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神社散策 令和5年2月 VOL142古くから御嶽権現と呼ばれ信仰されてきた箱根外輪山の一つである明神ヶ岳の麓にある南足柄市の御嶽神社を散策しました所在地: 〒250-0116 神奈川県南足柄市三竹境内広く右側に大きな鳥居杉(樹高約50m、根回り周囲約17m 樹齢推定500~700年)が聳えています鳥居は反り増しがある明神鳥居、くぐると石段となりますが 苔むした石段は蹴込・踏み面ともに狭い石段であり登には困難でした。それに石段の角が欠け時代を感じさせます。手すりも無いので出来たら本殿向かって左側のゆるやかな坂道を勧めます。鳥居横には涸れた手水舎 左側に御神水(みたらし)があり、今も絶えることなく湧き出ています。このお神水は昔から近隣にも霊水とされています。関東大震災等でも枯れず現在でも湧きつづけています。この御神水(みたらし)には所説がありますが昔弘法大師が三竹山を通りがかった時この部落が水がなく困っていることを知り法力でこのみたらしの水を開いて下されたという伝説や日本武尊が東征の折野火の難を逃れここで休憩され村人に世話になったお礼としてもっていた剣で水を沸かせたという説もあります。今ではこの美味しい水を求めに遠方からも来られています石段上の境内は狛犬の背後にに拝殿・正殿となりますが周りは巨木が社を包んでいました。由緒平安時代に建立されたと伝えられ、正式には御嶽権現神社で、三竹の地名はこの神社に由来すると言われています。ご祭神は日本武尊毎年4月に開催される竹灯籠まつりは荘厳なお祭りだそうです。https://www.shuehiro-kamidana.com
2023.02.01
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神社散策 令和4年11月 VOL141今回は福島県大内宿の通り沿いに鎮座しています高倉神社へお参りに行って参りました住所 福島県南会津郡下郷町大字大内大内の宿は、江戸時代に下野街道の一宿場として栄え、明治以降、交通路の変化により開発を免れ昔の面影を今にとどめています。見晴らし台に向かい左手に大きな一の鳥居が建っていますがその鳥居をくぐりしばらくのどかな田園風景が広がっている山里の道を歩き右手に再び二の鳥居が現れます。そこからは一本道が参道となります手水舎はきれいな流れの川からの水で禊ますこんもりとした参道はピシッと身を引き締めます苔むした石段を上がると正面に拝殿 その奥に正殿その後ろには大きな樹齢800年樹高56mの大杉のご神木が聳えております。御祭神は以仁親王(もちひとしんのう)、連銭葦毛(以仁親王の愛馬)高倉神社の本殿には平清盛に反旗をひるがえした第80代高倉宮似仁王が祀られています村の鎮守として祀られているこの神社は以前は、高倉宮以仁王(たかくらの みやもちひとおう)を敬い5月に祭礼を行っていましたが、田植えに時期と重なり大変忙しいため一年の半分である「半夏生」に祭りが移されて現在の「半夏祭り」となったそうですこの辺りでは、雪が多いため田植えの時期が遅く、「半夏祭り」までには田植えを済ませる様にとなりました。https://www.shuehiro-kamidana.com
2022.11.01
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神社散策 令和4年6月 VOL140今回は海老名より圏央道に乗り中央道へ八王子経由をして国立府中ICを出て武蔵野台地へ入りましたこの地域で一本榎の神社と言われる熊野宮を散策しました住所は 東京都小平市仲町361番地由緒宝永元年(1704年)に榎の大樹のもとに祠を祀ったのがはじまりと言われておりますこの榎にまつわる話ですが往時この一帯は「逃水の里(にげみずのさと)」ともいわれており、川もなく水の便が非常に悪い場所であってそうです人家が一軒もない荒漠たる武蔵野の原野でありました そのような原野の中にあって当地に一本の巨大な榎が聳え立っており、これが「武蔵野の一本榎」と呼ばれており街道を往来する人々のランドマークとして一時の休息の場になっていたそうです。 宝永年間の「一本榎」は、既に樹齢数百年を経た老大樹でその木の影は百数十間にも及んで、盛夏の炎天下にあっても絶えず涼風が吹き通って旅人を癒したとも伝えられています。 この初代の榎は、寛保年間(1742~44)に枯木となり、その後に一本榎神社として祀られ、現在その社は、境内の末社殿に合祀されています。 現在の榎は、樹齢約百年の三代目の孫木だそうです。参道から鳥居をくぐると立派な神門が鎮座し神門右手に手水舎 社務所となり向かい側には参集殿が建っています正面に夫婦けやき拝殿 正殿裏には 三代目の一本榎が繁っていました御祭神は伊弉諾尊(イザナギニミコト)伊弉册尊(イザナミノミコト)PS:この後近くの平櫛田中彫刻美術館へ寄りのんびりと武蔵野を満喫してきました。。https://www.shuehiro-kamidana.com
2022.06.01
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神社散策 令和4年4月 VOL138沖縄県那覇市波上宮内に鎮座する浮島神社にまいりましたこの神社は約570年前に琉球国王に即位した尚金福王の命により、浮島から首里まで海を渡って長虹堤という道路の建設をする話が決まりました。しかし、海は深く波も高いことから工事が難航すると考えた人々は祭壇を設けて二昼三夜祈願を行ったところ、翌日には潮が引き海底が現れたと言われています。長虹堤の工事後、神威に感謝するために天照大神を祀る神社として建てられたのが「浮島神社」そうです。ちなみに、「浮島」とは当時の那覇の地名で、浅い入り江と入り口をふさぐように横たわっている浮島と呼ばれる島から成っていたため「浮島」と呼ばれていました。御祭神天照皇大神配神豊受大神天太玉神大国主神少彦名神經津主神浮島神社の住所:那覇市若狭1-25-11(波上宮内仮宮)*長虹堤(ちょうこうてい)明からの冊封使を迎え入れるため、浮島と呼ばれる小港・那覇を貿易港として整備し那覇市松山付近にあった伊辺嘉麻(いべがま)から崇元寺付近(那覇市泊)までの約1kmを結んだ。https://www.shuehiro-kamidana.com
2022.04.01
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神社散策 令和4年3月 VOL137沖縄県那覇市にある世持神社(よもちじんじゃ)米軍占領地となったことから早期の再建が不可能になり御神体は今。この神社は沖縄産業の三恩人 野国総官(のぐにそうかん)、 儀間真常(ぎましんじょう)、 祭温(さいおん)を祀っております農林・糖業関係者を中心に昭和12年に創建されましたそれ以来、砂糖業界、農林業界、教育界各関係者を中心に世直しと殖産振興の神社として広く崇敬されています「世持(よもち)」とは、沖縄の古語で「豊かなる御世、平和なる御世を支え持つ」との意味だそうですその一人 野国総管を紹介しますと中国から「甘藷(イモ)」を導入したことがあげられます。1605年、進貢船で帰国する際、鉢植えにして持ち帰り、故郷の北谷間切野国村(現嘉手納町)や野里村で栽培したといわれているます。毎年台風が襲来し、農作物に甚大な被害の出る沖縄にとって、地中で生育し、台風の被害の少ない「イモ」の導入は、人々にとって大きな福音ですね。問題の戦後、戻された御神体は上間朝久氏が那覇市内の自宅で祀り祭祀を行っていましたが、同氏の死去により、波上宮の宮司が世持神社の宮司を引き継ぎました。これにより、波上宮境内に祠(仮宮)がたてられ、現在、御神体はここに祀られています。御神体のある本殿(仮宮)は波上宮の小さな祠、鳥居、参道、社殿は、奥武山公園内、ということになります。https://www.shuehiro-kamidana.com
2022.03.01
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神社散策 令和4年2月 VOL136沖縄県那覇市にある。首里城の東側の弁ケ嶽に鎮座する沖縄神社を参拝しましたこの神社弁ケ嶽公園の中に鎮座されており沖縄本島中南部では、最も高い峰(165.7m)でそのため、かつては航海の目標ともなりました。以前は石で造られた鳥居があったようですが今ではその名残があるだけでしたこの峰全体がご神体とされ、1945(昭和20)年の沖縄戦で、この地において激戦が展開されるまでは、琉球松などの大木が茂っていたようです。弁ヶ嶽は参詣道を挟んで、東側の小高い森になっている方が大嶽、西側の低い方が小嶽となっています、この公園は首里城から約1kmの丘にあり創立時は首里城を境内とし、首里城正殿を拝殿としていたが戦争で破壊されました。創立は大正14年と新しいです御祭神は舜天王、尚圓王、尚敬王、尚泰王、源為朝公沖縄の聖地である久高島が見える場所、さらに那覇市内最高峰ということもあって、琉球王国の時代から熱心な信仰の対象となっていたそうです。
2022.02.01
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神社散策 令和4年1月 VOL135新年あけましておめでとうございます。新年を迎えての初詣。地元の氏神様へ感謝の気持ちを込めて祈念致したでしょうか正式参拝されると神主から幣のお祓いが受けられますさて1月は沖縄県の読谷村にやってきました気温は20度本土よりだいぶ暖かいです今回は沖縄県中頭郡読谷村字楚辺1187番地にある赤犬子(赤インコ)宮です当地では”アカヌクー”と呼ばれていますここは琉球古典音楽の始祖と呼ばれる伝説的人物、赤犬子を祀っています赤犬子は歌三線の始祖として親しまれており今でも多数の伝承が残されています。 赤犬子宮の石碑には「歌と三味線の むかしはじま里や 犬子称阿がれ乃 神の美作」と記されていました。
2022.01.17
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神社散策 令和3年12月 VOL134湯の町別府に鎮座する宮地嶽神社を散策した住所は大分県別府市青山町7-63石の鳥居をくぐるとこじんまりした参道拝殿までの距離も短い拝殿よこには下社が鎮座木々に囲まれ掃除の行き届いた小さな神社でしたhttps://www.shuehiro-kamidana.com
2021.12.01
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神社散策 令和3年11月 VOL133 箱根の山は天下の険今回は箱根仙石原では「お諏訪さん」と呼ばれ地区の氏神様と古くより親しまれている 諏訪神社(すわじんじゃ)にやって参りました鎮座地は神奈川県足柄下郡箱根町仙石原88番地道路より少し奥まったところに鎮座されています。神明系反り増しのない鳥居をくぐると神社境内となります右手に社務所らしき建物 左手に手水舎、その横には石で作った明神系の反り増しのある鳥居の笠木の部分が横たわっていますこの少し広くなった境内で箱根仙石原に伝わる神奈川県無形文化財指定の湯立獅子舞(ゆふだてししまい)が毎年3月27日に行われていますこの神事舞は古く安永5年(1776年)に始まるといわれています。釜に沸かした神聖な湯を振りかけることにより魔除けの清祓(せいばつ)を行います。石段を上がると正面に拝殿その奥が本殿となります。鳥居は神殿の入り口を表すものであり、拝殿は人々が祭神を参拝するところ そして、本殿は神様が来られる所となってそれぞれの役務ございます創建は定かでありませんが江戸時代寛文12年(1772年)には仙石原での鎮座が認められおり明治6年には村社と定められています。ご祭神は建御名方命(タケミナカタノミコト) 大国主命 (おおくにぬしのみこと)の息子に あたる神様です。県指定の湯立獅子舞は民族遺産として永く継承して頂きたいと願い帰途に着きました。
