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【真夏の邂逅】第7日目(後編)「それじゃ俺のあとについてこいよ。」 せつおさんは言った。どうやら奴の行進が再開されるようである。 うなずくと、紙コップを渡された。中にはビールが入っている。 行列が奏楽に合わせてゆっくりと歩きだす。せつおさんはその中で最高尾にいる。 さらにその後をリュックを背負いながら僕が歩いて行く。 まあ、なんとも妙な具合である。 行列はところどころ休みながらゆく。 せつおさんはそのたびに僕を町の人々に紹介してゆく。「おい、彼な、俺の友達。」 せつおさんはやはり酔っ払っている。 それこそ片っ端から声をかけてゆくのである。 まあそれでも狭い町の中のことだから皆、顔見知りなのだろう。 僕も紹介されて、いったいどんな顔をしていいやらわからないので、 どうもとかなんとか言って、ぺこりと頭を下げる。 そうやって進んでゆくうちに、沿道からおばさんたちの会話が聞こえてきた。「この人、東京から歩いてきたんですって。」「まあ、そう。偉いわねぇ。」 僕のリュックには住所が書いてある。そこには「東京」と書いてあるから、 おばさんたちはどこかで仕入れてきた、「歩いてきた」という情報と「東京」というもう ひとつの情報とを結びつけて、「東京から歩いてきた」ということにしてしまったのだろう。 僕もいちいち違いますよ、とも言えず、まあ放っておくしかない。 行列はゆっくりと商店街を進む。せつおさんはこの祭り独特の動作で踊りながら訊いた。「おまえ、学生か。」「ええ、大学生ですけど。」 と答えると、おまえ俺より黒いな、と言った。 毎日、海に出ている俺より黒い、という意味なのだろう。 せつおさんは漁師をしているのであった。 行列の行進はしばらく続く。 せつおさんはもうなんだかヘロヘロである。 そうしている間に、奴の行列はこの町の神社の鳥居の前までやって来た。 ここをくぐれば行進は終了ということになっているらしい。 鳥居の前の広場を囲み、町の人びとが集まっている。 僕は鳥居をくぐるのは遠慮して、見物人にまじって奴の神事の終わりを見届けることにした。 さっきせつおさんに紹介された人もちらほらと見える。 そのうちの男の人が「今日はどうすんだい。」 と訊いてきた。「せつおさんの家に泊めてもらうことになってるんですよ。」 と答えると、ほう、そうかい、と言った。 奴が鳥居を通過して、せつおさんたちの役目は終了である。 お互いに酒を酌み交わしている。 その鳥居の横には天狗の格好をしている人が座っていて、 さらに傍らには裃をつけた町のお偉いさんがたがビールを飲みながら語らっている。「そうだ、あの天狗と写真を取ってもらぇ。」 さっきの男の人が言った。 僕はちょっとばかり気がひけたが、お祭りなので不粋もいけないと思い、 そうさせてもらうことにした。 男の人が天狗の横まで連れていってくれたが、お偉いさんたちも、 おう、写してもらぇ、写してもらぇ、と、見も知らぬ僕にビールをコップについで渡してくれた。 僕は、お祭りで練り歩く途中にもらったわらじを腰からぶら下げて、 これももらい物の鉢巻を締め、天狗の横に立った。 その位置を丸く囲んで、町の人々が僕を見ている。 例の男の人が僕の「写るんです」で、その姿を写真に収めてくれた。 そうこうするうちにせつおさんの姿が見えなくなってしまった。 キョロキョロとその姿を探していると、そこに神輿が到着した。 この神輿が鳥居をくぐって神事のすべてが終了するのだろう。 ふと見ると、いつの間にせつおさんはその神輿を担ぐ中に加わっていた。 そしてその神輿は鳥居をくぐるのかと思えば、右に左に行き、 フラフラしながらなかなか中に入ろうとしない。見ていると危険ですらある。 神輿はある一方向へダーッと駆けてゆくと電信柱や何か障害物を目の前にかろうじてとどまり、 さらにその反動でもってまた別の方向へとダーッと走る。 よくまあ死人が出ないものだと思う。 神輿はそんな行動を繰り返すうちに、なぜか来た道をまた引き返し始めた。 そしてどこかへ行ってしまったのだ。 こうやって一度で鳥居に入らないのも、よくあることなのだろう。 しかし今度こそ本当に、せつおさんはどこかへ行ってしまった。 僕はせつおさんを見失っては大変と、あわててその神輿を追おうとした。 すると傍らの男の人が、また帰ってくるから、と言った。 その横にいた女の人も、ここにいた方がいいよと親切に言ってくれたので、 とりあえずその場で待つことにした。 そうして待っている間に、町の人は三々五々、帰ってゆく。 だんだん日暮れ近くなり、太陽も西に沈もうとしている。 町の裃さんたちはまだ残っていた。 神輿が帰ってきて、神社に奉納されるまでは祭りは終わらないのだ。 その神社は小高い丘の上にある。 