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★キャノンボール・アダレイ(Julian Edwin "Cannonball" Adderley 1928年9月15日-1975年8月8日)はフロリダ州タンパ生まれのジャズアルト・サックス奏者。・・・(実は私、ギタリストなんですが 昔、管楽器が好きで転向しようかと考えていたことがありまして、そんなこともあって、つい、よくTP,やAsax,Tsaxのプレイヤーをご紹介しています・・)★マイルス・デイヴィスのグループで活躍し、ソウル・ジャズ、ファンキー・ジャズの立役者の一人としても知られる★あだ名の『キャノンボール』の由来は、キャンニバル(cannibal:大食漢)に由来する。言葉が慣用化してこのように変化したという弟にコルネット奏者のナット・アダレイがいる★1955年に彼はニューヨークに移り住み、ミュージシャンの間でその実力によって注目される存在となる。1957年にマイルス・デイヴィス・セクステットに参加★アダレイはマイルスのアルバム"Milestones"(1958, Columbia)と"Kind of Blue"(1959, Columbia)に参加。ソロ初期にマイルスの実質リーダー作として録音された"Somethin' Else"は、ジャズの名盤中の名盤ともいわれる。収録曲ではシャンソンの有名曲"Autumn Leaves"(枯葉)がヒットし、ジャズ・スタンダード化する★キャノンボール・アダレイ・クインテットはアダレイのアルトサックスに弟のナット・アダレイのコルネットがフィーチュアされている。最初のカルテットは売り上げを出せなかった。しかしながらマイルス・グループを離れた後、弟とグループを組み直し、成功を収めるようになってくる★クインテット(後にセクステットになる)や他のコンボにはピアニストにボビー・ティモンズやビクター・フェルドマン、ジョー・ザヴィヌル、ベーシストにサム・ジョーンズ、ドラマーにルイ・ヘイズ、サクソフォニストにチャールズ・ロイドとユーセフ・ラティーフがいた。彼のグループは1960年代後半にかけてクロスオーヴァーな活躍をし大きな成功を収めた★1962年には、セルジオ・メンデスと共演しボサノヴァを取り入れた"Cannonball's Bossa Nova"(Capitol)がヒット。1963年7月には来日公演を行い、東京公演の模様はライブ盤"Nippon Soul"(Riverside)に収められた。1966年にはソウル・ジャズの名盤として名高い"Mercy, Mercy, Mercy"(Capitol)を発表、タイトル曲はジョー・ザヴィヌルの作曲で、今も多くのアーティストによりカバーされている★マイルスの実験作"Bitches Brew"(1970, Columbia)から派生したエレクトリック・ジャズ、アヴァンギャルド・ジャズの流行に倣いアダレイもプレイするようになる。この頃のアダレイは、ソプラノ・サックスをダブリングさせた、"The Price You Got to Pay to Be Free"(1970, Capitol)のようなアルバムも発表しており、ジョン・コルトレーンとウェイン・ショーターの流行からも見られる★大食癖に起因する糖尿病と、偏頭痛に若い頃から悩まされていたが、1975年に脳梗塞で亡くなりました・・・46歳でした★・・フロリダ州テネシーにあるサウスサイド共同墓地に埋葬されている。彼のバンドのメンバーだったジョー・ザヴィヌルが結成したウェザー・リポートのアルバム"Black Market"(1976, Columbia)に、アダレイに捧げた曲"Cannon Ball"がある
2010年02月27日
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★フレディ・ハバード(Frederick Dewayne Hubbard, 1938年4月7日 - 2008年12月29日)は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス生まれの、ジャズ・トランペット奏者★・・私の大好きなプレイヤーです・・もう昔になりますが、サンフランシスコ在住だった友人のピアニストの所に私が1ヶ月ほど滞在していた時、当時有名だったジャズ・クラブ”キーストン・コーナー”に、よく通っていました、フレディのグループの1ステージ目の後、楽屋でフレディやメンバー達と話し「今度ジャムセッションをやろう」とか盛り上がって、楽しかった時の記憶があります・・・(左端画像キーストン・コーナーでのLIVE)★少年時代、フレディ・ハバードはインディアナでウェス・モンゴメリーとその兄弟を含む数多くの音楽家たちと親交を結ぶ★フレディのジャズ・プレイヤーとしての活動が本格的に始まるのは、1958年のニューヨーク進出からである。