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ついにポータブル電源を買っちった(´∀`)調べに調べて選んだのは「EcoFlow DELTA 3」〈スペック〉容量1024Wh容量拡張最大5kWh定格出力1500W (サージ3000W)X-Boost2000WAC充電時間最短56分ソーラー入力500Wバッテリー寿命4000回以上UPS機能
2025年11月03日
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朝5時起床。6時から朝食なので、先に積載を済ませておく。荷物を積んでいるとO姐さんも起きてきた。荷物を積み終え、軽くバイクを拭き上げたところで朝ごはんの時間に。恒例の爆盛り朝食バイキングを食べ出発。今日はほぼノープランだ。とりあえずO姐さんが行ったことのない原尻の滝へ向かう。途中トイレ休憩を取りつつ到着。吊り橋から滝をぐるりと一周する。今日は水量は少なめだ。私もかれこれ10数年ぶりに訪れたが、昔と少しも変わらない。滝を散策し終え、そのまま阿蘇へ。阿蘇駅周辺は連休大混雑になるので、阿蘇神社から裏道をたどり、内牧のミルクファームへやってきた。刻みチーズの乗ったソフトクリームを満喫していると、駐車場でライダー同士の喧嘩勃発。どうやらグループを無理やり追い抜いたらしい。しかし怒鳴っている奴が「バカヤロー!」「コノヤロー!」を連呼するものだから、声も相まってアントニオ猪木のモノマネしか聞こえない。さらに通りかかった人の「田舎のヤンキーが」の一言で爆笑(笑)気がつくと駐車場も静かになっていた。さて、それではぼちぼち帰路に着くことにしよう。阿蘇山上を目指すが、草千里手前で駐車場待ち渋滞に巻き込まれる。しかし渋滞はすぐに解消され、阿蘇山上へ。しかし阿蘇山上も同じように渋滞。並ぶのは嫌なので、そのまま南阿蘇に降る。実は一番の目的地はここではないのだ。しばらく降り、到着した名もない谷。ここは今の季節、ススキの風景が見事なのだ。ここでも眼レフの出番。久しぶりに撮りまくる。撮れ高十分。南阿蘇に降る。南阿蘇に降るも道の駅は第三駐車場まで満車。こんな状況初めてみた。道の駅はスルーしてそのまま阿蘇を離れることに。途中お弁当のヒライでお昼ご飯。久しぶりの山ちゃんラーメンは、麺が固まっていた。そこから高速に乗り、一気に鹿児島に帰還するのであった。今回は去年のリベンジを無事達成することができた。日本一周したワタクシでも四国カルストは未踏査地区であり、これでまたひとつ宿題を片付けることができた。さあて、次はどこの宿題をやっつけてやろうか。リベンジ!四国カルストツーリング 完
2025年11月02日
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ク◯みたいな誘導員のおかげでかなり時間をロスしてしまった。林道を降り、県道197号線に合流。そこから目的地の道の駅日吉夢産地を目指す。程なく到着した我々を迎えてくれたのが、ここのシンボル「柚鬼媛」 もうね、言葉はいりません。最高です!(爆)これ以上はO姐さんに怒られそうなので(笑)お昼ご飯にします。さて、それでは出発。今度は媛の旦那さんに会いに行きます。到着した道の駅広見森の三角帽子。日本一周中、野宿しようとして断られた道の駅だ。駐車場は満杯だったがそこはバイク。空いてるスペースに止めダンナ様と対面する。すんげぇ怖いんですが^_^;親に抱えられた子供が「あっちいけー!!」って泣き喚いてる^_^;そりゃあ泣きますわな^_^;ここでも記念撮影。なんかこのまま捻り潰されそうだなぁ。愛媛で1番有名な夫婦に出会えて大満足!それではフェリーターミナルを目指します。高速で一気に大洲町までやってきました。かずやんはガス欠寸前でヒヤヒヤ。今度からロンツーの時は携行缶を積んでいこう。到着した道の駅八幡浜みなっと。去年お酒とじゃこ天を買い込んだお店だ。しかし今日は時間がない。バババッ!と買い物を済ませ積載。さらに予備の宿とフェリーをキャンセルする。さあて!それではフェリーターミナルまでかっ飛ばします!と言いつつ、先行車がいるのであまり飛ばせず。なんとか出航25分前に到着しました。出航30分前に到着しないと予約を取り消すとか言われてたけど、大丈夫だったようだ。そもそも電話をしたのに繋がらなかったしね。そのまま無事に乗船、四国を後にしました。今度は年末年始の旅でお邪魔します。フェリーは順調に佐賀関港到着。宿は目と鼻の先なので、先に夕食を済ませていく。到着したよしだ会館。関サバ、関アジの美味しいお店のようだ。しかし今日は刺身の気分ではなかったので、ミックスフライ定食を注文。もうこれが全部美味しい。満足して宿に向かうのであった。今宵の宿はAZホテル。この系列は、屋根下にバイクを停められないのが残念だ。このために持参していたバイクカバーを被せ、ゆっくり眠りにつくのであった。3日目に続く。
2025年10月31日
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四国カルストの絶景を満喫したふたり。大台ヶ原のミルクファームを目指す。しかしこの選択が失敗だったことに後で気づく。四国カルストの端、姫鶴荘は車やバイクが道路まで溢れていた。そこを過ぎた途端道路の様子が一変。森の中に入り景色は全く開けない。道も狭く、前をいく車が対向車とすれ違うたび停車し流れも悪い。しまった、ここが四国カルスト名物狭路すれ違い渋滞の道だったんだ。前をいく車はすれ違いの際になんとかパスすることができたが、悪路は続く。ようやく大台ヶ原のミルクファームに到着したが、時間も厳しかったためスルーすることに。そのまま進行し東津野城川林道を使い日吉町に降ろうと考えていたが、韮ヶ峠で誘導員に急に止められる。「この先マラソン大会のために通行止めです。」はい??( ゚д゚)先程四国カルストへ登る前に遭遇した「龍馬脱藩マラソン」の折り返し地点がここ韮ヶ峠だったのだ。この時↓いやいや、こんな奥地まで来させて通行止めっておかしいだろう。それならば手前の大台ヶ原か四国カルストに通行止めの看板を設置しないといけないでしょう!誘導員は手前の道を右に曲がれと言う。しかしそこを行ってしまうと、とんでもない悪路に加え、目的地からも大きく離れてしまう。かといって、四国カルストまで戻ろうものなら間違いなくフェリーに間に合わない。そこでよく確認してみると、マラソンランナーは道路からではなく正面の公園を通り、檮原方面へ降っていく。うん?これって右側の林道は行けるんじゃないの?私たちが通りたいのは檮原とは逆方向の東津野城川林道。それは進行方向右手にあるのだが、誘導員は「右は通行止め!」としか言わない。話の通じない誘導員と揉めていると、大会関係者がやってきた。そこで説明をすると、東津野城川林道は問題なく通行できるとのこと。通行止めは右側ではなく左側であった。誘導員の勘違いである。通行止めも把握していないのに、よく誘導員が務まるな。マラソンランナーが切れるタイミングで誘導してもらい、無事東津野城川林道に入ることができたのであった。後編に続く。
2025年10月29日
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朝5時起床。朝食は7時からなので、先に出発準備を整える。荷物をまとめバイクに向かうと、すでにO姐さんが準備中であった。慣れた手つきで積載を済ませて、これまたヘルシーな朝ごはんへ。そして8時に出発となった。O姐さんは、久万高原町にいる知り合いを訪ねるということで一時解散。ワタクシはローソンのトイレにこもる(笑)その後再度集合し四国カルストへ!天気は良好だが、山に雲がかかっている。果たしてどうなることやら。今回の四国カルストへのルートは、車の狭路すれ違い渋滞が発生しない檮原からのルートを選択。檮原の町に到着するとマラソン大会が開かれており、とても賑わっていた。でも名前が「龍馬脱藩マラソン」って^_^;迂回ルートを通り、道の駅で小休止。そこから四国カルストへ向かう。センターラインも引かれた快適な道であったが、呪い車2台のせいで大渋滞。ラジエーターの熱風に耐えながら、やってきました四国カルスト入り口星空ビレッジTENGU。ここからの眺めが最高!四国の深い山々が見渡せます。雲が雲海のようになっていて、なんとも幻想的。そこには今登ってきた道も。おみやを買う際に、店の方に話を聞くと、さっきまで霧で何も見えなかったとのこと。山の天気は変わりやすい。雲が残ってはいるが、それでも天候が回復したことに感謝。おみやを大量に買い込み出発した。実は後ろに積んでるコンテナは、おみやを入れるためにほぼ空なのです(笑)1番後ろはクーラーボックスも搭載しております(笑)帰りにじゃこ天と生酒を買って帰ろう。さてさて、実は四国カルストに来るのはこれが初めてなのです。イメージでは阿蘇のミルクロードや、北海道の宗谷丘陵を浮かべていたのですが、四国カルストは道が狭い!そこを大きな乗用車が通るものだから、渋滞もあちこちで発生しています。さらに歩行者も多いため、気をつけながら進行。それでも広がる絶景に心奪われます。広がるカレンフェルトがまるで羊のようで美しい。ドリーネは道路からでは確認できなかった。そのまま前からチェックしておいたフォトスポットに到着。持参した一眼レフの出番です。久しぶりにバシャバシャ撮りまくる!帰ってから現像が大変なやつだ笑久しぶりの眼レフ操作で勘が戻らず、駄作を量産^_^;あぁ、せっかくの四国カルストが・・・。それでも景色は最高で、特に高原に一機だけ建つ風力発電の景色がとてもエモい(使い方合ってる?O姐さんも写真を撮りまくる。さて、景色も満喫できたし、今度は大台ヶ原にソフトクリームを食べにいきましょう。中編に続く。
2025年10月28日
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今回もO姐さんリクエストツーリングです。目的地は去年悪天候で行けなかった四国カルスト!実は日本一周したワタクシでも未踏査な場所なのです。出発前から台風が2つも発生。22号はスルーしたけど23号が危うい・・・。そこで当日キャンセル可能な宿を確保し、フェリー欠航に備えて翌日の朝イチの便を押さえた。なにせバイクは5台しか乗せられないので。ちなみに通常の宿とフェリーは、半年前に押さえてあり準備万端!それでは出発。1日目仕事で疲れ切った体に鞭を打ち、朝3時半起床。今日は走りっぱなしになるので、朝食もとっていきます。そのまま準備を整え集合場所に6時前到着。O姐さんも到着していた。出発前の写真を撮り北上開始!高速に乗り、航続距離の短いかずやんだけ山田インターで給油。姐さんには先に行っててもらいます。ここからガッツリ走って追いつきたかったですが、3連休の初日ということもあり流れが悪い。なんとか栗野インターを過ぎたあたりで合流。その先のえびのPAで休憩します。ここでネクタイダー閣下からいただいたレモンのドライフルーツ登場!疲れた体にレモンの酸味が沁みる〜!おかげで全回復!そのまま北上し益城熊本空港インターで降りる。そこから大津に抜けバイパスで赤水へ。今回阿蘇はスルーし、そのまま道の駅波野までやってきました。ここで熊本名物いきなり団子とアメリカンドッグ(!?)をいただきます。ここで女子ライダーグループに話しかけられ、しばし談笑&撮影会(笑)ワタクシのイナヤンアヒルとエナガちゃんたちが大人気(笑)見送られて出発するのでした。さて、時刻は11時過ぎ。順調に進んでいるが、お昼ご飯を食べておきたい時間だ。最初はジョイフルでもと思っていたが、先程の休憩でそこそこ食べたので、あまりお腹が空いていない。そこでこの先にあるお弁当のヒライで弁当を買い、フェリーターミナルで食べることに。大賑わいのスーパーに入っているヒライ。しかし時間が早かったためかあまり品揃えがよろしくない。そこでこのまま走り、フェリーターミナルで昼食にする。出発すると先程の女子ライダーたちとすれ違った。これも何かの縁、俺もメンバーに加えてもらえませんか?(`・ω・´)そんなこんなで佐賀関フェリーターミナル到着。3連休の賑わいに加え、予約なしのバイクが邪魔をしているようで、係員がイライラしている^_^;お疲れ様です。出航1時間前に到着したので、バイクをレーンに停めて、お昼ご飯へ。O姐さんはチキン南蛮バーガーを、かずやんは関ブリバーガーをいただく。これがもうまいうーで、あっという間にたいらげた。そうこうしているうちに出航時間に。バイクを固定してもらい船室へ。椅子に座り込んだ途端、強烈な眠気に勝てず爆睡〜。1時間ぐらい寝ただろうか、疲れもスッキリ飛んで全回復!まもなく三崎港着岸。1年ぶりに四国へやってきました!さて、ここから宿までは2時間ほど。夕食に間に合うよう走ります。スマホのバッテリーを先週交換したおかげもあって、阿蘇からここまでずっとナビを使っているが、バッテリーは半分もいっていない。そのままナビを頼りに道の駅で休憩や給油をして、目的地である久万高原町の国民宿舎 古岩屋荘に到着した。さすがは四国、売店はお遍路さん関連のグッズでいっぱいだ。バイクは地下の駐車場に停めることができて一安心。着替えてヘルシーな夕食をいただき、温泉に浸かる。今回の旅は訳あって禁酒中。それでも風呂上がりにビールが飲みたくなり、自販機に向かうと、ジトっとした視線を感じる。ごめんなさい、もうしません。そして翌日に疲れを残さないよう早めに就寝するのであった。2日目に続く。
2025年10月24日
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社畜の朝は早い。今日はゆっくり出発なのに朝5時には目が覚めてしまった。外はうっすら明るくなり、鳥や虫の声がなんとも言えない風情を醸し出している。気温は22℃と昨日までの灼熱が嘘のようだ。そのままゆっくりしようと思ったが、すっかり目が冴えてしまった。近くのコンビニの開店時間は8時なので、小国まで朝食の買い出しに走る。昔のライダーハウスを出るように、バイクを押して坂を下り、静かにエンジンをかけて出発。コンビニで朝食を調達しすぐに戻る。同じく早起きのO姐さんに朝食を渡して準備開始。今日も暑くなりそうだ。なんだかんだで準備に手間取り、出発は9時前になってしまった。コンテナハウスお世話になりました。また泊まりにきます。さて、出発したのはいいが、今日のルートを全く決めていない。とりあえず数日前に規制が解除された火口を見にいくことにする。快晴のやまなみハイウェイを快走。途中阿蘇の森の森さんと目が合う(笑)たぶん気づかれてはいないと思うが、また今度挨拶に行こう^_^;道の駅でソフトクリーム休憩。いつのまにか阿部牧場と竹原牧場が選べるようになっていた。私は迷わず阿部牧場を選択。ここの濃いーソフトクリームが大好きなのだ。体を冷やしたらいざ阿蘇山上へ。大好きなパノラマラインを登りあっという間に阿蘇山上に到着。入り口で体調確認をされる。以前はなかったものだが、これも色々とあったからなのだろう。登山道路を駆け抜け到着した火口。久しぶりにエメラルドグリーンの火口湖を見ることができた。前に登れたのは2021年の撮影合宿以来。4年ぶりの火口であった。それではお昼ご飯へ向かおうとすると、山の稜線を何かが歩いてくる。強風で首がもげそうだ(笑)駐車場から少し下り撮影するが、ここでもヤツはやってきた。襲われる前に撤収しよう。阿蘇山上から南阿蘇に下り、辛味大根が美味しい蕎麦屋、久木野庵に来ていた。相変わらずお高いお店だが、味は間違いないのだ。私は鴨そばをいただく。鴨の脂がとてもうまく、蕎麦湯で割るとさらに風味が引き立つ。絶品でした。さてお昼ご飯も食べたし、そろそろ帰路に着くことにしよう。益城熊本空港インターから高速に乗る。下界は相変わらず灼熱地獄だ。1時間毎に休憩をとりつつ南下していき、17時過ぎに自宅へ帰還した。今回のツーリングはO姐さんリクエストツーリングだったが、楽しく走ることができた。次のリクエストツーリングは10月の予定。次のツーレポもお楽しみに!真夏の山口灼熱ツーリング 完
2025年08月17日
