、わしら二人がおまんま(飯)が食えるか」 「給金とは別に一日に三回白米と汁と野菜と魚じゃな」 「姉ちゃん、おら、腹いっぱい食べたいよぉ」 妹の鈴が姉に訴えた。 「待っとれ、こげな上手い話には騙しがあるべ」 「お前様、やはり、この子は頭の良い娘ですね」 「そうじゃのぉ、ゆっくり来たかいがあったようじゃのぉ、お雪、其方の出番じゃ」 「ほらな、絶対にばれてるって言ったろ。二人は我らに足並みを併せてくれていたんだよ」 「そのようですね」 何処からとも無く男女二人の声が聞こえ、直後に龍一郎と佐紀の後ろに平太と雪が現れた。 それを見た糸と鈴が驚き眼を見開いた。 「二人は天狗の子か」 「ふぅ、ふぅ、ふぅ、頭の良い子じゃ」 「私の名は雪というのよ、私の在所は佐倉なのよ、私もお二人の仲間になって間がないのよ。でも、読み書きもできるようになったし、剣術も体術も習っているの、それに三度三度のご飯も食べているわ、それに私の婆様も一緒に住んでいるのよ。婆様は天国だって言っているわ。どう、仲間にならない」 「あたいも天狗になれるか」 「そうね、鍛錬は厳しいわよ、強くなるにはね、でもね、その辺の浪人なんて怖くもなくなるわね」 「これこれ、雪、そのような誘い方があるか」 「だって、龍一郎様、こんな機会を逃したらもったいないもの。私は誘われなかったら今頃、あの辰三に売られていました、きっと、あぁ、お糸さん、辰三というのは下賤と言って娘を売り買いする悪い人だったのよ」 「その悪い人はどうなったのけ」 「私の御姉様二人が退治してくれました」 「あんた、ほんとに在所は佐倉け、訛りがないべ」 「はい、直しました、まだ、一年も経っていません」 「そげに早う変えれるだか」 雪が背嚢(はいのう)から笹に包まれた物を妹の鈴に渡した。 「握り飯です、お食べなさい」 「ねえちゃん、お腹空いた」 鈴は受け取ると笹を空けた。 「姉ちゃん、白飯だべ」 二つの握りの一つを手に取り嬉しそうに頬張り微笑んだ。 「分かったべ、一緒に行くだ」 糸が握り飯を頬張る妹を見て答えた。 「良し、お糸、握り飯を食べろ、その後に網元の処へ挨拶に参ろうか」 「はい」 糸は龍一郎に言われた通りに鈴が持つ笹から握り飯を取り頬張った。 糸の眼から涙が零れた。それを見た鈴の眼からも涙が零れていた。 <つづく>
2025.09.07
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私は毎日コーヒーを大体8杯飲みます。前回発注 2025/05/29(木) 23:48前回到着 2025/05/31(土) 16:57今回発注 2025/07/25(金) 19:35今回到着 2025/07/29(火) 17:31---------------------------------------------------------------------販売店 クイックファクトリー 送料無料 ネスレ ネスカフェ ゴールドブレンド スティック ミックス カフェラテ (100本入り)×2---------------------------------------------------------------------商品金額=6,280、数量=1、税金=???、送料=0、ポイント利用=0合計=6,280、通販総合計=未計算---------------------------------------------------------------------やはり私にはこの味が合う。この珈琲と蜂蜜が私に合う。これに時々、生姜を入れたりしています。
2025.09.06
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送料を無料にする為に2個、4kg購入 6,230円。注文日時:2025/07/10(木) 23:55 配達日時 : 2025/07/12(土) 09:39-------------------------------------------------------------------'販売店 熊手のはちみつ業務用 オリジナルブレンド(中国・イタリア・フランス)純粋はちみつ2kg | はちみつ -------------------------------------------------------------------'暫く、珈琲の甘味に砂糖を使ってしましたが、やはり蜂蜜の方が好み。<PS>下地の白抜けが修復出来ない。
2025.09.05
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<沢木鍛錬所>-----#312龍一郎、佐紀、双角、慈恩の四人は増上寺の門前を南の芝赤羽町(しばあかばねちょう)に向かった。角に面して大きな板に沢木鍛錬所と書かれた木札を下げた門が見えた。大門が開かれており出入りが自由で門番もいなかった。四人は門を潜って式台に近づいた。慈恩が前に進み出て大声を上げた。「頼もう~、頼もう~」暫く待っていると十四、五歳の少年が現れた。「どちら様で、何用で御座いましょうか」「こちらは沢木鍛錬所で御座ろう、こちらに辰巳師範代はおられようか」「おられますが、其方がたはどちら様で師範に何の御用で御座いましょう」「我らは先の師範代の仲間を排除した者でな、師範代にそう申して下されぬかな」「其方様のお名前を御聞かせ下されたい」「慈恩、もう良い、面倒じゃ、我らは鍛錬所に試合を申し込みにきたのじゃ。直ぐに取り継げ」龍一郎の言葉に少年が慌てて式台から奥へ大声で叫びながら駆け込んで行った。「師範~、館長~」龍一郎たちは下駄や草履を脱いで式台に上がり奥へと進み衝立てを回り込み広い鍛錬場に入った。龍一郎は入口に正座し正面の神棚に向かって拝礼した。他の三人も同じように拝礼していた。高所に座る館長と高所下に立つ辰巳師範代ともう一人の男に玄関に現れた若者が話掛け、辰巳師範代がこちらを見て館長に話をしていた。館長が立ち上がると辰巳師範代ともう一人の男と共に入口に向かって歩いて来た。「おぉ、やっぱり、あの時の大きなお二人さん、その節はお世話になり申した。館長、こちらがお話した方々で御座います」「その節は大変お世話になりました。お恥ずかしい話で御座います。館長である私が弱いばかりにご迷惑をお掛け申しました。もし、お時間がおありでしたら奥でお話したいのですが、如何ですか」「時間はあります、お邪魔させて頂きます、その前にこの鍛錬所の鍛錬具合を知りたい。試し合いをしまませぬかな」「ぜひ、お願い申します、山下師範代、教えて頂きなさい」「某がで御座いますか・・・お願い申します」「私は師範代では無く、師範をしております」辰巳が自分は師範代では無く師範であると告げた。「おぉ、これは失礼致した、辰巳氏が師範で御座るか、山下師範代には慈恩、お相手なされ」「畏まって候」皆が壁際に下がり正座し、山下師範代が持っていた竹刀のままに中央に進んだ。「お借り致し申す」慈恩が壁に掛けられた竹刀を一本取り、一振りして中央に進み、山下師範代に対峙した。「我らの鍛錬所は道場と称しており申す、仏教の修行の御堂を道場と申し、それを頂きました。我らの道場では竹刀なり木刀なりの獲物を持った時より試しは始まっており申す、故に始めの掛け声はありませぬ」龍一郎の言葉に既に正眼に竹刀を構えていた慈恩が一歩前に進み死線を超えた。山下師範代は慈恩の気配を感じさせない踏み込みに驚き一歩後退してしまった。龍一郎と佐紀にとっては慈恩の気配は全くと言って良い程に消されてはいなかったのではあるが。慈恩が師範代に気配を感じさせずに、また一歩前に進み、また山下が一歩うしろにさがった。これが何度も繰り返され師範代が門弟が座る位置まで下がってしまい汗が噴き出していた。切羽詰まった師範代は破れかぶれのように、竹刀を上段に上げ慈恩の頭を狙い打ち下ろした。慈恩は振る降ろされる竹刀を右に身体を避けて竹刀で師範代の竹刀の柄元を叩き床に落とした。師範代の竹刀が床に転がり、師範代は手の痛みに両手を胸の前で抱えて呻いた。呻きながらも、その場に平伏し「参りました」と言った。「慈恩殿、ご苦労でした。次は辰巳師範、我が妻女との試しを願いたいが、如何かな」「妻女と申されると大試合女子の部の勝者で御座いましたな」佐紀は、これ時まで建屋の中にいるにも関わらず礼儀を欠くように薄垂れ付きの塗傘を被っていた。佐紀は指名され、塗傘を外した。その途端に顔を見た皆が余りの美しさに息を飲み絶句し口をあんぐりと空けた。暫くの静寂の後、辰巳師範は佐紀を見つめ固まっている師範代に歩みより竹刀を受け取った。師範が師範代を横に移動させたが、師範代は壁際へ歩みながらも目線は佐紀に釘付けだった。辰巳師範が対戦位置に着き、佐紀も対戦位置に着き左手を後ろに回し帯の間から小太刀様の短い竹刀を出して構えた。師範は対峙してみて初めて山下師範代が後退し続けた理由を知った。対峙している相手、佐紀から全く気配が感じられないのだ、そこに誰もいないかのようだった。その時、動いていない佐紀から「ブ~ン」「ブ~ン」と音が響いてきた。そして、動かぬ師範に佐紀が唐突に一歩前に進み、辰巳も気配の無い歩みに思わず一歩下がった。だが、師範代と違い辰巳は今度は己が一歩前に進み竹刀の先を交差させた。その途端に辰巳の竹刀が床に叩きつけられ、何が起きたのか解らず唖然としていた。佐紀は一歩、二歩とさがり竹刀を後ろ帯に戻した。「では、師範、後を師範代にお任せして奥へ参りましょう」「はい、ご一緒致します」辰巳師範は山下師範代に「後を任す」と言って館長と龍一郎たちに続いて奥へ向かった。「師範代、どうなされたのですか」門弟の一人が山下師範代に尋ねた。「佐紀殿のことか、試し合いのことか、どちらだ」「両方で御座います」「佐紀殿は噂に違わず、いや、それ以上に見目麗しい御新造(ごしんぞう)であった」 「私もそう思いました。吉原の花魁でもあれ程の威厳、貫禄を感じませんでした。それであの大きな男の剣技は如何でしたでしょうか」「それがじゃ、気配が無いのじゃ、あの大きな身体の気配を感じなんだ、気配のないままに突然前に進んで来る、不気味じゃぞ。気合も呼吸もその存在さえも感じぬのだ。怖い、怖いぞ。あれだけの強さを得るには、どれほどの鍛錬を積んでいるのか、儂には考えもつかぬ」「それでも、あの方々の中では技量が一番劣るのですね、佐紀様が上なのですね、そしてその上には大試合の勝者の龍一郎様がおられる」「そうであろう、其方らは儂が弱いと思うたであろう、確かに儂は弱い、弱かった。言い訳を言わせて貰うが、あの方々は人では無い、化け物じゃ、天狗じゃ、其方らも見たであろう、佐紀様の技を」「佐紀様は読売に寄りますと獲物を早く早く眼にも止まらぬくらいに早く振っているとのことでしたが」「儂も読んだ、読んだ時にはそんなことは無理じゃ、と思うたが真であった。振っているように見えなんだが音だけは「ブ~ン」「ブ~ン」していたでな、儂には見えなんだが確かに振っていたのであろう」「師範代にも見えませぬものを我らに見える訳もありませぬな」「妻女の佐紀様があの技前なのです、亭主殿の技前はいか程なのでしょうか」「だから申しておろう、人ではない、仙人よ、化け物よ」「我らも修行致さば、成れましょうか」「成れる、成れると思いたい、が、生半可な修行では無いと覚悟致せ」奥の居間で上座に館長が座り、その向かいに龍一郎が座り、少し後ろの横に佐紀、その後ろに慈恩と双角が座り、入口に辰巳が座った。館長が頭を下げた。「ありがとう御座る、某との試し合いを望むものと思うていました」「失礼ながら、館長、貴方の技前は先の師範代よりも劣ると聞いておりました、先の師範代に勝った今の師範を我が妻女が制したのです。試し合う必要は御座らぬことです」「恐れいりまして御座います。申し遅れました。某、当鍛錬所の長を務めております、沢木内蔵助で御座います」「今日、我らは師範の辰巳さんを我らの仲間にとお誘いに参りました。辰巳さんのお返事をお聞きしますが、貴方も我らの仲間になりませんか、如何ですかお二人で加わりませんか、但し、言っておきますが鍛錬は生半可なものではありません。辰巳殿、如何ですか」「お誘いありがとう御座います、先日、幼い娘さんの技前を見た後に考えました、厳しい鍛錬の成果であろうと、己に耐えられるだろうかと・・・」「それで考えは纏まりましたかな」「はい、教えを頂きたいと道場へお訪ねするつもりでおりました、弟子入りをお願い申します」「辰巳殿、良い判断です。それで館長は如何なされますかな」「強うはなりたい、なりたいが年が年故に烈しい(はげしい)鍛錬に耐える自信が御座いませぬ」「失礼ながら沢木殿のお年をお聞きしても宜しいですかな」「はぁ、五十二歳で御座る」「某の義理の父は其方様よりも年上で御座います。年に拘ることは御座いますまい」「小兵衛殿もお仲間で御座いましたか」「左様、なれど其方の気持ちも解らぬではない、じっくりと考えてみることです。双角、慈恩、其方らの重しを二人に渡しなされ」「畏まりました。某、慈恩と申します。重しを外します故、逆に致さば着けられ申す、覚えて下され」慈恩が手首と足首の晒と重しを外し、着物を脱いで腰の重しをも外した。「某は双角と申す、某も外します故、覚えられよ」双角も手首、足首、腰の晒と重しを外した。沢木館長と辰巳師範が重しを持ち重さを確かめた。「其方らは、この重しを着けたままに、あの試しをしておられたのですな」「左様に御座る」二人は無言で着物を脱いで腰、手首、足首に着け、その上に晒を巻いた。「これで宜しいですかな」「結構で御座る。晒を巻く訳がお解りですかな」辰巳師範の確かめの言葉に慈恩が答え、新たな問いを加えた。「外れぬようにで御座ろうか」「それも御座るが、それだけでは御座らぬ。辰巳氏、お解りかな」「他に何が御座ろうか」「其方らは我らがこのような重しを着けておるとご存じでしたかな」慈恩に変わって双角が問うた。「いや、某は気づかなんだ、館長は気付いておられましたか」「いや、儂も気付かなんだ」「この重しが我らの仲間入りの第一歩なので御座るよ」「では、其方らの秘密を漏らして下されたので御座るか」「左様、故に誰にも気付かれてはならぬのです、見せてはならぬ、気付かれてはならぬのです」「では、龍一郎殿も佐紀様もお着けであろうか」「無論のこと、何故に二人のものでは無く、我ら二人の物をと申されたか、お解りか」「う~ん、解りませぬ」双角ががっかりした顔をして首を横に振った。「葉月、弥生は解るであろうな」慈恩が突然、その場にいない者の名を呼んで尋ねた。