ジャン9072のブログ
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草津のハンセン病療養所・栗生楽泉園の昭和31年1956年とは?この年のシャバでは、宮城道雄が寝台特急嘉新転落死、日本が国際連合に加盟、売春防止法が公布。テレビで「チロリン村とくるみの木」放送。映画では「太陽の季節」が公開。そんな時代だった。1956年:住吉キクエ看護婦から“園内にカトリック信者の方がおられたら申し出てください”の園内放送があり、三人の信者が申し出た。その名が渋川教会の主任司祭に伝えられた。この事だけで一本のドラマが出来そうな話し。1956年5月:楽泉園にカトリック信者が発会、信者数三人。1957(s32).06.ライリー神父が伝道士・渋川教会信徒と来園し、今後について3人と話し合う。マッキナニ神父が来園し初ミサが捧げられた。4年後に。1961年2月:聖堂の必要性をショムスキー神父に話す。1961年秋:ショムスキー神父から献堂資金の一部が寄付され、フランシスコ会ニューヨーク管区が補足して教会を建てることになる。1962年8月:草津教会の献堂式。長江司教司式で200名以上の参列。渋川教会主任司祭が草津教会を担当し、毎月1回ミサのため来園。さい先がイイようだ。信者が増えそうな雰囲気ではないか!55年後に。2016年現在:信徒数三人。2017年現在:信徒数二人。2025年現在:信徒数一人。 誰もが不思議に思うことがある。誰もが我が死を考え、仏教キリスト教のどこかに所属することになる。カトリック司祭が来園するとなれば、信者さんが増えるのは想像できる。ところが増えない!なぜか?
2025.12.01
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