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5月5日、第5回 ラテンアメリカへの道 フェスティバルで演奏してきましたRebeldia de los condores(コンドルの反乱)No mereces mi cariño 君は私の愛に値しないお台場での演奏は毎度のことながら、今回もすべての曲が「風とケーナの戦い」でした。もっとも、肺活量が世界最大の人であろうと、風とまともに戦って勝てる人などいません。逃げるが勝ち、風が吹いたら「柳に風」で風を背に受ける一手です。絶対に風上を向いてはいけません。風向きが変わったら?もちろん風下に向かって「風見鳥」のように向きを変えるのです。まあしかし、こういう場所こういう条件では、繊細な曲は不向きですね。何より、軽量小型の三脚に、これまた軽量のミラーレス一眼、軽量の短焦点レンズ、この風で吹き倒されるかと思いましたが、意外に大丈夫でした。それ以外の写真です。スティールパンの「カリビアン・ブリーズ」圧倒的に凄かったです。メキシコ舞踊「ラス・パロミータス」ブラジルの格闘技、音楽、ダンスの要素が融合した民族芸能、カポエィラ・テンポカポエィラ・テンポジローとラテンを歌おうラス・パロミータス屋台も立ち並び私も美味しくいただきました。この写真の後、次のビールでやらかしてしまいました。撮影していた瞬間、風でプラコップが倒れました。いや、かろうじて完全に倒れる前に手を出すのが間に合ったのですが、なみなみのビールが3割ほど流出してしまいました(涙)。強風時の食べ物系の撮影は危険ですね。
2024.05.08
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昨日3月16日、高円寺の「ライト・サイド・カフェ」にて演奏してきました。1曲だけフォルクローレの曲を演奏し、残りはすべてザバダックのレパートリーでした。普段演奏するフォルクローレとは違ったジャンル、しかもグループとして人前で演奏するのは2017年秋以来6年ぶり、えらい緊張しました。フォルクローレの曲なら、そこまで緊張しないのですが、フォルクローレとは文脈が違う音楽ですからね。手に汗をかいて、ケーナが滑って落としそうで怖かったです(笑)まあ、ずいぶん間違えたような気もするのですが、忘れましょう。動画はなく、音源のみとなります。「遠い音楽」ザバダックの代表曲を1曲だけ挙げるとすれば、おそらくこの曲になるでしょう。「ポーランド」元々インスト曲です。「明日からの風」対バンのクロトミケの演奏がまた素晴らしかったのですが、また次の機会にご紹介したいと思います。
2024.03.17
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〇クロトミケ×ロス・サバージョス ライブ3月16日(土)午後5時~7時東京都杉並区高円寺 ライトサイドカフェにて杉並区高円寺南2-20-19 新高円寺駅徒歩5分料金:1500円(1ドリンク付き)、食事と1ドリンク付きで3000円不思議で愉快な歌をお届けする「Chrotramique」と、南米の民族楽器でZABADAKの音楽を奏でる「Los Zaballos」。全く異なるようでありながら、実は波長がかなり似ているような、2つのグループが新高円寺の地で、初めて対バンをします。なかなかレアな企画ですので、お見逃しなく。今回も特別のフードメニューをご提供しますので、そちらもお楽しみください。わたしは「ロス・サバージョス」のメンバーとして演奏します。---〇中野区新井薬師公園 桜まつり演奏 ティエラ・クリオージャ3月23日(土)午後3時~3時30分東京都中野区新井薬師公園 西武新宿線新井薬師駅より徒歩料金等は特にかかりません。5曲演奏予定です。アルゼンチンの曲2曲とアンデス系の曲が3曲です。他に様々なジャンルの音楽、踊り/ダンス、漫才等々が出演します。
2024.02.25
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11月に中野区哲学堂公園で演奏した音源を後日公開、と書いたままそれっきりになっていましたが、1曲だけアップしました。アルゼンチンのロス・インカスのアレンジによるバイレシートのメドレー(3つのバイレシート)です。D/Bm(♯が2個)という調で作られています。ギターはカポタストを使えば2カポでC(ハ長調)になりますが、ケーナには辛いです。ケーナはG/Em(♯が1個)で調律されているので、♯が2個というのは、実質的には半音が1個だけなのですが、それでも早いフレーズでは辛いものがあります。この曲は7~8年前から演奏していますが、最初は全然指が回らず、結構練習しました。それでなんとか吹けるようになったのですが(えっ、今も指は回っていないだろうって?図星かも・・・・)、ロス・インカス(かのサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」のバックで演奏しているのがこのグループ)は、これを難なく吹いている。実はインカスってケーナが上手かったんだな、と思ったら、実はC/Amで録音した音源を回転数を上げてD/Bmにしているようです。そうだったのか・・・・・。C/Amもケーナにとっては半音が1個あるにはあるのですが、D/Bmよりずっと簡単です。もっとも、それは録音だけで使える技であって、生演奏では絶対使えない技ですけどね。いや、D/Bm調のケーナを自作すればできるのですが、それもまた難易度が高いです。
2024.01.07
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中野区哲学堂公園で演奏してきましたが、音源の公開は後日としまして、紅葉が見頃だったので、写真を先に。モミジがいいあんばいです。(まだ多少青い部分もありますが)哲学堂公園の建物群銀杏の黄葉はあと少しモミジだいぶ以前にこの建物でも演奏したことがあります。皇国館、この建物で演奏することが多いのですが、今回の会場はここではありません。今回はこちらで演奏しました。絶対城絶対城とはすごい名前ですが、図書館の建物です。2階もあるのです。2階から見下ろしたステージしかし、寒かったです。
2023.11.18
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昨日11月11日、逗子でのフォルクローレ交流演奏会で演奏してきました!Killa Khoyllu - Regocijo キジャ・コイジュ~レゴシホカルカスの「キジャ・コイジュ」とカルカスの弟分グループであるプロジェクシオンの「レゴシホ」をメドレーで繋げたら、5分近い長い曲になってしまいました。なんか、途中で私のケーナ副旋律が飛び出してしまっている箇所があるのは聞かなかったことにしてください(笑)Vienes y te vas 君がきて、去っていくペルーのウィリアム・ルナの曲。インカの踊りボリビアのハチャ・マリュクの曲。写真も撮っていただきました。「森の小鳥」さんより昨年参加した際は、日曜夜で終了時間が遅かったので打ち上げには参加しませんでしたが、今回は土曜で出演グループが昨年よりは少なかったので終了時間が早く、打ち上げにも参加しました。逗子で寿司を食べながら演奏・・・・(笑)来週も、別グループになりますが、18日土曜日に中野区哲学堂公園で演奏します。
2023.11.12
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今月11月は2週続けて演奏があります11月11日(土)午後2時30分~2023フォルクローレ演奏交流会in Zushi会場 神奈川県逗子市 逗子文化プラザさざなみホール演奏 キラ・ウィルカ他8グループ4曲ほど演奏します。そして翌週は11月18日(土)午前11時/午後2時哲学堂公園チャリティコンサート 南米民族音楽・フォルクローレ・ライブ演奏 ティエラ・クリオージャ会場 中野区哲学堂公園https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/kurashi/bunka/manabu/naisesu.files/naisesuR5_M11.pdf各回10曲程度演奏しますが、曲は同じです。今回は5人編成での演奏です。
2023.11.02
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2か月前にエンパナーダづくりの記事を書きましたが、実は、本日22日、中野区新井区民活動センターまつりでエンパナーダを提供するための予行演習でした。前回は麺棒だけで生地を広げましたが、今回は文明の利器登場です。麺棒でざっくりと平らにした生地を、これに通せば必要な厚さの生地が完成です。ただし、いきなり必要な厚さにしようとするとうまくいきません。まず4倍厚→2倍厚→必要な厚さと、3回通す必要があります。が、それでも麺棒だけでやるより早くて、厚みが均等です。具はこちら生地は強力粉1対薄力粉3にバターとマーガリンを足して作っています。具はひき肉、ゆでたまご、長ねぎ、玉ねぎ、オリーブ等です。圧延機のおかげで前回よりより薄い生地で、より多くの具が入りました。ただ、その代わり前回は焼いたときに破れたエンパナーダは1個もなかったと思いますが、今回は百個あまり作ったうち3つか4つ破れました。まあ歩留まりは充分に高かったですけど。卵黄を塗ってオーブンで焼き美味しく出来上がりました。しかし、エンパナーダづくりが大変すぎて、本番の演奏はかなりボロボロに。それに、他のステージの演奏等をほとんど見られませんでした。唯一見たのが「中野新道エイサー」だけでした。毎度のことながら、素晴らしかったです。
2023.10.22
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10月22日中野区新井区民活動センターまつりにて 演奏:ティエラ・クリオージャ(西武新宿線沼袋駅から徒歩10分、JR中央線中野駅から徒歩15分)1.エンパナーダとマテ茶のイートイン(演奏もあり)2.ステージでの演奏は午後3時55分頃よりティエラ・クリオージャ
2023.10.20
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Falleció el músico y autor René Careagaボリビア生まれでアルゼンチンで長く活動したチャランゴ奏者レネ・カレアーガが死去しました。1936年1月6日生まれ87歳でした。レネ・カレアーガと言えば、日本で第一次フォルクローレブームとされる1970年代から「コンドルカンキ」というグループを率い、何度も来日公演を行っていました。最初の来日はおそらく1976年、最後は90年代初頭で、娘のビビアーナ・カレアーガ(当時17歳)との親子共演でした。実は私自身は生では見たことがないのですが、ビビアーナと一緒に来日した時のビデオは我が家にあったはずです。来日公演時の演奏です。曲名は分かりません。この時から30年以上たっているので、当時17歳のビビアーナも今では四十・・・・・、いや、数えるのはやめよう(笑)さて、コンドルカンキと言えば、代表曲は「Amigo」と「Condorcanki」でしょう。Amigo(友達)この曲は、チリのILLAPU(イジャプ)というグループがコピーしており、個人的にはオリジナルよりイジャプの演奏の方が好きだったりしますが。イジャプ版アミーゴそして、グループ名と同じタイトルの曲「コンドルカンキ」私が聞いたことがある版はレネ・カラアーガのボーカルでしたが、この録音ではビビアーナがボーカルです。ビビアーナの声は、高い音域では往年のアルゼンチンの夫婦デュオ「クリスティーナとウーゴ」のクリステイーナの声にそっくりだ、と言われていましたが、低音域はやっぱりレネの声質によく似ています。やはり親子だけのことはあるなと思います。87歳での逝去は天寿を全うしたと言えますが、なんにしてもコロナ騒動以来、日本国内でも世界的にも、素晴らしい音楽家が次々と亡くなっていきます。時は立ち止まることはなく、ひたすら流れているので、それは仕方のないことではあるのですが、寂しいことでもあります。ご冥福をお祈りします。追記コンドルカンキと言えば、このグループの演奏も有名です。アルゼンチンの夫婦デュオ「クリステイーナとウーゴ」の歌による「コンドルカンキ」(他「滅びゆくインディオへの哀歌」「ノスタルヒア(ノスタルジー)」)。1978年中野区中野サンプラザでの公演の録音です。うろ覚えなので違うかもしれませんが、クリスティーナとウーゴの来日公演時の伴奏にはレネ・カレアーガも参加していたように思うので、この歌の伴奏のチャランゴも、ひょっとするとレネ・カレアーガ本人かもしれません。70年代から80年代初頭にかけて度々来日公演を行っていましたが、1986年交通事故によってお二人同時に亡くなっています。今聞いても、素晴らしい歌声です。
2023.09.21
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一般公開イベントではないと思っていたので事前告知をしていなかったのですが(しかし、実は一般公開イベントだったことを後で知りました)、中野区内の高齢者施設で6月に演奏しました。動画は撮影しておらず、録音しかしていませんが、2曲アップしました。PAなしの生音のみの演奏だったので、音量は大きくありません。チチカカアンデス山中のペルー・ボリビアの国境にある標高3800mで面積8000平方km(琵琶湖の約10倍)の湖の名前です。この曲はいろいろなアレンジがありますが、前奏部分はチリのキラパジュンのアレンジで演奏しています。一番好きなアレンジでもあります。フォルクローレを初めて知った18~9の頃に聞いた曲、聞いたアレンジで、その時代のことをいろいろ思い出しててしまいます。実は、ギターが難しくて自分ではこのアレンジは弾けないのですが。あなたのサンバサンバというとカタカナではブラジルのサンバと同じになってしまいますが、まったく違う音楽です。(ブラジルのサンバはSamba、アルゼンチンのサンバはZambaと綴る)
2023.07.02
