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Gaiaxからのお友だちのmari67さんの真似をして。。。というわけではないけど先々週に入れたネコヤナギが帽子を被ったように段々と殻が取れていくのが面白くて眺めていたら、一つだけ妙にピンクっぽいのがあるのに気がついて携帯を近づけてみた。mari67さん曰く、「親指の先ほどの大きさのネコヤナギ」の言葉に驚いていたのに、よ~く見ると、やはり考えていたのよりずっと大きい気がする。何だか頼もしい。まだ手を触れるにはちょっと勇気が要りそうだけど、フワッとして本当に気持ち良さそうな。 あわよくばアカメヤナギも殻が取れてくれるかなぁと期待していたけど、これはもう無理のような。見た目は本当にそっくりなのに、秋に入れたのがそのままネコヤナギに。なんて不可能なのかなぁ。 14日に入れたストックは和室に置いたまま。それでも甘い香りを漂わせている。珍しい花だから、本当は玄関に飾りたいけど、まだまだネコヤナギもユキヤナギも元気なので。これから暖かいのを通り越して暑くなり始めると、こんなには溜め込めないんだろうなぁ。
2007.02.20
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見事にアウト。で、その腹いせというわけじゃないけど、こんな文章を送りつけてみた。反応が楽しみ♪ 『いつも義母がお世話になっております。 また、先日は面接を有難うございました。 さて、何度か家族のものが直訴しましたように、隣家へ来られるヘルパー職員の車の停め方につき、改めてお願いいたしたく存じます。 ヘルパー職員の方々がまるで我が物顔で停めていらっしゃる場所は、私どもの車の出入りに便利なようにと、反対側の隣家から借り受けている土地でございます。従いまして迷惑な停め方をされますと、非常に困惑している次第です。このことは家族のものも再三にわたりお願いしたところですが、一向に改められる様子がありません。接触事故にもつながりかねません。私どもの車が一台も停められていないからと、身勝手に斜めに停められては、非常に迷惑なのです。どうか、事情をお汲み取りいただきまして、この上は迷惑駐車など二度と行われませんように、お願いいたします。 職員教育におかれましては地域住民の信頼を裏切ることなどありませんよう、重ねてお願い申しあげます。』 訪問介護センターと書かれた車。後ろを走っていたら怖い怖い。先ずウインカーは出さない。我が家の向かいで停めるだろうとは思ったけど、私だって我が家は目の前なんだから、そのまま直進しようとする車に車間距離をおかずに右のウインカーを出して我が家へ入ろうとしたら、突然に停まる。しかもギヤがバックに入ってる。オイオイ。進行を妨げるような運転までするのかい?警察に言わなきゃ直らないのかなぁ。一体、どうなってるのかしら、職員教育は。オ~イ、責任者!
2007.02.19
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『2003年よりウィーン国立音楽大学と学術交流協定を結んでいる徳島文理大学音楽部へ客員教授として迎えられる』とパンフレットに紹介されていた、ピアノのジュゼッペ・マリオッティに加え、やはり2004年から徳島文理大学などで活躍、アンサンブル神戸ゲストコンサートマスターのヴァイオリンのマウロ・イウラートそして、神戸港就航の豪華客船コンチェルトなどの活躍をしていらっしゃるフルートの南部靖佳による演奏会。聴きながらヨーロッパを旅している雰囲気に浸って欲しいと始まったプログラムは、J.S.バッハ トリオ・ソナタ二短調BWV527から、J.ブラームス、G.ビゼー/F.ボルヌ、J.パッヘルベルへと続く。G.ビゼーのカルメンのモチーフを、フルートの発明者F.ボルヌがフルートのためにとカルメン幻想曲を作曲されたのだとか。 中村紘子が選んでくださったピアノもさることながら、フルート、ヴァイオリンの音を壊さない弾き方には圧倒されてしまったし、またフルートの音色、本格的な演奏で魅了してくれるヴァイオリン。パンフレットにあった『音楽神(ミューズ)』という言葉に納得してしまう演奏会だった。 淡路島へは二度目となったUniDuo 今日は素敵な女性が同時通訳としてステージに立ってくださった。名前を聞いてアッ!と思ったら、やはり知り合いのお嬢さんだった。音楽にも通じていらっしゃるわけだと納得。やはり演奏家さんの声も聴いてみたい。また何故今日はこの演目になったのか。その辺のところもプログラムには印刷されていない言葉を添えてくださる。そして、ピアノの傍らで譜めくりを買って出ていらっしゃった先生。きっと教え子さんも多いのだろうな。「地元の方の」コーラスグループのピアノ伴奏でもお世話になった先生だもの。一足早い春のムードたっぷりの曲にすっかり気分は春。 たどたどしい日本語でヴァイオリンのマウロ・イウラートが『ハマベノウタ』と紹介してくださった。やはり海が綺麗な淡路島にぴったりの曲な気がする。徳島にお住まいの二人なのに、淡路島の海がお気に入りというのは島民にとっても嬉しい言葉。是非また!と期待している。
2007.02.18
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NPO法人シンフォニーでのサポーター勉強会。結果的には私を含めて3名の参加。早くから準備を進めていたので、既に12月の時点で宿題と称して提出された方のレジュメを基に、『用語集』を進めていくことに。 言葉の中で、何に例えたらパソコン用語を初心者に理解してもらえるか。考えていると結構面白かったり、これならわかるやろか。みたいな言葉が出てくる。カタカナ言葉が多いのはこれはもう仕方がないのかな。 例えば、ファイルとフォルダ。これをアルバムに例えたら、写真の一枚一枚がファイル。アルバムがフォルダ。なんてのはどうだろう。 また、クリックは「カチッ」という音のことなんだから、ノックで、「来たよ」という合図・ダブルクリックは「開けて」という風に例えてはどうかなという意見。全体を例えばウィンドウズ商店街に例えよう。そしたら、アイコンはさしずめお店の看板?というようにレジュメに示された言葉のひとつひとつを点検する。ならマウスはかけことば? 最初にパソコンを購入するとして、その人がインターネットがやりたいのか、メールのやりとりをしたいのか。で頻繁に出てくる用語とかにも差が出てしまう。なので、起動までの過程にどんな言葉が登場するのか、みたいなことから始めようということに。 また、問題点として、ワープロ作業にのみ慣れた人にはマウスの使い方がわからない。また、「ワープロだったらこんなに簡単なのに。」みたいな声が講習会場で挙がるらしい。ワープロとパソコンでは機能そのものが違う。確かに、キーボードにはかなり慣れていらっしゃって、ブラインドタッチだってスイスイのスイ。でも、マウスが登場した途端、「エッ?」ということになってしまうのだとか。 いざ開講の運びとなって、受講生の認知度の差などで講義にならないこともある。単に初心者といっても、パソコンそのものを見るのも初めてなのか、ある程度知識があって、年賀状印刷なんてお手の物という人。こういう人たちが一緒だとなかなか講義が前に進まない。私の場合は勿論講師のサブのそのまたサブという形でしか参加できない。そして、一緒に学ぶという形をとらせていただいたから、受講生の皆さんには迷惑だったかな?でも、「こうやったらできるよ。」の一言で、出来たときの嬉しそうな顔は忘れられない。 さて、いざ用語集にまとめるとして、知らない、また分からなくて困った言葉って、一体いくつあるんだろう。。。?カーソルは足跡で良いよね?
