PR
キーワードサーチ
カレンダー
日頃冷静沈着な俊方の顔が百鬼夜行の様に赤みを帯びて目が釣り上がり険しく変化していた。
「俊方様、得物は竹刀でお願い申します・・・寄る年並みには勝てませぬで」
俊方の激高した態度に怯える様子も無く小兵衛が願った。
「竹刀じゃと~」
「はい、お願い申します・・・上様、宜しいでしょうか、場所は庭に出ますか ??? 」
「ここで良い」
吉宗が即答した。
小兵衛は横に置いた竹刀を持つとゆっくりと立ち上がった。
相手方の俊方は激しく竹刀を掴むと勢い良く立ち上がり広間の中央へと歩き出した。
双方が一歩踏み込けば竹刀が届く程の間を空けて立ち止まった。
「審判は誰がするのじゃ」
吉宗が誰とも無く尋ねた。
「失礼ながら上様にお願い申しげまする」
小兵衛が願った。
「・・・承知した、双方これは試し合いである、互いの日頃の鍛錬の確認に過ぎぬと心せよ。
儂が止めと言ったなら即座に止める様にな・・・では・・・は・じ・め~」
小兵衛がゆっくりと竹刀を正眼に構えた、すると途端に顔をほんのりと赤く染める程に激高していた俊方の顔色が見る間に赤みが消え徐々に白へと変わって行き遂には顔から汗が出始めた。
俊方には試合の時に橘の者達は殺気を出していないのではと思っていたが、それ以上で有った、殺気では無く存在を示す気配が感じられないのである。
柳生流の鍛錬方法には闇修行と言うものが有り、暗闇の中で相手の気配だけで対するものであるが、その鍛錬に慣れた俊方でも殺気だけでは無く気配さえも発しない相手には対処の方法が思い付かなかったのである。
俊方は決心した、上様の前では封印して来た裏柳生の技を使う事をである。
右足を少し前に出し正眼に構え静かに佇む小兵衛、同じく正眼構えた俊方、が前に出ていたのは左足で有った、これは剣術の基本からは外れていた。
俊方が先に仕掛けた、少し前に進み死線つまり剣が届く位置を超えた。
小兵衛が右足を少し引いた・・・再度、俊方か前に進んだ、又も小兵衛が右足を引いた。
俊方は確信した、対戦相手の小兵衛は裏柳生の技を知っている・・・と。
俊方は左足で小兵衛の右足を踏みつけ痛みを与えると同時に動きを封じその隙に打ち込むつもりであったのである。
だが、その技を知っているかの様に小兵衛は右足を引いた、二度に渡りで有る。
俊方にはこの技を知らぬ者が技を避ける者を知らなかった。
小兵衛が構えを少し変えた、まるで俊方を誘う様に右足を当初よりも前に出し構えた。
俊方は裏の柳生の技を知る者など居ないと思い直し再度の踏み込みを行い左足を前に出した。
三度目にして俊方の技が決まり俊方の左足が小兵衛の右足を踏み付けていた。
俊方は時を得たりと正眼から振り上げていた竹刀を小兵衛の頭に向かって振り下ろした。
俊方を含め見ている者たちの多くが小兵衛が面を打たれると見えた寸余に小兵衛の身体が右に開かれ半身に成り俊方の打ち込みを躱し小兵衛の右足を踏んだままの俊方の右肩の上に静かに竹刀を置いた。
二人の動きが止まり、周りと人々も無言で静寂が続いた。
「俊方・・・其方の負けじゃ~」
吉宗の言葉に二人の対戦者は元の向き合う位置に戻り礼を交わした。
小兵衛は元の控えていた場所に戻り正座した。
俊方はその場で少し下を向き佇んでいた。
俊方の弟子は俊方を見ず小兵衛を見ていた、その眼と表情は敬意と憧れを露わにしていた。
その隣にいた若武者も同様な眼で小兵衛を見つめていた、この武者は天覧試合に出場していた尾張柳生の代表者で有った。
