ハンセン病療養所に入れられると、基本的には死ぬまで。煙になって家に帰るということ。せめて死ぬときは読経の中で。
国立だから宗教はオハット。だから望むなら自分たちで寺社を建てるならその場所を提供しましょうというのが国のスタンスなり。
温泉で知られる草津には聖公会が古くからあったので英国教会のライ信徒さんがいた。プロテスタントとカソリックはいない。
そんな中、三人のカソリック教徒が転園して来たがここには教会がない。教え的に近い聖公会に入ることになる。なぜなら、死は平等にあるのだから。
草津療養所に一人のカソリック看護婦が来た。それでカソリック信徒の居ることが知られるのが始まりである。近くの教会まで車で一時間半。そこの下部組織となって、司祭と信徒が来るようになった。
教会の組織上、上の教会から司祭が来ることになる。なんせ、療養所の存在そのものが世間では知られず、高い塀におおわれている不気味な施設。門には監視員がいるし、門の前を通るとイヤな臭いがする、が住人のササヤキ。
この三人の信徒の存在を知り、司祭は来ないわけにはいかなくなった。
この教会の教会維持費は上の教会に信徒義務として出すわけだ。
出すのは当然だが、ここで亡くなると、常識的には上の教会からお花が届いても不思議はない。が、ここでは、それすらなかった。
「花一本こなかった」と聞いた。
僕が訪問しだした35年頃まではそうだったと聞く。
そのころでも、司祭と同伴の教会役員一人程度だけ、雪の季節は雪を理由に来ない。信徒の交流なんぞはとんでもない話しである。
この教会に信徒が来だしたのは、ハンセン病裁判で世間に知られるようになってからである。
この教会の歴史も知らずに、である。
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