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ねえ、ラシーヌみたいじゃない? ←タイトルねえ、11年ですって、奥さん。11年経ってしまいました。私も2児の親ですよ。11年も更新してないのに、まだ残っていると思ってなかったんですけど、ありがとう楽天さん。この間久しぶりに自分のブログ読み返したら、若い!この時点でアラサーだったんですけどね。今と比べると、なんか気恥ずかしいくらい若いね。あはー。懐かしいです。ところで11年経って突然ブログをアメブロで始めました。育児やら何やらでバタバタしがちな日常。リンク貼って置きます。このブログにも時々、何か検索ワードがヒットして時々迷い込んでくる方がいるので、同じ人間が11年後に何してるんじゃい、と思っていただけると幸甚です。
Aug 18, 2020
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あまりに久しぶりなので、ログインのIDとPWを覚えていた自分にちょっと驚きました。今年の始めに仕事を辞めて(海外関連の制作会社でディレクターをしていました)、6月初めに日本で結婚&挙式、7月に渡英して8月に英国でも式(Blessing)を挙げ、2週間イタリアに新婚旅行に行って、現在は英国中部に住んでいます。仕事も楽しんでいましたし、さして結婚をしたいという気持ちもなかったので、結婚には色々ためらいもあったのですが、あれやこれやで7年(8年かも?)も相手とつきあってしまったことだし、now or neverというか、重い腰を上げて英国へ来ました。正直ホント、マリッジブルーとは違うんですけど色々悩みましたです(相手がこの人でいいのか。という悩みは全然なかったんですが、「えー、あたしマジで結婚するの?...面倒くさい。今更他人と暮らせないよー。(←これって婚活ブームの最中にけしからん、と思われそうですが、私はリアルにこんな感じで苦しみました。当時の生活を諦めたくなくて。だって、普段つるんでる友達の半分はまだ結婚してないし、しそうにもないし、東京で好きな仕事があってお給料そこそこ貰ってて、他にも色々楽しいこともあるし、実家住まいで自分の思うようにすることに慣れきってたらホント何を今更結婚など。アイラブ日本。)」という感じ)、まあ、どれだけ葛藤があったかというと、結婚&渡英前後にすっごい歯が痛くなって歯医者に行ったら、歯に亀裂が!ストレスで寝てる間に歯を食いしばっていたんです。)まあ、それはともかく、そりゃ好きで結婚したのは確かなので、結婚したらしたでまあ、それなりに楽しくやってはいます(でも未だに現実感が全くない。)。↑日本の式↑同上↑英国の式英国のお式は当初(私の)予定になかったのですが(私も彼も教会式にはちょっと抵抗が...神前式は別に気にならなかったのに)、あっちの両親の希望でやりました。ちなみに、日本から荷物を送ったときにスーツケースはウェディングドレスとレセプションのお色直し用の着物でいっぱいになったので、洋服などは別送にしました。郵送だとえらい高くつくので荷物を厳選しなければならなかった上に、私の英国のロイヤルメイルへの猜疑心から(小包を二回程なくされた)大事なものも送れず、本に至ってはこっちに持って来られたのは貴重(=絶版)ではない文庫本数冊という状態です。今後ちょこちょこ帰るたびに日本から持ってこようと思っていますが、現在は島崎藤村歌集鏡花短編集北村薫 詩歌の待ち伏せ1、2三好達治 諷詠十二月枕草子(岩波の原文のやつ。好きなんだもん。)王朝秀歌選(同上)西条八十詩集ゲバラ日記/モーターサイクルダイアリーズ中村真一郎 文章読本ドゥルーズ野上弥生子 ギリシアローマ神話(これも好き。)折口信夫 身毒丸デリダ 知の教科書竹久夢二詩集ラシーヌの悲劇を数編(フェードル、アンドロマック他)ピーター ウィムジィ卿(幾つになっても好き)の長編を数冊という渋く、また懐かしく、尚かつ、よくコンセプトがわからないセレクションしか手元にない状態でございます。過去の経験から、昔によく読んだ本程また読みたくなるものなので。ちなみにこの機にブログを開始しようかなー、とか今日思って、更にこれを機に引っ越しなんてしちゃおうかなー、と思って色々探したのですが、しばらく書いていないせいか、私のローテンションとネガティブな姿勢が他のブログから浮いてそうな気がしてちょっと考え中です。FC2かアメブロが良い気がしたのですが、アメブロ、テンションが高いなー。ついていけなそう...。しょんぼり。
Sep 25, 2009
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今電話で「フランダースの犬」の話を(聞いたことはあるが)知らないという驚天動地なことを聞かされて一生懸命説明してたら、なんだかベソベソ泣けてきてドン引きされてしまった。この年になって。誓ってもいい(誰に?)、別にそこまでの思い入れ(平均的日本人程度であると思われ)はなく、さして熱く話してたわけでもないのですが、「それでね、お財布拾ってね雪の中を届けに行ったら」とか言ってたらムッサ悲しくなってしまいました。恐るべし、フランダースの犬。えっと先週末に親関係のツテで県内の自然保護観察区域のイベントに参加しまして。イベントといっても、そこの研究者氏をガイドに夜うろうろまわろう、というだけのものなのですが。いかんせん、その前の週まで三週間くらいずっと(土日含めて)睡眠3時間くらいで働いてたほど忙しく(半分は引き受けてしまった自分が悪いのですが、さりとて断るには美味しすぎたのです)、普通の生活してて睡眠3時間はいいけれど、3時間睡眠以外は仕事という中での3時間は苦しく、頭の中をくるくると「少女パレアナ」(本来は「ポリアンナ」が正しいが、子供のとき初めて読んだのが角川版でそれは何故か「パレアナ」であったので、なんとなく頑なにパレアナと読んでいる。)のパレアナのせりふ、「それじゃあおばさま、生きるための時間がないわ!」というせりふが廻っておりました。...って、話が逸れてしまったですが、えっと、そうそう。それで、かなーり私はその企画に乗り気薄だったのです。だって、1.いくら自然保護区だからって夜に何が入るのさ2.うちから車で一時間半近くかかるのに、一緒にいくメンツからしてどう考えても私が車を運転するらしい。3.どう考えても夏休みの子供のための企画じゃ...。からだったんですよね。でも約束した手前、しょうがなくモソモソ行ったら、それが。すっごい楽しかったですよう。ワタクシ、自慢ではないが普段ぶってるくせに、思わぬことに子供のようにはしゃぐひとなのですが、夜って色んな生き物がいるんですね。って主に虫ですが。いやあ、メジャーなカブトムシとかは勿論、「ぼくらは~」の歌で有名なオケラとか、かまどうまとか、えーっと、原生のゴキ(いや、家にいるのと違ってそんなきもくなかったんです。)に、そうそう!忘れてはならない、蛍!!最後はこーた君というがきんちょと素で場所を取り合って、こーた協力の元写真も取りました。(私が撮ってる間、彼がトーチ持ってた。)途中からですね、「蛍とかもいるし懐中電灯は消していきましょう。大丈夫すぐに目が慣れますから。」というその研究者のおにーさん(おじさん?)の指示に従い消していったんですが、最初はもう手探り状態。本当に真っ暗で歩けないほどだったんですが、確かに目が慣れるもんですね。最後のほうは意外にさっさと(完全に「さっさ」には結局なりませんでしたが。さすがこーた君は順応が早かった...。)歩けて、そんな経験すら楽しかったです。こういうときにふっと子供がいたらいいな、と思うことがあります。(いや、将来的にですけど)。図鑑に載ってるような虫だけじゃなくて、夜だってもそもそ色んな生き物がうごめいてる面白さ。真っ暗な空に、草の匂い。夜の歓声。暗闇の中で足を忍ばせて虫の音に耳を澄ます、あの素敵な秘密を共有する感じ。夏休みっていう非日常な時間とあいまって、宝物のように思えるような気がする。レイチェルカーソンのセンスオブワンダーではないけれど。そういう時間を共有する相手は、やっぱり子供が楽しい。辻邦生の「円形劇場にて」という短編に、あ、あんまり子供は関係ないのですが。色んな時間を振り返った時に、夏休みはそこだけぽっかり切り取った青空みたいに、非日常的な時間だ。みたいな(現物が目の前の本棚にあるのですが、立ち上がって取るのが億劫)一節があって。ああ。と思う。子供は大人が思ってる100倍も大変なんですが(これって後になると忘れちゃうんですかね。)、それでも子供の夏休みのあの空気は、じりじり肌を焼く日差しとか。水遊びとか。すごーいノスタルジー。あのDS(だっけ?)のゲームが売れる理由が分かる気がするわ。
Aug 9, 2006
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えっと、今年の風邪は吐き風邪らしい。気をつけて下さいね(にっこり)。え?私?速攻風邪キャッチして、転職したての職場のトイレでゲロゲロ吐きましたが、それが何か?というわけで、本当にマジで頼むよ。この前に引き続いて最近子供がえりしているような気がすること。=やたら虚弱になった。小さい頃は虚弱で鳴らした私ですが、高校生くらいからやたら頑強になったような気がしていたのですが、ここ一年くらいやたらめったら虚弱になった...。うーん。生活習慣を改めろって感じだけど。話は変わりますが、ここんとこ再読を繰り返してるサルトル(生誕100周年の故。今日は「ある指導者の幼年時代」読んでました。)以外では、ここ一ヶ月ほどの私の大ブームは森博嗣でございます。今更、って感じなんですけれどね。如何せん、コンテンポラリーというのは時間の審判を経てない分(←ノルウェイの森の永沢さん曰く。)世間的に多少名が売れてる本でも、私にとっては「はずれ」が余りにも余りにも多くて、その分の時間が勿体無いと思う分、特にライトノベル系にはどうしてもよっぽど気が向かないと手が伸びなくなるのですが。森博嗣は気が利いていていいっす(非常にクレバーで、でも全然鼻につかない)。人生変わるほどではないですけれど、でもかなり愉しんで読んで、「全てがFになる」読んで以来、久しぶりに一シリーズにはまりこんで連チャンで20冊やっつけました(一日1~2冊。(笑)。)推理小説なんだけど、事件の謎解き、という意味でのミステリ、とはちょっとチガウ気がする。既成観念の破壊というか、「真実」とか「社会通念」「概念」みたいのを、くるっとひっくり返して弄んで知的に愉しんでいる感じが、でもぶってなくて、すごく思考の道筋が面白い。しかも、シリーズを通して読むと壮大なビルドゥングスロマンにもなっていて、そこも面白いんだなあ。あー。犀川先生ダイスキだー。
Dec 12, 2005
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スゴク子供がえりしているような気がする。人って変わっていくようで、実はある程度のスパンで同じフェーズを何回も何回も繰り返しているんじゃないだろうか。あれだ、「永劫回帰」。洞穴から出て「もう一度!」って叫ぶやつ。まあ。それはともかく。この一年ほどは取り巻く環境の変化や仕事のストレスとか、そういう外的プレッシャーが非常に多くて、それに晒されて激しく揺れ動いたものの、内的な要素から揺れ動くことはあまり無く。内面は比較的、静的だったと思う。そういう時は自分にコントロールがよくきく。もう諦念を漂わせた修行僧並に。それがここ2,3ヶ月ずっと感じているのだけれど(転職する前からなので、その影響ではない。)、すごく学生の頃、それも学部生の頃のメンタリティにどこか似てきている気がする。ずっと胸の奥で蝶々がばたばたしているような、落ち着かない気持ち。当然のように不眠症が真っ先に戻ってくるし、やたらすごく考え出して、Cheekyというか、Pretentiousになってる気がする。そういう時は基本的にHyper-Sensitive(ハイパーにセンシティブ)になるので疲れやすい。その代わり読書がすごい勢いで進む。お年頃だ。ちなみに、最近気がついたのだけれど、日記をコンスタントに書く秘訣って一回を短くすることじゃなかろうか。そうすると書きたいことは書けないけど、でもそうしたらとかにしてしまえばいいのか。如何せん、長く書きがちな私。ココをアプしない間も思いついたまま「書く」ことは一度もやめなかったのだけれど(いやむしろIntensifyしたのだけれど)、オンラインで書くとなると自分にルールを課した方がいい気がする。一日30分以内とか。ふむ。
Dec 3, 2005
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うご。しまった。と思うこと。1.どんだけ寒いか忘れてた。東京も寒いよー、と思いながらいつも出かけると、「ひゅるるるる~~~。」もう歩きながら「サムイ。」とうわ言のように呟くことしか出来ない。2.歩き用の靴で行くのを忘れてた。石畳は大抵デコボコ。あちこちに無意味に穴。東京用の靴で行くと大抵ひっきりなしに踵を引っこ抜きながら歩く羽目になる。そして、イギリス人は歩くのが大好きだ。なので、その靴で延々歩く羽目になる。帰国。で。もう師走。今年はすごかった。年明け早々彼が事故で意識不明という連絡を受けて仕事の合間にイギリスに二回も飛んだり、諸々の仕事/人生の岐路を通ったりとか、転職(転社か。仕事内容は変わらないので。方向性、というか分野が変わる。)とか。ちょっとのチョイス、ちょっとの浮気心を潜り抜けて、相も変わらず。ぐるっと一年回って何か激しく変わったような、何も変わっていないような。
Nov 29, 2005
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ぐおー。本当にお礼が遅くなってしまいました。maoさん、本当にアリガトウ。<お誕生日。本当に温かい、素敵なメッセージを貰ってちょっと涙目。maoさんのことは一生忘れません(感涙)!!いやー、本当に言い訳っぽくなりますが、先月、先々月は本当にキツイものがありました。忙しい中、突然同僚がやめちゃったり(どうしようもない事情の下なので、全く彼の責任ではないのですが)、その人と私の仕事が被ってたこともあって、身内の不幸も重なり、しんどい日々を過ごしました。一ヶ月近く週休一日位で(それで十分だろうって??私には十分じゃないんです(笑))、なんか立ち止まる間もなく走り続けてた感じ。なんか今年は年明けそうそう色々ありまして、たはー。まあ、愚痴になるのでやめます。今は状況も著しく改善して呑気な顔してますが。本はね、それでも読み続けてるんですよ。いろいろなことの反動のように、なんかですねえ、すごい勢いで読んでます(笑)今年に入って最初の数ヶ月は、以前書いたようにIris Murdoch(アイリス・マードック)にはまって、その合間にオースターの新作、アラン・ホリングハースト二作、デリダの遺作、クンデラの新作って洋書一点張りだったんです。したらその反動か、その後はすっごい勢いで日本文学ブームが再来しまして。私ですねえ。長らく鏡花ってそんなに好きじゃなかったんですね。文体が綺麗過ぎて中身が置いていかれてる気がして。なので、結構有名な作品しか読んだことなかったんですが、ふとしたことから短編の全集を手にしたら、すごい夢中になって全部読んでしまいました。尋常じゃないです、泉鏡花の文体の美しさは。文章を追ってる目が喜んでるのが分かる感じ(笑)花の色、空の色、空気の匂い、葉の作り出す影、光の中の翳。どうしてあんなふうに表現できるんだろう。あの文体があってこその、中身だったんだ。と今更ながらに目から鱗です。で、そこから始まってまさに一人「日本文学フェア」。本当はですね、少しづつでも読んだ本について感想など残していければいいナーとは思ってるんです。でも正直、仕事に時間がとられ、趣味の習い事もしたい、友達にも会いたい、電話もしたい、勉強もしなくちゃ、等々、時間に限りが出てくると、本について書くよりは時間を惜しんで、むしろ一冊でも本を読んでいたい。って気持ちが強くて。じゃあ、全く感想を書きたくないかというと、でもやっぱり感想はカタチに残しておくのがいいデスよねえ。とも思う。このブログもやっぱり読み返すと頑張って書いた本の感想なんかは、懐かしくも愛しいですし。揺れる乙女心(笑 もう乙女とも言えない年が見えてきたワ。でもいいんです、キモチは乙女だから。)いずれにしても。どんなに忙しくても本は大事です。学生の時に時間があってうわーっと思うまま読んでいたときも大事でしたし、今社会人になって電車の中なんかで用事の合間を縫って読んでる時間も本当に大事。何が大事大事だ。なんてチープな言い方しか出来ないんだろう。一因は、今、本当に眠いからですが(笑)。でもね。本を読んでるから、これができるとか、こういう人になれるとかじゃあないんです。別に仕事に役立つか、とかそういうことでもない。知性がどう、とか教養がどうとか、頭がよくなるとか、そんなことでもなくて。ただ大切です。仕事での頭を休めたいからでも、一時現実を忘れられるからでもない。そういう読書も私にも勿論ありますし、それはそれでいいんですが。そうじゃなくて、仕事とか私の一部分とかでどうのではなく、もっと根本的な、全体としての私を今までもこれからも貫き通すものとして必要なんだと思うのデスよ。哲学は「自己から世界を見るための地図をくれるもの」だと以前読んだ本にありましたが、私はそれは本を読むことにもいえると思うのです。勿論、純粋に楽しい、というのもありますが。「本を読むということは、人生が一度きりであることへの抗議なのかもしれません」(by北村薫 円紫師匠のシリーズのどっか。)それは暇つぶしでもなく、好奇心でも、日常からの逃避でもなく。自分の中に誰かを住まわすことだと思うのデス。それで自分のカタチが日々変わっていく。ってか、文体が著しく口語体で、メールみたいだ。いいたいこともわかりゃあしねえ!!でもすいません、力尽きました。寝ます(笑)
Jun 1, 2005
