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※歌わせていただきます!のコーナー※(常設なるか?)歌の師匠である安達さんのライブに参加させていただけることになりました!♪日程・場所♪ 4月18日(水) 20:00~ @代々木cure*m♪曲目♪ 「声を枯らして」 コーラスとして参加 「はじまりはあなたから…」 1コーラスをソロで歌います♪私の歌は「発表会」ですから、オマケですが(笑)安達さんの心のこもったライブは、毎回「じーん」となります。ソングレターアーティスト 安達充 オフィシャルサイト → http://www.semibreve.net/ ライブ情報 → http://www.semibreve.net/ma.htmlオマケとはいえ、私なりに安達充ワールドを表現できるよう、今から猛特訓いたします~~~!日曜日に「All the things you are」を歌う予定なので、ずっと口ずさんでいます。以前、歌のブログでも訳した熱烈ラヴソング。メロディは好きだったけど、歌詞は大っキライでした。「When all the things you are are mine」他の部分の歌詞はホントにキレイだったんだけどこの一節だけがキライ。「あなたのすべてが 私のもの」と訳してしまったから。でも、しばらく向かい合っているうちに、歌詞も好きになってきました。もちろんこの歌は恋愛の歌なんだけど、私はこれを、歌に置き換えて考えてみました。この世にある音楽をすべて、自分のものにしてしまえたら。どんなにステキだろうって思う。音楽のこと、もっと知りたい。恋に落ちたとき、相手のことをもっと知りたいと思うように音楽のことを、もっともっと知りたいと思う。だけど、進めば進むほどその大きさ、その深さ、その高さを思い知らされるばかり。少し山を登ったら、違う景色が見えるだろうと頑張るけど、ふとまわりを見渡すと、超えるべき山が増えていることに気づく。それを見て私は、ついつい立ちすくんでしまう。「こんなに歩けない…」と。「You are the promissed kiss of spring time that makes the lonly winter seem long」 あなたは優しい春の風 私のほほをそっと撫でる あなたのいないとき それは孤独な長い冬音楽と向かい合うこと。ううん。音楽じゃなくても。恋愛することは、誰かと向かい合うことだし勉強だって、仕事だって、本気でやろうと思ったら目をそらさずに向かい合わなくちゃならない。誰かと、何かと向かい合うことは本当に、本当に厳しい。だけどやっぱり、好きだから。ほんの一瞬の「春の風」が欲しくて。音楽がない生活は、厳しくはなかったけれど退屈で、孤独で、やっぱり辛かった。こうして音楽と向かい合っていると、自分にどれだけ「逃げ癖」「諦め癖」がついているのかを思い知る。私はこれまで、どんなことにも、どんな人とも正面から向かい合っていなかった。いつも目をそらして、逃げていた。「All the things you are」も「Fly me to the moon」もそれで好きになれなかったのかもしれない。※音楽のこと、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui ポツポツとですが、活動記録をつけています。 単に備忘録が欲しかったってだけですが(笑) 記録をつけるのって、あとで見ると面白いですよね。 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Apr 12, 2007
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※歌わせていただきます!のコーナー※(常設なるか?) 歌の師匠である安達さんのライブに参加させて いただけることになりました! 私の歌は「発表会」ですから、オマケですが(笑) 安達さんの心のこもったライブは、毎回「じーん」ときます。 ソングレターアーティスト 安達充 オフィシャルサイト → http://www.semibreve.net/ ライブ情報 → http://www.semibreve.net/ma.html オマケとはいえ、私なりに安達充ワールドを表現できるよう、 今から猛特訓いたします~~~!-------------------------------------------------------------------------今年から本格的に歌の勉強を始めたので、毎日がとっても忙しくなりました。心に余裕がなくなるかな?と心配していたのですが・・・逆でした。ボイストレーニングはスポーツと同じなので、慣れない動きで体には大きな負荷がかかっているのですが(めちゃくちゃハードです。。。)視野が広くなり、感覚が鋭くなって日常の小さな変化に敏感になりました。以前は気がつかなかった、道端の小さな花冷たさの中に、かすかに混じる春のにおい以前はそれほど好きでなかったメロディーがとてもステキに感じられたり大嫌いだったラブソングに、心を振るわされたり。そして逆説的なようですが、以前よりも、広くゆったりとした気持ちでいて、あまり小さなことにこだわらなくなったように思います。呼吸が深くなってきたからかな??もちろん、まだまだ、できないとなると、すぐ焦るし、調子に乗って、我を忘れるし、ピロリローっと舞い上がってはガガー!!!っと落ち込んだり、イライラしたり、の、繰り返しですが。。。まあ、それはもう、ボイストレーニングをちょろっとやったくらいじゃ、治らないのでこの性格と一生つきあうつもりで、やっていこうかと。さて、「すっごく」しんどかった、安達さんのボイストレーニング。(安達さん、ごめんなさい! でも、やれば絶対身になるって信じているから続けて いるのですよー!ホントですよー!)私がボイストレーニングの辛さをツラツラと語るのを聞いていた、まったく音楽とは関係の無い友人が言いました。「実は以前、キーボードでコードの勉強をしたことがある」と。「へー、何か弾いてみたい曲でもあったの?」と私。「ううん。そうじゃなくて、 コードがどういう風になっているのか知りたかったの」・・・うわー・・・そういう動機でコード勉強する人って、いないよなあ、と感心していると、その人はニコニコしながら言いました。「すっごく楽しかったよ。和音を出すのが」そっかあ!私は「できないこと」が苦しかったけど、「声が出ること」「声が変化していくこと」「体が動いていること」これって、とても面白いことだよね。そこで、次のボイストレーニングでは、「声の変化」「体の変化」に注目していこう、と思いました。ここのところ、気が重かった安達さんのトレーニング。体は酸欠で苦しいし、言われていることもわからないし、何週間もずっと同じことを繰り返していて、私にはできないんじゃないかと、正直、不安になっていました。言われるままに、声を出す。筋肉の動き、声の振動に意識を向ける。自分の出す声に耳を澄ます。これが私の声かー。自分の声じゃないみたい。体はもちろん苦しいけど、声がおもしろいので夢中になって声を出した。安達さんに言わせると、それでオーケーだった時も、そうじゃなかった時もあったそうなのだけれど。オーケーでなくても、そうじゃなくても、いいや。声を出すこと、体が変化していくこと。ボイストレーニングは、当分これを楽しむレッスンということにしました(勝手に)そんなわけで安達先生、まだまだ、できあがりには遠いみたいです。ごめんなさい(笑)でもね。ここのところ、いろんな人に「前よりうまくなった」って言われることが多いから、いいですよね?(笑)※音楽のこと、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui ポツポツとですが、活動記録をつけています。 単に備忘録が欲しかったってだけですが(笑) 記録をつけるのって、あとで見ると面白いですよね。 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Apr 8, 2007
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文章を書くのは比較的…いや、相当好き(笑)何を書いてもよければ、何時間でも書いていられる。ただ私の書く文章ってやつは表現がヤボだろうが、漢字が間違っていようが他人が見て退屈だろうが、論理的でなかろうがお構いなし。とにかく、書けりゃいい。自分の思いを吐き出して、整理して、認識して、新しいことを発見してそしてスッキリ。それだけ。もちろん文章が上達すれば、自分の思いをより明確に引き出せるし自分の思いも整理・認識しやすい。新しいことも発見しやすくなる。だからといって、自分がヘタな文章を書いていたとしても、それほど不快に思わない。そのせいか、文章を書くのが好きなわりに、あまり本を読みたがらない。要するに、私の文章は自己満足(笑)書くのが好き、なのと、食べることが好き、なのは私にとって、とてもよく似ている。食べることは大好きで、1日中だってダラダラずっと食べていられるし、ときどき衝動的にわーって食べたくなるけどそういえば私は書くことも大好きで。1日中だってダラダラずっと書いていられるし、ときどき衝動的にわーって書きたくなる。でも、歌は違う。「ヘタでも歌えりゃ気持ちいい」という思いは、どういうわけか昔から私にはない。とにかく今の自分の奏でる歌は、私には我慢がならない。いつもいつも、満足できない。書くことは好きなくせに本を読まない私が、自分の歌に満足できなくて他人の歌をたくさん聞く。それも、1曲を、何度も。音楽を聞き流す、ということはできなくて、音楽を聞くとき、私は他のことをあまりできない。書きながら、食べながらだったらいくらでも他のことができるのに。文章を書くように歌の練習ができればいいのに、と思ったけどどうやら、そういうわけじゃ、ないみたい(笑)
Apr 3, 2007
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ボイストレーニングを始めてから、なんとなく自分の感覚が変わってきたように思います。ボイトレ師匠の安達さんにそれを話したら、「ボイストレーニングは体を作り替える作業だから、 いろんなことに敏感になりますよー」と教えてくれました。生きる意味を歌うアーティスト 安達充 → http://www.semibreve.net/ 次回のライブは私も出演予定です♪そのせいか先日、不思議なことを感じました。その日、私は会社でケアレスミスを注意されました。注意してくれた人は、私のミスにイライラしていたようで、とても強い口調で私を注意しました。そのとき私は「あれっ?」と感じました。心と体が分離している感じ。気持ちはその注意を冷静に受け取っているのに、体だけが落ち着かない。相手の「イライラ」を受けて、私の体の組成を変えられてしまった気がしました。私の体の組織が「あ・い・う・え・お」と並んでいたのに、相手が私に怒りをぶつけてきた瞬間、「い・お・う・え・あ」と並び替えられた、あるいは「あ・く・た・な・お」とか違うモノを無理矢理加えられた、というような感覚。あ~そうか。これが怒りのエネルギーかあ、と上から自分自身を見ているかのように、ぼんやりと感じていました。強い感情を誰かから受け取ると、物理的に「何かが」変化するんです。多分(笑)その変化を受けて、自分の気分や気持ちが変化していくのかもしれませんね。それが本当かどうかはともかくとして、そういう視点もアリかな、と思って世界を見ていると、自分自身の受け取り方が変わってくるかもしれません。お試しアレ♪※音楽のことを、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 このページと内容が被っているときもありますが、ご愛敬。 もちろん、それ以外にも書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Apr 2, 2007
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練習不足のため(笑)厚木の先生の教室の近くの川べりで1時間ほど課題曲を練習していました。川のせせらぎの見える、満開の桜の木の下で歌うのはとても心地のよい時間でした。そのうち柔らかい雨が降ってきましたが桜の花が私を雨から守ってくれたのでそのまま歌い続けていました。無心に歌っていたら、後ろから人が声を掛けてきました。「濡れますよ。傘を使ってください。 私は家がすぐそこなので、どうぞ」と、傘を手渡してくれました。そして「練習ですか?がんばってください」と言って、、、さあっと自転車に乗って去っていきました。予期しない出来事に、私はしばらくぼんやりして自転車の後ろ姿をぼんやりと見送っていました。嬉しくて、泣きたくなりました。音楽と、歌と、真剣に向かい合おうとすればするほど、振り返っては立ち止まりできたと思ったら、できてなくて、舞い上がっては、がくんと落っこちてすっごくやりたくなったり、全然やりたくなかったり。やればやるほど、どれほど音楽が好きなのかと毎日のように疑問に思う。どうしてそんなに歌を勉強しているのか、自分でもまったく、わかっていなくて。だけどこんな中途半端な私に、どういうわけか、いろんな人が力を貸してくれる。歌が、音楽が、私の日常をドラマに変えてくれる。歌が本当に好きなのか、自分が本当にやりたいことなのか、わからないけど、とにかく納得いくまでやろうって決めて3ヶ月。他のことを全部あとまわしにしても、向かい合うつもりです。まだまだ始めて日が浅いけれど、「歌をやってよかった」って思うことの方が「やるんじゃなかった」と思うことより遙かに多くありました。きっと歌でなくても、生活をドラマにする手段はいくらでもあるんだと思う。私にとっては、たまたま歌がその手段だったというだけのこと。歌と向かい合うことで、私の世界の見え方は変わってしまった。きっと歌を始める前にも、いろんな人が私を助けてくれていたのだろうし、こんな風に見知らぬ人に助けられたこともたくさんあったんだと思う。だけど、歌と向かい合っていなかったときの私にはそのありがたさが分かっていなかった。こんな風に世界と向かい合うことができること、それができるように、手伝ってくれる人がいること自分が恵まれていることに、涙が出そう。あなたにとってのドラマの舞台は、どこですか。
Apr 1, 2007
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今日は安達充さんのライブの日。生きる意味を歌うアーティスト 安達充(私の歌の師匠であります) → http://www.semibreve.net/安達さんのライブでは、毎回いろんな方がコラボします。今回はギターにサックス、コーラスが2つも入り、すごい迫力!何度か聞いたことのある曲でしたが、ボリュームと音の幅が出て、まったく違う曲のようでした。安達さんの曲は柔らかいポップス、という感じなんですが、今回のコラボレーションの演奏は、なんだかソウルフルでカッコイイ曲になっていました。もちろん私もコーラスとして1曲参加、そしてさらにもう1曲、ワンフレーズを歌わせていただきました!楽しかったあ!!!ノリノリ(撮影:マイダンナ)→安達さん(私の隣の好青年)も、イイ~顔してますなあ。安達さん、こんなヒヨッコな私を参加させてくださって、ありがとうございました!来月のライブではさらにこの形を進化させる予定、とのこと。ていうか、これ以上どうするって言うんですか!せんせぇ(汗)安達さんのライブ情報はこちら → http://www.semibreve.net/ma.html次回は4月18日だそうですよ~!私も参加させてくださ~い!あ、もちろん演奏するほうで(笑)※音楽のことを、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 このページと内容が被っているときもありますが、ご愛敬。 もちろん、それ以外にも書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Mar 28, 2007
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毎日忙しく過ごしています。現在の私の1週間は、こんな感じ↓ボイストレーニングのレッスン週2日 (うち1日は本厚木まで通っています。。。)アカペラの練習会+セットの発声練習を週1日 (これも本厚木にて。帰りは終電です。。。)ゴスペルの練習会に週1日我ながら、よくやる。。。さらに月曜日のレッスンの後と、木・金の仕事の後にはアルバイト。金曜日はオールナイトで朝7時近くまで働いて。時間が合えば、極力セッションに参加してピアノやベース、ドラムと合わせる練習をしています。思わぬことに、日常はそれほど疲れを感じていません。(眠くなることは多々あります、笑)でも…ここまで歌のために生活していて、それほど歌が好きなのか?という自問には毎度ながら考え込んでしまいます。アカペラやゴスペルで、みんなで合唱しているときは、楽しくて腰が抜けそうになるし(笑)セッションでピアノやベースに合わせているときの自分がなくなってしまうような感覚も大好き。ところがどっこい、一人で居るときに発声練習したり、もっとうまく歌えるように音楽の勉強をしたり、ということはあんまりやりたがらない(笑)だから、もしかしてそんなに好きじゃないのかな?とも思います。こんな調子なので、ボイストレーニングもなかなか上達しません(涙)当たり前っちゃー、当たり前なんですが。レッスンでは、もう3ヶ月以上、同じようなことを繰り返しずっと言われ続けています。けっこうハードなトレーニングなので、気長に構えて繰り返していくつもりでした。無理せず続けていれば、少しずつでも身についてくるだろう、と思うように心がけていましたが、もういい加減イライラしてきました。ある日、どうしようもなく悔しくて、レッスンの途中で泣き出したくなりました。「わーっ」って(笑)やっぱり私には歌なんか向いてないんだ。こんなことして、一体何になるっていうんだろう。私には音楽に向かうだけの根性も情熱もない。プロの歌手になるつもりもないし、自分から音楽を始めたわけでもなく、周りに流されて始めただけ。投げやりな気持ちになって、家に帰ってから、思わずダンナサマに「ボイストレーニングがしんどい。。。」愚痴りました。一通り話を聞いてくれてから、彼は一言。「じゃあ、もう辞めたら?」・・・はっとしました。辞めたって、何にもならないんです。もし今歌うことをを辞めたとしても、余った時間を持てあますだけ。やらなくてはならないことに追われるだけで、タイクツで食べてばかりの毎日に戻る。他にやりたいことなんて、ひとつもない。「辞めたら?」と伝えることは、とっても勇気の要ること。その一言が、相手の人生を変えてしまうかもしれない。そんな重大な一言を発してくれたダンナサマに、心から感謝しています。とにかく、続けよう。進歩しなくてもいい。歌が好きでなくてもいい。ただの時間つぶしでも単なる趣味でもいい。歌が1番の生活でなくても、1曲も聴かない日があっても、「もう二度と歌いたくない」と思うまであるいは「歌よりもやりたいこと」が見つかる日まで細々とでも、嫌々ながらでも、続けてみよう。ちなみに私の先生はこの方 ↓ 生きる意味を歌うアーティスト 安達充 http://www.semibreve.net/レッスンを始めて3ヶ月くらい経ちますが、初回からこれまで、絶対に妥協しないレッスンをしてくれています。こんな私に正面から私と向かい合ってくれて、いつも本当にありがとうございます!いつも一人一人と向かい合う姿勢とその歌、尊敬しています。※歌わせていただきます!のコーナー※(今回かぎり勝手に設置) こんな私ですが、先生である安達さんのライブで ほんの少し歌わせていただけることになりました!! まだまだヒドイ有様の私の歌ですが、 安達充の世界を私なりに表現できたらいいな、と思っています。 安達さんのライブは、毎回涙する人続出、のステージ。 参加させてもらえて光栄です。 あなたも安達充のライブで、涙しませんか。 ライブの詳細は → http://www.semibreve.net/ma.html※音楽のことを、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 このページと内容が被っているときもありますが、ご愛敬。 もちろん、それ以外にも書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Mar 25, 2007