「はい、龍一郎様、お佐紀様の着けておいでの重しは二人には重すぎるのではと思われます」天井裏から双子の葉月か弥生かの判断は出来なかったが声が聞こえた。「何者だ」と叫び館長が後ろの刀掛けから刀を取ろうとして途中で止めた。「其方らのお仲間で御座ろうか」「左様」「気配が感じられなんだ、いや、今も感じられぬ」「師範殿、佐紀様と対しましたおりに気配を感じましたかな」「感じませなんだ、それ故一歩出られた刻に思わず下がり申した」「気配が消せる、つまりは忍びに御座います」「では、天井におられる女衆も佐紀様と同じように試し合いでも気配を発せぬので御座るか」「左様、上にいるお二人は本来ならば某風情が気配を感じることなどできぬ方たちで御座る」「今日は何故其方に解ったので御座るか、と尋ねても宜しいかな」「館長、それは一つしか御座らぬ」「何、辰巳師範には訳が解ると申すか」「はい、女衆故にで御座いましょう、如何でしょうか」「左様、じゃが、それ以上は言わぬようにな」「実は私はあの刻以来、橘道場を訪れ弟子にして頂こうかと迷うており申した。厳しい鍛錬が待っておることは必定、それに己が耐えられるであろうか、だが、佐紀様に耐えられ、今また上におられる女衆が耐えられたらしい、某に耐えられぬ訳がない、いや、他人のことなどどうでも良い、己がどこまで耐えられるか、己がどのように強くなれるかが見てみたい、その思いが勝りまして御座います、ぜひにもお仲間に加えて下さりませ、お願い申します」「我らは元よりそのつもりでおります。技前には腕の力、足の力、腰の力、つまりは身体の全ての力が強く無ければなりませぬ。重しはその為の物です、長い刻を戦える力も必要です、その為には走ることです、十里、二十里、三十里とより長く早く走れるようにして下さい。我らの仲間には朝まだ空けぬ内に町中を走り鍛えておる者がおり申す」「次は剣技ですが竹刀から初めて下さい、但し、振り始めの場所と振り終わりの場所をいつも同じにして下さい。振り始めの場所を真上、止める場所を真正面に、これをゆっくりと何度も何度も繰り返して下さい。振り出しの場所を同じにすることで相手に当たる刻を同じに出来ます、予想出来ます。止める場所を同じにすることで引き戻しに掛かる刻も同じに出来ます、予想出来ます。始めの場所と止める場所が同じになれば振りの速さを少しづつ早くしていきます」「次に振り出しの場所を真後ろにし繰り返します、次に振り出しの場所を峰が背中に当たる位置にします。但し、いずれも止める場所は同じです。流派によっては地面に当たるくらいまで振るものもあるでしょうが、我らは真正面で止めます、足元まで切る必要も無いことが理です、これにより二度目、三度目への振り戻しを早くすることが出来ます」「竹刀の振りも走りも重しを着けたままで行って下さい。その重しに慣れ、増やしたいなれば、何時でも良い我らが道場へ参られよ」「最後に、これらの理を心に留め置き鍛錬する者としない者とでは、その出来が大いに異なると思うておきなされ、宜しいかな」双角と慈恩が交互に流儀の理を話して聞かせた。館長の沢木と師範の辰巳の二人は理を忘れぬように心に言い聞かせていた。「最後の最後に忘れてはならぬことがあり申す。人は技量が伸びると鼻が高うなります、その鼻に眼が付いており技量が上の者も技量が下に見える、本に上の者は下の者の弱点、欠点が見えまする、自惚れて鼻の眼で見ている者には見えませぬ。上位の者には下の者が見えまするが下の者には上の者の技量が解らぬ、このことも忘れずに、また、先の師範代のように悪さを致さば我らが成敗致す、忘れぬようにして下され」「龍一郎様、佐紀様、何か御座いますでしょうか」「其方らが全て申して下さいました。精進して下さい。道場への来訪をお待ち申します」四人は無言の二人を居間に残し鍛錬所を辞去した。「辰巳師範、我らも言われた通りに鍛錬いたせば、あの者らのようになれるかのぉ」「今まで通りの鍛錬では彼らのように強くはなれないのは眼に見えて明かで御座います」「しかし、たったあれだけの理で強うなれるのであろうか」「どのような違いがあるか兎に角やってみようではありませぬか」「そうよのぉ、何もせぬよりは良いか、しかし、この重しは重いのぉ」「いやいや、龍一郎殿と佐紀様はこれの何倍もの重しを着けておることでしょう」「龍一郎様、彼らは訪ねて参るでしょうか」道場への帰り道、慈恩が尋ねた。龍一郎の少し後ろを佐紀が歩き、その横に葉月と弥生が歩き、その後ろに慈恩と双角が続いていた。「儂は八卦見ではないでな解らぬわ。佐紀はどう思うな」「私も八卦見ではありませぬが、辰巳殿は加わると存じまする」「そうじゃな、そうであれば良いな」 <つづく>
2025.09.04
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<増上寺 再訪>-----#311久しぶりに屋敷に戻ったある日の夜、縁側に龍之介を膝に乗せた龍一郎と佐紀が佇んでいた。 「旦那様、いつぞやの大山に来た漁師を覚えておられますか」 「うむ、覚えておるが」 「あの時の娘さんをお仲間に加えたいのですが、いけませんでしょうか」 「幼くから漁師をしておる故か足腰がしっかりしておったのぉ、私も考えておった」 「明日、銚子へ行ってみませぬか」 「漁から戻った五つ半頃に銚子に着くようにしようか、どうじゃな」 「宜しいかと存じます、ですが、誰が跡を付けて参りますことか」 「そこじゃな、其方は誰と誰と思うな」 「誠一郎様は思慮深く御成りで御座いますので、ありますまい。富みに成長をみせております葉月、弥生の二人か、相変わらず好奇心旺盛な平太、雪で御座いましょう」 「そうじゃな、儂もそのあたりであろうと思う」 「他にお誘いしたいお方が二人おります」 「うむ、誰と誰かな」 「はい、何時かお話しました、元武家と思われる茶屋の主人と増上寺近くの鍛錬所の悪さをしていた師範代を倒した武家で御座います」 「増上寺の法主に挨拶もしたいと思うておった、銚子の次に参ろうかのぉ」 「下調べを致しますか」 「いや、其方が見込んだ方たちじゃ、間違いはあるまい」 そんな会話が二人にあった翌日、銚子へ二人が向かい、予想通りに平太と雪が同行していた。 それから数日後、龍一郎と佐紀の姿は増上寺の門前にあった。 同行していたのは慈恩と双角で隠れて同行していたのは葉月と弥生の姉妹だった。 増上寺客分槍術師範・双角が先導し増上寺の門を潜った。 「双角殿、お久しゆう御座います」 門前や門内の清掃をしていた若い僧侶が双角に挨拶してきた。 双角にとっては五年程住み暮らした寺であり、龍一郎、佐紀、慈恩も一度訪れている。 四人は所々で出会う僧侶たちと挨拶を交わしゆるりと法主が住む奥へと向かった。 途中で出会った若い僧侶が知らせに走って知らせ、庫裏に四人が着いた時には、なんと法主自らが回廊に立って迎えた。 「よう参られた、龍一郎殿、待ちかねておりましたぞ」 「恐れいります、法主自らのお出迎え恐縮至極で御座います」 「なあに、儂の勝手じゃ、気に致すな、さぁ、さぁ、上がられよ」 四人は用意されていた濯ぎ水で足を綺麗にして庫裏へ上がった。 法主が座る部屋の廊下に四人は座した。 「法主様、ご無沙汰いたし申し訳も御座いませぬ」 「龍一郎殿、そのような挨拶は無用のこと、さぁ、さぁ、入られよ」 「失礼を致します」 四人が部屋に入り法主の前に龍一郎が座り、少し後ろの横に佐紀が座り、二人の後ろに双角と慈恩が座った。 「副法主のおりには世話になりました。改めて礼を申します」 「なんのことがありましょう。双角殿を通してご連絡を頂き御縁が生じると嬉しく思いまして御座います」 「剣術好きの愚僧には其方様との御縁が嬉しゅう御座いました」 「法主様には、御代わりは御座いませぬか」 「うむ、其方が漂う邪悪な靄を消してくれた故に、至って安泰に御座る。結界を張る為の毎夜の祈祷の要も無くなりました。忝のう御座った」 「それは良う御座いました。では、新たな災いなど無いので御座いますな」 「うむ、無い、其方らが門前の掃除もしてくれた故な」 「その後、悪さをする者は居りませぬか」 「儂の耳には、入って居らぬな」 「これは法主様の胸の内に留めて頂きたいのですが、以前、悪さをして居りました鍛錬所の新たな師範代を我らの身内に加えたいと思うております。まだ、本人の承諾は得てはおりませぬが」 「その者が鍛錬所を良い方に変えましたかな」 「そのように思うております」 「その者を身内に加えたならば、また、鍛錬所が荒れるのでは御座らぬかの」 「身内に加わってもらいますが、職はそのままと思うており申す」 「うむ、それが良い、それは良い。それで今日は双角殿が稽古を付けてくれるのかの」 「ご希望とあらば、但し、双角が受ければで御座いますが」 「双角殿は其方の配下ではないのか、其方が申せば受けるであろうが」 「いいえ、法主様、我らに配下、家来はおりませぬ。身内に御座います故に双角殿の気持ち次第」 「それが身内と言うた意味に御座るか・・・配下ではないか・・・それで双角殿、受けて下さるかの」 「はぁ、龍一郎様に時が御座れば、喜んでお受け致しまする」 「双角殿、刻は御座る。鍛錬所には明るい内に参れば良い」 「ははぁ、では、法主様が宜しければ早速にも」 廊下に控えていた若い僧侶が立ち上がり皆に知らせに行った。 「失礼致します」 もう一人の若い僧侶が皆のお茶を持って来て一人一人の前に置いた。 「失礼致しました」 「ありがとう御座います」 龍一郎一行が持ってきた僧侶と法主に茶の礼を述べた。 「皆が揃うまで茶でも飲んで下され」 「はい、ありがとう御座います」 「双角殿、其方ほんに礼儀正しく温厚になられ、腕も上げられたようじゃ」 「ありがとう御座います、法主様」 「龍一郎殿の薫陶の御蔭かの、それとも佐紀殿の導きかの」 「はい、仰せの通りで御座います、ですが、こちらにおります、慈恩殿の励ましも御座います」 「うむ、さもありなん、其方ら二人は良い競い相手であろう」 廊下に先ほどの僧侶が戻って来た。 「皆が揃いまして御座います」 「おぉ、ちょうど修行中でありましたかな。では、参りましょうかな」 若い僧侶を先頭に法主が続き、その後を龍一郎たちが続いた。 講堂に入り、法主が正面に座り、龍一郎たちが入口に座った。 「皆の者、本日は外で修行しておる双角殿が戻られ、一刻程指導の刻を下された。 心して指導を受けよ。なお、双角殿の師匠も同道しておられる。皆も存じおろうが先の大試合の大人の部の勝者と女子の部の勝者である。日頃の鍛錬をお見せ致せ、師範あとは任せる」 「ははぁ、既に順は決めて御座います、一番手前へ」 「おぉ」 大きな声と共に身体も大きな男が十文字槍を持って立ち上がり前に出て来た。 双角は壁に掛かった十文字槍を持って対峙した。 二人は互いに礼をし、立てた槍を前に構え、一番手の男が槍を前後に振るった。無論、二人の槍は鍛錬用の木で作られた模擬の槍である。 双角は槍を構えたままに動かなかった。 一番手の男が槍を前に突き出し双角を突き刺そうとした。 双角は前に迫る槍を軽い動きで弾いた。 一番手の男は予期していたように槍をぐるりと後ろを回し反対側から薙ぎ払うように振るった。 双角は迫り来る槍を軽く弾くと一番手の男がまたも後ろを回そうとした刻に素早く前に進み、己の槍先を一番手の男の喉元の前で止めた。 一番手の男が槍の動きを止め、その場にへたり込んでしまった。 「それまで、二番手前へ」 師範が試し合いを止め、次の対戦者を呼んだ。 「はぁ」 「師範、こちらも二番手を願いたいが宜しいですかな」 龍一郎が館長に願い、師範は法主を見つめ、法主の頷きを確認した。 「二番手、慈恩殿、願います」 「はい、ただ某は木刀にてお願い申します。師範、宜しいでしょうか」 「結構です、お好きなように」 双角が槍を元の場所に戻し、慈恩が壁の木刀を一つ持ち素振りを何度か繰り返し開始線に立った。 二番手が槍を正面に構え、慈恩も木刀を正眼に構えた。 二番手も一番手と同じように槍を前後に振るい始めた。 慈恩も双角同様に全くの動きも見せなかった。 二番手は槍を前後に振るうばかりで仕掛けては来なかった。 慈恩が何の気配も見せずに一歩前に進んだ、驚いた二番手は槍を慈恩に突き出した。 その途端に槍が中程で折れて床に転がり「ガラン」と音をたてた。 「そ・そ・それまで」 「法主様、もう宜しいでしょう」 「私は龍一郎殿。其方が二人、三人になる処、御新造殿が木刀を早く振るう処を見たいのじゃがな」 「御法主様、拙僧(せっそう)がお相手致しとう御座います。宜しいでしょうか」 「師範、自らが相手をすると申すか」 「はい、見ているだけでは真の力が解りませぬ故に」 「良かろう、許します」 師範は壁に歩み、他の槍と作りが違う特別な槍を手にして開始線に立った。 「さて、佐紀、どう致すな、儂が参ろうか」 「いいえ、旦那様、私がお相手致します」 佐紀は開始線に歩むと右手を後ろに回し帯の間から小太刀の木刀を出し正眼に構えた。 構えていた館長は槍先を下げ一歩、二歩と後ろに下がり法主を見た。 「御法主様、この者は一切の気配も発しておりませぬ、拙僧はこのような者は会ったことも、聞いたことも御座いませぬ」 「うむ、とくと見よ、感じよ、それが我らが目指す姿じゃ」 「お待ち下さい。御法主様、愚僧に先陣をお願い申します」 師範代が己を先にと割って入った。 「何、師範代も試し合いたいと申すか」 「はい、気配無き相手がどのようなものか試してみとう御座います」 「龍一郎殿、佐紀殿、宜しいですかな」 「法主様のお好きなように」 「龍一郎殿、忝い、師範代と佐紀殿の後に龍一郎殿と師範の試し合いをみせてはくれまいか」 「法主様のお好きなように」 「師範、暫し待て、師範代が先陣じゃ」 「承知仕りました」 「ありがとう御座いまする」 師範は槍を持ったまま自席に戻り、師範代が立ち上がり壁から十文字槍を取り開始線に立った。 師範代は気配が感じられぬ相手に槍を真正面に向け一歩前に進んだ。 その刻、佐紀から「ブーン」「ブーン」「ブン」「ブン」と音が響いて来た、そして佐紀が二人になった。 法主から「おぉ」の声が漏れ、師範から「うむ」と声が漏れ、対峙する師範代からは「うぅ」と漏れた。 <参考>-----(寺院の長を配下が呼ぶときの言葉遣い)--------------- ・法主(ほっす) - 住職・座主クラス ・御法主様(ごほっすさま) - 格調高い言い方。浄土真宗など大寺院のトップ。 ・御座主様(ざすさま) - 延暦寺などでトップを「座主」と呼ぶ。 ・御住持様(じゅうじさま) - 住職職を指す呼び名。「ご住職」と同じ。 ・上人様(しょうにんさま) - 徳の高い僧侶に広く使われる敬称。 ・お上様や旦那様 - 町人や外部の檀家が呼ぶ場合の口語的表現。 <参考>-----(僧侶が自分のことをへりくだって言うとき)---------------- ・愚僧(ぐそう) - とても典型的な表現。 ・拙僧(せっそう) - つたない僧侶という意味。手紙文でもよく使われた。 ・卑僧(ひそう) - 自分を卑下していうとき。 ・沙門(しゃもん) - 本来は出家した者の一般呼称。自分をさすときに「沙門○○」と名乗ることも。 ・不肖(ふしょう) - 僧侶に限らず、へりくだって名乗るときに使う。 ------------------------------------------------------------------------------’ <つづく>
