『犬の鼻先におなら』

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2012年09月09日
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 題名不適切。ユニークな神道家による「3.11東日本大震災以降の神道」。

 著者は大変ユニークな方です。なんと紹介して良いのか。宗教学者や、民俗学者、哲学者というので良いのでしょうか。神道家でしょうか(大学の先生でいいか)。
 ご自身では 「フリーランス神主」「神道ソングライター」 と名のっている事もあるそうです(CDまで出していた(驚)。竜笛の演奏家というのは知っていたけどね)

 本書の書名「現代神道論」も副題の「霊性と生態智の探究」も、若干不適切であると思います。
 主な内容は 「3.11東日本大震災後の日本を鎌田氏を始めとした神道家(宗教家)はどう見るか、どう活動しているか」 というものです。「3.11東日本大震災」が題名にも副題にも入っていないのはイカンのではないでしょうか。

 文章の口調は「論文」調なのかも知れませんが、内容は「論文」といった、何かの“論理”の展開が示されているというより、知見と活動の記録です。神道(宗教)を“内側”からを記述する試みというものでしょうか。“内側”からなので当然、文献がどうのこうのという話では全然ありません。
 所謂「論文」ではないので、すらすら読めます。

神道家の方々が被災地で活動している 、という話が興味深いですね。何故か、日本のマスコミは報道しません(しても、何故かキリスト教関係限定)。近接領域と思われる所謂「心のケア」の問題が比較的に取り上げられるのに比べると、残念な気がします。“心”となれば医療なのでしょうが、“魂”の問題もあるのではないでしょうか(“心”と“魂”。さて両者の違いは)。宗教家の使命も大きなものがある筈です(こちらも何故か医療方面からのタッチしか注目されない)。
 また、この未曾有の大災害を神道家としてどう位置づけるか、という話も興味深いです。世界観自体の変化という極めて大きな問題。


 著者はこれまで繰り返し「現代大中世論」という持論を展開してきたとの事。現代日本の情況を幕末に喩える人は多いのですが、中世とは(より大きなスパンで見ているというか)。日本の歴史は古代と近代、中世と現代が対応するのだそうです(古代の律令体制と近代の立憲君主制、等)。
 p63「日本中世には律令体制が大きく崩れ、『征夷大将軍』という令外の官が権力の中心になって二重権力構造が生まれるに至るが、戦後の現代日本もまた米国という別種の『世界の警察』を自称する『征夷大将軍』に制圧され守護された二重権力構造の中にあるといえるだろう日本国憲法第一条に規定された象徴天皇制は、そうした二重権力的な中世的ねじれと対応すると思われる。」
 ただの“お見立て”と言われそうですが、面白い着想だと思います。
 日本の中世と言えば保元平治の乱等で世は乱れ、武士が台頭してくるのですね。「末法の世」などとも言われておりました。地震等の天災、飢饉も起きました。


 p13「京都に住んで実感するのは、先が読めない天候だということ」
 著者に拠れば京都の天気はイギリスやアイルランドや北方ヨーロッパと似ているそうです。彼の地に住む人々(例えばゲーテ)が「光の国」イタリアに憧れていたのは有名。で、熊野の天候はイタリアに似ているのだとか。「京都に住んでいると、なぜ後白河法皇や後鳥羽上皇が三十回前後も熊野行幸したのかわかるような気がする。」


 p17「わたしは『神道』の真髄を誰にでもわかるように解き明かすとすれば、『むすんでひらいて』という童謡が適切であると以前より主張してきた。」「あるものとあるものとをむすぶ、そしてそのむすびからあるものごとをひらいていく、そして神前で拍手を打つように手を打って、またさらにそれらをむすびかため、またひらき、手を打って、天地神明に対し、手を上にして祈りの言葉を唱え、感謝と祈りの気持ちをあらわす。」


 p42「神仏習合とは神神習合の一分枝(ブランチ)である」
 「私は『神仏習合』という文化習合が練り上げられる遥か以前から、日本列島は四つの『プレート習合』の地で、そこに東西南北から四つの海流(黒潮、対馬海流、親潮、リマン海流)が流れてきて合流するという海流の十字路でもあり、そのプレートや海流の合流点に、さらにさまざまな『カミガミ』が合流してきて、そこに列島の『神神習合』の文化特性が出来てきたと考えている。」


 p44「『神』と『仏』の原理的差異を三点に分けて説明してみたい」
 「神は在るモノ/仏は成る者」「神は来るモノ/仏は往く者」「神は立つモノ/仏は座る者」
  解り易い。