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とにかく今年のスローガンは「いつも音楽と共に」というわけで、時間さえあれば何かしらの音楽を聴いています。ヘッドフォンが体の一部になってしまうかも…ある日、会社でとっても「気になること」がありました。どちらかというと、私にとっては「イヤなこと」でした(笑)それが頭から離れない状態だったのであまり音楽は聞く気になれませんでした。何を焦ったのか、それなのに聴いてしまいました。「イヤなこと」を考えながら。すると…その曲を聴くと、条件反射で「イヤなこと」を思い出すようになりました。あ~あ…やっちゃった(笑)大好きな曲だったのに、台無し。やれやれ…がんばりすぎること、無理をすることは、自分の思いを無視することあんまり、いいことないです。だいたい、音楽に対して失礼ですよね。しょーもないことを考えながら、うわのそらで聞くなんて。私が音楽だったら「だったら聞かないでよ!」と叫んじゃう(笑)それからは、「今日はちょっと…」という日には音楽を聴きません。ちなみに、先日紹介した「英語は絶対、勉強するな!」では「6日勉強したら、必ず1日休むこと」と注意しています。6日に1日は、英語とは縁の無い生活をすべし、とまで強調しています。そうしないと、インプットしたものを頭の中で整理ができないんだそうです。なるほど…なんとなく、わかるような。日曜日が安息日って、そういうことなのかな。文化的なものには、わりとちゃんとした意味があるもんですね。そんなわけで、私も(笑)←何でもやってみるタチ「6日に一度」ときっちりは決められませんが週に一度は「音楽を聴かない日」を作るようにしています。※余談「イヤことを思い出しちゃう曲」の末路ある人にその話をしたら、「じゃあ、代わりに聞いてあげる!」と言ってくれました(笑)それがとてもおもしろかったので(ギャグだと思うけど…Tさん、どうもありがとう!)翌日からはまた、楽しく聞けるようになりました。そのおかげか(?)「イヤなこと」の原因になった人とも他の人より仲良くなってしまいました。災い転じて何とやら。シンプリー・ブルー / akiko そのとき私が聞いていたのはこのアルバム。ささやくようなakikoの歌も色っぽいけど、聞き所はやっぱり海野雅威さんのピアノ!硬質な音で、宝石をちりばめたみたい。都会の夜の空を、冷たい風にあおられて飛んでいるイメージ。 ※音楽のことを、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui ご存知の方もいるかもしれませんが、タイトルに 「Fly me to the moon」の一節を使っています。 「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディングにも使われていた おなじみの曲ですね。←お正月に全部見た。。。アレンジ素敵です。 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 このページと内容が被っているときもありますが、ご愛敬。 もちろん、それ以外にも書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Feb 12, 2007
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7年以上、歌を歌っていなかったので、歌う感覚も、音感も、その熱意もすっかり忘れてしまっています。現在、それを取り戻すべく奮闘中。。。そこで私が心がけていること1.とにかく毎日、曲をたくさん聞く2.ボイストレーニングのレッスンを受ける3.ピアノ伴奏で歌わせてもらう5.歌えるチャンスは逃さない4.歌のこと以外は考えない(笑)本当は、もっといろいろやりたいのだけど、あんまり気張ると絶対に挫折するので、今のところ、こんなカンジ(笑)「曲をたくさん聞く」というのは「英語は絶対勉強するな!」という本から発想を得ました。「英語を身につけようと思ったら、まずは1日2時間じっくり聞くこと」「勉強するな!」というのは、こういうことなんだそうです。つまり、最初から意味を知ろうとしたり、覚えようとしたりしない。「2時間じっくり」というのは、「何かをしながらではなく、とにかく『聞くこと』に集中する」状態。発音、音の抑揚、リズムや微細な息の使い方などを、徹底的に聞くんだそうです。こうすることで、英語発音の特徴を脳にインプットするとか。なるほど、と思って、私もやってみました(英語には執着アリ)かなり苦痛。なにしろタイクツ(笑)で、おなじみの挫折をしたので、その先は本の受け売りですがある日突然、(意味はわからなくても)英語の発音が「くっきり」聞こえるようになるんですって!(誰か試してみてね。2時間じっくり、よ!)英語は残念ながら挫折しましたが、これを応用して「英語の歌」でやってみました。好きな曲を、時間を見つけては、何度も聞く、聞く、聞く。幸い私は、お気に入りの曲は飽きるほど聴かないと気が済まないタチですから、気に入った曲に出会うと、オーディオを「リプレイモード」にして、その1曲をヘッドフォンで、何度も、じっくり聴きます。ちゃんと数えてはいませんが、数日かけて100回近く聴くこともあります。でも、そういえば音楽から離れてから、あまりやらなくなったな…で、久しぶりにやってみました。意外なことに、この作業がすごく苦痛。すぐ、飽きちゃう。その割にちっとも覚えない。仕方がないので、とりあえず何かをしながら、聞き流してみました。歩きながら、お茶を飲みながら、家事をしながら。…来ました、来ました!その「ある日」が。「入ってくる」んです。音楽が。体の中で、鳴り響いている感じ。それに、楽器の音が、詳細に、ぜーんぶ、聞こえてくる!そして、気持ちいい!何回でも、聞きたくなる。他の曲も聞いてみました。それも、すぐに入ってくる。ものすごく耳が良くなった感じ。そして、すぐに口ずさめるようになってくる。何曲か繰り返していくうちに、それほど好きじゃない曲でも、良さを見つけられるようにもなってきました。そういえば、毎日のように歌っていたときは、どの曲もそれなりに好きでした。何かを身につけたいと思っても、なかなか身につけられなかったり、すぐに飽きちゃったりするようだったら(私のことですが)とりあえず身を入れていなくても、「数をこなす」というのは、有効な手段なのかもしれません。「継続は力なり」って、こういう事だったのね。力を抜いて決意。「私、『勉強』は、しません」シーラ・ジョーダン/コンファメーション私がまず聞きまくったのは、このアルバムのなかの「マイ・フェイヴァリット・シングス」映画「サウンド・オブ・ミュージック」やJRの京都のCMでも有名な一曲ですね。このアルバムでは現代音楽っぽい。キレイ&カッコイイ。歌よりもピアノのテクニックがすごいなあ、と感心。キレイだし、いろんな表情が見える。1970年代にこういう曲を出してしまうアメリカってやっぱりすごい。※音楽のことを、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui ご存知の方もいるかもしれませんが、タイトルに 「Fly me to the moon」の一節を使っています。 「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディングにも使われていた おなじみの曲ですね。←お正月に全部見た。。。アレンジ素敵です。 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 このページと内容が被っているときもありますが、ご愛敬。 もちろん、それ以外にも書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Jan 14, 2007
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今朝、私は夢を見た。携帯電話に、すごい長いメールが届く夢を。送信者は、いつもとても短いメールしか送ってこない彼女。「えーっ!実はこ~んなにいろんなことを考えていたんだ!」と、びっくりしつつも嬉しくって目が覚めた。携帯電話の画面には、メール着信の表示はなかった。…が、その数十分後、すぐに彼女からのメールが届く。やっぱり短い文面で。この短い文の中に、いつもいろんな想いを込めていてくれてたんだあ~と、嬉しくなった。とっても愛おしくなった。※音楽のことを、別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui ご存知の方もいるかもしれませんが、タイトルに 「Fly me to the moon」の一節を使っています。 「新世紀エヴァンゲリオン」のエンディングにも使われていた おなじみの曲ですね。←お正月に全部見た。。。アレンジ素敵です。 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Jan 8, 2007
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昨年、ある講演会で「フォーカシング」という言葉を知りました。つまり「ひとつのものごとに焦点を絞ること」今年、私は、とにかく歌うことにしました。生活も、仕事も、勉強も「歌うため」それ以外は、ナシ!将来のためでも自分の成長のためでも周りの人のためでもなくただ、歌うためだからこのブログも、歌うために書いていこうと思っています。できることより、できないことの方が多い私ですがこれならなんとか、できそうです。あなたも今年一年だけ、何かに「フォーカシング」してみませんか。もしかしたら、意外な成果が上がるかもよ?※音楽のことは別のページに書くことにしました。 → http://plaza.rakuten.co.jp/mikamatsui ご存知の方もいるかもしれませんが、タイトルに 「Fly me to the moon」の一節を使ってみました。 聞いた音楽のこと、歌の勉強のこと、覚えた歌詞のことなど 相変わらず(笑)ごちゃごちゃと書いています。 興味があったら遊びに来てくださいね~。
Jan 6, 2007
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チャップリン作曲「smile」この曲を自分なりに解釈することにした私。映画「モダンタイムズ」を見てから考えようか…いやいや、それだと返って自分なりに解釈はできないかも。やっぱり、すぐにやろう。ちゅーわけで、お風呂に籠もること1時間。「Smile」の歌詞を書いた紙を水浸しにしながら、何度も口ずさむ。何度歌っても、歌詞の意味をつかめない限りはやっぱり覚えられないみたい。これだけ口ずさんでいるのに・・・やれやれ。そろそろノボセてきたなぁ・・・←出ろよ。うーん、でも、なんか、あとちょっと、なんだよねぇ。浴槽のヘリに頭を乗せて、力なく歌ってみる。…あれっ?この曲は、この感じかも。なんだかわからないけど、涙が溢れる。とても、悲しい気持ち。映像が出てきた。手を繋いで転がっている、二人。姉妹か、友人同士か。一人は、死を向かえようとしている。死の恐怖と別れの悲しみで涙が溢れても、痛みをこらえてほほえんでいる。もう一人も流れる涙を止められないけれど、ほほえみながら「smile」を歌い聞かせている。大好きな人との別れがせまっているのを二人は知っているけれどあまりに悲しすぎるから「笑って」と歌う。「smile」それは、「生きて」というメッセージ。akiko/ヒップ ポップ バップこのアルバムの「Smile」は、ちょっと力の抜けた感じ。「ガンバレ!」なんて言って欲しくないときにいいかも(笑)「ラバーマン」や「スキンドゥ・レ・レ」もカッコイイ!
Dec 30, 2006
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ここのところ歌を勉強しています。歌うのは大好きなのですが、記憶力に乏しいので、歌詞が覚えられなくて困っています。しかし覚えないことには、歌っても楽しさ半減なので何とか覚える工夫をしてみよう!ということであれこれ考えています。(何かいい案があったら、教えてくださ~い!)今日のお題は「Smile」作曲 チャップリン(意外!)映画「モダンタイムズ」に使われているそうです。(今度見てみようっと)大好きな曲なんですが、どうにもこうにも歌詞が覚えられない。記憶力は乏しい私ですが、これでも好きな曲はすぐに覚えるタチなんです。曲がこんなに好きなのに、覚えられないのは、おかしい。もしかして歌詞が好きくないんじゃないの?そういえば、これってどういう意味なのかしら???(えっ?分かってなかったの?)←このへんが、やはりおかしいそこで、辞書を片手にお勉強タイム・・・Smile, though your heart is achingSmile, even though it's breakingWhen there are clouds in the skyYou'll get bySmile through your fear and sorrowSmile and maybe tomorrowYou'll see the sun come shining throughFor youLight up your face with gladnessHide every trace of sadnessAlthough a tear May be ever so nearThat's the time you must keep on tryingsmile what's the use of cryingyou'll see that life is still worth while If you'll just smile英語の歌って、本当にキレイに韻が踏んであるんですねぇ。こういうところも注目すると、覚えられるのかもしれないなあ~・・・しかしこの詩うーん…わかるような、わからんような。ここはひとつ、自分なりに訳してみよう!以下、私の劇訳(笑)------------------------------------------------------笑ってごらん つらくても笑ってごらん 傷ついても空の雲もいつか晴れていくようにきみもきっと乗り越える笑うんだ恐れが きみを襲っても悲しみが きみを うちのめしても笑って そう、明日だって陽はまた昇る 輝きながらきみのために光り輝くステキな笑顔だよ悲しみは見せちゃいけないよ涙がこぼれそうになってもそういうときが 大事だよそう、笑って!泣いてちゃだめだいつかきみは気がつくだろう人生に意味があることを笑顔でいれば------------------------------------------------------------・・・なるほど・・・後半はちょっと同感。でも、なんだか悲しくなってきた(ぐすっ)やっぱり辛いときは泣かせてくれよ…。いやいや、でも、ちょっと待って。「すべては別の形がある」別の角度から見たら、違う詩なのかもよ??どうせこのままじゃ覚えられないんです。この際、覚えることは諦めて、徹底的にこの詩の世界に浸かってみることに。というわけで、冬になり寒いので、ヒーリングスポットをトイレから浴槽に変更。1時間くらいお風呂を占拠して(ダンナサマ、ごめんなさい)この詩を何度も口ずさんでみました。さてこの詩は、どんなときに歌う歌なのかなあ?長くなっちゃったので、続きはまた今度。※この詩の感想、お待ちしています!ホリー・コール/ブレイム・イット・オン・ザ・ユース「Smile」はこのアルバムで初めて聞きました。とっても個性的に歌いこなしています。カバーもステキですね~
Dec 29, 2006
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(笑)ご無沙汰しました。。。気がつけばもう年末。早いもんです…今年は、本当にいろんなことがありました。心の変化も、実際の変化も、たくさんありました。記録用に書いていたこのブログですが(実はそうだったのです)ざっと読み返してみました。…全っ然、記録になってない(笑)けど以前の私と、今の私、やっぱりちょっと変わったんだな、と感じる文章が、ところどころに、たくさん、ちりばめられていました。そんな私の変化をずっと見守ってくださった方々、本当にどうもありがとう。おやっ?なんだか「引退宣言」みたいだな。悪いけど辞めませんよ、このブログは(笑)いっぱい書きたい時もあれば、全然書きたくない時もあるのはしごく当然のこと。この間に実は、いろんな変化があったんだけど(ふふふ・・・気になる人は私に直接メールしなさ~い♪)上手くまとまらずに、時が過ぎていってしまいました。きっと自分の中で整理をつけるのに精一杯で、「書く」という表に出す作業までは、手が回らなかったのかもしれません。無理して書こうと思えばもちろん書けるけど、無理したところで結果はあまり変わりません。だったら、ストレスなくできる方法をとった方がいい。インプット、アウトプットという言葉があるから、書けなかったこの何ヶ月は、インプットの時期。そして、自然に手が動いて「書いてしまった」時がアウトプットの時期…なのかな?(笑)今まで書かなかった分、ある時ふっと切り替わって「アウトプットしたい」欲がどどーっと起こってガバッと書くことになるかもね。それはもう、「~したい」という「I want 」ではなくてそう、何かに「させられてしまう」「it makes me 」のような状態、くらいで無理なく書けたらいいな、と思います。このページの大原則。書きたいときに、書く書きたくないときは、書かないというのを死守して(笑)(読んでくれている、そこのあなたっ! コメントやメッセージもこの原則どおりにしてよねっ!)細々と(ときにはガバっと)続けていくつもりです。ちゅーわけで、まだまだよろしく☆☆
Dec 17, 2006
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カフェ・アプレミディクレモンティーヌ就職活動しながら、ちょこっとアルバイトをしています(笑)膨大な量のデータを端から端までチェックするお仕事。難しくはないけど、飽きる。ふわわぁ~眠い~。日曜日の朝、この一枚を聴きながらボンヤリ過ごす時間が恋しい。もう何もいらない…なんてはずもなく、コーヒーが欲しくなる(笑) 今日、ふと思いついたこと。「私たちの体は、日々生まれ変わっている」今じゃ小学生だって知っていることですよね。ということは、昨日と今日で同じ人なんていないし今日と明日で同じ人も一人としていない、ってことですね。毎日が新しい出会いなんだな。。。ということは...明日の私、明日の誰かをはばかることなく何でもやった方がいいのかも。毎日やりたいことやって言いたいこと言っちゃえばいいんだな。 昨日の続きです。「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公はわかりづらい、という話でした。もう一つ疑問が。この映画のテーマはなんなのでしょう。 「テーマが誰にでもわかる」これもハリウッド映画の典型的な特徴と言えるでしょう。 テーマが誰から見てもはっきりしているものであれば非常にインパクトのある楽しい映画になるのですが少し考えないとわかりにくいものはちゃあんと出演者が台詞にして説明してくれるという「小さな親切余計なお世話」的な映画になります。たとえば3部でフロドとサムが滅びの山に向かう途中サムが「故郷はすばらしい」みたいなことを言ったりガンダルフが「人生とは」と長々と語ってみたり。 ・・・っていうシーンがあったの、覚えていますか?覚えていない人がほとんどだと思います。あたりまえです。この映画の本当のテーマとかけ離れたことを語ったからです。視聴者はあまりの唐突さに混乱。急に映画の意味を考え込まされてしまう。そして終わった後は「なんだかわからない...」「結局CGを楽しむ、オコサマ向けなのね」「ファンタジー好きの人のための映画なのね」「やっぱりハリウッド映画」なんていう感想を抱くのです。この映画の本当のテーマは「人間の弱さ」です。おもしろいのは、結果的に「人間の弱さ」がテーマの映画を作ってしまいさらにそれが大ヒットしてしまったこと。「そろそろ人間の弱さについて認めなくてはならない時が来た」と人は無意識にどこかで認識しているようです。意識的にならなくても、必要な時期が来るとちゃんとこうして動いて行くものなんですね。人類が誕生して、歴史と呼ばれるものが作られてからというもの私たちは自分たちの弱さを見ないようにしてきたように思います。その結果「支配と闘争」を繰り返してきたのではないでしょうか。自然に対する支配社会に対する支配人間に対する支配人は自らの「生きていく不安」をなくすために周囲を支配することで存在価値を見いだしてきました。ある人は肉体的な力である人は頭脳である人は口先で(私です、笑)しかしそんなことを繰り返してもちっとも幸せになれずかえって不安は増すばかり。そういうことに気がついている人が少しづつですが増えてきています。また、意識的に気がつかない人でもこの映画のように「何かしてみたらこうなってしまった」という状態になっています。つづきます。
