F&B 腐向け転生パラレル二次創作小説:Rewrite The Stars 6
薄桜鬼 昼ドラオメガバースパラレル二次創作小説:羅刹の檻 10
黒執事 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧の騎士 2
天上の愛 地上の恋 転生現代パラレル二次創作小説:祝福の華 10
黒執事 転生パラレル二次創作小説:あなたに出会わなければ 5
YOI火宵の月パロ二次創作小説:蒼き月は真紅の太陽の愛を乞う 2
薄桜鬼 現代ハーレクインパラレル二次創作小説:甘い恋の魔法 7
火宵の月 転生オメガバースパラレル 二次創作小説:その花の名は 10
薄桜鬼異民族ファンタジー風パラレル二次創作小説:贄の花嫁 12
薄桜鬼ハリポタパラレル二次創作小説:その愛は、魔法にも似て 5
天上の愛地上の恋 大河転生パラレル二次創作小説:愛別離苦 0
火宵の月 BLOOD+パラレル二次創作小説:炎の月の子守唄 1
PEACEMAKER鐵 韓流時代劇風パラレル二次創作小説:蒼い華 14
黒執事 異民族ファンタジーパラレル二次創作小説:海の花嫁 1
火宵の月 韓流時代劇ファンタジーパラレル 二次創作小説:華夜 18
火宵の月×呪術廻戦 クロスオーバーパラレル二次創作小説:踊 1
薔薇王韓流時代劇パラレル 二次創作小説:白い華、紅い月 10
薄桜鬼 ハーレクイン風昼ドラパラレル 二次小説:紫の瞳の人魚姫 20
天上の愛地上の恋 転生昼ドラパラレル二次創作小説:アイタイノエンド 6
鬼滅の刃×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:麗しき華 1
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:鳳凰の系譜 1
薄桜鬼腐向け西洋風ファンタジーパラレル二次創作小説:瓦礫の聖母 13
コナン×薄桜鬼クロスオーバー二次創作小説:土方さんと安室さん 6
薄桜鬼×火宵の月 平安パラレルクロスオーバー二次創作小説:火喰鳥 7
天上の愛地上の恋 転生オメガバースパラレル二次創作小説:囚われの愛 8
天上の愛地上の恋 昼ドラ風時代パラレル二次創作小説:綾なして咲く華 2
ツイステ×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:闇の鏡と陰陽師 4
天愛×腐滅の刃クロスオーバーパラレル二次創作小説:夢幻の果て~soranji~ 0
ハリポタ×天上の愛地上の恋 クロスオーバー二次創作小説:光と闇の邂逅 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:月の国、炎の国 1
天愛×火宵の月 異民族クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼と翠の邂逅 0
陰陽師×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:君は僕に似ている 3
黒執事×ツイステ 現代パラレルクロスオーバー二次創作小説:戀セヨ人魚 2
黒執事×薔薇王中世パラレルクロスオーバー二次創作小説:薔薇と駒鳥 27
薄桜鬼×刀剣乱舞 腐向けクロスオーバー二次創作小説:輪廻の砂時計 9
火宵の月×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想いを繋ぐ紅玉 54
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生パラレル二次創作小説:最愛~僕を見つけて~ 1
バチ官腐向け時代物パラレル二次創作小説:運命の花嫁~Famme Fatale~ 6
FLESH&BLOOD×黒執事 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧の器 1
腐滅の刃 平安風ファンタジーパラレル二次創作小説:鬼の花嫁~紅ノ絲~ 1
天愛×薄桜鬼×火宵の月 吸血鬼クロスオーバ―パラレル二次創作小説:金と黒 4
黒執事×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:悪魔と陰陽師 1
火宵の月 戦国風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:泥中に咲く 1
火宵の月 地獄先生ぬ~べ~パラレル二次創作小説:誰かの心臓になれたなら 2
PEACEMAKER鐵 ファンタジーパラレル二次創作小説:勿忘草が咲く丘で 9
FLESH&BLOOD ハーレクイン風パラレル二次創作小説:翠の瞳に恋して 20
火宵の月 異世界ファンタジーロマンスパラレル二次創作小説:月下の恋人達 1
天上の愛地上の恋 現代転生パラレル二次創作小説:愛唄〜君に伝えたいこと〜 1
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ風パラレル二次創作小説:黒髪の天使~約束~ 3
火宵の月 異世界軍事風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:奈落の花 2
天上の愛 地上の恋 転生昼ドラ寄宿学校パラレル二次創作小説:天使の箱庭 5
天上の愛地上の恋 昼ドラ転生遊郭パラレル二次創作小説:蜜愛~ふたつの唇~ 0
天上の愛地上の恋 帝国昼ドラ転生パラレル二次創作小説:蒼穹の王 翠の天使 1
名探偵コナン腐向け火宵の月パラレル二次創作小説:蒼き焔~運命の恋~ 1
FLESH&BLOOD ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の花嫁と金髪の悪魔 6
火宵の月 和風ファンタジーパラレル二次創作小説:紅の花嫁~妖狐異譚~ 3
天上の愛地上の恋 昼ドラ風パラレル二次創作小説:愛の炎~愛し君へ・・~ 1
黒執事 昼ドラ風転生ファンタジーパラレル二次創作小説:君の神様になりたい 4
天愛×火宵の月クロスオーバーパラレル二次創作小説:翼がなくてもーvestigeー 2
魔道祖師×薄桜鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:想うは、あなたひとり 2
火宵の月 昼ドラハーレクイン風ファンタジーパラレル二次創作小説:夢の華 0
薄桜鬼腐向け転生刑事パラレル二次創作小説 :警視庁の姫!!~螺旋の輪廻~ 15
FLESH&BLOOD ハーレクイロマンスパラレル二次創作小説:愛の炎に抱かれて 10
PEACEMAKER鐵 オメガバースパラレル二次創作小説:愛しい人へ、ありがとう 8
天上の愛地上の恋 現代昼ドラ転生パラレル二次創作小説:何度生まれ変わっても… 0
薄桜鬼腐向け転生愛憎劇パラレル二次創作小説:鬼哭琴抄(きこくきんしょう) 10
薄桜鬼×天上の愛地上の恋 転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:玉響の夢 5
黒執事×天上の愛地上の恋 吸血鬼クロスオーバーパラレル二次創作小説:蒼に沈む 0
天上の愛地上の恋 現代転生ハーレクイン風パラレル二次創作小説:最高の片想い 4
バチ官×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:二人の天使 3
FLESH&BLOOD 現代転生パラレル二次創作小説:◇マリーゴールドに恋して◇ 2
YOI×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:皇帝の愛しき真珠 6
火宵の月×刀剣乱舞転生クロスオーバーパラレル二次創作小説:たゆたえども沈まず 2
薔薇王の葬列×天上の愛地上の恋クロスオーバーパラレル二次創作小説:黒衣の聖母 3
火宵の月×薄桜鬼 和風ファンタジークロスオーバーパラレル二次創作小説:百合と鳳凰 2
薄桜鬼×天官賜福×火宵の月 旅館昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:炎の宿 2
薄桜鬼×火宵の月 遊郭転生昼ドラクロスオーバーパラレル二次創作小説:不死鳥の花嫁 1
薄桜鬼×天上の愛地上の恋腐向け昼ドラクロスオーバー二次創作小説:元皇子の仕立屋 2
火宵の月 異世界ファンタジーパラレル二次創作小説:碧き竜と炎の姫君~愛の果て~ 1
F&B×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:海賊と陰陽師~嵐の果て~ 1
F&B×天愛 昼ドラハーレクインクロスオーバ―パラレル二次創作小説:金糸雀と獅子 1
F&B×天愛吸血鬼ハーレクインクロスオーバーパラレル二次創作小説:白銀の夜明け 2
天愛 異世界ハーレクイン転生ファンタジーパラレル二次創作小説:炎の巫女 氷の皇子 1
相棒×名探偵コナン×火宵の月 クロスオーバーパラレル二次創作小説:名探偵と陰陽師 1
天愛×火宵の月陰陽師クロスオーバパラレル二次創作小説:雪月花~また、あの場所で~ 0
名探偵コナン×天上の愛地上の恋 クロスオーバーパラレル二次創作小説:碧に融ける 0
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―ユリウス・・ 遠くから、自分を呼ぶ声がした。 ユリウスが目を開けると、そこにはホーフブルク宮の色とりどりの美しい薔薇の中に、彼は居た。(ここは・・)「ユリウス。」「ルドルフ様、あなたは死んだ筈では?」彼は魔に染められた自分に銀の剣で胸を貫かれ、死んだのではなかったのか。「ああ、確かにわたしはあそこで死んだ。」「それでは、ここは・・」ユリウスの言葉に、ルドルフは静かに頷いた。「あの後・・あの少女はどうしたんですか?」「シシィ=ローゼンフェルトの魂はガブリエルに委ねられた。彼女が操っていたあの蛇神は捕まえられなかったが。」ルドルフはそう言うと一歩ユリウスに近づき、そっと彼を抱き締めた。「ユリウス、お前には無理ばかりさせた。あの時、お前を無理に蘇生させたりしなければ、こんな結末を迎えることはなかったのに・・」「ご自分を余りお責めにならないでください、ルドルフ様。わたしはあなた様のお傍に居られて幸せでした。」ユリウスはそう言ってルドルフに微笑むと、彼は涙を流した。「行こうか、みんなが待ってる。」「はい・・」2人は庭園を後にした。「・・ここか。」松本神父が炎上した廃病院へと向かうと、そこにはヴァチカンの特殊部隊が来ていた。「ルドルフ皇太子は、天使によって銀の剣に貫かれ、死亡した。」「そうか。」「2人の遺体は未だに発見されていない。あれだけの炎だ、炭化されて消えたのだろう。」松本神父は、ルドルフ皇太子を自分で仕留める機会を永遠に失い、唇を噛み締めた。「そうか、シシィ=ローゼンフェルトの遺体が火災の起きた廃病院から発見されたか・・」 一方東京の警察庁公安部神秘課では、上島直輝が廃病院での報告を受けて溜息を吐いた。(これで、事件は終了か。長かったな・・)「先輩、お昼行きます?」「ああ。」事件についてまだもやもやとしたものを感じながら、直輝は姫沢と共にオフィスから出て行った。「あれ、この店潰れちゃったんですね。」「そうみたいだな。」渋谷の裏路地にあるカフェのシャッターの前には、「都合により閉店させていただきます」という店主からの張り紙が貼ってあった。「他の所に行こうか。」「ええ。近くに新しくオープンしたサンドイッチハウスがあるんですよ。」姫沢と直輝がカフェに背を向けて歩き始めた時、裏路地から一匹の黒猫が現れて2人の背中をじっと見ていた。 ホーフブルク宮にある薔薇園では、今年も色とりどりの薔薇が咲き誇っていた。その中で最も美しいのは、自然界に存在しないという蒼い薔薇だった。その蒼い薔薇の花壇で、1人の少年が黒猫と遊んでいた。「まぁルドルフ様、こちらにいらしたんですか?」「ちぇ、見つかっちゃった。」少年はブロンドの巻き毛を揺らしながら、そう言って蒼い薔薇の花壇を後にした。「ユリウス、まだ先生は来てないよな?」「ええ。急ぎましょう。」2人の少年達は手を繋ぎながら、宮殿へと急いだ。―完―photo by Abundant Shineにほんブログ村
2012年03月18日
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「どうした、ユリウス?」「急に胸が苦しくなって・・」ユリウスはそう言うと、荒い呼吸を繰り返して床に蹲った。「ルドルフ様、先に行ってください・・」「何を言っている!早くここから出ないと・・」ルドルフがユリウスを立たせようとした時、彼の瞳が翠ではなく紫に染まっていることに気づいた。「ユリウス?」「お願いします・・早くわたしを置いて逃げて!」ユリウスはそう叫ぶと、ルドルフから離れた。「おい、ユリウス!」ルドルフはユリウスの方へと駆け寄ろうとしたが、突然天井が崩落してしまい、ルドルフが瓦礫をどけようとしている内にユリウスは廊下の奥へと消えていった。(一体ユリウスに何が・・)ルドルフが廃病院を出た途端、上空から眩しい光が照らされ、上空に旋回していたヘリが着陸し、中から武装した男達が出てきた。「お前ら、一体何者だ!」ルドルフが男達を睨み付けると、プラチナブロンドの髪をなびかせた大天使・ガブリエルが彼の前に現れた。「君が、わたしの天使を魔の色に染めた。」ガブリエルは憎しみに満ちた視線をルドルフに送ると、腰に帯びていたサーベルを抜き、その刃をルドルフの首筋にあてた。「どういうことだ?」「ユリウスは君の所為で魔物に・・人の生き血を啜る化け物となってしまったんだ!君が、ユリウスの手を早く手放さないから!」「わたしの所為で、ユリウスが?」「そうだ、ユリウスは本来ならあの時、わたしの元に来る筈だったのに、それを君が邪魔をした!」ルドルフの脳裡に、遥か遠い昔の出来事が浮かんだ。“力”が暴走し、自分に襲われそうになったユリウスは短剣で自害した。そこで彼の人間としての命は終わる筈だった。だがルドルフが魔女・ハンナに唆されて無理矢理彼を蘇生してしまった。その所為で彼はルドルフと同じ吸血鬼として生きることになった。「どうすれば、ユリウスを救えるんだ?」「方法は唯一つ、君がユリウスに殺されることだ。もはや彼は、誰にも止められない。」ガブリエルがそう言った時、廃病院の内部で突如爆発が起きた。「ユリウス!」廃病院の中へと戻ったルドルフは、必死にユリウスの姿を探した。瓦礫を掻き分け、奥へと進むと、そこにユリウスの姿を見つけた。「ユリウス!」「ルドルフ様・・まだお逃げにならなかったんですね・・」ユリウスはそう言うと、ルドルフに微笑んだ。「お前を置いていけるわけがないだろう。」「そうですか・・」視線の端に何かが光ったかと思うと、銀の刃がルドルフの胸を貫いた。「ユリウス?」「申し訳ございません、ルドルフ様。わたしはここで、あなたと共に死にます。」そう言ったユリウスの翠の双眸には、涙が溢れていた。「そうか・・それが、お前の望みなのか?」ルドルフの問いに、ユリウスは静かに頷いた。 一方、あの手術室にはシシィ=ローゼンフェルトの姿があった。「愚かな人間達・・全て焼き尽くしてしまいましょう。」シシィはそう呟くと、呪を唱えて騰蛇を呼びだした。手術室は黒い炎に瞬時に包まれた。「あら、こんなところに鼠が紛れこんでいるわ。」ユリウスが振り向くと、そこにはルチアーナ号で見た少女が立っていた。「あなた、死んだ筈では?」「ええ、死にましたわ。でも、生まれ変わりましたの。」シシィはそう言うと、にぃっと口端を上げて笑った。「あなた達には、ここで死んでいただきます。」彼女は炎の雨をユリウスに向かって降らせた。ユリウスは、意識が朦朧としているルドルフの身体を抱き締めながら、静かに目を閉じた。にほんブログ村
2012年03月18日
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「こっちよ。」ルドルフが亮子とともに廃病院の奥へと進んでゆくと、呻き声が徐々に近づいて来た。「ユリウスは何処に居る?」「それは見れば解るわ。」亮子はヒールの音を鳴らしながら、手術室のドアを開けた。 そこには手術台に1人の男が横たわっており、彼は全身に電極のようなものを繋げられ、その刺激によって絶えず痙攣していた。「あれは何だ?」「ああ、あれはドクターの実験よ。でもあいつ、もうくたばったみたい。」亮子がそう言って男の方へと近寄ると、彼はじろりと亮子を睨んだ。「あんたの奥さんと子供は、向こうで処置を受けているわ。」「妻に・・手を出すな!」「あんたも身勝手な男よねぇ。奥さんにあたしとの不倫のことでこってりと絞られたっていうのに、あたしがすぐに甘い声を出すとほいほいとここに来て。こんな目に遭うのは自業自得なのよ。」亮子はそう言うと、手術台の横にあるスイッチを右へ捻った。男は激しく痙攣して息絶えた。「ユリウスの所へ案内しろ。」「わかったわよ。」亮子は面倒くさそうに髪を弄りながら手術室から出て行った。彼女が次に向かったのは、手術室から少し離れた病室だった。ドアの近くまで来ると、女性と子どもが泣き叫ぶ声が聞こえた。ルドルフがスライドドアを少し開けて中の様子を見ると、手術室に居た男と同じように、彼らも同じ拷問をされていた。「さっさと行くわよ。」彼らを救おうとしていたルドルフが病室の中へと入ろうとした時、亮子が彼の腕に爪を立てて彼を自分の方へと引き寄せた。「あんたは恋人を救いにここに来たんでしょう?早くしないとあんたの恋人は死ぬわよ。」 亮子に腕を引っ張られ、ルドルフは“ドクター”が待つ部屋へと入った。「ドクター、連れて来ましたよ。」「ほう。ご苦労さま、君の役目はこれで終わりです。」「ドクター、何言って・・」亮子がそう言って白衣の男を見た時、彼女の額に何かが突き刺さり、彼女はあおむけに倒れた。「君みたいなおしゃべりな女、わたしは大嫌いなんだよ。君は口が軽いだろうから、またブログにでもこの事を書くだろうからねぇ。」白衣の男は拳銃を下ろすと、ルドルフを見た。「君が、闇の皇子だね?」「貴様、何者だ!」「初めまして、わたしはドクター。君の恋人は今、特別な手術を受けようとしているところなんだ。」「特別な手術だと?」ルドルフが白衣の男を睨みつけていると、彼の背後にあるドアの向こうからユリウスの叫び声が聞こえた。「ユリウス!」「おっと、邪魔をしてもらっては困るよ。生きたまま心臓を取り出そうとしているのに。」白衣の男がドアを開けようとするルドルフを制した。「ユリウスに何をするつもりだ!?」「彼の心臓をある心臓病患者に移植する。彼はこの国を支えるお方だ。君の恋人の心臓は他の誰のものよりも強靭で衰えることがない。」「ふざけるな!」ルドルフは男を突き飛ばし、ドアを開けて部屋の中に入ると、ユリウスの心臓を今まさに医師達が取り出そうとしていた。「ユリウスに手を出すな!」ルドルフは怒りの唸り声を上げ、サーベルで医師達を薙ぎ払った。「ルドルフ様・・」「ユリウス、早くここから脱出するぞ!」ルドルフは手術台に縛りつけられたユリウスの拘束具をサーベルで器用に外し、手術室から出て行った。 あと少しで出口というところで、ユリウスが急に胸を押さえて蹲った。にほんブログ村
2012年03月18日
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「今日はどうしてこちらに?」「ちょっと相談があって・・」貴島亮子は、そう言ってソファに座った。彼女の相談内容は、自分に対する変な噂が広まって就職活動が上手くいかないことだった。「変な噂というのは?」「わたし、前の職場で上司と不倫してたんです。それをブログに書いていただけだったのに、周りからは変な目で見られるし、白い目で見られて・・」亮子はコーヒーを飲みながら、そうユリウスに愚痴をこぼして溜息を吐いた。「相談は、それだけですか?」「ええ。でも、どうしてこんな目にわたしだけが遭わないといけないんですか?誘ってきたのは向こうのほうなのに。」ユリウスは亮子の様子が何処かおかしいことに気づいた。(何だろう・・)「ねぇ、あなたなら解るでしょう?あなただって清純そうな顔をして、男を騙してきたんだもの。」「何を・・言っているんですか?」「あたし、知ってるのよ。あんたが何人か男を破滅させていることを。」亮子の目が、キラリと怪しい光を煌めかせた。(しまっ・・)彼女の腕を振りほどこうとしたが、亮子はユリウスの腕に爪を立てた。「ねぇ、あんたはあたしの事を汚い女だと思ってるの?」彼女の長い髪が、ゆらりと怪しく蠢くと同時に、部屋が重い空気に包まれた。「あんただって同じ位汚い癖に、あたしを非難する資格が何処にあるっていうの?」「離してください!」「あんた、男に身体売ってたんでしょう?」亮子が自分の衝撃的な過去を知っている事に、ユリウスは思わず目を丸くした。(どうして彼女が・・わたしの過去を・・)「どうして、あなたがそんな事を・・」「あの人に教えて貰ったわ。あんたの過去を全てね。」亮子と向かい合っていると、激しい眩暈が襲ってきた。一体彼女から発せられる邪悪な気はなんなのだろうか。その正体が掴めぬまま、ユリウスは気を失った。「ユリウス、帰ったぞ。」仕事が終わり、疲れた身体を引き摺りながらルドルフがマンションの部屋に入ると、そこにユリウスの姿は何処にもなかった。「ユリウス・・?」寝室で寝ているのだろうかとルドルフは寝室に向かったが、そこにもユリウスは居なかった。彼は嫌な予感がして、ユリウスの携帯に掛けたが、繋がらなかった。(ユリウス、一体何処に・・)ルドルフが突然失踪したユリウスの身を案じながらソファに座っていると、ユリウスからの着信が入って来た。「もしもし、ユリウスか?今何処に・・」『あんたがルドルフ皇太子ね?あんたの恋人、あたし達が預かってるわ。』「貴様、何者だ?」『恋人を助けたいんなら、あたし達の要求を呑むことね。今夜9時に、第七埠頭で待ってるわ。』「おい、待て・・」電話を掛けてきた女の正体を知る為に、ルドルフは約束の時間に第七埠頭へと向かった。「あら、丁度来たのね。」「お前、何者だ?」「あんたの恋人は別の場所で預かってるわ。」女とともに黒いバンに乗ると、それは港から離れて何処かへと向かっていた。「ここよ。」バンから降りると、そこには数年前に閉鎖された廃病院があった。「ここに、ユリウスが居るのか?」「ええ。」ルドルフが女とともに廃病院へと入ると、奥の方からくぐもった呻き声が聞こえた。(ここは・・一体・・)にほんブログ村
2012年03月17日
