2007年09月12日
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■続く戦争

 南ベトナムの降伏で南北統一を成し遂げたベトナムは名称をベトナム社会主義共和国と改めます。平和が訪れたのも束の間、ベトナムは1979年にカンボジアへと侵攻します。これは当時中国の後ろ盾を得たカンボジアのポルポト政権がカンボジア内のベトナム人を迫害し、大量のカンボジア難民がベトナムに流れ込んだことが原因です。ベトナムはソ連から支援を受けており、カンボジアのポルポト政権は中国からの支援を受けているということで、この戦争は中ソの代理戦争の様相を呈していました。また、ベトナムのカンボジア侵攻に怒った中国はベトナムへと攻め入り中越戦争が始まりました。この戦争は装備や士気に勝るベトナム軍が優勢で中国は国境の外へ引き揚げます。しかしその後もにらみ合いは10年間に渡って続きました。


■ドイモイ政策

 このようにベトナムは第二次世界大戦後から1980年代までの殆どの期間、戦争ないしは緊張関係にあり経済の方はソ連からの支援に仰ぐという姿勢が定着していました。しかし次第に経済の疲弊は悪化し、現状打開のためにベトナムは1986年にドイモイ政策を打ち出します。一方、ソ連経済は1989年のベルリンの壁崩壊の頃からどんどんおかしくなり、ソ連からのベトナムに対する援助は途絶えてしまいます。皮肉なことにソ連に依存できなくなった頃を境にそれまで混迷を極めていたベトナムの経済は活力を取り戻し始めます。


■外の影響に対する拒否反応

さて、ベトナムの歴史を振り返って特徴的な点として同国は長く帝国主義や代理戦争の犠牲になってきたため、欧米や中国のものの考え方をすんなりとは受け入れない気風があるということです。これは長く虐げられてきた立場からすれば当然の事だと思います。またフランス、アメリカ、中国などの大国と戦争していずれも勝ってきたことがベトナム人の大きなプライドとなっており、それが「自分達は誰からも教えられることは無い」という態度になっています。中国が経済特区を設けて資本主義の実験を開始した頃、ベトナムは未だカンボジアと戦争していたわけで、それだけでも経済の自由化への取り組みは中国に比べて10年くらい遅れていると言えます。その上、ベトナムの改革のペースは中国のそれと比べて緩やかで、且つ腰が据わっていない印象があります。中国共産党の場合中国経済を正しい方向へ導くことこそが一党独裁を正当化する最大の理由であり、また責務であるという姿勢がひしひしと伝わってきます。これに対しベトナムの共産党は戦争に勝ったことで自分達が政権党として居座る正当性を永遠に保障されたという考えが根強く、政府は経済政策に関しては誰に対してもアカウンタブル(責務を負うこと)でないという傲慢な態度が時として見え隠れします。これが外国企業が直接投資する際に二の足を踏む要因となったり、遅々として民営化が進まない原因になっているのです。





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最終更新日  2007年09月18日 18時24分50秒


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