Aug 30, 2006
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海風とジョビンの午後~イリアーヌ空には鰯雲が見られるようになりました。そろそろ夏も終わりですねぇ。。。ボサノヴァの父アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲をロマンチックにカバーした一枚。流石はジャズピアニストのイリアーヌ。ピアノの伴奏がとってもキレイ!夏の終わりをしみじみ感じるBGMにピッタリ ようやくロード・オブ・ザ・リングについて考えをまとめることができます(長かった...)でもまあ、ものすごく大きな内容ですから私の頭の中でもある程度寝かせて整理する必要があったのかもしれません。 先日「ロード・オブ・ザ・リングのすべて」というホームページを見つけました。その中にあった「今さら聞けないLOTR」というコーナーの中に、こんな質問が。 「登場人物がいっぱいいるけど、主役は誰?」 これを読んでくださっている方の中にもこう感じた方がいると思います。ところでみなさんは、ハリウッド映画の主人公というと、どんな人物を思い浮かべますか?私のイメージでは、、、・主人公は誰が見ても主人公・主人公は陳腐なくらいカッコイイ・主人公は絶対に正義で、正義が絶対に勝つ!...偏見でしょうかこのへんに私の世界観が現れているように思います(笑) とりあえずここでは「ハリウッド映画の主人公」の定義としてこの3つを挙げておきます。 ハリウッドで制作された映画にもかかわらず、この映画では主人公が誰なのかハッキリしない。フロドが動いているから、フロドのような気がする。でも…アラゴルンはカッコよすぎる! ...私のシュミの問題でしょうか。アラゴルンが登場した時点で映画の空気がサーッと変わったような気がしませんか!?証拠だってあるんですよ!!(汗)フロド役のイライジャ・ウッドは新人俳優。かたやアラゴルン役のヴィゴ・モーテンセンは知る人ぞ知る演技派。計算高いハリウッドが、あれだけお金を掛けた映画に配役ミスなんてするはずがない。原作は挫折したので、本当のところはわからないのですが...あの映画に限定すると、本当の主人公はフロドではなくてアラゴルンだったのではないでしょうか?(わからない方、すみません)監督に聞いてみたいもんです。...というわけにもいかないし、聞いてもどーせツマラナイので(笑)私の勝手な解釈で見ていきます。つづきます。
Aug 29, 2006
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「ジャクソン・シスターズ」~ジャクソン・シスターズ昨日家におじゃました紀子♪さんが掛けてくれた「miracles」ユーロビートバージョン。(ごちそうさまでした♪)その原曲が入っています。思いっきり70年代を味わえる。ハッピーでノリノリ!な名曲がいっぱい。Jacson5のマネっこ、って言われてるけど、完成度はとっても高い。この名前を知らない人でも、聴いたことある曲がいっぱいあるハズ!このリズム感。欲しい…しかしマネできない。なんだかんだと、また日が経ってしまった。。。今週は調子が悪かったです。 実は先週の週末、ちょこっとしんどいことがありました。そしたら、体まで調子悪くなりました。こんなときの、私の解決策。 寝ます。 「まだ寝るの?」っていうくらい寝ます。「やるべきこと」がたくさんあっても放っぽりだして、寝ます。 (奥さんというより居候です)とにかく寝るのが最優先!そして「寝るのも飽きたなー」と思って起きてみてまだ調子が悪かったり、やる気がでなかったりしたら…がんばって、さらに寝ます(笑)「やりたくないとき」に「やるべきこと」はやっちゃだめ。これが私の鉄則。(ただいま訓練中。。。)ところで「寝る子は育つ」って言います。これは体だけでなく、心も育つってことだと思います。考えてみれば子供が体験することって、初めてのことが多いわけですから大人よりもずっと情報処理の時間が必要ですよね。それから子供の時によく寝ると、とても落ち着いた大人になるそうです。ついでに子供の時に質の良い睡眠をたくさん摂った人ってその後はあまり寝なくなるって聴いたことがあります。子供の時から一つづつ、ちゃあんと情報処理していったから、大人になってからは処理しなくちゃならない情報があまり無いのかな?情報が処理できている、ということは自分のこともよく解っている、ってこと?「これから何をしたらいいのか」なんて考え悩むことが少ないのかもしれませんね。 私は20代のとき、寝ることを馬鹿にしていました。寝てる暇があったら、何かした方がいい。寝てるなんて愚の骨頂。時間の無駄。でも…そんな風に寝ないでしてたことって結局「どーでもいいこと」ばっかりでした(笑)たとえば一晩中ダラダラとネットサーフィン。とか。ソリティアをやり続ける。とか(しかも負けてばっかり)RPGのやり込み。とか。読み終わった本やマンガを繰り返し読む。とか。深夜にエンドレスで流れる通信販売(スポーツ器具とか)のCMを見続けて、お申し込み電話番号をメモる。とかジャンクフードやコンビニ弁当を食べる。とか←むしろ悪い。「やるべきこと」「やった方がいいこと」は、いっぱいある。でも、なんとなく、やりたくない。そんなときって時間はどんどん過ぎる。焦る気持ちと疲労が増す。そんな自分がイヤで、自分を責める。イライラして人に八つ当たりする。過食に走る。タバコ(もう止めましたが)の量が増える。身だしなみに気を使えなくなる。…アホです。こんなこともあって、今はなるべく寝るようにしています。「寝ている間に起きている間に入ってきた情報や感情を処理をする」というのも、今じゃ常識ですしね。みなさんやる気のないとき、しんどいとき、もちろん眠いとき。寝ましょう。あぁ、また長くなってしまった。ので、「ロード~」の話はまたいつか(笑)今週はどんな自分に出会えるかな♪ではでは。おやすみなさい☆☆※補足たくさん寝ると、途中でイヤになったり体が痛くなったり、さらに具合が悪くなることもあります。だから「たくさん寝るのはよくない」という人もいます。でも何もする気が無いのに起きていて不健康なことをしてしまうより、よっぽど健康的。ちなみに私の経験ではその後すごいゲンキになることがあります。で、今日はとってもゲンキです!(いろいろご心配をおかけしました)
Aug 27, 2006
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アナ・カラン「ブルー・ボッサ」涼やかなカフェで聴きたい一枚。ブラジリアンなんだけど、土臭くないオシャレでバランスが取れた作品が多い。オンナノコ向き! 暇にあかせて、「ロード・オブ・ザ・リング」3部作を再度見ました。初めてこの作品を見たときの感想は「金かかってんなぁ~」の一言。どうせこのブームになってる要因なんて、こんなもんでしょ。巧妙なCG(確かに、すごい)時代の流行(西洋のルーツを探る系の映画がここのとこ多い)宣伝の効果かなり斜に構えています。世の中に恨みのある人間の性です(笑)しかし、私の大好きなCate Blanchettが出演している。うーん。ファンとしては、やはり買わなくては。…と思って、TSUTAYAで借りてきた(今お金ないので)そして、3部作をじっくり見ること約9時間。「参りました」なぜ、この古く複雑なファンタジーが、現在まで受け継がれているのか。どうして今、この時代に、こんなにブームになっているのか。別の答えを見つけることができました。Cate、ありがとう。(サイコーの演技でした)いろんなことを発見したので、これについては後々・・・
Aug 18, 2006
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Holly cole trioDon’t smoke on bedたまたまビンゴゲームで当たってもらったCD。聞いてみたらすっかりファンになってしまった。一度聞いたら忘れられない声。スタンダードナンバーの大胆なアレンジ。ピアノとベースも、ボーカルを立てつつ個性的。こんな演奏で歌いた~い!!派遣会社から面接の連絡があり。今日、これから来られませんか、とのこと。特に用事もなかったので、早速スーツに着替えて出かける。今回も仕事は大手の有名企業。業種は貿易だそうだ。学生時代に貿易関係の仕事を希望していた私。この会社名を知らないはずはない。(というか、普通の人なら知ってる会社です)新卒だった当時は就職難の時代。私は専門学校卒なのでこんな会社はアルバイトでも入社するのが難しかった。それが人手不足なのでなるべく早く来て欲しい、とのこと。えーっ。あこがれの○●商社かあ~。。。どきどき☆☆☆面接官は二人。気さくで仲が良さげ。ちょっとほっとする。あれこれ質問されたが、なるべく素直に答える。うん、意識もはっきりしてる(笑)話の内容も、ちゃんと理解できる。それから仕事の内容を一通り説明してくれる。幅広い範囲で仕事を任せてくれるようだ。商品はジェット機だそうで、顧客はもちろんセレブと呼ばれる人たち。「普通に生活していたら、 絶対接点の無い人たちです。 英語もかなり使いますし、幅広く勉強できる職場です。 英語に自信がないということですが、 うちの新入社員なんか、あなたよりTOEIC低い連中ばかりです。 でも、仕事で使うとなったら、なんとか頭を働かせてがんばるもんです。 勉強する気があれば、いい経験になりますよ。」面接官の二人は、そう言ってくれた。ステキ☆☆ここに決めちゃおっかな♪♪(←舞い上がりモード)それから「私たちの上司を呼んでまいりますので、少しお待ちください」とのことで、彼らのボス登場。・・・来た。どうやらこのボスは、私の苦手なタイプだ。だめだ。すっごく後ろ髪引かれるけど。。。ここは、引こう。面接終了後「どうでしょう、このお話、進めてもよろしいですか?」うーん。やっぱり悩む。私は彼らの評価が気になった。評価してもらえるなら、行ってもいいかも・・・と、心によぎったとき、派遣会社の担当者が訪ねてきた。「どうしても来てください、と言われたら行きますか?」その一言で、私ははっとした。私が欲しいのは、評価じゃなかったはず。「いいえ。やっぱりこのお仕事はやめておきます!ごめんなさい。お断りしてください。ありがとうございました」そういって、派遣会社の担当者と別れた。駅へ向かう途中、後悔するかな、と思っていたら、意外にも私の心はスッキリしていた。「試練に勝った」やってきた「エリートの誘惑」に勝った。「評価されたい」欲にも勝った。惑わされなかった。嬉しい!私が本当にほしいものそれは、自分のレベルに合った課題が自分のペースでこなせる場所。時間がかかっても、そういう場所を見つけるんだから。あきらめないぞっと。友人の紹介です。まだ受付しているようです↓───────────────────────────────────■ デキル部下が使っている、■ 『上司マネジメント』のためのコミュニケーション術。高いポテンシャルを持ちながら、上司・先輩との人間関係のためにうまく実力を発揮できない若手ビジネスマンのみなさん。就職活動での採用担当との関係や、就職後の上司・先輩との関係に不安を感じている学生のみなさん。「上司をマネジメントする」という考え方をこのサイトで確認してください http://www.carriageway.jp/leaders/───────────────────────────────────
Aug 17, 2006
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小田和正Far East Cafe 「くさい」「やらせっぽい」というのが最初の印象(笑)聴いたときがブームだったこともあり、あんまり真面目に聞いていなかった。真面目に聞くと、奥深い小田さんの世界観がじんわり伝わってくる。これから、どーすっかなぁ。。。一体何回つぶやいてきた言葉だろう。高校受験に始まって、専門学校を卒業して転職を繰り返して16年、か。。。おそらく、年間平均100回は軽く越えるくらい心の中でつぶやいてきた言葉。口癖とも言えるかもしれない。明確な答えが出たためしはなくていつも何となくモヤモヤしながら決定してきたしその決定がよかったのかどうか後々までずっと悩み続けていました。自分のことがわからなかったから。今も、私は自分のことは全然わかっていません。未だにこうして私は、どうしていいのかわからずに過ごしています。「やりたいことは紙に書け」有名な言葉だから、ちょろっとやってみました。結果。……ますますわからない。1ヶ月前に書いた、私のやりたいことはこんな感じ。英語を勉強するサルサを踊るWORDを勉強する ・ ・ ・はた、と思い出して、昨日あたりみてみたらどれもあんまりやりたくなかったりします。。。タイミング、というのもあるのかもね。歌うのも踊るのもパソコンをいじるも好きなんだけど…忙しくなると遠のいてしまう。タイミングがずれると、それほどやりたくなくなるということはやっぱりそんなに好きじゃないのかな、と疑問に思います。というわけで、毎度おなじみの自己分析が始まってしまう(笑)結局やっていることは、16年前とほとんど変わらないことが判明。だけど、16年前とは確実に違うことも、発見。それは、自分の心にフタをすることがある、という事実に気がついていること。今回の就職にしてもそう。面接のときに、なんかイヤな感じがしたことを昨日書きました。でも…誰もが知ってる有名大企業。これまででイチバン高い給与。世に言う「エリート」と呼ばれる人達のいるところ。正直、あこがれもあったし(エリートとはほど遠い生活をしてきたので。。)そこに就職することは(たとえ派遣社員という名目ではあっても)大きなステップアップのように見えました。で、派遣会社の担当の人に「この話、進めてもいいですか?」と聞かれたとき「おねがいします♪」と、口が勝手に動いていました。情けない…。これが自分を見つめてきた人のやってることだろうか。全然わかっちゃいない(爆笑)面接でイヤな感じがしたので、もしかしたら落とされるかもしれない、と思ったけどどういうわけか、採用になりました。エリートへのあこがれと自分のステップアップを信じたくて私は「ヤな感じ」を忘れてしまいます。「これまでの努力が、報われてきたんだ」大手企業に採用された私は、浮き足立ちました。そう、ここに落とし穴があります。私たちがいつも捕らわれてそれ以上動けなくなってしまう思念の1つ。「●○したから、こうなった」例えば「努力したから、給料がよくなった」「優しくしたから、愛された」あるいは「アイツが余計なことをしたから、事態が悪くなった」「子供を生んだから、時間がなくなった」「●○したから、こうなった」この思念にとらわれていると、より冷静にものごとを見ることができなくなってしまう。「●○したから、こうなった」この概念は、捨ててもいいのかもしれない。そのかわり、こう考える。自分が何かしたからでも周りの人が何かをしたからでもなく「ただ、時期が来ただけ」と。そういえば、、、今まで生きてきた中で「これをやろう!」と画策してできたことは私の場合、あんまりありませんでした。逆に「できたこと」って「なんか、いつのまにか」ということが多いのです。なぜか。歌がうまくなって、コンクールで準優勝したのだって(準、というのが私らしいんだけど)歌手になろうとして勉強してたり歌が特別に好きだったわけじゃなくてウェイトレスしていたカラオケのある居酒屋でほぼ毎晩、お客のおじさんとデュエットしてた(させられた)からだしコンクールそのものだって、たまたま「コンクールマニア」な人に出会って、コンクールの準備を1から10までしてくれたからであの人がいなかったら、多分コンクールなんて出てなかったと思う。前の会社でいろんな仕事ができるようになったのも、もちろん自分が積極的に動いたこともあったけどそもそも会社の人たちが、私が動く前に動いていたら私の出る幕なんて、無かった。自分が何かをしたから、今の私がある。これはもちろん原因の一つ。けれど、おそらくそこには、そのほかにも多くの原因があるのではないでしょうか。同じように動いても、同じ結果になる人っていません。動いた本人の性格や、その時の状況や環境によって全く違う結果になる人もいます。「自分が何かをしたから、今の私がある」この概念にとらわれないと、どうなるか。自分以外の原因の可能性を受け入れるようになるのです。そして自分にとって都合がよかろうが悪かろうがいつでも、あらゆるものごとに「感謝」せざるを得ない。「この国に生まれて この時代に生きて この場所で出会って そして恋に落ちた」~小田和正 far east cafeより 「goot times and bad times」聴いた時は中学生だったので(笑)「くっさ~っ」って思ったんですけど。。。(でもいい曲です)恥ずかしいことです。こうやって、偶然を重ねて今の私があるんです。そもそもこの重なる偶然を認めることができなければ「感謝」なんて言葉は出てきません。「自分が何かしたから」という言葉を発する人は本当の感謝を知りません。「自分一人で生きている」という思いがあるからです。この歌には出てきませんがもしかしたら、私たちの目に見えないものたとえば日ごとに変化する月や太陽の動きとか地軸とか磁気とか…(あんま詳しくないので、たくさん書けないんですが。。。)それから、よく言われる神様とか精霊とか霊魂とかそういうものだって、影響してるかもしれません。もちろん、私にはそういう動きは見えないし、感じません。こういうものの影響が「ある」かどうかなんて正直、誰にもわかりません。わかりもしないのに目に見えないもの・感じないものは「ない」ものとして考える。あらゆる可能性を、信じることができない。自分の歴史の中の体験しか、認めることができない。「●●したから、こうなった」この言葉には、私たち人間の視野の狭さが如実に現れているように思います。友人の紹介です。まだ受付しているようです↓───────────────────────────────────■ デキル部下が使っている、■ 『上司マネジメント』のためのコミュニケーション術。高いポテンシャルを持ちながら、上司・先輩との人間関係のためにうまく実力を発揮できない若手ビジネスマンのみなさん。就職活動での採用担当との関係や、就職後の上司・先輩との関係に不安を感じている学生のみなさん。「上司をマネジメントする」という考え方をこのサイトで確認してください→ http://www.carriageway.jp/leaders/───────────────────────────────────
Aug 16, 2006