ニューヨークで彼は、オーネット・コールマン、エリック・ドルフィー、スライド・ハンプトン、J・J・ジョンソン、フィリー・ジョー・ジョーンズ、クインシー・ジョーンズ、オリバー・ネルソンそしてソニー・ロリンズ等と共演している★彼は、影響力の強いハード・バップ演奏集団であったアート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズにおける演奏によって有名になった。その演奏は"Mosaic、Buhaina's Delight、Free For All"等のアルバムに収録されている。★1960年代始め、フレディはブルーノート・レコードに広範な録音を残している。ブルーノート初登場にしてバンドリーダーを務めた"Open Sesame"を皮切りに、8枚のリーダーズアルバムを残し、28枚のアルバムにサイドマンとしてその名を刻んでいる。それらの録音のほとんどは、同時代のブルーノートの多くの音源がそうであるように、今日では古典とみなされている★オーネット・コールマンの"Free Jazz"、エリック・ドルフィーの"Out to Lunch"、ジョン・コルトレーンの"Ascension"など、いくつかの初期のフリー・ジャズの古典の中にもフレディを見出すことができる。しかし彼は、それらのフリージャズの影響を受けながらも、完全にとらわれてしまうということは無かった★1970年代に入り、彼はハービー・ハンコック率いるVSOPのメンバーとなった。このバンドは、40年代のバップ、50年代のモード・ジャズ、60年代のフリー・ジャズを統合したフリー・バップとして知られるスタイルを開拓した。フレディの多くの優れた録音が、VSOPのメンバーとのコラボレーションから生まれた★商業的なスムーズジャズのアルバムが批判を呼んだとはいえ、1970年ごろの彼は、その炎のような、そしてメロディックなインプロビゼーションと驚異的なテクニックによって、リーディングトランペッターとしての全盛期を迎えた★1992年、フレディは長期にわたる健康状態の悪化と深刻な唇の故障から立ち直り、恒常的な演奏活動と録音活動に復帰した★おそらく、彼の最もよく知られた作品は、1971年にパラディウムでライブ録音されたヒットシングル"Red Clay"を含む、CTIレコードの"California Concert"というアルバムでしょうか2008年12月29日、心臓発作により逝去・・・・フレディ70歳でした★・・フレディのプレイが聴けます→http://gtjam.blog103.fc2.com/
2010年02月22日
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★クリフォード・ブラウン 1930年10月30日 アメリカ合衆国 デラウェア州 出身 1956年6月26日(満25歳没) ジャズ、ハード・バップ トランペット奏者 ★クリフォードは父が持っていたトランペットに興味を示し、12歳の頃から吹き始める★ハード・バップ期初期の卓越したプレイヤーであり、ドラマーのマックス・ローチとのバンド活動は高く評価され、「ブラウニー」の愛称で親しまれている。その艶やかな音色からファッツ・ナバロの再来とも呼ばれた★学生バンドなどで演奏活動をしていた頃、ディジー・ガレスピーに出会い、本格的にジャズ・ミュージシャンを目指すようになる。フィラデルフィアを拠点に活動していた頃、チャーリー・パーカーと共演★チャーリー・パーカーはクリフォードの演奏に感銘を受け、アート・ブレイキーにクリフォードを推薦★1953年、J・J・ジョンソンと共演。同年、アート・ブレイキーのサポートを得て、初のリーダー・セッションを行う★1954年2月21日、ニューヨークのジャズ・クラブ「バードランド」で、アート・ブレイキーを中心に行われた歴史的セッションに参加。この模様は『バードランドの夜』というタイトルでレコード化された。同年、マックス・ローチと共にクリフォード・ブラウン=マックス・ローチ・クインテット結成。多くの名演を生んだ。1955年11月には、ソニー・ロリンズがメンバーとして加わる★1956年6月26日、リッチー・パウエル(P)(バド・パウエルの弟)の妻、ナンシーの運転する車にリッチーと共に便乗してフィラデルフィアからシカゴに向かう途中、ペンシルベニア・ターンパイクで交通事故にあう・・・事故当夜は雨が降っており、ナンシー、クリフォード、リッチー、3人全員がこの事故で亡くなった・・・クリフォード25歳でした・・★サックス奏者のベニー・ゴルソンは、クリフォードの死に激しいショックを受け、1957年、クリフォードを追悼してバラード「アイ・リメンバー・クリフォード」(I Remember Clifford) を作曲した。この曲はジョン・ヘンドリックスによって歌詞を与えられ、ジャズ・スタンダードとなった。