1

詩篇149篇より日毎、週毎、聖書の言葉に基づいて、新しい歌をもって、聖徒と共に、主の誉れを讃える。救いの契約に与かった者と共に、創造の主を讃える。約束の国に向かう者と共に、終末再臨の主を讃える。主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。イスラエルにその造り主を喜ばせ、シオンの子らにその王を喜ばせよ。(詩篇149:1〜2)
2026/10/04
閲覧総数 25
2

歴代志下30章より南王国ユダの列王。ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ。まずは、必須暗記。預言者イザヤの活動により、遂にヒゼキヤ王が目覚め、過ぎ越しの祭りを回復しました。神は、ヒゼキヤ王の祈りを喜ばれ、エルサレムに歓喜が回復しました。このエルサレムの歓喜を再び。祭司エズラは、この歴代志をもって、バビロン捕囚から帰還した民に、まことの過ぎ越しを示しました。過ぎ越しから始まった神の愛。モーセの導きによる奴隷からの出エジプトは、まことの解放。キリストの十字架から始まった神の愛。主の導きによる罪の奴隷からの解放は、まことの勝利。ハレルヤ。以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日は歴代誌第二30章「過越の祭り」です。ヒゼキヤは、主の務めに通じているすべてのレビ人の心に語りかけた。:歴代誌第二30章22節◆要約ヒゼキヤとつかさたちは、第二の月に過越の祭りを行うことにし、全イスラエルとユダに使いを遣わして言いました。「イスラエルの人々よ。主に立ち返りなさい。主に服従し、聖所で主に仕えなさい。そうすれば、主の燃える怒りがあなたがたから離れ、囚われた人々がこの地に帰って来るでしょう。」ある人々はこれを聞いてあざけりましたが、へりくだってエルサレムに来た人々もいました。こうしておびただしい大集団が、過越の祭りを祝うためにエルサレムに集まりました。彼らは第二の月の十四日に、過越のいけにえをほふり、祭司とレビ人は身を聖別し、全焼のいけにえを主の宮に携えて来ました。民のうち大勢の者が、身をきよめておらず、異なったやり方で過越のいけにえを食べてしまったので、ヒゼキヤはとりなしの祈りをささげ、主はヒゼキヤの祈りを聞かれました。こうして、エルサレムのイスラエル人は、大きな喜びをもって七日の間、祭りを行いました。ヒゼキヤは、主の務めに通じているすべてのレビ人の心に語りかけました。七日の後、民は喜びをもってさらに七日間、祭りを行いました。エルサレムにこうした喜びがあったのは、ダビデの子ソロモンの時代以来のことでした。◇コメントヒゼキヤは、ユダだけでなく、アッシリアに滅ぼされた北イスラエルにも過越祭を呼びかけました。また彼らのためにとりなしの祈りもささげました。(岡崎道成)
2025/03/08
閲覧総数 14
3

列王紀上3章より神はソロモンの人生を通して、あえて彼を用いて、見事にご自身の恵みを啓示されます。王国の安定の為に、あえてエジプトの娘を花嫁にして、政略結婚をするソロモン。神はあえて彼を許し、アドバンテージ。ここに異邦人である私たちが、あえてエジプトの娘のように花嫁として、再臨のキリストに携え挙げられる事が示されています。ここにキリストの花嫁が、見事に啓示されています。知恵をいただくソロモンは、王国を治めます。知恵なき私たちも、まことの知恵を戴いて、地上での人生を歩みます。「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」(1コリント書1:30)以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日は列王記第一3章「ソロモンの願い」です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。:列王記第一3章9節◆要約ソロモンはエジプトの王パロと縁を結び、パロの娘をめとりました。ソロモンが主にいけにえをささげるためにギブオンに上った夜、主は夢でソロモンに現れて仰せられました。「あなたに何を与えようか。願え。」ソロモンは言いました。「あなたは私を王とされましたが、私は小さな者で、出入りするすべを知らず、また民はおびただしい数です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心を与えてください。」この願い事は主の御心にかなったので、主は仰せられました。「あなたが自分の利を求めず、このことを願ったので、私はあなたに知恵の心と判断する心を与える。また、あなたが願わなかった富と誉れも与える。」さて、二人の遊女が王のところに来て、ひとりの赤ん坊を互いに自分の子だと言い張ったので、ソロモンは「子どもを二つに切って分けよ。」と言いました。すると一方の女が「いいえ、殺さないでその子をあの女にあげてください。」と言ったので、ソロモンは「その女が母親だ。」と宣告しました。これを聞いたイスラエル人はみな、神の知恵が王のうちにあるのを知りました。◇コメント王位を継ぎ、体制も整えても、主の前に謙遜になって判断力を求めたソロモン。やがてあらゆる知恵と知識とに通じ、箴言や伝道者の書(コヘレトの書)も著しました。(岡崎道成)
2026/10/03
閲覧総数 21
4