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朝7時出発。外は蝉が鳴き出し暑くなりそうな予感。本日最初の目的地は、角島大橋です。言わずと知れた大人気観光スポットで、ここが今回のツーリングのハイライトとなります。40分ほどで到着。例の撮影ポイントはすでに1台停まっていました。そしてその周りを爆走する爆音バイクたち。これ、住民からしたらたまったもんじゃないな。私たちは静かに写真を撮っていきます。それにしても最高な天気も相まって絶景です。過去、日本一周と小豆島帰りに寄りましたが、その時よりも絶景!バイクが増えてきたので、下の駐車場に移動します。ここからの眺めも最高です!時刻は8時を回り、段々と灼熱が我々を襲います。O姐さんは昨夜あまり寝れなかったとのことでぐったり。角島大橋を往復して下関に向かうことにしました。「ベベベベベッ!バフォンバフォンッッッ!!」旧車會と言うのだろうか、腹を下したような音を出す。そんな珍走どもが集まる唐戸市場に来ていた。人のセンスをとやかく言うつもりはないのだが、周りに迷惑をかけるのはダメでしょう。しかも乗っているのはええ歳したオッサンばかり。ため息しか出ませんなぁ。我々はゆっくり早めのお昼ご飯にします。唐戸市場2階の市場食堂よし。大人気の定食屋さんですが、時間が早かったおかげですぐに入れました。英語ペラペラで面白く気遣いの鬼の店員さんに案内されて店内へ。いや、この店員さん本当にすごかった!頭の回転も速いし、気遣いが素晴らしい!この店員さんだけでもこの店に来る価値は十分にある。そして注文したふくふく定食。フグ刺し、ふぐのからあげ、あら炊き、味噌汁ご飯がついてたったの2400円!コスパも最高ですが、料理の味も絶品!今まで食べてきたふぐ刺しは一体何だったのかと言うほど、旨みとあまみが凝縮されたふぐ刺し。そして繊細な味ながら、ずっしりと鶏肉のようなボリュームを誇るふぐの唐揚げ。あら炊きも味付けが絶妙!もう最高のひとことでした。ここはまた絶対来よう。唐戸市場を出る前にお土産を調達すると、先ほどの珍走が出ていくところでした。通報されたのか、たくさんのおまわりさんが。そのおまわりさんと喧嘩してるどアホもおるし。そのまま関門海峡に沈んでもらってもええんやで〜。時刻は13時前。暑さもピークですがとにかく風が強い!関門海峡大橋を渡るつもりでしたが、おとなしくトンネルを潜ります。トンネルを抜け九州に戻りそのまま田川市へ。ジョイフルで休憩してからさらに南下します。涼しい山道を流し日田市へ。コンビニで休憩し給油してからスカファームロードへ乗ります。さすがに夕方ということもあって、走り屋はおらず快適に流していきます。そのままファームロードにパスして今日のお宿がある黒川温泉へ。もうね、涼しくて涼しくて。今までの汗が一気に引きました。温泉街を横目に到着した本日のお宿「コンテナハウスヴィラくろかわ」お高い宿が並ぶ中で、お安く泊まれるお宿となっています。駐車場に停めようとすると、オーナーさんでしょうか「ガレージに停めていいよ。」と。そこにはフェスの野外ステージのような巨大なガレージがありました。中にはフェラーリ812があるではないですか!このオーナーさん一体何者!?ありがたく停めさせていただき、荷物を搬入。宿はとても広く快適でした♪荷物が散乱してて失礼。これで温泉大浴場もあってこの値段はお得!荷物を片付け着替えたら、黒川温泉の街に繰り出します。温泉街まではコンテナハウスから徒歩10分ほどです。まずは腹ごしらえと、うな北さんへ。O姐さんさんはうな丼、かずやんは天丼をいただきます。観光地の食事処とは思えないほど、とってもまいうーでした(´∀`=)さて、それでは夜の温泉街へ。ただいま黒川温泉は湯涼み(ゆすずみ)というイベントを開催中。温泉街のあちこちで灯籠や提灯に明かりを灯しています。こんなイベントは湯あかり以来だな。O姐さんがコンテナハウスを見つけてくれたおかげで、ゆっくり見に来ることができた。街を散策し終え宿に戻ります。貸切状態の温泉に浸かり、そのまま爆睡。おやすみなさい〜。3日目に続く。
2025年08月13日
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今回はO姐さんリクエストツーリングです。O姐さんのリクエストはいくつかありまして、今回はその中の一つ、山口県の角島大橋を目指します。それでは出発。初日は台風の影響で天気が安定しない。時折雨がぱらついたり、まとまって降ったり。O姐さんは全身カッパマンで対策してましたが、かずやんは全身ずぶ濡れとなりました。そうそう、今回のツーリングに備えて、気化熱冷却ベストなんてものを買ってみたんです。まあこれが役立たずで。気化熱冷却で冷えるよりも、体温と気温でベスト自体があっつあつに。保水層が熱を蓄えるものだから暑くてしょうがない。午前中でお払い箱となりました。さて、一行は順調に北上し、北熊本SAでお昼ご飯。真夏なのに冷たいメニューが一切なく、O姐さんはパンを、かずやんはタレカツ丼をいただきます。さて、休憩していると山鹿方面から雨雲が流れ込んでくるとあるではないですか。すぐに出発すると、山鹿方面に雨柱が見える。あれに降られてたらえらいことになっていたな。そのまま北上を続け、太宰府を過ぎたあたりで事故渋滞4kmに捕まる。なんとか渋滞を抜け、すぐ近くにあった須恵PAで小休止。ちなみに気温は40度近く。もうね、この時点で今日の予定を全てキャンセル。宿に直行することにしました。再び高速に乗り古賀SAで給油。そのまま北上し、めかりPAで関門海峡大橋を眺めます。去年の関西ツーリング以来だな。そして九州脱出。一路今日の宿がある長門の湯本温泉へ。夕方5時前に無事到着。お宿は湯本観光ホテル西京です。老舗の観光ホテルでいい感じ。バイクは玄関先に止めさせてもらいました。先着2台だそうです。今日バイクの客は私たちだけとのこと。ありがたく停めて、荷物をあげ温泉へ。さっぱりしたところで晩御飯は1階の居酒屋で済ませます。ここの料理がレベルが高くだいまんぞく!ごちそうさんでした。しかしこの宿は昭和と平成の間で時間が止まったかのようだ。ボーリング場にゲーセン。カラオケルームにスナック(みたいなとこ)まである。しかも全部お客さん入ってるし。賑わっているのはいいことだ。私たちは暑さで疲労困憊でしたので、そのまま休みます〜。ではまた明日。2日目に続く。
2025年08月10日
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Hbusa氏よりツーリングの声かかかり、ひさしぶりにいつメン(いつものメンバー)で走ってきました。雨の桜島SAでスタート。今回Sさんはお孫さんの相手でお休みです^_^;Uさんは原二で別チームと同じ長島へ(笑)かずやんは新装備のチェック!気化熱冷却ベストがどれだけ効果があるのか!最初は大隅に行く予定でしたが、雨なので晴れた長島に向かい、焼肉屋さんへ。おにくとおさけ(@ ̄ρ ̄@)そこから出水に戻り、霧島から移転してきたきりん商店へ。お抹茶みるく金時かき氷〜。締めは入来浜の塩ソフトクリームみなさんお疲れ様でした!
2025年07月21日
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早々と梅雨明けした南九州。昼は暑すぎて走れないので、今年も朝走りはじめました。薄暗い中出発。適当に走ってコンビニでアイスコーヒー飲んで帰るだけ。ストレスもぶっ飛んだし、今日も仕事頑張りますか!
2025年07月05日
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どうも、危なく24連勤になるところだったかずやんです。昨日はお休みをいただいたので(それでも14連勤)、MTちゃんのクーラント交換してました。たった1年で消泡剤がおだぶつ。クーラントの配合が薄かったかなぁ。オイル交換もしたかったのですが、溜まっていた家事を片付けてたら時間オーバー&体力切れ。また今度の平日休みに交換しましょう。そうそう、今年もホクレンフラッグが始まったそうです。今年は情報が遅れました。なぜかというと、いつもならホッカイダークマさんが情報をシェアしてくれていたから。改めて、クマさんの存在の大きさを感じる梅雨の休日なのでした。そろそろバイクで遠出したい。
2025年06月04日
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2日目。朝5時半起床。今日1日はタイトルとは別件の個人的な用事が。新宿と渋谷の写真だけ載せておきます。3日目 朝5時半起床。昨夜は1時過ぎに寝たというのに、起きる時間はいつも通りという社畜ぶりは健在である。窓を開けると少し薄曇りだが、横浜スタジアムの彩色が美しい。朝食におにぎり7個食べて出発した。今日は本来なら横須賀を巡るつもりであったが、今回スカイツリーに行けず燻っていた。そこに昨夜セキノセンセイから「もう少し話したい」と連絡があったため、新宿と浅草に向かうことにした。電車で新宿御苑まで移動。今日は平日だからか電車は満員だ。そして再び到着したアイデムフォトギャラリーシリウス。平日なのにギャラリーにはお客さんが結構いらっしゃった。関野先生に時間ができるまで奥で待機させていただく。その間にあじゃぶさんの迎撃準備を済ませておく。なんでも今朝出発し、このままカブ号で九州を目指すのだとか。元気がありすぎて羨ましいぐらいである。※この3日後に鹿児島で再会。焼酎をしこたま飲みました(笑)とある衝撃事件もあり酒が進む進む♪あじゃぶさん、ごちそうさまでした^_^ちょうど準備を終えたところで関野先生がやってきた。ここからは素人目線で写真のことを色々とお伺いする。関野先生の写真に対する想いや考えを聞くことができてとても勉強になりました。そういえばNIKON D90が修理から帰ってきてまだまともに撮影に出かけていない。久しぶりに引っ張り出してみるか。電車の時間が迫り、「そろそろ」と話すと、セキノセンセイが「ああああああ!!!もう少し話を聞かせて!あと5分5分!!」と(笑)こんなところが本当に大好きだ(笑)少し延長して最後に関野先生とガッチリ握手を交わしギャラリーを後にした。空を見上げる首が痛い。灰色の突起物は曇り空を突き刺すように天空へ伸びてゆく。「これがスカイツリーか。」人生で初めてスカイツリーを見たが、感動より驚きが勝った。よくこんな物を建てられたものだ。周辺を散策しつつ写真に収めてゆく。するとスマホのバッテリーより先に腹が限界になった。そこでスカイツリータウンでつけ麺をいただくことに。6階に上がり店を探していると「盛岡冷麺」の文字が目に入る。そういえばクマさんは盛岡の出身だったな。これも何かの縁と店に入り冷麺をいただいた。とても美味しくいただけました。店を後にすると、そろそろ時間切れ。駅に向かう。「京急ってどこよ?」「ロッカーどこよ!」朝荷物を預けた横浜駅に戻り、案の定迷子になる私がいた。横浜某所でお使いを済ませ、空港に向かいたいのだが、荷物を預けたロッカーが見つからない。駅員もおらず、軽くパニックだ。その後なんとかロッカーを見つけ出し、空港に向かうのであった。「間も無く搭乗案内を開始いたします。」グランドスタッフが声を張り上げる。横浜駅で迷子になったせいで、搭乗受付終了10分前の到着になってしまった。もっと余裕を持って北海道物産展で夕食をと思っていたが、結局コンビニパンで夕食を済ませ飛行機に搭乗。九州に向かうあじゃぶさんを一気に追い越す。帰途、あじゃぶさんからの攻撃を受け、飛行機は大揺れ(カンケイナイ久しぶりにスリリングな飛行を楽しめた。定刻から20分遅れの21時に鹿児島空港到着。今回の旅を終えた。今回は別の予定と関野先生の個展がうまく合致して関東に来ることができた。この機会を作ってくださった関野先生に改めて感謝の言葉を述べたい。関野先生は今回の個展で今後フォトグラファーとしてどうしていくか決めるつもりであったと話す。今のご時世、フォトグラファーだけで食べていくのはかなりしんどいであろう。それでもこの個展でかけられた多くの言葉が後押ししてくれて、打開策を模索していくようだ。私たちも関野先生をずっと応援していこうと思う。もちろん精神的だけではなく物理的にも考えている。これからも素晴らしい旅に出たくなる写真を撮り続けていけますように。関野温先生、個展「旅でしか出会えない風景」訪問記 完
2025年05月03日
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我らがセキノセンセイこと、プロフォトグラファーの関野温先生が個展を開催されました。個展「旅でしか出会えない風景」4月24日から4月30日まで。2017年以来の開催で、今回で3回目です。2017年は私も訪問し、その素晴らしい写真に心奪われたものでした。さて、今回はどのような個展になるのか。それではご覧ください。4月26日朝3時半起床。準備を済ませ鹿児島空港へ向かう。今回の旅もザックひとつのバックパッカー旅だ。鹿児島空港から羽田までひとっ飛び。途中潮岬と富士山が迎えてくれた。ちなみに、潮岬はセキノセンセイ伝説の地である(強制スローライフおしおき事件)飛行機は定刻通り羽田空港に到着。その足で向かったのが「領土・主権展示館」うん、東京最初がここって色々と間違っている気がするのだが。館内を見て回るも、なんか薄っぺらい。根室の北方四島交流館並みの充実さを求めていたのだが、予算が少ないのだろうか。記念品をいただき施設を後にした。さて時刻はお昼前。混み出す前に昼ごはんをいただく。Googleセンセイに聞いたところ、上野のラーメン屋が美味とあるではないか。早速列車を乗り継いで向かう。到着した鴨to葱。15分ほど並んだが、東京の人気店にしては短い方だろう。運ばれてきたラーメンはスープが透き通り、鴨の脂がキラキラ輝いている。スープは最高にうまい!これに熊本の富喜製麺研究所の麺が入れば最強であろう。焼き葱もとっても甘くて美味しい。満足して店を後にした。満腹になったかずやん。腹ごなしに上野公園を歩いていく。しかし東京は面白い。ここで明言は避けるが、いろんな人がおり、それが許容されているのだ。地方では後ろ指差されること必須であろう。そして到着した東京国立博物館。一度来てみたかったのだ。早速入館し展示品を見て回る。個人的はアジア館が1番面白かった。さて、ここで歩きすぎて足が限界に。最近は都会の方が健脚になるらしい。普段クルマのみで移動している田舎モンは長く歩けないのだ。なんとか踏ん張り博物館を後にしたのであった。「丸の内線ってどこよ?」「西改札ってどれよ?」田舎モンのかずやんは、すっかり新宿駅で迷ってしまっていた。急がないとみんな帰ってしまう。歩いていた駅員に尋ね、なんとか新宿ダンジョンから脱出することができた。「かずやん〜」入り口であじゃぶさんが手を振る。ダンジョンを攻略したかずやんは、ようやく個展会場であるアイデムフォトギャラリーシリウスに到着していた。会場は多くのギャラリーが訪れ大賑わいだ。関野先生も対応に忙しそうにしている。来客が途切れたタイミングでお話しすると、「ああああああああ!!!!かずやんありがとうゴザイマス!!!」といつもの調子で挨拶してくださった。関野先生とお会いするのも前の個展以来だから、かれこれ8年ぶりである。積もる話もあるのだが、まず話題に上がったのはホッカイダークマさんのことだ。やはり訪れるほとんどの方が驚きの声をあげていると。個展で展示している写真の中には、撮影した後クマさん宅に泊めてもらったというエピソードもあった。あまりにも突然のことで、皆実感が湧かない様子だ。かくいう私もクマさんがもういないなんて実感はない。ホッカイダーベースを訪れたら、明るい声で「かずやーん!」と呼んでくれるのではないかと今でも思う。ここで関野先生は他の来客対応へ。私はじっくり写真を見せていただく。すると他のメンバーは先に飲みにいくことに。久しぶりにお会いしたセロさんとガッチリ握手して別れたのであった。私はもう少し関野先生と話をしてから向かうことに。写真のこと旅のことYoutubeのことと色々とお話を聞いて会場を後にしたのだった。関野先生!今回は本当にありがとうございました!個展頑張ってください!!後ろ髪引かれる思いで会場を後にした。※いつも出てくる赤目加工は、セキノセンセイの専売特許である。「それにしても小原さんのことは本当に驚いた。」個展会場近くの居酒屋で他のメンバーと合流し、飲んでいたが、やはり話題はクマさんのことだ。みなクマさんを尊敬し愛していた。クマさんが居なくなった穴は大きい。2回しかお会いしたことのない私でさえ、心にぽっかり穴が空いたかのようであったのだ。しみじみと宴会は進み、気がつけば20時に。ここで秋元さんと床屋(旧)さんと解散。そういえばお二人とも会うのは8年ぶりであった。会える時に会っておかねばと気持ちを込めて「また会いましょう。」と分かれるのであった。残ったメンバーはいつものあじゃぶさんとネクタイダーさんに加え、ビールマニアのまげさんだ。まげさんとは「聖地巡礼キャンプ旅」以来の再会だ。HUBに場所を移し、ビールを堪能しつついろんな話をしていく。あじゃぶさんとネクタイダーさんは海外旅行を計画しているようであった。まげさんも自前のバイクで北海道行きを計画しているとのこと。何も計画がないのは私だけであった。というのも仕事が忙しすぎて、計画が立てられない。今回の3連休を押さえるために、残業と持ち帰りの仕事で、ほぼ毎日寝るのは日付が変わってからであった。休日も潰して仕事をこなして今回の3連休を獲得できたのだ。なお、この旅から帰るとまた激務が待っている。来月は研修とレポート課題も入ってくるので、過労死してしまうのではないだろうか。他のメンバーに「お元気で」と話すが、1番気をつけなければいけないのは私かもしれない。楽しい時間はあっという間に過ぎ、各々帰路へ。まげさんは自宅へ。ネクタイダーさんは五反田に油そばを食べにいくと。あじゃぶさんとかずやんは同じ宿なので、それぞれ解散した。「お元気で、また会いましょう。」2日目に続く。
2025年04月30日
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紹介が遅くなりましたが新宿御苑のギャラリーシリウスで、私の写真の師匠である関野温先生が個展を開催中です。30日まで開催されていますので、お近くの方はぜひ!
