2005年12月09日
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2005年11月04日



インドの政治について
インドは連邦共和制(Federal Republic)の民主国家です。立法、司法、行政の三権分立がきちんと確立しており、民主主義が国民にしっかり根を下ろしています。

憲法制定は1950年。B.R.アムべドカー博士の主宰する憲法草案コミッティーにより作成されました。なお、余談になりますが、同博士は不可触民(Dalit)のカーストに生まれ、米国のコロンビア大学で学位を取得し、カーストを重んずるヒンズー教から仏教に改宗したことで知られる人物です。インドの憲法がカーストを排している事はこの点からも窺い知れます。(ただ、社会習慣としては現在でもカースト制度は生きています。これについては後で触れます。)また、インドは憲法の改正を頻繁に行なう国として知られています。

議会は上院(Rajya Sabha)と下院(Lok Sabha)の二院制です。代表的な政党としてはコングレス党(Indian National Congress)、野党の最大勢力であるBJP(Bharatiya Janata Party)、共産党などがあります。コングレス党は1885年に当時植民地の支配者だった在留英国人たちが政治討論のソサエティーとして始めた集まりが、のちに政党となりました。マハトマ・ガンジーが、本来、エリートの圧力団体に過ぎなかった同党を大衆運動の基盤として造り変えたことが今日の由緒正しいコングレス党の起点になりました。因みに現在の政権党であるコングレス党(全体で545議席中145議席を支配)は単独過半数には達していないので共産党など(合わせて61議席)と連合政権を形成しています。この為、連合内での意見、利害の不一致が民営化プログラムの遂行などの際に足枷となるのではという懸念があります。インド株式市場を見る際にひとつのポイントですね。

現在のコングレス党のリーダーはソニア・ガンジーです。ソニア・ガンジー(旧姓マイノ)はイタリアの裕福な建設業者の娘で、18歳の時、英国に語学留学しました。その時、ちょうどケンブリッジで学んでいたラジブ・ガンジー(インデラ・ガンジーの息子、のちに首相となる)と知り合い、恋愛結婚しました。結婚してインドに嫁ぐまではインドについての知識はゼロだったそうです。しかし、義理の母となるインデラ・ガンジーとは最初に会ったときから意気投合、インデラはソニアをわが子以上に可愛がったといいます。一方のソニアの方は政治には無関心で専業主婦というのが性に合っていたそうです。その後、インデラとラジブが暗殺されるに至って「もう政治家はこりごり」という気持ちになります。しかし、90年代を通じてコングレス党が没落してゆくのを目の当たりにし、また、大衆も「ガンジー・ネール王朝」から救世主が登場し、政治を変えてほしいと熱望した為、敢えて党首となります。そして去年の選挙で番狂わせの勝利を収めたことは皆さんの記憶にも新しいと思います。

さて、インドの首相の権限は広範に渡り、政治の中心となっています。インデラ・ガンジー首相が1975年に戒厳令をしいたケースをみても首相というポストの力の強さを窺い知ることができるでしょう(但し、これは例外的なケースとみるべき)。インドの伝統では政権党のリーダーが首相を務めます。しかし今回は上のような経緯(帰化したとはいえイタリア人であること、行政手腕は未知数であること)からソニア・ガンジーは首相を務めることを辞退し、経済学者でインド経済の市場経済への移行の青写真を作ったマンモハン・シン博士を首相に任命しました。別の言い方をすれば選挙運動のプロであるソニア・ガンジーと国家運営のプロであるシン首相との役割分担が明快であるということです。






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最終更新日  2006年01月31日 11時59分58秒


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