列王紀上4章よりダビデの神殿の夢(ダビデ契約)が、ソロモンによって完成する。ダビデが蒔いて、ソロモンが刈り取る。エデン契約の完成が、キリストによって完成する。原罪をアダムが蒔いて、十字架のキリストが贖って刈り取る。ダビデ契約の完成が、キリストによって完成する。旧約聖書の預言者(バプテスマのヨハネ)がメシア預言を蒔いて、栄光の主(キリスト)が再臨されて裁き主として刈り取る。ソロモンの王国のように、キリストによる千年王国が完成し、その後に新天新地に至る。これが、神のご経綸である。「刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。」(ヨハネ福音書 4:36〜37)以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日は列王記第一4章「平和の王国」です。ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。:列王記第一4章25節◆要約ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しみました。ソロモンは、ユーフラテス川の西側からペリシテ人の地、エジプトの国境にいたるすべての王国を支配し、これらの王国は貢ぎ物を持って来ました。ユダとイスラエルにはダンからベエル・シェバまで平和があり、人々は安心して住むことができました。ソロモンは戦車用の馬のための馬屋を四万、騎兵一万二千を持っていました。また十二人の守護がいて、それぞれ自分の当番月に、王家のために食糧を納めました。神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、広い心を与えられました。それで、彼の名声は周辺のすべての国々に広がりました。彼は三千の箴言を語り、歌は千五百首もありました。彼はレバノンの杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木やあらゆる生き物について語りました。ソロモンのうわさを聞いた王たちが、彼の知恵を聞くためにやって来ました。◇コメントイスラエル、ここに極まれり。モーセも見ることができなかったカナンでの繁栄です。(岡崎道成)
2026/10/04
閲覧総数 19
5

エゼキエル書30章を読んで思うこと。それは、「エジプトに対する裁きの預言(2)」のこと。エジプトへの預言は、エゼキエル書29章〜32章まで続きます。本日の箇所も、エジプトへの7つの裁きの預言のうちの、2つが登場します。「主なる神はこう言われる、わたしは、バビロンの王ネブカデレザルの手によって、エジプトの富を滅ぼす。」(エゼキエル書30:10)1つ目の預言は、17年後(ツロとの戦いの後)、エルサレム崩壊後の「エジプトへの裁きの預言」(1〜19)。エジプトと同盟を結んでも、いざという時に彼らは、全く頼りにならない存在であることが示されています。主は、同盟国を巻き込むエジプトに対して、バビロンのネブカデネザル王を用いて、関わります。主は、高慢なエジプトの富を、根こそぎゴッソリと、取り除かれます。ここに、主の裁きがあります。主の言葉が、わたしに臨んだ、「人の子よ、預言して言え、主なる神はこう言われる、嘆け、その日はわざわいだ。その日は近い、主の日は近い。これは雲の日、異邦人の滅びの時である。つるぎがエジプトに臨む。エジプトで殺される者の倒れる時、エチオピヤには苦しみがあり、その財宝は奪い去られ、その基は破られる。エチオピヤ、プテ、ルデ、アラビヤ、リビヤおよび同盟国の人々は、彼らと共につるぎに倒れる。主はこう言われる、エジプトを助ける者は倒れ、その誇る力はうせる。ミグドルからスエネまで、人々はつるぎによってそのうちに倒れると主なる神が言われる。それは荒れて、荒れはてた国々のうちにあり、その町々は荒れた町々のうちにある。わたしがエジプトに火を送り、これを助ける者が皆滅びる時、彼らはわたしが主であることを知る。」(エゼキエル書30:1〜8)2つ目の預言は、エルサレム崩壊前の「エジプトへの裁きの預言」(20〜26)。また「第十一年」に、預言の時間軸が戻りました。これは、何を意味するのでしょうか。それは、イスラエルにとってエジプトは、避難所。エジプトは、創世記アブラハムや、創世記ヤコブにとっても、拠り所でした。ですから神は、エゼキエルを通して、そのエジプトと「完全に手を切ること」を勧めます。つまり再度、この後のネブカデネザル王によるエジプト征服の中に、エゼキエルの預言の真実がある事を悟らせます。さあ何度も、バビロン捕囚の歴史を学び、エゼキエル書の預言を理解しましょう。諦めてはなりません。第十一年の一月七日に主の言葉がわたしに臨んだ、「人の子よ、わたしはエジプトの王パロの腕を折った。見よ、これは包まれず、いやされず、ほうたいをも施されない。それは強くなって、つるぎを執ることができない。それゆえ、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエジプトの王パロを攻め、その強い腕と、折れた腕とを共に折り、その手からつるぎを落させる。わたしはエジプトびとを、もろもろの国民の中に散らし、国々に散らす。わたしはバビロンの王の腕を強くし、わたしのつるぎを、その手に与える。しかしわたしはパロの腕を折るゆえ、彼は深手を負った者のように、彼の前にうめく。わたしがバビロンの王の腕を強くし、パロの腕がたれる時、彼らはわたしが主であることを知る。わたしがわたしのつるぎを、バビロンの王に授け、これをエジプトの国に向かって伸べさせ、わたしがエジプトびとを、もろもろの国民の中に散らし、国々に散らす時、彼らはわたしが主であることを知る」。(エゼキエル書30:20〜26)
2026/10/06
閲覧総数 19
6