2021.11.01
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神社散策 令和3年10月 VOL132神社の世界では八幡神社が最も多く全国で4万600社余りの社があります今回はその八幡様の総本宮が鎮座する大分県宇佐市の宇佐神宮を散策致しました住所は大分県宇佐市南宇佐2859宇佐神宮の鳥居はデザインが独特で、額や額束がないのが特徴です。 近くで見上げてみると、なかなか かなりの迫力があります。寄瀬川にかかる朱塗の欄干の橋を渡ると黒男神社が見えてきます再び大鳥居をくぐると立派な宝物館が建っています本殿参拝まで黒男神社、春宮神社、八坂神社等を順番に参拝する事をお勧めします亀山を上る表参道を進むと南中楼門で囲まれた内側に本殿が鎮座しています。 ここでの参拝の礼儀作法は二礼、二拍手、一礼でなく「二礼・四拍手・一礼」という作法で参拝致します上宮の三之御殿は 左から一之御殿、二之御殿、三之御殿と並んでおり、それぞれにお参りできます創建御祭神である八幡大神さまは応神天皇のご神霊で、571年(欽明天皇の時代)に初めて宇佐の地にご示顕になったといわれます。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。、現在の地に御殿を造立し、八幡神をお祀りされました。ご祭神は一之御殿八幡大神(応神天皇)二之御殿比売大神(多岐津姫命)市杵嶋姫命 多紀理姫命)三之御殿神宮皇后(息長帯姫命)宇佐神宮は卑弥呼の墓の上に作られており、まさに卑弥呼を祀るための神社でした。なので「廟神社」なのです。宇佐神宮の本当の主祭神(主神)は比売大神となります太古からの原生林に囲まれた広大な境内は澄んだ空気に包まれ、八幡造の3棟の本殿(国宝)をはじめ、神橋、呉橋(くれはし)、能楽殿、宝物殿など、歴史的・文化的に貴重な建築物となっておりますまた、春には約500本のソメイヨシノが、夏には蓮の花が咲き誇り、四季折々の風情を楽しむことができます。https://www.shuehiro-kamidana.com
2021.10.01
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神社散策 令和3年9月 VOL131今回は日本一の湧出量を誇る別府の総鎮守として市民から親しまれている「八幡朝見神社」を散策致しました住所は大分県別府市朝見2-15-19JR「別府駅」より浜脇線亀の井バスに乗車、「御幸橋」下車します反り増しがある表参道の明神系鳥居をくぐり石段を上ると夫婦杉 二本の杉の巨木が並んでまっすぐ空に伸びていますその正面には創建八百年記念事業で造られた「八幡臺」の頑丈な土台部分を覗が見えます手前には手水舎(萬太郎清水)がありますここの水は不治の病の父親が孝行息子の萬太郎が汲んできた朝見の清水を飲むと、たちまち全快したという伝説の萬太郎清水。いかなる干ばつにも涸れることなく、長雨にも濁らず、常に湧きつづける御神水だそうです。右の石段を上ると拝殿前の参詣広場につながる八幡臺が大舞台となります左手に拝殿・正殿が鎮座していますその左手奥には樹齢1000年 胸高幹回り11mもあり全国でも有数なご神木の楠が拝殿の傍らで誇っています。創建八幡朝見神社は、建久七丙辰年(1196)大友能直公により御創建されました。 豊前・豊後の守護職として、この地に赴任された大友能直公は入国するとすぐに、鎌倉幕府の鎮守、鶴岡八幡宮の御勧請を志しました。家臣能登助国久は朝見の庄民とともに鎌倉に赴き、建久七年十月朔日、神輿を奉じて久光文字の浜に到着いたしました。ご祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)応仁天皇気長足姫命(おきながたらしひめ)神功皇后大鷦鷯尊(おほさざきみこと)仁徳天皇足仲彦命(たらしなかつひこみこと)仲哀天皇参詣広場「朝見八幡臺(あさみばぱんだい)」と呼ばれる大舞台からは別府市街・別府湾を一望することができますすがすがしい朝のひと時でした。https://www.shuehiro-kamidana.com
2021.09.01
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神社散策 令和3年8月 VOL130今回は「小江戸」とも言われる”川越”にやって参りました江戸の情緒を感じさせる蔵造りの町並 その中に神社がとても良くマッチしております川越には幾つもの氷川神社が点在しておりそれをまとめている川越総鎮守氷川神社を参拝してまいりました住所 埼玉県川越市宮下町2-11境内の入り口には高さ16mの木製鳥居が聳えています。この大鳥居は平成の御大典を奉祝して建立されたものですこの大きさは木製としては日本一と言われておりこの鳥居の扁額の社号は勝海舟が記したものです参道左手には手水舎があり右に折れると拝殿・本殿となります本殿は塀に囲まれており緻密な彫刻が施されていますがまじかでは見ることはできません県の重要文化財となっています由緒この神社は今から1500年前、欽明天皇二年に創建され田と伝えられており江戸後期(1648年)に川越城主松平斉典公の寄進と氏子の寄付で建立されました境内には多くのご神木がありますが本殿裏手のご神木は樹齢600年のケヤキです又境内には八坂神社本殿・柿本人麻呂神社等22もの多くの摂社・末社が祀られています。川越氷川神社のおみくじは、ユニークでキュートです”会いたい”のシャレを込めた「あい鯛みくじ」です。鯛の尻尾の部分におみくじがついていて、ストラップの紐に釣りの針を引っ掛けて引き上げます。「会いたい」という願いを込めながら、お目当ての鯛を釣り上げたら良いですね「絵馬トンネル」は、川越氷川神社のとっても素敵な空間です。絵馬がトンネル状に奉納されており、約3万枚もの絵馬のトンネルとなっております夏には境内に飾られた2,000個以上の江戸風鈴に願いを書いた短冊を結ぶ祭事「縁むすび風鈴」で賑わいますご祭神は素戔嗚尊、(スサノウノミコト)奇稲田姫命(クシナダヒメ)、大己貴命、オオナムチノカミ脚摩乳命、アシナヅチ手摩乳命。テナズチ2組の夫婦神が鎮座していることから古くから夫婦円満・縁結びの神社として信仰されています秋の川越氷川祭礼は国の重要無形民俗文化財に指定されています。https://www.shuehiro-kamidana.com
2021.08.01
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神社散策 令和3年7月 VOL129今回は九州湯布院盆地の東南に位置し別名六所宮又六所様ともいわれる宇奈岐日女神社(うなぎひめじんじゃ)を散策致しました住所は大分県湯布院町川上六所2220番地由布院駅から東南に 田園地帯を30分位歩くとこんもりとした森に出会います入り口の反り増しがある明神系鳥居をくぐるとこじんまりとした石畳の参道奥に門がありその向こうに拝殿が鎮座いたしております門をくぐると右側にはかって台風で倒れたご神木の杉の切株が3体並んでいますいずれも幹回り7m以上 樹齢600年と言われている根株です千二百年もの歴史を見守ってきたこじんまりとした神社ですが 本殿の周りは鯉が泳ぐ堀となっておりあたかも拝殿は堀に浮かんでいるようにも見えます創建 社伝によれば景行天皇12年10月、 景行天皇が自ら神を祭った親祭の神社だと いわれますご祭神は6柱 国常立尊(くにとこたちのみこと) 国狭槌尊(くにさつちのみこと) 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 彦波瀲武ガヤ草葺不合尊(ひこなぎさたけ うがやふきあえずのみこと) 神倭盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) 神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと) 現在の祭神は上記の6柱ですが延喜式に記されている社名は「宇奈岐日女神社」となっています「ウナグヒメ」の「うなぐ」とは勾玉など首飾りを意味するもので勾玉をつけた身分の高い女性が巫女として仕えた神社と言われています。豊後富士ともいわれる由布岳の雄大な腕に抱れ 神秘の杜に包まれた神社でした。 https://www.shuehiro-kamidana.com
2021.07.01
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神社散策 令和3年5月 VOL127白馬が迎えてくれる神社にやってまいりました冨士山下宮 小室浅間神社です住所は山梨県富士吉田市下吉田3-32-18約1千年から2千年前富士山の噴火により大きく4筋の溶岩が流れましたその一つが河口湖方面に向かった溶岩流を剣丸尾溶岩流(けんまるびようがん)と言います。この溶岩流の突端にこの冨士山下宮 小室浅間神社が鎮座しております。元来2合目にある小室浅間神社の里宮である事から地元では「下宮さん」と親しまれております。御神祭は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)由緒は793年(延暦12年)征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の途次、当地で戦捷を祈願し その後大勝を納めた報賽として大同二年(807年)創祀したのが創建です。神社は139号線から細い道に入り右手に反り増しがある明神系鳥居をくぐると右側には今ではあまり見られない神馬社があり外では白馬が飼育されていました。左手に手水舎 正面に拝殿、正殿が鎮座しておりますともに天正年間(1573~1593年)の建造と言われています。拝殿の右側にはご神木の桂が聳えていました。9月には流鏑馬祭りがあり騎馬で的を射る流鏑馬と違い 走った馬の蹄の後の形を見て吉凶を占う大変珍しい流鏑馬神事が見られます。この流鏑馬によって吉凶をうらないます。他に筒粥の占いもあり富士山参詣者の多寡・14種の作物の出来高・1年の天候・各集落の火事・争いごとの有無といった物が占なわれます。
2021.05.01