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Franz Chuquimia falleció por complicaciones de la diabetesFranz Chuquimia, fundador y primera voz del reconocido grupo folclórico Jach'a Mallku, falleció la mañana de este lunes en su trayecto al hospital Obrero en La Paz, donde tenía programada una diálisis a causa de la diabetes.(以下略)---フランツ・チュキミア、糖尿病の合併症で死去フォルクローレ・グループ「ハチャ・マリュク」の設立メンバーでトップボーカルのフランツ・チュキミアが月曜朝、透析を受けていたラパスのオブレロ病院(労働者病院)に向かう途中で、糖尿病により死去。たまたま、先週、日本のフォルクローレ界でも、ある知人が亡くなったばかりのところでした。そこへもってきての悲報です。63歳だったということです。記事中に“Jach’a Mallku muere con Franz”(ハチャ・マリュクはフランツとともに死ぬ)とありますが、つまりフランツ死去とともにグループも解散あるいは活動停止ということでしょうか。ハチャ・マリュクはボリビアのモダンな(ややフュージョン的な)スタイルの演奏をするフォルクローレ・グループの代表格で、演奏レベルが高く、私が特に好きなグループの一つです。私が参加している「キラ・ウィルカ」というグループでは、このグループの曲のコピーを、多分6~7曲やっています。Quisiera quererte mas(君をもっと愛せれば)多分、この曲が代表曲です。私も20年近く前に2~3回コピーしたことがあります。Si te vas(君が行ってしまうなら)ヘルマン・ダニエル・ヒメネス・テランとのデュオそれにしても、ボリビアという国で人工透析の治療を受けるのは、相当の困難が伴うことは想像に余りあります。透析治療には相当の疲労を伴うそうですが、それにもかかわらず、その合間を縫って演奏活動は行っていたらしいことがうかがわれます。いつから透析だったのかは分かりませんが、ここ1年~半年程度の演奏動画がYouTubeにいっぱい残っています。無理がたたったのかもしれません。Ay Rositaとタイトルがついていますが、途中からAmorosa Promita、El amor se pesa、Poco a pocoへとメドレーになっています。更にもう1人、沖縄から南米音楽の普及に尽力 音楽家のシルビオ・モレノさん死去 80歳 沖縄拠点に活動沖縄県内を拠点に、南米の音楽や文化の普及に尽力したフォルクローレ歌手で画家のシルビオ・モレノさんが9日午後3時40分、那覇市内の病院で、肺炎のため死去した。80歳。アルゼンチン・サンタフェ州生まれ。喪主は妻の祐子・リンダ・モレノさん。シルビオさんは、12歳でクラシックギター奏者としてデビュー。17歳でアルゼンチン・リトラル国立音楽大学を最年少で卒業した。その後、ギタリストとして活躍し、カンヌ映画祭外国映画音楽部門の銀賞を受賞した。軍事政権下だったアルゼンチンを亡命し1979年から沖縄に移住。82年に南米料理と音楽の店「ペーニャあまんかい」を開店しアルゼンチン音楽を演奏してきた。2020年にアルゼンチン大使館から表彰された。ーーーシルビオ・モレーノさんも亡くなってしまいました。私は、フォルクローレを始めて間もない頃、渋谷でライブを聞きに行ったことがあります。それから二十数年後の2019年、人生初めての沖縄旅行で、もちろん那覇のペーニャ「あまんかい」に行きました。このときすでにシルビオさんは車椅子生活で、お店は奥さんのリンダさんが切り盛りしていました。何となく車椅子のシルビオさんを撮影するのは気が引け店内の写真は撮りましたがシルビオさんの写真は撮らなかったのです。後から考えれば、私と一緒の写真を撮ってもらえばよかったのですが。行った翌朝にお店の前から撮影した写真です。(行ったのは夜でしたから)店内サルテーニャを(写っていませんがビールも)いただきました。でも、このとき車椅子でしたがギターは弾いていました。アルゼンチンでは、メルセデス・ソーサのバックで演奏していたこともあったくらいの人です。それにしても、ケーナを初めて手にしてから37年、多くの人やグループを知りましたが、最近は新しく知る人より亡くなる人の方が多い、いや、まだ私50代半ばなのに、自分自身は老け込むにはまだまだぜんぜん早いのに、歳月は容赦なくながれていくな、と思わざるを得ません。そういえば、キューバのパブロ・ミラネスの「歳月」という曲をふろ連想してしまいました。そのパブロ・ミラネスも昨年79歳で亡くなりましたが。ミラネス自身の歌も素晴らしいですが、メルセデス・ソーサのカバーを紹介します。時は過ぎ 我々は年老いていくそして愛は決して昨日の繰り返しではないそれぞれの会話、キス、抱擁に理由がある歳月は過ぎ、私の感じ方も変わる昨日の愛は去り、別の感情となって戻ってくる歳月ののちに君の手を取り、唇を奪うものだから。無理強いされることなく、真実の一部になる・・・・私のスペイン語力では、単語はともかく、文法的に何言っているかよくわからないところがあって、異訳もあるかもしれませんが、おおよそのところは間違っていないはずです。なんだかこの数日は、この歌詞がとても胸に刺さります。
2023.06.22
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5月3~5日に開催された「第4回ラテンアメリカへの道フェスティバル」のうち、最終日5月5日に演奏してきました。今回は日秘修好150周年ということで、ペルーに関係の深い音楽と踊りが中心のイベントになっています。「キラ・ウィルカ」は、いつもはボリビア濃度80%以上のグループですが、今回はそういう事情なので普段あまり演奏しないペルーの曲を中心に演奏しました。そのため、7曲演奏したうち初めての曲が4曲、昔演奏したけどかなり久しぶり(現在のメンバーになってからは初めて)の曲が1曲という新曲ラッシュとなりました。お台場は海の近くのため風が強く、5日はとりわけ強風だったため、ケーナは非常に苦労しました。録音も、レコーダーを置いた場所がよくなくて、風の音ばっかり拾ってしまいました。Tosod vuelven バルス・ペルアーノ(ペルーのワルツ)の名曲です。ワルツは、アンデス高地の先住民系の音楽ではなく、コスタ(海岸地方)の白人系(クリオージョ)の音楽で、ケーナやチャランゴなどいわゆるアンデス系の楽器で演奏されることは多くはありませんが、この曲はスイス出身のケーナ奏者レイモンド・テブノーがレパートリーにしていたこともあって、ケーナで演奏されることが比較的多い曲です。なお、本家ヨーロッパのワルツは、いわゆる「ズンチャッチャ」という3拍子ですが、ペルーをはじめラテンアメリカに広がったワルツは、聞けばわかるように、6/8拍子です。写真を撮っていただきました。実は、風が強くてもサンポーニャは音が出るのですが、ケーナはそうはいきません。吹き口に当たる息を風に持っていかれると、全然音が出ません。なので、何とか風を避けようと、横を向いて吹いてます。その他のグループです。下町ケーナ同好会バイラ・ペルー(日本マリネラ協会)、当然踊りはマリネーラ・ノルテーニャ自分たちの演奏が終わったらもちろん飲みます。ペルーのクリスタルビールと、料理の名前は忘れてしまいましたが、ペルー料理の牛肉煮込みスープこれだけじゃ足りないので・・・・・・コロナビールとチキン・タコスミユキ・イリチ・ネエナ・イ・ジロー。ペルーのクリオージャ音楽を中心に演奏していました。カポエイラ・テンポブラジルの黒人が音楽と踊りと格闘技を一体化させて作った伝統芸能。ブラジル先住民の伝承楽器であるビリンバウを使っています。ラス・パロミータス。メキシコの踊りラス・パロミータスユンサ。ペルーのお祭りで、枝にお菓子やおもちゃ等を吊った木を切り倒して、景品を取り合う、というイベントを再現しています。ユンサのお祭り。ペルー(一部ボリビアかな)各地の踊りの衣装。下町ケーナ同好会ラス・パキータス。ペルーにはかつて、多くの黒人が奴隷として連れてこられた歴史があります。現在は混血化などにより黒人の数は少ないですが、ペルー音楽には黒人系の要素が歴然として残っています。ペルー・アフロともいわれる黒人系の踊り「サンバ・ランド」ラス・パキータス。踊りと演奏が交互に繰り返し。ちなみに、メンバー全員知り合いです。ラカ・パキータスの踊り。アンデス先住民系。ちなみに、2人は演奏と踊りの掛け持ちだったので、結構苦しかったようです。最後はマリネーラ・ミ・アルマ。日が陰ってきて暗くなったため、写真のブレが酷いです。福田千文さんを中心とするマリネーラ・ノルテーニャの踊り。自分たちの演奏の後、他のグループを一番最後まで見たら、6時を過ヘトヘトになってしまいました。でも楽しかったです。
2023.05.06
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2023年5月3日(水祝)~ ラテンアメリカへの道フェスティバル @ お台場昨年も出ましたが、5月の連休に東京・お台場で開催される「ラテンアメリカへの道・フェスティバル」で演奏します。イベント自体は5月3日から5日までの3日間開催され、各日様々なグループの演奏と踊りがありますが、私の出番(キラ・ウィルカ)は5月5日(祝)昼12時半~1時までの30分間となっています。今年は日秘外交樹立150周年だそうで、テーマはペルーです。普段キラ・ウィルカはほとんどボリビアの曲ばかり演奏していますが、今回は柄にもなく(笑)ほぼ全曲ペルーの曲を演奏します。そのため、半分以上が新曲という大胆な取り組みです。さて、どうなることやら。キラ・ウィルカ(昨年のラテンアメリカへの道フェスティバルより)(今回この曲は演奏しません)
2023.04.05
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坂本龍一さん死去 がん闘病 「ラストエンペラー」アカデミー作曲賞「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)で活動し、映画「ラストエンペラー」で米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、世界的人気を誇る音楽家の坂本龍一さんが、3月28日、死去した。71歳だった。がんとの闘病を明らかにしていた。葬儀は近親者で営んだ。東京都出身。東京芸大で作曲を学んだ。ドビュッシーやベートーベンなどのクラシックを土台にしながらも、大学入学以降は電子音楽、民族音楽に傾倒する。同大大学院を修了後、1978年にアルバム「千のナイフ」でデビューした。同年、細野晴臣さん、高橋幸宏さんとYMOを結成。「ライディーン」「東風」「ビハインド・ザ・マスク」など、シンセサイザーとコンピューターを駆使したサウンドで、「テクノポップ」という新たな領域を開き、世界的な人気を獲得した。映画音楽では、自身も俳優として出演し、音楽を担当した83年の「戦場のメリークリスマス」が英国アカデミー賞作曲賞を受賞。87年の映画「ラストエンペラー」で日本人初の米国アカデミー賞作曲賞を受賞した。92年にバルセロナ五輪開会式の曲もつくった。社会問題にも強い関心を寄せた。2006年には青森県六ケ所村の核燃料再処理工場の危険性を訴える「ストップ・ロッカショ」プロジェクトを始動。東日本大震災以降はさらに反原発運動に注力し、首相官邸前デモにも参加した。14年に中咽頭がんが判明。克服後の20年にも直腸がんが見つかり、療養していた。昨年3月に復帰し、12月には事前録画した無観客コンサートを配信。今年1月には新作アルバムをリリースするなど、病と闘いながら活動を続けた。---がんで闘病中であることは周知ではあったものの、訃報に接すると衝撃を受けます。3.11以降反原発集会に参加しておられる姿は、超遠方から、あるいはスピーカーから声だけ拝見、拝聴したことがあります。一部の連中からは「たかが電気」というフレーズを批判されましたが、私はまったくそのとおりだと思いました。これが2012年7月なので、もう約11年前か、と思うと時の流れの速さに愕然とします。この当時はまだ坂本龍一はがん発症前でした。そして、つい先日はこんこんな報道もありました。亡くなった坂本龍一さん「音楽制作が難しい」体調の中で反対した神宮外苑再開発 「深呼吸し、スマホのカメラを向けることも多々あった」この記事を、私は毎日新聞の紙面で読んだのですが、「音楽制作が難しい体調」という言葉に、その日が近いのだな」と思わざるをえませんでした。後から考えると、この記事が出た時にはもう亡くなっていたのですが。最後の気力を振り絞って発言したのでしょうね。さて、しかし社会的活動もさることながら、音楽の方面で言うと、坂本作品で一番聞く機会が多かったのは、やはり戦場のメリークリスマスでしょう。多分、誰でも一度は聞いたことがある曲だと思います。私も大好きでした。ちなみに、YMO時代のこの曲も大好きなのですが、これは坂本作品ではなく1月に亡くなった高橋幸宏の作曲です。ライディーンそして、ご本人は製作者とトラブルになってその音楽に携わったことは「黒歴史」化してしまい、名前を口にすらしなくなってしまったようですが、個人的にはこの作品も強い印象が残っています。「王立宇宙軍オネアミスの翼」ご本人には不本意かもしれませんが、私はこの作品も大好きでした。1月に高橋幸宏が亡くなり、今回坂本龍一。あっという間にYMOは細野晴臣一人を残すだけになってしまいました。ご冥福をお祈りします。
2023.04.03
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「心に響くアンデスの音楽と踊りをあなたに」4月15日(土)午後2時~3時30分(開場1時)入場料 500円(小学生以下無料)会場 大田区文化の森ホール JR京浜東北線 大森駅西口から徒歩約16分または東急バス“池上方面”行で「大田文化の森」下車 東急池上線 池上駅から徒歩約23分東急バス“大森方面”行で「大田文化の森」下車演奏・踊りティエラ・クリオージャ 演奏ダンサ・ペルー・パシオン アンデスの踊りデボラ・モラーレス ペルー海岸地方の踊り「マリネラ」定員250名(2月末の時点で100人ほどの申し込みがあるそうです)申し込みは大田文化の森運営協議会まで(事前予約制、申込期限3月31日)わたしinti-solは「ティエラ・クリオージャ」のメンバーとして演奏します。ティエラ・クリオージャ(この時に演奏からメンバーは一部変わっています。)
2023.03.10
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実は、ブログでは事前告知を忘れていたのですが、2月26日に演奏してきました。Peña Live Bolivian Folklore Dance Party山手線巣鴨駅近くのタンゴスタジオが会場でした。ディアブラーダの仮面がお出迎えボリビア大使館からも展示物がいっぱいありました。ナタリア・サラサール・バルデラマ駐日ボリビア大使(臨時大使)もいらっしゃっていました。参考:サラサール駐日臨時大使演奏前にダンスのレッスン(ちなみに、私は踊りの才能はからっきし、ですが)ディアブラーダの踊りボリビアのスープ「フリカセ」おいしかったですよ。チューニョと呼ばれる乾燥ジャガイモ。日本で食べるのは初めてかもしれません。で、演奏ですがコンドルの王者コラソンシート昨年秋以来の人前での演奏でした。しかし、このイベントは基本的にはフォルクローレ舞踊のイベントなので、いつも演奏前にいっぱい踊らされて(笑)、ヘトヘトになってから笛を吹くので、肉体的には結構きつかったりします。当面、6月まで毎月
2023.02.28
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昨日朝、福田一弘さんが亡くなりました。日本におけるフォルクローレの草創期から活動され、アマチュアながら、日本フォルクローレ界で最高のケーナ奏者の一人であったと思います。そのケーナの音色、吸い込まれるような深いビブラートは、本当に魂を揺さぶる音でした。私にとって心のケーナの師はMAYAの橋本仁さんと福田さんです。橋本さんはまだまだ元気に活動していますが、福田さんのケーナを生で聞くことはもうかなわなくなってしまいました。2018年末頃に白血病(正確には失念しましたが、「水泳の池江選手と同じ病気」とおっしゃっていましたので、おそらく「急性リンパ性白血病」だと思います。)を発症された当時、福田さんに対するチャリティとして行われたのが「AYNI春を呼ぶコンサート」でした。AYNI春を呼ぶコンサート一度目の骨髄移植の後、残念ながら白血病は再発、しかし不屈の闘志で二度目の骨髄移植を乗り切り、その後は順調に回復されていました。昨年10月には福田さんを囲むコンサートが開かれ、発病以来、本当に久しぶりにそのケーナの音色を生で聞くことができました。若干音のかすれはありましたが、全盛期に近い素晴らしい音色で、本格的な回復を感じたものです。第2回AYNIコンサートしかし、何という運命のいたずらか、このコンサートの直後に、まさかの再再発、それから3か月、ついに力尽きられてしまいました。最初の発病から4年、骨髄移植は肉体的にも本当につらい、苦しい戦いだったようです。お疲れさまでした。謹んでご冥福をお祈りします。2012年の演奏より(私自身は生では見ていません。YouTubeで検索して発見しました)第6回アンデス村祭りコンサートグルーポ・ミスティ結成25周年コンサート追記、日本唯一のスペイン語新聞「インターナショナル・プレス・スペイン語版」(英語の名前ですが、スペイン語版とポルトガル語版しかありません。つまり在日ペルー人新聞と在日ブラジル人新聞です)に福田さんの死亡記事が出ています。(余談ですが、わたしinti-solも、四半世紀ほど前にこの新聞の一面に写真がドカーンと掲載されたことがあります)Fallece Kazuhiro Fukuda, uno de los más grandes quenistas japoneses福田一弘さん死去、日本の偉大なケーナ奏者の一人日本のケーナ奏者福田一弘さんが長い闘病の末に2月21日に死去したことで深い悲しみに包まれている。福田さんはフォルクローレのグループ「ミスティ」の設立者、リーダーであり、日本列島にアンデス音楽を広めるために他の音楽家と協力してきた。(以下略)---福田さん生涯最後の演奏この時、本人は再再発を知っておられましたが、このコンサートの後に入院するように手配したようです。そんなことと知っていたら私も秩父まで見に行ったのですが、その時はそんなこととは知りませんでしたから、見に行きませんでした。正直言って、歌に関してはかなり厳しいものがあります。もともとギターも歌も上手い人だったんですけどね。でも、笛に関しては、最後まで素晴らしいものでした。