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今改装なんてものをしてみたら、力尽きました。て言うか親切心で置いてくれてるらしいー様々な機能がかえって使いにくい罠。(いっそのこと全部editさせてくれい)しかもよく考えるとこんな桜模様にしたら、来月にはまた改装しなきゃなんじゃ!!??ショボーン。大体熱が下がってないんだから早く寝ましょう。と思いながら、さみしいいんだようううう。この二日母親以外の人間の顔見てないんだよー。しかも母親ですら、「ちょっとアナタ、アタシ今忙しい時期なんだから伝染さないでよ、風邪」とかいうんだよう。鼻もかみすぎて真っ赤になってるし、乙女も形無しです。
Apr 5, 2005
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あら、あたしもとうとう花粉症デビューかしら?とおもっていたら普通に風邪でした。三寒四温でとうとうアタシもバタンキュー(←死語)です。しんどい...。今日は一日うとうとして過ごしました。頭が熱でボーっとしております。もう四月。えっと。三月に読んだ本デス。何読んだっけ。朦朧とした頭でイマイチ思い出せません。今読んでるのはGabriel Garcia Marquez (ガルシア・マルケス)の「Love in the time of cholera」であることは確かなのですが...。イマイチ思い出せないので、書きたかったことだけ書こうと思います。(最初からそうしろよ!)運命の出会いってあるような、ないような。なになに?いせまりさん、熱であっち側に行ってしまったって?(って言うか、もうこの口調が完全アッチ行っちゃってる。)えと、そうではなくて。うーん、上手くいえない。自分が本読んでて、全く違うコンテキストで読んだ本同士が思わぬところで繋がった時、すっごく人の縁ならぬ「本の縁」を感じるのデス。過去に幾つでも例はあるのですが、まあそれはさておき。つまりですね、最近読んだ本でIan McEwan (イアン マキューアン)の「Enduring Love」があります。(少々ネタバレあり)イアンマキューアンというとブッカー賞受賞の「アムステルダム」ばかり取りざたされがちですが、ワタシはそれよりも「贖罪」、そしてむしろこの「Enduring love」のほうが好き。これは最近読んだ本の中でもかなり面白かった部類に入ります。つまり一時はやった典型的なポストモダン小説のさらに上手というか。主人公のジョーは、科学雑誌に記事を寄稿するジャーナリスト。お互いに深く愛し合い、理解しあう、長年の恋人クラリッサと共に暮らしている。ある日、クラリッサと出かけたピクニックで、気球事故に遭遇するジョー。その場にたまたま居た何人かの男たちが救助に駆けつけた。乗組員は無事だったが、救助にあたった男のひとりが、死んでしまう。その英雄的な死はジョーに、罪悪感と共に深い印象を植え付ける。そしてその事件の夜、1本の電話がジョーのもとにかかってくる。「あなたはぼくを愛している。僕もあなたと同じように感じている。」と。それ以降、ジョーはその電話の主であるバリー(救助の時にその場に居た男達の1人)に執拗に追いまわされるようになる。クラリッサとのすれ違い、心の片隅へと追いやっていた失われた野望と挫折感。現実とも虚構ともやらぬ、日々の始まり。非常に美しい文体で有名なマキューアンですが、この作品もオープニングから有無を言わさぬパワーで引っ張り込まれ、マキューアンの独特の世界に投げ込まれる感じです。日常のもろさ、叶えられなかった夢の慟哭、愛と不信。一気に噴出す闇。とかかくと、上のあらすじと合わせて、ははーん、ああいう感じね。と、所謂ポストモダン小説を思い浮かべるでしょう?一斉風靡したポールオースターみたいな。自分の頭の中にどんどん入り込んでいって、その自分を付回すバリーの存在すら、自分のアニマみたくなっていって、現実と虚構の境界線がどんどんぼやけていくああいう感じ。ノンノンノンノン。それがちがうんですよ!!!上手くいえないんですけど、マキューアンはその更にもっと複雑なんです。つまり、物語のフレームは二段階なんですね。ジョー及び読者の視点から、バリーの狂気により妙に理路整然とした(狂気の世界って妙に理路整然としている)世界を見ている感じ。(当然のことながら、かなりバリーの世界にジョー自体が影響されているので境目ははっきりしないのですが)従って、ストーリーラインは非常にリアルでかなりしっかりしたプロットであるにもかかわらず、そこには妙に人工的な息苦しさと緊張感がある。すげえ、上手い。で、ですね。このマキューアンと何が「本の縁」かと申しますと。今年ですね、Myブームはですね。今頃になってIris Murdoch (アイリス・マードック) なんですよ。アイリスって映画にも数年前になりましたが。sea, the seaとかphilosopher's pupilとかが有名なんでしょうか。それでですね、「Enduring Love」読んだすぐ後に、彼女の「The Bell」という比較的マイナーな佳品を読んでいたところ、その前書きでByatt(というコレもまた有名な小説家ですが)が、この時代も作風も何もかもチガウ二人の作品に触れてて、その内容にうおおおおおっておもったんです。つまり、Byattが生前のマードックに会った時に、彼女が「小説家とは何よりも先にストーリーテラーでなければならない」と言っていたのに触れて、何でもありの所謂「ポストモダン」時代の先にある「ストーリーテラー」の一例としてマキューアンに触れていたんですね。Enduring Loveについても、「ブッカー賞の審査員はこの小説が「余りに整然とタイトに作りこまれた物語」であるとして退けたが、それは誤りである。この小説は叶えられない愛、「存在しない愛」を、バリーという男が狂気の中で「存在するように」作り出した物語なので、そもそもこの人工的で息苦しいまでにタイトに作り上げられた世界こそが、マキューアンが表したかったものなのだと。ま さ に。言いえて妙、でした。いや、こんなこと書いてもEnduring Love読んでないとなんともいえないですけど。つまり、マードックとマキューアン。(しつこいようですが)こんなに時代も作風もかけ離れた二人の作家が、小説の本来の楽しさ、何よりもストーリーの豊かさ、面白さ、そして文体の美しさ、古典的な喜びを私たちに呼び起こしてくれるその不思議さ。いみじさ。を感じて不思議な縁を思ったのでゴザイマス。
Apr 4, 2005
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横を通るたびに涙目でじーっと恨みがましげに見つめられ。ちょっと彼(その日記を見つけてしまった同僚ね)のプロバイダー(超大手)と同じ所からアクセスを発見すると、あたしが自分の席からとんできてガクガクと襟首持って揺すぶったあげく、「ちょっと昨日の夜12:30、何処で何してた? 来たでしょ?ねえあたしのページ来たでしょ!」と迫るのに、2日にして飽きたらしく。今日仕事中来たメール。件名:言わなきゃ良かった~。------ボクは11:30には寝てるんで、12:30には**(私)の日記は読めないです(のでそれはボクじゃないです)。思いがけず、**の日記を見つけてしまっただけで満足なので、もう読みません。(頼むから)安心して日記をつけ続けてください。---------思いがけず見つけて、あたしの大きなリアクションにほとほと困ったようです。送ってきた彼の方が涙目でした(笑)。まあ、彼を信用しましょう。今回の不幸中の幸いは、見つけた彼が割に気弱な年下の青年だったので、ワタシの脅しに耐えられなかったことでしょう。他のヤツだったら、今頃同じグループ内の全ての人間が読んでいたと思います(笑)。しかし、前回友達のNが見たかもと言っていたときは、あっちも楽天で日記を書いてて偶然あたしが飛んでいってしまったことから始まったのですが。今回は本当に全くの偶然らしいです。そんなことってあるんですね...。びっくり。
Feb 3, 2005
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同僚に見つかったからよ!この日記が。バッチリと。ので慌てて、会社関係の記述を消したんですよ。まあそんないっぱいないですが。って言うかこんなほったらかしにしてるとこなんで見つかるかな~(涙)。いっそ全部消して失踪したい…。しかも「写真見てすぐにわかりました!!!」って、おい!!!顔隠れてんじゃん!!!!はああああああああああああああああ。もう死にそう。二人の秘密ね。と散々脅して懇願してみましたが、社のほかの人まで見たらどうしよう…。口が堅いといいのだが、彼…。orzって感じ…(涙)。なんでええええええええ????
Feb 2, 2005
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↑書き出すともうだめですね、人間。知らぬ間に過去の貯金で生きてるわけです。(と、まだ自分への叱咤激励は続く(笑))で。若い頃、僕は人々が与えうる以上のものを彼らに要求していた。つまり永遠の友情とか変わらぬ愛とかそういったようなものを。今の僕は彼らが与えられるものを、彼らに要求するすべを心得ている。つまり無言の伴侶とかそういったものを。だから彼らの愛や友情や高貴なしぐさは、僕の目には奇跡的な価値をそっくりそのまま保ちつづけることになる。カミュですよ、カミュ。もうあなた、これ何回引用すればいいのですか?と自問するくらいこればっか引用する私。何でかというと、自分のノート読んでたら(ええっと、常になにか書いてる人間なので、いつもノート持ち歩いて色々折に触れ書いてるのです)最近のエントリーに”ある一瞬やある特定の人に人生の中で余りにも多大な意味や期待を付与するのは危険なことです。結局は、独りよがりの愛情になるからね。”とあって。なんか最近人の縁について色々考えます。切れてしまった縁、切れたと思ったに思わぬところで復活縁、ずっとまったりと繋がってる縁。昔はね、友情とか愛情とかでもすごいセレクティブで自意識過剰で。シニカルなことを、「ぶって」言ってみたりして、本当の意味で人に慣れ親しむのに時間がかかったくせに(いやらしいことに表面上はフレンドリーなんですけどね)、実は内心すごい「永遠の友情」とか「変わらぬ愛」とか憧れてる子でした(ありがち!)。相手に多大な要求とか理想とか被せるタイプ。ジェーンエアのヘレンに対する友情とかみたく。だからすごい人とつきあうのにもしつこいようだけどすごい、セレクティブだったし。そのくせ、この人は、同じ種類の人!と思うと、熱烈に友達になったり。上手くいえないけど理想化してしまうんですね。多分。10あったら10聞かせて欲しかったし、言わないでも全てを理解して欲しかった。勿論一番の人には一番に思われたかったですし。ちょっとした趣味や考え方の符号に「やっぱりこの人は!」と有頂天になったし、逆に二人の間の差異は裏切りに見えたり。これって割に友人だけじゃなくてどの人間関係にも言えて、毎日毎日ちょっとしたことや色んな人の一挙一投足に喜怒哀楽激しくて。母が皮肉で「アンタって毎日劇的な人生送ってるのね」って言ったくらい。でもまあ、こんなワタクシでも人は多少変わるもので。気がついたら、いつのまにかもっとゆったりした気持ちで友人と接しられるようになった。ありがたいことに(笑)。それに善意を素直に受け入れられるようになったって言うのかな...。全身全霊で人に甘える(期待する)のをやめて、自分でいったん処理してその上で、友人が与えてくれる慰めとか助言とか、何よりもお叱りとか。素直にありがたい。話を聞いてくれる人、自分がどんな時でも話がしたい人、誰かは必ずいてくれてありがたい。友達とのある部分での違いを問題なく受け入れられるようになったし。それでも友情に暖かい気持ちや感謝や色んな気持ちを持てるようになった。それにね、ちゃんと色んなことを言葉に出して言うようにもなった。言わないでもすっごい全部理解してもらおうっていうのは結局は甘えだったのですよ。説明もしないのに、言わないでも分かってくれるはず、と思って分かってもらえないと勝手にすねてた。すぐに反応を求めない。相手に時間を上げること。説明すること。100分かってもらわなくても、分かる部分で共感を示してくれれば嬉しい。こっちも相手のこと100分かったりはできないんだしさ(笑)すぐに一生の関係云々難しく考えないで、むしろその場その場での関係を大切にしていけばいい。そうしておいて、細い糸を断ち切らずに窓を開いておく限り、人生のフェーズフェーズの重なり合いで切れそうだった糸が戻ってきたり、思わぬ糸が繋がったり。で。気がつくとすごい長い間の付き合いになってたり。そういうものなのかも。なんてことを考えるのも、ちょっと最近不幸な出来事があってアワアワしてた時に、本当に友人にお世話になったから。中でも友人Mとかは結構趣味とか、人生観とか、色んなところが結構違うし(本好きでもないな。勿論重なるところもあるけど)。それに、昔(って5年以上前)全然異性の好みは違うはずなのに同じ人をすごい好きになって、お互い多少プライドもあって馬鹿ではないはずなのに、結構二人とも自分でも驚くくらいにお互いに対して疑心暗鬼になったせいで(笑)一年間音信不通で縁が切れたと思ってた時期さえあったのに。なんかのきっかけでまた出会ったら、もっとぎこちないと思ってたのにまるで何事も無かったかのように自然に会話が弾んで面白くて面白くて。この数年でコンスタントにすごい仲良しで、今回も一番お世話になったかも。ありがたし。
Jan 30, 2005
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誰より自分が危ぶみながらでもぽちぽちと思い出して書いてる。なんか消しがたい。時々自分で読み返すと、ちょっと色んなこと振り返って面白いんですもの。もう一ヶ月に一度の更新でもいいか~。と開き直る今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。しかしあれですね、本好き映画好き音楽好きのページを回ると何がいいって刺激を受けます。マジで。皆すげえ色々面白そうなの読んでる(聞いてる、見てる)な~ほえ~。と正月この方最近すっかり脳みそがお休みしてた私は思いましたのです。それに、触発されて色んなこと思い出すからいいですよね。オースターとか散々授業で議論したし、ウルフなんて好きでバカ長いエッセイ(日本で言うレポートですね)あれで書いたこともあるんですよ、奥さん。なのに人様のトコで読後文読みふけるまで、いろんなこと忘れてましたからね。恐るべし。頭は使ったほうがいいです、でないとどんどん馬鹿になりますよ。これって誰の台詞だったかな~、川原泉の漫画の主人公だったような...。なんかこの台詞が身に沁みる。反省。
Jan 29, 2005
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なんかしばらくほっておいたら、楽天無茶苦茶使いにくくなっていた罠。しかし、あれだね。で、昨日自分のブログを久しぶりに読んだら、もう恥ずかすぃ~~~。青春とは恥ずかしいものって言うじゃない?でも、もう青春なんて年でもなけりゃ、これ、単なる赤っ恥ですから。残念~。(←すいません。オチ無し。単に使ってみたかっただけ。と。自虐的なことも言ってみて(だって本当に恥ずかしかったんだもん。そんな前のことじゃあないのにね。なんでこんなこっぱずかしい気持ちになるのかしら。でもなんでこんなにクサイこと書いてるのかしら。なんであんなにいきがってるのかしら。ひい。)気持ちも、落ち着いた今日この頃。で、mao123さん、七生子☆さんら宅で流行ってるあ~ん(正確にはわまで)を本で埋める企画。なるべく好きな本を入れるようにしたけど、「ぬ」とか本当に思い浮かばなくて...。でも一文字一冊ということで今回は頑張りました。あ 新しい人よ目覚めよ 大江健三郎い 一弦の琴 宮尾登美子う 歌詠みに与ふる書 正岡子規え N.P 吉本ばななお 溺れるものと救われるもの プリーモ・レーヴィか カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキーき 銀の匙 中勘助く クロイツェル・ソナタ トルストイけ 化鳥 泉鏡花こ 幸福な死 カミュさ 西方の人 芥川龍之介 し 新樹の言葉 太宰治す スイミングプール・ライブラリー アラン・ホリングハーストせ 「青鞜」論文集 平塚らいてう 他そ 測量船 三好 達治た ダロウェイ夫人 V・ウルフち チボー家の人々 マルタン・デュ・ガールつ 土 長塚 節て 「テロル」と戦争 <現実界>という砂漠へようこそ ジジェクと 説き伏せられて ジェイン・オースティンな 夏の砦 辻 邦生に 虹 D.H.ロレンスぬ 塗仏の宴 宴の支度/始末 京極夏彦ね 猫が死体をつれてきた シャーロット・マクラウドの 農民芸術概論 宮沢賢治は ハワーズエンド E・M フォスターひ 微笑を誘う愛の物語 ミラン・クンデラふ ブライヅヘッドふたたび イーヴリン・ウォーへ 変身 カフカ ほ ぼくのミステリな日常 若竹七海ま 招かれた女 ボーヴァウォールみ 岬にての物語 三島 由紀夫む 無垢と経験の歌 ブレイクめ 牝猫 コレットも モダニズム詩集(1) 現代詩文庫 鶴岡 善久や 優しき頬 桐野 夏生ゆ 夢十夜 夏目漱石よ 予告された殺人の記録 G.ガルシア=マルケスら ラッフルズホテル 村上龍り 理想の夫 ワイルドる ルクレツィア・ボルジア 中田耕治れ 恋愛論 スタンダールろ 六の宮の姫君 北村 薫わ 若菜集 島村藤村
Nov 24, 2004
