かずやんの旅日誌

かずやんの旅日誌

2024年03月04日
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カテゴリ: アクセラ旅
さて、ここ数日の寝不足に加え、先ほどの酒も加わり眠たくなってきた。
一旦車に戻ろうかとも思ったが、市電に乗り込み住吉駅を目指す。
中華街から住吉駅までは約30分ほどかかるので、その間仮眠を取ろうといった算段だ。
市電は比較的空いていて、長崎駅で多くの人が下車してからはガラガラになってしまった。





うとうとしていたらあっという間に住吉駅到着。
さて、なぜ街の外れの住宅街にやってきたのかというと、ここに隠れた戦跡があるからだ。
その名は 「三菱兵器住吉トンネル工場跡」







太平洋戦争末期。空襲から兵器工場を守るべく、ここ住吉から丘を挟んだ反対側の赤迫まで6本のトンネルが掘られたのだとか。
当時は機材も人員も足りず、トンネル掘削と兵器製造を同時進行でしていたとのこと。
ここで製造されていたのは九一式航空魚雷。
近くの川棚で開発され、鹿児島の錦江湾で訓練を行い、真珠湾攻撃に使用された魚雷だ。
しかし機材や人員不足から、その生産数は月に80本ほどだったとのこと。
手作業だから仕方がないのだが。

そしてここも原爆の被害を受け、被曝当時は地獄絵図だったのだとか。
被爆者の経験が看板に記されているが、筆舌に尽くし難い惨状が広がっていたようだ。







長崎はこの場所のように隠れた戦跡が多く点在している。
いつか全て巡ってみたいものだ。

さて、ここまで軽く歩いたことで眠気も酔いも完全に飛んだ。
しかしそれと同時に花粉症炸裂。くしゃみが止まらない。
仕方ない、一度点鼻薬を取りに車に戻ろう。
ちょうどやってきた市電に乗り込み中華街を目指すのであった。

派手なドラの音と太鼓の音がこだまする。
それらの音が引き連れるのは、緑やピンクの派手な龍たちだ。







点鼻薬を使用し、すっかり落ち着いた私は再び湊公園まで来ていた。
ちょうど龍踊り一行と遭遇したのだった。
龍踊りの方々はみな若い人ばかり。
それもそのはず、この龍踊りは長崎女子高等学校の生徒たちが部活動として行なっているのだ。
あれだけ見事な演舞。相当練習を積んだのだろう。
これからも長崎の伝統を受け継いでいってほしいものだ。

さて、時刻は15時過ぎ。ランタンの点灯前だというのに、湊公園は多くの人でごった返している。
そこでここを一旦離れ、孔子廟へと足を運ぶ。
なんでも媽祖行列の到着式が執り行われるのだとか。
またもや市電で体力を温存しつつ向かう。

孔子廟に到着すると、媽祖行列を復活させたという男性の説明が始まっていた。
冗談を織り交ぜながらの説明は、会場の空気を和やかなものにしてた。





程なく爆竹の破裂音と共に媽祖行列が到着した。
そして始まる演舞の数々。
どれも見応えがあり、私も目を奪われてしまった。

















また来年も観にこなければ。

「はい、どうも。オランダ坂までやってきました。」
スマホを自撮り棒に固定した若者が、独り言を喋りながらオランダ坂を歩いていく。
今流行りの旅系Youtuberなのだろうか。
この界隈もチャンネルが乱立しており、激しい競争となっている。
かくいう私も旅系のチャンネルを持っているが、これは完全に自己満足の世界なので再生数は別段気にしていない。
いや、本当に気にしていない。
一応気になるという方のために、リンクを貼っておくことにしよう(爆)





時刻は17時前。
少々小腹が空いたので、観光通りの 梅月堂 に向かう。
途中中華街の前を通りかかったのだが、観光客でごった返していた。





あの中には入りたくないので、迂回して歩いていく。
程なく到着した梅月堂。
カフェの営業が17時30分までなので、お客さんもまばらだ。
さっそく名物と言われるシースケーキをお願いする。
シースケーキとは、昭和初期に梅月堂が日本で初めて作った長崎のオリジナルケーキなのだとか。
一度食べにきたかったのだ。
運ばれてきたケーキは、スポンジケーキに桃とパイナップルの缶詰が乗ったまさに昭和レトロといった雰囲気だ。