2025年04月29日
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北海道を愛する旅人ならご存知の、ホッカイダークマさんこと小原信好さんが亡くなられました。あまりにも突然のことで、誤報であってくれと願うばかりでしたが、その願いは叶いませんでした。今も信じられないですし、信じたくありません。クマさん、悲しいです、寂しいです、会いたいです…北海道で楽しい時間を、たくさんの思い出をありがとうございました。今はまだ気持ちの整理がつかず、うまく言葉にできません。ただただ悲しい…ご冥福をお祈り致します。
2025年04月25日
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使い始めて4シーズン目になるトーヨータイヤのOBSERVE GARIT GIZ。気温高めの鹿児島で使うスタッドレスタイヤは、タイヤの油分が揮発しやすく、早くも硬化してきました。これがアイスバーンで滑る滑る。溝はまだまだあるため、新雪やシャーベットでは問題なく走れますが、この状態はスタッドレスと呼んでいいのか。そこで硬化したタイヤを柔らかくすべく、片付け前にメンテナンスを行います。今回選択した方法は、灯油&2ストオイルで作った柔軟剤で硬化したゴムを柔らかくするというもの。灯油で2ストオイルの油分をタイヤに浸透させ、灯油だけ揮発させてオイルの油分をタイヤに残し柔軟性を上げるという方法です。最初は半信半疑でしたが、1年かけて調べまくった結果、条件によってオイルの配合を変えることで、スタッドレスタイヤを「ある程度」復活させることができると結論付けました。灯油8:オイル2で配合すると、一晩でタイヤがオイルを吸収し灯油は揮発。表面のグリップを失うことなくタイヤの柔軟性を上げることができる。今回は片付けてしまうので、時間をかけてしっかり浸透させる&揮発を可能な限り遅らせるという目的で、灯油5:オイル5で配合しました。なお2ストオイルはなるべく安いものがいいそうです。それは添加剤が入ると、途端に吸収性が悪くなるからだとか。参考にした「こなじガレージ」さんの動画はこちら。動画の内容だけでなく、コメント欄が非常に役に立ちましたのでしっかり読み込んでみてください。それでは塗布開始。ダイソーのターンテーブルを嵩上げし、滑り止めを敷いた上にホイールを乗せる。あとは先ほどの分量で配合した柔軟剤をこれまたダイソーのハケで塗り塗り。1塗り目はタイヤがあっという間に柔軟剤を吸収してしまったために、2度塗りしていきます。オイルが塗れたらラップで表面保護。これで時間をかけて浸透させていきつつ揮発を抑えます。ビニール袋も紫外線を軽減できる黒色を2枚重ねで使用。これにてスタッドレスタイヤメンテナンス完了!次のシーズンで履く時に、どれだけ柔らかくなっているか楽しみです。※あくまで個人的な考えで行ったメンテナンスです。実施される方は自己責任でお願いいたします。このメンテナンスを真似してトラブルが発生した場合、当ブログおよび動画リンク先は責任を負いかねます。
2025年04月20日
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BKアクセラちゃん、久しぶりにエンジンチェックランプ点灯。原因は前も詰まったEGRバルブでした。すぐさま交換するも、バルブ本体の値段が以前より1万円も上がってやがる・・・。交換するだけじゃまたすぐ詰まるので、RECSを施工してから交換してもらいました。財布が軽くなっていく・・・。そしたら今度はMTちゃんもチェックランプ点灯。こちらは診断機にかけるもオンタイムのエラーコード検出されず。過去ログでO2センサーとクルコンエラーが検出されましたが今回とは関係なさそう。とりあえずフューエルワン入れて様子を見ます。アクセラちゃんは19年目、MTちゃんは7年目。しっかり修理・メンテナンスをして、まだまだ乗り続けます。
2025年02月14日
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朝6時過ぎに目が覚める。狭いベッドは、壁にもたれかからないとまともに寝ることができず、少し睡眠不足気味だ。デッキに上がるとちょうど朝日が顔を出したところであった。もうすでに陸地が見えている。シーガイアの奥に霧島連山が見える。旅も終わってしまったな。船内に戻り朝食バイキングを食べ、しばらくすると着岸。下船の運びとなった。現在午前9時過ぎ。このまま帰るのはもったいないので霧島を目指し走っていく。今日もいい天気だ。途中立ち寄った御池でみのぶまんじゅうタイム(また出た変な変換候補)今日の霧島は暖かく、ツーリング日和だ。そのまま走り続けて到着した新燃荘。温泉の入り初めはやはりここでなくては。入り初めを済ませたら、今度はラーメン初めをとくだで。と行きたかったが、正月のとくだは大混雑なので、以前チャーハンが美味しかったまめ千へ。ここで霧島葱鶏らぁ〜めん(メニューの通り)とチャーハンをいただく。このラーメン、珍しいことに鳥刺しが入っているのだ。(鳥刺しと蒸し鶏が選べる。)これがなんとも美味しく、あっという間に完食。ごちそうさまでした。さて、それでは帰路につく。下道で南下し、途中鹿児島市内で下部洗浄のできる洗車機で洗車。融雪剤の中を走り回ったので念入りに洗う。洗車を終えたらホームセンターで仕事道具を買い込み、無事帰宅したのであった。総走行距離 1667km今回は人生で初の年末年始5連休をいただいた。年末年始はどこも人が多いイメージで、旅は敬遠していたが、車中泊とビジホを組み合わせることで、快適な旅を送れることがわかった。次の年末年始は4連休なので、山梨までは無理だが、またどこか出かけたいと思う。それではここまでご覧くださり、ありがとうございました。年末年始の山梨旅 完
2025年01月28日
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「少し詰めてお並びください。」ロープウェイへ長い長い列が並ぶ。ゆっくりし過ぎてロープウェイへ並ぶのが遅れてしまった。列はロープウェイ駅の建物から出て、例の展望台前でカーブ。奥の院への参道まで伸びていた。そのまま並ぶこと40分。ようやく下山することができた。これでこの後の行程が大幅に狂うことに。ロープウェイで下山し車へ。この道は9時から車両侵入禁止となるため、急ぎ足で参道を下る。園林の店先では何か販売していたが、昨日停めた駐車場は転回場所になっており、駐車できず。また来なければ。そのまま武州屋も通過。昨日店主の方が「私も初日の出見に登りますんで、会えたらいいですね。」と話していたが、残念ながらお会いできなかった。ここにはまた必ず来るのだから、その時にお話ししましょう。後ろ髪引かれる思いで、久遠寺の総門をくぐるのであった。「寒い寒い!」寒風吹き荒ぶ道の駅富士川に来ていた。道の駅は正月休みか、はたまた朝早かったせいかまだ開いていない。トイレだけ済ませ出発しようとすると、先ほど身延山で再会した革ジャンライダーがDN-01で目の前を駆けていった。ここまで何度も遭遇するなんて、運命を感じてしまう(お互いオジサン)改めて出発するのであった。身延山で時間を使い過ぎて、少々時間がやばい。予定では駒ヶ根あたりまで下道をいくつもりだったが、どうやら間に合いそうにない。高速を走り続け、道の駅こぶちざわにやってきた。ここで職場へのお土産を調達。そして1番の目的であった宇宙ブルーイングは!2月までお休み。いや事前に調べて知っていたが、この道の駅に置いてるんじゃないかと期待していたのだ。残念ながら当ては外れ、ここも次回の宿題となった。中央自動車道長野線は、右手に八ヶ岳、左手に甲斐駒ヶ岳が望める絶景ロードだ。車も少なく快適そのもの。途中諏訪湖を眺めながら休憩。この高さからだとイマイチ景色がよろしくない。時間があれば高ボッチ高原から諏訪湖を眺めてみたかった。これも次回の宿題だな。諏訪湖を通過し塩尻を境に南下するのであった。「今年はすごい並ぶね!」参道で地元の方達が語る。高速を走り続け、駒ヶ根までやって来た。以前アイアンズでキャンプした駒ヶ根キャンプセンターが近く、風景が懐い。今並んでいる光前寺の参道は、初詣客で溢れていた。この旅最後の聖地巡礼の地である。謂れなどはよそ様に任せるとして、ここの早太郎みくじが欲しかったのだ。しかし参拝せずおみくじだけ買って帰るのは気が引ける。そこで長い参拝の列に並んだのだが、結構時間がギリギリだ。お寺の敷地内は雪が残り、凛とした空気が疲れた体と気持ちを引き締めてくれる。この後約4時間の高速走行が待っているので助かる。40分ほど並んだだろうか、ようやく私の番が回って来てお参り。ここに来れた感謝の気持ちをお伝えする。そして念願の早太郎みくじをゲット。運勢は大吉だ。書いてあることもいいことばかりで大事にしまい、お守りとするのであった。「まだ時間があるので大丈夫ですよ。」係の方が話しかける。あれから高速を爆走し、途中道を間違え京都に向かい、なんとか神戸港フェリーターミナルまで到着した。乗船開始時間には間に合わず、出航50分前に到着すると、乗用車での乗船は私が最後であった。それにしても乗船待機場所から受付まで遠すぎる。エレベーターで上がり、宇宙船のような通路を数百メートル歩いた上にさらに1階まで降りていく。もう少しどうにかならないものか。受付を終えて程なく乗船。行きの寝台が狭過ぎたので、帰りはシングルを取る。しかしこれもなかなかの狭さで、ベッドはキャンプ用エアーマットの幅しかない。さんふらわあより1万円も安いのだ。これぐらいは我慢しなくては。荷物を船室に置き、お酒片手にデッキに上がる。行きは高級ハイボールだったが、帰りはフェリーの売店に売っていた角ハイだ。遠くに神戸モザイクの観覧車が見える。風は山梨より暖かいが、それでも寒い。角ハイを傾けているうちに出航。船は関西を離れる。今回は本当に天気に恵まれた。関西関東まで出向いて、旅仲間と合流しない旅はこれが初めてだが、それでも多くの出会いが私の心を暖めてくれた。いい旅だった。次の旅はどこへ行こう。だんだんと遠くなる街明かりを、ぼんやり眺めながらこの旅を反芻し、角ハイで流し込むのであった。5日目に続く。
2025年01月26日
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1月1日朝、というか夜中の2時30分自然と目が覚める。明らかに睡眠時間は足りてないのに頭も気分もすっきりしている。そのまま身支度を整え出発。いや、昨夜は宿をとって正解だった。美味しい料理やお酒も堪能できたし、スタートが暖かい部屋からなので体調もいい。外気温はマイナス2度と昨日と同じくらいだ。さてこの寒い中向かうのは身延山。今年の初日の出をそこで拝もうというわけだ。真っ暗な甲府道を南下。昨日泊まった道の駅を通りかかると、シャトレーゼのトラックが何台も通過していく。この方達も正月なんて関係なしなのだろう。数年前は私が同じ立場であった。改めて今の環境に感謝しなくては。宿から1時間ほどで身延山ロープウェイ駐車場到着。運行前だというのに駐車場はほぼ満杯。しかしそのほとんどが身延山ではなく、お隣の久遠寺に向かうようであった。さすが日蓮宗の総本山だ。私も昨年、いや一昨年か。お参りさせていただいた。今回は時間がないためお参りできないが、また次の機会に行くとしよう。「こちらでも乗車券の販売をしております。」窓口から声をかけられた。運行前のロープウェイ乗り場は多くの人で賑わっていた。お正月やダイヤモンド富士の季節は特別運行となり朝5時から登れるのだが、それでも人が多い。私は2便目に乗ることができた。急斜面をロープウェイが登る。時折伸びきった桜の枝にゴンドラの底をぶつけながら順調に進み、約7分ほどで身延山に到着した。さて、それでは展望台へ。と思ったが、例の展望台は既に多くの人で埋め尽くされていた。いやいや、日の出までまだ2時間近くあるのだが・・・。私は先にみのぶだんご、別名串(苦死)切りだんごをいただく。炭の周りに刺して焼いた団子の串を切り、無病息災を祈るというもの。お正月で忙しいせいか、串切りは流れ作業だったのが少し残念だったな。身延名産の湯葉を練り込んだ団子に、たっぷりとくるみ味噌を塗ったみのぶだんごはとても美味しく、新年で最初にいただく食事として最高であった。ここで突然声をかけられた。昨日園林で一緒だった革ジャンライダーの方だ。お互い無事に来れたことを喜びつつ、またお会いしましょうと別れたのだった。団子を食べ終わり、奥の院へお参りに向かう。暗い参道を辿り思親閣に到着すると、ちょうど読経が始まるところであった。そういえば初詣でお寺さんにお参りするのは初めてのことだ。鹿児島は明治時代の廃仏毀釈の影響で、大きなお寺さんがほとんどなく、初詣といえば神社というのが当たり前になっていた。お寺と神社では参拝の方法が違う。柏手は打たないのがお寺の参拝方法らしい。今回ここに来られたことに感謝の意を伝えつつ、深く一礼するのであった。「寒いね。」「日の出はまだかな?」例の展望台は人でいっぱいだったので、東側展望台に来てみた。すると人はまばらで問題なく最前列を押さえることができたのであった。お隣さんは寒さを和らげるべくガスストーブを使っている。境内なら火気厳禁だが、ここは展望台なのでグレーゾーンといったところか。私は電熱ベストでぬっくぬくだ。ズボンもワークマンのダウンオーバーパンツを着用していて、ユニクロの暖パンと合わせてとても暖かい。インナーが必要ないくらいだ。手もワークマンの防寒グローブを着用しており問題ない。タッチペンを家に忘れたのが痛かったが。吐く息がまつ毛で結露となり目が霞む。マスクもベチャベチャだ。ネックウォーマーが濡れるよりはいいか。そんな中、だんだんと伊豆方面が赤く染まり出す。富士山の輪郭と富士川も見えてきた。日の出前でも十分に美しい。すると後ろにお坊さんが太鼓を持ち出し読経を始めた。これはなんともありがたい。お経を聞きながら7時6分、御来光。日の出と共に読経も終わり、あたりは静寂に包まれる。心穏やかに静かに、今年一年平穏であると共に、この地で新年を迎えられたことに感謝するのであった。4日目其の弐に続く。
2025年01月23日