神輿は鳥居をくぐり、いっきに階段を駆け上がらなければならないのだそうだ。 途中で休むことは許されない。 まだしばらくはやって来ないだろうから頂上の神社で神輿を待とうということになり、 その場に居合わせた人々は皆、階段を登ってゆく。 僕もそうした中に混じって、なにごとか言葉をかわしながら登る。 中腹のあたりは少し広くなっていて僕はそこに立ち止まり、 ふと後ろをふりかえった。ここからは鬼鹿の町と海のすべてが見渡せた。 太陽が海に沈もうとして、最後の力をふりしぼるように輝いている。 日の降りそそぐ、その町の中をどことも知れず神輿が走り回っていると思うと、 なかなか勇壮な眺めである。 そうしてその場に立っているとやがて神輿がやって来た。 鳥居をくぐり、本当にいっきに階段を駆け登ってくる。 僕は邪魔にならないように避けてその神輿が通り過ぎるのを見送った。 まだ夕陽を見ていたかったので、それ以上は登ってゆかず、皆さんが下りてくるのを待った。 そして、しばらくすると大勢の人が下りてきて、その中にせつおさんの姿を見つけた。 まったく迷子の子供が母親にめぐりあったようなもので、 僕はフラフラとせつおさんのほうへ近寄っていった。「おお、おまえか。」 せつおさんは僕を見て上機嫌に声をあげた。そして、風呂に行くぞ、と言った。 せつおさんと僕と神輿を担いでいた青年団のみなさんで一緒に歩いてゆく。 公民館に行き、着替え終わると、そこから50mほどのところにある宴会場に向かった。 ヘルスセンターのようなその建物の中に、 なにがなんだかわからないくらいドヤドヤと大勢で入ってゆく。 フロントがあったがほとんどフリーパスといった感じでお金を払っている形跡もない。 お祭りだからいいんだろう。僕はあとをついてゆきながら思った。 それから風呂に入ったが、日焼けのせいで、どうにも体中がヒリヒリと痛くて、 湯船にゆったりと浸かっているどころではなかった。 風呂から上がってお座敷に行き、いよいよ飯である。 中には長机がふたつならんでいて、すでに何人かが座っていて、メニューを頼んでいた。「おまえも何か頼め。」 せつおさんが言う。 さっき夕食はすませたばかりたが、タダ飯なら食っておこうと思い、 その気になっていると上座にいた人がメニューは全部で六品ですのでと言って、 その品目を黒板に書き始めた。僕はとんかつとラーメンを頼むことにした。 やがて食事が届き、がやがやと皆で食べ始めた。僕も、がつがつと食い始めたが、 そのうちふと名前も知らない人に囲まれてこうしてラーメンをすすっている自分が不 思議でならない気がしてきた。 なんで今、僕はこの人たちと一緒に飯を食っているんだろう。 今朝、起きたときはどこにいたんだっけ。 人生とはまったく何が起こるかわからない。 せつおさんは、と見ると、グターっとなってどうやら眠っているらしい。疲れたのだろう。 結局、せつおさんはこの後、何も食わずに帰途についた。 せつおさんは家につくとすぐにヘタッとなってしまった。 家では奥さんと小さな女の子が、その帰りを待っていた。 奥さんは必死にせつおさんを起こそうとしている。 女の子は僕のほうをじっと警戒するように見ている。 しかし、ニッコリとほほえみかけると少しはにかみながらも笑顔になった。「女の子がもうひとりいるんだけど、親戚の家に行ってんのさ。」 その様子を見ていた奥さんが言った。 この人とは昼間に会っている。それで泊めてもらうことについては了解ずみだった。 それでも最初は冗談かなにかかと思ったそうである。 無理もない。何しろせつおさんはヘベレケになっていたのだ。 いきなり見知らぬ人間を泊めることについてリアリティがわかなかったのだろう。 だが当方としてはそんな彼女のとまどいにはかまっていられない。 多少、図々しくても遠慮はしない。喰らいついたら離さないピラニアの心境である。「大学生だったっけ。」 と奥さんが言った。「ええ、そうです。」 僕が答えると、彼女は腰掛けるように言った。 荷物を玄関先に置くと、茶の間の椅子に腰掛けた。「何を勉強しているの。」「哲学をね、やっているんですよ。」「ふーん、それで、なんで歩いているわけ。」「なんででしょうかね。」 僕自身にもよくわからない。「明日はどのあたりまで行くの。」 彼女がお茶を注ぎながら言った。「留萌まで行って、そこのライダーズハウスに泊まろうと思っているんですよ。」 そのライダーズハウスは無料である。ということを例の列島縦断男に聞いたのである。 彼によれば、名前と住所さえ書きゃ、何日でも泊まれるしフトンもある。 シャワーもついている、ということであった。これには、けっこう期待している。「留萌まで25~26kmってとこかしら。」 彼女はお茶をさしだした。「ええ、そうですね。」 僕は熱いお茶をすすった。 その後、たわいない話をしてから眠りにつくときに思ったのだった。 今晩、フトンの上で寝られるとは考えてもなかった。
