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オバサン「もしもし?…加藤ですけれども」私「…はい。」オバサン「いつもピアノの教室でお世話になっております」私「…はい?」オバサン「本日のクラスの件なんですけれども」私「あ、多分間違い電話ですよ。」オバサン「あ、すいませんでした…。」なんか知らんが、ここへ来て最近わたしの携帯電話に、滅法よく間違い電話がかかってくるのである。今も謎のオバサンからかかってきたのであり、今月に入ってから早くも三件目である。いつも知らない携帯番号からかかってくるのだが、まぁ登録してなかったりすることもよくあるので、とりあえずは取るわけである。しかも、本当に知っている人だった場合、こちらの携帯電話に登録してなかったことがバレたらちょっと気まずいので、なるべく分かっているフリをする。間違っても「あなた誰ですか?」などといっては、本来登録してあるべき人だった場合、これは都合がよろしくない。最初に来たのは、こんな感じのだった。--------オバサンA「もしもし、渡辺ですけれどもこんにちわ~」私「はぃ…?えーっと…」どの渡辺ですか。だいたい、現在身近な人で渡辺ってあんまりいないんだけど…オバA「…あ、もしもし?佐々木さんですよね?」おお、間違い電話か!そしてどうやら、こちらの空気を読んでくれたようだ。私「違います。」オバA「あ、失礼しました。」--------------------------------よくあるパターンだ。やっぱりね、間違えてかけてしまった場合は、いち早く自分の過ちを認めて、あやまってさっさと切ることが大事ですよね。ところが世の中そういう人ばかりではない。次に欠けてきたオバサンは強敵だった。------------オバサンB「あ、もしもし?」私「…ハイ。」オバB「神田のセツコです~、おひさしぶり!」私「…はぁ。あ、あの、、」オバB「ヨシ君、ほんとに久しぶりだねぇ~!」ヨシ君??これはさすがに間違い電話だろ。ということで、違いますと言ってやることにした。私「あ、すいません、ちょっと…」と、私が言い終わるか言い終わらないかくらいのタイミングで間髪入れず、オバB「あ~、」おお。私の、誰だか分かってない空気を察してくれたようだ。オバB「もうずいぶん会ってないから分からないかね、セツコおばさんだよ。」ちがーう!私「す、すいませんが、私は…」オバB「ヨシ君!まだ小さかったからもう分からないわねぇ。」私「いや、そういうことじゃなくて…」オバB「神田のねぇ、セツコおばさん。分かる?」わかりませんよ。私「すみません、分かりません」オバB「そうだよねぇ、ヨシ君小さかったから」…埒があかないので、ここはハッキリ言ってやろう。私「いや、あの、たぶん間違い電話だと思いますよ!」オバB「あー、そうかぁ!」オバB「間違い電話なんじゃなくて、神田のセツコおばさん!」いや、それは分かったから。私「いや、あの、本当に間違い電話ですよ」オバB「うん、ヨシ君、もう昔のことだから忘れちゃったよねぇ。」どうやら、自分が間違い電話をしているという意識はカケラも持ち合わせていないようで、かけている相手はヨシ君だと信じて疑っていないようだ。私「あの、ホントに、間違い電話だと思いますよ?」セツコ「神田のセツコおばさんなんだけどね、ヨシ君、」私「私は、ヨシ君などでは、ないっ!!」セツコ「…(しーん)」私「間違い電話です。」セツコ「…あ」 …ガチャン!おのれ、セツコ。自分の過ちを認めることなく、不当に迷惑をかけておきながら一方的に切りおった。しかし、なんでこんなに間違い電話が多いのだろう。たぶん、ヨシ君が以前使っていた番号なのだろう。ちゃんと番号を変えたら、変更したことを伝えとけよ、ヨシオ。
2006/03/26