2025.09.03
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パリでの世界バドミントン大会で女子シングルスの金メダルを山口茜選手が獲得しました。決勝の相手は2021年の東京五輪の女子シングルス金メダリスト・中国のチン・ウヒ選手でした。この試合の山口選手はまさに神掛かっているの言葉が当てはまると思いました。二人の試合は34回目とすごい選手たちです。山口選手が高校生の時から知っているので10年以上前からになります。身長が160センチ以下なのに動きが速いのかとても強いという印象でした。その選手が今大会では28歳で最年長とのこと月日の流れを感じます。その試合の実況が桃田健斗さんでした、彼もまだまだやれると思うのですが残念ですが、国際大会は引退しています。<おしまい>
2025.09.01
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<鶏眼 治療>-----#310龍一郎に継いで小兵衛もお久の手を借りて着替えを済ませ道場へ向かった。小兵衛が道場に入ると見所下に人垣が出来ていた。人垣の真ん中には少年と龍一郎がいて龍一郎が少年の足を膝の上に乗せていた。「龍一郎師範、どうしたな」「館長、この者が鶏眼(けいがん)が出来て痛いと申します故に治療をと思いまして、まずは鶏眼であるのか胼胝(べんち)であるのかを見分けることでしてな」「鶏眼とは、胼胝とは何で御座いましょう」この日、女子の師範代を務める佐紀が尋ねた。「おぉお、其方は知らぬか、鶏眼をまたの名を蜀黍(もろこし) 、石目(いしめ)とも言う、足などの擦れる処に出来る豆の事じゃよ、魚目(ぎょもく)や魚眼(ぎょがん)とも言うな」龍一郎に変わって館長の小兵衛が答えた。「師範代、部屋の薬箱の在り処が解るかな」「はい、師範、解ります、取って参ります」「願おう」「龍一郎師範、漢方の薬でもあるのかな、儂は小刀で少しづつ削って芯を取るがな」「某は竹へらで取り、膏薬(こうやく)を塗ります、館長」「膏薬の中身は何かな、師範」「胡麻油+蜜蝋+木灰+五倍子・艾葉などの薬草を調合して御座います」佐紀が奥の私邸から箱を持って戻って来た。「龍一郎師範、この箱で宜しいですか」「おぉお、そうじゃ、それが薬箱じゃ、ありがとう。其方に見せたのは始めてじゃな」「はい、始めてで御座います」龍一郎と佐紀の夫婦は道場では師範、師範代と呼び合い私生活とは区別していた。二人だけでは無い、小兵衛、お久の夫婦も館長、女子の部の師範代であるお久を師範代と呼び、仲間であり家族でもある皆も館長、師範、師範代と呼ぶ。だが、ひとたび奥の囲炉裏端に家族だけとなった時には館長を小兵衛殿と呼び、お久殿と呼び、佐紀殿、佐紀様と呼ぶ、龍一郎を呼ぶ時は館長は龍一郎や龍と呼ぶ、三郎太も時に龍さんと呼ぶ、舞や平太に至っては小兵衛をじいじと呼ぶ時もあった。道場と囲炉裏端との違いにあとから仲間に加わった者達は、あっけに捕られるのが普通であった。慈恩、双角、葉月、弥生、雪、勝婆、十兵衛、鐘四郎は驚いた程度だったが、柳生の二人と佐倉藩藩士に至っては信じられない顔で見続けるだけだった。龍一郎は佐紀が届けてくれた薬箱を開け道具と薬を取り出した。「皆も見て覚えるのじゃ、まずは先程も言うた様に鶏眼か胼胝かを見分けること、鶏眼であれば中に芯があり、この芯を取らねば治らぬ、薬を塗り患部を柔らかくするのは同じでな、後は芯を取るかどうかの違いだけじゃ、その後は膏薬を塗り患部を綺麗な布で巻く、患部に負担の掛からぬ様に過ごすことも同じじゃ、覚えたかな・・・良し」「師範、私の手に水膨れが出来たのですが、治りましょうか」回りで見ていた一人の門弟が龍一郎に尋ねた。「水膨れならば、其方は竹刀での鍛錬を繰り返しておるのではないかな」「左様です」「竹刀での繰り返しの振りで擦れて出来るのじゃ、鍛錬が足りぬな、豆、たこになって一人前じゃ」「ご指導ありがとう御座いました、師範」「師範、私は木刀なのですが、豆、たこが出来ますか」他の門弟が続いて尋ねた。「其方も以前は竹刀を振っていたであろう、豆、たこができたのではないか、木刀では竹刀ほどのこすれタコは出来ぬ、じゃが豆や皮がめくれることはあろう、それも鍛錬じゃ辛抱せい」「師範、手を見せては頂けませぬか」龍一郎は手の平を上に向け前に出して見せた。「触っても宜しいでしょうか」「良かろう」一人が触ると次々に触りだした。「凄い、私の様に一部が固いのでは無い、手の平全体が固く豆のようだ、凄い」「本当だ、これ程になるにはどれ程の鍛錬をするのだ」門弟たちが龍一郎の手を代わる代わるに触り語りあっていた。「館長の手も同じでしょうか」小兵衛が龍一郎の横に手の平を差し出した。「おや、龍一郎師範の様に全体では無いぞ」「小指の方と指の付け根が固いぞ」「うん、だが全体も少し固くはないか」「そうだ、我らの様に柔らかくはないぞ」「師範代の手はどうなのでしょうか」「馬鹿者、佐紀様は女子じゃぞ、見てはならぬし、触ることはできぬ」佐紀が平然と小兵衛の横に手を出した。「お触りなさい、許します」佐紀が手に触ることを許したが皆は女子のそれも見眼麗しい佐紀の手とは言え触ることを躊躇していた。 一人の門弟が勇気を振るい指先で軽く突いた。「おぉう、固いぞ、龍一郎師範と同じだぞ、全体が固い・・・じゃが何故か女子の手だ」「見た目は固くは見えぬぞ、本当に固いのか、どれどれ・・・固い、固いぞ」「もうそろそろ宜しいでしょう、これ以上は私の旦那様に成敗されますよ」佐紀の言葉に皆が龍一郎に眼をやると、いつも笑みを絶やさない顔から笑みが消えており皆は龍一郎から一歩、二歩と退いて行った。「大丈夫ですよ、師範はこれくらいの<おふざけ>では怒りはしませぬ」龍一郎の顔に笑みが戻った。「あぁあ、騙されました。師範も人が悪い」「師範も<おふざけ>を為さるのですね」「ふぅ、ふぅ、ふぅ、儂の本性を知っておるのは儂の女房殿と倅だけじゃ」<つづく>
2025.08.23
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<辻の騒動>-----#309小兵衛と龍一郎は桔梗門を出ると小兵衛が両手を上げて大きな伸びをして言った。「龍一郎、裃は疲れるのぉお」「はい、私には殿様など無理ですな」「藩主にはならぬのか」「なりたいとも思いません」「其方は替わった奴じゃな、武士に生まれたからには殿と呼ばれたいと皆が思うのにのぉ」「人は人、私は私です、他人のことなど知りません」二人は道場近くの辻に近づくと人だかりにぶつかった。二人は何事かと人を「御免よ、御免よ」と言いながら掻き分けて前に出た。婆さんが与太者二人と浪人一人に絡まれているようだった。「おぉ、其方はお雪の婆様ではないか、どうしたな」「何だ、てめいは、邪魔するんじゃねいや、裃なんぞ着やがって怪我しねいうちに消えな、消えな」小兵衛のお婆への呼びかけに与太者の一人が間に入り文句を言った。「城勤めの侍なんてのはよぉ、形(なり)だけの武士にきまってらぁな」もう一人の与太者が言った。「そう言えば、お雪の婆様、其方の名を聞いてはおらなんだのぉ、名は何と言うのだ」小兵衛は与太者二人をまるでいないかの様にお婆に話かけていた。「へい、勝と言いますだ」「おぉお、お勝殿と申すか、此れからはお勝婆さんと呼ぶことにしよう、良いかな」「へい、お願いしますだ」「何だ、何だ、てめいら、おれっちを無視するんじゃねぇや」「おぉ、其方ら、お勝婆様のお知り合いかのぉ」「ばかやろう、お侍よ、知り合いじゃねいや、この婆が俺にぶつかってきやがったのよぉ」「おぉ、左様か、それはすまなんだのぉ、お勝婆殿、怪我は無いかな」小兵衛は話ながらお勝婆に近づき倒れていたお婆を助け起こした。「おい、侍、てめいが婆あと知り合いなら、おれっちに怪我の治療代を渡しな、侍だから易くしてやるぜ」「おぉお、すまぬな、治療代をくれるてか、悪いのぉお」「何を抜かしやがる、出すのはてめいの方だ、勘違いするんじゃねいや」「其方は男であろう、女子を大事にせぬばいかんぞ」「何でおれっちが、こんな婆あを大事にしなきゃならねぇえんだよ」 「其方は不思議な御仁じゃな、儂は女子から生まれた者しか知らぬ、其方の様に女子を邪剣に扱う者は女子から生まれたのでは無いのであろう、何から生まれたのじゃ」 周りで聞いていた大工道具を担いだ男が声を掛けた。 「おぉ~、女子以外から生まれたなら奥山の見世物小屋へ連れて行きゃ~銭になるぜ」 「何を申す、儂を愚弄するか」 始めて口を開いた浪人は声を発した大工を睨み付けた。「どさんぴん、切るってのかよ、切れるもんなら切ってみやがれ、このやろう」睨まれた大工が腰を引き逃げ腰ながらも啖呵を切った。浪人が一歩前に出て切る気になったように見えた瞬間に大工と浪人の間に裃を着た武士が立った、龍一郎である。「邪魔をするで無い、無用な怪我をするだけだぞ」浪人が龍一郎に言った。「父上、手間がかかっておっくうです、さっさと片付けませぬか」「龍一郎、折角の暇潰しじゃ、楽しもうではないか」「こんな眼を瞑っていても相手できるような奴らでは面白くもなんともありませぬ」「其方の相手になる者などおらぬわ、其方はお勝婆殿の側におれ」「裃の侍が偉そうなことを言うじゃねいか」「お~い、どさんぴんの三人よ、この裃の二人が誰か、しらねぇ~のか」先程の大工がのたまった。「城の侍は形ばかりで怖くもねいぜ」「おまえさん方はよ、橘道場の館長と師範を知らねぇのか」「ばかな奴らだぜ」大工の言葉に他の者の言葉が続いた。「橘だと~、大試合の勝者の道場だろうが、この着飾った二人が館長と師範の訳があるか、嘘をいうんじゃねぇいや」「昔の人は偉いねぇ、無知は本当に怖いや、てめいの身体で知るんだな」大工が付け加えた。「二人は・・・お二人は橘道場のお方でしょうか」渡世人の一人が至極丁寧に尋ねた。「橘道場、何だそれは儂は知らぬな」小兵衛が惚けて答えた。「ほれ見ろ、でまかせを言うで無い」「浪人さんよ、お前さんは大試合を見なかったのかい」浪人と大工の掛け合いになっていた。「行ったが、こんな老人は出てはおらなんだな」「遠くで見てたんだろう、お前さんが老人と言ったお方が次席で橘道場の館長だぜ」「大工のお前に解るまいが」「おりゃ、町内だからよ、何度も見てるぜ」「宮内の旦那よ、何時まで無駄口を叩いているんで、早く銭をせしめて飲みに行きましょうや」渡世人が浪人に声を掛けた。「名を言うで無い」「いいじゃねぇですか、広い江戸ですぜ、もう会う事もありませんや」浪人の注意に渡世人が言い返した。「龍一郎、儂も面倒になった、腹も空いたわい」「私はもう背中とお腹がくっつきそうです、お婆殿、昼餉は何かな」「人が多いで鍋に決まっとるべ、具は大根、人参、ごぼう、里芋、豆腐、油揚げ、こんにゃく、だで、だしは煮干しと昆布じゃ、握り飯もあるぞな、塩むすびに梅干し、昆布、焼き味噌じゃ」「おぉお、旨そうじゃな、父上、早く参りましょう、見物の衆も飽きております」「其方ら、儂が橘道場の館長・小兵衛でのう、そこに居るは大試合の勝者・龍一郎じゃ、立ち去るならば今ぞ、浪人殿は武士廃業、渡世人は渡世廃業になる」「しゃらくせいや、死ぬ、爺い」渡世人の二人が長ドスを抜き、浪人も刀を抜いた。龍一郎は見ることも無く、お婆を抱えるとすたすたと道場へ向かって歩き始めた。お婆は名残り惜しそうに首を伸ばして後を見ていた。勝負は一瞬だった。小兵衛と三人の立ち位置が入れ替わったと見えた時には、三人の刃物は地面に落ち、三人の右腕の肩と上腕が折られおかしな方に向き、三人は痛みに呻いていた。静まりかえった中に、小兵衛の声が響いた。「其方らは右手で二度と重い物は持てぬと知れ、命がある、歩けるだけでも有難いと思え、これに懲りて町の衆に悪さをするでない、今度は、歩けぬようになるか、この世の人でなくなると思え」「だから言ったじゃねぇえか、ばかやろう、人の話を良く聞きやがれ」大工の一言に大歓声が上がり、三人に対する野次が飛び交った。小兵衛は骨を砕いた鉄扇を開いて顔を仰ぎながら人並をかき分け道場へ向かった。小兵衛が現場を離れたのは龍一郎が去ってから、それ程の刻が経っていなかったはずであるのにも関わらず、小兵衛が道場に着いた時には龍一郎は着替えも済ませ道場で門弟を仕込んでいた。お勝婆は台所で昼餉の支度をしていた。<つづく>
2025.08.18