2023.02.22
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2年半ほど前に、AYNI春を呼ぶコンサートが開催されましたが開催されました。今回、その第2回が開催されたので見に行きました。前回の記事を書いた際、あまり大っぴらに書いていいのかどうか分からなかったので、コンサートが開かれるに至った経緯等は書かなかったのですが、実は日本を代表するケーナ奏者である福田一弘さんが大きな病気をされたため、なんとか励まそうという趣旨で行われたものでした。それから2年半、長い闘病生活の末、どうにか寛解となって、福田さんがフォルクローレの世界に戻ってきました。正直なところ、病名を聞いたときには厳しいなと思ったし、手術していったん治った後、再発して再手術という話を聞いたときは、今度こそは、と半ば覚悟したのですが、よく戻ってきてくださいました。というわけで、前回のコンサートは「主役」は抜きだったのですが、今回は主役の入った、本当に素晴らしいコンサートになりました。なお、遅刻して行ったので、最初のグループだけ写真を撮っていません。福田さんが主宰されているケーナ教室の演奏だったと思います。ルセリート先々週一緒に演奏しました。今日はメンバー1人欠場でしたが。アルトゥーラ結成44年と言っていたかな。リーダーの長田さんの演奏を、多分30年ぶりくらいに聞いたように思います。グルーポ・マニャーナ、秩父を中心に活動しているグループです。福田さんが登場!福田さんと言えばケーナですが、ギターも上手いんです。ただ、やはり長い闘病生活のためか、少しパワーが落ちたかなという気はします。名古屋から参加のチャスカ+福田さん+イリチさん。私がサンポーニャの音で「この人にはかなわない」と思う人が日本で(プロを除いて)二人いまして、その一人がゆなさん。今日もバキバキとサンポーニャ吹いてました。マリネーラ・ミ・アルマペルー海岸地方の踊り。この時はマリネーラではなく、トンデーロだったかな。キント・スーヨペルー山岳地帯の踊りリベラル・ラティン・コンパニオンズ私がサンポーニャの音で「かなわない」と思う(プロを除く)日本人のもう一人が、左端の彼なのです。ちなみに、チャランゴの名手でもあり、ハーディガーディ奏者でもあったり。ラス・パキータスここで初めて、私が知らないグループが登場しました!ただし、グループとして知らないだけで、メンバーは全員知り合いですけど。ミスティフォルクローレ、あるいはアンデス音楽、コンドルは飛んでいくと言えば、世間一般的にはペルーの印象が強いですが、実際には世界的に知られているアンデスのフォルクローレ音楽は基本的にボリビアのスタイルです。私が演奏しているのも、ほぼボリビアとアルゼンチンです。正統的なペルースタイルの演奏するグループは数少なく、ミスティは日本におけるペルー音楽の第一人者です。福田さんと言えばミスティというのが私のイメージ。そして、このグループには福田さんのケーナとみゆくまさんのボーカルという2枚の看板がある、凄いグループなのです。UKS前回は3人でしたがUさんが急逝されてお二人になってしまいました。アコ・イ・チミチュリ福田さんまた登場。福田さんのケーナはもちろん、アコさんの歌が素晴らしかったです。お子さんを連れてのステージでした。ロス・アピオネス2週間前に一緒に演奏しました。こちらも1970年代から続く超ベテランです。チョコ&サエミによるマリネーラ・ノルテーニャマリネラ・ミ・アルマ+チョコ&サエミによるマリネーラ・ノルテーニャダイジート・イ・ホセ+福田さん福田大治さんとホセ犬伏さんのデュオに福田さんが参加したのでW福田になりました。ロス・ボラーチョス名は体を表す。Tシャツには生ビールのイラストが印刷されていました。グループ名は「酔っ払い」の意味です。平均年齢70歳だそうです。サボール・アンターニョここでも福田さん登場。ボンボ奏者(さる大学の研究者)は1年間ボリビアに滞在中だそうで、助っ人のボンボ奏者が小林さん。直接お会いしたのは何年ぶりでしょうか。20年は経っているかな。イリチ・イ・ポクラトリを飾ったのはイリチ・モンテシーノスさんと福田さんのデュオ素晴らしかったです。福田さん、だいぶ回復されました。ちょっと音がかすれているかな、というところは何か所かありましたけど、全般的にすごくよかったです。吸い込まれるような素晴らしいビブラートが帰ってきた、音に酔いしれました。福田さんケーナの音はどんなものか、今から10年前、もちろん発病前の演奏動画がYouTubeに上がっています。
2022.10.30
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昨日写真だけアップしましたが、動画もアップしました。4曲演奏したうちの2曲です。峡谷のカーニバルこの曲は20年前から何度も演奏しています。スリキこちらは人前で演奏したのはまだ2回目の曲です。少し前から練習していたのですが、難易度高く、なかなかモノになりませんでした。えっ、この演奏はモノになっているのかって?さてさて・・・・・・。それにしても、昨日は練習で4曲、本番の演奏も同じ4曲を演奏しただけで、それ以外の時間はほとんど椅子に座って人の演奏を聞き、あとは待機していただけなのですが、今朝はドーンとすごい疲労感でした。山登りの翌日でもあんなに疲れないのに。経験則では、人前での演奏って練習の5倍くらい疲れます。同じ曲を同じ息の強さで吹いているのにね。やはり緊張度のなせる業でしょうか。
2022.10.17
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神奈川県の逗子で演奏してきました。昨年も演奏したのですが、その時はギタリストが急に参加できなくなり、急遽私がギターに回りました。今回はフルメンバーそれって演奏できました。音源をアップしたいのですが、まだ編集できていないので後日アップすることにして、今日は写真のみ。キラ・ウィルカヨコハマ・ブリサ・アンディーナシエラ・ベルデ青と碧ビエントス・アル・マールキャロルオトラベスブランカ・ロサルセリートロス・アピオネスミルカ・ミルカ本日のトリ、カパック・ニャン2時から6時半までという長丁場のコンサートでした。
2022.10.16
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Falleció el Maestro del Charango Ernesto Cavour Aramayoチャランゴのマエストロ(師匠)エルネスト・カブール死去8月7日、チャランゴ奏者のエルネスト・カブールが死去した、とのことです。1940年生まれの82歳でした。現代のボリビア・フォルクローレの祖とも言える「ロス・ハイラス」のチャランゴ奏者としてヨーロッパで活躍していましたが、1971年にボリビアへ帰国、事実上の首都ラパスにて、ペーニャ(ライブハウス)「ナイラ」を経営し、自身のグループを率いて演奏活動を行ってきました。日本との関係も深く、ギターの木下尊惇さんもボリビア滞在中は長らくカブールと演奏を行っていましたし、来日公演も度々行っていました。私自身は1992年映画「橋のない川」(東陽一監督版)のBGMを担当した際の来日公演と、2009年だったか、単身で来日し、日本の演奏家と各地でコンサートを行った際、木下尊惇さんとのデュオの公演を見たことがあります。実は、先日記事を書いた「みんなのフォルクローレ祭 45年目の同窓会」にボリビアの何人かの音楽家がメッセージを寄せているのですが、その一人がエルネスト・カブールでした。ビデオメッセージを寄せている音楽家もいた中で、カブールは手紙でした。あまり体調が良くないのかな、なんて漠然と思っていたところではありました。2019年の演奏2013年の演奏。最近はムユムユギター※のフランツ・バルベルデによる伴奏が多かったようです。※ムユムユ:カブールが考案した冗談楽器。片面が普通の6弦クラシックギター、反対側が12弦ギターになっていて、表裏ひっくり返しながら演奏する前述のとおり、カブールはかつて住井すゑ原作の、被差別部落問題を描いた映画「橋のない川」(東陽一監督版)の音楽を担当したことがあります。その際のオープニングテーマ曲がこちらです。曲名はその名もRio sin puente(橋のない川)、ただしこれは映画にあわせてつけられたタイトルであり、原題はPadre viento(父なる風)と言います。もう1曲の「Tema de Nanae(七重のテーマ)」は原題は知りませんが。※※追記:木下尊惇さんに教えていただいたところによりますと、オープニングのPadre vientoとエンディングのRosario de uvas(ぶどうのロサリオ)の2曲は東監督の希望で選ばれ、それ以外の劇中曲は全曲映画のためのオリジナル曲だそうです。ロス・ハイラス元々ボリビアといっても先住民とスペイン系では文化が異なり、従って音楽的にも相容れないものがあったのですが、その両者の音楽的要素を融合させて一つの音楽にした「はしり」と言えます。そのため、前述のとおりボリビア現代フォルクローレの祖と言われます。ご多分の漏れず、そのような革新的な試みが最初からボリビア国内で受け入れられたわけではなく、グループはヨーロッパに渡って、特にフランスで人気を博したことから認知されていったようです。ヨーロッパでの音楽活動には、メンバーにスイス人(おそらくフランス系スイス人)のケーナ奏者ヒルベルト・ファブレがいたことが役に立ったでしょう。それに加えて、カブールもフランス語を話します。ハイラス脱退後ですが、カナダのケベックで自身のグループのコンサートを行い、その司会を流暢なフランス語で行っているYouTube動画があります。※1986年頃ドイツに滞在していた知人の証言によると、カブールのコンサートの後、楽屋を訪れたら、マネージャーがフランス人で、フランス語でやり取りをしていたということです。ハイラスの全盛期のメンバーは、ギター:フリオ・ゴドイ、一時期アルフレド・ドミンゲスチャランゴ:エルネスト・カブールケーナ:ヒルベルト・ファブレボーカル・サンポーニャ:エドガル・ヤヨ・ホフレです。このうち、アルフレド・ドミンゲスは1980年に、ヒルベルト・ファブレは98年に亡くなっていますが、残る3人はずっと存命で活躍していました。が、7月にヤヨ・ホフレが85歳で亡くなったばかりです。それから1ヶ月と経たないうちにカブールの訃報、あっという間に、ご存命なのはギターのフリオ・ゴドイだけになってしまいました。ご冥福をお祈りします。
2022.08.09
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コンサートに行ってきました。自分自身はコロナ禍以降も何度か演奏していますが、有料の他人のコンサートを見に行くのは、コロナ以降初めてのような気がします。日本に初めてフォルクローレ音楽が知られるようになったのは、ご多分に漏れずサイモンとガーファンクルの「コンドルが飛んでいく」がきっかけで1970年代初頭のことです。日本最大のフォルクローレ音楽祭「コスキン・エン・ハポン」が開催されたのが1975年です。その最初期から活動している人たちは、もう演奏歴45年以上になっているわけです。そんなひとたち(ばかりでなく、もっと若い演奏家も参加していましたが)が中心に開かれたので「45年目の同窓会」という副題を付けたようです。私だって、ケーナを初めて手にしてから36年、人と一緒に演奏するようになって30年なので、キャリアは短い方ではありませんが、人と一緒に演奏を始めたのは90年代に入ってからなので(最初の数年は、日本でフォルクローレを演奏している人がそんなにいるとは知らず、一人でケーナを吹いているだけでした)、70年代から演奏している神代(笑)の人たちには及びません。日本のフォルクローレ界はそんなに広い世界ではないので、最初は皆さん一緒にやっていたようですが、私が知った頃には、あんな派閥こんな派閥に分かれていました。でも、そんな垣根はすべて取り払った組み合わせのコラボレーション、やっぱり音楽はこうありたいものです。個人的には、今日のプログラム一番最後のグルーポ・カンタティの「ノスタルヒア」、たまたま2~3週間前にふと思い出して、カンタティの最初のアルバムを引っ張り出して聞いたところでした。すごくいい曲、そしてルイス・カルロス・セベリッチさんの甘い歌声、大好きなのですが、生で聞くのは初めてでした。感動しました。音源を紹介できたらいいのですが、YouTubeには上がっていないようです。このコンサート、明日も予定されています。(出演者は一部今日と変わります)残念ながら、私は所用により明日は見に行けないのですが、興味のある方は是非。
2022.07.30
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以前の記事で演奏の告知をしましたが、5月4日、お台場の「ラテンアメリカへの道」フェスティバルで演奏してきました。第1回が2018年、第2回が19年で、その時も演奏したのですが、それ以降コロナ禍のため2年続けて中止となっていました。今回3年ぶりの開催でした。まずは、自分たち(キラ・ウィルカ)の演奏です。第1部の演奏より「チャラグア」今回のテーマはチリ(日本と修好125年)とウルグアイ(同100年)なのだそうですが、残念ながら、キラ・ウィルカのレパートリーにウルグアイの曲はなく、チリの曲もこの曲1曲しかありません。1973年9月のクーデターの際に惨殺された歌手ビクトル・ハラの作曲による器楽曲です。タイトルがボリビアの地名(ゲバラがゲリラ戦の目的地としていた場所)のため、ボリビアのグループがよく取り上げる曲です。第2部の演奏より「アマポーラ(ひなげし)」ボリビアを代表する舞曲、クエッカのリズムに載せています。自分たちの演奏はこんなもので、他のグループの演奏など。いきなり食べ物の写真ですが、もちろんタコスです。演奏時間が12時半だったので、その前に何か食べておかないと保たないだろうと思い、とりあえずこれ。我々キラ・ウィルカがステージのトップバッターだったのですが、その次が「ロス・アミーゴス・デル・ペルー」福田千文さん率いるペルーのフォルクローレ舞踊です。第1部では冒頭にペルー海岸地方の踊り「マリネーラ・ノルテーニャ」がありましたが、それ以降はもっぱら山岳地帯の2拍子系の踊りでした。ワイノだったかなあ。これはワイラッシュの踊り。第1部終了後、みんなで記念撮影。福田さんは右一番手前です。ご主人は日本でのケーナの第一人者であり、彼女のケーナもかなり上手いのですが。今はペルーの舞踊の第一人者として名を馳せています。ロス・アミーゴス・デル・ペルーの踊りは一部動画も撮影しています。前半(第1部)は前述のとおり冒頭がマリネーラ・ノルテーニャ以外は山岳地帯の2拍子系の踊り、後半(第2部)はマリネーラ・ノルテーニャのみとなっています。先ほどキラ・ウィルカの演奏で「クエッカ」を紹介しましたが、クエッカもマリネーラ・ノルテーニャも、同じ起源をもつ踊りです。今となっては全然違う踊りのように見えますが、リズムの基本と、「踊り手がハンカチを振る」というところは同じです。第2部の前にまた腹ごしらえ。チリ料理の店「江戸の家」チリ料理なのになんで江戸?Casa de Eduardoエドゥアルド(エド)の家→江戸の家ということで(笑)美味しそうなものを色々売っていましたが、結局買ったのはチョリソー(ソーセージ)と南米ギョウザことエンパナーダです。美味しかった。都内にはペルー料理のお店は各所にありますが、チリ料理は少ないです。このお店は中野にあるそうで、いつか行きたいです。カパック・ニャン。最近各所でキラ・ウィルカと共演しています。「シルビアと踊ろう」実はこの日の出演で一番盛り上がったのはこのグルーブでした。何故って・・・・・観客全員踊りの渦。パヤソ・ルイジ(ピエロ)。当日の飛び入り参加で、プログラムには名前がありませんでした。メヒコ・エン・ラ・ピエル。メキシコの民族舞踊です。メヒコ・エン・ラ・ピエル。メキシコもまた、民族舞踊の宝庫です。メヒコ・エン・ラ・ピエルの踊り。ロス・アミーゴス・デル・ペルーのマリネーラ・ノルテーニャ。男性だけの踊りは、先ほどの動画には入っていません。マリネーラ・ノルテーニャマリネーラ・ノルテーニャ。この踊りの足さばきはなかなか見事です。以前にも紹介したことがありますが、1968年、オルガ・フェルナンデスという女性がトルヒーヨのコンクールで裸足で踊ったことに端を発しています。当時ペルーの田舎では子どもはほとんど裸足で日常生活を送っていて、彼女もそうだったようです。コンクールのためにハイヒールを買ったものの、いざ本番になったら無意識のうちに「地」が出て裸足になってしまったのです。ところがそれでコンクールに優勝したことから、以来女性の踊り手は裸足ということになってしまいました(地域によっては男性もはだしで踊る場合がありますが、主流は男性は革靴)。現在では、ヒールのある靴で踊るのはとても不可能な、裸足が前提の複雑な足技が発達していています。なお、ペルー国内にも、ボリビア・チリ・アルゼンチンにも、マリネーラ・ノルテーニャと同じ起源から枝分かれした様々な踊りがありますが、裸足で踊るのはマリネーラ・ノルテーニャだけです。まあ、そんなこんなで楽しいけどヘトヘトになった一日でした。
