ブラじゅんこ
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こんにちはブラじゅんこです今回のアップは群馬県にあった小幡藩どこに行こうかと色々と調べていたらたまたま出てきた小幡藩歩いてみるととってもゆったりした素敵な街でしたちなみに歩いたのは去年の冬さ・・・寒かった・・・まず向かったのは歴史民俗資料館小幡については情報が少なかったのでここでいろいろと教えてもらいながら展示もじっくりと拝見しましたいつも思うんだけど色々質問すると皆さん、本当に親切に教えてくれてありがたいここ小幡はもともと小幡氏によって支配されていたそうで小幡氏は武田信玄に従っていて武田氏滅亡後は北条氏に北条氏滅亡後は奥平信昌(家康長女の亀ちゃんのお婿さんですね)が藩主になってその後元和元年に(ってことは大阪の陣のあとかな)織田信雄が藩主となってその後代々織田家が続き途中、また奥平松平氏へと藩主が変わりそのまま幕末までいったみたいへ~~信雄くんもここにいたんだ~~って思ったけど実際はいなかったのかな?さてこの資料館の前の十字路が大手門があった場所になってます織田氏3代目の信昌が小幡陣屋を建てて福島から移ってきたそうでその時の大手門がこの場所に置かれたそうこの赤丸のところですねぇ陣屋、広いな柱の台が残ってましたここから西へとテコテコ歩いていきますと・・・武家屋敷や楽山園という庭園がある一体への入り口にたどり着きます歩いてすぐでしたよここから中小路というひろ~~い道が続いていますこんな感じでカックンと曲がってるんですねそのまま道が残ってましたこんな感じでまっすぐな道が伸びてましてこの突き当たりで左へと直角に曲がってます広いよね~~~この左側に武家屋敷や大奥の庭などが残ってるんですこちらは高橋家勘定奉行の邸宅だそうでしかも現在もこちらに住んでいらっしゃるとかお邪魔にならないように静かにお邪魔しました左心字池や月見灯篭などが現存しています建物は歴史を感じますがこのアンテナを見るとああ、ほんとに住んでるんだって思えますねぇ解放されているとはいえなんだか申し訳なくなっちゃってそそくさと失礼しましたその並びにはなんと大奥がありました大奥っていうとお城の奥地にあるイメージだけどここは陣屋の外になったのかな?ここには奥方や腰元が住んでいたそうですよ立派なお庭が残ってましたここはペリーが来航したときに江戸城の大奥の女官たちを疎開させたそうなんですよ「松平家大奥」って書いてあったので親藩だからこそなんでしょうねその前には喰い違い郭があります今も残っている郭このカックンカックンっと曲がっている道を見るとテンションがあがってしまうでも残念ながら中を歩くことができませんでした古地図を見ても現在地とぴったり一致してますね~あ~、このカクカクを歩きたかった・・・ここをカクっと右に曲がってまっすぐ伸びる道を歩きまして突き当たりにあるのが・・・・楽山園織田信雄くんの息子である信良くんが作ってくれた見事な庭園が残っております入場券を買ってこの門を入ると・・・おおおお~~~~石垣の向こうにきれいな土塁が見える~~~わぁ、きれいに整備されてますねテンションあがっちゃったけどあまりの寒さに建物内に一時避難展示には楽山園の模型もありましたこれはわかりやすいこんな感じだったんですねなかなかに優雅な建物そしてこの建物内に分かりやすい藩主の表がありました初代藩主は家康の長女、亀ちゃんの旦那様だったんですねぇってことは亀ちゃんもここにいたのかなぁ🐢さあまずはお庭へと向かいますこの門をくぐると・・・わ~~~~お~~~~なんて素敵な庭園この美しい空間にしばし放心状態になったあとは・・・池の奥にある東屋へ向かいますうお~~~~なんて素敵な景色しばし景色に見とれたあとは池のまわりとグルっと散歩しますこちら側からの景色もいいですねぇこんなかわいい石畳を進むと池の南側にも別の小さな庭園がありましたおお、こちらの庭園も素敵なんて思っていたらこのお池の前にお茶がいただける建物がありましたあまりの寒さに建物内に避難しつつおいしいお抹茶をいただきましたしかも景色も最高お庭を満喫したところで建物跡へと移動御殿の部屋割りが再現されてますおお~、立派ですねぇきれいだったろうなぁ土塁も石垣も堀もと~ってもきれい楽山園を満喫したので川沿いを歩いて大手門前まで戻り武家屋敷とは逆方面へと散策開始この通りには雄川堰という用水路(かな?)が通っています水はきれいだし水の流れる音がさわやかだし寒かったけど癒されながら散歩しましたこの堰には堰の両側の家を行き来できるように12の橋がかかっていたり水辺に降りる階段があったりして生活に密着してるんだなぁここにかかる橋の中でも葬礼橋という橋があって東側の家で不幸があった場合この橋を通って通りへど出ていたそうで葬礼橋は八幡様を挟んで両脇に2つあったそうですこの石はその葬礼橋として架けられてた石なのかな昭和の写真を見ると本当に生活に密着してますねあ~、なんか懐かしい光景・・・この通りには蚕糸を営んでいた家が並んでいますお蚕さんを養蚕する独特な家が並んでますねこの屋根の下の小窓が独特ですよね上の階で養蚕するので風通しのために小窓があるそうです立派な家だなぁしばらく歩くと八幡様に到着しましたこの参道をまっすぐ山へと進むと麓にお社がありましたさて、ここから車移動をしまして現存している武家屋敷へ向かいます松浦氏屋敷この屋敷の松浦氏ですが中老である4代の元寛が賜ったそうこの屋敷はなんと昭和53年まで実際に住宅として使われていたそうなんですえ~~、すごいなうお~~、きれいだし立派これは復元された新しいおうちですね畳も全面に敷かれて懐かしい間取りあ~~~落ち着くお庭もきれいに整備されてます池の向こうには熊倉山を借景として奥行を感じられるようになってますいいね~~~~松浦家の前にある矢羽橋は「破魔矢」の意味があるそうで鬼門の位置にあるそうそこに用水路の分水路がありますおお~~、分かれてる町中に張り巡らされてる用水路ですが織田時代に作られたのかな?その用水路が今も使われてるなんてすごいですよね最後に向かったのは織田家7代のお墓すごい存在感車で向かっている途中からドド~~ンと見えて「どわっ!」っとびっくりした私ですゆっくりと一人一人のお墓にお参りしましたが1つずつアップするとなが~~~くなりそうなのでこれはまた別にアップしようかな寒い時期に行った小幡藩ですが空気がピーーンとしていて景色もきれいに見えましたそして整備された建物やゆったりとした街並みに歩いていても癒されましたいい街だったなぁではまた次のブラじゅんこで
2024.09.29
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