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「皆さん、並んでください~!」 ユリウスとルドルフが被災者たちにカレーを振る舞っていると、数人の男達が彼らの方へとやって来た。「兄ちゃん達、ここで何してんだ?」「炊き出しですが、それが何か?」ユリウスの言葉に、男達のリーダー格と思しき男が彼の前に立ちはだかった。「誰の許可を取ってこんなことしてんだ?」「ちゃんと市からの許可も取っておりますが、何か問題でも?」ユリウスと男達が睨み合っていると、ルドルフが戻ってきた。「どうした、ユリウス?」「ルドルフ様、この人達が急に絡んで来て・・」ルドルフがじろりと男達を睨むと、彼らは怯む様子もなく睨み返してきた。「こんな時に金儲けするなんて、商魂たくましいったらありゃしねぇな。」「お言葉ですが、炊き出しは無料でしております。何なら、市の職員の方に確認いたしましょうか?」「行くぞ!」男達は毅然としたルドルフの態度が気に食わなかったようで、炊き出し場から出て行った。「変な輩が居た者だ。ユリウス、あんなの気にするな。」「はい・・」謎の男達に絡まれてから数日後、ルドルフとユリウスは炊き出しを終えて被災地を後にした。「これから炊き出しは定期的に行った方が良いかな?」「そうすると店の赤字が増えてしまいます。今でさえ繁盛しているものの、店の家賃や食材代で厳しいんですから。」「そうか。」ルドルフが運転する白いバンがマンションの駐車場に入ってきた頃、あのマンションの廊下を徘徊していた数人の女性達が何処からともなく現れ、バンを取り囲んだ。「開けてください、お願いします!」「開けてください!」ユリウスは掌でバンの窓や車体を激しく叩く女性達の恐ろしい形相に恐怖で顔を引き攣らせたが、ルドルフが彼を落ち着かせるように彼の手を握った。「ユリウス、わたしがついている。」「ルドルフ様・・」暫くすると、女性達がバンから遠ざかる気配がした。「あの女性達は一体何者なんでしょうね?」「さぁな。」エレベーターから降り、部屋の前へと2人が向かうと、そこには祭壇のようなものが設けられていた。すぐさまルドルフは警察を呼び、バンを取り囲んだ女性達の特徴を警官に話した。「そうですか。では何かありましたらこちらからご連絡いたしますので。」「宜しくお願い致します。」女性達の異常過ぎる行動に、ユリウスはその夜恐怖で一睡も出来なかった。「ユリウス、今日は店を休んだらどうだ?余り顔色が良くないようだし・・」「解りました。」「じゃぁ行ってくる。」ルドルフはこの部屋にユリウスを1人残しても大丈夫なのかと思ったが、仕事に行くことにした。 ユリウスはベッドの中で丸まりながら、溜息を吐いた。あの女達は今日も来るのだろうか。一人で居るのが心細くなってきてしまった。コーヒーでも淹れようかと寝室から出たユリウスがキッチンでお湯を沸かしていると、突然チャイムの音が鳴った。(誰だろう?)まさかあの女達かと思いながらも、ユリウスはゆっくりとインターホンの画面を覗きこんだ。 そこには、常連客の一人、貴島亮子が立っていた。『あの・・すいません・・今、宜しいですか?』「何でしょうか?」 こんな時間帯に、彼女は一体何の用なのだろう―ユリウスは大して警戒せずにドアを開け、彼女を部屋へと招き入れてしまった。にほんブログ村
2012年03月17日
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どうしてここに奈緒子が居るのか―直輝がそう思いながら苦虫を噛み潰したかのような顔をしていると、彼の隣に立っている恵子が奈緒子と直輝を交互に見た。「直輝さん、あれがあなたの実母の・・」「ええ、わたしを捨てた母です。お義母さん、あの人に構わず行きましょう。」恵子の手をそっと引いた直輝だったが、彼女はその場から動こうとはしなかった。「直輝さん、あの人の事はわたくしに任せなさい。」「ですが・・」「いいから、見ておきなさい。」恵子はそう言うと、つかつかと奈緒子の方へと歩いていった。「あなた、確か直輝さんのお母様でしたわね?」「ええ、そうですけれど、お宅は?」「初めまして、直輝さんの継母の、恵子と申します。ここでは何ですから、わたくしと二人きりで話しません事?」「いいけれど・・」突然の直輝の継母の登場に戸惑いを隠しきれずに奈緒子が直輝の姿を探したが、彼は何処にも居なかった。「あなたのご要望は既に主人から聞いております。息子さんが移植の必要がある病気をお患いになっているんだとか・・」恵子に連れられたのは、ホテルの近くにあるコーヒーショップだった。「そうよ、わたしは直ちゃんに、ドナー検査をして貰うよう頼みに来たのに、あの子ったら冷たくて・・」「わたくしは今の主人とは、直輝さんが9歳の時に再婚致しましたの。主人は寡黙な人で、あなたと離婚した経緯は詳しく話してはくれませんでしたけれど、直輝さんが実の母親に疎ましがられて捨てられた噂は耳にしておりましたわ。」「そんな・・あたしは・・」「いいこと、奈緒子さん。」恵子の声のトーンが急に低くなり、奈緒子はビクリと恐怖に身を震わせた。「あなたは確かに直輝さんをお腹を痛めてお産みになったでしょう。けど我が子を平然と捨てた事は事実ですのよ。その事に、直輝さんは未だに傷ついていることがおわかりになりませんの?」「そんな・・だってあの子は・・」「あの子が人間ではないことは、わたくしも知っております。ですがわたくしは直輝さんの事を実の息子のように愛情を注ぎ、育てて参りましたの。あなたはご自分と血が繋がった息子さんの方が大事なようね。」「あんた、一体何が言いたいの?あたしにお説教しにここに連れてきたわけ?」「いいえ、これを渡しに参りましたの。」恵子はさっとバッグの中から一枚の小切手を取り出すと、奈緒子の前に置いた。「これは手切れ金です。あなたのご家族が一生遊んで暮らせるほどの額がここに書いてありますわ。もうあなたと直輝さんとはとうに親子の縁が切れております。これ以上見苦しい真似はおよしなさい。」「何よあんた、偉そうに・・」「これ以上直輝さんに一歩でも近づいてごらんなさい。その時は法的処置を取らせていただきますからね。」恵子はそう言うと、怒りで震える奈緒子を残してコーヒーショップを後にした。「お義母様、お帰りなさい。」「直輝さん、あの人の事は心配要らないわ。」「申し訳ありません、お義母様にご迷惑をおかけしてしまって・・」「何を言うの、わたくしはあなたの母親ですよ。子どもの為の苦労なら、いくらでもするわ。」恵子はそう言って直輝に微笑んだ。 実の母親に捨てられ、深い絶望を抱いていた時に、父は恵子と再婚した。『あなたが直輝さん?初めまして、わたくしは恵子。』初めて顔を合わせた時、直輝はこの人は信用できると直感でわかった。血の繋がりはないが、恵子とは本当の親子のようになっていった。「あの人はご自分の家庭だけが良ければそれでいいと思っているようね。」「あの人の話はもうやめましょう。」「そうね。」これで奈緒子が自分の事を諦めてくれればいいのだが―直輝はそう思いながらベッドに入った。 一方、ルドルフとユリウスは被災地で炊き出しをしていた。「ルドルフ様、まだご飯は大丈夫ですね。」「そうか。」 2人は店を暫く閉じ、東北の被災地に赴いて無償で被災者たちにカレーやビーフシチューを振る舞っていた。にほんブログ村
2012年03月16日
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「先輩、ただいま戻りました。」「お帰り、姫沢。色々と大変だったろう。」直輝がそう言って相棒に声を掛けると、彼は直輝に土産物が入った紙袋を手渡した。「これ、ご迷惑を掛けたお詫びに。」「別に要らないのに。」「自分の都合で休んだんですし、これ位しないと。」姫沢がそう言うと、課長が彼らの所にやって来た。「姫沢君、ありがとう。早速みんなで食べようじゃないか。」「皆さんに召し上がっていただきたくて買ってきたんです。」直輝達が姫沢からの土産の饅頭を頬張っていると、内通電話が掛かった。「わたしが出る。」直輝はそう言って受話器を取ると、受付の戸惑った声が聞こえた。『上島さんにお会いしたいという方がお見えになってますけれど・・』「どんな方ですか?」『50代位の女性です。上島さんのお母様だとおっしゃって・・』「追いかえしてください。部外者は一切入れないようにしてください。」(またあの女か・・)自分を捨てた事を忘れ、ソウルで馴れ馴れしく話しかけてきた奈緒子の憎たらしい顔が浮かび、直輝はその顔を即座に消し去り、報告書を書き始めた。 一方受付で追い返された奈緒子は、その足で息子が入院している病院へと向かった。「母さん、久しぶり。」「幸太郎、ごめんねぇ。お店が忙しくてなかなかお見舞いに行けなくて。」奈緒子はそう言って再婚した夫との間に出来た長男・幸太郎に精一杯の笑顔を浮かべた。「絶対にあんたのドナー見つけるから、それまで一緒に頑張ろうね!」「母さん、無理して笑わなくてもいいよ。僕の所為で父さんと母さんが言い争っているのも知ってるし、お姉ちゃんが苛々してるのも知ってる。僕ばかり構わないで、少しはお姉ちゃんの事も気に掛けてあげて。」「幸太郎・・」直輝と前夫・直人を捨て、和幸と再婚して彼とともに店を切り盛りしながら2人の子を育てた奈緒子にとって、最愛の息子・幸太郎が病で苦しんでいる姿を見るのは何よりも辛かった。身勝手だとわかってはいるが、息子の命を助ける為なら、恥を晒してでも捨てた息子に頭を下げるつもりだった。そんな奈緒子の想いが、家庭に悪影響を与えていることに彼女はまだ気づかなかった。 日曜日、直輝は恵子が持って来た縁談を断ったのだが、“顔を見るだけでいいから”と、半ば強引に高級ホテルのフレンチレストランに連れて行かれた。「お父様ったら、こんな日に仕事ですって。一体何を考えているのかしら?」「ちゃんと事前にお父さんの都合を聞いてからじゃないと。」「そんな事は解っているけどねぇ・・あ、お見えになったわ。」直輝が顔を上げると、そこには振袖姿の女性が両親とともに椅子に腰を下ろしているところだった。「初めまして、山田清美です。」「初めまして、上島直輝の母でございます。山田さんお仕事は何を?」「インテリアデザイナーをしております。」「まぁ、素敵なお仕事ねぇ。直輝は公務員をしておりますの。わたくしが言うのもなんですけれど大変有能で、昇進も間違いなしですから・・」「お母さん。」直輝が恵子にそっと肘で突いたが、彼女は気にせずに話を続けた。「山田さんはご結婚なさったらお仕事はおやめになるつもりですの?」「いいえ。結婚・出産しても仕事は続けるつもりです。女性だけ家庭と仕事を両立できないのは、不公平だと思いませんか?」「ま、まぁ・・はっきりと自分の意見をおっしゃる方なのねぇ。」口先では清美の事を褒めてはいるが、恵子は不機嫌そうな表情を浮かべて彼女を見た。「直輝さん、あのお嬢さん、あなたに相応しくないわ。」「わたしではなく、お母さんに相応しくないのでしょう。」見合いを終えてホテルから出ようとした直輝の背後に、神経を逆なでする声が聞こえた。「直ちゃん!」恵子と直輝が同時に振り向くと、そこには奈緒子が立っていた。にほんブログ村
2012年03月16日
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愛媛から戻ってきた直輝を待っていたのは、義母・恵子からの縁談だった。「どう、直輝さん?お相手の方はとてもいいお嬢さんで、お医者様なのよ。」「お義母さん、わたしは暫く結婚はしないと言ったつもりですが?」「何を言っているの、あなたもう28でしょう?早く身を固めて、わたくし達に孫の顔を見せて頂戴。ねぇ、あなた?」恵子は一方的に直輝にそう言うと、彼の父・直人に同意を求めた。「最近は結婚しない男女が多い。わたし達の時代は適齢期の男女が結婚するのは当たり前だったが、今ではそんなものは過去のものに過ぎん。直輝の自由にしてやってもいいんじゃないか?」「まぁあなたまで・・とにかく直輝さん、今度の日曜は必ず空けること、いいわね!」恵子は憤然とした様子で椅子から立ち上がり、ダイニングから出て行った。「恵子にはわたしから言っておくから、お前は仕事に励め。」「ありがとうございます、お父さん。」直人は直輝の母親が彼を捨てた事も、その理由も知っていたから、直輝が結婚を躊躇している事も解っていた。 幼い頃母親に捨てられ、人間ではないというだけで周囲から迫害されてきた彼にとって、自らの忌まわしい血を次世代に引き継ぎたくないという思いは充分に理解できた。再婚した今の妻・恵子は、単に直輝が結婚せずに独身を貫いているのは我が儘だと思っている。(直輝に深い心の傷を負わせてしまったのは、わたしと奈緒子だ。)20年前、奈緒子は自分と直輝の前から黙って姿を消した。『お父さん、僕お母さんに捨てられたの?』ある日突然奈緒子が姿を消し、まだ幼かった直輝はそう言って自分に泣きついた。(そうじゃない。お母さんは・・)息子を慰めようとする言葉を頭で何度も思い浮かべた筈なのに、いざ息子と向き合って口を開こうとすると何も出てこなかった。その所為で、息子は母親に捨てられたと思い込み、実母を恨んでいる。 その実母・奈緒子から電話があったのは、直輝が愛媛へ出張中の時だった。『あなた、久しぶりね。』20年振りに聞いた奈緒子の声は、あの頃と同じように若々しいままだった。「20年も連絡を寄越さないでどういうつもりだ?一体何処で何をしていた?」『そんなに怒らないでよ。ねぇあなた、少し助けて頂戴よ。電話じゃ話せないから、少し会えない?』息子を捨てておいて前夫に会いたいなとどいう厚かましい事を言ってくる奈緒子に直人は憎しみが湧いたが、会うだけでもいいだろうと思い、奈緒子と会うことにした。「あなた、助けて欲しいの。直輝に、検査をして貰えるよう説得して頂戴。」駅前の喫茶店で会うなり、奈緒子はそう言って直人に頭を下げてきた。「検査だと?どういう検査だ?」「実は・・あたしは再婚して娘と息子が一人ずつ居るんだけれど、息子が今病気なのよ。助かるには骨髄移植しかないのよ。」「それで?直輝でなくとも、娘さんや君が検査をすればいいことじゃないか?」「娘はまだ10代だし、あたしは腎臓に持病を持っていて、検査は出来ないの。このままだと息子が死んじゃう、お願いだから直輝を説得してよ。」「この事、直輝は知っているのか?」「ええ、ソウルで偶然会って話を持ち出そうとしたけれど、顔を見るのも嫌だと言って拒絶されたわ。」「当たり前だろう。捨てた癖に今更困った時には図々しく助けてくれと頼みに来るなんて・・」直人は嫌悪の表情を浮かばせながら、奈緒子を見た。もうこの女と同じ空気を一秒たりとも吸いたくない。「ねぇあなた、お願い・・」「もうこれ以上、わたしと直輝の前に近づくな。」帰宅した直人は、20年振りに再会した奈緒子の身勝手さに腹が立っていた。それと同時に、彼女を絶対直輝に会わせてはいけないと思った。「あなた、どうなさったの?」「何でもないよ。」「そう・・」恵子は最近夫の様子が変だと少し感じ始めていた。にほんブログ村
2012年03月16日
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「あんたは向こう行ってなさい!」女性が少女の尻を叩くと、彼女は舌打ちして部屋から出て行った。「すいません、あの子最近機嫌が悪くて・・千尋ちゃんの事で色々と言われたみたいで・・」「いいえ、お構いなく。あれが、千尋さんの荷物ですか?」「はい。」直輝は大きめのボストンバッグのファスナーを開けて中を見ると、そこにはアルバムが入っていた。ページを捲ると、どれも家族と映った写真ばかりだった。「あの子、家族と離れて福島からここに世話になってたんです。学校ではからかわれて、家ではあの子に色々と嫌味を言われて、辛かっただろうに・・」女性はそう言って涙ぐむと、エプロンで涙を拭い、部屋から出て行った。(考えてもいなかった、騰蛇が被災地以外の場所に潜んでいることに。神崎千尋のように、福島から避難してきた子ども達や、避難所で暮らしている子ども達は、常にストレスを抱えている筈だ。)被災地では大人達でもストレスを抱えて先の見えない生活を送っているし、子ども達もその影響を受けているだろう。 死亡した千尋のように、放射能による偏見から学校でいじめられ、親戚では疎ましがられ、家族とは離ればなれの生活を送り、どんなに心細かったことだろうか。ボストンバッグには、千尋の携帯があった。着信履歴を見ると、毎週日曜に父親からの着信が残っていた。(お父さんからの電話が、何よりの励みになっていたんだな・・)その娘が炎に焼かれて死んだことを知った父親の悲痛な顔が容易に想像できる。「もう、済みましたか?」「ええ。千尋さんの荷物は、どうなさるおつもりで?」「福島の両親に返すつもりです。ここに置いとくのもなんだし、両親に渡した方が良いですから。」「そうですか。ではわたしが、彼女の荷物を福島の両親に渡しに行きます。」「ありがとうございます。これ、連絡先です。」女性はそう言うと、直輝に千尋の両親の連絡先が書いてあるメモを渡してくれた。 親戚宅を後にし、松山市内のホテルへと戻った直輝は、溜息を吐いてベッドに大の字になって横たわった。シャワーでも浴びようかと思ってベッドから起き上がった時、携帯が鳴った。「もしもし?」『先輩、姫沢です。仙台の実家が少し落ち着いたので、先輩に連絡を入れました。』「そうか。じゃぁ東京にはいつ?」『来週あたりです。先輩は今何処に?』「愛媛だ。また騰蛇絡みの事件が起きた。加害者は福島から避難してきた少女・神崎千尋。彼女は福島から愛媛にある親戚宅に身を寄せていたが、学校ではいじめられ、親戚宅では従姉に疎ましがられていた。彼女の荷物を預かったから、福島の両親に出来るだけ早く渡そうと思っているんだが・・」『震災から1ヶ月が過ぎたといっても、被災地ではまだ混乱が続いてますし、道路や交通機関の復旧もままならない状況です。それに、原発付近では住民ですら立ち入りが制限されているんですよ。』「そうか・・被災地が落ち着き次第、こちらで千尋さんの荷物を預かっておくしかないな。」『先輩、迷惑掛けてすいませんでした。』「気にするな。仙台のご両親に宜しくと伝えておいてくれ。じゃぁな。」姫沢との通話を終え、直輝は浴室へと向かった。シャワーを浴びようと蛇口を捻ると、何故か水が少し熱かった。(気の所為か?)構わずにシャワーを浴びていると、熱湯が浴室の床を弾いた。「まさか・・騰蛇か!?」“ふふ、漸く気づいたか。”何処からか、低い男の声がした。「愛媛の事件はお前の仕業か?」“あれはあの少女が、あの子の心が招いたことだ。いずれ、そなたの心も闇に支配されることとなろう。”笑い声とともに、男の声が急に消えていった。にほんブログ村
2012年03月15日
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「父ちゃん、何も心配すっこたねぇから。叔母さん達にはよくしてもらってっから。父ちゃん、余り無理しちゃ駄目だよ。」週に一度、少女は福島に居る家族に電話を掛ける。その時はこの地で滅多に話さない方言を話し、家族を想う。「ん、じゃぁね。」少女が携帯を閉じると、部屋の襖が開いて従姉が入って来た。「電話?」「うん。」「ねぇあんた、いつまでここに居るの?早く出て行ってくれないと、部屋が狭くて仕方がないんだけど。」突然やって来た厄介者を迷惑そうな顔をしながら、従姉はそう言い放つと少女を睨みつけた。「そんな事言われても・・」「こっちだって、ボランティアであんたをここに居させてる訳じゃないんだからね。ここで世話になる以上、家の仕事はやって貰うわよ。」「はい・・」学校では仲間外れにされ、親戚の家では年上の従姉に邪険にされる。家族と離れただけでも苦しいのに、自分だけ邪険にされるという深い疎外感を味わい、少女はぐっと泣くのを堪えて唇を噛み締めた。(我慢しないと・・) そんなある日、彼女がいつものように放課後図書室に入ると、定期テスト前なのか、数人の生徒達がテーブルに座って勉強していた。「あんたまだ福島に戻ってなかったの~?」「ああ、福島に戻っても家が流されてないもんねぇ、可哀想~?」目敏く少女の姿を見つけた同級生達が彼女の前に立ちふさがり、心ない言葉を彼女に容赦なく投げつける。(あんたらに何がわかるっていうの。好きで家が流されたんじゃないのに!)「うるさい・・あんたらに何がわかんのよ!」少女がそう叫んだ瞬間、彼女の中で燻っていた怒りの炎が爆発した。「愛媛の中学校で、爆発があったらしい。」朝刊を読んでいた課長がそう言って直輝を手招きした。「もしかして、騰蛇が?」「死亡したのはテスト勉強をしていた数人の女子中学生。現場は図書室で、炎の勢いが激しくて、消防隊も手の施しようがなかったようだ。」「愛媛に行ってきます。」「すまないな、まだ本調子じゃないというのに・・」「いえ、いいんです。騰蛇の暴走を、わたしが止めないと。」退院してから数日も経たぬ内に、直輝は愛媛へと向かった。 空港から片道4時間半かけて、現場の中学校へと彼が到着すると、そこはマスコミが殺到していた。「校長、何かひとことお願い致します!」「死亡した少女がいじめを受けていたのは事実でしょうか?」「校長!」詰め寄るマスコミから逃げるようにして、胡麻塩頭の男性が車を発進させて学校から離れていった。「課長、現場にはマスコミが殺到しています。これから死亡した少女の親戚宅へと向かいます。」『解った、そうしてくれ。』 学校から離れ、直輝が死亡した少女・神崎千尋の親戚宅へと向かうと、そこにもマスコミが殺到しており、玄関は堅く閉ざされていた。「あの、ご親戚の方でしょうか?」「いいえ、違います。」直輝はそう言って玄関のチャイムを鳴らすと、玄関から女性が出てきた。「何でしょうか?」「わたくし、こういう者です。」直輝が警察手帳を見せると、女性は溜息を吐いて彼を中に招き入れた。「千尋さんの部屋は?」「廊下の突き当たりです。」「ありがとうございました。」直輝が千尋の部屋に入ると、そこには携帯を片手に1人の少女がジュースを飲んでいた。「あんた、誰?」「警察の方だよ。千尋の事を調べに来たんだってさ。」女性がそう言うと、少女は鼻を鳴らして直輝を見た。「あいつ、何かやったの?」にほんブログ村
2012年03月15日
