遠恋しながら読書の日々。

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Aug 26, 2004
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しかし自然消滅というのはスキではないので一応書いてみた。

いやあ、今月はいそがしかったのなんのってアナタ。
皆夏休みをガッツリとる職場なので、只でさえ人手はないしよう~。
いやはや。
なけなしのフリータイムは、電話か五輪TV観戦(人生で未だかつてないほど真面目に見てるよ。なんで?)に費やされ。
日記をアップしてるヒマがなかった~。

で、一応ひと段落着いたのですが、9月に資格試験を受けることにしまして。
と言うのもウチの会社10月に毎年評価面談があるのですな。
仕事全般に加えて「向上心」や「モーチベーション」なんかを示威しなければならんらしい。
いかにもけったいな企画で、非常にNaiveな企画でもあるのだが、まあいかしたかたなく。
とりあえず、去年は入社三ヶ月目だったのでニコニコ笑ってごまかしたが(←この辺で年がばれるね。いや隠してるわけでもないんだけど。BA+MA+イギリスでちょい働き+今の会社入社2年目。はい。)、今年はなにやら向上心を見せなければならんので安直に資格などとってみる。
で9月いっぱいまで休むつもりです。楽天。

その後の予定は正直、予定は未定。
私の日記が(て言うか、日記かな)どんどん内向性を深めて一人遊び化している今日この頃、楽天のように多くの人の目に触れる媒体でブログと言う形を取ることに違和感を感じているのも事実。
でも、不特定多数の目に触れるからこそ、楽天で知り合った方々に世の中面白い(ほめ言葉)ひとがまだまだいるな~と再認識させていただいたのも事実。そしてシャイなあたしなりにいつも来ていただいている方々にこんなん見せてすいませんと言う気持ちと共に「愛」を感じさせていただいてるのも事実。
ので、予定は未定。
まあよく考えます。

Anyway(←なんかこれも懐かしいな)、近況など書いてみる。

車の免許取りました。
これを同僚に言ったとき、言われた言葉のほとんどは
「まだとってなかったの?」
でした(笑)。
でも一回もオーバーしてないもんね。働きながらボチボチ行って八ヶ月かかったよ。
でも早速車乗ってます(従兄弟が引越しを機に車を安く譲ってくれたのだ)。
で。
教習所は東京だったんですよ。で、けっこう車の通りも激しいし自分的にはこんな大変なトコで免許取れば後でラク~。
と思ってたんだけど甘かった~。
教習所の周辺は道広いし、混んでるからこそスピードでないではないですか。
埼玉で運転したらアナタ、道は狭いのにビュンビュン皆車とばすしさ。冷や冷やしながらすれ違うことも多くて、こっちは初心者マークつけてるのにさ(涙)
すっかり自分が教習所で得た知識が通用しないのにしゅんとして友人にコーチを頼んだんですよ。
したら普段はおっとりしてるコなのに、ハンドル握ったらコワいんす(今まで知らなかった...)

「何?30メートル前から合図出す?! 早すぎ!
 車って言うのは暗黙の了解で皆走ってるんや、一人だけそこから外れた動きしたら迷惑!」

って何故かいきなり鬼コーチ(涙)。なんで関西弁??
で。オドオドしながら乗ってるけど最近では買い物くらいはいけるようになりました。

後は、う~ん最近読んだ本。

斉藤兆史、野崎歓「英語のたくらみ、フランス語のたわむれ」(東京大学出版会)

書評によるとお二人東大駒場の花形講師らしい(本郷はよく行くんだけど、駒場は行ったことないのよね)。
読書について、外国語について、文学を学ぶと言うことについて。
お二人で時には歓談、時には議論してるんだけど。
すっごくすっごく共感と言うか頷かせられることが多く。