1993年07月05日
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【真夏の邂逅】第7日目(前編) 7/4 明け方はちょっと寒かった。 羽幌にて北海道で二軒目のコンビニを見かける。早すぎてやっていない。町営グランドで今 後の予定をたてる。みそかつおニンニクを食べる。苫前の商店で買い物。店のおばちゃんに おにぎりをもらう。北海道で初めての団地を見た。海水で足を冷やす。ドライブインで水を 補給。鬼鹿で納豆、ラーメンなどを買う。お祭りをやっていたので見物。倉田さんたちと知 り合う。風呂に入って泊めてもらう。おもしろい人たちだった。 この旅にはルールがある。 ルールは実に簡単なことで、車その他の乗りものには乗らない、である。 ことの行きがかり上どうしても乗らなければならなくなった時には、 かならずその場まで戻るべしである。 これは当たり前のことで歩く旅なのだからヒッチハイクなどをしてしまっては何の意味もない。 ただ、北海道から本州へは人力によって渡る手段はないので、フェリーに乗ることにする。 おまえなら泳いでいけと言われそうだが。 それから人の親切は受けることにした。 見知らぬ人間に声をかけられて親切にされるということは後々ろくなことにならない場合がままある。 優しそうなふりをして最後にはインチキ商品を売りつけるなんてことは世間ではよく聞く話である。 しかし今回の旅ではとにかく相手の懐に飛び込むことにした。 泊めてくれるといえばどこへでもついて行くし、飯を食わせてくれるといえば遠慮はしない。 僕に運があればそうひどいことにはならないだろう。 さて海岸沿いを歩いているのだが、今日も晴れていて気持ちがよい。 僕が北海道に上陸する直前まで異常気象で連日、雨が降っていたらしいのだが、 旅を始めてからは一滴の雨も降らない。 結局、このよい天気は僕が北海道を去る日までほぼ続いた。 11:00ごろには苫前という町を通った。この町に入ると、とたんに熊が多くなった。 といってもすべて絵や人形の類いである。 なぜだろうか、やたら熊がマスコットとして登場する。 どれも愛らしく、かわいい意匠で、たいがい親子の熊である。 不思議なのは、とうていこの町には熊など出そうもないように思えることである。 さて、この町の商店で買い物をした。 広い店内にはカップラーメンや、お菓子、生活雑貨から生鮮食料まで売っている。 北海道では、何でも売っているこの型のものが多い。 僕はこの店でポテトチップス、チョコディニッシュ、ベジータベータを買った。 どれも食事としては物足りないものばかりではあったが、とりあえず安い。 レジにそれらを持ってゆくと、店のおばちゃんが気さくに話しかけてきた。 レジの横にはソファが置いてある。腰掛なよと言うので、そこで話し込んでいるうちに、 ちょっと待ってなと言って店を留守にしたまま、おばちゃんがどこかに消えた。 そしてもどってきたときには手に何か持っている。 なんだろうと思っていたら、どうやらおにぎりを作ってきてくれたらしい。 おばちゃんに何度も何度もお礼を言い、やがて店を出た。 外ではカンカンに陽が照りつけている。 僕は次の町を目指した。 鬼鹿についたのは16:00である。 この町の名は僕の地図には出ていない。小平市の手前、7~8kmといったところだろうか。 この町の中心地のあたりを通りかかったときに、にぎやかに着飾った人々の集団に出くわした。 道路の通行を止め、警官が交通整理をしている。今日はこの町のお祭りらしかった。 僕はこのあたりの浜辺で寝ることにして、立ち止まり、お祭りの様子を見物することにした。 次々に、様々な格好をした人々がやって来る。 子供たちだけの集団や、にぎやかに音楽を打ち鳴らしながら進む集団。 奴(やっこ)の格好をして独特の動作で練り歩く一団を町の人々は熱心に見ている。 僕は小さな商店に入り夕食を買った。店の人にテーブルと椅子を借り、 その行列を見物しながらディナータイムというわけである。 通りかかる人々は、おいしそうだね、などと声をかけてゆく。 やがて食事も済んだ。 祭り見物もそろそろ終わりにして今夜の寝床を探しに行くことにしよう。 このあたりなら寝るに適当な場所はいくらでもあるように思われた。 僕はリュックを背負うと歩き始めた。 歩道では一休みしているのだろう、奴の格好をした人たちが酒を振舞われている。 その横を通り抜ける。しかし、このお祭り気分の人たちが僕を放っておくわけがなかった。 「おいおい、兄ちゃん。どこまで行くんだ。」 その中のひとりが僕の肩をたたいた。 「えっ、えっーと、鹿児島までいちおう、行くつもりなんですけど。」 