2007.02.17
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1月の地元紙に載っていた募集案内の要約筆記ありの文字に誘われて実際の現場を見学したいという思いで参加を決めていた。10日にやはり明石市総合福祉会館で行われた東播交流学習会でも大活躍だった明石市の要約筆記サークルの方が加わられるとのこと。 会場へはかなり早目に着いてしまったけど、流石にもう用意はされている。司会者の方がずうっとマイクの調整をしていらっしゃるし、要約筆記通訳担当の皆さんは前ロールの準備に余念が無い。 最初は演奏会で幕開け。何とソプラノサックスを左手だけで演奏していらっしゃって本当に驚いた。ハーモニカのお二人も片手に障害があるようで、左手だけでハーモニカを支えていらっしゃったと思う。でも、凄いな。と思ったのは、アルトサックスのメロディーに、見事なオブリガートとなってソプラノサックスが決して目立たず、ステキなハーモニーになっていたこと。ソプラノサックスを触った経験は私には無いけど、左手人差し指、中指、薬指で出せる音なんて限られていると思う。その限られた能力を十分に引き出して立派に演奏して見せてくださる、その姿に驚いたし、右手が使えないなら左手があるじゃないか。みたいな思い。。。 実践報告の中で知的障害をお持ちの方の就労支援というのがあり、やはり能力を最大限に引き出してあげることの大切さを訴えていらっしゃったことが印象に残った。何もできないんじゃないんだよ。こうすればできるんだよ。みたいな。できれば嬉しいし、それがまた自信にも繋がるし。 ソプラノサックスの演奏を実際に目の前で見せていただいた後のこの実践報告に、何か共通の部分があるように感じた。 ただ、要約筆記通訳には斜めに張られたスクリーンにOHPを使って文字を映し出すということが行われるため、大きなカメラを持った人がそのスクリーンをふさいでしまって、本当に文字による情報を必要としている人たちにはちょっと迷惑じゃなかったのかな。と。やはり、スクリーンに映し出される文字が頼りの難聴者には、座席の確保も必要だし(受付では自由にお座りくださいということだった)二人書きで二行を同時に書かれる能力には凄いな。と思ったけど、話し手の声の後に続いて主筆者の声が耳に入って、こういうことにも気をつけなければならないなぁ。と。勿論、難聴者のための要約筆記なんだから。と思いつつ、健常者が同席する場合には気をつけなければならないことが多いのでは?と感じた。主筆者の声の大きさ、チームワークなど。 また、前ロールなら下敷きを使って行間も揃えて書くことが可能でも、やはりOHPの上では下敷きが使えないのだから、スクリーンには5行という基本も外せないと感じた。三原則の達成が盛んに叫ばれているのに、現実ではなかなか難しいことも改めて教えられたセミナーだった。 また、各駅に車椅子利用者が送迎用の車への乗降に使えるスペースがあるかどうかを調べて率先して、設置を働きかけるグループの実践報告が。考えたら淡路島には車椅子で利用できるバスなんて走っているのだろうか。低床バスというのはあっても。。。通路なんて狭い気がする。 バリアフリーは、今障害を持っている人だけのものじゃないんだ。ということ。元気と思っている人だっていつ交通事故や災害に遭うかもしれない。今が元気でも、いつたちまち障害を持ってしまうかもしれないと思うと、誰にも歩き易い道路の整備は不可欠だ。何とか、視覚障害者と、車椅子を使わなければならない人に優しい道路の開発ってできないものだろうか。
2007.02.16
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「地元の方の」コーラス練習会場には何とピアノが無い。保管されているキーボードを倉庫から持ち出さなければならない。部屋に設置したままにしては駄目というので悩みに悩んだけど結局新しいのも保管は倉庫で、ということになった。夫の仕事が休みの日に、軽四貨物じゃ駄目だと、ステップワゴンで練習会場へ運んでくれた。重さは古いのとそんなには変わらない気がする。でも、88鍵だからかなり大き目。ソフトケースなのでケースそのものは軽いのかもしれないけど、やはり練習のたびに倉庫から出してこなければならないというのは何とも面倒なハナシ。大体、ピアノさえ無いなんて信じられない。どこでもそうなのかなぁ? さて、音そのものは色々に変えられるけど、合唱の練習用だからバンドみたいに。というわけにはいかない。オーソドックスにピアノで。ま、これならピアノ伴奏の方が来られてもそんなに恥ずかしい代物ではないと思う。ただ、来月の練習は3回ともホールを借りることができたから重いキーボードを運ばなくても済む。ただ、グランドピアノの移動と収納が。これまた問題。 もう本番まで一ヵ月しかないというのに、やはり“花”は楽譜を外すと昔から歌い慣れるアルトのフレーズになってしまう。女声三部に編曲された、そのメゾソプラノはオーソドックスなアルトとはまるで違う。アルトにしたってそう。まぁ、三声だから仕方が無いかな。楽譜外して歌えるように、歌詞は覚えたんだけどなぁ。メロディーのことはまるで抜けてた。
2007.02.15
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フウロソウを思わせる、黄色い可憐なカルセオラリア 私には初めての花。そして、体、兼用型に入れた用・留はソングインインディアという、ドラセナの仲間だとか。まるでパイナップルの葉が伸びたような。それにしても、色んな花があるもの。ピンクのストックを中間添えに、根〆としてカルセオラリア。中間添えのストック、カルセオラリアを互い違いに段々前に倒す形で入れていくのが、この流派の特徴だと思うけど倒した形で固定するのが至難の業。結構倒れてくれる。 次回は28日。桃の節句が近づいたのだから、やはり桃が中心ということになるのかな? 実はまだお正月の松が元気なこと。旧正月なんだから。という言い訳が通じるのかな?
2007.02.14
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利用しているスーパーチェーンの招待で出かけた先は奈良方面。毛皮専門店見学に2時間も割いているのには不満があったけど、7000円相当の旅費がタダというのに釣られて参加。 お天気が最高(快晴)だったから陽射しのきついこと。しかも、この時期の太陽は斜めから差し込むのでカーテンを開けていられない。景色を楽しむなんてどころではない。これが私には残念だった一点。やはり、マイカーを運転しているのとはまるでわけが違うんだと思い知らされた感じ。 行き先は頭からのぼけ封じ・安倍文殊院と、身体からのぼけ封じ・おふさ観音巡拝。正直、長寿延命祈願が目的であったわけではなく、『文殊』の文字に思わず飛びついた感じ。パンフレットによると、 『昔より、「安倍の文殊は金剛界(こんごうかい)。おふさ観音胎蔵界(たいぞうかい)、どちら欠けても片まいり」と巷間でうたいつがれている様に金剛界が父ならば胎蔵界は母、金剛界が理ならば胎蔵界は情となります。即ち広大無辺の宇宙は「金胎両部(こんたいりょうぶ)」が相整いてこそ円満の相を示すものです。いずれが欠けても調和を欠くものです。小さな宇宙即ち人間もその例外ではありません。』と述べられていた。また、 『安倍文殊院は、大化の改新の左大臣安倍倉梯麻呂が建立した「安倍山崇敬寺文殊院」というよりも古来日本三文殊院の第一霊場(天の橋立切戸の文殊、奥州亀岡の文殊)“安倍の文殊さん”として名高い。 又当山は日本における占いの祖として有名な平安時代の大陰陽師安倍晴明公の出生したお寺として知られている。文殊院中央の金閣浮御堂には晴明公像と安倍仲麻呂公像がまつられ厄除け災難除けの道場として参拝者が後をたたない。』 また、おふさ観音にあっては、『当山は、通称おふさ観音“生かせ命の寺”といわれ、大和唯一の観音霊場である。 国内はもとより遠くハワイ・ブラジル・カナダからも本尊のご霊徳を信仰する者多く、祈願に心身浄化に、人生相談に参拝者で賑わっている。 また当山は「バラの寺」として知られた境内全域がバラの花園となっている。この為、春5月から6月のバラ、秋10月から11月の秋バラ開花の時期には花園に埋もれたこの世の極楽が現出する。』 などと紹介されている。 今回、何故このコースになったのかはわからないけど、高齢の母の名前で『ぼけ封じ』をお願いすることにした。でも、申し込み書に住所と名前を書いて、申込書の枚数だけセットされたのが茶封筒に入っている。確かに、祈願と称して名前は読んでくださったけど、封筒そのものはどれも一緒。これはどうなんだろう。せめて封筒に名前があれば念が込められているんだ!と思うけど。。。なんて言ってるから駄目なのかなぁ。
2007.02.13
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乳歯の虫歯大変です という見出しは、やはり11日付け地元紙の子育て欄。歯を含めて身体のあらゆる器官はどこも一生お世話になっている。とりわけ歯は健康の元となる食べ物を噛んでくれる大切なもの。私は甘い物大好き両親のお陰かどうか、歯はとても人に自慢できるようなものではない。人前に出るのが恥ずかしいぐらいだったから、随分辛い思いもしてきた。なので、今乳歯の虫歯に悩んでいらっしゃる年代の人が、何とか一生自分の歯で物が噛めるように気をつけていただきたいという思いで、記事を引用させていただきます。 『虫歯になった乳歯。どうせ生えかわるからと、ほったらかしていないだろうか。「虫歯のない子に育てる本」(PHP研究所)の著者で歯科医師の倉治(くらち)さなえさんは「乳歯を大事にすることが健康なからだをつくる原点」と言う。 倉治さんによれば、小学生になるころには、乳歯が並んでいても、歯ぐきの中に永久歯がほぼできて、待機している。鏡に映した自分や友だちの前歯の間にすき間があるのは、乳歯の約1.2倍の大きさの永久歯が控えているからだ。 だから、乳歯が虫歯になると、困ったことがいろいろ起きる。放っておいて根っこがうんでしまえば、「うみの中に永久歯が頭を突っ込んでいる格好」と倉治さん。 奥歯は、かみくだく役割を担うことなどから、すき間はできない。ただ、くっついている部分が虫歯になって欠けると、その分だけ埋めようと、隣の歯が寄ってくる。これは、待機状態にある永久歯には迷惑なことで、歯並びが悪くなり、かみ合わせもうまくいかなくなる恐れもある。 そんな大事な乳歯は、永久歯に比べ、とってもデリケート。歯の神経の周りを覆っているぞうげ質やエナメル質が薄いので、虫歯になると、神経まで達しやすいという。 乳歯には物をかむだけでなく、あごを育てるという重要な役割もある、と倉治さんは離す。虫歯になって、食べ物をかみづらくなり、丸のみするようなことをしていたら、丈夫なあごは育ちにくい。 あごが発達すると、鼻も発達し、脳の働きも活発になる。逆に言えば乳歯をないがしろにすると、歯の問題だけでなく、大人になってからの心身の健康にも関係してくるのだ。 では、乳歯を虫歯にしないためには、どうすればよいのだろう。倉治さんは、エナメル質を強くするフッ素入りは磨き剤や、虫歯予防に効果的とされるキシリトール入りのガムなどを上手に使うようアドバイスする。 小学校を卒業するまでには乳歯は全部生えかわるが、倉治さんは「保護者も、子どもの乳歯の健康状態にもっと関心を持ってほしい」と訴えている。』 せめて痛いまま放置しないで、歯医者さんへ行く。これに尽きる気がする。今からの人ならまだ間に合うと思う。60歳過ぎたら入れ歯が当り前なんて思わないで、自分の歯で噛める喜びが生きる活力にもなるのだから、乳歯こそ大事にして欲しい!