 p55古事記と日本書紀「日本の神話と歴史を記述する同時代の書が二つもあること自体がダブルスタンダードであるが、この神話と歴史が相当異なっている点が奇怪である。(例えば冒頭神。古事記では天御中主神。日本書紀では国常立尊。しかも日本書紀には本文と異伝承が『一書に曰く』という形式で並列併記されている)このような『ダブルスタンダード』ならぬ 『マルチスタンダード』の記述様式 を国の最初の公式文書に置いたのが『八百万の神々』を伝え、生物多様性ならぬ『神仏多様性』を担保してきた日本という国柄なのである。」
世界中の神話を見ても、これほど奇妙な神話歴史書はまたとない 。一つの神話素にABCDなどのヴァリエーションがあると言うのをそのまま載せているのだから」
 「私はここに日本の習合思想の一つのあらわれを見る。」


 p84エコロジーの神を祀る「空気神社」。
 エコロジストの神道家によって(エコロジストでない神道家というのはありえるのか)、1988年に新しく「空気神社」という神社が創建された、という話が紹介されていました。
 場所は山形県西村山郡朝日町。1973年の村の寄り合いでの白川千代雄翁による問題提起がきっかけだったそうです(『空気ものがたり---『空気神社』を創った男達』に詳しいとの事)。
 ブナ林の中に建てられ、本殿は舞台のような形態で、五メートル四方のステンレス板が張られており、四方の四季折々の自然がそこに映し出されるそうです。風が吹けばブナの梢のそよぎが、夜になれば月や星がステンレスの鏡面に。また、本殿の祭壇は地下に納められていて、その前に十数個の甕が置かれ、風が吹くと共鳴するそうです。
 なお、この空気神社の参拝方法も独特。「ニ拝.四拍手.仰ぎ.一拝」だそうです(四拍手は四季に対してとか)。
 p86「 正面から戦争に反対する『戦争メモリアル』を作るよりも、わたしとしてはこのような『空気神社』の創建の事例の方が平和構築や戦争廃絶への身近で等身大の道のりだと思っている


 p129神社周辺の森林のナラ枯れの問題。聖地霊場の存続基盤の衰退。
  これはもっと神道家側からの積極的な発言が待たれる問題だと思います。 


 p158「浪分神社」の例(「浪分」=津波がここまで来たの意)。神社が防災ランドマークであった。先祖が残した津波という「場所の記憶」。
  日本中で行政サイドが地名を訳の判らんモノに変える流れがありますが、地名はその土地の“記憶”です。事にこうした大震災の記録は重要です。
  南方熊楠も述べていたと思いますが、神社とはその土地の歴史記念館でもある訳で、もっと産土神を祀っている神社、ひいては神道という“あり方”が注目されても良いと思います。

 p182倒れなかった霊石、御神石等の話。
  釣石神社の「釣石」(不安定そうな立ち上がった形の巨岩)等。別にこれは神秘と考える必要はないと思います。話は逆で、長い年月の間、倒れない場所にあったから御神木、御神石と祀られるようになったのでしょう(因みに「釣石」は無事なのですが、津波で入り口の茅の輪は折れまがり灯篭も崩れ落ちています)。
 「釣石神社の上まで駆け上がって命が助かった人がいるとの事だった」「この釣石は1978年の宮城県沖地震にも耐えた」「民間信仰というのは大変面白い。人々の素朴な願望や安心を得るための身近な回路になっている。それだけでなく、ランドマークになったり、災害時の緊急避難所となるなど、具体的で実用的な機能も果たしている。」
 p199(京都造形芸術大学教授の地球科学者、原田憲一氏の九州災害多発地域の地質研究の話)「災害多発地域にあっても神社が災害を免れていることが多い。ことを実証的に示している。神社に巨岩や巨木があることが多く、石神社や釣石神社の御神体がそうであるように、地震などでも崩れることのなく、長期的に安定した『杜』を維持してきているところが多い。ということは、そこが経験的に安定した地盤であり、その『鎮守の森』は生物多様性が保持されてきた生態学的センターであるために、いざという時の避難所にもなるということである。 『災害』に対する伝統文化の拠点としての神社が持つメッセージ性とランドマーク性と警告はもっと注意されていい点 であろう。」


 鎌田東二先生は60歳を越えられたそうですが、バク転が出来るそうです。で、何故か聖地霊山の中で三回バク転を。
 妙な人です。
鎌田東二先生オフィシャルサイト
オフィシャルサイトがあるんだ。





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最終更新日  2012年09月09日 05時43分12秒
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