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ここのところのニュースを観て、泰ば、大朝、森家家をめぐるニュースが頻繁に行われてますが、事の真相を他の方は、どう御覧になってるのでしょうか?この事については僕もかなり周りの人とは意見がわかれる感覚があるのですが、視点を変えると、あまりにも世の中の悲惨さ、人間の傲慢さの縮図と思える部分があり、痛み悲しみを感じずにいられないので、今回日記にしておこうと思います。とある著名な方は「夫婦生活に於いては、お互いの一番嫌部分を突きつけざるを得ない、お互い宜しくお願いしますという謙虚で真剣な姿勢が必要」と言っています。・・・全く、その通りだと僕は思います。そして、一説では世の中の大半の部分は、「嫉妬や束縛を愛と勘違いする部分から、男女関係はもつれるのが世の常」とも言われています。おやっと思う方もいるかも知れませんが、もう一つ「愛とは人を癒す物、決してそれで傷ついたり嫌な気持ちにはならない」という真理まで説かれてもいます。「そ、そんな馬鹿な~~!!」て思われた方もいるとは思いますが、誰もが今してる交際を本物の恋愛と思いたいし、いま好きな相手が世の中で唯一の存在であるかのように考えてしまうのが自然の成り行きなのです。ですが、世の中そんな「もれなく空くじ無し」になりうると思いますか?だとすれば、それでは愛のバーゲンセール・・・誰だって両親の純愛の証として産まれて来たと信じたい。でも愛はそんな高確率ではないようです。ですがそれには訳も救いもあります。これを一気に話せば長くなりますので文中でゆっくりと…最初に申し上げておきますが、僕はここ十年以上の間、家でテレビを観るのは多くて月に1~2回程度、批判的若しくは思想的な話題には興味はない方です。ですので多少細かな部分の情報の少なさや誤り等はご勘弁下さい。初め観たときには「なんて傲慢で病んだ女の人!こんな人現金と熨斗つけて、再婚でもらってくださいと言われても、もう絶対嫌なたちだな・・と」抽象的にとらえていましたが、ですがこのニュースは仕事中でも(汗)沢山目に入ります。なのでインターネットで検索してみたら、動画をはじめ色んな記事があることあること・・・・そうしたら、最初に観た見解とは、自分の間違い、大きく外した思い違いでもあることが分かりました。ほぼ一年前の動画にビックリしました。とても仲の良い夫婦であり、しかも泰ばさんがベタ惚れだったことが感じ取れます。長い(18年?20年?なるのかな)夫婦生活の間、泰ばさん一度も夫より先に、お風呂に入ったことが無い、どんなに帰りが遅くても起きて待っていたとのことでした。決して僕は亭主関白のみが良いと言ってる訳ではありませんが、ある意味、今の世の中に欠けている秩序のようにも思えます。ここで話はそれますが、何故男が先に入るのか、お分かりでしょうか?実は、その昔東洋には、人々を守るためのとても良い仕来りがありました。男が先に入浴するのは、炊いた直後のお湯は温度が高く肌に刺激が強いため、女性特に妊婦には、とても良くないのです。先に御飯を食べるのは、毒味とまでは行かなくとも食あたりを一番最初に起こす、とても危険な役目だったのです。(冷蔵庫ないだけでも、今考えればすごくない?)ここまで言えば男が先に歩くのは何故かお分かりかとも思います。昔の物騒な世の中、女が先に歩き見知らぬ建物に入ったら、一体どんなめにあうか…考えただけでも非常にゾッとしますよね。そもそもレディーファーストとは西洋貴族の男が、上手いことおだてて、女性を束縛するための罠だったそうです。それを女性にとって単純に都合が良い面で、世界中に間違ったとらえ方が浸透した事実は、何とも軽率な話です。「そんなの昔の話でしょ!!今に出すのは大げさよ」と思った方もいるでしょう。ですが、10年くらい前だったか、新婚旅行の夫婦がタクシーをひろったときの事、男がレディーファーストを気取って、女の人を先に乗せたら、そのままタクシーと思ってた車に連れ去られたという悲惨な事件があったそうです。このことからちゃんと先を見通し現代、いやこの後の未来まで、世の中を完全網羅した賢明な考えであったことが分かるとも思えます。そして面白いのはこの風習が、使用する男性側が思慮深くなく、人格が低くとも(つまり大いばりでも)立派に役目を果たすことです。話はそれましたが、泰ばさんが夫の帰りを朝までも待っていたと言うことは、長期間この仕来りの意味を取りちがったための、体や心への負担が在ったことは一つの事実とも言えます。というのも一つ一つは何でもなさそうでも、これから言いますが、彼女はニュース等で見えるだけでも、まとめれば大きな自己破壊の要因を抱え込んでしまってる事になるのです。そして当事者でない分、憶測でもって、批判的な意見を言うようで申し訳無いのですが、たまたま自分の読んだ記事を利害関係を元に総合してみると、ハメ絵やパズルの要素は強いものの、非常に悲惨な一筋の、しかも冷静に考えても、つじつまの合う見解にたどり着きます。それは大朝という人間の野望であり、したたかで醜い人間の一面、それを取り巻く血縁関係の軽薄さでした。大朝は当時、あの世界のホープ、落語会を背負って立つ人間と言われていた。だから本人が森家家から縁談が来るのは計算の内…(その時の彼の思考「森家の娘さえもらえば落語会は俺の天下」)そして、泰ばにいいだけ自分を売り込み、優しくしたあげく「あの、誰かいないかな?」(そろそろ結婚をほのめかす雰囲気で)と聞いたところ、泰ばは思わす「わ、私」と自分を指さしたそう・・・(この辺から何とも大朝の思うつぼといった雰囲気です。)そこから交際が始まったそうです。そしてこの後、森家家の思惑を逆手にとった、大朝のしたたかさを持って完全に達成されたといえる出来事がありました。ある日、泰ばが「お母さんが話がしたいっていうの」と大朝を家に呼ぶと、母が「どうするの」と脅し紛れに責め立て、一言二言の会話で「結婚」というと、下の座敷では待ちかまえた身内と、御馳走が用意してあり大宴会と成ったそうです。ですがこれ、泰ばさんも一人の女として人生がかかってる事であり、落語会のホープとの結婚は、会社の重役と社長令嬢との縁談以上の一大事、下心がなかったとは言い切れません。何故なら前の日記にも書きましたが、一説では「如何なる人間も下心が無ければ、騙されることはない。」といわれ詐欺師ですらそれがないと、もうお手上げだそうです。あとからの拗れのという結果を考えると、原因結果の法則的な関係が成り立っていると言えるでしょうね。つまり彼女は身内と自分の心の歪みから、手良く大朝に着け寄られ、心に大きなダメージを背負ったことに成りうるのです。そして・・・大朝の野望とは裏腹に(これも因果?)出世するのは直系の森家家の息子達、タダでさえ姉妹で嫉妬心が強くて有名な森家家の嫁は、散々森谷家に恩を売った後の今の自分にとっては邪魔な存在になった。(これは本人もこういう噂があると自分から弁明していました。聞かれもしないのに・・・・)そして彼にとっては大落語家の父のいない今ですし、弟たちとの関係さえ踏み外さなければ、自分は離婚しても出世の道から外れないという緻密な計算の元に、芸を教えるそぶりをしたり、それなり面倒をみる(恩)ポーズだけは欠かさない様子です。したたかな彼にとって、プライドが高くベタ惚れの泰ばさんに離婚を仕向けることは、この長期間だからいとも簡単だったといえる。彼は尊敬心のあまり夫を「師匠」と呼んでしまう妻をそのままにしていたそうで、泰ばさんも修復出来なかった事実からも、妻の心細さそして※恐れをはらんだ尊敬心や、その原因とも言える夫の家庭に対する無関心の事実、相手に対する軽蔑心、道具意識ともいえる薄情さが覗える。(※恐れとは失う事に対する潜在的な恐怖感です。)今日のニュースでは泰ばさんの、血糖値のせいで角砂糖を食べながら会見する様子や、スピーチの途中倒れ込む様子が放映されていました。コメントに精神科医らしき先生も解説していましたが「否定しているが相手への興味の在る証拠云々・・」と言われていました。これらを補足するならば、未練がなければ再三(100を超える)の嫌がらせメールをする必要が無く、確信を突かれば必死に弁明するのが人間の心理であり、「私は落語家、森家の娘」と幾度も言ってる部分に彼女のプライドが覗えますが、これが重荷となりどれだけ彼女自身を苦しめていたことか・・(これも要因)以前の日記にも書きましたが、いくら本人が嫌がらせしても相手が受け付けない限り、自分に返ってくるかのように、どんどん心に食い込んできます。言わば古代からある「呪い返しの原理」そのものです。大朝に「死ね死ね」ねと連続したメールを送っていたそうですが、当然あいてにしないでしょうね本人は・・・彼女は今、病む人の要因を沢山背負っているし、その様は悪意の固まり・・・ですがそれは、元を正せば純心で、ベタ惚れとも言える愛の、転じたものだけに根深く危険な転身と言える。家族はそれを「娘は変わり果てて・・申し訳ありません」と謝罪しました。ですがそれとて何て無責任なのでしょう、親ならば身を削ってでも娘の崩壊を止めるべきな場面ではないのでしょうか!!余談ですが、今の親は利己的な都合や保身が多すぎて、子供が真っ直ぐ育たないと言われています。親の削った分が子供の一部になるなら、何が勿体ないか?それがないと子供はかたわかもしれません。ですが全員、目が笑ってないと言われる森家家の家族だけに、世間体の方を優先して保身的になってることでしょう・・・ですがこれ以上止めないとマスコミの栄養源にされては、逆に彼女が一族の犠牲者になるのも明白です。冒頭で愛について少し書きました。ですが、決して人間ですもの、歪むこと未熟なことが悪いことではありませんし、普通は人生の学びにもなることでしょう。そして歪んだとしても子供がその夫婦の助け船、家族愛は本物と言えます。それが土壇場で殆どを帳尻合わせというか調和させている摂理ともいえます。ですが親の子供への愛情の純粋さ故に、いつしか人はアカの他人に依存して、過大な愛情への期待をついついもってしまう生き物だともいいます・・・・。ですが、彼女の今日の映像を観る限り、メガネの奥の瞳はもはや生気を失っていました。可哀そうに彼女は今、傷つき病んでいても、それでも無意識でも中にいる本来の自分が、落語会の腐敗と、世の中の夫婦・家族関係の崩壊を身を犠牲にして訴えるという、産まれた時からのなんらかの宿命でもあったのでしょうか?いま彼女は心身に大きなダメージを負い衰弱し、健康状態が下って行ってるのは明白なことです。僕は彼女が入院は当然、最悪は廃人もしくは、彼女が自ら命を絶ってしまわないかどうかにも思え、心配でなりません。どうか、彼女を悪戯に叩かないで欲しい、無理してプライドを張らずに入院して休んで欲しい。家族に無理矢理にでも、そうさせてほしい。出来るなら旅に出て、そこで休んで欲しい・・・・。お願いだから逃げて欲しい。これらは先に言った諸々の因果関係、本人の状態からとても難しく、延滞してしまう可能性が大きいのです。曲がりなりにも愛故のショックと嫉妬誰の心の中にもあり、誰でもそう成りうること、誰でも犯しそうな間違いなのです。皆さんも心の目で、悪鬼と化す前の本来の、一人間としての一人の女としての彼女をみてあげてください。どうか失敗は皆さんの人間としての愛情で許してあげてください。(彼女にもうわかったって伝えたい)結果の出る前に言わせてもらいましたが、僕は結果論は嫌いですし今の率直な気持ちこそ、日記に書くべきだと思いました。事態が好転することを願います・・・・。
October 30, 2008
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ある写真集の表紙から、とある人の事を思い出すに至りました。 何ですがこの人、目元のメークが特徴的で、見方によっては中東などの、国を超えた完璧な美人では無いかとも思えます。僕は年に数回しかTV見ない生活を10年も続けてきてるので、他の写真は幾つか見た物の表現のしかたが悪いかも知れませんが、他は癖のない梅宮アンナちゃん風?にも見えましたね。続いてこの写真、僕の手による思い出のShot・・・ なんて事無い肖像写真、ですが独立前、僕がとある会社の雇われカメラマンとして撮した物の一枚です。何となく目元のメークとか全体に受ける雰囲気が似てると思います。しかし、日本人ウケをねらった僕の撮り方で少し本人とはかけ離れるのですが、上の表紙とこの実物が似ていると申しましょうか・・・・それで思い出したのです。合成があまりにもシンプルですが、彼女に宣材の出来をお知らせするためのサンプルに真心加えて即席で作りました。特にこの頃、僕には拘りが有りました。オールドアメリカ的写真・・・人によっても変えますがライティングは固めに50年代以前の映画女優のような物・・+日本人にとって、見易いもの?そんな感じで他の人は顎の下にハッキリと影の出る様な、ライティングだったりします。そもそもフォトグラファーたるもの特徴が無ければ、スグに飽きられる世界でも有りまして、この人に任せれば、大体こういう安定した仕上がり、尚かつそれなりのクセのような物が求められるのです。一般の方には、良くお分かりに成らないかとも思いますが現在のポートレイトの中心は鼻の上にうっすら影の出来るような下からの光がメインと成ってきてるのです。ですがそれは、種明かしすれば日本人の顔のフォオルムを打ち消して、メークで上手く描くような・・・所謂ごまかしも有るのです。ところが立体的フォルムの美しい、欧州からきた人たちには、僕的にあまりにも勿体ないので、古典的スポットライティングも取り入れたりした訳です。ですが、それはかな~り美人向きであるのも確か・・・僕も長くやってるウチに海外のオーディション人口は激増する一方で、それに伴うレベル低下といいますか、やはり万民向きのライティングが必然と成ってきたので、今現在はその半々くらいに納めているのが実状です。ですが、いまだ現像関係から「こんな写真未だに、とってる人がいたのに驚きました」との声も・・・現像関係には結構カメラマン出身の人が多いのです。ですが、僕は独立した以上、自分の線を頑として曲げないつもりでいます。又、仕事の写真に作風どうこう言う人いますが、言ってみれば、それは趣味か作品の話です。しかし、ビジネスにも以上の理由から、決まり事の中にも若干の味付けや、個性は関係有という事です。実は、このシリーズで僕は、ウン百人撮ってまして、独立直後なんか特に、僕の生活の主になってた存在なので、個人的にかなり比重が大きいのです。ネットで千人展なんかやったら、みな飽きるかなぁ?でも、その前にネガ・ポジスキャンで大変な事に成ると思いますが・・・それより、本人に喜ばれ、クライアントに喜ばれ、老若男女問わず大衆に分かりやすく、尚かつその中で、自分のオリジナルが出来れば、作り手としての一番の幸福であると僕は考えます。写真とは保存期間の長いもので、贅沢にも出来ることなら、本人の家族も喜んで頂けたら・・っと・・話は戻って、写真の彼女はモデルさんではありません、ダンサーそれもスンゴイきわ物の部類の・・・僕は当時とある会社で、彼女たちに日本語を教えるプチ講師、兼カメラマン兼・・その他色々寮の見回りから店舗まわり雑用果てまで、何でもやってたメチャクチャな時代です。彼女お父様が地黒の方でそのせいか、スンゴイ体してましてね。イツもツンとすました雰囲気が一種恐くて、とても近寄りがたいのです。だから、あの合成のテーマですが、シンメトリーの中にすまして近寄りがたい彼女(右カラー)と内面はこの後で話す”もう一人の彼女”(左白黒)で陰陽共存の表現だと何とかして伝えれば、きっと彼女は喜ぶと思ったのでありました。当時の彼女、おきまりの普段着は冬だとナイキのベレー帽に真っ白のアディダスのダウンジャケット、その下にはヒョウ柄かゼブラのレオタードなんです。こんなの普通じゃそうそう着れませんよね。想像して浮かぶのは、国内旅行団体の年配のご婦人くらいではないでしょうか・・・(汗) ですが、彼女半分黒いせいでそれが、とっても自然にしかも、カッコ良く似合うんです。そして話してみると、これが又意外!とても可愛い声で冗談がとても好き、そしてココがポイント!何となく苦労人感じさせるような、温かさがあるのです。彼女らはビザの関係から半年ごとの来日と成るのですが、仲良しだった僕にそのたび「デンワ・チョウダイ」って言い残して行きます。それがとても面白い関係の始まりで独立後も続いてました。彼女は賢くお友達の話では、6カ国くらいの会話ができるそうで、結構冗談なら日本語もイケます。時々仕事の合間に電話して雑談しますが、彼女人を笑わす天才でイツも笑いっぱにさせられる僕でした。スパンは短いと「何デ・マタ・デンワーーー」って怒りますが長いと逆に催促の電話が来ることが不思議なんですが・・・ある日なんて彼女開口一発「Jun!!何デ・デンワナーーーイ(怒)」でこちらも冗談ぽく彼女の片言口調まねして・・僕「貴女にはぁ~良いニュース・オンリー・プレゼントと僕は思っていたぁ~でも、それがぁ~なかなか出来なかったぁ~でも、今日とっても良いニュースありまぁ~す。だから今になってしまったぁ~~」そしたら・・彼女「Jun~(涙)ワタシ・バカ・今、本当・ウレシィ~~~~!」って涙混じりの笑いで答えます。なんと良い人なんでしょうねぇ・・・この辺り、僕が苦労人っぽい魅力を感じる理由です。大概そんな会話の後、決まってお互いの近況を話し合い、最後はイツも彼女が励ましてくれます。そんな素敵な関係でした。ある日彼女は、それこそ賢い人だから、本国で芸能関係の事業を開くので、上手くいったらもう日本に来ないかも知れないと、僕に話しました。その頃からお互い気を使って連絡が少なくなり始めました。そして、色んな事があり気付くと、かなりの年月がたっていました・・・・そして、実はこの写真彼女に届かなかったんです。スロヴァキアにある彼女のプロダクションのパンフは僕に特別依頼した写真を数枚使っていますので、お友達に渡せば良いと思って急いだ物の、残念な事に彼女の元には届きませんでした。余談ですが、こんな行き違いは多々あるのが、この方面の人たちとの取引です。Give&Take意外ではあまりスムーズに事は運びません・・・・僕の体験した一発屋、海外関連との取引の鉄則かもしれません。それにしても、今頃どうしてるのでしょうか、思えばあれほど癒して笑わせてくれる女性は珍しかった。仕事どうこうの拘りがなかったら、一女性として見るべきだったのだろうか?・・なんてジレンマもありましたが、(いやいや、信用第一)当時そんな人たちとの、馬鹿話や世間話の連絡も、間接的に営業になり、僕のトコ訪ねて来る人も多かったくらいで・・なんか思えば最初の頃そんな、人々にかなり助けられてたっけ・・・・・・って、実は今日写真のアップもあるので、電話してみたんです。そしたら、彼女健在、しかも子供と一緒でした・・なんとも嬉しいような、う~ん、ちと年月感じて寂しいような複雑さを含む心境でした。最後に「ゲ・ン・キ・デ・・・・」って言った彼女の声が何とも温かく、そして悲しげに響いてました・・・・な~んか胸がいっぱいの僕であります。同時に、こんなトコにも応援してくれた人の存在を思い出し、それを胸にしまいつつ頑張らなければいか~ん、っと思う僕でありました。
April 2, 2006