2022.05.08
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ラテンアメリカへの道フェスティバル @ お台場・ウエストプロムナード公園ゴールデンウィーク中の5月4日(祝)お台場で演奏します3・4・5日の各日、それぞれ数グループが演奏します。私の参加する「キラ・ウィルカ」は4日の12時30分と午後4時の2回です(各30分)。その他、各種屋台も出店されます。昨年一昨年とコロナ禍で中止になっていたイベントですが、今年はやっと開催できる、かな?当日まで予断は許さないところですが。今年のテーマはチリとウルグアイだそうですが、残念ながら「キラ・ウィルカ」のレパートリーにウルグアイの曲はなく、チリの曲も1曲しかありません。いつものようにボリビアの曲中心に演奏します。
2022.04.26
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今月は、あんまり鳥撮影に行っていなかったのですが、今日は久しぶりに葛西臨海公園に鳥撮影をしに行ってきました。その鳥の写真は後日にして、タイトルのような事態となってしまいました。いつものように葛西臨海公園で鳥撮影の合間に笛練習をしていたら、職員が「楽器演奏は遠慮していただいています」というのです。いあ、今まで5年くらい毎月2~3回は足を運んで笛練習しているし、園内巡視の警備員の方に「良い音ですねー」と言われて話し込んだことも何回かあるのに、いったい何故?と思いつつ、「規則に書いてあるんですか?」と聞いたら「やめていただくようにお願いしています」しか言わないのです。「他のお客さんからクレームがありましたか?」と聞いても、やっぱり「お願いしています」しか言いません。つまり、クレームはなかったということでしょう。そもそも、吹いている場所は海岸なので住宅からは400mくらいは離れており、日曜の朝だから周囲50m四方に人影なく、クレームがあったとは思えませんが)。喉元まで、「管理規則にも書いていない、誰からもクレームが来ていない、ただの「お願い」だったら従う必要ありませんね」という言葉が出かかったのですが、さすがにそんな売り言葉は自重しました。管理規則に何が書いてあるか知らないけれど、おそらく「その他管理者の指示することに従うこと」というオールマイティ規定があるはずで(どんな施設の規則にもそういう規定がある)、杓子定規に規則を振りかざす話を始めると、それを持ち出されて話が終わっちゃいます。それに、ちょうどこの曲で練習終わり、という最後の曲の残り30秒くらいだった※というのもありました。なんと言っても、一連のやり取りから、何の権限もない職員(あるいは委託業者?)がオウム返しに同じことを言っているだけで、この人と押し問答しても何一つマトモな回答など出てこないと思われました。もめてそれ以上嫌な思いをしたくもなかったので、その場は分かりましたと引き下がりました。※いつもケーナとサンポーニャを交互に吹いて、それが終わると最後にフルートを何曲か吹いています。したがって、この時吹いていたのもフルートで、正直言ってケーナの3オクターブやサンポーニャを目いっぱいの息で吹いたときに比べれば断然音量は小さいです。帰り際、公園管理事務所わきの掲示板を見たら、「公園内での注意事項」に、写真のように書いてありました。「以下の行為はサービスセンターの許可を必要とします~集団で音楽を演奏すること。」集団で音楽を演奏することにサービスセンターの許可がいるってことは、ふつうに読めばひとりでに演奏することに許可はいらない(禁止されていない)としか読めません。もちろん、私は葛西臨海公園では、一人でしか練習したことはありません。(グループ練習を屋外でやりたいとは常々思うのですが、なかなか難しくて)こりゃいったい何なんだ、と思い、帰宅後に公園サービスセンターに問い合わせてみました。そうしたら、やはり「楽器演奏は禁止させていただいています」というのです。注意事項の記載の件を指摘したら、その掲示は取り替えます、だって。おそらくこの4月にトップが変わって、急に音出しは禁止しろ、とか言い出しんじゃないかな、と思うんですけど、実際のところは謎です。そうやって恣意的に、しかもどこにも明示も周知もなく規則をぽんぽん変えるのは勘弁してほしいものです。というわけで、貴重な練習場所を一カ所失ってしまいました。と、言いたいところですが、そうでもありません。最後に私も売り言葉的に「じゃあ今後は公園の敷地外で練習します」と言ったところ「そうしてください」と言質もいただいたので。葛西臨海公園の東端は旧江戸川の河口ですが、その護岸をちょっと上流にいくと、公園の外だから(笑)ただ、今まで公園内で人のいない場所を探して吹いていたのに、今後そこでしか吹けないとなると、人が多いときはあきらめざるを得なくなりそうです(釣り人が多い場所です)。ただ、京葉線の鉄橋の真下だから、元々が騒々しくてクレームはこないかも知れないけど。あとは、逆に公園の西端の「健康の道・サイクリングロード荒川河口」も、どうやら公園の敷地の外っぽいので、ここで吹く手もあるかな。私も、人が大勢いてクレームになりそうな場所は避けるわけで、ここが人が多ければあっち、と一か所の練習場所でも、その中で吹けるポイントを複数押さえておかないと、厳しいのです。
2022.04.17
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先日、サンポーニャ2組をまとめて購入した話を書きました。その際は、写真だけで肝心の音については記事を書かなかったので、吹き比べ動画を撮ってみました。「ラミス」と「コンドルの大地」のさわりだけ、それぞれ以下の順番で吹いてみました。1.今まで使ってきたサンポーニャ(キメ材)2.新しく買ったサンポーニャ(ブラ管)3.新しく買ったサンポーニャ(ソンゴ材)録音では音量差はよく分かりませんが、実際には音の大きさはキメ=プラ管>ソンゴの順で、最後のソンゴ材は少し音量小さいです。それと高音部がフラットしやすい。きちんと吹けば音は下がらないけど、早いフレーズで息がちゃんと入っていないと音程が下がります。今までのサンポーニャは下段9x上段10x半音10ですが、新しいものは高音側に2音と半音管2音が足されて10x11x12になっています。そのため、持ったときの位置感覚にずれがあって、最初の音を吹き間違えることが多々あります。半音管の並び位置も古いサンポーニャと同じ位置にしないと、私にはちゃんと吹けません。プラ管いいかも。練習と山に持って行く用に買ったけど(葦と違って割れないから)、本番の演奏にも使おうかな。
2021.11.06
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サンポーニャはの中でももっとも一般的な音域の「マルタ」は、現在使っているものは2台目になります。2001年にボリビアに行った際に購入して、もうじき20年、汚れ放題、割れの補修だられの満身創痍の状態です。どうも山に持っていくと割れることが多いので(ザックの中にぎゅうぎゅうに詰め込むからです)、それなら山用には絶対割れないサンポーニャにしようと思い立ちました。割れないサンポーニャなんてあるのか?もちろんあるのです。(理論上は絶対とは言えませんが、実用上は絶対割れないと表現して間違いない)そして、ついでに本番の演奏用も新しいマルタに変えようと思い立ち、一挙に2台のマルタを購入してしまいました。それがこちらです。右上が山に持って行く用、左下が演奏用です。山に持って行く用はプラスチック製(多分塩ビ管)です。これなら、ほぼ「絶対に」割れません。安心してザックの中にぎゅうぎゅう詰めにできます。ただ、本番の演奏にプラ管は個人的にはちょっと、なので、ついでに葦製の本物のサンポーニャも購入しました。それが左下です。ただ、ここで一つだけ間違ってしまいました。サンポーニャの材料に使われる葦(または竹)は、厚み別に一番厚いのがバンブー材、中厚がキメ材、一番薄いのがソンゴ材と別れます。私は中厚のキメ材が欲しかったのに、名前を取り違えてソンゴ材のサンポーニャを発注してしまいました。届いたサンポーニャを見て、わー、しまった間違えた!!!キメとソンゴを取り違えて覚えてました。でも、実はどちらを購入するか、少し迷ったのです。ソンゴ材は肉厚が薄くて強度にはやや難ありですが、音がよいので中厚のキメ材より好まれることが多いようです。というわけで、結果オーライでこれを使うことにしました。右から、プラ管、ソンゴ材、これまで使っていたキメ材のマルタ。管の数が今までのサンポーニャは下段9管x上段10管x半音管10管でしたが、今回購入したサンポーニャは、両方とも下段10管x上段11管x半音管12管あります。高音側が2音と半音1つ、音域が広いです。ただ、半音管の並び位置が今までのサンポーニャと違うので、このままでは私には吹けません。ただ、基本的に私は半音管は外してしまい、半音が出てくる曲だけ重ねて持つようにしているので、位置関係はどうとでも修正できるかな、と。一番上はプラ管(半音管付3列)、その下はソンゴ材(早くも半音管は外してしまったので2列)、その下が今まで使ってきたキメ材(やはり半音管を外した状態の2列)の殺んぼーにゃです。肉厚が、プラ管とキメ材が大体似たり寄ったりで、ソンゴ材が薄いのは分かるかと思います。プラ管はまだ半音管を外していませんが、今までのサンポーニャと同じ半音管の位置関係になるようにずらしています。だから、半音管だけ1管左側に飛び出しています(元々は左右両方に管半分ずつ飛び出していたものをずらした)。こうしないと、今までと位置関係が変わってしまい、全然吹けないので。音はどうかな、ほんのちょっとだけ吹いてみましたが、夜に届いたので、まだあまりちゃんと吹いてはいません。音についてはまた後日レポート。とりあえず良い音がします。ちなみに、お値段はプラ管13,000円、ソンゴ材14,000円。送料含めてあわせて29,000円。エルエコ・ウェブショップにて購入しました。以前に「コスキン・エン・ハポン」の会場でサンカ(マルタより1オクターブ低い低音用サンポーニャ)を購入したことがあり、品質には信頼しています。
2021.10.19
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昨日、横浜・鶴見区民文化センター(サルビアホール)で演奏してきました。全部で6グループ集まっての演奏でした。9月26日に引き続いての演奏でしたが、9月はメンバーが1人欠けていた上に、外部公開なしの仲間内の演奏会でしたが、今回は幸いフルメンバーがそろい、一般のお客さんも入れてのコンサートでした。当ブログの読者の方にもお越しいただき、ありがとうございました。というわけで6曲演奏しましたが、そのうち3曲を公開します。Viento del sur 南からの風Idilio イディリオPoncho de vicuña ビクーニャのポンチョPA機材なしの、生音だけのコンサートでした。しかし、反響版付きで音響の非常に良いホールで、会場も小さいので、客席から聞く分にはマイクがなくてもまったく問題ありませんでした。ただ、演奏する立場からすると、PAがないので返しがなく、隣の奏者の音は聞こえるのですが、隣の隣(私から見た場合は弦楽器)の音は、モワモワっとした音でよく聞こえず、非常に怖かったです。客席での聞こえ方とステージ上での自分たちの音の聞こえ方は、結構違うものです。ところで、コロナ騒動以降「キラ・ウィルカ」としては初めて外部一般公開のコンサートでの演奏でした。いったいいつ以来と思って過去の記録をさかのぼったところ、今年9月(逗子)外部のお客さんなし(コロナ後初演奏)---ずーっとコロナ2020年1月(墨田区)内輪の演奏会、外部のお客さんなし(コロナ前最後の演奏)2019年10月(町田)同上、外部のお客さんなし同年同月(厚木)介護施設で演奏、外部のお客さんなし2019年5月(お台場)ラテンアメリカフェスティバル↑これ以来2019年5月以来、2年半ぶりの公開の場での演奏だったのでした。そりゃ、力も入ろうというものです。この間別グループでの演奏はわずかにありましたけどね。その他の出演グループです。と言っても、全部で6グループ出た中で、前半は自分たちの演奏があるので撮影しそびれてしまい、後半だけしか撮影できていません。ソニャドーレス今回のコンサートの企画、主催がこちらのグループになります。ヨシオ・ウィズ・ラディカル・アンデス・コネクションアルゼンチンのコスキン音楽祭日本代表となったこともある、異色のケーナ奏者ヨシオさんのグループ。ただし、このグループでの演奏は異色というわけではなく、いたって真面目なうえに演奏レベルも極めて高い。ドス・フローレス・ウナエスピーナペルー出身のケーナ奏者イリチさんと女性2人の3人によるグループです。ところで、ソニャドーレスの使っているボンボ(太鼓)ボリビアのボンボは合板を丸めて作りますが、アルゼンチンのボンボは大木をくり抜いて作ります。ということは、ボンボを1個作ると、その内側のくり抜いた木が残ります。それを使って作ったボンボがこれです。だから普通のボンボより小さくて軽い。そしてさらに、このボンボの内側もくり抜くので、それを使って更に小さいボンボも作れます。材木一つから、大中小3つのボンボが作れるわけです。ロシアの民芸品マトリョーシカと同じようなものです。ゴホンと言ったら龍角散、カホンと言ったら箱を叩け。・・・・・・フクロウの巣箱ではありません。カホンというペルー原産の打楽器(最近はスペインのフラメンコなどにも使われる)です。ヨシオ・ウィズ・ラディカル・アンデス・コネクションで使っていました。これもヨシオ・ウィズ・ラディカル・アンデス・コネクションの楽器。ハーディーガーディーと言います。南米ではなくヨーロッパの楽器。チャランゴとサンポーニャの達人で、しかもハーディーガーディーも弾くなんて、そんな奇特な人は日本中に多分一人しかいないのでは?