2007.02.12
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と紹介されていたのは、11日付け地元紙子育て欄の『本箱』コーナー。『くまのしんぶんきしゃ』・こんのひとみ作・いもとようこ絵 という絵本。紹介文をそのまま引用させていただきます。 『くまのくんちゃんは、自分が話すことに夢中になってしまい、人の話を聞くのが苦手。新聞記者をしているお父さんから「取材っていうのは、相手のお話をいっぱい聞くこと」と教えられ「面白くなさそう」と思う。 ブランコから落ちて入院したくんちゃんは、おなかの大きなバクのおばあさんと出会う。怖い夢を食べているというおばあさんの話に引き込まれていく。自分がおしゃべりすることを忘れて。 相手の話をきくことは、他人を理解し、いたわりを生むことにつながる。おしゃべり好きなくんちゃんに、自分の姿が重なり、反省した。(金の星社・1260円)』 実は、昨日のこと。2月20日に学長が加古川市で講演をされるという情報を得て、「どうする?」という話になり、一人は観劇の予定とダブってしまうから行けないと仰る。なのに、私は暫く会話した後で「いつだった?」なんて質問をしてしまった。一体今までの会話は何だったんだろう?私の中では同じ劇場で観た「サウンド・オブ・ミュージック」のことで頭が一杯になってしまっていて、日付のことはすっかり飛んでしまっていたのだ。「人の話を聞いてるの?」と言われても仕方がない。そろそろ健忘症の表れだったりするのかなぁ。たった今聞いたばかりのことなのに。
2007.02.12
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色々あったけど、上級コースのいよいよ最後の講義は「マイクロカウンセリング」について。カウンセリングの技法に関する訓練プログラム であるということ。そして、ここでもやはり傾聴 という言葉が出てくる。また、クライエントに投げかける開かれた質問と閉ざされた質問 また、クライエントが一気に喋るのをときにはつまりと言う言葉で「あなたが仰りたいことは」みたいに要約が必要になってくるということにも改めて驚いた。 じっと耳を傾けて聴くこと。でも、内容が伝わらなければ意味がない。ときには言い換えたりということが必要になってくる。 一通りの説明の後、ビデオを観ながら授業が進められていく。 まず、下手なかかわり行動として、カウンセラーの落ち着きのない態度や、まるでクライエントの話を聴こうとしない、聴く気がないようなそぶりのシーン。これは絶対にしてはいけないことと、第三者的に観ることで自分自身の喚起が促される。 そして上手なかかわり行動として、視線の合わせ方、表情、手足や身体の動きや市、姿勢、離す言葉の速さや抑揚、丁寧さなどの違いが比較され、カウンセラーとしてのあるべき姿といったようなことが描かれている。 こうまで極端に比較されると、自分に置き換えて一つの目標が見えてくる気がする。例えばうなずくという行動一つにしても、しきりにうなずいていては、本気で聴いてくれているのかな?とクライエントに疑いの念をもたれてしまう。また、一度質問で得た情報は必ず控えておくことなども当り前のことながら、目の前の失敗作をビデオで観せられると気をつけなければ。と念じておきたくなる。 『初回面接ではほとんどのクライエントは情緒的な混乱状態にあり、その感情を受容することに多くの時間が費やされることになる。それが十分に受容され、感情が鎮まった段階からどのような目標で何を達成するために面接を行うのかを十分に意識して、意図的に面接を進める必要がある』-これはテキストからの引用。 上級コース最後の講義とあって、総仕上げにふさわしい内容だったと思う。そしてほぼ1ヵ月後には修了テスト。100点満点となるらしい。頭の中は。。。詰め込んでも仕方が無い。母の整形外科手術だってぶつかりそうだし。まぁ、当たって砕け散ることに。。。?
2007.02.11
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折角神戸へ出たのだからと、大丸神戸店で開催されている展覧会へ。地元紙でずっと紹介されていたのに、実は私は彼のお母さん、上村松園の展覧会だとばかり勘違いしていた。会場へ入ってからも同伴者に指摘されるまでその勘違いには全く気がつかなかった。確かに、会場には美人画など並んでいるわけはない。アレッ?と思うのも無理はない。 色使いの綺麗なことと、あの小さな金魚をここまで綺麗に描けるものか、と感動。 『本展では、帝展初入選作品から最晩年の作品まで松伯美術館所蔵の代表作より、選りすぐりの50余点を展観。。。』とチケットの裏側には印刷されている。会期は2月19日まで。 3連休の中日とあって人でいっぱいながら、それぞれの作品を堪能できた。また、同伴者に指摘された和紙使い。描く絵が引き立つような色を上手に選んでいらっしゃるセンスは流石!