マタイ福音書18章より天国で一番偉い人は、受け入れることが出来る人です。主イエスは、「誰が偉いのか」と言い合ったことを責めているのではなく、最も必要なものだけを話題にして、語っておられます。天国で一番偉い人は、十二弟子のように、主を受け入れることが出来る人です。しかし、十二弟子の内の九人は、特別に変貌山に連れて行ってもらった三人の弟子を、受け入れることが出来ません。主イエスは、全てお見通しです。私たちの心も知っておられます。主イエスは、「わたしに反対しない者は、わたしの味方である」と言われます。本章18章の並行記事、マルコ福音書9:33〜50、ルカ福音書9:46〜50を読みましょう。イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」(ルカ福音書 9:50)以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はマタイの福音書18章「天の御国で一番偉い者」です。この子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。:マタイの福音書18章4節◆要約弟子たちがイエスに「天の御国ではだれが一番偉いのか」と尋ねたとき、イエスは一人の子ども呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて言いました。「向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者はわざわいです。あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。ある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。もし見つければ、その人は、迷わなかった九十九匹以上にこの一匹を喜びます。このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天の父のみこころではありません。二人か三人が、わたしの名において集まっている所には、わたしもその中にいるのです。」ペテロがイエスに、何度まで兄弟の罪を赦すべきかを尋ねたとき、イエスは「七回を七十倍するまで」と、何度でも心から赦すように教えました。(岡崎道成)
2026/09/30
閲覧総数 29
7

イザヤ書39章よりイザヤ書は、1章から39章で、前半は終了。本章39章が最終になります。南王国ユダのヒゼキヤ王は、アッシリアの脅威から救われ、神の奇跡を体験しました。しかし、本章39章は、大きな汚点。次の大国バビロンに、手の内を見せてしまいました。これにて、バビロン捕囚が決定しました。以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はイザヤ書39章「捕囚の預言」です。見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。:イザヤ書39章6節◆要約そのころ、バビロンの王メロダク・バルアダンは、ヒゼキヤが病気から回復したことを聞いて、彼に使者を遣わし、手紙と贈り物を届けました。ヒゼキヤはそれらを喜び、武器庫や宝物倉にあるすべての物を、彼らに見せました。預言者イザヤが、ヒゼキヤ王のところに来て、尋ねました。「あの人々はどこから来たのですか。あなたの家で何を見たのですか。」ヒゼキヤは答えました。「遠い国、バビロンから来たのです。彼らは私の家の中のすべての物を見ました。私の宝物倉の中で彼らに見せなかった物は一つもありません。」すると、イザヤはヒゼキヤに言いました。「万軍の主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの父祖たちが今日まで蓄えてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日々が来る。何一つ残されることはない。また、あなたの息子たちの中には、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者がいる。」ヒゼキヤはイザヤに言いました。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は平和と安定があるだろうと思ったのである。(岡崎道成)
2026/10/03
閲覧総数 19
8