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ことわっておきますが、この度は今までに無い四部作から成る長文です・・・。←ってタダ単に書ききれなかった・・・どんな人でも、その人生に何度かは救いの手が降りてきているそうです。ですが、残念な事にあと一歩というところで、それを掴めずに貴重な人生を過ごしてしまうのが、大半の人なのだそうです。もしも、そんな物が来てくれたら・・・救世主はイツになったら自分の前に現れるのだろう・・・多かれ少なかれ、誰しも心の片隅に、そんな思いを抱いた経験は、あるはずです。一説では、才能の無い人など、この世に一人もいないと言います。大概はその人自体が、乗っかる秤を間違ってるか、もしくは、その人を取り巻く世の中が間違った物差しで計っているのが世の中の常だそうです。又、一方では自分は本当は何がしたいか、心が何を欲しているのか、それすら解らずに終わるのが、残念ですが、九割以上の人生だとも、言われています。人の心とは脆く、折角志しても、他人による劣等感等からの、マイナス的な意見に引きずられ一発で崩れる事だってあるのです。僕もこれまでの人生、救いの手には大いに期待せざるを得ない状況に何度も陥りましたが、今生きている、この状況を考えると、救いの手ととってとれない事もありませんが、しかし僕の信じる救いの手とは、一見地味でもとても大きな力と愛を持った存在です。そして、それは実に人々の心の中に、すでに存在しているのかも知れないのです。おやっと思うかも知れませんが、救いの手と言っても、なにも全面的な援助やバックアップが決してその全てでは無いのです。むしろ、それを都合良く、全面的期待する心に、反作用が現実の現象として起こる危険性だってあるのです。後一歩という人には、何をしてやれば良いかをじっくり考えると、一人のほんの少しの助力でも、第三者の経験や視点からくる助言が、大変大きな力を発揮する時だってあるのです。その理由は、不憫にも全く自分の存在とは、自分では見えないものだからです。その為僕は自分の周りにもし、もう一人の自分がいて第三者として冷静に見てくれたら、どれだけ助かっていただろう。という願望のような物にいつも駆られます。その為にただ黙って見てないでなにをしたらよいか・・・・そこで自分の選んだ道は、そういう人物に自分自体が成ることでした。そんな出来事が、僕の人生には幾度かあり、その都度僕は葛藤はありましたが、取り敢えずは迷わずその道を進みました。それらはささやかでは有りますが、ハッキリとした奇跡を僕に見せてくれて、とても勇気づけ、ある部分での心の傷を埋めてくれ、そして、心に平安をもたらしてくれました。本題に入らせて頂く前に是非、話しておきたい大切な事があります。それは、紹介しておきたい人間、実は僕には同時に巡り会った、二人の師がいるのです。一人は撮影の師、もう一人は商売の師です。二人は共に六スタの出身で、かの有名なS大先生の助手をしてました。本人は過去の自慢話をあまりしませんが、僕を励ますためにある人が教えてくれました。撮影の師MはファストアシスタントでありG○R○の表紙やパ○コのポスターは彼の手によるものだったと・・・親の死去により家業を一時継ぐ前は大変可愛がられ有望だったと・・僕はMアシのそのあと、M後輩の商売の師Sに引き抜かれ二十代前半でフォトスタジオの店長を経験しました。言ってみれば、この二人が心の中で助けてくれ、そしてイツも居る故、現在地道に頑張っていられる訳でもあります。未だ撮影しても師匠Mの注意の掛け声が耳の奥から聞こえたり、商売で何かを決める時などは師匠Sの声が聞こえて、あっと思って急に直したりすることも有るのです。不思議です、それだけでは有りませんが、そういう存在を師と呼ぶのでは・・そう言うのが代々続くのも継承と呼ぶのでは・・・っと思うことが良くあります。両師匠は対照的で、M師匠は純粋な写真家のようなお人、先生家業をずっとしておりました。一方、S師匠は六スタのあと、数々営業を経験しその後M師匠と共同経営者になり、その後僕をひっさげて独立した人間です。いかに才能や技術があっても、フォトグラファーとして生き延びるには、花で腹は・・とでも申しましょうか、営業という物は全く不可欠なものです。オープンしたスタジオも一様、一企業として中小企業連合会などから良く経営者セミナーなどの誘いは来る物の、Sは何故か一度も出たことがありません。その代わり僕を出すんです。ある日理由を聞いてみると「俺が”やること”を差し置いて、商売敵の集まりに出ることが、なんの意味があるんだ。それよりお前は若いから、経験と勉強が必要だと思って出しているんだ。」との事。事実、オープンしたばかりの店はそんな余裕の経済状態ではなかった。そんな中で僕を出しててくれいたことに今も深く感謝してます。若輩の僕にとってセミナー等はとても為になる勉強でした。でも、それ以上に気になることがあったのです。Sの言う”やること”です。普通店舗と言えば、セミナーでなくとも、どんな本にもその柱と成る部分は立地条件、客層、集客法に料金設定、云々と記してあるのが普通ですが、これは詳しくは申し上げられませんが、師匠Sはその前に立つ理論があったのです。極々簡単にだけ言えば、まず、その土地とその人間関係及び流通経路の研究からはいり、要に社会人的な心理をも良くとらえています。言ってみれば決まり切ったセオリーはその後で・・・の様な感覚でした。当時Sは世間から見てフォトスタジオにはあまり力が入っていない風にも見えましたが、今の自分と同年代なのに個人的に土地などの資産やビルを持って経営するなど大変な事業家でした。そんな事に対する尊敬心ともに僕が気になったのは、その全くどんな土地でも通用しそうなS理論でした。しかし、いま考えても両師匠の考え方は、あまりにも対立していて、屈折した部分を兼ね備える諸刃の剣とも思える部分があり、必ずその交わる部分というかアベレージの延長ようなものが存在するとある時期から僕は思うようになりました。きっと何かがある・・恐縮ですが、偉そうに言わせてもらえれば(師匠お許しを~~汗)”J理論”です。こんな事を考えると、と言うか、いつも思い出すのが、我が後輩W太のことです。それは約6年程前ですか、独立して未だ間もない頃の僕を訪ねて彼から電話が来ました。かれは僕がS師の引き抜きを誤魔化すために送り込まれた(良いのかな言って・・時効時効!)ビデオ撮影会社の名オペレーターでした。そこの経営者がまた強力で彼は悩み抜き、酒豪と化していた部分があり、僕が良き相談者的な部分と若くやんちゃな二人はとにかくウマが合いました。高校の5つ下の後輩だそうで。彼は異常にノリの良い男でした。僕はひとに「この世界最終的に生き残るのはノリの良い奴、背伸びして大人ぶった奴はみ~んなおさらば」って言う事がちょくちょくあるのですが、これは事実、特に写真撮影は専門学校を出たところで十年後1割しか生き残れない世界なのです。僕にとって、自分以外の生き残り代表選手が彼です。彼はイツも高速編集によるサブリミナル効果や寝不足等で吐き気と闘うほどの激務でした。おまけに低賃金でその交渉など影で入れ知恵して成功させていたのが僕・・・・全く仕事に愛情がないとやってけないのと、やはり冗談やノリの良さが無いと・・って部分非常に大きいのです。余談ですが対照的なのが仕事上のからみで面識を持つことになった、AV撮影隊でした。言葉の上では冗談飛び交っているのですが、目が笑っていません。それはまるで、かの有名な、○家こ○”平さん一家の様に僕の目には映りました・・・・高級外車で迎に行き、帰りは電車解散なんてよく言われるとこ・・・それはさて置き彼は当時、数百万借金して、それでもやっと中古機材を集め独立を計ったが、土方しながら妻子2人の家族を養っているとの事でした。スコップを持っていると携帯電話が鳴って、葬式の撮影予約がはいる・・内緒で休んで行くの連続で困ってしまったと泣きが入ってました。もともと、僕が「いつまでも燻っていちゃいかんな俺たち」って独立そそのかしたのは僕だった。その事を彼がベロベロに酔っ払いながら嘆く様に僕も心を打たれました。やはり信じて付いてくる後輩は可愛い物です。「ところで名刺とか持ってるのかぁ?」って僕が聞くと、彼はハッとして「い、いえ持ってません・・・」ななな、なんて可愛い奴でしょう(笑)・・・この日から電話やファックスによる作戦会議が連日の如く繰り返されました。名刺の作り方、営業先でどのような話題を持って行ったらよいか?全く1からみたいな部分から始まりました。「もう、ここまで来たら何とかホテルの担当者には何でも良い、子供と酒の話題でも世間話とかとにかくしてこい、とにかく顔出せ」などどいうな指示にも従順に彼は従ってくれました。元々彼は編集技術を得意とし、商売に関しては恐ろしいくらいに経営者のテクニックを吸収していましたので、なにか一歩の踏み込みか助力があればって・・・つくづく感じました。ある日、僕は以前彼と一緒に、独立に関して協力する企業がないかチェックしていた事を思い出しました。居ました居ましたぁ!僕らのインタビューに快く応じ脈有りな人物が・・・そしてその街の構造上可能性大と思われる企業が・・すぐさま僕は「その街ならあそこへ行け」って彼に言いました。その辺り若干、S理論応用編ですか、それが大ヒットでした。かれは幸運にも大部分の結婚式場に入っている贈答品会社の中にワンセクション別会社を作ってもらい、そこの専務兼任となりコンスタントに仕事を得る事に成功したのです。これには何とも嬉しかった・・・・・。しかも、彼の良いところは、それに止まらなかった。かれは元々アルバイト出身だから人の使い方も上手だった。それから約一年ちょいで学生中心だがアルバイトの数は十人まで増えました。そして、その若く有望な功績を買われローカルのテレビ局の下請けにも成りました。もう、大丈夫って感じ、そしてこの時の彼の報告に僕は喩えようのない心の平安と希望に包まれました。後輩W太は連日ベロベロに酔って電話してくる物だから、僕もかなり寝不足するくらいでしたが、全然ヒマな時期だったので助かりました。彼は言いました「Junさんさぞかし繁盛してるんでしょう」僕は「いいや、全然良いトコまで上ってもガタンと崩れるんで、みんな不思議がってるよ」・・・・かれは又、こう言ってくれます。「Junさんなら絶対今にやる。絶対いける」って・・のぼりかけては崩れる僕の仕事。これには実力やおつむの弱さ意外に、根本的な深い原因があると思われる部分も存在します。僕が寝不足しながらでも、後輩に一生懸命になれる理由は可愛さと、他にも冒頭に述べたとおり色々ありますが、こうなるに至った大きな原因がありました。それは、今を去ること8年以上前、自分にとって重大な出来事がありました・・・。僕が独立を始めた切っ掛け、実にそれは人々に祝福されるような華やかな出来事では有りませんでした。ある女性の企てた罪を全面的にかぶって、僕は勤めていたある会社を去りました。その後その人とすぐに結婚しました。その時は彼女の将来や夢を潰したくない一心やら、その身内を悲しませたくない気持ちもありましたが、僕は親を亡くし身内が少なくなった事もあって、その辺自分の事は捨てばちっぽくも考えていたりもした、複雑な心境でした。しかし、それより後で反省すべき尾を引きずる様な点はそこから沢山生まれました。一カメラマンとして、あまりにも理不尽な使われ方に、嫌気がさしていたのも事実です。それを正義感に絡めてしまった様な一種の逃げの様な罪悪感がのこりました。逃避・・・これは後からもじっくり自分の中で研究したいと思います。然し、それ以上に・・・・・その弐へ続く・・・・
March 19, 2006
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それよりも、一番重大な過失は、やむを得ない状況ではありましたが、お礼に彼女は僕の独立の為の資金の一部(いや、殆ど全部に近い)を出してくれたのです。それは当時ろくな機材を持っていなかったので、その設備にあたる物から数ヶ月分の運転資金までもカバーし、当時まだ半分学生だった僕はそっちにまでお金を回すくらいのものでした・・・。彼女だって、そんな大金払ったら偉い傷手でしょうから、それは儲かったら返そうとは思ってました。しかし、何か事業やった事がおありの方なら分かるかも知れませんが、そんなお金は準備段階にあっという間に消えてしまいます。その後からが本当の独立と言った方が良いくらいなのです。その状況を把握するや否や、金の切れ目とでも言いましょうか、彼女は冷静に去って行きました。大好きな曲の一つHard To Say I'm Sorryは今日も心に深くしみます・・・。ずっと後から、聞きましたが彼女は、その後電撃的な恋の洗礼を受け、何を血迷ったのか、なんと今アメリカで主婦しているそうな・・・あの時僕は何もしなければ・・・って思っても、それが人生、良いことも悪いことも無ければ、その後には続かない物ですよね。それはそれとして・・・・・僕は独立の以前からイツしか統計を重んじるように成りました。J理論及びJ理念の世界では”予期せぬ収入を持った計画は、イツしか崩れる”のです。これは如何なる統計を調べても同じだそうです。一番良い例は二代目が家を潰すと良く世間一般に知られてること、資本金でさえコツコツと都合したり貯めたりした人は、そこへ行き着くまでに、それを有効に運用できる実力を備えます。そうでない人は実力どころか、その経緯によっては罪悪感まで背負ってしまいます。以前、日記に書きましたが、罪悪感は潜在意識に浸透し無意識に人間の計画を破壊する方向に導きます。因みに、僕の父も二代目で商売をたたんだ口ですので、その辺り僕の心には比重がとても大きいのです。僕が生きて行くため、最低限写真を続けたいのであれば、人生の何処かで、その落とし前をつけなければ成らない事に成ります。僕は考え抜いた末、一つの思案にたどり着きました。前の日記に書いた自己宣言です。その中には人々の利益にならない事を一切しない事への誓いと、それより重大な部分は過去の自分に会いその彼を全面的にバックアップすると言うことを織り込んだのです。これは前にも述べたとおりテクニック的な部分もありますが、これで、その何かを精算したいと深く意識にたたき込んだつもりでした。予定ではその本番は2014年前後となっていますが・・・それに後にも先にも述べますが、全面的じゃいけないかも知れないのを・・後の部分で示しますが、この部分実はうかつなのです・・・。W太に一生懸命なれたのも、そんな意識が背景が有ったせいが大きいでしょうね。運転資金を使い果たした後も7年も写真一本で繋いできた僕ですが、やはり彼女に返したいのと、もしかしたら幸せに出来るんじゃ無いかという、ささやかな思い、そんな意識の葛藤するなかW太に加勢するに至りました。それらが駄目でも社会に貢献すること・・・それが僕の収入。直接見返りを求めない・・それでも、収入は社会から還元される。J理論のなかではそうなっているのです。その証拠とも言うべき出来事がW太の吉報のあとスグに起こりました。独立以来の経験、たった一匹である我が企業の月の売り上げが一気に100越えしました。周りの先輩方驚いてた。世間には珍しく無いかもしれませんが、その利益率ほぼ撮影と原稿料です。・・・ですが、周りから見て今までの苦労が一気に飛ぼうとしたのもつかの間、あの時はハッキリ言って入院しようかと思いました。寝るヒマがなかった。翌月はもはや抜け殻のような僕でありました。(なさけね~~涙)結局、極端にもその年300ちょいで終わったと言う笑える話でございます。ただ良い経験はしました。そんな醍醐味があるから、精神的に辛いことも乗り越えれる様になりました。そこからいろいろ考える節が生まれました。一匹はきついがコンスタントに月100なら、辛抱すればアシの2人は養える。営業と実務分担して男二人食っていく事も可能、そうすれば尚更効率が良い、体の負担も減る・・・っといろいろ思案はふくらみます。それにまつわる構想も・・ってなかなか仕事が楽しく思えるようになりました。これがW太の恩恵だったと思います。事実それがなかったら、どっか途中で諦めていたかもしれません。いや、きっとそう・・・その後僕は幸運にも先輩は経営コンサルを始めた為、ヒマなときはその事務所番しながら、溜まった経理の打ち込み等を手伝い。そこから発生する色々な撮影をもらえることに成りました。色々勉強にもなり、そこで一時安定した日々を過ごせました。ですが、それもつかの間、後程書きたいとは思いますが、仲間割れから、そこが潰れる事に・・・事務所番により動きは悪くなりましたが、半分はそこからの仕事、半分はこれまで通りの自分の仕事と、その辺が上手くいってた時でしたから、ハッキリ言って今後どうなるか微妙な時でした。頑張らなければ乗り切れない時期です。そんな時、ある人物に出会いました。それは遠い過去に置き去りにしてきた自分、卑屈だった少年時代を思い出させるような人でした。いや、それ以上に重傷と言うべき人物でした。当時、田畑の真ん中でプレパブ小屋を借りて商売を営んで3年目のこれもW太と同じ5つ下の女性です。そうなるに至った経緯を聞いてみると、彼女は優秀な営業社員だった。男性社員よりも成績が良かったが、ストレスでからだの組織が破壊され、歩くことも出来なくなり、2年も入院していたとか・・・今現在の医学では原因究明出来ず、根治しないかも知れない病気にかかったそうです。それで、その後生きるために足腰に負担のかからない商売を始めたとか・・・でも、それは僕には一目瞭然なにが原因か分かりました。その頃の僕は経営コンサルの先輩から女性社員の競争心をあおる使い方、など様々な事を勉強した後でしたから、彼女の性格では会社の犠牲にとても成りやすい事。そして、彼女は劣等感や恐怖心が非常に強く、正直言って自己の原因から全て人生の悪循環を招いた人でした。怒り憎しみ嫉妬、劣等感・・彼女はまるで地獄、餓鬼、畜生、修羅と言われる宗教上の六道輪廻のなかに生きる人物と僕の目には映りました。何とも心が痛みました。僕は何とか立ち直らせたいと、そこからまたW太の時と同じ色々なやり取りが始まりました。けども前回とはちがうきつい山になるのは覚悟でした・・・・。その参へ続く・・・
March 19, 2006
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聞けば彼女は色々な分野で活躍してきて、僕よりもずっと経験は多才だった。その経歴を全て結んでやる様な商売はないかと、アイデアをいっぱい出しました。僕はデザイン仕事とかしてましたから、彼女の広告等も作ってあげ、勿論僕の写真も提供しました。イメージアップ作戦かなり成功しました。また、彼女の業界は未だ発展途上で、僕が頭を悩ませている写真と比べたら驚くべき単純な構造をしてました。彼女の進むべき道筋はハッキリと見えて来ました・・・。それは、僕も写真という拘りが無かったら、それに気付くなりスグにでも参入したくなるくらいの業界でした。僕は彼女に自分がしていた通りノートを用意させ、日々僕の言ったアイデアや彼女の気付いたことを全て書き込むようにさせました。彼女を業界のコンテストに参加させ、どんどん成績を上げさせました。自分でも驚いたのは昔の店長経験はあまりにも初心者でしたが、いまその後の独立後までの長い時間の間に、先輩のご指導から、色んな苦労の経験が、彼女の疑問や質問、直面している問題などすぐさま解決する自分がそこにいました。何度無く商売上の罠から先回りして救うことに成功しました。「Junさんの言うとおりにぃ~」って吉報の連続が嬉しかったです。我が師はちゃんと僕を育てていたの事実をここでハッキリと実感しました。ここで、おやっと思うかもしれませんが、優秀な彼女が何故それに気づけないのか?そう、思った方もいるかも知れませんね。でも、それは冒頭で言ったように、自分自身の姿とは自分には見えない物、何かを志した人間、独立した人間等はみなそれに悩んで居るのです。今現在の僕も、勿論そうです。彼女に行った事を自分自身にたいしては出来る物ではないのです。そのまっただ中に居る人は必ず人は誰かの助力、協力が必要なのです。同時に僕はその前の仲間割れ事件から、精神的に考えや目標の合致した仲間を捜し求めている部分が強くありました。その為に自分がそういう人間に成らなければ、そんな仲間は見つからないような、そんな信念が僕にはあります。そして、気になる体の方ですが、僕が二十年も続けているストレッチをみっちり教えました。教えるのにイツも公園に連れて行きました。まるで、犬の散歩か子供でも連れて行くように(失礼かな・・)そして、以前日記に書いたように母が怪我から僕を救ってくれたように、ずっと彼女に必ず治る事を言い続けました。それは昭和一桁のおやじ風の「病は気から」じゃ無いけれど色々な事、四六時中言い続けました。そこから一年過ぎたある日彼女は目の前で走り出しました・・・しかも、僕より長く・・元々スポーツやってたから立ち直りも見事だったのかも知れません。あの時は泣きたいくらい嬉しかったけど・・・そこは★イッテツ(今の時代みんな分かるだろうか?)になってしっかりこらえました・・・馬鹿かな自分は?服装もヘアスタイルも、それまでは小学生風というかアメ横的な彼女を有る程度年相応に明るめの物を選ばせ、貫禄をつけてもあげました。かえってそれが若く見え色んな人から綺麗になったって評判が聞こえるように成りました。そして彼女は見開くととても綺麗な目をしていたのですが、茶色い瞳のコンプレックスから糸の様に三白眼?とでもいうか変な習慣が幼いときから有りましたが、それこそ僕はフォトグラファーですから真っ先に治させました。性格面では彼女は冷笑持ち・・・(後で日記に記したいのですが人をあざける様な笑いの持ち主です。)その部分の矯正が効いてとても良い感じを醸し出す人になりました。ホント出会う前と今とでは別人です。それだけでも、かなりお客さんが増えました。同じ物を買うのなら、よい雰囲気のする人から、自然と人は物を買ものなのです。そう言えば途中で半信半疑の彼女も気合いを入れ直す様な事件がありました。僕と彼女の将来へ向けた計画は、不言実行故、内緒というのが大原則だったのですが、彼女はそんなの軽んじてペラペラ人に話してしまうのでした。それは十も年下の子供のような後輩にまで喋るほどでした。何か良いことがあると自分をよく見せたい一心で「私には良きビジネスパートナーが出来たのぉあんたも私の様に頑張ってればきっと成れるわよー」みたいになってるんです。僕は厳しく戒めました。他へ重要な情報を漏らすことは先回りや妨害の危険性大だと言うのが僕の原則です。それにノイズとも言うべき反対意見も・・彼女は性格でそれがなかなか難しいひとでした。ですが、彼女のお身内がそのうち飲食店を開くことになりました。その身内の方もこれがまた全く同じ性格で、僕が励ますために言ったこと、彼女が性格で持論の様に語る・・ここまではまだ許せた・・しかし、その身内の方も世間に商売の裏側ぜーんぶ公開!これには参った・・・そしたらどんどん噂になり先回りされ・・三月ほどで経費がかさんで商売たたむことになったちゃった・・残念だがどうしようも出来なかった。口は災いの元これも僕にとって大切な要素です。虚実は無いが押さえるべき部分ははしっかり押さえ口を噤む、これも僕の中の鉄則です。彼女は反省し今ではしっかり口を噤むようになれました。同時にそのあたりから本気度が増したと思います。でも、ここまでは文章にすると短いけど(ここの基準から行くと長いけど)スムーズに行われた事では有りません。僕はそれこそ偉そうにも病は気から見たいな部分人にはいっぱい言ってきたけど・・いざこれだけ重傷な人となると、自分もかなりの影響を余儀なくされるくらいの物はありました。それまではリストカットだ何だは甘ったるい。「根性あんなら自分のように飛び降りて入院してみろ」などとクレイジーな事言ってた口ですが、いざそう言う人が立ち直ろうとする場合、かなり逆上ギレしたり酷い状態に付き合わなくてはなりません。イツも喧嘩・・・仕事中も職場から電話やらメールがぎっしりでしたが、僕がそこから離れられなく成るくらいずっとぐれっぱなしの彼女に泣かされるハメに・・・。これは勤めてる人との重要な違い・・引きこもっては仕事が入ってこなくなるのです。でも、僕は必死でした病気など絶対に立ち直れると信じてますし、今まで打ち立てた理論の証明、それらを彼女に託してしまってる部分ものずごく大きく必死でした。彼女が仕事や健康と共に立ち上がらなかったら、自分も駄目だという位の真剣さでかかってましたから、それまでの苦労かと腹をくくり、足りない部分は借金してでもって、ついついカードで生活費までまかなう様に成ってしまいました。女性という物は一筋縄ではいかない物で、残念なことに、彼女の曇った目には、僕の被写体はいかがわしい関係にある女にしか写らなかった。彼女はどちらかと言えばクリエイティブな方面の出身だし今現在もなんだけど・・・写真に対する感想はあえて語った事がなく、現実めいた女の好みの話とかそんな角度からしかとらえなかった。つまり、劣等感や嫉妬心ですが、これは今考えても重大な破壊的要素です。僕は時が来て彼女が落ち着き理解してくれる物だと考え、その線を一時お休みにせざるを得なかったと言いますか、深夜のお酒の誘いも、重要な活動の一種になってる生活でしたが、それも一時断ち切った状態が続きました。ついでに、PC内も監視されていたので、このHPかも注目させないなめ、一時封印せざるを得なかった。ここまでしなくてもって思えるかも知れませんが、彼女は自分の細胞まで破壊してしまうひとです。細心の注意というか慎重に成らざるを得なかったのです。理解を深めるためと元気をつけるため撮影にも同行させたが効果なし、普通アシ代、請求書に入れれるトコしかいけないけど、ずぶの素人だから無料で連れてってました。彼女にはギリギリまでそれらを語らなかった。一緒に事業すると約束したし・・でも、それでも駄目だった。僕はとうとう今まで7年も一本でやってきた写真を最近、ある時期から副業と化してしまうことに成りました。それは会社勤めの方には極一部の方しか分からないかも知れませんが、実際僕らが営業に行って通らなければ成らない関門があります。それは先方で「普段なにやってんの?」って上から下まで見るように聞かれます。そこで、「一本です。ですから、イツでもお受け出来ますので是非宜しくお願いします。」みたいな姿勢がないと、まずまともな仕事では相手にされない部分が有るのです。また、アルバイトでも始めよう物なら営業のチャンスも・・・守れなかったのは残念ですが、信念に従った事を後悔する訳には行きません。彼女は反省してくれたのか、それとも何らかの危機感を持ったのか、そのころから、よりいっそう本気度が増したと思います。やがて、彼女は従業員5人まで増えました。そして生徒もそれにともない増え・・ある時からプレパブ小屋から二階建ての駐車場付きに引っ越す事が出来ました。今、は上の階が学校で下が店舗・・そして多方面に従業員が出張するという展開ぶりです。これも、今までの経歴を全部繋げば最初から可能だったと僕にだけは見えてました。そしてこれも、隠していたけど嬉し泣きしました。だって、ここまで一年数ヶ月で来たんですから・・・だか、ここから思わぬ悪い展開となったのでした・・・そして、段々、仕事も減ってきます。それは唯一の生きがいや、生きる目的が減るのと同じです。それに輪をかけて、言動行動と共に彼女に感化され(彼女は逆に好転したのですが)僕は段々別人の様になる自分を感じずには居られませんでした。かなり、曇りが発生したとでも申しますか・・・ある日彼女に言われた事、普段全然気にしなかったのに、これは時期的に強力だった。「あの写真を撮った人とは思えない」って・・・彼女の嫉妬心や劣等感の強力な逆襲のように思えました。それから事あるごとに様子がおかしくなってきた・・二人で定めた目標や決め事が、段々と変わってくるのです。彼女に店舗が手に入ってから僕は「次はもう一店舗目標ができたな。頑張って作ろうぜ」っていったら「ええ~~」って感じに成ってました。元々これには続きがあり、僕にとっては始まったばかりなのに、彼女は小規模で利益を上げることに夢中になってしまった。つまり、成長を止めに入ったのでした・・・そして、前から気になってましたが、しきりと自分を経営者とか言うのに執着する傾向が目立ってきました。それは自己啓発も入ってるのだと思いましたが、やれ「人の見る目が変わった」とか、そんな話題が多く成ってきました。僕が二十代前半で表向き経営の様な形態をとって店長に成った頃、周りでは早くも同級生らから成功者あつかいみたいな物を経験しましたが、今考えるとそれは、とんでも無いだたの雇われ人なのに・・・たとえ頭張ったところで、呼び名が何だろうが役割分担、彼女は性格上、またまた有頂天になって止めることが出来なくなって来ました。これらは僕はそこで写真を撮るために、先輩の店舗に長年預かってた道具を二人で下げに行ったやさきの出来事でた・・・。その肆へ続く・・・
March 19, 2006
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やがて、彼女は僕に対して聞くときも、あくまでブレーンの一人に伺うようなそんな態度がありありと分かるように成ってきました。「だって皆がこう言うんだもん」という計画変更に対する言い訳が目立つ様になってきました。ここでもう一つ、他の人間の意見に振り回され”信念を失う”事。それ自体が人の人生を退転させる原因です。それは最初勤めた撮影会社の女社長を思い出す動きなのでスグにわかりました。これは悪い表現かも知れませんが、僕の経験上では女性の経営者に多い特徴です。(男性には出来ないので)そして、当時本人も自慢げに女性経営者は徳だといつも言っていました。自分に知識や経験が足りない場合、周りの色々な人を無償でとにかく利用しようとします。でも、それは僕にいわせれば諸刃の剣なのです。その社長駒の進め方、計画性とも尊敬すべき点はいっぱい有ったものの、一つ未だに腑に落ちない点がそこです。その社長前の日記で書きましたが、そして公にはしませんが、年間6,000万程自由に使えるお金が有ったもかかわらず。良いところまで上ったのに最後の方は議員さんと地回りを含む○○団さんにすっかり食い物にされてました。こんな落とし穴が人生有るんです。そこで、もう一つ自分の信念に基づく理論にしたがって彼女に戒めました。「まず、物事の正確な判断をする為、必要な知識の大まかな基礎だけは自分で勉強しなさい。そこからはみ出た分は専門的な人に正当な報酬を払った上で依頼しなさい。」ところがもう、彼女はすっかり聞く耳を失っていた。僕の言葉の効力も失い欠けるほど弱っていた。不思議な物で彼女の肉体と似たような症状が僕にも出かけていて、病院に行こうと思い始めていたころでした。そこまで、彼女の気を吸収したというか・・なんというか感化ですかね。僕はいけないと思いながらも彼女を立ち上げる為、幾つかは師の教えそのものを使ってしまった。これは自分の弟子を育てるためなら師匠も許してくれるでしょうが、一つ重大な過失に僕は気付きました。それもまた冒頭の部分にもどります。資本金はそこに行き着くまでに、人はその有効な運用を出来る実力がつくと僕は言いました。でも、知識や経験はどうでしょう。商売してる人はお分かりかとも思いますが、これとて立派な資産です。その部分の乱用はその人の確実な実力という訳では無いのです。つまり、アドバイスによってその人の知識に組み込まれ、あたかも実力に成ったかの様に見えても、その場しのぎの問題も多く、結果として逆境に強いような応用が利くかどうかは、厳密には別問題かも知れないのです。ましてやテンションの下がり切った僕から無理矢理、絞り出した知識などどうかとも思えます。彼女、いくらなおそうとしても、治らないのがその、もたついた喋り方でした。でも、ある日それも同時期に気付きました。携帯の途中で店の電話が・・・なんと!ハキハキして魅力的な話かたじゃないですか?僕はビックリしました。普段口べたな僕も、彼女がそういう喋り方すると僕は将来を案じてついつい、語り過ぎてしまう癖があり、下手すると仕事そっちのけみたいな日々が続いていたのですが、どうやら彼女にその辺はしてやられましたよ。僕がさぞかし打ちでの小槌に見えていたのでしょうが、それ自体が、今言ったように”諸刃の剣”なのです。その辺は僕の過ちでもあるので、とても彼女が可哀想にも思えます。こんな事を把握して僕も考え直す時が来ました。それに女の人の気持ちが離れて行く時って僕らくらいの年代の男性には凄く分かるものでは無いかとも思えます。彼女の様なOL上がりの人間には師弟関係は理解できないと思いますが、僕はある意味これが彼女の巣立ちの時期と判断しました。僕とて喧嘩、飛び出しの連続人生、でも今は師と仲良しですが・・そして、どんな師も実際にはその半分しか教えることは出来ないという事実があります。後は自分なんです。物に成るかどうかは本人次第。それは、自分で歩んで初めて把握出来ることです。でも、少々では倒れないくらいの物を彼女には与え続けたという自信があります。そこで、彼女に御願いしました。今までの経緯を話し、もう僕を解放し僕への質問は控えてくれるよう・・・。正確な答えはもらえませんでしたが、彼女は分かってくれたようで、その日以来僕を解放してくれました・・・・・・・。話は少し離れ僕にはここ数年の中で弟子と言える人間が何人か出来ました。ここで紹介したいのが弟子Kです。Kはお客さんでも尊敬すべき先輩でも有ります。会社などの役職から行けば会長!複数の会社やチェーン店の頂点に立つ人物です。しかも弟子Kはそれを一代で創り上げたそうです。この辺の話は周りにお世話に成った人間がいっぱい居るので、その辺から聞いた事実です。最盛期にはかの有名な勝○太郎さんも直立不動のビッシリ気を付け状態になる程の人物だったそうな・・・けど、僕にはその辺しっかり何も語らず、ただただ友達状態で接してくれる。しかも紳士で礼儀正しく、もし、写真を教えてなかったら、とても恐れ多い感じですが、でも弟子Kは気さくな人でイツも嘘のような安値で仕事依頼してきます。他の人だったら憤慨して断るところですが、Kの頼みは笑って受けてしまいます。でも、六本木とかに比較的大きな看板有ったりするとフォトグラファーとしては気持ちの良いものです。弟子Kはそのあたりを考慮にいれてるものと思っています。もともと写真好きで上手だったらしいのですが、やはり決して本には書いていないこの世界がありまして、金に物言わせては機材買い集めモデルも連れてきて屋外で撮る、アルバム制作くらい僕の手数料にした付き合いです。でも、困ったことに弟子Kは練習が嫌いです・・・その内、屋内撮影と飲み会を企画してますが、多忙な方ですので結構後になるかなと・・・最近、弟子Kは一本でやれない僕を根強く助けてくれてる人の一人でもありますが、一本二本など拘らず「あっ、そうだったっけ」くらいの全くの気さくな方です。そんな弟子Kもカメラマンとしての名乗りを上げるようになったのか、ある日の事、料理の撮影が舞い込んできましたが、すっかり怖じ気づいて僕メの出動要請がありました。いらないと言いましたが付き添い料くらい払うと言いました。ですが、何故か事情があるのかKは無料なのです。プロという物はお金を取るのも一つの礼儀、これが僕のモットーでも有ります・・・でも、行ってみるとその全ての理由が分かりました。居ました居ましたここにも昔、僕の勤めた女社長!今度は顔もそっくりです・・・(笑)大体納得、みーんな振り回されてた。メニューも二十年前から変わっていない・・・結構さびれた雰囲気。皆からとにかく意見を集めては「それは誰がやってっくれるんですか?私は予算が無いんですよ」の連続。そこには実際広告業者に長年勤めてる人などもいましたが、その人なんて印刷から宣伝用の携帯ネットの構築まで全て無料でやらされる段取りに運ばれてました。良い人だって分かるんですが、それしかスベがない不憫さを感じました。何故、そのママさんに皆頭が上がらないのか不思議な人物でして・・・・その辺が女社長マジックなのであります。でも、僕から見れば知識、労力を与える側の質は判断つけがたいし、その中に悪意をもった業者さんなど居たら終わり。ましてやプロに対して無料や些細なお礼で何処までやってくれるのか・・・前のメニューは悪いけど時代に沿ってないのは勿論、かなり手抜きであれでは逆効果、商品価値下げるようなものでした。結局僕も付き添いのハズがシャッター切ることになってしまった・・・僕はデザイン仕事の経験もあるからメニューくらい作れるけど、ひた隠しにしてまいた。更に、すかさずこう言われた「この部分もやって頂けるなら勿論別にお支払いしますよ」この人ホント考え方間違ってる。何せ僕撮影料貰ってない・・・何の別??それでも、帰りは御飯ご馳走になり色々なアイデア会議になった。僕はネットでの集客、通信販売の為このようなブログの存在を教えてきた。そしたら、それを任されそうになり、すかさず名刺を要求されたが紙に携帯の番号を書いてやっと逃げてきた。今まで撮影したネガなどの記録は責任上必ず保管するのがフォトグラファーの義務だけど、これだけは置いてきました。勿論僕の人生で初めての事。こんな事もあって折角のビールのおみやげも、いまだ気持ちよく飲めない今日この頃・・・でも、ひとまず写真は絶賛された・・手抜きしなかったモン。これでJunによる東京の看板がまた増えました。しかし、専門家を軽んじてはいけません。それに、その女社長さん将来に向けての仲間はゼロ、前のメニューの経緯など携わったひとなど、もう居やしない・・そんなことなら後払い借金してでも、ちゃんと依頼するべきだと思いました。それも信念だから・・・・先程話した彼女も今までこんな失敗繰り返してきたのかな?ってまた気の毒になりました。でも、女手一つでまかなうのはとても大変だとも思いました。でも、それとこれとは別問題。何度も言いますが、基礎だけは勉強!正式な依頼、最低限これだけは守らなければ・・・他の繁栄は自分の繁栄に繋がる循環が大切だと僕は信じています。自らこの循環の逆を行うのはそれこそ、僕がよく言う作用反作用がここにも有ると言うことです。それでも未だ、すっかり沈みがちの気持ちと、あまりのことに自己宣言の日課まで忘れそうに成っていた時・・ふと、この日記の存在を思い出しました。それは喩えるなら、実家の机の引き出しに、埃を被った立派な皮の表紙の日記帳・・・でも開いてみると、そこから光が差してくるような、そんなイメージがしました。読んでみるとこれは大変、感性のすっかり枯渇した自分にとって、これはホントに自分の文章か?ってマジでそう思いました。一瞬遅れてですが、それが決して改竄されてない自分の心の声であることが、しっかりと分かりました。そこから瞬時に半分以上元の自分が帰ってきました。記憶の断片ををここに置いてきたことで凄く自分が助けられた事。またこの場所の創造主にも感謝せねばと思いました。上手く言えないけど、映画のスーパーマンで、一度生身の人間に成ったストーリー有りましたよね。あれで、困ったあげく再びクリプトンナイトだったかな・・発見したときのあの感覚でしょうか・・・斯くして僕はまた心の平安を手に入れることが出来ました。今回の遠出は復帰に時間がかかりそうけど、思ったほどでは無いようです。また、夜の誘いも増えてきたようす。それより、寝覚めがとても良いのです。朝起きて鏡を見るたび蘇って来る自分がわかります。もう病院も多分必要有りません。自分の治癒力だけで十分な気がしてきました。取り敢えず今は休息が必要です。でも、それは家にいて休むことでは有りません。バイトとて毎月決まった日にヒマだろうが忙しかろうが取り敢えず給料が入ること、醍醐味は有りませんがそれが、かなり僕にとって休息になるのです。これは雇われオンリーだった時代には想像つかなかったことです。大資本の恩恵を皆、当たり前だと思ってる世の中だと実感しました。資本と言えばあの資本、その行方。これですっかり僕は消化したと思います。取り敢えず、皆の夢は一旦は叶えました。代償も払いました。だから、もう許してもらったと思います。神様の声は聞こえないけど、僕の中で誰かかそう言っているような・・・そんな実感がいまとても有ります。同時に僕の人生の第何章かの扉が開かれた感じがします。これから、来るべき本番に備えて、自己宣言はじっくりまた練り直しに成りそうです。これらの事から、来るべき時に備えて何を今後学んで行けば良いのか大体見えてもきました。そして、支えてくれた先輩方、被写体、友人含む色々な人々・・出来ることなら、どうか僕が時間を無駄に使ったとは思わないでください。それに、もうJunは乱用しません、お師匠様完
March 19, 2006
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我々は全て自然の摂理の中で生きています。ですから、人生や健康それら全てに生ずる問題はそこから故意に外れることや歪んで逸れてしまう事などから起こるのであると日頃から信じる僕でありました。摂理とは支配された状態も意味しますが、それは我々を今まで守ってきたものでもあります。それに沿うことこそ健康や幸福、はては成功へと繋がるもの・・とも思っています。そして、昔からその考え方の中では心も物質も同じ扱いとされています。いわゆる作用反作用の法則の中では心もまた一種の物質でありエネルギーであるのです。今日整形や美容も人生を好転させる要素を含んでいるとは思いますが、しかし盛んに言われる副作用とは別にそれを過度に求める心は何の反作用もないのでしょうか?近年では就職前にその率と性格的なものを含めた今後の人生の向上の為に美容整形がかなり一般化して来ているようです。それを知ったのはもう、20年以上前のことですが、そのときは新しい時代というか素晴らしいことのようにも思えた僕でありました。しかし、その後の人生で実際、僕が目にした人々は少し悲しげな印象を僕に残してくれました・・・・。以前、友人で僕よりやや年下の女性がいましたが、その方とても優しい人で時には僕の女性関係の事などを説教してくれたりもする等、とてもよい関係にありました。ですが、ある頃を境に急に距離ができたと言うか電話以外では会えなくなりました。しばらくしてその人の友人から聞きましたが顔や胸やらにかなり整形をしたらしく、とても綺麗にはなりましたが、昔の友人関係を一切断ち切っているとのことでした・・・。まぁその方一児の母でしたがヌードダンサーで稼いでいた頃でしたので過度のイメチェンも仕方ないのですが全く寂しい話です。「怖がらないで出ておいで~」とは言いたかったものの、結局それっきりとなってしまいました・・・。その後その人の人生がそれ以外の部分で好転していることを祈りますがこの成り行きから考えて何故か不安に思わずにいられない部分もあります。また、別の友人のお母様は顔の皮をおとりになりましたが、VIPか何かをご利用なされたのか、その場にはTVタレントさんや女優さんがうようよしていたそうで・・・・他のHPで聞きましたがタレントさんは所属事務所の経費が多いそうで企業戦略のようなものを感じされられます。そして、その娘さん等も将来絶対整形すると言っています。娘さん(友人)は今現在ホクロ取りは公に言っていますが僕の観察では、お鼻は人工物質によるものとしか見えません。べつに、それはそれで良いのですが、その方実は旦那さんには愛されていないようで、長年半別居であり、お互い浮気しあっているそうで・・・となると一体、誰のための整形になるのかとか・・幸せとは人それぞれの価値観によるものだし・・・とかついつい考えてしまいますがお気の毒に思えてなりません。あと、これも一種の弊害というか以前、風俗の撮影をしていた頃聞いたお話ですが、そこのお店にとても綺麗な女性がいたのですが一つ問題が・・・それは顔は勿論ですが、それよりも胸にシリコンならぬ食塩水パックみたいなものが入っているせいでお客にさわらせないので、クレームがよく来るしリターンもなくて困っていたそうです・・・。(折角オペしたのに可哀そ!)やはり皆さん、天然物がお好みなようで・・・・・。ちなみにナンバーワンの女の子は決して美人ではなく強いて言えばちょい可愛いくらいのレベルの女の子でした。綺麗すぎても近寄りがたいとか色んな要素があるそうですが、これは飲み屋さんの関係とかにもいえることで、この世界でも昔から女性の魅力は外見だけではないとはっきり言えると思います。下世話な話のようにも聞こえるかもしれませんが、はたして男性の存在がなかったらどれ程の女性が美しく成ろうと思うものでしょうか・・・それも、僕の疑問です。こう成ってくるとついつい、考えてしまうのがいくら綺麗でも人工物質やオペレーションだらけのサイボーグのような女性をはたして恋愛の対象として男性がどれだけみれるかどうか?みれないとすればそれは、度量の狭さや懐の薄さと言うことなのか・・・・なんですが僕はそれほど柔軟にはなれそうにありません。今後、古風な考えとされるかもしれませんが、子供は親と似ている方が幸せだとも思えますし・・・・。そりぁ女性の美しく成りたい気持ちも個人的には理解しているつもりであります。近年還暦を迎えた家の母でさえ美顔器なるもに凝ってますし、目の汲みが気に入らないのでいつか治したいと数十年言い続けています。まぁ本人お見合いが控えているそうですから、しょうがないかもしれませんね(笑ですが大きくバランスを崩しても(整える?)リスクは大ですし広い意味では悪循環の元、オペには手直しもつきまとうとか・・・そういう意味で現在のエクササイズやエステティックサロンなどの中でも極ふつうの部類のものが未来永劫でありかつ限度なのではないかとも僕は考えています。それは、美容とてあまりにも過度にそれに頼ったり、それを求めすぎる心から生じる歪みのようなものは反作用として、その人の人生に必ず影響を与えるという事がこのような出来事から思えるようになったからです。それは、他の僕の知り合いの方ですが、かなり体格の良い方がいまして、その方はエステから当時数十万円(百万近かったと思う)の低周波治療器のお化けみたいな商品を購入し全身張り巡らせていたそうですが、食べ放題なのでさほど効果があったようにも思えませんでした。親しい人だったので今考えると「おめぇ食うな!」って助言してあげたかったけど勿論、ふつう誰にもできませんよね。また、それもそれで良いのですが、そうなるに至った原因が年下ホスト君に貢ぎ放題の末の結果で、またその優雅な生活の発端は離婚前に貯めた千万単位のへそくり+慰謝料だったんですよね。ですからここでもお気の毒というか自制心や心の歪みを考えずにはいられない僕でした。話は変わって僕は人物写真を撮す際、一般的に考えて本人の良さを強調する場合とそれとは逆に本人の欠点を出来るだけカバーする方向とを瞬時に考えなければ成らない場面にでっくわすことが日常茶飯事の如くあります。アングルやライティングなどここでは言い表しづらい部分はあるものの簡単に言えばバランスのようなものでしょうかね?必死に観察しますので、実はそんな中で相手の整形箇所に気づくことも希にあります。大概の場合撮影の時はモノが人工的でも上手に整っていてくれれば、答えがわかりやすくて大助かりというものです。ですが、いざ素に戻った時というか、男性の目で女性として見るならば、やはりいくらその人が美人でもその価値は、かなり下がると思います。(術後の方すみません)・・・であるから、はたして、その方々がその様な意味でも幸せを手に入れる(買う)事ができるか?・・・・という疑問もあります。また、いろいろな出会いやお見合いの中で使われる写真も古くから修正されて来ました。僕は十五年ほどまえからPCによる修正や合成の仕事も手がけていますが、そういう写真も扱ったことはあります。当時のPCはお粗末でしたが今とは比べものにならないくらい値段は莫大でした。昔は出力系統が限られていてとても高価だったのでプロか半プロの仕事でしたが今はハードやソフトの普及でもって器用な人なら結構アルバイトしていると聞きます。話はそれますが、そんな中で最初の頃よく福わらいのようなことをして追求した結果、口のバランスに気づきました。それをほんの少し持ち上げてやることによって、かなり若くなることに自然と着目したものです。割と簡単なことですが、しかし面白いことにそこから10年ほどたって(気づいたのがですが)みれば口の周りの筋肉を鍛える器具などが美容目的で売られるようになり、後から一部の本でその根拠などを目にするようになりました。人間年配になると口の筋肉のへたりでもって口元全体が下がる傾向にあります。そのせいで鼻まで引っ張られて低くなったようにも見えます。逆に年配の方の写真にモンタージュのような装置で若い方の口を合成してやるだけでかなり若い雰囲気の写真になるそうですが僕も似たような作業の経験の中で何度も驚きました。一般的に考えて老いるのは目元だと思われがちですが、それは一番わかりやすいからからかも知れません、よく観察してみれば鼻や口つまり全体が同様に変化しているものなのです。ですから僕の修正の時には重要な要素として扱って来ましたが、その様な整形は僕の興味が薄いせいかまだ、聞いたことがないですね。とても有効に思えるのですけど・・・・。(たぶんあるとも思うけど)とまー、ここまで色々と整形美人等について語ってきましたが、それと正反対の話、僕が人物撮影で数々の女性を観察した結果というかいつも思うのは、人から綺麗だと言われる女性もじっくり観察すると皆大差なく思えます。モデルさんとかだって撮影前はノーメイクで髪もストレートだし全然魅力的ではありません、でも、輝いて見える女性は皆、自分の美しく見えるポイントをよく把握している人なのです。フォトジェニックと呼びたくなる人も大概はそういう人なんですよね。逆に言えば僕らから見て全体的に一般の方は自己流メイク等が何処かぎこちないものです。また、精神面が容姿に現れるのは当然の如く言われているものですが、僕の先輩に面白い経歴の方がいまして簡単に言えば若い頃ナンバーワンホストで今クラブ経営者なんですがその方から以前、良いことを教わりました。ホステスさんの世界でもナンバーワンになると実際、個人的な恋愛は出来なくなるので段々綺麗でなくなってゆくそうです。実際、僕は宣伝仕事なんかで半年置きぐらいに対面したりしますがその時間差のせいもあって、その変貌ぶりが他の方よりはっきり把握できます。(とても悲惨!)ですが、その逆に言えば女性が恋愛で綺麗になれるなら、つまりはそれが一番自然であり、天然美人といえるのではないかと思います。恋愛のリスクはこの際考えない事として・・・(笑というか言い直せば良い恋愛をして是非綺麗に成って頂きたいと思う僕でありました。
July 27, 2004
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今日は撮影裏話を少し・・・・その前に今頃ですがどうもトラックバックとかうシステムにはまだ馴染めません。というのも前の日記に書きましたが礼儀正しく許可をもらおうとしたところ、あっさりと断られて書き直しましたので・・・・・(笑なので今日は旧式に(極々普通に)書かせてもらいます。先日他の方の日記を拝見した際、素敵な事柄に出会って感激しました。それは70歳代のカップルがレストランで食事をする際、向え側ではなく仲良く自然に並んで座って、さり気なく食べ物を交換しあっている素敵な光景を目にしたというお話でした。 僕は不幸にも家系的に短命や離別が多く長年の連れ添いという光景を見たことが無かったので、まるっきりそれは憧れのようなお話です。食べ物の交換あたりはまるで仲の良い兄妹のようでそれでいて根本は夫婦とうか恋人なのですよね、その方が日記にする自体珍しいからだという事は承知ですが全くその年齢まで愛をそこまで保つのは素晴らしいと思いますし僕の究極の理想像であります。 そして、また他の方の日記に飛んでみたところ今度は先程とは反対に最初だけ恋人に優しい男について盛り上がっているHPがあるではありませんか。これはよく世間一般にいわれる話ですよね!勿論、そのHPの方のお話には僕は当事者ではないので何とも言えませんが、しかしその殆どは女性の誤解も入っているそうなのです。おやっと思うかも知れませんが、実はある意味これこそが一説ではお互いに冷めている証拠だそうです。実際につき合い始め(最初だけ?)はお互い何を言っても傷つかないモノです。それがいつしか些細なことで喧嘩になりますよね、何故か同じ事を言っても・・・・・・これは恋人夫婦に限らず冷めているということなのだそうです。実は僕も少し前昔の恋人から電話が来たときに昔と同じネタで笑わせようとしたら思いっきり電話を切られてしまいました。つまり彼女はネタ自体を忘れていたのですが・・・同じ事を言ったのにもかかわらず傷ついたというかご立腹だったのですが、これこそが唯一昔と違う点、そこに愛がない、つまり冷めてしまっているという事なのです。そして次に電話の来た際に落ち着いた状態の彼女に一からそのことを説明したら納得してくれました。ここまで言うと男性が一方的に冷たくなるとは冷静に考えて何か変だとは思いませんか?先程言った些細なことで喧嘩になる事、これを避けるために言動や行動に距離が出来る。つまりはそれが一説では冷たくなる原因ということなのです。つまりはお互い様、愛情や信頼関係の欠如以外の何者でも無いのです。たとえ優しくされてもしても、皆さんにはそれを相手から受け入れる体制がきちんとしているでしょうか?例えばつけあがらないと言う保証、つまり信頼関係は万全と言えてるでしょうか?一見当たり前の様に見えるこの問題も真剣に乗り切ろうとしているカップルがどれだけいるでしょう?先程の70歳代のカップルはただの理想や偶然でしょうか?いえ、これはあくまで同じ人間レベルでの出来事であり必然の上に成り立った結果としか言えない部分は必ずあるはずです。そして、優しい男性とは一体どんな男性でしょうか?可愛い綺麗だと言ってくれる男性ですか?それとも言いなりで奉仕型の男性?気前の良い人養ってくれる人ですか?下世話な話でのようですが、実際僕の周りの環境では最後に言ったこれが一番多いのです。一番よくわかるのはヨーロッパの女性達と片言で会話している時ですが、一般的に考えて日本語で優しいの反対は”冷たい”ですよね?でも、日本にあまり定着していない女性は”ケチ”だと思っているケースが結構多いのに驚きました。僕は最初言語の直訳か何かのせいかと思い撮影にあたって英語圏で無い方の母国語を結構研究しましたが思い当たるような言葉は一切ありませんでした。僕は優しい男性とは思いやりの部分というかどれだけ相手のことを考えれるかだと思って来ましたがこれでは単なる夢物語か理想論と成るのかと落胆したものです。というのもその面で言えば僕は最低な男だからなのです。少しそれますが、今日は一つ白状します。僕はあのギャラリーのような写真を撮った女性の殆どに食事をご馳走になっています。 これは普段は話せない話なのですが、それこそ前の日記に書いた部分で男性に話せば自慢話と勘違いされるのがオチですし、かといって女性に話すのも恥ずかしいと言うか誤解を招きやすい事ですので今迄は極力語らなかった訳です。男女逆転?!いえ、それには理由もあるのです。それはある程度キャリアのあるモデルさんなら大概わかっている事ですが、余程有名な方以外はチョットした撮影のなかで一番美味しくないのはフォトグラファーなのです。というのもモデルの女の子はフリーの場合、大概ギャラは現場渡しが多いのに対してフォトグラファーは材料費と交通費込みでもって一ヶ月半遅れの振込みなんてざらだからです。そして仕事の中でもあくまで宣伝材料の写真を撮りに来た方を僕がそのたび食事に誘っていたら赤字なのは当事者なら見当がつくと言う物です。だから御馳走してくれるモデルさんは皆、僕の仕事に対してのご褒美か厚意のつもりです。先程の話もここまでの条件がそろって初めて優しさと絡めて考えれるのでは無いかと僕は思うのでした。ですが例外もありましてとことん元手をとろうとする向きの女性の方にも何度か会ったこともありました。先程の理由からチョットした依頼の方には基本的に御茶程度しか誘わないのが僕の中での常識ですが、そういう方には僕はあっさりと負けてあげて、その後あまり近付かないようにします。そうしないとそういう方は難癖つけて撮影料を踏み倒そうか値切ろうかするからです。そこまでいったら僕は「お見せした見本と仕事は変わりません、気に召さなければプロですのでタダではお渡し出来ないのでお代はいりませんかわりに写真も置いていってください」というのですがそういうと相手も必要だから取りに来たのであって置いていった事はないですし他の方の事を考えて値段も下げたこともありません。前の日記にモデルさんは人の紹介でないと来ないと言いましたが僕も知らない人にはかなり警戒しています。コレも男女逆転かな?あくまで仕事のなかの話ですので狡く考えた行動ではなく堅くやってるつもりですが、まぁその中での例外と言えば・・・前の日記に書いていたようにモデルさんの旦那さんはある程度社会的地位のある方が多いのと中でもそれを誇示するような向きの方のお相手は実は僕の最も得意とするところであります。その様な方の場合徹底的に低姿勢に乗ってあげるのです。そうするとかなり御馳走してくれたりせざるを得ないかたちになっちゃたりします。最低かな?僕としては経験からつかんだ生活の知恵くらいに思っていますが・・・基本的に写真意外ではプライドの無い男です。と言ってもなにかと恥ずかしがり屋だとこの仕事無理かも・・・・そして、このような展開になる中にはもう一つの原因が・・・皆さんに一つ言っておきたいのは「カメラマンですが写真とらしてください」のような場合僕の経験上、たまに予算のないクライアントがいても仕事で一般の方を使うのはあるにはあるのですが希です。作品意識でとっている人などその中の一割もいないと思ってください。つまりは動機が不純な向きがあまりにも多いのでお気をつけ下さい。僕も飲み屋さんなどでよく撮って欲しいとは言われますがほとんどは「お金かかるんですか?」って聞いてきます。僕にしてみれば誘われたので無理に飲みに来てなおかつ撮りたくもない(必要のない)人の写真をタダで一生懸命とるとは・・・?って疑問符が立ちます!大変な作業ですからね、ですが勿論口にはださず日記に綴っている訳ですが・・・・言ったこと無いここだけの話僕にとってホステスさんってろくなモンじゃ無いです。(本業の方御免なさい)それは、以前風俗の撮影経験の中でそっちの子の方が気だての良いケースををかなり見てきたからです。僕に言わせれば風俗は仕事してなんぼは有っても、だましてなんぼは時代的にあり得ないからです。そして吹っ切れているのである意味正直でした・・・つまり、それ程この職業の人間は女性に対して心根に惹かれることはあっても色(外見)に落ちることは滅多にないと僕は思います。だから僕の場合も諸先輩方の忠告でかなり警戒しているのです。そして、その様なカメラ小蔵みたいな方のせいでかなり不愉快な思いを余儀なくされるのが僕らでもあります。まぁ撮られてあげるのも皆さんの勝手ですがアシスタント経験がない場合どんなに頑張ってもせいぜいカメラ雑誌に載っている誤魔化し方によって一見素人離れした写真に見えますが彼らは根本的な取り方自体を知らないので、そのおつもりで・・・・かなり脱線したようですが僕は特にここ数年のなかでこのような男女逆転のような感覚を味わって来ました。仕事にしろプライベートにしろ所謂見返りを期待したりされたりはトラブルの元であると僕は思うのです。であるから優しさとはなにかと言うよりもそれを期待する自体が僕が普段何度もいう見返りにあたると思えるのです。それが恋しくなるのは厳密に冷めているからと思えばつじつまがあうと思います。最初は気にならなかったのかも知れない事もお互いあるということで・・・。あの70歳代のご夫婦の段階までには乗り越えなければならない壁は必ず有るはずです。たとえ人が夢だ理想だと言ったとしてもそのご夫婦が現実に存在している以上僕は心のなかで目標とさせて頂きます。そして誤解のないようプライベートではおごることぐらいは知っているつもりの僕でした・・・・(笑
June 20, 2004
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このHPを初めてからいまだ二ヶ月程度ですが残念な事にこの短い間にもサイトを閉じてしまった方が知っているだけで数人はいます。一体何故こんな事になるのでしょうか?その方達は本当に回避する方法が無かったのでしょうか?一説によれば全ての嫌がらせは自分が受け入れて初めて成立するものだそうです。その方達だって今はアカウントを取り直して知らない顏で運営し直していたらどうでしょう?そしたら加害者側の行き場のない念は何処へ行くと思いますか?実は本人に最も困るモノとしてもどって来るのです。今日はそのことについて語りたいと思います。その加害者の方は自分の無力さに気づくどころか潜在意識に罪悪感が刻まれ一生そこから抜け出せないばかりかその人にしようとした内容をそのまま被ることになるのです。つまりその人の目的は相手に劣等感や敗北感を与え自分の同様の部分を慰める行為にあったのです。ですが前にも言ったとおり人間の潜在意識に描ける定員は一人だけなのでその人に返ることになるのです。人を呪わば穴二つという原理はここにあるのです。つまり人を陥れようとすれば自分がいつかそうなりますしのたれ死ねば良いと思えば自分がのたれ死ぬ運命になりえますし活かさず殺さすと思えばそれもまた進展しない人生を築く結果となるのです。つまりここにも原因結果がハッキリしており因果の法則が成り立っているのです。最も効果的な方法はまず、相手に受け入れないことを宣言しその後は構わないこと近づかないことです。それが相手の行き場の無い念を効果的につくり出す方法だと言われています。最近はネット上でソフトを使った機械的な嫌がらせまで流行っていますがそれとて一体何の意味がありましょうか?もし僕だったらアカウントを取り直しても良いですがそれぐらいだったら人様のご厚意で商業スペースをすでにお借りしているので空いた時間で今度は本格的HPに挑戦し怪我の功名を活かすようにとことん幸福な人生を送ってみせます。また、ネットの中にはウイルスメールを送ってくる方も沢山いますがそれとて何も恐れる必要もないでしょう。ハードまで犯すようなものはないのですから最悪再インストールすれば良いだけのです。また貴方の生活自体をを脅かす様なウイルスは無いのですから恐れることも無いのです。ただ故障にそなえるのと同じで最低限のバックアップを絶やさないのは常識ですから・・・ウイルスメールって実は犯人さんは子供であることが多いと言われていますよね。僕はてっきり巧妙なウイルスソフトメーカーさんの宣伝費で開発されているモノとも思いましたが・・・(笑)まぁ大人だとしても余程精神年齢が低いか頭脳の完全にイッちゃってる人でしょうね、でも、それだったら笑って許せる僕でもあります。そして最近よく話題になる個人情報流出ですがそれとて何に悪用が出来るでしょう?物を売りつけられても買わなければ良いです。闘う相手は自分の意志や心であり見えない犯人を恐れる必要は無いのです。そして上手くいったとしてもカードを打止めまで使うのが関の山です。でも、それとて仕事で築いた財産には到底及びもつきません・・・・というのも実は僕の後輩にその手のネットを巧妙に悪用した罪で服役している人間がいます。まぁお気の毒ですが彼は全てを無くし家族を路頭に迷わせてしまいました。これも一説によれば犯罪が上手く行くのは本人の願望が満たされ罪悪感に駆られない事が脳への刷り込みにより運んでいる内だけでそれでも人間何かのきっかけで罪悪感に駆られるとその計画自体に無意識に破壊命令をだし崩れる原理があるそうです。きっと彼も家族の事が気掛りだったのでしょう・・・そしてお縄というわけで・・・そしてまたお金で報復する人々が諸外国にはいまだ多いそうです。いわば時代劇の必殺仕事人の現代版ですが実は詳しく公には出来ませんが僕のよく知っている方はお金で父親の敵を討ってもらったと実際に言っていました。また、究極の嫌がらせは呪いという事になりますが実はこういったプロの暗殺者さんの中にも呪いを用いる人が今だいるそうです。おやっと思うかも知れませんがこれは種を明かせば精神法則の悪用であり宗教がらみの強力な暗示であることが近代では学者さんによってかなり良いところまで解明されているのです。ですから精神法則を理解した人や学者さんはいっさい呪いにかからないそうです。その証拠にその最初の段階では何らかの伝達方法で相手に呪っていることを認識させるそうです。直接言い渡す場合もあり電話や手紙人伝い等いろいろ考えられます。そしたら相手は恐怖感を募らせ全ての出来事を悪く受け止めるようになりやがてその暗示が潜在意識にしっかりと刻まれ体調を崩され病にかかったりする事もあります。また、潜在意識による無意識の脳の計算力は驚異的に速く膨大でありその方はわからない内に事故の確率の非常に高い場所まで自ら行ってしまうこともあるそうです。つまりこれが古くから人類の歴史の中で続いてきた呪いの正体です・・・・ですが先程も言った通りこれには得策があるのです。それは決して受け入れない事そしてその意志を相手に表明する事だそうです。具体的には「貴方の行っていることは一切私は受け入れないし効きません、それよりそんなこと続けるとそのうち自分に返る事となるでしょう」とそれくらいの事を言ってしまうのです。そうしたら行き場のない念は術者に返さざるを得ないのです。つまり、のたれ死ねばよいと言った術者が相手の受け入れ拒否によってのたれ死んだ実際のケースがあったそうですので・・・・つまり、相手を追い込もうとする人はその人が一番恐れているケースも多いですし、また相手に敗北感や劣等感を与える人はその人の一番の悩みであるケースも多く一見嫌がらせによってはけ口や慰めになっているようですが実はその恐怖感はより一層心の奥底で増幅している傾向だってあるのです。だからある意味そんな意識のはね返りは被害者のそれより強力だそうです。また、いわゆるイジメも勿論嫌がらせの類でありますがあれもまた劣等感や恐怖心からの自慰行為にすぎないでしょうね。最近の学校の事情も年々悪化していってるようですがどうも弱小集団による恐怖心からの回避としか考えられませんね。孤立からの恐れと被害者になる恐れですが僕らの中学時代は昔だったせいかまだ硬派というモノが存在していて逆にその中心人物を潰したものですが・・・・これもイジメかな?この通りでは無いにしろ嫌がらせには必ず先程申したようなリスクがつきまといますので道理を理解した人間はそんなことはしませんよね、それは不心得者の目には自分より劣った人間にもしくは隙の類にでも見えるのでしょうが出来ないのとしないのでは全然違うということをそれらの人々は一生わからないで生きる哀れな人たちに僕は思えます。そして、双方が闘うべき相手は他ならぬ自分自身の心であるのは間違いありませんよね。それと無意味なモノを過剰に心配して恐怖心を抱く習慣これが全ての人間の人生に於いての最大の敵であると僕は信じます。
May 29, 2004
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ある方と三日三晩、正確にはその前からその方の人生について仮眠混じりで語り合いました。これはその方のお話をもとに僕メが処方した自己宣言文です。この文章に明確な行動計画をこれから書き加える予定ですがそれはその方の企業秘密も含まれますので後ほどまた二人でゆっくりと行う予定です・・・・2009年の○月○日私○○○○は日本の○○○○○界の頂点に立つ経営者として年収○億円を手に入れます。この年収には今から5年の間に段々と近づいて行きます。その際に必ず実践して行く事柄として(ここには後から明確な行動計画が入る予定)まず現存の店舗を必ずや建て直し○○コンサルタント事務所を再建する事でより多くの人材を雇用しつつ尚かつ今後は業務を分担化し確認事項を徹底した管理を自分が責任を持って行います。店舗部門スタッフの教育方針としては無理に底辺を持ち上げたりせず、その代わりやる気のある人間には徹底したサポートを行います。また私は代償の法則を重んじ真実と信義に基づいた行動をし人々の不利益に成る様な事は一切しないことを誓います。そして2014年の○月○日私は海外に店舗展開をしその国の経済発展に大いに貢献する経営者となり○○億円の年収を得ます。その頃にはより多くのより専門的ブレーンを得てしっかりとそのまとめ役をしながらその恩恵を受けつつ運営にあたっている事でしょう。その時私は一人の人物に出会う事でしょう。それはまるで過去の自分の様な人物であり日本のその業界を代表する経営者を目指す若者です。私は彼を経営の成功者の立場から自分の国内における後継者として完全にバックアップすることを誓います。そうなったら私は自分の満足行くような暮らしをしさらなる心の平安を手に入れる事でしょう。そしてこの素晴らしい人生と仲間達そして家族と信頼を与えくれている事に深く感謝致します。ありがとうございます。 2004年5月21日 ○○○○・・・先日お話ししたBruce Leeの宣言文(1969)はJacky Cheungがオークションで落札し彼の経営するレストランに飾ってあるそうです。またこの文章はその書式にかなり近い面も持っています。この文中におやっと思うような目標が見えたかもわかりませんがその方の仰る経歴からすればですが充分な射程距離内を明確にしたまでで後は計画性と信念の問題であると僕は思っています。そしてわかりやすく言えば僕は本気モードのお手伝いが出来ればとても嬉しいのでもあります。結果の方はもし10年後出来たら皆さんに報告するつもりではありますが・・・・・笑I, Bruce Lee, will be the highest paid Oriental superstar in the United States.In return I will give the most exciting performances and render the best of quality in the capacity of an actor.........Starting in 1970, I will achieve world fame and from then onward till the end of 1980................ I will have in my possession $10,000,000.............Then I will live the way I please and achieve inner harmony and happiness..............”My Deffinate Chief Aim” Bruce Lee Jan. 1969
May 21, 2004
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ある方のHPの日記を拝見した際とても興味深い事が書かかれていました。それは最近の高校生の中で男女の個性が失われつつありこのままその子達に将来本来の意味での幸せは来るのか?男性もしかりですが特に女性として有るべき個性こそその子らへの幸せではないかと・・・そして性教育でもなんでも良いからその辺をなんとか尊重して頂きたい・・・っと簡単なご説明で申し訳無いのですがこのような内容でした。その子らへの将来を案じての心配なのですがそのお人柄にも心を打たれました。確かに世間一般には中性で有ることが魅力的だったりして女の子の人気者みたいなケースは沢山あります。でも、それをもし高校生の時代から定着化させるような教育が有ったとすればそれは少し大変な問題とも思い僕の心に深く響くものが有りました。僕の中にもひとつ心当たる節が有るからです。それは平成6年以降の高等学校の教育では男子も家庭科を学びますが僕は特別編入?!が有ったので同年代の中では数少ないそれ以降の教育を受けた一人で有ります。今現在の高校では男子も女子もいいだけ男女平等について教育されます。その内容たるや表向きの主旨は・・・・我が国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた様々な取組が、国際社会における取組とも連動しつつ、着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている・・・と言うような事ではありますが実際の内容はしつこいほどに”男尊女卑から女尊男卑に成りましょう”と言うことで僕は激しく憤りを感じていたものでした。確かに社会的な女性の権利の確保とあらばそれは僕も賛成であります。ですがその教育は家庭の中の役割分担に於いてまで徹底されているのです。そして、ハッキリと家庭内労働は日給7000円に相当するなどど教科書に書かれています。これはあまりにも軽率なはじき出し方では無いかとも思えるのです。それは世の中にはその程度の収入の為に過労死している人だって沢山いるのですからそれほど外から家庭を守るのは命がけという見解はないのでしょうか?僕の認識上では家庭内労働で過労死したかたや避けられない職業病にかかった方など聞いたことが有りませんので・・・・ここで、もう少し本題からそれるようですけど過労死の話に触れますが同じ労働をしても死ぬ人も病気になる人もいればそうでなく元気を保っている人もいる。これはどういうことでしょうか?一説によれば過労死とは本人が望んだ結果と言われているのです。おやっと思うかも知れませんが例えばその仕事や人間関係等の環境が嫌でしょうがないばかりに”死んだほうがましだ”とか”楽だ”とかいう考えのもとにその人が心の底で死を欲した結果だそうです。逆に仕事や環境を楽しんでる人は同じ労働の中で元気になったりもします。人間の意思とは生命にまで影響すると言いますか・・・そして僕の父は急性の脳梗塞から来る自律神経の関係で持病のというかこれも急性の癌が急激に悪化したという最後でしたがある意味僕にとっては過労死的要素がとても強かったのです。それは複雑で後からわかった事実で会社が病気のかるいうち病院に行かせることを許さなかった事実と父が自分で脱臼を治すほどの大の病院嫌いで有ったと言う事そして、もしかするとわずかな通院の記録から多分父は恐くて病院から遠ざかっていたのかも知れません。そして、生前の父の知人に聞いたところ父は人間関係にとても苦労していたとも言います。意外でした若い頃から気が強く喧嘩早くて有名な父が・・・それは近所のお父さんまで外で張り倒すぐらいの活発な不良中年ぶりを発揮してたぐらいでしたから・・・でも、それもそのハズ社会では喧嘩はそうそう許されない行為ですからそのはけ口がふさがれた事でしょう・・・・・親戚や知人の間でやれ会社だ病院だと訴訟を起こそうと言う動きこそあったものの母の一言が大きく影響しました。それは”争ったところで父はもどってはこない両方に過ちのある事だから後の債務の整理さえつけばいかなる事でも受け入れるべきだ”そう言ったので・・・・・話はそれてしまいましたが僕の中で仕事と呼ぶ物はそれほど命がけで有ると思えると言うことです。そして女性の権利と言うことですが僕が二人ほど仕事面で身近に敬意を持っている女性の方がいます。その一人は最初に勤めた撮影会社の社長でその方は同規模の業者の中ではかなり収入が多い方です。それは税金のトラブルで後程新聞沙汰になるほどの方でしたから・・・。事業家として僕は色々教わる部分を持っていたのでとても尊敬しています。そして最近もどう見てもその方と同じ業界の中では男性よりも収入の多そうなほぼ同年代の方と知り合いました。色々仕事のお話を聞きましたがその方の揺るぎない人間関係の構築等は目を見張る物がありそれはその方や社会的お身内の才能というかこれも実力であると思いつくづく尊敬したものでした。その方々の素晴らしさをを通して以前からの女性的被害の報告コラムなどを読んでみるとあまりにも男女に関係ない人間のとしての経験の不足からくる未熟さや努力の不足から来る実力の無さまで全て性別のせいにするような向きの意見が全く無いとは言えないと思えるのでした。女性の権利は昔と違いかなり確立されている面があるといえます。もうここまで来たらそのお膳立てを活かせるのは圧力的な運動ではなくその方の人間としての実力であるとも僕は思えます。これ以上進むと一歩間違えば女尊男卑につながりかねないと思えないでしょうか?女性の幸せを追求した結果がまた将来の被害者を作ってしまっては元の木阿弥のハズです。そして、夫婦のいずれかが社会的に成功したとしてもそれは一夫婦の手柄や名誉として喜びを分かち合うべきでは無いでしょうか?女性の出産についてもまた同じ事が言えると思います。それを社会的ハンデとお思いの方も実際多ですが長い人生の中でそれは女性の名誉であり幸せでありそれがしいては男性の喜びであると思えないでしょうか?ですから家庭内の役割分担まで教育が参入してくるのはある意味行き過ぎで有ると思えます。それはまた法や行政の参入すべき部分でも無くあくまでモラルや愛情に基づいた対処が必要でありまた、それしか解決の糸口はないと僕は信じます。実際幼児の虐待等を法律や行政が保護できるのはほんの一握りに過ぎませんしまた殆ど無いと言っても過言ではないでしょう。教科書とは全く反対の事を言ってはいますが僕の高校時代このような論点から試験に臨んで不安だったところ意外にも先生が満点をくれ小学生のようなニッコリのコメントまで書いてくれて思わずほっとした良い思い出が有ります。それもそのハズ先生も教育に心を持った人間であり教科書を作る側とは全然別物ですからね・・・・・また僕は最近はやりの法律的なTV番組が好きで時々見ますがあの弁護士団の先生の中には法と言えども人情やモラルを大切にする方や反対に”この人酷いこといってるぅ~~”と思わせるような未熟な法律家の意見もありいつも驚きです。全くこんな人に弁護してもらったりまたその頂点にはもっと人生経験のない頭でっかちな人物がいて人様を裁いているのが現実だったとしたら・・・・って思うとついつい悲しくなります・・・・ちょっと考え過ぎかも知れませんが・・・・・・そして最初の部分に戻りますが権利の主張が男女の個性をもし奪っている要素が有るとしたらこれは充分考え物だと思います。あくまで個性として女性らしく男性らしくはある意味その子の将来の心の幸せの条件の様にも思えます。大人になって自発的に選ぶのはともかくそれを高校生や中学生から変に位置づけるのは大人として無責任でありとても問題かと思えるのです。全く教科書を作る側のモラルの欠如や未熟さのようなものを感じてしまいます。男女同権がいつの間にか男女同然になってはいないでしょうか?このままで本当の心の幸せは訪れるのでしょうか?女性らしく男性らしく素敵な生き方それが僕のからの子供達の将来へ向けてののささやかな願です。
May 10, 2004
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ある親しい人から聞きました。世間によくある話ですが社営の住宅に住んでいる方らしいのですがそこで御婦人達の間にある階級が存在していてとても大変だとか・・・・・それはご主人の会社での役職などのお立場がそのまま御年齢に関係なく婦人達の縦の列とでも言いますか優劣かのようにに成っているということで・・・。そして最近幼なじみから電話が来たときも同じような事を嘆いていました。でも、これは男性にとってもストレスになるばかりか色々な深い意味合いでとても良くない事なのです。そして実際に最近僕の身近でもこの問題に悩む方がいらっしゃいました。順を追ってご説明しますとまず、Aさんのご主人はある大型店舗の経営者、Bさんのご主人はそこに機械をリースしている会社の経営者、Cさんのご主人は今会社が倒産されて新たに設立準備中、そしてDさんはある日僕の所に宣材のアルバム用写真を撮りにきたモデルさんです。勿論僕は身近に全員知っている人達です。その日最初は割とキャリアのある方なのに何かちょっと哀しそうな表情というかいまいちのりが悪かったのです。これもこの人の持ち味かなとか思いつつ作業は進めて見たものの僕にとっては”宣材といえど人を引きつける要素が無ければいけない”というのが僕の一つのこだわりなのであります。なのでメークとか直してるときとかに話しかけた所まずBさんが僕の悪口を言っていると言うのです。おやっ何故?と思いましたがそれは話の取っ掛かりに過ぎなかったのです。つまりA→B→Cの順に階級が出来て上から物を言われるので親友のCさんがとても憤慨というか傷付いていることが可哀想でDさんが悩んでいるという事だったのです。そして僕の所にAさんやCさんやDさんが写真を撮りに行くことを知ったせいであげくの果てには僕の悪口にまで発展したそうです。でも表面上は今まで僕にとって同じ年頃の女の子4人にしか見えないのに全く困ったものです。聞いて僕の心も痛みましたよ・・・・・と言うのもCさんのご主人は僕の知り合いでもありよく遊びに行っては夕飯などをごちそうになりとてもお世話に成っていましたしそのご主人は会社再建の為に真面目に苦手なパソコン教室に通うなどしていた最中でそれを支えるCさんの姿に僕も心をうたれていたといいますか僕はそのご主人の苦手なパソコンが壊れたときに直したりしながら色々なお話をするようなホント良い間柄でした。本当に仲の良いご夫婦ですしご主人のお人柄もとても良い方です。僕はDさんにチト涙ぐみながら言いました「Bさんの事は前からよく知っている人だけど彼女は別に偉いわけではなく旦那さんのお金を使い放題で遊んでいるだけだよ。奥さんとして一番偉いのはCさんです。僕にはよくわかりますその事が・・・」と話したらDさんニコッと笑って「あなた優しい事言うのね」って言いました。その後の写真が良くなったのは言うまでも有りませんでした。彼女たちの間では優越感や嫉妬などあるとても狭い価値観のようなライバル意識が存在していることは薄々は承知していましたがまさかこれほどまでとは正直あきれてしまったというか少し悲しくなりました。またこれも僕の親しい方ですが昔経営していた会社で奥さんに経理を手伝ってもらったそうです。ですが一時期困った問題が発生したそうです。それはその方が折角普段から従業員の方を気遣い食事に連れて行ったり励ましたりしていたのにも関わらず。手伝いによんだはずの奥さんが段々従業員の方に対して上から物を言う様になり仕事に口を出すと言うか・・・それが原因ですっかり皆の士気は落ちてしまったそうでその方はある日すっかり絶えきれないせいかこれはちょっとやりすぎかも知れませんがその場で奥さんをぶっ飛ばしたそうです。まあ離婚覚悟だったかも知れませんね。でも、その奥さん状況を把握したらしくそこからすぐ立ち直ってくれたそうです。そして今その奥さんは会社には参加していませんが僕の仲間内では一番しっかりした何とも出来た奥さんです。ある意味やんちゃなご主人を一歩大人に成ってしっかり支えているかのようにさえ見えます。その方を見て僕は思いました。世の中には出来た奥さん恵まれた男性は他にも沢山いるかも知れないけどやはりそれは一夕に出来上がる関係では無いのだと学びました。またご主人の優しさも大いに影響していると思います。色んな事を乗り越えて今そのご夫婦はとても幸せそうです。そして、これは内助の功の裏返しであって奥さんに悪気の無い部分もとても多いとも思えます。先ほどの階級話ですが何故こんな事が起こるのでしょう。それは男性にとって非常に悲しい事です。かの有名なナポレオン・ボナパルトの話ですが彼は長年付き添ったとても出来たご婦人を捨て親子ほど年の違う若い女性に乗り換えた途端に人生が急落したという見解があります。実際歴史を紐解いて何千人も調査しても同じような統計が出ているそうです。つまり彼は自分の過ちによって精神的な支えを失って力を落としてしまったのです。僕の絶対に信じる伴侶の重要性はそこに有ります。そして、その旧ご婦人とははそんな女性階級のようなモラルの無い方だとは絶対に思えません。それは僕の周りで事あるごとにその女性の階級のことについて話しましたがその結果全員の意見はほぼ一致です。それはそんな常識やモラルの欠けたご婦人のために仕事の意欲は絶対に失せてしまうという意見ですがある方は怒りながら別居して勝手にやって欲しいとまで言ってました。僕は男性にとってそれは充実した人生や仕事に不可欠な要素だと思いますし事実偉人や成功者と呼ばれる方の背景には必ずと言って良いほど優れた御婦人の存在があったと言う事を統計結果が物語っているそうです。いわゆる偉大な仕事を成し遂げる方はいつも精神のバックに安心した穏やかな家庭が有ったとでも言うことでしょうか?勝手にご主人の手柄で階級を作ってストレスを与え合っている行為はその夫の仕事や人生に大きく影響を及ぼしていることをその方々に僕は出来ることなら認識して頂きたいと心のなか願うのでありました。そしてCさんしばらくご無沙汰してしまいましたがそのご主人はその中の誰よりも後に成功され幸せにる方だと僕は信じそして願います。