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「そなたのような者が暗殺に失敗するとは、許し難いぞ、テリュース!」「・・申し訳ありません。」枢機卿に頬を張られた男は、そう言って項垂れると、枢機卿は満足したかのように口元に嘲りの笑みを浮かべて言葉を続けた。「そなたのような卑しい野良犬には、汚れ仕事が似合うのだから、仕事はちゃんとするのだな。」男の背後に控えていた仲間が腰に帯びているサーベルを抜こうと立ち上がるのを、男は手で制した。「それでは、これで失礼致します、閣下。」「早う出て行け。」男―テリュースが枢機卿の部屋から出ていくと、先ほどサーベルを抜こうとしていた若い男が彼に駆け寄ってきた。「何故あの男の仕打ちに耐えておられるのですか、テリュース様!聖職者の風上にもおけぬ獣同然の男に・・」「黙れ。ここがヴァチカンであるということを忘れるな。」「申し訳ございませぬ・・」若い男はそう言って俯いたものの、その顔には納得がいかないという表情が浮かんでいた。「あの男はいずれ失脚することだろう。それまでの辛抱だ。」「はい・・」テリュースは黒衣の裾を翻しながら、廊下を歩いていった。 一方、崩落したビルの瓦礫の下敷きとなった直輝は、7日間の入院生活を経て退院し、警察庁公安部神秘課へと戻った。「上島、怪我はもう大丈夫か?」「はい。それよりも課長、ソウルの事件についてですが・・」「騰蛇はどうやら、北上しているようなんだ。」「北上、ですか?」「ああ、これを見てくれ。最近騰蛇が目撃された場所だ。」課長が机に広げた日本地図には、騰蛇が目撃された箇所が×印でつけられており、そのどれもが東北に集中していた。「震災と関係があるんでしょうか?」「かもしれんな。あれから1ヶ月は経つが、未だにガスや電気が復旧していないところもある。それに、原発の影響で一家離散する羽目になった家族もいっぱいいるだろうし・・」ソウルのホテルで見た、街を津波が呑み込む映像が、直輝の脳裏から焼きついて離れない。騰蛇は人間の負の感情に過敏に反応する。「騰蛇がいつ現れるか、常に気を引き締めて注意しなければなりませんね。」「そうだな・・」「ところで、姫沢は何処に?」直輝が姫沢の席を見ると、そこには空席のままだった。「ああ、あいつなら実家の仙台に戻ったよ。家族が無事だっていうことが昨日わかってな。色々とすることがあるから、休暇を貰いたいと言ってな。」「そうですか・・」直輝は溜息を吐きながらオフィスから出て行き、喫煙室へと向かった。「ここが、あんたの新しい家よ。」福島から遥か遠い四国の山村に住む親戚の家に避難してきた少女は、不安そうな表情を浮かべて新しい“家”を見つめた。 震災では自分を含む両親や祖父母は無事だったのだが、原発事故の影響で父が必死に働いて貯めた金で購入した我が家を手放す羽目になり、生活の基盤を立て直す為に福島に残る両親と祖父母と離れ離れになった。「宜しくお願いします。」新学期を迎え、少女は教壇の前で軽く自己紹介して教室中を見渡した。「お前、福島から来たんだってな?」「放射能がうつるから余り近寄るなよ。」転校初日にそんな心ない言葉を浴びせられた少女の顔が強張り、浮かべていた笑みが引きつった。やがて同級生たちは、彼女を些細な理由で仲間はずれにしたりした。“福島から来た”という理由だけで。(何で、あたしがこんな思いをしなきゃいけないの?)理不尽な目に遭わされる少女の心に、いつしか負の感情が溜まり始めていた。にほんブログ村
2012年03月14日
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「何ですか、あなた方は?」「ルドルフ=フランツだな?」男達の中で年嵩がある男がルドルフとユリウスの前に立った。「我らはこういう者だ。」男はそう言って身分証をルドルフに見せた。「ヴァチカンの者か・・お前達が何をしに此処に来たのか、解ったぞ。」ルドルフは袋に入れているサーベルを取り出すと、飾り房を揺らして刃から鞘を抜いた。「貴殿の命、ここで頂く!」男達が一斉にサーベルを抜き、2人に襲い掛かって来た。相手は3人だが、ルドルフは負ける気はしなかった。「ふん、情けない。それでもヴァチカンの精鋭部隊か?」ルドルフはそう言って鼻で笑いながら、ヴァチカンからの刺客達の攻撃をなんなくかわした。「おのれ・・」年嵩がある男は舌打ちをして、仲間に退却を命じた。「昔の奴らはもっと骨があったが・・今はそうでもないようだな。」「ええ。ルドルフ様、騒ぎにならない内に帰りましょうか。」「わかってるさ。」サーベルを鞘に収め袋に仕舞うと、ルドルフはユリウスと手を繋いで自宅マンションへと戻った。 ロビーへと入ろうとした時、何やら住民達が騒いでいることに2人は気づいた。「どうしたんでしょう?」「さぁな・・」ユリウスは住民の一人から何が起こっているのか聞くと、このマンションの住民である女性に会わせるまでここを動かないと一人の男がロビーのドアの前で数時間前から座りこんでいるのだという。「このままずっと居座ってたら、こっちが迷惑ですよ。」「わたしが行ってくる。」ルドルフはそう言うなり、ロビーの中へと向かった。そこには、ドアを塞ぐかたちで一人の男が座りこんでいた。年の位は40過ぎで、くたびれたスーツを着ているが、腕時計や靴は高級品だ。「すいませんが、そこを退いていただけませんか?」「何だ貴様、わたしを誰だと思っていてそんな生意気な口を利いているんだ?」「他人の迷惑を顧みない自己中心的な男だということは見れば解ります。さっさとそこを退いてください、警察を呼びますよ。」ルドルフの言葉に男は舌打ちすると、憤然とロビーから立ち去った。「もう終わったぞ。」「人騒がせな方でしたね。」「ああ。」ルドルフとユリウスがエレベータに乗って部屋がある16階で降りると、廊下に数人の女達が各部屋を回っていた。「なんだ、あいつらは?」「さぁ・・それよりも夕飯はビーフシチューになさいますか?」「ああ。」2人が部屋のドアを開けて中に入ろうとすると、それを見計らったかのように女達が彼らの方へと駆け寄ってきた。「すいません、わたし達こういう者なんですが・・」女の一人がそう言って一枚のパンフレットを2人に見せた。それはいかにも怪しげな宗教団体の案内だった。「すいません、間に合ってます。」ユリウスは女達からの勧誘をそう断ると、ドアを閉めた。「最近変な奴らが湧いてきたようだな。」「ええ。震災の混乱にかこつけて便乗する輩には腹が立ちます。」「ユリウス、夕飯の支度をしてくれないか?」「はい。」ユリウス自慢のビーフシチューに舌鼓を打ちながら、ルドルフはヴァチカンの動向が気になった。(今更何故わたし達を襲ってきたんだ?) ヴァチカンでは、ルドルフに打ち負かされた刺客達が1人の枢機卿の元を訪れていた。「その顔を見ると、ルドルフ皇太子の暗殺には失敗したようだな?」「申し訳ありません、閣下・・」枢機卿は椅子から立ち上がったかと思うと、自分に跪いていた男の頬を張った。にほんブログ村
2012年03月13日
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ビルが崩落してから10時間余りが経った。直輝は何とか式神達の力を借りて生き延びていた。『おい、こっちだ!』『早くしろ!』救助隊の声が徐々に近づいて来るのがわかり、直輝はああこれで助かるのだと思って目を閉じた。 担架に乗せられた直輝は病院へと搬送され、一命を取り留めた。「先輩、大丈夫ですか?」「ああ。」直輝はゆっくりとベッドから身を起こそうとした時、背中に痛みが走った。「まだ起き上がっちゃ駄目ですよ。長時間瓦礫の下敷きとなっていた割には軽傷で済んだのは奇跡だって、お医者様が言ってましたよ。」「奇跡じゃない、式神達が助けてくれたんだ。特に白虎には。」「そうだったんですか。じゃぁ僕はこれで。」姫沢が出て行くと同時に、窓を誰かが叩いている音がして直輝がカーテンを開けると、そこには朱雀の姿があった。「どうした、朱雀?」『日本で動きがあった。』「動きが?」直輝が窓を開けようとした時、誰かがドアをノックする音がした。「どうぞ。」朱雀が窓から遠ざかっていくのを見送った直輝がベッドに横たわると、ドアが開いて奈緒子が入って来た。「直ちゃん、怪我してない?」「ここから出て行ってください。あなたの顔を見ただけで体調が悪化します。」「そんな・・お母さんはあなたが心配で・・」「嘘を吐くな、わたしを捨てた癖に!さっさと自分の可愛い息子の所に戻ったらどうだ!」冷たい拒絶の言葉を直輝から投げつけられ、奈緒子の顔が生気を失ったかのように蒼褪めた。『どうしましたか?』点滴の交換に来た看護師が、交互に直輝と奈緒子を見た。『今後この人を病室に入れないでください。この人の顔を見るだけでストレスを感じます。』『承知しました。』「直ちゃん・・」奈緒子はショックを受け、病室から出て行った。 彼女がホテルの部屋に入ると、夫の和幸が彼女を見た。「お母さん、あの人の所に行って来たの?相手は迷惑がっているのに、どうかしてるわよ!」娘の言葉に、奈緒子は何も言い返せなかった。「奈緒子、もうここですることは何もない。ドナーの事は帰国してからわたし達で考えよう。」「解ったわ・・」長い間我が子を捨てて放っておいて、今更母親面して見舞いに行ったところで、直輝に感謝されると思い込んでいた自分が馬鹿だった。奈緒子は失意のまま帰国した。「漸く、電気とガスが復旧しましたね。」「あぁ。」 一方、オーストラリア旅行から帰ってきたルドルフとユリウスは、今日もカフェで働きながら雑談していた。あの震災から一ヶ月が過ぎ、電気とガスが停まり、店を暫くの間休業していたが、今日再開すると同時にひっきりなしに客が訪れ、店はいつも以上に忙しかった。「ああ、疲れた。」店を閉めて2人がカウンター席で紅茶を飲みながら一段落できたのは、夕方のことだった。「久しぶりに外で食べに行かないか?」「ああ。」ルドルフとユリウスが店を閉めて歩き出そうとすると、2人の前に数人の男達が現れた。にほんブログ村
2012年03月13日
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「どうした?」「先輩、あれ・・」姫沢が震える手で指し示す方向には、シシィ=ローゼンフェルトの姿があった。「あら、あなたあの時の・・お久しぶりね。」シシィはそう言って口端を吊りあげて笑った。「貴様か、騰蛇を操り火災を起こしたのは?」「ええ、確かにわたくしですわ。でも、カラオケボックスの火災を起こしたのはあの子よ。わたくしはあの子の手助けをしただけですわ。」シシィはまるで歌うかのようにそう言うと、直輝を見た。「貴様は一体何が狙いだ?」「いいえ、何も。」直輝はつかつかとシシィに近寄ると、彼女の手を掴んだ。「何をなさるの、放して!」「反魂した身体を動かすには、生きている人間の血が必要か。それで騰蛇を使って火災を引き起こした。パリの猟奇連続殺人もお前の仕業だな!?」「まぁ・・ご彗眼でいらっしゃること。」シシィの長い金髪が風もないのに大きく波打った。「せ、先輩・・」「姫沢、応援を頼む。ここはわたしに任せろ。」「解りました!」「逃がしませんわ!」シシィの蒼い瞳が姫沢を睨み付け、彼を逃がすまいと炎を放ったが、それは彼に届く前に水によって掻き消された。「おっと、お前の相手はこのわたしだ。余所見しないで貰おうか!」「青龍ね・・炎の相手は水ということなのね。戦い甲斐がありますわ!」シシィがそう叫ぶと、彼女を取り巻いていた炎が一段と激しさを増した。「この程度の炎で、わたしが倒せると思っているのか!」炎の矢が自分を襲ってくる前に、直輝は寸でのところで印を結び、水の壁を作った。「ふふ、なかなかやる方ね。殺すのが惜しいわ。」シシィはそう言うと、地面を蹴って宙に浮いた。「これでどうかしら?」彼女はにぃっと笑うと、呪を唱えて両手を掲げた。すると赤黒い球体が徐々に大きさを増していった。(あれは・・)「死になさい!」直輝は避けようとしたが、床に穴が開き、彼は奈落の底へと叩き落とされた。「馬鹿な男・・殺し甲斐があったから、いいわ。」シシィがそう言った時、ビルが轟音を立てて軋んだ。「さようなら、おばかな刑事さん。」彼女は甲高い笑い声を上げながら、ビルから立ち去った。「先輩!」ビルが轟音を立てて崩落する様を目の当たりにした姫沢がビルの中へと入ろうとした時、警察官に止められた。『危険です、下がってください!』「先輩、先輩~!」 崩落し、瓦礫の下敷きとなった直輝が頬にざらついた舌の感触がして目を開けると、そこには白虎が自分の身体を温めようと懸命に顔を舐めていた。「済まないな・・」『主を守るのが式神の役目。』「そうか・・」手足の感覚はまだあるから、瓦礫の下敷きとなった時に神経は傷ついてはいないようだ。この場所では携帯の電波が届かない。「朱雀・・少し頼めるか?」直輝は朱雀を召喚すると、ある事を朱雀に頼んだ。「何だ、あれ?」「鳳凰か?」 ビルの頭上を旋回している朱雀の姿を見た姫沢は、直輝が無事であることを知り胸を撫で下ろした。にほんブログ村
2012年03月12日
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(くそ、あの女を取り逃がすだなんて!) ホテルに隣接するビルで火災が起き、その現場でシシィ=ローゼンフェルトを目撃しながらも彼女を取り逃がしたことに対して、直輝は臍を噛んでいた。「先輩、先輩にお会いしたい方が・・」「男か、女か?」「中年の女の方です。」「わたしは居ないと言っておけ。後、あの女がまた私の前に現れた時には警察を呼ぶ。そのつもりでいろと伝えておけ。」「はい・・」姫沢が部屋から出て行く気配がして、直輝は溜息を吐いた。 自分の都合で我が子を捨てた癖に、自分に執着している母親の気持ちが直輝には全く解らなかった。母親との関係よりも、事件を解決する方に力を入れたいのに―直輝は再び大きな溜息を吐くと、コーヒーを飲んだ。「ねぇ、どうして直ちゃんに取り次いでくれないの?大事な話をしたいのよ!」「申し訳ありませんが、上島氏はあなた様とはお会いしたくないようです。今度ここに来れば警察を呼びますので、そのつもりでいてください。」姫沢は直輝の母親・奈緒子を部屋から追い出すと、ドアを閉めた。「なんなのよ、もう!母親が息子に会っていけないっていうの!?」奈緒子はヒステリックに叫びながらドアを叩いたが、中から返事はなかった。「母さん、一体何しているのよ!」直輝の部屋から戻ってきた奈緒子が自分の部屋に入ると、少女が彼女を睨みつけた。「何って・・あんたの兄さんにお願いしに行っていたのよ。」「母さん、みっともない真似はやめてよ!母さんの声、廊下まで響いてたんだからね!」少女はそう言って奈緒子を睨み付けると、部屋から出て行った。「もう、何よ、あたしの苦労も知らないで!」奈緒子は苛立ち紛れに煙草を咥えて火をつけた。「奈緒子、今まで何処に行ってたんだ?」夫の和幸がそう言って奈緒子を見ると、彼女は溜息を吐いてソファに腰を下ろした。「実の息子に会いに行こうと思ったら、追いかえされたのよ。こっちは深刻な問題を抱えているっていうのに!」「幸太郎のドナーの事か?いくら近親者でも適合するとは限らないんだぞ?それに子供を捨てた母親が今更会いに来て、直輝君は良い気はしないだろう。」「じゃぁ悠長にドナーを待っていろというの?時間がないのよ!」和幸と奈緒子の会話を、部屋に戻ろうとしていた姫沢が聞いていた。「そうか・・あの人は自分の子供を助けたいがためにわたしに会いたがっているのか。何処までも勝手な女だ。」直輝はそう言って煙草に火を付けた。「先輩、どうします?」「どうするも何も、あの人の問題にわたしは介入する気はない。さてと、これから現場検証に行くぞ。」「解りました。」部屋を出た直輝と姫沢がエレベーターに乗ろうとした時、そこには奈緒子の姿があった。「あら、直ちゃん。」「気安くわたしの名を呼ばないでください。わたしはあなたとは親子の縁を切ったも同然です。」「あのね、直ちゃん・・実はお願いがあって・・」「ご自分の家庭の問題は、ご自分で解決してください。わたしは仕事で忙しいんです。姫沢、行くぞ。」「は、はい・・」直輝は一度も奈緒子の方を見もせずに、エレベーターから降りていった。「薄情な子ね、あたしがお腹を痛めて産んだっていうのに。」「当然だろう、君は母親として許されない事をしたんだからな。」和幸は自分が犯した罪を全く反省しようとしていない妻の態度に呆れていた。「ここが火元か。」火災現場であるビルの内部に入った直輝は、炊事場へと向かった。そこは炎によって激しく焼かれていた。(これは何だ?)煤に塗れたあるものを直輝が拾い上げた時、姫沢が何かを見て叫んだ。にほんブログ村
2012年03月12日
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2011年3月11日。この日、東北地方を巨大地震と津波が襲った。死者は岩手・宮城・福島を含む約2万人となり、マグニチュード9.0を記録した。課長の知らせを受けソウルから急遽帰国しようとしていた直輝達だったが、千葉県沿岸も震災の被害を受け、彼らは足止めを食らうことになった。「まさか、あんな震災が起きるだなんて・・」ホテルの部屋に戻った姫沢は、そう言うとベッドに横たわった。その時、ベッドに備え付けの電話が鳴り響いた。『もしもし、フロントです。上島様にお客様がお見えになっております。』『そうですか。通してください。』 数分後、ソウル支局のチョン=ヨンスが部屋のドアを叩いた。『上島さん、大丈夫ですか?』『ええ、何とか。ですが日本への帰国の目処が立っていなくて・・』『そうですか。』ヨンスはそう言ってソファに腰を下ろした。『事件がまだ解決していないというのに・・』直輝は溜息を吐き、これからの事を考えていた。 一方、フランス・パリでは、シシィ=ローゼンフェルトが白いドレスの裾を翻しながら夜のセーヌ河を歩いていた。月光に照らされた彼女の白い肌やドレスには、ところどころ赤黒いものがついていた。「よぉ姉ちゃん、こんな所で何してんだ?」「俺らと遊ぼうぜ?」シシィの前に、いかにも柄が悪そうな男達が数人立ちはだかった。「退いてください。」「あぁん、生意気だなぁ?痛い目に遭わされてぇのか・・」ヒュンと風が唸るような音がしたかと思うと、男の両腕が地面に転がった。「ぎゃぁぁ、俺の腕が!」「だから退いて頂戴と言ったのに。馬鹿な男ね!」「このアマぁ~!」男の仲間がシシィに襲いかかろうとした時、彼女は剣を振るって彼らを切り刻んだ。「何て美しいんでしょう。」厚い雲に覆われていた月が姿を見せ、全身に返り血を纏ったシシィを映した。「でもまだ足りませんわ。もっと血が必要なのよ。」シシィは、そう言って自分の掌を見た。彼女の右手首には、赤紫色の痣が出来ていた。「もうここには飽きてしまったわ。」彼女はそう呟くと、金髪を揺らしながらセーヌの畔を後にした。「パリで猟奇連続殺人事件発生か・・」「もしかして、シシィ=ローゼンフェルトがパリに居るのかもしれませんね。」「そうかもしれないな・・」直輝がそう言った時、外が急に騒がしくなった。『お客様、近くのビルで火災が発生しました!直ちに避難してください!』従業員の誘導に従ってホテルから避難した直輝が隣のビルを見ると、そこは黒煙に包まれていた。(あの黒い炎・・また騰蛇が現れたのか?)じっと目を凝らして燃え盛るビルの内部を彼が見つめていると、ゆらりと窓側に人影が映った。それは一見、若い女性のようなものだった。やがて煙の向こうに、じっと外の様子を見ているシシィ=ローゼンフェルトの姿が見えた。(やはり生きていたか!)シシィは直輝の視線に気づいたのか、彼にふっと微笑んだ。「待て!」「先輩、危ないですよ!」「シシィ=ローゼンフェルトが隣のビルに居た!」直輝はそう言うなり、火災現場であるビルへと向かおうとしたが、消防士に止められた。(すぐそこに彼女が居るというのに・・)彼はこの仕事をして初めて、犯人を取り逃がした。にほんブログ村
2012年03月11日
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その夜直輝はなかなか眠れなかった。何度寝返りを打っても、彼の脳裡には自分を捨てた母の顔が浮かんだ。 交通事故で入院し、自分が人間ではないことを知った母は、以前から父に隠れて付き合っていた恋人と出奔し、二度と家には戻って来なかった。“いいか直輝、母さんはもう死んだんだ。”そう自分に言い聞かせた父の顔が恐ろしかったことを、直輝は今でも憶えている。それなのに、自分を捨てた筈の母が突然目の前に現れた。一体どういうつもりで、あの女は平気に自分の名を呼んだのだろう―直輝がそんなことを思いながら目を開けると、既に夜が明けていた。「先輩、おはようございます。」「おはよう。昨夜は戻ってくるのが遅かったな。」「ええ・・昨夜知り合った女の子達と飲みに行ってたんですよ。二日酔いで頭が痛くて・・」「飲み過ぎだな。水でも飲んでおけ。」「はいはい。」 朝食のバイキングへと直輝が向かうと、隅のテーブルから視線を感じた。そちらへと視線を向けると、そこには昨夜部屋のドアの前に立っていた件の女が座っていた。「ちょっとここで待っていてくれないか?少し済ませたい用がある。」「解りました。」姫沢は何かを察したらしく、それ以上何も言わなかった。「ここ、宜しいですか?」「え、ええ・・」直輝が女の前に椅子を引いてそれに腰を下ろすと、彼女は黙ってコーヒーを飲んでいた。「直ちゃん、あのね・・」「今まで何処で何をしてきたんですか。あの恋人とはどうなりました?」「それはね・・」「あなたにはこれだけ言っておきます。わたしはあなたを母親だと一度も思ったことなどありません。もうわたしに付き纏わないでください。」直輝はそう言うと女と目を合わせずにさっと立ち上がった。「先輩、どうぞ。」「ありがとう。」姫沢が差し出したコーヒーを、直輝はそう言って一口飲んだ。「ソウルに戻るぞ。取り敢えず向こうではホテルに泊まって、しばらくしたら部屋を借りよう。」「そんなに長引くんですか?」「ああ。もしかしたらシシィ=ローゼンフェルトが生きているかもしれないからな。」「シシィ=ローゼンフェルトが?そしたら、覚悟しないといけませんね。」姫沢の顔から能天気な表情が消えた。 特急でソウルへと戻ると、ホテルへと向かうタクシーの中で直輝は一眠りした。「先輩、携帯鳴ってますよ。」「ああ、解った・・」携帯を開いて通話ボタンを押すと、耳元に課長の切迫した声が聞こえてきた。『上島、今何処だ?』「ソウルですが、どうしましたか?」『済まないんだが、今すぐ帰国してくれないか?』「何か・・あったのですか?」ザワリと、直輝の胸が騒いだ。『ホテルに戻る所なら、テレビをつけてくれ。』ホテルへと直輝達が戻ると、ロビーには黒山の人だかりが出来ていた。「一体何があったんでしょうかね?」「さぁな。」皆テレビの方を見ていることに気づいた直輝がそちらを見ると、テレビにはとんでもないものが映し出されていた。「なんだ、これは・・」テレビに映し出されていたのは、津波によって瞬く間に瓦礫と化す街の様子が流れていた。2011年3月11日―東北を巨大地震が襲った。にほんブログ村
2012年03月11日
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『ミジュさんが加害者から中学時代いじめられていた事は知っていますか?』直輝がそう言ってミョンオクを見ると、彼女は静かに頷いた。『キム=ヨンス・・あの子は親の権力や金を笠に着て、クラスメイトを自分の下僕扱いしていて、クラスのみんなから嫌われていました。あの子の父親が事業で失敗した事を知った時、みんなは彼女に何をしたと思いますか?』『何をしたんですか?』ミョンオクは溜息を吐いてコーヒーを一口飲むと、次の言葉を継いだ。『ある日の朝、ヨンスが登校すると、クラスのみんなは笑顔を浮かべて彼女に拍手を送ったんです。そして彼女に黒板を見ろと。黒板には、“ざまぁみろ”と赤いチョークで書かれていました。』思春期を迎えた多感な少女達の、いじめっ子に対する余りにもあからさまな嫌がらせ。黒板を見たヨンスの蒼褪めた顔が、直輝には容易に想像できた。『それで、彼女は?』『教室から飛び出していて、二度と戻ってきませんでした。後日あの子のお母様から、抗議の電話をいただきましたけど、わたしと校長はヨンスが同級生に酷いいじめをしていることに気づいていましたから、取り合いませんでした。』つまり、金持ちでなくなったヨンスが同級生達から受けた仕打ちは自業自得ということだ。『先生、キム=ヨンスをどう思われますか?わたしは自己中心的な考えを持った女としか思えません。』『あの子は他人に対する思いやりや優しさといったものを持っていませんでした。それは両親、特に母親の影響でしょうね。彼女は夫が社長だということでミジュや同級生達の母親を馬鹿にしていましたから。』『そうですか。わざわざお忙しい中、お話ししてくださってありがとうございました。』『いえいえ、こちらこそ。そうだ、これを。』別れ際、ミョンオクは一枚のメモを直輝に手渡した。そこには、イ=ミジュが眠っている墓がある住所が書かれていた。『墓参りをしてやってください。』『必ず、伺います。』 その夜、直輝と姫沢はテグ竹刀のホテルに泊まった。「先輩、明日ソウルへ戻るんですか?」「ああ。」ホテルの部屋で直輝がノートパソコンに向かっていると、一通のメールが届いた。メールボックスを見ると、そこには課長からのメールが一通入っていた。内容は、姫沢と上手くいっているかどうかというものだった。直輝は姫沢に対する愚痴を長々と書いて返信した。「先輩、先に夕食行ってきますね。」「わかった。」姫沢が部屋から出て行った後、直輝は暫くノートパソコンで仕事をしていたが、パソコンの電源を切って凝り固まった肩を回した。その時、ドアが外からノックされた。「どなたですか?」椅子から立ち上がった直輝がドアスコープから外を見ると、そこには1人の女性がドアの前に立っていた。「あの・・上島直輝さんですか?」「そうですが、わたしに何か?」「少しお話ししたいことがあるので、部屋に入らせていただけないでしょうか?」女性が挙動不審であることに嫌な予感を感じた直輝は、ロックチェーンを掛けてドアを開けた。 すると女性は身を乗り出して目を見開いて直輝を見てきた。「直ちゃん、会いたかった!」「どちら様ですか?」「あたしよ、神田奈緒子!」「誰かと思ったら、あんたか。ここへは何しに来た?」「ねぇ、部屋に入れてよ。お願いだから・・」女性の言葉に耳を貸さず、直輝はドアを彼女の鼻先で閉めた。暫くドアを叩く音が聞こえたが、直輝がドアスコープから外を覗くと女性の姿はもうなかった。(今更どの面下げて会いに来たんだ。子どもを捨てた癖に!)にほんブログ村
2012年03月11日
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翌朝、直輝が部屋を出て朝食を取りにホテル内のカフェへと向かうと、そこには先に来ていた姫沢がデザートを頬張っていた。「先輩もこのケーキ食べます?美味しいですよ!」「いらん。わたしは甘い物は余り好きじゃないんだ。」直輝はそう言って姫沢にそっぽを向くと、皿を取って料理を選んだ。アメリカンビュッフェ形式で、サラダやハム、ベーコンやフレーク類があり、直輝はさっさとサラダとパンを皿に載せて自分のテーブルへと戻った。「先輩、これしか食べないんですか?」「朝から胃がもたれるような物を食べていたら後が辛いからな。それよりも姫沢、報告書は読んだのか?」「はい。今日は被害者達が通っていた中学校に行って、当時の担任から詳しい話を聞こうと思うんですが・・」「生憎だが、被害者達の担任教師は数年前に定年退職していて、今はテグ市内に住んでいる。朝食を食べ終えたら、テグへ向かうぞ。」「え~、今日はゆっくりと観光できると思ったのにぃ~!」「観光は後だ、後!お前には優先事項というものが解らないのか!」朝から後輩を怒鳴りつける直輝の姿を、日本人観光客がじろじろと見ていた。「さっさと荷物を纏めてチェックアウトするぞ。」「あ~あ、何で韓国に来たんだか、判んないや。」ホテルの部屋で荷物を纏めながら、姫沢はそう呟いて溜息を吐いた。「さっさと来い!」「はぁ~い。」(ったく、どうしてこんなに使えない奴を課長はわたしに宛がったんだか・・)朝から苛々しながら、直輝はホテルをチェックアウトしてタクシーでソウル中央駅へと向かった。「ねぇ先輩、観光はいつするんですかあ?」「仕事が先だといっただろう。」直輝は姫沢にそっぽを向くと、窓の外の風景を眺めた。「あの~、すいません。」突然背後で声が聞こえたので、はじめ直輝は自分に話しかけられている事に気づかないでいた。「あの、すいません・・」肩を叩かれ、直輝は漸く自分が話しかけられている事に気づき、読んでいた文庫本から顔を上げた。 通路に居たのは、小学生くらいの子供を連れた女性だった。日本人観光客だろうか、女性はガイドブックを握っていた。「何でしょうか?」「あの、そこ譲っていただけませんか?」「どういう意味でしょうか?わたし達は料金を払ってここに座っています。それを赤の他人にタダ同然で譲れとおっしゃりたいんですか?」直輝の言葉に、女性はあからさまに不機嫌な顔をした。「席くらい、譲ってくれてもいいじゃない!」「同じ日本人観光客だから、子どもを連れているからといって、そう易々と席を譲ってくれるとでも思っているのですか?図々しいにも程があります。お子さんの教育にも良くありませんよ。」直輝は女性が何か罵倒しているのを完全に無視して、読書に戻った。「先輩、あんな言い方はないんじゃないですか?」「お前は馬鹿か?あんな図々しい輩に一度でも情けをかけてみろ。つけあがるだけだ。」(厳しいなぁ、この人・・)頭が切れて仕事が出来る直輝だが、他人にも自分にも厳しいという噂は本当だった。「そろそろ降りるぞ。」「はい・・」テグで特急列車を降りた直輝達は、被害者達の中学時代の元担任・イ=ミョンオク宅へと向かった。『すいません、上島と申しますが・・』『あら、いらしてくださってありがとう。どうぞ上がってくださいな。』ミョンオクは笑顔が似合う中年女性だった。『今日は、ミジュ達の事を聞きにいらしたのでしょう?』リビングに通された直輝の前に、ミョンオクはコーヒーとクッキーを置いた。『あなたは中学時代、被害者達と、加害者の担任を務めていたとお聞きしました。あなたの目から見て、彼女達の関係はどう映りましたか?』『そうねぇ・・ミジュは良い子でしたよ。幼い頃に父親を交通事故で亡くしてから、女手ひとつで自分を育ててくれている母親の苦労を知っているからか、弱音をめったに吐かない子でした。』にほんブログ村
2012年03月11日
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『事件の概要は、報告書で把握しております。身勝手な犯人による放火殺人・・その裏に騰蛇が絡んでいる。』 ソウル市内から少し離れた韓定食の個室で、直輝はそう言ってソウル支局員・チョン=ヨンデを見た。『そうです。あなたは騰蛇を使役できる優秀な方だと聞いております。騰蛇の恐ろしさを、あなたは誰よりもご存知だ。』『ええ。ヨンデさん、キム=ヨンスに会えますか?』『さぁ、それは難しいでしょう・・』ヨンデはそう言って唸ると、酒を一口飲んだ。『彼女は裁判で有罪を言い渡され、昨日死刑判決が出ましたから。』『そうですか・・では面会は出来るのですか?』『それは駄目です。面会は近親者のみとなっておりますから。彼女の両親と弟は、ソウル市内から地方へと移りました。』(取りつく島もなし、か・・) 出来るのならキム=ヨンスに会い、彼女に尋問を行いたかったが、それすらも不可能となれば、事件解決には暫く時間がかかりそうだ。『被害者遺族の方になら、お会いする事も出来ますが・・』『それは止めておきましょう。被害者たちは何の落ち度もないのに残酷に殺された。それを知っただけでも辛いというのに、この期に及んで我々が彼らに会うというのは不味い。』犯罪者遺族となった女子高生たちの家族が今どのような状況に置かれているのか、直輝には容易に想像できた。 なぜなら、直輝も犯罪によって兄を亡くしたことがあるからだった。 長兄である善樹は、直輝が人間ではないことを知った後も、彼を家族として、人間として扱ってくれた唯一の理解者であった。その善樹は、大学の帰り道に女に刺殺された。犯人の女は、背格好が似ているというだけで、自分を振った男と善樹を間違えて刺してしまったのだ。誰よりも慕っていた善樹がこの世からいなくなり、直輝は同級生達の心ない言葉に傷つき、犯人を憎んだ。「罪を憎んで人を憎まず」とよく言うが、実際に家族を身勝手な犯人に殺害されていない人間に、遺族の感情は到底理解できまい。『そうですね。慎重に動いた方がよさそうです。』昼食を終えてヨンデと別れた直輝達は、宿泊先のホテルへと向かった。「日本人観光客が多いですねぇ。」ロビーでチェックインの順番を待っている日本人観光客の姿を眺めながら、姫沢は欠伸をしていた。「まぁな。韓国ドラマの影響もあるだろうし、距離もアメリカ、ヨーロッパに比べて近いからお手軽感覚で旅行に来る者が多いんだろう。だが100年前この国は日本の植民地であったことは揺るぎない事実だ。その事に対して悪感情を持っている者は必ずいる。」「そうなんですかぁ?知らなかったなぁ。」「歴史の授業で習わなかったのか?あぁ、お前の事だからいつも寝てたんだろう?」「せ、先輩・・」自分の言葉に少しへこんでいる姫沢に背を向けて、直輝はチェックインしてエレベーターへと乗り込んだ。「課長、あの新人は観光客気分で来ています。それに何かと自分に頼ろうとしている。」『まぁまぁ上島君、そこは大目に見てやってくれ。』「不況で就職難の中、安定した職業を選ぶ若者が多いと聞きますが、それは事実のようですね。新人が使い物にならないとわたしが判断したら、切っても宜しいんですね?」『上島君、君はいつも仕事に関して一切妥協しないね。後輩を育てるというのも仕事のひとつだ。』上司に姫沢の態度を愚痴ったら、逆にいさめられてしまい、直輝は溜息を吐いて携帯を閉じた。「先輩~、夕飯何処に行きます?」「わたしはいい。それよりも姫沢、事件の資料には目を通したか?」「少しだけ・・」「観光するのもいいが、ここへは遊びに来ているんじゃない。仕事の内容を理解する事は、社会人としての基本的なことだろう。事件の資料と報告書に目を通しておけ、今すぐに!」まだ学生気分を引き摺った、何処か仕事を舐めているかのような新人の態度に、直輝は苛立ちを隠せなかった。にほんブログ村
2012年03月10日
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直輝はソウル支局からの緊急メールを受け取ると、すぐさまソウルへと飛んだ。いつも直輝一人で捜査に行くのだが、今回は新人と組まされてしまった。「先輩、やっぱり韓国に行くんだからグルメは押さえておかないといけませんよね?」そう呑気に隣の席で話す新人・姫沢恵は、先ほどから観光ガイドブックを片手に何ヶ所か観光スポットを巡る計画を立てていた。「お前なぁ、ソウルへは仕事で行くんだぞ?」「はいはい、解ってます。」(解っていないだろう・・)姫沢の呑気な顔を打ちたくなる衝動を抑えながら、直輝はソウル支局から届いた報告書に目を通していた。 現場となったカラオケボックスで火災が起きたのは数日前の午後10時半過ぎで、発生当時店に居たのは大学の入学祝いのパーティーを行っていた6人の女子高生たちだった。彼女達が将来への夢を語っている時、突然個室に1人の少女が乱入し、ガソリンを部屋に撒いて火をつけた。 死亡した3人はソウル市内の女子高に通い、名門女子大・梨門(イファ)女子大へと入学したイ・ミジュと、チェ・ボンミ、ハン・ガウン。放火犯は、被害者の一人、ミジュと中学時代の同級生だったキム・ヨンスという少女だった。 彼女の家は昔資産家で、社長令嬢として学校内で幅を利かせていたヨンスは、母子家庭であるミジュを散々いじめていた。だが、ヨンスの父が事業に失敗した煽りを受け会社は倒産し、ミジュと偶然受験会場で再会した彼女は、“会社が倒産したのは彼女の所為だ”と勝手にミジュに恨みを募らせた。 ヨンスは梨門女子大への受験に失敗し、それに対してミジュは見事首席で合格を果たし、輝かしい未来への第一歩を踏み出そうとしていた矢先だった。「自分はどん底なのに、輝かしい未来を手にしたミジュが憎くて堪らなかった。両親が不仲なのも、弟が学校でいじめられるのも彼女の所為だ。」警察の供述で、ヨンスは狂気に澱んだ瞳でそう主張した。(恐らく、キム・ヨンスの負の感情に、騰蛇が呼び寄せられた。シシィ=ローゼンフェルトが絶望のあまりに騰蛇を召喚したように。)十二神将を操れる直輝にとって、騰蛇の恐ろしさは良く解っている。主に忠実である反面、人としての負の感情に敏感な騰蛇は、憎悪や怒り、絶望といったものを宿す人間に召喚されやすい。そして全てを焼き尽くす殺戮の炎を見境なく使う。騰蛇を使役する人間は、強靭な精神力が必要とされているのは、その為だ。「先輩~、聞いてます?」「何だ?」直輝が不機嫌そうに姫沢の方を見ると、彼はまだガイドブックを広げていた。先ほどよりも付箋の数が増えたような気がする。「皆さんへのお土産、どうします?」「適当に買っておけ。」「何でそんなに無愛想なんですか?」「お前の浮かれた顔を見たくないからだ。」課長から新人教育を押し付けられ、直輝は少しうんざりしていた。『警察庁から来られた上島さんですね?初めまして、わたしはソウル支局のチョン・ヨンデと申します。』仁川空港の到着ロビーから出てきた直輝と姫沢を、メールを送ってくれたソウル支局員が出迎えてくれた。『初めまして、上島直輝です。お忙しい中、わざわざお迎えに来て下さりありがとうございます。』『いえいえ、そちらこそ長旅お疲れ様です。お昼はまだですか?』『はい。』『韓定食のお店でとても美味しい所を知っています。そこで事件について話しましょう。』流暢な韓国語を話す直輝を、姫沢は呆然と見ていた。 神秘課きってのエース、上島直輝のことは、以前から知っていた。12ヶ国語を話し、十二神将を使役し、射撃の腕も一流である彼は、周囲から“変人”と呼ばれていた。(俺、この人と上手くやっていけるかなぁ・・)にほんブログ村
2012年03月10日
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大学の入学式に、ミジュは晴れ晴れとした顔で母親とともに出席した。そこにはヨンスの姿はなかった。「ミジュ、これからがスタートよ、頑張りなさい。」「わかったわ、母さん。」合格したからといって気を緩めてはならない―ミジュはそう思い、大学生活のスタートを切った。(ミジュ・・あんたの所為で、あたしは不幸になる!)ミジュの笑顔を、ヨンスは遠巻きに睨みつけながら木の幹に爪を立てた。彼女の中にどす黒い炎が、徐々に燻り始めていた。 一方、イギリス・ウェールズにあるローゼンフェルト伯爵邸では、アルフェルトが愛娘・シシィを反魂させ、様子を見ていた。(これで、上手くいくのだろうか・・?)絶望の果てに死んだ娘のことを、アルフェルトは認めたくなかった。だから彼はそれが禁忌の術とは知らずに使ってしまった事を、まだ気づいていなかった。(シシィ・・)アルフェルトは溜息を吐いて紅茶を一口飲んでいると、娘の部屋のドアが軋む音がした。「シシィなのか?」アルフェルトが恐る恐る娘の部屋へと入ると、そこには白いドレスを着た彼女が蒼い瞳でじっと自分を見ていた。「シシィ、生き返ってくれたんだな!」アルフェルトがシシィを抱き締めると、シシィはにっこりとあるフェルトに微笑んだ。「シシィ、今まで済まなかった・・許して・・」彼の言葉が終わらない内に、シシィは彼の首筋に歯を立てた。「シシィ・・」アルフェルトは首筋を押さえながら、自分に向かって剣を振りかざす娘を最期に見た。「上島君、ちょっといいか?」「はい。」警察庁公安部神秘課のオフィスで直輝が豪華客船・ルチアーナ号の火災についての報告書を書いていると、上司に声を掛けられてオフィスを後にした。「お話とは何でしょうか?」「実はな、先ほど君のお母上が見られて、君に会わせたい方がいらっしゃると・・」「申し訳ありませんが、縁談はお断りいたします。」「上島君、君もそろそろいい年だ。仕事よりも身を固めた方が・・」「お言葉ですが課長、今は生涯独身を貫いている方が大勢いらっしゃいます。それに・・誰が好きこのんで化け物の嫁になりたい女性が居るのですか?」上司にそう言い放つと、直輝は喫煙室から出ていった。(ここ以外に、わたしの居場所は何処にもない・・わたしは、人間ではないのだから。)直輝は目を閉じ、少年時代に受けた酷い仕打ちの数々を思い出した。彼は普通の人間の子供として生を享けたと、直輝自身がそう思い込んでいた。彼が8歳の時、交通事故に遭うまでは。そこで直輝は初めて、両親から自分が人間ではないことを知らされたのだった。あれほどの大事故であったにも関わらず、迅速な回復力で医師達を驚かせていた。自分は人間ではない―驚愕の事実を知った直輝は次第に心を閉ざしてゆき、己の力を嫌悪するようになった。今ではもう自分の生い立ちに引け目を感じることはなくなったが、結婚という二文字が目の前にちらつく度に二の足を踏んでしまう。自分の忌まわしい血を、次世代に引き継がせてはいけない―直輝はそう決意し、母が勧める縁談を断って来た。「上島君、ソウル支局から緊急メールだ。騰蛇が現れたらしい。」「騰蛇が?」ソウル支局から送られた緊急メールによると、ソウル市内のカラオケボックスで火災が発生し、女子高生3人が死亡したという。 その現場から、シシィ=ローゼンフェルトのものと思われるプラチナ・ブロンドの髪が発見された。(もしかして、シシィ=ローゼンフェルトは・・)直輝は、嫌な予感がした。にほんブログ村
2012年03月09日
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ソウル市内のマンションに住むイ・ミジュは、母親に盛大な励ましを受けながら受験会場へと向かった。この日、韓国では大学修学能力試験が行われ、学歴社会のこの国に於いてこの日を迎える受験生達とその親、そして彼らが在学する学校の後輩たちにとっても運命の日であった。(いよいよだ・・)ミジュが第一希望の大学へと向かうと、そこには他校の先輩達を激励する後輩たちの応援合戦と、母親達による祈祷が行われていた。そんな光景を遠目に眺めながら、ミジュはこの日を迎えるまでの苦しみを思い出した。毎日徹夜で勉強し、ひたすら合格する事を願った。友達と遊んだりする事も我慢して、必死に努力してきた結果が、今日決まるのだ。(頑張るぞ!)彼女は意気揚々と、大学の正門をくぐった。「あら、誰かと思ったらミジュじゃない。あなたもわたしと同じ大学を受けるのね。」受験番号が書かれた席に着き、ミジュが緊張を鎮めていると、誰かに肩を叩かれた。 そこに居たのは、中学の同級生だったヨンスだった。「あらヨンス、あんた留学するとか言ってなかったけ?韓国の大学はレベルが低いから、海外で活躍するんだぁって言ってたのに。」中学時代何かと親が金持ちであることを鼻にかけ、母子家庭のミジュを散々馬鹿にしていじめていたヨンスにミジュがそう言うと、彼女は顔を真っ赤にして黙り込み、自分の席へと戻っていった。今はこんな女に構っている暇などない。自分の夢へと一歩踏み出すチャンスなのだから。ミジュは試験用紙に自分の氏名を書くと、精神を研ぎ澄ませた。「ただいま。」「お帰りなさい、ミジュ。試験はどうだった?」「手ごたえがあったわ。ねぇ母さん、試験会場で誰に会ったと思う?あの意地悪なヨンスよ!」「まぁ・・あの子の親が経営していた会社が潰れたって噂は聞いたわ。」「ふぅん、そうなの。それよりも母さん、合格したら盛大にパーティーでもしようね!母さんに苦労掛けた分、わたしが親孝行するから!」「ええ、わかってるわ、ミジュ。」これまで母子2人で肩を寄せあって生きてきたミジュは、母親が苦労してきたことを知っていたから、母に恩返しをしたかった。 試験の発表は、翌日の昼だ。「ただいま。」ヨンスが試験会場から帰宅すると、食器が割れる音がドアの向こうから聞こえた。「あんた、これで何度目?いくら人が良いからって詐欺師に金を騙し取られるなんて、わたしはご近所さんの目を気にして出歩けないわよ!」「うるさい、今まで誰のお蔭で飯が食えたと思ってるんだ!?」「何よ、会社を潰したのはあんたの所為でしょう!」また両親が互いの責任を押し付け合って罵り合っている。「お帰りなさい、姉さん(オンニ)。」リビングの前で立ち尽くしているヨンスに、弟のジュンスが声を掛けた。「ただいま。試験でミジュに会ったわ。」「ミジュ先輩(オンニ)に?元気にしていたの?」「彼女とは二度と会わないだろうと思っていたのに・・」ヨンスはぎりぎりと唇を噛み締めながら、喉奥から声を絞り出した。 翌日の昼、ミジュとヨンスはそれぞれ緊張した面持ちでパソコンの前に座っていた。「やった、あった!」「そんな、信じられない・・」ヨンスは何度も画面をスクロールさせたが、何処にも自分の受験番号が見当たらなかった。「母さん、合格したよ!」「良かったわね、ミジュ!」勝利の女神は、苦労人であるミジュに微笑んだのだった。にほんブログ村
2012年03月09日