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Dave Stewart & Barbara Gaskin[As Far As Dreams Can Go]聴けば聴くほど、味がでる。軽ーいタッチなんだけど実は奥深いんです。古いアルバムだけど、全然古くさくない。バーバラの声が、異世界の音楽みたい。 友人が紹介してくださったイベントです。ひらめいた方は、どうぞ。上司が理由で離職したばかりなので、私も参加しよっかな~……───────────────────────────────────■ デキル部下が使っている、■ 『上司マネジメント』のためのコミュニケーション術。高いポテンシャルを持ちながら、上司・先輩との人間関係のためにうまく実力を発揮できない若手ビジネスマンのみなさん。就職活動での採用担当との関係や、就職後の上司・先輩との関係に不安を感じている学生のみなさん。「上司をマネジメントする」という考え方をこのサイトで確認してください→ http://www.carriageway.jp/leaders/───────────────────────────────────というわけで、またも会社辞めました。心配してくださっている方々、ありがとうございます。大丈夫です。落ち込んでません。(自分に合わない職場から 離れることができて安心しています)先のことが少し不安ではありますが、それも仕方ないこと。ちょっとづつ解消していくしかありません。どのみち職場にいたところで、不安なんです。 今回派遣会社から紹介してもらった仕事の内容は、その会社の●●様のサポートが主な仕事でした。この仕事に就く前の面接のとき、その●●様がこう質問されました。「あなたは、気が利くほうですか?」……えっと……自信ない。 「気が利かないわね」私はよく、母親にそう言われました。 しかしそこは就職活動。面接に同行している派遣会社の人も、「なんとかうまく答えてくれ~」というまなざし。ここは、なんとかアピールしなくてはならない、と思いました。「そうですねぇ…社会人をやってきて10年近く経つわけですから、 社会人としては、普通に動けると思います。 しかし、職場としては初めての場所なので、わからないことが多くて うまく動けないことがあるかもしれませんから、 ひとつずつ覚えていくつもりです。」ドギマギしながら、こんな感じのことを伝えました。派遣会社の担当者が、私の怪しげ(笑)な態度を見て「やばい」と思ったのか、補足的に聴いてくれました。「●●様としては、どのようなことをお望みですか?」なるほど、その手があったか。すると、●●様はこう答えました。「相手の立場に立ってものごとを考えて、積極的に動いて欲しいのです」うーん。そう来たか。なんか ヤな感じ「相手の立場に立ってものごとを考えて、積極的に動いて欲しい」翻訳すると、こーゆーことでしょ?「私の立場に立ってちょうだい!」「こちらが何も言わなくても、気を利かせてやってちょうだい!」こういうことを要求する人って、大抵こうです。・周囲がどこまでやっても、満足しない・なにか悪いことが起こると、まわりのせいにする「相手の立場に立ってものごとを考えて、積極的に動いて欲しい」この言葉、私もよく使っていたんです。いや待て。これってやっぱり、自分も相手のせいにしてない?気が利くって、どういう状態かというと、「相手とのコミュニケーションがとれている」状態、よね。ということは私がこの人と、ちゃんとコミュニケーションを取ればいいのか。うん、きっと大丈夫。ちゃんと落ち着いて、5W2Hで話を聴けば、たいていの話は正確に聴けるはず。そう思って、仕事に臨みました。甘かった…最初に感じた「ヤな感じ」。素直に認めなかったツケは、ちゃんとまわってきました。●●様は、私の一番苦手なタイプだったのです。コミュニケーションどころか、●●様の言っていることは頭が真っ白になってしまって、理解が全くできません。話を聞くたびに、「落ち着け~落ち着け~」と自分に言い聞かせるのですが全くの徒労に終わることに。あ~、今の私には無理だわ。この人。課題が大きすぎる。そう思ったので、早いうちに正直に伝えました。「ここで働いていく自信がありません」と。というわけで、今週いっぱいでその職場を後にしました。今思うと、こういう状態になるのであれば面接の時に派遣会社の担当者の顔色なんて気にしないほうがよっぽど彼のためになりました。(私が離職することで、彼は大変な目にあったようでした)最初に感じていた「イヤだな」という感覚。それをちゃんと認識して、認めていたらこんな面倒なことにはならなかった。面接の時点で、こちらからお断りしたってよかったんですから。私の感覚を認めなかったばかりに、会社にも周囲にも大きな労力を損失させました。 だけど、結果としてはよかったです。「どこに行ってもやっていける」私は、そう思っていました。傲慢でした。苦手なタイプがいること、忘れてました。決して卒業できていたわけでは無かったことを、思い出しました。今度は、自分のレベルに合った人に出会えるまで、何度でも面接を受けようと思っています。就職活動がまた始まります。(ダンナサマ、もうしばらく家賃滞納です。。。)
Aug 15, 2006
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~小野リサBOSSA CARIOCA (彼女はカリオカ) 日曜日はやっぱりボサノバでしょ~。休日気分満点!! やすらぐ~昨日、ここにホンモノの(歌手の)isabelleのことを書いた後、何を思ったか、私は彼女にあててメールを書きました。初コンタクトです……!!ひえぇ~中学生の時から憧れてる人だったのに31歳になってようやく初コンタクト。なんだかんだ言って、真面目に彼女と接しようとしてなかったんですね。だって、彼女にもし会えたとしたって、自分に自信のない私は一体どうしたらいいのやら。フランス語だってしゃべれないし。音楽のことだって、真面目に勉強してないし。。。で、未だにフランス語もできないし音楽も真面目に勉強してない私ですが、昨日はどういう風の吹き回しかメールを送って見る気になったんですね。(もちろん英語で)何を書いていいのかわからなかったので(英語もそうとう怪しいもんですし)とにかく中学生の時に彼女の歌を聴いてずっと彼女に憧れていたこと彼女のブログを見つけることができて嬉しかったことを素直に書きました。そしたらなんと。返事が来たんです。それも、30分くらいで。全然期待してなかったので、ビックリ。すごく大きなプレゼントをもらいました。isabelle(ホンモノ様)ありがとう。 You did find me in the end. you can contact me as much as you want.とても温かいメールでした。あ~。どきどき。興奮してシマウマ。さて、それはさておき。昨日書こうと思っていたことを書かなくてはなりません。だって、昨日のタイトルが「かめおかゆみこ さん メルマガ1000回記念」だったわけですから、どうしてもこれについて書きたいわけです。かめおかさんのメルマガ「今日のフォーカスチェンジ」⇒ http://www.mag2.com/m/0000119721.htmlメルマガを書いていらっしゃいますが、演劇指導が主なお仕事です(かめおかさん、間違ってたらごめんなさい×××)演劇を通しての気づきを、日常の人間関係に応用してメルマガを書いたり、ワークショップにして気づきを促したりしてくれます。今回の「メルマガ1000回記念」でも、かめおかさんのワークショップを体験させてもらいました。私はかめおかさんのワークショップに参加するのは初めてでした。人付き合いのニガテな私ですから、すごーく緊張して出掛けたわけです。ところが。ワークを通して参加者の人たちと触れ合っているうちにアッという間に輪の中にとけこんでしまいました。そして、いつになく素直な自分になれた一時を過ごしました。、かめおかさん、どうもありがとう!!今回のワークショップのなかに、とってもおもしろいものがありました。これから仲良くなりたいという人とやってみると、おもしろいことになるかもしれません。(私はこのワークでペアになった方と、 たちまち仲良くなってしまいました)←うっちぃさん、ご縁に感謝!!ただし、喫茶店や居酒屋でやると、ちょっと怪しい人たちに見えるかも。。。【やり方】 2人でペアになり、向かい合って座ります 片方は目を閉じて、相手に向かって手を出します。 両手でも片手でも、どちらでもいい。 手を出していない方の人は、 出された手を触れたり、揉んだり、眺めたりしながら 感じたこと・思い付いたことを なんでもいいので、そのまま相手に伝えます。 伝えられた方は、否定も肯定もせずに、ただ聞いています。たったこれだけ。これを確かお互い5分くらいづつやりました。ここで重要なのは、「言われたことをただ聞く」ということ。言われて嬉しいことも、言われて嫌な気持ちになることもとりあえず受け止めるだけ。「受け入れる」のではなく「受け止める」ところで、ウソツキはウソがバレる時になるとだいたいは行動が大げさになります。相手を攻撃したり、悲哀に訴えてみたりします。尋問する警官と、犯人の言い訳を思い浮かべてみると、分かりやすいかも。(パターンその1)警官 「なんでウソついたぁ!!」犯人 「うっせーんだよお!おまえだってウソくらいつくだろぉ!」↑あのー、犯人さん?論点違いますよ。でも、こういう人いますよ~。うまーく論旨をすり替えてしまう人。相手の思考の方向を変えてしまうことで、自分が責められる率を減らそうとするんです。(パターンその2)警官 「なんでウソついたぁ!」犯人 「しょうがなかったんだよう。オレはイヤだって言ったんだけどよぉ、 アニキがうんたら・・・・・(号泣)」「自分にはどうしようもなかった」という演出をすることで、自分が責められる率を減らそうとするパターンです。本当にイヤだったら、アニキの言うことは聞かなければいいんです(笑)「ウソをついてしまった自分」を受け入れることができないと他人を責めたり、言い訳して自分の罪を他者になすりつけたりすることになります。こういう人とは、あんまりお友達になりたいと思いません。力を貸そう、と思うこともできません。先の犯人さんも、警官に「なんでウソついたぁ!」とすごまれたら「すんません。自分が弱かったからです」と認めてしまえばもしかしたら警官が、カツ丼くらい奢ってくれたかもしれません(笑)だって、たとえ罪を犯してしまった犯人だとしてもこう言える人って、カッコイイと思いません?「敵ながらアッパレ」ってヤツです。happyさんが、先日こうコメントをしてくれました。(お返事遅れてごめんなさい!) 「他人のせいにしないで、全てを受け入れることができれば 人生良くなるといいます。」さっきの犯人も「ウソついちゃった自分」を認めたらカツ丼奢ってもらえましたねー(いや、あれは空想だから……)でも、happyさんの言うとおりだと思います。自分を受け入れている人は、潔いんです。だから、カッコイイ。そういう人には、周りもいろいろしてあげたくなっちゃうもんです。だって、魅力的なんだもん。そんな人と、お近づきになりたいもん。しかし、それゆえに誰にでもできることではありません。世の中の人が誰でもできてしまったら、カッコイイ人はカッコイイ人ではなくなってしまう。かめおかさんのワークで「受け入れられないものは、受け入れずとも 受け止めて、客観的に眺めていればいい」と聞いて、とても新鮮な気持ちになりました。ただ、聞く。他人事のように。「ふーん、そうなんだ」と眺める。「あなたって、アタマが悪いかも」……ふーん、そうなんだ「あなたって、性格悪いかも」……ふーん、そうなんだ「あなたって、ヤバイかも」……ふーん、そうなんだ。かめおかさんのワークでペアになったうっちぃさんには、こんなことは言われませんでしたが(笑)たとえこう言われたとして、自分が受け入れることができなくてもそれが誰かからみた、1つの自分の見え方であると仮定して、ちょっと眺めてみるのもいいな、と思いました。
Aug 6, 2006
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Isabelle Antena "Del'amour et des hommes"邦題 「巴里の憂鬱」フランス語のわからない私は、googleで翻訳してみました。Del'amour et des hommes = Love and men.....全然翻訳違うじゃん! イサベルの初期の傑作なのに、なんと廃盤!ショック......女性の優しさと娼婦のような毒の両方が味わえる一枚。ちょっと曲が短すぎるのが、寂しい。。。私がisabelle(プロフィールの写真の彼女です)の曲に出会ったのは、中学3年生のとき。日産だかトヨタだかの車のCMソングに彼女の歌が使われていました。少し悲しげな、ボサノバ調の曲「明日を夢見て」(Serpent A Plumes)でした。Serpent a plumes ⇒直訳「羽の生えたヘビ」って......(汗)当時の中学生達の流行路線はというと......邦楽だったらユーミンとかドリカムとか米米CLUBとかBzとかXJAPAN洋楽だったらアメリカのポップスやロックが主流でした。(あんまり知らないので、詳しく書けなくてすんません)今では年の功か(笑)こういう曲を聴いてもそれなりに楽しめるのですが当時の私はどういうわけか、全然好きになれませんでした。しかし、基本的に音楽が好きなので、何かいいものがないかと探してはいました。まぁ、あんまり根性もないので探し方もそれほど力を入れているわけではなく友達から勧められたポップスなんかを聞き流しながらぼんやり考えてるってだけでしたけど。。。で、そんな私の前にある日突然「羽の生えたヘビ」が現れたわけです(笑)今書いていて思ったんですが、「羽の生えたヘビ」ってなんかisabelleのイメージにピッタリのような気もします。(それにしても、どういう意味なんだろ。 フランス人の感覚は理解に苦しむ)私はこのヘビにガッツリ魅せられてしまいました。早速レンタルCD屋に(チャリで)飛んでいきisabelleのCDを全部借りてきて(買えよ)一気に聞きました。作曲、編曲、使われている楽器、声のトーンどれも私がずっと探していた曲のイメージにピッタリでした。歌声、写真、彼女のCDへのコメントから私はすっかり彼女の「曲そのもの」より「isabelle像」に憧れるようになります。んで、isabelleのような女性を目指すべく、いろいろ試したんですがどれもこれも挫折しました。まずはフランス語に挫折しました。(いや、別にフランス人だから憧れていたってわけじゃあないんですよ。 isabelleに少しでも近づけるかもしれない、という淡い期待が あったんです。) 音楽もファッションも、彼女の持つ「知性」を磨く努力も全部挫折、です。うーん。なんでかなー、と思っていたんですが、最近ようやくその理由もわかってきたように思います。isabelleは誰から見ても確かにカッコイイ女性です。知的でファッショナブルで個性的。アニメで例えるなら、ルパン3世の不二子ちゃんのイメージ。不二子ちゃんでもisabelleでもいいんですが彼女たちが「カッコよく」見えるのは、何故でしょう。一生懸命勉強したから?オシャレに余念がなかったから?自分の個性を常に意識していたから?表面的に見たら、それも「Yes」ですが同じように心がけている人でも野暮な人っていますよね。その違いって何でしょう。私が思うに彼女たちが「カッコイイ」要素は結果的に後からついてきたもので彼女たちは「やりたいように」やってきただけだったんじゃないか、と思います。勉強したいことを気が済むまで勉強して自分がいいと思ったセンスで曲を作り服や靴やアクセサリーを選びライフスタイルを決定していった。「やりたいように」やって生活していたら、周囲が勝手に知的だ、ファッショナブルだ、個性的だともてはやすようになった。それだけのこと。彼女と話したことはないので(もちろん不二子ちゃんも)想像の域は越えませんがやりたいことは、死ぬほどやる。やりたくないことは、死んでもやらない。このスタンスを持った人ってどんなに凡庸な人でもダサイ服を着ていてもカッコイイもんです。やりたくもないのに、表面的な「カッコよさ」を真似てみても辛くなるばかりです。結局自分の本心を隠していることにしかなりませんから。だから私の努力は続かなかったんです。自分の基準ではなく、isabelleの基準でものごとを捉えていたんです。んん?なんか今日は他に書きたいことがあったはずなのに、isabellの話で終わってしまった。あっ、タイトルも「かめおかゆみこ さん メルマガ発行1000回記念」になっている!!しまつた。まぁ......明日また書けたら、書こうと思っていたことを書くことにします。
Aug 5, 2006
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akiko 「Girl Talk」ボーカルはもちろんピアノと演出に心が震えてしまう一枚。ジャケットもロマンチック。。。1曲目"spring can really hung you up the most"はまるで桜がはらはらと舞っているような編曲。。。うっとり。 再就職して、1週間過ぎました。「就職おめでとう」とメッセージをくださった方々ありがとうございました!初出勤の日、家に帰るとダンナサマがサプライズで花束を!!……じーん……ニクイ演出(涙) さて、出勤日初日のこと。誰もが知ってる有名大企業。しかも今まで経験したことがない分野の会社。。。相当緊張しました。しかし、初日が終わってみると、相当な充実感!!!労働って、すばらしい!労働、サイコー!働けることって、本当にありがたい事なんですね……都会の夕暮れに、ちらほらと灯っていく明かりを見ながら幸せな気持ちに浸りました。初日はとても緊張しましたが、以前の緊張の仕方とはちょっと違っていました。「んん???」と自分で不思議に思いました。緊張はしているけど、使っている神経が違うというか。。。で、これは何かな~って思ったら緊張している対象が違っていた、ということに気が付きました。 以前に転職した時は(転職経験、いっぱいあるんです。。。)仕事そのものではなくそこに居る人たちに対して緊張していました。「この人達、どういう人なんだろう。 私のこと、どう思っているんだろう。 この中で、私はどういうポジションを取ればいいかなあ。 私のこと、どうやったら気に入ってもらえるのかな~」こんなことばかり気にしていたので周囲の動きがすごーく気になりました。もちろん、当時はそんなこと全然意識していないんですよ。今振り返ってみると、そうだったな、と思うんです。そして……これ全部、どーでもいいことです。 自分が仕事をするのに、仕事仲間がどういう人なのかを知る必要はないですし私のことをどう思われようと、ちゃんとした会社なら、仕事の優劣で人を評価します。私自身ではありません。(逆に人そのものを評価の対象にしているとしたら かなりヤバイ会社です)自分のポジションなんて仕事をしていくうちに決まってくるものですから、気にしていても仕方ないし万一会社の人に気に入られなくて自分の仕事がしにくくなったとしても、損をするのは自分ではなくて会社です。会社は一定の給料を払ってくれます。だから、何も心配する必要ないのです。仕事そのものが気に入れば続けたらいいのだし、気に入らなければ他を探すまで。周囲の人間のことを気にしていると、どういうことが起こるのかというと仕事に集中できなくなります。仕事はそっちのけで、会社に居る人たちの動きばかりに注意が向かっているんです。しかし、仕事もしないといけないわけですから、使うエネルギーは仕事だけに集中している場合と比べるとずっと多いことになります。だから、仕事が終わるころには、ヘトヘトのクタクタ。そのわりには、仕事の能率も悪いしミスも多く、なかなか仕事が覚えられない。だから、充実感なんて全然感じられない。「なんか、ムダに一日が終わっちゃったな~」そんな気分だけが残る。もちろん自信も消え失せる。 今回は、私が周囲の人ではなく、仕事そのものに注意を向けていることに気が付きました。やった~!!卒業した!!と、思ったのも束の間。どういうわけか、火曜日、水曜日と日を追うごとに疲れが溜まっていきました。で、やっぱり体調不良。あれ~?おかしいなあ……と思っていたら友人からメールが。「仕事に集中しろ」がつーん!(Uさん、ありがとう)またやっていたかぁ!!! 私はやっぱり、周囲の目を気にしていたんです。初日は気にならなかったはず。なのに、どうして戻ってしまったのでしょうか。 多分、私は、喜びすぎました。喜ぶことの、何が悪いの?という言葉が返って来そうですが何かを喜ぶ、ということは、反対の、「喜べない状況」を強く意識している証拠という場合があります。「周囲を気にしすぎる」ということを、ずっと自分で気にしていて「周囲を気にしない」という状況を造り出せたことが、あんまり嬉しくて「もう私は、周囲をきにしすぎることがないんだ!」とつまり、そう思うことで逆に「周囲を気にしすぎる」ということに、自ら意識を戻してしまった。……うまく説明できませんが……もっとわかりやすい例え話があるかな。例えば、ダイエット。(散々、トライしました……)「今日は○,●00キロカロリーしか食べてない!」と意識していると、逆に○,●00キロカロリー以上食べてしまうものです。これは「○,●00キロカロリーしか食べてない」状態がある、ということをみずから認めているということにほかなりません。逆に、食べ物に対して意識を向けていない人は必要以上に食べることはありません。だから、ダイエットしている人は年がら年中ダイエットしているし「ダイエットなんて必要ないわ」と言う人は、ずっと必要ない。「卒業した、と思うと必ず試練がきて、 本当に卒業したのかどうか試される」という言葉を本で読んだことがありますがそんな心理的なリクツもあって、私たちは日々似たようなことを繰り返してしまうわけです。これが、試練の正体だと、私は勝手に解釈しています。でもね。「越えられない課題は与えられない」という言葉もあってそこから抜け出す手段というのも、実は日常生活を見ていると、ちゃんとヒントがあるものです。Uさんのように、メールをくれる人もいますしね。先日行ったレストランでも、私と似たようなことをしているウェイターがいました。そのウェイターは、あんまり態度が良くありませんでした。一生懸命頑張っているようにも見受けられるのですが、客の注文は忘れちゃうし、料理の出し方もあんまり良くないのです。言っちゃわるいが、気が利かない。どうもこの人、頑張っている方向が違うような…… あ……そうか。この人は、お客さんへの接客(=仕事)を頑張りたいわけじゃなくて、マネージャーの評価が欲しいだけなんだ。これは、私だ。あ~!ウェイターさん、ありがとう!思い出したよ~!!!感謝、感謝。 どんな人間像であってもそこからヒントや答えを見出す人は、必ず居ます。そのウェイターさんの人間像は、決して尊敬できる人物像ではありませんが彼は私にヒントをくれました。 だからね。こんな私ですがきっと「こんな私」を見て、誰かがヒントを見出してくれるかもしれない。「周囲の目が気になる」なら、気になってても、いいし気にならなくなったら、それはそれで、いい。どっちにしたって、答えは来る。それでいいじゃないか。そう、これを読んでくれてるアナタも。何か克服したいクセがあったり「こうなりたい」と思っているのになれなかったとしてもちゃあんと、誰かの役に立ってるはずです。