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追記相変わらずうちとシンクロ中の(でも絶対そうだと思ってました(笑))ばあチャルさんの日記にトラックバックさせて頂きました。あっちからこっちにくる割合の方が多いでしょうが、まだ未読の方は是非どうぞ。限りない愛惜の情が伝わってきます。---------------今朝起きたら軽い頭痛がした。昨日は仕事でドツボに嵌り終電すら逃して、途中からタクシーでご帰宅。家に着いたのは1時近かったので、疲労感が抜けない。にもかかわらず、かねてから友人がずっと通っている美容室が非常にいいので是非紹介してあげるから一緒に行こう、といわれて、恵比寿くんだりまで一緒に行く約束をしていたのでのそのそと準備のために起き出す。あれえ、待ち合わせ何処だっけか。そう思ってメールをチェックすべくPCを立ち上げるとヤフーニュースでフランソワーズサガン死亡の記事。軽い驚きとぼんやりとした悲しみ、そして喪失感。力が抜けた。よく考えると、長年彼女の小説を愛読してるにもかかわらず、彼女が幾つなのかも最近病気がちであったことも知らなかったのだから、それほど彼女の生死を気にかけていたわけでもないのかもしれないが、それでも自分でも思いがけないほどに悲しいのは何故だろう。これでもう彼女の新作小説を読む可能性は本格的にゼロになってしまったからだろうか。今でも自分の一番お気に入りの本棚の一番目の棚(そこと二段目は特等席です)にその本を置いているくらい愛情を持っている本を書いた人が亡くなったことにより、何か大切なものを無くした気持ちに一瞬なった。改めてサガンに想いを寄せる為に、道中で読む本としてサガンの作品を持って行く事にした。さてどの本にしようかと本棚を覗き込む。勿論彼女はその衝撃のデビュー作「悲しみよ、こんにちは」なくしては語れない人だし、もしくは最も完成度が高いのは私は「優しい関係」(もしくは「ブラームスはお好き」)だと思ってる。純粋に一番好きなのは何かと聞かれたら異色の「幸福を奇数に賭けて」(←この中の作品全部好き。「スウェーデンの城」もよし)だと答えるだろう。しかし、悩んだ末に今日手に取ったのは何故か「一年ののち」だった。ので、これについて書こうと思う。(ネタバレ)。サガンのこの小説を評して訳者が、この本を読む方はスリルとか小説的な筋の面白さを期待してはいけない。これは私たちがただ一人で部屋にいるとき、何かしっとりしたものに触れたいときに読む本である。といったが、全くその通りで。部屋ではなかったが恵比寿に着くまでの長い道のり電車の中で、私はまったりとした悲しみに包まれてサガンの世界に耽溺。Anyway,「一年ののち」。このタイトル(DANS UN MOIS, DANS UN AN)は、本書の頭で登場人物の一人、ベアトリスが口ずさむ一月の後、一年(ひととせ)の後、われら如何に悩み苦しまん。君よ、かの広き海、君とわれを分け隔てつつティトゥス、ベレニスと相会わずして日々は明け、日々は暮れなん...というラシーヌの「ベレニス」からきている。この物語はフランスのブルジョワジー階級に属する何人かの男女の一年の間の心の流れを書いた物語(というのに抵抗を覚えるほど話的には淡々と進む)である。サガンの作品のどれもがそうであるように、作中の人物は作家、女優、田舎から出てきた若者、など、一見それぞれ類型化されたオーソドックスなキャラクターであるように見えるかもしれない。しかしサガンの極端に抑制された、それでいて精緻な筆によって書かれる(もしくは書かれない。サガンは文中に言葉にして書かずに、むしろ話の流れや主人公のある種のさりげないしぐさから、主人公の内面や過去について書かれていない多くの部分を読者に容易に類推させる天才である。)人物達は表面上の印象より遥かに多面的で繊細でまた複雑である。主人公(であろう)ジョゼは、現在は海外に住む裕福な両親の送金で暮らしており、自由気ままな生活を送っているが人生に深い虚無感も抱いている。(この辺わずか18歳にして成功と富を得たサガン自身の投影であろうか)。本質的に繊細で思いやりのある親切な女であるが、同時に彼女は無関心という雰囲気を常に漂わせている。そんな彼女はある日、とあるパーティで自分が普段付き合っている人々とは一風変わった医学生のジャックに出会い関係を持ち、一緒に暮らすようになる。ジャックは「自分を恋しているのかもしれないが獣の悲しさでそれを言うことが出来ない熊」だとジョゼに愛情を持って喩えられる男であり、ファニーが言うところの「与太者」、ジョゼには「生命力」である。しばしば粗野に見えるほど直接的で、ジョゼが普段付き合う文化的な人々マリグラス夫婦などとは異種の人物である。しかしながら、ここでロレンスのコニーとメラーズのような関係を思い起こさないで欲しい。こちらは、「それは肉体的な問題ですらない」のであり、「私が惹きつけられているのは彼が自分に返す自分の彫像なのかそれとも彫像が存在しないということなのか」とにかく彼は「存在している」のであり、それは象徴的だが、同時にジョゼは「象徴というものは、うまくことが進まない時に自分自身で作り出すものだ」ということを知っており、それを微笑みをもって受け入れるほどに複雑な存在である。作家のベルナールは、ジョゼと双方共に認める「同じ種類の人間」でありジョゼに「近親姦的な恋」心を持っている。彼のおとなしく臆病な妻の二コルは彼の為に生きている女であり、ひどく孤独だ。ベルナールは妻に好意を持っており、愛せないことに罪悪感をもってもいるが、ジョゼへの思いを断ち切ることが出来ない。ジョゼはベルナールを愛していないが、二人の間には似たもの同士の深い共感と愛情、優しさが常に存在しており。ベルナールがイタリアにいるときに、全く別の事情でジョゼが彼の逗留先を訪れたにも関わらず、ジョゼが自分に会いに来たとベルナールが誤解して幸福に浸っているのをガッカリさせるに忍びなく、自分にはジャックという恋人がいるにも拘らず、ベルナールに彼女の人生の二日間を、「幸福な2日間」、彼女にとっても不思議に非現実的で心地よい二日間を与える...。一方、マリグラス夫妻の片割れ、アランは50代半ばにして突然、売れない女優ベアトリスへの長年の仄かな憧れが、激しい熱情に、むくわれない情熱に変化してしまったことに気がつき苦悩し、転落していく。理知的な妻ファニーもそれに気がついているが、どうにもならない。ベアトリスは成功を夢見る野心的な新進女優であり、田舎から出てきたばかりのアランの従兄弟エドワールに盲目的な愛情を注がれている。(ちなみにこの物語に出てくる人々にサガンは特別愛着を持っていたのだろうか。後年ジョゼとベルナールは「すばらしい雲」に、ベアトリスとエドワールは「乱れたベッド」に、それぞれ再度登場している。)これらの人々の心情の流れ、心の移り変わりをしっとりと扱ったのが本書である。サガンの作品の登場人物は皆優しい。しかし優しさの中には弱さや孤独があり、また時にはその優しさが残酷さにもなりうる。また、人は本質的に孤独であり、人々のコミュニケーションはしばしば一方的であり、多くは誤解に基づいている。これらの、優しい人々の心に潜む弱さ、残酷さ、もしくは人生の不条理さに対する深い絶望感を鋭い筆をもって描き出すサガンの目もまたしかし限りなく優しい。だからこそ読者は登場人物に対して深い共感を覚えずにはいられない。野心家のベアトリスですら、利己的ではあるが本質的には善良な女、普通の女であり、充分感情移入可能なのだ。そして彼女は舞台の上で漸く真に生きることを学び成功を収めるが、その成功ですら存在、人生という大きなものの中では小さなものに過ぎないと、興行主でありシニシストのジョリオの台詞は示している。「ベアトリスが一生懸命になっているお芝居や、成功したいという小さな野心...彼女はなんて可憐だろう。この成功したいという望みは、存在という大きな世界においてなんとおかしなものだろう!」この存在という大きな世界。人々の出会いと別れ。感情の移り変わり。一年の間に、人々の心情や境遇は移り変わり、アランとファニーの取り返しのつかない溝や、ベアトリスとエドワールの破局、ベルナールとジョゼの別れ、ジョゼとジャックの再びの邂逅などを経て、人々は冒頭と同じ場面マリグリス夫妻のパーティで再び顔を合わす。彼女は客間にいるジャックを眺めていた。ベルナールは彼女の視線を追った。”いつかあなたはあの男を愛さなくなるだろう”とベルナールは静かに言った、”そして、いつか僕もまたあなたを愛さなくなるだろう”われわれはまた孤独になる、それでも同じことなのだ。そこに流れ去った一年の月日があるだけなのだ。”ええ、わかってるわ”とジョゼが言った。”ジョゼ、それは不可能だ。われわれ皆何をしたって言うんだ?...何が起こったんだ?一体これはどういう意味なんだろう?"”「そんな風に考え始めてはいけない」”彼女は優しく言った。”「そんなことをしたら気違いになってしまう...」"時の流れは恩寵であると同時に、より多くの場合において残酷だ。人は孤独だ。その深い虚無、静かなそして穏やかな絶望。どの感情も永遠ではない。サガンはそれら全てを人々の自分の「根強い本能にかられて、永続性を、彼らの孤独の決定的な停止を信じようとする試み」の虚しさを暖かく、でも諦念と共に受け入れる。そして時は流れていく。耐え難い。しかしこの気持ちすら、いつか跡形もなく無くなっていくことをも知っている。
Sep 25, 2004
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ってこれ↑だけ書くのに一ヶ月かかったよ、母さん(涙)。しかし自然消滅というのはスキではないので一応書いてみた。いやあ、今月はいそがしかったのなんのってアナタ。皆夏休みをガッツリとる職場なので、只でさえ人手はないしよう~。いやはや。なけなしのフリータイムは、電話か五輪TV観戦(人生で未だかつてないほど真面目に見てるよ。なんで?)に費やされ。日記をアップしてるヒマがなかった~。で、一応ひと段落着いたのですが、9月に資格試験を受けることにしまして。と言うのもウチの会社10月に毎年評価面談があるのですな。仕事全般に加えて「向上心」や「モーチベーション」なんかを示威しなければならんらしい。いかにもけったいな企画で、非常にNaiveな企画でもあるのだが、まあいかしたかたなく。とりあえず、去年は入社三ヶ月目だったのでニコニコ笑ってごまかしたが(←この辺で年がばれるね。いや隠してるわけでもないんだけど。BA+MA+イギリスでちょい働き+今の会社入社2年目。はい。)、今年はなにやら向上心を見せなければならんので安直に資格などとってみる。で9月いっぱいまで休むつもりです。楽天。その後の予定は正直、予定は未定。私の日記が(て言うか、日記かな)どんどん内向性を深めて一人遊び化している今日この頃、楽天のように多くの人の目に触れる媒体でブログと言う形を取ることに違和感を感じているのも事実。でも、不特定多数の目に触れるからこそ、楽天で知り合った方々に世の中面白い(ほめ言葉)ひとがまだまだいるな~と再認識させていただいたのも事実。そしてシャイなあたしなりにいつも来ていただいている方々にこんなん見せてすいませんと言う気持ちと共に「愛」を感じさせていただいてるのも事実。ので、予定は未定。まあよく考えます。Anyway(←なんかこれも懐かしいな)、近況など書いてみる。車の免許取りました。これを同僚に言ったとき、言われた言葉のほとんどは「まだとってなかったの?」でした(笑)。でも一回もオーバーしてないもんね。働きながらボチボチ行って八ヶ月かかったよ。でも早速車乗ってます(従兄弟が引越しを機に車を安く譲ってくれたのだ)。で。教習所は東京だったんですよ。で、けっこう車の通りも激しいし自分的にはこんな大変なトコで免許取れば後でラク~。と思ってたんだけど甘かった~。教習所の周辺は道広いし、混んでるからこそスピードでないではないですか。埼玉で運転したらアナタ、道は狭いのにビュンビュン皆車とばすしさ。冷や冷やしながらすれ違うことも多くて、こっちは初心者マークつけてるのにさ(涙)すっかり自分が教習所で得た知識が通用しないのにしゅんとして友人にコーチを頼んだんですよ。したら普段はおっとりしてるコなのに、ハンドル握ったらコワいんす(今まで知らなかった...)「何?30メートル前から合図出す?! 早すぎ! 車って言うのは暗黙の了解で皆走ってるんや、一人だけそこから外れた動きしたら迷惑!」って何故かいきなり鬼コーチ(涙)。なんで関西弁??で。オドオドしながら乗ってるけど最近では買い物くらいはいけるようになりました。後は、う~ん最近読んだ本。斉藤兆史、野崎歓「英語のたくらみ、フランス語のたわむれ」(東京大学出版会)書評によるとお二人東大駒場の花形講師らしい(本郷はよく行くんだけど、駒場は行ったことないのよね)。読書について、外国語について、文学を学ぶと言うことについて。お二人で時には歓談、時には議論してるんだけど。すっごくすっごく共感と言うか頷かせられることが多く。昨今の実学を唱える無味乾燥な主張に、大学とは就職のために行くところではない(そう思ってるんだったら行かないで就職したまえ)実学などと言うものはありえん(でしょう。経済学んだからって良き経営者、企業家になれるでもなし。短絡的な。)と、人生での数年間、純粋に豊かな知の愉悦にどっぷりつかり、自分の中での疑問符を増やすところ人生の情熱を学ぶところだと再度思わせてくれる良き本。大学がって言うより学ぶと言うことやね。問題なのは。でも、大学に心底戻りたくなったよ(笑)。人文系の学問の魅力を余すところなく伝えてくれる。外国語を学ぶことに関しても「全然違う世界からの呼びかけであり、強烈な誘惑である」としながらもあくまで日本語の重要性を強調し「日本語はわれわれにとって一番繊細にものを考えることを可能ならしめる言語であり、あくまで日本語を非常に繊細なレベルまで極めてから外国語のレベルを引き上げていくのがよい」と主張なさるのには拳を振り上げて、手を打ってカンゲキ(笑)。自分の母国語の日本語の美しさ繊細さを理解せずに、他のいかなる言語をも真の意味で使いこなせるわけがない。昨今行き詰まりが見える文学の極端な「テキスト」化、合理的意義の付与にも鋭くメスを入れているのも良し。閑話休題。ちょっと話は横道にずれるが。ちょっと人文系(アート系)学問礼賛。興味ない人は飛ばしてくれい。(ちなみに自分が文系の学生であったからと言って自己礼賛をしているように聞こえないことを祈る。分かってくれる人は分かってくれるであろうからこれらの但し書きは全く無用かつ不必要なものなのだが)私にとって文学哲学歴史及び人文系学問って、無から有を創るっていうのかな、無って言うのはちょっと違うな、要するに文字通り0から組み立てるのが魅力。答えがない学問であるが故に、逆に論理的思考と創造力が必要とされると思うし。それと同時に自分の異なった窓を開くというか。世界(ハイデガーの「世界内存在」の世界)を読み解く為の別の地図をくれるというか。うん。そんな感じ。やっぱり自分の価値観モラルの再評価とか疑問を呈せってことなんだけど。ショートカットのない学問だなあと思う。自分にとっての「真実」ってそんなに簡単に手に入るものじゃないでしょう。人に教わるものじゃないでしょう。(そうそう、昨今文学にもあらすじ本とかハウツー見たいのが出ててあたしをげんなりさせているのだが。話の筋を知ってることが大事じゃないでしょう。文学って登山みたいに一歩一歩頂上へたどり着くプロセスが大事でしょう。自分でテキストを読み解いて自分なりの物語(再テキスト化)を作るのが大事でしょう。あらすじ本読んで10冊の本のあらすじ知るんだったら、一冊を大事に読みなよ。小説は交響曲のようなもので、第一楽章やところどころの音符を知ってても大きな全体としても美しさには届かない。)そもそも人から与えられる真実をそのまま受け取らない、真実の両義性を知ることってすごく大事だと思う。客観的事実などないのだと(ちょっとフッサール)知ることが。ぶったポーズが多い寺山修司氏であるがやっぱりこの人も言葉に対してすごく敏感だし繊細だなあと思うのですが。まあ彼の言葉にあらゆる思想にはそれぞれの(立場にとっての)正当性がある。どんな戦争や犯罪にだってそれなりの理由がある。大事なことはそうした場合に一つの決定論に身を任せてしまわずに疑問符をさしはさむと言うこと。友よ、疑問符をいっぱい持とう。そうすれば、より多くの答えによって世界全体とつながるのだから。とあるのですが。ようするにこの疑問符を多く持つと言うこと。哲学文学歴史諸々を学ぶってそういうことだと思う。全部否定していたら進歩的でない、生産的でないという批判は見当違いだ。言葉ばかり独り歩きして(「テロに対する戦争」とか~「悪の枢軸」とか~)、それに盲目的に従う方がなんぼか非生産的だし。Make him realize that by the side of the everlasting WHY there is a YES -transitory YES if you like, but a yes(彼は気がつかなければならない。全ての絶え間ない疑問詞WHY(=”?”)の横には常にYESが存在することを。束の間のYESかもしれない。でもそれは確かにYESなのだから。)EMフォスターの「眺めのある部屋」の一節。文中のhim(彼)は登場人物の一人でthe world don't fit himと感じている、つまり世界の中で孤独と違和感を感じている多感な青年のこと。青年の多感さ、自分の中の真実に対する誠実さは、青年をして常に苦悩させ、迷わせ、混乱させる。でも忘れないで。その一つ一つのハテナの横にはWHYの叫びの後には、必ず肯定の返事YESがあることを。一つ一つの疑問が肯定なのだと言うことを。そういった内容ですが。余計な説明はいらんですね。これに尽きます。話の雰囲気は180度違いますが、これを読むとカラマーゾフ家の人々を思い出します(特にイワンを)。カラマーゾフ家の苦悩や羞恥や狂気の横に常に存在するYESを。昔読んだ小説の一説にこんな感じ↓の言葉があって、小説自体は割に陳腐なのでここであげませんが。飢えには二つの種類がある。物理的なモノと精神的なモノ。で、思うにどちらがより深刻だなど誰にもいえない。勿論私も霞を食べて生きてるわけでないのですから、奇麗事でなく、例えば生存という前提条件がおかされているような極論では、例えば飢え死にそうで目の前に食物と本だったら勿論私も食物をとります。しかし人はパンのみで生きるにはあらず。人の営みというものが絶え間ない幸福の希求であるならば。「幸福」という概念が人によって様々である故に幸福へと至る道も様々であるはずで。その中の一つの道として、確かにArt(所謂芸術だけでなく人文の意)は必要なものだと、必要なモノとして存在するのだと法律や食物や機械と比べて上でもなく下でもなく同じくらい必要とする人がいるのだと真剣な話信じているわけなのです。また人にパンを与えるというその行為の根底に、人文は確かに存在してると思います。哲学や文学はそもそも、超越論(transcedental)的、普遍的意味において全ての学問(法律の経済の科学の)の根底に確かに存在する。またそうでなければならないと思います。って熱く語る人だなアタシ。でも結局のところ愛しているの。人文系学問。で。話を戻します。谷川 徹三、谷川 多喜子 著、 谷川 俊太郎編 「母の恋文―谷川徹三・多喜子の手紙」 新潮文庫谷川徹三は岩波に入ってる西洋哲学史の著者で哲学者ですな。で、息子の俊太郎がまだ交際時代の父母の手紙をまとめたと。500通以上あったっていうからすごい。いやあ、書簡集って本当に面白いのって割に少ないと思うのですが。これはよかったです。哲学の話では全然なくて、手紙っていいな。携帯の普及で風情がなくなりましたね。昨今。と思わせられるほど、魅力的な手紙。抑えきれない恋心、罪悪感を感じながらも人を愛することで高まる性欲の告白。当時の風俗を読み解くこともできれば、昔も今も人を恋すると言うことは同じですな~と感慨に浸るのも可。そして最後の20年後の手紙を読むと。人を愛することは平坦な道ではない。いいことばっかりでもない。それでも...いつかたどりつくのかしら。どこかに。夫婦ってなんだろうねえ。って感じ(笑)「見えないくせに存在してるものはたくさんあるわ。愛とか罪とか幸福とか...そう無限に」 -伯爵令嬢小鷹狩掬子の七つの大罪まだ書く気でいたけど午前二時だよ。シャワー浴びようっと。ではでは。いやあいま読み返したら。話し飛びすぎ。脈絡なすぎ。あかんね。お前が日本語勉強しろって感じ(笑)あとジェンダーフリーについて書こううとしてたんだよね。まあいいや。また別の機会に。少しづつリンクさせてもらってる方々のところへご挨拶に伺うつもりです。色々戯言に付き合ってくださって本当に有難うございます。