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いよいよ大学を卒業してしまったのです。昨日、卒業式がありまして、たぶん全学部の総勢6000名が一同に会するのは入学式以来かと思われ、この上なく人が溢れかえっておったのです。ま、ありえない人数が押しかけただけあって、何年か会ってなかった友人にも会えたのはよかったことであります。学生証と引き換えに、卒業証書をもらったのですが、ようやく卒業できたと思う一方で、これでいままで生まれてこの方長らく続いてきた学生生活が終わってしまうのは、かなり切ないですよ。しかも、私はいうなれば、目下、無職なワケです。しかも、四月からは仕事が、始まるのです。友人たちは、同じく配属先が着々と決まり、わりかし東京近辺に残れる人が多くてうらやましいのですが、私なんぞはいつ熊本とか岩手とかに飛ばされかねないリスクとも隣り合わせなのです。(熊本、岩手の人、ごめんなさい)私の場合、たまたま会社のお慈悲で仕事(というか研修)は四月の二日の夕方からですが、結構今月の31日からもう始まってしまう人とか、中には27日の月曜から静岡で修行する寺の息子までおるのです。この、お寺の修行が、凄い。私もかなり社会人生活にビビっておりますし、実際大変なことは間違いないでしょうが、それにしてもこの修行僧になる友人の大変さといったら、一般的な新入社員の比ではない感じです。まず、週に大体休みは一日。暖房、なし。クーラーももちろんナシ。いつ何時も、はだし。食事は、コメ、味噌汁、漬物、とあと一品。煮物とか。肉も魚も出ず。一ヶ月の小遣いは、5000円。中学生かよ。休日の外出も、修行着。移動手段は、徒歩。一分でも先に寺に入った者が先輩になる厳しい上下関係。かと言って、同期で最初に入ったものは、翌年の教育係。かと言って、同期で最後に入ったものは、すべての人間関係の最底辺。食事時間は、先輩が箸を置くまでの間。しかも、食べ始めるのは先輩から。つらい。こんな感じのストイックな生活が、三年続きます。しかも、三年経ったら帰れるかというとそうではなく、実家(親)が戻ってきてイイというまで、修行している寺を出られないそうで。これは、修行に行くまでの間の親との人間関係が大きくモノをいう感じがします。ま、とにかく、これを聞いてですね、この生活が27日から始まる友人に比べれば、大変であってもそれなりに自由の利く生活がともなう(ハズの)新社会人は、まだ恵まれているな、と。ちょっとくらいつらい事があっても、アイツが寺でもっと大変な中がんばっているんだから、と思うと、がんばれそうな気がしますわ。何年かあとに、お互いたくましくなって会いたいところですよ。
2006/03/24
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当たり前のことだけど、凄く示唆に富んだ記事が出ていたので紹介したい。日本の近現代史を学ぶ上では、決して外してはならない内容である。日本の近現代は、たしかにアジア諸国を戦争に巻き込んだ面もある。が、その一方で、欧米諸国からの独立や、帝国主義の終焉など日本がもたらした意義は計り知れない。この辺を解っているのか解っていないのかよく分からないが、いずれにしてもまったく無視している世界最強のバカ国家が日本の周りにあったりする。そして、そんなアホどもが口出しする日本の歴史教育には、私としては言いたいことが山ほどもあるけれども、ここでぜひ、その教育に取り上げてもらいたいのが、今回紹介する記事だ。日本の中学校は、近代史の時間にこのために一時間でも割いて講義すべきだ。教科書に犯罪人として登場し、実社会でも繰り返しメディアに登場する「戦犯」や、これを取り巻く事情の認識は必須である。左翼思考がはびこる学校教育には、それくらいのことからはじめてもらわないと困る。正しい歴史教育とは、正しい歴史を教えることであって、誰かに都合のよい歴史だけを切り貼りして自虐史観を植えつけることではない。以下、引用--------------「A級戦犯」を正しく説明できますか?【PJニュース 03月10日】- 相変わらず韓国と中国が何かと苦言を呈してくる「靖国神社」問題。首相や閣僚が参拝することはけしからんという、はっきり言ってしまえばタダのイチャモンなのだが、両国に共通する主張から分かるのは「靖国神社にはA級戦犯が祭られていること」に強く反発しているようだ。 この「A級戦犯」って、いったい何なのか? 正しく知っているだろうか。戦争をするにもルールがあることはご存知かと思う。よく知られているのはジュネーブ条約。戦争法規とも呼ばれ、戦争をするときの様々な約束事を定めてある。戦争法規に違反する行為を「戦争犯罪」、すなわち「戦犯」という。 第二次世界大戦の終了後、日本の戦争犯罪を裁くための軍事法廷「極東国際軍事裁判」が東京で開かれた。