子供の頃地元の洋菓子店で食べたケーキの味に似て懐かしい気持ちになる。
ごちそうさまでした。

龍たちが軽やかに宙を舞う。
私はまた新地中華街へと戻ってきていた。
目の前では昼過ぎに目の前を通って行った長崎女子高等学校の龍踊りが執り行われている。





場所選びをミスって裏側に陣取ってしまったため、遠目に見ることしかできなかったが、それでも迫力満点だ。











あんな若い子達がここまで演舞できるなんて、相当頑張ったのだろうなぁ。
おっと、目から汗が。
おじさんと呼ばれる年齢になり、いろんなところと一緒に涙腺も弱くなっているようだ。

龍踊りを見終えたところで、ランタン点灯時間まで車で休むことにする。
いや、実はもう点灯しているのだが、ランタンの美しさを堪能するためには、しっかりと日没を待つ必要がある。
ちょっと仮眠の予定だったが、今朝の早起きの影響か、はたまた連日の仕事疲れの影響か1時間以上ぐっすり寝込んでしまった。
気がつくとあたりは夜の帷が降り、ランタンが輝いていた。
湊公園はとてつもない人だかり。
とてもゆっくりランタンを見て回る余裕などない。
そこで比較的空いている興福寺か唐人屋敷へ向かうことに。
新地中華街駅に向かうと、どの市電もすし詰め状態。
さすがにあの中に入るのは気が引けたため、歩いて唐人屋敷へ向かう。

喧嘩で怒号が飛び合う湊公園を横目に西進していくと、大門が出迎えてくれた。





大門をくぐると、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かで落ち着いた雰囲気となった。
これだよこれ。私がランタンフェスティバルで好きな空間は。
しばらく進むと土神堂に辿り着く。
入口ではロウソク祈願四堂巡りの案内が立っていた。
ここでロウソクを買い求め、土神堂、天后堂、観音堂、福建会館天后堂と巡り、祈願をしていくのだとか。
早速私もその巡礼に加わる。





まずは土神堂。
闇夜に浮かぶランタンが、立派な門を照らし出す。





祈願をすると係の方だろうか、女性の方が「幸せが訪れますように」「ほら!これで大丈夫!」と明るく振る舞ってくれた。
ここに祀られている土神さまは福徳正神とも言われ、地や家を守り、豊作、金儲け、治病の神様として、中国古来から民間で広く、仰されてきた神様です。(長崎市ホームページより引用)
これで心が温まり、次のお堂へと向かう足取りも軽くなった。
次は天后堂。
野良猫たちとすれ違いながら到着。
レンガ造りの入り口がなんとも風情がある。





こちらのお堂は媽祖さまを祀っており、先ほど見てきた媽祖行列は、海からここへ媽祖様をお運びする様子を再現したものだそうです(長崎市ホームページより引用)
ここでもロウソクと追加で購入した線香をお供えしてゆく。
次は観音堂だ。
こちらも天后堂と同じくレンガ造りの入り口で、とても風情がある。





ここでも追加で線香を購入したのだが、係の方が「ここは2箇所お供えできるから、これを持って行って」と線香をもう一本追加で持たせてくれた。
ありがとうございます。
こちらは観世音菩薩と関帝が祀られている。
関帝とは三国志好きの方ならご存知の関羽が神格化されたものだ。
しっかりとお参りさせていただく。
最後に向かうのは福建会館天后堂だ。
ここには2体の媽祖さまが祀られており、先ほど見てきた媽祖行列は、そのうち小さい方の媽祖様をお運びするのだとか。





こちらでもしっかりお参りさせていただき、唐人屋敷跡を後にした。

~其の参に続く。





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最終更新日  2024年03月04日 18時00分13秒
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