2021.10.17
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9月にもなって、やっと「今年最初の演奏」と言っている惨状ですが9月23日と26日に演奏してきました。それぞれ1曲ずつYouTubeにアップしました。(23日の分は動画なし音声のみ)9月23日 中野区哲学堂公園にて Candombe para Joseホセへのカンドンベ 演奏ティエラ・クリオージャそして9月26日 2021フォルクローレ交流演奏会in Zushiにて Quien 誰? 演奏キラ・ウィルカ実は、26日の逗子での演奏の方は、ギタリストが急遽欠席となり、直前に予定曲目を全部変更しました。ギターがいなくなってしまったので、私がギターを弾きました。最後に人前の演奏でギターを弾いたのはいつ以来でしょうか?はっきり覚えていませんが、多分5年ぶりくらいだと思います。最近は良くても月に1回、たいていは3か月に1回、ひどいと半年に1回くらいしかギターケースを開けていなかったので、ギタリスト欠席が決まってから2週間ほどの間、必死で練習しました。最近の練習量から言えば、1年分か、下手したら2年分くらいの練習量。と言っても、上記のような練習頻度での「2年分」ですけど(笑)ステージでケーナやサンポーニャをステージで吹くのに金地要して間違えることはそんなにないけど、ギターはいけません。ところが、後で録音を聞くと、アルペジオやベースラインでミスったところは、マイクがそれほど音を拾っていないので、あまり分からないんですよね。ストロークを間違えたら隠しようもないところですが、さすがにストロークで間違えはしなかったので。ただ、笛とギターでずいぶんリズムがずれてしまいました。やっぱり、10年くらいやっていなかった曲を、当日合わせただけで演奏するのは、結構無謀でした。10月ももう1回演奏の予定ありますが、この時はどうなるかなあ。ギタリストが復活できるかどうかまだ確定していないので、ハラハラです。もう一回私がギターを弾くことになるのかな。ところで、Candombe par Joseをアップロードしたら、著作権チェックでいきなり広告載せますって表示が出てきました(現実には、まだこの記事執筆時点では広告は載っていないようです)。でもこれは正当な権利者がいてのことだから、仕方がありません。YouTubeの表示による著作権者をJASRACのデータベースと照合すると、少なくとも1社は一致しています。つまり、正当な権利者が少なくとも1社含まれていることは確かです。ならば広告を載せられても仕方がありません。腹が立ったのは、アジェンデの最後の演説の動画です。気がついたらこれに広告がくっついていたのですが、それを調べたら「この楽曲の権利を侵害しています」という楽曲名が違うの。動画で使っているのはビクトル・ハラのチャラグアなのに、全く聞いたこともない、当然動画で使っていない楽曲名が書いてあって、権利を侵害しているって書いてあるのです。「そんな楽曲使ってません」と異議申し立てしたら、すぐに広告消えました。正当な権利者の利益に貢献するのは大歓迎ですが、権利者ではない人の利益には貢献したくないものです。経験的に言うと、チリ、アルゼンチンの曲で曲名をタイトルに明記して動画をアップすれば、ほぼ即時に正当な権利者から権利侵害の申し立てがあります(上記のアジェンデの演説動画は、チリの曲ですが曲名を記載していません)。一方、ボリビアの曲だと、曲名を明記していても、申し立てはないか、または怪しさ満点の「自称権利者」からの申し立てが、後になって出てくるか、というパターンが多いようです。前述のアジェンデの演説の冒頭に付けたBGMはチリの曲(Charagua)ですが、曲名を書いていないので、ずっと権利侵害の申し立てはありませんでした。
2021.09.28
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本当は山に行く予定だったのですが、関東一帯悪天候により諦めました(でも、明日は行くよ)というわけで、家でリアルタイムで見ている予定じゃなかったんだけど・・・・私の演奏は、本日18日午後3時Killa Willkaと、明日19日午後6時半過ぎLos Zaballosです。配信後は元の動画を紹介する予定です。明日は天気回復することを祈りつつ。---オンライン・コスキン終了し、配信も見られない状態になりました。私が参加した演奏はこの二曲です。二月の丘(Zabadak)今まで演奏した中でも、実は最難関だった曲です。初めて演奏したのは5年前ですが、最初の練習に集まった時、まっっっったく吹けずに、参加OKしてしまったことを激しく後悔した記憶が。そしてもう1曲はこちらです。キラ・ウィルカによるJailita今回、基本的にすべてのグループの演奏がYouTube上にアップされています。(現時点では。今後削除されるものもあるかもしれませんが)その中で、さすがに弁部聞いたわけではありませんが、「これは良い」と思った演奏をいくつか(プロを除く)やや 「寝ろ」これ、最高です。オリジナル曲。「今寝ろすぐ寝ろ即時寝ろ」(笑)我が家の17年前です。もっとも、それが17年経つと「起きろ」「今起きろすぐ起きろ即時起きろ」になるのですよ(涙)Chrotramique 木枯らし~風の詩~やはり、歌が上手いというのは一番大きなキーポイントでしょう。TODA LA VIDA CHACARERA DEL CARDENAL彼等は以前から知っているグループですが、これまた歌がうまい。いま日本のアマチュアのフォルクローレ演奏者の中では一番うまいのは彼等ではないかと思っています。
2021.09.18
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なかなか演奏の機会がなかったので、またグループの演奏をYouTubeにアップしました。曲はCharagua(チャラグア)、Poncho de vicuña(ビクーニャのポンチョ)、Ramis(ラミス)の3曲です。そして、例年10月に福島県川俣町で開催されている日本最大のフォルクローレ音楽祭「コスキン・エン・ハポン」は、残念ながら3年連続の中止(今年と昨年はコロナですが、2019年も台風直撃の影響で中止となっています)となってしまいました。それに代わり、9月18日(土)19日(日)の二日間、YouTubeによる「オンライン・コスキン」が開催されます。昨年は1日でしたが、今年は参加グループが増えたためか二日間の日程となっています。コスキン・エン・ハポン公式サイト私は、二つのグループで参加します。「キラ・ウィルカ」(曲:ハイリータ)配信時間9/18(土)午後3時~3時半頃「ロス・サバージョス」(曲:二月の丘)配信時間9/19(日)午後6時半~7時頃そして、10月16日、「キラ・ウィルカ」としてはおそらく2年ぶりくらいとなる一般公開演奏です。---演奏したい仲間たちで作るFolklore Concert2021年10月16日(土)午後1時~4時半横浜・鶴見区民文化ホール3階音楽ホール JR京浜東北線・鶴見線鶴見駅、京浜急行京急鶴見駅より各徒歩2分出演 キラ ウィルカ/サヤ アンデス/ソンリサ/Dos Flores una Espina /Yoshio-san /ソニャドーレス入場500円ただし、座席定員より少ない入場者数とします。また、コロナ感染拡大状況によって、無観客開催となる場合もありますのでご留意ください。その場合は当記事でも告知します。---もう一つ別のグループも演奏予定があります。(修正あり)9月23日(祝)午前中11時/午後2時中野区哲学堂公園 宇宙館出演 ティエラ・クリオージャ定員各回15名(予約制)問合わせ・申込は哲学堂公園まで 入場等無料ただし座席はありませんが、建物の外側からも視聴は可能です。追記 今回は予約以外の方の外からの視聴はなしとのことです。申し訳ありません、上記の説明は誤りでした。もっとも、換気の問題から窓は開けているはずで、公園なので園内への出入りも自由ですが・・・・・、一応そのようになっているとのことです。哲学堂公園ホームページ開催通知
2021.08.29
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アルゼンチンとボリビアのフォルクローレ史に名を刻むべき音楽家が、相次いで亡くなりました。最近、そんな話題ばかりで嫌になってしまいますが。A los 88 años, murió el gran guitarrista Ángel "Kelo" Palacios偉大なるギタリスト、アンヘル・"ケロ"・パラシオス、88歳で死去---記事に亡くなった日が明示されていませんが、「金曜日に亡くなった」と記載されていることから、現地時間5月28日に亡くなられたようです。アルゼンチンを代表するフォルクローレ音楽家で、1970年代に数度の来日経験もあります。ギタリスト、作曲家として著名ですが、チャランゴ奏者でもあります。かなり晩年、自身の六重奏団での演奏。中央のギターがケロ・パラシオスです。これはおそらく1970年代の演奏です。チャランゴを演奏しているようです。そして、参加メンバーのクレジットはありませんが、ケーナは明らかにウニャ・ラモスです。全10曲のアルバムですが、彼自身の作曲である1曲目FLOR DE LA LEÑA と、最後10曲目(37分24秒頃)のChacarera del tiempoがなんと言っても一番好きな曲です。この演奏では歌がありませんが、Chacarera del tiempoには歌詞もあります。ケロ・パラシオスの自演ではありませんがスーナ・ローチャの歌うこの曲も素晴らしい。そして、6月に入って、ボリビアからはFallece músico boliviano Jaime Junaro, integrante de Savia Nuevaボリビア音楽家で、グループ「サビア・ヌエバ」のメンバー、ハイメ・フナーロ逝去---6月6日死去ということです。ケロ・パラシオスは御年88歳ですから、大往生と言えますが、ハイメ・フナーロはまだ72歳・・・・いや、もうそんな年でしたか。でも、まだ亡くなるにはちょっと早いです。ただ長らく糖尿病の合併症で闘病中ではあったものの元気で、Facebookで日本のチャランゴ奏者福田大治氏と数日前まではメッセージのやり取りをしていたということですが、合併症に関連する手術を受けた後、予後が悪く、亡くなったということです。彼は、弟セサル・フナーロ、妹エマ・フナーロとともに、社会的メッセージを発する「ヌエバ・カンシオン」(チリとアルゼンチンにおいてとくに盛んであり有名ですが、ボリビアにももちろんヌエバ・カンシオンはあります)のボリビアにおける第一人者でした。ハイメ、セサル、エマの三兄妹での演奏。一番手前がハイメです。失礼ながら、一番上のハイメと一番下のエマは4歳しか違わないのですが、外見ではハイメとセサルはおじさん、エマ・フナーロはとても4歳しか違わないようには見えません、というのはまあ余談ですが、エマ・フナーロの歌声は、私はとても好きです。ハイメとセサルの兄弟が中心となったグループ「サビア・ヌエバ」の代表曲。Los mineros volveremos「我ら鉱夫は帰ってくる」。鉱山労働者の労働運動を背景とする曲です。間奏部分の語りで「サン・ファンの虐殺」に触れています。1967年、ボリビアに潜入したチェ・ゲバラに同調する鉱山労働者の武力蜂起を恐れた当時の独裁政権が、当時鉱山労働者の労働運動の震源地であったシグロ・ベインテ鉱山に軍を派遣し、「サンファンの夜」(北半球で夏至、南半球で冬至の日に行われる聖ヨハネの日の前夜祭)の祭りの後、酔って寝入っていた鉱夫とその妻子らを襲撃して無差別殺害した事件です。そして、ハイメ・フナーロの代表曲と言えばこれです(自作曲ではありませんが)Sobreviviendo(生き残る)1994年頃の演奏のようです。伴奏陣の右から2人目でケーナとサンポーニャを担当しているのは、若き日の菱本幸二さん。右端は、今とは髪型が違うので分かりにくいですが、おそらく現在ボリビアでトップのケーナ奏者ロランド・エンシーナスだと思います。最後に紹介するのは、これもサビア・ヌエバの自作曲ではなく、コスタリカの音楽家アドリアン・ゴイスエラの作曲です。compañera(コンパニェラ)というのは、直訳すれば「仲間」(の女性形)ですが、「同志」(政治活動、労働運動における)というニュアンスが一般的です。それにしても、時間は決して止まることはなく人は生れ出ればいつか必ず死ぬものとはいえ、大好きな音楽家の死去の報に接するのは、やっぱり心楽しい話ではありませんね。
2021.06.10
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人前で演奏する機会が次々と潰れてしまい、まったく演奏のチャンスがないので、多重録音で演奏してみました。曲は、曲はチャマメのメドレー。つまり、新潟茶豆とだだちゃ豆と枝豆のメドレー・・・・・・ではなく、アルゼンチン北東部リトラル地方の舞曲「チャマメ」の3曲メドレーです。曲は、Canción para Carito(カリートへの歌) - kilometro11(11km) - Merceditas(メルセディータス)以前にも録音したことがある曲ですが、その時は音声のみ、今回は動画です。いつものケーナサンポーニャではなく、フルート、マンドリン、ギターの構成です。しかし、正直に言いますと、マンドリンは「練習」というものを普段まったく、一切やらないので、当然この録画もぶっつけ本番(3~4回失敗して撮り直しているので、それがみれば練習のようなもの)。ということで、マンドリンの出来には目をつぶってください(笑)いやしかし、多重録音だけじゃなくて人前で演奏したい今日この頃・・・・・・。
2021.05.08
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昨年5月25日、ボリビアを代表するケーナ奏者アドリアン・ビジャヌエバが滞在先のロンドンで亡くなった話は、その直後に記事を書きました。追悼 アドリアン・ビジャヌエバその後の情報によると、イギリス在住の息子が体調を崩したため急遽駆け付けたところ(彼自身も以前はイギリスに、結構長く在住していたはず)、ロックダウンで空港が閉鎖されて帰国できなくなり、そうこうしているうちに自分自身がコロナにかかってしまったそうです。アドリアンはボリビア人とはいえ、亡くなった場所はイギリスでしたが、その後ボリビアでも新型コロナウイルスの猛威は留まるところを知らず、多くの音楽家がバタバタと、本当にバタバタと亡くなっています。まず、昨年12月、「アワティーニャス」のケーナ奏者であったロベルト・ユフラが亡くなっています。Fallece Roberto Yujra, integrante de la agrupación Awatiñas記事には死因の記載がありませんが、おそらくコロナが原因と思われます。アワティーニャスは、個人的にはボリビアで私が好きなベスト3に入るフォルクローレ・グループです。そして、年が明けたら、1月10日、「カラマルカ」などのグループで活躍したギター奏者、ファン・カルロス・リオスのコロナによる死が報じられました。まだ47歳だったとのことです。La Covid-19 apaga la vida del guitarrista Juan Carlos Ríos1月15日には、「イルパウィ」のギタリスト、ハイメ・コリワンカが亡くなったとの報が駆け巡りました。65歳だったとのことです。コスキン・エン・ハポン事務局ツイッターより1月27日、ボリビアの名目上の首都スクレで、「ボナンサ」「トゥパイ」のチャランゴ奏者として活躍したイベル・ダビラが新型コロナによって死去したことが報じられます。El maestro del charango Iver Dávila pierde la batalla contra la COVID-19 y muere en Sucre年齢は未確認ですが、私と同年代の50代前半とのことです。更に2月に入って、前述のハイメ・コリワンカの弟、兄と同じ「イルバウィ」でチャランゴを担当していたオスカル・コリワンカの死の知らせが伝わってきました。62歳だったそうです。彼はここ数年体調を崩して健康状態が思わしくなかったそうですが、その状態でコロナに感染して、ひとたまりもなかったようです。親交のあった福田大治さんによると、彼は元々ボリビア中央銀行勤務の経済専門家というもう一つの顔もあったそうです。コリワンカ兄弟が参加する「イルバウィ」は、一昨年2019年に来日公演を行ったばかりです。その際の演奏から。右端のギターが兄ハイメ・コリワンカ、3人目のチャランゴが弟オスカル・コリワンカもうこれ以上亡くならないでください、ボリビアの音楽界が崩壊してしまいます・・・・・(涙)。元々、医療水準の低い国なので、コロナで重症化しても有効な治療法がほとんどないようです。しかし、そのボリビアの新型コロナ感染者数は22万人近く、死者は1万人と報じられています。(2月2日閲覧時点)感染者に対する死者の割合は5%弱、世界平均よりは高いものの、10倍も20倍もの高率というわけではありません。日本の感染者数が39万人、死者5800人なので、ボリビアの死亡率は日本の3倍ですが、感染者数は人口比でみると日本の7倍くらいになります。そのため死者の人口比では日本の20倍にもなっているのが現状です。ボリビアに限らず、どこの国でも、感染者に対する死者の割合は、そう極端な差はありません。しかし人口に対する感染者の割合は国によってかなりの差があり、イギリスなどは総人口の5%以上が感染しているので、ボリビアの2倍以上、日本の10倍を軽く超えます。そのため、感染者に対する死亡率はボリビアより低いものの、人口に対する死亡率ではボリビアよりさらに高くなっています。逆に言えば、日本だってもし感染者数が激増してしまえば、ボリビアやイギリスとそう変わらない状況に追い込まれかねない、ということでもあります。