トランペット奏者のリー・モーガンによる名演で知られる・・・その”I Remember Clifford"の名演がこちらで見られます→http://gtjam.blog103.fc2.com/ ■上記左から2枚目画像はエマーシー・レーベルに録音された数多いジャズの作品の中でもクリフォード・ブラウンの一連の作品と共に永久に聴き続けられるジャズ史上に記憶される不朽の名盤としてジャズ・ファンばかりでなく多くの音楽ファンに聞きつづけられていて、ハスキー・ヴォィスの女王ヘレン・メリルの代表作でもある■右端ジャケット画像は”クリフォード・ブラウン・スタイルの探究 ”ジャズ・マスターのアイディアとコンセプトを学ぶ 画期的なスキル・アップ・メソッドEssential Jazz Lines / ”in the Style of Clifford Brown” Bb Instruments、Eb Instruments、CD
2010年02月19日
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★ ハンク・モブレー、(本名、Henry Mobley) 1930年7月7日ジョージア州 イーストマンに生まれる(1986,5月30日没)55歳)ジャンル ジャズ(ハード・バップ、ソウル・ジャズ) 作曲家・演奏家 テナー・サックス奏者 。ハード・バップやソウル・ジャズのジャンルで活躍した★有名なジャズ評論家レナード・フェザーによって「テナー・サクソフォンのミドル級チャンピオン」と呼ばれたことで知られる。この隠喩は、モブレーが平凡であるかのような印象を持たせかねないが・・・★実際にはジョン・コルトレーンほど鋭くもなければスタン・ゲッツほど円やかでもない音色を指している。付け加えると、モブレーの音楽様式は、とりわけソニー・ロリンズやコルトレーンと比較すると明らかなように、落ち着きがあって精妙かつ歌謡的であり、ジュニア・クックやジョージ・コールマン、ジョー・ヘンダーソンらに影響を与えたものの、その才能が識者に完全に評価されるには、モブレーの歿後を俟たねばならなかった★1960年代は主にバンドリーダーを務め、1955年から1970年にかけてブルー・ノート・レーベルに20枚以上のアルバムを録音した。1960年の『ソウル・ステーション』と『ロール・コール』は、代表作のアルバムである。最も重要なハード・バップの演奏家、例えばグラント・グリーンやフレディ・ハバード、ソニー・クラーク、ウィントン・ケリー、フィリー・ジョー・ジョーンズらと共演し、トランペッターのリー・モーガンとは、とりわけ実り豊かな協力関係を築いた。モブレーは、興味深いコード進行や、独奏者の見せ場を繰り広げたことにより、ハード・バップの時代の最も偉大な、独創的な作曲家の一人として広く認められている★1961年のアルバム『アナザー・ワークアウト』は、どうしたものか1985年まで発売されなかったが、たちまち古典的名作として認められた★モブレーは、1961年に一時期ジョン・コルトレーンの代役探しをしていた時期のマイルス・デイヴィスとも共演している。モブレーは、デイヴィスのアルバム『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』に出演しており(但しいくつかの楽曲では、収録のためにコルトレーンが復帰している)、いくつかのライブ録音にも参加した。モブレーは、コルトレーンほどの即興演奏の熱気がないと見る向きもあるものの、それでも歌うような演奏で名高いテナー・サクソフォンの巨星であった★1970年代半ばに肺の障害のため引退を余儀なくされる。1986年にデューク・ジョーダンと共演した後、肺炎により歿した★ハンク・モブレーとよく似ているのが同じ”ブルーノート・レーベル”ギターのグラント・グリーンで「腕」は超一流ではないが、親しみやすく、人気があってリーダー・アルバムを数多く残している点である★自分なら、これぐらいのプレイは出来るんじゃないかな?と思えるような、プレイ・スタイル、分かりやすく、とっつきやすい所が万人に愛されるのではないでしょうか?・・・★アルバム”Dippin’”の中の”リカルド・ボサ”は昔のジャズ喫茶で大人気曲でしたね・・(私も大好きな曲でよく演奏しています・・)
2010年02月17日