使徒行伝16章より本章16章、パウロの第二次伝道がスタートする。まず第一次のデルベ、ルステラと進み、あの第一次で苦しんだルステラで、愛弟子テモテと出会う。これもまた、神の業。後に聖霊に導かれ、禁じられ、フルギヤ、ガラテヤ地方を通り、迷いつつ、トロアスに着く。ここでマケドニアの幻を見る。禁じられることもまた、神の業。この禁じ手が、ピリピ教会の創立を急がせる。獄吏が絶望して、獄吏がゴクリと唾をのんだ家族が、救われる。彼らもまたピリピ教会の創立会員となる。不思議な出来事もまた、神の業。このピリピ教会が、パウロの伝道を大いに助ける。パウロはピリピ書にて、そのお助けに感謝している。マケドニア伝道の開幕もまた、神の業。まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)おはようございます。今日は使徒の働き16章「ピリピでの出来事」です。主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。:使徒の働き16章31節◆要約伝道を続けながら、マケドニア地方のピリピの町に入ったパウロとシラスは、占いの霊につかれた女につきまとわれます。困り果てたパウロは彼女から霊を追い出しました。すると、その占いによって儲けを得ていた主人たちが、パウロとシラスを長官に訴えました。群衆もふたりに反対したので、長官は事情も聞かずに二人をむち打ち、牢に入れてしまいます。真夜中ごろ、ふたりが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、他の囚人たちも聞き入っていました。すると突然、大地震が起きて獄舎の扉が開き、囚人たちの鎖も解けてしまいます。看守は、囚人が逃げてしまったものと思い剣で自殺しようとしますが、パウロは「わたしたちはみなここにいる」と止めます。看守はパウロとシラスの前にひれ伏して「先生がた、救われるためには、何をしなければなりませんか」と言います。パウロは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と答えました。看守はふたりを家に迎え、家族全員がイエスを信じてバプテスマを受けました。翌日、長官はパウロたちを釈放するよう命じますが、パウロは「ローマ人である私たちを取り調べもせず鞭打ったのだから、長官が自分で出向いて来て、私たちを連れ出すべきだ」と主張します。ふたりがローマ人と知った長官は驚いて出向き、ふたりに詫びたうえで、町から去ってくれるよう頼みました。(岡崎道成)◇解説使徒行伝16章を読んで思うこと。それは、「パウロの同労者テモテと、使徒行伝の著者である医者ルカ」のこと。パウロは第二伝道旅行を開始し、まず第一伝道旅行で迫害を受けた地に導かれる。そのルステラの地で、愛弟子テモテと出会う。そして彼にはあえて、アブラハム契約のしるしである割礼を施し、ユダヤ人であるシラスと、同じ宣教レベルに立たせる。これで、パウロとシラスとテモテの宣教チームが完成する。それから、彼はデルベに行き、次にルステラに行った。そこにテモテという名の弟子がいた。信者のユダヤ婦人を母とし、ギリシヤ人を父としており、ルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判のよい人物であった。パウロはこのテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、まず彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることは、みんな知っていたからである。それから彼らは通る町々で、エルサレムの使徒たちや長老たちの取り決めた事項を守るようにと、人々にそれを渡した。こうして、諸教会はその信仰を強められ、日ごとに数を増していった。(使徒行伝16:1〜5)アジアでの宣教が禁じられ、トロアスに至るパウロ。この時パウロ一行は、マケドニアの叫びを受け止めて、ピリピに渡る。ここでパウロ一行の表記は、「彼ら」(使徒行伝16:6)から「わたしたち」(使徒行伝16:10)に変化する。つまりここで医者ルカが、パウロ一行に加わる。使徒行伝の著者ルカは、今後このピリピに留まり、第三伝道旅行の帰りに、再びパウロ一行に加わる(使徒行伝20:5〜6)。後にルカは、最後までパウロと同行(2テモテ書4:11)することになる。ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。そこで、わたしたちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。(使徒行伝16:9〜12)(篠原利治)
2026/10/04
閲覧総数 25
9

イザヤ書40章よりイザヤ書40章から、回復の預言が始まります。イザヤ書1章から39章が、こころ頑なにする裁きの預言。対象に、イザヤ書40章から66章が、回復の預言です。この回復は、捕囚後のイスラエルの民の、力無き状態からの回復ではなく、契約の成就としてのメシア的王国(千年王国)の樹立による回復を表します。この世にある回復ではなく、神による真の回復が、イザヤ書40章から始まります。走れども疲れず、歩めども倦まざるべし。これぞ、栄化の姿なり。以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はイザヤ書40章「慰めよ」です。慰めよ、慰めよ、わたしの民を。:イザヤ書40章1章◆要約「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。―あなたがたの神は仰せられる―エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。」荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。このようにして主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。」「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。力の限り声をあげよ。見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を測ったのか。すべての国々も主の前では無いに等しく、主には、空しく何もないものと見なされる。あなたがたは神をだれになぞらえ、どんな似姿に似せようとするのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。(岡崎道成)
2026/10/04
閲覧総数 21
10