2021.02.03
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今年に入ってから、新型コロナのせいでいろいろなイベントが中止を余儀なくされています。私も演奏の機会が激減しています。それでも、参加している2つのグループのうち、「ティエラ・クリオージャ」の方は奇跡的に7月と先週の2回、演奏の機会がありました。しかし、もう一つの「キラ・ウィルカ」の方は1月に仲間内のイベントで演奏しただけで、それ以降まったく演奏の機会がありません。年内はもう演奏の機会がないことは確定だし、来年もどうなることやら。というわけで、先日、練習中に演奏を撮影してみました。かなりミスの多い演奏ですが、ともかくYouTubeにアップしております。タイトルを「オンラインコンサート」なんて大仰にしてみましたが、前述のとおり練習の合間に撮影しただけです。とはいえ、カメラを2台(一眼レフとタブレット)使って編集したのは初めてです。そして余談ですが、つい新しいレンズを買ってしまいました。カメラについているでかい方ではありません(これは3年前に買った鳥撮影用の100-400mm)。下の小さい方、キヤノンのEF-S24mmF2.8STMです。小さい、軽い!何しろ125gしかありません。隣の100-400mmは1.1kgもあるのでその10分の1です。で、その作例は・・・・・・。実は、中野区哲学堂公園の写真は全部このレンズで撮影しています。そして、上記のYouTubeの動画も、メンバー5人全員が写っている(カメラ側から見て)左側からの撮影は、このレンズです。試しに従来使っていた(これからも使うけど)標準ズームのSigma17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSMと比較してみました。まず開放同士EF-S24mmF2.8STM F2.8 ISO1000 1/30秒全体中央部左端Sigma17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM 25mm F3.2 ISO1250 1/30秒全体中央部左端そして、F5.0同士で比較(室内手持ち撮影なのでそれ以上絞ると厳しい)EF-S24mmF2.8STM F5.0 ISO3200 1/30秒全体中央部左端Sigma17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM 25mm F5.0 ISO4000 1/40秒全体中央部左端こうしてみると、写りはシグマのズームレンズと大差がないかも・・・・・・。でも、軽い、というのは最大の武器なのです。シグマの17-70mmも460g程度なので重いレンズではありませんが、EF-S24mmF2.8STMはその4分の1強です。これまで、鳥撮影用レンズを持つと、重いので標準レンズは持たないことが多かったですが、これなら両方持てる!値段は中古で12000円台でした。
2020.11.21
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日曜日演奏してきましたが、諸般の事情により動画はありません。ただ、この日は快晴で、しかも紅葉がだいぶ見頃になってきました。モミジ。まだ紅葉していないモミジと紅葉したらモミジが混在していました。考えてみると、日本語では「モミジ」は紅葉の代名詞なんですね。「もみじ」という発音は、樹種としてのモミジ(カエデ科)を指しますが、紅葉の訓読みも同じ読みになります。写真左手の建物で演奏しました。で、この宇宙館で演奏しました。コロナもあり、中には客席は10席あまりしかありませんが、この晴天だし、窓は全開で演奏したので、外では数十人が聞いていました。サンポーニャは高音管の音が低めなので、いつも米粒を入れて調律しています。つまり、一度調律したら逆さにできないので、こうやって吊しています。ケーナ3本、サンカ(大型のサンポーニャ)、フルート。先ほどのマルタ(標準サイズのサンポーニャ)とあわせて、この日使った笛類のすべてです。クラシックギター。ボンボ。バンドネオンだけ撮影し忘れました!なのでバンドネオンは前回練習時の写真。
2020.11.17
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ティエラ・クリオージャ演奏のお知らせ本日11月15日(日)演奏します。中野区哲学堂公園にて。西武新宿線新井薬師駅、都営大江戸線落合南長崎駅より徒歩15分。午後1時/2時半 演奏 ティエラ・クリオージャ※メンバー1人欠、チャランゴなしの演奏です。ところで、話は違いますが、一昨日朝、普通に起きて着替えて朝食を食べて検温、歯磨きして、さて出勤するかという直前、突如として右下腹部に謎の激痛、あまりの痛さに脂汗をかいて転げまわってしまいました。痛みは10分くらい続き、その間激痛とともに「練習欠席、本番も欠場」という状況が頭の中を駆け巡ったのですが、なぜか10分ほどで突然痛みが消えて出勤。一応職場から医者に行きましたが、その後は特に問題なく過ごしています。金曜の検査結果は昨日出まして、白血球の値が高いので何かはあったようですが、それ以外は血液検査検尿とも異常なし、でした。私としては、痛みの位置的に虫垂炎とドンピシャだと思ったのですが、医者は盲腸なら痛みが引くことはないので違う、ということです。まあ、問題なしということでよかったです。というわけで、昨日は別グループで練習し(動画を撮影しましたので、後日紹介します)、今日は演奏、大丈夫そうです。
2020.11.15
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先日、チリが生んだ偉大なフォルクロリス(フォルクローレ音楽家)、ビオレータ・パラの記事を書きました。ビオレータ・パラのことを書けば、ビクトル・ハラにも触れないわけにはいかないでしょう。チリが生んだもう一人の偉大な歌い手、悲劇の最期でも知られるビクトル・ハラは、1932年、チリ南部のチジャン近郊のサン・イグナシオという村で農民の子として生まれます。ビオレータ・パラも、チジャン近郊の生まれですから、二人は同郷ということになります(ビオレータの方が15歳年上)。やがて、10代で家族ともども首都サンティアゴに出たところも、ビオレータ・パラの経歴と似ています。彼がまず頭角を現したのは、音楽家としてではなく演劇人としてでした。10代でパントマイム劇団に入り、兵役の後チリ大学演劇学部に入学します。その後舞台俳優、演出家として名を成す一方で、20代でビオレータ・パラと知り合い、チリの民謡(フォルクローレ)にも傾倒していくようになります。彼は最後まで演劇と音楽の二足の草鞋を履き続けましたが、音楽家としての知名度が決定的に上がったのは、おそらく1969年、チリ・カトリック大学で開かれた「新しい歌」コンクールで優勝した時以降でしょう。「新しい歌」Nueva cancionは、隣国アルゼンチンで1960年代初めに提唱された歌を通じた社会変革運動です。先に紹介したビオレータ・パラが、チリにおけるその創始者だったと言ってよいでしょう。その動きがビオレータの死後更に大きなうねりとなり、コンクールまで開かれるようになった、その最初のの優勝者がビクトル・ハラだったわけです。ビクトル・ハラも代表曲と呼べる曲がいくつもありますが、そのなかで1曲だけを選べと言われたら、この時演奏した曲La Pregaria a un labrador(耕す者への祈り)を挙げます。バックコーラスは、これもチリの「新しい歌」を代表するグループであるキラパジュンです。なお、残念ながら1960年代のチリでステレオ録音の音楽がほとんどなく、ビオレータ・パラもそうですが、ビクトル・ハラもモノラル録音(それに白黒映像)しか残っていません。技術水準的には、当時のチリにステレオ録音の機材がなかったはずはないと思うのですが。ビクトル・ハラは、自分では「美声じゃない」と歌っているのですが、モノラル録音のせいで損をしている部分はあるけれど、結構声はいいと私は思います。ただ、私がビクトル・ハラの曲に心を揺さぶられるのは、歌声よりもコード進行。コード進行で人の琴線を揺さぶるということを心得ている曲が多いなと思います。Cuando voy al trabajo(仕事に向かうときに)ビクトル・ハラはチリ共産党員でした。その共産党を含む左派連合「人民連合」が推す社会党のサルバドル・アジェンデが大統領に当選したのは1970年のことです。しかし、その前後から右派勢力とそれを支援する米国による様々な圧迫、妨害工作によって、チリは騒乱状態に陥っていきます。1973年7月17日、隣国ペルーの首都リマでコンサートを開いている映像がYouTubeにあります。元々ビクトル・ハラは楽しい曲、コミカルな曲も数多く作っているのですが、この頃になると、アジェンデ政権の命運と自分自身の命運を重ね合わせたのか、悲壮な曲調の歌が多くなっていきます。奥さんのジョーン・ハラが書いた「ビクトル・ハラ終りなき歌」には、むかし図書館で借りて読んだ遠い記憶ですが、確か、この頃作っていた曲の歌詞を見て、ジョーンが「遺言を書いていると思った」というような記述があったように記憶しています。(まったく余談ですが、ジョーン・ハラはビクトルの5歳年上で×1のイギリス人舞踏家です)この映像から2か月も経たない9月11日、陸軍総司令官ピノチェトのクーデターによってアジェンデ政権は倒壊、左派文化人の代表格と見なされたビクトル・ハラも逮捕され、チリ・スタジアムに収容されていた9月16日、同じ場所に監禁されていた多くの市民を励まそうと、「人民連合」のキャンペーンソング「ベンセレーモス」を歌っていたところを射殺されて40歳の生涯を閉じます。あるいは、演劇家でもあるビクトル・ハラは、自分の死すらも、後世の人々という観客に対して、見事に演出しきった、という言い方もできるかもしれません。だから、ビクトル・ハラはそのあまりにも悲劇的な死によって、逆に多くの音楽家の心の中に生き続けることになりました。El derecho de vivir en paz 平和に生きる権利日本では、ソウル・フラワー・ユニオンがカバーしているので、ビクトル・ハラの曲の中ではこれが一番有名かもしれません。元々はベトナム戦争に対する反戦歌です。映像は、昨年10月、地下鉄など公共料金値上げに端を発した、「チリ史上最大規模」と言われるデモの際のものです。この大合唱は、何度見ても、私の心は熱くなってしまうのです。Manifiesto 宣言ビクトル・ハラの生前最後に作った曲の一つです。この演奏はチリとアルゼンチンの合作、両国のトップクラスの歌い手、日本で言えば紅白歌合戦に何回も出ているような人がずらりと並んでいます。民主党(日本の)が「マニフェスト」という言葉を使い始めたとき、個人的にはこの曲のことが頭にあって、「その言葉はあまり安易に使ってほしくないなあ」「汚すようなことにはならないでほしいな」と思った記憶があります。一般名詞ですから、そんなことを言っても仕方がないんですけど。Vientos del pueblo 民衆の風スペインの詩人ミゲル・エルナンデスの詩に曲を付けたもの。ミゲル・エルナンデスはスペイン内戦時、共和派を支持し、フランコが勝利した後も国外亡命しなかったため逮捕され、死刑は免れたものの、監獄の劣悪な環境の中で1942年に31歳で獄死しました。これも「宣言」と同じくビクトル・ハラ生前最後に製作したアルバムに収められた曲です。演奏は「インティ・イジマニ」。個人的には私がビクトル・ハラの曲で一番最初に参ってしまったのが、この曲のこのグループのアレンジなのです。ジョーン・ハラが「遺言を書いている」と記したのは、先の「宣言」かこの曲のどちらかだったと思います。どちらも悲壮な覚悟を感じざるを得ない歌詞です。クーデターの際に殺された著名な音楽家はビクトル・ハラだけですが、先に紹介したビオレータ・パラの息子アンヘル・パラは逮捕されて強制収容所に放り込まれ、拷問で精神に変調をきたした状態で釈放されて国外追放されています。その姉のイサベル・パラ、先に紹介したキラパジュンとインティ・イジマニ、更にイジャプなど、亡命を余儀なくされた音楽家は数多くいます。その話は、またそのうちに機会があれば。
2020.10.17
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先日、うちの子が17歳になったので、この曲を思い出してしまいました。"Volver a los 17" 「17歳に戻れたら」。歌はアルゼンチンとブラジルのそれぞれトップクラスの歌い手であるメルセデス・ソーサとミルトン・ナシメント。作者は、チリの偉大なフォルクロリス(フォルクローレ音楽家)ビオレータ・パラです。その最後のアルバムとなった、その名も「Las últimas composiciones(最後のアルバム)」に収録されている曲です。このレコードの発表は1966年11月、その3か月後に彼女は、自ら命を絶ってしまいます。ビオレータ・パラは1917年10月、チリ南部の町チジャン近くで生まれ、ほどなくチジャンに移ったようです。手元にあるビオレータ・パラの伝記「歌っておくれ、ビオレッタ-証言で綴るチリ・フォルクローレ歌手の生涯」(神泉社)によれば(同書には、おそらく証言者の記憶の曖昧さから、エピソードの日時があまり記載されていませんが)、ビオレータの父親は教員だったものの、彼女が幼い頃に政治的弾圧で職を追われ、その後は働かずに酒を飲んでギターを弾くばかりの生活で、数年後におそらく結核で亡くなっています。一家は極貧生活で、家族ぐるみで地元のサーカスに加入、ビオレータはそこで歌を披露したのが、音楽家としての経歴の始まりだったようです。ビオレータ・パラの17歳は1934年から5年にかけてということになりますが、その少し前に、大学生となって学生寮に入っていた一家の長男ニカノール・パラを頼って首都サンティアゴに出たようです。ニカノールは大学を出て教員となり、後年には詩人として名を成します。(余談ですが、彼は南米で最古の歴史があるチリ大学を出ています。この時代にそんな家庭環境からチリ大学に入るのだから、とてつもなく優秀な人物だったのでしょう)しかし妹ビオレータは、学業を放棄してしまい、姉イルダと二人で酒場で歌うドサ周り生活で生計を立てます。彼女は、南北に細長いチリ全土のドサ周り生活を通じて、膨大なチリの民謡を体得していき、やがてチリ・フォルクローレの生き字引となっていきます。しかし、その一方でビオレータの生涯は、後年、名を知られるようになってからも、とにかく「貧困」の二文字がずっとついて回る生活でした。本書のエピソードからも、とにかく気性のすさまじく激しい女性で、最初に読んだ時には「激しい人だな」としか分かりませんでしたが、今になって改めて考えてみると、どう見てもサイコパス、境界性人格障害か、それに類する精神疾患があったのだと思います。とにかく、溢れるばかりの才能と、おおよそ常識とはかけ離れた行動が同居していた人です。そのこともまた、貧困生活の一因となってしまったのでしょう。歴史に残る彼女の曲の多くは、「17歳に戻れたら」を含めて、前述の「最後のアルバム」に収録されています。ルンルンは北へ去った Run run se fue pa'l norte「ルンルン」とは、彼女の自殺の大きな原因となったと言われるスイス出身のケーナ奏者ヒルベルト・ファブレのこととされます。一時期同棲関係にありましたが、結局関係は破綻し、ファブレはチリの北隣、ボリビアに移り、ビオレータも彼を追ってボリビアに行ったものの、結局関係を取り戻すことはできなかったようです。天使のリン Rin del angelito「リン」というのはチリの民謡の一形式ですが、これは死んでしまったわが子をしのんで作った曲です。ただし、死んでしまったわが子というのは、実はまだ乳飲み子の時に、彼女に海外公演の話が舞い込んできて、それに舞い上がった彼女は、子どもを夫に押し付けて公演に行ってしまったのです。そして帰国したら子どもは亡くなっていた。今なら立派に幼児虐待です。そのことが原因でその夫とは離婚しています。人生よありがとう Gracias a la vida多分、ビオレータの代表曲を1曲挙げろと言われれば、この曲しかないだろうと思います。歌はやはりメルセデス・ソーサです。ではビオレータ・パラ自身の歌声詩人たちのクエッカ Cueca de los poetasクエッカは、以前にも紹介したことがありますが、ペルーのサマクエッカ(現在はマリネーラと呼ばれる)がボリビア、アルゼンチン、チリに伝播したもので、チリの国民的舞踊ともいわれます。そして、このレコードジャケットで彼女が手にしている楽器こそがチャランゴです。今でこそチャランゴはチリでも非常に一般的な楽器となっていますが、元々チャランゴはボリビアの楽器であり、ボリビアとチリは歴史的に関係がよくない(現在も正式な国交関係がない)ため、1960年代当時はチリではほとんど知られておらず、ビオレータがチャランゴをチリに紹介した、最初期の人物にあたるようです。オマケです。彼女の自殺の原因となったと言われるスイス出身のケーナ奏者ヒルベルト・ファブレ(フランス語圏出身なので、本来の読みは違うはずです、ジルベルト・ファーブルでしょうか)は、ボリビアに渡ったのち、現在ボリビア・フォルクローレの始祖と言われるグループ「ロス・ハイラス」のケーナ奏者として活躍しました。追いはぎのよそ者 Gringo bandoreroケーナ、ヒルベルト・ファブレ、ギター、アルフレド・ドミンゲス、歌エドガル・ヤヨ・ホフレ、そしてチャランゴが「チャランゴの神様」ことエルネスト・カブールもう一つおまけで、ビオレータ・パラの生涯は映画化されているようです。知りませんでした。未見です。Violeta se fue a los Cielos「ビオレータは天に去っていった」