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★ ベニー・ゴルソン (1929年、1月25日生まれ、) アメリカ、ペンシルベニア州、フィラディルフィア出身の ビバップ、 ハードバップ ジャズの テナーサックス奏者 、 作曲家 、アレンジャー ★先日ご紹介しましたファンキー全盛期の頃のA・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのミュージカルディレクターでもあった(・・私の大好きな作曲家です★彼はフィラデルフィアの高校在籍中から音楽活動を開始し、ジョンコルトレーン、レッドガーランド、ジミーヒース、パーシーヒース、フィリージョージョーンズ、レッドロドニーなど、後に大成する多くのジャズミュージシャンと交友を深めた★1953年以降、ゴルソンはピアニストのダメロンのバンド、ライオネルハンプトンのビッグバンドや、ジョニーホッジスのバンド。リズム&ブルースのサックス奏者アールボスティックのバンドにも参加した時期がある。一時は、ディジーガレスピーのビッグバンドにも加わった。★ハンプトンやガレスピーのバンドでは作編曲者としても活動し、ビッグバンド向けのモダンな編曲スタイルを身に付けている★1958年、アートブレイキー&ジャズメッセンジャーズに参加、ここでもサックス演奏以上に作曲家編曲家としての技量を示し、短い在籍期間に、ジャズメッセンジャーズ全体のスタイルに大きな影響を与えたこの頃(1955年- 1956年)に彼の作曲で有名な曲は"Stable Mates", "Killer Joe", "Whisper Not", "Along Came Betty" "Are You Real?",Blues March"などお馴染みの曲が多い★(・・私はウィスパー・ノット、アロング・ケイム・ベティ、アー・ユー・リアルが特に好きですね)★またハンプトンのバンドでは、ハードバップ期初期の天才的トランペッターであるクリフォードブラウンとも交友を深めたが、その後ブラウンは1956年にわずか26歳で自動車事故死した。卓越した演奏家で高潔な人格者でもあったブラウンの死に、ゴルソンは深いショックを受けたそこで彼はブラウンの追悼曲作曲を決意し、数週間に渡って苦心を重ねた末、"アイ・リメンバー・クリフォード"を完成させた★この美しい旋律を持ったバラードは、1957年にリーモーガンのブルーノートのアルバム『リーモーガンVol.3』で世に出て以来広く演奏されゴルソンの最も有名な作品になった。"ジャンゴ"(1954年)と並んで、ジャズミュージシャンを追悼した曲の中でも極めつきの名曲と言われており、多くのミュージシャンに演奏されるスタンダードとなっている★1959年から、知的な奏風を持つトランペッター、アートファーマーとの双頭バンド"Jazztet"を組む★1962年ジャズテット解散後は主にスタジオミュージシャン及びオーケストレーションの分野で働いた。1960年代から1970年代にかけては『鬼警部アイアンサイド』などのテレビ番組用音楽の仕事で活躍1970年代中期に、ゴルソンはジャズ界にして活動を再開、1983年には"ジャズテット"の再結成も行っている復帰。以後は定期的にを発表し、2005年アルバム時点でも音楽活動を続けている、1995年には"ナショナルエンデューメントフォーザアーツ"のジャズマスターアウォードを受賞した★ゴルソンは2004年のスティーヴンスピルバーグ監督の映画『ターミナル』に、重要な役柄でカメオ出演している
2010年02月15日
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★今日、2月13日(土)カナダでバンクーバー冬季オリンピックが開催されました、TVでその模様を見ましたが、その開会式で国歌をたった一人で歌っていた綺麗な女性が、なんと!今日ご紹介します16歳のニッキ・ヤノフスキーなんです★ニッキ・ヤノフスキー(Nikki Yanofsky、本名 Nicole Yanofsky 1994年2月8日 - )は、カナダ・モントリオール出身のジャズボーカリスト★2006年6月のモントリオール国際ジャズフェスティバルでデビュー、2009年8月現在までに2枚のオムニバスアルバムへの参加と1枚のアルバムを発売している★2009年7月~8月にかけて、札幌市・東京都・帯広市・名古屋市(開催順)で初の来日公演を行った★2009年10月、東京都でThe 5th GINZA International Jazz Festival 2009 at KABUKI-ZA に出演★音楽活動以外にも、モントリオール児童病院およびoneXoneの児童福祉親善大使を勤める等、チャリティ活動も積極的に行っている★バンクーバーオリンピックでの開会式で国歌を披露★彼女のデビュー・アルバム "エラに捧げるスウィング”です曲目タイトル1.バードランドの子守唄2.スウィングしなけりゃ意味がない3.スウィンギン・オン・ザ・ムーン4.ユーヴ・チェンジド5.フライン・ホーム6.リラックス・マックス7.オールド・マクドナルド8.ヒア・ミー・トーキン・トゥ・ヤ9.エイント・ガット・ナッシン・バット・ザ・ブルース10.アット・ラスト11.今宵の君は12.ア・ティスケット、ア・タスケット13.虹の彼方に~ ほか
2010年02月13日