使徒行伝18章より本章18章は、パウロの第二次伝道と、第三次伝道の繋ぎの章です。使徒行伝18:22〜23が、ブリッジとなっています。その期間、用いられたのは、ローマからやったきた夫婦。彼らは第二次伝道のコリントで、パウロと天幕を作りながら、聖書講義を受けました。彼らは信徒の立場で、人々を育てます。パウロがエルサレムに帰った間、エペソ教会を守ったこの夫婦は、伝道者アポロも育てます。第二次伝道と第三次伝道の間に、この夫婦によって、正しい福音理解を得た伝道者アポロは、後にコリント教会で用いられます。このように、本章18章の人間模様は、整理して理解しましょう。小アジアのエペソ教会は、ハブ空港のようです。あちらもこちらも、人々を受け入れて、燃料を満タンにして、飛び立てるように整えます。まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)おはようございます。今日は使徒の働き18章「弟子たちを励ます」です。恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。:使徒の働き18章9節◆要約パウロはコリントの町でアクラとプリスキラというユダヤ人夫婦の家に滞在し、一緒に天幕作りをしながら安息日ごとに伝道しました。しかし、ユダヤ人たちは彼らが反抗して暴言を吐いたので、その町を出ると宣言します。しかし神が幻で「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。だれもあなたに危害を加えない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言ったので、そこに留まって伝道を続けました。ユダヤ人たちはパウロに反抗し、地方総督ガリオに彼を訴え出ますが、総督はユダヤ人の宗教の問題だとして受け付けませんでした。パウロはしばらくコリントに滞在した後、エペソを経てエルサレム、アンテオケ、ガラテヤ、フルギヤと次々に巡って、弟子たちを力づけました。アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来て会堂で話し始めましたが、彼がヨハネのバプテスマしか知らないのを見たプリスキラとアクラは、彼を招き入れ、神の道をもっと正確に彼に説明しました。それで彼は、聖書によって、イエスがキリストであることを公然とユダヤ人たちに論じるようになりました。(岡崎道成)◇解説使徒行伝18章を読んで思うこと。それは、「アクラとプリスキラの活躍」のこと。彼らは、パウロの第二伝道旅行と第三伝道旅行の間に、重要な働きをしました。パウロの第二伝道旅行・コリントにて、彼らはパウロと遭遇。それからパウロと生活を共にしました。彼らは天幕造りの作業中、毎日たっぷりパウロから、神の経綸に基づく福音と聖書的論証を聞き、アクラとプリスキラもまた、人々を聖書的真理に導きます。その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。(使徒行伝18:1〜4)パウロの第二伝道旅行と第三伝道旅行の切り替えは、18:22〜23です。パウロは、一度エルサレムに帰り、アンテオケに戻り、再び第三伝道旅行に出かけます。時はAD52〜53です。この時にアクラとプリスキラは、大きな働きをします。このパウロが留守の間に、アクラとプリスキラはエペソ教会を守り、突然やって来た伝道者アポロに、パウロ仕込みの十全の福音を伝授します。その彼らの働きにより、アポロは整えられて、コリントに遣わされます。わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。(1コリント書3:6〜11)このパウロが留守の間に、この夫妻は大きな働きをしました。さあ私たちも、主のご再臨の前に主にあって、大きな働きをしましょう。十全の福音を人々に伝えましょう。そして息子、娘を整えて、働き人として世に送り出しましょう(使徒行伝2:17〜18)。さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた。それから、アポロがアカヤに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、先方の弟子たちに、彼をよく迎えるようにと、手紙を書き送った。彼は到着して、すでにめぐみによって信者になっていた人たちに、大いに力になった。彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである。(使徒行伝18:24〜28)(篠原利治)
2026/10/06
閲覧総数 22
11

イザヤ書47章よりイザヤ書47章は、ヨハネ黙示録18章と繋がっています。神が選ばれたイスラエルの民は、まことの神に対する背信行為によって、裁かれます。この時、大国バビロンが用いられ、イスラエルの民は、バビロン捕囚に至ります。しかし、この大国バビロンも、やがて裁かれます。それも一瞬の間に、神の裁きは訪れます。これは、終末における、大バビロンの崩壊を意味します。ヨハネ黙示録18章にある、大バビロンの崩壊を意味します。以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はイザヤ書47章「バビロンへの復讐」です。わたしは復讐をする。だれ一人容赦しない。:イザヤ書47章3節◆要約「おとめ、娘バビロンよ。下って、土の上に座れ。あなたはもう、優しい上品な女と呼ばれることはないからだ。あなたの裸はあらわにされ、恥もさらされる。わたしは復讐をする。だれ一人容赦しない。わたしは、わたしの民を怒って、彼らをあなたの手に渡したが、あなたは彼らをあわれまず、重いくびきを負わせた。あなたはいつまでも女王でいようと考えて、自分の終わりを思わなかった。だから今、これを聞け。心の中で「私だけは特別だ」と言う者よ。わざわいが突然、あなたを見舞う。それを払いのける呪文をあなたは知らない。若いときからの使い古しの呪文や多くの呪術を使って、あなたを救わせてみよ。見よ、彼らは切り株のようになり、火が彼らを焼き尽くす。彼らは自分のいのちを炎の手から救い出すこともできない。あなたが若いときから仕え、取り引きしてきた者たちは、このようになる。彼らはそれぞれ自分勝手に迷い出る。あなたを救う者は一人もいない。」(岡崎道成)
2026/10/15
閲覧総数 4
12

