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赤目は三重県名張市ですが、龍王が淵は奈良県宇陀市です。3度目かな❓❓今回が一番水の色、ノーグッドでした^^トンボは、たくさん❣❣コシアキトンボどうも、羽化したてのようです。あちこちに居ました。全く逃げません。まだ羽根を乾かしているのか。近くにヤゴの抜け殻もたくさん。でも、あまりに大きさが違うので、違う種類のヤゴかな❓❓と思いました。こちら、モノサシトンボ オス のようです❔❓まあ、イトトンボの仲間だと❔❓こちら、スジブトハシリグモまたまたコシアキトンボ。生まれたては、腰の線は黄色。だんだん白になるそうです❣❣近くにヤゴの抜け殻。しかし大きさが違いすぎでしょう❓❓と思っていたら❣❣決定的シーンが^^なんと~こんな小さなヤゴからあの大きなトンボが出て来るのか❣❣そして羽根が渇くと、どんどん大きくなる!!いやあ、凄いですね~~葉っぱが居られていたので何やろう??と思ったら、蜘蛛の巣❔❓これから卵を産むのかな❓❓チョウトンボも羽化してました~まだ数は少ないです。ハラビロトンボ❔ヨツボシトンボ❓ショウジョウトンボ❔ メスかな。池の水面には、菱が浮いてました~忍者が撒き菱に使ったようですが、けっこう堅かったです^^最後に、モノサシトンボ❔❓の交尾シーン❣❣素晴らしい~~❣❣
Jun 8, 2024
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琵琶湖を見渡せる❣❣伊吹山も望める❣❣天守から石田三成の佐和山城跡を正面に見ながら、降りていきました~下には、黒門があり、井伊直弼が生まれ育った屋敷が残っています。井伊直弼は藩主の14男として生まれ、300石の捨扶持をもらって、細々と暮らしてくはずだったそうです。それで彼は、城下の自分の屋敷に埋木舎(うもれぎのや)と呼んでいたとか。写真は、地震の間上を軽く、下をがっしり作り地震に強いそうです^^右奥に見えているのが、楽々の間だと思います。地震の間は見た感じ、下の石垣が大丈夫なのかな❓❓と^^そして玄宮園、入場です~この庭、良いです❣!私はここでのんびりするのが好きですしこの日は、気候も良く木陰のベンチに居るのは最高でした。ベンチで横になって午睡すれば、最上級だったでしょう^^玄宮園、いい景色です~玄宮園には、橋が9つあるそうです。しかし渡れない橋もいくつか・・・残念^^玄宮園から出てくると、上弦の月が出ていました~写真では、弦が下を向いていますが月が沈むときに、どちらを向いているかで、上弦、下弦が決まるそうでこの月は、東に出ており、これから西の空へ向かい、沈む時には、逆さになるので、弦が上に来ると❣❣満月に向かう月が上弦の月で、新月に向かう月が下弦の月だそうです。もう何度も、講義を受けましたが。。。まだ習得できません・・・^^基本、夕方に見える月は上弦で、朝に見える月は下弦の月だと。今度、朝の月を見たときに、月がこの写真と逆さを向いていればOK❔❓^^なわけですね。覚えてられるか、自信ありませんが、見てみたいです❣!二の丸駐車場まで帰ってきました。すぐ前に開国記念館がありました。前は、こんな名前付いてなかったと。多門櫓だったと^^彦根城のシャチホコです~彦根城の模型です。全体像がよくわかります。手前が大手門。玄宮園からの天守駐車場前に馬屋。けっこう大きいです~馬の上の柱にあるでっぱり❔❓角❔❓は、猿を表していると。昔は、猿は馬を守ると考えられていたそうです。なので、日光東照宮の三猿もこの意があるそうです。