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★ダイアナ・クラール(本名:ダイアナ・ジェーン・クラール(Diana Jean Krall), 1964年11月16日 - )はカナダ生まれ,女性ジャズ・ピアニスト、歌手。1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人★ダイアナ・クラールはカナダのナナイモ(ブリティッシュコロンビア州)に住む音楽一家に生まれ、四歳でピアノを習い始める。幼い頃に家族と一緒にバンクーバーに転居、高校の小さなジャズバンドで活動を始めた。15歳の時、ナナイモのレストランでピアノ演奏を始める17歳になってからはバンクーバー・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルの奨学金を得て、ボストンにあるバークリー音楽大学に入学、卒業した。 バークリー音楽学院では、当時同級生に小曽根真がいた★ナナイモでクラールの演奏を聞いた著名なベース演奏者、レイ・ブラウンと出会いロサンゼルスに誘われ、ロサンゼルスへ行く、ピアニストのジミー・ロウレスと出会い、歌い始める。ロサンゼルスでは、さまざまなミュージシャンからの影響を受けるとともに、プロデューサーとの出会いも経験,1990年ニューヨークへ転居★2003年12月にミュージシャン、エルヴィス・コステロと結婚 ★1993年初めてのアルバム「ステッピング・アウト」を発表。このアルバムはプロデューサーであるトミー・リピューマに注目され、1995年には、彼のプロデュースでセカンドアルバム「オンリー・トラスト・ユア・ハート)」を発表★サードアルバム「オール・フォー・ユー~ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ」(1996年)はグラミー賞にノミネート、その後、クラール、ラッセル・マローン(ギター)、クリスチャン・マクブライド(ベース)のトリオで「ラブ・シーンズ」(1997年)もヒットした。★2000年8月にクラールはトニー・ベネットと共に計20都市のジョイントツアーをする★「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ」(1999年)グラミー賞にノミネートされ、クラールはその年の最優秀ジャズミュージシャンとして表彰された★「ザ・ルック・オブ・ラブ」(2001年)はプラチナ・ディスクとなりビルボードでも上位10位に。カナダのアルバム・チャートでは1位となり、クワドループル(4倍)プラチナ・ディスクとなった★2001年9月にクラールはワールドツアーを開始、フランス・パリのパリ・オリンピア劇場でのライブは彼女の初めてのライブアルバムとしてリリース。このライブはビルボード・ジャズ部門でトップ20に、カナダではトップ5の座を飾った。これにより彼女は二つ目のグラミー賞(最優秀ジャズボーカル)とジュノー賞を受賞した★エルヴィス・コステロと結婚後、作詞家として夫と活動、アルバム「ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム」を発表★トム・ウェイツの1987年のアルバム「フランクス・ワイルド・イヤーズ」からのカバー「テンプテーション」は世界ジャズチャートで1位となった★2007年5月末より、クラールはレクサスの宣伝キャンペーンに起用され、「Dream a Little Dream of Me」を大御所ピアニストのハンク・ジョーンズのピアノで歌うこととなった★ダイアナとジョージ・ベンソンの共演が見れます→http://gtjam.blog103.fc2.com/
2010年02月13日
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★マンハッタン・ジャズ・クインテット(Manhattan Jazz Quintet)とは、アメリカ合衆国のジャズ・バンド。デヴィッド・マシューズ(ピアノ)を中心に結成され、1984年にデビュー。元々は『スイングジャーナル』誌とキングレコードの発案によるプロジェクトで、その後も日本向けの活動を中心としている。現在のメンバーはデヴィッド・マシューズ(p)ルー・ソロフ(tp)アンディ・スニッツァー(ts)チャーネット・モフェット(b)ビクター・ルイス(ds) ★旧メンバーはジョージ・ヤング(ts)スティーヴ・ガッド(ds)エディ・ゴメス(b)★1984年、デビュー作『マンハッタン・ジャズ・クインテット』発表。日本で大ヒットし、現在までに累計20万枚を売り上げた。当時のメンバーはデヴィッド・マシューズ(ピアノ)、ルー・ソロフ(トランペット)、ジョージ・ヤング(テナー・サックス)、チャーネット・モフェット(ベース)、スティーヴ・ガッド(ドラム)★3作目『マイ・ファニー・バレンタイン』(1986年)より、ベーシストがエディ・ゴメス(元ビル・エヴァンス・トリオ)に交替。