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<将軍剣術指南役・小兵衛>-----#308「小兵衛、儂の振りを見てはくれぬか」「はい、ですが、上様、もう一つ剣技以前のものが御座います、それは足腰の鍛錬で御座いまする。我らは月に一度は山で、または頂きました加賀藩裏手の屋敷にて小山の登り降り、小山の回りを走るなどをして足腰を鍛えております、また、毎朝、人が起きる前に街中を走っておる者達もおります。また、幼い女子が考えました事で御座いますが、石を持ち立ちしゃがみを繰り返す事を毎日何度もしておる者もおります。決して我ら年上の者、剣技が上位の者の指示や命では御座いませぬ。それぞれが己で考え工夫をし実践・鍛錬しております。その基礎の体力があっての剣技に御座いまする」「幼い女子が考え実践しておると申すか」「御意」「誰じゃ、儂は会うたことがあるか」「御座います、舞と言う娘が石の持ち上げを始めまして皆が真似まして御座います」「おぉお、あの巻き藁を切った娘ではないか」「御意、その娘に御座います」「皆は、その娘は辛いとは思わぬのか」「思う事も御座いましょう、ですが、皆は己が昨日よりも今日、今日よりも明日は己がどの様になるかが楽しみな様に御座います、何よりも女衆は佐紀を目指し、男衆は倅・龍一郎を目指して御座いまする」「佐紀も龍一郎も遠い存在のように言うたではないか」「御意、ですが、毎日続けておれば、何時かは届くと思うております、但し、その頃は佐紀も龍一郎も更なる高みにおるでしょう」「それでも皆は二人を目指すか」「御意」「う~む、儂の考えが甘かったわ、俊方、その方はどうじゃ」「はい、某の思いも同じで御座います、剣技以前の備えが足りぬと思い知らされまして御座いまする」「今日、二人に来てもろうたは剣技指導のつもりであったが、儂はそれ以前の鍛錬が要りようじゃ。久通、其方も基礎の身体作りをしておるか」吉宗は側用人の加納に問うた。「御意、重しを着け、駕籠にも出来るだけ乗らぬようにしておりまする」「橘の道場に通う者は何故にそうもがんばるのじゃ、何故に続けられるのじゃ、じい」「じいにも解りませぬ、唯、明日の己がどうなっているのかが楽しみなだけに御座いまする」「成程のぉお、今日、なにもせねば明日は今日と変わらぬか、衰えておるのじゃな。処で、龍一郎、其方何も言わぬがどうしたな」「講釈は父の仕事に御座いまする」「何、しゃべりは小兵衛の仕事か」「御意」「されど、小兵衛の言うた理(ことわり)は其方の言葉ではないか」「御意、なれど、理は言うた者よりも聞いた者の解釈が大事かと思いますが、如何でしょう」「成程のぉお、其方は儂が抱える儒学者よりも儒学者らしいことを言うのぉお」「失礼とは存じますが、ご理解頂けたと思うて宜しいでしょうか」「そうじゃ、其方の今の言葉も小兵衛の言葉も良う解った、と思う、考える刻をくれぬか」「御意」「小兵衛、他に理があろうか」「御意、成れど理は器量、技量に合うたもので無ければなりませぬ、受け入れる時期が御座います。余計な理は成長の邪魔になるだけで益にはなりませぬ」「橘の者は皆、儒学者のようになるのか、剣技だけではのうて言葉も龍一郎を真似ておるようじゃ」「剣技、言葉だけでは御座いませぬ、仕草も含め全てが皆の見本となって御座いまする、上様」「小兵衛、其方の方が年上ではないか、それでも真似るか」「失礼を承知で申しあげまする、見本とする者に年など関係しますでしょうか」「その心持ち見事じゃ、儂も見習わねばなるまいのぉ。今日はこれで仕舞いじゃ、じい、儂に考える刻をくれ、己の心に問う刻をくれ、政の予定は全て無しじゃ、良いな、小兵衛、其方は儂の指南役じゃと言う事を忘れるでないぞ」「御意、では失礼をば致しまする」「御免下さりませ」側用人・加納、剣術指南・柳生俊方、小兵衛、龍一郎の四人は白書院から膝行して去って行った。「儂が天狗になるのは遥か彼方のようだのぉお」広い白書院に吉宗の独白が響いた。<つづく>
2025.08.14
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<小兵衛と龍一郎の登城>-----#307ようやく夜が明けはじめた七つ刻(午前4時頃)、橘道場の裏庭では、家族同然の者たちが既に竹刀を交えていた。鍛錬は夜明け前の八つ半から始まっていたが、声は控えめ、物音すら慎ましく、外からは気づかれぬよう配慮されていた。そのころ、表口に一人の裃姿の男が現れた。門前を掃いていた「お雪の婆さん」が箒を止め、男の気配に気づいた。「御城より参上仕りました。使番・佐々木孫市に御座います」「おやまぁ、こんな朝早うから……。どうぞ、どうぞ、お待ちなされ」婆さんは門を開けて使番を式台まで通し、奥へと取次に向かった。小兵衛は裏庭の稽古をひとまず止め、羽織を手早く整えると、表へ向かった。式台の前では、既に使番が控え、礼をとっていた。「上様よりの御下知にて、『師範・龍一郎、同道のうえ、四つ刻に白書院へ参れ』との仰せに御座います」使い番は書付を小兵衛に渡した。「しかと承った」小兵衛は簡潔に返すと、使番の後姿を見送った。小兵衛は踵を返すと裏庭に面した廊下に向かった。「龍一郎、御城からの呼び出しじゃ」龍一郎は木刀の動きを止め廊下に近づいた。「城からの呼び出しですと」「左様、使い番が申すには上様の呼び出しでのぉ~、四つと言うておった」「今日で御座いますか」「そうじゃ」「七つで御座います、まだまだ鍛錬が出来ます、では」龍一郎は鍛錬へと庭へ戻って行った。「まったく、あやつは上様のお呼び出しと言うに動ぜぬ奴よ、鍛錬の虫じゃな、さて、儂も続きをするか」小兵衛も一旦羽織った羽織を脱ぎ、廊下に置くと立て掛けてあった木刀を持って鍛錬に戻った。明け六つの鐘の音が町々に響いた。裏庭で鍛錬をしていた皆が手足の動きを止めた。今朝の鍛錬に参加していたのは龍一郎、佐紀、小兵衛、久、誠一郎、舞、平太、雪、葉月、弥生、南町奉行所与力・浅井十兵衛、北町奉行所同心・本所鐘四郎、江戸柳生・鰐淵俊三郎、尾張柳生・井上歳三であった。平四郎、お峰は七日市藩へ、貞吉、双角、慈恩は料亭・揚羽亭と船宿・駒清に昨晩戻っていた。鍛錬が終わった皆、女衆は道場の風呂を使い、その間男衆は巻き割りをし竈に火を熾した。その後、男衆が風呂に入り、女衆は朝餉を作る、これが毎朝の恒例である。葉月、弥生、舞、雪が皆に茶を淹れ、皆が礼を言った。「お前様、鍛錬のおりに羽織など着て、何が御座いました?」「御城からの使い番でのぉお、四つに白書院に龍一郎と参れとの上様の御呼びであった」「二人だけで御座いますか?」「そうじゃ、此度は二人だけじゃそうな」「何の御用で御座いましょう」「解らぬ」皆は小兵衛とお久の会話を興味深げに聞いていた。「じいじ、あたいも行きたいよぉ」「舞、じいじも連れて行きたいが、今日は龍一郎と二人だけのご指名じゃでな」「舞、館長に甘える時だけ幼子になる」兄の平太が舞の言動に文句を言った。小兵衛と龍一郎は予定通りに五つに道場を出て御城へ向かった。大手門・桔梗門から入り下馬所を通り中の門 を経て本丸御殿前へたどりついた。 緊急の呼び出しのためか検問で刻が掛かったが使い番からの書付を見せると通された。検問の係の者たちは書付を見ると拝礼していた、吉宗自らの書付で勿論、花押もあったのである。何か所もの検問で同じ事があり、小兵衛は面倒を避ける様に最初に書付を見せる様にしていた。御殿の玄関である表向御玄関でも番士の検問があり来意を確かめられた。 その後、御目見番が現れ、大広間に案内された。 大広間下段の間で控えていると茶坊主が茶を出してくれた。小兵衛は余りの手続きの多さにくたびれたのか、お茶をがぶ飲みした。これまでの登城では忠相が同道していたり側用人が玄関から同道してくれていたのである。二人が大広間下段の間で控えていると、書院番または小姓番と思しき武士が現われ、松之廊下を渡り白書院の下段の間へと案内された。暫くするとなんの前触れもなく左の障子が開き吉宗が白書院上段の間に現われた。小兵衛と龍一郎が拝礼すると吉宗が言った。「礼など其方らには似合わぬ、面(おもて)を上げよ」二人は頭を上げ吉宗と眼を合わせた。その時、下段の間に用人の加納が剣術指南役の俊方と共に現われた。加納は膝行して左の自席に座り、俊方は入口で膝行して龍一郎の隣に座った。「今日、来てもろうたのは小兵衛を剣術指南役にとの儂と俊方の望みを叶えるためじゃ、異存はあるまいな、俊方、小兵衛」「ありがたき幸せに存じまする」「承知致しました」吉宗の言葉に俊方と小兵衛が礼と承諾の言葉を述べた。「早速じゃが、始めようか、将軍もなかなかに忙しい仕事でのぉ」「上様、剣を握る前に心得をお伝えして置きます、これを知ると知らぬとでは鍛錬の効果は雲泥の差で御座います」「それは心得というよりも極意ではないか」「より過酷な鍛錬をする者よりも技前が伸びます故に極意とも申せましょう」「それを余に教えてくれるというのか」「はい、これは隣におります、我が倅・龍一郎の言葉で御座います」「何、龍一郎の言葉が極意であるか」「左様で御座います」「聞こう」「では、一つ、これは全ての鍛錬に言える事ですが、その鍛錬は何をどこを鍛える為のものか、気を付ける処、守るべき事を知っている事が大事です。例えばで御座る、竹刀、木刀、真剣を振るう鍛錬と時に何の為に何度も何度も振るのか、何に注意をしておられますか」「うむ、考えた事も無い、指導者に竹刀を持たされ振る訓練を何度もしなさい、と言われた、故に毎日、毎日振っていた、竹刀から木刀になり、真剣になったが考えた事も無かった、せいぜいが真剣を使う時は竹刀や木刀よりも扱いに気を付けた事くらいだのぉ」「初心者も熟練者も獲物は何でも早く振るう努力をします、ですが、早く振るう事は回数を重ねれば早くなります、意識する事では御座いませぬ、初心者は竹刀から始めまするが、気を付ける事は振り始めの場所と振り終わり、つまり止める位置を毎回同じにする事、最初はゆっくりでも良いのです、その時、右足を前に出しますがその位置、幅も同じにする事で御座います。振り始めの位置を同じにするのは剣筋を同じにする為であり、止める位置を同じにするのは引き戻しの時間を同じにする為です、この位置は正面に真っすぐな処です、それ以上に振る必要はありません、相手が動けなくなれば良いのです、殺める必要はありません、もしも殺めたければ後からでも出来る事です。この鍛錬のもう一つの目的は足運びです、踏み出しを早くする事です、ですが、それも獲物の振り下ろしの速さと同じで回数をこなせば自然と早くなります、意識しておれば良いだけです。これらを意識しておる者と知らずにいる者とでは鍛錬の効果がまるで異なるので御座る。この違いを実際に見ております」「竹刀の振りにもそれ程の意味があったのじゃなぁあ」「はい、それを知っている者の上達には眼を見張るものが御座いました」「儂も天狗になれようか」「天狗と呼ばれる程になるには、生半可な鍛錬では御座いませぬ。まずは基礎の体力が必要です。我々が手首、足首に重しを付けておるのをご存じではありますまい、失礼申します」小兵衛は許しを乞い、手の重しを見せ、左足を立てて足首の重しを見せた。「この重しを慣れた時に少しづつ重くしております、木刀にも重しを付けて始まりの位置が同じくなり、止める位置も同じくなった時に追加し重くします。この鍛錬を毎日、毎日、雨の日も風の日も休まず繰り返すのです」「其方らは一日くらい休みたいとは思わぬのか」「一番幼い娘でも休みたいとは申しませぬ、逆に率先して鍛錬しております。その上達ぶりは眼を見張るものが御座います」「其方らの仲間は皆、凄いのぉ」「次の教えで御座います、少し上達しましたおりに、自信が付き鼻が高くなり、その鼻に眼が付いております、そしてその眼で下を見ると本来、己よりも上位の者も下に見えるのです、では本当に己が上位かどうかはどの様に解るかと申せば、上位の者は下位の者の弱点、欠点が見えますが、下位の者には上位の者の弱点、欠点が見えませぬ、ただ、なんとなく下位に見える勘違いなのです。我らには龍一郎という絶対的上位の者がおります故に自惚れて鼻を高くする者はおりませぬ。自惚れ、慢心は成長を止める大きな要因で御座います。幸運であり幸せな事で御座います」「龍一郎はそれ程に強いか」「我ら全員で掛かっても勝てませぬ、相手にもならぬので御座います」小兵衛の隣に座る龍一郎・本人は、誰のことを話しているのか、という風に素知らぬ顔をしていた。「その重しを儂にもくれぬか」「勿論で御座います」小兵衛がそう言うと懐から手首と足首に付ける重しを出し、龍一郎が懐から腰に付ける重しを出した。小兵衛が龍一郎から受け取り五つの重しを前に押し出した。用人の加納が前に進み出て重しを吉宗の元へ膝行して差し出した。吉宗は重しを手に取った。「以外と重いものじゃな、久通、其方も着けておるか」「御意」「これよりも重いのであろうの」「御意」「小兵衛、其方の重しは久通よりも重いのであろうな」「御意、側用人・加納様よりも幾分重う御座います」「上様、某に小兵衛殿への願いをお許し下さい」「俊方、その方も重しを願うのかな」「御意」「どうじゃ、小兵衛」「道場に御出で頂ければいつでもお渡しできます。重しは他の人に解らない様にして頂きたい。故に、御屋敷にお届けする事は出来かねます」「某本人が一人で道場に参れば重しを頂けようか」「無論に御座います」「俊方、その方と競い合おうぞ」「上様、競い合いに一言宜しいでしょうか」「なんじゃ、小兵衛、競い合うに何かあるか」「御意、どちらがより早く重しを重くするか、どちらが振りを早くできるか、止める位置を揃えられるかを競うのも良うございますが、それよりも大事な競い合いは続けることで御座います。人は怠け心が沸いてまいります、今日は雨、今日は腰が痛い、今日は予定があるなどの理由を付けて怠けようとします、その様な時に競い合う者を見習い続けるので御座います、その為の競う相手に御座います、人にはそれぞ゛ぞれに合った進み具合が御座います、そこは競い合うものでは御座いませぬ」「う~む、その心持ち良う解った、難しいくもありためにもなった、俊方、改めて言う、競い合おうぞ」「御意に御座います」俊方も競い合うの新たな意味を理解した。<つづく>
2025.08.12