Jul 30, 2006
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今日の一枚。"ゴダイゴ・グレイト・ベスト1 ~日本語バージョン~ "かつて一世を風靡したゴダイゴ。私より上の世代の方に親しみがあるようですが、今聞いても全然古くさくないホンモノ。 昨日の夜はなかなか寝つけませんでした。久々の会社勤め。もぉ、心配で、心配で。うーん。どこに行ってもやっていける!と思っていたはずですが、、、人間の思いなんて、この程度のモノなんですね。自分の状態や環境が変われば、いともカンタンに変わってしまう。とまあ、そんなこと言っててもはじまらないので、とにかくトイレへ。昨日はダンナサマご不在につきひたすらトイレにこもっていました。あのトイレさえあれば生きていけるかもしれません。いやあ、ホント、いいトイレなんですよ。窓から緑が見えてね。なんとも風流で。朝は鳥が鳴き、夕暮れには鈴虫が。さわやかな風がそよそよと吹き込む。よりによってトイレの説明で話が横道にそれました。ただでさえ長々としたブログなのに、これ以上簡潔さが無くなったら読む方も疲れます。(いつも読んでくださって、ありがとうございます!)......で、いつものように自己分析。これを全部話すとまた長くなるので、またの機会にして(どうしても聞きたい!という方は、サシでお話させていただきます)結果だけお伝えします。不安は取れませんでした。まぁ、自分のことが分かった程度で不安が取れれば誰も苦労しません。じゃあ、何のための自己分析なんだ!と思われる方もいるかもしれません。私だってそう思いました。今のところ自分なりの答えはこうです。「次の手を生み出すためのヒントが増える」⇒「その結果、積極的な行動に対する怖れが減る」私の口から出る言葉が全部ウソでしかなかったとき(大げさですが、かなりこれに近い状態でした)私は自分自身で、何が好きで何がキライなのか、よくわかりませんでした。それだけでなく、何が正しくて何が正しくないのかも全くわかりませんでした。これは怖い。「正しい」「正しくない」も「スキ」「キライ」も自分の価値観や判断の基準にもとづいて決定することです。それが「わからない」のは自分の価値観や判断の基準がないということ。基準がないので、次の手段を決定するのにすごく時間がかかります。何が自分にとって「いい」のかが、わからないからです。優柔不断な人というのは(私も含めて)大抵こういう人です。よしんば次の手段を決められたとしても、その決定が自分にとって良かったのか悪かったのかさっぱりわからない。だから後々までずーっと悩みます。「あれは良かったのか、悪かったのか」と。あるいは「なんだかわからないけど、あの決定はやっぱりよくなかった」という思いが残ります。私は洋服を買うと、必ずそういうことが起こりました。さんざん悩んで買った洋服なのに、家に帰って眺めてみたら、どういうわけか気に入らない。なんか損した気分になる。そこで周囲の環境を責め始めます。「店員が余計なこと言うから」とか「安売りだったから、勢いで買っちゃった」とか「デパートの照明が家と違うから」とか「給料日で気が大きくなっていて」......(こんな言い訳なら、なんぼでも思いつきます。 もはや才能かも)周囲に責任を転嫁することで(決定したのは自分だから、責任は自分にあるはず)自分が「失敗した」という不快感から逃れることができます。一時的に、ですが......(延々過去の失敗について 語っている人を見たことありませんか?)あくまで「そのとき自分を取り巻いていた環境」が悪いのであって、それさえなければ、失敗しなかった。そして「自分には判断の基準や価値観がない」ということに気づくことなく、延々失敗を繰り返す。自分のことがわかっていると、何が変わるのか。昨日、仕事の話をしました。仕事のことが分かっていれば分かっている分だけ、自分が何をしなければならないのか、今何が必要なのかが自然とわかってくる。または必要のないこと、やってはいけないこともわかってくるので、ムダが省ける。逆に何かを言い訳にしてその仕事に対する理解を深めて行かなければ仕事を続けていくことはできるかもしれませんが、無駄な動き、似たような失敗を理由もわからないまま何度も繰り返す。それと同じことだと思っています。で、初出勤やいかに(つづく)←引っ張ってるわけじゃないんです(汗)ただちょっと長くなっちゃったので。。。。
Jul 24, 2006
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今日の一枚。ella in London聞いている方が気持ちよくなっちゃうライブ版。 あ......本題とは全く関係ありません。もっと音楽を勉強しよう!と思い立ったので聞いたCDの履歴でも残そうかな、と思った次第です。 先日紹介させていただいたhappyさんのメルマガをここのところ毎日読んでいます。日常生活に追われて、つい忘れてしまっていることを「はっ」と思い出させてくれます。このブログにも書いているように私はほぼ毎日といっていいくらい凹んだり不安になったりするんですがそういう時に原点に戻ることができるメルマガです。happyさんの「人を幸せにしたい!」という思いが伝わるのかもしれません。購読はこちらから⇒http://www.mag2.com/m/0000200240.html4月の終わりに退職し、約3ヵ月無職生活させていただきました。「働かざる者、食うべからず」と言いますが......3ヵ月食べることには困りませんでした。ダンナサマ、ありがとうございますダンナサマを始めとする家族や友人知人のみなさんのおかげでとっても充実した3ヵ月になりました。この場を借りて、みなさんに感謝します。ありがとうございます。ようやく就職が決まり、明日から出勤するはこびとなりました。思えば4月まで勤めていた会社に入社した時私は自分に全く自信がありませんでした。「私にはサルでもできる仕事しかできない、 いや、サルのがもうちょっと賢いかも」そう思っていました。その思いが態度にも滲み出ていましたので会社の方もそれなりの仕事しか私には与えません。給与も「安くていいですー」的な態度でしたから会社はそれなりの給料しか支払わないわけです。自分でそんな態度を取っていたにもかかわらず、私は会社の扱いや給与にとっても不満でした。自分が正当に評価されていない、と感じていたのです。「ま、こんな仕事でも給料がもらえるんだからラッキーよね」と割り切ったフリをして当時は相当いい加減に仕事をしていました。(会社の方々、すみませんでした。 当時の私は未熟でした。 今は心から感謝しています。ホントに!!)こんな私を雇ってくださるなんて、ホントにありがたいことです。ところが感謝を知らない私ときたら「自分に自信が持てないのは、私の能力が足りないから」などと抜かし転職を狙うべく、仕事もそっちのけで習い事なんぞに精を出したりしてました。ところが。どうもこう。その習い事のやる気が続かないのです。最初はやる気満々で、ワクワクしながら始めるのですがしばらくすると日常の雑多なことを言い訳にしてはやらなくなっていきます。うーん。なんでだろ。人が聞いたらびっくりするほどあれもこれもとチャレンジしてきたんですがどれもこれも、中途半端なまま、投げ出されている。そしてお金だけは、しっかり出ていく。困った。もうお金もない。なのに、できることもない。独学でやれって?でもさー、困ったことにやる気もないんだよね。おかしいなー。「人間は追い込まれることで、何とかしようとするものだ」って、どっかで聞いたんだけど。こんなに追い込まれているのにまだやる気がでない。追い込まれ方が足りないのかなあ。まあ、確かに寝食には事欠かないけど。でも実際私には何にも無いしなあ。しょうがない。とりあえず、今の仕事をちょっと頑張ってみるか。当時何かの本で「目の前のことすらできない人が、 大きなことなど達成できるはずがない」というのを読み苦肉の策として「目の前のこと」つまり当時「サルでもできる」と思っていた自分の仕事に打ち込んでみることにしました。よくよく考えてみるとその「サル出来仕事」でさえ満足にできていなかったのです。当時私が任されていた仕事といえばお茶くみ、電話応対など、誰にでもできるカンタンな仕事のみ。こんなカンタンな仕事で......アホらしいな~と思いながらも1つ1つに自分なりのマニュアルを作ってみたりちょっとした工夫をしてみたり毎日日誌をつけて、反省点や今後の対策を洗い出してみたりわからないところは、わかるようになるまでいろんな人に聞いてまわり(幸いみなさん親切ていねいに教えてくれました)些細な仕事でも、分類して仕事別にノートを作成し自分には関係ない、と思う仕事でもできる範囲でチャレンジしていくようにしました。あまり残業してはいけない時給報酬でしたのでタイムカードをつけずに自主的にサービス残業もしていました。会社のためではなく、自分のためです。しばらく経つと、「今何をしなくてはいけないのか」ということがより鮮明に見えてくるようになりました。それまでは「言われるまで待っている」あるいは「言われたことをやり続ける」というのが私の仕事のスタイルでした。積極的にやろうとしても何をしていいのか、よく分からなかったのです。ところがそれが、誰かに言われる前に自分のすべきことがわかったり誰かに依頼された仕事が、言われたままだと不十分だと気が付いて積極的に提案したり付け足したり今必要なものが何なのかがこれまでよりずっと多く気が付くことができるようになりました。そうか......仕事って、長くやったら慣れてきて自然にこういうことが分かってくるものだと思ってたけどこうやってコツコツ積み上げていくことでもっと早く分かるようになるんだ。それに、こういうことってモトモト気の利く人とか、頭のいい人にしかできない、と思ってたけど時間は多少人よりかかっても、やり方次第で私みたいな平凡な人にもできるようになるんだ。これは目からウロコでした。さらに、私自身が自分のために何を勉強すべきなのかも、方向性が見えてきました。何をやっても続かなかった私でしたが、仕事上で使うことの多い表計算ソフト(エクセル)の勉強を始めMicrosoft Office Specialist(MOS)の資格に満点で合格することができました。会社でもいろいろな仕事を任せてもらうことができ、自然と自信もついてきました。自信って、学歴や資格、職歴で作られるものではないんですね。誰かに認められることで得るものではなく自分がものごとに対して向かった姿勢で作られていくものなんですね。これなら、どこの会社に行ってもやっていける。私は自信満々で退社したのです。ところが……転職先がめでたく決まったにも関わらずなんだかブルーな日がここのところずっと続いていたのです。よーするにこのまま「無職ゴロゴロ生活2食昼寝つき」生活をやめたくないってだけかもしれませんが、そうも言っていられないので我が家のおなじみヒーリングスポット、トイレへ直行。私の「ブルー」の原因を探してみました。そういえば今週はダンナサマとのちょっとした衝突が続いたなあ。トイレを占領しすぎたから、イライラさせちゃったかな。 (原因を自分の外側に求めてはいけません)←衝突したのは私がイライラしてるのが原因です。 それはそうと、新しい仕事は収入もだって以前よりいいし、やりがいもありそうです。決まったときだって、とても嬉しかった。収入とやりがい。私がずっと望んでいたことだったはずなのに。よし、ここはいつものように方程式だ。気に入らない=怖れ何が怖い?(つづく)
Jul 23, 2006
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いつもブログを応援してくださるhappyさんがメルマガの発行をはじめたそうです。素敵なメルマガになることでしょう。心から応援します!以下紹介文です-----------------------------------------------------【言葉の力でハッピーになろう!】というメルマガを発行しています。 私が出会った素敵な言葉をご紹介してます。 その一言に出会ったことで、人生が変わることもあるんですよね! 何か、心に響くものがお届けできれば嬉しいです。 ↓こんな感じのメルマガです★ バックナンバー http://blog.mag2.com/m/log/0000200240/購読は、こちら↓http://www.mag2.com/m/0000200240.html------------------------------------------------------------------何度かhappyさんにお会いしましたが、とても幸せそうな、素敵な方です。いつも素敵な笑顔で周囲の人を楽しませて、出会った人は必ず応援してくれる方です。だから、彼女の周りにはいつも素敵な人が集まっています。言葉の威力なんでしょうね。ブログもとっても素敵な言葉で綴られています。必要を感じる方は、読んでみてくださいね。自分が必要を感じて動いたことには、必ずヒントが隠れています。さて先日、感情をコントロールすることについて書いたところ、たくさんのメッセージをいただきました。ありがとうございます。みなさん深く考えてくださっているようで、どうお返事していいのかけっこう悩みました。そいで、返事できませんでした。すんません。ですが、私もみなさんと同じようなことを考えています。(これから書こうと思っていました)←言い訳?うーん、なんか自分でもわかんなくなってきた。ちょうど自分の感情をコントロールすることについて、先日ウチでちょっとした事件が起きたので今日は恥をしのんでそれを記します(笑)ダンナサマの不在中に、彼のパソコンに繋いであるスピーカーを棚から思い切り落っことしました。みなさんは、こういうときどうしますか?私は……恐ろしいことになかったことにします……。(ひ~)これまで、ン十年こういうことばっかりしてきたので、癖が抜けません。意識的に「やばいから、なかったことにしちゃえ」っていうんじゃないんです。(これならまだマシです)見た目的に、本当に壊れちゃった、というなら、隠蔽工作もムリなので観念しますが……そういうわけでもなかったので、そのまま元の場所に戻すことにしました。「ま、この程度で壊れるわきゃないだろ」というのが、私の言い訳です。えーっと、どうなってたっけ。確かスピーカーの角度にこだわっていたような気がするけどうーん、まあ、こんな感じでいいだろ。その後私はスピーカーを落としたことなど忘却の彼方に置き去り、本を読んだりお茶を飲んだりしてくつろいでいたのです。その後ダンナサマご帰宅。まっすぐパソコンのある部屋に入っていきました。数分後、部屋からダンナサマの声が。「スピーカー落とした?」「…………」思い出せないんです!(きゃ~)いやあ、無くて七癖、三つ子の魂100まで。自分に都合のわるいことは、しっかり自動消去。ホラーです。「いや、落としてないよ」としらばっくれようとしたんですが(覚えてないので、しゃーしゃーと答えます)なんとかその前に思い出すことができました。「あ、落とした」「音が出ないんだよ……」絶体絶命ああ、ウソツキ人生はもしや正しかったのか!?←論点が違うしばらく調べた後、落とした拍子にスピーカーの電源コードが外れてしまって音が出なくなっていたことが判明。スピーカー、無事でした。はー……やれやれ。と思ったのも束の間。「そういうことがあったら、一言伝えてください」と、お叱りを受ける。その場は「はい」とスナオに明るく返事をしたもののとってもとっても×100くらい何かが心でひっかかって、気になって落ち着かない。何だ、これは。こういうときにこの感情をごまかすと、後で別の形で出てきますのでここはひとつ、トイレにこもって(我が家のヒーリングスポットです……)一つずつ、自分の心をひもといてみます。(ダンナサマ、あれはお腹の具合が悪かったんじゃないんです。 ご心配おかけしました)まずは叱られたことが、やっぱり気に入らない。「ちょっと落としたくらいで、なにさ」そして、こんなこと考えてる自分自身に自己批判。「人様のもん落としといて、なにさとは何だ!」ダンナサマへの怒りと自分自身への自己批判に身もだえします。(トイレ、待たせてすんません)あんまり長いことトイレを占領するのも申し訳ないので「こういう気持ちがあるのは、もうしょうがない。」と、自分を認めることにします。しかし、これもなかなかできません。じゃあ、と思って「何がこんなに気に入らないのか?」と考えてみます。こうしているうちに、怒りがおさまって来ました。不思議です。(お試しアレ)まず、スピーカーを落としたことを、隠そうとした自分が気に入らない。落としたとして、それから音がちゃんと出るかどうか、壊れていないかどうか、確認しなかった自分もイヤ。それに、スピーカーを落としたことを報告しないなんて、不誠実にもほどがある。さらに自分の中の自分を好きだとかキライだとかいう感情がどうして出てくるのかを考えてみます。ここで方程式キライ=恐れあ……こういう自分が、社会で生きていけるかどうかが、不安なんだ。。。それに、ダンナサマに嫌われたかも。だから、こういうことをしている自分を、認めたくないんだ。わかった時点でトイレから出ます(笑)わかったからといって、解決するわけじゃありません。感情も消えないしね。でも、ムリに消そうとしません。消えるまで待ちます。「味わう」んです。もうイヤ!っていうくらい、味わいます。