昨今の実学を唱える無味乾燥な主張に、大学とは就職のために行くところではない(そう思ってるんだったら行かないで就職したまえ)実学などと言うものはありえん(でしょう。経済学んだからって良き経営者、企業家になれるでもなし。短絡的な。)と、
人生での数年間、純粋に豊かな知の愉悦にどっぷりつかり、自分の中での疑問符を増やすところ人生の情熱を学ぶところだと再度思わせてくれる良き本。大学がって言うより学ぶと言うことやね。問題なのは。
でも、大学に心底戻りたくなったよ(笑)。
人文系の学問の魅力を余すところなく伝えてくれる。

外国語を学ぶことに関しても
「全然違う世界からの呼びかけであり、強烈な誘惑である」としながらも
あくまで日本語の重要性を強調し
「日本語はわれわれにとって一番繊細にものを考えることを可能ならしめる言語であり、あくまで日本語を非常に繊細なレベルまで極めてから外国語のレベルを引き上げていくのがよい」
と主張なさるのには
拳を振り上げて、手を打ってカンゲキ(笑)。

自分の母国語の日本語の美しさ繊細さを理解せずに、他のいかなる言語をも真の意味で使いこなせるわけがない。

昨今行き詰まりが見える文学の極端な「テキスト」化、合理的意義の付与にも鋭くメスを入れているのも良し。

閑話休題。ちょっと話は横道にずれるが。

ちょっと人文系(アート系)学問礼賛。興味ない人は飛ばしてくれい。(ちなみに自分が文系の学生であったからと言って自己礼賛をしているように聞こえないことを祈る。分かってくれる人は分かってくれるであろうからこれらの但し書きは全く無用かつ不必要なものなのだが)

私にとって文学哲学歴史及び人文系学問って、無から有を創るっていうのかな、無って言うのはちょっと違うな、要するに文字通り0から組み立てるのが魅力。
答えがない学問であるが故に、逆に論理的思考と創造力が必要とされると思うし。

それと同時に自分の異なった窓を開くというか。
世界(ハイデガーの「世界内存在」の世界)を読み解く為の別の地図をくれるというか。
うん。そんな感じ。やっぱり自分の価値観モラルの再評価とか疑問を呈せってことなんだけど。

ショートカットのない学問だなあと思う。自分にとっての「真実」ってそんなに簡単に手に入るものじゃないでしょう。人に教わるものじゃないでしょう。

(そうそう、昨今文学にもあらすじ本とかハウツー見たいのが出ててあたしをげんなりさせているのだが。
話の筋を知ってることが大事じゃないでしょう。文学って登山みたいに一歩一歩頂上へたどり着くプロセスが大事でしょう。自分でテキストを読み解いて自分なりの物語(再テキスト化)を作るのが大事でしょう。あらすじ本読んで10冊の本のあらすじ知るんだったら、一冊を大事に読みなよ。
小説は交響曲のようなもので、第一楽章やところどころの音符を知ってても大きな全体としても美しさには届かない。)

そもそも人から与えられる真実をそのまま受け取らない、真実の両義性を知ることってすごく大事だと思う。
客観的事実などないのだと(ちょっとフッサール)知ることが。

ぶったポーズが多い寺山修司氏であるがやっぱりこの人も言葉に対してすごく敏感だし繊細だなあと思うのですが。まあ彼の言葉に

あらゆる思想にはそれぞれの(立場にとっての)正当性がある。どんな戦争や犯罪にだってそれなりの理由がある。

友よ、疑問符をいっぱい持とう。
そうすれば、より多くの答えによって世界全体とつながるのだから。


とあるのですが。
ようするにこの疑問符を多く持つと言うこと。哲学文学歴史諸々を学ぶってそういうことだと思う。

全部否定していたら進歩的でない、生産的でないという批判は見当違いだ。
言葉ばかり独り歩きして(「テロに対する戦争」とか~「悪の枢軸」とか~)、それに盲目的に従う方がなんぼか非生産的だし。




Make him realize that by the side of the everlasting WHY there is a YES -transitory YES if you like, but a yes