馬の下には、糞尿などを流す穴もあります❣❣すごい~^^これで、彦根城終了してしまいましたが1つミスりましたわ・・・それは埋木舎へ行かなかったことです・・・私は、4度目くらいなのに、未踏です^^前に、車で埋木舎前を通ったことがあるのですが、少し距離があるように勘違いしていました・・・車だと大回りしていただけで、なんと開国記念館のすぐ近くだった・・・こんなに近いのなら、行けば良かった❣❣せっかく井伊直弼が藩主となってからの屋敷(博物館)を見たので埋木舎とすねていた❓❓^^(そんなことないね、失礼^^)ころの屋敷はどんなんだったのか、差がどれくらいだったのか見るチャンスだったのに・・・^^まあ、彦根城には、また行けますわ。その時の楽しみにしておきます^^以上、国宝 彦根城へ行ってきました~❣❣良かったです~~
May 18, 2024
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表御門から入りました。他に大手門もあるんですが、どちらが正門なのでしょう❓❓けっこう急斜面です。階段はわざと幅を違えて作られていると❣同じ幅だと、攻め上げる敵兵は下を見ずに駆け上がれますが幅が違うと、どうしても足元を見なければならなくなりそこへ上から弓矢などで攻撃できるってことでした^^正面の坂を上がると、廊下橋です。大手門から上がっても、表門から上がってもここへ来ます。堀切になっており、高さ8メートルだったか❓❓❓天秤櫓(左右の櫓は3階建てになっており、たくさんの弓・鉄砲で攻撃できます)から敵兵を打ち下ろせます。敵がいよいよ天守に迫ると、この廊下橋は落とせるようになっていたと。しかし、見た感じは、そういう風には見えず江戸時代は戦乱もなくそういう場面はなかったですがいざというときには、油を撒いて火をつけたんじゃないか❓❓と私は思います^^廊下橋を渡り、天秤櫓をくぐり抜け、太鼓櫓をくぐるといよいよ天守到着です~その前に^^廊下橋手前に、きれいな花が❣❣なんと❣この花、彦根城固有種だとか❣❣❔❓滋賀固有種じゃなく、彦根城固有種❣❣❔❓そんなのあるの❓❓❓ですが、さて何でしょう❓❓^^また見つけたのはだれでしょう❓❓^^答えは、また後日、彦根城で出会った生き物たちで^^さて、いよいよ正面に天守です❣!良いですね。彦根城❣❣ 満面の笑みです~いろいろな破風や花頭窓が、天守を笑顔に見せてます~❣❣私は彦根城は、ここが一番好きですわ^^玄宮園からの彦根城も良いですが^^ま、とにかく現存12城の1つ。国宝5城の1つです~未踏の城は、あと3つ^^丸亀城 宇和島城 備中松山城です~さて、今日は彦根城❣❣晴天、無風で少し黄砂もあったような感じですが、青空広がり快適でした~彦根城天守は、大きくないです。四方から見ることが出来ます。ひこにゃん登場まで、少し時間があったので^^西の琵琶湖 竹生島東の佐和山城跡(石田三成居城)北東に伊吹山も見えてます~(この写真は、天守から)すぐにひこにゃん登場時間です~私は、見ても見んでもどうでも良いと思っていましたがお姉さま方は見たい❣と待ってたんですがびっくりするくらいたくさんの方が集まっておられました~^^一言もしゃべらず、わずかな手足の動きで可愛く見せており、なかなか凄腕無ような❓❓^^お姉さま大喜びの図^^こちらはひこにゃんの目線が合っているんですがにしさまの目が・・・^^こちらは、お二人はいい顔だと思いますがひこにゃんの目線がわずかに外れ・・・^^なかなか簡単ではない^^ともあれ、記念撮影も無事、終了し、無敵の赤備えで天守閣へGO❣❣でした~彦根藩13代当主 井伊直弼像が出迎えてくれます~と言っても、愛想良くないですが^^さすが現存天守❣❣すごい階段。