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聖地巡礼を終え、身延から韮崎へ走る。目的地はバイク仲間のじゃんぷさんから教えてもらった温泉だ。ナビを頼りに裏道を走っていく。日が落ち、周囲は暗闇に包まれていく。眼下には甲府市街地の夜景が広がりなんとも美しい。昨日も感じたが、この時間も走れるなんて車ならではの旅だよなぁ。しみじみと感じ、北上していくのであった。「えっ!?ここで合ってるの!?」ナビを頼りに目的地の温泉に到着した。しかしそこは高齢者施設の目の前だ。すると奥にボヤッと灯りが見える。そう、じゃんぷさんが紹介してくれた温泉は、高齢者施設が運営しているのだ。営業しているかも怪しい暗さ。とりあえず人の出入りがあるようなので、私も入ってみる。入ると管理人さんがいらっしゃり、「はじめてきました」と挨拶する。しかしこれがいけなかった。管理人さんのスイッチが入り、温泉の特徴から成り立ち、有名人が多く訪れていることまでいったらまた温泉の特徴の説明まで無限ループ。なんとか説明を振り切り入浴。湯は温かいのに炭酸の泡つきがすごい。この温度でここまでの炭酸を湯に含有させるなんて、本当に全国で見ても珍しい。炭酸泉で体の芯まで温まり出発しようとしたところ、またもや管理人さんにつかまる。そこで差し出してきた本がなんとモトツーであった。「この人が来てくれたんだよ。」と指さしたのはなんとマロ吉さん。人はどこかで繋がっていると感じた瞬間であった。「今日はテイクアウトのみの営業になります。」夕飯を甲府の藤義でと思っていたが、それは難しそうである。なお藤義はなでしこのバイト先のモデルとなったお店である。こちらも改めて訪れなければ。とりあえず宿に向かうことにする。本来なら今日も車中泊の予定であったが、さすがに大晦日にそれは寂しすぎる。なのでいつもの東横インを予約していたのだ。大晦日なのに宿はガラガラで、直前なのにエコノミーシングルを押さえることができた。そうか、年末年始旅は東横インを使えばいいんだな。そして宿到着。フロントの方におすすめの店はないか聞くも、大晦日ということで全店休業か早仕舞い。ふたりで探した結果、甲府駅近に開いている店を見つけた。フロントの方にお礼を伝えて早速向かうことに。宿を出て甲府城の横を歩いていく。白い漆喰の壁がライトアップされており、野面積みの石垣と合わせてとても美しい。徒歩10分ほどで到着した生そばきり。他に開いてる店がないためか店内は大賑わいだ。カウンターに通されると目の前に見覚えのある白州のボトルが。あっ、この店、お昼にじゃんぷさんが入った店だ(笑)なんという偶然なのだろうか。いや、これはもはや運命と言っても過言ではないだろう。このオッサンふたりは何色の糸で結ばれているんだ!?とバイク仲間に茶化されつつも、ハイボールと鳥モツ煮を注文。なんでも過去B級グルメで賞を取ったことがあるのだとか。運ばれてきた鳥モツ煮はその言葉を裏付けるようにとても美味!砂ずりの食感がたまらない!臭みのないレバーも甘辛いタレと合わさりハイボールが進む!一気に食べ終わると、年越し蕎麦として注文したせいろがやってきた。正直居酒屋みたいな雰囲気だったので期待はしていなかったが、これがまた絶品!蕎麦湯もいただきたかったが、店員さんもフル稼働で大変そうだったのでやめておいた。バッシングが追いつかず、皿を落として割っちゃってたし。大将に「ごちそうさま」と店を後にするのであった。宿に戻る夜道は風が冷たく寂しい雰囲気だ。車や人通りもほとんどなく、都会とは思えないほど静まり返っている。こんな寂しい年越しは初めてだが、意外と悪くない。昔はライダーハウスで年越ししたり、仲間と霧島神宮で年越ししてそのまま仕事など忙しくも楽しい年越しをしていた。ここ数年は自宅で酒を飲みながらひとり年越しすることが増えていた。歩いていくと住宅街から子どもたちの元気な声が聞こえる。それぞれの暮らし、それぞれの年越し。今回旅に出なければ知ることはできなかったであろう。宿に戻ると紅白歌合戦が始まっていた。ちょうどB'zがパフォーマンスをしているところで、就寝準備をしながら聴き流す。忙しかった2024年も終わりだな。来年はどんな年になるのだろう。例年ならゆく年くる年を見つつ年越しをして眠りにつくのだが、明日も早起きだ。盛り上がりを見せる紅白歌合戦を消し、眠りにつくのであった。4日目に続く。
2025年01月21日
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さて、ここからはこの旅もう一つの目的、ゆるキャン△聖地巡礼である。といっても前回のストーカーのような巡礼ではなく、グッズを買い漁ることが一番の目的だ。早速浩庵キャンプ場ロッジでステッカーを購入。そのまま本栖道を身延へ向けて降る。それにしてもこの道、勾配が急すぎる。これを自転車で上がるなんてどんなバケモノだよ。そして到着した栄昇堂。ここでみのぶまんじゅうを50個購入。賞味期限が短いので、早めに配らなくては。そしてすぐ真向かいの山梨水晶本店へ。相変わらず店内の半分をゆるキャングッズで埋め尽くされた光景は圧巻だ。茶色い革ジャンを着たライダーと思われる方も一生懸命グッズを選んでいた。しかし以前も訪れて思ったが、私好みのグッズがないのだ。私はキャラを前面に押し出したグッズは苦手で、どちらかと言うとパロディ的なグッズが好きなのだ。とりあえずステッカーだけ購入して店を後にした。ここで少し疲れが出てきたので、例のベンチに腰掛けながらみのぶまんじゅうタイム(←変換候補で出てきた語録)荒涼とした富士川を眺めつつ、ゆるキャンの1シーンを思い浮かべる。すると後ろの道路を先ほどのライダーさんがDN-01で走り抜けて行った。さて、私も出発するか。みのぶまんじゅうを満載した車で走り出すのであった。「これよかったらどうぞ。」店主の方が缶コーヒーを差し出してくれた。私は身延駅周辺から久遠寺の参道にある武州屋に来ていた。こちらもゆるキャングッズで有名なお店だ。ここでしか売っていない交通安全ステッカー欲しさに多くの方が訪れる。私はグッズと一緒に、お店の看板商品である干し椎茸も購入。帰ってから食べるのが楽しみだ。他にもグッズやお土産を購入すると店主の方が缶コーヒーをおまけしてくれたのだ。ありがとうございます。ついでに店主にどこかいいところがないか伺うと、すぐ隣の園林(おんりん)を勧めてくれた。今なら限定ステッカーがあるとのこと。さらに名刺をもらうことでさらに限定ステッカーをいただけるとのこと。すぐに向かうことにする。以前訪問した時は寺ビールに時間を取られ訪問できなかった園林。時々コラボ料理を運営に相談して、限定ステッカーと共に販売しているのだ。今回はなでしこが飲んでいたぶどう牛乳ジュースを再現。それに限定ステッカーが付いてくるのだ。早速合言葉「ゆるキャン応援しています。」と注文。さらにコーヒーも飲みたかったので、チーズトーストと共に注文。先にチーズトーストとコーヒーをいただく。これが両者とも美味しい!今回は先ほどのうどんとみのぶまんじゅうが効いており、カレーは食べることができなかった。次回の宿題だなぁ。さて、ここ園林はゆるキャンの聖地となっているので、隣り合わせた方々もみなゆるキャンファンだ。先ほどのライダーさんもいらっしゃる。マスターに「鹿児島から来ました。」と伝えると、店中驚いていた。まさにど変態(褒め言葉)の鏡である。色々と情報交換をさせていただいて、最後にポイントカードを発行していただいた。なんとスタンプがしまりんではないか。本当にゆるキャンが好きなんだなぁ。ホクホクした気持ちで店を後にした。さて、栄昇堂と園林を制覇した私。先ほどの武州屋に戻る。店主の方に制覇した証を見せると「おめでとうございます」とステッカーをいただいた。ステッカーは恵那ちゃんだ。3期でキャラデザが変わり、一瞬誰か分からなかった。ありがたくいただき、店の方としばらく話して出発した。ありがとうございました。また帰ってきます。「ぶどうジュースは青果コーナーにありますよ。」店員さんが案内してくださる。身延山を後にした私は、身延の外れにあるスーパーセルバに来ていた。はい、ここも聖地巡礼の地です。普通のスーパーだというのに、ゆるキャンコーナーがドカンと幅を利かせていた。先ほど浩庵で購入したステッカーのミニバージョンもあり、また色々と買ってしまった。さらにバイク仲間のおみやにぶどうジュースを3本購入。これ絶対美味しいやつだよなぁ。割れないよう車中泊用の布団にビニール袋で包んで収納する。出発しようとしたら、となりにドラッグストアがあるじゃないか。ちょっと買いものがあったので入ると、なんとここにもゆるキャングッズがあるではないか。しかも他の店では見かけなかったケロリン桶のキーホルダーがあるじゃあないかっ!身延は本当に油断ならない。すぐ1個購入したが、今思えばあと3〜4個買えばよかったなと後悔。開けたキーホルダーはなでしこだったので良しとする。さて、これにて本日の聖地巡礼終了。甲府から韮崎に向かって走る。3日目其の参に続く。
2025年01月19日
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〜12月31日〜朝4時。スマホのアラームで目が覚める。昨夜は寝たような寝れてないような不思議な感覚であった。久しぶりの長旅で興奮しているせいだろうか。結露で濡れた窓ガラスを拭くと途端に凍る。どうやら寒さのせいで過冷却が起きているようだ。エンジンをかけ、車のいない場所まで移動。窓ガラスを温め結露を拭き取ったら出発する。凍結を恐れていたが、快晴の翌日でマイナス5℃程度では大丈夫なようだ。そのまま峠を登り、本栖湖までやってきた。日の出前の本栖湖はすでに多くのカメラマンがスタンバイしていた。私は後方から自撮り棒で撮影すればいいので、日の出の時間まで車の中で再度横になることにする。6時30分。周りが騒がしく起きてみると、駐車場は車で満杯、路上まで車が溢れかえっていた。防寒装備に身を包み展望台へ行くと、富士山の稜線が赤くなりつつあった。その後若干雲に遮られつつも7時20分過ぎ、太陽が顔を出す。富士山の裾野から上がる太陽が美しい。私も含め、この場に居合わせたすべての人が夢中で写真を撮る。本栖湖からの日の出がこんなに美しいとは。これは山梨にきたらまた見に来なくては。私は次の絶景を求め走り出した。英語、中国語、アラブ系の言語が聞こえるが、日本語は一切聞こえてこない。私は新倉山浅間公園に来ていた。この場所を知っている友人は、インバ公園と呼んでいる(インバウンド×公園)。その名の通り、日本人は私だけのようである。そしてここで撮れた写真は、まるでAIに日本のイメージで描かせた写真のようであり、なんとも非現実的だ。それほどまでに今日の富士山は美しい。実は私、今まで富士山に嫌われ続けていた。絶景ポイントを訪れても雲に隠れていたり、快晴だったのに麓に近づくと霧に包まれたりと何か悪いことでもしたのかと言いたくなるほど、富士山に嫌われていた。綺麗な形で見れたのはこれが初めてである。感謝しつつ、400段の階段を膝が笑うのを堪えながら降るのであった。さて、時刻は11時前。狙っていたほうとうのお店が正月休みだったので、以前訪れた吉田うどんの店で食べていく。ちょうど通り道に玉喜亭はあった。前回来訪時はネクタイダーさんと訪れ、その麺の固さに驚いたものだったが、今回食べたうどんは以前より柔く、味も微妙になっていた。とりあえず腹は膨れたので次の目的地を目指す。ここで友人のじゃんぷさんから、甲府についたと謎のサインの入った白州ボトルの写真と共に連絡が入る。じゃんぷさんは北杜市にある空穂宿で年越しをする予定らしい。しかし合流したところで車には乗せられない(乗せたら道交法違反でアウト)。タイミングが合えば空穂宿で会いましょうと返信し、次の目的地を目指すのであった。波打ち際に陽光が反射し輝く。精進湖は水面に富士山が映える美しい場所だ。時間があればここでコーヒーでも飲みながらゆっくり過ごしたい。現にキャンピングカーで乗り付け、昼食を摂っている方々も見受けられた。私もいつの日か同じように過ごしてみたいものだ。精進湖を後にして、再び本栖湖に戻ってきた。昼の本栖湖は早朝とはまた雰囲気が違い、順光で照らされた富士山の岩肌がよく見え、その下に満々と水を湛える湖がある。うん、これは絶景だ。お札に描かれるのも納得である。さて、ここからはこの旅もう一つの目的、ゆるキャン△聖地巡礼にうつる。3日目其の弐に続く。
2025年01月16日
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「ここは5℃以上にならないから、冷蔵庫に入れなくていいんですよ。」店員さんが笑いながら話す。馬籠宿を後にして、近くの酒蔵「西尾酒造」にきていた。バイク仲間のいがぽんさんから教えてもらった酒造だ。店内にはずらーっとお酒が並び、中には生酒もそのまま陳列してある。そこで先ほどのやりとりとなったわけだが、鹿児島の日常ではありえない体験が多く戸惑いつつも楽しむ自分がいた。ここでいがぽんさんおすすめの「そま酒」を買っていく。濁り酒なのだが、なんと辛口だというのだ。店員さんに詳しくお話を聞き、他の酒にも興味が湧いたが、クーラーボックスにも限りがある。明日以降地ビールも買い込むつもりなので、スペースは空けておかなくては。そま酒4合瓶を3本買い、店を後にした。木曽路は路肩に雪が積まれ、山の木々は葉を落とし、その地面は白く雪化粧の粧い。九州ではまず見ることのできない光景に気分が高まる。しかし驚くほどに路面に雪がない。いや、雪解け水すらなく乾いている。ここらへんはロードヒーティングなど無いはずなのだが。おかげでスタッドレスタイヤが活躍することはなく、順調に進むことができた。「鹿児島からだったら寒いでしょう!」五平餅を差し出しながら店員が話す。ついに念願の五平餅を奈良井宿でいただくことができた。平べったいきりたんぽのようなものに、これでもかと甘い味噌が塗ってある。とても美味しいが、口の周りが味噌だらけに。店側が気を利かせて店先にティッシュを置いてくれていたので助かった。日も暮れかけた奈良井宿は、目の前の峠から吹き下ろす風でとても寒い。道路もアイスバーン状態だ。軒先に下がる「奈良井宿」と入った電灯がとても美しい。昼の賑わいは見ることができなかったが、これはこれで貴重な時間に来ることができた。おそらくこの時間に来れることは二度とないだろう。そう思いながら風景をファインダーに収めるのであった。「間も無く閉館となります。」作業着を着た方がそう話しながら掃除を進めていく。奈良井宿の寒さを和らげるため、諏訪の片倉館に来ていた。こちらはバイク仲間のブーメランさんオススメの温泉だ。なんでも立ち湯で千人は入れることから「千人風呂」と名前がついたのだとか。どう見ても数十人程度だと思うのだが。話を盛るということは、この時代からの流れなのだろうか。しっかりと体を温め今夜に備える。今夜は寒空の下車中泊の予定なのだ。片倉館から延々と南下していく。明るい時間ならば積雪した八ヶ岳やアルプスの山々に魅了されるはずなのだが、さすがにこの時間ではそれも望めない。淡々と走り、甲府の南にある道の駅とよとみに到着。慣れた手つきで車中泊の準備を終わらせ、眠りにつくのであった。3日目に続く。
2025年01月11日
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〜12月30日〜朝6時起床。昨夜は20時過ぎに寝たのにも関わらず、めちゃくちゃ眠たい。1年の疲れがまとまってやってきた感じだ。顔を洗い、恒例の爆盛り朝食をいただく。これで昼食べ損ねても大丈夫だ。今日はとにかく時間が読めない。通常なら昼前に馬籠宿あたりにつく予定だが、帰省ラッシュや事故渋滞でどうなるやら。身支度を済ませている間にフェリーは定刻通り神戸港着岸。下船の運びとなった。下船して給油ついでにタイヤチェックや高速走行の準備を整える。ガソリンの値段は鹿児島より少し安い程度であった。ここからは文字通りひた走り。時間節約のために摩耶インターから中津川インターまで全線高速で向かう。スタッドレスタイヤ のダメージを考えて90キロほどで走っていくが、みんな飛ばし飛ばす!その中で一台メチャクチャなスピード(およそ200キロ)でかっ飛んでいった。なおこの車は後に捕縛されていたのを目撃している。そうして約4時間走り続けて到着した馬籠宿。周囲は雪景色でとても美しい。普段雪景色など見ることもない私はテンション上がりっぱなしである。馬籠宿は坂から始まる。水車が心地よい水音を奏でる宿場町は鄙びた雰囲気でとても落ち着く。昨日は雪が降ったのだろう。屋根に積もる雪が日で溶かされ、屋根から雫を垂らしている。坂を登る私の足も軽く、歩を進めるのであった。「いらっしゃいませ、何にいたしましょう」お年寄りの店員さんが話しかけてくる。私は坂の途中にある食堂、ますやに来ていた。ここの鶏わっぱ飯を食べたかったのだが、残念ながら今はやっていないとのこと。そこで冬季限定の鶏付汁そばをいただく。少し辛めの汁に蕎麦をつけていただくのだが、これがいいお味。鶏からたっぷりと出汁が出ており心も体も暖まる。最後に蕎麦湯を入れると辛めの汁が程よくマイルドになりさらに美味しくいただけた。接客もよく満足して店を後にした。馬籠宿は坂の途中にさまざまなお店がある。しかし年末だからだろうか、お休みの店が目立つ。ここの名物五平餅が食べたかったのだが、どこも開いておらず、さきほどのますやは品切れであった。そこで五平餅を求め、次の宿場町へと移動するのであった。2日目其の弍に続く。
2025年01月08日
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私は職業柄、年末年始の連休とは無縁な人生を送ってきた。元旦に初日の出見てから出勤なんてザラで、年によっては年越し夜勤なんてことも。それが今の職場では年末年始に連休がある!世間は9連休とか言われてますが、私は短めの5連休です。それでもありがたく頂戴して、旅の計画を立てるのでした。〜12月29日〜午前10時。荷物を満載したアクセラちゃんで出発。運転席以外の座席をとっぱらった車中泊仕様だ。これでヒッチハイクとも無縁でいられるし、旅先で友人を乗せることもできない。完全な一人旅仕様である。感染対策でアルコールポンプと加湿器を設置して万全の体制である。1日目最初に到着したのはお馴染みの霧島湯之元温泉。相変わらず最高なお湯は1年の疲れを癒してくれた。疲れを癒したら、そのまま宮崎市内へ。到着した味のおぐら瀬頭店。年末ということもあり行列ができていたが、1人ということで5分ほどで席に通され、注文してから20分ほどで料理がやってきた。実はこの店限定のチキンメンタンをいただきたかったのだが、残念ながらチャンポン麺が品切れ。ベーシックなチキン南蛮をいただきます。相変わらずのボリュームで四十路前の胃が死にそうに。腹ごしらえを済ませたら、そこからほど近い宮崎港フェリーターミナルへ。そう、今回はアクセラちゃんで初の船旅です。ちなみにいつもお世話になっているK先生も昨日のうちに旅に出ており、すでに自走で関西まで進出しているのだとか。体力おばけが羨ましい。私はカーフェリーで楽をさせてもらいます。受付を済ませ程なく乗船。デッキで山﨑ハイボールを開け、今年一年頑張った自分を労ります。今年はよく働いた。利根川のような20連勤もこなし、体も心もボドボドダ(某仮面ライダー参照)この旅でしっかりと回復させなくては。タラップが上がり、フェリーは宮崎港を離れる。そういえば初めて乗った長距離フェリーも宮崎カーフェリーだ。あれは2006年のジパツーミーティングだったか。あの頃から船旅のワクワクは変わらない。冷たい潮風を浴びながら、明日の旅に期待して乾杯するのであった。2日目に続く。
2025年01月06日
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あけましておめでとうございます。ただいま山梨聖地巡礼中。
2025年01月01日
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朝6時。スマホのアラームで目が覚める。旅疲れはようやく社畜の体内時計を狂わせてくれた。ゆうべは夜中に目が覚めて、瀬戸大橋を見に出たのだが、夜中だからなのか、照明は落とされどこに橋があるのか分からないまま通過していたのだった。その次の来島海峡大橋はさすがに起きれはしなかった。身支度を整え、こちらもコスパのいい朝食バイキングをいただきながら今日のルートを考える。せっかく北九州までやってきたので関門海峡は通りたい。そしてその周囲で行きたかった場所を訪れたい。ルートを検索して大体のプランが固まった。その後定刻通り着岸したフェリーから下船。名門大洋フェリー、快適な船旅をありがとうございました。「ここに健さんがいたんだな。」展望台から関門海峡大橋を眺めながらつぶやく。私は下関市にある火の山公園を訪れていた。ここは映画「あなたへ」のロケ地である。ビートたけしが逮捕されるシーンで使われた場所なのだ。ただその場所は身障者専用駐車場となっていたため、駐輪はせずに数枚写真を撮って撤収し、下の展望台から関門海峡大橋を眺める。何度見てもこの狭い海峡にかかる橋は圧巻だ。展望台から降り、今度は大橋を下から見上げる。どこから眺めても美しい橋だな。今度はもっとゆっくりと見にきたいものだ。再び関門海峡トンネルをくぐり、九州へ帰還するのであった。「この先雨なんで気をつけて」コンビニでカッパを着込んだハーレーライダーに話しかけられる。昨日まで最高な天気であったが、最終日になって天気が崩れるとは。やはり私の雨男ぶりは健在のようだ。新門司港近くのコンビニから田川市を通り、昨年行った英彦山近くを通過。そのまま日田市に抜け、阿蘇を観光して帰ろうと目論んでいた。しかし時折降る雨を回避しながら進むことで通常より時間がかかり過ぎてしまった。日田市についた時点で14時前である。さすがに阿蘇観光は諦め、梅林湖から菊池方面に降ることにした。途中数回休憩と雨宿りを繰り返し、益城熊本空港インターから高速へ。八代インターで給油と高速台節約のために降りると、この先人吉えびの間が事故通行止めと出ているではないか。これはまいった。あの区間を走れないだけで30分は違ってくる。とりあえず人吉についてから考えることとし出発。ほどなく人吉インターに到着。休憩がてらコンビニに入り交通状況を確認。どうやら通行止めは解除されたようだ。すぐさま高速に乗るも渋滞はまだ続いていた。とは言っても、ほどほどに流れているので、そのまま流れに乗って走り続ける。えびのを過ぎるあたりで渋滞は解消された。そしてそのまま2時間ほどで自宅に到着となった。今回のツーリングは、哲さんのアクロスをお祝いする集いだったが、哲さんを中心に集まる方との再会や出会いがあり、むしろこちらが感謝したいほど最高な時間を過ごすことができた。これからアクロスは月からの帰路につく。遠い旅路となるが、アイアンズをはじめ、多くの旅仲間がついているからきっと大丈夫であろう。私もこれからずっと哲さんとアクロスの旅を追い続けてゆく。この旅路に幸多からんことを。Moon Reaching Commemoration Touring end
2024年12月25日
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皆様にたくさんの幸せが訪れますように。
2024年12月24日
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※本来なら動画を載せる予定でしたが、仕事が忙しく編集する時間が取れないため、スクショ写真のみで更新します。編集する時間が取れたら後日公開するとともに、こちらも写真からの差し替えを行います。小鳥の囀りと、周囲のホンダミュージック(いびき)で目が覚める。朝日があと僅かで顔を出す湖畔は静寂に包まれていた。テントからカメラを抱え起き出す。湖畔にInsta360をセットし、タイムラプスで日の出を撮影する。湖上を飛んでいく水鳥や、時折はねる魚たちも朝日を待ち侘びているかのようであった。しばらくして朝日が顔を出し、冷えた体とテントサイトを温めてくれる。さあ、今日も一日楽しもう。楽しむためにはまず腹ごしらえをしなければ。アイアンズの朝は、セルフうどんと相場が決まっている。飲み過ぎと語りすぎで喉を痛めたあじゃぶシェフが老舗ラーメン店の職人を彷彿とさせる手際で、うどんと天ぷらを仕上げていく。その姿はまさに職人である文蔵さんと言ったところだろうか。では、隣で補佐するかずやんが、サブちゃんと言ったところか。???「天ぷらうどん一丁!」???「にゃーーーーーー!」(あじゃぶさんもかずやんもラーメン赤猫にはまっているのです)天ぷらうどんをいただき、余った出汁も全て飲み干して、1日活動する活力を得たアイアンズ。チェックアウトまでは時間があるので再び語り合う。哲さんのアクロスを囲んでいろんな話が飛び交う。そのアクロスのメーターは、38万キロを越えていた。哲さんとアクロスと一緒に記念撮影。そういえば同じように撮ったのは、アイアンホース20周年記念以来だ。あれももう6年前になるのか。時の流れは早いものだ。アクロスの次に人気だったのが、ポンコツ親父さんが乗ってきたハンターカブだ。細かい作りが秀逸で、とてもいいデザイン。整備性も申し分ないが、意外とシートが高くかずやんはやじろべえ状態に。うん、やはり私にはモンキー一択なのだな。(将来的にミニバンにモンキーを積んで旅しようと計画中)そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、全員で撤収作業に入る。これだけ人数がいれば撤収も早く、10時前には全ての作業が完了した。名残惜しいが、それぞれ帰路につく。あじゃぶさんが荷物満載の愛車で出発。親父さんも出発し、主役の哲さんご夫婦も出発。気がついたらかずやんととうだいえんさんだけになってしまった。とうだいえんさんに見送られかずやんも出発。最高に楽しい時間でした。またみんなで集まって語り合いたいですねぇ。とうだいえんさんと娘さんに手を振りキャンプ場を後にした。↑たまたますれ違ったこけさんと「バイクはこちらに!」誘導員が声を張り上げて車とバイクを捌いていく。キャンプ場を出発した私は、すぐ近くのメタセコイア並木道に来ていた。しかし私の目的地はこの先なので、走行動画だけ撮りスルーしていく。メタセコイアは南阿蘇にもあるが、ここまでの並木道は初めてだ。観光地化されるのも納得だな。並木道をすぎてまもなく到着したのは、マキノ白谷温泉八王子壮。昨夜はお風呂に入れなかったので、ここでこざっぱりしていく。体を洗い、髭も剃り、リフレッシュ完了。温泉を後にして琵琶湖東岸へ向かう。道中、琵琶湖を反時計回りする道は大渋滞。一方時計回りのこちらはガラガラである。そんな快適な道を走り、長浜市までやってきた。ここまで来たならあのパンを買わなければ。到着したつるや本店。そう、サラダパンのお店だ。3年前、北海道帰りに立ち寄った時以来だ。早速自分用とおみや用を買い込み、エコバッグまで購入。これがまたいいデザインだ。ホクホク顔で店を後にした。「バイクはこちらに停めてください。」忙しい中、親切に店員さんが案内してくださる。つるやを出発した私は、長浜市中心部にある成駒屋に来ていた。長浜名物焼き鯖そうめんを食べるためだ。以前から食べたかった焼き鯖そうめんをついにいただける。テンションを上げつつそうめんを注文。さらに魅力的な品をメニューに発見。ビワマスのにぎりだと!?旅は一期一会。この出会いに感謝していただかなければ(クルシイイイワケ程なく運ばれてきた焼き鯖そうめんは、そうめんに焼き鯖の汁がしっかり染みており、とても美味しい。味付けも濃くなく鯖の旨みと煮汁の旨みがマッチしている。これは日本酒と合わせたい一品だ。お次はビワマスのにぎり。口に含んだ直後は、あっさりとしたサーモンという感想だったが、噛んでいくと鱒自体の旨みが口中に広がり、それを酢飯が引き締めてくれる。これは美味しい。こちらも日本酒とよく合いそうだ。満足して店を後にするのだった。「いや、さすがにしんどい。」長浜を後にした私。彦根城下でお使いを達成し、大阪へ向け高速を走っていた。しかし行楽日和の3連休。サンデードライバーも多く走る道路は至る所で事故が発生しており、私が走る京滋バイパスも大渋滞である。全く動かないなら間をすり抜けていくのだが、中途半端に動くものだからそれもできない。他のバイクはお構いなしですり抜けていくが、急に車線変更されたら弾き飛ばされて空を飛んでしまう。そして飛んだ先は谷底だ。まず助かるまい。そう思いながら走るも、クラッチを握る左手がそろそろ限界。そこで先述した言葉が出てきたのであった。幸い本当に限界になる前に渋滞は解消。京滋バイパスから第二京阪に移り、順調に大阪南港に向かっていた。しかし寝屋川を過ぎたあたりからGoogleマップの様子がおかしい。沈黙することが増え、曲がるポイントを過ぎてから案内するようになってしまった。そして東大阪ジャンクションを奈良方面に行けと言い出したのだ。事故渋滞でも発生しているのかと思い、言う通りに奈良方面に向かう。すると急に高速を降りろと言い出した。これはいよいよいかんな。高速を降りてセブンで確認すると、今度はUターンして元の道に戻れと言い出した。いや、そもそもここは一体どこなのだ!?目の前にはコーナン東大阪菱江店がある。やはり先ほどのジャンクションを奈良方面ではなく大阪方面に向かわなければならないようだった。ここからは地図を頭に叩き込み、Googleマップは無視して入っていく。フェリー乗船開始まで30分。南港までの距離は22キロ。余裕を持ってルートを組んだがかなりギリギリになってしまった。そのまま阪神高速を爆走していく。ちょうど私の前に爆走している車がいたので、セーフティーカーにさせてもらった。セーフティーカーのおかげで無事天保山ジャンクションに辿り着いた。南港まで後わずかだが、ここら辺は道が入り組んでいて分かりにくい。看板も夜ではよく分からずよせばいいのに再びGoogleマップに頼る。そして案の定行き止まりに案内される。これはあれだ。昨日話していたネクタイダーさんの策略に違いない。行き止まりをパスしてようやくの思いで大阪南港フェリーターミナルに到着。するとちょうどバイクが乗船開始するところであった。わたわたとQRコードを準備してすぐに乗船。さっき道を確認した東大阪のセブンで弁当を買っておいて良かった。名門大洋フェリーはバイクは地下(3階)に降ろされるようで、けたたましいサイレンと共にタラップが下がっていく。3階車両甲板に到着すると、そこはバイクが30台近く停まっていた。客室も満室だし、この航路はドル箱なのだな。荷物を整理して客室に上がる。今宵は普通のツーリストベッドだ。狭い空間が秘密基地感を醸し出し、なんともワクワクする。昔はこの感覚で北海道に渡ったものだ。着替えを済ませ、なぜか売店にあったオリオンビールを購入。デッキに上がり潮風を浴びながら大阪の夜景に乾杯!次はいつフェリーで来られるのだろう。半日有給を取れば、弾丸にはなるがフェリー旅が実現可能なことがわかった。また機を狙って来ることにしよう。出港時刻となりフェリーは岸壁を離れる。行きと同じく出港の警笛は鳴らさないようだ。出航後に入浴と晩御飯を済ませ、再びデッキへ。時刻は21時過ぎ。なんでもフェリーが明石海峡大橋を潜るというのだ。瀬戸内海航路の魅力のひとつである。ライトアップされた明石海峡大橋は美しく、普段明るい時間に見る橋とは違う雰囲気を醸し出していた。今回時間があればあの橋を渡って淡路島にいく予定であった。私がドライフラワーを始めるきっかけとなったパルシェ香の館に行きたかったのだが、また次の機会だな。今度はフェリーで大阪に上陸して、四国に渡るのもいいかもしれない。でも日本海側を走る構想も捨てがたい。行きたいところ、再訪したいところが多すぎて、とても今の休みでは足りない。しかし長旅となると、1ヶ月を過ぎたあたりから、旅の感動が薄れてしまうのも経験しているため、今の旅スタイルがいいのかもしれない。そう考えながら明石海峡大橋を通過。またいつの日かあの橋を渡り淡路島を目指すその日を夢見て、離れていく大橋を見つめるのであった。4日目に続く。
2024年12月23日