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神社散策 令和3年4月 VOL126日本3大奇祭の一つに数えられている「吉田の火祭り」それは北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭として知られています今回はその北口本宮冨士浅間神社を散策致しました住所は山梨県富士吉田市上吉田5558番地世界文化遺産にふさわしい神社の風格があり長い参道に位置する大鳥居の高さは17.7m 木造鳥居の大きさでは国内第一である大きな唐破風造の向拝を彫刻や彩色,錺金具により飾り壮麗な礼拝空間を創っている。髄神門をくぐると正面に豪華な神楽殿その向こうに拝殿・本殿と鎮座されています本殿右手には10基ほどの摂社が整然と並んでいる摂社の諏訪神社拝殿、諏訪神社は神楽殿右手に見えます。由緒沿革は景行天皇40年(西暦110年)日本武尊が御東征の折箱根足柄より甲斐国酒折宮に向かう途次、当時の大塚丘にお立ちになられ「富士の神山は北方より登拝せよ」とみことのりされたことにより、祠を建てて祀ったことが起源とされています此花開耶姫姫命(このはなさくやひめのみこと)主な御神徳は安産・火防、富士山の女神。また、水を司る神であり、転じて交通や流通の神でもあります彦火瓊瓊杵命(ひこほのににぎのみこと) - 夫神天照皇大神の孫神様で、天孫降臨をなされ木花開耶姫命を娶られました。姫神様と強い絆で結ばれた夫婦神として、夫婦和合・夫婦円満の霊験あらたかです。大山祇神(おおやまづみのかみ) - 父神木花開耶姫命の父神様。全ての山の神様。この宮は昭和28年に国の重要文化財に指定されています樹齢数百年の杉や檜林 境内は霊寂に満ちている参道の苔むした石灯篭からは歴史が感じられました。 https://www.shuehiro-kamidana.com
2021.04.01
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神社散策 令和3年2月 VOL124地元では「ヤマノカミサマ」と呼ばれ親しまれています新屋 山神社に参りました住所は 山梨県富士吉田市新屋1230番地https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a1ccf997cf75d2d1fccdb5ff366dfb5f541a2597.12.9.9.3.jpegこの神社は溶岩流台地の上にあり、富士山を背にして北向きに祀られています境内入り口には自動車の祈祷スペース参道途中には願をかけた人がお礼に奉納した朱の鳥居が数多く並んでいます石段を上がると手水舎 そして右側に社務所 正面に拝殿が鎮座しています由緒沿革は戦国の室町時代後期、後奈良天皇の御時天文3年(西暦1534年)と言われています(丁度このころ織田信長が誕生しています)その年の10月17日創建し1890年(明治23年)に弊殿、拝殿の造営、1934年(昭和9年)10月17日に本殿を再建し末社浅間社 大神社を合祀してあります1973年(昭和48年)には弊殿、拝殿を改築し、社務所を設置して現在に至っていますまた富士山2合目には奥宮が鎮座しており本宮の御社は水源や森の近くで原生林が繁茂する小高い丘にあり、古くから山を守る神、産業の神として地域の林業、農業に携わる人々から大工さん等の職人さんにまで信仰されると言います。御祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)日本神話に登場する神で、男神です。神格は山の神・海の神・酒造の神・武神日本神話に主神として登場する神です 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持っている木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)日本神話に登場するとっても美しい女神様。神格は山の神であり、火の神 酒造の神であることから、それらの神として祀られます。この神社金運に御利益があると評判となっています神社によって参拝できる時間は異なりますが、早めの時間に参拝するのが良いといわれています。
2021.02.01
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神社散策 令和3年1月 VOL123女満別空港より約21km網走神社にやってまいりました住所は網走市桂町2-1-1駅からは坂道を歩く事約10分 境内に続く参道には昼でも暗く大木が聳えている三の鳥居は二の鳥居とは異なる反り増しがある神明系両部鳥居鳥居をくぐると正殿に続く参道は白く輝る良く見るとホタテの貝殻を砕き敷き詰められた参道となっているホタテの漁獲量が一番盛んに行われている町の象徴でもあろう由緒 当神社祭神は宗像三神と称する元旧官幣大社だ宗像大社旧官幣中社巌島神社と同一祭神にして多く海岸に鎮座し福寿円満、海上守護に神徳を垂れ給う。当神社は文化9年(1812年)近江の人藤野四郎兵衛が網走川口に小堂宇を建て漁場鎮護の為に奉斎せるを以て創祀とする。明治に至りて来住者村落を形成するに及び藤野家に請うて網走地方鎮守の氏神と仰奉る。明治19年現今の網走警察署の地に、次いで同22年7月「ニクル」の高台に移転修築す。明治41年現在の社地に新たに社殿を造営し官幣中社巌島神社の御分霊を奉迎鎮斎し、9月無格社に大正12年5月郷社に、昭和4年本殿以下大造営成り同9年8月8日付県社に昇格、昭和21年2月2日社格を廃止し神社本庁所属神社となる。全北見沿岸住民の崇敬厚く古くより北見国一之宮と称せられる。昭和21年2月2日宗教法人となる。 神社しおりより祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと)湍津姫命(たぎつひめのみこと)宗像三女神の一柱。宗像の女神は九州の宗像神社の女神で、宗像氏の神。海洋神で、海の運航を司っていました天照大神(あまてらすおおかみ)宗像三女神の1柱と言われており、アマテラスとスサノオの誓約(うけい)にして生まれた水の神とされています。あらゆる「道」の最高神として航海の安全や交通安全などを祈願する神様として崇敬を集めている。旧社格は 県社社宝等厨子、額面、神紋、「乃木将軍御真筆(2)」、「相州住行光作短刀」、「扁額」(10数面)(文政年間から明治初年)境内外末社は 網走護国神社(あばしりごこくじんじゃ) 705柱厳かで静寂なる空気が漂う境内でした。https://www.shuehiro-kamidana.com
2021.01.01
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神社散策 令和2年12月 VOL122今回は女満別空港から斜里町の知床峠を越えて世界自然遺産の町知床羅臼町に鎮座する羅臼神社にやってまいりました住所は羅臼郡羅臼町栄恵町127-1社は町はずれの高台にあり社務所は広い境内の右手にある中央の石段を登る反り増しのある明神鳥居をくぐると本殿はやや斜め左側に鎮座する由緒創立は、約160年前安政年間、松前藩の領地であった頃、請負漁場として目梨漁業の開発に際し船見町丘陵地に小社を祀り漁業鎮護の神として奉ったのが始まりと云われています。その後、明治年間に至り住民が激増し村落を形成するまでに発展したので神社を環境の良いところに移転することとなり住民が相計り四国の讃岐に鎮座する金毘羅宮からご祭神の神璽を奉載し羅臼金毘羅神社として明治28年6月に現在地に遷座した大正三年(1914)元旦に 灯明の不始末により全焼となり、同年春、神殿を再建するに至る。昭和五年村名を植別村から羅臼村に改称すると共に社名を羅臼神社に改名。その後、社殿の老朽化に伴い昭和九年(1934)昭和五十年(1975)と御造営現在の社殿となる 羅臼神社しおりより御祭神羅臼権現(羅臼岳山霊)大国主大神(金毘羅大神)事代主大神(隋神)崇徳天皇(金毘羅大神)特殊神事船霊祭(1月11日)航海の安全と大漁を祈願する神社は中腹にありそこからは北方領土の一つ国後島がわずか27㎞先に見えた。https://www.shuehiro-kamidana.com
2020.12.01
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神社散策 令和2年11月 VOL121 八重姫と頼朝の非恋を伝える伊豆の伊東温泉にある音無神社にやってまいりました住所は 静岡県伊東市音無町1-12伊東駅からバスで5分くらいのところにあります神社は町の中央を流れる松川沿いにあります鳥居は川と反対の方向に位置する石の反り増しのない神明系鳥居くぐると右側に手水舎 正面に拝殿が鎮座します拝殿の額がある位置には沢山の穴の開いたひしゃくが並べられているなんのご利益があるか不明創建は不詳祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)日本神話に登場する女神。神武天皇(初代天皇)の祖母として知られる。 神格は海の神・水の神・真珠の神・子育ての神であり?縁結び・恋愛成就のご利益があるとされている「曽我物語」によると伊豆の蛭ヶ小島に流された頼朝は一時伊東の北の小御所で暮らしていた。伊豆の国(現在の伊東市)の豪族で頼朝の監視役であった伊東祐親(いとうすけちか)の三女八重姫と二人の愛を語り合った場所がこの音無の森と伝えられていますその後頼朝と八重姫の間には男子(千鶴丸)が生まれます。伊東祐親は平家の叱責を恐れて孫である千鶴丸を殺害し、娘八重姫は江間(現在の伊豆の国市江間)の小四郎に嫁がせます源頼朝は、1177年(治承元年)頃には北条時政の娘政子と結婚しています。https://www.shuehiro-kamidana.com
2020.11.01
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神社散策 令和2年10月 VOL120 昭和9年(1934年)現在の丹那トンネルが開通するまで東海道線は御殿場経由で沼津迄機関車が走っていました今回はその丹那トンネル工事の無事を祈願し祀った山の神 丹那神社を参拝してまいりました 場所は熱海梅林より徒歩2分来宮駅からは徒歩7分のところにあります鳥居・祠は道路より一段と高い場所に鎮座しているので細い道を上がって行き手前に丹那神社 隣に救命石の祠その隣に山神社が位置しています丹那神社はこのトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて工事の守り神として坑口上に建立され当時は隧道神社と命名され祀られていましたが後に丹那神社と改称された今日に至っております祭神は大地主命(おおとこぬしのみこと)大己貴命(おおなもちのみこと)大国主命は青年期の名前を大己貴命という手力男命(たじからおのみこと)天照大神(あまてらすおおみかみ)の隠れた天の岩屋の戸を手で開けた大力の神豊岩門戸命(とよいわまどのみこと)櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)又の名を天石門別神(あまのいわとわけのかみ)丹那神社右側に救命石が祀ってありますがこれには以下のようなエピソードがあります大正10年4月に大崩壊が起きましたがその数分前トンネル内で作業を行っていたところ大石が漏斗(トロッコへのじょうご)に引っかかりそれを取り除く作業をしましたその直後大崩落が起き作業に当たっていた17名の人が崩落現場日取り残されましたもし大石が引っ掛からずに作業が続行されていたら坑外に向かっていた人は大崩落に会い埋没していたはずです。此の石のおかげで尊い命が救われたということから「救命石」という名が付けれれ大切に祀っているそうです神社下には殉職者の供養碑や67名の犠牲者名が書かれたレリーフや熱海水力発電所跡の碑もありました。連絡先 来宮神社内 0557-82-2241https://www.shuehiro-kamidana.com