(彼は気がつかなければならない。全ての絶え間ない疑問詞WHY(=”?”)の横には常にYESが存在することを。束の間のYESかもしれない。でもそれは確かにYESなのだから。)


EMフォスターの「眺めのある部屋」の一節。
文中のhim(彼)は登場人物の一人でthe world don't fit himと感じている、つまり世界の中で孤独と違和感を感じている多感な青年のこと。
青年の多感さ、自分の中の真実に対する誠実さは、青年をして常に苦悩させ、迷わせ、混乱させる。
でも忘れないで。その一つ一つのハテナの横にはWHYの叫びの後には、必ず肯定の返事YESがあることを。一つ一つの疑問が肯定なのだと言うことを。

そういった内容ですが。余計な説明はいらんですね。これに尽きます。
話の雰囲気は180度違いますが、これを読むとカラマーゾフ家の人々を思い出します(特にイワンを)。

カラマーゾフ家の苦悩や羞恥や狂気の横に常に存在するYESを。




昔読んだ小説の一説にこんな感じ↓の言葉があって、小説自体は割に陳腐なのでここであげませんが。

飢えには二つの種類がある。
物理的なモノと精神的なモノ。

で、思うにどちらがより深刻だなど誰にもいえない。

勿論私も霞を食べて生きてるわけでないのですから、奇麗事でなく、例えば生存という前提条件がおかされているような極論では、例えば飢え死にそうで目の前に食物と本だったら勿論私も食物をとります。

しかし人はパンのみで生きるにはあらず。
人の営みというものが絶え間ない幸福の希求であるならば。「幸福」という概念が人によって様々である故に幸福へと至る道も様々であるはずで。
その中の一つの道として、確かにArt(所謂芸術だけでなく人文の意)は必要なものだと、必要なモノとして存在するのだと
法律や食物や機械と比べて上でもなく下でもなく
同じくらい必要とする人がいるのだと真剣な話信じているわけなのです。

また人にパンを与えるというその行為の根底に、人文は確かに存在してると思います。
哲学や文学はそもそも、超越論(transcedental)的、普遍的意味において全ての学問(法律の経済の科学の)の根底に確かに存在する。
またそうでなければならないと思います。

って熱く語る人だなアタシ。

でも結局のところ


愛しているの。

人文系学問。



で。話を戻します。

谷川 徹三、谷川 多喜子 著、 谷川 俊太郎編 「母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙」 新潮文庫

谷川徹三は岩波に入ってる西洋哲学史の著者で哲学者ですな。
で、息子の俊太郎がまだ交際時代の父母の手紙をまとめたと。500通以上あったっていうからすごい。

いやあ、書簡集って本当に面白いのって割に少ないと思うのですが。これはよかったです。
哲学の話では全然なくて、手紙っていいな。携帯の普及で風情がなくなりましたね。昨今。
と思わせられるほど、魅力的な手紙。抑えきれない恋心、罪悪感を感じながらも人を愛することで高まる性欲の告白。
当時の風俗を読み解くこともできれば、昔も今も人を恋すると言うことは同じですな~と感慨に浸るのも可。

そして最後の20年後の手紙を読むと。

人を愛することは平坦な道ではない。いいことばっかりでもない。それでも...いつかたどりつくのかしら。どこかに。
夫婦ってなんだろうねえ。

って感じ(笑)

「見えないくせに存在してるものはたくさんあるわ。愛とか罪とか幸福とか...そう無限に」

                                        -伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪

まだ書く気でいたけど午前二時だよ。シャワー浴びようっと。ではでは。

いやあいま読み返したら。話し飛びすぎ。脈絡なすぎ。

あかんね。お前が日本語勉強しろって感じ(笑)
あとジェンダーフリーについて書こううとしてたんだよね。
まあいいや。また別の機会に。

少しづつリンクさせてもらってる方々のところへご挨拶に伺うつもりです。色々戯言に付き合ってくださって本当に有難うございます。





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Last updated  Feb 2, 2005 07:19:47 PM
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