この頃、日本映画『ベッドタイムアイズ』の音楽を担当した。★1988年にはエディとスティーヴが脱退し、チック・コリアのリズム隊を務めていたジョン・パティトゥッチ(ベース)とデイヴ・ウェックル(ドラム)が加入。しかし、翌年にはジョンとデイヴがチック・コリアとの活動で多忙になったため脱退し、初代ベーシストのチャーネット・モフェットが復帰。ドラマーの方はスティーヴ・ガッドの復帰、ピーター・アースキンの一時的な参加を経てビクター・ルイスが加入。1980年代末期にはキングレコードを離れる★1998年には、日野皓正との共演盤『ラウンド・ミッドナイト』を発表★2003年、テナー・サックス奏者がジョージ・ヤングからアンディ・スニッツァーに交替★日本向けに結成されただけに、何度も来日しており、『ライブ・アット・ピット・イン』『マイ・フェイバリット・シングス』は東京公演を、『テイク・ファイヴ』は大阪公演を収録したライブ・アルバム。★なおバンドの略称はモダン・ジャズ・カルテットと同じMJQで、マンハッタン・ジャズ・クインテットの人気が高い日本では混乱を招いたこともある(他国ではMJQといえばモダン・ジャズ・カルテットを指すことがほとんどである★古き良き4ビート・ジャズに新たな解釈を持ち込んだ音楽を指向。レパートリーの大半は日本人好みのジャズ・スタンダードのカバーだが、デヴィッドを中心とした独自の編曲と、各プレイヤーの高度なテクニックで話題となった。『カム・トゥゲザー』(2005年)では、ビートルズやクイーンといったロック・バンドの曲も取り上げている★良く知られている曲のカバーは、オリジナル作品と比較されやすいので、相当のアレンジの力量と個々の演奏技術が問われるが、そんな事の心配は全然必要ない、このメンバーたちである
2010年02月11日
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★リー・モーガン (Edward Lee Morgan, 1938年7月10日 - 1972年2月19日)は、ジャズのトランペット奏者。 ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。★子供の頃から神童と呼ばれたハード・バップの代表的トランペッター。 1956年にディジー・ガレスピーのバンドに参加し、その年には早くもブルーノートから『Lee Morgan indeed!』でデビューし、その艶やかな音色からクリフォード・ブラウンの再来とも呼ばれた。 特に1957年3月24日にレコーディングされたアルバム(上記画像右の)『Lee Morgan Vol.3』の中の「アイ・リメンバー・クリフォード」の演奏で高い評価を得た★1960年頃はアート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズにも所属し、トランペット奏者として、また一部の曲の作曲を手がけた★そして、何と言っても有名なのは1963年12月21日にレコーディングされてBlue Noteレーベルからリリースされた 「The Sidewinder」で、ビルボード・チャートの25位までランキングした。これは、当時のジャズ界からすれば空前のヒット作と言える。 「The Sidewinder」は8ビートをジャズにいち早く取り入れた楽曲の1つで、ジャズ・ロックなどと称されることもあり、現在でもカヴァーされる人気のある曲である★1972年2月18日、リー・モーガンはニューヨークにあったジャズクラブ「スラッグス」でライブ演奏をしていたが、その2ステージ目と3ステージ目の合間の休憩時間に、愛人のヘレン (Helen More) に拳銃で撃たれ、ただちにベルビュー病院に移送されたが、ほぼ即死状態だった。 死亡が確認されたのは2月19日午前2時45分だった・・33歳でした★たくさんの有名トランペッターがJ,メッセンジャーズにいました、C,ブラウン、ケニー・ドーハム、フレディ・ハバード、ウイントン・マルサリス、など・・私は、リー・モーガンが在籍していた頃のアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが一番、なんとなくジャズ・メッセンジャーズらしいんじゃないかな?と、思いますが・・・★・・リー・モーガンの名演(アイ・リメンバー・クリフォード)が見れます→http://gtjam.blog103.fc2.com/
2010年02月09日
