『犬の鼻先におなら』

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2007年08月29日
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意識下の“認識”構造そのものが違う。東洋と西洋の“世界観”の構造差を心理学的に検証。

 「文化によって意識上の世界観は違っても、 人間が世界を認識し、思考する構造は同じ 。物事を知覚し、記憶し、推論する構造は同じ筈だ。つまり、 同じ絵を見ているのなら 、米国人も日本人もインド人も、 脳裏には同じ“画像” が映じている筈だ。そして、『論理的に正しい文章』ならば、英語だろうと、日本語だろうと、ウルドゥー語だろうと正しい事に変わりはない。」

本当にそうなんでしょうか
「世界を認識し思考する仕方は一つ、世界共通」なんでしょうか

異を唱えている本 です。


 正直、序文でコケましたけどね。「東洋と西洋、そりゃ考え方、違うやろう」という日本人にはジョーシキの発想、平均的西洋人には驚きらしいです。その「驚き」にオドロキ。どうも本当に西洋人は西洋文明しか知らず、優劣でなく「違う」文明があるという事を知らないらしい。『西洋にあまりなじみのない日本の読者は、東アジアになじみのないアメリカ人読者と同じように、本書から多くの驚きと発見を得ることができるだろう』の一文に大コケ。どこに「西洋にあまりなじみのない日本人」がいるというのか。江戸時代か(-_-)。

 では、この本は日本人には読む価値のない本か、というと然に非ず。
 流石に日本人は「“意識”できる“思考”“発想”が東洋と西洋では違う」という事は知っている。でも、本書は「 “意識”下 の、つまり“思考”“発想”の 土台 である “認知”レベルで違う 」という事を主張しています。“無意識”のレベルで違うんですね。
 さらに(これが俗流の東西文化比較本と違い、価値のある所)、それを心理学的な 実験で 学術的に 証明 しているんです。


 でもその分、専門の心理学的実験に関した章では説得力倍増です。


 ばっと全体要約しちゃえば「 東洋人は『包括的』 思考、 西洋人は『分析的』 思考」という事です。東洋人の「包括的」思考とは、対象を見るに、 「場」全体 に注意を払い、他の「場」の要素との関係を重視する思考という事で、一方、西洋人の「分析的」思考とは、 対象そのものの属性
 だから題名が『木を見る西洋人 森を見る東洋人』なんです(^o^)。


 以下、オモロイと思った箇所のメモ書き。まぁ、参考ぐらいにはなるでしょう。


 社会の構造、人間観は各社会の人々の認知プロセスと合致しているという事。
 (p5)「アジア人社会は集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向」があり、これは「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向」や「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が関係している」と信じている事と合致している。
 一方西洋は「個人主義的で独立性を重んじる傾向」があり、「特定の事物を周囲の文脈から切り離して捉える」傾向を持ち「対象を支配する規則さえわかれば、その対象をコントロールできる」と信じている事と合致している。


 文化人類学者エドワード・H・ホールの提起した、「自己」理解の仕方の違い。「低コンテクスト社会」「高コンテクスト社会」の概念。
 (p64)西洋人--人は状況や人間関係に左右されない属性を持つと考える。自己とは周囲と切り離された不可侵の自由な主体であって、環境が変わっても著しく変化しない。
  東洋人--人は他者と繋がっており、変わりやすく、状況依存的である。純粋に周囲から独立した行動を取る事は大抵の場合不可能だし、実際の所望まれてもいない。

 デカルトの「cogito, ergo sum」の命題を知った時、皆さん妙な気がしませんでした?(最もデカルト自身はこんな事ラテン語では書いていないそうです)。「我思う、故に我あり」と訳がありましたよね。
 「僕」でも「私」でも「俺」でもなく、「我」を選択した段階で外的世界との関係が既に入り込んでいる(極端な場合、「朕」といったらその人は天皇陛下だ(^o^)。 
 誰も問題にせんかったのは、あちらさんでは通常、主語は一つしかないからなんですね(p66参照)。
 さて、どう捉えるか。こうした問題は西洋では“発生”しない、と捉えるべきか。不幸にも“気づけない”と捉えるべきか(「そういう言葉の違いは捨象(abstraction)しとるのだ」という答えはアカン。これ思考の本質だからね。言語を使わんと思考できんから。「直感だから」という答えもイカンです。「瞑想状態の悟り」の話(^o^)ではなく、言葉にしている(思考)、当にその点が問題なのだから)。


 欧米人は“個性的”は迷信。
 (p68)「 アメリカ人やカナダ人 の属性や好みについて調査すると、彼らは決まって、 他者と自分との違いを過度に強調 する。どんな質問に対しても、彼らは自分のことを 実際以上に個性的 だと答える。アジア人はこういう錯覚を起こしにくい。」
 「私ってとっても個性的」というのは、ありゃ見得ですね(^o^)。
 (p68)「アメリカ人が自分について好意的にコメントする傾向は日本人よりはるかに強い。アメリカ人とカナダ人に対して自己評価尺度を用いると(略)、こぞって自分が平均より上だと答える。」
 (p69)「 アジア の文化では、 自分は特別 だとか 非凡 な才能をもっているなどと 無理に考えなくてもよい のだろう。」
 当り(^O^)。でもこういう事って異文化の人に言われて初めて「あぁ、確かに日本って暮らしやすいよな」って気づくんですよね。