2020.10.01
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神社散策 令和2年9月 VOL119別府・白浜・熱海と日本の三大温泉の一つに数えられている静岡県の熱海温泉に鎮座する神社を訪ねました神社名は湯前神社(ゆぜんじんじゃ)です住所は静岡県熱海市上宿町4-12番地アクセスはJR来宮駅より東へ500mほどのところにあります主幹道路から細い道を入ったところにあり説明が難しくなります神社にはこれといった駐車場はありませんので徒歩で行かれた方が良いと思います鳥居は反り増しがある明神系鳥居この鳥居と石灯篭は石造りで江戸時代に熱海温泉に湯治した大名が寄進されたものです鳥居をくぐると右手に温泉地らしく温泉の手水舎がありますが湯は多くは流れていませんでした石段を上がると境内正面に拝殿が鎮座しています祭神は少彦名神(すくなびこなのかみ)農業・酒造・医薬・温泉の神として信仰されています創建は奈良時代となり「諸病を除く効果があるので温泉をくみ取って浴せよ」との神託が少児に下りその恩恵として祠が建てられ少彦名神を祀ったのが始まりとされています江戸時代には熱海温泉が徳川将軍家ご用達の名湯となりました慶長九年(1604年)徳川家康が7日間湯治で熱海温泉に逗留した記録も残されています境内後方には マンションが聳えており神社を見下ろしていますこのような光景は沖縄でも見ましたが坂道の多い土地柄仕方ないかもしれませんね。https://www.shuehiro-kamidana.com
2020.09.01
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神棚ショップ便り 令和2年8月 神社散策 VOL118今回は源頼朝とゆかりのある神社にやってまいりました神社名は熱海 今宮神社です住所は静岡県熱海市桜町3-29番地アクセスはJR熱海駅から 紅葉ガ丘行バスで小嵐下車鳥居は反り増しがある明神系鳥居鳥居をくぐると右に社務所続いて手水舎 その横には足湯があるが新コロナの影響か今は使っていないようだ正面の拝殿裏には樹齢500年ほどの大楠がありの幹にはしめ縄が巻かれており神社のご神木とされている その他にほかタブ、マキ、イチョウの木、などがありそれぞれ熱海市指定文化財とされている祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)大黒天事大主命(ことしろぬしのみこと)恵比寿様 創建は古く大和時代の仁徳天皇(第16代天皇)時代となる神社の名前が知られるようになったのは鎌倉時代源頼朝が社殿を造営してからとされている伊豆の国に流された源頼朝は伊東祐親の追手から逃れる途中に立ち寄ったと言う伝説が残っているその後頼朝は追ってから無事逃れることができ平家を滅ぼし源氏を再興させた、これにより今宮神社は願い事のかなうお宮さんとして多くの人の崇敬を集めることになりました。 現在の本殿は、寛永12年(1673年)に新築され、元禄10年(1689年)に小田原城主「大久保保朝」が修復し、天保2年(1831年)韮山代官「江川太郎左衛門」によって修復されたようです帰りに社務所で美人宮司さんが書かれたアマビエのお札を頂いてまいりました新型コロナウイルス早く終息してもらいたいものですねhttps://www.shuehiro-kamidana.com
2020.08.01
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神棚ショップ便り 令和2年7月 神社散策 VOL117今回は変わった手水舎があると聞き川崎にやって参りました神社名は武州柿生の琴平神社です住所は神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5-46-15番地アクセスは小田急線柿生駅から東急バスがバスが出ています琴平神社には赤い、大きな鳥居あり一目で分かります この大きな鳥居がある場所が琴平神社の儀式殿になります本殿ではありませんこの神社は本殿と儀式殿が別れているのが特徴です本殿は三差路近くにありとても急な石段を上ることになります鳥居は反り増しがある明神系鳥居 本殿をお参りするにはこの急な石段を上ることになります階段を登りきると話題の手水舎が右側あります本殿は平成19年に焼失してしまいましたが、この手水舎は、昔のままの姿を残しています特徴は手水鉢を支える4つの山伏像に注目重い手水鉢を肩で支え、重圧に耐え忍ぶ、忍耐の尊さを諭しています地域の方には「がまんさん」と呼ばれ親しまれており我慢することによって物事の貫徹を願うことを意味しているのでしょうね正面には新しい社殿が鎮座しております社殿は文政九年(1826年)に造営された旧社殿が、平成十九年(2007年)に放火によって焼失平成二十三年(2011年)に社殿が再建されました祭神は 天照大御神(あまてらすおおみのかみ) 日本神話に登場する神大物主神(おおものぬしのかみ)日本神話の神の名創建は元亀元年(1570年)とされています元々は「神明社」として伊勢信仰の神社であったと伝えられています徳川家康が関東鎮護、国土泰平の祈?所としてしばしば参詣したという社伝がありさらに二代将軍・徳川秀忠の正室である崇源院が祈祷所として当社を勧請しておりこのように徳川将軍家との繋がりも深かったとされています文政九年(1826年)には伊勢山の地に志村文之丞によって四国金刀比羅宮の祭神をこの地に勧請し、神明社・琴平社の合社が再建されましたこれが琴平神社の起こりということです
2020.07.01
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神棚ショップ便り 令和2年6月 神社散策 VOL116今回は遠方に行かず近隣の神社にやってきました前から名前が気になっていました姥(うば)神社です住所は神奈川県小田原市穴部(あなべ)367番地アクセスはJR小田原駅から大雄山線(単線)に乗り穴部駅下車穴部駅前の信号をわたり山手に向かい7分ほど歩くと右手に見える鳥居は反り増しがない神明系鳥居 鳥居の横には祭に繰り出す山車小屋がある石段を上ると広めの境内その中央に均整の取れた拝殿が鎮座する祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)玉依姫命は初代天皇神武天皇をお産みになった神様子宝・安産・農業・漁業・商売繁盛等々が御利益となる創建は不明姥神社の名の由来は乳母(うば)からきているといわれる祭礼は1月の歳旦祭と4月3日に近い日曜日には夏季例大祭が行われるが昨年は雨 今年はニューコロナで神輿の繰り出しは中止となっている来年こそ神輿で賑わいを取り戻したい。https://www.shuehiro-kamidana.com
2020.06.01
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神棚ショップ便り 令和2年5月 神社散策 VOL115今回は源頼朝の妻北条政子にいわれのある寄神社(やどろぎ)にやって来ました住所は神奈川県足柄上郡寄2537番地北に丹沢山系の鍋割山を望む位置にあるアクセスは小田急線新松田駅・JR松田駅下車そこからは寄行きバスとなる県道710号線線沿いに鳥居が見えるのですぐわかる鳥居は反り増しがない神明系鳥居 鳥居をくぐるとの石段となるここは山中でもあり巨木が目を引く鳥居の前には樹高30m 樹高周囲6.4m 樹齢は約500年ともいわれており巨大な杉の木は松田町の天然記念物にも指定されている又社殿左手には大銀杏(樹齢700年)があるが残念ながら平成25年の台風で根元付近から倒れていたこの銀杏の木は北条政子の安産祈願のため植えられたと伝えられている幹の空洞には安産神「火遠理命」「豊玉姫」の双代神が祀られている詳細な創建時期は不明だが吾妻鏡には「波多野弥勒寺」として登場している明治の神仏分離策によって仏寺を廃して弥勒神社を改称しその後明治42年神仏号祀令によって寄村内各社の祭神を合祀し地域全体の氏子を統括する総鎮守の神社となる御祭神は弥勒大神保食神(うけもちのかみ)食物の神稲倉魂命(うかのみたまのみこと)穀物神大山祇命(おおやまつみのみこと) 山をつかさどる神子大神(ねのおおかみ)御嶽大神(おんたけおおかみ)他境内はきれいに清掃されており気持ちよく参拝ができました。http://shuehito-kamidana.com
2020.05.01
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神棚ショップ便り 令和2年4月 神社散策 VOL114今回は国道135号線を南下し西湘のサーフィンスポットYoshihamaその吉浜海岸の中間地点に位置する素鵞(すが)神社を訪ねた住所神奈川県足柄下郡湯河原町吉浜1047番地鳥居は反り増しがある明神系鳥居 鳥居をくぐると急勾配な石段となる石段を上がると境内が広がり大きなご神木が目に入る境内は二段となっており下の段には手水舎 屋台等の小屋が並んでいる上段正面には江戸時代人気の高い名工が彫刻したと言われる拝殿が鎮座しているご祭神は須佐之男神(すさのおのかみ)八岐大蛇を退治した、高天原から追放された荒ぶる神様伊弉諾神(いざなぎのかみ)伊弉冊神(いざなみのかみ)を祀っている由緒創建は元和6年(1620年)12月11日明治6年7月30日、村社に列せられ同44年6月10日字神戸・無格社熊野神社字出雲台・無格社熊野神社を合併した。大正12年9月1日の関東大震災により、覆殿拝殿などを全潰したが同15年11月、拝殿弊殿を改築した。その後昭和9年7月13日、神饌弊帛料供進神社に指定され同15年8月、許可を得て、1513番地より現在の地に移転し同時に514坪を拡張した。昭和22年5月13日字神戸熊野神社を、同年7月25日、稲荷神社を分離したという(案内板より)8月1日には大例祭がありこの日には県指定無形文化財の鹿島踊りが披露されている踊りの起源は、古代たたら製鉄(古代から近世にかけて発展した製鉄法)に関するものでしたがここでは疫病の送り払い,それに、大漁と豊作、湯河原地方特有の産業である石材産出の無事とそれを輸送する海上安全にあるという神棚ショップhttp://www.shuehiro-kamidana.comhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/
2020.04.01
