仏界に遊ぶ

仏界に遊ぶ

PR

カレンダー

プロフィール

Koko Hirosi

Koko Hirosi

カテゴリ

日記

(38)

宗教

(114)

読書

(1)

コメント新着

夢咲案内人 2008 @ Re:狭き道(09/16) ♪ご無沙汰致しております。 ♪師走も半ば…
夢咲案内人 2008 @ Re:狭き道(09/16) ♪ご無沙汰致しております。 ♪平日はなか…
夢咲案内人 2008 @ Re:金剛般若経の言葉「悟りの自覚」(06/30) ♪ご無沙汰致しております。 ♪平日はなか…
夢咲案内人 2008 @ Re:金剛般若経の言葉「悟りの自覚」(06/30) ♪ご無沙汰致しております。 ♪平日はなか…
夢咲案内人 2008 @ Re:金剛般若経の言葉「悟りの自覚」(06/30) ♪お久しぶりです。 毎日冬らしい日が続き…
夢咲案内人 2008 @ Re:金剛般若経の言葉「悟りの自覚」(06/30) ご無沙汰致しております。 平日はなかな…
夢咲案内人 2008 @ Re:金剛般若経の言葉「悟りの自覚」(06/30) ご無沙汰致しております。 平日はなかな…

バックナンバー

2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月
2025年07月
2025年06月
2025年05月
2025年04月
2025年03月
2025年02月

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2020年02月22日
XML
カテゴリ: 日記
【死を超えて】

前回の「自殺を乗り越えるために」と題した日記では、古代ギリシャの思想家による「人間は生まれてこないのが一番良い。しかし運悪く生まれてきたなら、できるだけ早く死ぬのが良い」という言葉を引用したが、この言葉の有益な捉え方は「死を超えて生きよ」という意味に限定されるのではあるまいか。そうすると釈迦仏法の起点たる苦諦の「色は無常である。無常なるものは苦である。苦なるものは我にあらず、また我がものにもあらず。色の如く受想行識についても同様である」にも重なるからである。

ここで言葉に於ける一つの問題が見えてくるのだが、古代ギリシャの思想家も釈迦の苦諦も、共に此の世に生まれた人間の現実相を明かした言葉であれば、苦諦を見て「此の世に生まれた人間は無常で苦で無我なるものであるから、生まれてこないのが一番良い。しかし運悪く生まれてきたなら、できるだけ早く死ぬのが良い」と読み取ったとしても自然の流れであって、無理からぬことでもありましょう。

然るに、だからといって直ちに自殺の如きを推奨している言葉として認識する人も、先ずいないのではないでしょうか。何故って、人には皆幸せになりたいという本性があると思いませんか。生命というものは、痛みや苦しみに対して常に敏感であって、本能的にそれらを避けたり克服しようとしているものだとは思いませんか。

それ故に、ここに引用した古代ギリシャの思想家の言葉や、釈迦仏法に於ける苦諦の一節もまた、直感的に「生死の苦を乗り越えて生きよ」というメッセージとして受け取ることができるのだと思うのです。また、その辺りの事情が見えてくると、仏典に説かれている「死を乗り越えた所に開かれる幸せの境地」に関する理法もまた、よく見えてきます。

例えば雪山童子が「諸行無常、是生滅法」という偈文の前半を聞き、残りの後半を説いてもらうことと引き換えに、飢えた羅刹に身体を与える約束をして、その偈文「生滅滅已、寂滅為楽」を悟ることができたという経緯ですが、これが「無常で苦なる死すべき肉体を解脱して不死の境地に達することができた」という法話の一つです。

なのでこのように思想家の言葉も釈迦の苦諦も、共に「死を超えて安楽の境地に至れ」という示唆だと読み取らなくては、折角の読書も役立たないものになってしまいます。

従ってこのような視点に立つと、仏道を修行してきた先達の言葉にも、こうして悟りの境地を掴んできた経緯が偲ばれるような語録に接する楽しみも増えてくることでしょう。例えば「生きながら死人となりてなりはてて、思いのままにするわざぞよき」なんてのも、味わい深くて良いですね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2020年02月22日 13時03分15秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: