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これ書こうと思ってたんです。日記が800件を超えた話。よくもまぁ、書いてきたものです。まぁ、今は簡単に書けるんです。ぱっとひらめきますから。それを書く時間があるかどうか。ただそれだけ。書こうと思えば、どれだけでも書けちゃいます。でもよくもまぁ、こんな事ばかり書いてられるなぁという思いもあります。これからもつれづれなるままに書いていきますので、宜しくお願い致します。
2006.02.27
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私の仕事は会計事務所で資産税を主にしております。この時期に相続申告3件が終わりました。この時期の相続は始めてで正直かなりつらかった。相続税申告のプレッシャーは際限なく重かったです。私の事をリアルで知っている方は、白髪のあまりの増え方に驚かれることでしょう。でもそれも今日まで。明日には染めてしまうので真っ黒の髪の私をお見せできるでしょう。明日は一日、ゆーーーっくりします。そして来週からは私にとって本格的な確定申告の作業。こんな時期からやる確定申告作業は始めて。まぁ、相続の申告に比べればプレッシャーなんて屁みたいなもの(笑)明日は大量UPします。時間かかるけど、良かったら読んでみてくださいね。では。
2006.02.25
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先日、19日に新井信介さんの皆神塾に行って来て、これだなと思ったことがあったので書かせて頂きます。ちょっと観念的な話なので伝わりにくいかもしれないのでお許し下さい。私が1月3日の日記に書かせて頂いたのですが、今年はアジアの時代が来るかもと書かせて頂いたのですが、やはり来るかなと思う情報が二つありましたので、ここで書かせて頂きます。アジアの時代が来るというよりアジア一体化の時代が来ているような気がしています。岡本吏郎さんはエンターテイメントの世界は時代の流れの最先端を行っている。エンターテイメントの流れを見ていれば、時代の流れが見えてくるとおっしゃられています。そこで注目されるのがある映画です。中国の監督がアジアのスターを集めて映画を撮るというお話があるのはご存じですか?アジアのスターを集めて映画を撮る?前世紀では考えられない状況があります。そして覚えている方が少ないかもしれないのですが、年始めに政治家の山崎拓さんが今年は総裁選に出ると言いました。何故あの時期にあんな事を言ったのか?それは世界情勢と発言の後に山崎さんが行った所を見れば分かります。政治という世界は一番時代の流れから取り残されている世界。この政治という世界とエンターテイメントの世界のギャップを見つめていれば、いろんな事に着目できるのではないでしょうか?さて話は戻ります。世界情勢は着々と中国のパワーが増しています。そして基軸通貨であるドルの外貨準備高の1位は中国となってしまいました。つまり中国が外貨準備高というアメリカ国債の投げ売りをすれば、ドルの価値は下げ止まり、アメリカ経済が破綻してしまうという状況になっています。そして山崎さんの行った所。それはフィリピンです。フィリピンは華僑の大拠点。先程のアメリカへのパワーバランスが崩れつつある中で、日本はいまだにアメリカ中心外交をしている。ここでギャップが生まれている。時代の流れからすると置いて行かれるという状況になっている。確かにポスト小泉は小泉政策を継承すると者がなるという話がされていますが、時代の流れはアメリカをたてつつも、アジア外交にシフトを傾けなければならない時代になっているのかも知れません。アジア外交をメインにしてしまうと最強のテロリストCIAによって田中角栄さんがつぶされてしまったようになるのかも知れないですが。バランスを取りながら、時代の流れを掴んでいければいいなと思います。
2006.02.24
