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9月28日付地元紙のくらし欄に歩行についての記述がありましたので、そのまま引用させていただきます。 『年をとると、バランスや移動の能力が低下し、ふらふらする。何度も転倒して骨折し、閉じこもりの要因にもなる。体を動かす器官、骨や関節、筋肉などからなる運動器が不安定になるためだ。こうした症状を「運動器不安定症」と予防と日本整形外科学会(理事長・中村耕三東大教授、会員約2万2千人)が、10月8日の「骨と関節の日」を前に東京で会見して提唱した。10月に各地の講演会などで、全国キャンペーンに取り組む。 運動器不安定症 受診を 歩行リハビリ必要 日本人の平均寿命はこの60年で約30歳も延び、多くの人々が長生きするようになった。しかし、自立して元気に暮らせる「健康寿命」は平均寿命より、6、7年短い。 この機関は、閉じこもりや寝たきりで、介護の対象になる。厚生労働省の国民生活基礎調査によると、要介護の20%、要支援の28%が関節症や骨折・転倒という運動器の疾患が原因だった。 「運動器の障害が健康寿命を短くする大きな要因」と整形外科学会はみて、「バランス能力の低下を防ぎ、寝たきりになるのを予防しよう」と昨年4月、新しい疾患概念として運動器不安定症を決めた。保険診療も適用されるようになり、医療現場で受け入れられた。 ■衰え速い下肢 年齢につれて体力は低下する。特に下肢の筋力は衰えが速い。倒れずに安定した姿勢を保つバランス能力は低下が最も激しく、70歳では20歳の時の20%にすぎない。 整形外科学会の調査によると、高齢者が転倒、骨折するのは、以外にも平たんな場所が4分の3を占めていた。運動不足などでバランス能力が低下していることを裏付けた。 星野雄一自治医大教授は、運動器不安定症の見分け方を二つ提案する。 1、目を開けたまま片脚で立ち、着地するまでの開眼片脚起立の時間が15秒未満。 2、いすから立ち上がり3メートル先の目印まで歩いた後、方向転換して元のいすに戻って座るまでが11秒以上かかるーのいずれかが運動器不安定症の基準という。 運動器不安定症を起こす病気はいっぱいある。骨粗しょう症、変形性膝(しつ)関節症、男性に多い腰部脊柱管狭窄症、女性に多い関節リウマチなど。中村理事長は「運動器全般の健康を維持するために、各疾患を包括した運動器不安定症という考え方が必要だ」と話した。 ■週2回外出を 高齢者の運動器不安定症は全国で数百万人に上りそうだ。「歩行に不安を感じるようになったら整形外科を受診してほしい。治療は多様だが、バランス改善や歩行訓練のリハビリが重要で、転倒予防教室に参加するのもよい。“年だから仕方ない”とあきらめないことが大切」と星野教授。 予防法としては、立って片脚を軽く1分間持ち上げる開眼片脚起立訓練や、床にあおむけになってひざを伸ばして片脚を持ち上げる大体四頭筋訓練が有効という。 星野教授は「すべての運動が訓練になる。外に出て歩き、最低でも週2回外出するようにしてほしい」と助言している。』 私自身は、学校の授業の中で体育が一番嫌いだった。体育の授業が全部音楽ならいいのに。なんて思っていたほど体育が苦手だった。小学校には体育館はなく、講堂という建物があって、普段の体育の授業は校庭。あの、校庭の土が舞い上がる土ぼこりが私はとても苦手だったから、休み時間でも殆ど教室の中にいた。 太陽の光がまぶしくて、そのことも外が駄目な理由だったと思う。 双子に生まれた兄は家の中より外が大好きで、高校時代には陸上競技部で大活躍していたから、私とは大違い。そんな兄と小学生の頃の夏休み、セミ採りに出かけ、「帰ろう」と言い始めるのは決まって私だった。。。 中学1年のときに山で左足首を捻挫したときの手当が不十分だったためか、日も浅いころに同じところをくじいてしまい、本当に痛い思いをした。その手当は良かったものの、走り始めるときに痛みが走る。今でも長時間の正座はきついものがある。なので、歩くことは普通にできても、リレーの選手、バレーボールの選手に担ぎ出されるなんてことはまず無い。そうまではしなくても、やはり歩くということを続けなければと思う。 母のように、変形性股関節症なんかで手術。なんてことになりたくないし。バランス感覚は怪しいものがあるから、少しずつ鍛えようと思う。
2007.09.30
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10月に入れば「楽しい方の」コーラスグループのジョイントコンサートに始まって、色々催しがあるため、9月最後の土曜日がたまたま休みだったこともあり、事務局長から携帯メールで案内をいただいた、淡路聴覚障害者センター主催要約筆記通訳奉仕員養成講座修了式に参加。 今年に入って3月まではそれなりに熱心に参加していたのに、ずうっとご無沙汰だった「淡路OHPの会」。私自身は昨年の6月15日だったかに始まった養成講座に参加したばかりだから、先輩面して行く場合じゃないけど、自身の研鑽のためにと母の洗濯物を片付けながら昼食の用意をして出かけた。 丁度一年前は「のじぎく兵庫大会」があり、準備に忙しくしていたのに本当に月日の経つ速さに驚く。何が何だかわからないままにハバタンの絵を描いたり、スケッチブックにラインを引いたりしていたっけ。 そういえば、南あわじ市の難聴者定例会にも長い間出席していない。「くすの木学級」の開会式が7月だったから、私にはそれが久々の現場ということになる。そして今日は修了式と本当は現場実習ということになるけど、難聴者の会そのものも日程が合わずいつもの部屋で現場実習さながらの練習ということで始まった。 私もノートテイクの練習のつもりでペンを走らせる。自分では書けたつもりでも、果たして耳からの情報が全く得られない立場の人にはどうだったか怪しいもの。 話し手は一応会場に集まった人が聴力に障害があるということをご存知だったため、ゆっくり目に語ってくださったのが有難かった。 さて、今回の受講生の中に、まるで見本をそのままにしたような見事な書きぶりの人がいらっしゃって驚かされた。完璧に書きこなせているし、字も乱れていない。だから読み易い。読む側も全く疲れない。これこそが要約筆記通訳!という感じだった。 驚いたことに、ずうっと手話通訳で頑張っていらっしゃる人がお一人。要約筆記通訳をやってみて、その大変さに驚いたということだった。確かに、手話通訳だと道具が要らない。自分自身の両手を使って表現するだけ。これがOHPを使っての要約筆記通訳となると、先ず遮光レンズ。黒尽くめの服、そして指先を切った白い手袋。4人がOHPを囲むように座って、おまけにスクリーンも用意しなければならない。結構場所が必要なので、狭い部屋では設置するスクリーンなども考えなければならないことになる。 スクリーンに映し出された文字が読み易いかどうかということも問題で、読めなければ全く意味がない。 話し手が喋る言葉を要約しながら書いていくから喋る文字を100%とは行かない。だからこその要約なわけで、それが読み手には少々不満が残ったりする。『要するに』ということになるから、「本日はお足元のお悪い中」なんて言葉は省略してしまう。雨が降っているのは会場にいる皆さんなら分かっているはずだ、というわけ。 と同時に、私たちが普段喋っている言葉の中にも無駄が多いことに気付かされる。でも、だから会話なわけで、省略してしまうと味もそっけも無いなんてことになってしまう。ところが、次々に話の内容は進んで行っているわけだから、書く側も考えたりしている暇はない。 だからこそ一人の持ち時間を10分と定めて、10分経てば交代。それもスクリーンに頭が入り込まないようにかがみ込みながらそろりそろりと。 あんなこともやった、こんなこともやったなぁ、と反省点も含めて私にはとても良い機会だったと思う。また、臨床福祉心理士の勉強をしていらっしゃるいわば友人を見学に誘ってみて、彼女のお父様がそろそろ難聴気味だと仰る目は真剣そのものだった気がする。 私自身は耳が聞こえるからPCに向かいながらもテレビの音声が耳に入ったりする。耳から入る情報の何と多いことか。その一助になればという思いで参加させていただいた養成講座。聞こえないことによる不自由さから一人でも解放されたならと願うばかり。出来れば今回の講座生全員が「淡路OHPの会」へ入会して欲しい。
2007.09.29
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今日付け地元紙の総合欄に、10月から変わる暮らしとして、郵政民営化スタートそれから、食料品相次ぎ値上げの文字。ガッカリしていたところへ、ふと下へ目をやると人欄に、何と、21歳乳がんになった、大原まゆさんのことが紹介されている。そのまま引用させていただきます。 『20歳前後の患者は統計上0%台のはずなのに、なぜ私が。21歳で乳がんと闘い、体験をつづった本が映画「Mayu-ココロの里ー」になり、全国公開が始まった。「死で終わる映画ではなく、生きていくことに意味があると伝えたい」と訴える。 4年前、胸のしこりに気付いた。35歳で卵巣がんになった「闘病のプロ」である母親に相談し病院へ。検査結果は、乳がん。それでも「絶対負けない」と持ち前のタフさで手術を乗り切った。右胸は半分の大きさになったが膨らみは残り「ピザでいうとハーフサイズかな」。 「再発したらどうしよう」。放射線治療に入り眠れない日々が続いたころ出会ったのが、同じ20代の乳がん患者の女性。「いいことはしっかり胸に刻みこむ。悪いことには慣れろ」という言葉に何度も救われた。唯一涙を見せることができた彼女が他界した今、手記やブログなどでその言葉を語り継いでいる。 映画制作は全日程参加し「お飾りじゃない闘病を」と、細部まで生々しさを出すことにこだわった。「人との出会いがいっぱいあり、病気になって失われたものより得たもののほうが多いです」 髪がごっそり抜け、帽子で隠していたときは「完全復活できない自分」がもどかしかったが、今は肩にかかるロングヘアだ。趣味は全国の酒蔵巡りで「今生きているから生存率百パーセント。生きているうちにやれることをやりたい」と好奇心旺盛。北海道室蘭市出身の25歳。』 私が生まれて初めて県立病院の産婦人科受診、その後緊急手術となり、「取ったものが悪性であれば抗がん剤の投与を始めます」と夫は医師からいきなり申し渡されたらしい。私は、といえば、腹痛がおさまりさえすれば会社(当時は印刷会社勤務)へ行かなきゃ。と思い込んでいた。ところが、腹痛がおさまらないものだからいよいよ緊急手術ということに。 幸い、取ったもの(左側の卵巣)が良性だったから、抗がん剤の投与というのは無かった。入院中、わざわざ抗がん剤の投与のために入院される患者さんが居たことには驚いた。ご自身でもはっきりと仰る。スケジュールが決まっていて、ずらせないのだと仰る。 私はただの卵巣膿腫がちょっと手遅れになってはじけていただけ。まぁ、遅れていたら腹膜炎を起こして、命はアウトだったかも。そんなお腹を抱えて前日によくもまぁ、赤穂市まで出かけたものよ。と自分でもあきれてしまう。でも、悪い部分を取り払ったのだからそれでおしまい。ただ、余りにも酷い状態だったので。と膿を取り除くためにドレーンが入れられたけど。それで済んだのだから良かったと思う。 母親には二人の妹がいて、二人とも子宮摘出術を受けている。子宮筋腫によるものだと聞いた。 大原さんのお母様が卵巣がんだったということで、女性特有の器官というのも遺伝によってがんに侵されたりするものなのだろうか。最近は年齢をいとわずにがんが発病したりする。 マンモグラフィーによる検査で、発見は早くなったかもしれない。どこかのフィルム会社でも、そういう方面に力を入れているらしい。ところが、検査の方法というのが難しい。レントゲンやMRIには限りがあるということ。それほどまでに乳がんの検査というのは複雑怪奇だということらしい。 私自身、検査そのものは受けたことがない。症状としてよく“しこり”が挙げられる。殆ど自分では気がつくらしい。痛いと感じたらもう進行は始まってしまっているのかなぁ。 もっと簡単にがん病巣などを駆逐する方法はないのかなぁ。 同じ乳がんだということで知り合った方の他界が大原さんにはどう影響するだろう。そのことも心配だけど、何とか頑張って生き抜いて欲しい。
2007.09.29