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神棚ショップ便り 令和2年3月 神社散策 VOL113延喜式内社 甲斐国二十社の一つに数えられている富士山世界文化遺産である古社 河口浅間神社(甲斐国八代郡)を散策した 住所は山梨県南都留郡富士河口湖町河口1番地川口湖駅より路線バス甲府行き、又は大石プチペンション村行き「河口局前」下車河口湖の東側湖畔に鎮座する河口浅間神社の創建は貞観7年(865)であり 前年から発生していた富士山の貞観大噴火により、甲斐国は甚大な被害を受けておりこのため勅命により、浅間大神(木花咲耶姫命)を奉斎して鎮火を祈願。これが創建の由緒となっている往時は大勢の修験者や富士講の巡礼者が集まり、宿坊の数は120軒を超え富士山信仰の拠点であったようだ現在は世界遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産となっている表参道入り口には約18mもの反り増しがある明神系鳥居を供える 鳥居をくぐるとそこには根廻り7m余りの杉並木がずっと続いている先頭の2本は幹周が約7メートルもの太さがあり足を止めて見入ってしまう参道中央には波多志社( ご祭神は伴真貞(とものまさだ))が参道中央に鎮座する。参道より随神門をくぐると正面の本殿を中心にして、半時計回りの順番に杉の木に番号がつけられている右側には7本の素晴らしい威容の巨樹が残されており高さはゆうに40メートルを超える巨樹である根廻り最大30m 樹高47m余りを始とし杉や檜、欅、樅、松等百本余りの森となっている多くの末社を祀っており中でも車で15分ほど登り少し歩くと幽玄な滝のそばには母の白滝神社が鎮座する多いに滝のしぶきを浴びてきた久しぶりに千百年余りの悠久が織り成す鎮守の杜を見た
2020.03.01
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神棚ショップ便り 令和2年2月 神社散策 VOL112 延喜式内社甲斐国二十社の一つに数えられている 古い神社の山梨岡神社を散策しました 住所は山梨県笛吹市春日居町1696番地 JR中央本線石和温泉駅下車 駅から約徒歩20分 この神社は実在した可能性のある最初の天皇である 崇神天皇の御代にて国内に疫病の流行やその他 災害が多発した事に憂いこれを治める為に 勅令により御室山に創始されました。 その後成務天皇(13代)の御代にふもとの ヤマナシ原生林を切り開き「山梨岡神社」と号しました この故事から「山梨」の地名の発祥の地とされています。 古くは山梨大明神と呼ばれ武田家代々の祈願所と して栄えたようです 御祭神は 大山祇命(オオヤマツミノカミ)山をつかさどる神 高?神(タカオカミノカミ)水の神とし崇敬されている 別雷神(ワケイカズチノカミ) 神社は140号線から北に入りますが やや狭い道を真っ直ぐ進むと山梨岡神社となります 鳥居は神社の内と外を分ける境に立てられる 建築物ですがこの神社には鳥居が見あたりません。 280年前の記録によると境内の入り口には 東向きに鳥居が建っていたと記されていますが 昭和15年まで鳥居のない神社が全国神社の大半 だったようですが珍しいですね 境内右側に市指定文化財でもある立派な藤棚が ありその先には神楽殿が建ちます この神楽殿は県指定の文化財となっており 中々風格があります 左側に手水舎・社務所 正面には室町時代末期に 建立された拝殿 奥には正殿が鎮座しています。 いずれも明治40年8月28日に国の重要文化財に 指定されています 神棚ショップ
2020.02.01
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神棚ショップ便り 令和2年1月 神社散策 VOL111今回は連歌発祥の地といわれる甲斐の国“酒折宮”を散策しました住所は山梨県甲府市酒折3-1-13電車ではJR中央本線酒折駅下車徒歩約5分車で行くと411号線に酒折宮入り口の交差点から北に参道が続いているのですぐ分る反り増しがある明神系一の鳥居をくぐりさらに中央本線の線路を越えたところに二の鳥居が建っておりそこから境内に入る鳥居右側には酒折宮の社号標。境内左手に手水舎 手前には“新冶筑波”から始まる連歌の碑が建っておりその奥には本居宣長が撰文した酒折宮壽詞石碑が建っている連歌発祥の地といわれるだけにたくさんの連歌を彫った石碑に出会う。右手に社務所ありその前の渡ると正面に拝殿その奥に本殿が鎮座する御祭神は日本武尊古代日本の国土を平定した日本神話の英雄的存在ご由緒は山梨県では唯一古事記や日本書紀に記載のある古い神社となっている記紀には日本武尊が東夷征伐の帰りに酒折宮に立ち寄り片歌を詠みもう片歌で答えた事でこの問答歌のやり取りが日本における連歌を起され酒折宮は連歌の発祥の地と言われました。緑に囲まれた静かな境内でした神棚の神棚ショップへhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://www.shuehiro-kamidana.com
2020.01.01
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神棚ショップ便り 令和元年11月 神社散策 VOL109今回は北海道を代表する駅弁「かにめし」の町として知られる長万部町に鎮座する 飯生神社(いいなりじんじゃ)にやってきました住所は北海道山越郡長万部町379番地徒歩だと長万部の駅から15分くらいかかるこの神社は 小高い丘の上に鎮座します入り口には大きな朱色の反り増しが無い神明系神明鳥居が建ちその向こうは緩やかな参道が迎える階段を登りニの鳥居をくぐると右手に手水舎その横に立派な社務所が建つ正面奥には頑丈そうな拝殿・正殿が鎮座します由緒は安永2年(1773年)漁業の繁栄を祈念して建立したそうですその後文化13年に新に京都伏見稲荷神社より御分霊を勧進し昭和5年神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)祈年祭、新嘗祭、例祭に神饌幣帛料を供進された神社に指定されたのは、昭和8年となり現在地へ移転遷座されました。祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)大國主命(おおくにぬしのみこと)倉稻魂命(うかのみたまのみこと)、穀物の神様旧社格 村社 神社の隣には長万部防衛の江戸時代の遺跡が残っています安政3(1856)年、江戸幕府の命を受けた南部藩が、蝦夷地の警備のため南部室蘭陣屋のヲシャマンベ分屯地として設置したもの。今も当時の壕や土塁の跡が残っているので足を運んで見たらどうでしょうか 古くはこの地はアイヌの先住地であり和人の支配地になると、渡島半島の地峡部に位置する長万部は日本海側と太平洋側を往来する交通の要衝として重視されることとなります。オシャマンベとはアイヌ語でカレイのたくさん捕れる河口との意の事だそうです神棚の神棚ショップへhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://www.shuehiro-kamidana.com
2019.11.01
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神棚ショップ便り 令和元年10月 神社散策 VOL108今回は北海道に飛び道南のある 鹿部稲荷神社を散策した住所は北海道茅部郡鹿部町字宮浜321番地函館からJR函館本線1日5本の運行なので良く予定をたてる必要がある鹿部駅を下車し駅前よりバスで鹿部神社前下車神社は北海道らしい広さを感じる約3000坪もある大きな反り増しがあるコンクリートの明神系鳥居をくぐると左側に手水舎 正面に大きな拝殿・正殿が鎮座する祭神は倉稲魂命(うかうみたまのみこと)日本神話に登場する穀物神で伊奘諾尊が飢えたときに生まれた神様「うか」とは穀物を意味する由緒は安永9年6月漁業を守護神として松前藩の領主松前道長公に請願される。文化3年(1806年)社殿の腐朽により本殿拝殿を再建落成の上御遷座する後に鹿部村の産土神社と定め届出、鹿部稲荷社と号した。嘉永2年(1849年)伏見稲荷神社よりご分霊を戴き祭神とする平成6年に竣工遷座したとのことなので比較的新しい建物7月の例大祭は村総出で大に賑わいをみせるそうだ。神棚の神棚ショップへhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://www.shuehiro-kamidana.com
2019.10.01
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神棚ショップ便り 令和元年9月 神社散策 VOL107今回は下総国の一宮、明治以後の社格制では官幣大社に列しており、昭和17年、勅祭社に治定されている香取神宮を散策した住所は千葉県香取市香取1697参道商店街から大きな反り増しがある明神系鳥居をくぐるがまだまだ表参道が続く両脇に大きな狛犬が迎える総門をくぐると斜め正面には香取神宮のシンボル的 重要文化財にも指定されている楼門が建つ 楼上の額は「東郷平八郎」の筆によるものといわれる楼門をくぐると正面に黒を基調とした重厚華麗な拝殿その後ろに本殿が鎮座する神楽殿は右手に位置しその横に樹齢約1,000年もの杉のご神木がある ここもパワースポットで人気がある私が強力なパワーを感じたのは拝殿横の源頼義の祈願により三又に分かれたといわれる大杉で、真中の杉が空洞になっているその真ん中に入り木肌に触れたとたん頭から足底まで心身が引き締まるようなパワーを預かった。これは今までにない経験でとなる御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)出雲の国譲りの神話に出てくる神様御神徳は奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして、香取大神を御祭神とする神社は全国各地(400社余り)に及んでいて、広く尊崇をあつめているその武徳は平和・外交の祖神として、勝運、交通 安全、災難除けの神としても有名である総門を左に曲がると(境内西方)押手神社が鎮座するがその近くに要石がある。地震封じの要石。要石には強い霊力が宿っていると言われるここは 香取神宮の重要な「心の御柱」的存在の霊石で、地震は地中に棲む大ナマズ(又は龍)が暴れて起こすものと考えられており要石はその大ナマズを押さえつけるものであり それでこの地方には大きな地震がないと伝えられていました。地上に出ている部分は小さいものの地中部分は巨大で、決して抜くことができないと言われています。古墳の発掘も指揮した徳川光圀公も、要石の正体を突き止めようと掘らせましたが、掘りきれなかったそうです。香取神宮の要石は凸形で、鹿島神宮の要石は凹形であると言う。神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/
2019.09.01