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<三人のスーツ>-----#07720分程して寝室からスーツを着たクリスがリビングに現れた。「この服凄いわ、ブカブカだったのにファスナーを閉めたらピッタリになったのよ」「そうです、その服を今後はスーツと呼んで下さい、スーツの説明はお二人が戻ってからします。それまで、飲み物をいかがですか、先程と同じで良いですか」「はい、お願いします」テーブルの真ん中が一旦沈みホット珈琲のブラックが現れた。「ここにも調理機があるのですか」クリスはキャサリンに対して丁寧な言葉使いになっていた、無論、無意識である。キャサリンはただ頷くだけだった。暫くしてドアが開きモンローとミキシーがスーツを着て戻って来た。モンロー 「この服は凄いですね、ブカブカだったのにファスナーを閉めたらぴったりになりました」これを聞いたクリスとキャサリンが見つめ合いにんまりと微笑んだ。キャサリン 「その服を今後はスーツと呼んで下さい。ではスーツの説明をします。先程も言いましたが、このスーツは防弾、耐衝撃、防水、耐水圧、耐ガス攻撃そしてボディー・アーマーでもあります。信じられないでしょうから一つためして見ましょう、防弾は試せませんが耐衝撃を試せます。クリス、こちらに来て下さい。ミキシー、彼女のお腹を力いっぱい殴って下さい。遠慮無くお願いします。どうぞ」ミキシーはモンローを一度見てクリスに眼を向け「良いのか」と確認する様に見つめた。クリスが自信を持って大きく頷いた。ミキシーがクリスに近づき右手の拳を握り絞め大きく振りかぶるとクリスのお腹を殴った。ミキシーの拳がクリスのお腹に潜り込みクリスは少し身体がくの字になった。ミキシーは驚き後悔の念を顔に表しクリスに声を掛けキャサリンを睨んだ。「大統領夫人、大丈夫ですか、申し訳ありませんでした、痛かったですね」クリス 「ジェームズ、大丈夫よ、全然痛く無かったわ、蚊に刺された程の痛みも無かったわ」ミキシー 「本当ですか、本当に・・・今度は私を殴って下さい、お願いします」クリス 「私がですか、貴方を殴るのはモンローです、そしてモンローを殴るのは私よ」ミキシー 「そうですね、スティーブ、お願いします」モンロー 「OK、力いっぱい全力でいきますよ」モンローはそう言うとミキシーに近づき拳を握り大きく振りかぶるとミキシーのお腹に拳を叩き込んだ。その打撃はとても凄いもので普通に受ければ身体が吹っ飛んで行く様なものだった。だがミキシーは身体を少しくの字に曲げるだけで平気な顔をしていた。ミキシー 「本当だ、全然痛く無かった、凄いなこの服、いやスーツだった、これが防弾だと言うのも信じるよ」モンロー 「じゃ今度は私を殴って下さい、大統領夫人」クリス 「では遠慮なく、人を思いっきり殴るなんて滅多に出来ないですものね」クリスはそう言うと右手の拳を握りしめ右腕をぐるぐると回した。これを見たモンローとミキシーが驚きに眼を見開いた。次の瞬間、女性のものとも思えぬ鋭く重みのある右アッパーがモンローのお腹に吸い込まれた。モンローの身体もくの字に曲がり、すぐにクリスは一歩下がりモンローの様子を伺った。モンロー 「・・・本当だ、全然痛く無い、凄いスーツだ、凄いな、凄いな」キャサリン 「では次に進みます」キャサリンはこの様な光景を何度も見ているので平然と言い放った。キャサリン 「防弾ですが、顔がスーツの外です、クリス、髪をこの様に襟の中に入れて下さい」キャサリンは自分の髪をくるくると捩じり襟の中に入れクリスも真似て入れた。キャサリン 「手の平を後方に向け下に垂らし指先を前に反らして下さい」三人が言われた通りにすると三人の顔と頭がヘルメットに覆われ手袋をしていた。モンロー 「うぉ~」ミキシー 「何~」クリス 「あら」三人が驚きの声を上げた。三人の耳にヘルメットのスピーカーを通してキャサリンの声が聞えた。「ヘルメットも防弾です、貴方達が銃撃されると自動的にヘルメットが現れます。近距離の50口径以外なら防いでくれます、髪は乱れますけど、脱ぐ時はヘルメット・オフか戦闘モード・オフと言って下さい、小さな声でもOKです」三人がそれぞれに小さな声でぶつぶつ言うとヘルメットと手袋が消えた。モンロー 「うぉ~」ミキシー 「何~」クリス 「あら」三人はまた驚きの声を叫んだ。モンロー 「ヘルメットと手袋は何処から現われるのですか」キャサリン 「襟と手首に小さな膨らみがあるでしょう、それがそうよ」三人はそれぞれに自分の首回りと手首に触って確認した。「これが、あのヘルメットになるなんて・・・」クリスが思いを独り言の様に言い他の二人も頷いていた。「では次に進みます、付いて来て下さい」キャサリンが部屋を出て廊下を少し歩くと壁から階段が出てきてキャサリンがそれを登って行った。三人も素直に従い登って行った。「うぉ~」 モンローの驚きの声。「何~」 ミキシーも驚きの声。「あら」 これはクリス。三人は広い空間を見回しまたまた驚きの声を叫んだ。「スーツはアーマーでもありますのでそれを体感して貰います、私の後に付いて来て下さい」キャサリンが外周部に向かって早歩きし外周部を早歩きし徐々にスピードを上げていった。顔に薄っすらと汗が滲んだ頃にキャサリンが後を振り向きクリスの髪が襟の中に入ったままである事を確認し三人に言った。「ヘルメットを装着して下さい、手の操作をしなくても小さな声でヘルメット装着と言って下さい」三人がまたぶつぶつとつぶやくとヘルメットと手袋が装着された。ヘルメットの内部スピーカーからキャサリンの声が三人に聞えた。「スーツは汗を吸収してくれます、汗を感じないでしょう、ですが顔には汗が出ているでしょう。でもヘルメットを被れば顔と頭の汗を吸収してくれます。そして、全然疲れを感じないと思います、これがアーマーです。貴方がたの本来の力の約二倍の力が出ます。50センチのジャンプが出来るなら1メートルのジャンプが出来ます。身体自体の能力向上に努めれば、よりスーツの性能を引き出せます」三人は驚きの連続でまだ消化出来ずに何も反応出来なかった。キャサリンはスピードどんどん上げて行った。三人のスピーカーからキャサリンの声が聞えた。「全然疲れないでしょう、因みに現在の100メートルに掛かる時間は15秒です」「うそ~」「何と~」「あらら」三人は何度目かの驚きの声を漏らした。キャサリンはスピードまた上げた。暫く走ってキャサリンの声がまた聞えた。「今は14秒です」三人からは何の反応も無かった。キャサリンはスピードまた上げた。暫く走ってキャサリンの声がまた聞えた。「今は13秒です」それからまた暫く走った後キャサリンはコースを変更し中央に戻り立ち止まった。「午前中の訓練は此れまでです、昼食にしましょう、付いて来て下さい」キャサリンはそう言うと彼女の後に階段が現われ降りて行き三人が続いて降りた。彼女は管制室に入って行き三人が続きテーブルの回りの椅子に座った。キャサリンの横にクリスが座り、モンローとミキシーが並んで向いに座った。キャサリン「何か食べたい物がありますか、私は牛ステーキ150gと御飯と味噌汁とウーロン茶にします」クリス 「私も牛ステーキ100gとパンと野菜スープと野菜サラダとお水をお願いします」モンロー 「私も牛ステーキ200gとクロワッサンとサラダとウーロン茶をお願いします」ミキシー 「では私も牛ステーキ200gとパンとサラダと水をお願いします」キャサリン 「だそうよ、アダム、よろしく」テーブルの中央が一旦下がり上がってくるとキャサリンの食事が現われキャサリンがトレイを引き寄せた。再度テーブルの中央が下がり今度はクリスの食事がトレイに乗って現われクリスがトレイを引き寄せた。今度はモンローの食事が現われ、次にミキシーの食事が現われた。全員の食事が揃い、キャサリンが両手を合わせて言った。「頂きます」三人も続いて言った。「頂きます」キャサリンは箸を取り食事を始め、三人はナイフとフォークを握り食事を始めた。三人はステーキを一口食べて呻いた。クリス 「美味しい、違うわ」モンロー 「旨い、これまで食べてたものはなんだったんだ」ミキシー 「えぇ、凄く旨い、全然ちがいますね」三人は美味しい、旨いを連呼しながら完食した。四人はそれぞれに好きな飲み物を頼んだ。モンロー 「ミズ・キャサリン、困りました」キャサリン 「何が困ったのですか」モンロー 「あんなに美味しいステーキを食べたのは始めてでした、此れからはいままで食べていたステーキが食べられなくなりそうです、困りました」ミキシー 「私もそれが心配です」クリス 「私もよ」キャサリン 「良く解ります、私の家には日本人の料理人がいます。私も家か宇宙船の食事以外は美味しいと思わなくなりました。でも、美味しいと思わなくても食べられます。安心して下さい」三人の戸惑いにキャサリンが答えた。モンロー 「あんな美味しいのを食べた後でほかのもので我慢できますか」キャサリン 「我慢できるかと問われれば・・・出来ません、また食べたくなります。だから時々船に乗ります。でも、食べたいからでは無くて訓練ですからね・・・建前ではね」クリスの問いにキャサリンが再度答えた。モンロー 「私たちも時々乗せて貰えますか」キャサリン 「はい、時々、スーツの追加訓練もありますので当然乗って貰います」「わぁ~、また食べられるのですね、何時ですか。何時ですか」クリスは次の機会を楽しみにしているようだった。「では午後からはスーツの他の機能を説明します」キャサリンはそう言って立ち上がりクルリと身体を回転させた。するとキャサリンのスーツが黒のパンツスーツに変わっていた、靴も黒のローヒールに変わっていた。クリスとモンローとミキシーは驚きの連続で声も出なかった。キャサリンがもう一度クルリと身体を回転させると今度は赤のパーティードレスに変わり靴も赤のハイヒールに変わっていた。「このスーツには形状記憶機能があります、最初のはFBIスーツで登録してあり、これは赤のパーティー・ドレスで登録してあります。次はFBIスーツのスカートにします」キャサリンはまたクルリと身体を回転させ服装を変えた。「これから部屋に帰ってまずは今日着て来た服装を仕事着Aとでも付けて登録して下さい。後はアダムに言ってテレビにファッション雑誌を映してもらって好きな物を登録して下さい。但しそのままでは著作権違反になりますので少し工夫を加えて下さい。それでも違反の時にはアダムが教えてくれます。パーティー用の服を幾つも登録すると指定が難しくなりますがアダムに赤のパーティー用とか黒のパーティー用とか言えば良いです。質問が無ければ部屋に戻って登録して下さい。あぁ、勿論、下着も靴下も手袋も帽子もスカーフも登録できます、ではどうぞ、おっと夕食は1900です」三人は質問しようにも何が何やら解らず混乱した頭で三人は部屋に戻って行った。三人は自分の部屋の入り方が解らなかった、壁の前に立っても開かないのである。少しずつ左に動き今度は右に動いたが開かなかった、何処かから声が聞えた。「壁の上部に白い印があります、その前に立って下さい」「あぁ・・・アダムね、ありがとう」クリスがお礼を言い白い印の前に立つと壁の一部が消えて部屋が現われた。モンローとミキシーも印の前に立つと壁の一部が消え部屋が現われた。モンローとミキシーが同時にアダムに礼を言った。「アダム、ありがとう」クリスは部屋に入ると壁の印の前に立ちベッドルームに入りベッドに腰かけ考え込んでしまった。モンローとミキシーもリビングの椅子に座り考えをまとめていた。三人は余りの驚きの連続に頭の中が混乱してしまい、整理する時間が必要だったのである。暫くしてクリスは大きく溜息をつくと立ち上がり今日着て来た服を見て言った。「この服になって」するとスーツが眼の前の服になり、靴も下着も今日の朝の服装になっていた。「アダム、テレビにファッション雑誌を映して下さい」テレビが映り雑誌が映し出された。「う~ん、次のページ、次、次、これが良いわ、え~と、そのままじゃ駄目って言っていたから、そうね、襟を少し小さくして色を少し薄くして下さい、それと、スカートの裾を少し長くして下さい、少し長すぎるわ、そうその位ね、じゃあ、その服にスーツを変えて下さい、ありがとう、この服装の名前は何にしようかしら」「ビジネス・スーツBでは如何ですか、今日着て来たスーツがAです」「ありがとう、アダム」こうして三人は次々と服、靴、帽子などを登録して行った。三人が夢中で服装の登録をしているとアダムの声が部屋に響いた。「食事の時間です、管制室に集まって下さいとキャシーが言っています」「はい、アダム、処で今何時なの」クリスが時間を聞いた。「午後の6時です」「ありがとう、アダム、今直ぐ行きます」クリスが部屋から廊下に出るとモンローとミキシーも部屋から出て来た処だった。クリス 「ハロー、登録できましたか」モンロー 「まだ、30着です」ミキシー 「私はやっと20着でした」クリス 「やった、私は50着よ」クリスの問いにモンローとミキシーが答えたがクリスの枚数の方が多かった。三人が管制室に入った、ドアの開け方はもう慣れたものだった。「どうですか、何着登録出来ましたか」「50着」とクリス。「30着」とモンロー。「20着」とミキシー。スーツ姿のクリスがクルリと身体を回し今日着て来た服装になった。それを見たモンローとミキシーも今日着て来た服装になった。「良いわ、慣れた様ね、そうそう、スーツはね、お風呂もシャワーも要らないのよ。でも一か月に一度メンテナンスが必要なの、だから取り替えるわよ。さぁ座って、座って食事にしましょう、私は秋刀魚の開きと御飯と味噌汁とウーロン茶ね、食後にサヴァランとアイス珈琲をお願いね、皆さんは何にしますか」クリス 「私はまた牛ステーキにしますでも150gですそれとパンと野菜スープと野菜サラダとお水をお願いします」モンロー 「私も牛ステーキ200gとクロワッサンとサラダとビールをお願いします」ミキシー 「では私も牛ステーキ200gとパンとサラダとコーン・スープとビールをお願いします」全員の分が揃った処でキャサリンの「頂きます」を合図に三人も「頂きます」と言い夕食を食べ始めた。「本当にこのお肉美味しいわ、もう他のお肉が食べられなくなっちゃうわ、困ったわ」「美味しいものを食べたいけれど、他では食べても美味しいと思わなくなるんですよねぇ~」クリスの言葉にミキシーが賛同する言葉を吐いた。「かと言ってより美味しいものを探している・・・ではないのかね」「仰る通りです、こう見えても私は食には拘っていますので」モンローがミキシーに突っ込みを入れミキシーが実はグルメだと吐露した。「三人は食後のデザートは要らないのですか」「サヴァランて言ったけどまだあるかしら、キャサリン」「ありますよ、クリス」「じゃあ、私もサヴァランを頂きたいわ」「私も」「私もお願いします」クリスに続いてモンローとミキシーもサヴァランを願った。クリス 「まぁ~、いままで食べた中で一番美味しいわ、そう思わない? お二人さん」モンロー 「美味しいです、でもこのケーキは始めてなので比べられないな」ミキシー 「私もです、でも凄く美味しい」キャサリン 「これは彼が世界中のサヴァランの中で一番美味しいと思ったものを改良した物なのよ」モンロー 「へぇ~、彼がね」クリス 「彼はグルメなのね」キャサリン 「さて、今日はこの後自由時間よ、服の登録に使って下さい。私は部屋に戻るわ」キャサリンは立ち上がり部屋を出て行った。<つづく>
2025.08.09