僕の旅はまだ始まったばかりなので、本当に鹿児島まで行けるものだかわかりはしない。 まあ自信がないのだ。それでこんなふうに歯切れの悪い答えになってしまった。 しかしそれを聞いたその人は、かごしまぁ、と素っ頓狂な声をあげた。 どうやら酔っ払っているらしい。気持ちよさそうに、 「鹿児島ってどこか知ってんのか。」 と言った。そして、俺が人生を教えてやる、だとかわけのわからないことを口走っている。「まあ、とにかく座れ。」 と言うので、僕は奴の人たちの輪に加わった。 他の男の人たちも、どこから歩いている、だとか、何日ぐらいかかるのか、 と色々と質問をしてくる。そしてなんだかよくわからないうちに仲良くなってしまい、 皆で写真を取ったりした。 そうこうするうちに最初に声をかけてきた人が、おまえ今晩どこで寝るんだ、と訊いた。 浜辺で寝るつもりですけど、と答えると、よし俺の家に泊めてやる、と言った。 フトンの上で寝られるとは非常にありがたい。「ほんとにいいんですか。」 僕は念のため確認した。 すると、おう、まかせとけ、と頼もしい答えが返ってきた。 この人はせつお、せつお、と皆に呼ばれていた。 よく見ると、この人はなんとなく山崎努を若くしたような顔をしている。(後半に続く)
1993年07月04日
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【真夏の邂逅】第6日目 7/3 やっぱりふとんの上は気持ちがいいのだ。 早く起きるつもりが、つい寝過す。旅館の人にタオルと牛乳を餞別にもらって出発。 今日は右足のかかとが痛い。 熊はだんだん恐くなくなってきた。 豊岬のパーキングで休憩。 ここで、旅に出てからはじめて公共の水道にお目にかかった。 とりあえずペットボトルに給水。足を洗う。 バナナ、カロリーメイト、納豆を食す。 築別の手前に泊まる。 農家で水をもらう。岬の夕陽がきれいだった。 なぜかロバがつながれていた。 6:30に旅館を去った。 昨夜はちゃんとしたところに宿泊したのだが、 ここまでのところでなんとなく野宿をつづけていけるような、妙な自信がついた。 というのも、旅の日程は最終的には2ヶ月以上になるだろうし、 こうなると旅というよりは「生活」といったほうが良さそうなものである。 となればそう野宿ばかりでは体がもつまい、 一週間に一回か二回は投宿せねばと思っていたのだ。 だがこの調子ならば、この先ずっと野宿でもかまわないだろう。 旅費はだいぶ浮く。 そんなことを考えつつ、しばらく海ぞいを歩いた。 それから少しばかり腰を下ろして休んで、寝袋を引っ張り出し、 日干ししながら行くかと立ち上がった、その時である。 何やらあやしげな人物がこちらに向かって歩いてくる。 サングラスをかけ、ひょろひょろっとした体形でリュックを背負っている。 僕よりも三つ四つ年上の感じである。彼もまた旅人であるらしかった。 あちらも僕の姿を見て仲間であると思ったらしい。手をふって話しかけてきた。「こんなところで歩いている人に会うとは思わなかったよ。」 こちらも同感である。「どっから歩いてんの。」「宗谷からですよ。」 僕がそう答えると、じゃ、佐多岬までね、と彼はなにげなく言った。 なぜわかったのだろう、僕がいぶかっていると、「じつはね、おれぁ、その佐多岬から来たんだよ。あそこはね、夜しのびこまないとね、 ダメなんだよ。夜ね。」 彼は少しかん高い、なまりのある声で言った。 こんな最北の地で鹿児島の南端の佐多岬のことについて話しこんでいる二人は思えば妙な具合である。「夜ね、パークロードの塀を越えてトンネルまでいくんだよ。そこで寝て、翌朝、 岬まで行くんだ。有料道路になってっからね。歩いてたり、自転車に乗ってたり するとパトカーが来て連れていかれちまうんだ。」 いったいどこへ連れていかれるのだろうと思ったが、 よくよく聞いてみるとなかなか有効な情報ではないか。ただし当分は役に立たない。「どれくらいでここまで来れましたか。」 彼に尋ねる。すると彼は逆に問い返してきた。「今日は何月何日だったっけ。」 彼はすでに日にち感覚を喪失してしまっているらしい。「たぶん七月の二日だと思いますよ。いや、三日だったかな。」 そして僕もやはり日にち感覚を失っていたのだった。「そうだっけか。じゃたぶんそうなんだろうな。えっーと五月一日に出てきたから、二ヶ月ぐらいかな。」「でも、あと二、三日で宗谷まで行けますよね。もうちょっとじゃないですか。」 僕はここ数日が、あっという間に過ぎていったことを思い、そう言った。「いやぁ、でもやっぱり北海道はキツイよ。20kmも30kmも店も何もないとこなんて北海道だけだよ。」 彼がそんなことを言うので、ふとタンポポを食べたことを思い出してしまった。 そしてあのあたりには何もないことを教えてやろうと思った。 彼の肩には地図がぶら下がっている。「ここから先は店は一軒もないですよ。」 彼の地図の徳満のあたりを指さして言った。「えっ、そうなの。じゃ、この『あまじお』ってのはどうなの。」 彼は天塩を指さした。あまじおって、鮭じゃないんだから、と思いつつ、「ああ、『てしお』ですね。ここまではあります。」 と言ってやった。彼は安心したようで、「北海道さえ乗り切れば、もうあとは楽だからさ。北海道さえ。」 今にも肩をたたかんばかりの勢いである。僕はもうひとつ質問をしてみた。「テントは張っているんですか。」「いやぁ、そうだね。最初のころは張ってたけど、もう何日も使っていないな。 なにしろここらには立派なバス亭があるからね。」 なるほどたしかにバス亭が何kmごとかにあり、 この北の大地の厳しい寒さを避けるためだろう、 そこには必ず待合室のプレハブのようなものがあった。 僕もじつはバス亭には目をつけていたのである。 バス亭と無人駅にさえ泊まってゆけば、宿に困ることはないだろう。 そんなことを考えていると、彼は大地を指さした。「きっと靴もボロボロになるよ。おれぁ、これで三足目だもの。」 彼は今までの道のりを思い出しているのか、そんなことを言った。 なるほど一足では足るまい。「新しい靴にするとね、しばらくは靴ずれがひどくて、足ぢゅうマメだらけになっちゃうんだ。それで痛くて、痛くて。」 そう言いながらも彼はどこかうれしそうだった。「それでも北海道さえ越えたらね。」 彼にはよほど北海道での道のりがこたえたらしく、 先刻からくり返していることをまた言った。「とにかく、一歩、踏み出すごとに目的地に近づいてんだから。先のことを考えると落ち込んじゃうよ。」 ゆうべ僕が風呂場で考えていたのと同じことを彼は言った。「それでもどうしても足が痛くなったら、ちょっと高いけどインドメタシン配合の薬が効くから。骨の痛みにはこれがいちばん。」 彼はそう言ったあと、「インドメタシン。」 と念仏のようにつぶやいた。「インドメタシン、ですか。」 僕も確認するようにくり返した。 それから彼といろいろと話をしたが、おたがい、もう行くかということになって別れた。 そのときに、今度はすぐに役立つ情報をいくつか彼は教えてくれた。 一億人もいるのだ。同じようなことをしている人間というのはいるもんだ。 僕は彼の背中を見送りながら思った。 夕刻には築別に着いていたかったのだが、どうやらそうも行かないようである。 結局、築別の手前、5kmほどのところにあるバス亭で寝ることになった。 となりは交番、道の向こう側は海である。そして沈みゆく夕陽が見える。 これにさらに一匹のロバがくわわって美しい夕べの光景をつくりだしていた。 そのロバは太陽の光を浴びて暗がりにうっすらとシルエットを浮かびあがらせている。 僕はまだ早いが眠ることにした。 この美しい眺めを、きっとずっと忘れないだろう、と思う。
1993年07月03日
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【真夏の邂逅】第5日目 7/2 寝ていると汗をかいて起きてしまった。 ちょっと着込みすぎたらしい。 外へ出てみると一面の星。 顔が日に焼けてヒリヒリする。 2:15、まだ暗い中を出発。 北海道の朝は早いのだ。 今日は遠別町まで行く予定。 海に出るために音類に向かう。 牧場を通ると犬が二匹、近づいてくる。 一匹は飼い犬だが、もう一匹は野良のようである。 そして、しばし奴らと戯れるうちに陽が昇った。 さて、その牧場をぬけるとあまりにも唐突に何もなくなった。 サロベツ原野に入ったのだ。 不気味な羽音を立てて謎の鳥が飛んでいる。 空気を切り裂くような音。 ここはまさに地の果てである、と思う。 通りかかった沼も、まだ太古の生々しさを残している。 未確認の生物がそのまま生息していても少しもおかしくないように思える。 湖面はあくまでも青く、おそらく人が手を触れたこともないのだろう。 静けさにつつまれたそのたたずまいには神々しささえ感じられた。 原野を過ぎ、森林地帯を熊の出現に怯えつつ通り、海に出る。 海岸には原始植物が生い茂っている。 死体が棄てられていても、ここならばしばらくは見つかるまい。 実際なぜだか女物の下着などがところどころに落ちていた。 風が強い。 7:30サロベツ駐車公園で昼寝(朝寝か?)。 30分ほどで目覚める。 足の裏がやたら痛い。 久々に自分の顔を見たら妙な焼け具合だった。 コーネリアス(映画.「猿の惑星」より)を思い出した。 歩き続ける。 左の足に加えて、右ヒザにも痛みを覚える。 自分を鼓舞しながら行く。 だが、先々のことどもなど思いめぐらし暗澹たる気持ちになる。 ゆうべ洗った服を乾かしながらゆく。 風が強いのですぐに乾いた。 正午過ぎ、天塩の町に着く。 イカ天弁当を買い、路傍にて食う。 