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豪華客船・ルチアーナ号の火災と沈没のニュースは、瞬く間に世界中に広がった。 それと同時に、オーナーであるピーター親子の過去の悪行も明らかとなり、遺族たちは彼の親族に対して損害賠償の訴訟を起こした。その結果、一族は多額の負債を抱えて路頭を彷徨う羽目となった。オーナー一族の没落ぶりを知らずに、ユリウスとルドルフはオーストラリア・ゴールドコーストで優雅な休暇を過ごしていた。「季節が冬だということが信じられないな。」「ええ。ですがこんなに乾燥していると、お肌に悪いですね。」「そうだな・・」ルドルフは目を閉じると、絶望の果てに命を絶ったシシィの蒼褪めた顔が浮かんだ。彼女の心は、あの時から以前に絶望に塗れていたのだろうか。今となっては、知る由もない。「ルドルフ様?」「何でもない。さてと、肉は美味く焼けたかな?」ルドルフがバーベキューコンロの中を覗きこむと、そこには高級な肉が焼けていた。「いただきましょうか?」美しい珊瑚礁の海を眺めながら、2人は優雅なランチを取った。「あの船の火災は、騰蛇が引き起こしたものだと?」一方、警察庁の本会議室では、警察上層部の男がそう言って報告書から顔を上げ、自分の正面に立っている男を見た。「はい。お嬢様・・シシィ=ローゼンフェルト伯爵令嬢が召喚したものです。」「そうか・・それで?騰蛇は船とともに沈没したのか?」「沈没したと思われます。しかし騰蛇の生命力は並大抵ではありません。あれは最も凶暴な蛇神ですから。」「そうか・・もう下がっていい。」「では失礼致します。」男―ローゼンフェルト家の元執事・上島直輝は上司に頭を下げると、会議室から出て行った。ローゼンフェルト家の執事は仮の姿で、彼の本職は警察庁公安部神秘課の人間だった。警察庁公安部神秘課は、日本国内外で起きる怪奇現象や、悪魔が“引き起こした”とされる不可解な事件・事故を取り扱う部署であり、大抵の者は式神を使役しているが、直輝は独自にローゼンフェルト家に潜入し、シシィが式神を召喚したことを知った。だが、ルチアーナ号の火災は想定外の事だった。(早く騰蛇を回収せねば・・だが、シシィ嬢の遺体が発見されないのは厄介だな。凶暴な蛇神だが、主には忠義を尽くす騰蛇は、必ず彼女の遺体のそばに居る。)直輝は溜息を吐きながら、警察庁を後にした。 一方、オーストラリア・シドニー郊外で、少女の遺体が発見された。少女は返り血のついた真珠色のドレスを纏っており、長時間海水に浸かったにも関わらず、通常の水死体とは違い髪や皮膚には激しい損傷は見当たらず、生前の美しい姿のままだった。DNA検査の結果、少女の遺体はシシィ=ローゼンフェルトであると判明した。「シシィ、許しておくれ・・」数ヵ月振りに娘と“再会”したアルフェルトは、己の愚行を恥じ、娘の遺体を納めた棺が一族の墓に地中深く埋められるまで、娘に許しを乞うた。葬儀を終えたアルフェルトが娘の遺品を整理していた時、彼はある書物を娘の本棚から発見した。それは生前娘が古書店で購入した、東洋呪術を纏めた本だった。何気なしに彼がページを捲っていると、急に窓から強風が吹き込んできて、アルフェルトはその弾みで本を落としてしまった。「全く・・」彼は溜息を吐いて本を拾い上げようとすると、そこには『反魂(はんごん)』と書かれたページが丁度開かれていた。彼は何者かに憑かれたかのように、そのページを何度も読みふけった。ローゼンフェルト家があるイギリス・ウェールズ地方から約数万キロ離れた大韓民国の首都・ソウル市では、国全体を上げてある一大行事が、行われようとしていた。「ミジュ、忘れ物はない?」「うん。そんなに心配しなくても大丈夫だよ、お母さん(オンマ)。」<あとがき>警察庁公安部神秘課は、実在しません。勝手にわたしが作った部署ですので(笑)にほんブログ村
2012年03月08日
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「どうして・・お父様?どうして、わたしを・・」シシィは物憂げな顔を、最愛の父に向けた。「シシィ、許しておくれ。いくら家の為とはいえ、お前に酷な事をしてしまった。」「何度謝っても許しませんわ、お父様。だってお父様は、わたしをあんな男に売ったんですもの。」歌うようにシシィは言葉を紡ぐと、謎の化け物がそれに同調するかのように鳴き出した。「騰蛇(とうだ)を召喚してしまわれたのですね、お嬢様?この世の絶望を、焼きつくそうと。」ローゼンフェルト伯爵家執事・直輝(なおき)は、そう呟いてシシィを見た。「騰蛇だと?何故そんなものをシシィが?」「それはあなたがご存知の筈でしょう、旦那様。いくら家の為とはいえ、あのような男の元に嫁がせるなど・・正気の沙汰ではありませんよ!」「おい貴様、どう言う事なのかわたし達に解るように話せ。」ルドルフがそう言って直輝を睨み付けると、彼は溜息を吐いた。「お嬢様は最近、東洋の呪術に嵌っておられて、書物で式神を召喚する術を得ました。」「それがあの化け物だと・・トウダだというのか?」「ええ。騰蛇は中国の蛇神で、炎を操り、その炎は全てを焼き尽くす殺戮の炎です。己が置かれた境遇にお嘆きになったお嬢様の心と融合された騰蛇は、この船を燃やすつもりです。」「この船を燃やすだと!?何とかして騰蛇を止める術はないのか?」「それは無理です。お嬢様は既に正気を失われております。長年お嬢様にお仕えしていたわたくしでも・・」直輝はそう言うと、悲嘆にくれたシシィの姿を見た。「お父様、どうして、どうしてなの!」シシィが泣き叫ぶと、騰蛇は炎を口から吐き出した。「旦那様、ここは危険です!早くデッキへ避難なさりませんと!」「だが、シシィがまだ中に・・」「おっしゃったでしょう、旦那様!お嬢様を救うのはもう無理なのです!」直輝に背を押され、アルフェルトはデッキへと避難した。「ルドルフ様・・」「シシィ殿と言ったな?何故あなたは悲嘆に暮れているのだ?」ルドルフは燃え盛る炎に怯まず、シシィの方へとゆっくりと近づいていった。「憎らしいからよ、この世のすべてが。」シシィは蒼い瞳でルドルフを冷たく見下ろした。「あなたにだってわかるでしょう、全てに絶望した時の気持ちが?」「それは・・」「わたしはもう、心残りはないわ。だから・・放っておいて頂戴!」シシィがそう叫んだ瞬間、船室の天井が轟音を立てて崩れ落ちた。「くっ・・」絶望に包まれた少女が操る騰蛇は怒り狂い、この船を焼き尽くそうとしている。「ルドルフ様、もう無理です!」ルドルフの手の皮が炎によって少しめくれているのを見て、ユリウスは彼の手を引っ張った。「シシィ・・」「もうわたしの事は構わないで、迷惑なのよ、あなたの中途半端な優しさが!」シシィの言葉が、ルドルフの胸にグサリと刺さった。「そうか・・ならば・・」ルドルフはサーベルを鞘から抜き、シシィの胸に深々と突き刺した。「なっ・・」驚愕の余り蒼い瞳を見開いたシシィは、口から血泡を吐きながら床にあおむけに倒れた。騰蛇が悲鳴を上げてとぐろを巻き、新たな炎を吐き出した。「ルドルフ様、お早く!」ユリウスとともにデッキへと向かったルドルフは、船内が新たに爆発する光景を目の当たりにした。憎い男が所有する船を焼き尽くす程、彼女の絶望は深かったのだろうか。「さらばだ、シシィ・・」ルドルフはそう呟くと、救命ボートに乗り込んだ。その数分後、莫大な費用を掛けたピーター親子所有の豪華客船は、海の藻屑と化した。悲嘆にくれた伯爵令嬢の想いとともに。にほんブログ村
2012年03月08日
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「どうしたシシィ、こっちに来なさい。」「いいえ、今日はもう疲れてしまいました。」シシィはそう言ってピーターに背を向けて部屋から出て行こうとしたが、彼女の手をピーターは掴んだ。「何処へ行く?」「父の所ですわ。」「お前の父親はわたしにお前を売ったんだ。だから言う通りにしろ。」「嘘よ、嘘・・」「本当の事だ。」ピーターはそう言うと、一枚の書類をシシィに見せた。「これが何だか解るか?借用書だ。お前の父親は莫大な借金と引き換えに娘を売ったんだ!」(お父様が・・わたくしを・・)「そんな・・」シシィの中で、何かが崩れ落ちる音が聞こえた。今までの17年間は、何だったのか。父と共に暮らした17年間は、一体―「良い子だ、シシィ。」「嫌・・わたくしに触らないで!」ピーターの手を払いのけ、シシィは悲鳴を上げた。“我を呼んだか、娘よ。”頭の中から誰かの声が直接響いた。「済まないな、ユリウス。もう良くなった。」「そうですか。ロザリオが見つかってよかった。」ユリウスはそっとルドルフの髪を撫でながら安堵の溜息を吐いた。「折角の旅行なのに、済まないな・・お前に心配ばかりかけてしまったな。」「何をおっしゃいます。それよりもオーストラリアに着いたらゆっくり過ごしましょうね。」「ああ、そうしよう。」ルドルフがベッドから起き上がってユリウスを抱き締めようとした時、船内にアラームが鳴り響いた。「何だ?」「一体どうした?」部屋から乗客達が何人か出て来て廊下を見ながら戸惑っていた。「皆様、すぐさまデッキへと向かってください!船内で火災が起きました!すぐ救命ジャケットを着て、デッキへと避難してください!」「火災ですって?」「早く逃げないと!」「係員の誘導に従ってください、押さないでください!」ルドルフとユリウスは救命ジャケットを着ると、火災が起きている船室へと向かった。「なんだ、これは・・」そこには紅蓮の業火が船室を包み、その中でプラチナブロンドの髪を靡かせながら少女が歌を歌っていた。「シシィ、何をしている、早く逃げるんだ!」男性が声を掛けると、少女はぴたりと歌を歌うのを止め、ゆっくりと彼に振り向いた。「お父・・様・・」「シシィ?」アルフェルトは、目の前に立っている愛娘の、変わり果てた姿に絶句した。彼女のお気入りの真珠色のドレスは、ピーターと思しき返り血で赤黒く汚れており、蒼い瞳はギラギラと異様な光を放っていた。その時、奥の方からけたたましい鳴き声がして、鳥とも蛇ともつかぬ化け物がルドルフ達に襲い掛かって来た。ルドルフは咄嗟に愛剣を抜き、化け物の攻撃からユリウスとアルフェルトを守った。「お嬢様・・」甲高い音が床を鳴らしたかと思うと、長身の男が呆然と主を見ていた。にほんブログ村
2012年03月06日
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「シシィ、良く来たね。」そう言ってシシィを見つめる男は、このルチアーナ号のオーナー・ドリアンの長男・ピーターだった。シシィの父・アルフェルト=ローゼンフェルト伯爵は、財政が苦しく、愛娘・シシィをピーターの元に嫁がせることで借金を帳消しにして貰おうとしていた。所謂政略結婚である。今年17となるシシィにとって、父親と数歳しか違わないピーターとの結婚は苦痛以外の何物でもなかった。(お母様が生きていらっしゃったら、この結婚に反対してくださったのに・・)シシィの母・エルフリーデは、シシィを産んで間もなくして亡くなり、アルフェルトと父子で肩を寄せ合って生きてきた。だが最近、思うのだ。もし母が生きてくれていれば、こんな不本意な結婚に真っ先に反対してくれているだろうと。「どうした、シシィ?顔色が悪いね?」「いいえ・・少し船酔いしただけですわ。」シシィはそう言ってナプキンで口元を拭った。「ピーター、良かったわねぇ。こんなに綺麗なお嬢さんをお嫁に迎えることができるだなんて。」ピーターの隣に座っている老女がそう言いながら息子の口端についた食べかすをナプキンで拭いとった。そんな親子の様子を見ながら、シシィは吐き気がした。50を過ぎても80近い母親にベッタリな息子、それを全く改めようとはしない母親―この家に長年縁談が来なかったことが頷けるような気がした。「ユリウス、ロザリオは見つかったか?」「いいえ。誰かが拾ってくださったのでしょうか?後でフロントに聞いてきます。」「そうしよう。」そう言ったルドルフの手が若干震えているのを、ユリウスは見逃さなかった。「大丈夫だ、心配するな。」「ですが・・」「大丈夫だ。」ルドルフはそっとユリウスの手を握った。だが身体の底から地獄の炎が湧きあがってくる感覚がして、次第に呼吸が荒くなった。(駄目だ・・こんな人目のあるところで・・)意識が朦朧として、徐々に視界が曇ってゆく。「ルドルフ様!誰か、お医者様を!」ユリウスは医師に診察されるルドルフを心配そうに見ながら、ロザリオを見つめる為にフロントへと向かった。「ロザリオですか?少々お待ち下さい。」フロントクラークのスタッフは、数分後一枚の封筒を取り出した。「先ほど黒髪の切れ長の目をした方が、ロザリオをこちらに預けました。」「ありがとうございます、助かりました。」部屋へと戻る道すがら、ユリウスは封筒の中身を確かめると、そこにはあのロザリオが入っていた。(良かった・・)もう二度と失くさないように、ユリウスはロザリオを首から提げた。「ルドルフ様、大丈夫ですか?」「ああ。心配かけたな。」「いいえ。あなたがご無事で良かった。」ユリウスはそう言ってルドルフを抱き締めた。 一方、シシィは部屋でピーターと向き合っていた。「シシィ、これから君の事を幸せにしてみせるからね。」「ええ、嬉しいですわ・・」顔を引き攣らせながら、シシィはピーターの手を握り締めた。(汚らわしい・・)彼女の中に眠る炎が、徐々に燻り始めた。にほんブログ村
2012年03月06日
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豪華客船・ルチアーナ号のロビーは、高級ホテルのそれともひけを取らぬほどの壮麗なもので、天井に描かれている壁画に思わずユリウスは目を暫し奪われていた。「ユリウス、行くぞ。」「はい・・」我に返ったユリウスが慌ててルドルフの方へと駆け寄ろうとした時、彼は1人の少女とぶつかった。「あ、すいません・・お怪我は?」「大丈夫です。」プラチナブロンドの髪を結いあげ、真珠色のドレスと揃いのリボンをしている少女は、そう言ってユリウスに微笑んだ。「ユリウス、何してる!?早く来い!」「では、わたしはこれで。」ユリウスが立ち去って行くのを、少女は静かに見送っていた。「お嬢様、こちらにおられましたか。」「あら、もうわたしを見つけてくれたの?」少女がくるりと振り向くと、そこには漆黒のスーツに長身を包んだ切れ長の瞳をした男が立っていた。「お嬢様、それは?」「ああ、これ?先ほどの方が落としてしまったみたい。声を掛けようとしたのだけれど、急いでいたようで、気づいてくれなかったわ。」「そうですか。」男はそう言うと、主が握っているロザリオを見た。黒い数珠で連ねられ、装飾性が全くないそれは、まるで聖職者が持つようなものだった。「お嬢様、旦那様がお呼びです。」「パパが?すぐ行くわ。」ドレスの裾を翻して、少女は父親が待つデッキへと向かった。「あ・・」「どうした、ユリウス?」部屋に入ったユリウスは、ロザリオを何処かに落としてしまったことに初めて気づいた。「ロザリオを、落としてしまいました。」「なんだ、そんな事か。」ルドルフはそう言って普段着からディナーの為に身支度をしていた。「あのロザリオは、あなた様やわたしにとって特別なものです。」「特別なもの?」「ええ、あなた様が暴走した時に、あなた様の力を封じ込めるものなのです。」「そうか・・それならば誰かの手に渡る前に見つけなければな。ユリウス、着替えは済ませたな?わたしについて来い。」「はい。」タキシードに着替えた2人は、ディナーの予約を入れていたレストランへと向かった。「お父様、今のお話は本当なんですの?」ユリウスが先ほど会った少女が、そう言って父親を見た。「ああ。お前には済まないと思っているが・・」「解りました、お父様の言う通りにいたします。それでお父様の会社が守れるのなら・・」「済まない、シシィ。わたしを、許してくれ・・」父親のしわがれた手を、少女は優しく握った。「お嬢様、ディナーのお時間です。もう行きませんと。」「ええ、解ってるわ。お父様も一緒に参りましょう。」「わたしは部屋に残って考えたい事がある。」「そうですか・・」少女は部屋のドアを閉め、男と共にレストランへと向かった。「あちらです、お嬢様。」レストランに入るなり、少女は自分に手を振る男の方を見て愛らしい顔を顰めた。そこには親同士が決めた許婚の男が、彼の家族とテーブルに着いていた。「シシィ、久しぶりだね。」「お久しぶりですわ。」そう言って少女は相手の男に笑顔を浮かべたが、それは少し引き攣っていた。にほんブログ村
2012年03月05日
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チクリと右腕に針が刺される感触がして、ルドルフは思わず顔を顰めた。「大丈夫ですか?」ルドルフの反応を見た医師が、心配そうに彼の顔を覗きこんできた。「大丈夫です。」医師の傍らには、じっとルドルフの様子を見つめているユリウスの姿があった。 彼らが居るのは、都内某所にある聖アンジェリカ病院だった。ルドルフとユリウスは、ここで生きる糧を得るために毎日通っているのだった。ルドルフは、じっと自分の頭上にある点滴袋を見た。そこには、人間の血液が満ちていた。 吸血鬼として覚醒したルドルフは、従者であるユリウスから血を貰って生きていたが、それも限界に来ていた。そこで血液内科があるこの病院の医師に協力してもらい、店を一旦閉めてここで輸血や血液を貰っていた。「もう済みましたよ。」「ありがとうございました。」ルドルフがそう言ってベッドから起き上がろうとすると、激しい眩暈に襲われた。「大丈夫ですか?余り無理なさらない方が・・」「いや、いい。それよりもユリウス、お前の身体の方が心配だ。毎日厨房に一日中立ちっぱなしで、腰が辛いと言っていただろう?」「そうですが、それは湿布を貼れば治ります。」「そんな素人判断では駄目だ。少し落ち着いたら病院で診て貰え。」「はい・・」昔は何かとルドルフの身体を気遣っていたが、今では彼に何かと心配を掛けてしまっている。(ルドルフ様、わたしはあなたの負担になっていないでしょうか?)そんな問いかけをルドルフに投げかけようとしたユリウスだったが、結局言葉が出ないまま、彼と共に自宅へと戻っていった。「なぁユリウス、今度の休み、一緒に何処か旅行でも行かないか?」「それはいいですね。わたし、行きたいところがあるんです。」「ほう・・何処だ?」「オーストラリアです。何でも、サンゴ礁が美しい場所があるんだそうですよ。」「オーストラリアねぇ・・あんな荒れ地の何処がいいんだか。しかもあそこは英国人が先住民を半ば追い出して、更に彼らを支配していた国だぞ。」「昔はそうかもしれませんが、今は違いますよ。」「ふん、いいだろう。向こうは夏だったな?旅行するのなら、北半球でいいだろうに、どうして南半球に行きたがる?」「一度も行ったことがない所へ行ってみたいと申し上げましたよ?」「まぁどうせ行くのなら、豪勢な旅行にしようじゃないか。」 翌日、松本神父があの店へ向かうと、そこには一枚の張り紙が貼ってあった。『誠に申し訳ありませんが、当分の間休業いたします。 店主』「くそ、一歩遅かったか・・」松本神父が舌打ちして店がある通りを去ったのと同じ頃、ルドルフとユリウスは横浜港に居た。「大きいですね・・」「豪華客船だから、当然だろう。」豪華客船・ルチアーナ号への南半球クルーズを、ルドルフは予約していた。2人きりで旅行するのなら、豪勢で思い出に残る船旅にしようと思って、ユリウスには今まで半年間黙っていたが、彼の反応を見て予約して良かったとルドルフは思った。「さぁ、行こうか?」「ええ。」これまで何度かルドルフと世界各地を放浪していたユリウスであったが、主に貨物船での旅だったので、こんな豪華客船での優雅な船旅は初めてだった。「ルドルフ様、ありがとうございます。わたくしの為に、こんな素敵な船旅を用意して下さって・・」「泣くのはまだ早いぞ、ユリウス。」恋人の目尻に浮かぶ涙を、ルドルフはそう言いながら優しく手の甲で拭い、彼の肩を抱きながらルチアーナ号へと乗り込んだ。にほんブログ村
2012年03月02日
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「そ、それは・・」「君は今月限りで辞めて貰う。うちの会社も厳しくてね、仕事が出来ない社員をいつまでも温情で置いている余裕はないんだよ。」「そんな、あたしはどうすれば・・」「そんな事は君が考えることだ。話はもう終わった、出て行け。」武雄の一方的な解雇通告に、亮子は悔しさの余り泣き出しながら社長室から出て行った。「貴島さん、ブログに何を載せても自由だけれど、仕事に支障がないようにね?」途中で啓とすれ違った彼女は、彼からそんな皮肉を言われて思わず彼の顔を見た。そこには、どこか勝ち誇ったかのような顔をした彼が冷たく自分を見つめていた。「あんたが、あたしの事を社長に?」「何を言っているんだい?ああ、再就職先には色々と噂が飛び交っているようだから、難しいだろうね。可哀想に。」啓はそう言うと、呆然としている亮子を廊下に残して自分のオフィスへと戻った。「なぁ聞いたか?貴島辞めさせられたってさ。」啓が仕事をしていると、同僚の西岡がやって来て彼の前にある椅子に腰を下ろした。「知ってるよ、そんなこと。」「何であの子辞めさせられちゃったのかなぁ?」「そんな事本人に聞けば?それよりも他人の心配よりも自分の心配をしたらどうだ?納期が迫ってるのに。」「そうだった、ヤベェ!」慌てて自分の席に戻る西岡を、啓は笑いながら見ると、再び仕事へと戻っていった。 昼休みになり、オフィスでは財布を片手に行きつけの定食屋やカフェ、社員食堂へとランチへ行く社員達が一斉に出払い、啓だけが仕事をしていた。「なぁ松本、昼どうする?」「適当にコンビニで買って済ませるよ。」「お前さぁ、仕事熱心なのもいいけど、ちゃんと三食取らないと身体壊すぞ?取り敢えず、休む時は休もうぜ!」西岡はそう言って啓を強引に椅子から立ち上がらせ、彼を連れて会社から出て行った。「おい、何処へ連れて行くんだよ?」「いいから、いいから。」彼が連れてきたところは、繁華街の裏にあるカフェだった。店名は美しい金の飾り文字で、『マグノリア』と書かれてあった。「いらっしゃいませ。」西岡に半ば引き摺られるようにして店内に入った啓は、そこで金髪蒼眼のウェイターに迎えられた。身長は190センチもあるだろうか、筋肉が均等についており、まるで昔フィレンツェで見たダビデ像のように美しい。「あの・・」「二名様で宜しいですか?どうぞこちらへ。」優雅な動作で、ウェイターは啓達を奥のテーブル席へ案内した。「やっぱりこういうところは女受けするんだなぁ。見ろよ、野郎の客は俺達だけだぜ。」ふと店内を見渡していると、確かに西岡の言う通りで、女性客がほぼテーブルを埋めている。「なぁ、何食べる?俺は“本日のお勧め”で。」「そうだなぁ、僕はクラムチャウダーセットで。」西岡達が注文を決めた事をまるで知っていたかのように、先ほどのウェイターが注文を取りに彼らのテーブルへとやって来た。「ルドルフ様、新規のお客様ですね。」「ああ。男性客は珍しいな。」ユリウスが厨房で料理を作っていると、裏口のドアが開き、野菜が入った段ボール箱を抱えた青年が入って来た。「ユリウスさん、ルドルフさん、こんにちは。野菜、ここに置いとくね。」「ありがとう、ユースケ君。待ってて、後でランチ奢ってあげるから。」「じゃぁありがたく頂きますね。あ、そうだ、例のものが用意出来てあるから後で病院に来て欲しいって、先生が言ってました。」「解った。」2人の吸血鬼が経営するカフェのランチタイムは、穏やかに過ぎていった。にほんブログ村