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★チャカ・カーン(Chaka Khan、本名:Yvette Marie Stevens、1953年3月23日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州出身の女性(R&B,Jazz)歌手。★驚異的な歌唱力で1970-80年代にR&Bの女王と呼ばれ、完璧なピッチ、ブルース/ジャズ/ポップス/フュージョン/ファンクまでどんなジャンルも歌いこなすテクニックと表現力、彼女が後のフォロワーに与えた影響ははかり知れない★非常にアクティヴな性格で、レコーディングの際、アレンジが気に入らないと、殴りあうこともあったらしい。ホイットニー・ヒューストン、メアリー・J・ブライジなど、多くの女性歌手に多大な影響を与えた。女性歌手ではアレサ・フランクリンと共にR&Bを代表する存在と言われる。★芸名のChakaはアフリカの言語で「炎」「赤い」という意味。本来は「シャカ」と発音するのが正しいようだが日本では「チャカ」で通っている。Khanは最初の夫の姓。実弟にシンガー・ベーシストのMark Stevens、実妹に、シンガーのTaka Boomがいる。娘のIndira Khanもシンガー★ファンクバンドルーファス(Rufus)のボーカルとしてデビュー。翌年スティーヴィー・ワンダーが提供した"Tell Me Something Good"が大ヒットし、以降もヒットを連発した★1984年にプリンスのカバー"I Feel for You"(邦題「フィール・フォー・ユー」)が大ヒット(全米3位)。ラッパーを起用したヒップホップの先駆けとなる先進的なサウンドで、同年のデイヴィッド・フォスター作のバラード"Through the Fire"と共に1980年代の名曲に挙げられることが多い★1980年代後半以降は商業的に不遇だが、1989年発表のクインシー・ジョーンズプロデュースでレイ・チャールズとのデュエット曲"I'll Be Good to You"がR&Bチャート1位のヒットになった★1992年のアルバムThe Woman I Amはグラミー賞・最優秀女性ソロR&Bアルバム賞を獲得した。この頃はドイツに在住していたことがあり、一部の楽曲では現地のプロデューサーを起用している。日本では"Facts of Love"が木村拓哉出演の自動車のCMソングに使用された★R&Bのみならず様々なジャンルをこなす音楽性の幅広さで知られ、近年はジャズ歌手としても高く評価されている。1980年代末にはマイルス・デイヴィスと度々共演した。★2002年、映画「永遠のモータウン」に提供したマーヴィン・ゲイのカバーWhat's Goin' onがグラミー賞を受賞2004年にはイギリスのサンクチュアリ・レコードよりジャズ・スタンダード集Classikhanをリリース。★2006年、ソニーBMG傘下の新レーベルBurgundy Recordsと契約した。2007年9月(日本盤は10月)に同レーベルから新アルバムFunk Thisを発売。ビルボード総合アルバムチャート初登場15位(R&Bチャート5位)と自身最高の初登場順位を記録し、約10年ぶりにシーンの第一線に返り咲いた。メアリー・J・ブライジをフィーチャーした"Disrespectful"がクラブプレイチャートで1位を獲得した★第50回グラミー賞ではFunk Thisが最優秀R&Bアルバム、"Disrespectful"が最優秀R&Bグループに輝き通算10回目の受賞となった★現在でも若い頃と変わらない声量やハイトーンボイスを保ち、リリースは少ないが、多数のアーティストの作品に客演したり、精力的なライブ活動を続けている。★バックのホーン・セクションがランディ、マイケルのブレッカー兄弟が最高です★・・3曲目の”Melody Still Lingers On (Night In Tunisia)”でのマイケルの凄いソロが超ゴキゲンです・・そのソロがこちらで見られます→http://gtjam.blog103.fc2.com/
2010年02月07日
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★アート・ブレイキー、アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ピッツバーグ出身のドラマー、10代後半からバンドで活動しニューヨークへ進出。一説には当初はピアニストであったが、ある時からピアノを断念しドラマーに転向した。ピアニストからの転向を伝えるエピソードの中に次のようなものがある。ある夜、アート・ブレイキーが演奏するクラブに、クラブのボス(マフィアとの説も)がピアニストを連れてきて弾かせたところ、アートよりも優れた演奏をしたため、ボスはアートに「おまえはタイコでも叩いてな!」と拳銃をちらつかせながら脅したというものだったドラムの腕も当初はたいしたことはなく、バンド仲間からはバカにされていたが、盟友であるトランペッターのディジー・ガレスピーがアドバイスをし、みるみるその腕を上げたという話もある★1944年からビリー・エクスタインの楽団へ入り、1940年代後半からマイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーらと共演後、1954年から1955年にかけてホレス・シルヴァーと初代のジャズ・メッセンジャーズを結成。