俊方が吉宗に同席を願い許しを得ていた、二人は当然城内に入るなど初めての事であった。
二人が吉宗が許すと言っても頭を上げる事が中々出来なかった程の緊張と恐怖で有った。
時が過ぎて行っても吉宗の方向に眼を向ける事さえ出来ないでいた。
その二人が何処にいるかを忘れたかの様に小兵衛を畏敬と尊敬と憧れの表情を露わに見つめていた。
二人は吉宗の勝負の結果の声を聴き始めて将軍・吉宗に眼を向け己の居場所を思い出し平伏した。
「俊方、約定故、次は佐紀との試し合いじゃぞ」
俊方はその場に平伏した。
「お言葉では御座いますが、上様、小兵衛殿より上手と申される佐紀殿に太刀打ちなど出来る訳も御座いませぬ」
「成らぬ、約定である、佐紀と龍一郎の技前を俊方、其方自身が身を持って知るのじゃ。
第一其方はまだ佐紀が強いとは思うては居るまいが・・・違うか、どうじゃ」
「・・・上様・・・思うては居りませぬ」
俊方はそう言うと己の席に戻ると竹刀を置いて木刀を持った。
「上様、佐紀殿との勝負は木刀にてお願い申し上げます」
「木刀とな~佐紀、いかが致すな」
「お好きな様に」
「と申しておる」
二人は木刀を手に広間の中央へと歩んで行きもう三歩で死線を超える処で歩みを止めた。
「俊方様に申し上げます、出足を踏むなどと裏の技など無用に願います」
佐紀が小兵衛との試合で見せた俊方の攻めを指摘した。
「何、俊方・・・其方はその様な事を成したか ??? 」
「・・・柳生は負ける訳にはまいりませぬ」
「裏柳生があるとは聞いておったが所詮は噂と思うて居った、佐紀、裏柳生は卑怯と申すか」
「いいえ、上様、私には効かぬ・・・と申して居ります。
裏があるは柳生に限らぬと申して居ります」
「何~橘にも裏があると申すか ??? 」
「はて・・・御座いましょうか・・・裏は見せた時が終りの時で御座います」
「終りとは、どう言う意味じゃ」
「橘の者以外に知る者が居ない、この世には居ないと言う意味に御座います」
「佐紀、其方は・・・其方はもはや町人に在らず武士の妻女じゃ」
「有難きお言葉に御座います、そろそろ試し合いを始めましょう、上様」
佐紀は吉宗と話ながらも俊方から眼を離す事は無かった。
「うむ~、は・じ・め~」
掛け声と共に俊方の木刀が佐紀の喉を目掛けて前に伸びた。
だがその時には佐紀は既に五歩も後に下がり木刀を上段に構えていた。
そして上段に構えた木刀がゆっくりと確実に俊方の木刀に近づいて行った。
上覧試合で見せた技である。
俊方は伸ばした木刀を引き戻し構えを中段に取った。
佐紀はゆっくりと木刀を上段から打ち下ろしながら前へと進み二本の木刀の先が触れ合う処まで進んで歩みを止めた・・・だが木刀のゆっくりとした打ち下ろしは確実に俊方の木刀に近づいて行った。
その時、俊方の右手が一旦脇差に添えられ又木刀を握った。
佐紀のゆっくりとした打ち下ろしていた木刀が中段に戻された。
その木刀を見て皆が驚いた。
佐紀の木刀の中程に小柄が刺さっていたのだある。
勿論、俊方の物で右手が脇差に伸びた時に小柄を抜き木刀に握り戻す時に佐紀に向かって投げ撃ったのである。
佐紀は何事も無かったかの様にゆっくりとした上段からの打ち下ろしを再開した。
そして佐紀の木刀が俊方の木刀に触れ様とした時に「かーん」と音が響き俊方の木刀が畳に落ちた。
木刀を撃ち落とされた俊方は両の手を握り閉めて痛みに顔を歪めていた。
広間には俊方の痛みを堪える声だけが響いていた。
「これが裏の橘であるか、佐紀」
「この様なものは裏でも何でもありませぬ、俊方様なればどの様なものかは既にお判りと存じます」