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「船内レストランの営業を開始いたしております。」艦内放送で目が覚める。昨夜はそこそこ揺れたみたいだが、仕事疲れの影響でぐっすり眠ることができた。朝食をコスパのいいレストランで摂る。朝食ホテルバイキングのようなラインアップで750円とはなんとも素晴らしい。朝食を終え、規制が解除されたデッキに登る。日はすっかり登っていた。さんふらわあはコンテナ船行き交う紀伊水道を走り、定刻通り7時50分に大阪ATCに着岸。バイクは1番最後の下船となった。「この先、高槻から大津まで25キロの渋滞です。」ナビが無慈悲にそう告げる。3連休に加え、気候と天気が良ければ皆出かけるのであろう。それにサンデードライバーが加われば事故も頻発してもおかしくない。当初の予定では彦根・長浜経由でキャンプ場に向かうつもりであったが、これは流石に間に合わない。大人しくキャンプ場へ直行する。琵琶湖へ向かう道はどこも大渋滞。北上を続けるも湖西道路で大渋滞につかまる。琵琶湖のような観光地が混むのは必須なようだ。果たしてキャンプ場に空きがあるのだろうか。渋滞を掻い潜りつつ、12時前に琵琶湖畔の六ツ矢崎浜オートキャンプ場に到着。どうやら私が1番乗りのようだ。受付を済ませていると、あじゃぶさんがNEWマシンで登場。去年の関西忘年会以来の再会だ。早速サイトの確保に向かうもどこも満員。アーリーチェックインで先を越されていた。そんな中、大きな広間のようなサイトが空いているのを発見。即出入り口を押さえ、場所確保に成功した。安心したところでプシュッと行きたいが、まだ買い出しが済んでいないのだ。ちゃっちゃか設営して買い出しも済ませよう。あじゃぶさんとともにタープを建て、荷物を降ろし、椅子を広げて、あじゃぶさんは水分補給開始(アルコール)。すると、本日の主役である哲さんとナベさんも到着。おふたりとも去年の忘年会以来の再会だ。到着してすぐにナベさんからフルーツサンドの差し入れをいただく。お昼を食べ損ねていたので、とてもありがたく頂戴し、あじゃぶさんとシェアしていただいた。仕事疲れの体に優しい甘さが染み渡る。ここからは椅子を広げたまままったりタイム。時刻もまだ14時過ぎである。するとポツポツと旅仲間が集まり出した。中には初めましての方もいらっしゃり、挨拶に忙しい。ある程度集まってきたところで、私は一旦買い出しへ。バイクはラチェットベルトをネットで固定してそのまま走れる状態にしてある。近くのドラッグストアでお酒とあじゃぶさんのお使いを済ませキャンプ場に戻ると、また数名旅仲間が到着していた。ここからは各々準備を開始。あじゃぶシェフも準備を開始。今回は旅仲間のお子さんも来られていたため、準備は若手に任せる(笑)するとあじゃぶさんと哲さんに「かずやんはずっとアイアンズの若手だろう」と怒られる(笑)不惑の年が近くなっても若手と言ってくれるのはここぐらいのものである。私も準備に加わる。火が傾いてきた頃に宴会準備完了。あじゃぶさんの挨拶から始まり、お祝いのシャンパンファイト(違)を哲さんにお願いする。シャンパンのコルクが哲さんや集まった人々を祝うように放物線を描いて空を舞う。それを合図に宴会スタートとなった。トロトロな肉が入ったビーフシチュー。鍋いっぱいのサラダ。巨大なステーキ群。さらに焼かれていく肉たち。締めには焼きそばまで。さらにみなさん持ち寄りの焼き鳥やソーセージもいただきもうお腹パンパン。お酒もあじゃぶさんが用意してくれた白州が大人気で、フルボトルが2本空いてしまった。私も普段は少ししか飲めないのだが、この日はなぜかいくら飲んでも大丈夫であった。焚き火を囲みつつ、バイクのことや旅のこと。健康のことなど話題が尽きない。そして21時を回る頃だろうか。今回の記念キャンプの手配をしてくださったネクタイダーさんが、ビシッとネクタイを締め、スーツと革靴で到着。久しぶりの名前通りの登場だ。なんでも仕事の都合がつかず、今日も明日も仕事になってしまったとのこと。今日はレンタカーで眠り、明日の朝イチで職場に向かうのだとか。本当に頭の下がる思いだ。第二の主役も到着し、宴はさらなる盛り上がりを見せる。ネクタイダーさんは、「明日どうやってかずやんをブロック(関西に留める)してやろうか」と悪どい顔になっている(笑)話題は尽きず、再び健康の話や介護の話が出る一方、あじゃぶさん、こけさんがとうだいえんさんの娘さんにウィスキーの講義を開催。聞き耳を立てていると、同じ話を繰り返している(笑)それでも娘さんは嫌がることなく我々おじさんの話を聞いてくれていた。なんて出来た子なんだろう。そしてこの年で(確か20代前半)白州の美味しさがわかるなんて将来が楽しみだ。そう言えば私がアイアンズに加わったのも、この子と同じ年齢の時だ。あれから随分と時が過ぎてしまった。何人かはもう駆けつけられない方もいらっしゃる。また空から見守ってくださる方もいらっしゃる。それでもみんなと会って飲める楽しさは変わらない。この時間が永遠に続けばいいのに。ありきたりの言葉だが、この時ばかりは少し違ったニュアンスも加わり、しみじみと思い耽る宴席の夜なのであった。3日目に続く。
2024年12月08日
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仕事にプライベートに忙しすぎて、ツーレポ更新が滞っております。もうしばらくお待ちくださいm(_ _)mとりま、ツーリングからの出来事を写真のみでご報告。
2024年11月19日
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「乗船は最後になりそうですね。」荷物を満載したMTに跨る私に、誘導員が声をかける。私は斜陽照らす志布志港にいた。仕事が予定通り終わらず、フェリーターミナル到着が予定より30分遅れてしまい、最後の乗船となったのだ。降り口と歩行者用のタラップが上がり、トラックも全て乗船完了したところで声がかかり乗船。乗り込むとすぐにタラップが上がり、出航となった。日は山に隠れ、夕闇迫る志布志港を離れるさんふらわあさつま。明日、久しぶりにみんなに会える。高まる気持ちを抑えつつ、眠りにつくのであった。2日目に続く
2024年10月30日
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「バイク旅を初めたきっかけってなんですか?」バイク旅が趣味と話すと、かなりの頻度で聞かれるフレーズだ。大抵は誤魔化したり端折ったりするものだが、今回は詳しく話してみようと思う。私は幼い頃から、自転車であてもなく走り回るのが大好きであった。高校生になり自転車は原付となり、といきたかったが、厳しい校則でそれも叶わず、卒業したらバイクに乗るぞと決意したものだ。そして2005年の秋、私はシャドウスラッシャーという相棒を手に入れた。ジパングツーリングという雑誌と共に。当時のジパングツーリングは、バイクやツーリング最盛期といった雰囲気で、盛んにニューマシンや最新ツーリングスポットなどを紹介していた。そしてその中にあのお方の記事があったのだが、この時は気に留めることもなかった。月日は流れ、バイクでもっと出かけたいと当時ADSLであったインターネットで「鹿児島」「ツーリング」と検索をかけたのが全ての始まり。たどり着いたホームページ「アイアンホース」なんとバイク納車と同時に手に入れたジパングツーリングに寄稿しているライターさんのホームページではないか。彼の名前は武田哲さん。日本全国をバイクで旅し、北海道やモンゴルまで走った猛者だ。そして気がついたら掲示板に書き込んでしまい、ここから深い深い旅人の深淵へと引き摺り込まれることに。その翌年、三重県で開催されたジパングツーリングミーティング。気がつくとその輪に加わる私がいた。荷物は山積みしたバッグにバイクカバーをぐるぐる巻きにしたというなんともお粗末なもの。カッパも満足に準備しておらず、帰りは雨でしっかり濡れてしまった。それでもミーティングはとても楽しく、初めてお会いする哲さんを中心としたアイアンズの方々はどなたも優しく楽しく、この方々との出会いが旅人に片足突っ込んでいた私を完全にその世界に飛び込ませたのだった。私がバイク旅を始めたきっかけは武田哲さんであり、今こうして旅をしているのも哲さんのおかげなのである。そんな哲さんにはひとつの目標があった。それは、相棒であるアクロスと遥か空に浮かぶお月さんまで行くこと。つまり地球から月までの距離である38万キロを走破するということである。バイクで38万キロなんて、壮大すぎて想像もつかなかったが、哲さんとアクロスならやり遂げるであろうとなぜか確証に近い思いがあった。あれから18年。ついにその時がやってきた。アクロスが総走行距離38万キロを突破し、月に到達したのだ。そしてそれを祝うため、アイアンズに召集がかかったのであった。1日目に続く。
2024年10月27日
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Coming soon
2024年10月26日
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愛車のBKアクセラちゃん、総走行距離34万キロを突破しました。まだまだ現役!これからも走り続けます!
2024年10月09日
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購入して3年2ヶ月で純正バッテリーが膨張して使用不能になりました。膨張する直前でもバッテリーの持ちは変わらず、充電も問題なし。外部から衝撃を加えたことなど一切なく、撮影後に取り出そうとしたところ膨張して危うく本体を破損するところでした。実は今年初めに社外品のバッテリーも膨張を起こしており使用不能に。この時は社外品だから仕方ないと片付けていましたが、まさか純正バッテリーも膨張するとは。共通して無風の屋外での撮影後に膨張しています。つまり本体やバッテリーが高温になったことで、バッテリーの膨張が引き起こされた可能性があります。とはいえ、撮影時間は10分未満。炎天下の中撮影したわけでもないし、適時カメラを休ませながら撮影していました。なおInsta360自体が撮影時に異常なほど熱を持つので、屋内での撮影においてもファンなどで冷却する必要があります。さらに熱暴走の一環なのか、熱を持つとSDカードエラーも頻発します。ここら辺がね、やっぱり中華製品は作りが甘いと感じさせますよね。360度カメラは便利なのです。今後も使い続けたいので何か対策を考えることにしましょう。
2024年09月28日
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朝5時起床。ツーリングなのに、普段の生活リズム(社畜)は抜けないようだ。天気予報を確認するついでに四国カルストのライブカメラを見てみるが、見事なまでに雲と霧の中。なお、これを書いている今の段階で、晴れたのは1日だけのようであった。この時期の四国カルストは無理ゲーなんじゃ・・・。時刻は6時過ぎ。朝食バイキングを姐さんといただきながら今日の相談を。雨に降られることはなさそうだけど、疲れているのであまり寄り道せず帰路に着く案に決定。準備を済ませ出発しようとすると、おばちゃんに声をかけられる。話を聞くとご近所さんであることが判明。世間って狭いね。おばちゃんはこれから小倉に向かい、博多から新幹線で帰るそうな。おそらく我々より早く帰り着くだろう。おばちゃんに見送られて出発した。バイクスタンド敷きを忘れて・・・。別府の急峻な坂道を登り、別府インターから高速に乗る。この時点で霧で煙っていたが、大丈夫だろうと走り続ける。そして直後、強い雨に見舞われ、視界も50メートルもないほど悪化。たまらずPAへ逃げ込んだ。天気予報も台風の影響でその精度を落としているようだ。さて、ここの目の前には素晴らしい温泉塚原温泉があるのだが、さすがのこの天候の中、あの激坂を登る勇気はない。後ろにポン酒も満載しているので、荒れた路面も避けたいところ。とりあえず雨宿りするも一向に止む気配がない。それどころか、あと数分すると土砂降りになると予報が出ていた。仕方ない、小雨になるタイミングで出発しよう。ふたりはカッパも着ずに走り出すのであった。「暑い暑い!!」雨降りのPAから脱出したふたりは、九重インターそばのセブンにやってきた。ここまでくると先ほどまでの雨が嘘だったかのように晴れ渡る。そしてとてつもなく暑い。湿度も加わり灼熱地獄である。休憩もほどほどに山に逃げるように走り出すのであった。峠道に入るととっても涼しい。つづら折りの道も最高に楽しい。中国語、韓国語、英語が混ざり合う不思議な空間。しかしやはり日本語の割合が圧倒的に多い。そんなカオスな空間が広がる、くじゅう夢大吊橋にきていた。かずやんは何度か訪れているが、姐さんが来たことがないとのことでやってきたのだった。ここは紅葉が最高らしいのだが、9月の中頃で紅葉はまだまだ先の話である。しかし先日までの雨のおかげで、雄滝・雌滝の水量が多く美しい。あまり揺れない吊橋を渡り対岸に出る。展望台が見えたがえらい高いところにあり、満場一致で戻ることに。吊橋を渡り終えたところでお腹が減ってきた。時刻は11時過ぎ。近くでランチを検索し、たどり着いたのが坊ヶづる庵。ここでとり天うどんをいただく。ここのうどんは米粉で作っているとのことで、あっさりしていながらずしっと重い麺は腹持ちが良さそうだ。とり天も柔らかくサクサクに揚がっており、とても美味しい。そしてなにより看板犬のヌーが大人しくてとってもかわいい。また来るから元気でな。体を包み込む風。ススキが穂を出しているが、まだその色を失わない草原。やまなみハイウェイを南下してゆく2台。ここは何度走っても気持ちがいい。やまなみハイウェイから外輪山を越え、阿蘇谷に降る。そのまま阿蘇駅方面へ。すると今通ってきた一ノ宮あたりに雨が降っているのが見えた。阿蘇神社に参拝していたら降られたとこだ。雨雲をうまく避けつつ到着した菓心なかむら。お馴染みの坊中の石畳を食べていく。相変わらずサクサクな石畳は、何度食べても期待を裏切らない。さて、時刻は13時過ぎ。さすがにそろそろ帰らなくては。近くにファミマで水分補給をしていると、雷鳴とともに真っ赤な雨雲が接近しているのを雨雲レーダーで確認する。大慌てで出発し、一気に道の駅大津までやってきた。阿蘇から下界に降ると暑い暑い!それでも吹き抜けていく風は秋を感じさせるものであった。休憩を終え、渋滞を回避しつつ益城インターから高速へ。しかしこの時点で疲労困憊な2人。SAやPAで休憩を取りつつ南下していく。しかしこれが大正解で、うまく雨雲を回避することができた。最後の休憩、溝辺PAでは目の前を雨雲が通り抜けていく。ここで止まらなければ、あの雨雲に突っ込むところだった。雨雲が去るのを待ち出発。そのまま自宅近くまで南下し、そのまま解散となった。今回は1番の目的であった四国カルストを初め、四国を満喫できずに終わる結果となった。これは単に今回は呼ばれなかったということと、また来いという暗示なのだろう。今回は仕事疲れが抜けずに強行したため、無理に行っていたら事故をしていたかもしれない。もしくは途中で体調を崩していたかもしれない。今回の体調では、この走行距離が1番良かったのかもしれない。佐賀関港からフェリーで渡る旅も初めての経験で、色々とコツも掴んだ。次の四国ツーリングでは、もっと快適で楽な旅が送れると思う。そう考えながら次の旅に思いを馳せるのであった。グルメ満喫四国ツーリング 完ps無事に生酒にありつけました( ´∀`)
2024年09月27日