Aug 26, 2004
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On writing a diary日記を書くことについて日記に書く私。まず初めにある意味言い古された二つの点から始めたいと思ふ。1.全ての日記はフィクションである。2.日記を書くとき人はそれが自分ひとりのための日記だとしても、常に読者を想定して書く。1.に関して云えば、フィクションというのは例えば私が日記に書いてある内容に反して、実は48歳のサラリーマン(男性)で家には妻子が待ってて平々凡々に暮らしているけれど、楽天サイト上でちょっと他人を演じることに快感を覚えている、というようなちんけなハナシではなく(一瞬マジ?って思わない?)。要するに、どんなに「事実」に即して「時系列」にそってその日に起きたこと等厳密に書き付けているつもりでも、あなたがその日記を書き始めた途端にそれらの「事実」はあなたを通してフィクションになると、云う意味。要するに物を書くときに完全に主観を排した客観的事実、「本当のこと」を書き付けることなど不可能であり、厳密な意味での、所謂「non-fiction」は存在しない。(だか極論を言うと何書いても同じ~。厳密にはそもそも「客観」「事実」というものが存在するかという別な問題もあるが)2.に関して言えば、読んだとおり。いかに「秘密の日記」とかいって鍵をかけていたとしても日記を書くということは自分の中に常に読者を想定して書くということ(仮想読者ですね)。(これは誰かがその日記を盗み読むことを想定してって意味じゃないよ)。従って楽天の成功というか最近のブログの成功もここにあるんだと思うわ。最終的には、物を書いて発表するというのは自己表現(自己顕示欲)の発露なわけだし、その自分が書いたものに手軽に読者を提供してくれるんだから。それにうみ疲れて適度にマイペースで続けるか、それに勢いづいて「情報発信型サイト」になるかは個人によるだろうが。もし自分はこの二つに当てはまらない、自分は厳然たる事実をどんな読者も想定せずに自分のために書いてるんだ!、という人がいたら、あなたは超人的な人か、超人的な勘違いをしてるので、下記のアドレスまでメール...くれなくていいです。Anyway,何でそんなことを考えたかというと自分の日記を読み返していたから。いや、面白いな~。楽天の場合は相互の日記のリンクなる制度があるゆえに、上記の「仮想読者」が必ずしも匿名の読者ではないところに面白みがある。ましてや、ログ解析なんてものがご丁寧にあるので、誰が見に来てるかわかるようになっているわけで。自分の日記を見るにつけ其の都度で無意識にしろ有意識にしろ書いている文章の対象がいるわけで、その明確な対象に向かってアピールしたい自分の面を自己プロデュースしてるようなものね。それらは全て自分なワケで、ちょっと偉そうに理論的なことを言った後は、逆に乙女な面を強調してみたり。面白いですな。下記は某場所で数年前、「私」論を戦わせたときの文。自己引用。>他人と区別された我というのは、常に他人とのかかわりを通して自分を意識するところから生まれるからです(サルトル言うところの対自。ハイデガー的に現存在)。だからこそ人とモノとは同じ"存在"でも、モノは自我をもたない(そのままモノ。即自。自己の存在を意識しない=自我をもたない)のに対し人はものを見て自分はモノではないを認識することによって、自己を認識することができるのです。ラカン派チックに「自分」を他人と言う鏡に映る影の反映に過ぎない(書くとなる一つの統合された主体としての私は存在せず)とするならば、ものを書くという行為は私にとって自分を見る鏡なのだなあと思う。(途中)
Aug 25, 2004
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昔書いたけど諸々の事情から小心にもお蔵入りしたもの。---------by ジジェック updated 5/6 .2004昨今ワタクシ死ぬほどこの本のことばかり話しているような気がする。Before Sunrise(ところで非常にいい恋愛映画、これ。)でイーサンホークがいうところのself repetitive(日本語でなんていってるのか見てない)なんだけど。でも何故今、去年(おととし?)のMyブームのジジェックについて、これほど思いを馳せるのか。答えは簡単。再三再四自分の日記の中では書いたが、9.11(September Eleventhアメリカ同時テロの日)以来、私が耳にしたありとあらゆる議論・意見の中で最も明解で、抜本的な、説得力のある、また非常に冷静で深い議論の一つだからだ。私の乏しい語彙ではこの本を描写することはできないし、またそのつもりもない。(この本は全てのページが大切だから要約のしようがないしね)。読んでくれい。以下は必ずしも本の内容とはリンクしてないし、本の中でこういうことが述べられてるとかこの本を読んだからそのままこういう意見を持つようになったとかではありませぬ(別に下記のようなことをジジェックいってないし。繰り返すようだが彼の視野はもっと広く深い多角的だ。っていうか彼って何であんな頭いいのかしら。非人間的ですらあるわ。)だから下の私の駄文を読んでこの本に変な先入観を持たないでほしい(じゃあ書くなって? でも私が本を読んで考えたこと。をその本の紹介に代えるというのが私のスタイルなんだもん)。むしろ、この本のもっとも優れたところは、この本は答えをくれる本ではない。というところであると思う。そうではなくて読んだ後に、自分の中に眠ってた色々な思考が刺激されて湧き出てくるような本)。ちょっと話はそれるが、私はそもそも昨今の、国や企業や社会的強者に対しては妙に甘く寛容で(彼らの義務不履行にはいかんせん甘い)、弱者や既に傷ついている個人に対してとことん不寛容なものの言い方がスキではない。周りはこうこうこういうけれど、被害者にも責任があるとか。回転扉の事故を知りながら放っておいた企業ばかり皆責めるけれど、手を離した母親も悪いとか(あほじゃないの? 企業には安全第一で事故の可能性を可能な限り低くすべく、日夜研鑽の義務があるのよ。分かってて何もしなかったんだから、明らかに義務不履行じゃないか。こういうことが発覚したときに企業責任を追及しないでうやむやにするから某自動車会社みたいな会社が出るのよ。)そういう人に限って、自分ひとり"冷静に”感情に流されずに、人とは違うものの見方をしてると満足しているらしいのに、いざとなると態度が悪かっただの、国に感謝の気持ちが足りないだの、あの時こう言っただのああ言っただのよく分からん”ヒステリックな”反応ばっかりするのも特徴。Anywayワタクシは9.11以来、テロに関して、見てきた議論に非常に違和感を覚えてきました。ちなみに、私はネット上で起こりがちな、じゃあお前は何やってるのか、**(←ここにはなにかアホっぽい極論が入る)できるっていうのか、等の議論が嫌いです。後、安直に**主義とか、お前は**派だの、**の影響だの右だの左だの性急に人の意見をカテゴライズするのも、苛苛しまする。またワタクシは現実的に自分にできること(Web上でではなく。自分への言い訳もしくは自分の救助、もしくは自分はこれをやってるから人様に意見する権利があるとかいう自己擁護や論理武装のためでもなく、もしくは自分に対して罪悪感(を持ってるだけマシか。よく考えると。)を和らげるためでもなく。))をすること、もしくは建設的な議論(一方的、感情的、陰湿でない、の意)、及び縦にも横にもものごとの構造を知ること(中東問題にしろ、テロにせよ、イスラエル問題にせよものごとには過去の歴史、原因の原因の原因があるわけでその過去のいきさつを知る手間をかけないで、今目の前にある現象・事件(マスメディア経由)でのみで物事を判断するのはいかがなものか。しかもこの場合の「知る」とは本を一冊こっきり読むことではない。昔一時、君は**の真実を知っているか、僕は知ってる、ここんとこ勉強したから。とか、今までの「歴史」は間違っていた。とかやたらいう方たちがいて聞いてみると、おい、某元漫画家が書いたつまらん本1冊か2冊読んだのを鵜呑みにしてるだけなのか(あれって歴史??)とか。そういうことがよくありました。)以外の行為にあまり意味を感じませんでした。今だから言えることだが。更に、個人的には(あくまで個人的にはね)やたらアメリカについていきたがる賛成派もさることながら、正直、戦争はよくない!、戦争は人を殺すということだ。だからやってはいけない(勿論それは絶対的に正しい。そのアプローチがどうこう言ってるのではないんだけど…)、イラクの人々は云々、子供は云々、未来は云々、そういうことばかりを一辺倒に声高に前面に出した「ヒューマニスト」な議論のみの「議論」(何故カギカッコつきかというとそういうことがヒューマニストなの?と時々疑問に思ったから。そして行っていることはもはや議論ではなく自分達に都合のよい感情論だけを振りかざすだけだから)にも非常に非常に違和感を覚えていました。そうではなくて、テロとかイスラム原理とか狂信的とか自爆テロとかそういう言葉を安直に使っているけど、それらのうしろにあるもっと本質的構造的なアプローチがあってもよいのではないかと思ったからです。あくまで個人的な意見です。でも、もしあたしと同じようなことを感じた人がいるならば、この本はその人にとって"must read"です。(ジジェックはラカン派の哲学者なのでラカンに関する言及がかなりあるのでとっつきにくい部分もありますが気にしない気にしない)
Aug 24, 2004
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昔aikoの歌になんかあったような。まあそれはともかく。人生における父性の欠如から来るんだろうか。男の人に、(勿論自分が悪かったことで)優しく叱られると嬉しくて胸がときめく。(もしかしてM?)優しく呆れられるのも非常に弱い。「バカだな」「しょうがないなー」と優しく(あくまで優しくよ。マジな顔して言われたらたまらん)言われると、嬉しくてニコニコしてしまう。いや、今日久しぶりにあのハンサムなおじ様(知らないだろう、誰も)こちらをみよ。→こことここ。にお会いして(フロアが変わって以来全然見かけなかった)、話してたら。ある発言を軽くたしなめられた。しょげるべきところだが、たしなめられた口調がかなり優しく暖かく。心が躍った。いやはや。ステキだ。
Jul 23, 2004
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<追記>この前、偶然これについてダビドフさんのおとな~な文を読ませていただいた。大人だ...大人だよ、ダビドフさん...。よみたかったらここ。-----なんか最近昔の自分とふと出会うことが多く。気がつけば、なんだか昔のことを妙にビビッドに思い出し。なんか不思議だ。中学生のときに大好きだったバンドがあって(その後あたしは洋楽路線に走っちゃったので、結構日本のバンドであんなファンになったのはそのバンドが最初で最後だ。)今でも形は変わっても活動してるんだけど、当時はあたしもウブだったのでファンクラブかなんか入っちゃって(笑)。でもここ数年どころか高校入って洋楽に走ってからCD聞いたこともなかったのに、この前そのバンドのファン(昔ファン今もファン)のこと偶然知り合って話してたらたまらなく懐かしく。CD全部売ったり、人に差し上げたりして手元に持っていなかったのを、中古でアルバム10何枚中5枚一気に買い直し(さすがに一回持っていたのは悔しくて中古以外で買いたくないわ)聞いてたら。ちょっとしたプルーストモーメント(「失われた時を求めて経験」ですな。忘れてたような昔の思い出がなぜかこうぶわっと目の前に戻って数日間は微妙な精神状態で過ごした。その数日後、FDを探してうろうろしてたら、古いのがたくさん出てきて、中に何が入っているのか。ふとした好奇心から見てみたところ、そのうちの一個にあったのが。昔の彼氏に書いたメールのバックアップ(笑)及び昔書いたポエム・散文の類。(ところで、外国に行って大学で文学やってる人にあなたは詩を書くかと尋ねたら10人中9.5人が書いてるよ。日本では詩を書いたって言うとちょっとひかれちゃうのね。かなしひ)日付が2000年だよ。4年前か。4年も、というべきか。4年しか、というべきか。私は本質的に自分の過去の恋愛に関する愚行を「あたしってばか~」とかいいながら実は面白がるタイプで。なのでこの場でも、過去の日記から文章を引用してみたりよくしたけど。だからそういうことに関しての羞恥心は薄いと思ってたけど。こればっかりは。というほどすごい感情的なメールが後半多く。もう自分でもこんなものの存在を覚えてなかったのは、多分消したい記憶はちゃっちゃと消したんだろう。どのツラ下げてこんなの書いたのかと、今となっては本当に全身鳥肌(さぶいぼ)。プライドもなく。love is temporary madness(恋に落ちるって、一時的に気が狂ったようになるってことだよ)と「コレリ大佐のマンダリン」にでてくるパパも言ってるし。一時的に気が触れていたのだろう。なんともいえない気持ちになり胸騒ぎと神経の高ぶりで微妙な一日を過ごした。と、そこへ。不思議な偶然。(こういうことってありませんか?)その彼の友人(私とも共通の友人だった)に、ばったり会った。彼とその友人は最近になってまた連絡を取り合っているという。思いもかけぬ人から思いもかけぬ人の近況を聞いた。いせまりの話も出た、懐かしがってた、どうしてるかなっていってたよ。そういわれて、かなり微妙な気持ちになった。以来この一週間ほど最近どーお?のメールを送ってみようかとつらつらと思っているのだが、結局は実行していない。2,3行書いてほったらかしにしてある。このまま実行しないような気がする。今だったらすごくいい友達になれるのかもだけど。しかしテキがあのメールをまだ持ってたらやだな~。はあ。この彼は←の100質に出てくる彼で。明るくクソミソにいってるようで、実は文章の長さからバレバレだと思うが、かんなり引っ張ったヒトで。今ならあたし達たぶん結構いい友達になれる。という気持ちの影にはほら。あたし大人になったでしょう? もうあんな悲壮感漂わせて自己憐憫に浸って「共通言語」なんて言って勝手にあなたを選んでた、そのくせいつもあなたの顔色見てたガキじゃないのよ。絶対別れるのがいやって泣き叫んだバカじゃないのよ。というところを見せたい。という甚だ「大人」らしくない気持ちもあって。そんな気持ちで、メール送ったりしても面白くなかろうと思う。しかし、夏休み最大イベント(イギリス行き)がちゃっちゃっと終わった今。ろくなこと考え付きませんな。暇に任せて。コレも遠恋ならではですな。
Jul 22, 2004
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結構マジで眠れない今日この頃。(暑いからだけじゃないよ。)このおなじみの感覚。電気を消して横になるのが怖い。しかし、タダでさえ体力が落ちる暑いこのごろの中、寝不足は正直かなりきつく結局この日はたまりかねて薬を飲んだ。のでちょっと元気なし。どうやったら、さくっと眠れるのかね。結構身体は疲れてるんだけどね。まあ、それはともかく。結構色々本を読んでいるのだが、それについて書くとこまでいけない。映画のPart2もあるんだけど。まあいいか~。
Jul 21, 2004