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私は会計事務所で相続税の申告をメインでやっています。それで思うことなのですが、自分の仕事って上っ面でやってんだなって。何故、そんな事を思うか。もちろん、数字の正確性や評価でつめる部分はつめにつめ切る。でもそれはあくまでも税金を下げるというお話。確かにお客様は税金を下げることは嬉しいことであるのは間違いないが、もっと重要なことはあるんじゃないかって思うんです。最近、特に思うのは人の死んだ意味について。前にも書いたことがあると思うのですが、自分の親は自分にとってベストのタイミングで死んでくれる。とすると、このタイミングで死んでくれた意味は何かという問いかけが無くてはならないと思うんです。でもこの相続税という問題が財産を守ること。そして納税を少なくすませる。そして相続を争続にならないようにする。の方に焦点が行きがちで、もっと根元的な問いにはなっていないような気がします。ちゃんと亡くなった意味を消化されている方はほとんどいないんじゃないかって思います。これは・・・思い込みかもしれませんが。。。そして私の仕事ぶりを振り返ってみると、死んだ意味を考えましょう。なんて事は口が裂けても言えない。この言葉、親族にはとても受け入れられる言葉じゃないですから。言えない自分に歯がゆい部分は感じますが、それとこれとはちょっと違うような気がします。だから自分の仕事は上っ面だと思えるんでしょう。でも相続をやったお客様の人生を背負えるわけでもないんですけどね。
2006.02.23
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人は過去のことを全て説明できません。それは何故か。簡単な言葉で成功という例を挙げながら書きたいと思いますが、成功した後にはどの成功者も苦難があったことを認めますが、その頃のことは完全には説明できません。それは諺にも言われているとおり、喉元過ぎれば熱さを忘れる。正確には、熱いものも、飲みこんでしまえばその熱さを忘れてしまう。転じて、苦しい経験も、過ぎ去ってしまえばその苦しさを忘れてしまう。また、苦しいときに助けてもらっても、楽になってしまえばその恩義を忘れてしまう。という意味のようですが、苦しい経験はその人にとってはその瞬間だけでそれを乗り越えたときには、もう既に過去のモノとなり、この過去の苦しみはあくまでも過去のモノとなる。つまり現在の状況から過去を説明しようとしたときには、完全には説明できない。そしてこの苦しみを抜け出した経験こそがその人独自のモノで他の人には全く通用しなかったりします。それは何故か。この世の中に全く同じ状況で生まれ、同じ環境の中で生きる人はいないからです。となると、答えはその人個々のものでしかないんです。となると、世の中にこうすれば○○になれるという本。ほんとになれるんでしょうか?私はなれないと思います。それは上に書いたとおり、答えはその人個々のモノでしかないからです。自分はかなりの部分説明できるようにはなりました。でも完璧に説明できるとは思ってはいません。誘導ということは出来るのですが。。。答えは自分の中にしかない。そして答えを導き出すをプロセスもその人個々人しか持っていない。だからこそ自分に聞いてごらん。という話になるんでしょうね。
2006.02.22
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今、あなたに起こっている全てのことは全て意味があります。そして思いつきで思ったこと。それにももちろん意味がある。占星術に自分がある質問・問いかけを受けたときに天体の動きが答えだというモノがあるようです。となると、この世の中にある全てのモノにそして私たち人類全てにこの事が起こっているとしたら、この世の中はとても精巧なパズルであるように思えます。これが単純な言葉に直すと、複雑という言葉になるのでしょうが。。。これに今の時代を象徴する言葉、複雑系につながっていくんでしょうが。でも元々は単純なモノからのスタート。だから真理は単純なモノなのかもしれません。自分の中に単純なモノと複雑なモノを内包しながら生きていくのがいいんでしょうね。となると人は全て二原論で定義されるのではないんでしょう。そして自分の中での矛盾と立ち向かい、生きていくのが結局は生まれたときからの使命なんではないでしょうか。そう、生まれた瞬間から死ぬという瞬間までに生きるという矛盾を抱え始め生きていきますから。
2006.02.21