2007.02.11
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明石市立総合福祉センターで午後1時から始まった研修会。12月に行われた研修会でも「三原則」のことが集中的に言われていた。確かに読めなければ文字情報にはならない。原点に立ち返って改めて基本に忠実に書くということの難しさ、今までの書き方がどれだけいい加減だったかを思う。文字を書き始めてうん十年。基本に忠実にというのはちょっとやそっとの練習でできるものではない。 また、要約なのだから話し手の言おうとしていることだけを伝えること。390文字もあった文章が、繰り返し使われている言葉などを削り落とすと、何と100文字にも満たなくなってしまう。それでも意味は十分通じてしまう。 ついつい話に遅れまいとして、一字一句を追ってしまう。だから実はちっとも要約になっていない。それでも肝心要の部分が欠落していたりする。また、漢字に置き換える勉強なども一緒に続けていかないと、OHPの前では即座にでてこない。 ペン先の動きばかりを見つめている人にとっては、ペン先が止まってしまうのが一番戸惑うということ。でも、要約する間というのが必要だということや、話し手の言葉を100%完璧に書いていくということは不可能なのだから要約することで、一番大事な部分を情報として伝えたり、会場内では聞こえている人と全く同じ行動がとれるように正しく伝えることが難聴者にとっての参加の保障になるんだ。ということを学ぶことができたとても貴重な時間だった。 『なくても通じることばを書かない工夫』ということにも心がけたい。 研修会が終わるや会場を後にし、帰宅。夕食後には午後7時から始まる洲本市でのステップアップ講座に参加したかったけど、日曜日に備えて欠席。やはり毎日の練習が大事なんだと思う。
2007.02.10
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で始まる有名な句を世に送り出した、服部嵐雪。その有名な句碑は我が家からは程近い、おのころ島神社本殿へ通じる階段脇に建立されている。折りしも、服部嵐雪300回忌記念展が行われている、淡路人形浄瑠璃資料館へ行ってみた。 そこで見つけたのが九十九里の地酒 梅一輪実はこれには驚いてしまった。探せばあるものなんだ。嵐雪300回忌記念事業実行委員会の長を務められる服部先生はハム仲間。先生がふと検索したら見つかったのだと仰る。実は、この「嵐雪300回忌記念句集」のタイトルが「梅一輪」だった。展示された句碑の原本や拓本。また直筆の『近江八景』などに並んで千葉から取り寄せたというお酒が並んでいたのには正直驚いてしまった。折角だから本当は地元の酒蔵が。と願いたいところだが、この句に惚れ込んだ創設者がそのまま社名にされたのだとか。まぁ、驚いた! ただ、先生はハム仲間ということと、校長として赴任していらっしゃった高校のブラスバンド部の定期演奏会でタクトを振られた経験がおありだから、音楽とは無縁でないとは思っていたけど、私が在校していた高校ではずうっと物理畑だった先生がこんなにも文学方面にお詳しいとは思いもよらなかった。 生まれがそのまま俳句の世界へといざなったのかな。色々解説してくださる先生の目の輝きが印象的だった。
2007.02.09
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という見出しを見つけたのは8日付け地元紙の政治欄。と、その記事の下の『随想』で、精神科医の香山リカ氏が『失言の心理』について語っていらっしゃる。たまたま今日付け地元紙の『正平調』でも扱われていましたのでそのまま引用させていただきます。先ずは香山リカ氏から。 『柳沢厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言で、波紋が広がっている。子どもを持つ女性も、私のように子のない女性も傷ついた。 それにしても、こんな発言をしてしまったらその後、どんな影響があるか、大臣ともあろう人ならわかりそうなもの。それにもかかわらず、政治家のこの手の失言が後を絶たないのはなぜか。 精神分析学者のフロイトは、うっかりミスや言い違いなどにも実は無意識的な意図が隠れている場合がある として、これらを「失錯行為」と呼んだ。たとえば、子どもが「先生」と言おうとしてつい「ママ」と口にしてしまった、などというときには、「先生に甘えたいな」という気持ちが潜んでいることがある。 だとしたら、「産む機械」発言の深層に隠れていた無意識的な意図とは何か、というのが気になる。もしかしたら、大臣をはじめとする政治家の多くは、ずっと本音の部分ではこう思っていたのかもしれない。今回の発言は、その本音を隠し続けていることに耐えられなくなった無意識が、半ば自動的に口から飛び出してしまったのではないだろうか「あんなこと言うつもりじゃなかったのに、どうして言っちゃったのか、自分でもわからない」というタイプの失言は、このような“無意識の反乱”によって起きている場合が多い。 とはいえ、たとえ意識の部分では言うつもりがなかったにせよ、心の奥でそう思っていたことは確か。「私じゃなくて、この無意識が悪いんです!」と弁明して失言が許された、という話は聞いたことがない。 無意識のいたずらが、ふと見せる心の本音それに対する政府の見解が、問われている。』 続いて、今日付け地元紙の『正平調』から。 『厚労相発言の問題性は議論の余地がないが、こちらはどう問題なのだろうか。久間防衛相がたびたび口にしたイラク戦争批判である◆皮切りは、昨年末の参院外交防衛委員会でやった。03年3月、米国がイラク戦争を開始した時、小泉首相がいち早く指示したことについて「政府の公式表明ではなくて、個人的にマスコミに言ったことだ」と答弁した。◆これは明らかに間違いで、当時の内閣が首相談話として閣議決定したものだ。周囲から耳打ちされたのだろう。防衛相は、すぐに「認識不足だった」と前言を撤回した。うっかりミスや言い間違いにも、実は無意識的な意図が隠されている。フロイトは「失錯行為」と呼んだそうだ。精神科医の香山リカさんが本紙「随想」で紹介していた◆意識下に本音が潜んでいるということだろう。そうでなければ、その後も続くはずがない。日本記者クラブでの会見で「核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ大統領が踏み切ったのだろうが、その判断が間違っていた」と述べた。大統領が議会で米軍増派を訴えたのと重なったこともあり、米政府が抗議に及んだ◆これも「閣外にいた当時の感想」と釈明したが、そんな必要があっただろうか。世界の常識は、先の発言通りである。米国でも「間違った戦争」が、もはや大勢である◆麻生外相も米国のイラク戦争を「非常に幼稚」と発言している。政府は「不都合な真実」に目をつむりたいのだろうが、ずるずると“ブッシュの泥沼”に足を取られていいのだろうか。』 何かいつも、誰かの失言の影に隠れてもっと重大なことが置き去りにされている気がする。「そんなんゆうてる場合違うやろ!」どうして勇気を持ってこの一言が言えないんだろう。差し迫った問題は目白押しのはずなのに。何故こうも国の対策は後手、後手にばかり回ってしまうのか。ガラスの向こうで今、一体どんな委員会がどんな討論をやっているのか。税金の無駄遣いだけは何とか止めて欲しい!