高校生を満載したバスがその横を通り抜ける。 みな僕のことをジロジロと眺める。 遠別を目ざし、ひたすら歩く。 近道をしようと思い、町道を歩くが大ハマリ。 砂利道があるきにくいことこの上ない。 さらに途中で工事のため道がぶったぎれていた。 しかたなく元の国道に復帰する。 まったくのところ、これはだいぶこたえた。 今日は遠別の旅館に泊まるつもりで歩いている。 こうやって宿泊すると決めているときにはなるべく早い時間に着きたいものだ。 それだけ休む時間が長くなるし、旅館の食事の時間にも間に合わせたいと思う。 だが、たびたび道に腰を下ろして休息をしなければならなかった。 靴を脱ぎ、マッサージをしながら思った。 ああ、足が壊れるかもしれない。 この時は実にこの旅を通じてもっとも弱気になった時であった。 果たして旅をまっとうできるのだろうかという不安が胸の中でぐるぐると渦巻く。 思えば体も野蛮な旅に慣れていず、疲労もあったのだろう。 後から考えれば馬鹿みたいに精神が不安定になっていた。 だが、18:00、なんとか遠別に着く。 旅館に泊まる。 近くのスーパーで買い物。 夕陽を見に行く。 風呂に入り、自宅に電話。 20:00寝る。 旅館では、久しぶりに風呂に入った。 ここに宿泊している人間も幾人かはいるようだが、風呂場には僕のほか誰もいない。 僕は旅の垢をごしごし洗い流すと、湯船に浸かった。 ゆらゆらと立ちのぼる湯気を見ていると本当に生き返ったような気がした。 そして思った。 今は旅を始めたばかりだ。 だから先はものすごく長い。 でも、一歩でも足を踏み出せば、それだけ目的地に近づくのだ。 すこしづつでも終わりに向かって近づいてゆく。 そう思うとえらく気分が楽になって、クヨクヨするのはもうやめようという気分になった。 今日はここに泊まることにしてよかった。 無人駅や原っぱではまたどんなことを考えていたかわからない。 さて、旅に出る際、家族には細かいことはいっさい何も言わず、ただ、北のほうへ、 とだけ言っておいた。 本当は何も言わずに行くつもりだったのだが、 玄関を出るときにばったり母に出くわしてしまった。 リュックを背負っているのである。 いくらなんでもどこかへ行くのだろうということぐらいわかる。 「今度はどこへ行くの。」 「北の方へ・・・。」 というわけで家族は今回の計画について多くを知らない。 ただ歩いて旅をするのは初めてではないので、旅に出たといえば、 ああ、歩くんだな、とごく自然に思うはずである。 過去、二回の旅では東京―秋田、小田原―京都をそれぞれともに17日間で歩いている。 だから今度もその程度の距離のものだと思っているにちがいない。 まあ日本を縦断するといってもたいして驚くような人たちでもないが、 万が一、ごちゃごちゃ言い出したら何かと面倒なので、 なるべく極秘裏に事を進めようと思っていたのだ。 だが計画の一端はすでに露呈してしまっているのだからしょうがない。 ただ鹿児島まで行くことは、まだしばらく言うまい。 まあ、どうでもよいことではあるが・・・。 電話でも今、北海道にいるとだけ言っておいた。
1993年07月02日
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【真夏の邂逅】第4日目 7/1 寒さに目覚める。 とにかく寒い。 外で寝ていたら凍死したかもしれない。 そう思わせるほどの寒さであった。 寝るときはあんなに暖かかったのに。 それで少し薄着をしたのも悪かった。 鳥の鳴き声がするので、もうそろそろ夜明けなのかと思ったが、 まだ夜中の3:00である。 どうせこんなに寒くては寝ていられない。 持っているだけの服を着て、毛糸の帽子をかぶり、新聞紙を体に巻きつける。 東の空に向かって放尿し、出発。 さすがは北海道である。 ただただ道はひたすらまっすぐ地の果てまでのびている。 その暗がりの中で歩いている姿をヒッチハイクだと思ったのだろう。 ダンプが止まってくれた。 だが、鄭重にお断りする。 それにしてもまったく寒い。 こうした野原の中では文明の利器にはめったにお目にかかれるものではないが、 そういう状況でもあるところにはあるのだ。 自動販売機を見つけた。 体を温めるためにコーヒーを買う。 そいつを飲みながら歩いていると、熊出没注意の看板に遭遇してしまった。 思わず口に含んだコーヒーを噴き出しそうになった。緊張感がいっきに高まる。 やがて陽が上り、しばらくするとだいぶ暖かくなった。 8:00頃になると、すっかり上天気になり、開源パーキングシェルター(トンネル) の近くの原っぱでうたた寝をした。 熊が少し恐ろしくはあったが、空を見上げて寝ていると気持ちがよくって そんなことはどうでもよくなってくる。 さて、昼過ぎから飢えはじめた。 