2012年03月02日
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「本当に、わたしなどが佐田さんの遺産を受け取ってもよろしいのでしょうか?」松本神父がそう言って恵理子を見ると、彼女は笑顔でこう答えた。「当たり前じゃない。あなたはわたしのお友達よ。他人の金を当てにしている親戚よりも、赤の他人のあなたに相続して欲しいのよ。」恵理子はかつて年商30億を稼いだ大手食品会社「サダ・フーズ」の取締役であったが、定年を前に職を退き、会社を息子譲渡してこの施設で余生を過ごしていた。「もう充分お金は稼いだし、行きたい所にも行ったわ。お金はあの世まで持っていけないでしょう?」「そうですか・・では、ありがたく受け取ります。」松本神父はそう言って恵理子に深々と頭を下げ、施設から出て行った。 一方、新宿にあるサダ・フーズ本社ビルの社長室では、恵理子の長男・武雄が低い声で唸ってあるものを見ていた。彼の前には、武雄が興信所に依頼した松本忠神父の調査票だった。「失礼します、社長。」「入れ。」」社長室に入って来たのは、秘書の松本啓―松本神父の異母兄だった。「お前の弟が、どうやら母さんの遺産を相続するらしい。」「いいんじゃありませんか?もう会長は第一線から退かれ、素敵な余生を過ごしていらっしゃる。会長の意思を尊重なさっては?」「何を言う!赤の他人なぞに佐田の財産をやれるか!」「社長、お言葉ですが弟は“赤の他人”ではありませんよ。一応、親族ですからね。ではこれで失礼いたします。」啓は武雄に頭を下げると、社長室から出て行った。「あ、松本さん!」啓が社長室から出て来ると、営業課の貴島亮子が彼の方へと駆け寄ってきた。「どうしました、貴島さん?」「あの・・確か松本さんには、弟さんが居たんですよね?」「ええ、そうですが、それが何か?」啓が顔を顰めて亮子を見ると、彼女はそれに全く気づかず、無邪気な質問を投げかけて来た。「確か松本さんって、弟さんとは異母兄弟なんですよねぇ?松本さんのお母様は、社長の愛人だったとか・・」今ここで、こんな不愉快で悪意ある言葉を投げつける女の横っ面を思いっ切り張れたら、どんなに気分が良いだろうか。だがここは会社だ、他人の目がある場所で、感情的になる訳にはいかない。啓はぐっと拳を握りしめると、唇をかみしめた。「あ、すいませぇん、変な事聞いちゃいましたね?」亮子はうすら笑いを浮かべると、くるりと踵を返してエレベーターへと乗り込んだ。 その夜、啓は帰宅するとあるブログをチェックしていた。それは、亮子が書いているブログで、小説形式で上司との不倫を赤裸々に綴っているくだらないものだった。良くこんなものを書いて、いかにも自分が悲劇のヒロインだと酔っている文章を読み進めている内に胸糞悪くなった。 勿論、会社の者は彼女がこんなものを書いている事は誰も知らない―啓以外は。あの女は仕事が出来ない癖に、何かと休みたがるし、残業も嫌がる。少し痛い目に遭わせてやろう―啓は口端を歪めて笑うと、あの女を陥れる策を練り始めた。 数日後、亮子がいつも通りに出勤すると、みんなが自分を見ていることに気づいた。「不倫してたんだって・・」「あのイタイブログの人、貴島さんだったんだ・・」ひそひそと囁かれる悪意ある言葉に、亮子は恐怖のあまり身を竦めた。「貴島君、ちょっといいかな?」部長に肩を叩かれて亮子が自分の席から立ち上がると、そこには険しい顔をしている彼の顔があった。「貴島さん、あなたが書いているブログについて、社長が質問したいとのことです。」啓がそう言うと、亮子は目を泳がせた。「これは、全て事実なのかね?」武雄は亮子が書いているブログを見せながら、鋭い目で彼女を睨みつけた。にほんブログ村
2012年02月25日
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「すいません、料理の写真、撮ってもいいですか?」OLグループの1人が、そう言ってユリウスに尋ねながら、バッグから携帯を取り出した。「いいですよ。こんな店なんで、宣伝してくださると有り難いです。」ユリウスが笑顔で承諾すると、彼女はほっとした顔をして携帯で料理の撮影を始めた。「最近は誰もが携帯で料理の写真を撮っているな。」「ええ。ブログに紹介して下さるんでしょうね。」「インターネットなんてもの、わたし達の時代にはなかったな。」ルドルフはレジに釣り銭があるかどうか確認しながら、そう言って溜息を吐いた。「インターネット以前に、まだ電気が発明されてませんでしたよ。皇妃様は新し物好きでしたので、王宮にいち早く電話が普及致しましたね。」「ああ。母上に似て、わたしも電話を執務室に取りつけたら、従来の侍従を通して命令する手間が省けてよかったよ。それにタイプライターは一度間違えたらまた打ちなおす手間があったが、羽ペンで原稿を書いている時よりも良かったな。」昔話に花を咲かせながら、ルドルフは苦笑して会計をした。「ありがとうございます。またいらしてくださいね。」すっかり板についた営業用スマイルを浮かべながら、ルドルフはOL達を店の外へと送りだしていった。「それにしてもルドルフ様、昔とはえらく変わりましたね。昔はわたし以外の方には笑顔をお見せしなかったのに。」「作り笑い程度なら浮かべてたさ。客商売に笑顔は大事だと教わったからな、お前に。ただ、その笑顔を余り安売りしないで欲しいものだが。」店が一段落し、ルドルフはそう言ってユリウスを抱き締めた。「相変わらず嫉妬深いんですね。大公が今生きていらっしゃったらどんなお顔になさっておられるでしょうね?」「おいおい、他の男の事など持ちだすな。」ルドルフは不機嫌な顔をして、ユリウスの唇を塞いだ。 その様子を、1人の男がレースのカーテン越しに見ていた。「・・見つけたぞ、神の使いと闇の皇子よ。」男はそう呟くと、カソックの裾を翻して雑踏の中へと消えていった。彼が向かった先は、とある老人介護施設だった。「神父様、またいらしてくださったんですね!」彼がロビーに入ると、看護師がそう声を弾ませて彼に笑顔を浮かべた。「ご無沙汰しております。204号室の佐田さん、元気にしておられますか?」「ええ。今多目的ホールに他の皆さんと一緒にいらっしゃいますよ。わたしと一緒に行きましょうか?」「いいえ、教えてくださってありがとう。」神父は花が綻ぶかのような笑顔を浮かべると、多目的ホールへと向かった。「こらぁ、またあの神父様を見て!仕事なさい!」「すいません。でもあの神父様、いつ見ても素敵ですよねぇ。」「まぁそうだけれど・・あんたには彼氏が居るでしょうか!」「あいつなんかよりも何十倍・・何千倍も素敵ですよ!何で独身なんでしょうねぇ・・」看護師の1人、渡辺美華子はそう言って溜息を吐いた。「あの人は神様に一生を捧げた方なのよ。潔く諦めなさいよ。」「はいはい、さてと、仕事しないとね。」美華子は慌ててナースステーションへと戻っていった。「佐田さん、いらっしゃいますか?」美華子が熱を上げている神父―松本忠は多目的ホールに入ると、そう言って自分に数日前、ある“お願い”をした入居者・佐田の姿を探していた。「あら、神父様。今日は遅いのね。」佐田恵理子は、品の良い笑みを浮かべながら、松本神父の方へと颯爽と歩いて来た。「あちらでお話しをいたしましょうか?」「ええ。行きましょうか。」恵理子が少しよろめくと、松本神父が咄嗟に彼女の身体を支えた。「ありがとう。」海を一望するテラスに出ると、恵理子は椅子に腰を下ろして松本神父を見つめた。「最近ね、うちの弁護士に遺言書を書き換えて貰ったのよ。」「佐田さん、それは・・」「他人の金をあてにするような輩には、もううんざりなのよ。」にほんブログ村
2012年02月24日
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第4部 2010年、東京。東京大空襲の日から、もう半世紀以上も過ぎ、街の風景も木造の家屋から高層ビルディングへと様変わりしていった。矢崎診療所があった場所も、今や全国に店舗を展開する大手書店のビルディングへと姿を変えていた。「もう、診療所はないのか・・」「ええ、そうですね。」そのビルを感慨深げに、2人の白人男性が見つめていた。1人は長身に金髪蒼眼で、その隣に居るのは黒髪翠眼であり、2人ともその端正な美貌で通行人達の注目を集めていた。「なぁユリウス、もう100年以上経つんだな。」「あなた様とわたしが出逢ってから、ですか?」ユリウスと呼ばれた黒髪の男性が、そう言って金髪の男性を見た。「随分昔の事なのに、まるで昨日の事のように憶えている・・お前と初めて出逢った時のことを。」ユリウスは男性の言葉を受け、静かに目を閉じた。脳裡に浮かぶのは、故郷・バイエルンの小さな村の学校での出来事―日常の、些細な事ではあったが幸せな日々の風景だった。 あの頃はまだクララも、アフロディーテも居た。だが今居るのは自分と、主であるこの男性だけだ。「どうした?」「いいえ、何でもありません。もう行きましょうか?」「あぁ・・」2人は静かに、矢崎診療所跡地から去って行った。彼らが向かった先は、繁華街の裏に面した、小さなカフェだった。「・・もう、店を開けますか?」「ああ。そろそろランチタイムだからな。」店の裏口から入って来た男性達は、そう言いながら開店の準備を始めた。ユリウスが厨房へと入って冷蔵庫を開けると、そこには昨夜下拵えを済ませた食材が入っていた。「ルドルフ様、もう開けましょう。」「わかった。」金髪の男性―ルドルフは厨房に居るユリウスの言葉に頷き、カフェを開けた。ユリウスは料理をしながら、コートのポケットに入っていたiPod nanoをスピーカーに接続すると、往年のジャズシンガーの歌声が店内に響き始めた。 このカフェは、2人で数年前に開いたのだが、素人経営で色々と資金面に苦労したこともあった。今では常連客も居て何とか稼げているが、繁華街の裏に面している所為か、余り目立たない場所にあるので、新規の客がなかなか来ない。「ユリウス、今日のランチは何だ?」「寒くなってきましたから、クラムチャウダーに致しました。」「そうか・・」ルドルフがテーブルのセッティングをしていると、ドアベルが鳴って財布を片手に持った数人のOLが入って来た。「いらっしゃいませ。」ルドルフが笑顔で彼女達を迎えると、彼女達は嬉しそうな顔をして好きな場所に座った。「あの、お勧めのメニューは?」「そうですねぇ、ウィーン風カツレツがお勧めですが、今日のランチはクラムチャウダーになっております。」「じゃぁそれにしますね。」客からの注文をユリウスに伝えるためルドルフが席を離れると、彼女達は何やらひそひそと話し始めた。「あの方達、新規のお客様ですね。」「あぁ。常連さんになってくれるといいがな。」ルドルフは注文票をユリウスに渡すと、水が入ったグラスを彼女達に持って行った。(給仕の仕事が板についてきましたね・・) 昔の事を思い出して、ユリウスは苦笑しながら料理を作り始めた。にほんブログ村
2012年02月23日
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「答えろ、ハンナ! お前がこの惨事を・・罪のない者達を殺したのか?」「人間など、わたし達にとってはただの餌。その魂は全てあなたに捧げているのです。」ハンナはそう言って笑った。「ふざけるな! お前の所為で、どれほどの人が傷つき殺されたと思う!」ルドルフの脳裡に、機銃掃射を受けて原形を留めぬ程破壊され、息絶えた者達の遺体が浮かんだ。彼らの、恐怖に見開いた目は、“まだ生きたい”という、無念の想いで満ちていた。空襲を受け傷つけた人々は、治療の甲斐なく涙を流しながら息絶えていった。彼らの命は、全て無駄なものではなかった。ルドルフは全身から怒りが湧きあがるのを感じ、銃剣の先をハンナに突き付けた。「貴様だけは、許さない!」暗赤色の双眸でルドルフはハンナを睨み付けると、地面から飛び上がった。「この時を待っていました。」ハンナはそう言うと、漆黒の羽根を広げた。 激しい剣戟の音が、炎の街に響き、ルドルフが纏っていた白衣の裾は切り裂かれ、銃剣を握り締めた。「どうしました、これで終わりですか?」まるで歌うようにそう言いながら彼を見つめるハンナの顔には、傷ひとつついていなかった。「クソッ・・」彼女とは圧倒的に力が違い過ぎる。(このままやられるか、それとも・・)こちらが彼女を殺すか。銃剣を握り締め、歯をぎりぎりと噛み締めながら、ルドルフは荒い息を吐いた。「ルドルフ様!」「来るな、ユリウス!」ハンナは暗赤色の瞳を煌めかせながら、ユリウスを見た。「やはり、あの天使と一緒ですか。丁度良い、2人とも殺してさしあげましょう!」ハンナがサーベルを頭上に高く掲げた時、眩い光が辺りを包み、ルドルフ達は目を閉じた。暗赤色の光に包まれたサーベルをルドルフに向け、ハンナはルドルフ達の元へと急降下した。 だが、ハンナは突然炎に包まれた。「ぎゃぁぁ!」彼女の美しい顔と身体が瞬時に無残にも焼け爛れ、灰となった。(一体、何が・・)「ルドルフ様、大丈夫ですか?」「ユリウス、お前・・」ルドルフは目の前に立っている恋人の背中に、純白の羽根が広がっていることに気づいた。「ルドルフ様・・」ユリウスはそっとルドルフの頬を撫でると、微笑んだ。「ユリウス、漸く覚醒めたね。」突然背後から澄んだ声が聞こえ、2人が振り向くと、そこにはプラチナブロンドの髪を靡かせた天使が立っていた。「貴様は、誰だ?」「わたしはガブリエル。天の国王に仕える大天使だ。」白い軍服に身を纏った天使は、そう言ってルドルフを見た。「君が・・神の皇子・・いいや、今は違うか。」ルドルフは、大天使ガブリエルを睨みつけた。「貴様、何故ここに来た?」「何故って? ユリウス、君を迎えに来たんだ。」ガブリエルはふっと笑うと、ユリウスに手を差し出した。「行こう、ユリウス。神の国へ。」「わたしは、行きません。」ユリウスはそう言うと、ガブリエルを見た。「どうしても、彼と行くのか?」「はい。」「そうか。ではわたしは何時までも待ってるよ。君がわたしの元に来るまで。」ガブリエルは純白の翼を広げると、神の国へと戻って行った。にほんブログ村
2011年07月03日
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「沙良、沙良・・」突然誰かに名を呼ばれ、沙良はゆっくりと目を開けた。彼は病院のベッドの上に寝かされていた。 着ていた振袖はところどころ炎で黒焦げとなっており、裾の隙間から見える足には火傷の痕が残っていた。「沙良、無事で良かった。」誰かが自分の手を握る感覚がして、沙良はそっとその手を握った。そこには、待ち焦がれていた恋人が立っていた。「陽輔様・・帰って来て下さったんですね。」「ああ。漸く帰って来れたよ、愛しい沙良。」陽輔はそう言うと、恋人の髪を優しく梳いた。沙良は弱々しく呼吸しながら、陽輔の顔をじっと見つめていた。「これからは、2人で幸せに暮らしましょうね。」「ああ、ずっと2人で・・」「約束、ですよ・・」自分の手を握る沙良の手が、徐々に弱くなってゆく。やがて彼の目は、ゆっくりと閉ざされた。「沙良・・」陽輔は、包帯を巻かれた恋人の最期を看取ると、嗚咽した。沙良は機銃掃射に遭い、瀕死の状態で病院に運ばれてきたが、陽輔の帰りを待っているかのように、一週間も生き続けた。「愛しているよ、沙良・・」最期に恋人に会えた沙良の死に顔は、穏やかなものだった。 一方、東京では、炎に包まれながら逃げ惑う人々とともに、ルドルフ達は防空壕に避難し、怪我をした者達を治療していた。「少し沁みますけど、我慢して下さいね。」「大丈夫、治りますよ。」ルドルフと愛子、ユリウスと泰助は、患者に優しく声を掛けながら傷の消毒や包帯を巻いたりと、忙しく動き回っていた。「おい、残りの薬は?」「もう、これしか残ってません。」リュックにパンパンに詰まっていた医療品は、瞬く間に底をついた。「畜生、怪我人はまだ居るってのに・・」泰助は舌打ちすると、まだ治療をしていない患者達を見た。「これからどうしますか? 今待っている人達だけでも・・」「そうするしかあるめぇ。」ユリウスと泰助がそう話し合っていると、防空壕の入口の方が俄かに騒がしくなったかと思うと、彼らの前に全身に火傷を負った愛子を背負った男性が入って来た。「愛子、しっかりしろ!」「父さん・・あたしはいいから、患者さんを・・お願い・・」ユリウスは素人目でも、愛子は助からないと判った。だが彼女は自分の命よりも、患者の命を優先した。「待ってろよ、助けてやるからな!」泰助は涙を堪えながら、患者の治療を続けた。「愛子、待たせたな。」漸く患者の治療が一段落した泰助は、隅に寝かせられている愛子と孫に声を掛けた。だが、彼女達はもう息をしていなかった。「愛子、起きろ、起きるんだ!」泰助は必死に娘の頬を叩いたが、彼女は二度と目を開けることはなかった。「もういいんだよ、泰助さん。愛子ちゃんは幸せ者だったよ。」「そうだよ・・」防空壕の中は、愛子の死で啜り泣く声が響いた。「ユリウス、治療続けるぞ。」「はい・・ルドルフ様・・」ユリウスがルドルフに声をかけようとしたが、彼は何処にも居なかった。(ルドルフ様、一体何処へ・・) 防空壕から出たルドルフは、銃剣を握り締めながら炎の中を歩いた。熱風が頬を撫で、肌に火の粉が降り注いだが、不思議と熱さは感じなかった。「やはり、ここに居たのですか。」不意に頭上から聞こえてきた声にルドルフが顔を上げると、そこには燃え盛る家屋の屋根の上に魔女ハンナが涼しい顔をして立っていた。「お前か・・この惨事を引き起こしたのは?」ルドルフの問いに、魔女はふっと笑った。にほんブログ村
2011年07月03日
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泰助の娘・愛子が子を連れて嫁ぎ先から家出してから数日後、件の「鬼婆」こと、彼女の姑が診療所に怒鳴りこんできた。「愛子さん、やはりここに居たんだね!」姑はそう言ってカルテの整理をしている嫁を見つけると、有無を言わさず彼女の頬を叩いた。「てめぇ、うちの娘に何しやがる!」泰助が診察室から飛び出してきて、猛禽類のような獰猛な瞳で姑を睨み付けた。「あんたって子は、うちの嫁だというのに勝手にわたしの許可を得ずに家出して!」「うるせぇ、鬼婆! 愛子が家出したのはな、てめぇが嫁いびりなんざするからだろうが! てめぇが嫁時代に姑にいびられたことを忘れたのか、ええ?」「うるさいね! とにかく、愛子は連れて帰りますからね!」2人の怒鳴り声を聞きつけた近所の住民が、何事かと診療所に次々と駆け付けた。「タイスケ、患者が・・」ルドルフが白衣の裾を翻して診療室から出て来ると、愛子の姑がぎょっとした顔で彼を見た。「ひぃぃ、鬼~!」突然天を衝くような大男が出て来て、彼女は悲鳴をあげて腰を抜かすと、へなへなと床にへたり込んだ。「こいつはてめぇと違って人間よ。愛子は俺の娘だ、てめぇの勝手にはさせねぇ! 判ったらとっとと帰れ!」泰助はそう言うと、大股で台所へと向かい、塩が入った壺を持ってきて、その中身を姑に掛けた。「二度とその面見せるんじゃねぇぞ!」愛子の姑は、悲鳴を上げながら診療所から飛び出して行った。「先生、すげぇや、鬼退治しやがった!」「あの婆の顔、見たかよ?」「鬼退治鬼退治!」一部始終を見ていた子ども達は興奮して、やんややんやと囃したてると、泰助は咳払いした。「てめぇら、とっと家に帰りな。もう見世物は終わりだ、行った、行った!」騒ぎが収まった後、泰助は何事もなかったかのように診察室へと戻って行った。「ルドルフ、さっきはすまねぇなぁ。」「いや、いい。それよりもあの女が姑か?」「ああ。あの婆は当分ここには来ねぇよ。ま、鬼退治したって訳だ。」泰助はからからと笑うと、茶を美味そうに飲んだ。「ルドルフ様、起きて下さい!」その夜、久しぶりにユリウスと愛し合い、裸のまま彼と抱き合っていたルドルフは、耳をつんざくようなサイレンの音で目を覚ました。「どうした、ユリウス?」「このサイレン・・尋常ではありません! 早く服を着て避難しないと!」「解った・・」情事の後の甘い余韻を引きずりながら、ルドルフは服を着て愛子が2人の為に作ってくれた防空頭巾を被り、必需品や医療品を入れたリュックを背負ってユリウスと共に庭に出ると、そこには既に泰助と愛子の姿があった。「ここは危ねぇ、安全な所に避難するぞ!」ルドルフ達が矢崎診療所から出ると、先ほどまで居たそこに焼夷弾が降り注ぎ、辺り一面紅蓮の炎に包まれた。「タイスケ、診療所が・・」「診療所なんざまた建て直せばいい。今は命が大事だ!」泰助はそう言うと、迷いもせずに炎に包まれている自宅に背を向け、娘達とともに走り出した。「空襲警報、退避~、退避~!」耳をつんざくようなサイレンと、上空で低いエンジン音を唸らせる爆撃機が飛び交う中、人々は大八車に荷物を載せて、炎の中を逃げ惑っていた。「ユリウス、わたしから離れるな!」「はい!」ルドルフはユリウスの手を掴み、泰助達と逸れぬよう必死に走った。 彼らが住む下町の密集地域に建てられた木造の家屋は米軍の爆撃によって瞬く間に炎に包まれ、強風によって煽られ、下町一帯は炎に包まれた。 これが一晩に10万人もの死者を出した未曾有の「東京大空襲」である。「沙良・・沙良・・」「ん・・」にほんブログ村
2011年07月03日