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神棚ショップ便り 令和元年8月 神社散策 VOL106全国・海外を含めて約60数社の出雲大社教の分祠・大教会(分院)・教会・講社がありその一つ沖縄県那覇市にあります「出雲大社沖縄分社」を参拝いたしましたこの神社は戦後のアメリカ占領統治下のなかでの創立という特殊な事情から、珍しく特に「分社」の名称が認められております住所は 沖縄県那覇市古島1-16-13番地那覇空港から約30分 モノレール古島駅からは徒歩約4分となります鳥居はありません なんともこぢんまりとした神社です参道の入り口では狛犬(シサー)が迎えてくれます入ってすぐに右手に手水舎 社務所と続き狭い参道には5対の狛犬が並べてあります突き当りを左に曲がると正面に立派な拝殿・本殿が鎮座します二礼二拍手一礼という参拝が一般的ですが、ここでは二礼(二回おじぎ)四拍手(四回手を打つ)最後にもう一度おじぎをします狭い場所なので参拝は5分もあれば十分出来ますいつもは参拝者も少ないものの初詣の参拝は境内には入れなく道路から長々と列をつくり並ぶとの事です御祭神は、因幡の白兎神話にも登場する大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)一般的には、「だいこくさま」として慕われている神様です沖縄分社は本社から神様を分霊して祀っています神様は分霊しても本御霊荷は影響せず分霊も同じご利益をもたらすとされています。お近くの方は出雲大社のご利益にあやかりたいけど島根県まではなかなか行かれ無いという方にはお勧めですね神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2019.08.01
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神棚ショップ便り 令和元年7月 神社散策 VOL105今回は北陸金沢市の地元の皆さんには鍛冶八幡さんと親しまれている金沢安江八幡宮(やすえはちまんぐう)を散策しました住所は 金沢市此花町11-27番地金沢駅からは近く徒歩約3分金沢五社の内の一社となっている金沢五社とは金沢市に所在する神社の内、江戸時代から鎮座する宇多須神社、小坂神社、神明宮、椿原天満宮、安江八幡宮のこの五つの神社だといわれていますこれら五社を市内地図に落としていくと金沢城を中心として宇多須神社は内側に鎮座しているが、その他の四社が、当時もあった金沢城や兼六園そして、今の尾山神社や金沢市役所をすっぽり包むように四隅に鎮座していますこれは往年加賀藩の強い意向によって神仏習合の江戸時代においても仏教色ゼロで神職のみが奉仕し続け、藩主自らが五社の参拝を奨励し五社巡りが当時盛んに行われました。これは加賀前田家が張り巡らした霊的結界ともいえましょうご祭神は誉田別尊(応神天皇)気長足姫尊(神功皇后)玉依姫命を祀っています八幡宮の創建は今から約1080年前の天慶2年(939)とされ、主に火防や病気の平癒を祈願する神社でした神社のある場所は以前刀鍛冶職人たちが多く住んでいたところで、刀剣製作時代には必ず神前で「水火の伝授」を行ったことから、別名「鍛冶八幡さん」とも呼ばれてきました。この八幡さんには真紅の産着を身にまとわれた八幡大神の「起き上がり」というお守りがあります。現在本殿に向かって左手にその石像があります。昔、氏子だった一人の老人が日々参拝を続けていると深い御利益があり、そのことを喜んで毎年正月に奉納していたのがこの「起き上がり」の由来で、以来参拝の方がこれをお守りにもち、厄除けや家業繁栄、子どもの健やかな成長を願ったとされています。そして今では全国からこの起き上がりを求める声が届いているといわれています神棚ショップhttp://www.shuehiro-kamidana.comhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/
2019.07.01
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神棚ショップ便り 令和元年6月 神社散策 VOL104今回は常陸の国の一之宮である有名な鹿島神宮を訪ねた所は茨城県鹿嶋市宮中2306番地生茂る壮大な社の中に拝殿は鳥居から3分くらいの所に鎮座しているが境内の広さは東京ドーム15個分がすっぽりと入ると云う面積 末社・摂社・要石・祖霊舎・武徳殿・奥宮等共に参拝して1周すると1日は十分かかる反り増しが無い二の大鳥居をくぐると 左手には数々の社が鎮座しているその先には日本三大門の一つに数えられている高さ13mもあり重要文化財に指定されている桜門が緑の中にひときは朱色の門が映えているこの門は初代藩主徳川頼房により奉納されたもの拝殿はすぐ右手に鎮座するが再び鳥居をくぐるご祭神は武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)創建は神武天皇が武甕槌大神と「霊剣」(ふつのみたまのつるぎ)を奉るために鹿島神宮を創建されたと伝えられているご祭神の武甕槌大神は武の神様であると共に権力を支える威力の象徴でもあるということで政界や財界など 組織を束ねるものにとっては有難い神様となるなるほど霊力や成就力・神力がとても大きい鹿島神社への政界・財界団体の鹿島詣が多いいのもうなずける。箱根神社もよく言われるがご守護の冴えは何倍もの強さがあるらしい薄暗い奥参道には流鏑馬で馬が走る道がまだ残されていた。神棚ショップhttp://www.shuehiro-kamidana.com
2019.06.01
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神棚ショップ便り 令和元年5月 神社散策 VOL103今回も東京から約1600km南へ飛んで沖縄県那覇市にある琉球八社の一つ識名宮(しきなぐう)を参拝しました住所は沖縄県那覇市繁多川4丁目1-43番地このお宮は琉球八社と呼ばれる由緒ある社の一社で熊野本宮に見たてて信仰されています識名宮は 波上宮や普天間宮と比べて、規模も訪れる人も少ないものの、手入れがとても行き届いていました境内は綺麗で気持が穏やかになれる場所です坂道の途中にある鳥居を見つけましたが駐車場が見つからないので近くのコンビニにお世話になりました(後で聞いたのですが2台ほど駐車場があるそうです)その反り増しがある明神系鳥居をくぐるとフクギの木が両側に植えられた参道の右側に手水舎その前に社務所がありましたが鍵が掛かっており中には入れませんでした。社務所を過ぎると境内を横切る道が1本あり二つ目の同じ神明系鳥居向かえてくれますその向こうに拝殿が見え赤い屋根の棟巴には沖縄らしくシーサーが二頭見えますこの拝殿は残念ながら戦争によって建物は消失してしまいましたが戦後に復興をはたし、現在の拝殿は平成25年に建て直されたものとなっています奥には社殿が鎮座しており その裏側には識名宮の起源でもある洞窟が今もありますが鉄格子で閉ざされており中には入れ無いようになっていますこの日は中へ入る事ができませんでしたが、毎月1日と15日には入れるようです。以前、識名宮の社殿はこの洞窟内に祀られていたのですが、湿気により1680年に現在の場所に移築されたようです社伝によると、以前この地は人家のない荒野が広がっていました。ある日、近くに住む女性が天に向かってのびている不思議な光を発見します。その光は洞穴の中にあった賓頭盧(びんずる)の像から出ている霊光で、お願いすると願いが叶うと多くの人に信仰されるようになりました。その話は王朝にも届き尚元王の長男の病気治癒を願ったところ、病気が治り健康を取り戻すことができました。琉球王朝とも深く関係している由緒ある神社といえます。御祭神伊弉冉尊、イザナミノミコト速玉男尊、ハヤタマノヲノミコト事解男尊、コトサカノヲ午ぬふぁ神、コヌファシン“午(南)の方角の神”から転じて午年生まれの守り神と言われています。識名権現 シキナゴンゲン琉球八社とは琉球時代には二つの仏教「臨済宗(りんざいしゅう)と真言宗(しんごんしゅう)」が伝えられ、とくに臨済宗が世に広まる中、真言宗寺院にも王府より特別待遇が8つの寺に与えられました。当時、それらの寺に併置されていた神社を琉球八社と呼ぶようになりました神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2019.05.01
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神棚ショップ便り 平成31年4月 神社散策 VOL102 今回は東京から南へ約1600kmの沖縄県那覇市にある琉球八社の一つ安里八幡宮(あさとはちまんぐう)を参拝した住所 沖縄県那覇市安里123番地この社は琉球八社の中で唯一の八幡宮ですが明治の近代社格では無各社となっている神社は坂道の途中にあり境内は隣りの保育園の絶好の遊び場となっている石段を上り反り増しがある明神系鳥居をくぐると正面に本殿が鎮座し 左側に手水舎 右側に公民館を兼ねた社務所が建っている主祭神は応神天皇(おうじんてんのう)第15代天皇神功皇后(じんぐうこうごう)仲哀天皇の皇后玉依姫命(たまよりびめ)神道の女神創建は天順年間(1457年~1464年)以前の社殿は1944年10月の沖縄戦で被災しており戦後に再建されたのが現在の社殿となっている由緒むかし、琉球国の王が戦に行く前に祈願したところ、その戦に勝利した。その後、王は安里八幡宮を建てたという伝説がある社です安里八幡宮は赤を基調とした瓦屋根の建物は、沖縄らしい造りとなっている。以前は本殿裏には高層建物がなかっただろうに今では不釣合いな背景となっている神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2019.04.01
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神棚ショップ便り 平成31年3月 神社散策 VOL101 奈良時代 地方の歴史や文物を記したところの地誌である「風土記」には蔵王社とも言われていた江之浦の大美和神社を訪ねましたJR東海道本線海の見える駅 根府川駅から南西方向へ約1.5kmほど歩くか又は駅前からバスも通っており江之浦バス停下車右折して坂道を登る事約3分位で右手に位置する住所は小田原市江之浦312番地反り増しがない神明系鳥居をくぐるとそこからは石段となる登ると正面に拝殿その後ろに独立した正殿が鎮座する昭和18年(1943年)現在名に改称した時記念として溶岩で作られた「大美和神社改名記念」塔がある拝殿昇口には天宝5年(1834年)に建立された燈籠2基が金網で守られているその燈籠の後ろには大正7年から長くこの里を見守ってきた貫禄のある狛犬がすばらしい右手には境内社一社 山神社があるその横になぜか「富士登山三十三度記念碑」が建立されている明治から大正・昭和にかけて、富士登山を33回行った各富士講の講員の「大願成就」を記念したものだろう。33回登山を行うということは、当時においては大変なことであったに違いない。その前には大正12年に起きた関東大震災に付いて「家屋倒漬火災起こり為に人畜多数死傷等」と当時の様子が書かれた「大震災記念碑」があるその震災で村内7名の殃死者を出したと記されてあり震源地に近い根府川の被害がきわめて甚大であった事を今さらながら知るご神体は航海守護の神 少彦名命(スクナヒコナノミコト)同じく交通・航海の神 大物主命(オオモノヌシノミコト)由緒創建は寛文十一年(1871年)徳川家綱の時代と言われる7月の例祭には「鹿島踊り」が奉納され現在も続いている。江之浦は根府川石の産地で石の運搬には海路を使っていた事から海運に関わる鹿島信仰が盛んで「鹿島踊り」(県の無形民俗文化財)が伝承されている。神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2019.03.01