これが俗にいう「東京裁判」である。いわゆるA級戦犯とは、極東国際軍事裁判で「平和に対する罪」で有罪判決を受けた者をいい、極東軍事裁判所条例第5条の(イ)項に次のように規定されている。 「平和ニ対スル罪即チ、宣戦布告ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加」 この第5条の「(イ)項」というのが、英語の原文では「(a)項」であり、これが「A級戦犯」と呼ばれる所以である。お分かりだろうか。「A級」とは、罪の等級ではないのである。極東国際軍事裁判で裁かれた戦犯には他に「B級(通例の戦争犯罪)」と「C級(人道に対する罪)」があるが、罪が重い順にA級→B級→C級とランク付けされているとの誤解が多い。だから近年では誤解を招きやすい「A級戦犯」という呼称をあらためて「A項目戦犯」と呼ばれることもある。B・C級戦犯も同様に「(b)項」「(c)項」という意味である。 それでは、日本だけが戦争犯罪を行ったのかといえば、決してそんなことはなくて、戦勝国と敗戦国という絶対的な力関係の中で、戦勝国の罪が問われなかっただけのことである。戦争法規では民間人に対する攻撃を禁じてるが、米軍は市街地への無差別爆撃を執拗に繰り返した。連合軍の捕虜となった日本軍将兵に対して、人種差別に基づく虐待や虐殺なども実際に起こっているのである。そもそも極東国際軍事裁判ではほとんど「いいがかり」に等しい罪状で訴追された者が少なくないうえに、戦勝国が戦後につくった法律で敗戦国を裁く裁判そのものの有効性について未だに議論が絶えない。 また「刑罰」は、それを執行された後は「罪人」から「前科者」にかわり、刑の執行を受けることにより免責されるはずである。しかしA級戦犯に関しては何故か、刑の執行が終わった後でも罪人扱いする風潮があるのは甚だ理不尽ではないかと愚考する。【了】※この記事は、PJ個人の文責によるもので、法人としてのライブドアの見解・意向を示すものではありません。また、PJニュースはライブドアのニュース部門、ライブドア・ニュースとは無関係です。パブリック・ジャーナリスト 平藤 清刀【大阪府】
2006/03/11
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中日史上最悪のクズ投手、宣銅烈(ソン・ドンヨル)の話。先日のWBCでイチローにデッドボールを浴びせた極悪非道のノーコン韓国人投手について朝鮮日報で語っていたのが以下の記事だ。-----韓国代表チームの宣銅烈(ソン・ドンヨル)投手コーチは10日、「2死までは無難に切り抜けたため、マウンドに上がり“この次交代だ”と言ったら“わかりました”と言った。そしたら、その次のイチローに当てちゃったんだ」と話した。 続いて宣コーチは「でも実は内心、嬉しかった」と当時を振り返った。-----でも実は内心、嬉しかった―ホントコイツは、投手としてもクズなら、人間としても野球選手としても最低級のクズであり、まさに韓国人のなんたるかを象徴するような愚かな言動である。記憶に鮮明なのは、99年の中日ドラゴンズ優勝年に、優勝が決まる試合の最終回で、ファンサービスか、星野監督が一人一殺を披露しようとした時だ。たしか相手はヤクルトスワローズ。二人目までは、順調にバッターをしとめていったのに、三人目の宣銅烈が打たれるわ打たれるわで、あっという間に塁に走者がたまってしまった。二死から打たれに打たれ、華麗な一人一殺をオジャンにし、星野監督の信頼やファンの期待を見事に打ち破った宣銅烈は、次のバッターに打たれれば、あわや逆転、優勝お預けというピンチを招いてくれたわけである。そうなったとしても、せめて最後くらいは三振にしとめるのが、セーブ投手としての役目というものだ。三振に仕留めてこそ、キャッチャーと走り寄って抱き合う感動の場面を迎えられるというものである。ところが、コイツはそのバッターに、あわやホームランという長打を浴び、外野手が何とかこれを取ったことでようやく優勝、という間抜けな最後を演出してくれた。勢いよく打ち返されたボールを高く見送りながら、野手が取って、ハイ優勝、宣銅烈が捕手と駆け寄って抱き合う…抱き合うのは、お前じゃなくて、捕手とその外野手だろ。