考えてみたら昨日の昼から何も食っていない。 店が一軒も見当たらないし、 あるのはただ、なだらかな丘陵、森、そして牧場である。 牧場には牛もいるが、まさか襲って食うわけにもいくまい。 もう24時間近くなにも食べていないことになる。 しかし、そろそろ鉄道とアクセスするはずだ。 駅前になら何か売っているだろう。 だが歩いていくうちに、期待は無惨ち砕かれた。 駅前どころか、駅そのものが見つからない。 地図によれば、国道のすぐ近くに芦川という駅があるはずなのだが・・・。 どうやら見落としてしまったらしい。 道はひたすらにまっすぐである。 だから何キロも先まで見える。 見えるから、わかるのだ。 この先、しばらくは店などはないのだと。 ひとつカーブを曲がるたびに、ひとつ絶望感が広がった。 もう我慢できない。 道端にはたくさんのタンポポが咲いている。 そいつをひとつブチッともぎとりマヨネーズをかけて食す。 ―こいつぁ、マズイ― とにかく先を急ごう・・・。 そうやって猛烈な飢餓感と戦いながら歩き続けていると、 唐突に道の左側に民家が二軒出現して、 それまでの牧場だらけの単調な風景を打ち破った。 そして、そのうちの一軒はどうやら駄菓子屋のようであった。 僕はとにかくその店に駆け込んだ。 まったく、何十キロぶりの店だろう。 そう思って、ふと道の反対側に目をやった。 するとそこにもボロッちい公民館のような建物がある。 何だ、と思ってよく見てみると、入り口の上の部分に徳満駅と書いてある。 ―これが・・・、駅なのか― 僕はしばし呆然となり、そのたたずまいを見た。 むろん無人駅である。 いわゆる駅前商店街というのが、この駄菓子屋ということなのだろう。 さすが・・・北海道だ。 さて、店の中に入るとおじいさんがひとりいるだけだった。 僕は食い物をレジに持って行き色々と聞いてみることにした。 「この先の、幌延には泊まれるようなところはありますかね。」 「ああ、もうすぐ豊富の町だ。もうすぐね。」 じいさんはまったく関係のないことを言った。 「あの泊まれる場所は。幌延なんですけど。」 「さあ、どうだろうね。泊まる場所ね。ああ、駅にでも泊まっていったらいい。 ゆうべのバイクの人達もそこに泊まっていったよ。」 と向かいの徳満ステーションを指さした。 なるほど、じいさん、なかなかよいことを言う。 先々、いくらでも無人駅はあるにちがいない。 じいさんに礼を言うと僕は店を出て、道端でさっそくカップラーメンをすすった。 しかし、腹が空きすぎているとあまり食えないものらしい。 買ったものの全部はその場では食いきれなかった。 15:00過ぎ、豊富の町にいたる。「とよとみ」と読むらしい。 この町をぬけると国道はどんどん山の中に入ってゆく。 陽は暮れてくるし、不安で胸がいっぱい。 ふと国道の右手を見ると、林の間を線路が走っている。 そのさらに右手には牧場が広がっているのが見えた。 それほど山深いところを歩いているのではないことがわかってホッとする。 しばらく行き、右に折れ、線路を超える。 夕陽の中、牛の群れが草を食む。 今日はこのあたりに泊まることにしよう。 JR下沼駅にて今日の歩きは終了。 無人駅で、使い古した列車の車両が待合室として利用されている。 すぐ近くにボロボロの空き家があり、 水道管がぶったぎれていて、水が流れだしている。 その水で軽い洗濯をし、足を冷やす。タオルで体を拭く。 そういえばもう四日も風呂に入っていない。 キツネの親子を見かける。 僕の姿を見ると、草原のほうに走っていってしまった。 徳満で買ったカステラの残りを食べる。 20:00、最後の列車が行く。 寝袋にくるまり、駅にて寝る。
1993年07月01日
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真夏の邂逅】第3日目 6/30 6:00、稚内に到着。 8:00のバスに乗りこんで宗谷岬に向かう。 9:05、岬に到着。「写るんです」を買って出発の記念撮影。 岬の一帯は土産物屋などがあり、観光地のよそおいである。 晴れていれば、遠くカラフトまで望めるらしいが今日はあいにく見えない。曇っている。 僕は海の水に手を入れて見ることにした。 佐多岬に着いたら、また海の中に手を入れてやるのだ。北の果ての海の水に触れた同じ手 で、また南の果ての海の水に触れるのだ。そんな無邪気なことを考えながら、岬の海に手 を入れてみた。 水は思ったほど冷たくはない。 儀式を終え、さっそく出発である。時刻は9:14。 この旅は歩く旅である。国道を往く。海は静かである。波の音も、聞こえない。 正午を少し過ぎる頃、僕はコンビニで昼食を買い、海辺で食べることにした。 この店はおそらく日本の最北端にあるコンビニにちがいない。 ここらにあるものは何もかも最北端づいているものばかりなのだ。 