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泰助が和室に入ると、そこには少年少女達が笑顔でノートと鉛筆を持って彼を待っていた。「よし、それじゃぁ始めるぞ!」「は~い!」泰助の“英語塾”は、子ども達の笑い声に始終包まれた。「賑やかですね。」「ああ。」台所で子ども達の菓子を用意していたルドルフとユリウスは、和室から聞こえる笑い声を聞きながら溜息を吐いた。「本当にタイスケは変わった男だな。このご時世に英語を子ども達に教えるなんて。」「ええ。多分お父様の影響なんでしょうね、きっと。」ユリウスがそう言って笑いながら菓子を盆に載せて運ぼうとした時、裏口が激しく叩かれた。「どなたでしょう?」「さぁ・・見て来る。」ルドルフは台所の壁に立て掛けていた銃剣を握り締めると、裏口へと向かった。 ゆっくりと息を殺して彼が裏口へと向かうと、戸を勢いよく開いて銃剣を不審人物に突き付けた。「きゃぁぁ!」そこに立っていたのは、背に幼児を背負っている若い女性だった。「愛子、どうした?」「父さん!」女性はそう叫ぶと、泰助の方へと駆け寄ってきた。「嫁ぎ先から家出したって? 何だってそんな事・・」「お義母さんが厳しくって・・子どもを産む前は色々と良くしてくれたんだけれど、もう限界よ。」女性―泰助の娘・愛子は、そう言って涙を手の甲で拭った。「靖男さんはまだ戻って来ねぇのかい?」「ええ。生きているのか死んでるのか、解らないわ。ごめんね父さん。」「いいんだよ。孫の世話もしたいしな。人手が足りなくて困ってるところだから、丁度良いや。」そう言って破顔した泰助は、孫をあやし始めた。「乳は出てるのか?」「ううん。近くの小母さんに乳を与えて貰ってるのよ。お義母さんは“周囲に甘えるな”って言って・・出ないものは仕方無いじゃないの・・」「あの鬼婆、てめぇが姑にいじめられた嫁時代の事を忘れちまったのかよ。ま、あんな鬼の棲家よりもこっちの方が極楽だ。」「ありがとう、父さん。」愛子はそう言うと、笑顔を浮かべた。「愛子、紹介するぜ。俺が世話してるルドルフとユリウスだ。」「初めまして。先ほどはご無礼を。」「いえ。堂々と玄関先へと向かっていれば良かったものを、裏口の戸を叩いたから怪しまれたんですわ。びっくりさせてしまって申し訳ありません。」愛子はルドルフに頭を下げると、台所へと向かった。「先生、おやつまだ~?」「ちょっと待ってろ、すぐに持って来るからよ!」ルドルフとユリウスは、子ども達に菓子を運んだ。「うわ、うめぇ!」「甘い菓子食うの、久しぶりだ!」白米が無く、僅かな食糧で毎日食いつないで来た子ども達にとって、砂糖をふんだんに使った甘い菓子は何よりものご馳走だった。「先生、またね!」「さようなら~!」「おう、気をつけて帰れよ!」笑顔で去っていく子ども達に手を振りながら、泰助は愛子達と茶を飲んだ。「父さん、また子ども達に英語教えてたの?」「愛子、あの鬼婆は俺に任せな。お前はここでゆっくりと休めばいい。」「ありがとう。夕飯作るわね。」「あ、わたしもお手伝いします。」ユリウスと愛子が台所へと向かうと、泰助は溜息を吐いてルドルフを見た。「この戦争さえ終わってくれりゃぁ、いいんだが。」「ああ、全くだ。」泰助達と過ごす、穏やかな暮らしにも、戦争の影が徐々に忍び寄って来た。にほんブログ村
2011年07月02日
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「おい、早くしろ!」 泰助がルドルフ達に向かって怒鳴ると、彼らは慌てて医療品が入った鞄を持って防空壕へと入った。 そこには、防空頭巾を被り、恐怖に震えている女や子ども、老人達が居た。「先生、遅いじゃないか!」防空壕の隅に座っていた10歳くらいの少年がそう叫ぶと、泰助の元へと駆け寄ってきた。「済まねぇなぁ、吉坊。俺ぁ年寄りだから、足が遅くてよ。」泰助はボリボリと頭を掻きながら、笑った。「こら、吉坊! 先生を困らせるんじゃないよ!」少年の母親がそう言って彼を叱ると、彼はぶすっとした表情を浮かべながら泰助の元から離れた。「すいません、先生。」「いいってこった。怪我人が居たらこいつらに言ってくんな。」泰助がユリウスとルドルフを指すと、住民達は訝しげな目を彼らに向けた。「目が蒼いぜ、あいつ!」吉坊と呼ばれていた少年がルドルフを指してそう叫ぶと、母親に頭を叩かれた。「吉坊よぉ、異人さんはみんな目が青かったり、緑だったりするんだぜ。」「嘘だい! こんな人形みてぇな目をしてる人間が居るもんか!」「嘘じゃぇねよ、俺ぁベルリンに留学してた頃実際に見たんだから。」「先生、こいつら敵だろう? 何で敵を匿ってるのさ?」少年から少し離れた所に居た別の少年がそう声を荒げ、ルドルフ達を睨みつけた。「こいつらはドイツ人だ。ドイツは日本の同盟国だから敵じゃねぇよ。」「だって米英と同じ顔してるじゃないか。敵じゃないって言われても解らないよ。」少年の素朴な疑問に、泰助は低く唸った。「そうだろうなぁ、お前ぇさん達には誰が敵か、誰が味方か判らねぇよなぁ。だがよ、これだけは忘れるんじゃねぇぞ。誰かが自分達と違うからって、そいつを仲間外れにしたり、いじめたりしちゃいけねぇよ。自分がやった事は必ず自分に返ってくるもんだからな。」泰助の言葉に、2人の少年は静かに頷いた。「先ほどは庇ってくださり、ありがとうございます。」空襲が止み、防空壕から出たユリウスは、そう言って彼に頭を下げた。「なぁに、大したことねぇよ。今の時代は餓鬼同士が互いに疑い合っている。未来を担うあいつらに、今必要なものは“正しい情報を知り、それを吟味すること”を伝えたいんだ。」「そうですか・・」「さてと、飯の時間だ。今日もすいとんだが、何も食わないよりはマシだ。」ユリウス達は台所で朝食を作り、すいとんを食べた。「本当に、わたし達を匿ってもいいのですか?」「ああ。俺ぁ困ってる奴は放っておけないたちでね。だから医者をやってんのさ。それが日本人でも、ドイツ人でも、英国人でも関係ねぇよ。」泰助はそう言うと、すいとんを啜った。「タイスケさん、ご家族は?」「女房はとっくの昔に死んぢまって、息子と娘が1人ずつ居るんだが、2人とも疎遠になっちまったよ。ま、餓鬼は成人したらてめぇの好きなようにさせるってのが俺の教育方針さ。寂しいがな。」「そうですか・・」「便りが来ねぇのは元気な証拠だって言うじゃねぇか。それに男の一人暮らしってのも悪くねぇや。」穏やかな雰囲気に包まれた朝食が終わると、俄かに外が騒がしくなった。「来やがったな。」泰助はさっと立ち上がると、玄関先へと向かった。「先生、おはようございます!」「おお、待ってたぜ!」外には、数十人の少年少女達が笑顔で泰助を見ていた。「タイスケさん、今から何が・・」「ああ、餓鬼達に英語を教えてんのさ。敵性言語だからって学ばないなんておかしなこった。ったく、おかみは何を考えてるんだか。」泰助はぼそりとそう呟くと、子ども達に笑顔を浮かべながら中へと彼らを案内した。 暗い戦時下の中で、彼だけが時代の狂気に逆らい、未来を見つめていた。「今日は知り合いから菓子を貰ったからな。餓鬼達に出しといてくれよ。」「はい。」にほんブログ村
2011年07月02日
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1945(昭和20)年3月、東京。 かつてルドルフと親しくしていた日本人留学生の1人、矢崎泰之進の息子である矢崎泰助が営む診療所でユリウスとルドルフが彼と共に共同生活を始めてから、1ヶ月が過ぎた。 あの謎めいた村から脱出した後、ルドルフは振袖姿の少女が気になった。彼女は無事にあの爆撃から逃げ切れただろうか?駅舎を破壊し尽くした敵機の機銃掃射の犠牲者の遺体の中に、彼女のものはなかった。だとすれば・・「こら、手を休めない。」「すまない。」診療所でカルテの整理をしていたルドルフは、そう泰助に言われて慌てて仕事を再開した。 戦時中で薬も食糧も不足しており、人手不足に陥っていた矢崎診療所には、ユリウスとルドルフの他に、女性の事務員が数人いるだけだった。「あの、看護師さんはいらっしゃらないのですか?」「居ないよ。だからあんたがたに手伝って貰おうと思ってね。まぁ、実践あるのみだよ。」泰助はそう言ってユリウスの肩を叩くと、診察室へと向かった。「どうしてわたしだけ、こんな服装なんだ?」ルドルフはブスッとした表情を浮かべながら、裾長のスカートを摘みながら泰助を見た。「何故って、お前さんは看護夫だからだ。それに良く似合ってるしな。」「納得出来ん・・」「ほら、無駄口叩いている暇があったら、患者呼べ!」(ったく、人使いの荒い爺だ・・)診察室から出て行く時、擦れ違いざまに泰助に尻を叩かれたルドルフは、患者を呼んだ。「先生、この子大丈夫でしょうか?」「なぁに、少し寝てれば治るさ。ま、一応薬だしとくからね。」「はぁ・・」母親はそう言って、ぐずる子どもをあやし、一瞬訝しげな目でルドルフを見ながら診察室から出て行った。「タイスケ、いい加減これ以外の服に着替えたいんだが・・」「無理だな。俺とお前さんとじゃ身長が違うし。ま、暫くこれで我慢してくれ。」泰助の言葉に、ルドルフは眉間に皺を寄せた。「全く、あの爺は何を考えているんだ!」その夜、ルドルフはユリウスに色々と溜まっていた不満をぶちまけた。「ルドルフ様、タイスケさんにお世話になっているのですから・・」「ユリウス、お前はあんな白いワンピースで1日中過ごせると思うのか? 婆にはジロジロ変な目で見られるわ、子どもは泣くわ・・全く散々だ!」ルドルフはそう吼えると、シーツを頭から被った。「着替えを持ってこなかったのですから、仕方無いじゃないですか・・裸で過ごす訳にもいきませんし・・」「別に夜は裸でいいだろう? お前さえ嫌じゃなければ。」「ル、ルドルフ様・・」ユリウスはかぁっと頬を赤く染めながら、恋人を見つめると、ルドルフはユリウスの唇を塞いだ。「ん・・ルドルフ様・・」「黙って。」衣擦れの音が聞こえ、ルドルフがユリウスの乳首をこねくり回し始めると、ユリウスは甘い喘ぎを漏らした。このまま良いムードになろうかとしていた時、突然のサイレンが甘い空気を打ち消した。「なんなんだ、全く!」憮然としながらルドルフがユリウスから離れた時、勢いよく部屋の襖が開け放たれた。「お前達、さっさと防空壕に避難しろ! 乳繰り合ってる場合じゃねぇぞ!」ルドルフとユリウスが慌てて衣服を整えると、泰助は溜息を吐いた。「あの爺、一体わたし達の関係を何処まで知ってるんだ?」「さぁ・・」「おい、くっちゃべってないで早くしろ!」泰助の怒鳴り声で、2人は慌てて防空壕へと急いだ。にほんブログ村
2011年07月01日
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「危ないところでしたね。」「あの、あなたは?」警官達に暴行されそうになった自分達を助けてくれた謎の老人にそうユリウスが尋ねると、彼はにっこりと笑った。「ああ、申し遅れました、わたしは矢崎と申します。下町で医者をやっている者です。すいませんが、お連れ様の怪我を診させて貰いますよ。」「ええ、構いませんが・・」ユリウスがちらりとルドルフの方を見ると、彼は溜息を吐いて老人を見た。「頼む。」「では早速、失礼しますよ。」老人は慣れた手つきでそっと振袖の裾を割ると、怪我の有無を確かめた。「右の太腿に火傷がありますね。あなた方がもしよければ、わたしの家に来て貰いませんか?」「ああ、構わないが。どうせ行くあてもないしな。」「では決まりですね。」老人―矢崎とともに、ユリウス達は駅舎を後にして、彼が住む下町へと向かった。「ここが、わたしの診療所兼自宅です。」そう言って矢崎が案内したのは、武家屋敷のような立派な門構えをした一軒の民家だった。「狭い家ですが、どうぞお入りください。」「お邪魔します。」矢崎に倣って玄関先で靴を脱いだユリウスとルドルフは、その足で自宅の隣にある診療所へと向かった。ルドルフはさっと振袖の裾を捲り、右の太腿を露わにすると、そこの皮膚は少し焼け爛れて赤くなっていた。「少ししみますから、我慢して下さいね。」矢崎はそう言って消毒薬を染み込ませたガーゼを傷口に当てると、焼けつくような痛みが走り、ルドルフは思わず顔を顰めた。「これでよしと。」「あの、お聞きしたいことがあるのですが・・あなたは何故、わたし達を助けてくださったのですか? あの時彼らは、あなたを連行してもおかしくない状況でしたのに・・」「わたしは弱い者いじめをする輩が許せないんです。昔わたしの父が申しておりました。“為らぬことは為らぬ。人の道に外れたことは決してするな”とね。」矢崎の言葉を聞いたルドルフは、昔自分と親しくしていた日本人留学生達の姿が浮かんだ。(まさか・・そんな・・)あれからもう半世紀も過ぎているというのに、彼らが生きている訳がない―ルドルフはそんな疑問を抱きながらも、恐る恐る矢崎に質問をぶつけてみた。「あなたの御親戚・・お父上やお祖父様は、昔欧州へ留学されたことはありますか?」その問いに、矢崎老人は力強く頷いた。「ええ。わたしの父・泰之進が、ベルリン大学で医学を学んでおりました。」彼はそう言うと、近くの事務机に立てられていた写真立てを手に取ると、ルドルフに見せた。 そこに写っていたのは、紛れもなくあの留学生達の姿だった。「お父上は御存命ですか?」「いいえ・・3年前に風邪をこじらせてしまい、肺炎となって亡くなりました。父とは長い間反目していたのですが、わたしは父と同じ医学の道に進んで、こうして診療所を持てるようにもなりました。」「そうですか・・あなたのお名前は?」「ああ、下の名前はまだ名乗っておりませんでしたね。父の名を一文字頂いて、泰助と申します。」「タイスケさんですか・・良い名ですね。わたしはルドルフと申します。これからお世話になります。」「こちらこそ。」自分達の窮地を救ってくれた老人が、あの日本人留学生の1人、矢崎泰之進の息子であったとは―何という奇跡だろうか。ルドルフが隣に立っているユリウスを見ると、彼はルドルフに微笑んだ。 こうしてルドルフとユリウスは、泰助の診療所の手伝いをしながら彼と共同生活を送ることになった。にほんブログ村
2011年07月01日
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東京行きの汽車に揺られながら、ルドルフは昔の夢を見ていた。 まだウィーンに居た、幸せな時代の夢を。 厳しくも尊敬していた父、優雅で美しい母、陽気で気遣いが出来る姉、天真爛漫な双子の弟と妹。そして、いつも自分に笑いかけてくれる恋人。夢のようでありながら、ふと目を閉じれば過ぎ去ってしまった日々。(もう一度、あの頃に戻れたのなら・・)そんな事を思っても、もう二度と時が戻ることはない。ただ無情に過ぎ去る時と、どう付き合うかどうか―それが全ての人間に課せられた義務なのだ。「ルドルフ様、起きて下さい。」「ん・・」ルドルフが蒼い瞳を開くと、ユリウスが心配そうに自分を見つめていた。「どうした、ユリウス?」「トウキョウに着きましたよ。降りる準備をしなくては。」「ああ、そうだったな。」硬い貨物車両の床に長時間横たわった所為か、全身があちこち痛んだ。乱れた裾を直し、銃剣を握り締めた彼は、ユリウスの手を取り、貨物車両から降りた。 東京の駅舎は、ユリウス達が爆撃を受けた駅舎よりも多くの人でごった返していた。「ルドルフ様、これを。」「ありがとう。」目立つブロンドを隠す為に、ユリウスは彼からショールを渡され、それを頭からすっぽりと被り、伏し目がちに彼と共に歩き始めた。「これから、どうなさいますか?」「さぁな。ユリウス、ここは人が多いな。」「それは、日本国の首都ですから、当然でしょう。」「そうか、そうだったな。」ルドルフはそう言ってふっと笑った。「ルドルフ様・・?」爆撃を受けた駅舎の様子を、ユリウスも目の当たりにして、絶句した。ルドルフはあの爆撃で、様々な思いを抱いているのだろう。それを口に出さないのは、まだショックから立ち直ってないからだと、ユリウスは思っていた。「取り敢えず、何かを食べましょう。考えるのはそれからです。」「ああ。これなら少しは金になるかな。」ルドルフはそう言うと、髪に挿していた真珠の簪にそっと触れた。 2人が駅舎を出ようとした時、背後から鋭い警笛が鳴ったかと思うと、数人の警官達が彼らを取り囲んだ。『貴様ら、このご時世にこんなものを被りよって・・この非国民が!』警官の1人がルドルフの頭部を覆っていたショールを剥ぎ取ると、ブロンドの巻き毛を見た周りの人々が一斉にざわめいた。―米英だ・・―何だあの格好は?―近づいちゃいけないよ、取って喰われてしまうよ・・容赦なく周囲から向けられる好奇と嫌悪の視線にルドルフは初めて恐怖で身を震わせた。「ルドルフ様・・」(今までこの方が何かを恐れることはなかったのに・・)ユリウスは彼の手を握ることで、彼を安心させようとした。だが―『さっさと離れろ!』警官が2人の間に割って入り、容赦なく彼らを警棒で打ち据えた。間髪いれずに与えられる痛みに、ルドルフは目を閉じる事しか出来なかった。『おやめ下さい、その方々はわたしの連れです!』突然警官達の前に、1人の老人が現れた。『なんだ貴様は? 我らに盾突くと、タダでは済まんぞ!』『老い先短いわたくしは、何をされても痛くも痒くもございません。さぁ、やあれるものならやってみろ!』老人の気迫に押されたのか、警官達は舌打ちしながら彼に背を向けて去って行った。「大丈夫ですか?」老人はそう言うと、ルドルフ達に向き直った。にほんブログ村
2011年07月01日
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これまで幾度となく爆撃を受けたが、こんなに間近で遺体を見るのは、初めてだった。「酷い・・」ルドルフは恐怖で目を見開いたままの、子どもの顔を見て吐き気を催しそうになったが、それをぐっと堪えて彼の両目をそっと閉じた。「行くぞ。」「はい。」ユリウスは胸の前で十字を切ると、その場を立ち去った。「う・・」村長の邸を出て竹林へと向かおうとしていた沙良は、飛んできた瓦礫が後頭部に当たり、気絶していた。「沙良様、ご無事でしたか!」村の女が慌てて沙良を抱き起こした。「もうここは危ないですから、離れましょう!」「村のみんな・・防空壕に避難した人達は?」沙良の問いに、女は気まずそうに俯きながら残酷な真実を告げた。「みんな、助かりませんでした・・」「そんな・・」沙良は女の言葉が信じられず、地下の防空壕へと向かった。 そこには、生きながら蒸し焼きにされた村人達の遺体が転がっていた。「沙良様、お早く!」「ええ・・」沙良は懐の簪を握り締めながら、防空壕に背を向けて走り出した。竹林を抜けて駅へと向かう畦道を走っていると、ところどころに原形を留めない村人達の遺体が水田の中に沈んでいた。吐き気を堪えながら、沙良はひたすら走り続けた。(陽輔様・・沙良を、沙良をお守りくださいませ・・)遠く南方の戦地で戦っている恋人の名を呼びながら、沙良はいつも首に提げている彼と揃いのロザリオを握り締めた。漸く駅に着くと、そこは避難民達でごった返していた。「押すな!」「ちょっと、子どもが居るのよ!」「煩せぇ、餓鬼を黙らせろ!」ホームには彼らの怒号と悲鳴、泣き声が響いており、誰もが我先にと汽車に乗り込もうとしていた。「ルドルフ様、どちらにおられますか!」「わたしはここだ、ユリウス!」ルドルフは人波に逆らい、ユリウスの元へと行こうとしたが、どうしても人波に押し戻されてしまい、中々彼の元へ行けない。人波に抗いルドルフがユリウスの元へと少しずつ近づこうとした時、爆撃機のエンジン音が駅舎の上から聞こえてきたかと思うと、またあの機銃掃射の音がして、ルドルフは咄嗟に床に伏せた。 駅舎に集まっていた人々が悲鳴を上げ、一斉に駅舎の出口へと殺到した為、更に混乱が酷くなった。ルドルフは駅舎から出た人々が敵機の機銃掃射を受け、胸や頭を撃ち抜かれて次々と死んでゆくのを見た。「お母さん、起きてよ~!」「潤子、目を開けて!」戦争前長閑な空気が流れていた駅舎は、今や阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。(これが・・大量虐殺戦争・・)あのサラエボの事件から、ルドルフは幾度も見て来た。兵士達が潜んでいる塹壕が炎と黒煙に包まれる光景を。だが、今目の前に広がっている光景は違う。今敵機の機銃掃射を受けているのは、全て民間人だ。「ルドルフ様。汽車に。」「ああ。」ルドルフとユリウスは、汽車の貨物車両に乗り込んだ。汽笛が鳴り響き、汽車はゆっくりと駅舎から離れていった。「これからどうします?」「さぁな。もう寝よう。」「ええ・・」次第に加速してゆく汽車は、汽笛を鳴らしながら東京へと向かっていた。空が曇り、雪が降って来た。 この世の地獄に降る穢れなき雪の白さを見ても、ルドルフには悲しみしか抱かなかった。にほんブログ村
2011年06月30日
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「身ノ程知ラズガ・・」ルドルフはそう呟くと、執拗に銃剣の先で村長を突いた。『うぐぁ!』苦しげな呻き声を上げながら、村長がびくびくと痙攣して果てた。「年寄リノ血は不味イ。」ルドルフは銃剣の先についた血を舐めたが、忌々しそうにそれを吐きだした。「ひ・・」沙良は恐怖のあまり、腰が抜けてしまった。「オマエ、オイシソウ・・」ルドルフは銃剣を握り締めると、ゆっくりと沙良の方へと近づいてきた。「来ないで・・来ないでぇ!」恐怖で目を見開かせながら、沙良はじりじりと後退していったが、ルドルフは徐々に距離を詰めて来た。「ウフフ、震エテル。」ルドルフは口端を歪めて笑いながら、沙良の髪を梳いた。(いやだ・・陽輔様!)沙良は恋人の名を心の中で叫びながら、彼の笑顔を思い浮かべた。「ルドルフ様!」荒々しく襖が開き、ユリウスが沙良とルドルフとの間に割って入った。「ユリウス、マタ邪魔スルツモリカ?」「ルドルフ様、どうぞ気を確かになさってください。」ユリウスは何かを取り出すと、ルドルフの唇を突然塞いだ。「う・・ユリウス・・」暗赤色の瞳が、徐々に本来の蒼へと戻ってゆき、ルドルフはユリウスをじっと見つめた。「もう大丈夫ですね。」ユリウスが安堵の表情を浮かべながらルドルフの頬を撫でた時、外から爆音が轟いた。「早くここから出ましょう!」「ああ。」ルドルフとユリウスが部屋から出ようとした時、沙良が恐怖に顔を引き攣らせながら彼らを見た。「化け物・・」「怖い目に遭わせてしまってすまない。さぁ早くここから・・」「触るな、化け物!」沙良の手を掴もうとしたルドルフは、彼に邪険に振り払われ、失望を瞳に滲ませた。「ルドルフ様・・」「行こうか、ユリウス。」彼らが部屋から出て行った後、沙良は暫し呆然としていた。外の爆音と悲鳴は徐々にこちらの方へと近づいてくる。(早く、逃げないと・・)萎えた足を奮い立たせて、沙良は村長の部屋から出て行き、竹林へと向かおうとした。「火事だ、村長の邸が火事だぞ~!」「火を消せ、早く!」男達は懸命に消火に当たったが、焼夷弾の直撃を受けた木造の邸宅は瞬く間に崩れ落ちた。「ユリウス、大丈夫か!」竹林の中を必死に走っていたルドルフは、後ろを走っているユリウスが転んだことに気づき、彼の方へと駆け寄った。「大丈夫です・・早く、ここから逃げないと・・」「肩を貸せ。」ユリウスの身体を支えながら、ルドルフが竹林を抜けて畦道を走っていると、上空に爆撃機のエンジン音が響いたかと思うと、それは急降下して爆撃を開始した。「伏せろ!」地面に倒れ込むように伏せたルドルフとユリウスに、容赦なく機関銃の銃弾が浴びせられ、銃弾が近くの水田にピシャン、ピシャンと音を立てながら当たっていく。「ユリウス、もう大丈夫だ。」ルドルフはそう言ってユリウスを見たが、彼は呆然と前方を見ていた。「どうした?」「ルドルフ様、あれ・・」 ユリウスが指した方向には、爆撃を受けて顔や腕、足などが散乱した子どもの遺体が転がっていた。にほんブログ村
2011年06月30日