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キミは富士山を間近で見たことがあるか?私はあるよ、つい先日。おっとしまった、16日の日記の追記は17日に関する内容だったわ、時間が前後しちゃった。まあ、それはいい。車が戻ってきた(どこから?)喜びにおおはしゃぎの友人が言い出したのが。山中湖へ行く。そして忍野八海へGO。山中湖といえば? 山梨です。昔姉がよく大学のサークルのキャンプなんかで毎年行ってましたが、その山中湖。ビバ青春。え。めんどくせえ。(マジ? 山梨い? 連休初日に??)そういうあたしに友達は言いました。あんた富士山見たことあるの?富士五湖って分かる?富士山?あるよお。だって天気のいい日は埼玉から見えるし。(ビバ関東平野)ちっちっちっ。そんなんじゃないちゃんとした富士山。あたし静岡に昔家族ぐるみの知り合いがいたから、遊びに行ったことあるよ。そん時見たはず。…小学生のときだけど。甘い。富士は日本一の山だよ。見るべし!!てなわけで、押されて行ってしまいました。山梨へ。渋滞でとんでもない目に遭ったのはもう書いたけど、本当に大変だった。府中が!!!長くて!!!とろとろ進んでるからいつ標識見ても府中って書いてあるんだよ!府中って以上に縦に長いトコなのかと思ったさ。でも山中湖で遊んで温泉はいって忍野八海行って。信玄餅買って。桃買って(今年の桃は甘いぜ)。(でも富士山は登れなかった!!混みすぎてて)。それなりに楽しかったよ。しかし!!あたし富士山について多大な思い違いをしてたわ。なんか写真とか絵で見る富士山のイメージからあたし富士山ってこういうの(↓)想像してたのね。画は不肖いせまりがペイントで書きました。字が汚いのはマウスの使いっぷりが下手なだけで、実際はもっと綺麗に書けます(当たり前か)。要するに木が全く生えてないものと思ってたんですよ、奥さん。したら、あなた夏だから結構一面緑じゃありませんか。うえ~のほうこそ岩っぽいですけど。この勘違いのお陰で私富士山が目の前に見えてるのに、気がつかなかったんですよ!!で。友達が窓かなんか開けてさわやかに前髪を風に吹かれながら、富士山きれ~い。(白い歯キラッ)って言ってる横でエッ? 富士山? 富士山どこどこどこどこ?と4コマ漫画とかコントに出てくるアホのようにきょろきょろきょろきょろしてしまいましたよ。あほですな。でも富士山すごい綺麗だったんだよ。取ってつけたように言うけどさ。やっぱり、富士は日本一の山だね!!(ウインク)なんかこの文自体あほだな…。連休が終わってしまったからだろうか…。
Jul 17, 2004
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<追記>昨日朝6時に出発して友達の車で山中湖及び富士周辺に行くという暴挙を果たして(しかもあの人出!!連休の初日に出かけるもんじゃありません。でも温泉にも入ったよ。)深夜帰宅。しかも府中あたりですげえラッシュにぶつかり(まあ予期していたことですが)、のろのろのろのろ。どんなに時間がたっても、標識には「府中」の文字!! あれ?おかしい?まだ府中~。府中ってもしかして異常に細長~いところなんだろうかあ?と朦朧と考える私。でも富士山はやっぱり綺麗だったよ。登ったことはないんだけどね。Anyway、そのせいで今日は暑くてバテバテです。皆さんはもっとましな連休を過ごしておられることと思います(笑)。-------------結構前に見たのも含めて、見た映画の感想をまとめてアップ、Part1。・ Elephant(エレファント)公式HPオレゴン州ポートランドにある何処にでもあるような高校。何処にでもあるような朝の風景。美大を目指すイーライは見かけたカップルの写真をり、黄色いTシャツのジョンはアル中の父親の代わりに車を運転している、仲良し女の子3人組の会話、自意識過剰でコンプレックスの固まりのミシェル、授業中ティッシュをぶつけられるうっすらいじめられっこのアレックス。仲間意識と、ちょっとした友情と、恋心、コンプレックス、不安と期待、いつも通りの小さなトゲを内包したでも平穏な学校生活。この日もそんな変わりなく続く日々のうちの1日に過ぎないと思っていた…。ボウリング・フォー・コロンバインでマイケルムーアも取り扱ったコロンビア高校での銃の乱射事件をモチーフにしているが、「ボウリング…」が銃社会の告発というはっきりとしたテーマのもとに、いわばこの事件を出発点として映画を発展させているのに対し、こちらはあくまでフィクションとしてこの事件を映し出し、「掘り下げ」ていく。ドキュメンタリー風に静かな情景の中にも事件の瞬間へと加速していく「その日」を高校生活を送る様々な人物像・場面を通して描き出していくかたち。ボウリング…と比較されがちだが、非常に異なる性格を持つ映画なので一概に比べるのは不可能ではないだろうか。 どちらも投げかけてくるものは果てしなく重い。 この映画の後ろに流れる悲痛な思いはやはり「何故この事件はおきてしまったのか?」だ。題名はですね、インドの盲目のお坊さんが3人象に初めて遭遇したんだけど、一人は偶然鼻を掴んだので象とは細長い生き物だと思ってしまう。残りの2人もそれぞれ体の違う場所を触って象のイメージを作り上げるのだが、あとで3人話し合うと同じ生き物について話しているのに3人とも全く違うことをいい合う事になった。とかいうインドの寓話があるんだけど。要するにつまり、人間とは目先の一部分に惑わされがちであり、ものごとの全体像を把握することは難しいという教訓話からきているとのこと。何か事件があるたびに、安直に「親のせい」「学校のせい」「テレビ・映画・コンピューターゲーム・インターネットのせい」としたり顔して解説するメディアetc。そして破れたところにパッチをあてるように、その場限りの「解決策」を提示してそれでお終い。この映画はそのような姿勢にこそ疑問を呈してくれる。この映画は何をも裁かない。明確な形での問題提起をしない。ただ、ひたすらあまりにもリアルな高校生活の日常の場面場面を生徒の視線から描き出す。しかし、その中にこそ見ている側は自分達の、より多くのそしてより大きな「何故?」を読み取るのであり、だからこそこの映画は余計に胸に迫る。突き刺さる。何度も言うように、一つ一つの場面はあくまでさらっと流れていく。通販で気軽に銃を買うシーンもここでは多くある「日常的」シーンの一つだ。監督ガス・ヴァン・サントは(グッドウィルハンティングの監督だよ!!あたしあの映画スキじゃないけど。って言うか嫌いだけど。)、いかなる問題も答も提示しない、登場する子供達にいかなる投影も感情的意味付けもしない。あくまで第三者的に淡々と一人一人の一日を映し出していく。彼は「したり顔に理解しているフリをする大人」ではないからだ。しかし、あの一日が奪ってしまったものの重さが本当につきささる。淡々としているからこそ。何の主張もしないからこそ。逆に。できたかも知れない友人、和解できたかもしれない家族、報われたかもしれない努力、癒されたかもしれないコンプレックス、叶えられたかもしれない漠然とした希望、未来、命。勿論人生は厳しく、挫折に満ちているし、死ぬ程つらい人生を歩むことになったかもしれない。しかしながら、この日失われてしまった全ての「可能性」達は簡単に言葉にするにはあまりにも…重い。私的にはかなりお勧め映画。・School of Rock(スクール・オブ・ロック)公式HP主人公のデューイ・フィンは、ひたすらロックに心酔。かつてのバンド仲間が自分の才能に見切りをつけ堅実な道を歩みだした後も、周りの白い目も気にせず、ひたすらに熱くゴーイングマイウェイに生きる日々。 そんな中、彼のあまりに破天荒な個人プレーに嫌気がさしたバンド仲間にバンドを追い出され、更に居候を決め込んでいる友人ネッド宅では友人の同棲相手には支払いのたまってる家賃の即刻支払い(さもなければ即刻退去)を告げられる。仕事なし、金なし、住むとこなしの危機が迫ったデューイは、金ほしさにネッドの名を騙り名門小学校の代用教員におさまるが…。監督がリチャード・リンクレイター。と聞いて、かなり驚いた。何しろ、リンクレイターといえばあの傑作Before Sunrise(邦題:恋人までの距離←絶対変、この邦題。変えて今すぐ変えて!!)とWakingLife(←これもいいよ。見てくれ。)の監督である。ちなみにBeforeSunriseは、好き嫌い別れるとこだろうが私にとっては断固とした傑作である。ほとんど主人公2人の会話で構成されるこの映画は最初から最後まで嫌味がない、会話の美しさに彩られた名作である。パート2作るという噂を聞いたが、断固反対。絶対止めて欲しい。Anyway,何で驚いたかというと、え。だって話の筋を見るに、これほぼファミリー映画じゃん。はっきり言って。別にファミリー映画でもいいんだけど。いつにも変わらない、「チッブス先生」とか「いまを生きる」(この邦題も痛い。Dead Poets Society(死せる詩人の会)が原題)の現代版って感じ。しかも、「いまを生きる」では子供とそれを取り巻く学校の無機乾燥な官僚制度(皆でページを引き裂く詩のテキストがあるけどそのテキストの内容なんてすごいよ、マジで心配になるよ。心から。教育というものについて)と、その中で生徒に自由な自己表現、一人一人の人間は皆同じではないし、同じであってはいけないということを教えようとする先生及び生徒との相克という非常にストレートなストーリラインながら、ぐっと胸にこたえるリアリティーがある。でもこっちの方は、別に子供十分のびのびしてるじゃん。しかも子供の個性が小粒であんまり目立って気になる子がいない。あたしが一番嫌だったのは。見た人はわかるけど、適所適材という言葉もあるし、クラスの皆一人一人にそれぞれ自分にあったポジションがあるのはいいんだけど、一部の生徒にバンドに出演を割り振って、残りは裏方、更に残りはセキュリティで、最後には「先生私たち何をすればいいの?」「キミたちはグルーピーだ」っておいおいそれはないんじゃないの? 結構子供の心を踏みにじってると思うんだけど。で、終わりはお定まりの大団円ハッピーエンド。怖いほどの御伽噺です。ってここまでが突っ込み。しかしっ。ではこの映画に対してネガティブな気持ちでいるかというとそれはない。どちらかというと見てて楽しかったし、見てよかったし、見る価値有りと思ってる。何故でしょう?答。主演のジャックブラックがスゴイ。もう本当にすごい。この人ハイフィデリティで一躍脚光を浴びた人だけど、あれ以上にすごい。何がすごいって?う~~~ん。もう全てのハナシを、キャストを彼一人でくっちゃってるほどの怪演。アツイ。バンド仲間でなくてもyou have got to sort your life out!!といいたくなるほどの無茶苦茶ぶり破天荒ぶりが異常なまでに板についてる、はまってる。すごいよう。見てよう。見るほうは、彼の異常な(が多いけど)ハイテンションに押されて、あれよあれよという間に最後まで見て、おまけに「くすん。」とちょっと心まで暖まってたりして(笑)。とにかく一見の価値有り。・Cat in the hat(邦題がすごいっす。『ハットしてキャット』(笑))映画の森てんこ森・解説Cat in the Hatあらすじは書く気が起きないので上記参照。(でも上見ると製作及びキャストのメンバーは超豪華だ!びっくりした)この映画日本で公開されたんでしょうか(笑)? 上記ページから日本公式ページへ行くとページがないんですが(笑)。イギリス行く飛行機の中で見てしまいました。アメリカでは全米興行二週トップでしたが、批評は散々だったらしいです。原作が、もうアメリカ国民に愛されちゃってる誰もが子供の時に読んだあまりにも有名な児童書なので、皆すごい思い入れ持ってるんで反発もすごいんですね。 まあ、気持ちはわかるな。マイクマイヤーズ上手いんだけどね。でも面白くなかったもん。下品云々の批判があるけど、それはいいんだ。単に面白くないの。特に前半がスローな上に空回り。(後半結構良くなるんだけどね。子供達はよくやってるしさ。)じゃなんでここに取り上げたかというと。上記のスクール・オブ・ロックのジャックブラックには全然全然及ばないけど。アレックス・ボールドウィンがすごいっすよう。あたし結構彼好きなのよ。嫌みな二枚目っぷりが。あなたに恋のリフレインとか。(この映画で知り合って結婚した元妻のキムベイシンガーは別れた後、彼から贈られた宝石を全部オークションにかけてその売上金を動物愛護団体に寄付したらしい)その二枚目の筈の彼が!! こんなだ!! すごいすごいぞ。これからこの路線で行くのか? …それだけ言いたかった。
Jul 16, 2004
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<追記。>わざわざ追記するほどのことじゃないんだけど…。今日電車に乗ってたら、「お経Tシャツ」着てる人見たのね。要するに、白いシャツに一面お経が書いてあるの。全面にわたって。ある意味夏らしいけど…。なんだかちょっと怖かった…。でも目が離せなかった…。----------人って忙しくなると目の前のこととは別のことが無性にやりたくなると思ふ。一種の現実逃避?例えば、学生の時は試験の前日になると、普段はどんなに散らかってても気にならない自分の部屋の掃除が無性にしたくなったり。大昔に読んだ漫画が読みたくなって、押入れのダンボール箱の中から出してみたり。長じてもエッセイ(日本でいうレポート)の提出日を目前にして、あのCDのあの曲が聞きたい!!と昔のCD探し回ったり。今まさにそんな感じ。すごくやりたいことがあるの。今(笑)。クソ忙しいのに。っていうか、まじで9月までに取らなきゃいけない資格があって、そっちに手一杯。にもかかわらず。うずうず。なんでしょう?答は、自分のHPが持ちたい。デシタ。いや、楽天がチガウと言ってるわけじゃないんだけど…。楽天内のブログという形じゃなくて、1~10まで自分で好きにできるような奴が欲しいな~、と思うのだ。 訪問者のログとかも見れなくていいな~と思う。自意識過剰だから。もっと物理的にも精神的にも自由なのが欲しいかも。楽天がいやだって言うわけじゃないんだ。皆様の日記読んでてすごい楽しいし。交流があるのもほんとうれしいし。でも楽天とは別に自分こっきりの遊び場が欲しいな。月1くらいしか更新しなくてもいいから。ね。む~~~。でも、絶対無理無理。ブログすら更新できてないのにね。でも要求は膨れ上がるばかり~。いろんなことに関する散文とか、思いつきとか、一箇所にきちんとした形で収めたいな。(自己顕示欲が強まったと言うことかしら?)こんなこと思うようになったのは、わけがある。1.一ヶ月前くらいにこのHPを改装したときに、結構楽しくて色々凝ってやってしまったのね。HTML言語とかスタイルシートとかスキンとか、HP素材なんかを見て廻ったりして。で、いざ使おうとしたら、が~ん。楽天ってほとんどのHTML言語使えない!! むむむ~。2.最近すごく嵌まってしまったことがあって(Cocco以外にね)、それ関係のHPを漁るように見て廻ってるうちに気がついたんだけど。色んなHPあるけど、皆ちゃんとテーマもってすごい個性的にかっちょよくしてるのね…。いいな~。3.知り合いが文芸関係のHP持ってるのだが、それがすごくいい。いいな~。というわけ。しかし、今の状態では夢ですな~。とかいいながら、膨らんでいく野望。いつか…。
Jul 15, 2004
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↑忠岑です。「命にもまさりて惜しくある物は」ですな。 Anyway、ただいまです。なんだか日本が暑くて参りました。イギリスはちょっと肌寒いくらいだったので、ギャップを感じてます。時差ぼけでもあります。あかん。でも、やっぱりイギリスは夏ですな。緑が綺麗で、日も長いし、本当にあっという間だったけど、色んな人にも会えたしリラックスできました。暇があったら、旅行中の日記を埋めたいんだけど、当分無理ですな。と、ここまで書いたところで、ちょっと席はずさなきゃいけないのでまたあとで~。
Jul 14, 2004
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<追記>すごいよ、ばあチャルさん(笑)。同じことしてる。 つまり、同じ時間に、しかもこの映画何度も見てる上にDVD持ってるから見る必要もない人たちが2人で、同じ画面見てたわけですね(笑)。で、ばあチャルさんのとこに、初めてトラックバック試みます。上手くできるといいけど。ちなみにリンクも張っておく。ばあチャルさんの日記。本当はエゲレス行きの前に張っておきたかったのだが、如何せん、荷造り・不在投票等大忙しだったので今頃更新です。------------------今日のテレビ欄を見た人は、そして私のトシオズキを知ってる人は(多分この世に3人くらいしか居ない(笑))、絶対くると思ってた筈、この話題(笑)。え~っと、トシオさんとは「思ひ出ぽろぽろ」のトシオさんね。スキなんだよおお、彼が。→あたしは何故トシオさんが好きか 1参照。DVD持ってるしさ、今回も別にテレビで見る必要ないのにちょっと見出したら全部見ちゃったよ。いずれにせよ、この話何度見たことだろう。現在のストーリーもタエコの少女時代のストーリーもどっちもすごいスキ。う~んノスタルジックな気持ちになるかな。タエコと私には1.田舎がない(小学校のとき、「田舎のおばあちゃんが送ってくれた...」とか「夏休みは田舎のおばあちゃんのうちに…」とか聞くたびに真剣うらやましかった。うちは親戚一堂の中でウチが一番「田舎」に住んでいます。残りは全部東京都かさいたまでも浦和とかですな。ので「いなか」を持つことににすごい羨望を感じてる)2.お洒落でおすましの姉がいる下の子で親戚内ではずっとチビッケ扱いだった。という共通点がある。ので、見てると分かる分かる!!とか思うシーンでいっぱい。お下がりのバックの話とか、算数の点数が悪くてお母さんとお姉さんのひそひそばなしが聞こえてくるシーンとか(笑)。なんとも味わいがある話だよね。少々地味かもしれないけど。前回も言った様に公開時はそんなこと言って本当に君は農家に嫁げるのか。という議論があったらしいしあまりにも地方の農家を理想化した、ある意味、僭越な映画だとか。農業の現実はこんなんではない。とか言う意見もあると思う。もっともだ。あたしだって御伽噺だなってことは知ってる。でもいいじゃん。大好きな御伽噺なんだもん。さて、それはともかく今回もまた一段と感情移入して見ました。なんか今の精神状態にフィットしてるのかも。で、続・何でトシオがすきか。トシオさんには、色々悩みながら回り道した挙句に再発見した「まっとうさ」がある。勿論最初からこの道!、と決めてそれ一筋に生きている人もそれは魅力的だ。(しかしこの手の人って、学級委員的なのと紙一重なのよね。学級委員だった人ゴメン。)でも、なんていうのかなあ。真直ぐは、真直ぐなんだけどぐるッと回って一周しちゃった上での真直ぐさ。みたいなのがあたしは好きだ。当たり前のこと言ってても、そういう人が言うと上っ面じゃないでしょう。(ちなみにちょっと話はそれるが、だからこそ、私は若いときはInstituteに対して常に批判的、懐疑的で横道をちょっと歩いてみるべきであると思うのね。評価するべきことはしましょう~、とか、問題なく受け入れましょう、とかいう態度を同年代が取るとげんなりする。間違った意味でポジティブだったりして。人間丸くなるのは後でもよいと思う。)。Anyway,作中トシオさんが農業を始めた経緯が明らかになるにつれ、色んなことを一つ一つ乗り越えてたどりついたおごりもてらいもなく、変に大仰だったり知ったかぶりでもない姿勢で、自分のやってること(=農業)に夢持ってる彼がいいな~と思うのです。しかもさ~。コミュニケーションがすごくシンプル。言葉が。人との向き合いかたって言うのかな。飾り気がない。のにすごくCaring。いいな。あたしのように、そんなつもりなくても、いつもの悪癖で最終的にはまわりくどいゲームのようなやり取りに相手を引きずりこんでしまう(この辺自覚はあるのよ)人間からすると、まぶしすぎるぜ。そうよ、あたしが今欲してるものはそれなのよ。エンディングロールで緑の中、トシオさんがちっこい白い車でタエコを迎えに行くシーンで涙が出た。あたしトシオさんと結婚するぅ。叫ぶあたしにハハが一言。「したら、さくらんぼ送ってね。あたし佐藤錦を気持ち悪くなるまで食べるのが夢なの」。ちなみに、今日は飲み会で、明日発つのでこれがイギリス行く前の最後の更新となる筈。リラックスしてくるつもり。ではまた。