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花材は葉付が立派な木苺、リンドウ、白いクジャクソウ。『用芯B』の型にチャレンジしてみた。余りにも立派な木苺の葉を削いで使える部分で体、用に。実は木苺は二枝入っていたのを一枝で十分過ぎるぐらいだった。きっと成長が早かったせいかなぁ。残暑の厳しさはここでも影響していたかも。留にはクジャクソウを。今日の場合は用が中心になる感じで体と反対側になる形に留を。リンドウも立派なのが入っていたので短くして中間添え、控えの花葉枝に使う。これまた立派な立派な白いクジャクソウは根〆に。 入っていた花材は3種類なのに、何とまぁ生い茂る感じになってしまった。新聞紙にくるまれた花材。だから新聞紙を外すまでどういう花なのかまるでわからない。アッと驚いてしまったのは、木苺の余りにも立派なこと。なので、家へ戻って別の花器に『体芯A』の型で入れてみた。余ったクジャクソウはクジャクソウだけでガラスの花瓶に手を加えずに入れてみた。 エッ、これだけ?と思う日と、え~、こんなに沢山?と思う日がある。全て花屋さん任せだからと先生は仰る。だから平均を取ってもしかしたら得しているのかも。 長年愛用してきた花バサミ。今回は思い切って流派のハサミというのを注文した。果たして先生のように使いこなせるかどうか。。。 画像は見事にピンボケですが、ごめんなさい。
2007.09.29
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今日付け地元紙のくらし欄では関節が痛いシリーズの7回目として、変形性股関節症が取り上げられていた。母がまさにその症状なので、そのまま引用させていただきます。 『股関節が痛くなる代表的な病気に変形性股関節症があるが、北里大学医学部(神奈川県)整形外科の糸満盛憲教授は「中年女性に多い病気です。家事や仕事で忙しくても、早めに整形外科を受診してください」とアドバイスする。 ▽体を傾けて歩行 変形股関節症と言っても、初期には股関節は痛まない。長い距離を歩いたり、長い時間立っていたり、スポーツをしたりした後などに、太ももの内側や側面、ひざの上、尻の周辺に、重たさやだるさを感じる。そのため、股関節の病気と気付きにくい。 病状が少し進行すると、寝床やいすから立ち上がるときや、歩きだすときに、脚の付け根辺に刺すような痛みが起きるが、少し歩くと消えてしまう。 もう少し進むと、歩くにつれて痛みがだんだん強まる。足のつめを切る、あぐらをかくなど、股関節を大きくうごかしたときにも痛みを感じるようになって、日常生活が不便になる。さらに進行すると、じっとしていても痛むようになる。 股関節が痛くなると、無意識のうちに痛みを避ける姿勢を取るようになる。例えば、左側の股関節が痛い場合は、痛くない方の右足に体重を乗せ、状態を右に傾けて歩くという変形性股関節症特有のはこうが見られる。 40代前後に症状 股関節は、骨盤側の臼(うす)のような形をした寛骨臼(かんこつきゅう)に、大腿部の上の部分である大腿骨頭がはまり込んでいる。変形性股関節症の多くは、この関節に生まれつき構造上欠陥があるか、生育過程で臼の部分が十分に成長しなかったため、軟骨の一部に負担が掛かり過ぎて軟骨が傷ついたり、すり減ったりして怒るという。 軟骨がすり減ると、やがて骨同士が直接こすれ合う。すり減って生じた軟骨や骨の破片などによって炎症が起き、痛みを感じる。若いうちは症状はほとんど出ないが、多くは40歳前後に症状が表れる。構造上の欠陥は女性に多く、変形性股関節症も女性に多い。 糸満教授は「運動するたびに股関節が痛む、今までと同じ運動なのに痛みが取れないというような場合には、早めに整形外科を訪ねて治療に専念してください」と話している。』 痛みというのは他人にはわからない。顔をしかめながらも痛みを辛抱して耐えてしまうところは女性特有のものかも知れない。だからやがては手術。ということになってしまうのだろうか。母の場合、高齢での双子の出産。その前にかなりの難産の末の死産だった兄。こんなことが母の股関節にはかなり影響を与えている気がする。 普段、私は2回も切腹しているので重い物は絶対に持たないことにしている。ところが母は23キロもの玉葱が入ったコンテナを5段も積み上げていた。何年間続いただろう。それに加えて、子牛の世話。兄が結婚と同時に家を出たこと、私は当時大阪に居たことで、この子牛たちが母にとっては何よりの手慰みだったようだ。足音に敏感に答えてくれる可愛い牛たち。でも、牛の糞はかなり重い。それを母は一人で片付けていた。フォークで遠くまで放り投げる感じで。これも母の股関節にとっては「してはいけない行為」だった気がする。 と、今更唱えてみても始まらない。 7月に再手術となった母は今やっと松葉杖で歩けるようになった。もう恐らく手術なんてコリゴリだと思うし、家族は離れて暮らしているだけに、自力での生活に自身が持てるまでは入院したままのリハビリを続けて欲しい。 ちょっとした姿勢の悪さというのも股関節にはとても影響するのだとしたら、前かがみになるような姿勢にも気をつけなければと思う。「腰骨を立てて」と主張した人がいらっしゃる。理に叶っているんだと思う。運転中の姿勢などにも気をつけなければ。さぁ、本日3回目の洗濯も終えたし、母に会いに行かねば!
2007.09.28
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めだかちゃんフレンド2さんが先日教えてくださった、例の“トウガラシ”が何と色づき始めたのを発見しました!蕾だとばかり思っていたのは花の時期が既に過ぎた実そのものだったのに、私ったら、何と目の悪い。蕾なら蕾らしく花びらっぽいのが見えるはずなのになぁ。どうして蕾が先で花が後なのよねぇ。で、他のもほのかに色づき始めました。観察眼って必要なんですよねぇ。白いなぁ、綺麗だなぁ。から段々とクリーム色っぽい色が濃くなり始めました。
2007.09.27
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本当はもうひとつのブログ=“音楽って素晴らしい♪”で紹介することが多い企画ですが、今日は敢えてrakutenの方で紹介させていただきます。昨日付け地元紙の地域ニュース欄で見つけた記事をそのまま引用させていただきます。 『全盲のソプラノ声楽家、筒井香織さん=神戸市=のコンサート「香織リサイタル~あなたの心に届けたい」が10月6日、神戸市中央区下山手通5の兵庫県民小劇場である。「アヴェマリア」などのクラシック音楽を中心に、全15曲を披露。「心に届く歌を歌いたい」と話す筒井さんの澄んだ歌声は優しく力強い。(金○革) 「いきていく上で支えになれば」と母の志津子さんの勧めで、3歳のころから、ピアノを学び始めた。本格的な勉強のため、大阪の盲学校音楽科に進学。そこで声楽と出会った。 声楽の魅力にひかれ、大阪音大に進学。卒業後、プロの聖歌隊や合唱団に就職を希望したが、障害を理由に断られ、願いはかなわなかった。 落ち込む娘の姿を見て、志津子さんは「歌を披露できる場をつくろう」と思い立ち、病院や学校などに公演を以来。そこで歌を披露した。「元気をもらいました」、「美しい歌に感動した」といった反響は大きく、筒井さん自身も勇気づけられたという。 今回のコンサートは昨年に続き2回目。クラシックのほかに、「千の風になって」や「川の流れのように」なども披露。香織さんは「もっと重い病に苦しむ人もいる。私が歌う姿で、聞く人が勇気を持ってくれれば」と話す。 午後1時半開演。前売り券は小人(6歳ー中学)1300円、大人2千円。当日券は小人1800円、大人2500円。チケット予約電話090・4280・3554』 私自身は本番前日のため会場へ行くことはできないけど、澄んだ声にはきっとウットリさせられる人も多いのではないだろうか。 ご本人が仰るように、確かにご自身よりも重い病気で苦しんでいる人は沢山いらっしゃると思う。でも、音楽に欠かせない楽譜を手に入れるのも困難な中、勉強を続けてこられたことにも並の努力ではかなわなかったと思う。 私たちの本番では「オペラ座の怪人」でソプラノのアリアを歌われる方がいらっしゃる。年齢はそんなに違わないだろうから、もしかしたら学友だったかも知れないな。と思いつつ、香織さんの優しく力強い生の声が聴けないことがとても残念。 人間の声も立派な楽器。ピアノも弾きこなされるのだから尚更のこと音感は素晴らしいものをお持ちだと思うし、これからも活躍して欲しいと祈るばかり。
2007.09.26
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母が独居高齢者になってしまったからとても人事とは思えない今朝のニュース。京都市で独居高齢者が火災に巻き込まれてしまったこと。出火元と思われる二階へ救助に向かった消防署の人たちが崩落で生き埋めになってしまったこと。 どうやら、お住まいだった方は足が不自由だったのだとか。どうかご無事でとお祈りするばかり。 独居だから、高齢者だから、足が不自由だから郵便配達の折には少し時間をください。と仮に表示したとする。すると、ドロボーさんいらっしゃい!と言っているみたいなもの。こういう場合、郵便局だけに連絡をしておく。なんてことはできないものかなぁ。 ご近所の人たちは、その方が足が不自由でいらっしゃることは存じていたらしい。だからこそ、火事で無事に逃げ出せたのかどうかが気がかりになる。 独居ということになると、自分自身のことはできても、やはりご近所の人に心配をかけながら。ということになる。母もそうだと思う。 屋敷そのものは比較的賑やかな道路には面していても、門を入って玄関まで、母には距離があると思うらしい。確かに、門のところで名前を呼んでもテレビのボリュームが大きかったりしたら全く聞こえない。 加齢と共に、やはり保護されるべく条件は増えてきてしまう。決して聴力に問題があるわけではないけど、テレビのボリュームは私にはかなり大き目に思う。 防災、防犯と全く同じには行かないけど、何とか無事で。と願わずにいられない。 火にかけた鍋を忘れる。。。これって、痴呆の始まりなんかじゃないんですよね。でも、確かに回数が増えてくると、炎を使わない手段を考えるしかないかなぁ。
2007.09.25
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いよいよ本番間近とあって、練習にも気合が入る。一部の曲はピアノと電子オルガン両方で伴奏することになる。私が苦手に思っていたのは「お祭りマンボ」テンポが速くて歌詞を追うのがやっと。しかも男声のみ、とか女声のみとかの部分があるし、繰り返し記号がどこについているのやら、実は今日になるまで気がついていなかった。 他のメンバーは皆さん8月4日に行われた「淡路音楽祭」で歌っていらっしゃるからほぼ完璧に歌えるのに、私はずうっと練習には出ていなかったし、初見も良いところ。練習のときにあっけにとられるばかり。まぁ、今日になってからでも確認できたのは良かったと思う。今まで一体何を見ていたんだろう、私。。。 合同練習には初めて参加したので、やたらと前奏部分が長かったりするのにも遭遇。合唱部分の譜面には書いてないから無理もない。それでも「愛の夢」などはピアノの方が必死になって演奏していらっしゃる。。。 さて、プロローグは「川の流れのように」。実は洲本実業高校ブラスバンド部でずうっと指揮を担当していらっしゃった能本欣一郎先生の混声四部用オリジナル編曲によるもの。私がこの曲に出会ったのは三年ほど前になるけど、先生がお元気だった頃の編曲だと思う。だから、メンバーの中では「初めて歌う」なんて人の方が少ないようだ。(一旦辞めていて、再入団なもので) 能本先生が他界されて、何年になるのだろう。そのプロローグの挨拶に能本先生のお名前が入っているのを今日の合同練習で初めて聞いて、私は涙が出そうになってしまった。先生の温和な笑顔が忘れられない。いくつもの編曲をこなされ、ブラスバンドとの共演ではミュージカル曲にも何曲も取り組んだコーラスグループ。数え上げればキリがない、本当に思い出深い先生でいらっしゃった。ただ、私が参加していたのは、「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」だったからなぁ。あれから何年経ったのだろう。。。? この「川の流れのように」を何度も何度も歌い続けてきたこと、間もなく結成30周年を迎えるということで改めてプロローグ曲に選定されたようだ。でも、挨拶に出てくる能本先生のお名前で、本番中再び涙に。なんてことがないか心配になってきた。 先生、どうかどうか見守っていてくださいね。お願いします。 そして、電子オルガンやピアノが奏でる音に聴き入ってしまって、出る部分を見落とさないように指揮に集中すること。大丈夫かなぁ。。。?
2007.09.24
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実は昨日付け地元紙の社説欄で見つけたこのタイトル。温暖化会合について述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『国連総会の新しい会期(1年)が、始まった。最大の焦点は、実効的な取り組みが急がれる地球規模の温暖化対策である。 週明けの24日には、バン基文事務総長の主催するハイレベル会合がある。150カ国が参加し、うち80カ国は元首や首脳が出席を予定している。 ところが、その中に日本の首相の名前はない。安倍晋三首相が突然の退陣表明をしたためで、急きょ、森喜朗元首相が特使として派遣されることになった。 今回の会合は、新たな合意に向けた交渉の場ではない。しかし、先進国に温室効果ガスの排出削減を義務付けた「京都議定書」後の枠組みづくりが求められている。国連として、各国の結束をあらためて確認し、今後の道筋をつける意味で、大きな役割を持つ会合となる。 事務総長にすれば、年内に相次いで開かれる主要排出国会議や機構変動枠組み条約締約国会議(COP13)に、弾みをつけたいところだろう。 日本としても、来年の洞爺湖サミットへ向け、国際社会へ温暖化対策を促す格好の舞台だ。この6月のハイリゲンダム・サミットで、安倍首相は2050年までに温室効果ガスを半減させる「美しい星50」を提案したばかりでもある。 2020年までに1990年比で20%の削減を目指す欧州連合(EU)と、京都議定書から離脱した米国。両者の溝を埋め、新興国の中国やインドを協議のテーブルにつけるきっかけになった一つが、この提案だった。日本の提案を真剣に検討することが合意文書にも盛り込まれた。 それだけに、政局の混乱で自らの提案の実現に十分な役割を担えないとなると、国際社会における日本の信頼と評価は傷つきかねないだろう。 もっとも、日本にはその前に、まず越えなければならない大きなハードルがある。08年度から5年間の平均排出量を90年度で6%削減する目標達成を、京都議定書で約束した。しかし、そのめどは立っておらず、経済産業、環境の両者が計画の見直しを進めているのが実情だ。 第一段階の約束を果たせなければ、「次」を見据えた日本の提案に説得力を持たすのは難しい。 温暖化対策は今世紀で最も重要なテーマの一つである。日本は京都議定書の約束を達成し、次の枠組みづくりへの貢献が求められている。国際社会で重い責務を担っていることを、新しい首相はしっかり自覚し、実行してもらいたい。』 先ほどテレビに、新しく首相となられた福田氏の奥様の堂々とした外交振りが写し出された。ブッシュ米大統領夫妻が来日された折、小泉首相が独身だったため、急きょファーストレディを務められることになったのだとか。 やはり才媛というのは違う。何か期待が持てそうな気がしたのは私だけかな? 原子力エネルギーが地球温暖化防止に役立つなら、安全が確保されていなければならない。また、車が必要不可欠ならば、ガソリンに代わるエネルギーの開発や、エコカーの開発は急務だと思う。 もう、立ち止まってはいられないのじゃないかな。。。。と、今乗ってる車はエコじゃないんです。ごめんなさい。
2007.09.24
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結局、昨日の朝送った画像は何処へやら?もしかしたら夫の携帯宛に送ってしまったかなぁ。ときどきやってしまう。メアドを夫の名前欄に登録しているため、送信欄を見てもやはり夫の名前しか表示されないので、PCに送ったか、携帯に送ったか判断がつかない。画像を削除しないで良かった。 一番古風なやり方なのだと思う。時間も無駄だし、待っていてもサーバーの都合でなかなかPCに届かなかったりする。別売りの部品があれば携帯とPCを一体化できるのだろうけど、そこまでしなくても。。。と、携帯の使い方さえおぼつかない私なのに、これ以上複雑なことは覚え切らない。 携帯から画像添付メールを送って、それを一旦マイピクチャに保存して取り出して“フォトをアップロード”して使っている。これも、日記を書いている途中で別窓が開いてくれるからとても便利だと思う。 何もかもが便利になっちゃって、携帯でテレビだって観られる時代。なのに何時代遅れなことやってんだろう、私。。。でも、このやり方が私には便利だと思う。メモリカードなんて持ってないから、マイピクチャに保存したら削除しないと新しいのを撮ったときに慌てることになる。そんなことも知らずに、“入りません”メッセージが出たときには慌てた。削除するのに時間がかかって、結局欲しいと思ったときの画像がまるで残っていない。 眼にそして心に焼き付けるといっても、やはりあるのと無いのとでは違う。 さて、明日は合同練習としては二回目。一回目は見事にバイトとガッチャンしたから参加出来ず。どんな「愛の夢」になりますことやら。。。
2007.09.23
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一人のときはテレビじゃなしに、案外CDを聴くことが多い私にあって、本当に数少ない好きなテレビ番組は?というと、相棒だったりする。 『おわび 神戸新聞社 新聞制作システムに障害が起きたため、23日付朝刊は緊急時援助協定を結んだ京都新聞社の協力を得て発行しました』。。。などと印刷された白い紙が入っていた今朝の地元紙。 そんな中見つけたラジオ番組の紹介欄の右側に載っているヘッドライン 『“飽きないキャラが成功の鍵”テレビ朝日系「相棒」第6シリーズ、映画化も』とあり、そのまま引用させていただきます。 『テレビ朝日系の刑事ドラマ「相棒」第6シリーズが10月下旬からスタートする。各局ともドラマ視聴率が伸び悩む中、回を重ねるごとにファンが増え、来春の映画公開も決まった。人気の秘密はどこにあるのだろうか。 ▽元は2時間ドラマ 「相棒」は、頭の回転が速く、冷静沈着な杉下右京(水谷豊)と、正義感が強い熱血漢だが、どこか鈍くさい亀山薫(寺脇康文)の名コンビが事件を解決する物語だ。 テレビ初登場は2000年6月の土曜ワイド劇場。放送された全3作の2時間ドラマはいずれも好評で、02年連続ドラマに。シリーズ平均視聴率は第1~3が13%強、第4が約15%、第5が16%と徐々に伸びている。 視聴率が1けたの連ドラも少なくない最近では驚くべき現象で、松本基弘チーフプロデューサー」(CP)は「光栄なことに作品が自分たちの手から離れていってるように感じます」と話す。 ▽右京誕生の経緯 英国風スーツをパリッと着こなし、紅茶を好む右京。ユニークな性格で周囲から「変人扱い」されるが、本人は一向にお構いなし。事件が起きても悠然としている。 右京“誕生”の経緯について、水谷は「家で台本を読んでいる時、声のトーンやしゃべり方は“こういう感じがいいんじゃないですか”と誰かが言ったような気がしたんですよ」と説明。ほほ笑みながら話す姿はドラマの右京そのものだ。 役作りの際は「ストーリーに出てこなくても、その人物がどういう環境で育ち、どういう生活をしてきたのかとおぼろげに考える時間が長いですねえ」。すると自身の中でキャラクターが出来上がり、右京の場合は「割と早かった」という。 ▽目指せホームズ 制作に辺り、松本CPが目指したのはシャーロック・ホームズの短編集。話の先が読めず、名探偵が謎を解き明かすストーリーであればおもしろいはずと考えた。「お決まりのパターンは作らず、どう終わるかもわからないようにしたかった。だからエンディングテーマ曲もない」。また、ドラマ視聴者に女性が多いため、流血シーンなどは控えた。 「やりながら何となくいいものだという実感はあったんです」。これまでに多くの刑事役を演じてきた水谷だが、最初の2時間ドラマの撮影時に手応えを感じ、監督と「映画でもいける」と話をしていた。 「昔は刑事者といっても、警察内部や国会議員とのかかわりなどの事件の裏側を描くことはほとんどなく、僕も歯がゆい思いをしたんです。今は表現できてうれしいし、時代の流れに合っているのかもしれませんね」 「相棒」について、コラムニストのペリー萩野さんは「連ドラでは珍しい本格推理物」と位置づけた上で「キャラクター作りがうまかった。滅びないタイプ。だってホームズもポアロも変人じゃないですか」と指摘した。 今回のシリーズで百話を超える「相棒」。名コンビは今後も活躍し続けるのか。水谷は「右京が似合わなくなったら辞めます」ときっぱり。だが、「いつ似合わなくなるかは自分では分からないんですよ」。』 映画にはトンと縁が無い私。でも、テレビだったら毎週観られそうな。仲間の刑事さん役を演じる方が、違う番組でまた違ったキャラを見せてくれたりすると驚く。二人を盛り立てる大事な役だと分かっていても、演じる方はきついんじゃないかな。で、メガネのあの鑑識さんも忘れられない。
2007.09.23
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10月7日に行われるジョイフルコンサート第一部は「ハナミズキ」に始まって、何と「オペラ座の怪人」まで。第二部ではピアノや電子オルガンの演奏、そしてソプラノによるソロを楽しんでいただき、第三部は金子みすずの世界へ皆さんをいざないます。 会場は洲本市文化体育館文化ホール。ところが、同じ日、しづかホールではブラスバンドフェスティバルが開かれる。実は欲張りの私はこちらにもとても興味があって日程が違うなら是非聴きに行きたいところ。 狭い狭い淡路島、人の少ない淡路島でどうしてこうイベントがかち合うのかなぁ。音楽ファンならきっとどちらにも興味が。。。なんてことはないのかなぁ?楽器と人間の生の声の演奏。確かに雰囲気は全く違うけど、どちらにもそれなりの良さがあって、お客さんの奪い合いなんてことにならないかなぁ。 まぁ、ブラスバンドなら学生の保護者、その他もろもろが大勢いらっしゃるんだろうなぁ。私たちのグループは中学生、高校生が居ないから、父兄の皆さん。ってわけに行かないんだよなぁ。 混声四部合唱の響きを、ブラスの音色に負けじと淡路島中に届けたいと思います。練習日も限られていて、皆さん必死。そんな中へ、生まれて間もない(4~5ヶ月?)の赤ちゃんと同伴で練習に参加されるお母さんがお二人。だから凄いんだと思う、このグループは。 (本当はチラシの画像を載せたかったのに、まだ携帯メールが届きません。なもので雰囲気が伝わらずにごめんなさい。)入場は無料ですよ~
2007.09.22
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クリスタルサウンドオーケストラが奏でる『愛の夢・リスト』が流れてきたのはNHKラジオ第一放送の朝の番組。実はこの曲を、電子オルガンでオーケストラ風に、勿論ピアノも加わって演奏することになっていて、実は左手のトレモロ演奏をバス、テノール、アルトと繋いでいく。それがなかなかピアノの様には歌えない。テンポがゆっくりなのでは?と疑問に思っていたけど、今朝のを聴く限りでは今私たちが練習しているテンポとそんなに変わらない。しかも左手が本当に軽やかに動いている。一応コーラスグループなのだからということで、コーラスが加わって。ということを提案された人が居るらしい。 譜面を渡されたのはいつだったろう。昨年の暮れだったかも知れない。昨年秋に参加した演奏会会場を代表者が予約したのだとか。それが今年の10月7日ということだった。まだ先の話だと思っていたのに、もう1ヵ月を切ってしまった。 秋の演奏会の後、淡路島で唯一の公立病院でのクリスマスコンサート。そして今年の演奏会に向けての練習が本格的に始まったのは暮れからお正月にかけてだったと思う。 ところが私は3月の「淡路合唱祭」の練習にさえ顔を出したのが2~3回というていたらく。そして母が入院。体調不良もあって、8月の「淡路音楽祭」への参加をこのグループでは諦めることに。 9月2日にこの電子オルガン、ピアノが加わった合同練習があったのに、私はバイトの時間と見事に重なってしまい、後は9月24日の合同練習を残すのみとなってしまった。でも、今朝のラジオを聴いて、テンポとか感じとかがつかめたように思う。良かった!
2007.09.21
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9月12日付けの社説の二つ目の話題がカフェ難民について述べられていた。そのまま引用させていただきます。 『住まいがないまま、料金の安いインターネットカフェを止まり歩く。そんな人々の存在が、新たな社会問題になってきた。「ネットカフェ難民」ともいわれる。 なんとか足を伸ばせる狭い個室にパソコンとテレビを置いたのが、インターネットカフェである。別料金を払えばシャワーも使える。24時間営業の店を宿泊場所として利用する人は少なくない。 ところが、生活が苦しいため、こうした店に長期滞在したり泊まり歩いたりする人が一部に出てきた。厚生労働省が行った初の実態調査では、全国で約5千4百人に上った。50代も2割以上おり、若い世代に特徴的な現象ではなく、幅広い年齢層にまたがる深刻な問題といえる。 ただし、あくまでも推計である。いくつかのインターネットカフェで調べてみると、店で寝泊りしていると答えた利用客が8%いた。そこで、全国の店で一晩に何人が泊まっているかのデータを踏まえて計算したのがこの数字だ。もっと多いという声もあり、実態はよく分からない。 はっきりしているのは、働いても働いても生活がよくならない貧困層の増加が、この問題の背景にあるという点だ。「ホームレスの新形態」との指摘もある。 厚労省はこうした人々がどんな働き方をしているかも調べている。それによると、日雇いが半数近い。労働契約が1ヵ月未満の人を含めると6割もいた。 さらに、3人に1人が「仕事を辞めて家賃が払えなくなった」と答えた。かえるところがあるならまだしも、日銭を稼ぎながら、頼る人のいない綱渡りのような日々を送っている。 「自助努力」「自己責任」という意見もあるだろう。しかし、人数といい、問題の根深さといい、個人の問題として片付けず、社会として解決すべき課題である。 悩み苦しむ人がいたら、要望を聞き、一緒に解決策を考える体制が必要だ。住まいをどう確保するか。安定した仕事に就き、家賃を払っても暮らせるような生活をどう築くか。支援を求める声に対し、きちんと応じられる仕組みを整えたい。 なにより重要なことは、低賃金労働がまんえんする現状を変えていくことである。 厚労省が8月末に発表した「所得再分配調査報告書」によると、所得格差は過去最大になった。景気拡大の陰で貧困層が広がる。こんなゆがんだ現状を是正しない限り、仮にインターネットカフェを泊まり歩く人がなくなったとしても、新たな形の「難民」がどこかで生まれてくるだけである。』 ネットカフェ難民とまではいかなくても、例えば母が入院して介護のために付き添うということになると、床に段ボールか何かを敷いてその上に敷き布団か何かを敷き、その上に身体を横たえることになる。暑いも寒いも関係なしに寒ければ自分が着込めるだけ着込むことになる。正直、こんな惨めな形で休まなければならない。またそのことを家族なり家政婦に担わせることもどうかと思っていたけど、母は視野狭窄のためにがんとして譲らない。 安静状態はほぼ1週間。ただ、手術したその夕食に普通食が出されるから排泄介助する側には正直たまらないものがある。時間なんてあって無きがごとく。 と、形は全く違うけど、足腰を伸ばして休める場所というのは本当に有り難い。せめて布団の上で休める状態に、と願う。 低賃金に文句を言うとたちまち首では言いたいことも言えない勤労者。正直、税金を集めたいなら、国民の最低限の暮らしを保障した上で、インターネットカフェでの生活から脱却できる方策を考えて欲しい。 働けど働けど。。。どうしてこんな世の中になってしまったかなぁ。。。?これじゃクシャミひとつできやしない!
2007.09.20
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山下氏の落選は解せないというタイトルを見つけたのは実は9月12日付け地元紙の社説欄。そのまま引用させていただきます。 『日本のお家芸といえる柔道の行方が心配だ。国際柔道連盟(IJF)の役員改選で、再選を目指した教育・コーチング理事の山下泰裕氏が落選し、IJFの執行部から日本人がいなくなったからである。 山下氏は、かつての五輪金メダリスト。国際的にも知名度が高く、識見、指導力に定評があった。当然、再選されるべき人だし、大方もそう期待したはずだ。 ところが、総会の投票では、ほとんどダブルスコアの大差でモハメド・メリジャ氏(アルジェリア)に敗れた。 世界に普及した日本発祥の競技を、さらに洗練されたスポーツとするためには、国際社会の場で日本の発言力が必要だ。そうした点で、柔道界のエースを送り込めなくなることは残念というほかない。 しかも歯がゆいのは、落選がIJF内部に渦巻く会長職をめぐる権力争いのとばっちりによるもの、とされることだ。 先ごろ、バクヨンスン会長が突然辞任して関係者を驚かせたが、山下氏の落選もこれに関係していると伝えられる。 三期目だったバク会長に対し、加盟国の多い欧州連盟(EJU)は不満を強めていたとされ、バク氏は2009年の任期切れを待たずに事実上、会長職を追われた。 公認のマリアス・ビゼール氏(オーストリア)は、05年の総会でバク氏と会長職を争った。前回は、日本がバク氏支持に回っており、巻き返しに成功したビゼール氏が日本に厳しい姿勢を取り、今回の選挙結果にもつながったという。 スポーツの世界に、派閥や人事のもめごとが持ち込まれる例は少なくない。だが、このことが組織内の対立をいたずらに深めることになっては、柔道競技そのものがおかしくなってしまわないか。 IJFは、国際大会の運営や協議規則の見直しなどの権限を持つ。重要な決定の情報入手が遅れて不利になり、本家・日本が世界に取り残されるといった声が聞こえるのは、正常な事態とはいえない。 日本は勝敗のみならず、柔道の形や礼節を重んじてきた。技の重視は「一本」や「技あり」などの呼称にも表れているが、世界は必ずしもこの立場にくみしていない。つかみにくい柔道着の導入や日本に不利なポイント制の採用が取りざたされるのも、柔道に対する認識の違いを示している。 約百九十の国と地域が参加する国際競技団体はあまりない。まさに「世界の柔道」といえるが、それで柔道本来の精神が薄れるようでは困る。日本は引き続き競技の考え方を粘り強く世界に訴えていきたい。』 つかみ難い柔道着というのには驚いた!柔道着は白に決まっているものとばかり思っていた。ところが、いつのころからだろう?柔道着に色が付いている!と驚いたのは。でもつかみ難い部分は全く気がつかなかった。突き指の危険性はないのだろううか。
2007.09.20
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やはり9月16日付地元紙の教育欄。こどもコーナーの下に眼を向けると、急激に減少、影響が心配なる文字。今更でもないけど、そのまま引用させていただきます。 『北極の海をおおっている氷の面積が、1978年に人工衛星による観測を始めて以来、最も小さくなったことが日本の研究機関の調査で分かりました。北極はほかの地域に比べ、地球温暖化による海の温度の上昇が大きく、氷の減少は温暖化が原因だと考えられています。 研究者は「このままでは近い将来、夏の北極海から氷がなくなり、生態系などに大きな影響が出る」としています。 海洋研究開発機構と宇宙航空研究開発機構が、米国の人工衛星に積んだ観測機器などを使って北極の氷の面積を調べたところ、今年8月15日時点で、530.7万平方キロで、これまで最小だった、2005年9月の531.5万平方キロを下回りました。 1980年代には、最小の時でも700万平方キロあったのに比べると、急激に減少しています。 冬に温度が高かったために氷が十分に成長できず、従来は氷で埋まっていたカナダ沿岸部などで氷が動きやすくなっていることなどが直接の原因とみられています。 北極の氷が小さくなることで温暖化が速まり、その結果、さらに氷が小さくなるという悪循環が起きている可能性もあります。 氷の表面は白いので、太陽の光を反射する量が、広が濃い海面に比べて多くなっています。氷が少なくなって海の面積が大きくなると海が吸収する太陽光の量が多くなり、温度上昇がさらに進むとされています。 北極の氷が減ってきたことで、北極の海底にある石油や天然ガスなどの資源をめぐる争いが激しくなる心配も出てきました。8月初め、ロシアの友人潜水艇が、北極点の深さ4200メートルの海底に世界で始めてもぐり、ロシア国旗を立て、周辺の国々を刺激しました。 北極の海底から石油をほりだして使ったら、温暖化はさらに進むことになってしまうのですが。』 となれば本当はビルなどを建てる場合、屋上部分だけを白く塗り潰す方が地球温暖化防止に繋がることになるのかなぁ。緑を植えよう。という運動が始まって久しいけれど、本当のところはどうなんだろう。 緑が二酸化炭素を吸収してくれるから空気は綺麗になるかもしれないけど、温暖化防止ということからするとどうなんだろう? 輻射熱というのか、ビルなどの建物の外壁が白い色だとかなり暑く感じる。反射が凄いから側に立ってなどいられない。我が家も北に向いた窓のカーテンは遮光カーテンを閉じたまま。お隣からの太陽光による輻射熱がかなりなものだから。だから昼間も薄暗い部屋で、当然蛍光灯を点けなければならない。だから、本当は長時間部屋に居るというのも問題なのかも。 人が生きて行く上で空気を汚さない。なんてことは不可能なこと。だからこそ生かせていただいている。北極の氷が融けることで私たち人間に警告を発しているのだと思う。だったらせめて早寝早起きで対処するしかないのかなぁ?
2007.09.20
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9月16日付け地元紙の教育欄にこどもコーナーがあり、たまたま電磁波について書かれていましたので、そのまま引用させていただきます。 『照明器具、エアコン、冷蔵庫・・・。家電製品から出る「超低周波電磁波」が注目を集めている。世界保健機関(WHO)が6月、「子どもの白血病発病との関係を否定できない」として、世界中の国に超低周波対策を求めたからだ。 電気学会によると、電磁波とは、電気のある場所に発生する電界(電場)と、コードなど電気が流れる場所の周りに生じる磁界(磁場)がからみ合い、波のように伝わる現象をいう。 例えば、照明スタンド。コンセントにつなぐ前は電界も磁界もない。だが、プラグを差しこみ電圧がかかると、電界が生じる。スイッチを入れ電気を流すと、磁界も発生。この二つが電磁波となり、空間を伝わる。 電磁波は周波数(1秒間に起きる波の数)のちがいによって、病院で使われるエックス線、テレビはけい帯電話の電波、そして低周波などに分けられる。 電磁波にさらされずに暮らすことは、今の日本では難しそう。何から、どのくらい電磁波が出るのかは知っておきたい。住まいの情報を提供するリビングデザインセンターOZONE(おぞん・東京)で開さい中の「子どもと電磁波」展を訪ねた。 オーブントースターに電磁波の測定機を当ててみる。プラグを入れただけの状態で、0.3マイクロテスラ(テスラは磁界の強さを表す単位)。スイッチを入れ加熱すると、1.67マイクロステラ。アメリカなどの研究で「毎日のようにあびたら、白血病になる可能性が二倍以上に高まる」という0.4マイクロテスラを上回った。しかし、50センチはなれると0.01マイクロテスラ、1メートルで0.004マイクロテスラに激減した。 作動中の加しつ器でも測ってみる。すぐそばでは1.97マイクロテスラだが、50センチはなれると0.017マイクロテスラだった。 「電磁波は発生場所からはなれた分だけ少なくなることが、目に見えて分かるでしょう?」とOZONEの稲田智子さん。「電磁波を怖がるのではなく、付き合い方を工夫して。家電製品は1メートルはなれれば、ほぼ安全といわれる。近寄らないことが大切」と話す。 電磁波について研究している財団法人電気安全環境研究所(東京)の五十嵐豊さんは「電磁波が“ものすごく危険”とはいえない。気にしすぎる必要はないと思う」と話している。』 もし、目に見えたりしたら気持ち悪くて歩けないと思う。携帯電話の利用がまたたく間に増えてあっちでもこっちでも、昼休みなどは携帯メールのオンパレード。受動喫煙みたいに人の携帯のせいで白血病なんかになったらたまらない。 ただ、テレビなどは相当出ている気はする。本当は点けたくないのに、夫がテレビっ子だから点けないわけには行かない。一人のときはやはりCDにしようっと。。。テレビも大型化になって、広いリビングというのも必要不可欠になりそうな。目のためにもやはりテレビは。。。?
2007.09.19
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朝顔のツルはたてに伸びるとばかり思っていたら、地を這う形の朝顔というのがあるらしく、やはり姪の家の玄関先で見つけたもの。成長が遅れていて、いつ開花するのかと思っていたら、早くもアリたちが占領している。私ったら一体毎日何を見ていたんだろう。。。? 先日の花はどうやらシシトウの仲間のようです。私が蕾だとばかり思っていたのはどうやら実のようでした。色のついたトウガラシは実際目にしたことがあるのに、全く気がつかなかったなぁ。そりゃ、蕾が開かないわけだ。 お友だちにさせていただいた、『めだかちゃんフレンド2』さん、本当に有難うございました!
2007.09.18
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9月16日付け地元紙の教育欄に、理科の散歩道というコーナーがあって、今回のテーマは細胞の構造 小器官にそれぞれの役割とあり、小さな働き者たちに敬意を表して、そのまま引用させていただきます。 『理科の世界では、「一番小さな単位は」とよく考えます。化学では「分子」や「原子」が、物理学では「素粒子」が、生物学では「細胞」がそれにあたるでしょう。今回は、生命を営む最小単位の細胞について考えましょう。 まず、細胞を考える上で絶対に必要なのが、細胞の内側と外側を区別する境界線「細胞膜」です。細胞膜は、水以外は特定の物質しか通さない性質「選択的透過性」があって、細胞内外の物質の出入りを調整する重要な役目を果たします。次に忘れてはならないのが「核」です。例外があるものの、一つの細胞は必ず一つの核を持っています。核の中にはDNA(デオキシリボ核酸)が含まれていて、細胞の中心的な役割を担っています。 細胞には、これら以外にも多くの構造が存在します。二つに分ければ、生まれながらにして存在する「原形質」と、生命活動の過程で作られる「後形質」です。 原形質のうち核以外の構造は、「細胞質」といいます。細胞質は、形のある構造「細胞小器官」と、その周りを埋めている「細胞質気質」の二つに分かれます。 細胞小器官には、さまざまなものが存在し、役割分担して生命活動を維持しています。ミトコンドリアは、エネルギーを供給するパワープラントの役割をしています。リポゾームは、タンパク質を合成する工場です。タンパク質などの物質の輸送順路となる「小胞体」、不要になった物質の処理施設「リソソーム」、細胞の外に物質を運び出す「分泌」を担う「ゴルジ体」、細胞が増える細胞分裂に密接に関係する「中心体」などもあります。さらに、植物であれば光合成によってデンプンを製造する工場となる「葉緑体」もあります。植物が緑色に見えるのはこれが存在するためです。一方、細胞質が浮かんでいる液体の部分を細胞質基質と呼んでいて、酵素やタンパク質、アミノ酸、ブドウ糖などが溶け込んでいます。 後形質は、植物の細胞でよく発達します。例えば「細胞壁」や「液胞」がその例です。細胞壁は、植物の細胞膜の外側にあり、細胞を硬く丈夫にしています。植物は動物のような骨格がありません。樹木が力強く立ち、草花が風をしなやかに受け流すのは細胞壁のおかげなのです。液胞は、生活する中でできた老廃物などをためることで作られてきます。 ただ、生物は大変多様で、核やリポソーム以外の細胞小器官をほとんど持たない例外的な細胞も存在しています。 普通の顕微鏡では簡単に見ることが出来ない細胞の内部というミクロの世界。科学技術の発達がミクロの世界の謎をどんどん解明してくれます。 (県立八鹿高校 高田健吾)』 小さい小さい器官がこうして生物を支えてくれているんですねぇ。だから、生きているのじゃなく、生かされているんだ。と実感した次第。 ミクロの世界まで解明されているなら、やはり難病と呼ばれる病気などをとことん解明して、再発予防に役立てて欲しいし、薬などの開発にも生かして欲しい。
2007.09.18
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8月16日付け地元紙の読書欄に著者に聞くというコーナーがあって、安水 稔和さんが、内海 信之ー花と反戦の詩人について述べていらっしゃる。加えて『命慈しみ戦争批判』という副題がつけられている。新聞の記事をそのまま引用させていただきます。 『(「月光」より) 日露戦争のさなか、播州・龍野の山村から敢然と反戦をうたった詩人がいた。内海 信之(1884~1968年)である。内海とは何かと縁の深い詩人安水稔和さんがこのほど、今やワスレられつつあるその詩集を一冊にまとめた。 「龍野は母の古里。太平洋戦争末期には神戸空襲で焼け出され、内海が村長を務める村に疎開したことも。でもそんな親しみを超えて、内海信之という人をよく知ってもらいたかった。それは今の時代にも、きっと大きな意義がある」 好戦的な詩があふれた当時にも、反戦非戦を叫んだのは内海一人ではない。例えば、有名な与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」。ほかに社会主義や無政府主義から反戦を唱(とな)えた詩人もいた。本書ではそういう時代の場に戻し、内海作品を読み解いていく。 「晶子の詩はいわば厭戦(えんせん)詩。弟の生還を願う肉親の情から発している。逆に思想信条が前に出過ぎると、詩として読むにはつらい場合も。しかし書かれたものにはそれぞれ意味がある。特に戦争の詩は、現代の感覚だけで読むと見誤る」 内海の場合、「反戦の詩人」の前に「花と」がつく。反戦詩21編を書くとともに、花の詩138編を残した詩人でもあったからだ。本書はまた、21歳の内海が出版を目指してまとめながら、ついに生前は未刊に終わった詩集「雛鶏(ひなどり)」の全編も収録している。 「内海にとって花の詩と反戦の詩は同じ。花や雛鶏の命をいとおしむ人だからこそ、あの反戦詩が書けた。何者も殺してはいけない。だから戦争はいけない。そこから出た言葉は時代を超えて今の私たちにも届く」 「竹中郁」「小野十三郎」に続く詩伝シリーズの第三作。本書の執筆中には二度の入退院があり、そのたび書きたいことが増えて、5百ページ近い大作になった。 「次は竹中郁をもう一冊。同世代の詩人のことも書きたい。新しい詩集もそろそろ・・・。ともあれ物を書けるというのは嬉しいことですね」 (文化生活部・中松正子)(「内海信之ー花と反戦の詩人」は編集工房ノア刊、3990円。 やすみず・としかず 詩人。1931年神戸市生まれ。同市在住。「十年歌」「安水稔和全詩集」など著書多数。「神戸新聞文芸」詩壇選者。』 花や雛鶏の命をいとおしむ人だからこそ。。。の文字が一際私の心を打ったもので紹介させていただきました。人を殺して良いなんてこと、絶対あってはならないと思う。
2007.09.17
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どうやら心優しい姪の旦那様が購入されたらしいこの花の名前が何というのかまるでわからない。ご存知の方がいらっしゃったら教えてくださいな。ずうっと蕾と思われる形状のものが沢山で、いつ開花するのかと楽しみにしていて、今朝になってそおっと近づいてみたら、何と白い小さな花が咲いている! 姪たちが住んでいる玄関先はまるでミニガーデンよろしく綺麗な鉢が並んでいて目を楽しませてくれる。ただ、この花の名前を書いた紙が風で飛んでしまったらしい。なので名前を知っている家族は居ない。 購入した筈のご本人もそこまでは気にしていなかったとのこと。花と蕾を比べると、蕾からは想像出来ないくらい小さな花。一体、この花の名前は。。。? 花というと、今日は父には弟の奥さんに当たる方の三回忌。遺影前に飾られた花の綺麗なこと。 セレモニーホールだったから、葬儀も一つ。そして別の法要が一つがほぼ同時進行状態。その中で、綺麗なリンドウが一際目立っていたけど、葬儀の案内の下に飾られていたから携帯を近づけるわけにも行かず、目に焼き付けてきた。 台風の影響か、稲妻と雷鳴。お墓へ辿り着いたときは物凄い雷雨。なので結局墓前でのお参りは遠慮して解散。
2007.09.16
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雨上がりの後、雨脚の強さにも負けずに咲いていた薔薇に携帯を近づけたのは実は昨日だったけど、今日も変わらず力強く咲いていたのが嬉しかったもので。 直径は3センチぐらいだろうか。次々に目を楽しませてくれそうな蕾も発見♪ 近所を回っていたら、やはり綺麗な色の薔薇を発見。こちらは背が高いのに、こざっぱりと手入れされている気がして、お一人住まいのご夫人らしさが感じられた。 夏が終わり、そろそろ本格的に薔薇が楽しめる時期だったりするのかな? 一日、降ったりやんだりの雨がまた落ち始めた。台風の影響はどうなるんだろう?
2007.09.15
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13日付け地元紙の地域ニュース欄で、日本縦断途中、淡路を満喫なる見出しを見つけ、「海、山、峠・・・人がいい」のこの『人』の文字に見入ってしまったので、そのまま引用させていただきます。 『日本縦断の徒歩の旅を続けている札幌市中央区の画家飴谷等さんがこのほど、明石海峡を超え、淡路島入りした。北海道を出発して約4ヵ月。縦断後は旅先で出会った住民に描いてもらった絵を本にする予定で「ありのままの日本を知り、伝えることができれば」と意気込んでいる。(三宅晃貴) 徒歩で5月出発 出会った人の絵集め本に 飴谷さんは、2006年9月、児童擁護施設の壁画制作のためカンボジアを訪問。スラム街や農村で生きる住民の表情の明るさに驚いた。「深刻な環境で暮らす人たちは深刻な表情をしていると思いこんでいたが違った」と感じ、自分の生まれた日本をあらためて見つめ直そうと思い立った。 今年5月3日に北海道の宗谷岬を出発。日本海側を回り、沖縄までの約3300キロを11月上旬までかけて歩く。これまでにかかった宿泊費はは800円のみ。各地で出会った住民の家に泊めてもらったり、寝袋で野宿しながら歩みを進めている。 淡路島には今月6日に到着。旅先で知り合った人のつてをたどり、洲本市由良町由良の食品製造販売会社の二階に滞在。「島には山も海も峠もあるうえ、人もいい人ばっかり。とても気に入っています」というが「満喫しすぎて住民にまだ絵を描いてもらっていない」と苦笑する。 これまでの旅の中で描いてもらった絵は約180点で、昨日あった出来事から、目の前の風景、最近うれしかったことなど、テーマは十人十色。「故郷や国、近くにいる人との距離を再確認できるような絵本になれば」と話している。 縦断後は、有機栽培の食品を使った料理店運営などで環境問題に取り組んでいる札幌市内の会社「MOKU」と協力して、展覧会開催や絵本制作に取りかかる予定。』 こじんまりとまとめられている淡路島。目の前に広がる海、そして海岸まで迫る山。確かに海の季節が終わって少し寂しげな淡路島ですが、空気は最高なんです。是非おいでくださいまし。
2007.09.14
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この夏のしづかホールではお見かけしなかったと思ったら、入院していらっしゃったらしい。そんなこと、他界されてから聞いても。。。 午後からのシフトのときは午前中の早い時間(夫を送り出してから)を母の見舞いに使って、戻ったらたちまち洗濯。その合間にネットという時間割の私。今朝はアカウミガメのことを引用したくて新聞をめくっていたら、昨日付けの訃報欄に、大事な大事な先生のことが。あっけに取られ、父のときにわざわざお出でいただいているので、無視するわけにはいかない。父の同級生で、ずっと同窓会のお世話をしていらっしゃった先生。 第一回目の披露宴をした会場に大阪大学グリークラブのメンバーが集まり、コーラスをしている者が交流を兼ねて集まったことがあり、そこで先生と偶然出会い、先生をご自宅までお送りしてあげたその数日後に父が他界してしまった。 先生は私たち元夫婦の事情によく通じていらっしゃって、唯一私の見方になってくださった、私にはとってもとっても大事な方。 お宅へ伺い、お供え物の山の奥にひっそりと祭壇。遺影に向かうと涙があふれて止まらない。 女性では淡路島で初めてという校長先生まで勤め上げた先生。慕う人も本当に沢山だったと思う。葬儀がお住まいより西側にあるお寺で行われたため、ずっと東側に住む私は知る由も無かった。 心臓が浮かんでいる袋の部分に水がたまってのことだったとのこと。数日前まではお元気でいらっしゃったのに、本当に残念。 遺影の前で、「絶対に幸せになります!」と誓ってお別れしたら、何か吹っ切れた気がした。先生どうぞ安らかに、そして遺った者たちを見守ってください。。。
2007.09.13
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アルバイトを始めてからシフトに合わせてのお稽古になったので、9月になって今日が初めて。クジャクソウ、クロトン、白いピンポン菊(マム)を使って体芯Aの変形。クジャクソウを体・用に、クロトンを留に。中間添えにはピンポン菊。 最初は、クジャクソウとピンポン菊のどちらを体・用にするか迷ったけど、ピンポン菊の葉っぱが余りにも立派なのでクジャクソウを体・用に。花の向きなどを見ながら一番太い茎を体に、次に立派なのを用に。クロトンの一枚を少し下の部分を切り落として留に。もう一枚は根〆に。これは用より少し小さ目になるように下の部分を切り取る。 クジャクソウは私には初めて。綺麗な色で、蕾も一杯。丁度クジャクが羽を広げたような花のつけ方をしている。蕾が開いたら一体どういうことになるんだろう。 先生のところに行くと、ついつい愚痴が出てしまう。何もかも吐き出して入れた割りには綺麗に仕上がったらしい。そう言ってくださると嬉しい。 まだまだ残暑が厳しいかも。なので涼し気な感じの花を選んでくださった先生の心遣いが嬉しい。予算のこともあるだろうし、組み合わせのこともあるだろうし。。。
2007.09.12
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などというタイトルを見つけたのは今日づけ地元紙の総合欄。中教審部会の小学校英語は教科外などというタイトルの下で見つけてしまった。気象庁見通しの文字入りだけど、厳冬の可能性の文字も見える。そのまま引用させていただきます。 『気象庁は10日、世界的な異常気象をもたらすとされ今夏、日本列島の記録的猛暑の一因となった「ラニーニャ現象」が、年明け後も続く可能性が高いとする監視速報をまとめた。過去の統計では、ラニーニャが日本の秋の天候にもたらす影響は小さいが、冬まで続くと厳冬になることが多く、各地で積雪の過去最大を記録した2005~06年の記録的豪雪の一因とされる。 ラニーニャ現象は、太平洋赤道海域の暖かい海水が東風の貿易風で西に吹き寄せられ、東側の南米ペルー沖の海面水温が下がる。 フィリピン周辺海域では海面水温が上がり、対流活動が活発になって夏は太平洋高気圧の勢力を強める。一方、冬は日本上空に喚起を南下させやすくなり、冬型の気圧配置が多く現れるという。 8月はペルー沖の監視海域で、平均海面水温が基準値(過去30年の平均)を1.1度下回り、7月よりも0.9度低かった。』 実は昨日休憩室で、冬になったら。。。なんて話をしていたばかり。丘のてっぺんの駐車場は斜度が10%。雪が降れば転がり落ちそうな気配。怪我だけでは済みそうにない。頑張って簡保に入らなきゃ。って、それどころの話じゃなかったら困るなぁ。 野菜栽培農家には冬は寒く夏は暑くが当り前だけど、それを過ぎるとやはり影響が出てしまう。ほどほどに。でお願いしたいところ。
2007.09.11
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アクセスカウンターが“し・ん・ぶ・ん・し”になってると、何だか嬉しくなってしまう。キリ番とかの報告を受け付けているわけじゃないけど、こんな数字が並ぶのも嬉しい。私の場合、まあるい数字なんてなかなかだから、開いた途端こんな風になってると何か良いことがありそうな、そんな気がする。 台風が去って、風向きが北に変わった淡路島。エアコンも自由に使えないと言っていた母の病室。冬物のパジャマが欲しくなりそうな急激な変化に驚いてしまう。といっても私は相変わらず半袖Tシャツのまんま一人だけ汗をかいているけど。 流石に車のエアコンが必要でないのは、今日は曇りがちの空のせい?日が照ってるときと、曇り空の日がこんなにも気温が違うだなんて。もしかしたら砂漠化の一歩手前まで来てるのかなぁ。。。? 昼間は真夏並みで、夜は真冬並みだなんてこと、砂漠では当り前らしい。でも、この日本で、しかも温暖なはずの淡路島でそんなことになるのかなぁ。 と、楽しい話題にしようと思って始まった今日の日記なのに、ついつい自然の話になってしまった。何しろ農業は自然との闘いなわけで。レタスの苗の定植作業が雨のためはかどらないとこぼす声が聞こえてきそうなので。私自身はレタスの苗も触ったことがない困った農家の嫁ですが。
2007.09.10
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7日付日記で紹介した通り、堺フロイデ合唱団30周年記念演奏会がザ・シンフォニーホールで行われた。久しぶりのザ・シンフォニーホールにわくわくしながら会場へ。行きは高石市からの戻りルートだから話は簡単。南海電車新今宮駅で下りて環状線へと乗り継ぎ福島駅で下車。真っ直ぐ歩いて大きなホテルの手前を左折するだけ。元気な人は大阪駅からも歩いていらっしゃる。でも、私は高石市に居たのだからこんなルートで超簡単に行けてしまう。 先ずはW.A.モーツァルト・『戴冠ミサ』から。す、凄い!素晴らしい響き。座席は勿論下手の一番後ろ。二階席だったから眺望バツグン。まぁ表情までは私の視力では無理だけど、そんなことより響きの素晴らしさに圧倒されてしまった。決して大人数じゃないけど、男声コーラスグループが加わってバランスが良い。ソプラノに比べればアルトの方が多目なのはどこのアマチュアグループにもあることだからこればかりは仕方が無い。 プログラムに載っているメンバーを見ても私がわかるのは団長夫妻とソプラノ、アルトに一人ずつ、そして合唱指導の守屋先生、男声合唱団の竹家さんぐらいのものだけど。そりゃぁ、淡路島に戻ってからでさえ24年も経ってしまったんだから、メンバーに入れ替わりがあって当然の話。でも、ずうっと続けていらっしゃる人がいるからこんなに素晴らしい響きが保てるんだと思う。モーツァルトの『戴冠ミサ』を歌ったのは私には一度っきりだったけど、堺フロイデのメンバーだったら何度も経験済みだと思う。本当に素晴らしかったし、30年記念にぴったりの演奏だったと思う。 そして今度は私には初めてのF.プーランク・『Stabat Mater』休憩を挟んで女声陣は白いブラウスを黒に着替えて登場。この辺の演出にも驚かされた。『哀しみに沈める聖母は涙にむせびて』で始まるのだから。 『「スターバト・マーテル」は」13世紀に生まれたカトリック教会の聖歌のひとつで、その名は「Stabat Mater dolorosa 悲しみに沈める聖母はたたずみたまえり」という最初のことばに由来します。聖歌の詩の中でもとりわけ心を打つものの一つで、わが子イエス・キリストが傑刑となったその下で母マリアが受けた悲しみを歌う内容となっています。なお、プーランクの用いたテキストは、日本のカトリック教会で採用しているものと若干異なります。』とプログラムには記されている。そして、『キリストの肉体的苦痛と主の御母の苦悩という「スターバト・マーテル」の詩と弦楽の柔らかい響きに包まれて立ち上がっていくように感じれられます。』とあり、『1949年に30歳で死んだ画家で舞台装置家であったクリスチャン・ベラールの追憶として作曲されました。ベラールは死ぬまでパリの劇壇で非常に大きな地位を占め、彼の優れた友人の中には作曲家も多く、プーランクもそのひとりでした。』 本当に30周年にふさわしい演奏内容だったと思う。拍手が鳴り止まないのもわかる気がする。とっても素敵な時間を持つことが出来た。懐かしいメンバーにも是非お逢いしたかったけど、堺市民会館と違って、演奏者側で入ったことが無いホールなのでどこで待てば会えるのかも分からず、帰りの高速バスのことも気になったので退散することに。アンケートはちゃんと書いておいたからね!
2007.09.09
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母の妹が他界して丸二年。だから三回忌に当たる。母には二人の妹がいて、真ん中の妹が母より先に逝ってしまったことになる。農作業はいとわず、何かにつけてこの叔母には本当にお世話になった。母が整形外科へ入院したときも必ず排泄介助のお世話に来てくださった。 ご主人は大阪市立大学病院(天王寺区)に入院していたことがあり、私がお見舞いに行った折、叔母さんと意気投合して叔母には娘さん、私には従姉妹に当たる方の嫁ぎ先へお邪魔し、おまけに一泊させていただいたことがある。今日はその従姉妹とそんな話で盛り上がってしまった。その従姉妹自身は二人姉妹の姉を亡くしているので、叔母には娘を先に逝かせてしまったことになる。母は長姉だったのに、生まれた私たち兄妹は一番幼かったためいとこたちの中では私たち兄妹が一番若いことになる。 大阪市の当時は住吉区内の特定郵便局(=現大阪市住之江区)に就職が決まり、枚方市にある寮からでは通勤が大変と心配した母が勝手に、高石市に住む妹宅へ私を下宿させることに決めてしまった。たまたま散歩していた住吉公園で何と、この従姉妹は当時の局長夫人と偶然にもお逢いしていたというエピソードもある。 従姉妹にとってはもうご両親を亡くしてしまわれたことになる。20歳で大阪市は東住吉区に嫁がれたということも今日初めて話に出た。母などは結婚式にも列席しているだろうから、若い花嫁に感激かもしれない。 写真を見せて貰ったことはうっすら記憶にはあっても、彼女が20歳のときだっただなんて、自分に当てはめると驚いてしまう。私自身は郵便局の仕事に没頭していて、とても結婚なんて考えられなかったから。 懐かしい話に花が咲き、従姉妹は「さながら従姉妹会みたい、母が集めてくれたのね。」の言葉にしんみりしてしまう。それでもやはり懐かしい顔に会える機会というのはこんなことでもなければ実現しない。 法事ごとに付き物の引き出物。「組み付け」とか「茶の子」とか「果物」その一つに橋詰水産さんのちりめんじゃこが入っていた。これはもう大助かり♪大根卸しと一緒に食べても、また胡瓜と若布の酢の物に加えても♪ 海とは接していない三原地区から送迎バスに揺られて一路福良湾へ。鳴門みさき荘が今日の会場。橋の向こうは徳島県という鳴門海峡に面し、まるで大鳴門橋の袂という感じの場所にあり、部屋の窓からも橋が手に取るように見える。お料理の数々に満腹し、懐かしい話に大いに花が咲き、叔母さんのお陰で素敵な時間を持つことができた。
2007.09.08
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台風の行方が気になるところですが、皆様ののとこには被害はありませんでしたでしょうか。金曜日の夜は「楽しい方の」コーラスグループの練習があり、午後7時までのシフトを終え、夕食を摂ることもなく練習会場の駐車場でひと休み。いよいよ10月7日が本番とあり、練習にもかなり熱が入り、少々延長気味にて解散。なもので、翌日になってからのUPとなりましたが。。。と、間もなく叔母の三回忌の法要に出なければならず、本当に申し訳ありません。 さて、私が在阪時代に参加していた堺フロイデ合唱団から8月の終わりに案内状が届いた。9月9日午後5時開演。場所はザ・シンフォニーホール。そして、堺フロイデ合唱団30周年記念演奏会の文字。演目はプーランク Stabat Mater モーツァルト 戴冠ミサとある。案内状によると、 『堺フロイデ合唱団は、団創立30周年を迎えます。今回は、近世音楽を代表するモーツァルトと現代音楽を代表するプーランクの作品に取り組んでいます。2人の音楽家の感性の共通点と違いを表現できればと練習に頑張っています。ぜひ、お楽しみください。』 実は例の如く案内状を携帯で写したのをUPするつもりで敢えて7日付の日記に書いているのに、画像が届きません。なもので、9月9日、思いっきり楽しむことにします♪
2007.09.07
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入院中の母に頼まれて、毎月集金扱いになっている定期積み金を持って行って見つけた薔薇。画像はピンボケになってしまったけど、こんな蕾の感じが私は大好きだし、オレンジという珍しい色に目を惹かれて携帯を近づけてしまった。 窓口は午前9時からなのに、駐車場へは8時30分に着いてしまった。これでも母を見舞って後のことだから随分頑張ったもんだ。と自分を慰めてインターホンを押してみると、ちゃんと中へ入れてくださった。そして、長寿の祝い品として、私はてっきり飴だと思ったのに、包装紙には香ばしいと書かれている。どうやらおせんべいとかおかきの類らしい。記帳して貰った普通預金の通帳と一緒にまた母の元へUターン。結構走るもの。 ふと目をやると、大きな壺に入った薔薇の束。淡い色でとおっても綺麗だった。ただ、こんな素敵な薔薇を生けるのだったら無地の壺が良いのにな。紫陽花の柄入りじゃ、折角の紫陽花が負けちゃうよ。と黙ってまた携帯を近づけてみた。ただ、余りにも沢山の薔薇だったので、どの花に集中していたかわからず、切れてしまったのもありますが。。。やはり綺麗な花を観ると気持ちも晴れやかになるから不思議。 台風はどうやら関東直撃の様相を呈していますが、どうぞ皆様のところには被害などありませんよう。。。
2007.09.06