May 7, 2004
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良く世間にありがちな話ある女性が数回結婚をしたものの相手が浮気性でしかも暴力的な男性や浪費家だったりとかでしかも何回再婚しても全く同じような癖の相手と巡りう事は実は統計上非常に多いそうです。それは原因がその人の不安や嫉妬から引き起こされる結果だからだそうです。それらの不安がそのような相手を引き寄せ恋愛するに至らせるそうなのです。おやっと思うかもしれませんが実際嫉妬によって余裕を失い女性としての魅力を削がれた人が浮気相手より魅力的に見えるでしょうか?そして実は僕も男女逆の立場でこれと全く同じような体験を繰り返していたのです。そしてある意味嫉妬心という物は僕の永遠の課題に成りそうだったのです。ですが運良く最近専門家を含む色々な方の協力のおかげでやっと解決のめどが立ちましたので今日の日記に書かせて頂きます。僕は幼い頃母の方針であることを教育されていました。それは母の僕に与えた最も難しい課題だったのです。大変変わった話ですが幼い頃の僕はよくどこで遊ぶのも入学式で履きそうな革靴を普段から履かされていたのです。下手をすると鬼ごっこにスーツだったり・・・今でこそ幼児ブランドとかありますが僕の時代はそんな物はなく大変変わった子にされました。そして、決して当時の家が裕福だった訳では無いのです。現に父は親の代からの事業をたたみ約10年ぐらいの間殆ど収入の無かった時でもあったからです。そのせいでよく僕が近所の年上の子達に馬鹿にされべそかいて帰って来た時の事「お母さんみんなが女の子の靴だって言うんだ、もうこの靴は履きたくない」というと決まって母は「それが”ねたみ”という物なのそういう気持は絶対持ったらいけないんだよ」ってそういってまた新しい靴を買ってくるのでした。でも、子供のサイズはめまぐるしく変わるのといい加減僕が可哀相になりいつの日かやっと普通のズック靴を履かしてくれましたがでも、母は僕に嫉妬という感情から遠ざけるというか殆ど知らずに育ったのと同じでした。この事で母がなにを教えようとしていたのか勿論わかりませんでした。実際未だに自分より裕福な人や出世した人を羨ましいと思ったり憎んだりすることは殆どありませんあると言えばその上で優位に立った態度をしたり上から物を言う人間には怒りを感じる事はありますが直接そこで嫉妬という物は無いに等しいです。ここで一般的には感情の抑圧という見解が成り立ちますが後で専門家に相談した結果そう一筋縄で行く問題では無かったのです・・・・・僕が何故そんなに心配するかと言えば他人の気持ちがわからず思わぬ所からトラブルが生ずることだってあります。僕のような自営業者の場合は特にそれを把握していなければ直接約束の不履行や計画の延期などの原因にも成りかねない危険な要素を含んでいるからです。一時期その辺り必死に調べてみたものです。というのも人間の脳構造の発育上の問題でほぼ4歳児ぐらいまでに男女でハッキリ言動の傾向が決まるそうです。男児は自己主張して言動により他人よりも優位に立とうとするそうです。女児はその反対に言動に協調性を発揮し安心感を得ようとするそうです。こういうと本能的ではありますが、勿論これには程度の個人差はありその後の教育などの環境によっても多少は異なるそうではあります。実際僕は幼い時からお姉さん子で本でも何でも読んでもらって育ったんでもっぱら今自慢話より世間話の傾向にあると思うのかそこですが・・・・でも、男性同士のつきあいの中では避けて通れないそれは大変重要な要素なのです。というのも一歩違えると自分の事を語っただけで自慢話と受け取りがちなのが男性の欠点なのです。女性とは逆で世間話のつもりが自慢話に取られるというかまったく困った生き物です。僕は特殊な仕事内容なので何度他人の気を悪くしたかわからないほどです。例えば航空撮影での話とかでヘリやセスナなら何回も乗りましたとか後モデル系統の話とか必死に稼ぐためにやって来たことが日常話すとむかつかれたり・・・つまり仕事で優位に立とうとしている姿に映っているのです・・・あと人前で写真褒められたりするともう周りに鋭い目をした人やスッゴイ機嫌悪い人だっていることもあります。これ女性にはあまりわからないかも知れませんが男性社会の特徴なのです・・・ホント男ってどうしようもない生き物でしょう(笑)そして、よく世間一般に言う話で”見返してやる”とかそれをバネにする人だってよくいますよね。しかし嫉妬には恐い副作用もあるそうでそれは、感性や想像力を枯渇させ健康を損ない老化を早めたりもするそうです。実際年令よりも若い人はその辺で吹っ切れていたりする物です。血圧系統の治らない人が情緒的な事の改善で急に正常に成ったりする場合もこれが関連する場合があるそうです。ですがそれがなかったら本当に幸せとは僕はある意味思えないのでありました。この辺の事で僕は親には悪いですが自分の欠陥か親の教育によって何かが欠如しているのではないかと思い自分自身でも調べ尽くせず専門家の方にありったけと言うかデータを渡してある日ご意見を伺いましたが残念なことにデータ不足といいますか満足な結果は得られなかったです。それもそのハズ嫉妬心の無い人間などいないからです。でも、このとき良いとこまで教えてくださったので後の解決が早かったです。そして、最近ある方から親子仲についてちょっとした相談が僕にありましてその方のために考えている内に自分の人生の中のある事について振り返りそこで偶然気付きました。僕は二十歳位の時とんでもなくヤキモチ焼かせたがりの彼女に毎日精神的にいじめられていたと言いますか・・よくいますよねそういう女の子!事あるごとに男の話を出してきては自分に向けたがるというか・・・僕も最初は抵抗して相手にしていなかったかも知れませんがあまりのしつこさにある日悩んだあげく交通事故を起こしてしまいました。普通の4車線の道路で朝150~160キロでぼーっとぬって走って出てきた右折車を避けるために大スピンしてしまいした。回転したせいで車はバンパーきれいにに取れただけですみましたが・・・・・ですが勿論もう、その女の子とは会いたくなくなりました。でも、ここから僕のある人生が始まったのです。それは俗に言う”逆不倫”です。でも、それは特殊なあるパターンがあったのです。最初は僕は旦那様の存在を知りません殆どは問いつめた結果にわかってしまいます。でもその都度その人と不思議と結婚を考えたくなるのです。そして問いつめた時の言い訳はきまっていて”結婚前本当に好きな彼氏と経済的に安定した今の旦那と天秤にかけてしまって後悔している”というものでそれを聞くと何故か可哀想で許してしまう僕でした。状況は色々でしたがだいたい似ています。元彼と言っていたのが長期出張の旦那だったり若いのに真っ白い頭のお爺さんと一緒だったり・・・・こんな事を真剣に4回もしている間にかなり年をとったものであります。しかし、このパターンこそが重大な鍵だったのです。つまり最初にお話しした通りその相手を引き寄せていたのは僕の中の強い嫉妬心とそれに対する不安だったのです。つまり僕は最初から浮気の心配のない人を無意識に選んでいたというか僕の心のより所へとしていたのです。その人と結婚を考えたのも今はわかりますけどほぼ不安からの解放を求めていたからなのです。そして少し前その10何年以上も会ってないヤキモチ焼かせたがりの女の子から電話が来たのです。その内容たるやスッゴイ小声で「わたしねぇ~浮気ばれてぇ・・旦那に口きいてもらえないのぉ~」って言うんです。実は彼女は僕より年上の人でこれが第三者だったらなんてお気の毒なひとだろうって思いますが今や幼なじみのような感覚なので転がって笑ってしまいました。でも、可哀想で何となく心が痛みました。いまだ同じ事をしている訳でありました。彼女はそうしなければ生きられないのでしょうか?ですが、そんなことですっかり僕は思い出すに至りました。そして、今度こそもう一人の専門家の方にそのデータで相談するとやはりあり得る話だそうです。つまり僕は異性への方向へ片寄ってはいても嫉妬心自体が欠如していた訳ではなかったのです。そして、そこから逃避していただけで・・・・まあしょうがない逃げていたのですね。そうとわかれば後は対処して行く所存です。つまり心の余裕を持ちつつそんな心配するひまがあったら相手のことを信じより思ってやるように心がけます。つまりそこから足洗います。絶対不倫しません・・・・誓います。そしてまたこれも最近ある本の中でとても良い一節をみつけました。それは”人をさげすむような人間もいるがそれは行動の自由である。そして我々にはそういう人にならない自由もあるつまり、その人を哀れむ自由である”・・・・・この言葉が僕の心の琴線にかなり触れました。これこそが母の最大の教えだったのです。今思えば母の家でずっと続いてる習わしかとも思えます。そして確かに僕は完璧では無ですしそういう人を時には怒ったりもしますが可哀そうだと哀れむことも年を重ねるごとに段々と出来るようになって来ました。母に何度きいても「今にわかるそういう物なの」としか言わなかった事それもそうです。哀れみなさいと言っても出来る物では無いのが人間です。年を重ねなければ・・・なんと言ったら良いか長い時間はかかりましたが今母にあらためて感謝します。そして、ここまで導いてくれた人々この日記に書かれている全ての人々に・・・・
May 4, 2004
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最近僕は映画俳優のBruce Leeが実は哲学に精通された人物である事実を没後30周年追悼番組の中で初めて知りました。前の日記に書いた大怪我の直前まで僕は実は空手少年でBruce Leeを神様のように思う少年でしたから僕にとってその事実はとても衝撃的でした。もっと驚いたのは自己宣言と呼ばれる作業をしていた事でその文章が一般公開されていますがその内容たるや今世間一般に成功法則と言われる物とまったく同じというかいや、それ以上に巧みというか素晴らしい物でした。その後、本やNetで必死に探していますがその部分に着目した物は少なく見つけるのはとても困難であります。でも、それとは別にちょっとした彼の引用がここにありますので是非読んでください。私は賢い。 何故なら私は常に良き物を日々学んでいるからである。 私は完璧である。 何故なら私は決して故意に間違いを起こさないからである。 私は私自身が好きである。 何故なら私は常に事を起こす為に行動に移るからである。 私は私が私であるという事が幸せである。 何故なら私は常に幸せである(になる)事を自ら選んでいるからである。 故に私は賢く、完璧で、行動的で宇宙の幸福の中心である。 我々は全て宇宙の幸福の中心であるべきだ。何故なら我々全員はこの地上に幸せである為に存在しているからである。 人生における普遍的な目的は幸福である・・・・・・これはBruceが自慢話している訳ではないですよ。自己を励ましているのです。それは丁度僕がよく”不安な物なんて最初から無い”と自分に言い聞かせるのと同じ事です。これはアファメーションとか自己宣言と呼ばれる物である道場の門下生全員が読み上げていたそうです。そして僕が最も着目したのがBruceの将来に向けての宣言文です。それは簡単に言うと自分の五年十年後の日付を設定してその目標とそれにまつわる計画とそしてその代償というべき物を設定するのです。何故代償かというと人間の心の深層には一人しか想い描ける余地が無くそこに自分の助けるべき人物などを描く事などが有効とされています。また、その逆の原理が”人を呪わば穴二つ”というように自分に作用する原理だからです・・・・・そして、彼は最も有効なものを選んでいます。それは過去の自分のような俳優を選出しバックアップし成功させるという代償だったのです。かれは見事に宣言文通りに大革命をおこしました。当時の社会ではアメリカ映画に中国人の監督・主演などは誰も思いもしない事だったのです。ましてや今現在も人を引きつけてやまないこの魅力やエネルギーは彼の哲学者としての部分から生まれていたのでしょう。所が彼がこの代償を払ったかどうかは謎なのです。その前に亡くなりましたので・・・・この部分に着目した書籍や番組を僕は期待するのですが今のところないみたいなのです。なぜ僕がこれほどまでに着目するのかといえば僕は過去五年間Bruceと全く同じような宣言文を作成ししかも壁に貼り辛くとも苦しくとも毎日朝夕に読み上げていたからです。それに僕の代償は人々の利益にならないことはいっさいしない事そして10年15年先には過去の自分のような人物と出会い出来うるかぎり完全にバックアップする事だからです。そして第一の設定日は4月27日つまり今回の誕生日だったのです。勿論仕事の目標もありましたがそれは先日話したように計画性が滅茶苦茶になってしまいましたが宣言文の最後の言葉は”その日私は心の平安を手にいれる事でしょう。ありがとうございます”・・・だったのです。ですが、その日まで何も起こりそうもなくボンヤリと誕生日の事すら忘れていました。でも、その日の日記(タイトル:家族の信頼)を読んで頂いた方にはおわかり頂けるでしょう。その日確かに僕はある種の心の平安を手にいれていたのです。その日までに5年かかって僕は肉親の理解信頼(家族の書き込みを通して得た事柄)を手に入れていたのです。この心の解放と驚きやタイミングの複雑さをこれ以上文章でご説明出来ないのは残念です。そしてあの日記は実は僕にとてもよく似た境遇の方に心を痛めた事から始まったのです。でも、その方の事を書いた行は残念な事に本人のプライバシーもありますのでアップの直前に本人との相談した結果削除することに至りましたが・・・。”他人の悩や問題の解決に携わる途中で自分の問題が解決する”という話はよく聞きますが僕はHP等を通して最近それに直面することが幾つか出てきました。凄く感謝すべき事ですその事はいずれ・・・・・・・・そして僕が写真を通して得た心の平安はやはりここ五年が過去最高と言えるでしょう。これからもそれが続き繁栄して行くことを願います・・・独立の頃から始まった宣言文・・・僕はまた今続きの宣言文を練り直しています。そして、次の設定日は2009年の誕生日と2014年の誕生日です。その日また奇跡が起こることを僕は信じ期待し続けます。私、ブルース・リーは、アメリカで一番出演料の高い東洋のスーパースターになるだろう。なぜなら、私は最もエキサイティングな演技をし、俳優として最高の能力を、示すことができるからである・・・・・1970年からスタートして世界的名声を勝ち得て、1980年末までに、1千万ドルの財産を築いているだろう・・・・・そうなったら私は、自分の満足のいくような暮らし方をし、心の調和と幸福を、手に入れるのだ。 私の究極の目標(1969年1月) ───────ブルース・リー
May 2, 2004
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近日身内がこの日記を読んでいるらしき事が判明し照れまくって先日方向性を少し考えて見た物のこんな事ではひるまないぐらい苦労は積んできたつもりの僕(汗)今日はちと過激な切り口でいきます! 8才未満の方はご遠慮を・・・いないっつーの!僕はここに懺悔させて頂きます。○○様!(宗教団体入ってないので)僕は今まで生きるためにNetgalleryに飾れないようなチト過激な部類の写真も沢山撮ったことがあります!殿方には羨ましがられるかも知れませんが黒い人も白い人もみ~~んな見たことない部分まで目にやきつけて生きてきました~~~!(注意:あのgalleryの女性は芸能活動されてるモデルさんが殆どですので迷惑が及ばぬようそれ以外のスジからの方々であることをハッキリさせておきます。)でもそれは生活の為で本意ではなかったのです~~~~!先日は身内の出現のせいか一日のアクセスがなんと277!ぶったまげました。大感謝です!誕生日のお祝いの言葉とかもありがとうございます。実は最近考え事のせいか誕生日の数時間前までその事を忘れてました。そしたら普段お世話になってる先輩が急にパーティー開いてくれてとても嬉しかったこと。その席で興味深い方にお会いしまして結構話し込みました。その一部を日記にさせてもらおうと思います。その方はある国で最近までモデルとして活動された経験があるそうですが東京でまたその仕事がしたいけど周りの方が”汚い世界だと”反対され迷っていると僕に話してきました。僕はあくまで自分の経験のなかからかなり話しましたが結論からいうとあるかも知れないけど半分ホントで半分ウソだから自分の意志が大切であるとそう言いました。と言うのも僕が独立したてのころ運良く都内に音楽関係の事務所をだされている元有名なTV番組1○P○のある曜日担当の責任者だった方に色々な紹介を受けました。まあある意味とても恩人(複雑!)の一人ですがその方のことはいづれ・・・・・・その方に業界の色々な事を聞かされましたが結局不正はあっても長続きしない事が解りました。つまり汚いというのは具体的にある女性が1回デーとして仕事を受けても段々デートの回数が増やされます。つまり2~3回のデートで一回の仕事となり、そうこうしているうちに周りにはばれて終いには担当者の自慢話にまでされた暁には”なんて安い女の人なんだろう”って思われてギャラもさがるしその担当者まで業界からはじかれる事まで今はあるそうです。その人は体裁や焦りでどんどん借金の固まりになることもあるそうです。つまり世の中不正とはそうそう長続きしないものなのです。僕はある意味独立前ある会社に勤めたことで東京の外国人の方とある程度面識を持つことができました。でも、周りの男性は悲しい事に「なんで脱がせないの?」なんて方が今だにですけど多く特にその時も写真と言えば何かとヘアヌード写真集みたいな事を皆考えた時期でもありました。ある日僕はそんな先輩の方々からついそそのかされその部類のものを撮ってとって来るように言われました。