こうして、なんとも間抜けな優勝の仕方を披露してくれた「韓国の英雄」は、その年を最後に引退しましたとさ。立つ鳥跡を濁さず、という日本の価値観とは、やはりまったく違った価値観の持ち主なんでしょう、韓国人という人種は。ま、デッドボールをやらかした投手が英雄扱いされるような腐った価値観ですから、日本のそれとはかけ離れているのも当然であるといえます。デッドボール以降、韓国人投手の「躍動的な」投球に、日本人打者がひるんだ、とかご都合主義の記事全開ですが、デッドボールする投手が躍動的ですか。それともアレは、狙ったのかな?だから英雄なのかな?まぁ韓国のスポーツの卑怯さは世界的に有名だからいちいち言うのもアレだけど、野球漫画なんかで言えば、完全に、主人公チームに襲い掛かる卑劣な悪役チームだな。スポーツマンシップが根底から腐りきってる韓国である。
2006/03/11
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クルマの話になったので、もう一つ、私には、言っておかなければならない事があります。それは、私は、将来、●絶対に外車を買わないということです。特に外車を買わない理由は、ありません。ただ、無性に、絶対に、日本車を買うぞ、という気持ちになったのです。これまで私は事あるごとに、将来は絶対にアウディ!だとか、やっぱBMWだよねとか、多分私の周りの人は、本当に事あるごとに私の、将来このクルマ買うよ絶対トークを聞かされていたことと思います。今までその候補となったブランドは数知れず、アウディTTに始まって、プジョー・307CC、コルベット、TVR・T350、BMW3シリーズ、シトロエン・C3、メルセデス・SLK、ボルボ・S40、フォルクスワーゲン・GOLF、アストンマーチン・DB9、サーブ・9-3、ルノー・ルーテシア、ポルシェ・ケイマンS、一番最近ではアルファロメオ・147、等…その時々で、本気で、将来はそれを買うと言い散らかしてきました。しかし、です。たしかに、世の中には、数多くの素晴らしいクルマがたくさんあり、私がこれまで憧れてきた外車も、すべからく最高に素晴らしいクルマの数々でありました。もちろん、今後もこれらの車や、今後外国メーカーが出してくるであろう素晴らしいクルマたちに対する敬意は、色褪せることはないでしょう。しかし、です。私は、日本人であり、日本の経済や産業や文化や歴史伝統に、日本人として大きな誇りを持っております。中でも自動車産業は日本の誇る産業であり文化の一つなのです。そんな自動車メーカーの作るクルマに対し、当然、私は敬意を持っております。なのに、外車のよさばかりを見ていて、それらにうつつを抜かすとは、どういうことでしょうか。そう、もちろん、外車には、素晴らしいクルマがたくさんあり、これらの魅力を語りだせばきりがありません。が、同時に、日本車にも数多くの素晴らしい車があり、外国車と同様に、さまざまな魅力を持っているのです。灯台下暗しというか、自分たちの一番身近にあるもの、このよさが、まぁクルマに限らずですけど、なかなか認識しづらいものなのです。クルマをただの移動手段と考える人たちにとっては、かえって一番身近なところからチョイスするだけなので、国産に抵抗がないのかもしれませんが、なまじクルマ好きであったりすると、外国車ばかりに目が行きがちで、国産車のよさに盲目的になりがちです。やはり、ここはひとつ、日本の誇る自動車メーカーのよさを認識すべきだな、と。それに、です。以前友人と話していたのですが、例えばBMWのM5なんかが女の子の横に乗り付けてですね、ウィ~ン、と窓が開いたとしますよ。そこで、私らみたいなモンがね、出てきたらですよ。M5の魅力が、半減ですよと。そりゃね、江口洋介とか、福山雅治みたいなのがビシッと決めてでてこりゃ、BMWの真の魅力が引き立つってもんですけどね。書いてて悲しくなりますけど、そういうことです。乗るのにふさわしいのは、人格や経済力や社会的地位など、その他のファクターすべてに優先して、ビジュアル、が、あるのです。その点がアレな人で、それでもなおこれら高級外車に乗りたい人は、日本車ではなく外車に乗りたい理由を述べてみよ、と。問いたいですね。◎外国車に乗りたい理由を、以下の中からチェックせよ。□モテたい□うらやましがられたい□虚栄心を満たしたい該当するものがないなら、素直に、すべからく日本車に乗りなさいよ。日本車いいよ。安いし、高品質だし、それなりにカッコいいし。とくにデザインなんて、好みは人それぞれだからさ、外車ありきのひとの感覚は、外車だからカッコいいと思いがちだけど、日本車だって、カッコいいクルマはいっぱいある、マーチはダメで、ニュービートルは最高とか言う人が私の周りにもいますけど、そんなの、ぜったいブランドありきだろ、と訝ってしまいますね。うん、外車のよさね、それはわかる。でも、日本車だって負けないくらい良いんだよ。それに、日本のGDPに貢献しようではありませんか。