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8月31日付け地元紙の総合欄の隅っこでこんなタイトルを見つけましたので、そのまま引用させていただきます。 『パリの石畳では少数派だった自転車がめっきり増えた。公害対策としてパリ市が7月に導入した乗り捨て可能なレンタル自転車「ベリプ」が人気だ。観光客を含め、誰でも利用可能なベリプで通勤してみた。 市内約750ヵ所に「ベリプ駅」が設置され、我が家の近くにも自転車が並ぶ。クレジットカードを使い、まず登録手続き。一日だけの利用なら登録料は1ユーロ(約150円)。ベリプ駅に置かれた機械の登録画面はフランス語のほか英語も選択可能だ。登録用の暗証番号を設定する必要があるなど操作はやや複雑だが、それでも2分ほどで完了。出発だ。 ハンドル部分に「歩道は走らない」などの注意書き。自転車やバイクのように車道を走らなくてはならない。警察が自転車の違法運転取り締まりに乗り出したとの記事を最近、地元紙で読んだ。一方通行も守らねば。広い道路では、車が速度を緩めず脇をかすめていくし、交差点の横断は恐ろしい。狭い道では車の流れを妨げ、渋滞を招く。気にせずマイペースで進もう。ドライバーには迷惑だろうが、街から自家用車を締め出すのがパリ市の戦略なのだ。 車窓から見慣れたはずのパリの風景を再発見。30分以内の利用なら、登録料以外の料金は不要だ。雨が降れば最寄りのベリプ駅に乗り捨てればいいし、公害対策にも貢献できる。あとはヘルメットのレンタルがあれば言うことはない。(パリ共同=金子大)』 歩道を走ってはいけないとなると、路側帯をもう少し広げなければ淡路島ではとても同じようにはいかない。そこのけそこのけ車が通る。と言わんばかりだし、やはり自転車専用レーンじゃないと危なっかしくてしょうがない。でも、全市を挙げてこういう取り組みが始まったということは凄いと思う。 我が家の近くを、普通のバスより少し小さ目のローカル専用といったバスが走り出した。運転手と車両はバス会社に協力していただいて、市からの補助で賄っている。病院、大型スーパーなどへ行くにはとても便利。ところがやはり利用者が少ないために便数も増えない。だから便利なのかはたまた不便なのか。。。ほんの2~3分待ったら次の地下鉄が入って来る。という都会での生活に慣れた人にはもどかしくて仕方がないかも知れないけど、ルートが増えれば利用者だって増えそうな気がする。 第一、嫁に頼まなくったって、行きたいときに好きなように自分で行動できるんだもの。 ただ、自転車は。。。淡路島の場合、余りにも危険過ぎると思う。
2007.09.05
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@ひょうごなるタイトルは8月30日付け地元紙の総合欄。「@ひょうご」は、共同通信神戸市局長と時事通信神戸総局長が月代わりで執筆するコラムです。毎月最終の金曜日付に掲載します。とあり、なかなか興味深い記事でしたので、そのまま引用させていただきます。 『今年の夏休みは岐阜県で過ごした。合掌造りで有名な白川郷と日本の原風景を残す高山市。訪れた16日、同じ県内の多治見市で国内観測史上最高の40.9度を記録した。それぞれの歴史遺産にも感動したが、それ以上に、最高気温を記録した同じ日に、それを達成した現場の近くに自分がいることにも感動していた。ただ、あまりの暑さには参った。 飛騨高山の古い町並みの中を歩きながら、目に留まったのはコンビ二「ファミリーマート高山上二之町店」。歴史的景観に配慮したこげ茶のデザインが採用され、江戸時代の面影を残す周辺の伝統的建造物と溶け合っていた。近くにあった銀行も然(しか)り。建物自体が日本家屋風。古い町並みを壊さない工夫が凝らされていた。 一つの町(区域)の景観を一つのコンセプトで染め上げる試みはいろんなところで行われている。自分の目で確かめたのは鳥取県境港市の「水木しげるロード」。江戸時代の北前船の寄港地で、最近では北朝鮮船も出没するという境港には関心があったが、道路沿いに懐かしい妖怪たちが居並ぶ光景にはびっくりした。高山からの帰途立ち寄った伊勢神宮の内宮に続くおはらい町の郵便局もしっかり神社っぽかった。 神戸市も負けてはいない。江戸時代よりは新しいが、それでも旧居留地一帯や海岸通を歩くと、ひどく落ち着く。歴史的建造物もよく保存され、しかもそれが今に息づいている。歴史はそれ自体尊いものだが、重要なのは現代との関わりよう。白川郷のすばらしさは合掌造りの家の中で、今も昔通りの暮らしをしている人たちが現にいるということ。どの町にもその町なりの歴史がある。その歴史を今の暮らしに生かしていけば、地に足の着いた生活を営めるのではなかろうか。こんなことを考えたなつやすみだった。 時事通信神戸総局長 長澤孝昭』 神宮っぽい郵便局なんて珍しい。最近は駐在所なども景観を損なわない建物に変わってきている。親しみやすい、それでいて防犯には目を光らせているんだぞ。というような建物に。 記事に登場した『北前船』は淡路島にも大いに関わりがある。それにしても、淡路島からよくもまぁ、日本各地へと漕ぎ出したもの。本当に感心させられてしまう。その北前船を模った観潮船が大鳴門海峡大橋の下を行ったり来たりしている。 飛騨高山へ私自身が足を踏み入れて、一体何年になるだろう。あちらで観た春慶塗。そして何よりも驚いたことは、どこの公衆トイレも綺麗に磨き上げられていたこと。これには本当に感心させられたし、見習うべきだと思った。気持ちが良いからまた来ようと思いつつ、そのままになってしまっている。 個人の家では玄関先、そしてお手洗い。来客時には一番に気を使う部分だ。毎日毎日取り払わなければならない蜘蛛の巣と格闘しながら、今度は打ち水などすると気持ちがシャンとする。
2007.09.04
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8月31日付け地元紙の総合欄に解く 説く ニュースなるほどというコーナーで、ノンフィクション作家の柳田邦男氏が述べていらっしゃるのをそのまま引用させていただきます。 『ある日突然、自分が覆面をした無数の人々に襲撃されて取り囲まれ、いわれのない誹謗(ひぼう)・中傷の言葉を延々とエンドレスであびせられたら、どのような心理状態になるだろうか、なぜこのような目に遭わなければならないのか、一切わからないのだから、不気味だ。 大人でも子どもでもこのような状況におかれたら、恐怖で震え上がるだろう。だが、これは架空の話ではない。同じことが、ネット社会では日常的に起こっているのだ。 ネットの掲示板や「2チャンネル」学校版と呼ばれる「学校裏サイト」などへの書き込みによる誹謗・中傷は、プライバシーがからむため、被害者が事実を公にすることはまれだ。警察に訴えても、立件される例は一部にすぎない。ネットのプロバイダー(接続業者)や管理者はぬくぬくとして、アクセス数の増加で収益増を享受している。 新聞各紙のネットによる誹謗・中傷の記事を収拾して調べてみると、それだけでも、全国各地で小中高校の児童生徒が男女にかかわりなく、同級生などからネット掲示板などで、「死ね」「不登校になってしまえ」などと中傷されたり、裸の写真を公開されたりしている実態が浮かび上がってくる。何人かは周囲への恐怖心から、不登校になったり転校を余儀なくされている。アメリカでは13歳の少年が執拗(しつよう)なネットいじめで追いつめられ自殺した。 大人の社会でも企業内のネットいじめや、選挙戦でのネット中傷が生じている。 負の側面 ネット中傷が社会的に重視されないのは、第一には便利さに支配されているからだ。さらに被害者にとっては人間不信や自己嫌悪に陥り自殺を思うほど心の傷は深いのに対し、加害者側は面白半分で、自分の内面にある抑圧感情を発散するためだったり、全能感(支配欲)の幻想を満たすためだったりするという大きなずれに人々が気づかないためだ。 小中高生ぐらいから、匿名なら何をしてもいいという、対人関係のモラル意識の欠落した心を持つのは明らかに人格のゆがみであり、そういう子どもたちがやがて大人になり社会をつくるのだと思うと、慄然(りつぜん)とする。 ネットを推進している人々は、匿名ゆえに政治や権力・権威に対して自由な言論空間をつくれるし、日常においても本音で意見を述べあえるのだから、ネットの多様な可能性を抑制すべきでないと言う。 それはそれでもっともらしく聞こえるが、若者や子どもたちの人格形成をゆがめるほどの現実が新光している状況を前にして、議論の活気を失うような規制は避けるべきだなどと言っていられる場合はどうだろうか。 かつて九州の水俣市周辺で工場廃液中の有機水銀による水俣病患者が続出していた時、劇症患者が次々に悲惨な死に方をしていたにもかかわらず、政府は経済成長を止めるわけにはいかないと、汚染源のチッソに対し排水規制をしなかった。結果、膨大な数の被害者を出すことになった。経済発展や生産効率や便利さの追求の陰で起こる「負の側面」への対応がいかに重要であるかという教訓を忘れてはならない。 喫緊の課題 他者を傷つける情報を発信しても、責任を取られないでいられる。憲法でうたわれている「表現の自由」は、そこまで容認しているのか。そもそも憲法は、情報発信を無限に可能にした今日の情報革命を予想もできない時代に作られたものだ。「表現の自由」のあり方については、新たな視点で論議すべきだろう。 私は野放図に警察の介入を求めているのではない。ネット社会の「負の側面」について、国家規模の実態調査を急ぐことや、被害者救済の社会システムをつくること、加害者把握のためにプロバイダーにログ(通信記録)の保存を義務づけること、管理者に利用者情報について一定条件下で開示を義務づけること、学校・保護者・行政・警察が一体になって情報倫理や情報の真偽見極め能力の教育に取り組むことなど、喫緊の課題があることを指摘したいのだ。 やなぎだ・くにお 1936年栃木県生まれ。東大経済学部卒。NHK記者を経て作家活動に。災害、事故、科学、医療問題などをテーマに執筆。著書は「マッハの恐怖」など多数。』 線引きはかなり難しいと思う。「表現の自由」という一言に阻まれ、大変だと思う。でも陰で泣いている人の存在があるとすれば、これはもう「表現の自由」なんて言っている場合ではないと思う。
2007.09.04
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8月30日付け地元紙の総合欄に、読書は音読がいいのか黙読かなんて書いてあって、明治大学教授・斉藤孝さんはどうやら音読派のようで、そのまま引用させていただきます。 『-声に出して本を読めと「音読」を強く勧めていますね。そのわけは? 「音読と黙読では(理解する中身の)体へのしみ込み方が違う。たとえると黙読はバスでの遠足。バスは移動に楽で早いが、景色は目の前を飛んでいって、記憶に残らない。音読は徒歩遠足と同じ。一歩一歩踏みしめて行くので周りの風景はもちろん、空気のにおいまで感じ取り、後になってその時の様子が具体的によみがえる。それは読書の効用と同じだ」 -戦前の教育を受けた世代には音読主義に批判的な見方もある。 「これまで音読と言えば、ひたすら大きな声で読ませ、理解については“読書百遍意自(おの)ずから通ず”の寺子屋式だった。昔はそれで良かったかもしれないが、今の子どもには通じない。私は大学の講義以外に小学生対象の塾もやっていて、子どもたちと古文を読むことがある。そのときは、先に現代語訳で読んで意味を教え、頭の中にイメージをつくらせた上で、私が原文を区切りつつ読む。この際、読む調子を変えたり、抑揚を使って意味も伝えるように音読し、次に子どもたちに繰り返させる」 「これを私は完全復唱方式と呼んでいるが、能楽の謡のけいこと同じ。謡は先生と弟子が一対一になり、最初、先生が謡う短い文句を弟子が同じ節回しで謡う。そして復唱を少しずつ長くしていく。そうして弟子は上達していくわけで、私の完全復唱方式で子どもたちと夏目漱石の“坊ちゃん”ならたった一日5、6時間で読破できる」 -音読が身体に及ぼす効果についても力説されています。 「黙読は個人的な作業になってしまうが、みんなと音読すれば“共同の空間”を味わえる。声を発する身体運動によって体のリズムを他の人と共有できて、チームスポーツや、合唱を楽しむ気持ちと同じだと言える。本来、子どもは体を動かすのが好きだ。ところが、日常生活や学校で充分に体を動かせないでいる。そんな子どもの身体性の復活のためにも音読はいい」 「声を出す読書は脳の働きを活性化させ、記憶の定着力も強くなることが、川島隆太東北大教授らの研究で明らかになりつつある」 -音読は大人にも効果がある? 「大人でも音読すると脳が活性化し、呼吸が深くなる。高齢の方には、老化防止になるだけでなく、一種の健康法にもなる。一冊声を出し読破すると役者気分になり、良い気持ちになって本の世界に入りやすかった。著者の体に寄り添っていく感じがする。黙読は途中で気が散ることがある」 「作家の古井由吉さんは漱石の文章を音読してから書き始めると話しておられた。明治から戦前の昭和の作家の多くも気に入った文章を音読して自分の文章をチェックしていた」 「漢文調や美文調で書かれ、昔の人が名文とした文章を音読するのももちろんいいが、自分が実際に音読して、いいなあ、と思った文章が現代の名文であり、一回読んだだけで忘れない文章が名文だ。名文かどうかの判断も音読を重ねることで養われてくる」 「私も教育学の研究のため大量に本をこなしているので、黙読が情報処理に向いた読書法であることは認めるが、これは体にしみ込ませておきたいと思うときは何度も音読する。音読は時間がかかって能率的でないようでいて、急がば回れで、結局、音読して体に吸収し、記憶にとどめておいた方が役に立つ」 さいとう・たかし1960年、静岡県生まれ。東京大卒。著書に「身体感覚を取り戻す」「声に出して読みたい日本語」「読書力」など多数。』 音読なんだから目と耳で。ということになるだろうか。中学時代お世話になった英語の先生が、兎に角音読と暗誦に力を入れていらっしゃった。覚えこんだら中々抜けない。ふっと文節などを思い出したりする。 覚え方はそれぞれ色んなパターンがあっただろうが、やはり声に出して読むのが一番だった気がする。 人が居る場所では流石に音読などできないけど、一人のときなら声に出して読んでみるのも良いかも。 さて、皆さんはどちら派?
