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2020年01月27日
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カテゴリ: 宗教
【神は我が櫓】

ニーチェが云う「神は死んだ」に関わる神が、クリスチャンたちにとっては、どのような存在だったのかを、讃美歌の詞から読み取ることもできます。

『讃美歌267』はマルチンルターの作詞で、神への信仰が力強く歌い上げられているので、神の存在が生きる力を強力に支えていた様子がうかがえます。

歌詞は「神は我がやぐら、わが強き盾。苦しめるときの近き助けぞ」で始まり、信仰によって、耐え難い苦しみさえも克服できる境地に達していることだ伝わってきます。

更に2番の歌詞は「いかに強くとも、いかでか頼まん、やがては朽つべき人の力を」で始まって、その境地が此の世を超えた聖なるものとの一体性から来ることを暗示させます。

このように見てくると、ニーチェが「神は死んだ」と云ってみても、それはニーチェにとっての神が「死んでいる」のであって、ルターにとっての神は「永遠に死ぬことがない」ことになっているのだと分かりますね。そういうことであれば、人の苦しみを取り除いてくれる神の存在を、あながち否定することもないでしょう。神は自然界の真実の問題ではなく、生きた人間の心の存在に於ける真実の問題なのだから。





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最終更新日  2020年01月27日 21時06分52秒
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