Jul 2, 2004
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悲しいときー(←雨上がり決死隊(??でいいの? いつもここから?)風に読んでください)。疲れ果てて、不眠気味で、体調不良で湿疹までできて、会社でちょっと揉めて不調で、楽しみといえばCoccoのCDを通勤途中にきくことぐらいの時に(く、暗い! 結構極限状態。でもナチュラルハイ)、友達Aに新しい彼氏の惚気を2時間聞かされたときー。まあ、それはいいとしよう!ワタシとて、そこまで心の狭い人間ではない。友の幸せを心の底から祝福しようではないかッ!…あ、そう。まあ。ディズニーシーに行ったんだ?いいわね~。え?ううん。まだ行った事ないよお。よく考えるとディズニーランドしばらく行ってないな~。え?あ、そうねえ。大人のリゾート?はあそうですか~。夏でんな~。…んぁあ(怒)?!ってうそぴょん(死語。 あああ~どんどん壊れていってる私。でもその感覚すらちょっと面白い。ぷぷぷ。)っていや、上記の会話はあたしの心象風景で、あたくしとAとの会話はこんな品がよくないです(笑 それほどでもないか)。何い?新しい彼氏??何々、誰々?まじで~ぇ?って感じ。 いや、しかし惚気は本当。微妙に多大なるダメージを食らったのも確かだわね。そうそう。話は変わるが、1週間位(?)前に書いたけどその後消した日記のなかで触れたんだけど、急遽7/4からエゲレスへいきます。今回は友達のとこに行ったりもしてふらふらしてるので、更新はできないと思う。まあ、まだ4日まで日がありますが、一応。
Jun 30, 2004
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この話どっかに書いた?男の子がいないのと女系家族のせいで、うちの母は若い男の子に弱い。あたしの友人だって大サービスだよ。ウェイターさんとかでも。Anyway、ある日。ぴんぽーん。とドアのベルがなって母が出て行った。帰ってくる。「誰?」「う~んなんか、青森からりんごジュース売りに来たんだって」「なんでまた?」「さあ? 今車でくるから美味しかったらかってだって」「へえ。で買うっていったの?」「うん」数分後。出て行く母。帰ってくる。「あんた千円札ある?」「あるよ」あたしのと自分のと千円札扇のようにして出て行く母。?外を覗く。うわあああ。トシオサン(思ひ出ぽろぽろの)のような若者が3,4人売り歩いてるよ、トラックで。青森弁だ~。うちのお母さん大喜び(親子で思ひ出ぽろぽろのトシオのファン)。 いっぱい買っちゃったよ。でも確かにすごく美味しかったけどね。
Jun 28, 2004
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実がない、更新。ワンツーパンチ。(←意味無し。これ、多分maoさんしかわからない(笑))しばらく、更新してませんでしたが。実がないながらも、一気に一週間分書いちゃったよ。もう日付もぐちゃぐちゃ。一昨日は、美容院に行きましたが、案に相違して、またまたショートにされてしまった!!なんでええええ。あんまり切らないでっていったのに~。乙女度著しく低し。むす~。
Jun 27, 2004
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確かに皮膚は強くはないけど、今までこんなことなかったのに。昨日あたりからよく見なければわかんないけど、二の腕と足にうっすら発疹が。しょえ~っとおもって病院に行くとストレス?? いや、もう直りかけてるし全然心配ないらしいけど。ストレス?確かに忙しかったけど…ありえな~~~い!!
Jun 26, 2004
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Sylvia Plathの元旦那さんということばかりで有名だが、彼自身本当に早熟の天才で、終いにはPoet Laureate(桂冠詩人)ですよ。桂冠詩人。そんなのいまだに意味あるのかよ、って思うでしょ? 結構あるのよ、イギリスでは。有名なところでは、ダニエル・デイ=ルイスのパパのセシル・デイ・ルイスがそうですね。ダニエルが文芸作品によく出るのはパパへのコンプレックスもあるといってました。えっとお。私は元々シルビアプラス(Sylvia Plath)が大好きなのです。(米国のこれまた早熟の天才詩人。天才ゆえに早くから精神を病み、自殺未遂を繰り返す。その辺の経緯は自伝的小説BellJarに詳しい。フルブライト奨学金でイギリスに来て、TedHughと出会い、結婚。一時的に小康を保つが、そこは天才同士二人の結婚はやがて破綻、別居。別居した次の年シルヴィアはガスストーブに頭を入れガス自殺した。)このBirthday LettersはTed Hughがなくなる一年前に出したSylviaPlathについての詩をまとめた詩集。幾つかは既に発表されていたけどほとんどはシルビアの死後書かれた未発表or注目を浴びてこなかった作品。それらを(Sylviaの死後には結構批判を浴びたりした彼だが)、自身がなくなる一年前に出版と。出会いからの二人の生活の1シーン1シーンを切り取った詩の集まり。その全編を流れるのは、愛情と悲しさと喪失感と、後悔…。彼女との出会い。Elfのような少女。貧乏で不安定な中での一心の求婚。新婚旅行。同じ詩人としてのライバル心。しのびよる彼女の父親の亡霊(彼女の父親の死は彼女の精神状態に深く関係している)。別居。死。70いくつかになったTedHughが若かった二人を思いおこし、2人のシェアした時間を思いおこす。愛情や輝きを歌った詩の隣り合わせにある暗闇の詩。The Machineとか読むと胸が痛い。あの夜彼女はオレンジ色の夕日を見た後,二階の部屋で暗いマシンの迫り来る音を聞いてた。その頃、僕は下で横に座ってる犬と同じくらいに何も考えないで座ってた。いや、犬のほうがまだマシだったろう。そうだったら、彼女に忍び寄る父親の過去からの亡霊に気がついただろうから。それ以来、心の中であのときに戻って何度も開ける扉。まだ間に合うことを祈って。↑は訳ではない。詩を読んでくれい。なんかCoccoの遺書聞きながらこれ読んでたら泣きたくなった。青春の輝かしい時期を共有した相手。生死、時を越えて思いを寄せる相手。
Jun 25, 2004
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平日なのに前夜は(知る人ぞ知る(笑))微妙な精神状態で飲み会。しかも御酒には強いのでみっともない酔い方はしない筈の人なのだが、如何せん、例の時々やってくるグジグジした「公私ともに不調」な時期だったのと、メルロワイン+焼酎+ビールをちゃんぽんでガツンと飲んだのがまずかったらしい。朝、目がさめると二日酔い(めずらし~い)及び、足には何時つけたか分からん青アザが!! むむ。しかも、携帯を見ると友人Yからメールが。件名が「約束のポエム(笑)」。おお。彼にしては珍しい。マジだったのね…。時を遡ること前夜。飲み会自体は女だけの会だったのだが、酔っ払ったワタシは帰り道にYに(深夜なのに)久しぶりに電話をして、もう愚痴やらなにやらクダを巻いたのよね。Yとはなんだかんだいって結構長い付き合い(?)の友人だ。如何せん、「飄々」を絵に書いたようなヒトだし、あっちはどう思ってるか分からんけど、あたし的には一緒にいて心地良い(気を抜ける)人。よく考えると、やつも哲学科だ(笑)。あたしの史上最高にイタイ恋愛の一つ(心の中で華書いてた奴ね。←本人見てたときのために念の為。)においてあたしがどんな馬鹿をやったかとかさえ知ってるから、もう何も隠す必要ないもんね(笑)。ラク、ラク。で、最近遠恋仲間にもなった(あっちは国内だけど)。で、電話してクダを巻きだしたと。なんかYとのコミュニケーションは、変な慰めとか奇麗事とか、「ポジティブ」なこと言わないから楽。むしろ暖かくお互いをおとしあう(笑)。「あー、それはやばいね」とか「あなたはキャラが濃いから、遠恋位が相手も疲れないしいいと思うよ(笑)」とか「いや、それは鬱陶しいなー(笑)」とか。いや、勿論他のよくしらん人に言われたら、むかつくだろうけど、Yだとなんか一緒になって笑っちゃう。「本当だよね!(笑)」とか言って。そうやって笑ってると、あたしってくだらん事でいきまいてるなー、と思って落ち着いてくるし。で、昨日は話が今の恋愛からはなれて違う方向に発展して、過去の痛かった恋愛におけるいせまりの「負け犬」(これもお互いわざと落としあっていってる言葉なので、まじめに卑屈にあたしって負け犬~。という話ではありませぬ。一応念のため。本当だったら、スキではない言葉なので)体験となった。熱く語るいせまり。うけるY。「ちょっとおおお、すごいでしょ? あたしってば。 そんな目にあっても涙拭いて「ううん、いいの」って言ったからね。 負け犬だよ!! 負け犬!!」「あはは。ほんとだよ。 いや、負け犬の純血種だね、それは。」で最後の方で「いやあ、あなたの話面白いよね。で、またそれをネタにクサイ詩でも書いてるんでしょう?」ギク。「い、いや。そんなことないよう」「じゃあ僕がちんけな詩を書くから、あなたが編集してあなたのHPに載せてよ」「その詩の言葉からサーチして、あたしのHP見るつもりね!!」「そんなんするかよ」「じゃあいいよ~」ってなやりとりがあり、詩が来たと。ほんとにへぼいぞ、でも詩を書くってまじめに言ってたのね。ネタかと思ってた。ので、載せます。編集はあえてしない。元ネタはさっきいったいせまり過去の負け犬的恋愛バナシです。ちなみにオープニングは>「いや、負け犬の純血種だね、それは」というYの台詞からきているのであって私の毛並みがいいわけではない。-----------毛並みは綺麗で血統書付きプライドが高くてすましてるだけど背中で待っている飛び付きたくてうずうずしてる呼べば尻尾はエンジン全開ちいさな優しさに尻尾は大振り振った尻尾で傷つけてそんな自分に傷ついたそんな二人はSENSITIVE?逃げるあなたは速かった…悔しさはプライドの証背を向け涙はナイル河引け目を含んだ和解の呼び掛けやっぱり揺れたMY 尻尾ただ悲しくて嬉しくてただ悔しくて懐かしくて一所懸命に走るあの頃のわたし。でもなぜか羨ましい負け犬だったけど。--------どうでもいいけど、あたしって犬っぽいと形容されることが多い。その動きから。
Jun 24, 2004
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まあたいしたことではないんだけど。自意識過剰のあたしは。一応言って見る。昨日の日記見てしまった人は(正直、幸運にもたいしていないけど)、見なかったことにしてくれ~。書いた後後悔。すぐ消そうと思ったけどそういう日に限って、友人と飲み会の日。いやはや。恐ろしいですな~。日記というのは。
Jun 23, 2004
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喧嘩多し。ほとんどあたしが一方的に売ってるんだけどね。一挙一投足が気に触る。まずいね。いくら温厚でもお人よしでもなければ、プライド無しでもないから。もう切れてるよ、あっちも。まずいのう~。
Jun 22, 2004
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いやあ、引っ張るな~。でもさ。末摘花。どう?結構昔この段嫌いだった。だってあんまりにもひどくない?末摘花に対する扱いが。こういうとこ紫式部ってどーよ?って思ってたし。でもよく考えると彼女って唯一源氏が幸せにした女かも。Anyway,夕顔の死後、また同じような目に会いたい源氏(←この辺同じ思考パターン)はあちこちの女に手紙を出してる。で、もとは宮家だけど父の死後うらぶれてる姫の噂を聞くと。第二の夕顔を期待して、文を送る源氏。しかし、親友にして色好みのライバル、頭中将も彼女の存在に気がついた。競争で文をやる二人。なのに返事は来ない~。(これ、ルール違反ですな)。それほど気乗りもしなくなっていたけど、つい等の中将へのライバル心から、手引きをしてもらって姫君と逢う。しかし、彼女はまともな受け答えもしなければ、引っ込み思案で何の反応もない。がっかり~。する源氏だが、そこは悲しい男の性。もう一回逢えば何か違うんじゃ。自分を騙して、再び彼女を訪う。はかばかしくない夜も明けて、翌朝、とりあえず彼女の顔を見たい。と思う源氏。戸惑いながらも日のあたる方へでて来る末摘花(彼女は気立てよく、素直です)。源氏は「見ぬやうにて、外のかたをながめたまへれど、後目(しりめ)はただならず」あまりじろじろ見るのもなんなので横目(ただならない横目だよ!)。しかし、その目に入ってきたのはまず背が高い(悪かったわね!)。その次に目に付くのは、鼻!! 象みたいだよ!「あさましう高うのびらかに、先のかたすこし垂りて色づきたること、殊のほかに」不細工だ。顔は真っ青に額がでかく、下膨れの顔は「おどろおどろしう」(←まで、いう?)長い。愕然とする源氏。源氏は「何に残りなう見あらはしつらむと思ふものから」何で見ちゃったんだろおおおおおおお。と死ぬ程、後悔しながらも「めづらしきさまのしたれば、さすがにうち見やられたまふ」あんまりにも(末摘花の顔が)すごいので、目が!! 目が離せない。ひ~。って、おい!紫式部って感じ悪いな~。しかし、このあとも末摘花はとんちんかんな歌詠んだり贈り物したり散々でござる。源氏が経済的な援助したあげるので暮らし向きはよくなるんだけどね。あとで、二条邸にもよんで貰えたはず。しかし、まあこのエピソードの収穫はあまりに源氏があほで憎めないってとこかしら。あ、あと経済的援助をもらって、でも源氏とのれない関係は速攻終わる末摘花だけど、紫の上や明石の上みたいな気苦労からも開放されるわけで、それはそれで勝者なのかもしれないねえ。ってとこです。
Jun 21, 2004
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いやあ、深夜の更新はなかなか筆が進みます。もう書くのやめようといいながらまだ引っ張ってます。源氏。だって気になるところ満載なんだよおお。有名な夕顔とかは飛ばして。あ、でもなんか夕顔って男に頼ってばっかりのふにゃふにゃしたいけすかない女というイメージが以前はあったのだが、可愛いな~。と思えたぞ。(この辺が大人の女になってから読むと分かるとこなの?いや、チガウだろう~)仮面をして身分も名前も明かさない源氏に不審がりながらも、ほだされて関係を持つ夕顔なんだけど、うらぶれちゃって隙間だらけの板葺きのちっちゃな家なんかにすんでるんだけど、隣りの家に住む下賎な男が「今年は寒いな~。今年は米の出来が悪いし困っちまうぜ」云々。言ってる声がもろに聞こえるのよ。そこを気取り屋の女なら恥ずかしくて耐えられないだろうとこを、夕顔は如何せんおっとりしてるから、本人の態度や様子は「いとあてはかにこめかしくて」大変品がよく大らかで隣りの剥き出しの会話をなんだろか~。と分かんないで、赤くなりもせず首を傾げてる感じが可愛いです。まあそれはともかく。若紫もパス。いや大好きなんだけどこの段。でもあまりにも有名なとこだし。しかし、紫の上になってからの終いには「祈りのようになってしまった」苦しみばかり印象深いので、改めて読むと初登場は愛らしいく無邪気。 このままだった方が幸せだったんじゃないかね~。なまじ源氏に嫁ぐよりはさ~。anyway、山荘を去る際に、お世話になった寺の僧なんか招いて宴をはる源氏。その時の様子に、例によってまださらにかかる(美しい)ひとの御ありさまをみざりつれば、この世のものともおぼえたまはずと聞こえあへり。僧都も「あはれ、何の契りにてかかる(美しい)御さまながら、いとむつかしき日本の末の世(末法思想ですな)にうまれたまへらむと見るに、いとなむ悲しき」とかいっちゃって、もういいよ、わかったよ、源氏の美男しっぷりはさ~。そこに若紫がをさなごころに、めでたきひとかなと見たまひて「宮の御ありさまよりも、まさりたまへるかな」などのたまふ。「さらばかの人の御子になりておはしませよ」ときこゆればうちうなづきて、いとようありなむと、おぼしけり。雛遊びにも、絵描いたまふにも、源氏の君と作り出でてきよらなる衣着せかしづきたまふ。幼心に綺麗な男の人だな~、と御覧になって「うちのパパよりハンサムね」といったのを、周りの女房が「じゃあ、あの人のお子様になってしまいなさいよ」と冗談で言うのに頷いて、それはステキ。と思う。 それ以降、お人形遊びするにも、これは源氏の君ね。と源氏の君を作って綺麗な着物を着せて大事に遊んでいる。ね?可愛いでしょう?
