学生時代の夏休みは沓掛 ( 現在 中軽井沢 ) に有った父の山荘で過ごすことが多かったです。
思えば分不相応な優雅な夏休みでしたが ここで自炊しながら勉強に励み 疲れると緑陰の林道を野鳥のさえずりと小川のせせらぎを聞きながら歩いたものです。
昭和 27 年~ 31 年の頃は舗装も無く 行き交う人は滅多におりませんでした。
青春の思い出が詰まっています。
過去 何度か小瀬林道、万平ホテル、堀辰雄の「風立ちぬ」をテーマにブログを書きました。これも その一つです。
現在の天皇が まだ独身で時々 馬に乗り山荘の前の道を散策する姿を見掛けたものです。
ちなみに千ヶ滝プリンスホテルが天皇一家の定宿。一般人は利用不可でした。現在は閉鎖されたとの噂を耳にします。
私の散策は 徒歩ならば小瀬林道。
たまにオートバイで鬼押し出しまで往復したものです。
途中に瀟洒なホテルが有って 小休止。それが三笠ホテル。現在は閉館。従って旧三笠ホテル。その先を登って行くと「鬼押出し」です。
( 小瀬林道 )
林道の終点には小瀬温泉ホテルが有ります。万平ホテルより お薦めです。
(野鳥)
山荘の近くの星野温泉の先代は野鳥研究家でした。
( 万平ホテル )
小瀬林道を抜け 旧軽井沢に向かうと 1894 年(明治 27 年)創業の この老舗ホテルが有ります。
( 三笠ホテルと鬼押出し )
( 風立ちぬ あらすじ ) 私の感傷なのでスキップしてください。
秋近い夏、「私」とお前(節子)は 白樺の木蔭で画架に立てかけているお前の描きかけの絵のそば 2 人で休んでいた。そのとき不意に風が立った。「風立ちぬ いざ生きめやも」。私の口を衝いて出たそんな詩句を私はお前の肩に手をかけながら口の裡で繰り返していた。それから 2 、 3 日後 お前は迎えに来た父親と帰京した。
約 2 年後の 3 月 私は婚約したばかりの節子の家を訪ねた。節子の結核は重くなっている。彼女の父親が私に彼女を F 高原のサナトリウムへ転地療養する相談をし 院長と知り合いで同じ病を持つ私が付き添って行くことになった。 4 月のある日の午後、 2 人で散歩中 節子は「私なんだか急に生きたくなったのね」と言い それから小声で「あなたのお蔭で」と言い足した。私と節子がはじめて出会った夏はもう 2 年前で あのころ私がなんということもなしに口ずさんでいた「風立ちぬ いざ生きめやも」という詩句が再び 私たちに蘇ってきたほどの切なく愉しい日々であった。 上京した院長の診断でサナトリウムでの療養は 1 、 2 年間という長い見通しとなった。節子の病状が よくないことを私は院長から告げられた。 4 月下旬 私と節子は F 高原への汽車に乗った。
節子は 2 階の病室に入院。私は付添人用の側室に泊まり共同生活をすることになった。院長から節子のレントゲンを見せられ 病院中でも 2 番目くらいに重症だと言われた。ある夕暮れ私は病室の窓から素晴らしい景色を見ていて節子に問われた言葉から 風景がこれほど美しく見えるのは私の目を通して節子の魂が見ているからなのだと私は悟った。もう明日のない死んでゆく者の目から眺めた景色だけが本当に美しいと思えるのだった。 9 月 病院中一番重症の 17 号室の患者が死に 引き続いて 1 週間後に神経衰弱だった患者が裏の林の栗の木で縊死した。 17 号室の患者の次は節子かと恐怖と不安を感じていた私は何も順番が決まっているわけでもないと ほっとしたりした。 節子の父親が見舞いに 2 泊した後 彼女は無理に元気にふるまった疲れからか病態が重くなり危機があったが 何とか峠が去り回復した。私は節子に彼女のことを小説に書こうと思っていることを告げた。「おれ達がこうしてお互いに与え合っている幸福、皆がもう行き止まりだと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ、おれ達だけのものを形に置き換えたい」という私に節子も同意してくれた。
1935 年の 10 月ごろから私はサナトリウムから少し離れたところで物語の構想を考え 夕暮れに節子の病室に戻る生活となった。その物語の夢想はもう結末が決まっているようで恐怖と羞恥に私は襲われた。 2 人のこのサナトリウムの生活が自分だけの気まぐれや満足のような思いがあり 節子に問うてみたりした。彼女は「こんなに満足しているのが あなたにはおわかりにならないの」と言い 家に帰りたいと思ったこともなく私との 2 人の時間に満足していると答えてくれた。感動でいっぱいになった私は節子との貴重な日々を日記に綴った。私の帰りを病院の裏の林で節子は待っていてくれることもあった。やがて冬になり 12 月節子は山肌に父親の幻影を見た。私が「お前 家へ帰りたいのだろう」と問うと気弱そうに「ええ なんだか帰りたくなっちゃったわ」と節子は小さなかすれ声で言った。
1936 年 12 月 3 年ぶりにお前と出会った K 村(軽井沢町)に私は来た。そして雪が降る山小屋で去年のお前のことを追想する。ある教会へ行った後 前から注文しておいたリルケの「鎮魂曲」がやっと届いた。私が今こんなふうに生きていられるのも お前の無償の愛に支えられ助けられているのだと私は気づいた。私はベランダに出て風の音に耳を傾け立ち続けた。風のため枯れきった木の枝と枝が触れ合っている。私の足もとでも風の余りらしいものが 2 、 3 つの落葉を他の落葉の上にさらさら音を立てながら移している。
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elsa.さん
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曲まめ子さん
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alisa.さん