2020.10.10
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8月に、多重録音で動画を撮影したので公開します。曲はボリビアのクエッカのメドレーで、El Regreso - Vuela a ti(帰還~あなたの元に飛んでいきたい)です。超苦手なチャランゴを超久しぶりに弾きました。遊びではなくちゃんと弾くのは多分9年ぶり。個人的に、クエッカが一番きれいに聞こえる調だと思っているF/Dmで吹きました。しかし、ギターはセーハセーハでキツイ。El Regresoは、このキーでよく弾くので良いのですが、Vuela a tiは一度もF/Dmで弾いたことがない。B♭C7FGmB♭C7FGmB♭・・・・・、何度も間違えて撮り直して、指が吊るかと思いました。チャランゴに至っては、推して知るべし。ただ、チャランゴだとFとGmがセーハじゃないので、握力的には少し楽なんですけど。なお、本動画は今日初めてアップロードしたものです。直近の過去にどこかで配信したものではない(諸事情によりそういうことにしています)のでお含みおきください。余談ですが、同時期にアップロードされた動画で最高傑作がありました。それがこちらです。演奏:NARIKAWASY con TETSUROKUMPI私も一人で多重録音しましたが、私のレベルをはるかに超越する、多重録音の最高傑作です。傑作すぎて、笑いが止まりません。何がすごいって、もちろん各楽器全てすごいのですが、そこは絶対にまねできないとまでは思いませんが、これだけは絶対に真似できないと思うのが女踊りです。これだけは、私にはできない・・・・・。もちろん、演奏の腕前が素晴らしいことは言うまでもありません。3年ほど前に、キラ・ウィルカとカンチャ・ニャンのジョイントライブの際、私は骨折、チャランゴ奏者がインフルエンザというピンチに陥ったことがあります。結局私は頑張って座った状態で笛を吹いたのですが、さすがにインフルエンザのチャランゴ奏者はどうにもならず、急遽、「カンチャ・ニャン」のギタリストであった彼に助っ人をお願いしたところ、当日1回リハーサルしただけで、8曲全部伴奏してくれちゃったのです。ところで話はまったく分かり、上記動画とは関係のない話になりますが、以前より告知していました、「オンライン・コスキン」昨日無事終了しました。朝10時前から夜9時過ぎまでの長丁場、事務局はいろいろ大変だったと思います。飯田利夫さんをはじめとして司会陣の皆様お疲れさまでした。YOSHIOさんが司会者として登場した時にはびっくりしましたが。飯田さん、御年80歳を過ぎて、まだまだお元気で何よりでした。漏れ聞くところによりますと、今回の「オンライン・コスキン」は、著作権使用料をめぐってJASRACからかなり厳しい要求があったそうです。「その曲を配信するなら著作権使用料1曲10万円」と言われて、曲目変更を余儀なくされたグループもあったと(曲目変更を余儀なくされたグループの当事者から聞いた話です)。いやー、1曲10万円って、いったいどういう計算でそういう金額が出てくるんだか。関係者によると、JASRACそのものではなく、そこから管理を委託されている業者がそういうことを言ったらしいのですが、いずれにしても、JASRACあるいはその周囲の事業者にとっての「守るべき音楽文化」ってのは、JASRACの金づるになる音楽文化でしかないのだろうな、と。金づるにならない音楽文化は根絶やしにしてもなんとも思わないんだろうな、と。そう思えてしまいます。
2020.09.21
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福島県川俣町で毎年開催されている、日本最大のフォルクローレ・フェスティバル「コスキン・エン・ハポン」。東日本大震災の起きた2011年も開催されましたが、昨年は台風19号のために中止を余儀なくされました。そして今年も、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ステージでの演奏は中止となってしまいました。が、それに代わり、日本全国から各グループが動画によって出演する「オンライン・コスキン」が開催されます。9月20日(日)9時45分から、演奏は10時からおよそ130グループ、各5分間で、午後9時25分終了予定となっています。ちなみに、私は「ひとり多重楽団El Bosque」として午後1時45分から配信の予定なっています。ただ、コスキン・エン・ハポンの実ステージでの演奏は、ほとんどの場合タイムスケジュールより遅れるものですが、今回のオンライン・コスキンの場合は、このタイムスケジュールより早く進行するかもしれません。なお、私は当日川俣で行われる場合には出場する予定はなかったのですが、オンラインになったため自分で川俣まで行く必要がなくなったため、急遽出場することになりました。ただ、締め切りまでに他のメンバーの意向を確認できなかったので、グループではなく私ひとりで演奏しました。(多重録音)なお、この配信は当日1回のみで、アーカイブで後から見ることはできないとのことです。自分自身の演奏は、当然自分で動画を所持しているので、それを後日公開することはあるかもしれません。ただ、もし公開したとしても、諸般の事情により「コスキンで配信した動画」と分かるようには公開しませんので、悪しからずご了承ください。オンライン・コスキンのURLはこちらです。https://www.youtube.com/channel/UCatAiuk48GXmtyIq96geGWQ
2020.09.13
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明日7月19日(日)に演奏します。会場 中野区哲学堂公園内宇宙館時間 午前11時/午後2時入場無料、事前予約等不要。ただし、リンク先の注意をよくお読みの上ご来場ください。詳細は哲学堂公園公式ホームページの案内をご覧ください。(リンク先の演奏写真は「絶対城」でのもので今回演奏する「宇宙館」とは別の建物です)こういう情勢なので、当日まで本当に演奏できるかどうか分かりませんが、前日の時点で開催予定とのことなので、多分大丈夫でしょう・・・・。
2020.07.18
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日本文化の危機、三味線の最大手「東京和楽器」が廃業へ 需要激減にコロナが追い打ち 三味線の最大手メーカー「東京和楽器」(東京都八王子市)が8月に廃業することになった。近年の需要の低迷や消費税率引き上げに加え、新型コロナウイルスの影響が追い打ちをかけた。創業135年、邦楽界を支えてきた老舗の幕引きに、業界では激震が走っている。「断腸の思い。4、5月は注文がゼロ。もともと大変だったが、これをきっかけに廃業を決めました」と話す代表。135台の機械がそろう作業場では、職人たちが胴となる木材を削るなどの工程を黙々と行っていた。高い技術でプロや愛好家、小売業者から信頼され続けてきた。全国邦楽器組合連合会の調べでは、三味線の国内製造数は、1970年には1万4千5百丁だったが減り続け、2017年には1200丁となった。同社でも10年以上前は年間800丁ほど製造してきたが、最近は400~500丁に減少していた。そこへ昨年10月の消費税率引き上げ、今年のコロナ禍も影を落とした。舞台公演や演奏会などは中止となり、修理や新調などの三味線需要もぱったり止まった。後継者のめども立たず、廃業の意思を固めた。専門誌「邦楽ジャーナル」編集長は「ものすごく大きな事件。1社の廃業でなく、日本文化の危機。修理に時間がかかるなど、いろいろなところに影響が出ると思う。文化に対する国の予算も先進国では最低。東京和楽器の職人は国の宝と考えるべきだ」と懸念する。 ---現在、和楽器の世界に限らず日本中、いや世界中で音楽を生業としている人たちは生活の糧を奪われて大変苦しい状態に置かれており、その限りでは和楽器だけが特殊ではないものの、引用記事を見る限り、和楽器の世界はすでに新型コロナ以前から破滅的な状態に陥っており、新型コロナは最後の一押しに過ぎないように思えます。まさか、三味線の年間生産数が1200丁なんて、そこまで減っているとは思いませんでした。全国邦楽器組合連合会にすべての三味線製作者が加入しているのか、三味線の範囲はどこまでか、といったところを考慮する必要はありそうです。具体的に言えば、おそらく沖縄の三線は三味線には含まれないでしょうから、三線を含めれば、年間生産数1200丁ということはないように思います。とは言え、邦楽(和楽器)の世界が、おそらく沖縄以外では存続の危機に瀕していることは間違いないのでしょう。そう言えば、沖縄に行ったのは昨年春が初めてだったにも関わらず、我が家にはその前から三線は、あります。でも、三味線は我が家にはない。尺八は、塩ビ管製のものを人からもらって1本持っています。でも、ケーナは50本くらい、サンポーニャだって大小あわせて7~8組あるのに、尺八はその1本だけです。この、音楽大好き人間の私にしてそうなのだから、推して知るべきでしょう。真剣に思うのは、「フォルクローレ」は日本では超マイナーな、奏者も少ない音楽と思っていたけれど、ひょっとすると沖縄を除いた和楽器人口(三味線、琴、尺八)は、もう日本のフォルクローレ人口に匹敵するくらいの規模しかないのかもしれません。もっとも、篠笛と和太鼓は、フォルクローレよりは人口が多そうに思いますが。何でそんなに和楽器が流行らなくなったのか、昔、ある知人が「名取り家元制度のせいだ」と言っていたことがあります。確かに、「××流」の流派に弟子入りして、高額の楽器を買い高額の謝礼を払わないとその世界で相手にされない、となると、なかなか裾野は広がらないだろうな、という気はします。もっとも、今でもそういう体制が強固に続いているのかどうかは知りませんが、気軽に始めてみよう、という間口の広さがないことは確かでしょう。もっとも、尺八などは、私は何とか音が出せますが※、フルートやケーナの経験がないフツーの人が吹いてすぐに音を出せる代物ではありません。虚無僧が演奏する「法器」として、あえて簡単に音が出ないように作ってある、と言います。(吹き口の切り口がケーナのように深く彫り込んであると吹きやすく、浅いと吹きにくいのです。尺八は非常に浅いうえに、肉厚が非常に厚いのでとても音を出しにくい楽器です)あれを完全独学で音を出すのは、なかなか困難かもしれません。※そう大口をたたいてみたものの、押し入れでほこりをかぶっていた塩ビ管尺八を久しぶりに吹いてみたら、音が全然でない。いまちょっとアルコールが入っているせいもあって、素面だったら音は出るはずですが(少なくとも以前は出ていた)、ケーナはアルコールが入っていてもまったく問題なく音が出るので、やはりケーナと同じにはいきません名取家元制が衰退の原因かどうかはともかく、残念ながら現在の多くの人にとって、和楽器による音楽は魅力的なものとは感じられていないというのが現実なのかなと思います。魅力的な音楽と多くの人が感じれば、いくら名取家元制があろとうと、その外側で勝手に見様見真似で始める人がいくらでもいそうです。そうなっていないのが現実ですから。そういう意味では、「東京和楽器の職人は国の宝と考えるべきだ」というコメントは、そのとおりではあるものの、その影響力が小さい、あまりに狭い世界での「国の宝」になってしまった、と言わざるを得ないように思います。音楽は、やっぱり理屈も大事だけど最後は感性です。どんなにすばらしい日本の伝統であっても、理屈ではなく、その音楽を「良い」と感じる人が一定数いなければ、なかなか将来の展望が開けてこないのでしょう。そういう意味では、沖縄は今でも伝統音楽が生きている世界、と思うけれど、その沖縄だって相対的に他の地域よりはまだマシということと、本土に一定の沖縄音楽ファンがいるから成り立っている、という部分はあるのかなという気はします。
2020.07.10
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フォルクローレファン以外は「誰?」でしょうけど、ボリビアを代表するケーナ奏者であり、楽器製作者でもあるアドリアン・ビジャヌエバが5月26日、滞在先のイギリスで亡くなったとの知らせがもたらされました。71歳でした。新型コロナウィルスに罹患していた、とのことです。ボリビアの伝説的グループ「ルミリャフタ」の創設メンバーであり、その後「カリャワヤ」のメンバーとして数回来日もしています。30年前、イギリスのBBCに出演したルミリャフタ(アドリアンは左から2人目)同じくルミリャフタの「イスカンワヤ」。メンバーの名前はクレジットされていませんが、このケーナの吹き方はアドリアンで間違いない。じつは、わが相棒が、このグループのファンで、コンサートを見るためだけに米国のワシントンDCまで行ってきた、というくらいの熱の入れようでした。まだ結婚する前の話ですけど。その後参加した「カリャワヤ」の演奏よりブエラ・コラソン(心よ空を舞え)そして、アドリアン製作のケーナが我が家に3本あります。遺品になってしまいました。黒いケーナは黒檀製(本物の黒檀ではないです。グラナディラか、なにか他の黒い木材)で、頭部管が分離式というものです。白い方はもっとレアかも。牛骨つなぎ合わせで、吹き口には銀のリングがはめられています。ずっしりと重い。茶色のは、種類は知りませんが木製です。私のものは茶色のケーナだけで、白と黒は私のではなく相棒のものですが、この太さと肉厚、とても相棒には吹けず、私が使っています。と言っても、どうも吹き方の癖の違いで私が吹くと音程が怪しいところがあるので、あまり使ったことはないですが。相棒の持っている2本はやや肉厚で、初心者が音を出すのはちょっと難しいかも。私の茶色いケーナは、3本の中では比較的肉厚が薄く、この中では比較的音が出しやすそうです。茶色のケーナは、一昨年、福岡さんが亡くなった少しあとに臨時営業した「アンデスの家ボリビア」で購入したものです。購入したケーナがアドリアン製作であったことは、まったく覚えていませんでしたが、よーく見ると、うっすらと小さく、「Adrian V. La Paz Bolivia」と掘り込みされていました。この笛は、自分で選んだだけあって私が吹いても音程はそんなに怪しくありません頭部管分離式のケーナ。我が家にある50本以上のケーナの中で、こんな仕組みはこの1本だけです。ボリビアのケーナ奏者の多くは笛製作者でもありますが、アドリアンが特異なのは、笛だけではなくチャランゴの制作者でもあることです。アドリアンの製作したチャランゴは持っていませんが・・・・・。ともかくご冥福をお祈りしたいと思います。
2020.05.28
