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今日は、私の誕生日で、本来なら家族に祝われ、そしてこの世に産んでくれた両親に感謝しながら過ごす一日なのだが、今年は辛く寂しくドンヨリとした一日になりそうです。この一年は、神が私に与え給うた試練の一年だったのか、これでもか?これでもか?と悲しい出来事が続いた。このブログを打っている、今この時もやはりとてつもなく悲しく、辛い。妻に先立たれた男は平均より9.3年早く死ぬって聞いたことがあるが、それも頷ける。今は、まだ質の悪いドラマの中に生きている様な、なんとも表現し難い感覚なのだが、これから本当の辛さや寂しさが訪れるのではないか、と考えると、この先自分の精神をコントロールできるのか?全く自信が無い。ただ、こんな気持ちのまま生きていても致し方もないので、少しずつだけど今までの人生を見直し、思い起こせば幾つもあった人生の岐路でしてきた自分の決断や判断の反省をし始めている。大体、失敗なんて言うものは、後から気付くものだが、実際に思い返してみると自分の判断の甘さや稚拙さ、バカさ加減に、ただただひたすらに呆れる。今の私を客観的に見てみると、30歳台に起こした大失敗から何とか立て直し、それなりに豊かに暮らせていて、経済的にもそれなり見える筈なのだが、少なとも今は全く幸福感なんて微塵も感じない。そう言えば、以前このブログで「幸せとお金の程よい塩梅」やら「幸せの源泉」なんて記事を書いた事があるけど、あの頃は、本当の意味で「幸せ」ってものを分かってはいなかったんだな~って思う。皆さんも、是非、この機会に本当の幸せに付いて真剣に考えてみませんか?今、不幸の真っ只中にいる、この私の有様を見て、自分自身の考えが本当に正しいものなのか?見直してみてください。やはり、本当に幸せって言うものは、大切な人たちと恙なく暮らしていけることなのでしょうね。
2019年02月11日
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随分と長い期間休んでしまいました。実は、昨年末に妻が緊急入院し、その後、彼女の地元近くに転院し、私も付きっきりで闘病に付き添いましたが、先日、旅立たれてしまいました。本当は発していたのであろう妻の異変の信号に気付くことのできなかった自分への悔恨の念からいまだ抜け出せず、私の心は天に昇っていく妻の魂を追い付けないことを承知で、それでも必死に追いかけているようです。今、一日の多くをサングラスをしながら暮らしています。何でもない光景を目にしたり、思い出を蘇らせる音楽を耳にした時、自分では制御できないほどに涙が溢れ出てきてしまうからです。そんな私を他人様に見せたくないのです。あの男気性だった妻が、そんな私を見たら、間違いなく怒鳴りつけるでしょう(妻の口癖は「吐いた唾、飲まんとけよ」でした)。私は、自身の最後の、その時までサングラスを外せなくなるのでしょうか?先日、弔問にいらした妻のママ友のお一人から「石渡のお父さん(私のことです)、本当に奥さんのことを目に中に入れても痛くないって表情で見ているって、よくママ友仲間で話していたんですよ」って言葉をいただいた時、私の妻に対する本当の気持ちに気付かされました。今、仕事上の私は10%も機能していません。でも、必死に立て直しを試みています。もう、私には一人息子と仕事しかありませんから・・もう少しだけ時間をください。必ず近い内に復活してみせますから。
2019年01月27日
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