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私は論理的に物事を考えるのが好きのようである。最近、読む本も哲学的な本を読むのが増えてきた。だから前よりより一層、論理的になってきているのかもしれません。ところが、私の概念を覆す言葉が『国家の品格』に載っていました。人間にとって最も重要なことの多くが、論理的に説明できないということ。そして論理的の中枢にあると思われる数学的にも証明されています。1931年にオーストリアの数学者クルト・ゲーデルが「不完全性定理」というものを証明しました。不完全性定理というのhs、おおざっぱに言うと、どんなに立派な公理系があっても、その中に、正しいか正しくないかを論理的に判定できない命題が存在する。ということです。正しいか誤りかを論理的に判定出来ないことが、完全無欠と思われていた数学においてさえある、ということをゲーデルは証明したのです。この不完全性定理が証明されるまで、古今東西の数学者は、こと数学に限れば、どんな命題でも正しいか誤りかのどちらか一つであり、どちらであるかいつかは判定できる、と信じ切っていた。ところがゲーデルはその前提を覆したのです。人間の頭が悪いから判定できないのではない。論理に頼っていては永久に判定できない、ということがある。それを証明してしまったのです。と書いてありました。それでかなりショックを受けました。というのは、全くウソで。こんな事はとっくの前に分かっていました。私の目の前で論理では全く説明できないことが多々起こっていましたから。自己否定という題名で書いていますが、全然、自己否定するつもりはありません。何故なら、自己否定をする理由が全くないからです。私がよく話す言葉にある一定の所に行くまでは、どう行ってもかまわない。でもその一定の所を超えるには感性や行動でしか行けない領域がある。この一定の所に行くまでの過程を私は論理という方法によって、埋めただけですから。あとは感性と行動、そして洞察力ですか。これからも論理的な考えをつめてはいきますが、自分の感性や洞察力を大切にしていきます。
2006.02.20
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今日は新井信介さんの皆神塾で聞いたことでなるほどと思ったことがありましたので書かせて頂きます。それは皇室のお話。先般、紀子様がご懐妊されたというので下火になってしまった皇室典範問題ですが、これについてのお話を2つ。一つは紀子様のご懐妊について。もう一つは精神性の天皇という問題について。紀子様のご懐妊については皆さんもご存じの通りかも知れませんが、紀子様と秋篠宮は頑張っていたようです。ある勢力からの要請を受けて。そして見事にご懐妊されました。私が思うには、紀子様はかなり懐妊されやすい体質のように思えます。秋篠宮と紀子様がご結婚される前に何度も子供が出来ては、降ろすということをされていたと聞いたこともありますし、何度もこんな事をやっていては、紀子がダメになるということでご結婚されたという話も聞いたことがあります。私の知っている人にもすぐに子供の出来る女性がいるのを知っていますので、多分、紀子様は子供が出来やすい体質なのでしょう。だからある勢力が皇室典範改正問題に一矢投げかけようとしたのではないでしょうか?もう一つの精神性の天皇という問題。古事記には仁徳天皇がある女性と夜伽をして喜んでいるという記載があります。これはどういうことか?それは女性から天皇として認められたということ。つまり日本の統治者として認められたということ。正確には大王なんでしょうけど。。。天皇という表記が出てくるのは日本書紀に天武天皇という表記が始めてなので、天皇というのは700年代からの表記となります。さて話は戻りますが、この夜伽をした女性はどういう人だったのでしょうか?これは宮崎周辺にいたとされるシャーマンの血筋の方々。これらのシャーマンの血筋によって大王としての精神性を補填するという状況がここにかいま見えます。それとこの時代の女性にとって男性を暗殺するのは簡単なこと。夜伽の時に密かに毒を飲まして殺すことはたやすいことだったのです。この状況から考えると、仁徳天皇が夜伽をして喜んでいるということは。日本の支配者として認められたので喜んでいるという方に捉えることは出来ないでしょうか?つまり700年以降の男系が続いてきたのは2600年ではなく、1300年のたまものだということ。そして天皇としての精神性は女性が保有してきたという事実を見なければ、真実はまた違って来るように思えるのですが、いかがでしょうか?
2006.02.19
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今日は朝6時に出社し、昼頃まで仕事をし、熱海に向かいました。熱海に行く理由はただ一つ。船井先生の講演を聴くため。今回は先日、ブログで書かせて頂いた質問についてぜひ船井先生に答えを教えていただくために行きました。結局は質問にはお答え頂けなかったんですが、私の中では少し楽になりました。そして一つ学びがありました。この世の中には質問に何でも答えられる人がいる。その人に聞けばOKだということ。世の中にはいろんなひとがいるもんだなと思ったのと同時に、確信すれば何でも分かるんだなと思いました。最近の船井先生の話は確信すればどうなるという話に行きつくような気がします。そろそろ講演は卒業で本のみで良いのかも知れないなと思いました。確信すれば何でも叶う。ただそれだけなんですね。
2006.02.18
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最近、いろんな事が分かれば分かるほど怖くなることがあります。それは人の発言についてと知識の深さについて。人の発言を聞いていると、この人がどのような考え方を持ち、そしてどんな思いで今という瞬間を生きているかすぐに分かります。今はだいたい、分かった人に対してはその人に合わせたしゃべり方が出来てきているように思えます。でも1年ぐらい前の私は『こんな寂しい思いをするくらいなら出会いたくない』という思いを抱えたまま、人と接していたため、人に対して、つらくあたっていたような気がします。人とは親密になる事に臆病になっていたのでしょう。今はどうかというと、まだまだだと思いますが、多少なりとも変わってきたのかなとは感じています。なんて書いている言葉によって私が判断できるんですから、他の方も判断できているんでしょうね。なんて・・・ちょっと怖いなと思います。自分の一言によって、私の住んでいる世界が全部分かってしまうという現実。そして知識の深さについてです。これは追求すればするほど、どんどん知りたいことが増えてくるということ。そして今、私は今という時代を捉えるために過去の哲学書的なモノを読み始めています。何故なら、今という時代は過去という時代の延長線上にあるから。そして今の世界は過去の世界の螺旋的発展であるから。確かに今の世の中は大変な世の中だと思います。どこで落とし穴があるか分からない。自分の組み立てたシナリオの中で完璧きなことをやったつもりでも、自分の知らない過去のある知識によればシナリオには穴があり、見事にその穴に入り込んでいくということがあります。だからいろんな知識を知っていなくてはいけないと感じています。だから発言には『今の段階では・・・』という話が多くなってきているんでしょう。かなり長くなってきたので、書くのは止めようかなとは思ったのですが、思いついたので書かせて頂きます。最後に快楽殺人者のお話を少し。突然、全く違う話になってしまうのですが、昔にフジテレビ系列で『沙粧妙子(さしょうたえこ)』という番組がありました。(漢字が違っていたらごめんなさい)この番組は自分の愛した人が元々快楽殺人者を研究していた人で、いつの間にか快楽殺人者に魅せられ、自分も快楽殺人者になり、その愛というアプローチを快楽殺人によって表現されるというお話でした。私はこのドラマにはまり、それから何冊か快楽殺人者達の本を読み、自分の中で答えを出したのを今でも覚えています。この快楽殺人をするという芽は誰でも持っていると思います。それは快楽殺人をするということが自分というモノを表現する手段だとしたら、どうでしょうか?世の中にはいろんな形で自分を表現していますが、方法論として快楽殺人しか選べない人たちがいたとしたら、それは悲しいことでもあるのですが、そういう星の元に生まれ、この世でそういう軌跡を歩むという事を決めてきたとしたら、それは受け入れるしかありませんから。例え私の愛する人たちを殺されたとしても。ちょっと話の論点がずれてきてしまいましたが、この番組の中でセリフでこんな言葉がありました。どんどん研究をしていくと、この深淵にじっと見ているモノがいる。その見ているモノに私は負けたんだ。だから私はこうなってしまったという言葉。(正確には違うかもしれません)この深淵が少し見えてきたような気がします。私が快楽殺人者になるわけではありませんが、この深淵から見つめているモノつまり自分という存在は何かという問いかけに対して、真っ向から立ち向かっていきたいなと思います。
2006.02.17
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世の中には知らないのが仏だという言葉がありますが、これはほんとでしょうか?ある種は正しいとは思います。でも絶対ではない。それは簡単に説明出来ます。それは自分の生きている世界が消しゴムという大きさの世界と、ノートの大きさの世界との差はどうかというお話。消しゴム程度の大きさで物事を判断する場合と、ノートの大きさで物事を判断する場合。どちらが正しい判断が出来るのでしょうか?私はもちろん、ノートの大きさで判断したいと思います。それは今の自分の仕事柄かも分かりません。税務という仕事はある税法でいいと思われたことが、他の税法でひっかかるということがよくあります。例えば、同族間で時価より低い価額で売買をする場合、所得税法上は時価の半分を切らない場合は問題ありません。でも贈与税では贈与という認定されることがあり、贈与税が課税される場合があります。したがって全体像が見えない場合の税金上のアドバイスほど怖い者はありません。全体的に見て判断することを痛感する現場にいますから。翻って物事を判断する場合、経営という事を判断するとき。いろんな事を知っていた方がシナリオを組みやすく、そして自分がより確信できる方法を選ぶことが出来る。そうすれば成功は寄ってくるということになる。だから知っていれば知っている方がいい。と私は思います。
2006.02.16
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昨日は綺麗なお月様でしたね。地震の方は皆さん、ご存じの通り何も起こらずに終わりました。まぁ、平和が何よりです。友人が何かいつもより感じが悪い空気があると言っていましたので、何かが起こっているかもしれませんが、とりあえずは大丈夫のようです。平和が何よりですね。でも人間は今、普通にある存在を忘れてしまいがち。この普通という状態に感謝しなければならないなと感じます。ほんと皆さんのおかげで私という存在がいられる。何かそんな事をふと思いました。
2006.02.15
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今日、郵送でチョコレートが届きました。正直、嬉しい!!でも・・・食べれないんだよなぁ。。。白砂糖は毒だからねぇ。でも愛がつまってるんだったら、食べちゃうんですけど(笑)やっぱり食べるのが愛だという部分はあるんですね。お客さんの所に行って、どうぞとお茶菓子が出てきます。これ食べずにいると、またまた勧められます。食べれません!とは言えないし。体に悪くなさそうなモノを一つだけ食べるようにして、その場は逃げます。食べても関係ない。浣腸の方法論をもっとつめないといけないですね。
2006.02.14
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ある時期に私が友人達に送ったメールに日付が明日に迫りました。明日、ほんとに起こるのでしょうか?それは神のみぞ知る。考え方の両方から考えてみると、起こるようでもあり、起こらないようでもあります。それは明日、結果が出ます。私が道化師になるかならないか。それは明日、決まります。まぁ、私的にはいろんな方の信頼が無くなったとしても、道化師になる方がいいんですけどね。
2006.02.13
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私と同級生、そして私と同郷である四日市中央工業三羽ガラスのレフティモンスターが引退しました。高校選手権決勝での帝京戦での前転シュート。フランス戦での振り向き様の左足シュート。他にも思い出はたくさんありますが、私にとってヒーローでした。私も若い頃はサッカーをやっておりましたが、私は全くそんなレベルには至らず、高校選手権は夢のまた夢でした。こんな憧れを持った彼の動向は注目せざるを得ない存在でした。加藤久さんが世界に誇れる左足と言ったのももう忘却の彼方です。小倉は指導者を目指されるようですが、あのDFを小馬鹿にしたようなドリブル。そして心底サッカーを楽しんでいた彼が繰り広げるサッカーを監督として、反映してくれるよう心から祈っています。ますますのご活躍をお祈りせざるを得ない方です。
2006.02.12
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どうやらこの世の中は2つのパターンに大きくは分けられるようです。それで今回は理論と感性という観点から世の中を捉えてみたいと思います。理論と感性。これは別の言い方をすると、理論派と感性で生きている人。前にも書いたのですが、私は完全な理論派です。とはいえ、最近は感性の方も重要なファクターとして必要なんだなと思えるようになりました。私は興味のあることについては自分の中で答えが出ない限り追求していく。追求し答えが出たら、次の興味のある事へ移っていく。そして答えが出た以降は感性でその答えに対するアプローチをしていく。こんな風に私は物事のアプローチをしているんだなって思います。つまり自分の中での物差しを理論によって武装し、その武装が終わったら、感性で物事を捉えていく。そんな感じなのかなって思います。最近、ほとんど感性しか使っていない人との会話をすることが多くなりました。感性しか使っていない人は簡単に答えを自分の中で出せるが、でもそれは人に伝わらない。伝わらないのは理論で話しないから。これも前に書いてますね。。。感性つまり自分の中で生まれた答えを大切に生きている人たち。それが世の中に貢献が出来る答えだったら、私はそれを説明できるアシスト役になれれば、それでいいのかなって最近思います。
2006.02.11
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今日は仕事が忙しい中、仕事をさぼって岡本さんのセミナーに行ってきました。まぁ、土日も休み無く働いてますからこれくらいは許されます。それに仕事以上に私にとってこの機会はとても大切ですから。セミナーの内容は『なんちゃって経済学』前半は『ゲーム理論』後半は経済学のトピックについての講演でした。私にとって今、少し課題としている分野の内容だったので、すごく勉強になりました。特にゲーム理論のナッシュ均衡とか囚人のジレンマとか。少し前にゲーム理論の本を読んだのですが、全く頭の中で消化出来ていなかったので、かなりすっきりしました。それで岡本さんの話で印象に残ったのは、極から極。世の中が簡単な物を欲している。そして時代は人の死で変わる。経済学と言われる学問を勉強しよう。単なる知識だけでなく、知識に裏付けされた経験が問われる時代になってきている。などでした。私は改めて岡本さんのこと、結構好きだなって思いました。早く歴史を構造で捉える事が出来るようにもっと努力しなくては。
2006.02.10
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今日はちょっと読者の方への質問です。それは魂のお話。今、船井先生の最新刊を読んでおります。『人類と地球のアセンション だからこれからこう生きよう』この中でカルマの話や輪廻転生のお話が出てくるのですが、これに関して私が疑問に思っていることにお答え頂きたいのです。それは最初は聖書上はアダムとイブからスタートしたと言われますが、それから子孫が増えていき、どの辺りまで行って、輪廻転生が始まったかというお話。魂というのは永遠だと。永遠な魂は最初は一つだったが、どんどん分裂していき、それが140億?個の魂になった。ということはあるところまでは分裂し続ける状態。でもある時からはカルマを解消するために輪廻転生する。そこの境目が知りたいなと思っているんですが、どなたかご存じないですか?ちょっとこの問いに今、捕らわれています。ご回答、ご存じの方はぜひぜひお答えをお願いします。
2006.02.09
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何も食べずに生きるという方法論を一旦放棄します。理由は、食のことで他に人からの気の遣われようをかわすのが、面倒くさくなってきました。その場は食べるという方がいろんな事がうまくいくという場合が多い。でも気づいたんですよね。食べない方は体は調子いい。それと自分は食べなくても生きられるって。何か確信出来ちゃいました。3月15日が終わってから再度、スタートしたいと思います。だって食べない快感を覚えてしまいましたから。痛みをさけて快楽を得る。人の行動指針を改めて実感できました。
2006.02.08
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年明けからある相談を受け、いろいろと頭を使っているこの頃です。ある方の講演を聞いて、それからは絶対に自分の頭の中で考えてから判断をする様にしています。それからは人と話していて気になることは依存というキーワードです。人は安易な方に流れる。答えの知っている人に簡単に教えてもらおうとする。それって正しいことなのでしょうか?この正しいって書き方は嫌いなんですが。。。自分の頭を使って考えずに答えを出す。つまりこれは自分の経験であってもほんとの身体性の伴った経験になっていないじゃないかと思います。人の身体を通しての経験。これが生きていく上ですごく大切なことだと思います。だから経験し痛い目にあったことは自分の生きる糧になっていたりするんだなって思います。いろんな体験を積み、どんどん確信できる自分を作れば、面白くなるような気がしています。
2006.02.07
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最近、野村克也監督の書籍がたくさん出版されています。読んでいると面白いので、ついつい勝って読んでしまいます。先日も巨人論を読み、いろいろと学びを得ました。さてこの本を読んでの感想ですが、凄い本が出てしまったなというのが率直な意見です。この本は野球論にとどまらず、人生における生き方への示唆となりうる本であります。一方で野村監督の頭の中をかいま見るにはよい本だと思います。それで他の意見なのですが、これは多分、プロ野球選手必読の書になるであろう。そうなると、これを選手達が基準にし監督を見る。監督はこの野村ノート以上のことを言ったり、行動しなければならなくなった。大変なことです。一つの基準がここに書いてあるのですから、選手は監督を判断する基準にもなりうる。大変ですねぇ。ここでふと思うことがあります。暗黙知と言われる知識。この知識は本からは絶対に伝わらない。本人を通してでないと絶対に伝わらないし、そして全部を伝えることは出来ない。自分なりのやり方で、つかんでいくしかない。こういった基準が出来上がったときにこそ自分としての個性が問われているのかもしれませんね。
2006.02.06