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実は、フェイスブックで友達に「ぜひやってほしい」とお願いされた曲があるので、やってみました。が、実は結構難しかった。ギターが下手なのはいつものことですが、ギター抜きでは演奏にならないので、下手は目を瞑ってください。しかし、チャランゴに関しては弾いている自分が「これは使い物にならん」とあきらめました。なのでチャランゴは抜きです。曲はTiticaca チチカカ、有名なアンデスの湖の名前から取られています。富士山より高い海抜3800mに、琵琶湖の10倍の広さの面積8000平方キロ(最大水深も琵琶湖の2.5倍)という巨大な湖のだから、世界は広いのです。サンポーニャは前半を二人一組で掛け合いで吹くコンテスタード奏法、後半を普通に一人で吹く奏法での二重奏にしました。「普通に一人で吹く」と書きましたが、実はサンポーニャ(シーク)の奏法としては本来はコンテスタード奏法が「普通」であり、一人で吹くのは「普通ではない」奏法です。サンポーニャという楽器はいわゆるパンフルート(パンパイプ)一種類です。世界各地に同じ仕組みの笛があります(ルーマニアのナイが有名。また仕組み上はパイプオルガンもパンパイプの一種です。もはや人間の息によってではなく機械の力で風をパイプに送っていますが)。ただし、アンデスの「サンポーニャ」は、管を「ドミソ」の列と「レファラ」の列の2列に分けて、元々はそれを二人の奏者が持って、掛け合いで吹いていたのです。それを一人の奏者が重ねともって吹く奏法が発明されたのは1960年代のことで、まだ50年くらいの歴史しかありません。サンカ(一般サイズより1オクターブ低いサンポーニャ)。2列になっているのが分かりやすいマルタ(一般サイズのサンポーニャ。右側は半音だけを集めた「半音管」。これをつけると3列になりますが、つけるとちょっと吹きにくいので、私は半音を吹かなければならない曲以外は外しています)2列をバラしたところ二人一組で吹くのは、一見すると曲芸のようで難易度が高そうに思えますが、実際にはアンデスの伝統的な曲調なら、一人で吹くよりこちらの奏法の方がはるかに吹きやすいのです。だから、現在でも、商業音楽としてのいわゆるフォルクローレ以外の分野では、コンテスタード奏法の方が主流と思われます。ただし、二人で呼吸を合わせて吹けば思ったよりずっと簡単ですが、一人でやるのは難易度高いです、というか、これを一人でやろうとする人は普通はいませんが。何しろ、暗号を二つ重ねるとメロディになる、という仕掛けなので、バラバラにしたら訳の分からない暗号です。相手の奏者と呼吸を合わせるのが絶対条件なのに、呼吸を合わせる相手がいないのではどうにもなりません。実は、今回の録音も、最初に一人で吹いた完全メロディーを録音して、それを聞きながら吹いています。そうでなかったら、こんな「暗号」はとても吹けません。しかし、そろそろひとり多重録音ではなく、仲間と一緒に演奏したいなー。
2020.05.16
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新型コロナ騒動のため、今年は1月18日に「キラ・ウィルカ」で演奏し、2月24日に「ティエラ・クリオージャ」で練習し、それ以降練習の予定は(本番演奏は言うまでもなく)まったく立っておりません。個人練習はやっているのですが、合奏がまったくできない。なので、久しぶりに自宅で多重録音してみました。※5月9日追記 動画を入れ替えました。1曲目の「巡礼」はギターのコードを間違えていた部分だけを切り貼りで正しい音に直しましたが、多分注意深く聞けばどこで切り貼りしたかはわかるでしょう・・・・・。ギターは1年くらいまったく触っておらず、やっと1か月ほど前から再開した段階です。なのでリズムが不安定で演奏のレベルは高いとは言えないのはご容赦ください。騒動のあおりで、マンドリンをティエラ・クリオージャのメンバーに預け、ボンボ(太鼓)をキラ・ウィルカのメンバーに預けたまま、回収できない状態になっています。どちらも次の練習まで預かってもらうはずだったのですが、それっきり次の練習どころじゃない状態になってしまったので。どうせボンボは家の中では叩けないしねえ。La Peregrinacion 「巡礼」 アルゼンチンを代表する作曲家、アリエル・ラミレス(1921年-2010年)の1964年の作品。アルゼンチンではクリスマスソングの定番なので、この時期はやや季節外れですが。America Novia Mia 「わが恋人アメリカ大陸」 チリのグループinti-illimaniの代表曲の一つ。上記の「巡礼」もそうですが、この曲も20年前によく演奏していました。余談ですが、スペイン語では「アメリカ」はアメリカ合衆国のことではなく、広義には南北アメリカ全体を、狭義にはむしろラテンアメリカを指します。なので、ここで言う「アメリカ」はもちろんアメリカ合衆国の意味ではありません。ともかく、こんな手段でしか合奏ができない状態は早く何とかなってほしいものです。
2020.05.05
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「ミュージシャンの政治的な発言は聞きたくない」は「現実が見えてなさすぎ」 ネット論争に反響広がる「ミュージシャンの政治的な発言は聞きたくない」ーー。新型コロナウイルス感染拡大の影響が広がる中、こうした声が自身のツイッターに寄せられたシンガーソングライターの七尾旅人さんは「現実が見えてなさすぎ」と持論を示した。七尾さんは新型コロナウイルスの影響が社会に広がる中で、ライブハウス業界の厳しい現実や日本政府の政策に対する批判をツイッターで発信してきた。そうした中、ユーザーから七尾さん宛てに「政治的な発言は聞きたくない」という内容のリプライが送られたことを受け、「つーか、おれ普通に失業者だし、コロナが収束しても次ギャラが振り込まれるの秋だよ」と自身が経済的な影響を受けていることを明かした。それでも自身は「生き延びる自信がある」とした上で、「散々お世話になったライブハウス等はもう1秒の猶予もなく危機的状態です。ランニングコストが違うから」とライブハウスの窮状を訴えた。続くツイートでは、「音楽は好きだったのに政治的発言が...と言ってくる人はこれまでもたくさん居たけど、今の状況でミュージシャンたちにそれを言う人は、現実が見えてなさすぎ」と持論を示した。---以前から、「音楽に政治を持ち込むな」みたいな愚論を叫ぶ連中はいて、それを批判する記事を書いたこともあります。音楽に政治を持ち込むな、という政治的主張この時の記事でも書きましたが、日本でもっとも政治的な歌と言えば、「君が代」をおいてほかにありません。何しろ「天皇制は千代に八千代に苔のむすまで続け」という歌ですから、これほど天皇制擁護という明白な政治的主張を持った歌は、そう多くはない。ところが、「音楽に政治を持ち込むな」と叫んでいる連中で、「君が代は政治的な歌だから反対」なんて意見は見たことがありません。つまり、音楽に政治を持ち込むな、というのは単なる表向きのタテマエで、実際は音楽に(左派的、リベラル的、反政府的、反アベ的等々安倍盲従分子にとって)自分の気に食わない政治的主張を持ち込むな、逆に、自分にとって都合の良い政治的主張なら、どんどん音楽にとりこんで大歓迎、ということに過ぎないわけです。そして、今もなお、「音楽に政治を持ち込むな」と馬鹿を叫ぶ輩がいる。引用記事の七尾旅人がすべてを言い尽くしていますけど、音楽家はみんなほとんど無収入の状態に追い込まれているのが現状です。多分、私の知り合いの音楽家などは、超マイナーなジャンルだけに、メジャーな畑で活動している人よりもっと厳しい状況に追い込まれているのに、政治に対して何の不満も言うな、というのです。音楽という枠を離れて世間一般に対しても、政治に不満を言うな、一致団結しろ、みたいなことを叫ぶ人たちがいます。世界大恐慌並みの経済危機、それに対する30万円の給付金の迷走、カビたり虫が混入した布マスク配布(我が家に送付された分は大丈夫でしたが)、首相が「外出自粛を」と言っているそばから、明らかに「3密」な外出を繰り返している首相夫人※・・・・・、あらゆるところに、現政権の破綻状態があらわになっているように、私には見えます。そんな状況に対して、政治に対する不満が噴出したからこそ、制限なしの一律10万円給付という、ベストではないにしても、はるかにマシな給付金が実現したのです。誰も不平を言っていなかったら、あの訳の分からない30万円給付金のままだったんですよ。※私自身も外出自粛はしていない(ただし、3密は避けています)ので、私個人としては、首相夫人の外出それ自体は非難しません。しかし、夫が「外出するな」と全国民に指示している立場であること、いかに否定しても、その外出が明らかに「3密」であることを考えると、知名度、立場を考えない、あまりに無思慮な行動と言わざるを得ないでしょうカビた布マスクだろうが、もらえない給付金だろうが、首相の指示と正反対のことをやっている首相夫人だろうが、一切文句はない、不平は言わないというなら、そうすりゃいいのです。日本がどうなろうが黙っていればいいでしょう。しかし、黙っていたくない人が発言するのもまた、当然の話。それに対して、「この主張のここが間違っている」という批判ならまだしも、「政治的発言は聞きたくない」では、話にもなりゃしません。「聞きたくなけりゃ耳ふさいでろよ」としか言いようがありません。聞きたい人の邪魔をするな、と。
2020.04.25
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安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析 星野源さんの「うちで踊ろう」を安倍総理が利用した件について、タイムラインで様々な意見が出ました。私はセミプロのジャズ・ピアニスト/作曲家で本業も音楽に関わる仕事です。周囲のアーティストが、怒りをあらわにしており、私自身も、大きな怒りを覚えました。この動画を批判している人たちについて、3種類の人たちがいます。私達音楽家が感じている不快感は、1,2とは異なります。1.安倍さんが嫌いな方々2.家にいたくてもいることのできない方々3.音楽家私たちが怒っているのは、首相の音楽文化への無理解とリスペクトのなさです。星野源さんの動画が公開された時、多くの箱(イベント会場)のライブやイベントが中止になり、音楽家は仕事がなくなりました。政府からは支援も温かいメッセージもなく、冷たくあしらわれました。動画のメッセージには「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」とあります。この動画は音楽を愛し、表現を行う目的での二次利用を許諾するものだったということです。星野源さんの動画は、セッションコラボ利用に限って二次利用が許可されたもので、それ以外の用途での利用は「目的外使用」になります。安倍総理は星野源さんの動画を、セッション目的ではなく、自分が伝えたいメッセージの一部として使用しており、無断使用と同等です。このTweetには、コラボ用タグも、元のTweetの引用も"星野源"の字もありません。こういった引用は、他人のコンテンツを使用する場合に行うのは最低限の礼儀です。しかも、コロナ対策の初期に、音楽家や箱を見捨てる判断を国がしたという背景があります。「うちで踊ろう」は、当初国から見放され、ライブもなくなった音楽家のために、一緒にセッションしましょう、コラボしましょう、という意図で盛り上がってきました。政府は音楽文化を軽視するアクションを取ってきたのに、成果だけは利用しています。総理がフリーライダー、これは本当に絶望です。(要旨)---正直なところ、私は引用記事が書く「1.安倍さんが嫌いな方々」の一員でもあります。だから、安倍に対して私が腹を立てるのは、ここに書かれていること「だけ」ではありません。※もっとも、騒動の当初は、「星野源が」安倍とコラボした、あるいはコラボを許諾したと勘違いして、星野源を安倍の手先かと非難するような意見もあったと聞きます。それは全くの見当違いもいいところであり、筆者があえてこのように書いたのも、そのような経緯を踏まえてのことかもしれません。しかし、私は安倍が大っっっっ嫌いな人間であると同時に、ご存じのとおりフォルクローレという音楽を人一倍愛してやまぬ人間なので、ここに書かれていることは非常にもっともだ、と感じます。私の周囲にも、多くのプロの音楽家がいます。現在、その全員がほぼ無収入です。3月半ば頃までは、ライブやコンサートが次々と自粛に追い込まれながらも、まだ「自粛せず」で頑張っていた人はいました。しかし、3月末以降は、そういった演奏活動、楽器教室、個人レッスンなども、私の知る範囲ではすべて中止に追い込まれています。とりわけ、音楽の性質上、管楽器と歌は、感染防止とはいささか相反するものです。合唱サークルが、いわゆる「クラスタ」(拡大源)になった事例も報道されていたように思います。知人で、スペインで活動していた、あるいはペルーに長期滞在していて、文字どおり「命からがら」日本に帰ってきた人もいます。国内の音楽関係に限定すれば、このような異常事態に至ってから2ヶ月も経っていませんから、まだ生活が破綻してしまった音楽家は、私の周囲にはいません。でも、時間の問題と思います。この状況が半年も続けば、破綻する音楽家はゾロゾロ現れるでしょうし、1年2年と続けば、持ちこたえられる人の方が少ないでしょう。以前に「このままいけばリーマンショック級」と書いたことがありますが、現状、その認識はまだ甘かったと言うべきかもしれません。外出すれば否応なく痛感しますが、もうリーマンショックを越える事態になっています。そんな中、音楽家、音楽業界は真っ先に見捨てながら、見捨てた当事者が、当然に払うべき敬意、払うべき対価、踏まえるべき礼儀を一切無視して音楽家を利用だけするんだから、腹を立てるのも当然と言うしかないでしょう。加えて、筆者の言う1と2の視点も、無視できないものであることも言うまでもありません。私自身もまた、安倍大嫌いっっっっ嫌い、音楽を愛するに加え、現在も平日は毎日出勤している立場でもあります。職場では遅蒔きながら在宅ワークという話も出てきていますが、条件整備がなされていないので、そうなったら地獄を見ることが分かりきっています。もっとも、私など、このご時世に仕事があって収入が保証されているだけ恵まれているかもしれません。2の正反対で「仕事を失い、余儀なく家にいるしかない、収入はない」(音楽家もその一員ですが、それ以外にも大勢いる)という人にとっても、この動画は気分の良いものではないでしょう。にもかかわらず、このような動画に「いいね」を押したバカが35万人もいるそうで、しかも、官房長官が、そんなバカが日本に35万人もいることを恥じるどころか、誇って見せているのだから、世も末と言うしかありません。
2020.04.14
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非常に時間がたってしまいましたが、昨年11月23日に中野区の哲学堂公園で演奏した動画を1曲公開しました。曲はLibertangoケーナもサンポーニャもチャランゴも出てこない曲ですが。本当は、フルートにとっては(ケーナでも)難曲ですが、半音だらけの難しいところはバンドネオンにお任せで(笑)それなのにトチっているのは何故?フルートも気が付けば演奏を始めて13年の年月が経つのですが、それでもケーナを手にしてまもなく34年の私にとっては、ケーナほどには自由が利きません。もっとも、3オクターブの出しやすさだけは、フルートの方がはるかに上で、この点は楽器としての性能差を感じます。ケーナの3オクターブは、目いっぱいの息の量で、クラシック音楽の譜面で言うところのフォルテッシモでしか音が出ませんから。3オクターブを小さな音で吹けるフルートは、やっばりすごい。このリベルタンゴという曲、日本ではアルゼンチンタンゴの中でもかなり知られた曲です。フルートの独奏曲としても定番の一つのようです。ただ、実際はタンゴの世界の中では必ずしも代表曲というわけではありません。作者のアストル・ピアソラ自身、存命当時は主にタンゴ界の外側で世界的な高い評価を得ていたものの、タンゴの世界では、「伝統の破壊者」など、そりゃもうボロクソに批判されていたようです。それは、分からないことはないのは、この「リベルタンゴ」も、曲としては非常に素晴らしく、私も大好きな曲ではあるのですが、ただどう考えてもこの曲では踊れない。タンゴはあくまでも舞曲であり、踊りのための音楽である、という視点に立てば、楽曲としてどんなにすばらしくても、踊れないのではタンゴじゃない、ということになるでしょう。ただ、私が普段演奏しているフォルクローレも本来的に舞曲なのですが、やはり1970年代から80年代初頭にかけて(ボリビアとアルゼンチンでそれぞれ事情は相当異なるにしても)、次々と新しいスタイル、新しい感性の曲が生み出されて行きましたが、それを否定するような声はあまり聞かない気がします。そのあたりは、タンゴの世界の方がフォルクローレよりこだわりが強いのかもしれません。いずれにしても、それらフォルクローレの新しい流れにしてもリベルタンゴにしても、2020年の今となっては、40年以上も前の、十分に古典的名曲です。
2020.03.08
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