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ルドルフが村長に押し倒され、犯されようとしている時、村の外れにある竹林の中で、沙良と1人の男が獣のように交わっていた。「ああ、もっと強く突いて!」「うぉ、いい・・もうイキそうだ。」沙良の艶やかな黒髪を掴み、男は激しく腰を振ると、ぶるぶると痙攣して果てた。「次は、いつ会える?」「さぁ・・それよりも、あの方はまだ戦地から帰ってこないのですか?」「ああ。心配するな、沙良。お前を置いて逝くような奴じゃない。」男はそう言うと、沙良の頬を撫でた。「じゃぁな。俺はもうそろそろ戻るぜ。」「お気をつけて。」身支度を整え、沙良はそう言って男に向かって頭を下げた。誰も居なくなった竹林の中で、沙良は溜息を吐いた。懐から彼は、恋人から貰った簪を取り出した。―沙良、これを俺が帰って来るまで持っていてくれ。出征前夜、恋人はそう言って沙良にこの簪を贈ってくれた。彼が戦地へと赴いてから3年半の歳月が経つが、今何処で何をしているのかさえ解らない。早く帰ってきて欲しい―沙良はそんな想いを胸に秘め、簪をぎゅっと握った。その時、竹林の中に強い風が吹き、沙良は思わず目を閉じた。「あなたが、沙良さん?」そっと彼が目を開けると、そこには豪奢な金髪を結いあげた、蒼いドレスを着た女が立っていた。彼女の瞳は、あのルドルフとかいう男と同じ、澄んだ蒼だった。「あなたは、誰? どうしてわたしを知っているの?」「これを、あなたに渡しに。」女はそう言うと、沙良に1枚の封筒を差し出した。「これは、あの人の・・」封筒に書かれた文字は、紛れもなく恋人が書いたものだった。「あなたの恋人は大丈夫、生きて帰ってくるわ。彼はあなたの事を心配していたわ。それよりも沙良さん、これからあなた、どうするの?」「え?」「いつまでも男に身を売って生きてゆくつもりなの?」「それは・・」沙良が口ごもると、女は衣擦れの音を立てながら彼に近づき、彼の頬をそっと撫でた。「わたしが、あなたを助けてあげる・・」彼女は沙良を抱き締めると、何か呪文のようなものを呟いた。その瞬間、ごうっと唸るような強風が竹林の中を通り抜け、さわさわと音がした。「これでもう、大丈夫・・」耳元で女の声がして、沙良がさっと辺りを見渡すと、そこには女の姿はなかった。(今のは、一体・・)まるで狐につままれたかのような感覚に陥った沙良が呆然と竹林の中に立っていると、突然村長の邸の方から凄まじい悲鳴が聞こえた。「村長様が、危ない!」沙良が竹林から村長の邸へと急いでいると、上空から突然耳障りな重低音が聞こえた。それは、自分達を恐怖と絶望、怒りに陥れる爆撃機のエンジン音だった。「敵機襲来、退避~!」「防空壕に避難するんだ!」 泣き叫ぶ老人や子どもを連れた屈強な男達が防空壕へと次々と避難し、その後に村長の伽を務めていた少年達が続いた。だが沙良は防空壕には入らず、村長の部屋へと向かった。「村長様・・」部屋は血の臭いで満ちていた。紫の振袖と白い肌を返り血に染め、ルドルフが村長に容赦なく銃剣を何度も突き刺していた。「ひぃ・・」沙良の唇から洩れた悲鳴に、ルドルフがゆっくりと振り向いた。彼の瞳は、暗赤色に輝いていた。にほんブログ村
2011年06月30日
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「痛いだろ、止めろ!」 少年達に容赦なく背中をゴシゴシと擦られ、ルドルフは思わず悲鳴を上げたが、彼らは無視した。全身に溜まっていた垢が少年達によって容赦なく落とされた後、ルドルフは覚束ない足取りで風呂場から出た。『次はこちらへ。』先ほどの少女が現れ、ルドルフを違う部屋へと案内した。 そこには、色とりどりの鮮やかな振袖が衣紋掛けに掛けられ、簪などの髪飾りが乱れ箱の中に置かれていた。部屋には少年の他に、数人の女達が控えていた。「何だ、これは? 女物しかないじゃないか!」『あなたには、黒や寒色が似合いますね。』少年は衣紋掛けから薄紫の古典柄の振袖をそっとルドルフの肩に掛けた。『帯は淡い色が良いかもしれませんね。』『髪飾りは髪の色が映えるようなものに・・』女達の手によってルドルフは振袖を着つけられ、真珠の簪を髪に無理矢理挿され、仏頂面になりながら衣装部屋から出た。『どうぞ、こちらです。』少女とともに廊下を歩くと、ざわりと男達がルドルフの姿を見て騒ぎ始めた。『あれは・・』『美しい・・まるで天女のようだ。』『沙良も美しいが・・あちらは違った種類の美しさだな。』(一体なんなんだ!?)ユリウスを救う為に村長の元へと行くのに、こんなに時間がかかるものなのか―ルドルフは次第に苛立ちを募らせてゆくようになった。「おい、まだ村長には会わせて貰えないのか?」「もう少しで村長の部屋に着きます。」少女が突然ドイツ語で話しだしたので、ルドルフは驚愕の余り彼女を見た。「お前、ドイツ語が話せるのか?」「ええ。あなた方の会話を納屋の外で聞いておりました。ここから逃げ出そうと企んでいらっしゃるようですが、無駄ですよ。」少女は微かに首を傾げながら、そう言ってくすりと笑った。一瞬彼女の黒い瞳が、暗赤色に煌めいた。その色は、あの魔女と同じ色だった。「お前は、あの女の仲間なのか?」「あの女? 誰のことです?」「とぼけるな!」ルドルフは少女を睨み付けると、彼女の手首を掴んだ。「あの納屋はなんだ? この村で一体何が起きている!?」「わたしは何も存じません。全ては村長様がご存知です。」少女はそう言ってルドルフの手を振り払うと、村長の部屋の前に座った。『失礼いたします。』『入れ。』少女は襖を開き、部屋の中へと入っていった。ルドルフも慌てて彼女の後に続いた。『ほぉ、美しいな。髪と瞳の色がよく映えている。沙良、お前は下がっていいぞ。』『はい・・』沙良はちらりとルドルフの方を見ると、部屋から出て行った。『こちらへ来い・・』村長と2人きりになったルドルフは、襖の前から一歩も動こうとしなかった。それよりも彼は、あの少女の事が気になっていた。彼女はあの魔女の仲間なのか、それとも・・『来いと言っているだろうが!』村長はルドルフの手を掴むと、自分の方へと引き寄せられた。「離せ・・」『何て美しいんだ・・』村長のしわがれた手が、紫の振袖の衿元を無理矢理開くと、布団の上に組み敷いた。「やめろ・・」しわがれた手が、乱暴に自分を犯そうとしていることに気づき、ルドルフは激しい怒りに駆られた。 それと同時に、何かが身体の奥底から湧きあがって来る感覚がした。にほんブログ村
2011年06月29日
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「沙良様・・」振袖姿の少女を見た中年の女が、慌てて彼女の為に道を空けた。「納屋に監禁している2人の鬼の様子をわたしに逐一報告しておくれ。」少女はそう言うと、女の耳元で何かを囁いた。「ありがとうございます、沙良様!」女がそそくさと自分の元から立ち去った後、少女は村長の部屋へと向かった。廊下の途中で立ち止まり空を見ると、そこには血のように紅い月が浮かんでいた。少女はそっと、月に向かって手を伸ばして、それを掴んだかのような感覚を楽しんでくすりと笑うと、再び歩き出した。「村長様、沙良です。」「入れ。」「失礼致します。」部屋の襖を開けて村長に礼をすると、彼は数人の少年達と戯れていた。「お前達、下がっておれ。」少年達は名残惜しそうに村長の部屋から出て行った。「沙良、脱げ。」「解りました。」少女は村長に命じられるままに、帯紐を解いた。シュルリ、と贅を尽くした帯がまるで鮮やかな蛇がとぐろを巻いたかのように畳の上に落ちた。「こちらに来い、沙良。」「はい。」村長のしわがれた手が、乱暴に少女の振袖を脱がしてゆき、長襦袢姿の彼女を抱き寄せた。「いつ触っても、お前の肌は気持ちいいな。」村長はそう言って、長襦袢を乱暴に脱がした。少女の白い肌が露わになったが、そこには女性特有の乳房がなかった。「村長様・・」少年が村長の肩に手を回すと、彼は下卑な笑みを口元に浮かべた。「お前だけは、儂のものだ、沙良・・」「はい・・」 ルドルフとユリウスが納屋で監禁されてから3週間が経ち、その間2人は食事と水を与えられていたが、入浴はおろか、顔を洗う事すら許されず、換気が悪く、暑い納屋の中で彼らの体力は少しずつ落ちていった。「ルドルフ様・・」「大丈夫だ。ユリウス、お前少し熱があるんじゃないか?」ルドルフはそう言うと、自分の額をルドルフの額にひっつけた。そこからは微かに熱を感じた。「そうですか? わたしは大丈夫です。」ユリウスはルドルフを安心させようとしたものの、彼の息は少し荒かった。衛生状態が悪い環境下で監禁されているだけでも過酷だというのに、ユリウスは毎晩村の男達に犯されていた。それなのに、彼は自分の事よりも、ルドルフの事を心配してくれる。そんなユリウスに対して何もしてやれない自分に、ルドルフは歯痒さを感じていた。「ユリウス、本当に・・」大丈夫なのか、とルドルフが再び彼に問いかけようとした時、納屋の戸が開いた。『どうしました?』あの振袖の少女が、床に伏しているユリウスを見た。「熱があるんだ。早く彼の手当てを・・」『村長様が、あなたをお呼びです。』少女はそう言うと、ルドルフの両手首を縛めていた鎖を斧で壊した。「ユリウスを、助けてくれ!」少女の手を掴むと、彼女はユリウスを再び見ると、こう言った。『この者は必ず助けます。では、参りましょう。』少女に連れられ、ルドルフは3週間ぶりに外の空気を吸った。ボロボロになったシャツは汗と垢で汚れ、全身の皮膚が痒くて発狂しそうになった。『さぁ、どうぞ。』少女がそう言ってルドルフを案内したのは、風呂場だった。湯煙の中で、数人の少年達が動いている気配がした。ルドルフが服を脱いで風呂場へと入ると、少年達が一斉に彼の身体をごしごしと洗い始めた。にほんブログ村
2011年06月28日
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ガチャガチャという耳障りな音がして、ユリウスはゆっくりと目を開けて痛む身体を動かした。すると、両手首を鎖に縛られたままのルドルフが、口端から泡を吹きながら激しく痙攣していた。「ルドルフ様!」恋人の異変に気づいたユリウスは、痙攣するルドルフへと駆け寄った。「ユリウス・・」ルドルフは荒い息を吐いて、ユリウスを見た。「大丈夫ですか?」「ああ、またいつもの“発作”が起きた。マイヤーリンクの時以来、何もなかったのに・・」「少しお待ちください。」ユリウスはそう言って男達によって乱暴に脱ぎ棄てられたカソックの中から、“薬”が入っている瓶を取り出した。「これで落ち着くかもしれません。」「そうか、ありがとう。」ルドルフはユリウスから瓶を受け取り、“薬”を一気に飲んだが、身体の中からなかなか不快感は消えてくれなかった。それどころか、肌蹴たシャツの隙間から見えるユリウスの白い肌に、知らぬ内に欲情してしまうのだった。「ユリウス、大丈夫か?」「ええ。それよりも、発作は治まりましたか? 酷く苦しまれていたので・・」「ああ、何とか治まった。だが・・」ルドルフは荒い息を吐きながら、ユリウスの手をそっと自分の下半身へと導いた。「あ・・」そこは、マグマのように熱く滾っていた。「何だか変なんだ。ここに来てから・・」ルドルフの荒い息と、紅潮としている彼の頬を見ると、ユリウスはこの納屋に何処か原因があるのだろうかと考えていた。「ユリウス、助けてくれ・・」ルドルフが助けを求め、ユリウスを熱で孕んだ蒼い瞳で彼を見た。「失礼します。」ユリウスはそっとルドルフのズボンのジッパーを下げると、熱を孕んだ彼の局部を口に含んだ。 ユリウスが自分のものを口に含んだ感覚がして、ルドルフは思わず呻いた。驚いた彼が慌てて自分から離れようとしたが、ルドルフは彼の頭を押さえつけた。これまで何度もユリウスに口でして貰ったことはあったが、これほどまでに感じるのは初めてだった。「うぅ・・」ルドルフはユリウスの口内に、欲望を吐きだした。「飲んだのか?」「ええ。」ユリウスがゆっくりと顔を上げると、口端には欲望の残滓が垂れていた。「すまないな、こんなことをして・・」「もう、大丈夫そうですね。良かった。」ユリウスはそう言うと、ルドルフに微笑んだ。その時、錠前の鍵が開かれる音がしたかと思うと、納屋の扉が開いて振袖を着た少女が入って来た。『失礼致します。』白い襷を掛けた彼女はそう言うと、2人分の食事が載ってある盆をユリウスとルドルフの前に置いた。「お前、名は?」『沙良と申します。ではわたくしはこれで。』「待て、お前達は一体何を考えている? わたし達をどうするつもりだ?」ルドルフの問いに少女は答えず、彼らに背を向けて納屋から出て行った。「沙良、あいつらはどうだった?」「元気そうでした。村長様、彼らをどうなさるおつもりですか?」「お前は知らなくていいことだ、沙良。それよりも今夜は儂の部屋に来るんだ、いいな?」「はい・・」 自分の尻を撫でまわす村長のしわがれた手を睨みつけながら、少女は溜息を吐いた。にほんブログ村
2011年06月28日
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「お前達は一体何を・・」ルドルフが老人を睨みつけながらそう尋ねると、彼はにぃっと笑った。『長い間生きてきたが、こんなにも美しい鬼は見た事がない。』老人はそう言ってルドルフのシャツに手を伸ばすと、それを容赦なく引き裂いた。「ルドルフ様!」ルドルフを助けようとユリウスは自分を拘束している男達に抵抗したが、逆に押さえこまれた。『ほう、桜色の乳首をしておるな。これは抱き甲斐があるのう。』老人はしわがれた手で、ルドルフの乳首を執拗にこねくり回した。「う・・」ルドルフは老人の股間を思い切り蹴り上げ、彼が悲鳴を上げている隙に逃げ出した。「ユリウス、逃げるぞ!」「はい!」恋人の手を掴み、寄り合い所から出ようとするルドルフ達に、男達が一斉に襲い掛かった。『逃がすもんか!』『ガキと婆しかいねぇ村で、俺らは溜まってんだ!』彼らが何を言っているのかは解らなかったが、次第に彼らが自分達を慰み者にしようとしていることが判った。「退け! 退かないと撃つぞ!」ルドルフは護身用の拳銃を取り出すと、男達はそれを見てさっと彼から退いた。(よし、今の内に・・)男達に銃口を向けながら、ルドルフがユリウスの姿を探していると、突然背後の茂みから1人の青年が飛び出てきたので、ルドルフは思わず銃を取り落としそうになった。青年はその隙を突いてルドルフから銃を取りあげると、彼の後頭部を拳で殴った。「ユリウス・・」恋人の名を呼びながら、ルドルフは意識を闇に堕とした。「んぅ~、うぐぅ~」苦しげな呻き声が近くで聞こえて、ルドルフはゆっくりと目を開けると、そこには数人の男達に犯されているユリウスの姿があった。「ユリウス!」ルドルフはユリウスを助けようとしたが、身体が動かない。両手首を鎖で縛められ、その鎖は壁に繋がれていた。鎖から逃れようとルドルフがもがいている中で、全裸に剥かれたユリウスはなす術もなく男達に犯されていた。悪夢のような時間が終わった後、ユリウスは服を着ないまま、ぐったりとして動かなかった。「ユリウス?」「見ないでください・・」ユリウスは屈辱と、愛する人の前で犯されたという恥辱を受け、ルドルフの顔がまともに見られなかった。「わたしは、穢れてしまいました。あなた様の顔を今、まともに見る事ができません。」「何を言っている、ユリウス。こんな事でわたし達の絆が壊れることはない。そうだろう?」「ええ・・」ルドルフの言葉にそう言って頷いたユリウスであったが、宝石のような翠の双眸には、憂いの光が帯びていた。「眠れ。」「はい・・」ルドルフとユリウスは、ゆっくりと眠りに落ちた。 一方、2人が監禁されている納屋から少し離れた村長の家では、村人達があの2人をどうするかを話し合っていた。「あいつらはすぐに殺さん方が良いだろう。男であることは残念だが、妊娠する心配はないしのう。」「村長様、奴らは憎き敵なのですよ! 生かしておいたら俺達が殺されるかもしれない!」1人の青年がそういきり立つと、村長はそれを鼻で笑った。「そんな事はしまい。それよりも・・」「失礼致します。」襖が開き、戦時中だというのに鮮やかな振袖を着た少女が入って来た。「沙良か、こちらに座れ。」村長はそう言って少女に手招きし、笑顔を浮かべた。にほんブログ村
2011年06月28日
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雪がはらはらと舞う中、ルドルフとユリウスはあてもなく歩いていた。「これからどうする?」「さぁ・・」縁もゆかりもない日本に来たユリウスは、これからどうすべきか迷っていた。「まずは住む所を探しましょう。」「そうだな。」ルドルフがそう言った時、突然背中に痛みが走った。『鬼畜米英、失せろ!』『父さんを返せ、人殺し!』ルドルフが振り向くと、そこには数人の少年達が石を持って彼を睨みつけていた。彼らの瞳には、敵への憎しみが滾っていた。「ルドルフ様、大丈夫ですか?」「ああ。ユリウス、早くここを離れよう。」「はい・・」ユリウスはそう言うと、ルドルフとともに足早にその場から立ち去った。「あの子達は・・」「恐らく近くの村の子どもだろう。ここは危険だ。」「ええ。」彼らが人気のない山道を歩いていると、一軒の民家がユリウスの目に入った。「ちょっと見て参ります。」ユリウスは民家の戸を叩いた。「誰か居ませんか?」中から返事がしなかったので、ユリウスは戸を開くと、家の中には誰も居なかった。「どうやら空き家のようです。」「そうか。ここなら人目につかないし、中を掃除すれば住めるだろう。」こうしてルドルフとユリウスは、空き家で暮らし始めた。衣類などは洗濯をすれば大丈夫だったが、困るのは食糧が確保できないことだった。「どうする?」「どうするも何も、人里に下りるしかないでしょう。」「だが、あいつらを見ただろう? あいつらはわたしを敵とみなしているんだ。」「ですがルドルフ様、このまま身を隠していては何も変わりませんよ。」ユリウスの言葉を聞いたルドルフは、ふたつ返事で彼と人里に下りることにした。 ブロンドの髪をスカーフで隠し、辺りをキョロキョロと見渡しながら、ルドルフはユリウスとともに村の中を歩いた。だが、いくら彼らが歩いても、人が居る気配がない。「ルドルフ様、戻りましょうか。」「ああ・・」ルドルフとユリウスが村を去ろうとした時、強風が吹いてルドルフの髪を覆っていたスカーフがひらりと舞いあがり、近くの田圃に落ちてしまった。「くそ、ついてないな・・」ルドルフが舌打ちしながら田圃へと向かおうとした時、突然近くの木陰から男が飛び出してきた。「ルドルフ様!」ルドルフから少し離れた所を歩いていたユリウスが血相を変えて彼の元へと駆け寄ろうとした時、鋤や鍬を持った数人の男達に彼は取り押さえられた。『こいつか、村の餓鬼どもが見たってやつは?』『女にしちゃぁでかいな。まぁ別嬪だから文句は言えねぇや。』男の1人がそう言って笑うと、ルドルフのシャツを乱暴に脱がした。『こいつ、男か! ついてねぇな!』『まぁ、いいんじゃねぇの?』男達は欲望に滾らせた目でルドルフを見つめた。「離せ、わたしに触れるな!」「ルドルフ様!」『連れて行け。』ユリウスとルドルフは男達によって村の寄り合い所のような所に連行された。そこには、数十人の村人達が居た。『こやつらが、この村に来た鬼どもか。』村人の中から老人がそう言って彼らの前に進み出ると、ルドルフの顎を杖で突いた。『反抗的な目をしておるな。だがそれもよい。』老人は口端を歪めて笑うと、いやらしい目でルドルフを見た。にほんブログ村
2011年06月27日
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「まさか、こんな所で会うなんてな。」かつての友に銃口を向けられながら、ゲルガーは笑った。「ああ。ゲルガー、僕は君を殺したくない。」「殺したくないだって? ここは戦場だぜ? 綺麗事なんざ通らねぇんだよ!」ゲルガーはそう叫ぶと、アレクセイの向う脛を蹴り、彼に銃口を向けた。「アレクセイ、俺はお前の事が嫌いだった。何不自由なく生活を送っているお前が、憎かったよ。」「嘘だろ、ゲルガー? 君はいつも、嬉しそうに僕と遊んでいたじゃないか。どうして君は変わってしまったんだ!」「人は変わるもんなんだよ、アレクセイ。じゃぁな。」ゲルガーはそう言って引き金を引こうとした時、激しい閃光と爆音が2人に襲い掛かった。「う・・」つんと鼻をつくような血の臭いで、ゲルガーは目を開けた。「アレクセイ?」辺りには肉が焦げたような臭いと血の臭いが充満していた。ゲルガーが友の姿を探していると、彼は草叢の中に倒れていた。「アレク・・」アレクセイの身体は、頭から真っ二つにされており、そこからは煙が立ち上っていた。「アレクセイ・・」ゲルガーがアレクセイの手を握ろうとしたが、彼は目を見開いて数秒痙攣した後、息絶えた。「う・・あぁぁ!」ゲルガーは両手で頭を掻きむしりながら叫んだ。 一方ダッハウ強制収容所では、アウグストが他の囚人達とともにガス室へと向かっていた。「嫌だ・・死にたくない・・」ガス室の中へと囚人達が入っていく中、アウグストは恐怖で顔を引き攣らせながらそこから逃げ出した。「囚人が逃げたぞ、追え!」「逃がすな!」看守の怒鳴り声と犬の吠える声が、アウグストの恐怖心をあおった。(神よ、お救いください・・)神はもう何処にも居ないのだと思いながらも、アウグストは必死に神へと祈った。(わたしはあなたを愛しております。どうか神よ、わたしをこの地獄から救ってください・・)アウグストは必死に暗闇の中を走りながら、神に自分を助けてくれるよう祈った。だが―「撃て、撃てぇ!」看守が機関銃を構え、その銃口をアウグストに向かって撃った。発射された銃弾が、彼の全身を貫いた。「神よ・・どうかわたしを・・助け・・」地面に崩れ落ち、息絶え絶えにアウグストが草叢を這って神への祈りを捧げていると、看守の1人が彼の首筋にサーベルを突き立てた。 アウグストの身体がびくんと痙攣した後、動かなくなった。「始末しておけ。」「はっ!」アウグストの遺体を、看守はさっさと肩で担ぐと、焼却炉へと向かった。「アウグスト・・」リュスターはアウグストの死を悟り、彼が愛用していた聖書の革表紙を撫でた。「やっと、お祖父さんの所に行けるんだね・・」彼はそう呟くと、涙を流して友の冥福を静かに祈った。 一方、ベルリン市内の精神病院の一室では、ゲルガーが壁際に向かって何かを呟いていた。「俺は間違っちゃいない・・敵を撃っただけだ・・」熱に浮かされたように同じ事を繰り返しぶつぶつと呟きながら、彼は壁際に何度も頭をぶつけていた。その蒼い瞳は、何も映してはいなかった。「ユリウス、来たな。」「ええ。」欧州を離れたルドルフとユリウスは、遠い島国に辿り着いた。にほんブログ村
2011年06月27日
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