2007.02.09
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今日付け地元紙の地域ニュース欄に、江戸期の俳人 服部嵐雪 300年忌記念展のことが紹介されていた。そのまま引用させていただきます。 『江戸時代に松尾芭蕉の門下の一人として活躍した南あわじ市ゆかりの俳人、服部嵐雪の功績を振り返る「嵐雪翁三百年忌記念展示会が7日、同市淡路人形浄瑠璃資料館(同市市三條)で始まった。嵐雪直筆の短冊など貴重な品々約30点が公開されている、5月13日まで。(大森 武) 嵐雪は1654年、三原郡小榎列村の生まれとされ、「芭蕉十哲」の一人として活躍した。 展示会は、住民らでつくる「嵐雪翁三百年忌記念事業委員会」が昨年10月の句碑建立と句集発刊に続く記念事業として開催した。 句が記された短冊6点や近江八景を描いた水彩画など嵐雪自筆の品のほか、市内5ヵ所に建立された句碑の原本や拓本が並ぶ。 50~250年忌までの50年ごとに発刊した記念句集のほか、嵐雪が片ひざを立てて座る高さ15センチの陶器像や、東京の古書店で見つかった嵐雪の句集なども展示されている。 同委員会の服部達明事務局長は「三百年忌を機に、あらためて嵐雪の功績に触れてもらいたい」と話している。 開館時間は午前10時~午後5時。月曜休館(月曜が祝日の場合、火曜休館)。 同資料館電話0799・43.5037』 画像は10月に建立された句碑。我が家からは歩いて行ける距離のところにあるので、お天気に誘われて歩いて郵便局へ行った帰りに寄ってみた。実はおのころ島神社専用の駐車場へ近づくと、何か紅いものが目に。何と、開花後何日も経ったと思われる紅梅。そして目指す句碑を見つけて携帯を近づけてみたという次第。いつも「地元の方の」コーラスの練習をしている会場のすぐ脇だからお昼を済ませたら行ってみようっと!
2007.02.08
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人生幸朗さんがよく言った言葉の登場でピリッと感じた地元紙の『正平調』。そのまま引用させていただきます。 『恒例のサラリーマン川柳コンクールの人選百編を読んだ。毒気にやや欠けるものの、おかしくて切ない雰囲気は、いつもながらである◆大がかりな救出で話題になった「崖(がけ)っぷち犬」を見てこう思う。「犬はいい、崖っぷちでも 助けられ」。列島の道場を集めたあの犬。同じ崖っぷちなのに、わが身への救いはなぜないのか・・・と、ねたみ混じりのつぶやきにうなずく人も多かろう◆「アレどこだ?アレをコレする あのアレだ!」。コレ、ソレの指示代名詞が年齢とともに増える。だが、この問いかけに、長く暮らしている連れ合いなら、「コレするアレね」と会話が成り立つから、おもしろい◆恐妻ぶりも相変わらずだ。「大いびき リモコン切ったら “見てたのに!!”」が夫婦の力関係をよく表す。リモコンといえば、小沢昭一さんの「川柳うきよ鏡」に、「リモコンを炬燵(こたつ)の妻の背に向ける」という作がある。背後にいる夫のリモコンにはくれぐれもご注意◆最も心に残ったのは次の一作である。「下校時に 孫に声かけ 逃げられる」。悲しい事件が多すぎて、子どもは大人へ不審の目を向けがちだ。実際にあった話とは思えないが、笑いながら口元がゆがんでしまいそう◆ーと、ぼやき漫才の百編。人生幸朗さんとの「ぼやき漫才」で知られ、一昨日亡くなった生恵幸子さんなら、「いつまでぼやいてんのや、この泥カメ!」と怒るところだが、幸朗さんはよく言ったものだ。「いまの世の中が私をぼやかせますねん」。川柳作者たちも同じ思いだろう。』 出るのはため息ばかりなり。みたいな世の中になってしまったのは、『個』を大切にしすぎたからでもあるのだろうか。人への思いやりなんてのはどこかへ行ってしまったと思いたくはないけど、踏み切り事故などのようなことがあると、「人のこと放っておいてよ!」という言葉にも何かとても自分勝手なものを感じてしまう。事情があったにせよ、結局止めに入った警察官までもが重症を負ってしまった。。。人には心配をかけないこともある意味では思いやりなんじゃないのかなぁ。って、これもこちらの勝手?
2007.02.07
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明らかに右側と左側では違ってしまっている母の股関節。半月に見える中心から骨が出ている感じに写っていなければならないのが、半月にみえるはずの物自体がおかしなことになっている。しかも、骨は中心を遥かにずれてしまっている。先生ご自身も、「こんな状態になったのは見たことがない」と仰る。一体、いつの間にこんな風になってしまったんだろう。 考えられるのは父の介護。父の弟が用意してくれた寝台だと骨と皮だけになってしまった父には痛いからと布団になった。父の弟が支えてくれての移動だったと思うけど、そのうちに父の弟も病気で倒れ、人のことどころではなくなってしまう。 点滴には私の車で通うようになったけど、最後には「値打ちを持たせる」だの「時間を守れない奴は人間の屑だ」だので私が行っても「点滴にはタクシーで行く」と言うのでそれきり私は実家へは寄り付かなくなった。 父を肩で支えるなんてことは母にはとても無理だっただろう。立つことも不自由になった父の移動手段といえば、荷物運搬用の台車。これを母が押して門まで移動してタクシーに乗っていたらしい。 母の周りには股関節を入れ換える手術をした人が何人かいて、誰もが正座しても平気な母のことをいぶかしがる。正座は膝にはとても悪いから、大抵の人は手術をきっかけに正座などしなくなるらしいのに、正座が平気な母の方が股関節には無理をしていたことになるのだろうか。 今更どうしようもない。母の手術はどうやら3月に入ってからということになりそうだ。「2月20日にもう一度診察してみてからにしよう」と医師が仰る。今年最初の診察からほぼ1ヵ月経ったということで改めてレントゲン撮影。症状が改善されるはずなど有り得ない。手術は避けられないし、切ってみないと大手術になるのか、小さい部分の手術だけで済むのかもわからないらしい。だから、入院期間も何ヶ月になるのか、全ては手術してみてからのことになるとのこと。 痛いのに我慢していたのか、痛みが麻痺してしまって感じられなくなっているのか、「元気なので手術に踏み切る」という医師の言葉を信じるしかない。 思い物を持ったりするのはやはり体のどこかに負担をかけているということなんだ。私自身は開腹手術の後、20キロの玉葱が詰まったコンテナなんて絶対に持たないことにしているけど、仕事の関係で結構重い物を日常的に持っているなんて人多いんじゃないかなぁ。