もちろん、しんどいし、逃げたい。不快です。だけど、その不快さを知っておかないと、何度でも同じことを繰り返すんです。どうしてかは、わかりません。でも、これまでの経験でも確かにそうでした。そのくらい、人間て物わかりが悪いんです、きっと。ダンナサマは私が明らかにいつもと違うのでアレコレ気をつかってくれます。ヘンな顔したりして笑わせようとしてくれるんですが(笑)「今さらなんだけど、さっきのスピーカーのことなんだけどさ……」と、これまでの自分の感情について説明します。事件の当事者、身近な人、信頼できる人なんかに正直に懺悔するのも感情を扱う1つの手段ですね。かなり勇気が要りますが、大きなヒントが出てきます。客観的になるチャンスでもあります。もちろんこういう小手先の手段を踏むだけでは収まらない、納得できないものもたくさんあります。そんな単純なもんじゃないと思うんです。人間の感情なんて。ただ、悪いことが起こったときに現在の自分以外のもののせいにすることは、単なる逃げであり、得することは1つもありません。家族、友人知人、近所の人、環境、持って生まれた性格や能力過去の出来事、体の状態、食べたもの……こういうものが1つの原因であるのは、否定できませんからそれらを言い訳にして事態が好転するのであればいくらでも言い訳に使ってもいいんです。あいにく私の場合、苦しくなるだけでした。「これから先、どうやって生きていったらいいんだろう」先の見えない恐れが、私には常にあります。今もなお、残っています。以前と変わったことがあるとしたら、1つだけ。「自分は悪くない」と思わないようになったこと。「自分は悪くない」そう言っていれば、誰かが助けてくれると思っていました。でも(あたりまえですが)誰も助けてくれません。助けてもらったとしても、常に不安なんですから、助けてもらった実感がありません。常に何かしら不満なんです。それはどこまでいっても続く、無限地獄のようなものでした。誰も助けてくれないことがわかってしまったので(笑)「自分は悪くない」と、逃げるかわりに「自分の何がこの人をこうさせているのか」「自分の何がこの環境を作っているのか」と自分の中に原因を探すようになったのです。そうすると、自分自身に対して好きだとかキライだとか、いいとか悪いとか評価をしなくなります。その評価の原因もわかってくるから自動的に客観的になるんです。ところでよく、「自分を受け入れろ」と言います。さとみさんの、先日のコメントにもあるように「客観的になれ」ともいいます。でも、ムリなときはムリ。そこをムリしたところで、感情を誤魔化したことにすぎません。一つ一つ、できるようになるまで、待つしかない。長く掛かるかもしれないし、すごく辛いかもしれない。人によっては、死ぬまでできないかもしれません。だけど、それができないからって別に悪いわけじゃありません。ちゃんと生きていけるしね。どっちにしろ、辛いときは辛いんです。ただ、自分に対して評価をしなくなると、落ち着いてものごとを処理できるようになります。何かをしても、いいも悪いもないんですから、結果や周囲の目を気にしなくて済むんです。これからどうしようか、ということを周囲の動きや感情、評価に関係なく選択できるようになります。これが「ラクに生きる」ことの正体ではないか、と私は勝手にふんでいます。(まだラクじゃないから、想像でしかないけど……)今の状態が自分が動いた結果だとすれば自分が何をしても周りは関係ない、ということでしょ?周囲は周囲で動いて、自分で決めるんです。周囲のことを、私がとやかくできません。そしてその後私の「隠蔽工作」への自己批判はどうなったか。「そういう自分もあるんだな」ということで今のところ落ち着いています(笑)多分またやらかすかもしれませんが、そのときはそのときです。というわけで、みなさん。私が隠蔽工作しているところを発見したら、さっそく指摘してください。その際私がトイレにこもってしまっても、そっとしておくように。
Jul 19, 2006
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>なまじ、自分の人生を通して出された結論であると、>それは違うんじゃないのと人から言われても、>「そんなことないわー!!」と激しく否定してしまったり、>拒絶したり。。。>>それって、悲しかったり、もったいないことなんですね。反省・・。というコメントをカイジくんからいただきました。ありがとうございます!私もしつこく他の人の意見を否定したり拒絶したりしてます(笑)イヤですね~。こういう自分。さっさと卒業したいです。だって大人げないし。あとでよくよく考えてみるとこういう場合、大抵は他人の意見が正しかったりします。あっはっはー!めちゃカッコ悪い。なんか負けたっぽい。んで、なんかその話題は避けたくなっちゃう。自分からも、他人からも。その意見は、そのとき聞かなかったことにしちゃう。あるいは、聞いたんだけど、自分以外のその他の状況により聴けなかったことにしてしまう。これが、私の言い訳人生のパターン。うう~、こうやって書いてると……なんてアホなことしてんだ!んもう、恥ずかしいッ!いやんっ。まいっちんぐ。しかし。やっちまうもんはしょうがない(開き直り)激しく否定、苦しく拒絶1日3回、お食事の回数より多くやってます。↑基本2食なので。。。だって止めることはできないですよ。正直。やめようとしたって、ムダです。自分自身をコントロールすることはできません(きっぱり)だからカイジくん。エラソなことを一発ぶっぱなしますが……(こほん)反省しなくていいです(笑)というか、してはいけません。たとえ言葉に出さずに相手の言葉を受け入れたフリが上手にできるようになったとしても胸の内で激しく否定し、苦しく拒絶していたら同じこと。ここからは本の受け売りですが感情をなくそうとすることは、けっこう危険です。自分の感覚・判断力共に鈍る恐れがあります。どういうことかというと、自分が何を欲しがっていて、何がイヤなのかがわからなくなるんです。こう言うと、無欲な人っぽく見えるんですが、これがわからないと、危険を察知できないんです。「イヤだ」と思うことは、ある意味危険を察知しているんです。どういう状態が「危険」なのかは、人それぞれちょっとづつ違うのでしょうがたとえば犯罪に手を染めている人に、やすやすと自分の中に入ってこられたら、これは誰にとっても危険です。しかし、「イヤだ」という気持ちを誤魔化している人は、危険かどうかということを察知できずに犯罪に巻き込まれることがあるそうです。感覚が鈍っているので、自分を傷つける人とそうでない人の区別がつかなくなってしまうんですね。また、どうしたら傷つけられずに済むのか、という判断力も鈍るのだそうです。このあたりの心理については、いろいろ本が出ているので興味がある方は読まれてみるといいでしょう。このへんがオススメです。人の望むようにしすぎる人、平気で人を支配したがる人 著者:岩月謙司カイジくん、まだまだお説教が続きます(笑)と、カイジくんをネタに、自分に言い聞かせているのでした。いいコメント、ありがとうございました。
Jul 9, 2006
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今日は、なんかやる気がでない一日でした。小学生の日記みたいだなぁ。。。まあ、文学作品みたいにする必要もないか。(ハナからムリだけど)やらなきゃならないことは、たくさんあるんですがどうもこう手をつける気にならず。こういうときに、がんばっちゃうと、イライラして絶対にいい結果にならないから思い切って、今日は手につけられそうなものから始めることに。というわけで、最近ハマっているキーボードの練習からしてみました。実は子供の頃、ピアノを習っていました。理由その1。ピアノをひいている女性がカッコよく見えたから。理由その2。ピアノとバレエと、どちらか習わせてあげるから、 どちらかに決めなさい、と親に言われたとき、 とても美人の友人がバレエをやっていて、 これは勝ち目が無いとふんだのでピアノにした。たったこれだけの理由で「ピアノやる」と言うと、母は大喜び。さっそく私にン十万もするピアノを買い与え、週に一度個人レッスンに通わせました。しかし、生来の根性のなさと飽きっぽさから、ご想像のとおり、練習をさぼりがちになりました。ピアノのレッスンを受けたことのある人はわかると思いますが課題曲を先生の前で弾いて見せ、改善点を見つけてもらうのがいわゆるピアノレッスンです。ということは、練習もせずにレッスンに行っても何もできないので、一対一の個人レッスンの30分は先生の指導のもと、練習させられることになります。そういうときは、とてもイヤ~な空気が流れます。手に汗握るので、指が滑るし、緊張して頭が真っ白なので、先生の指示を言われた通りこなせない。すごい苦痛です。……で、どうなるかというと、やっぱり何かと理由をつけて、レッスンもサボるようになる。(練習しろよ)ピアノなら勝てそう、って思ったのに、ピアノをやってる友人達にはどんどん差をつけられるので、(こんなにサボってたら当然ですが)余計に投げやりに。せっかく買ってもらったピアノなのに……ちっとも弾く気になれないし、レッスンも辛いばっかり。ピアノをやっている友人達にはどんどん差をつけられる。それが母をがっかりさせていることも子供なりに承知していたので、高校生になるまで「やめたい」と言うことができずにいました。勉強が忙しいことにかこつけて、ようやくピアノは免除になりましたが、私はすっかりピアノがキライになってしまいました。ピアノがキライになってしまった自分自身に対して悲しくなってしまい、つい最近までピアノのことは触れないようにしていました。人生は不思議なものでして。そうやって触れないようにしていたものでも縁のあるものってついてまわってくるんです。逆に、触れないようにしていたからこそ、ついてまわってくるのかも。触れないようにしてるっていうことは、どこかで必要以上に意識しているってことですもんね。結婚したら、たまたまダンナサマがキーボードを持っていて、しかもあまり使っていないという。ピアノを教えている人と出会ってしまう。大人になってからピアノを弾き始めた人が、楽しそうに演奏している。じゃあ、もう一度やってみようか、っていう気になり、初心者用テキストを買ってきて、キーボードも引っ張り出したのですがそれから1ヵ月くらいキーボードに触れられずにいました。先日思い切ってテキストを開き、書いてあるとおりの音を出してみました。(練習します!と周囲に宣言してしまったので、そろそろヤバイとおもいはじめた)がーん。た、楽しい。。。なんでこんな楽しいことが、キライだったんだろう。自分の思い込みがはげしく強いことにまたも気が付かされました。ピアノの練習=辛くてつまんなくて、苦痛なものこういう図式ができていたのです。私の頭に辞書があるとしたら、ピアニストについてこう書かれていたと思います。ピアニスト……観客を唸らせる演奏をする一瞬のために、 死ぬほどつまらない練習に 人生のほとんどを費やす覚悟をした勇気ある人。 またはそれに耐えられる根性のあるスゴイ人 類:楽器演奏家いやあ。ほんっと、自己中心的な考えでした。だいたい、「ピアノの練習が辛くてつまんない」というのは、私の主観的判断です。「私のピアノをきいて、スゴイって思ってもらわなくては」こんなことを考えながらピアノと向かい合っていました。これじゃあピアノを始めたばかりの私が、楽しいはずがありません。スゴイ演奏なんて、できっこないんですから。本当にピアノが好きな人は、きっとピアノの音が出るだけで嬉しいんでしょうね。そういえばウチにピアノが運ばれたとき、すごく嬉しかったな。夢中で何時間も弾いてたよな。おかあさん、ごめんね。せっかく買ってくれたピアノ、ずっと好きになれなくて。20年経って、やっとピアノが好きになれました。でも、子供のときにピアノに触れていなかったら、それもわからなかったよ。きっと。すごく遠回りしちゃったけどちゃんとたどり着けました。これからは、自分のために、自分のペースで弾いていきます。ありがと。。。
Jul 5, 2006
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「このブログはスピリチュアル系ですよね」というお言葉を先日いただいたので、ダンナサマにちょっと聞いてみました。「ねー、私のブログってスピリチュアルかな」すると、目からウロコな返事が。「ブログ全体のデザインがスピリチュアルだよ。 背景の色とか、写真とか。」がーん。(ふいを突かれた)そうだったのか。。。。読んでくれている方々、スピリチュアルを期待させちゃってたら、すんません!!!実は、実は……スピリチュアル、あんま詳しくないんですぅ~~~!生来根性がないもんで、しっかり勉強するとか、1つのことを探求するとか、そのテのことが逆立ちしてもできなくて。(すいません、逆立ちもできないんでした。)あの、一応興味はあるもんで、本はいっぱい持ってます!!!(自慢)が、大抵は最初だけちょろっと読むとか、パラパラめくっただけとかそのままどこかに置きっぱなしにしたり、タンスの肥やしになっています。(あとで買ったことすら忘れてまた買ってくるので、2冊も3冊もある)そんなわけで、改めましてこのブログはスピリチュアルとか、精神世界とかのお話はあんまり出てきません。(ていうか、できません)たまーに「宇宙」とか「神様」とか出てきますが、それは本人の気分が今日はそんな感じってことで(俗物ですがそれなりに神聖な気分になることはあるですよ)流していただけるとありがたいです。なにしろ一本スジ通すとかテーマを決めるってことができないんです。昔から。ううう。。(涙)こんな私の生活を「浮き草暮らし」と呼ぶ人もいるくらいでして。(流されやすいってことです。うまいこと言うな~)まあ、そんなわけでデザインちょっと変えてみました。どうでしょか。なんか全体のイメージにしっくりくるので、プロフィールの写真なんてのも変えてみました。もちろん本人じゃないですよ。Isabelle Antenaというフランスの歌手の若かりしころの写真です。英語のサイト。試聴ができます。私としては"le poisson des mer du sud"(南の海の魚)という曲が好きです。プロフィールの写真に違う人の写真使うのはウソのうちかなぁ。。。
Jul 4, 2006
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友人から、中村隊長という方を紹介してもらいました。必要を感じる方は、行ってみてください。必ずヒントがあります。以下紹介文引用です----------------------------------------------- 中村隊長の話を聞いた人は、こう言います。 「元気をもらいました。ありがとうございます!」 でも、本当はそうじゃありません。 彼の中に”すでにある元気”を引き出しただけなんです。 ~自分の仕事が”好き”になる魔法~ あの、地球探検隊の中村隊長が対談形式でじっくり語ってくれる、 ハッピーで素敵な機会が7月22日(土)に訪れます。 → http://www.synapcess.net/archives/10/000009.html-----------------------------------------------------------------先日、ある人から「このブログは、スピリチュアル系ですよね」と、言ってもらいました。(読んでくださって、ありがとうございます!)……えーっと。そうだったかな。実は、この日記を書くときに「これを書こう!」とか「これを伝えなくては!」とか極力考えないようにしてるんです。あ、昔は(いや、つい最近かも)ありました。ええ、もう、バリバリと。それを考えることこそが、いいことだと信じて疑わなかったので。これも一つのとらえ方ですから、こういう文章の書き方が悪い、とは思っていません。ただ、この書き方ちょっと見方を変えてみると、読み手の受け取り方を指定している書き方とは言えませんか?私「これを書こう」⇒読み手「こう理解しなくては!」私「これを伝えなくては」⇒読み手「これを知らなくちゃダメ!」というような具合に。すべてに当てはまるわけではないでしょうね。しかし、私たちが学校の「国語」という授業でしてきたことは、作者の意図を推理する、という作業が大半でした。「問 この文章で伝えたいことは何か」っていうような問題がよくありませんでした?「どーでもいーだろ、そんなこた」私はよく、こうやって文句をつけては国語ができない言い訳にしてました。やれやれ。まあその。私がニガテだったから、ということは、この際置いといてですね。作者が伝えたいこと、よりその文章から私たちが得られたこと、のほうがよっぽど大切だと思いませんか?(はー。国語ができなくっても大丈夫☆どきどき)←誰に言い訳してるのやら。世の中にはいろんな情報が氾濫しています。情報っていうと、なんかビジネスチックに政治だとか、ITだとか、経済だとかって決めつけてしまいがちなんですが(私だけかな~)赤ちゃんとして生まれてきて、家族から浴びせられる言葉のシャワーだって何気ない世間話だって友達とのメールのやりとりだって恋人とのスイートな会話だって情報です。たとえば天気予報。これも立派な情報です。「今日は雨は降りません」この情報をもとに、私たちはこれからの行動を決めます。傘を持つのか、持たないのか本命にするか、アッシー(古い)にするか会社に行くか、遊びに行くかなどなどなど(傘以外はありません。私は。いやこれホント)冒頭の紹介文のようなセミナーはどうでしょう。まずはあの紹介文を読み、次の行動を決めます。「なにそれ?」と言って、さらに調べるか「おぉあの人か、会いに行こう」と思って即参加するか。「いやー、このブログの作者はウソツキだっていうし、 コレもウソじゃん?」と疑って見るか(私の母です。。。)「自分元気っす。別にいーっす」(←誰?)と無視するかさらに参加するとして、そこで聞いたことを元にそれぞれが先の行動をきめます。鼻息も荒く「よっしゃー」と聞いたことを何も考えずにそのまま即実行!という人(以前の私です。。。)既に自分なりの考えを持っていて、聞いた話をヒントに発展させる人「ふーんそんなもんかな」と聞き流す人「いやー、なんか違うわ。他の道を探すわ」と自分を確認する人こういうセミナーって、こういうものかあ、と知る人友達を作る人、ビジネスパートナーを見つける人途中で「自分にはここまで」と区切りをつけて帰る人話に感動して頭を刈ってしまう人(何があったんだ!何が!)……天気予報でも、セミナーでも伝える人が言いたいことを知る必要は無いですよね。事務的な伝達だったら、できるだけ事実を正確に伝え、聞いたほうも正確に判断する必要があります。(正確さを問うことが目的が国語の授業にあるのならば 文学作品を扱う必要無いよなあ。。。)←しつこい。天気予報もセミナーも、「自分がどのように受け取りその後の行動に結びつけるのか」ということが重要なはず。ところが私たち(え?私だけ?)ときたら「今日は雨は降りません」という天気予報を、「今日は傘は要りません」という意味と はき違えるということがよくあります。「今日は雨は降りません」という予報のあとに 雨が降ろうものなら「ちっ天気予報のウソツキめ」(↑言えた口か?)と舌打ち。天気予報という情報をもとに、自分で判断し、勝手に傘を持たずに出てきたくせに「あの天気予報がウソさえつかなければ」と、びしょぬれになってイライラ。よくよく調べることもなくセミナーに申込み、「こんなことを言ってくれて、 あんなことや、こんなことをしてくれて♪」と妄想をふくらませ。参加したらば思った通りのセミナーではなくて「あの紹介文さえなければ。くそー損した。」とイライラ。傘を持たずに出かけるのも、セミナーに参加するのも、自分が何かしら必要を感じているからそうしているんです。必要を感じなければ、行動していません。傘を持つ面倒を避けたいとか家族の誰かにその傘を持たせたいとかセミナーに参加して自分の問題を一刻も早く解決したいとか、感動に飢えているとか似たような友達を見つけたいとか逆に「自分にはこういうものは必要無い」と確認したいとか別の道を探すきっかけにしたいとか意識する、しないに関わらず、自分がどこかで必要としているから、動くんです。そうでなければ、人間は絶対動きません。てか、私は絶対動かない(笑)自分がその情報をもとに何を選択しているのかを知ることは自分の行動に責任を持つということ。教えてもらったことが、後で違うと分かったからって、情報の発信者を責めるということは、その情報にもとづいて動いた自分自身の責任を取りたくないだけ、、、なんだよな~。わかっちゃいるけど、今日もやってしまった。「あーあ、もう今日は雨は降らないって言ったのにぃ~。天気予報のばか」だから、学校の国語がそもそもね。。。(延々続く)