馬鹿と言うかくそ真面目というか独立したてで前途焦るせいもありぐさま交渉にかかりました。そしたらとても意外!あっさり簡単だったのです。しかもモデル料なしで・・・本当に30秒しかかからなかったんです。思わず僕は天才かと思ってしました。前もって先輩に素性の確かなカメラマンだと言うことは最低お伝えされていたものの「アルバムつくるからヌードしない?雑誌出るかも知れないけど関係ないよねどうせ身内とかこっちいないもんね?もし出たらモデル料もらってやるからさぁ~いいでしょ!」ってこれで次の日のお昼30キロの機材抱えてホテルでした。でも、僕もフォトグラファーの端くれですからやましいこと無しですし綺麗に可愛く撮ったつもりですよ・・・・。そして、その方の紹介で無名の僕がどんどんと数件ですが結構な大手の出版社の編集長の方まで紹介されました。でも、そこでの対応は決まってこれを2週間に一度の割合で持ってきてくださいと言う物でした。しかも、間接的に「君は出来るんだろう」ぐらいのニュアンスを言ってきたものです。その方のふれこみがすでにそう言う意味合いの事を言っていたのであろう事に気付きました。つまり連れ込んで撮るカメラマンの一種・・・・無名の僕がこんな所に来れるのだからそれが現実かとショックを受けた物です。でも、僕のgalleryを見て頂ければそれが僕の本意では無いことはおわかり頂けると思います。また、それを願いますが・・・・。まあ世の中にはそれ以上に過激な写真つまり直接的SEXみたいな写真はあれど男性にとってある意味必要悪かなと自分に言い聞かせもしました。そして勿論その業界自体が悪い物だとももうとう思っていません・・・・それからその方々の紹介で一時期色々な風俗の分野も経験しました。でも、この業界の恐いところはそのジャンルのレッテルが着くと抜け出せないなどどいう昔からの言い伝えみたいな部分があり僕も気にせずにはいられなかったのでありました。僕の風俗の写真はある意味好評でしたがある意味不評でもありました。それは”綺麗すぎてでも、いやらしさがもっと欲しい”というものでありました。でも、その一方でプロのモデルさん達が僕を訪ねてきてくれていたのです。話は複雑ですがこれは僕にとっての究極の選択でした。つまり儲けをとるか自分の心かですけど・・・・・。でも、その方の真のねらいは僕の個人の知り合いのモデル層の方々でした。いわゆる僕にとってはそのコらへの裏切りみたいなもんです。その話は後でしようと思おもいますがもっと他の意味もある複雑なものです。そして、ある日のことすっかりその方面のビデオにまでその話は勝手に広められて僕はすっかり悩んでしまいました。でも、ある会社の経営者(脚本主演)のかたに最後申しました。「僕はこの東京で立ちんぼ(コール○○)しているコまで知ってはいますがそのコでも人前で脱ぐのだけは抵抗があると言います僕はそっちの気持をとります。」と言いました。勿論紹介者の顔を潰す恐れもあるのを覚悟で・・・・でも、その素敵な俳優の方とは今では仕事ぬきの良い友人となれました。実は僕らの様なフォトグラファーの中では撮影にモデルの旦那さんが参入する場面を経験するケースも珍しくありませんそれはつまりヤキモチや心配なですがつまりモデルさん達はそう言う意味でまともなカメラマンをさがしています。だから皆友達の紹介などでないと滅多に来る物じゃありません。僕はそう言う人たちにスケジュールを空けるとや信頼を得ることの方が自分の心に正直だと思いそれを選びました。つまりそのコらの仕事の成功を支えることに喜びのような物を感じ始めていたのです。追放されたのかしたのか判りませんがいまその紹介者の方とは無縁です。そしたら急にヒマにはなりましたがそこからパンフやポスターの仕事にも発展してくれたしそして、なにより僕の心の財産あのgalleryの写真の数々が生まれたのであります。僕はつい最近この掲示板に書き込みしてくれた方ともお話しましたがある報道カメラマンが悲惨な状態の子供の写真を助けもせず撮って賞をもらったらしいですがそのカメラマンは後で罪悪感が募ったあげくにアルコールに溺れ自殺したそうです。世の中には悪いお金とかという表現がありますが儲けれるのは罪悪感の低い時だけで一度罪悪感にさいなまれると人はその計画に破壊命令を無意識にだして失敗してしまうという説があります。つまりそれで儲けたお金はいつか何らかのカタチで無くなるのです。お金自体が悪いのでは無くそれが悪いお金の正体だそうです。だから僕は思うのです。何事も絶えず真実信義重んじない行動は決して長続きしないといま僕が写真を続けていられるのは沢山の人の支えと僕の心の真実があるからだとそう思えます。そして、これを単なるきれい事と受け取るかどうかはあなたの心次第です・・・・・。それにしても殿方はなぜそんなにまで直接的SEXの写真を望むのでしょうね。僕にとってはみ~んな同じで面白くないじぁないみたいにも思えるし見たかったら勝手に直接見てくださいって言いたいのです。第一僕の目指すのは女性の美しさだからSEXにしろ間接的といえる部分の・・・・・・それってありでしょう・・・。そして、またそれにしても今スケジュールが空きすぎのこの頃HPできたからそれも良いけどがんばらにゃ~・・・・・・・(笑)
April 28, 2004
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ある方から今朝偶然良いことを聞きました。”親の心配心は子供に対する信頼の無さ”から来る結果だそうです。実はこの問題は僕もかれこれ20年近くも取り組んで来たとなのでとても心に深く響きました。実は僕の独立は親に反対されていました。数年前まで親は”そんな夢みたいな事出来るわけないのだから早くちゃんとしたとこに勤めなさい”とそう言い続けていたんです。それがどれだけ僕の心に痛みを与え仕事に対する意欲をそいで来た事か・・・・・現実親の言うとうり険しい世界ではありましたがしかし、そこから5年以上たった今その親が現在は僕を励ましてくれる存在に変わっているのです。肉親の否定的な意見とはその人の仕事や人生に多大な影響を与える危険な物だそうです。それは急激に心の深層まで届き焼き付いてしまうそうだからです。逆にその励ましや信頼は一番の強い味方と成ります。一説によれば全ての親は子供を自分達の創造物や所有物という考えをすべて捨て与えられた存在であると認識するべきたど言います。これは子供が親の心配した通りの姿に成っていることが非常に多いという事実があるのです。それは例えば非行に走り勉強しない子供の親は一番それを心配したのにもかかわらずそうなってしまうことがとても多い事実からです。つまり、その逆に子供を信頼し子供の幸せな姿を願ってあげることが唯一の解決策だそうです。僕がスタジオ勤めしていた時のこと親戚に会うと誰も僕の職業を知りませんでした。姉の友達に会っても同じです。おやっと思いそれは僕があまり仕事の話をしないせいなのか?親戚に対する世間体でもあるのか?長続きしない世界とでも思っているのか?色々考えましたが複雑な心境でその話は家族と出来ませんでした。また、数年前少々の写真を母と姉に送りましたが二人とも写真の話についてはノーコメントでした。話しかけても触れようとしないような態度にショックを受けました。息子がこんな物撮れるわけがない(信頼せず)とでも思っていたのでしょうか?それらのことがどれだけ辛く寂しかったことか・・・・・僕は数年まえから親にその肉親の否定的な意見の恐ろしさを説き始めましたそうしたら段々と親は変化してきたのです。息子が心配であれば受け入れざるを得なかったのでしょう。今や”頑張りなさい”と言ってくれるようにまで成りました。そして、昨日姉が始めて僕の掲示板に書き込みをしてくれたのです。短い言葉でしたがそれは僕にとって最高の祝福だったのです。そして、僕の仕事はいつも踏んだり蹴ったりで今は特に全てが振り出しに戻った状態です。でも、今はいつもより落ち着いていられます。それは昨日僕が唯一最高の見方を得たからです。家族の信頼、長年かかりましたが僕はやっと昨日それを手に入れました。HP始めて写真公開して今本当に良かったとそう思えます。ありがとうございます。
April 25, 2004
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僕から皆さんにご報告しておきたい事があります。カミングアウトとは少々大げさですが・・・・未だ日は浅い物の皆様からのお褒めや励ましの感想などを沢山頂き誠に感謝しております。色々な質問等もメール頂きました。仕事上でもよくあることですがGallery2更新にあたりましてここでひとまずお答えしておきます。>個展、というか…一般公開されてないのですか? ありがとうございます。でも、未だそんなご身分ではございませんので何とかHP上で公開させて頂いた次第です。その日までお待ちして頂ければ幸いです。>スタジオはどちらですか?残念ですが独立してからそんなモンはありません。レンタルスタジオ使える予算のある仕事にもなかなかありつけない有様です。でもその都度組み立てる出張撮影の手法とでもいいますか僕もプロの端くれですからそう言う原理は少なくともわきまえているつもりではあります。現にあのGalleryの写真の中には最初の頃自宅の狭いスペースを利用して撮った物も混じっています。でも、そう思ってもう一度見て頂ければ単なる誤魔化しのような物で無いことはおわかりになって頂けると思います。もし僕が大理石の階段のついた立派な結婚式場の写真室の様なスタジオを持っていたとしてもワザと似たような手法で撮影することでしょうから。そして、ここ数年はとある場所を時間制でやっとこアトリエ代わりに借りているのと後、芸に助けられているとでも言いますか出張撮影でもってなんとか生きています。ホント何でもやって来てよかった何のジャンルも建築や航空撮影までやってた事もあります。その中でポートレイトがわずかながら偶然うけてしまったわけでありますが・・・仕込んで頂いた師につくづく感謝する今日です。そして僕がここまでなんとかやってこれたのも色々な方の励ましや支えが有ったからです。その恩師中の一人の方にどうしても忘れられない思い出がありまして敬意をこめてGallery2に飾らせて頂きました。普段モデルの方についてはモラルと義務が有りますのであまり詳しくは語らない事にしていますがこの方の場合はバレバレかも知れませんのでその経緯や僕のアトリエの存在に興味のある方は”やさしいお姉さんへ”という題名でページを後ほど作って置きますのでそちらの方をどうぞごらんください。内容は最近その方へ送ったメールにかたりきれなかった部分を追加したものです。今はただもう一言だけ僕にとって本当にやさしい人でした。最近の僕にとっては珍しく速射性に頼ってバンバン撮りまくった写真の数々です。ロケ地は富山や金沢の方で季節は冬そしてもう五年近く前のものです。短く慌ただしい中の瞬間的撮影でしたがその時僕は今現在の撮影につての様々な確信の部分をその方をとおして教わったつもりです。色々な励ましやの言葉や仕事に対しての妥協を許さない部分を教えてもくれました。そして僕は普段深夜番組や二~三本のコマーシャルに出演なさっただけでつんつんな方々ににも何度もお会いした事はあるもののこの方はただただ優しいお姉さんの様に接してくれた寛大な御慈悲にとても感激したものです。そしてご本人は写真撮影はそれほど慣れていないとご謙遜されていましたがその一瞬のモデルとしての段違のセンスには驚かされました。ばたばたの中での撮影はその部分にかなり救われたとも思えます。あの方で無かったら単なるスナップ写真の羅列にも成りかねなかったと言っても過言では無い程わずかの慌ただしい撮影チャンスでしたので。そう言う意味で二泊の短い間では有りましたがあの方とご一緒できた事は今の僕の励みでもありとても良い思い出と成りました。この前まではGallery1の続きを作ろうと思っていましたがその前に忘れてはならない恩師への敬意のつもりで飾らせて頂きました。どうか一つご覧ください。
April 23, 2004
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皆さんの中には”バーチャル”つまり仮想的な物に対して抵抗のある方はいらっしゃるでしょうか?なんやかんや言ってもここで語り合ってる限り皆免疫持っていますよね!でも、これだけこの言葉が蔓延っていてしかもこれからも進展して行くことでしょうからいったいどこまでが虚像でどこまでが現実か考えたことはないでしょうか?正直僕にもどこまでかわかりませんがある意味全てが現実だと思えるのです。例えば本を読んでも人は泣いたり笑ったり怒ったりもします。また直接人間に言われても同じ反応をしめします。そして僕や皆さんのPCの中でも同じ事が言えますよね。それは単なる活字でしょうか?いえ、そこに心があるからとしか思えないのです。そして、我々の住むこの世界は人々の想像のなかからこつこつと積み上げられてきた結果とも言えるのです。俳優の高島忠夫さんが幼少の頃読んだ”夢の世界”という絵本の中に現在の立体高速道路やリニアモーターカーなどが沢山出ていたそうです。今となっては日常的な物でも当時の国家が計画していたとは思えないほどの昔です。何十年か前のアメリカの人気ドラマStar Trekの中に出てくる沢山のアイテムは今や日常的とも言える物です。あのドラマから沢山の発明品が出ているのは有名ですよね。通信機は携帯電話になりした。毎回のように体の中を調べる機械が登場しますが今やMRIやCTスキャンと呼ばれる物へと成りました。あそこまで高性能では有りませんがそれも時間の問題ともいえるでしょう。1870年代頃未だ世の中の最先端の通信手段が電報だった頃電話を発明したグラハム・ベルという方はその原理を親しい友人に話すと心配のあまりか友人達が両腕を抱えて精神病院に連れて行ったそうです。そして、我々の住む世の中は単なる利害関係だけて積み上げられた結果でしょうか?言うまでもなくそこには人々の協力と言う物が存在していました。そしてそれは精神的な繋がりなくして得られなかったと僕はそう思います。今の世の中の何をみても一人で造れるものなんて何もありません。それはちょうどパパイヤ・マンゴを食べに誰の協力も得ず自力で海を渡る人がいないのと同じです。でも、それだって資本主義の効果のみとは僕には思えません。それにその偉大さ巧みさをみれば一目瞭然人々の想像力や心の繋がりが無かったら不可能だったと僕は信じます。だから心という物を通して考えれば全てが現実だと思えるのです。先ほどからやれ本やPCだのと色々申しましたがだから僕は写真の中に有る世界もある意味現実と思えるのです。ちょっと自分本位で強引な結びつけのようですが何せ僕日記・・・・・・・。
April 22, 2004
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つい先ほどの事です。今から僕の写真見て”癒されてきます”メールを頂きました”同じ写真でもいいから何度も見たい”この方々のお言葉はどんな世界の作り手をも癒やしてくれる最高の励ましです。これこそが最高の制作者冥利に尽きるお言葉であると僕はそう思いました。とても感激しました。お人柄に敬意を表さずにはいられず日記に綴らせて頂く事にしました。作り手の心つまり制作者の気持ちについてのべさせて頂きます。色々な業界に作り手はいますが先ほどの喜びについてはほぼ共通するといっても過言ではないでしょう。同様に僕は沢山の制作者の方について普段一番思っている事でもありあますので。まぁ自分本位の事を列ねてしまいそうで申し訳ありませんがなにぶん僕日記ですのでご勘弁を・・・まず最も身近に自分から語らせていただきます。僕は職業柄ポートフォリオというか小型のアルバムのような物をいつも見本として持ち歩いております。で、時々”あっ見せてー”って言う方には快く”はい、どうぞ”と勿論お見せしますが”あっこれ見みましたー”ってぽいっと返されるととってもひるんでしまいます。それはまあ例え映画でも二回見ない人はざらでしょうからよろしいですけども僕らみたいな人間はアルバムといえど勿論苦労して撮ってしかもプリントも色出しからトリミングまでありまして結構高価になってしまうので随時更新等とはとてもいけないのですよね。独立したての頃満員電車から押し出されて無くしてしまったときには泣きそうになったぐらいです。それと、これはしょうがないのですが何回か撮った事のある女性の方からわざわざローマ字でare mimashitaっていうメールが今日届いたばかりです(笑)そして僕は普段ノートパソコンに音楽をいれてよそでよく聴いていたものですが特にElton JohnのYour SongとあとChicagoのHard to say I'm Sorryという曲がとても好きでちょくちょく聴きますが先輩に”おまえいつの聞いてんだよ”って言う人がよくいましてしまいには音楽のセンスが悪いなども言われる始末です。まあその方々は好きで音楽沢山もっていらっしゃるようですが主に新しいのが多いようですが僕の好きな理由は新しい古いではなくそのメロディーや歌声は勿論ですが特にこの2曲に関しては一生懸命日本語訳し自分で単語調べたりしたもので全てにわたって好きな曲なのです。僕には流行などサイクルでしかないと思ってますので英語は得意ではありませんが例え訳詞カードがついているCDでももう一度単語調べのつもりで訳してみるといろんなニュアンスに感じてまたひと味違った味わいがあると思っているのでありました。そんなことをするのも英語の勉強のためも有りますがとあとそれが作品なのでその敬意であるつもりであります。勿論、制作者側には到底伝わりもしませんがどうしてもそうしたい気持といいますか・・・特にYour Songは制作者の優しい気持ちを歌った曲でもありましてとても好きなのです。それはヒット曲ですのでこういうふうに何度も聞いてくれる方は沢山いらっしゃる事でしょうが大概はその時だけでしかも誰も知らないうちに忘れられてしまうのが多くの作品の運命です。皆当然それを覚悟して作ってはいます。そういう物だと言いながら黙って作り続けています。でももし、それをずっと聴いていもらえたり本人が亡くなった後もせめて人々の心に作品が残っていたらどんなに嬉しいことでしょう。僕はその点は他の方より幸運です。僕の写真は色々な国の方にもって帰って頂きました。物が写真だけに例えその方や僕が亡くなったとしてもきっと御家族が大切にしてくれているだろうと・・・もしも僕が死ぬまで写真とれたら誰かの心の中に残れるかも知れないと・・・・・そういう思いで撮らせて頂いてきました。勿論写真をはじめた頃からずっとその思いは変わりません。このような思いは他の沢山の作り手の方にも必ずあると思います。それこそ真心ではないでしょうか?例えば音楽でしたがそれ一つにも制作者の心が入っていることを全ての方に少しだけでももし、思い出して頂けたなら・・・・流行らないとか言わないでスペースがあるのでしたら成る可くとっておいてたまに思い出してもう一度聴いて頂けたなら・・・勝手なつぶやきのようで申し訳ありませんが此が誰にも話した事のない僕のささやかな願でありました。
April 19, 2004