クリフォード・ブラウンやルー・ドナルドソンらを擁してジャズ・クラブのバードランドに出演して人気を博した★1956年にシルヴァーが脱退した後も、ブレイキーは晩年までメッセンジャーズのリーダーとして活躍し、日本でもファンキー・ブームを起こした一人である。この頃の代表曲は、モーニン、ブルース・マーチである。ジャズ・メッセンジャーズは基本的に2管または3管のフロント+3リズムのコンボ形式のバンドである★ドラマーとしての一番の特徴はメリハリのあるバッキング(ブラシでの寄り添うようなプレイから激しく煽る「ナイアガラロール」までの振幅)にあり、ことにシンバルレガートの滑らかで美しい音色は特筆される。また、アフロ・キューバンリズムをドラムセットで表現したパイオニアとしても知られている★アートのバンドは多くの新人を発掘するとともに多くの著名なミュージシャンが巣立った。50年代後半からはリー・モーガン、ボビー・ティモンズ、ウェイン・ショーター等がいる★60年代にはフレディ・ハバード、キース・ジャレット、チャック・マンジョーネ、シダー・ウォルトン、レジー・ワークマン等がメッセンジャーズ在籍をきっかけにスターになった。80年代に流行した新伝承派と呼ばれる若手プレイヤーを中心とした、モダン・ジャズムーヴメントで活躍したプレイヤーの多くがメッセンジャーズの出身である。第一線で活躍しているウィントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、テレンス・ブランチャード、マルグリュー・ミラー、ジェイムス・ウィリアムス、ロニー・プラキシコ、ケニー・ギャレットなどがメッセンジャーズの出身である★T.p Sax,トロンボーン、ピアノ、べース、ピアノ等が入っているアート・ブレイキー&ジャズメッセンジャーズは管楽器が入る小編成のジャズバンドを組むときに非常に参考になるバンドと言えるでしょう★・・私も大好きなバンドでよく聴いていました
2010年02月05日
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★ケニー・バレル(Kenny Burrell, 1931年 - )はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市出身のジャズギタリスト、★大学で音楽を学んだ後1951年にディジー・ガレスピー楽団に入りその後初レコーディング、デビューした。1955年にニューヨークで活動を始め、この頃ブルーノートのプロデューサーであるアルフレッド・ライオンの目にとまり、1956年3月にリーダー作をレコーディングした。以後、ブルーノートやヴァーヴ・レコードをはじめとする他のレーベルでも、ブルースに根ざしたプレイで活躍し、歌も上手く、「Weaver Of Dreams」などのアルバムで自分で歌っている★”ケニー・バレル&ジョン・コルトレーン” ケニーがマイルス・グループを支えた各メンバーと共演した1958年録音のアルバム。彼のブルージィで繊細なギターとジョン・コルトレーンのハードかつ美しいテナーの激しいバトルが魅力の一枚(左端CDジャケット画像)★名ギター・プレイヤー、バレルのシンプルかつスリリングなギター・トリオ作品集。スタンダードを中心にブルージィな歌心あふれるバレルの個性が十分に堪能できる1枚(左から2枚目画像)★ブルースを基本としたスタイルで日本でもファンの多いケニー・バレルが、同じくブルースを最も得意とするスタンレイ・タレンタインを迎え、当時流行だったコンガを加えたクインテットで展開するラテン・アンド・ブルース・テイストのジャズ。玄人筋に評価の高いビル・イングリッシュ(ds)の参加もこの作品の価値を高めている。“Mule”でバレット、“Midnight Blue”でタレンタイン、“Ge baby Ain't I Good To You”で両方が抜ける。“SoulLament”ha,ソロ・ギターでの演奏。同時代に出現したウエス・モンゴメリーが、オクターブ奏法を前面に押し出したスピード感を持ち味としたのに対して、バレルは持ち味のブルース・フィーリングを推し進めた。その意味では本作はバレルにとって最もバレルらしい作品の一枚といえるだろう(右端CDジャケット画像)★数多い作品の中から上記のアルバム3枚、ケニー・バレルの代表的な作品といえるのではないでしょうか★・・私もロックからジャズギターに方向を変えた時期がありましたが、その時まだジャズがよく分かっていませんでしたが、分からないまま、よく聴いていましたね~この3枚のCDは
2010年02月03日
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