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----------第三章----------------------------------------------------------- <前田家の害虫>----#306 加賀の反現藩主派、その江戸在府の者たちが中屋敷に集まっていた。 彼らは上屋敷で、藩主の嫡男である龍一郎の姿が見えないことに気づき、その行方を探していた。 そして、とうとう橘家の婿養子になっている事を付き締めた。 この件で現藩主を脅し隠居を迫るか、又はこの事柄を幕府に知らせ現藩主を蟄居閉門へ追い込めばどうかとの提案が出された。 この二つの案が出されたが第二の案に従い幕府に知らせれば加賀前田家の存続も危ぶまれる、つまりは自分達の禄を失う事を意味し此れまでの様に甘い汁を吸えなくなる事になる。 と成れば第一案の現藩主には隠居して貰い替わりを建てるしかない。 だが、次に誰に藩主をと成ると次男の富五郎に後を継がせる、七家から選抜する、七日市藩藩主を本家の藩主にする。子藩とは言え他藩の藩主を迎えるには幕府の厳しい審査が予想され藩の内情を探られ藪蛇にも成りかねないと言う恐れもあった。 二番目の七家からという案は実子が有りながら姻戚筋とは言え陪臣から藩主を選ぶ事は実子に頭脳不明晰、身体病弱などの理由が無ければ成らない、その届けを出したならば必ずや幕府から巡察士がやって来る事は必定であり誤魔化す事は困難である。 まずは幕府に知られぬ事、知らせぬ事、知られれば蟄居閉門となり藪蛇処では済まない。 残る手はこのまま現藩主に大人しくしていて貰うか、嫡男に戻る様に説得し跡目を継がせ傀儡とするか、次男に跡目を継がせ傀儡とするかの三択に決した。 傀儡として三者の内、誰が良いかの話会いとなった。 過激な意見として誰でも良い、結果、我らに従わねばお亡くなり頂くだけの事・・・などと言う者もいた。 彼らは自分たちの取り分を増やす為に時折集まりこの様な会合を行い、その折りには必ずこの跡目についてが話題になっていた。 ある日の会合で皆が驚かされる知らせが入って来た。 現藩主の嫡男・龍一郎が御家人・橘家に養子に入っている事を将軍・吉宗公がご存知であるらしいと言うものだった。 「そんな馬鹿な事はあるまい、大名の嫡男、それも加賀前田家は大大名、その嫡男であるぞ、次男、三男では無いのだぞ」 「しかし、幕府に対し次男への相続願いが出され認可されれば何の不思議も無かろう」 「それはそうじゃが・・・その様な届け出は成されたのか」 「いや、儂の知る限りは無い、第一嫡男は十年近く行方が掴めては居らなかったからのぉ」 「上様がご存知とは何処からの知らせなのじゃ」 「江戸下屋敷の我が手の者で御座います」 「その者は誰から聞いたのかのぉ~、真の事かのぉ~」 「確かに幼き頃、上様と龍一郎様は共に遊ばれた仲では御座いますが」 「かと言って幕府の決まり事の第一位とも言える藩主一族は江戸を離れるべからず・・・これを許すとも思えませぬがなぁ~」 「別に江戸を離れた訳では無い御家人の養子になったのだ・・・前田家の藩席から抜けたと言う事かのぉ~、それを幕府が認めて居れば上様も何も文句も言えぬか~」 「また、別の噂では次男が上様に長男に扮し謁見したとも聞いた」 「その様な事があろうはずも無いわ、上様とは顔見知りであろうが」 「噂と申しておめうが、じゃがだからして上様は嫡子の養子入りを知っているとも言えるか」 その様な会合が定期的に行われる中で天覧試合の告知があり出場者が読売に乗った。 その中に何と橘龍一郎の名が乗っていたのである。 「やはり嫡子・龍一郎は我らの敵には成らぬなぁ~、あの者は加賀藩藩主の座に未練は無い様に見ゆる、本に橘の人間に成ったのであろう」 「そうかのう、もし、そうであっても藩主や家族に何ぞあれば我らの敵となる・・・その刻に天覧試合に出場する程の腕前は厄介な事じゃぞ」 出場予定の段階でこの様な話も出たのである。 そして、試合結果が読売として出た刻の一味の驚きは大変なものであった。 「天覧試合で第一位じゃぞ、日乃本一の剣者じゃぞ、敵にする訳にはいかん」 「何、如何な剣者でも鉄砲には勝てぬよ、心配する事は無い」 「それでも、殿や家族には手を出さぬ方が良いのぉ~、今の処、我らには気付いても居らぬからのぉ~」 「まぁそうじゅのぉ、橘家に馴染んでおる様じゃで、下手に実家に眼を戻させる事もあるまいて。 それこそ藪蛇になるわい、そうであろう」 「それが良い」 「国元にもその様に伝えてくれぬか」 「承知、お任せ下され」 「国元の動きはどうじゃ、我らに反する者は居らぬ様かな」 「その様な話は聞いておりませぬ、誰も我らの事を知らぬで御座いましょう」 「良し、元藩士が主の加賀屋、能登屋の動きはどうじゃ、我らに気づいてはおるまいな」 「気づいてはおりませぬ、と言うよりもかの者たちはもはや旧家の我らに気を止める様子さえも御座いませぬ、銭儲けに夢中の様で御座います、唯、我らの仲間の末端の者の中にも加賀屋、能登屋に借財しておる者もあります様で」 「十分に分け前を渡しておろうが、それとも途中の誰ぞが渋っておるのかのぉ」 「拙者も気になりまして調べました処、どうも分け前に気を良くして分不相応の暮らしをしておるだけの様で御座います」 「だが、放ってもおけまい、蟻の一穴と申すからのぉ、どうしたものかのぉ~」 「銭を多めに渡しますかな」 「それでは却って味を占める事になるわ、下っ端の者なれば、その借財を理由に藩席から外せ」 「藩席をはずす、放逐したしますか」 「左様、中間、小者なれば当然じゃ、下級武士もじゃ」 「用心深い事ですなぁ~」 「な~に、他の者たちへの見せしめじゃよ」 「成程、御意」 まさか龍一郎がこの一味に対する為に橘家に養子になったとは夢にも思わなかった。<つづく>
2025.08.06
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<三人の新たな仲間>-----#076「ママ、何処に行くの~」「一人で行くの」「そうよ、一人よ、健康診断に行くのよ。二人はママが病気になったら嫌でしょう」「うん、嫌だ」「ママもパパ見たいに若くなって帰って来るんだね」「そうだと良いわね、ママが若い方が良いでしょう、元気な方が良いでしょう」「うん」「はい」「じゃ~、行ってきます。お行儀良くしていてね」「OK」「はい」副大統領、国務長官、大統領夫人の三人が参加すると決めた日から一週間が経っていた。あの日から三日後に三人の予定が決まり、この日になった。この日の朝、副大統領のスティーブン・モンロー–、 国務長官・ジェームズ・ミキシーが乗った車が官邸の外門で出会い次々に官邸に来た。中庭には既に飛行機が止まっていた。二人は連れだって挨拶しに官邸に入った。夫人が子供達と話している側の椅子にキャサリンが座り、にこにこしながら夫人のクリスと子供達を見つめていた。「おはよう御座います」「おはよう御座います」二人が日本語で朝の挨拶をしキャサリンを驚かせた。「おはよう御座います」夫人のクリスも日本語で答えキャサリンを驚かせた。キャサリンが官邸に入って来た時にはキャサリンが英語で挨拶したからだろうか、クリスも英語で返事を返していた。「おはよう御座います。驚きました。皆さん、日本語の勉強を始めたのですね」キャサリンが日本語で答えた。「まだ挨拶だけしか出来ません」クリスが正直に英語で答えた。「私も同様です」「同じく、私もまだ挨拶だけです」「其れでも早速とは立派です、続けて下さい。では、船に行きましょう。じゃあ、元気でね」キャサリンが二人の子供に別れの言葉を掛けた。モンローとミキシーも二人に別れの言葉を掛け手を振って出口に向かった。「じゃ~ね、三日間をお願いね」母・クリスも二人の子供に言葉を掛けて手を振り出口に向かった。「ママ、行ってらっしゃい」「ママ、気を着けてね」「は~い」四人が船に近づくと船の一部が開き、そこから階段が下りて来た。四人が階段を登り格納庫の様な処を過ぎ廊下を歩いて行き一つの部屋に入った。四人が船に入り格納庫の扉が閉まった途端に船は飛び上がっていたが三人は気が着かなかった。「アダム、外を見せて下さい」キャサリンが三人の誰とも無く願った。その言葉の後で壁の一部がせり上がり始めた。「おぉ~、ち・地球だ」「・・・綺麗」「凄い、何時飛んだのですか」三人が感嘆の声を上げた。「この船は飛行機では無いのですね・・・宇宙船だったのですね」「そうです、現在、世界中を飛んでいる飛行機は全て宇宙船です、クリス」「世界中と言うと何百台もあります、その全てですか」「そうです」皆が余りの素晴らしさに地球に見惚れていた。「素晴らしいでしょう、ですが、切りがありません。船内をご案内します、どうぞ、こちらへ」キャサリンがそう言うと外が見えていた窓が壁に変わった。キャサリンが部屋の壁に近づくと壁の一部が消えて廊下への通路が現れた。キャサリンは通路の正面をまっすぐに進み壁に行き当たると壁の一部が消えキャサリンが中に入った。「クリス、そこの人型の印が付いている壁に背中を付けて立って下さい」クリスがモンローとミキシーを一度見て歩き壁に背中を付けて立った。足の部分が持ち上がりクリスがベッドに寝かされた様になった。5分程経ってベッドが元に戻り壁になった。「クリス、お疲れ様でした、次はミスター・モンロー、どうぞ」モンローとミキシーも同様に5分程で終わった。「さぁ、終わりました、次部屋へ行きましょう」キャサリンは部屋を出て廊下を少し歩き他の部屋に入り三人もキャサリンの後に続き中に入った。「ここは、この船の管制室です、中枢です。処で驚きで喉が乾いた事でしょう、何か飲み物は如何ですか。私は何時ものアイス珈琲ですが、皆様は何になさいますか、あぁ~其処に座って下さい」三人はテーブルの回りの椅子に座りながら好みの飲み物を言った。「私はホット珈琲をブラックでお願いします」副大統領・モンローが少し遠慮しながら言った。「じゃ~私はヘレンと同じでアイス珈琲を甘くでお願いします」国務長官・ミキシーが願った。「私は紅茶をミルクと砂糖を少しでお願いします」大統領夫人のクリスが言った。「アダム、お願いね」「そのアダムは何処にいるの」クリスがキャサリンに尋ねた途端にテーブルの真ん中が一旦下がり四人の飲み物を乗せて上がって来た。「アダムはコンピューターで飲み物は彼が作ってくれました」「えぇ~、自動調理機なのですか」「ミスター・モンロー、調理機では有りません、人工頭脳です」「他に何が出来るのですか、ミズ・キヤサリン」「この船の全てです」「全てと言うと船の操縦、調理も・・・」「掃除に洗濯、ベッドメイキングなど何でもです、まだまだありますがその内に解ります」「凄いです」「処で先程の部屋では健康診断をしました。クリス、貴方はヒールを履く女性特有の外反母趾の初期症状が出ていました、歩くと走れば特に痛くは無かったですか、今は如何ですか」言われてクリスは足を踏み鳴らしていた。「あら、全然痛くないわ、どうしてねどうしてなの、キャサリン」「あの機械は健康を診断し悪い処を直してくれるのです」「えぇ~、どんな病気も直してくれるのですか」「さぁ~、どうでしょう、クリスは他にやはりお客様の接待でアルコールを飲む機会が多い様ですね、肝臓が弱っていました、骨盤の位置が歪んでいましたので歩くと何か違和感を感じたかも、またはダンスの時にバランスを崩す事があったのではないでしょうか、他は泌尿器系の問題もありました・・・が全て完治しているはずです」「夫は若返った様ですが、私は若返らないのですか」「それは明日の朝の楽しみに取って置いて下さい」「若返るのですね」「貴方は20歳に戻りたいですか、回りの人達はどう思うでしょう、考えて下さい」「20歳にも戻れるのですか・・・40歳に戻れれば嬉しいですね、でも健康な方を選びます」「貴方50歳ですが現在の肉体年齢は65歳なのですよ」「65歳・・・そんなにですか・・・気軽に散歩も出来ませんものね」「ミスター・モンローですが54歳ですが肉体年齢は70歳でした、睡眠不足と運動不足が大きな要因です。貴方もアルコールのせいで肝臓が弱っていて肝硬変の一歩手前でした、腰痛に悩んでいたでしょう、左の耳が耳鳴りでしたね、日本では40肩、50肩と言いますが肩が上げられなくなっていますね。ミスター・ミキシーはゴルフをなさっていて少しは運動をしていますが、48歳なのに肉体年齢は55歳でした、貴方も睡眠不足と運動不足が主な要因です、貴方も腰痛ですね、同じくアルコール摂取過多で肝臓が弱っていました。三人に共通で肝臓、視力、腰痛、足裏の角質に問題がありました、角質に関しては全てを取ると逆に歩くと痛みが出ますので余分な角質を取る程度になっています。注意して置きますが、何度もあの機械に掛かれると思わないで下さい。得られた肉体を維持する様に努力して下さい、私も母も勿論、彼も維持する為に努力しています。アルコールは適量、運動は欠かさずしています、ジョギング、水泳、キントレです。三人も努力して下さい、宜しいですね」三人は外反母趾の痛みが無い事、腰痛が無い事、睡眠不足から来る頭のぼやけが無くスッキリしている事を確認し大きく頷いていた。「処で皆様は先ほど地球を見ました、此処は宇宙です。何か不思議な事に気が付きませんか」「・・・」「・・・」「・・・あぁ、無重力じゃ無い」「そうだ」「そうだわ」「そうです、この船には慣性制御装置が装備されています、つまり重力の制御が出来るのです。それとも本当はまだ地球にいてあれは映像か何かだと思いますか」「いいえも本物です。じゃあ、ドラゴン・ボールの訓練室が作れるのぉ~」「まぁ~、面白いわ、どうして皆が皆、重力制御が出来ると言うとドラゴン・ボールの訓練室を思い浮かべるのでしょう、不思議ですね。訓練室は当然有ります、後ほどご紹介しましょう」「彼が一緒だと思いました。彼は乗っていないのですか」「私も彼が操縦すると思っていました」「私もです」「彼も乗っています。研究室にいます」「そうよね、貴方達が離れるとは思えないわ」クリスが自分の思いを語った。「私もそう思っています、貴方達は別行動をする事があるのですか」「そう言われれば、私たちがホワイト・ハウスで始めて会ってから離れた事がありませんね」「偶には一人になりたいとは思わないのですか」「何故ですか、好きな人と一緒にいるのに何故一人に成りたいと思うのですか」「無駄よ、モンロー、彼ら二人は次元が違うのよ、そうね、心が繋がっているのでしょうね」キャサリンが壁の前に立つと壁が消えて部屋が現れ、キャサリンが中に入り三人も続いた。「この部屋はクリスと大統領の部屋です、隣とその隣にお二人の部屋もあります。壁の前に立つと寝室とバスルームに入れます」キャサリンがそう言って壁の前に立つと壁が消えてベッドルームが現れた。三人は驚きのためか、キャサリンの話をただ黙って聞いていた。「ベッドの上に服が置いてあります、私たちはスーツと呼んでします。このスーツは防寒、防熱、防弾、耐衝撃でボティーアーマーでもあります、着る時には下着も含めて全て脱いで全裸で着て下さい、ミスター・モンロー、ミスター・ミキシー、お二人も御自分の部屋で着替えてスーツでこの部屋に戻って来て下さい」キャサリンはそう言って今のテーブルの回りの椅子に座り、いつの間にか用意されたアイス珈琲を飲み始めた。展開が早過ぎるのか、三人は動きを止めて見つめ合っていた。キャサリンが何処からか出してきたアイス珈琲にも気が付いていなかった。クリスがキャサリンが立って開けた壁の前に行きベッドルームへの入口を開け中に入って扉が閉まった。モンローとミキシーも部屋の出口の壁に近づき開いたドアから出て行った。<つづく>