Jun 20, 2004
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先日のYに引き続いて、またもらったぞ、詩を。友人T君からWhen we were in discord, I used to concede the firstYour selfishness made you dearer even moreOne more chance: trapped in the mire of memory,One more chance: I can't choose the next groundIf my wishes should come true, I would fly to you right awayAnd nothing would be impossible anymoreI will hold you tight with all my lifeいやんロマンチック~(はぁと)。…書いてて虚しくなってきた。いや、単にT君が自分の写真に山崎まさよしのOnemoreChanceの歌詞の英訳(何故に英訳?)をリンクさせ、更にBGMでWorld's end girlfriendのSinging under Rainbow(←かなりいいっすよ、これ)が流れるようになっている自分のHPのURLをメールで送ってきただけ(笑)。でも山崎まさよしの歌だと気がつくまでの数瞬間、そしてあたし個人へのメッセではなく彼のHPのURLであったことに気がつくまでの数瞬間、かなりどきどきしました(笑)。(だってメールに本文がなかったんだもん)なにいいいいいい。T君??? あたしが好きなの?(←バカ)と。許してT君(笑)。だって歌詞意味深じゃん。いやあ、モテナイ女に限って自意識過剰なものですよね(卑屈になってるわけではなく、今ふと自分の動転ぶりを面白く感じた。)ちなみにT君は長年の想い人有り。(それを知ってて上記のようなことを思う私がめでたいのだが。)その彼女の窓の下で、彼女が気がつくまで石を投げて立ち尽くしたロマンチストでやんす。写真が上手い。←左のスコットランド関係の写真は彼が提供。人柄がいいので、私の彼氏とも仲良しです。(濡れ衣を着せたので一応誉めておく)(よく考えると、メールに本文がなかったのは、数週間前にあたしが入らぬおせっかいで、その彼女とT君の仲をギクシャクさせてしまったことをいまだに怒ってるからかもしれぬ。ていうか多分そうだろう。…あたしって。おめでたい人。by武者小路実篤
Jun 19, 2004
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さて、弘徽殿(漢字?)の意地悪や天上人の割には妙にマメマメしく実がある帝の話はともかく。「白き御衣どものなよよかなるに、直衣ばかりをしどけなく着なしたまひて、紐などもうち捨てて」いる姿が、「いとめでたく、女にして見たてまつらほし。この御ためには、(女の)上が上をより出でても」不十分だろう。といったような一章に一回は必ず出てくる、源氏の容姿礼賛及び彼の女好きへの言い訳が出てきた後、雨の夜の女の品定め。いい若者どもがおっさんくさく、アレでもないこれでもない言った後に最終的に苦労のない年頃の未婚の女は気がきかないがさりとて世話女房型も困るな~子供らしいが素直な妻をもらっていろいろ教えるのがイイのかね~(いやん。)、言った挙句にまあこうなったら、家柄や容姿よりも性格が良くて落ち着いた性格の妻をもらっていいところは喜んで、ちょっとばかり悪いとこは我慢して。あまりにも才気ばしらず感情的になりすぎず夫の浮気にも手綱を緩めすぎず、きつくしすぎずってな女がいいですな~。と、非常に実直なオチに行き着く皆さん(笑)。この後、女は中流階級だ!という皆さんの意見に感心して中流階級の女に走るアホな御心映えすこやかな源氏。ところで、以前読んだときは気にならなかったけど空蝉って好きだな。と今回思った。入内も考えていたほどなのに、何の因果か伊予介風情に(いや伊予なんて大国ですが)とついで二年後に、ふってわいたような源氏からのお誘い。当代一の美男子に誘われて心ときめくも、まだ嫁に行っていないならともかく、今のような状態(受領風情の嫁)で源氏と逢瀬を持つのも、身分らしからぬ。いずれ捨てられるのもつらいし。と至極まっとうなことを考えるえらい人。自分が拒まれるなんてありえない。と燃え上がる源氏。われはかく人に憎まれてはならわぬを、今宵なむ、はじめて憂しと世を思ひ知りぬれば、はづかしくて、ながらふまじくこそ、思ひなりぬれ。今まで人につれなくされたことなかったのに、今夜初めて男女の仲のつらさをしったさ~。もう生きていけない~。(←ん? なんかあたしっぽいぞ。この大仰な馬鹿さかげんが)だってさ。いや、いや、もっと情緒たっぷりに話は進む。っ分かってるよ、分かってる。逃げた空蝉の衣を持ってうなだれる源氏との歌のやり取りとか、心が揺れに揺れた挙句、伊予に下る空蝉が最後に自分の手元に戻ってきた衣を手に悔恨にも似た悲哀の情を歌に託すとこなど趣があります。(源氏)逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな(空蝉)蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見てもねは泣かりけりで、源氏に「おもへど、あやしう人に似ぬ心強さにてもふり離れぬるかなと、思ひつづけたまふ。」最後に自分への情を明かしたあの女は思えば、不思議なほどの人並みはずれた意志の強さで自分から離れていったなあ、と思いつづけられるのよ。しかし、あたしどうも気になることがあるのよ。この一連の話に関して。それは小君。(説明しよう(←タイムボカンの声でおねがいします)。小君とは空蝉の弟である少年。 彼を源氏は空蝉との中を取り持たせる為の使者にせんと、気に入ったフリをして、君を自分の子供のように思うよ等々言い、よびよせて自分のバックアップのもと童殿上させて何処へ行くにも連れて行くんだけど。)思うように行かない恋の仲立ちで、頑固な姉としつこい源氏の間で文を持って困ってるいたいけな少年に源氏は八つ当たりするんだぜ。それが本当に陰険なんですよ。奥さん。最初はよしあこだに、な捨てそ君だけは僕を捨てないよね。とか言ってたくせに、不首尾に終わった(=ふられた)空蝉への夜這いの翌日、ありさまのたまひて、をさなかりけりと、あはめたまひて、かの人の心を爪弾きをしつつうらみたまふ。君はまだ子供でしょうがないねえ。と小君のせいにして責めたり、あげくにはあこは、らうたけれど、つらきゆかりにこそ、え思い果つまじけれとまめやかにのたまふ君は可愛いけど、つれない人(=空蝉)の身内だし、最後まで仲良くできないな~。とまじめな顔で言うんだぜ。いんけ~ん。子供相手に。しかし、あたしってろくなこと書かないな。結構面白く読んでるし、感じ入ることも多いのよ(言い訳)。あはは。もう書くのやめようかしら。
Jun 18, 2004
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が好きでなかった。ずっと。「一番の人に一番と思われなければ意味がない」と高らかに言い切って、時には自分を道化にしてみたり(雪山がいつまで持つかの話とか)、時には定子中宮に誉められて喜び勇んだりする清少納言に比べて(彼女って勝気というだけではないと思うのよね。←これについて過去にどこかに書いたのだが思い出せん~。幻泉館かと思って見に行ってみたが良く分からん~。敬愛する定子中宮が零落していく中であくまでも彼女を賛美し、彼女の素晴らしさを謳いあげることにこそ重点があったのだし。だから一見自分の自慢ネタのようでも、最後には定子中宮の(逆境の中でも失われない)大らかさ、優れた心持ち、賢さ等を強調して終わる話が多い)、日記にあの人はこう、この人はこう書き綴る紫式部ってあたしが好まない陰湿な勝気さんな気がして(あたしは陽性の勝気さんが好き)。ちなみに枕草子は言葉の選びかたとか、瞬間瞬間の情景がすごいVividで、繊細なのに、おおらかでおかしくて、大好きです。ちなみにうちで正月に百人一首をするときには、私はいつも「夜をこめて とりのそらねは…」の札を狙ってました。Anyway,古典は大好きです。昔から好きでした。(そもそもは、小さい時に病院の関係(私は非常に病弱な子供でした。どこかに書きましたが)で(父方の)祖母の家に預けられたのですが、縁が薄い人な上に大変大変厳しい方で、共通点が全くなく。子供心に対応に困った挙句本を読もうと思ったら本棚の手の届く位置に新潮の日本古典集成しかなかったので、それを読み始めたら(落窪です)意味がわからないなりに面白かったので大人しく読んでいたら、祖母は古典好きな子供だと勘違いしたらしく、男性偏重主義及び調子偏重主義で、女で末子の私などは目にも入らない(僻みではない。しかし、様々な目に見える形で(座る場所から!!)区別されたぞ)彼女にしては珍しく相手をしてくれた上、亡くなった時に全集を丸ごと私に残してくれたからです)ちなみに落窪はその後田辺聖子さんの子供向けバージョンの現代語訳を知ってもっともっと大好きになりました。ちなみに田辺聖子氏の古典シリーズって全部好き。昔あけぼのも、源氏のシリーズも。下手に「現代語訳」読むなら、こういうやつの方が断然面白いさ。Anyway,源氏物語。そうそう、源氏自体が嫌いなんだね。こりゃ。女々しいし、マザコンだし、陰険で、男の夢とかエゴにしても限度があるでしょ。それらを全部、こわいほど美しひ。とか、高貴なのにママがいないばっかりに臣下に下がったとか、情緒を解するお方だ、とかそういうことで許されると思ってる感じもいや。そして究極には女三宮の降嫁を受けるからいや。多くの方がそうであるように私紫の上好きなので。最後にこれかよおおおお。と思ったのでござる。Anyway,多くの方々が私の源氏嫌いについて風雅を理解しない。大人の女性になれば分かる。話の奥深さを理解していない(はいはいはいはい。)。諸行無常という言葉を知っているか。(あぁ?(怒))等、今まで仰いました。け。しかし、えええええええええっと、北村薫氏の円紫師匠シリーズのどこかで(どれか忘れた)、源氏物語に関する言及があってあたしその頃あのシリーズに夢中でしたから、んまあ。じゃああたし、もう一度きちんと読んでみよう。と思った次第。やっぱり新潮の古典集成で読んでます。これって原文と一緒に痒いところに手が届くような詳しい注がついてるから読みやすいのだわ~。
Jun 17, 2004
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早く帰れた日。ふと空を見ると夕日が綺麗だ~。気持ちいい日。ので。ふらふらと自転車をこぐこと数十分。紫陽花の咲く土手にきてみた。(ここはこの間TVでも紹介されたんだよ)。日が沈んだ薄い闇の中に咲き並ぶ紫陽花は可憐で綺麗だったけど、やはり紫陽花は雨の中見るのが興をそそるのだなあ。とおもふ。でも風も吹いてきて、気持ちのいい夕のそぞろ歩きでした。 ゆふぐれしづかに ゆめみんとて よのわづらひより しばしのがる きみよりほかには しるものなき 花かげにゆきて こひを泣きぬ な~んて藤村の詩なんか引いてみちゃったりして。この後は引かない。さすがにクサすぎて(笑)。(ところでこの詩の名前って私所有の若菜集だと「ゆふぐれしづかに」になってるけど、他の見ると「逃げ水」となってるのがあるのだが。どっちが正しいのかな~。)ロマンチカ。ロマンチシズム。ちなみに藤村だと一番すきな詩って。暗香。しまいで春夏秋冬詠っていくやつ。わかきいのちの をしければ で始まるやつね。夏だとなみしづかなる はなかげに きみのかたちの うつるかな きみのかたちと なつばなと いづれうるはし いづれやさしき とかいいところですね。---------------でたらめな願いを託して音に捧げましょう私が消えればラクになるんでしょう?じゃなきゃ 言ってちゃんと 言って聞こえないふりをしないでここに居たいの私は側に居るのよ聞いてちゃんと聞いて言葉にもならないのに全て欲しくなってしまう無様な火傷まだCocco聞いてます。
Jun 16, 2004
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真琴はここのところ災難続き。勤めていた会社はつぶれ、ホテルに泊まると火事になって焼死体見てしまうし、あやしげな新興宗教団体につかまりそうになるし。そこで、海に向かってバカヤロー。と叫ぶというただその為に、はるばる葉崎市の海岸までやってきた。ところがそこですら、まさかの死体発見。一体どうなってるの。慌てる暇もなく、今度は成り行きでロマンス小説専門の古書店アゼリアの店主に見初められて店番の仕事につくが…。事件はまだまだ続く。若竹七海さんの本。 ばあチャルさんの書評はこちら。読んでて思ったんだけど、前に触れたキャロリンGハートの「舞台裏の殺人」を始めとするシリーズに似てる。本の感じが。あっちはミステリ専門店でこっちはロマンス専門店だけど。でも巻末の解説とか。複数の人のモノローグで物語が進行するとことか。面白い。Anyway,ばあチャルさんも仰る通りのっけからレベッカとか出てきて心掴まれる(笑)。アレシューザモンクとか、ちょっとマニアックなレファレンスもウレシイ(シャーロットマクラウドがアリサクレイグという別名で出してるシリーズにでて来るロマンス小説家。口癖は「お下がり下郎。」とか「うぬ!」(笑))。それだけでない。肝心のミステリの方も、如何せん、若竹七海さんなので、すごいサービス精神旺盛な本。結末も二転三転、色んな人の思惑が絡み合い、やっぱり最後はほのぼののなかにもちょっとビター。面白い。気軽に読める本。ちなみに。10000アクセスの件で結構がっかりしていたワタクシを優しい皆様が慰めてくれて本当にありがたい。感謝感激。らぶ。
Jun 14, 2004
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どうも神経が高ぶっているらしく眠れない。(こういうとき楽天ってありがたい)は~。なんかいろいろ考えてしまうのよ、こういう時間って。こんな時間につまらん日記書いた後に、誰かが見にきてくれると、あ~、こんな時間に起きて活動している人が(って海外にいるのかもだけど)他にもいる~。と思うとちとウレシイ(笑)。Anyway,何か書きましょう。ム~何か何か。さっきからちょっと書いては消してる。本も読んでるし書きたいことはあるんだけど、今書きたくない。う~~~。なんか詩でも。わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です(あらゆる透明な幽霊の複合体)風景やみんなといつしよにせはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です(ひかりはたもち その電燈は失はれ)あまりにも有名な宮沢賢治の「春と修羅」の序。宮沢賢治は好きですか?ワタクシの母親の専門(専攻?)が宮沢賢治なんですね。ので小さい時から割に身近にいつもあって、だから大好きです。幼心に一番好きだったのは何故か、どんぐりと山猫(でいいのか?題名)。太郎さんだか三郎さんだか忘れたけど、少年がある日山猫から招待状を受け取るのね。山に来て裁判に立ち会ってほしい。といったような内容の。で、言ってみると、一面のどんぐりどんぐり…。その中から、どのどんぐりが一番えらいのか(一番背が高いのか、低いのか、丸いのか、とんがったのか)決めなければならない(笑)。なんかすごい好きだったのよね。よだかの星は泣けて泣けて困るので滅多に読みません。後はなんだろう。小さい時に好きだった話。月夜の電信ばしらとか好きだったなあ。好きが高じて、花巻まで行ったりしました。小さいけど宮沢賢治記念館(文学館?)があるのね。裏ノ畑ニ オリマスとかいう札がかかってるやつ。子供時代を失わないで大人になった稀有な人なのかな~。結構シニカルな話も多くてよいです。最近では専ら詩しか読まないけど。言葉の使い方が時々はっとするほど綺麗。やっぱり春と修羅が一番すきかな。 恋と病熱けふはぼくのたましひは疾み烏(からす)さへ正視ができない あいつはちやうどいまごろから つめたい青銅(ブロンヅ)の病室で 透明薔薇(ばら)の火に燃される
Jun 13, 2004