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起きてすぐに雨雲とライブカメラチェック!やはり台風の影響で、愛媛以南は雨雲がかかっている。四国カルストも雲の中でさっぱりわからない。しかもこの後さらに雨が強くなるらしい。はい、今回四国カルストは諦めることにしました。雨の中走ってもつまらないし、帰ってからのメンテナンスも大変だしね。それにO姐さんも心配だ。そんなわけでチェックアウトまで松山市内を散策することに。まずは愛媛の物産館でお土産を大人買い!!そして愛媛なのに高知の焼酎、ダバダ火振を探すも全滅。やはり高知の酒は高知で買えということか。そうこうしているうちにチェックアウトの時間に。バイクに荷物を積み込み走り出すのでした。「いや、モンキーは積んできてるんですけどね。」ふたりは松山から西進して道の駅なかやまに到着していた。出発しようと準備していたところ、電気自動車の旅人に話しかけられたのだった。話もそこそこに出発する。旅先での出会いはいいねぇ。走り出してすぐ対向バイクが手を振ってきて、こちらも振り返す。北海道以外でのピースサイン(今はヤエーと言うのか。)もうれしいものだ。そして何気なく後ろを確認すると、O姐さんがいない。スピードを緩めても追いついてこない。すぐにUターンして来た道を戻る。「さっき手を振りましたよね?」Uターンし、道の駅まで戻ってきていた私に先ほどすれ違ったライダーが話しかけてきた。O姐さんも戻ってきており話を聞くとグローブを落としてしまったのだとか。ん?グローブ?そういや入口に何かあったような・・・。あっ、グローブだ。しかも車に踏みかけられている(滝汗)なんとかグローブを回収し、問題解決。事情を話すとライダーあるあるで盛り上がる(笑)それにしてもどこで話をしてもO姐さんと夫婦に間違われるのだ。実際は親子ほど歳が離れているのだが。これはO姐さんが若く見えるからか、かずやんが歳食って見えるからなのか。前者にしておけば、姐さんもかずやんもwin-winになるのでそうしておこう。再度出発すると突然雨に襲われる。カッパを着ようと下車するも、この雨は一時的なもののようで、このまま待機しやり過ごす。すると10分もしないうちに雨は上がってくれた。今回の旅はこんな天気が多い。暑さと湿度と相まって、灼熱ツーリングになってしまった。少し前の記事で紹介した「チューブで水分ちゅーちゅーくん(名前」が大活躍である。程なく到着した道の駅ふたみ。ビーチにはTシャツがたくさん下がっていた。これはあれか?セトゲイの一環なのか?※セトゲイ=瀬戸内国際芸術祭のこと。瀬戸内海の街や島で開催される芸術祭。10数年前に小豆島で見て回っていた。詳細は2010北海道ツーリングまで。さて時刻はお昼前。食堂が混み出す前に昼食を済ませていこう。パッと目についたバーガー屋に入る。しかしこれが当たりで、とっても美味しいバーガーとポテトをとてもお安く提供しているお店だった。このクオリティだったら1000円出しても文句はない。ごちそうさまでした。昼食を終えた2人。まだ少し早いが、フェリーターミナルを目出し走っていく。快適な夕焼け小焼けラインを流していくと、肱川あらしで有名な長浜までやってきた。いつかはあの光景を拝んでみたいものだ。さらに西進。内陸に入り、道の駅八幡浜みなっとにやってきた。ここでおみやを調達していく。すると昨夜飲んだ石鎚の生酒が置いてるではないか!すぐさま3本買い込み、300ccの京ひなと一緒にクーラーボックスに詰め込む。さらにつまみにじゃこ天を詰め込みまくる。今回コンテナ3個を空にしてきたおかげで、おみやも楽々積載。帰ってから飲むのが楽しみだ。ほくほくして道の駅を後にした。フェリーターミナルに向けひた走る2人。疲れがピークで走りも安定しない。途中、神殿のような展望台で休憩。ここは青色LEDで有名な中村修二博士のパネルが展示してある。どうやらここが出身地のようだ。展望台に登るも木が覆い茂り、あまり展望はよくない。ちなみに姐さんは階段を登る元気もないとのこと。これは四国カルストに行かなくて正解だったな。斯くいうワタクシも結構限界。それもこれも先月の20連勤の疲れが抜けていないからである。利根川のようなことを言うが、そういえばワタクシも中間管理職だった。利根川とお仲間になれたようで嬉しいような悲しいような。もとい、展望台からフェリーターミナルに到着。すると入り口でバイクや車が追い返されてる。おそらくフェリーが満車で、予約していないバイクや車は帰されているのだろう。私たちは先月から予約していたので、スムーズに受け付け。キャンセル待ちのバイク乗りが睨んできたが、睨み返したらよそを向いてしまった。疲れるとイライラしていかん。イライラを抑えるため、隣のはなはなでしらすアイスなんてものをいただく。しかも味付けはわさびだ。味は可もなく不可もなく。おいしくはないけどネタとしても中途半端であった。そんなこんなで乗船時間に。子供達で騒がしい船内だったが、疲れのためかすぐに熟睡。波が荒いとアナウンスがあったが、気になることもなく爆睡してしまった。そして定刻より10分遅れの19時前、佐賀関港フェリーターミナル到着。ここから別府まで走り切る。途中花火大会でもあったのか、たくさんの人で賑わっていた。1時間ほどで宿に到着し、コンビニへ。姐さんはここでダウン、ひと足先に就寝〜。私はクーラーで体が冷えてしまったので近くの温泉でひとっぷろ。・・・なんか他人のケツを触るジジイがいるんですが。俺んとこにきたら、ふんじばってやろうと思っていたが、俺のケツは変態ジジイのお眼鏡にかなわなかったようだ。そんなこともあり、旅2日目の夜も更けていくのであった。3日目に続く。
2024年09月26日
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今回はいつものO姐さんと1年前から計画していたツーリングとなりました。目的地は四国カルスト。日本一周した私も未踏査な場所です。しかし直前になって台風接近。果たして無事に四国カルストへ辿り着けるのか。朝7時に集合のはずが、連勤の仕事疲れによる寝坊と、準備に手間取りO姐さんには先に出発してもらうことに。なんとか準備を終わらせ、O姐さんの後を追います。約1時間ほどで桜島SA到着。給油してからO姐さんと合流しました。それでは気を取り直して出発!高速を延々と北上。熊本の緑川PAまで一気にやってきました。と、ここでO姐さんからシャインマスカットの差し入れが!これが美味しいのなんのって!調子に乗って食べると思いっきりむせて、O姐さんめがけてシャインマスカットをぶちまける痴態。マジで本当にごめんなさい。喉も老化してるなぁ。気を取り直して(オマエガイウナ)南阿蘇に入ります。ちょうどいい時間なので、お昼ご飯も済ませていきましょう。到着した久木野のイロナキカゼ。もう外観から間違いなしの雰囲気!ランチは軽く済ませるつもりがコース料理のみということで、美味しい料理をガッツリいただきました♪いやぁ、こんなに美味しい料理は久しぶりだなぁ。イロナキカゼ、リピ決定です!今度は予約してから来ることにしましょう。お腹いっぱいになったふたり。眠くならないよう、山道コースを選択して走っていきますが・・・。台風の余波である雨雲が徐々にやってきた。高森あたりでシトシトと降り出す始末。加えてGoogleマップセンセイに騙されてUターンする羽目に。ここでO姐さん立ちゴケ寸前に^_^;なんとか回避して一路佐賀関港を目指します。途中休憩を挟みつつなんとか受付終了数分前に到着。危なかった。お昼ご飯でゆっくりしすぎました^_^;程なく乗船。今日は台風の影響で揺れると放送がありましたが、その言葉通り沖に出ると波がうねるうねる。こんなうねりを見るのは初めてだ。波浪の中でもフェリーは順調に進み、17時前に三崎港へダイナミック着岸(事故かと思うくらい強い衝撃でした。)さて、ここから松山市まで2時間かかる。気合い入れていきましょう。佐田岬メロディーラインを快調に東進。半島の稜線を走る道は、両手に景色が開け最高に気持ちいい。そんな道に別れを告げ、八幡浜から大洲、そして松山へやってきました。今宵の宿は松山大街道のお隣で、目の前にドンキがある立地。連れてきたイナヤン(田舎のヤンキー)アヒルたちが喜びそうな場所だ(笑)手際の悪いチェックインを済ませ、部屋に荷物をあげます。チェックインは機械だったのですが、これがトラブルだらけで結局通常のチェックインより手間がかかるという本末転倒な状態。おかげで夕食の時間を遅らせることに。さて、着替えも済ませたし、気を取り直して夕食に向かいます。今夜のお店は、これまた予約で押さえていた鮮魚旬菜 吉です。ここに愛媛名物鯛めしをいただきにやってきました。愛媛には鯛めしは2種類ありまして、土鍋で炊いたベーシックな松山鯛めしと、海鮮丼のように生でいただく宇和島鯛めし。これが両方とも美味しいのなんのって!もうね、松山まできたら絶対食べるべき料理です。さらに煮付けの味付けもよくとっても美味!最高の一言でした。席も個室を頼んだおかげで、楽しく話しながらいただけましたよ♪いや美味しかった!松山に来ることがあれば、また食べにきましょう。さて、本来なら道後温泉本館へプロジェクションマッピングを見に行くつもりでしたが、食事を終えた時点でドッと疲れがやってきました。明日に備えて宿に戻り温泉に浸かってから眠りにつくのでした。2日目に続く。
2024年09月24日
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はい、四国ツーリングから無事帰っております。ぼちぼちレポを仕上げていきますので、しばらくお待ちください。さて今回紹介するのは、四国ツーリングで大活躍したツールです。暑い時期のツーリングは、いくら休憩中に水分を摂っても熱中症になりがちです。そこで走りながらでも水分を補給できないかと考え、この道具を用意しました。はい、チューブで水分ちゅーちゅーするくんです(名前よ道具は・ナフコの600cc真空ボトルカバー。・ダイソーのペットボトルキャップ(チューブタイプ)・ペプシの600ccペットボトル。・水槽用のゴムチューブ・・ゴムチューブジョイント✖️2・ラフ&ロードウェストバッグボトルはラフローのウェストバッグに入れ、チューブはジャケットの胸ポケットにあるストッパーに一周巻いて固定します。はい、これで走りながらでも水分をちゅーちゅーできるようになりました。そもそもこの発想はバイクレースをする友人からのもの。灼熱のサーキット。熱中症にかかって集中力が切れたら命に関わります。そこでこのシステムで熱中症を予防しているのです。ただし専用品は欠点が色々ありまして。・チューブはヘルメット固定(着脱がめんどい)・水パックの保冷が効かない(致命的)・値段が高い(オワタ)とまあツーリングで使うには実用性がなく、今回のツールを作ることにしました。これが大正解。今回の四国ツーリングは高温多湿地獄!走っても休憩しても汗が止まりませんでした。それでも一切熱中症になることはなく、最終日まで快適に走れたんです。気になるドリンクの中身は・ポカリ300cc・水200cc・氷100gといった塩梅です。なおポカリを冷やしてそのまま濃度100%で入れると、濃すぎて逆に喉が渇きます。なのでほぼ半分水で薄めるわけです。ちなみにペットボトルに氷は入れにくいので、私は別に1リットル真空ボトルを用意して、そちらで冷たーい補充液を作成。冷え冷えの補充液をペットボトルに移し替えていたわけです。ちなみに私はビタミン補給の意味も兼ねて、青汁もぶっ込んでました。意外と不味くならないのに驚きましたが。さらに最終日は眠気を飛ばすために、モンエナを混入!まあこれがまずいのなんのって(笑)別の意味で目が覚めるドリンクになりました(笑)ちなみに、これだけ水分を摂取すると気になるのがトイレなのですが、結論から言いますと普段と全く変わりありませんでした。これはこまめに補水液を摂取することで、血液濃度も極端に変化することなく、過剰に尿を生成しなかったためと思われます。そんなわけで、これからも夏のロンツーはこいつをぶら下げて走りたいと思います。それでは四国ツーリングをお送りします٩( 'ω' )و
2024年09月22日
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先日のブレーキフルード交換に続き、今度はプラグとエアクリーナーエレメントを交換します。私の手に負えないので、いつもお世話になっている工場に預けますが、とっても大変な作業(Youtubeで確認済み)で時間もかかります。なので、代車を借りることにして工場周辺のツーリングに出かけたのでした。さて、今回の相棒は110ccスクーターのDIO様!時を止められるほど快適な走りをしておくれ!DIO様に揺られ到着したのは「ごはんや麦」博多ラーメンが食べたくてやってきましたが・・・。うん、私好みの味ではないな。中山の替え玉屋と同系統のお味だ。不完全燃焼で店を後にして、すぐ近くの護国神社で腹ごなし。参拝を済ませたら再び城山トンネルを潜ります。そして到着した西郷隆盛終焉の地(写真撮り忘れ)ここの近くの西郷隆盛洞窟が有名ですが、西郷さんが最後を迎えたのはこの場所なんです。手を合わせると次々に観光客がやってきたので撤収。そのまま城山へ登ります。西郷隆盛洞窟を過ぎたあたりから、気温が下がりとっても快適。特にスクーターということで、ジャケットを脱いでTシャツにアームカバーで走ってるのでとっても快適。城山公園へ到着し、練乳いちごアイスをいただきます。さて、有名な桜島を眺められる展望台へは・・・。行きません( ´∀`)だって歩くと暑いんだもの(´・ω・`)しばらく木陰で涼んだら出発します。城山を降り、到着したのは南州墓地。そう、西郷さんのお墓がある墓地です。そういや金カムでも紹介していましたね。鯉登家のお墓はどこだろう?(アルワケナイすると目の前をすごい勢いで歩いて行く女性が。隣の南州神社へお参りの様子でしたが、お参りも秒速!そんなに急がなくても。後の行程が詰まっているのかな?さてここも多くの観光客で賑わっています。実はワタクシ、鹿児島県民なのにも関わらず、ここを訪れるのはこれが初めて。いや、街のど真ん中なんで、大型バイクや乗用車だとくる気がしないんですよ。改めてここに連れてきてくれたDIO様に感謝です。西郷さんのお墓参りを済ませ、今度はお隣の西郷南洲顕彰館に入ります。寒いくらいクーラーの効いた館内で、展示物を見て回りますが、そこは鹿児島県民。展示されている年表や出来事は全て把握しておりました。一通り周り終え、視聴覚室でしばし休憩。西郷さんの本を読んでたら寝落ちしてました^_^;さて、涼しい館内ですっかり回復したワタクシ。再び暑い街へ走り出します。もう一度涼むために黎明館でもと思ったのですが、気になる企画展がなかったのでパス。市立美術館や長島美術館も気になる展示はありませんでしたね〜。あっ、市立美術館では9月27日から草間彌生展が開催されるようです。時間を作って見に行こう。そんなことを考えながら走っているうちに、照国神社までやってきました。実はここを訪れるのも初めて。いや、前は何度も通ってますが、なぜか入る気がしなかったんですよねぇ。ここは薩摩藩の第28代当主、島津斉彬公が祀られているのです。神社にお参りして交通安全のステッカーを購入。来月、あの方へのお土産としましょう。境内を出ようとすると、入り口から「スタスタスタ」と足音が。あっ、さっき南州墓地にいた女性だ。この方こちらでも秒速で動き、隣の護国神社へも秒速お参り。あっと言う間に境内を後にしていました。一体なんだったんだろう。気になりながらも私はそのままお隣の敷地へ。そこにそびえる巨大な島津斉彬公の銅像。話には聞いていましたが、ここまで大きいとは。亡くなってから170年近く経つのに、いまだに強い信仰があるようです。さて、それでは照国神社を後にします。ここからは鹿児島の湾岸部を巡ります。桜島フェリーターミナルからスタートし、そのまま鴨池まで南下。鴨池フェリーターミナルのうどん屋をチェックしたかったのですが、ここで工場から電話が。MTちゃんの整備が終わった様です。早速工場へ向かい、鹿児島市内ツーリングを終えました。いやぁ、久しぶりに小排気量に乗りましたが、めっちゃ楽しかった。小排気量の良さを感じたツーリングとなりました。やっぱりモンキーをトランポして旅に出たいなぁ。〜MTちゃんの状況。プラグは端子が綺麗に削れ楕円形に。ただし、かなりの量のスラッジが固着していました。これはフューエルワンでも入れて改善しなければ。エアフィルターエレメントは程よく汚れており、心配していたエンジンオイルのオーバーフローもありませんでしたね。これにてMTちゃんメンテナンス完了!できればホイールのハブベアリング洗浄とグリスアップ、ブレーキキャリパーのオーバーホールをしたいところですが、予算が尽きたのでまたの機会に。あぁ、フロントフォークのオイル交換とオーバーホールもしてやらなければ。まだまだお金がかかるMTちゃんなのでした。