2006/03/09
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シビック・タイプRのプロトタイプがお披露目と相成りました。これが、その新型タイプRでございます。どうなんでしょうか。前回のタイプRに見慣れたファンとしては、なんかエスティマライクなフロントが…まぁ、プロトタイプですし、色も黄色ですので、白だったら幾分ナチュラルな感じかと。やはりなんといっても、シビックに、往年の、ハッチバックが戻ってきたことは嬉しい限り!!と思ったら、以前どこぞの記事に書かれていた通り、日本での発売の予定は、ないと。冗談じゃない!日本に数多く生息する、コアなTYPE-Rファンを見殺しにする気かっ!まぁコアなファンは逆輸入でもして入手するんでしょうが、日本でのTYPE-Rの復活が待ち遠しい限りです。
2006/03/09
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ほら、もうあとちょっとで私のような人間も社会人ですよ。社会人って、あれですよね。もう学生とは、何から何まで全然違うわけで、今までもっぱら養ってもらう側で、遊び放題、寝放題、わがまま言い放題、ほとんど束縛なんて何もなくて、責任らしい責任なんか何もなく自由気ままに自分の好きな場所で気の会う友達と好きなことさえしてればよかった、人生の中でもっとも気楽な大学生を、のんきにやってきたわけですよ。それが、ホラ、社会人になったとたんに。朝も早くから定時に起床し、寒かろうが眠かろうが布団から飛び出てマッハで支度。激混みの通勤電車にのってはスーツに揉まれ、押し合いへし合い、澱み、こもった空気を鼻いっぱいに吸い込み時に痴漢に間違われながらストレス三昧の通勤を繰り返すわけですよ。会社に着けば上司と部下のハザマで胃を痛め、昼飯も食べる時間もなく煩雑な業務をこなし、気づけは十一時、終電ギリギリに駆け込んでは泥のように眠って余裕で降りる駅を寝過ごし、終点の駅から歩いて家まで帰って家についた頃には深夜一時。適当にその辺にあるもの食べてシャワー浴びては、ソファで寝たりするんですよ。っていうか、ソファすらあるかどうか怪しいので、地べたで寝たりするんですよ。私みたいなモンは。で、土日祝日とあらば上司からゴルフだの、市民活動だの、いろいろ駆り出されて、心身ともに疲労困憊、日ごろからの運動不足と栄養不足がたたって、入院。出世コースからもはずれ、髪の毛もなくなり、変わりに脂肪がついてきて、一方で、上手くいかない仕事が続き見切りをつけられた挙句会社からリストラ。妻子もなく、身よりもないまま、どこぞの河川敷でホームレス。リポーター「いつごろからホームレスなんですか?」私「三年前に会社をリストラされてからです」リ「家族の方は?」私「両親からは勘当されました。妻子はありません」リ「毎日の生活はどうしているんですか?」私「コンビニの廃棄をもらっています。」リ「働こうとは思わないんですか?」私「働く機会もないし、社会の生活に疲れています」リ「これからの人生、どうするんですか?」私「わかりません。それよりも今日の夕飯のほうが心配です」…そんなのいやだーっ!!そんな人生は絶対に、いやだ!そうならないためには何が必要なんだ??規則正しい生活、適切に仕事をこなすために不断の勉強、上司や部下との円滑なコミュニケーション、一日の仕事はなるべく早めに切り上げて、仕事の後には充実したプライベート。貯金がたまった暁には、スカイラインかマークXかアコード!そうでないと、ここまで私を応援してきてくれた親や周りの人々に、申し訳が立ちませんよ。健康管理に十分気を使って、勉強を怠らず、そんでもって絶対に、成功してやるっ!