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おはようございます。いやっほう~。10000アクセス突破したよう。それなりにやっぱり嬉しい。日頃お世話になってる皆様、ホントにホントにありがとうです~。と喜びながらも、ちょっと物悲しい。10000目は***.bbtec.net さん…デシタ。う~う~う~(非常サイレン)心当たりのあるひとは連絡ください。しかし、その2個前だとばあチャルさんでその後だと木奈子さんだったんだ~。結構ショック(ってゲストさんに失礼だけどさ)。日頃お世話になってる姉さん達お二方でござる。ばあチャルさんの晴耕雨読日記季節の情緒たっぷりの晴耕雨読日記。ステキな好奇心(そして行動力もある!!)と探究心の持ち主のばあチャルさんの日記(お孫さんがおられると聞いてのけぞったのだが)。ひょんな縁から(ばあチャルさんとは共通項多し)いつも仲良く(というのもおこがましいが)してくれてアリガトウございます!!なんといっても過去の読書ノートはすごい!! 一見の価値アリ。木奈子さんの日記イギリスでバリバリ働いてる木奈子さんの日記。(私楽天で日記始めた時に、遊びに行かせてもらったから、かなり初期のころから遊びに行かせて頂いてることになる。)愛娘ぱなっちちゃんとの心温まる生活の記録。のみならず、イギリスでの様々な日常が(時々なかなか辛口コメントなのが良いのよ)描かれてる。地に足がついてる方で好きだな~。どちらもリンクさせて頂いてるので右→に載ってるけどさ。ああああ。10000アクセスの方が楽天仲間の1人であると想定して、色んなヒトバージョンのあいさつ文やら献呈文やら頭の中で作っていたのだがお蔵入り~。まあ、それはともかく。10000突破はめでたいめでたい。でも、***.bbtec.net さん、見てる~~?(涙)ちなみにワタクシこれから二度寝しようと思います(不貞寝?)。では、また。ごきげんよう~。
Jun 12, 2004
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とりあえず、先手を打つ。そりゃあ、楽天で日記つけてる人って、老若男女ゴマンといるんだし、いつか知り合い(ネット上の知り合いでなく、生身でご対面の知り合いね。)に会ったりして~。と思ったこともあるわよ。でもさ。Q:知り合いにネット上で遭遇した時。A:慌てふためく。何故か? だって相手も楽天日記つけてるとこに、とんでいっちゃったのよ(考えてみると、共通して興味を持ってる事からのネットサーチでたどりついたんだから、偶然とは言い切れないけど。でも必然ではないよね?)。足跡ついちゃったじゃないか!!それを辿ってテキも(既にテキよわばり)こっちに来たらどうするよ!! 一瞬、あっちが来る前にこのサイト削除しようかという考え(リニューアルオープンしたばっかりなのに!)までちろっと浮かんださ。そんなに来られるのがいやかと問われたら、嫌だ!!嫌だよおおおおおおおお(涙)。嫌だ、嫌だ、嫌なんだ~。もうホントに嫌なんだ~。(勿論程度は相手にもよるが。) だって、だって。だってぇえええええ。っておい、まてよ。なんでそんなにいやなんだい?失礼じゃないか(楽天に。)。落ち着きたまへ。(もう逆上のあまり自分と対話。)あたしがあっちの日記見て、あっちがあたしの日記見れば5分と5分。フェアじゃないか。と思いきや、あっちの日記は主に自分の趣味についてのもので、割に淡々としている(あまり個人的なことかいてない。と思う。びびってすぐ帰ってきたからよく読んでナイ。ちなみにどうして相手がその人だと分かったか? え~と、まず何よりプロフィールでしょう、書いてあること、写真…等々を見て100%間違ってない自信があります。ちなみにin spite of everythingあっちもあたしのページ見たらすぐ気がつくと思うわ)。ひきかえ、あたしの日記は個人的なことがらのオンパレード。恋愛だのなんだの、ポエムまで載ってるんだよ!!? ポエムだよぉぉぉ?(涙)むははははは。(おっとしまったまた乙女らしからぬ乾いた笑い。)あ~、せめてポエムだけでも一時的に削除してみようかと思ったけど、結構日記のあちこちにばらけてるし、その気力もない。もうだめ…。あいつ普段はあんななのに(←どんな?)、こんなところで、スカした顔してこんな恋愛話やポエム書いてるんだ!! あはははは。とでもなんでも思ってよ。かまないわ!恥でもなんでもないもん!! ぷーぷーぷー。しかしさ~。あたしおもうんだけど、やっぱり来ないといいな~。でも自分のサイトに着た人の足跡一つ残らずいちいち辿るなんてこと多分しないと思うのよね。そうそう、しないしない。しないに決まってる。 しないよ~。しないよねえ???(涙)チガウのチガウの(←動揺のあまり意味不明。)。あたし思うんだけど。なんでこんなに嫌かっていうとさ、あたし的に毎日更新してるわけでも無し、不真面目なようでも、何だかんだいってこの日記という名の駄文の群れに愛情もって接してるのね。かんなりベクトル内側の一人遊び的(お遊戯とか1人学芸会とか)なんだけど、まあそれも楽し。(というよりそれが良し。)みたいな。でさ、夜中の独り言とか、超個人的なこととかって。知り合いが読んでナイと思うから書けるのさ!別に読まれてもいいのよ、いいのさっ!でもさ、そうすると、今後あ~あたしの日記を知り合いが読んでる~と思うと、自意識過剰になってもう今までみたいに自由にいろいろかけなくなると思うのよね。見栄とかてらいも入るだろうし。そうするとあんまり良くないんじゃないのかな~。とか思うし。そうそう。…ので、頼む~、N。見に来ないでくれ~(結局ここに落ち着く)。オッケイ。こうしよう。僕は君の日記もう見ない(っていうか禄に見てない)。君も僕の見ないでくれたまへ。書きコもしないでよね。はああ。疲れた…。あたしってば不幸…。
Jun 10, 2004
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若い頃、僕は人々が与えうる以上のものを彼らに要求していた。つまり永遠の友情とか変わらぬ愛とかそういったようなものを。今の僕は彼らが与えられるものを、彼らに要求するすべを心得ている。つまり無言の伴侶とかそういったものを。だから彼らの愛や友情や高貴なしぐさは、僕の目には奇跡的な価値をそっくりそのまま保ちつづけることになる。-既に何回も引用してるカミュの文。I was sixteen when I thoughtMaybe tomorrowI'd get the love that can move the worldOnly a sixteen years old babyLooked for the love no one can givethe love no one can give-Coccoの歌です~。 The One, better half, Mr.Right, My destiny....あ~あ。眠れぬ夜には…。And they lived happily ever after.あたしが消えれば楽になるんでしょう?いっそのこと、食べちゃえればいいのに。-----------つまらんこと(←)書いたばっかりに、なんか色んなことよみがえってきてしまった。
Jun 9, 2004
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ところで、気がついたら10000アクセスが近いぞ。(大半がサーチエンジンのロボット検索じゃないかしらん?と疑ってるんだけど。まあそれはともかく)願わくば、1.自分で踏まないように(←これは痛い)。2.**.comみたいな分かり易く通りがかりのゲストさんじゃないように(こんなこと言うのも失礼か。ごめんなさい…。)そしてできれば、リンクしてたり遊びにいったことがあるような普段お世話になってる人が踏んでくれたら一番いいんだけど(したら、嬉しげに引用など差し上げたいのだが…。←あたしは引用差し上げるのが好き。あまり好評でもないが。)難しいな~。あとちょっと~。
Jun 7, 2004
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ドリューバリモアが初めてプロデュースを手がけた作品。シカゴ・サン・タイムズ社のジョジーはダサくて、地味で、真面目を絵に書いたような人間。25年間、男性と付き合ったことも、ましてや「ホントの」キスしたこともない。ある日、そんな彼女に地元の高校に生徒として潜入し、今どきの高校生の実態をレポートするという仕事が回ってきた。太ってていじめられて嫌な思い出ばかりだった高校生活をもう一度やり直しながら、新聞記者として、一人の女性として成長していくジョジー。彼女にホントの出会いは訪れるのか?あたしドリューバリモアがかなり好き。ここ数年、思いっきりFlopな映画にも出てるけど、かなり「面白い」、色んな意味で独創的な映画にも出ている彼女なので。見るたびに、顔や雰囲気が見事に違うのも面白い。気だるげな一癖も二癖もありそうな女や、可愛いウェイトレス、ヴァンプ等々。で、このNever Been Kissed。いや~先日の藍色夏恋とは別の意味で楽しかった。25年ぶりの相変わらずな高校生活。学校の人気グループのお洒落でポッシュな女の子達。学校で一番ハンサムでいけてる男の子達(このリーダー格のガイという少年演じる俳優さんがすごくいい。)のグループ。優等生でみんなからガリ勉なんて呼ばれちゃってるグループ。格好いい先生に怖いセンセ。ジョジ-は溶け込もうと努力すればするほど浮かび上がるばかり。(この辺かんなり恥ずかしいよ。あたしあまりの恥ずかしさにウロウロしちゃったもん。)高校時代の悪夢がよみがえる…。高校という小世界の中で存在するハイアラーキーと人間関係の鎖(小世界だからこそ固定化し、抜け出せない痛み)。でもそんな悪夢のような高校時代を再体験する中で、そのトラウマとそれ以降そのトラウマによって踏み出せなかった領域へのステップを踏み出し、そして何よりも周囲の人々の考え方をも変えていく。そして最後には、皆で良かったね。と手を叩きたくなるような、暖かい、可愛いエンディング。勿論、現実にはこんな風にいかないし御伽噺なんだと思う。でも決しておちゃらけ過ぎてない可愛らしい、見た後気分のいい映画。
Jun 3, 2004
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公式HPへ。結構前にすごい話題になった映画。今更みる。なんとなく良質の恋愛映画が見たくなって。文句なく良い作品でした。すごい映像がきれいだし、様々な不安や期待に揺れ動く多感な高校生物語を嫌味なく、嘘っぽくなく、クサくもお涙頂戴でも、ありきたりな青春映画でもなく、爽やかな中にも情感がにじみ出るような瞬間瞬間で繋いだ映画。ボーイッシュな高校生モン・クーロウと女のコっぽいリン・ユエチェンは親友。ある日リンはモンに水泳部のチャン・シーハオが好きであると告白し、モンに協力を頼む。恥ずかしがるリンの代りに、夜学校のプールで密かに泳ぐチャンのもとへ行き、「付き合っているコいるの?」とぶっきらぼうに聞くモン。チャンはちょっと風変わりなモンに好意を抱く。また、チャンとリンが待っているはずの場所へ行くと、リンが姿を消していたことから、チャンは実はリンなどという子はおらず、自分と付き合いたいのはモン本人だろうと思ってしまう。数日後、リンはモンにラブレターをチャンに渡すように頼む。嫌がりながらも結局リンのために赴くモン。ところが、リンがモンの名前を手紙の差出人にしていたことから事はもっとややこしくなり…。3人の関係が微妙に変化していく。そしてモンの抱える秘密とは。映画の質も、間も、情感も、俳優達の演技のみずみずしさも言うこと無しの、良い作品だと思いましたが。あたし的には、主人公の相手役(?)の男の子がいい!!よくギャルが「かわいい!」じゃなくて、「かあ~わあ~いい~いい~」って一語一語強く引き伸ばして言うじゃないですか。あの「かあ~わあ~いい~いい~」を見てる間連発(笑)。顔がというより、笑い方が、動きが、表情が、一挙手一投足が、やんちゃでオトコっぽくてかわいい、格好いい。もう彼が作中連発する「さそり座でO型。ギター部と水泳部に所属。」ですらすっかり耳に残ってしまった。(上記に当てはまる方、メール下さい。お友達からはじめましょう。嘘(笑)。)あ~でも本当にかわいい格好いいよう~~。高校のときって、クラスという小世界の中でああ、こういうことが大事だったな。とか色々切ない気持ちになるよ。しかし、ホントに切なくも暖かい気持ちで終わるラストすら、もはや単なるミーハーと化したあたしの目には情緒もへったくれもなく、リモコンを握り締めたまま「もっと固くまとめておかないと!! あんたの人生でこんなにいいオトコもうそうそうは会わないぞ!! あとで後悔するぞ!!」と喚くのであった。あ~でもかわいい~。
Jun 1, 2004
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思惑。すれちがい。どうしてあの時冗談にしちゃったんだろう?すくい損ねた花びらのように指の間を通リ過ぎていったもう戻せないあたしから伸びる糸あなたから伸びる糸彼から伸びる糸彼女から伸びる糸街角でそれぞれの思惑が絡み合うそのひだを一つ一つ丁寧にかき分けていけばいつか見つかるんだろうか?どうして 今のままじゃ満足できないんだろう?一体誰を探してるんだろう?煙草の匂い一瞬の緊張この思いもまた他の幾千の思いとともにやがて煙草の煙のように跡も無く消えていくちょっとニガイ
May 28, 2004
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第五夜 こんな夢を見た。蒸し暑い夕暮れ時。セピア色に染められた街を歩いている。何かに追われているように焦燥感に駆られ、時折よろめきながら駆け足に近い速さで歩いている。風もそよとも吹かない。身体にまとわりつくような熱気。不快感が押し寄せる。背中をつたう汗。小脇には正方形の箱を抱えている。何処かにこの箱を捨ててこなければならない。一刻も早く。何処に、何処に。取り付かれたように周りを見回す。気ばかりが焦る。横には延々と切れ間なく続く塀。その横を歩いていく。何処かに。しかし、何処まで行っても塀には切れ間もなければ、物をこっそり置いて帰るような場所もない。電信柱さえ立っていない。ただ延々と続く塀。どこかでヒグラシが鳴いている。捨てなければ、この箱を。強迫観念のように繰り返す。揺り返してくる不安感。もつれる足。もう耐えられない。その場に置いて行くことにした。………………箱を置いてしばらく行ってから気がついた。いったいこの箱には何が入っていたのだろう?分からない。分からない。俄かに今度は箱の中身が知りたくてたまらなくなる。知りたい。知りたい。乱れる息。踵を返し、今度は箱の元へこけつまびろつ急ぐ。震える手を伸ばす。どこかでカラスが鳴いた。蓋を開ける。何かが入っているのだが視界がぼやけて見えない。蛙?そう思った瞬間、ぼんやりとした黒い影は大きな蟇蛙になった。思わず後ずさる。醜い蟇蛙。半眼をあける。「あの男のところへ戻るんだ?」不意にその不恰好に大きな口から放たれた言葉に驚いた。どうやら私は恋した男のために、この箱を捨てようと歩き回っていたらしい。「そんな一生懸命でも、あの男はすぐいなくなるよ。」いなくならなくても君のほうが嫌になる。恋ってそういうものデショ。そうだったデショ?その上、所詮はつまらない男だからね。「あの男が何をあげられる? 約束もできない男だよ。」 二人でいても何処にも行き着かない。 共有すべき未来がないんだ。 僕なら永遠をあげられる。「永遠?」「いっつも一緒にいるよ。」 君のそばで、君が孤独なときには、君の話を聞いて、君を慰め、 君が最後の息をするその瞬間まで君のために歌う。 絶対一人にしない。目を見合わせたまま、硬直して動けない。相手は蟇蛙。正直キモイ。でも。ああ、でも。永遠という言葉の前では、恋愛感情などという言葉はどうしてこんなに軽いのだろう。こめかみを汗がつたっていく。ヤバイ。この醜い蟇蛙の申し出が限りなく魅力的に思えてきた。そこで目が覚めた。-------------午前4:30…。 おやすみなさい。やっぱかえるは嫌だな。でも一瞬魅力的だったぜ、君のオファー。
May 25, 2004
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