もはや階段というより、梯子と思った方が良いかも❓❓一段の高さも、高いですが、姫路城より高いのでは❓❓ただし、姫路ほど天守が大きくないので、段数ははるかに少なくしんどくはない^^天守の窓には、金網が・・・鳥が入って来るのかな❓^^もう少し大きい網目ではアカンのかな・・・^^しかし、撮影ポイントとして開けてあるところがありました~^^私は見落としましたが、教えていただき、無事^^写せました~天井の梁が凄かったです~原木をそのまま生かしてるやん❣❣4度目だったと思うんですが❓❓彦根城、良かったです~❣❣入城800円 博物館もだと1200円です~う~ん、どこもですが、高い^^自衛隊、原発など軍事費をやめて、こういうところにお金を回せば、簡単に安く出来るんですが、軍事力で国を守るなんて、出来ないでしょう。攻められないような付き合いをしていくことに全力を挙げる。憲法には、そう明記したのに、アメリカの言うままになし崩しにし続けて来た結果、困った状況になっていると。何度か書いてますが、軍隊をやめて、国際災害救助隊、飢餓貧困対策に全力投球して世界中から信頼を勝ち取って来れば良かったんですが・・・苦しい状況:アメリカの手先になって、軍事協力していることで世界からの信頼を集められなくなっていますが今からでも、もう一度、焼け野原のころの覚悟を持って・・・なんて難しすぎますよね・・・困ったもんですが、この先どうなっていくのでしょうか❓❓彦根城は、まだ続きます~^^
May 18, 2024
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彦根城へ行ってきました~天気も良く、快適でした~❣❣城前の駐車場に停めて、彦根城へ向かう横断歩道にありました~『飛び出し坊や』 滋賀県発祥だと。滋賀県の設置数も多いと❣❣まず博物館へ。9年前❔❓だったかに、研修で行って以来2度目でしたがほとんど何のっ記憶も無し・・・^^いきなり目に入ってきたのは、ルソン壺❣❣私の中では、ルソン壺と言えば、呂宋助左衛門 大河ドラマ「黄金の日々」です~当時、まだ市川染五郎だった松本白鸚が助左海賊になった父との再会シーンでは、当時の松本幸四郎と親子共演した場面が印象に残っています~鶴田浩二が千利休役でした。もう45年以上前のドラマかな❓❓^^秀吉は緒形拳でした!信長は高橋幸治だったと。彦根藩と言えば、幕末の井伊直弼❣❣日米修好通商条約時の大老 安政の大獄 桜田門外の変井伊直弼の直筆です。俳句を千も読み、武芸も強く、お茶をたしなみ、何でも出来たそうです❣❣直弼の甲冑。井伊の赤備え 武田の猛将山県昌景が赤備えで有名を馳せていたが、武田氏滅亡後、徳川家康に仕えた武田武士が井伊直政に与えられ、以後、井伊の赤備えとなったと。大坂夏の陣の若江の戦いでの、井伊直孝隊の赤備え井伊直孝は、2代藩主で、このページ最初の飛び出し坊やの看板のモデルに❓❓なっています~^^博物館は、彦根城のふもとにあり、そこには、代々藩主の屋敷がありました。そして能舞台も設置されていました。能面がズラリと❣❣こちらは特別展示とありましたので、今しか見られないのかな❓こちら景徳鎮の敷瓦(しきがわら)なんと!江戸時代に、中国の景徳鎮に発注していたと。下絵を狩野派の絵師にかかせ、それを中国へ送り焼いてもらったと❣❣江戸時代には、日中は正式の国交は無かったものの交流は盛んであったんですね❣❣ 今、そのころを思い出して日中友好を深めていきたいですね。いやあ、見事な敷瓦です~博物館には、藩主の屋敷や庭園が残っており、見学できます~さすが良い庭です~私にこれだけ広い庭とお金があれば❣❣ゴルフのアプローチ練習場、パター練習場を作るんですが・・・^^お琴に琵琶 他に笙(しょう)や鐘などの楽器がありました~琵琶は、光る君へを思い浮かべました~耳かきの大きなみたいなのは鉄漿(おはぐろ)を付ける道具だと。鏡。鶴と亀が刻まれています~いつの世も健康長寿の願いは同じですね。9年後、いくつ覚えているかしら❓❓^^あるいは、生きていないか❓❓・・・^^
May 17, 2024
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