「上様、佐紀に言葉を掛ける事をお許し下さいませ」
八島局が吉宗に許しを願った。
「許す、いちいち許しを願わずとも良い」
「はい、ありがとうございます。佐紀、佐紀であって佐紀で無き者、其方がわらわは羨ましい。
ではあるがそれ程の手練れになるには並大抵の鍛錬ではあるまいに~ましてや、わらわの元に居った時と差程年月も経っては居らぬ・・・大変な修行・鍛錬であったのでしょう、辛うは無かったですか、今も辛いのではないのですか」
「八島の方様、私の身を気遣うお言葉有難き倖せに存じまする。
ですが我亭主の元に参りましてより、辛い苦しい悲しいと陰の感情を持った覚えが御座いませぬ。幸せ、楽しい、嬉しいの陽の感情ばかりの毎日で御座います、どうぞご安心下さいませ」
佐紀は野太い声に始まり優しい女子の声に変えてお礼の言葉を伝えた。
「大奥に居り儂の手付きとなっておったとしても、その言葉は聞けまいのぉ~、処で俊方・・・女子は力が弱い故に竹刀ではのうて木刀と思うたか ??? 」
「はい、ですが佐紀様は女子では無く夜叉で御座いました、天狗の妻女で御座いました」
「俊方、あの試合のおりに佐紀の技がどの様なものかと言うて居ったがどうであったな」
「はい、某の予想の通り、振り下ろしと振り上げを早く行い振り下ろしの止める位置を少しづつ下げて行く・・・まさにその通りの技で御座いました」
「解っているので有れば何故に負けたな」
「眼にも止まらぬ速さで打ち下ろされる木刀を振るう者に太刀打ち出来るは眼にも止まらぬ太刀だけで御座います・・・残念ながら某には出来ませぬ・・・故に世に言うお手上げで御座いました」
「何、では、あのゆるりとした打ち下ろしを見せられた時に其方は既に心では参ったと言うて居ったと言う事か・・・だが柳生の当主として負けは許されず、小柄打ちまで致したか」
佐紀が木刀から抜いた小柄を俊方に渡した。
「忝い」
俊方が佐紀に礼を言い小柄を受け取り脇差に戻した。
「しかし、佐紀、良うも俊方の小柄を見抜いたのぉ~」
「あの様な事は我亭主の直弟子ならば誰でも出来る事で御座います」
「あれが橘では裏に成らぬと申すか・・・橘の裏とは・・・儂にも言えぬか」
「残念では御座いますが、上様お一人に成らば我が亭主もお見せするやも知れませぬ」
皆の眼が龍一郎に注がれた。
皆の視線を一身に集めた龍一郎は只静かに吉宗の顔を見つめるだけで何の表情も見せず何の返事もしなかった。
「まぁ~その内、儂が自ら願うてみよう」
天下の将軍の言葉とも思えぬ言葉を吉宗は吐いた。
「さて、俊方、最後に龍一郎との勝負が残っておる・・・」
「上様、失礼ながらご勘弁の程をお願い申し上げまする」
俊方が吉宗に平伏して詫びた。
「駄目か・・・であるか、儂は龍一郎が二人になる処を見たかったのじゃがなぁ~」
吉宗がさも残念そうに言った。
その途端に佐紀の隣に龍一郎が現れ、その龍一郎が見る間に二人、三人と増えて行った。
八人になった処で全員が消え皆が気付くと龍一郎は元の席に座っていた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「み・ご・と・・・」
吉宗の一言が皆の気持ちを表していた。
<つづく>加賀の若様 奮闘記 #345 <墨堤 散策> 2026.10.04
加賀の若様 奮闘記 #344 <町年寄り 奈良屋> 2026.04.09
加賀の若様 奮闘記 #243 <吉宗からの呼び… 2026.03.23