2025.07.31
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<偶然の遭遇>-----#046帰国後、二人は会社に出社した。彼はロサンゼルスへの展示会見学と研修を理由に、出張していた。彼女は、そんな彼の助手として同行していた。この出張は役員からの指示だったため、上司の判断が入る余地はなかった。日程は最長二か月だったため、一か月半で戻って来たことには何の問題もなかった。初日に出張報告書を上司に提出し、午後に報告書を見た役員から呼び出しがあり、報告に行った。夕方、自席に戻り、いつものように定時に退社した。二人は秘密メールで約束していた、いつものバーで待ち合わせた。いつものようにカウンターの一番奥に座っていた二人は、新たに入って来た二人を見て、内心でドキリとした。入って来た二人が一緒にいるという事態自体が、あり得ないことだったからである。入って来たのは、警視庁の麻生警視と、世界中で有名な傭兵・滝であった。四人は一瞬、目線が合った。麻生と滝は、二人用の席しか空いていなかったので、マスターに目線で許可を求めてから座った。滝が麻生に望みを聞き、カウンターに来てマスターに飲み物を注文した。マスターが出来上がった飲み物をカウンターに置くと、滝が取りに来て席に戻った。二人が注文した飲み物はマティーニだった。「どうぞ。あなたが酒に強いとは思わなかったな」「ありがとう。強くはないけど、付き合い程度には飲めます」「付き合い程度でマティーニとは、大丈夫なのかい?」「大丈夫でしょ。酔っぱらったら、介抱してくださいね」「あんた……本当に今の方がいいよ」「仕方がないでしょ。警察みたいな男社会の組織の中じゃね」「ところで、いつ彼らをリクルートするつもりだい?」「いろいろ考えたんだけど、いい考えが浮かばないのよね」「俺も考えていたんだが……もう単刀直入に誘っちゃどうだい?」「そうね、でも罠だと考えるんじゃないかなぁ」「そりゃあ、そうだろうが、それはあんた一人で誘った場合だ。俺が一緒ならどうだい?」「そうね、それがいいわね……あとは、いつどこでね」「明日、会社訪問でどうですか?」「会社へだと、彼としか話せないわね」「明日の帰りに会う約束をしたらどうですか? 二人一緒に来てくれるようにね」「それしかないわね。よし、じゃあ、あとはのんびり飲みましょう」「彼らはどんな話をしているんでしょうかね」「さあ、案外、私たちのことかもね」「当たりかもね」その通りだった。「あなた、意外なペアですね。どういう繋がりなんでしょう」「さてね。あの様子を見ると、初めてじゃなさそうだね」「そうですね。すごくいい感じですね。知らない人が見ると、恋人同士に見えるでしょうね」「ああ、そうだね。そんなことより、世界一周はどうするつもり?」「三か月だから、今度は首ね」「じゃあ、店を開いたらどうだい?」「今度は何の店にしようかも考えなくちゃ。でも私、あなたに甘えすぎかなぁ」「大丈夫だよ。これは私から言い出したことだからね」「それならいいんだけど……私、あなたに嫌われたくないの」「私のほうこそ、君に嫌われたくないと思っていますよ」「あなたのその優しさに、皆つけ上がっちゃうのね。気をつけなくちゃ」「ふぅ、ふぅ……バレたか 」「狡いわ」麻生と滝は22時にはバーを後にした。その後、22時30分に雪恵が両親と一緒に住む家に帰るので、店を後にし、彼・清一郎が駅まで送って行った。<つづく>
2025.07.30
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<靄の晴れた江戸>-----#305「龍一郎、あの男・百地が消えた途端に気配が遠くまで解る様になったわい」「じいじ、私も船宿・駒清まで気配が解る様になったのよ」「何、舞はそれ程遠くまで解るてか、う~む、お久はどうじゃな」「お前様は解りませぬのですか」「う~ん、儂の修行が足りぬ様じゃ」「じいじ、私は自分の家だから解り易いのよ」舞は小兵衛を弁護する様に付け加えた。小兵衛が唸りながら囲炉裏端に居並ぶ面々の顔を見渡した。百地三太夫が居なくなって江戸に張り巡らされていた靄が晴れて気が通り易くなっていた。龍一郎達は千代田の城で百地一党が裁かれ投獄されるまで付き添い影護衛をした。残党がいる事は間違いの無い事で救出来るのではともしもの為に警護していた。だが、残党の職席は低く百地の仲間と露見しなければと身を隠している様で襲う者は誰もいなかった。龍一郎は城と伝馬町牢屋敷の監視を甚八達に任せ皆で道場へ引き上げて来ていた。「皆、ご苦労であった、皆も感じておると思うが靄が晴れて気が通り易くなった、遠くの気配が感じられる様になった。だが、我らの存在が幕閣の多くの者達に知られてしもうた。顔を知られてしもうた者は身辺にくれぐれも気を付ける様に致せ、良いな。何か懸念はあるかな」道場に着いて龍一郎が皆を労い尋ね見渡した。皆が回りを見渡したが誰も言葉を発せず龍一郎に眼を戻した。その後、小兵衛が気配の話をしたのである。「あの~、お佐紀様はどこまで気配が感じられますか」お雪が意を決した様に佐紀に尋ねた。「私ですか、気配を感じ易い方達が此処に居られます故にまだ解りませぬ、旦那様は如何で御座いますか」皆の眼が佐紀から龍一郎に移った。「私ですか、大山詣に出かけた者達は北からの様でな今日は伊勢原宿泊まりのじゃ、護衛に付いておる正平殿、美津殿、巳之吉、朋吉の気配がするなぁ~」「なんじゃと~、伊勢原じゃと、龍一郎・・・真か・・・其方は本に化け物じゃな」小兵衛が龍一郎に感嘆の言葉を投げた。皆も龍一郎を畏敬の眼で見つめていた。「私とて知った者達がいるのでな、同道しておる料亭・揚羽亭と船宿・駒清の店の者達の気は感じられぬわ、まだまだ修行が足りぬ様です」「あっしには、てめいの配下の正平の気配の気の字も感じませんや」清吉が珍しく岡っ引きだけの時代の伝法な口調で言った。「皆に問いたい、千代田の城におる甚八の気を感じる者は手を上げよ」龍一郎の問い掛けに佐紀、お久、清吉、お駒、三郎太、お有、お峰、葉月、弥生、誠一郎、舞、平太、お高、揚羽らが手を上げた、小兵衛、平四郎、貞吉、お雪、双角、慈恩、南町奉行所与力・浅井十兵衛、北町奉行所同心・本所鐘四郎、江戸柳生・鰐淵俊三郎、尾張柳生・井上歳三らは手を上げなかった。勿論、給仕していたお雪の婆も手を上げていなかった。因みに吉原の二人と弾左衛門配下の二人と佐倉藩藩士はまだ技量不足故に参じてはいなかった。「佐紀、其方から何か助言はあるかな」「言わずもがなの事とは存じますが一言・・・いかに剣技に優れていても気を操れねば勝てる勝負にも勝ちを得る事も出来難くなります、かと申して剣技が劣っていては勝負に成りませぬ、何方も修行、鍛錬に今後も励んで下さいます様に、それが己と仲間の安否に大きく左右します」「私からも一言付け加えます、皆様は私に助力して下さると約定して下さいました・・・ですが、これ以上の鍛錬は無理と思われたならば遠慮のう申して下さい、何時なりとも抜けて結構です、秘密を守り続けて頂く以外に縛りは致しませぬ、心置き下さい」龍一郎は佐紀の助言に次いで己の心持ちを伝えた。「龍一郎様、店を五日間休みにして奉公人達は大山詣でに行って居ります、私どもは残りの四日の間、丘屋敷か山へ鍛錬に行っても宜しいでしょうか」お高が龍一郎と佐紀の二人の方を向いて尋ねた。「お店の守りは良いのですか」佐紀が問うた。「二店舗には、信用の置けるあっしの下引きを守番に二人づつ付けておりやす、ご安心下さい」「良し、良し、其方らも抜かりがのうなったのぉ~」小兵衛が二店舗の主人、女将たちを誉めた。「お前様、鍛錬の事、宜しいですね」「無論じゃ」「鍛錬の場に御指示はありますかい」「清吉殿、何方をお望みですか」「四日もある、四日しか無い、帯に短し襷(たすき)に流しって言うやつで~」「皆で話し合い決める事じゃ、其方らの思う通りにすれば良い」「ありがとう御座いやす、お駒どうするな、おりゃ~よ、残党どもが心配だし、やっぱり店が心配だ、何があってもいけねいや、そん時の為によぉ~丘屋敷が良いと思うがなぁ~、どうだい」「あたしもそれで良いよ、双角それで良いね」「私は良いのですが、平太殿と舞殿は如何為されますかな」「平太、どうするんだい」「おっかぁ~、おいらもお雪ちゃんも一緒に丘屋敷に行くよ、お雪ちゃん、お婆が心配かい」「はい、心配ですが、奉行所の方々がおるで安心して丘屋敷に行きます」「舞はどうする、と聞くよりも誠一郎様に聞いた方が良いかね」お駒は我が娘は誠一郎の言いなりだと暗に言った。「誠一郎様、皆と一緒に丘屋敷に行きましょ」「はい、そう致しましょう。揚羽亭の方々も一緒に如何ですか、お店の方々が揃うのも珍しゅう御座る」「お高さん、そうしましょ」舞が誠一郎に確かめ、誠一郎がお高に同道を勧め、お駒も勧めた。「お前さん、揚羽、慈恩、皆と一緒に丘屋敷に行きますよ、良いですね」「大女将の言うがままだ」「はい」「良う御座います」お高の亭主で板長の貞吉と養女で若女将の揚羽と板前見習いの慈恩が賛同した。「葉月さん、弥生さん、十兵衛様、鐘四郎様、柳生のお二人は如何しますか」「佐紀、父上、母上、近藤殿もおるぞ」「あれ~、私とした事が、父上、母上は行くものと決めておりました、近藤殿は藩を抜けられぬ、と勝手に決めておりました、三人は如何致しますか」「佐紀、この際じゃ、巳之吉、朋吉、佐助、八重も一緒にどうじゃな、其方の里の守りは大岡殿に願うのはどうだな、十兵衛殿、願うても良いかな」「それは良い案と思います、お前様、大岡様が叶えて頂けますれば宜しいのですが」「龍一郎様、北町もお手伝いさせて下さい、この話をお奉行に致しましたなら何故に受け何だとお叱りを受けるは必定で御座います」「おおぉ~、北町が受けてくださるか、願おう」「はぁ、これよりお奉行に願い辰巳屋と揚羽亭に向かわせます」「お願い申します」「では、早速、此れにて失礼致します、丘屋敷でお会い致しましょう」「あい解った、手数を掛けるな」「何の、失礼致します」「三郎太殿、丘屋敷への途次に千代田の城により甚八殿に願い、佐助と八重を丘屋敷へと願うてくれぬか」「はぁ、畏まりました、では私も失礼致します、お有殿、参る」「はい、三郎太様」北町奉行所同心・本所鐘四郎に続いて、三郎太とお有が道場の囲炉裏端から消えた。「巳之吉さんと朋吉さんへの繋ぎはおいらが行くよ、北町から同心が来たら丘屋敷へで良いかい、龍一郎様」「それで良い、願おう」「じぁあ、おいらも行くよ、お雪ちゃん、行くよ」「はい」平太とお雪も囲炉裏端から消えた。「父上、母上、葉月さん、弥生さん、十兵衛様、柳生のお二人も行かれるで宜しいですかな」「無論じゃ、のう、お久」「はい、お前様」「弥生、私たちも行きますよ」「当然です、葉月お姉様」「勿論、私も参ります」「某も参ります」「某も」小兵衛、お久、葉月と弥生の双子の姉妹、十兵衛、鐘四郎、俊三郎、歳三、忠臣も参すると言った。<参考>----------(伝馬町牢屋敷長官 石出 帯刀)--------------------石出 帯刀(いしで たてわき)は、江戸幕府伝馬町牢屋敷の長官である囚獄(牢屋奉行)の世襲名。 初代の石出帯刀は当初大御番を務めていたが、徳川家康の江戸入府の際に罪人を預けられ、以来その職を務めるようになった。石出左兵衛・勘介から町奉行に出された石出家の『由緒』によると、当初は本多図書常政と名乗っていた。後に在所名に因んで石出姓に改めたとされているが、現在の千葉市若葉区中野町千葉中の石出一族の出身。本来石出帯刀とは、一族の長の名である(『旧妙見寺文書』)。 囚獄は町奉行の配下に属している。その職務内容は、牢屋敷役人である同心及び下男等の支配、牢屋敷と収監者の管理、各牢屋の見回りと収監者からの訴えの上聴、牢屋敷内における刑罰執行の立会い、赦免の立会い等となっていた。家禄は三百俵。格式は、譜代・役上下・御目見以下であるが旗本である。 ------------------------------------------------------------------------------'<つづく>
2025.07.29
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<射撃旅行>-----#045翌日から前回と同様にエディー一家と清一郎と雪恵の六人は小旅行に出かけた。今回はへりの観光もグランド・キャニオンなどの観光も無く射撃場所へ直行した。その分、射撃練習に掛ける日数が増加すると解っているので弾丸を大量に準備していた。それについてエディー達は何も問い掛けも意見も言わなかった。そして今回は距離を1200m、1500m、1800mと伸ばして行く予定だった。1200mでは清一郎は勿論の事、雪恵もアレックスもセンターを貫く様になっていた。「アレックス、お前も腕を上げたね」「ああ~、今のアレックスなら全米チャンピオンに間違い無しだな」両親のエレノアとエディーが感慨を込めて言った。エディー一家は清一郎と雪恵についての会話を避けていた。清一郎と雪恵が初めて二人きりで馬に乗り近辺へ出かけた。「お二人さん、夕食は一時間後よ、遅れないでねぇ~」「は~い、エレノアさん」雪恵が元気良く答えて出かけて行った。二人は用心の為、拳銃を持って行った。清一郎がデザート・イーグルで雪恵はマグナム44で50口径と44口径だ。二人が出かけて初めて二人の事を話題にした。「雪恵の成長が凄まじいわ、50口径を初めて間が無いのに私と同等なのよ」「確かにね、最初に会った時には多分50口径を撃った事さえ無かったはずなのにね」アレックスの言葉にエレノアが追従した。「あれから、きっと何処かで練習したな。それも相当な回数を撃った様だな」「僕もそう思う、並大抵の数では無いし風にも対応していたからね、何処でどれだけやったのか」エディーも賛同し、アンディーも賛同した。「携帯して行った拳銃も清一郎はさておき雪恵が44口径のマグナムなのにはちょっと驚いたわ」「全くだ」アレックスとエディーが言い合った。「あの二人は何者なのかしら・・・気になるわ」「駄目だよ、その件は触れては駄目だ。上客が逃げて行ってしまう」「解っているわ。極普通のお客の様に接するわよ。でも、もし警察が二人の事を聞きに来たら何って言えば良いの」「乗馬に出かけたで良いんじゃないの」アレックスがあっさりと言った。一家は夕食の準備をしながら二人を話題にしていた。