2004年01月07日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
タイの北部カンボジア国境付近を見たことはあっても南部まで足をのばしたことはない。

タイの爆発物処理班による処理が未熟であったのか、爆発物によるテロの犠牲者が出たことは非常に残念なことであった。 

インドネシアのバリ島では日本人2人を含む200人以上の犠牲者を出した。
2002年10月のインドネシア・バリ島爆弾テロに関与したとして、反テロ法違反で死刑判決を受けていたアムロジ被告(41)の上告審で、インドネシア最高裁は7日までに、一、二審判決を支持し、同被告の上告を退けた。これにより同被告の死刑が確定したと報じられた。

人類にとって(加害者被害者双方にとっても)なんとも哀れな事件であった。

遡れば、カトリシズムのキリスト教もアラーの神の民モスリムの回教もどちらもセム系一神教でお互いがそれぞれの思想にかたまって歩み寄ることを知らない。
ちょうど、江戸時代に三河地方や越前地方の仏教の宗派のなかであった一向宗徒の一揆に似ている。

というのは『それは多様な文化をもつグループ群が一つの地域でひしめきあい、ときに殺しあっうという条件のもとで歴史が熟する(あいまいなことばだが)と、グループを超えた普遍的思想が出てくる。

中国でいうと、春秋戦国時代の諸子百家の思想群が、やがて儒教の勝利になり、国教化した、というようなものである。』と作家というより思想家の司馬遼太郎先生もいっている。

まだパレスチナではアメリカ的な「正義病」とイスラム的な「原理病」が未熟なままで歴史の熟するのをまっているのか。

われわれ古くは、八百萬の神からはじまって聖徳太子の時代から「和をもって貴しとなす」とみなで和気藹々とちゃらんぽらんに「融通無碍」に生きていくことのなかで空海や道元や親鸞などの「諸行無常」とツッパラない仏教的生き方の思想文化が花開いた。

いつだったか覚えはないが「日本人は宗教的に無節操だ」とお説教を垂れた日本人裁判官がいた。
なるほど左様にクリスマスで聖夜プレゼントだ、除夜の鐘で百八つの煩悩だ、初詣で神社だ仏閣に祈念だとチャンポンでやっている。
ところがそれは無節操なんかではなく、歴史的に日本人は宗教に寛容なのである。
いいかえればこころおおらかなのである。
それが日本人ではあるがクリスチャンの裁判官には分からなかっただけなのだった。
日本人の宗教観では神様だって間違えると説いているのだから・・・。

世界の一神教の人々も宗教というものの価値観や体制の思想を対立させずに宗教と民族が融合できるように寛容になって真の平和な世界をつくり出す知恵をもってもらいたいものだ。
それこそ、一神教でなく宗教に寛容な日本人の思想のほうが、世界が平和になっていくように思えてならない。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004年01月19日 01時11分58秒
コメント(3) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

楽々○

楽々○

コメント新着

どぴゅ@ みんなホントにオナ鑑だけなの? 相互オナって約束だったけど、いざとなる…
もじゃもじゃ君@ 短小ち○こに興奮しすぎ(ワラ 優子ちゃんたら急に人気無い所で車を停め…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…
ダル伊藤@ ズ ル ム ケ自慢の奴涙目w 包.茎の方がピストンしてる時に、皮がこ…
旋風脚@ いそぎ中継す!!!! <small> <a href="http://kuruma.koreik…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: