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2018年06月12日
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2008年03月30日

家族ふれあい新聞第688号より

山岡鉄舟の最後

○東郷平八郎が喉頭癌となり、痛みが耐え難い。
食べるのも、息するすら痛む。
中村天風先生に相談すると「その病は痛いのが特徴です。
ですから痛いと言っても、言わなくても、生きているかぎりは痛みます」
 すると元帥は破顔一笑されて、
「痛むのがこの病の特徴でごわすか」

 医者が「お痛みですか」と診察したときも、
「痛むのがこの病の特徴でごわす。しかし元気でごわす。」と笑顔で答えた。
という話を聞いて、山岡鉄舟先生の最後を思い出した。
 鉄舟先生は晩年「胃癌」で亡くなられた。
 若い頃から大変な酒豪で水戸の酒豪と飲み比べをやり、相手が5升でダウンしてからさらに2升呑んでゆうゆうと帰ったなど痛飲大食の人であった。
 それがせいか34,5歳の頃から胃の苦痛を訴えることが多かった。
51歳になった明治19年頃から、次第に重くなり、翌20年8月には右脇腹に大きなしこりが現れた。
食べ物も次第にのどを通らなくなり、明治21年2月には流動食しかとおさなくなった。
 明治天皇は、何度も侍医や見舞いの品をおさし遣わしになった。
あるときは、鉄舟は酒が好きだ、このワインなら少しくらいよかろうと、自ら試飲された後、御下賜になったこともあった。
鉄舟先生は感泣して、こう詠じたという。

   みことうれしく かしこみにけり 
見舞いの客が来れば、表座敷で会い、帰るときはいつも玄関まで見送った。
いつも温容で毎日写経を続けた。
「先生!今日はいかがですか。少々お顔色がさえませんが?」と見舞客に訊かれれば「ハイそうです」と答え、
「先生!今日は大変よろしいようで」と言われても

当時のことだから痛みを止める治療法がなかった。
ところが山岡先生は、四六時中ニコニコと笑顔でおられた。
医者が、「先生はおかしいねえ。苦しいはずなのにどうしていつもニコニコしていられるんですか?」
と訊いたら、鉄舟先生は
「胃癌、胃癌と言うけれど、これは胃癌ではなくニコリじゃもの」と平然としておられた。
そして
「お医者さん、胃がん胃がんと申せども
  いかん中にも、よいとこもあり」
という歌まで作って見舞客に示したという。

○奥様があるとき、鉄舟先生に
「万一の場合、何かお話し置きのことでもございましたら」と尋ねたら、「ない」というだけだった。
 夫人は、せめて、教訓でも残していただきたいと言うと
 金(こがね)を積み
 もって子孫に残す
 子孫未だ必ずしも守らず
 書を積みもって子孫に残す
 子孫未だ必ずしも読まず
 しかず陰徳を冥々のうちに積み
 もって子孫長久の計となさんには
 これ先哲の格言にして
 すなわち後人の亀鑑なり

と、司馬温公の家訓を墨で黒々と書いて奥様に渡したという。





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最終更新日  2018年06月12日 05時07分52秒
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