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神棚ショップ便り 平成31年2月 神社散策 VOL100 世界遺産にも登録されて通称「権現さん」と呼ばれている和歌山県田辺の闘鶏神社を訪ねましたJR紀伊田辺駅から徒歩約5分住所は和歌山県田辺市東陽1-1反り増しがある明神系鳥居をくぐると参道となるが次の二の鳥居の右手に直線的に伸びる流鏑馬を行う広場がある。450年余りも催されていたそうだが今は諸事情により馬が走る事はなくなったようです。二の鳥居をくぐると広い境内となるが通常正面に拝殿・本殿が鎮座するがこの神社は右手側面に国指定史跡の社殿が並んでいます 社殿は6棟あり御祭神は本 殿 伊邪那美命上御殿 伊邪那岐命・天照皇大神・宇賀御魂命中御殿 瓊々杵尊命・鵜草葺不合命・火々 出見尊・天之忍穂耳命下御殿 火産霊命・弥都波能売命・稚産霊 命・埴山比売命八百萬殿 手力男命・八百万神西御殿 速玉之男命・事解之男神 と横一列に配置をされています由緒社伝によると人皇19代允恭天皇(いんぎょ うてんのう)(419年)熊野権現をこの地に勧請し田辺の宮と称し祀ったのが起源と伝わっています。建立年代は、本殿は寛文元年(1661年)、上殿は推定で江戸時代前期、西殿は元文2年(1737年)他3棟は延享5年(1748年)で本殿と上殿は一間社春日造かつ奥行二間とする熊野造です。鬪鶏神社は、壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社で、鬪鶏神社の名の由来は、平家物語壇ノ浦合戦の故事によるもので、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増(たんぞう)がどちらに味方をするかの神意を確認するため神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものです。この事から「闘鶏権現」と呼ばれるようになり」明治の神仏分離の際闘鶏神社を正式な社名としました。境内には樹齢1200年余りの大きな楠のご神木,鶏、湛増と弁慶の像があります神社の歴史を知って行かれるとより楽しいですね。神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2019.02.01
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神棚ショップ便り 平成31年1月 神社散策 VOL99 北陸のイメージはと言いますと海・寒・雪だそうです今回は冬の金沢1300年の歴史をもつ延喜式内の古社大野湊神社を訪ねました。金沢駅からは金沢港方面に車で約20分住所は金沢市寺中町ハ163番地反り増しがある明神系鳥居をくぐると長い参道隋神門をくぐり右手に手水舎、左手に能舞台(400年に渡り、神事能を行っている)正面には旧拝殿が位置する再び大きな鳥居をくぐると右手に神馬舎、左手に絵馬堂がある。正面に石川県指定文化財である本殿が鎮座しその横に社務所を構えている。御祭神は主祭神三柱八幡社が護国八幡大神(ごこくはちまんじん) 応神天皇(誉田別命)と同一視されている。 源氏の氏神として武運の神とされる神明社が天照皇大御神(あまてらすおおみかみ、 あまてらすおおかみ) 国家の最高神であり皇室の祖先神、日本人の 総氏神様として崇められている佐那武社が猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)(佐那武大神) この神は道の神、道案内の神、旅人の神とさ れている境内社は 春日社・西宮社・白山社・荒魂社が存している由緒神亀4年(727年奈良時代)陸奥の人,佐那が航海中に猿田大神の出現を感じ海辺の大野庄真砂山竿林の神明社の傍らに一祠を建立し歓請した事をその創紀とする延喜式内社です。神明社即ち天照皇大御神を奉斎した社の創立年代は不詳ですがおそらく飛鳥朝時代であると考えられています。加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けている (大野湊神社しおりより)皆様にとって新しい1年が、素晴らしい年と輝くような素敵な笑顔であふれますように。心を込めてお祈りいたします。神棚ショップ 石村商店http://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/
2019.01.01
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神棚ショップ便り 平成30年12月 神社散策 VOL98 北陸新幹線の開通により金沢がとても近くなりました。旅する人や送迎する人でコンコースは賑わっておりました。今回はその金沢駅より一番近い神社 平岡野神社を訪ねました。住所は 金沢市広岡一丁目11-1番地金沢駅西口を出て左手 アパホテルのすぐ近くにあります境内に参拝するには駅から一番近い入り口は右手に反り増しがある明神系鳥居をくぐるとよいでしょう。くぐるとすぐに右手に拝殿が鎮座し踵を返すと手水舎となります平岡野神社は古からは山王の社又は三王明神と称されていました境内記念碑には拝殿は明治元年に修理されたがその後百二十年余り修理はされておらず平成十年に至って修理されたと記されています当神社は明治維新の頃「日吉社」その後平岡野木立林の地名にちなんで「平岡野社」となりさらに明治七年に石川県通達によって「平岡野神社」となり現在に至っていますご祭神は伊弉冊命(イザナミノミコト) 夫婦和合の神様大山咋神(オオヤマクイノカミ) お酒の神様 田畑を守る神様大國主尊(オオクニヌシノミコト)の三柱 縁結び神様山王社略紀によると当時は七堂伽藍がそびえ立っていたようですが、源平盛衰記や大日本史よるとここも合戦の場となり、当社も度重なる戦火を受けて荒廃してしまったようです。平岡野木立林とは『源平盛衰記』によれば、倶利伽羅峠の戦いに勝利した木曽義仲の軍勢は加賀路を敗走する平氏の軍を追って、1183年5月に(平安時代末期の寿永2年)「加賀国平岳(岡)野の木立林」に陣をとったと言われている。そこが当神社の近くのようです。http://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.12.01
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神棚ショップ便り 平成30年11月 神社散策 VOL97水の神様である水波能売命(みずはのめのみこと)を祀っており古くは「井之明神」と呼ばれていた相模国の曽谷神社(そやじんじゃ)を訪ねた。住所は神奈川県秦野市曽谷1-8-28番地 最寄りの駅は小田急線秦野駅下車 駅より神奈川中央交通のバスで北口バス乗り場より2番乗り場のバスに乗車、約10分。「宮前」下車、徒歩0分。道路からは反り増しがある明神系鳥居をくぐると石段を登り右側に手水舎 左手に神楽殿。社務所はあるが不在。正面に立派な拝殿が鎮座する。創建年代は1160年余り前といわれるが古文書や記録等が残っていなく詳しい事はわからないらしい。境内には土地の涌水地であった為 水を司る神様をお祭りした事が創始といわれる。ここには近隣のかたがたを初め遠方から豊な清冽な涌水を求めて賑わっている「井之明神水」いのみょうじんすい 曽屋神社は、古くは「井大明神」「井之明神社」(いのみょうじんしゃ)と称して来ました。名のとおり、「井」すなわち「水」の湧き出る宮であります。 この地に先人たちが暮らし始め、豊に湧き出る「水」に感謝し、水神をおまつりしたのが創始であります。 現在の地名「曽屋」は、古くは「州谷」であったとされ、神社の南方を流れる水無川と北方を流れる葛葉川に挟まれる形で位置しています。そのような地にあって、生活用水を求め井戸を掘っても、良い水に恵まれない土地であったそうです。伝えるところ、江戸期には、氏子が井戸を掘ったため井之大明神の怒りに触れ、疫病が流行してしまい、氏子たちは「正一位」の神位を井之大明神に授けて頂き、その怒りを鎮め、その後は神社で湧き出る水だけを使ったそうです。 神社の湧水を源として、江戸期から明治期に至って、氏子たちは苦労を重ね水道網を整備していきました。明治三十五年、水道事業として横浜・函館に次いで、全国で三番目となる「曽屋区水道」が完成しました。 (詳細『秦野水道百年史』秦野市水道局発行) 祭神は 水波能売命 ( みずはのめのみこと ) 火を鎮める水神にして豊穣をもたらす農耕神です。 御井神 ( みいのかみ ) 木の神であり、御井神は井泉の神。 伊弉那美命 ( いざなみのみこと ) 誉田別命 ( ほむだわけのみこと ) 事代主命 ( ことしろぬしのみこと ) 別名は八重言代主神、八重事代主神(やえことしろぬし) 加茂別雷命 ( かものわけいかずちのみこと ) 、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味であり、「雷神」ではない。 菊理比売命 ( くくりひめのみこと ) イザナギとイザナミの夫婦喧嘩を止めた神様。 境内掲示板より神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.11.13
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神棚ショップ便り 平成30年11月 神社散策 VOL97水の神様である水波能売命(みずはのめのみこと)を祀っており古くは「井之明神」と呼ばれていた相模国の曽谷神社(そやじんじゃ)を訪ねた。住所は神奈川県秦野市曽谷1-8-28番地 最寄りの駅は小田急線秦野駅下車 駅より神奈川中央交通のバスで北口バス乗り場より2番乗り場のバスに乗車、約10分。「宮前」下車、徒歩0分。道路からは反り増しがある明神系鳥居をくぐると石段を登り右側に手水舎 左手に神楽殿。社務所はあるが不在。正面に立派な拝殿が鎮座する。創建年代は1160年余り前といわれるが古文書や記録等が残っていなく詳しい事はわからないらしい。境内には土地の涌水地であった為 水を司る神様をお祭りした事が創始といわれる。ここには近隣のかたがたを初め遠方から豊な清冽な涌水を求めて賑わっている「井之明神水」いのみょうじんすい 曽屋神社は、古くは「井大明神」「井之明神社」(いのみょうじんしゃ)と称して来ました。名のとおり、「井」すなわち「水」の湧き出る宮であります。 この地に先人たちが暮らし始め、豊に湧き出る「水」に感謝し、水神をおまつりしたのが創始であります。 現在の地名「曽屋」は、古くは「州谷」であったとされ、神社の南方を流れる水無川と北方を流れる葛葉川に挟まれる形で位置しています。そのような地にあって、生活用水を求め井戸を掘っても、良い水に恵まれない土地であったそうです。伝えるところ、江戸期には、氏子が井戸を掘ったため井之大明神の怒りに触れ、疫病が流行してしまい、氏子たちは「正一位」の神位を井之大明神に授けて頂き、その怒りを鎮め、その後は神社で湧き出る水だけを使ったそうです。 神社の湧水を源として、江戸期から明治期に至って、氏子たちは苦労を重ね水道網を整備していきました。明治三十五年、水道事業として横浜・函館に次いで、全国で三番目となる「曽屋区水道」が完成しました。 (詳細『秦野水道百年史』秦野市水道局発行) 祭神は 水波能売命 ( みずはのめのみこと ) 火を鎮める水神にして豊穣をもたらす農耕神です。 御井神 ( みいのかみ ) 木の神であり、御井神は井泉の神。 伊弉那美命 ( いざなみのみこと ) 誉田別命 ( ほむだわけのみこと ) 事代主命 ( ことしろぬしのみこと ) 別名は八重言代主神、八重事代主神(やえことしろぬし) 加茂別雷命 ( かものわけいかずちのみこと ) 、「雷を別けるほどの力を持つ神」という意味であり、「雷神」ではない。 菊理比売命 ( くくりひめのみこと ) イザナギとイザナミの夫婦喧嘩を止めた神様。 境内掲示板より神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.11.13