2007.09.03
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何と言っても、頑張っていらっしゃる人の話題は良いものだ。2日付地元紙の人欄で紹介されていたのは、広島カープで通算2000本安打を達成した前田智徳氏。そのまま引用させていただきます。 『相手投手を射すくめる鋭い眼光。寡黙な一匹おおかみは、周囲に迎合することを嫌い、ひたすら打撃の道を突き進む。ついたニックネームは「孤高の天才」「サムライ前田」。求道者のような雰囲気と、華麗なバットコントロールで、広島ファンの間ではカリスマ的な人気を誇る。 野球には一切妥協しない。プロとして「しっかりとした準備と強い意志が必要」だと言い切る。練習でも納得のいく打撃ができなければ、自分自身にいら立ち、怒る。度重なる故障で満足なプレーができず「周りの風当たりが強く、トラブルもあった」。だがそれ以上に「自分自身、もう野球をやめなきゃいけないだろ、周りに対して失礼だろ、と思ったりもした」 熊本工高時代は連日深夜まで竹バットで黙々とティー打撃を繰り返した。それもただ打つのではなくスタンスや角度を変え1球1球に明確な意図を持って。「彼は遠回りする人間じゃない。無駄な努力は切り捨てていく。勉強も限られた時間でポイントを抑えていた」と当時の野球部監督の瀬高啓介氏。徹底した合理性の追求が卓越した技術の源にあった。 プロ18年間「野球のことばっかり考えてきた。息つくひまなんてなかった」と笑う。派手な世界に身を置きながら「前田は浮ついたところがない」というのが周囲の評価だ。趣味と言えばゴルフくらい。ただその腕前はプロゴルファーが「ツアーで飯を食っていける」とうなるほど。家には英美夫人と2児。子煩悩な36歳。熊本県出身』 徹底した合理性の追求。。。このことは何か全ての事柄に通じているような気がする。無駄な努力は切り捨てていくこと、そして勉強も限られた時間でポイントを抑えること。このことが全てとは言わないけど、勉強だって、ただダラダラとやっていたのでは身につかない。彼風にやはりポイントを抑えることがとても大切で、そのポイントがどこなのか。見極められる能力も備わっていなければならないと思うから、並みの人ではないと実感させられる。 また、子煩悩でいらっしゃると読んでホッとさせられた。
2007.09.03
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アルバイトを始めて丸一ヵ月が過ぎ、間もなく二ヶ月目を迎えることになる。郵政民営化は既に決まっていることなのに、何故今更?と思いつつ、「電話での対応」という文字に惹かれて応募してしまった。 郵便配達業務は、「配達センター」担当ということになるので、対面配達である例えば書留や小包など、不在の場合は「郵便物お預かりのお知らせ」という葉書状になったのをお客様宅に置いてくることになったから、淡路島の場合、洲本局以外の配達局全てをコールセンターで一旦引き受けることになる。お客様には煩わしいことこの上ない。 しかも、電話を聞く方だって、「小包」と聞いて「では大包みというのはあるのでしょうか?」などと言う始末。郵貯・簡保専用窓口が利用出来る時間の問い合わせ電話に、先輩に教えていただかなければ答えられないなどということも。 採用の基準がどういう風になっていたのか私にはわからない。でも、「大包み」ってねぇ。まぁ、世間の常識と思っていた私がいけないのか、知らない人も居るんだ。ということに正直驚きを隠せないでいた。 これからは民間になるのだから、どんな質問にも答えられるよう。。。と上役はのたまう。 私が在職していたのは大阪市内の特定郵便局。無集配局だったから、集配業務のことなど、私には皆目わからない。でも、電報の扱いは普通局並みのことをやっていた。といっても、最近は郵便局にはレタックスという、受取人がお住まいの地区の配達担当局へFAXさえ送信すれば、受け取った局が台紙を用意して受取人に届けるという制度ができ、何時の頃か私には事情がわからないけど、元来郵便局で引き受けていた電報さえも受け付けなくなってしまったらしい。そういえば、郵便局の窓口脇に備えられていた公衆電話の姿さえ見かけなくなってしまった。電報や電話料金、公衆電話料金などは全て公社収入金として挙げていたのは本当に昔の話になってしまったらしい。なので、私自身耳馴染みのある“電報為替”これさえも死語と化してしまったようだ。郵便局が全て端末機によりオンラインで結ばれた成果によるものだろう。昔の話ばかりしていると、現役の若い職員さんに笑われてしまいそうだ。電報なんて触ったことも無い!って職員ばかりになってしまったから、当然和文通話表なんて聞いたことも無いんだろうなぁ。 どういう区分けをしていたのか私にはわからないけど、近畿郵政局管内の初等訓練は京都市伏見区にあった郵政研修所で行われていた。その昔は宇治市にあったらしい。もう、これが全く通じない。「研修所は京都?奈良?」もう、これで年代が分かれてしまう。寂しい限り。 郵政三事業に始まって電波行政まで牛耳っていた「郵政省」が姿を消し、「総務省」になってしまったんだものなぁ。無線局従事者免許証に添付された写真は桜の紋に郵政大臣と彫られた割り印がしてあって、本当に格調高いイメージがあったのに。 と、こんなことを言っていても始まらない。 コールセンターは3月に立ち上げられたばかりだし、私など特定郵便局出身だから、集配業務のことはまるでわからないから、先輩たちの言うがまま。迷いがあれば上席に質問するしかないらしい。まぁ、要するに、再配達の希望日を聞くだけなんだけど、転送不可の郵便物があったり、私には耳慣れない新しいサービスがあったりで、まだまだ勉強しなければいけないことは山積み状態。 でも、正直普通局の例えば郵便課の窓口を担当していて、貯金・保険のことまで覚えなきゃいけないとなると大変だろうなぁ。特定郵便局出身者ならわかっていて当り前のことなのに、普通局の場合は、何課、何課と完璧に分けられていたからなぁ。まぁ、コールセンターにかかる電話もどうやら再配達のことだけじゃなくなりそうな気配で。。。だったら経験者が断然有利な気がするけど、どうして「大包み」なんて言葉を平然と使ってしまう人を雇うのかなぁ。 同じ局舎にいても、窓口と郵便事業では全く違う会社ということになるから、電話連絡一つ取れなくなってしまう。なんてことが起きてしまい不便極まりない事態。どうして民営化になってしまったのかなぁ。お客様には不便をおかけするばかりなのに。。。
2007.09.02
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早くも9月2日目。流石に渡る風は秋そのものになってきつつはあるけれど、8月31日付け地元紙『正平調』に『「あんまり暑いのですずしくなるものを言い合いました」。ある小学校から届いた文集にこんな一文があった。「スイカ」「おばけ」「参観日のお母さん」。笑い過ぎて汗と涙が出た、と結ばれていた。』という文に思わず、納得?参観日のお母さんが涼しくなる対象とは。エッ?お洒落に着こなしていらっしゃるからいかにも涼しげってこと? さて、これも8月31日付地元紙からの引用になりますが、地域経済欄にインタビュー「私の観点」というコーナーがあり、特集・食と農林水産として、国産材住宅推進協会代表の北山康子さんが、山への無関心に危機感と述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『温暖化を加速する世界各地の森林伐採。自国の森を放置して地球の森林資源を使い続ける日本には冷たい目が向けられている。一刻も早い国産材の利用拡大が求められる状況にどう対応すればいいのか。特定非営利活動法人(NPO法人)国産材住宅推進協会代表の北山康子さんに聞いた。 -今の国産材利用はどうなっているか 「日本国内の木材の総使用量は年間一億立方メートル。このうち国産材は20%で、18%まで落ち込んだときに比べてわずかに増えた。中国などで木材需要が増加。原油高で外材価格が上昇し、日本のスギの方がやや安くなる事態になったことが大きい。木材を利用するさまざまなメーカーが国産に目を向けている」 -日本の山の状況は。 「“使わないことによる危機”がさらに進んでいる。需要増を受け、活発に伐採し始めたところもあるが、手付かずの山が大半。地震に弱く、保水力もないので大雨が降ると下流の市街地がすぐ水浸しになる。枯渇したダムが1日の雨で水量を回復することも山が保水力を喪失していることを示す異常な事態だ」 「水害や集中豪雨、温暖化との関連については盛んに言及されるのに、こうした山の荒廃にほとんど日本人の目が向けられないことに強い危機感を覚える」 -山への関心を高める方策は。 「まず山に入ってもらう。何十年も手入れされた森から自宅の建築に使う木を選ぶ経験をすると多くの人は身近な自然環境のことに関心を持つようになる。家の模型を作るなど家づくりの過程を楽しむ中で、日本の自然素材の良さを知り、暮らしと環境との関係を見つめ直すきっかけになる」 -家は環境を考える入り口。 「私たちは“街に森をつくろう”と呼び掛けている。木は二酸化炭素を吸収・固定してくれる。上流の木を切って下流に家を十軒建てれば街に1ヘクタールの森ができた計算になる。きった跡に若い木を育てると二酸化炭素の吸収量が増える上に災害にも強い森になる。運搬にエネルギーも必要な外国の木を使うことと大きな差があることに気づいてほしい」 (聞き手・辻本一好)』 私が子どものころは、お風呂にかまど。薪が欠かせないものだった。山で木を切り出すのは祖父と父の仕事、薪割りは兄がやっていた。割った薪を保管場所へ運ぶのは大抵私だった。冬場の仕事だったが結構汗をかいたりする。 持ち山はこうして保全されていたのだと思う。だから、籠一杯の松茸だって収穫できたのに、今や荒れ放題。どこが隣との境界なのかさえもわからない有様。役所へ行って地籍を見ないことには、一体誰の持ち山なのかなんて調べられないのじゃないかな。 保水力を保つことで水害が防げるならば、やはり上流の山に目を向けて昔からある山の保全に力を注ぐべきなんじゃないかなぁ。と、現金収入にばかり目を向けるからこういうことになっちゃうのかなぁ。昔はもっと共同で集落のための作業が行われていたはずなのにな。今じゃ、水利関係の作業だけなんだもんな。草刈とか水路の掃除とか。もうちょっと山へ入ろうよ。と、昨日ちょっと実家のお墓へ行って草を刈っただけなんだけど。
2007.09.02
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メガネとの付き合いは何年になるだろうか、やはりカラーテレビが出始めた頃の私の小学生時代に遡る。見え方にどうも疑問を感じてしまう。今では視力表の一番上=0.1の文字がぼやけて全く見えない。それでもカネコメガネさんであつらえたレンズならちゃんと運転だってできるし、手元の作業だって難なくこなせてしまうから、本当にあり難い。 遠近両用レンズを使う決心をしたのはかれこれ5年前。当時調理の仕事に携わっていたから、手元がどうも危なっかしくなってのこと。そして、その前は印刷屋さん勤務だったから、帳合の、罫線を見るのがとても煩わしく感じられるようになったこと。そろそろ怪しいかな?とは思いつつも、やはり“老眼”というのにはかなり抵抗があった。 私自身、店長さんと視力が似ているらしいことを発見したのは、義父が他界したまさにその日。病院でなきがらと対面し、涙があふれて止まらなかった私の大事なメガネのレンズが落ちてしまった。こうなってはもう運転はできない。予備のメガネなんか用意していなかったし、まさかこんなことになるとは思っていず、兎に角タクシーでメガネ屋さんへ。でも乱視が入っているレンズだからそう急には仕上がらない。そこで実験的にかけてみた店長さんのメガネ。何と!これが私の目にはピッタリなんですねぇ。こんなこともあるのですねぇ。メガネ無しでは車の運転さえできない私は、無理をお願いして店長さんのそのメガネをお借りすることに。 難なく義父の葬儀を終え、私専用のメガネが出来上がった連絡を受けてメガネ屋さんへ。違和感がまるでないという不思議さ。本当にこんなことってあるものなんだ。そして、5年前勧められた遠近両用レンズ。かなり小さ目のレンズなのに、ちゃんと車を運転するときも、本を読むときも、これ一つで使えるのだから本当に優れ物だと思う。 ずうっとメガネを利用しているので老眼なんてわからないし、こんなに小さいレンズが両用になっているとは誰も気付かないだろうなぁ。渦だって気にならない仕上げになっているし、本当にあり難い。やはり5年間も使ったからコーティングが剥げかかって、新しいのに替えることに。乱視の加減、近視の矯正具合を調節して頂いたのが、先週の金曜日。一週間後の昨日から使い始めたけど、全く違和感無し。本当に凄い技術だと思う。 店長さん曰く、私の目の見え具合が手に取るように分かるのだそうな。だから違和感を感じない二つ目の遠近両用レンズが出来てしまうわけだ。納得!
2007.09.01
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