 (p74)「アジア人はたしかに、西洋人に比べて他者の気持ちや態度に敏感である。たとえば、ジェフリー・サンチェス=バークスと共同研究者たちは、雇用主が従業員に対して行なった評価の結果を韓国人とアメリカ人に見てもらった。その結果、韓国人はアメリカ人に比べて、雇用主が従業員に対してどんなことを感じているかをその評価から推測することに長けていた。アメリカ人は多くの場合、その評価をただ額面どおり受け取るだけだった。」


 無論、東洋、西洋、二分割にくっきり分かれるという事ではない。
 (p82)大学生を対象に行なった実験。2グループに分け、ある短文中から、片方は相互独立的な単語(「私」「私の」)を、もう一方は相互依存的な単語(「私たち」「私たちの」)をピックアップさせる。その後、あるストーリーを聞かせ、主人公が利己的であるかどうか判断させる。と、相互独立的なプライミングを受けていた学生は相互依存的なプライミングを受けていた学生に比べて、個人主義的な価値をより高く評価し、集団主義的な価値をより低く評価した。
 日常的に東洋人は相互協調的な、西洋人は相互独立的なプライミングを受けている為それぞれの違いが生ずる。生得的なものでもなければ、二分割できるというものでもないという事。


 本書の一番山場ともいうべき実験。
 (p105以降)著者の研究室の日本人学生、増田貴彦氏による実験。彼はアメフト観戦時の観客の、他の観客への全く無配慮な態度(米国人は後ろの観客に全く無頓着に立って観戦する)から、ある仮説を思いつく。
 「 アジア人は世界を広角レンズで見ているが、アメリカ人はトンネルのような視野しかもっていない 。」
 彼は非常にシンプルな実験を行なった。水中の様子(大小の魚、蛙、貝、石、水草等。中に特に大きく明るい色のすばやく動く魚が一匹いる)を描いた8種類のカラー・アニメーションを京都大学とミシガン大学の学生に20秒間2回ずつ見せたのである。
 次に、参加者に記憶を再生し、見たものを説明するよう求めた。
 回答は内容にに応じて、目立つ中心の魚、その他の生物、背景や無生物といった具合に分類された。

 結果。アメリカ人、日本人共に中心の魚についての回答数はほぼ同じ。しかし、水、石、泡、水草、動きの鈍い生き物といった 背景的要素 については 日本人 の回答数はアメリカ人より 6割も多かった 。加えて、日本人もアメリカ人も、活動的な生物と他のものとの関係についての回答数はほぼ同じだったのに対して、日本人は、 背景の無生物と他のものとの関係 についての回答がアメリカ人のおよそ 2倍 あった。
 特に印象的な事。 日本人 参加者はその 第一声で環境 について述べる事が多かったのに対し(「池のような所です」)、 アメリカ人 中心の魚から 話を始めることの方が3倍も多かった(「大きな魚がいて、それが左に向かって泳いでいます」)

 さらに実験。この報告の後、参加者は魚やその他の生物、無生物が描かれた96枚の静止画を見て、前に見たことがあるかないかを答えさせられた(記憶の「再認」)。半分は既出、半分は初見。さらにアニメと同じ環境に描かれたものと、見たことのない環境のなかに描かれた物があった。
日本人 の場合。それらが元の環境に描かれていた時の方が新しい環境に描かれていた時より、はるかに再認成績が良かった。魚も物も 環境と結び付け られて、そのままの形で記憶された為と考えられる。一方 アメリカ人 の場合は元の環境であろうと新しい環境であろうと全く関係なかった。魚も物も、 環境とは完全に切り離された形で知覚 されていた為と考えられる。

 もう一つの実験。(p109以降)
 仮説「 西洋人は東洋人に比べ、背景にある物の変化や、物同士の関係に気づきにくい。逆に、目立つ物の変化には早く気づく
 実験は以下の通り。増田氏と著者はコンピューターでカラーのショート・フィルムを2本作成し、日米の実験参加者に見せた。2つのフィルムは大体同じだが数箇所違う点があった。参加者の課題は何所が違うか答える事。
 予想通り、日本人参加者は米国人より2つのショート・フィルムに間の、背景の違いや関係の違いに気づく事が多かった。米国人の方は前面にある中心的な物の違いを指摘する事が多かった。


 当たり前だがどっちが優れているという話ではありません。
 p113「棒・枠組み検査」における東洋人と米国人の対照検査(箱の奥に棒があり箱枠の傾きと無関係に棒の傾きを調節できるようになっている。被験者は棒が垂直になった時点を判断するという物)において、 東洋人 の方が箱枠の傾きに影響されずに棒の位置を判断する事に より困難を感じた

 因みに性差は多くの場合文化差より小さいとの事(p116)。

(その2)に続きます。





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最終更新日  2007年08月29日 05時37分31秒
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