2007.02.06
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目指そうユニバーサル社会 として、明石で実践講座が開かれるという案内記事を見つけたのは、1月24日付けの地元紙の地域ニュース欄。早速申し込んでみた。日が迫っているので、もう遅いかなぁ。。。記事をそのまま引用させていただきます。 『障害の有無や年齢などに関係なく、地域社会の一員として誰もが主体的に生きるユニバーサル社会づくりへの参加を促す東播磨ユニバーサル社会づくり地域実践活動セミナー「私から始めるユニバーサル」が2月16日午後1時半~4時、明石市東仲ノ町の市生涯学習センター(アスピア明石北館7階)である。県内在住の80人を募集している。(坂本 勝) 明石で実践講座 実践活動発表のテーマと発表者は次の通り。 ユニバーサル社会づくり東播磨地域推進会議と県東播磨県民局の主催。子育て支援や障害者の就労支援などに東播磨地域で取り組む6団体の代表らが実践活動を発表。 「ユニバーサル社会の最新事情ー日本の場合・海外の場合」と題し、明石高専建築学科の大塚毅彦教授が講演する。 要事前申し込み。要約筆記あり。1、ユニバーサル社会づくりへの参加者自身の取り組み、お勧めのユニバーサルデザインなど 2、ユニバーサル社会を進めるにあたっての課題 3、その課題を解決する提案、アイデアか情報提供 4、大塚教授か、実践活動発表者への質問ーを募る。 名前(ふりがな)、性別、年齢、所属団体(役職)、住所、電話番号、メールアドレスと、1~4への回答や質問がある場合はその内容を書き、ファクスかメール、または郵便で、郵便番号675-8566 加古川市加古川町寺家町天神木97ノ1、東播磨県民局地域協働課電話079・421・9291(ファクス079・424・9977)へ。メールアドレスはhharimaks@pref.hyogo.jp 「東播磨・ふれあい・おでかけマップの作成」東播磨地域ビジョン委員会バリアフリー東播磨グループの木村勝代代表 「一歩先を行く駅・海岸のバリアフリー」NPO法人障害者自立センターの尾西秀敏代表理事 「障害者の就労支援」NPO法人NPOはりまの北村専次代表 「地域での子育て支援」子育て応援隊☆ウィズ・マムの北野仁美代表 「企業による障害者の社会参加支援」但陽信用金庫の板倉真典さん 「明石駅周辺のユニバーサルモデル地区」明石市政策室・県まちづくり課』 私自身は要約筆記の文字につられたことが大きい。実際現場での要約筆記をこの目で確かめてみたい。ということで、勉強の意味でもとても役立ちそうな気がしたことで、参加を申し込んだ。80名ということだったから、今頃はもう参加者多数のため募集は打ち切りだったりするのかな?ただ、誰もが暮らしやすくと言葉では簡単に言えても、実際に点字ブロックなどは視覚障害をお持ちの方には無くてはならないものだし、車椅子が唯一の移動手段である人にはちょっと段差が問題だったりする。なかなか難しいことだが、これをどうやってバリアフリー化していくのか、私としてはかなり興味がある。まさかこの日に母の手術なんてことになりませんように!
2007.02.05
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家からはそお遠くない梅林へ出かけている最中に携帯の呼び出し音。エッ?梅林の入り口に車を停めて確かめると兄から。一体、何事?と思ったら、「お正月以来だから、実家で鍋でもしよう」とのこと。買い物などは兄が自ら担当すると言うので任せることにして、お昼前には実家へ着けば良いことを確認する。 梅林は火曜日に来たばかり。あれから急に暖かくなるということもなくて、却って寒い日が続いたりしたためかそんなに目だった変わり方ではないと思っていたら、遠くに赤いのがチラチラと見える。紅梅が所々に咲いている。池の向こうには高台のてっぺんに東屋が。はためいているのが見えたのはあののぼりだったんだ。梅林の下の道路からだと、結構な距離に思えて、一体何があるんだろうと思っていたけど、随分立派に整備されたものだ。。。 花が開いている木を見つけては携帯を近づけたり、鯉を眺めたり、四国八十八箇所を模した部分をゆっくり歩き回って良い時間になったので、一路実家向け移動開始。 玄関を入るともう既に良い匂いが立ち込めている。いつの間にやら鍋と言っていたのがすき焼きに変更されている。私自身は、亡父がポン酢が苦手だったので、母は水炊きなど食べる機会が無かったのではないかな。と鍋には大賛成していたのに、どうやらお正月用にと母が用意していたすき焼き用のお肉が冷凍室を占領していたらしく、急遽予定を変更することになったらしい。 もうすっかり出来上がっている。確かに少々のんびりし過ぎたかも。夫は島外での仕事だし、兄も一人。だから親子水入らず=といってもたった3人だけ。真面目な兄はお茶のペットボトルを持参している。まさか、ここで私だけがビール!というわけにもいかず。。。 母は、重要書類と思しき書類を兄に預けておきたかったらしい。手術日は6日の受診後でないとわからないのに、前もって準備をしないと気が済まない母のこと。暫く留守になるからと、兄に金庫代わりを命じておいたらしい。 私は。。。というと早速母を美容院へ送ることになったのと、明日農協での振り込み依頼の付き添いを頼まれた。圃場整備にかかる費用の降り込みとかで、かなり高額なので、本人でないと駄目らしい。 介護認定審査会からの通知で、母は『要支援2』ということになった。住宅改修とか、杖などの購入には役立つのかな。でも、母が入院して手術をすることになる整形外科は、介護保険が使えない。母は慣れた病院でないと嫌だと言うし、こればかりは母の意向しかしょうがない。リハビリだけでも何とか通所ということにならないのかなぁ。。。?