流木に腰掛けるとボンヤリと海を眺めながらおにぎりを頬張る。 そしてこの先の道のりについて考えていた。 しばらくはバスでやって来た道をそのまま引き返すことになる。 予定では市街地の手前、5kmほどのところで左手に入り、そこからは国道40号を南下する。 バスでは一時間ぐらいの道のりであったが、歩けばどれくらいかかるかわからない。 とにかく国道を曲がるか、曲がらないかのあたりまでしか今日のところは行けないだろう。 その先のことはその時になってみなければわからないな。 僕はペットボトルの麦茶を飲み干すと旅を再開することにした。 空になったがこのペットボトルは今後、水筒として活用することにした。 旅をともにするものがひとつふえた。 午後になり、くもっていた空がにわかに晴れ上がってきた。 そして僕は右手の海上に山がぽっかりと浮かんでいるのに気がついた。 その山のふもとには雲がかかっているらしく本当に海の上から少しばかり浮かび上がって いるように見える。 その勇壮な姿は有名な利尻富士である。たしかに富士山に似ていなくもない。 歩き続け、16:30ごろには国道40号を曲がるべく交差点まで来ていた。 右手に見えていた海とはここでお別れである。このあたりには旅館がぽつぽつとある。 いくつか並ぶその旅館の姿を見て、ひそかに恐れていた北の最果ての地の原始性について$ 多少なりとも修正しなければと思った。 交差点を曲がってもコンビニエンスストアのようなものがいくつかあり、 人の住んでいる住宅地も続いているようであった。 何だ、40号沿いもけっこう栄えてるかもしれんな。僕はそう思った。 しかし、それは甘かったのである。大甘だった…。 国道沿い左手にあやしげな宿があるも泊まらず。17:00、まだ陽が高い。 どんどん40号を入ってゆく。どんどん淋しくなってゆく。今夜は野営になりそうだ。 夕食も買えなかったのでマヨネーズをチビチビなめながらゆく。 夕陽が背後からさして影をつくっている。 17:30、もう暗くなったので今日の歩きは終了。 あたりは完全な原っぱだが、道路工事をしているらしく、そのためのプレハブ小屋がある。 カギが開いていたのでこの小屋で寝ることにした。西日が差し込んでいてかなり暖かい。 これなら寝ていても寒くはならないだろう。またぞろマヨネーズなどを取り出してなめる。 こいつはカロリーだけはメチャメチャ高い。
1993年06月30日
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6/29 6:00ごろ列車内で目覚める。 現在の手持ちは215,466円。昼頃、札幌に到着。澄川駅まで行ってラーメンを食う。 この店は有名なところなのだが、ちと味が濃い。最後まで食えなかった。 関西人ならまず口に合うまい。 市内の中ほどにある中之島公園でボーッとする。 なんだかものすごく日差しが強く、熱い。 たぶんオゾンホールのせいだろう、と勝手なことを考えつつベンチに横になり、汗だくになる。 知り合いの覚田夫妻を訪ねて伏見まで行くが不在。 まあいい。どうせ札幌にはもどってくるのだ。 22:00の夜行列車に乗るため札幌駅までもどる。 現在、21:00若者がギターを抱えて歌っている。なかなかいい歌だ。 気温、15℃。列車に乗り込む。寒いのでセーターを着る。 昼間の暑さはいったいなんだったのだろう。 重ね着したので、にわかマッチョになってしまった。 明日の朝には稚内に着く。 また札幌にはもどってくる。
1993年06月29日
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6/28 北海道に向けて出発。小田急線でモンゴル人のカップルと話す。男のほうがしきりに話しかけてきた。女のひとは一言も話さなかったが、えらくきれいだった。大学に立ち寄り、学割を2枚作成。銀行で金をおろし軍資金を調達。19:03、上野から北斗5号に乗り込む。-------------------------------------------------------------- 小田急線でモンゴル人と話した。あちらさんが話しかけてきたときはアッブネェやつだな、と思ったが、それはたどたどしい日本語のせいなのだとわかった。彼は僕のリュックに突き立てられた釣竿におおいに興味をそそられたらしく、自分のモンゴルでの生活を語りはじめた。そして最後に彼は言った。「あなたよりボクのほうがウサギを殺すのうまいね。」 そして右手をふりあげると、あたかもウサギの後頭部にくれてやるようなチョップをみせた...。そりゃ、そうだろうよ、僕は思った。
1993年06月28日
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