ホセア書5章よりホセア書は、全14章です。ホセア書5章は、三つのポイントに分かれています。初めは、祭司(宗教指導者)に対する裁き。次に、北王国イスラエル(エフライム)に対する裁き。最後は、回復の招き(ホセア書5:15)です。預言者ホセアが活動した時代は、北王国イスラエルが最も安定した時代、ヤラベアム二世の時代です。ヤラベアム二世は、41年も王位につきました。それは、世界の覇権を狙う大国が、おとなしかったからです。北王国イスラエルの民は、バアル神を愛して、ひたすら邁進します。ヤーウェ神の妻でありながら、バアル神に恋い焦がれてしまいます。ここに、宗教的カイインがあります。故にまことの神(夫)による裁きが、行われるのです。その裁きは、まず宗教的な指導者(祭司)に及び(ホセア書5:1〜3)、そして北王国イスラエルの民に至ります(ホセア書5:8〜14)。しかし夫である神は、夫ホセアの人生と同じように、妻である民に、回復の招きを与えます(ホセア書5:15)。ここに神の豊かな愛が、見事に啓示されています。「わたしは、彼らがその罪を認めて、 わが顔をたずね求めるまで、 わたしの所に帰っていよう。 彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う」(ホセア書5:15)以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はホセア書5章「イスラエルへの懲らしめ」です。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。:ホセア書5章10節◆要約祭司たちよ。これを聞け。イスラエルの家よ。心せよ。王の家よ。耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパで罠となり、タボルの上に張られた網となったからだ。エフライムは姦淫をし、イスラエルは汚れてしまった。姦淫の霊が彼らのうちにあり、彼らは主を知らないからだ。イスラエルの高慢はその顔に表れている。イスラエルとエフライムは、自分の不義につまづき、ユダもまた彼らとともにつまづく。彼らは主を尋ね求めるが、見つけることはない。主が彼らを離れ去ったのだ。ベニヤミンよ、うしろを警戒せよ。エフライムは懲らしめの日に、恐怖のもととなる。わたしはイスラエルの諸部族に、確かに起こることを知らせる。ユダの首長たちは地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。エフライムは虐げられ、さばかれて打ち砕かれる。彼らが人の決め事に従って歩んだからだ。わたしは、エフライムにはシミのように、ユダの家には腐れのようになる。エフライムはアッシリアに行ったが、彼はあなたがたを癒すことができない。わたしが、エフライムには獅子のように、ユダの家には若い獅子のようになるからだ。このわたしが引き裂いて歩き、助け出す者はだれもいない。彼らが罰を受け、わたしの顔を慕い求めるまで、彼らは苦しみながら、わたしを捜し求める。(岡崎道成)
2026/05/22
閲覧総数 11
13

イザヤ書46章よりイザヤ書43章にて「汝はわが目に尊く、重んぜられるもの」と言われた主は、イザヤ書44章から46章にかけて、連続して呼びかけられます。イザヤ書44章にて「わたしに帰れ」、イザヤ書45章にて「わたしを仰いで救われよ」と。そして本章、イザヤ書46章にて「わたしに聞け」と言われます。それも、あなたを背負って、言葉を聞かせると言うのです。何だか想像すると、羊が肩に担がれて、羊飼いの言葉を耳元で聞くようです。私たちが主の肩に担がれて、神の言葉を耳元で聞くようです。以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はイザヤ書46章「背負う神」です。わたしは運ぶ。背負って救い出す。:イザヤ書46章4節◆要約彼らの偶像は獣と家畜に載せられる。あなたがたの荷物は疲れた動物の重荷となって運ばれる。彼らは重荷を解くこともできず、自分自身も捕らわれの身となって行く。わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとって白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。わたしをだれになぞらえて比べるのか。金細工の神は、安置すると、その場所から動かない。これに叫んでも答えず、苦しみから救ってもくれない。そむく者らよ。遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。わたしは、後のことを初めから告げる。わたしは、東から猛禽を、遠い地から、わたしの計画を行う者を呼ぶ。わたしに聞け。強情な者、正義から遠ざかっている者たちよ。わたしは、わたしの義を近づける。それは遠くはない。わたしの救いが遅れることはない。わたしはシオンに救いを、イスラエルにわたしの栄えを与える。(岡崎道成)
2026/10/14
閲覧総数 13
14