それから3日間に亘って射撃を行った、距離を1500mに伸ばし三人で何度も撃った。但し、銃が熱を持つ為の冷却時間が必要だった。以外な事にセンターを最初に射貫いたのは雪恵だった。但し集弾率は清一郎が高かった。全米狙撃部門元チャンピオンのアレックスには悔しさよりも驚愕と感嘆の方が勝っていた。「ユキエ凄いわ。最高だわ」「ありがとう、アレックス、貴方の助言の御蔭よ」「私は何も言っていないわ」「静寂を作ってくれたわ、ありがとう」「我々ばかりでは申し訳ない。アンディーも撃ちたいのではないですか」清一郎がアンディーに勧めた。「サンキュー、ですが私は拳銃専門です、スナイパーは遠慮します」「OK,気が変わったら何時でも言って下さい、エディーとエレノアもどうぞ」「ありがとう、でも遠慮します、三人でどうぞ楽しんで」「折角だから次の1800mに行きましょう」アレックスが距離を遠ざけようと言った。「そうしましょう」清一郎が賛成した。2丁のライフルを清一郎とアンディーが持ち、弾薬の入ったカバンをエディーが持ち300m先へ向かって皆が歩き出した。アレックスが車からもう一丁の銃を持って来た。「今回は二人が来た時の為にもう一丁用意したの」アレックスがケースを開けた。「マクミラン TAC-50ですね、私達の為にわざわざありがとう」「どういたしまして、私もこの銃に興味があったの」「1800メートルだから50口径・12.7 x 99mmの方が良いですね、この銃は初めてなので楽しみです。照準調整は終わっていますね」「500メートルではしてありますが1800メートルなんて長距離は考えていなかったのよ。調整してね」「了解です」彼はアレックスから銃と弾薬3個を受け取るとカートリッジを外し弾薬3発を装填した。安全装置を確認すると発射位置の地面に伏せ発射姿勢を確認しカートリッジを装填した。「撃ちます・・・」「・・・回りOK」彼の発射するの言葉にアレックスが回りと標的周辺を双眼鏡で確認し答えた。「ズドーン」口径が7.62mmのウィンチェスターM70に比べて流石に50口径の音は大きく響いた。「右下1メートル」スポッター役の雪恵が言った。「次、撃ちます」「ズドーン」「右上30センチ」「次、撃ちます」「ズドーン」「命中」「凄い、凄いわ」双眼鏡を覗いていたアレックスが感嘆の声を上げた。「アレックス、私にも見せてくれ」エディーがアレックスから双眼鏡を引っ手繰った。「信じられん」「そうよ、お父さん、凄いでしょう」そんな会話を聞きながら清一郎と雪恵は喜ぶ事も無く当然とばかりに平然としていた。清一郎がセイフティーをオンにしてマガジンを外し雪恵に射撃位置を譲りバックから3発の弾丸を取り出しマガジンに装填し雪恵に渡した。雪恵はマガジンを受け取ると銃に装填し腕組みをする様にして銃の位置を決めた。「一発目を撃ちます」雪恵が言いセイフティーを外した。「ズドーン」「左30cm」雪恵は薬莢を飛ばし2発目を装填した。「二発目を撃ちます」「ズドーン」「命中」雪恵が薬莢を飛ばし3発目を装填した。「三発目を撃ちます」「ズドーン」「命中」雪恵が薬莢を飛ばしセイフティーを掛けると立ち上がった。双眼鏡を覗いていたエディーから言葉が無かった。今度はエディーからアレックスが双眼鏡を引っ手繰って覗き込んだ。アレックスも言葉が無かった。「暫く、銃を冷やした方が良いな」「そうね」清一郎の一言でアレックスとエディーの呪縛が溶けた。「貴方達二人は・・・」清一郎がエディー一家を見回し言った。「私たちは日本から来た只の銃好き、大好きな一般人ですよ」エディーが思案顔で暫く考え込んでいたが意を決した様に言った。「私たちは貴方たちが何者でも気にしません。正直に言うと二人は我が家の上得意のお客様です。50口径の弾丸を此れだけ使って補充で買うと、もしかすると警察からの問い合わせがあるかも知れませんが、幸いにも娘のアレックスが狙撃部門の元チャンピオンですから又チャンピオンになりたいと練習量を増やしていると答えれば良い事です」「我々が気を使わせている様ですね。我々は犯罪組織のメンバーではありませんし、警察関係者でもありません。本当に只の銃好きな一般人です、少々好き加減が異常ですがね」「これも正直に言うと我々一家で話していてアメリカのFBIかCIAの様な日本の組織の方ではないかと思いました」「少々お金があり、度が過ぎる程に銃が、特に遠距離射撃が好きなだけです。日本で一生懸命に仕事をして此処へ銃を撃ちにくる事を楽しみにしているだけですよ」「二人とも上手いです、元とは言え全米チャンピオンの私よりも上手いんですからね。アメリカ人のお客の下手過ぎて教えがいが無いったらないわ。それに比べたら貴方たち二人と射撃すると楽しいわ。それに私の腕前も良くなったみたいよ」アレックスが父親のエディーに続いて二人を誉めた。「ありがとう、アレックス」「アレックス、皆さんも撃ちませんか」「二人の後では自信を無くすから止めておくわ」アレックスが遠慮した。「同感」残りの家族が声を揃えて答えた。その後、二人は3丁の銃を変えながら撃ち続けた。「それにしても二人の腕前は凄いですね」夕食を食べながらエディーが二人の何方とも着かずに言った。二人は朝から昼食を挟んで銃を撃ち続けた。「銃が大好きですから、腕が鈍らない様に日本の近くのグアムでも撃っています」「此れからもこちらを利用したいのですがご迷惑ではありませんか」「迷惑だなんて飛んでも無い、言いました様に二人は我が家の大得意です、此れからも利用して下さい、何時でもお待ちします、事前に連絡を頂ければ弾薬を準備します、次回に撃って見たい銃はありますか」「そうですね、<ホライゾンズ・ロード対物狙撃銃>を撃って見たいですがウクライナの銃ですから無理でしょうね。後は<モシン・ナガン>に<アーマライトAR50>ですかね」「流石に狙撃が好きだと言うだけありますね。3800メートルの世界記録を作った銃を知っているなんてね、その銃を私も撃って見たいと思っていました、ですが仰る様にウクライナ製ですから無理でしょうね、モシン・ナガンはロシアいいえソ連製だけど1000ドル位で手に入ると思うわ、アマライトは強力過ぎるし重量が重すぎるわね」清一郎の言葉にアレックスが答えた。アレックスと清一郎と雪恵は銃の清掃をしながら話していた。「料金を払いますのでモシン・ナガンを準備して下さい、アーマライトAR60は確か15kg程でしたね、確かに思いがその為反動が少ないのが良いです。明日は2500メートル、3000メートル、4000メートルで撃てる処があればお願い出来ませんか」「申し訳無いてすが、そんな距離の狙撃が出来る処を知りません」「そうですよね、無理ですね、出来れば世界記録に挑戦して見たいと思っただけなんです」「その気持ち解ります、約束は出来ませんが次回までに探して見ます」「お願いします」六人は二泊三日の小旅行からラスベガスに戻って来た。今回も清一郎は請求書に上乗せして料金を払った。特に今回は新しく買った銃と次に準備して貰う銃の料金も含まれていた。「次回は予定が決まり次第に連絡を入れますので、よろしくお願いします」「楽しみに出来るだけ準備してお待ちしています」清一郎の別れの挨拶にエディーが答えた。「じゃあ、次回に、ありがとう。さようなら」「ありがとう、また次回に」清一郎と雪恵は何時もの様にラスベガスから車で去って行った。「彼らは国内の何処かでまた射撃をするつもりの様だね」「多分ね」エディーの言葉にアレックスが賛同した。二人は米国内の砂漠での訓練の後、カナダの氷原での訓練をしてハワイ経由で日本に帰国した。日本を飛び立ってからから一か月半経っていた。<つづく>
2025.07.28
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<政権継承計画>-----#075「大統領、お帰りなさい」出迎えの皆を代表して副大統領が大統領を握手で迎えた。「皆、出迎えありがとう、副大統領と国務大臣と我々が一緒では危機管理上、不味いでしょう」「大統領、お言葉ですが、今、彼のいる処が世界中で一番安全と思うのですが、如何ですか」「うむ、確かに、そうかも知れませんね、処で二人が此処にいる理由をお聞きしましょうか」「ミスターにも是非、同席をお願いしたいのですが、お願い致します」大統領が振り返り彼の反応を確かめた。「彼もそのつもりの様ですよ」キャサリンが替わって返事をした。「それは良かった、さぁ、中へ入りましょう」護衛官の一人を先頭に皆が後に続き官邸へ入った。そこには、大統領、副大統領、国務長官、主席補佐官、彼、キャサリン、ヘレンと大統領夫人がいた。「理由は後で説明しますので、妻も同席させて下さい」大統領の要望で夫人が同席する事となった。「これは、私が今日決めた、決意した事です、次か次の大統領には妻になって貰うつもりです、皆さんも協力して下さいますか」「はい、私たちの方からお願いしようと話合っていました」「おぉ~、それはありがとう、只、皆さんの中で大統領になりたい方がいらしたら、その後にします」「それも、話合いました、我々は主導能力よりも補佐する方が向いている様です、次期大統領には夫人をお願いしたいと決めました」「ありがとう。妻の次を誰にするかは幸運なら10年以上あります。その間に考えましょう。如何ですか、ミスター」「まず、副大統領に4年大統領になって貰います。その間、国務長官には副大統領を大統領夫人に国務長官を務めて頂きます。次の順はお解りですね」「えぇ~、私がですか」「次が私ですか」副大統領の驚きの声に続いて国務長官の驚きの声を上げた。「国民の指示が獲られるでしょうか。選挙に勝てますか」大統領が疑問を投げかけた。「どの様な良い政治を行っても反体制やテロは起こりえるでしょう。現大統領の元、現政権が国民の支持を得れば、現大統領に連なる副大統領、国務長官の支持も得られるでしょう」彼が珍しく皆を安心させる言葉を吐いた。「私には大統領程のカリスマ性はありません。私で国民の支持が得られるでしょうか」次に副大統領が疑問を投げかけた。「私は起こってもいない心配はしない事にしています」彼が又も珍しく哲学的な事を言った。「私も彼の意見に賛成です。先の心配よりも今の政権の支持を得る様に勤めましょう」ヘレンが彼に賛同する言葉を発した。「うん、私も彼に賛同し今後は起きてもいない心配をしない事にします」大統領も彼に賛同と言った。「私もそうします」「私も同様にします」副大統領と国務長官も見習うと言った。「FBI職員としてでは無く、上院議員の娘としてでも無く、彼の妻としての言葉です。これで、副大統領、国務長官、大統領夫人、ここにいる全員が警護対象になりましたね、貴方」キャサリンが政府幹部達の会話に彼の妻として割り込んだ。「そうですね。副大統領、国務長官、大統領夫人の三人が三日間の休日が取れる日が有れば訓練して下さい。言うまでも無い事ですが四名の皆様にお聞きします。秘密を守れますか。誰に対しても例えそれが家族でも秘密です。どうですか、守れますか」「大統領とジェレミーは済んだのですね」副大統領が誰にとも無く尋ねた。「そうです、私とジェレミーは彼の仲間に成りました。秘密を抱えています。妻・クリスにも秘密でした。クリスすまなかったね。君も秘密を知れば理由が解るでしょう。三人も誰に対しても秘密を持つ事に成ります。嘘を着かず秘密を守る事に成ります。約束が出来ない、自信が無いなら此処で止めるのですね」大統領が言い切った。「貴方が健康に成り、若返った時から、この時を待っていました。私を仲間に加えて下さい。自信を持って約束を守ります。嘘を着かずに秘密を守る事など大統領夫人の私には簡単な事です」大統領夫人はこの時を待っていた様に即答した。「ミスター副大統領、ミスター国務長官お二人はどうですか」「家族にも内緒と言うのは辛いですな・・・だが彼の計画に参加させてもらいます」「そこが気掛かりです・・・ですが私も加えて頂きます」二人も彼の計画に乗り仲間になると言い切った。「私達の様に何時も記者達を相手に会見やテレビで皆を煙に巻いているのですから慣れているでしょう」「そうですね、我々なら嘘を着かずとも対応出来るでしょう」「そうとも出来る、出来る」ヘレンの言葉に副大統領と国務長官も納得した。「では、キャシー、日程調整と訓練を貴方に任せます」「はい、解りました、旦那様」「それと皆さんには日本語の習得も勧めて下さい」彼は日本語では無く此処迄全て英語で話していた。「我々に日本語の勉強をしろと言うのですか」大統領夫人が尋ねた。「おいやですか」「いいえ、二人の子供の彼に対する反応を見て日本人に、日本語に興味が沸いていました」キャサリンの問いに夫人が否と言わぬ言葉を返した。「良し、私も日本語勉強しよう、皆はどうするかね」「私も勉強します」「私も」皆が日本語を覚えると決意した。「ですが、何故なのか理由を聞かせて下さい」夫人が理由を聞きたがった。「日本人は人との接し方が優しいと思いませんか、日本語は意味が解らなくても優しく聞えませんか。何処かの国の人達は何時も言い争っている様に聞えませんか、アメリカ人は怒りっぽいと思いませんか。我儘(わがまま)だと思いませんか、世界中で各国に援助しているのに何故に世界中で嫌われているのでしょうか、ちょっとした事が理由で暴動が起こるのは何故でしょうか。日本では災害の時でも暴動が起きません、そんな時でも配給の順番を列に並んで待ちます。この違いは何でしょう。我が家では全員が私も夫も二人の子供達も日本語を話す事が出来ますので会話は日本語です。彼・サクライも料理人の夫婦も日本人です。我が家では喧嘩も口争いも言い合いさえも有りません。彼が一緒に住む様になってからは笑いが耐えません。テレビによると私の支持率は高い様です。秘書によるとスタッフの私の評価も高いと聞いてします。私は言葉を発する前に一度日本語で考えて英語に変換しています。それが優しく人への思いやりを含んだ言葉になる様です、又、変換の間が考えをまとめる間になる様です。試してみては如何ですか」「・・・確かに議会でも官邸でもヘレン、貴方への評価は高い、非常に高い・・・私も貴方の様に成りたいと思っていました、その理由が日本語だったのですね、解りました、直ぐにも日本語の勉強を始めます」大統領が言い切り、副大統領、国務長官、夫人も即断した。首席補佐官は元日本語の通訳だけに既に話す事が出来た。「私ももっと日本語を勉強します、妻にも勧めてみます」首席補佐官・ジェレミーの言葉だった。<つづく>
2025.07.26
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