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2026.03.24
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今、韓国では「テキスト・ヒップ」なるものが流行っているらしい。
なんでも、文章を読むことがカッコいいというトレンドのようで、若者たちはSNSで文学書や好きなフレーズを投稿することに熱中しているという。
そういう風潮の社会であれば、上にあげた本などもちょっとしたファッションアイテムとして取り沙汰されたりするかもしれない。

この表紙の絵なんか、人の目に触れる所に置いておけば、そこそこ興味の的にはなるのではないだろうか。
ノーパンにシースルーな女性が人気(ひとけ)のない浜辺を裸足で彷徨っているように見えるが、彼女、一体どうしたんだろう。
空にはカモメが飛んでいる。
ブックカバーのそでの部分にはタイプライターの絵が描いてあり、その上の方にこんな宣伝文が印刷してある。

「地上から人が消え、最後の一人として生き残ったケイト。彼女はアメリカのとある海辺の家で暮らしながら、終末世界での日常生活のこと、日々考えたとりとめのないこと、家族と暮らした過去のこと、生存者を探しながら放置された自動車を乗り継いで世界中の美術館を旅して訪ねたこと、ギリシアを訪ねて神話世界に思いを巡らせたことなどを、タイプライターで書き続ける。彼女はほぼずっと孤独だった。そして時々、道に伝言を残していた……  ジョイスやベケットの系譜に連なる革新的作家デイヴィッド・マークソンの代表作にして、読む人の心を動揺させ、唯一無二のきらめきを放つ、息をのむほど知的で美しい〈アメリカ実験小説の最高到達点〉。」


設定的にはポスト・アポカリプスSFみたいな印象を持つ人もいるかもしれないが、決してSFではない。
とあるブックレヴューで「ベケットとウィトゲンシュタインの『論哲』が衝突事故を起こしたような小説」と評していた人がいたが、むしろそっちの方が近いような気がする。
でも、決して身構えるほど難解というわけではない。
とは言え、そこは実験小説と銘打っているだけあって、語り手の語りそのものが癖ありすぎ〜って感じ。
まあ、そこが面白いところでもあるんだけど、そのへんのことは他の人が色々と説明してくれているので、興味のある人はそちらを覗いてみてほしい。
個人的には芸人の矢部太郎がラジオのインタビューで語っているやつと、Hatena Blog の「logical  cypher scape2」という方の記事がわかりやすくてオススメ。

そんでもって、この記事の方は別のアングルからアプローチしてみようかと思っている。
なにせ、この小説、ツッコミどころ満載で、どこにフォーカスするか迷いまくってしまうほどなのでR。
でも、この小説の最大の特徴を一言でまとめてしまうと、やはり「芸術トリビア小説」ということになるのではないだろうか。
別にそんなカテゴリーがあるわけではないが、もしそれに該当する小説があるとすれば、この小説がその代表格と言えるかもしれない。
まあ、それくらい、芸術(哲学・思想も含む)関連のトリビアで溢れかえっている。

もっと言うと、作者であるマークソン自身がそういうタイプの人だからというのが正解かもしれない。
ああ、もうそんな余計なこと言ってる場合じゃない!
早いとこ、紹介しなはれ、どうせ、そんな流れでっしゃろ。 笑
そう、そう。
その山ほどあるトリビアの中から、今回は絞りに絞ったネタを二つほど紹介しようと思っていたところ。


「ブラームスが何度もキャンディーを与えていた子供の一人はルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインだった可能性が高いという話をするのは、ひょっとするとこれが初めてだったかもしれない。
しかしながら、誓って言うが、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが幼かった頃に、ブラームスがウィーンのウィトゲンシュタイン家を頻繁に訪れていた。
だから、ブラームスが子供のいる家庭を訪れるときにはいつも、子供に与えるためにポケットにキャンディーを忍ばせていたことが知られているというのが事実なら、彼がキャンディーを与えていた子供の一人がルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインだった可能性が高いことは間違いない。」

聞くところによると、ブラームスに限らず、当時の芸術家の多くがパトロンであるウィトゲンシュタイン家を訪れていたという。
つまり、ウィトゲンシュタインって、大富豪の家のボンボンだったという話。
でも、この人、奇人としても飛び抜けているだけあって、その遺産をすべて放棄したり、哲学をやめて修道院に篭ってみたり、小学校の先生になって子供用の辞書を作ってみたり、ちょっと凡人には真似のできない一生を送っているみたい。
どうやらそういう生き様に惹かれる人も多いようだ。
この本にはウィトゲンシュタインが鳥好きで、カモメを飼っていたというエピソードも出てくるが、諸隈さんというウィトゲンシュタインオタクの方がXのツイートでその話は誤りだと指摘しておられた。
まあ、どうでもいい話だけど、さすがオタクだけあって、よく調べたなって感じ。 笑

では、このへんで、二番目のトリビアに移ろう。
今度は候補が目白押しの美術界から、他の有名どころをすべて差し置いて、独断的にピエロ・ディ・コジモとウィリアム・ターナーをピックアップする。

「ただし、繰り返しになるが、ピエロ・デラ・フランチェスカをピエロ・ディ・コジモと混同してはならない、後者は雷が鳴るとテーブルの下に隠れた人物だ。
実は、もう一人のピエロは誰にも仕事中の姿を見せたがらないという点で、ターナーよりもひどい恐怖症を持っていた。
そしてしばしば、食事の心配をしなくてもいいよう、画材に使う糊を作るのと同じ鍋で、一度に五十個のゆで卵を作った。」

このエピソードは澁澤龍彦が『幻想の肖像』という本の中で紹介している内容とほぼ同じなので、マークソンも澁澤と同様、ヴァザーリの『美術家伝』を種本にしているものと思われる。
芸術家の中には、仕事に没頭するあまり、食事や身の回りのことに無頓着な人が多いが、ミケランジェロやピエロ・ディ・コジモはその最たる者で、前者は生涯一度も風呂に入らなかったというし、後者は「室内を決して掃除せず」、「死後になって初めて、この画家が人間よりも動物に近い生活をしていたことが分かった。」という話である。

ターナーは彼らほど不潔ではなかったが、それでも、コジモと同様、「誰にも仕事中の姿を見せないという恐怖症のような奇癖があった。」そうである。
もともと変人で、秘密主義的なところがあったようだが、仕事場を見せたがらない最大の理由は、自らの実験的、独創的な技法を模倣されたり、批判されたりするのを避けるためだったと言われている。
えっ?ターナーってそんなテクニックの持ち主だったの?
実はそうだったみたいやね。

ターナーと言えば、漱石の『坊ちゃん』の中でも言及されているように、昔から名前は広く知られている方だと思われるが、絵画史的にその偉大さを知る人は案外少ないのではないか。
そこで、最後にちょこっと啓蒙ぶりっこさせてちょうだい。 笑



これは「ノラム城、日の出」(1835年〜1840年頃) というターナーの晩年の作品である。
朝靄に煙る水辺の景色を描いたものだが、太陽も城も動物も輪郭がぼやけ、すべてが淡い光の中に溶け合って和んでいるようなこのゆるゆるの空気感… 
ソリッドな形状ではなく、見た目の雰囲気(印象)をそのまま表現しようという意欲が漲っている。
印象派より30年も早くこの境地に達しているのは驚くべきことではなかろうか。
もっと言うと、印象派を突き抜けて、抽象画の世界にたどり着いてさえいるような感じ。
よく言われるように、ロマン主義から印象派を経て抽象画に至るまでの絵画史100年の歴史をひとりで駆け抜けた天才なのかもしれない。





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Last updated  2026.09.30 15:09:25
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