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私は本を読むのが大好きです。本を読んでいて、いろんな考えに触れ、そして別の人との考えによって有機的に結びついていく瞬間がかなり気持ちよく感じています。ところで私たちは日頃、本を読んでいると、何故、縦書きなんだろう?って思うことはありませんか?もちろん、英文などは横書きなのですが。。。前にも書いたのですが、体というのは行動でマイナスやプラスを表してしまうことがある。そして言葉によって、その体が強くもなり、弱くもなる。何故強くなったり、弱くなったりするのかは、私たちの体が水で出来ているからなのでしょう。これは詳しくは江本勝さんがいろんな著書で書かれていますので、良かったら読んでみて下さい。さて話は戻りますが、私たちが縦書きの本を読んでいるとき、自然に首を縦に振っています。これって何を表しますか?私たちが横書きの本を読んでいるとき、自然に首を横に振っています。これって何を表しますか?これはそれぞれ『うん、うん。』『いや、いや。』と言ってる仕草と一緒じゃないでしょうか?ということは、『うん』『いや』の仕草どちらが体に入る。そして知識の成熟度はどちらが勝るんでしょうか?こんな事を思ってみました。日頃、私たちがやっている行動。これにも全て意味がある。と感じた瞬間でした。
2006.02.05
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葉加瀬さんのお気に入りのバイオリ二スト達が会しました。それぞれのバイオリンの奏でるハーモニーと共に感じたのは、それぞれの個性がよく出ているなと感じました。メロディとか癖とか。。。それに比べてバック奏者の個性の無さ。バック奏者を葉加瀬さんがあるパートで行いました。でも色が出ない。前に出たときには色が出ているのに。これらの演奏を見ていて、ふと思いました。これって守破離の別形態なのかなって。ある領域に辿り着くまでは、徹底的に基本を学ぶ。そして基本を習得できたときに始めてそこから基本を破り、自分の個性を出すステージがやってくる。個性を出したいと言っても、基本が出来ていないのに個性を出されても邪魔なだけ。目の前のことをきっちりやれと言われるのがオチ。今、どのステージにいるのか見極め、自分の与えられたことに最善を尽くさなければいけないなと感じました。
2006.02.04
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今日は葉加瀬太郎さんのコンサートに行って来ました。私が行く初めての本格的クラシックなコンサートで、バイオリンのかなでるハーモニーが凄く良かったです。周りのお客さんもかなりハイソサエティな感じがして、大人のカップルと女性が多かったです。その中で私は二階のど真ん中の席。最近、コンサートに行くとほとんど真正面の席になります。まぁ、真ん中から見た方がいろんなモノが見えますから、自分でついてるなと感じてしまいます。コンサートに行って思ったことは、自分はコンサートに行くと何か思いつくという事。音楽というファクターによって生まれるのか。それとも考え事するにはいい空間なのか。どちらか分かりませんが、何か思いつきます。今回のキーワードは、リスクマネジメント。守破離。基本が出来ているか?波動。バックと本人との差。です。これらの事については、おって書かせて頂きます。では。
2006.02.03
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全て物事は運用する人で決まります。私の会社の社長は倫理法人会のインストラクターをしています。それで言っていることはほんと素晴らしい。でも、全然伝わらない。何故か、それは自分がやらないから。あれでインストラクターって言うんだから、どうなんでしょうね?私たちの前と別の所での前とでは違うんでしょうね。話は戻ります。確かに倫理法人会が唱えているお題目はほんと素晴らしいと思います。ですが運用している人によって、そして理解度によって、答えは変わってきます。宗教も同じだと思いませんか?イエス・釈迦はスピリチュアルレベルでは同じだと言います。ですが、今の世界の状況はどうなんでしょう?キリスト教の他の文明に対する拒絶。日本の神道の何でも受け入れてしまう懐の深さ。これは生まれた宗教の環境による部分は大きくあるでしょうが、結局は、弟子達がどう広げたいと思い、運用したかだけかなと思います。現代の世界にこれから何かを生み出す人たちがいます。それもこれも運用の仕方です。
2006.02.02
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疲れって何なんでしょう?いきなりとんでもない問いを投げかけましたが、今の私には重要な問いです。というのは、自分が疲れているからです。疲れていると言っても、身体がです。それ以外は別に何ともない。そう身体だけなんですよね。内蔵は休まず私の生命を維持してくれているし、頭の中では相も変わらずいろんな事を考えてくれている。それも全く疲れずに。同じ人の細胞であっても、一方では疲れるのに、一方では疲れない。何でなんでしょう?どなたかお分かりの方、いらっしゃいますでしょうか?
2006.02.01
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