マタイ福音書28章より本章28章は、マタイ福音書の最終章、キリストの復活の章です。本章28章は、よみがえりの命の章、永遠につながる希望の章です。大きく二つに分けて、考えます。この二つとは、よみがえりの墓の出来事と、よみがえりの主とお会いする出来事です。空っぽの墓は、復活の事実を表します。そして、復活の主と出会うことは、私たちに永遠の希望を与えます。四福音書とも、もちろん並行記事があります。ヨハネ福音書のみ、20章と21章の、二章のロングになります。しっかりじっくり読んで、恵まれましょう。「空っぽの墓にて」。マタイ福音書28:1〜15、マルコ福音書16:1〜11、ルカ福音書24:1〜12、ヨハネ福音書20:1〜18。「復活の主が現れる」。マタイ福音書28:16〜20、マルコ福音書16:12〜20、ルカ福音書24:13〜53、ヨハネ福音書20:19〜21:25。以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日はマタイの福音書の最終章、28章「イエスの復活」です。ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。:マタイの福音書28章6節◆要約週の初めの明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行くと、大きな地震が起こり、主の使いが石をわきに転がし、その上に座りました。御使いは彼女たちに言いました。「イエスはここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。弟子たちに、イエスとガリラヤでお会いできると伝えなさい。」彼女たち大喜びで弟子たちに知らせに走って行く途中、復活したイエスに出会いました。一方、番兵たちは祭司長たちこのことを報告しました。祭司長たちは兵士たちに多額の金を与えて、弟子たちがイエスを盗んで行ったと言わせました。 十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスに会って礼拝しました。イエスは彼らに言いました。「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子とし、バプテスマを授け、わたしが伝えたすべてのことを守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいる。」マタイの福音書 完(岡崎道成)
2026/10/14
閲覧総数 11
15

エゼキエル書37章を読んで思うこと。それは、「枯れた骨(ドライボーン)の回復、イスラエル全家の回復(再創造)」について。この37章は、まことに重要な章です。神の経綸における、イスラエルの回復と、メシア預言が重なっています。創世記における「創造の原則」が、この37章にも用いられています。人は、命の息を吹き入れられて、生きた者になります。つまり終末期においても、イスラエルの全家は、この命の息が吹き入れられ、憐れみによって回復するのです。主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。(創世記2:7〜8)わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。(エゼキエル書37:7〜10)イスラエルの回復は、神の経綸における事実として、終末期に必ず起こります。そしてメシア預言である「ひとりの牧者」(エゼキエル書34章)が、契約の成就として、千年王国の主として、イスラエルの全家と救われた異邦人を、一つのからだ(民)にして治めます(エペソ書2:14〜16)。あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。(エゼキエル書37:21〜22)ここにメシア預言が、明確に啓示されています。マルコ福音書13章にも、主イエスご自身がメシアとして、この37章を引用して、明確に啓示しておられます。わがしもべダビデは彼らの王となる。彼らすべての者のために、ひとりの牧者が立つ。彼らはわがおきてに歩み、わが定めを守って行う。彼らはわがしもべヤコブに、わたしが与えた地に住む。これはあなたがたの先祖の住んだ所である。そこに彼らと、その子らと、その子孫とが永遠に住み、わがしもべダビデが、永遠に彼らの君となる。(エゼキエル書37:24〜25)そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。そのとき、彼は御使たちをつかわして、地のはてから天のはてまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。(マルコ福音書13:26〜27)
2026/10/15
閲覧総数 2
16

列王紀上11章より四十年のソロモン王国。外国の女性を愛し、妻は700人、側女は300人。嗚呼ソロモンも人なり。神との契約を捨て、神への礼拝を捨て、1000人の女性の神々を受け入れ、四十年で王国も分裂する。嗚呼ソロモンも人なり。ただダビデに免じて、エルサレムに一つの部族が残される。ただダビデ契約に基づいて、カルバリ山に贖い主が残される。このお方は、ソロモンに勝る千年王国の主として、信仰義認により私たちを救い、やがて終末時には信じる者を、一つのからだとされる。キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。(エペソ書2:14〜16)以下、1分de聖書を引用しています。(篠原利治)おはようございます。今日は列王記第一11章「王国分裂の予告」です。その妻たちが彼の心を転じた。:列王記第一11章3節◆要約ソロモン王には、多くの外国人の妻とそばめがいましたが、これは主がかつてイスラエル人に禁じたことでした。彼女たちが年老いたソロモンの心を転じたので、ソロモンは外国の神々のための祭壇を築きました。主はソロモンに怒りを発せられ、仰せられました。「あなたがこのようにふるまい、わたしの契約とおきてを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中はそうしない。」さて、エフライム人ヤロブアムはソロモンの家来でしたが、預言者アヒヤが道で彼に会いました。アヒヤは外套を十二切れに引き裂き、ヤロブアムに言いました。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。彼にはダビデとエルサレムに免じて、一つの部族だけがともしびとして残る。」ソロモンはヤロブアムを殺そうとしましたが、ヤロブアムはエジプトに逃れました。ソロモンの治世は四十年でした。ソロモンは死に、彼の子レハブアムが王となりました。◇コメントソロモンは、外国人の妻たちの誘惑に囲まれていました。私たちも、主から引き離そうとする誘惑に囲まれて生きています。ソロモンは、ダビデのゆえにあわれみを受けました。私たちも、キリストのゆえにあわれみを受けています。(岡崎道成)
2026/10/15
閲覧総数 2
17

使徒行伝19章よりパウロの第三次伝道は、エペソに直行しています。そしてエペソ滞在に時間をかけています。パウロが持っていた、小アジアのエペソへの思いは、第二次伝道の初期にもありました。しかしその時は、聖霊に禁じられて、まずマケドニアに導かれました。この第三次伝道では、パウロがエルサレムに帰還した後、エペソに急げ急げと聖霊が追い立てるようです。第三次伝道のエペソでは、アポロの弟子12人も合同して、本格的にパウロ青年隊(使徒行伝20:4)が聖書的訓練を受けました。二年間のパウロ聖書塾が開かれました。このエペソでは、見事に福音が拡散した故に、アルテミス関係者のヤイバが激しく現れ、パウロ青年隊のガイオやアリスタルコが、暴動で連れて行かれました。こんな危機的な状況のエペソから、小アジア伝道隊が完成し、ヨハネ黙示録の七つの教会(ヨハネ黙示録2章〜3章)が生まれます。エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィアデルフィア、ラオデキヤ。さあ、覚えましょう。まず、1分de聖書を読みましょう。(篠原利治)おはようございます。今日は使徒の働き19章「エペソでの騒動」です。集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。:使徒の働き19章32節◆要約パウロはエペソなど小アジアを巡り、病人をいやしたり、悪霊を追い出したりしながら伝道したので、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなっていきました。エルサレムに行ったパウロは、ローマへ行く決意をも語りました。ところが、ギリシャのエペソでアルテミス神殿の銀細工人たちが、パウロが伝えていることに商売上の脅威を感じて人々を煽動したので、町中が大騒ぎになります。人々はパウロの同行者ガイオとアリスタルコを捕らえ、劇場になだれ込みます。パウロも中に入ろうとしますが、弟子たちに止められます。集会は混乱し、人々は何のために集まっているかもわからない有様で「偉大なのはアルテミスだ」と叫び続けました。そこで町の書記役が、群衆を押し静めて言いました。「エペソがアルテミスの守護者であることを知らない者がいようか。軽はずみなことをせず、文句のある者は裁判の日に訴えればよい。また正式の議会もある。今回のことは、正当な理由がないのだから、騒擾罪に問われる恐れがある」こう言って、その集まりを解散させました。(岡崎道成)◇解説使徒行伝19章を読んで思うこと。それは、「アポロの弟子と、パウロの弟子」のこと。彼らはパウロにより、キリストの弟子になりました。パウロの第三伝道旅行・エペソでは、アポロの弟子12人と出会い、まず彼らを再教育します。イエスの名によるバプテスマを与え、十全の福音を教えます。アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。(使徒行伝19:1〜5)アポロの弟子もパウロの弟子も、ここでキリストの弟子となり、パウロと共に二年間、ツラノの講堂で福音宣教と、弟子教育に打ち込みます。この充実した働きについては、パウロ自らエペソの長老たちに(使徒行伝20:27)、語っています。神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。(使徒行伝20:27〜28)このエペソでの二年間の働きは、アジア全体に大きな影響を与えました。後に再教育された弟子たちにより、多くの教会が産み出されました。ヨハネ黙示録2章〜3章の7つの教会は、このアジア地方が舞台になっています。エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキア。さあ、7つとも覚えましょう。ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた。(使徒行伝19:9〜10)(篠原利治)
2026/10/07
閲覧総数 17

![]()