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神棚ショップ便り 平成30年10月 神社散策 VOL96社格は村社 別名山王社、上杉館の鎮守とも言われている相模国の上粕屋神社(かみかすやじんじゃ)を訪ねた。住所は神奈川県伊勢原市1334番地 最寄りの駅は小田急線伊勢原駅下車 駅より神奈川中央交通のバスで道潅塚前下車。そこから徒歩で5分ほど。神社境内には大きな市指定保存樹木楠の木や銀杏の木、ケヤキの木等が林立している道路からは反り増しがある明神系鳥居をくぐると右側に手水舎 鐘楼があるが戦時供出によって以前の物は失われ、現在の鐘楼は昭和41年(1966年)鋳造の物のようだ。左手に社務所はあるが不在。正面に立派な拝殿が鎮座する。創建年代は不詳ですが天平年間(8世紀半ば)大山寺を開山した相模の国出身華厳宗の僧良弁の歓請なりといわれる明治2年(1869年)6月に日枝神社を合祀して日枝神社に改称。明治6年(1873年)7月、字和田内に鎮座した往時は朱印高2石だった熊野神社と、字石倉上鎮座の白山社を合祀した。この際に現社号に改称した。昭和39年(1964年)4月には字峯岸鎮座の御嶽神社を、昭和41年(1966年)10月、字秋山鎮座の五霊神社(御霊神社)を合祀した。祭神は大山咋神 ( おおやまくいのかみ ) 酒つくりの神様大穴牟遅神 ( おおなむじのかみ ) 大国主神の別名若山咋神(わかやまくいのみこと)大山咋神は伯父に当たる合祀御神伊弉諾命( いざなぎのみこと )伊弉諾命( いざなぎのみこと)速玉男命(はやたまおのみこと)事解男命 ( ことさかのおのみこと) 伊弉冊命(いざなみのみこと)菊理比売命( くくりひめのみこと) 天穂日命(あめのほひのみこと)泉道守命(いずみもりのみこと)日本武尊 ( やまとたけるのみこと) 大己貴命 ( おおなむちのみこと) 少産名命(ことしろぬしのみこと)三穂津姫命(みほつひめのみこと) 境内掲示板より神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.10.01
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C041神使(しんし)ってなんでしょうか神道において日本では古くから様々な動物などがある特定の神様と結び付けられています。これを神の使者(使い)もしくは神の眷属(けんぞく)とされてきました。対象になった動物は鳥類・哺乳類・爬虫類など等幅広く言い伝えられています。神使とされる動物はねずみ・牛・虎・うなぎ・鯉・海蛇・しか・狐等と幅広くなっています。基本的には神使の動物は神様の代理(化身)と言う身分ですがその動物のもつ超能力・霊力が神格化されて動物自身が神として崇拝されていることもございます。もっとも有名なものは狐の稲荷神でしょう。次回は何の動物がどの神様の神使となっているかご案内致します神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.09.16
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神棚ショップ便り 平成30年9月 神社散策 VOL95下郡三神森と言われたその一社 社格は村社、相模国の五郎神社(ごろうじんじゃ)を訪ねた。住所は神奈川県湯河原町鍛冶屋725番地 最寄りの駅はJR東海道線湯河原駅下車駅よりバスで約10分山側へ向かう。鍛冶屋バス停下車神社の境内には大きな楠の木や槇の木、ケヤキの木等が林立しているその中に鎮座する道路からは反り増しがある明神系鳥居をくぐると右側に手水舎左手に社務所はあるが不在のようだ。正面に彫刻も立派な拝殿が鎮座する。創建は元亀年間 戦国時代 今から約445年前の事になる明治6年7月30日に村社と定められた祭神は○金山彦尊(カナヤマヒコノミコト)神格は鉱山の神・鍛冶の神・鉱物の神ご利益はと言うと金銀銅山・石炭山の守護・金属加工業の守護・金運・商売繁盛・開運招福・災難避け・厄除けと続く ○面足尊(オモダルノミコト)は第六天の男の神様御由緒明治44年9月鎮座無各社須賀神社を合祀し、従前御祭神の金山彦尊一柱であったが合祀により二柱となった。地名の鍛冶屋・鍛冶屋分・鍛冶屋敷等は昔鍛冶屋が住んでいたことに由来しているが風土記による土肥鍛冶屋村とあるが鍛冶職についてはふれていないという。江戸初期の貞享三年(一六八六)、小田原藩に出されたこの村の差出帳からも鍛冶職の技術集団が住んだ事を裏付けるものは何も見出せない。差出帳に記録されているこの村の当時の軒数は五十四軒でありその身分構成には鍛冶職は一軒もなく、意外なのは桶屋が三軒もあることである。 神社庁資料参考神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.09.01
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C040御朱印を受けるにはだいぶ前から御朱印ブームが加熱しておりますがご朱印は神社仏閣に参拝した証です。ですからご朱印だけを受けるのでなくまずはご祭神や本尊に参拝してから受けたいものです。遠い昔修学旅行では参拝もせずにご朱印だけを頂いた記憶がございます。あさはかでした。ご朱印の朱印とは紙面の中央に捺されてありその神社の祭神の象徴である朱印を言います。ご朱印の元をただすと寺院で写経しそれを奉納した証として授け与えたものでした。その後一般的に神社仏閣の参拝者が多くなりご朱印本来の意味が忘れられ写経を納める事もなくご朱印が受けられるようになりました。このような習慣が神社にも影響を与えて明治時代になると神社でも参拝者にご朱印を出すようになったとの事です。その頃になると神社仏閣の参拝は増加して今に見られるご朱印帳が登場したようです。神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.08.19
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CO39神社より授かる神札に付いて神札は一般的に紙で出来ていますがその他に木で作られたものや金属製の物もあります。そして表面には神社名や祭神名が書かれ朱印が捺されているのが基本的です神棚の中央、もしくは一番手前におまつりするお神札は「神宮大麻」です。神宮大麻とは「神宮のお神札」のことで熱田神宮とかね明治神宮とかでなく伊勢神宮の事です。そして大麻とは 薬物の大麻ではなくお祓いの道具やお神札などを表す言葉として使っています。受けたお神札は神棚に祀ったり家の中の清浄な場所を見つけて納めましょう。どこの方角でも良いのではなく南、または東の方角を向くようにお祀りすると理想的です。なお1年経ったら新しいお神札を授与して頂き古いものは納札所に納めましょう。神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.08.11
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神棚ショップ便り 平成30年8月 神社散策VOL94久野地区の総鎮守 社格は郷社、相模国の神山神社(こうやまじんじゃ)を訪ねた。住所は神奈川県小田原市久野235番地 最寄りの駅は小田急線足柄駅下車 駅より徒歩約15分、1km。神社は鎮守の森にふさわしい住宅地の中で一段と高い所に位置する。広くはない道路からは反り増しがない神明系鳥居をくぐると直線の石段となる。その途中右側に程好い手水舎がある。さらに登ると二の鳥居になりくぐると境内の大きな銀杏の御神木が迎えてくれる。左側に新しく建てられた建物があるが不明。正面には立派な拝殿が鎮座する創建は約1030年前永延年間 当地に鎮座されたと伝わっている祭神は天照大日霊神(アマテラスオオヒルメノカミ)伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)伊弉册大神(イザナミノイイカミ)相模風土記、窪倉家系図によれば当初上郡神山村(現松田町)に鎮座していたが大永年間(1520~1526)早川圧 勝澤川辺りに移されたとある。万冶2年の棟札によれば万冶2年(1659年)頃に現在の地に移建され18ケ所村の鎮守として栄えた。応永23年 室町時代(1416年)鎌倉公方足利持氏と関東官僚 上杉氏憲と争いその際社殿や宝物はすべて焼失された。持氏は鎌倉を追われて箱根に逃げる。小田原北条2代北条氏綱は神山神社を崇拝し大永4年(1524年)に社殿を改修して社領を寄信し再建復興させた。しかし天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めで以後社領地は現在の規模となった。拝殿には文化5年以後の絵馬十数点と明治の俳句額2点がある。参考資料 神社看板・社寺建築百景・小田原の史跡より神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.08.01
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C038神社に行くと手水舎(てみずや)がありますがどんな役割をするのでしょうか鳥居をくぐり最初の寄らなければならないのが水盤を置いた手水舎です。御水屋(おみずや)とも呼ばれています。ここで手と口をすすいで身を清めます。神様は穢れを嫌いますので参拝の時にはここでお清めが必要になってきます。古くは海や川に身を浸して禊を行っていましたがこれに代わる簡便な方法として手水が用いられるようになったそうです。その名残は、伊勢神宮の五十鈴川の御手洗場などで見られます。水盤に、水を送る役目として龍頭などが置かれ、その口から水が流れでる龍のことを「吐水龍」と呼びます。この「吐水口」には龍が多いのですがほかにも、亀・虎・、鳳凰・鹿・牛・蛙等等の神獣の場合もあります。神棚ショップhttp://www.rakuten.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana/http://store.shopping.yahoo.co.jp/shuehiro-kamidana?sc_e=afvc_shp
2018.07.21
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