2007.02.04
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2月第1回目のステップアップ講座。初回は5人で始められたステップアップ講座。今日は明日に控えたイベントの打ち合わせも兼ねて、派遣依頼されている人を中心とした参加だった。パソコンを使って準備した前ロールの確認や、機材の配線の仕方を確認しながら準備を進めてみる。やってみなければわからないのは主催者とかの挨拶。前もってこんな話を。と聞いていてもアドリブが入ったり、話しておられる内容がまるで違ったりということも起こり得る。1月28日はイベントの開催場所が南あわじ市だったことから、派遣されたのは南あわじ市在住のメンバー。明日は洲本市でのイベントなので、主な派遣依頼は洲本市在住者ということに。ただ、私の場合は10回の講座のうち5回は参加して欲しい。ということだったので、なるべくなら参加して少しでもスキルアップを。と考えてのこと。 いつも使っている筈なのに、イザとなるとOHPの組み立て方を忘れてしまっている。基本中の基本なのに、やはりこういうことは実践を続けていかなければ身につかない。OHCとプロジェクターを使う場合や、そこにパソコンが加わる場合など。 人物紹介の場合には予め説明文とかを貰っておいてパソコンで前ロールを準備することはできても、来賓挨拶などは流石に「どんな内容で?」とは聞けない。なので、パソコンの部分、手書きの部分を切り替えたりするやり方なども覚えておかなければならない。パソコンは2台は必要なので、ちゃんとモニターできるかどうかもチェックしておく必要がある。ただ、会場によっては設置スペースが限られていたりと、練習のときのようには行かない場合が多い。だからこそ、本番でどんな条件になっても対応できるだけの技術を身につけなければならない。 また、要望として挙げられていた、『字の上手下手ではなく、読みやすく書くという姿勢が重要である』 頭ではわかっているつもりでも、話し手の一字一句を聞き漏らすまいと必死になっていると、字の丁寧さがどこへやら。ということになってしまう。やはり普段からマーカーを使って文字の大きさや行間に気をつけながら書く練習をするよりほかにない。いざ主筆席へ着いてしまうと、文の要約も重複している言葉は省く。なんてことがおろそかになってしまい、耳から入った言葉を書いてしまっている。でも、それでは一体何のための要約なの?ということになる。勉強はまだまだこれからと思い知らされるばかり。
2007.02.03
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暮れに届いた『淡路人形まつり』の案内。パンフレットには、『お正月は“懐かしの野掛け芝居”の雰囲気で楽しむ淡路人形』の文字と、『文豪谷崎の愛した淡路島』に誘われて一度は行ってみたいと思っていた。時間的に人形芝居そのものを楽しむことはできなかったが、20分ほどの待ち時間の間に簡単に昼食を済ませようと、二階の展望レストランへ行って驚いた。食券を買ってから案内された席は鳴門海峡が一望できる窓際。いくつかの団体客の予約があるらしく、既に用意されていた中、飛び込みで入る客のために眺望の良い席は空けておいてくれたらしい。お天気が良かったら最高だっただろうが、こればかりは仕方がない。青空は見え隠れしているのにカラッと晴れ渡るところまではいかない。 淡路人形浄瑠璃館内はまるで野掛芝居の雰囲気が漂っている。固定された椅子はそのままだったが、藁で編まれた“こも”がそこかしこに吊り下げられている。昔はこんな風だっただろうなというように。カーテンというとちょっと違うけど、時代劇に出てくる芝居小屋などに使われるような。勿論桟敷といってもムシロが敷かれただけの物だっただろう。それでもムシロの上に並べられたお弁当を広げながら人形芝居に興じていただろう風景が目に浮かぶ。確かに私の小学生時代ではレジャーシートなんてものは無かったし、土の上に並べるといえば、ムシロと限られていた気がする。 『谷崎潤一郎ゆかりの宿』は代表作「蓼喰う虫」をここで執筆し、作品中にも登場する宿としても有名で、どうして淡路島なのか、また淡路人形浄瑠璃をこよなく愛されたのか、関東にはない、淡路島独得の雰囲気がたまらなかったのだろうか。今回は特別に谷崎潤一郎記念館・淡路文化資料館などからの貴重な資料とともに、愛用の品々や昭和初期の淡路島の写真などが展示されている。天保元年創業の宿は移転されたものの、ゆかりの部屋「蓼(たで)」はそのままに移築されたそうだ。
2007.02.02
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何とも怪しげなタイトルを見つけたのは今日付け地元紙の文化欄。『人物点描』欄に、静岡県立大助教授の宮田律さんが、「米国の軍産複合体の存在を知った上で戦争について考えてほしい」と語っていらっしゃる。そのまま引用させていただきます。 『戦争がなくならないのはなぜか。米国を戦争に駆り立てる原動力は何かー。「不況になると戦争をする」「戦争は武器の在庫一掃セール」「石油のためのイラク戦争」などといわれることもある米国の戦争。軍部と軍需産業が結合した軍産複合体の危険性を指摘したのがアイゼンハワー元米大統領だった。 「軍産複合体に依存した米国の経済構造が続けば、兵器を売るために、脅威と緊張をつくりだし、戦争とテロの連鎖はなくならない。その過程を検証したかった」と宮田律静岡県立大助教授。その成果を「軍産複合体のアメリカ」(青灯社)にまとめた。 米国各地には軍需産業があり、農業に次いで政府からの補助金を受け取っているという。技術者や科学者の3分の1は軍事関連産業にかかわり、世界の兵器の40-50%が米国製。米国の軍事費は世界全体の半分・・・と具体的な事実を示していく。石油資源の確保を狙う石油ロビーやイスラエルの安全保障のために働き掛けるユダヤロビーの動きについても記述する。 ロッキード・マーティン、ボーイング、レイセオンといった軍需産業が兵器を製造。シュルツ元国務長官やチェイニー副大統領が経営にかかわる会社がイラクの復興事業を受注して批判を浴びた。 専門のイスラム地域の政治および国際関係の知見を生かし、米国の軍産複合体とイスラエルやイスラム諸国との関係を解き明かしている。「イスラム世界を訪れて接する市井の人々の素朴な笑顔を思い浮かべると、彼らを犠牲にして、米国経済をうるおすために、戦争をすることがいいことだとは思えません」 「自由と民主主義」を掲げる米国の戦争だが、イラク情勢は泥沼化している。「人々の生活をめちゃくちゃにする戦争に合理性はない。戦争をしない方法を考えて、訴えていくのが研究者の使命だと思います」』 より安全な生活を求めてイラクの人たちは国外へと避難していると聞く。一体いつまでこんな戦争が繰り返されるのだろう。人間たるもの、もう少し賢くなれないのだろうか。
2007.02.01
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