Jul 2, 2006
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昨日は、誕生日でした。お祝いしてくださった方ありがとう!!!そして、これを読んで「あ、そうだったのね。おめでとう。」って思ってくれた人。ありがとう!!!いつもいつも、いろんな人に支えられています。ホントに、ありがとね。さて。先日書いたこと、改めて読み返してみると、意味不明ですね。すんません。。。。まず「どうして体調が悪くなったのか」ってのが抜けています。つまり勉強も仕事も人間関係もめんどくさいわけですよ。もうお分かりかと思いますが……そう、いいわけなんです。親や先生や上司には「勉強(仕事)がんばってま~す」と友人や恋人には「あなたと一緒にいて、いつも楽しくしてま~す」とそして自分自身には「どれもこれも、精一杯やってるんで~す」とアピールしてる手前、「勉強?だる~い。 仕事?サイテー。 友達?やれやれ。 カレシ?うざー」……こんなこと、自分に対してさえ言えないんです。こういうことを普段から言い放つ人にはなぜこれを隠して、コソコソとウソをつかなきゃならないのか、ということは、分かりにくいと思いますがこういう人は生きていけないと固く信じていたので、怖くてこんな自分は認められないのです。(生きていけるんですけどね、充分)しかしやりたくないことは、やりたくない。できないもんは、できない。不動の事実が立ちはだかる!あさはかな私は、抜け道を見つけました。名付けて「カンタン便利!急に具合がわるくなって。大作戦」(まんま)学校や会社を急に休んでも友人や恋人との約束をドタキャンしてもたった一言「ううう……ちょっと体の調子が悪くて。」と言うだけ。効果は絶大です。では、この方法を試したiさんに話を伺ってみましょう。iさん;コンビニのバイトでドタキャンしたときに、使ってみたんです。 「ううう……ちょっと体の調子が悪くて」 すると、店長が「そうか……しょうがないね、お大事にね」 って言ってくれました! ちょっと引いてたっぽいけど、何も言われなかったです☆ テストの成績が悪かったとき、おかあさんにも言ってみました。 「あのときは、調子がわるくて」 そしたら、いつもは厳しい母が、 「そう、じゃあしょうがないわね」と優しく言ってくれたんです! この一言を言うと、なんだか胸がスッキリするし、 「そんなに頑張ってたのね」と 自分を慰めることもできるんです。 人生変わりました!魔法の一言です! この言葉、ずっと使い続けていこうと思っています。……(^^;「体調悪いんです」って言われたらね。「それは言い訳」とか「ウソをつくな」とか「死んでもやれ」とか言いませんよね。厳しい人なら言うかもしれません。そしてこう言われて、死んでもやるって人もいますよ。(そういうのを良しとする風潮が日本にはありますね)でも、たいていの人であれば「大丈夫ですか、おだいじに」「ゆっくり休んでください」と言いたくなるのが人情ってもの。この人情を逆手に取るのがこの言葉。やりたくないことはチャラになり(やりたくないなら、やらなきゃいいのに)できなかったことは許され(なぜ許しが必要なんでしょうか)人からは普段より優しく声をかけられドタキャンの罪悪感も、勉強や仕事ができなかった悔しさも「体調悪かったんだから、仕方ないのよ」といいわけすることでスッカリ忘れることができます。「体を壊してまで、ガンバッている」甘い自己陶酔にひたることもできちゃう。体調不良、おそるべし。ウソツキの私が、これを使わないテはありません。「何もしないで『頑張っているね』と認めてもらえる! (ような気がする!) 誰にでもできる20の体調不良訴え法」……本が書けるかも。(これから私が体調不良を訴えても、ねぎらってもらえないかもしれません。。。)いやホントに体調は悪かったんですよ!念のため。意識こそしていませんでしたが、今思うと「体調が悪い」って言いたくて自分で悪くしてたんですね。たぶん最初に「いいわけ」として体調不良を使ったときは、こんな感じだったんでしょうね。「ああ~今日そういえば、キライな○●ちゃんと 並んで座ってお絵かきしなきゃいけない日なんだよね~。 イヤだな~。あの子キツイんだよな~。また嫌なこと言うよね~ うーん。ここは頭が痛いことにしとこう!」ここで保育所を休むことに成功し、味をしめた私は、何度かこの手を使ったと思われます(笑)やがて親もわかってきたようで「この程度で休むんじゃない!」と寝床から引っ張り出されることに。そんな軟弱な人間では社会でこの子が生きていけないんじゃないか、というこれもやはり危機感から、母は私を厳しくしつけていたのでしょう。これでは本当に痛くないと、学校に行かされてしまう、というこれまた危機感で(発見。感情が伝染するってこういうことなんですねえ。)自分で自分の体を本当に痛くし始めます。「ええい、痛くしておりゃ学校に行かずに済むのじゃあ~~~ あ~痛い。ひ~痛い。」辛口カレーコンテストみたいだなあ。辛い辛いといいつつ、しょーもない景品目指してチャレンジしてしまう。こんな根性があるなら、なんでもできそうな気もするんですが、そこはつっこまないでください。とりあえず体を痛くしてりゃあ、万事安全とタカをくくっていた私。あるとき、休みがちの私に、当時とても厳しかった学校の先生がこう言いました。「体調管理も自分の責任です。しっかりしなさい!」……ムカッ←使ってみた。以来大手を振って休むわけにもいかなくなります。また、友人達の目も次第に厳しくなってきました。「ホントに具合悪いの~?」「ズルなんじゃないの~?」子供は大抵同じことを考えていますから、自分たちより何かができる人には厳しいもんです。(私の場合、親が家に居なかったので勝手に休んだりしてたってだけですけど。。。)そこで今度は、健康のためアレコレやっていることも、忘れずちょいっとアピールすることにしました。実際、本人は健康のために必死でいろいろやってるつもりですし、そのおかげで(思い込み半分)体の調子が良かった(ような気がする)ときもありました。が……振り返ってみると体に悪そなことも、それ以上にいっぱいやってました。そーいや。「健康のためにいろいろやってます」とアピールしたかったのでうまいこと(いや、バレバレか)隠蔽してました。私を全部知っている人が見たら(つまり自分自身ですが)「『そこそこ体調悪い』という状態を保っている」ようにしか思えない。深層意識ではそういう作戦を取っていたんじゃないかな~という予測で先日の日記を書きました。わかりにくくて、すんません。ちなみに。アレコレ健康法を勉強していく中で知り合ったのが現在のダンナサマです。1日2食健康法といいます。理論も方法も単純明快のものですが、実践の難しい方法でした。自分から逃げている状態では、決してできないものでした。私が自分自身を見直すようになったのも、この健康法を実践し始めてから。見直すというより、見えてくる。これについては、また後日書いていきたいな、と思います。
Jun 25, 2006
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「1日2食の健康革命」を書いているウチのダンナサマが、私のブログを読んでアドバイスをくれました。「もっといろんな人に読んでもらえるように タイトルを変えてみたら?」……うーん。どんな風に変えてみたらいいのか、もう少しつっこんで聞いてみました。「世の中で『だりー』って思っている人が このブログを読んで参考にしたり、 元気づけられたりするかもしれないでしょ? でも、このブログの存在自体が知られていなければ それもできないよね。 だから、はじめてタイトルをみた人が、すぐに内容がわかるのがいいと思うよ。 たとえば……そうだな~、【『生きてるなんて、だりー』からの脱出日記】 とか、そんな感じのタイトルがいいんじゃないの?」ほえー……なるほどー。さすがはライター。。。。文章を使ってできること、心得ているなあ。そんなわけで、そのうち思いつきでタイトルを変えるかもしれません。実は何をこのブログで書きたいのか、自分自身まだはっきりわかっていないのです。つまり、タイトルのつけようが無い、というのが実態でして……お恥ずかしいことです。(とてもライターの妻とは思えない。。。)では、先日のつづき、はじまりはじまり~「生きるのって、ダルイ」こう感じ始めたのは、おそらく相当小さい頃です。そんな自分をウスウス感じてはいたのですが、それだと生きていけないかもしれないんで。自分にも周囲にも「がんばって生きてまーす!」とアピールすることにしました!(ぱんぱかぱーん!)ところが、体の調子が悪くなってきたんです。体調が悪くなり始めたのは、保育所に通っているとき。いつも、だるい。胃がムカムカして、一日中気持ちが悪い。夏でも嫌~な寒気がする。なんかやる気がでなくて、疲れやすい。検査しても何も出ないのですが、こういうことを言い訳に幾度も学校を休みました。しかし中学にあがると、そうも言っていられなくなります。本当に体調が悪いひとは、落第するかもしれないし、それこそ生きていけないかもしれません。そこで取った作戦。「そこそこ体調悪い」という状態を保つ!!(※注;本人必死。)マンガなんかで、自分に都合が悪くなると「イテテ……急に腹が痛くなって。スマンがちょっと失礼」なんて逃げるキャラ。あれ、すごくイイ!グッド!!d(* ̄∇ ̄)(←インターネットで見つけてきた)使える!その状態を保つため、あれこれ健康法を探します。(つづく)
Jun 22, 2006
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「生きてるなんて、たりーぜ」と感じてしまった私。「でも、それじゃ生きていけないわ」と恐怖におののく私。この矛盾を解決すべくウソツキ人生を歩むことを決心した勇敢な私には楽しい冒険がたくさん待っていました。徐々にウソと言い訳のレベルをあげていく私。【こんなときにこうする!マニュアル】が自分の中でどんどんできあがっていきます。マニュアルに当てはまらない言動をした場合は自分の履歴から即削除そこへニセの言動をしたこと書き換えし、周囲にはウソをついときゃバッチリ☆あとは自分に対して言い訳しとけば、罪悪感も自動消去♪「私は『人生なんてたりーの』なんて全然思ってません」こんな人物像を「ガラスの仮面」の北島マヤよろしく日常フツーに演じていました。ウソツキ人生、順風満帆。そして自分自身にはこんな変化が!!何がウソで、何が本当だったのかが、わかんなくなってきた……友人に「こんなこと言ってたよ」と言われても覚えがない……そして、体調が悪くなってきました。ひどい頭痛がしたり、吐き気がしたり疲れがとれなかったりめまいがしたり学校や会社に向かう途中で、気分が悪くなって動けなくなったりすごい病気じゃないので、根性で動こうと思ったら動けるんです。それに、検査してもなんにも出てきやしません。しかし体調が悪いのは事実なもんで、原因をそれなりに探ります。「体が弱いせい」「食べてるものが悪いせい」「働き過ぎ」「やりたい勉強や仕事をしていないストレス」「人間関係がよくないから」「自分に能力がないから」「家庭や学校や職場の、環境が悪いから」私は「人生なんてたりーの」なんて微塵も思ってないわけですから、こういう場合はちゃんと対処しなくちゃならんのです(笑)そんなわけで、「体を強く」し「いい食べ物」を食べ「よく遊び」(働くのを一時止める、じゃないとこがミソ)「やりたい勉強や仕事」をし「いい人間関係を築」き「能力を磨」き「家庭や学校や職場の環境」を良くしなくちゃなりません!(つづく)
Jun 17, 2006
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「こんな私じゃ、生きていけないかも……」(なんでそんなことを考えていたのかは 前日までの日記をお読みください。 うっとおしいこと必見!)危機感にさらされた私が取った手段とは「私は『生きてるなんてだりー』なんて、微塵も考えていません」と、アピールしながら生きるということでした。要するに、ウソをつく。人格を決定する、かなり大きなウソです。小さなウソをいくつも重ねて、ようやくアピールすることができます。なにしろ「だりー」と思っているってことを誰にも悟られてはなりません。言動、身なり、友人関係、これまでの経歴すべてにおいて「だりー」と思ってないという「証拠」が必要になってくるのです。ちょっとでもその基準にずれている行動してたらやばいわけですよ。これはツライ。しかし、やりました(エライっ!)だって。死ぬのは痛そうだし。おかあさんが「親より先に死ぬのは最大の親不孝」って言ってたし。やるっきゃないない☆(かわいく)ウソつき人生の はじまりはじまり。自分のことも、起こった出来事も、すべては自分の人物像をアピールするための材料でしかありません。なんだっていいんです。アピールできりゃあ。ウソもでっち上げも大げさな表現もぺラペラと自然に飛び出してくるようになりました。あとは自動操縦です。止まるところをしりません。ウソが口から飛び出ると、自分でも正直ギョッとするんですがここでも自分に言い訳というウソを少々。「あの場では話を盛り上げなくちゃならなかったし、 仕方なかったのよ」「これを言ったら、あの人は私に幻滅してかわいそうだから 仕方なかったのよ」などなど。めちゃくちゃな言い訳ですが、本人真剣です。ひとつのウソを完璧にしあげるためにもうひとつウソをつきそれをまたツジツマ合わせのためにもうひとつ。言い訳のために自分にもおまけにひとつ。さらにひとつ、またひとつ。そうこうしているうちに、さらにヘンなことが起こってきました。(つづく)
Jun 16, 2006
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自分自身に対して嫌悪感のあった私。なんと自分だけでなく「だりー」って口にするヤツぁ~どいつもこいつもつい最近まで大っキライでした。(今でも、ちょっとニガテです)自分と同じ要素を持つ人を嫌うことこれは、「自分にはそんな要素なんてありません」というウソを自分自身についているちゅーことです。自分から逃げていたのです。自分はそうじゃない、って思いたかったのです。そうだったら生きていけないって思っていました。自分がそうだと認めることは、社会での死を意味していたのです。死ぬなんてね、大げさだって思われそうですけどね。人間関係が悪くなるとストレスになるのはなぜか病気になることを恐れるのはなぜか仕事がなくなることを恐れるのはなぜかお金がなくなることを恐れるのはなぜか人に非難されるのを恐れるのは、変な人だと思われたくないのは、なぜ、なぜ、なぜつきつめて考えていけば社会とのつながりが無いということが、死に値するほど、人によってはそれ以上の恐怖なんですよね。。。本当の自分が、この社会では生きていけない人なのかもしれない。だとしたらマズいので「自分は間違っても『だりー』などとは思っていません。ええ、絶対。」と、ウソをつくことにします。そこでまずは、「だりー」などと抜かしてるヤツは、避けて通ることにしました。そんな人と一緒に「だりー」と言ってしまってては、共倒れあるのみ。その思いが「キライ」という感情として認識されました。感情のズレってやつです。しかし、思わぬところに難関がありました。妹です。。。ちょっと考えてみれば当たり前ですね。同じような環境に育っているんですから、考え方も似ていて当然。同じように「だりー」と思っていて同じように「そんな人キライ」と思っているわけです。そして、どこに行ってもいました。似たような人。「だりー」っていいながら、「そんな人はキライ」っていう矛盾の多い人。人が動くときは、その人の考え方やものの見方がもとになっていますから、学校、職場、友人や恋人なども、全部同じパターン。かくして私の悪循環は止まるところを知らず、ドツボにはまっていくのでした。(つづく……たぶん)
Jun 15, 2006
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(つづく)とか書いておきながらなかなか更新できずにいました。 書き始めると、一つの話にいくつもネタが入っていて、 うまくまとまらないもんですねえ。 そして、今日の話もこないだの続きになるのかどうか。 さて 人生を良くしよう!と画策し 幸せになろう!と奮闘し そして毎回失敗におわる。 「……生きてるなんて、たりー」 ふと、そう思った時 げっ! 自分で自分に対して、嫌悪感を抱きました。 嫌悪というより恐怖だったんだ、と 今こうして書いていて気が付きました。 「こんな気持ちじゃ、生きていけない」という恐怖。 大げさに言うと死の恐怖。 だってね。 あなたが会社の面接官なら、 「だりー」って言ってる人はまず採用しないでしょ? それから、 「なんかだりーから、今日は君とは会いたくない」 っていう人とは、 あんまり友達や恋人になりたくないですよね。ふつう。 社会に繋がることができないと、 人間が生きていくのって、けっこう困難じゃないですか? (だって、他の生き方を知らないんだもん!) でも……自分がそうなっちゃったんです! やべぇ。。。なんとかしなくては。 このままじゃあ、就職もできず 友達も生涯の伴侶もいないまま、 親兄弟にも見捨てられ 孤立して 最期はのたれ死にかも。 なんて、本気でよく考えていました。 もしかしたら、そんだけヒマだったのかも(笑) 「嫌悪は恐怖」ということを知っていたら、 少しは落ち着いてヒマをもてあませたかもしれません。
Jun 14, 2006
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「自分自身を思うがままにコントロールする」私は、ずっと「いいこと」だと思っていました。「思いのままに生きる」ことそれが、人間にとっての自由なのだと。思い通りの自分でいること。それが、幸せだと。信じてきました。これは、私のコントロールの物語です。私は、自分自身を思い通りにするにはどうしたらいいのか常に考え、試行錯誤してきました。ちなみに、私の「思い」とは、こういうものでした。「世のため人のために尽くしたい」「自分を律する人でありたい」「美しい人でありたい」「たくさんのことを知っていたい」「ユーモアのある人でありたい」「なんでもチャレンジする人でありたい」「頼れる人でありたい」「いつも前向きでありたい」「人に好かれる人になりたい」などなどなど。。。まだまだたくさんあります。「理想の自分」・・・きりがありません。全部、欲しかった。なければ、ダメだと思ってた。こうならないと、人生失敗。タイヘン、タイヘン、どうしましょう!ところが理想の自分にあてはまることってこれまで、ほとんど、ありません!!!できないことは数え切れないほど。たま~にできても自分が納得いく形でなかったり。理想と現実のギャップは、全然埋まりません。埋まるどころか、どんどん広がっていくんです。やばい。このままいくと、失敗じゃん。私の人生。。。私は焦りました。理想が高すぎるのかなあ。私には無理なのかなあー・・・だけどおかあさんは「がんばれば幸せになれるよ」って言ってたし!(笑)学校の先生だって、テレビだって本だって口を揃えて言ってるもん!だから、がんばらなくちゃ!焦っているうちはまだよかったのです。できなくて凹む。凹んではまた気力で持ち直す。そんなことを繰り返しながら日常をなんとかやりきっていました。当然ですが……疲れてきました。当時、4畳半一間トイレ共同風呂なし(家賃3万円)の木造住宅の部屋で一人暮らしていた私は、ぼんやりと人生って、どうやら、そんなに思い通りになるもんじゃないと思うようになりました。ネガティブでマイナス思考。私は当時、自分自身をそう批判しました。批判したところで、その思いは強まるばかり。これじゃあ生きていけない。不安になりました。なんとか立て直そうともがくのですが、この思いは、どこへ行っても、何をしていてもずっとついてまわります。みんなどうやって生きているんだろう?周囲を見渡してみました。そういえば、思い通りに生きている人・・・あんまりいません。絶えず何かをがまんしていたり、不満に思っていたりできないことの言い訳をしていました。ある一面では思い通りに生きているように見える人でも、別のところでは結局思い通りにならず、苦しんでいる人もいました。がんばっても、幸せ(思い通り)にはなれない。。。「思いのままにいきること」が幸せのはずなのに、思い通りになることが、あまりないなんて。絶望……。この答えを抱えて、これから何十年も生きていくなんて。ダルっ!!!やる気、なくします。生きててもしゃーないなー。なんか空しいな~。めんどくせえなぁ~。は~やれやれ。死んじゃおっかな~。うーん。でも死ぬのは痛そうだからイヤだな~。というわけで、もうちょっと生きてみることにしました(笑)そのまま生きててもしんどいので、なんとかラクになる方法を探すことにしました。そして、今に至ります。(つづく)