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病と闘ってらっしゃる方のページを拝見させて頂いた時にいつも考させられることがあります。我々の体は最初顕微鏡で見なければ見えないほどの小さな点のようなものでした。それがある偉大な力によってたちまち成人のからだ目指してどんどん成長していきます。これは単なる遺伝子の悪戯でしょうか?でも、人間にはまだ培養はできても無から創造ることは出来ないのです。ここに僕は何というか自分以外の意志のような存在を感じさせられます。細胞一つにも意識があると言う説もありますがとうてい僕にはそこまでは感じとることはできません。でも、その意志の力によって草や木も生きていると信じています。またその力は小さな傷などをたちまち治してしまします。時には不治と言われた重い病や怪我などから救ってくれたりもします。それはその力の主が完全な健康体を把握しているからこそそこへ近づけて修復してくれるのだと僕はそう信じるのです。赤ん坊の成長の早さをみればその力はとても偉大だと思えるのです。でも、逆にせっかくのその偉大な力も本人の心が阻止出来る物でもあるとも思っています。実は昔の僕は人一倍感受性の強い少年で親と喧嘩した夜飛び降りをして入院をしてしまったことがあります。そして、退院直前に驚くような話を聞かされました。当時の僕の主治医は日本で二番目に人工関節の手術をなさって学会に研究発表するほどの権威でした。僕が救急車で運ばれた日その先生が祈り続ける母に”酷いです・・・おそらく車椅子か良くて義足の生活の御覚悟を・・・”そして再手術についての事を語らていたそうです。それは母にとってえらいショックだったと思います。でも、母は僕にこういいました”あなたはすぐ治るんだからね。しかもみんな驚くぐらい凄く早く退院できる”ってそして、何故かしきりに毎日それを言うのです。勿論それが回復にかなり影響したと思えます。僕は数ヶ月で退院し約一年後には走れる程に回復していたのです。再手術も有りませんでした。お医者様も”信じられない儲けモンだよこれは家族と仲良くな”なんて最後におっしゃってくださった程です。あの時を振り返って考えれば母は結構な宗教家だから僕の回復を疑っていなかったし僕も母の言葉を信じて疑わなかった。実際途中で禁止されてましたが隠れて歩く練習をしていたほどです。今思えばここから科学的根拠が沢山生ずるらしいですけどそして、勿論僕以上の怪我をした人は沢山いますし僕はたまたま運が良かった1人かもしれません。でも、僕はこのときから自分以外の何かの存在と共に有るような口では言い表せない何かがあることを感じはじめていました。今は痛みも全く無くしいて言えば足の曲がりがほんの1センチ悪い程度です。そして、今思えばそのとき一つ勉強になったことが有りました。それは回復の途中で個室の病室から移された後で知り合った沢山の人々や励ましてくれた人々との交流がなんとも初めての体験でその人達や環境からどうしても別れたくないというか・・・もし母や家族がいなかったら一生入院していたいようなそんな気すらしたものです。でも、何より自分よりも母が深く回復を望んでいたのでそのような気持からは自然と解放されることができましたけど・・・そして今、以外と心の奥底で人は病を欲しているなどと言われています。それに自分で回復を拒んだりすると治りが遅くなったり治る物も治らなかったりするということはどんなお医者様も昔からよく言われています。そんな方々にこの意志の主の存在を誰の中にもあるこの何かをもし伝えることができたらって何故かいつも心の中で思います。勿論言っても救えないかも知れませんでも、何故かいつもそう思えてならないのです。上手くは言えませんがたとえ治らないと言われても細胞は日々生まれかわっていることをもういちど把握しつつ日々を過ごしてただきたいというか・・・・でも、勿論実際なかなか出来る話ではありません・・・。でも、心の中で僕はある時からいつも信じているのです。僕は短命な家系が続いているのでこういう話を父と話りあえなかった事が何故か・・・ほんと何故かいまだ心残りです。でも、父は身をもってそれを僕に語ったと・・・口はきけませんでしたがそれを忘れるなと最後言い残したと・・・・・そう信じています。父はお医者様からとうてい無理かも知れないと言われつつも空輸され家族のもとに帰るまで頑張った人だから・・・・・・その時から
April 16, 2004
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誰しも人間関係のなかでどうしても変わってほしい人っていますよね。以前の僕はどうもお節介が過ぎる方と言いますか・・・例えば親しい人の場合その人の為になるならたとえ先輩であっても本人の気付かない部分とかを涙を飲んで知らせてあげるのが人情というか”思いやり”というものだと思ってました。でも、それは思いやりではなく大きな”思い上がり”であることにお恥ずかしいで話ですか近年気付きました。それに心の腫瘍に触れられることによって人とは激しく反感をかって逆上したりもするそうです。実際僕も先輩に泣かれるとこでした(恐)でも、僕のそんな性格をみなわかってるので絶縁とかはないですけど・・・・なんとも僕未熟者です。未だそんな部分が残っている僕ですか近年他の方法に切り替えることにしました。それは祈ることです。そんなことで!って思うかも知れませんがこれがすごい効力を発揮するのです。例えば避けて通れないような人間関係とかにはもう、これしかないと思ってます。また先日の話にも通じる部分もあると思います。つまり男女や家庭の仲などの問題解決の糸口になるのではと今考ます。理屈的に説明しますとまず実行することによって自分の言葉の節々や態度などか変化してくるものなのです。理屈で説明できないのは色々なタイミングやそれ以上に空気を伝わるような感情的な部分まで網羅されているような気すらします。つまり”その人が変わってほしい姿を想像し祈ること”くちで言ったって人間変わりません心の底から願わなければ・・・話術や演技などそんなに長続きするものではありません僕に言わせれば空気を通って伝染してしまします。同じように敬意も伝染します。この原理はある部分で写真撮影にも応用が利くことに気付いた近年でもありました。僕には話術は必要ありませんそのことはいづれ・・・・まさか~って思われる方いらっしゃるかも知れませんがどうしても困ったときは是非お試しあれ保証します。保証書は発行しませんが・・・あなたの幸せをそれにしても先日は掲示板の偉い盛り上がりにビックリです。僕の短いHP史上最高でしたとっても感謝です。またいつか皆さん盛り上がりましょー!
April 14, 2004
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僕が全ての愛について考える理想のカタチそれは一方通行です。 実はその一線を越えることから様々な愛のトラブルはしょうじていると言われています。 つまり、条件付きの愛に変わってしまうからです。 具体的には愛してくれるから愛する、好きだから好きということ・・・・・ ある意味厳密にはそれも見返りの一種かも知れないそうです。 現実でも、それが殆どだそうですね。 でも、もし互いに一方通行の愛が重なったらなにか問題が起こると思いますか? 僕は絶対にないと信じます。 そして、このカタチは身近に存在しています。 生まれたばかりの子供を愛する母親の気持ちです。 子供は何かを与えることが出来るでしょうか? また、母親がなにか見返りを求めるでしょうか? あるわけ無いですよね! ですからこれが全ての愛における要であると僕は信じています。 ここから男女の恋愛、友情、家族や様々な人間関係における最高の愛が生まれるはずです。 愛のバランスが崩れると仕事や体調、広い意味では人生全てのバランスが崩れると言われています。 逆にそのバランスが保てれば最高の人生ですよね。 それには片側通行を恐れない勇気もまた大切であると今思えます。 そして、僕はそれを選びます。(もう少し詳しくつけたして左のページに綴りました。) 1000アクセス感謝!
April 13, 2004
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先日、映画のフォレストガンプが好きと言う方にお会いしました。実は僕も大好きでビデオ大事に時々見ます。”人生は蓋を開けてみなければわからない宝箱のようなもの”確かこんなサブタイトルだったと思います。あの優しさは素直に最高だと思います。いっぱい泣かせてもらいました・・・・元気勇気いっぱい湧いてきますそして、だれしも奇跡を信じたくなる映画だと思いました。僕は今フォレストのように成功は手にしてないもののがむしゃらに生きてきた人生の中に不思議な導きみたいな物を感じています。幼い頃祖母が下宿屋を営んでいました。そこにはよく外国人の方がいらっしゃいましたでも、僕は怖くて話をしたことがありませんでした。カールレイモンさんと言う日本で初めてソーセイジ工場を造ったドイツ人のお爺さんが祖母のよきボーイフレンドでした。でも、僕はそのお爺さんと目が合うと怖くて走ってにげてきてあそこにいたー!っていうような子でした。そして、そこからかなりたったある日のこと海外からきた子供達へのボランティア活動する事になってしまったりそのときの思い出と写真にすこし関係あることでページ作りましたので時間のある方はみてください。この後につづくエピソードは他にもありますがいつか後ほど・・・・ギャラリー見て頂い方にはわかるとおもいまいすが”これだから人生わからない”って思えるわけです。そして、奇跡は信じたいと・・・・・・。On 2004.4.11, at 07:00 午前, wrote:
April 10, 2004
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皆さんのHP見て日記よくつけれるな~って感心したんですけど僕、夢日記なら最近つけてるんですけどどうもどうも言葉にできないというか・・・・まぁ練習がてら書きますんで僕の近所の話聞いてくだい。今すんでいるとこもう気付けば8年以上になるんですけどなかなかなんと言うか味のある場所で実際なかなか離れたくないような気もしています。最初はですね、わりとみんな知ってる学生街があるんですけどその熱気というか楽しい雰囲気にふれてその近くを探したんですけど不動産屋さんとの交渉しているあいだにそっから歩いて10分ぐらいのとこに落ち着いたんですよね。それがなんか見た目にはちょっとわかりずらいでど下町風のとってもいい雰囲気がある場所なんですよね。近所は個人で小さいお店を営んでるかたが多くいつも行きます。最近気になってるのがちょっと前にオープンしたとこで一見普通のコンビニ風でも、中にはいると年配のご夫婦がやっていてそれがまたいい味だしてるんですよね。この前行ったときにはそこのお母さん手作りの三角くじだしてきて見たこともないようなデザインの(七福神)ポケットティッシュもらったんですけど。実はぼくそういうのに非常ーに弱いんです。飲食店なんかでも僕よりちょっと年上の女性の方がやっててメニューによく”何々はじめました”ってフレーズありますけど(マジック書きか何かで)僕の心はとても反応してしまいます。すぐ近くにおは知る人ぞ知る爺さんの総菜屋さんがあるんですけどそこの売りはなんと言っても午後5時ぴったりににあがる唐揚げなんですけど味はケンタッキーさんなんか目じゃないかも、その時間にぴったり人が並ぶんですよね。僕もたまに買うんですけどそしたらこの前僕でうれきれになったとき後ろでお年寄りた ちがあ~唐揚げ売れた~って言うんで。とても怖い思いしをました。あと豆腐屋さんこれがすっごく美味しいおぼろどうふ作るんですけどここに僕ちょっとカミングアウトしたいことがあるんですよ。そこ普段僕と同じかちょっと年上ぐらいの女性の方とそのお母さんでやってるんですけど僕、寝間着姿で近所あるくせいで学生だと思ってるんですよね。そして、”学生さんなんでしょ~”ってかわるがわるにてんこ盛りのサービスしてくるんですよね。勿論僕結構いいとしなんですよ。でも、自由業の人間って 全体に若く見られるんですよね。でも、男性ってそれで得することはまずないです実際。今年ちょっといけないんですよねそこ! そこには愛情感じるんでコンビニとかに卸してるんでそこからたまに買いますけど。そして、もうひとつ気になるのが20才ぐらいの男の子のはじめた床屋さんです。これが来る日もお客さんが入らなくて・・・・でも、僕も近所だから挨拶とかで抜けれなくなるのが怖くて仕事仲間とかによく”お願いだからいってくれ~っ”て頼んでたんですけど・・最近回転し始めたようでなにより。でも、そうゆうのってみんなありませんか?僕も慣れなくてあのくじ引きのお店で立ち読みできなかったり・・・・でも、わりとよくある話ですが近所づきあいのなさとモラルそして治安の問題などって密接な関係があるって言われる世の中ですよね。特に僕らも父親から喧嘩のしかた教わったような年代ですから今きになることが結構あります。学校の問題や幼児の虐待など・・・・小さい商店がどんどんチェーン店化に飲み込まれたりしてきえってったりするなか最低限手作りとか人の心そして営みって大切にして行きたいと僕は思っています。まあ僕も今は現像所のお世話にはなってますけどいわば手作りみたいな要素かなりあると思っていますので勿論そう考えるわけですが
April 9, 2004
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作品公開の為に始めたHPではありますがいろんな方との交流で僕も勉強させられることがかなりあります。これって日常会う方だけは得られない貴重な関係 (そして温か!)だと深く思いました。僕はここ数年相談者(聞き役)という人がもてませんでした。でも、別に僕の周りにいる人が決して悪いわけではないですよ!それは知り合いに相談してもその人の味方についた意見しかないと言う事実と噂好きのひとは手がつけられないという事と場合によっては嫉妬などもからむからです。(これでは正しい結果は得られる訳がない!)カウンセラーの職業の方の重要性って実はそこなんですってね。仕事や日常、健康、人生、等助力の必要なときってありますよね。HPではいろんな方と意見を交えれますしましてやニックネームや私書箱までついてて非常に良い関係だな(素晴らしい世界)と思いました。そんな僕のついこないだまでの悩みは長年の金縛りとそれに伴う幻聴・幻覚、だから勿論睡眠も不安定でした。金縛りは聞いたこともないような強力さです。でも、必死に(ホント必死!)調べてやっと解放されたのが最近です。と言うのも安定剤とかは体質に合わないので諦めざるを得なかったからです。根本的には人々の恐怖や不安は本人の創造物だという原理です。僕は明晰夢への転換という方法に挑戦しました。そしたら恐怖感等が吹き飛んでしまってその日(一度成功!)以来解放されました。困ったことにご存じかも知れませんが明晰夢には楽しみや趣味の要素もありまして・・・だから今度は逆に元にもどる方法は???(笑)ってなっちぁいました。明晰夢とはより現実的な夢のこと・・・余談ではありますがその人口は意外と多く映画のマトリクスもそれをモチーフにしているのでヒットしたのではと推測されているそうです。サイトで知り合った深層心理研究家の平井 瑛子さんは感性の鋭さから自分を追い込んだ結果とおっしゃってくれましたが(感謝) そしたらこれは職業病にはいるかな?(笑)なんて思ちゃいました。悩みとは人それぞれ必ず持っている物だからこういう事は可能であれば楽しく(転換して!)話したいと僕は考えています。僕は基本的に赤裸々でいたい派ですから・・・そして、同情、共感などのこだわりも持っていないつもりだから・・・・・それに話してスッキリだけでもいいかも知れませんしね!長いのでそれと少し写真と関連したことでページ作っておきましたので時間のあるかたは見てください。On 2004.4.8, at 11:22 午後, wrote:
April 8, 2004
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僕がよく大事にする事の一つに”悲しみ”があります。悲しみは心の薬だそうです。病気などを癒す効果まであるそうです。人間の精神的な資質の高さをあらわし人の感情の中で最も高等な部分に位置しているそうです。若さ故か悲しみを全く知らないような人って気になります。なぜなら僕は逆に言えば優しさのバロメータであるとも思えるからです。興味のある人には一番悲しかった事って聞いてみたくもなる。実際しないけど。。。親しくなった人には悲しみについての会話がしたくなりますがなかなかそうもいきません。いづれこの話はもっと深くまとめようと思いますが僕は自身の写真のなかにそれが何らかのかたちで反映されればと思っています。実際まだまだですがいつか。。。。。最近妙に涙もろい僕、映画はもちろんつい先日、興味で尺八と琴の(さくら)メロディーをきいていたら最後に泣いていた。こんなの初めてびっくりした自分でも。。。。。そんな事ってみんなないかな?On 2004.4.7, at 10:51 午後, wrote:
April 7, 2004
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何人もの方からお褒めの言葉をいただき誠にありがとうございます。意外かもしれませんが長い間とれて当たり前の世界にいたものでこういう事ってめったにないのです。僕のように個人の場合被写体がそのままクライアントのケースは珍しくなくそうなるとシビアな関係というか評価する以前に立ちはだかってる物があるというかでも、”良く撮ってくれてありがとう”って感動してくれる人なんているととても嬉しくなりす。”この仕事しててよかった”って思える瞬間ですね。ホントご意見だけ聞かせていただくだけでもありがたいのに嬉しい限りです。そして、初めて間もないのに沢山書き込みホント素晴らしい世界ですね。そんな事から利害関係のない隣人の尊さをあらためて感じました。なるべくご返事かいて日記もつけてアップの方は僕ネガ探しからなんでご意見聞きながらゆっくりアップするものを考えていきたいと思います。人物以外のジャンルの物もあるので。。。そして今後は僕が写真について思う事それに経験した事などを日記なり記事なりにして行きたいと思ってます。なにせこの通り文才が乏しい物で良い練習になればともおもっています。まず僕の写真についての考えのひとつですが、戦後の流れの中で世界的に死んだ動物や死人の写真を” world peace(世界平和 ) ” などどしてうったえる時代があまりにも長く続きました。けっして間違いではないと思っております。でも、僕はそれをどうしても素直に受け入れられない部分ももっていました。そして最近フォトグラファーのなかで反対のうごきがやっぱりでてきました。つまり、”こうゆうきれいな物があるから平和って大切なんだ”っていううごきです。僕もその中のひとりだと思ってください。そしてフォトグラファーは写真以外のことも調べたり勉強しなければならないことがけっこうあります。被写体によってその予備的な知識おおまかな部分ですが調べたりもします。そんなことで日記を付けたりまとめて記事にしたりもして行きたいと思っています。On 2004.4.7, at 12:23 午前, wrote:
April 6, 2004
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昨日、PhotoGalleryとホームページ初めて作ってみたけど今日見てびっくり!こんなところにアクセスしてくれる人が100人もいるのですね。まーそれは人気サイトに比べたら全然な数字かも知れないけど僕にとっては脅威でした。僕は独立してからのネガは義務としてしっかり保管していますが(軽く1000人以上の)。仕事以外で公開しないのはなんと自分の心が狭いというか、そんな気持ちで人のアドバイスもあってGalleryつくって見たのが先日!後で調べてみるとここって日記メインのとこみたいですね。せっかく訪ねてくれた方に申し訳ないので、日記ぐらいつけようかなって思いました。僕は写真人生の話なんかすると人に本でもだしたら?って言われたこともありますけどいまいち文才がないので練習するよい機会だなと思っています。そのうちページが増えれば嬉しいです。だれかご意見があったら欲しいとこです。
April 4, 2004
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本日ここのサイトにホームページを作ってみたのは自分の勉強のためもあってHTMLエディタなるものを試そうと思いほかのサイトで実験中のものを改良するのが目的だった。でも、なにこれ??なんのタグも許可されない!これじゃ全然だめかも!!と思ったがちーとばかり取り組んでみた。できばえには満足いかないが当初はくし同然だったのがなんとかカタチつくところまでなったかな?中学生のサイト見たら上手でショック!まー先はながそうだと。そして最近仕事以外にはまってるのがHemi-sync!だれが興味ある人とお話したいところです。
April 3, 2004
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