2006/03/08
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久しぶりにミスチルを聴いて。あー、いいなぁ。私は、ホントに音楽が大好きな人間なのだけれども、いつ何時でもオールジャンル聴くタイプではなく、そのときのマイブームなジャンルの音楽を、集中的に聴く。ま、みんなそうなのかもしれないけどね。さわやかなハードロックを聴いてみたり、ノリノリロックを聴いてみたりハズシ(あくまで私にとって)でヒップホップ聴いてみたり、オールディーズを堪能したり、へヴィメタルの世界にどっぷりつかってみたり、ジャズに酔いしれたり、インストに癒されたり、その時々でえり好みはあれど、私は基本、オールジャンル好きであり、それもBGM程度になんでもかんでも流し、肝心の音楽も右から左へ流れていくような聴き方というよりは、結構、味わいながら聴くタイプである。やっぱ、音楽好きなら解ると思うけど、どんな音楽にもそれぞれの魅力があって、食わず嫌いなんてもったいないし、それぞれの魅力を解って聴けば、音楽を聴くってコトが凄く楽しくなるんですよね。で、ま、今まで書いてきたこととはあんまり関係ないんだけど、最近は、そんなローテーションの中で、JPOP、聴いてなかったんですよ。それが、突然、聴きたくなったものですから、ミスチルを聞いておるわけです。私の友人の中にも、ミスチル大好き人間は大勢いますが、その中でもひときわミスチル大好き人間、ミスチルこそはすべて、的人間がおりまして。彼の言っていたことを思い出しました。私が、何でミスチル最近聴いてないの、みたいな事を聞いたときです。●聴き続けると飽きるから。さすが。コイツは、わかってる。そうなんです、どれっだけ、いい音楽であっても、です。そればっか、聴いていては、飽きるんですよ。よく、アンチJPOPな人らが、例えばHR/HMのファンなんかがこういうわけですよ。JPOPは、安易なメロディで飽きが来やすい、普遍性がない、と。私は今でも断然JPOPよりHR/HMのほうが好きですが、言っておかなければならないのは、●HR/HMも、飽きるということです。お前らの例えば大好きな曲をだよ、一曲チョイスせよ、と。その、普遍性のあるアンセムとやらをだね、リピートで一年間聴き続けなさい、と。そうすると、一週間くらい聴いた段階で、というより、リピート四回目くらいで、もう二度と聴きたくなるわけですよね。このあたりを先述の友人は解っていてですね、さすがなわけです。秀逸なミスチルの愛し方なワケです。●ミスチルさえあれば何もいらないとかいってる人が、コアなファンにはおりそうですけれども。そんなわけないんですよ。ホントに、ミスチルを愛し続けたいのなら、いつも聞いていてはいけないのですよ。たまに聴くから、いいのですよ。●モービッド・エンジェルという、ブラストビート全開のグラインド・デス・メタルバンドがあります。このバンドの十何作目だか忘れましたが、十一曲くらいのアルバムでした。十曲目まで、本当に、引きずるような、らしくない、重っ重しいスローテンポなデスメタルが繰り広げられておりまして、なんなんだ、このアルバムは!!どうしてしまったんだ、こいつらは?!あのサウンドは??!…と、聴き手にフラストレーションを与え続けるわけです。で、最後の、十一曲目が、これだけが、怒涛の、ブラストビートなワケです。これを待ち望んでいた聴き手のファンからしたら、あぁ~~~~!!!!!!きたー!!これこれこれこれ~いつものやつ~~~!!となるわけです。この「焦らし」の演出を「殺人的な威力」と、レビュー誌は称しておりましたが、やはり、いくら好きだといっても、おんなじ音楽を絶え間なく聴き続けるよりも、ちょっとブランクがあって、無意識でも焦らされていたほうが、愛着は色あせることなく、好きなものへの感動は増大するのです。ミスチル、久々に聴きました。やっぱいいですわ。別に、ミスチルの大ファンというわけでもないですが、このメロディの良さは、やはり最高ですね。言葉の使い方が明らかに間違っていると指摘したくなる歌詞も、あざとすぎて冷静に聴くとかなりうんざりする激甘のラブソングも、…そうです、これよく思うんですよ。そんな、ミスチルみたいなバンドに、OVERみたいな曲を歌われたらですね、感情移入したい立場の人なんかもう、イチコロですよ。あんなベタな歌詞。ズルイ、と思いますね。でも、裏を返せば聴き手の痒いところに手が届く心地よさがあるんですよね、きっと。気持ちを代弁してくれる、音楽ってやっぱすばらしいと、思わせてくれる。それゆえミスチルは、愛されるんだなぁ。
2006/03/07
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