May 26, 2006
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Swingyさんが、先日の日記に>自我の確立があって初めて、力を抜くこともできるのかもしれないなと思いました。とコメントしてくださいました。ありがとうございます。自我の確立。とはなんぞや。Swingyさんが紹介してくれた、デイリーキヌガワさんのブログが、とても参考になります。私も同意見です。こんな本があります。「嗜癖する社会」アン・ウィルソン・シェフhttp://www.tku.ac.jp/~takaira/HP/book/sihekisu.htmlありのままの自分でいられることってぶっちゃけ……難しい!!!だからこそ、私たちは知を求め経験を積み、学んでいくのかもしれません。知識、経験、学び、気づきこういうものは、きっと、自分たちが今どこにいるのかを教えてくれる地図みたいなもの。私たちは一生かけて自分の白地図に書き込みしてるんですね。「嗜癖する社会」では、なぜ私たちが「ありのままの自分」でいることを難しく感じるのか他社との境界線がはっきりしないことの苦しみとは何なのか「ありのままの自分」とはなんなのかということを書いています。ありのままの自分、というと、なんかフワフワしてる感じで「そうは言ってもね」なんて私はずっと斜に構えていました。この本では、「ありのままの自分」について学術書に近い形で書かれているので、そんな私でも、かなり納得しました(笑)ありのままの自分になれる日が、必ず来るって信じて今日も一つずつ、自分を認めていきます。
May 25, 2006
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「本当の自分」とはなんぞや。「とらわれ」や「こだわり」を取り除いたあとに残る、「私」そのもの、である。……うーん……なんか、どっかで見た本のパクリっぽいなぁ。。。でも、しゃーないか。もともとこういうことって、昔から言われていることだものね。「とらわれ」「こだわり」って、どんなものだろ。例えば「こうしなくてはならない」「こうしてはいけない」あるいは……「こうでなくてはならない」「こうだったらいけない」それから……「こうありたい」「こうはなりたくない」あとは……「こうあるべき」「こうあってはならない」そうそう、これも!「これが好き」「これがキライ」多分、これもだ。「これをやりたい」「これはやりたくない」忘れちゃいけない……「これは正しい」「これはよくない」こんなもんかな。考え方や趣向というのは、私たちが社会から与えられた概念に基づくものなんですよね。よくよく考えてみれば、もし、私たちが他の時代、他の国に生まれていたら違っていたかもしれないんです。そう思って私のこだわりを改めて眺めてみると、どれをとっても曖昧で、不確実なものでした。だからこんな思いが出てきたら、とらわれているってことなんだろうと思います。作られた概念を手放していけば「本当の自分」が現れるんじゃないか。勝手にそう思い込んでいます。あれ、ちょっとまって。これもこだわりかなあ(笑)
May 22, 2006
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4月24日をもって、会社を辞めることになりました。この場を借りて……会社のみなさん、これまで、ありがとう、ございました!!ほぼ丸5年、お世話になりました。実は社会人になってからというもの、こんなに長く勤められた会社はありませんでした。新卒の時は、ある会社の営業職になったんですが、1年半で逃げ出しました(笑)そのあとは職を転々として、最後にたどり着いたのが今の会社です。当時の私は、自分自身に絶望していました。能力もない。キャリアもない。学力もない。「これ!」ってものが何もない。心を許せる親友も、愛を誓い合える恋人もいない。当然お金もない(笑)持ってるモノといったら、世の中に対するウラミツラミだけ。仕事に対する情熱なんてものはとっくの昔に失せていました。「お金がもらえるなら、なんでもいいや」そのくらいの気持ちで面接を受けました。よくぞこんな私を雇ってくださったものです。一介の契約社員でしたが、こんな私にも多くの重要な仕事を任せてくれました。そのおかげで、入社した当初と比べ、はるかに成長できたように思います。その責任の重さ、仕事の多さに、私は勝手にプレッシャーを感じてしまい、毎日キリキリしていましたがその重さがあったからこそ、多くのことを学ぶことができました。自分にとって仕事とは何なのか。どうしたら、自分は満足した仕事ができるのか。模索と失敗の毎日でしたが、周囲の方々は私が失敗しても、いつも許してくれました。本当に、ありがとうございました。お世話になった会社を後にすること一緒に働いてきた方々と離れることは、とても寂しく、辛いことです。また、慣れた仕事を離れ、また新しい仕事を始めることは、大きなエネルギーを必要としますので、勇気も要ります。それでも私は、ここを離れることを選択しました。理由はいろいろありますが、一度社会から離れ、自分自身と向かい合う時間を作る必要を感じました。「少し休んだら、もう一度会社に戻っておいで」退職を伝えたとき、誰もがそう言ってくれました。けれど、どれだけ自分に時間が必要なのかは未知数でした。自分と向かい合う時間が限られていることは、私には意味が無かったのです。こうして私は貴重な時間を受け取ることができました。本当の自分を知るために、別の道を歩き始めたのです。とにかく私は一人旅に出ることにしました。私の課題はまだ山ほど残っています。会社勤めを辞めても、課題が終わったわけではありません。私はその課題を会社で終えるまでは居続けよう、と思っていましたが、今の私では難しいと判断しました。やり残した課題は、必ずもう一度やってくるでしょう。そう、私がその課題を乗り越えるまで。残せば、残すほど大きくなって、私を迎え打つでしょう。覚悟をきめて、再出発します。
May 15, 2006
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swingyさんのジャズピアノのレッスンにお邪魔させてもらいました。ピアノに合わせて歌を歌わせてもらったんです!swingyさんのページ…http://jazzpiano-hikouyo.com/(私は個人的にお勧めCDのうんちくをかなり参考にさせてもらってます。プロフィールにかなり力を入れられたようで(笑)笑わせてもらいました。)生演奏で歌うって、いいです。。。はう~…この日は生徒さん達の演奏に加え、プロのドラムも入ってくださって、ほぼライブ状態!ええっ?いいの?な、恵まれた体験。私の歌の腕前は、ともかく。。。うう~…気持ちいい!カラオケみたいに、有線みたいな音じゃないし、伴奏にメロディーが入っていないから、ちょっとしたプロ気分!なわけです。それに加えて、音が体を直接震わせる感覚。ピアノ、ドラムとの一体感。みんなで作り上げていく、高揚感。「音楽は世界をつなぐ」っていうけど…言葉なんか交わさなくても、心と体がつながってしまう感覚ってあるんだな。特にジャズの場合、ほんの少し打ち合わせすれば、すぐにセッションできちゃう。だから、初めてお会いした人とでも、あっという間にひとつのものが作り上げられちゃう。まさに、一期一会!これって、茶道の言葉だけど、どんなことでも、そうなんですね。swingyさん、それから、生徒のみなさん!ありがとう!ずっと歌から離れていた私ですが、もう一度勉強しよう!って思わされました。swingyさんにもピアノ伴奏してもらいました。光栄ですっ!いざ、前奏から。。。…おおっ!やさしい~とってもやわらか!人柄なのかなあ~。ばーん!って勢いよく弾いても、やっぱり、やさしい~んです(笑)とか思っているうちに、出だしが遅れました。かっこわるかったです。それは、さておき。。。どんなにゆったりしたピアノ曲でも、演奏している人によってうわ~、この人強い!って思ったり堂々としてるな~って思ったりしたこともありました。表現って、テクニックじゃないんですね。日ごろから過ごしているその人の在り方が、演奏に出るんですね。ピアノや歌じゃなくても、一人一人、それぞれに表現していることが、必ずあります。それはもう、見せ方だとか、聞かせ方だとか、話し方っていう、表面的なテクニックでは、隠せないものです。どうやったって、接していたら感じてしまうもの、本来の姿です。なんだかんだ言って、私たち。普段のあり方をちゃんと表現しているんです。話し方、表情、体の形。それぞれの個性、一つ一つの表現。認めていける、自分になりたいです。
Apr 18, 2006
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昨日、妊婦になった友人が、「もー何だかわかんない!私を癒して~!」ってメールをくれました。こういう時にメールをもらえるって、なんか嬉しいです。自分の弱さをさらけ出すのって、勇気が要るんですよね。相手を信用してないとできないことです。「うっとおしい、って思われたらどうしよう」「メイワクかからないかな」「弱い自分を見せるのは、恥ずかしい」こういう思い込みから、助けを求めることって結構難しかったりします。で、助けを求めるときに求めないでいるから、自分の中で、不安やら恐れやら、苦しみやら悲しみやらが溜まってしまって周囲の人に、わかりにくいカタチで毒をまいてしまうんです。思い当たるところが……私には、たくさんあります(爆)例えば……怒りが溜まるあまり、無意識冷たい一言を放ってしまう、とか自分の身を守るのに精一杯になってしまって、思いやりがなくなってる、とか不安から、思い込みが激しくなってしまうあまり、自分の世界にこもってしまって、周囲が見えなくなっていたり自分の心を整理をしきれなくて、仕事でミスが増えてしまったりこれさえなければ、と思うあまり、モノを大切にできなかったり体から毒を吐く時もありますね。病気になったり、体臭がしたり、皮膚に異常が起こったり。私の場合、その現状から逃げたい時なんかに、よく起こります。そうやって、周囲に無意識のうちにアピールしはじめるんです。だって生きてるからには注目して欲しいんです。大事にして欲しいんです。だけど、そこを無視して動くから、無意識的にやるしかないんです。それって、自分が気が付いてないだけで、ハタで見てると大迷惑だったり、みっともなかったりします。時限爆弾みたいで、いつ何時、何が起こるかわからないんです。だから周囲はいつまでたっても心おきなく一緒に過ごすことができないんです。だから、私たちは必要なときには助けを求めなくちゃならないんです。毒を撒き散らす前に。自分を毒で冒すまえに。「求めよ、されば与えられん」なるほど、いいこと言うじゃん、イエスさん。宇宙は、豊かです。私たちが必要とすれば、必ず与えられます。そのくらいのこと、この宇宙はカンタンにできちゃうんです。昨日メールをくれた彼女のように「助けて」ってスナオに言うことができればそして、差し伸べられた手を、スナオに喜んで受け取ることができるのであれば必ず助けてくれる人が、現れます。こんな話があります。*-------------------------------------------------------------------------大洪水が起きて、ある女性が川に流された。女性は、信心深く、神様がきっと自分を助けてくれると信じていた。濁流に流されていると、屋根の上にあがっていた男の人が、「この手につかまれ」と手をさしのべた。「神様が私を助けてくれますから」と、女性はそのまま流されていった。次に、丸太を寄こしてくれたひとがいた。「神様が私を助けてくれますから」と、またもや彼女は言って、川を流されていった。ついに、ヘリコプターが救出に来た。「神様が私を助けてくれますから」彼女は、その救いの手さえも拒んだ。そして、彼女は、ついに力尽き、死んだ。死んで、彼女は、神様の御前に立った。彼女は訴えた。「神様、どうして私を 助けてくださらなかったのですか」神様はこたえた。「私は三度も、お前に手を差し延べたのだよ」---------------------------------------------------------------------目の前にある人が、神様の化身です。神様がいるかどうか、は別として、本当に求めるものは、誰かを通じて得ることもあるってことです。人一人では、世界は成り立ちませんから。。。
Apr 9, 2006
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スピリチュアル・マーケティングという本を読みかえしています。よく言われることですが、自分の置かれている環境は、自分が作っている、ということがここにも書かれています。例えば何かがうまく行かないとき、まわりを責めていませんか?あるいは、ふがいない自分自身を責めて、傷ついていませんか?私にあてはめて、考えてみました。ある人の演奏会に行った時のことです。声楽をやっている、中学の時の同級生の演奏会でした。中学生の時の彼女は、なんでもできました。勉強に、スポーツに、ピアノに、絵画に、作文……。美人でやさしくて、異性にもモテモテ!私も含めて、周囲は羨ましくてしかたがありません。彼女を前にすると、自分がとても小さく、情けなく感じられました。賢くもなく、特技のない自分を恥じていたのです。こういう気持ちでいたものですから、なんとなく彼女とは親しくできませんでした。ところが、たまたま彼女の演奏会があることを風の便りで聞き、懐かしくなって出かけてみることにしたのです。さて、いよいよ当日です。演奏会は、平日の夕方、つまり、終業後に出かける予定にしていました。地図も見た。時間も余裕がある。久しぶりに見る彼女は、どんな風になっているのだろう。どきどきしながら出かけます。ところが、どういうわけか、なかなか会場に着くことができません。会社を出ようとすると、同僚から声をかけられる、緊急の電話がくる、仕事を言いつけられる、宅急便やさんがくる、慌ててタクシーに乗れば渋滞、タクシーを降りれば道に迷う。人がたくさんいて、走るに走れない。ああ、もしかしてこれは、たどりつけないのでは?私はイライラします。なんでこんな時に声かけてくる人がいるのだろう?こんな時に限って、ここが工事だなんて。地図だって調べたのに、なんで建物がわからないの?もう!道の真ん中で並んで歩いてないでよね!そこの歩行者!などなどなど。。。。そのとき私はこの本のことを思い出しました。「うまく行かないことにだって、自分の心に理由がある。」一見、外部が原因に見えるこの遅刻ですが、建物を探しながら、自分の心を見つめてみました。そして、はっと気が付いたのです。私は、彼女に会うのが、とても怖かったのです。彼女に会いたかったのは事実ですが、それ以上に、彼女を前にして、当時の、自分を恥じていた自分を思い出してしまいそうで、怖かったのです。何もかも、うまくいっているように見える彼女。何もかも、うまくいかない私。その対比を思い出してしまったのです。私はとりあえず立ち止まり、深呼吸してみました。それから、「彼女と会うことは、怖い」と認めます。そのあとで、「私と彼女は違う道にいる」「私と彼女の違いを受け入れる」と。そうしたら、いままで見えていなかったのに、その場所に地図があることに気が付いたのです。そしてなんと、私が立っていたのは、その建物の真後ろでした。ちょうど、建物が少し奥まっているところだったので、見えなかったのです。そう、私は、この建物を見たくなかったんです。ほんの少し前、自分の心が変わるまでは。演奏会はもう始まっていましたが、なんとか彼女の声を聞くことができました。本当に、本当にすばらしい演奏でした。このことがあってから、私はどんな状況でも、自分の心に原因があることを実感したのです。何かがあったら、まわりを責めたり、変えようとしたりせず、まず自分自身の思いを見つめて、「うまくいかないことで自分に都合がいいことはなんだろう?」と考えることにしています。ちなみに、この話には続きがあります。演奏のあと、彼女に話しかけたのです。それほど親しくなかった私にも、彼女はステキな笑顔で応対してくれました。言葉を交わしていて、私は、彼女と接する姿勢に変化があることに気が付きました中学生の時の私は、彼女を特別視していました。でも、演奏会の後の私は、彼女と一人の人間として接していたのです。その笑顔、その口調から、なんでもできてしまった彼女にも、いろいろあったんだろうな、と思わずにはいられませんでした。人にはそれぞれの課題、それぞれの成長の過程があることを、改めて知らされたのでした。
Mar 24, 2006
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足立育郎さんの著書に「波動の法則」というものがあります。要約すると、こんなことだったと思います。1、世の中は小さな粒子の集まりでできている。2、それぞれの粒子は、自分の意思を持ち、 自分自身の学習と、さらなる発展のためにそこに在る3、それぞれの粒子は、互いに学習できる相手と結びつき、 一つの形になる。 例:カップ、スプーン、動植物、もちろん人間も。 空気や水などの無機物もです。4、それぞれの粒子は、常に細かく動いている。 それによって、少しづつだが、集まってできている物体の見え方が変わってくる。 変化が早ければ、目に見えるし、遅ければ見えない。 が、確実にどの物体も変化しつづけている。5、それぞれの粒子は、同じ段階にある他の粒子と引き合う。なるほど!と思いました。私達は、お母さんのお腹の中で、小さな細胞から始まって、いろいろなものを引き寄せたり、手放したりしながらここまで来ているんですね。私をつくっている粒子たち。私の一部となった、食物。私の身のまわりにある、空気、水、モノ…それから、私が手放してきた粒子たち。すべてが学びの一段階にいて、一生懸命なんだ、と思ったら、人間の判断する尺度や、成長の度合いなんて関係なくすべてが、いとおしくなりました。私の持つものすべてが、今の私に引き寄せられているのですね。因果応報って、そういうことなんですね。だから、何事も自分の責任で生きていくべきなんですね。どんなに苦しくても、辛くても、現状に感謝し、「来てくれてありがとう。一緒にがんばろうね」と言える自分になりたいです。
Mar 20, 2006
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久しぶりの書き込みです。。。。最後にここで日記を書いてから、一年くらい経っちゃった。その間に、いろんなことがありました。楽しいことも、めんどくさいことも、すべては自分の成長のワンステップだったんだな、と今では実感しています。記録しておけばよかったな。記録をたどっていけば、歴史をひもとくように自分の心を冷静になって見ることができるよね。だから、もう一度ブログにチャレンジです!今度こそ、自分の軌跡を見たい。(何回目のチャレンジだ?)そして、自分をもっとよく知りたい。本当の自分に出会いたいのです。今の私の課題は、スナオになること。恐れず、焦らず、流されず。体当たり人生のスタートです!
Mar 19, 2006
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