2024年09月12日
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どうも。今回もMTちゃんの整備録です。今回はブレーキフルードを交換します。フルード交換といえば、エアが噛まないよう気をつけながらブレーキレバーを根気強くにぎにぎする作業。これがマジでしんどいんです。そのしんどさと面倒くささもあり長いことブレーキフルードを交換していませんでした。そんな私の前に現れた救世主。【フェリモアブレーキフルードチェンジャー】エアコンプレッサーに接続することでタンク内に負圧を発生。チューブでいろんなものをちゅーちゅーしちゃうスグレモノです。単純な構造も合わさって、お値段もお手頃だったので即購入。早速交換!詳しくは、これまたお世話になりまくりの「ひろぴょんさん」の動画をご覧ください。※メガネレンチのサイズがMT-10は8mmとなっています。お気をつけて。なお、この動画では触れられていませんが、チューブを上に持ち上げることでエアが抜けやすくなります。作業が簡単なので、ちゃっちゃか前後交換完了!フロントはダブルディスクですが、フルードタンクは左右共用なのでありがたい。これ本当に楽!コンプレッサーをお持ちの方は、ぜひお試しあれ!※いつものK先生から、エアを吸いすぎるとABSなどがエア噛みすることがあると教えていただきました。今回はビビって半分ほどしか開けずに交換したのが功を奏したようです。皆様も交換する際はエアバルブを全開にせず半分ほどで作業されてみてください。ちなみに、この後ブレーキチェックを行った後テストランを行い、ABSも正常に作動していることを確認しております。psフルードを替えて、タイヤも替えました。今回はMTちゃんが最初に履いてたS21を選択。廃盤でしたが、今回復刻されてお安くなりました。ちなみに前回履いてたT31も廃盤となり、新しくT32になりましたが、お値段がえらい高くてやめました。というか、T31がスリップラインに到達した直後から、アホみたいに滑るようになったので、このシリーズのリピはなしです。S22はスリックタイヤ状態になっても鬼のようにグリップしたからなぁ。そこを勘案すると、タイヤの持ちの差は約2000キロほど。それを考えると、T32が相当お安くない限りは選択するメリットがないわけです。ちなみに高速をかっ飛ばすとS21は秒で削れます(笑)でももうそんな走りはほぼしないので、S21で大丈夫でしょう。さて、今の走りで何キロ持つかな?
2024年09月03日
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今更ながら、MTちゃんにフックボルトつけました。初めて受けが快適すぎてタイヤを外すこともないし、今までつけないままでしたが、今回諸事情あって取り付けることに。初めは後ろのネジ穴に装着して、アクスルナットにV受けが干渉してやり直し。前のネジ穴にしたものの、若干V受けの後ろがナットに干渉。でも当たるのがカバーだけだからまあ良しとします。※よく調べたら、ヤマハはV受け2が対応品でした。でも爪が短いからやらかしそうなんだよなぁ。これでリアタイヤが外せるぞっ!おまけでブレーキレバーロックいただきました。こいつ!光るぞ!
2024年08月30日
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15年使い続けてきたNikonの一眼レフ、D90がお亡くなりになられました。友人の依頼で撮影していたところ、異音が発生しそのままシャッターが切れなくなって・・・。おそらくシャッターユニットの故障と思われます。さて、Nikonのサポートも終了しており、残された手段は民間の修理業者に修理依頼するか(約3渋沢)、新しいFマウントのAPSカメラに買い替えるか(約10渋沢)。あっ、フルサイズは私の腕では豚に真珠なので買わないです。とりあえず民間の修理業者に出して、修理可能か聞いてみることにしましょう。それにしても2009年からノントラブルで頑張ってくれていたD90。メンテナンスらしいこともしていなかったのに、よくここまで頑張ってくれた。やはりNikonのカメラはいい品だ。
2024年08月26日
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先日の朝走りでの出来事。ガソリンを入れて帰ろうとしたところ、エンジンがかからなくなりました。セルが回らない。バッテリー上がりのようにカチカチ言うだけ。すぐさまスティールメイト(防犯アラーム)で電圧を確認するも13.3Vある。エンジン始動には十分な電圧だ。これはリレーの故障の可能性が高い。スイッチオンオフを繰り返すと、なんとかエンジンがかかり帰れることができました。なんかセルモーターも引っかかりながら回ってたような・・・。下手したら、この型式の持病であるセルモーターへのオイル侵入かもしれない。そうなるとセルモーター交換だなぁ。帰りながら悪い方向へばかり考えがいきます。来月にはロンツーが控えているので、今のうちに対策をせねば。そこでいつものAこーじょーちょーに連絡。いつもと言いつつ、1年以上顔を出してない(汗)そんなこーじょーちょーから意外な言葉が。なんと原因はバッテリーでした。実はMT-10のバッテリー、納車されてから一度も交換しておりません。5年間約5万キロ走行で。これには訳がありまして、特殊な保全環境でバッテリーの電圧維持と管理を常に行っていたためです。実はMT-10のバッテリーは容量が小さい上にスティールメイトの暗電流のために、10日も放置すればバッテリーが上がってしまうんです。そこでトリクル充電機を装着し、バッテリー上がりを防ぐとともに、パルス充電でサルフェーション除去をしていたため、通常のバッテリーより長持ちしていたのです。その証拠に電圧はどんな環境でも13Vを下回ることはありませんでした。それにバッテリー不良なら、トリクル充電機が異常を知らせてくれます。このことから、交換期間は過ぎていてもまだまだ大丈夫と思っていたのですが、こーじょーちょーの話と、自分で調べてみた結果では全く違う答えが返ってくることに。ここでは簡単に説明します。まずバッテリー。電圧は正常でも、劣化すればパワーが出にくくなり、強力なパワーが必要な始動などに耐えない状態になるのだとか。これに加え、MT-10のクロスプレーンエンジンは、圧縮比が12.0と高め(CB-1300は9.6)なので余計にバッテリーのパワーが必要なわけです。それでは早速バッテリー交換。純正はGS YUASAですが、ウェビックでデイトナのバッテリーがほぼ半額で売っていたので即購入(笑)一応MF式バッテリーなので、MTちゃんの横置きにも耐えられるはず。ちゃちゃっと交換!と行きたかったところですが、端子固定用のナットとボルトが小さく、工夫しないと固定できませんでした。詳細はウェビックのインプレまで。それでは改めて始動。うん、セルの回る音の力強さよ^_^;やはりバッテリーが原因だったようです。あれから数回テストランしていますが、一度も最初のような症状は出ず。MT-10完全復活です。今回の教訓特殊な保全状態でも消耗品の交換時期は守りましょう。それでは来月ロンツーにいってきます。
2024年08月22日
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仕事が忙しく、休日出勤が続いてるどうも僕です。仕事まみれじゃストレスで死んでしまうので、仕事前に朝走りやってます。今月で大方片付くので、来月は久しぶりのロンツーに出かける予定です。それではまた!
2024年08月13日
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世間は梅雨真っ只中。もちろん走りに行けるわけないので、今のうちにMTちゃんのメンテナンスを済ませます。まずは1年に1回のクーラント交換。用意したのは鬼のように冷えるSQクールと蒸留水5リットル。では早速交換していきます。作業工程は、私がいつもお世話になっている「ひろぴょん」さんの動画を参考にしてください。1、ラジエーターキャップに打ち込まれてるボルトを抜きキャップを外します。2、クーラントのドレンボルトを外し、古いクーラントを排出。クーラントは毒性が高いため、しっかりと処理しましょう。私の住む街ではポイパックに入れ燃えるゴミで出すことができます。3、ドレンボルトを締め、蒸留水を入れます。量は満タンになるまで。4、「S」と書かれたエア抜きバルブを緩め、空気を抜きます。5、ラジエーターキャップを装着します。6、エンジンをかけラジエーターファンが回るまでアイドリング。7、エンジンを停止して十分に水温が下がってから、1〜6をもう一度行います。8、クーラントを入れます。1〜2のあとドレンボルトを締め、蒸留水で50%に希釈したクーラントを入れます。サービスマニュアルでは2.25リットル入るとありますが、排出されないクーラントがかなり本体に残っているため、実際に入る量は1.5リットルほどです。つまり、50%に希釈すると、先ほどの洗浄した蒸留水と混ざり、さらに希釈されてしまうということ。クーラントは50%より若干濃い目に作った方がいいかもしれません(お酒みたいに言うな9、サブタンク内のクーラントも交換します。私のMTちゃんはここにフォグを装着しているので、外すのがかなり面倒。そこで霧吹きのホースを延長したものを突っ込んで排出しています。こちらも蒸留水を入れて洗浄することを忘れずに。できれば外して丸洗いしたほうがいいですが。10、サブタンクにクーラント注入。量は約0.25リットルほどです。ゲージの中央に来る量で調整しましょう。11、最後にエンジンをかけ、しっかり冷却されているのを確認して作業終了。全体の作業量は大したことありませんが、水温を下げる必要があるので、どうしても時間がかかります。今回は2時間ほどかかりました。さて、まだ時間があるのでブレーキパッドをチェックします。作業工程はこちらも「ひろぴょん」さんの動画をチェック(ありがたや~)ブレーキパッドを確認したところ、まだ5mmほど残ってました。約5万キロ走ってるのに残りすぎじゃない?それだけエンブレ使ってるということか。ともあれ交換時期には変わりないので、時間のある時に発注かけときましょう。これにて今回のメンテナンス終了!また時間のある時にブレーキフルードを交換したいと思います。ついでにキャリパーのオーバーホールができればいいんだけどなぁ。道具もなけりゃ腕も知識もない。まあ徐々にできるよう成長していきましょう。それでは!
2024年07月07日
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神話の里、鹿児島ツーリングもいよいよ最終章となりました。今回は山幸彦と豊玉姫の御子、彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)とその乳母であり妻である玉依姫のお話。をしたいと思っていましたが、古事記にも日本書紀にもこのお二人のお話は記されておりません。これには様々な説があり、そのひとつに皇室の影響力を高めるために、山(山幸彦)と海(豊玉姫)の霊力を併せ持つ存在が必要だったので、神話に加えられた存在という説もあります。以上のことから今回はお二人の陵墓。そしてお二人の4男、若御毛沼命。つまり初代天皇、神武天皇の御降誕地から神武東征までの足跡を辿ります。最終章【神武天皇】神日本磐余彦天皇(神武天皇)の諱は彦火火出見(ひこほほでみ)。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の四男として庚午年[注 1]1月1日(庚辰の日)[1] に日向国で生まれた。母は海神の娘の玉依姫である。生まれながらにして明達で強い意志を持っており、15歳時(甲申年[注 5])に太子となった。長じて日向国吾田邑の吾平津媛を妃とし、息子の手研耳命を得た。甲寅年、45歳時に兄の五瀬命・稲飯命・三毛入野命や諸臣を集め東征を提案し、塩土老翁が語った東方の美しい地(大和国、奈良盆地)を紹介した。青山が四方を巡り、その中に天磐船に乗って天降った神がいるという。饒速日命という物部氏の遠祖である。この地こそ都を作り、天下を治める事に適した場所であろうと彦火火出見尊がいうと皆、賛成した。10月、諸皇子と舟師(水軍)を帥いて東征に出発。目指すは中洲(大和国)である。~Wikipediaより転載~まずは錦江湾をぐるりと回り、大隅半島へ向かいます。ここで第1章で立ち寄った高屋山上陵をご紹介。神大三山陵のひとつで瓊瓊杵尊のお子、山幸彦を祀った場所です。場所は鹿児島空港から数キロ北上した国道504号線沿いです。崩御された日向から、遠いこの地になぜ葬られたのか。こちらも薩摩藩の影響によるものなのか。真相はわかりません。国道脇にひっそりと入り口が存在していました。石碑横にはとても長い階段が。約190段あるようです。Insta360を掲げながら一気に登りきります。カメラが呼吸音を拾わないように、呼吸を静めながら一気に登り切ったら死にかけました。録画したまま高屋山上陵に近づくと、急に撮影が止まる。そしてどうやっても撮れなくなりました。これはすべて私の非礼が招いた結果。カメラをしまい、少し先の山陵に深々と一礼します。するとスマホやInsta360での撮影ができるように。不思議な体験でした。改めて山陵に一礼し、高屋山上陵を後にしました。さて、時間は元に戻ります。東九州道から鹿屋に入りそのまま南下。訪れたのは吾平山陵です。ここは豊玉姫のお子、鸕鶿草葺不合尊とその妻玉依姫が祀られている神代三山陵のひとつです。涼しげな水の流れる姶良川を遡り到着。山奥にひっそりと佇む山陵は、他の神代三山陵と違い、川を挟んだ岩窟にあります。苔むした山陵は悠久の時を感じさせ、神話の時代から続くこの日本を見守ってきたのだと感慨深い思いにさせてくれます。静かに手を合わせるのでした。さて、吾平山陵を後にしてそのまま北上。肝付郡宮富にやってきました。ここには今回のツーリングを企画するきっかけとなった場所があるのです。それは序章でお話しした【神武天皇御降誕伝説地】です。到着した神武天皇御降誕伝説地。そこは宮富の集落にひっそりと存在していました。というかひっそりとしすぎて全く気づきません。整備もあまり行き届いておらず、少々残念な気持ちに。本来御降誕伝説地は河川敷の方にあったのですが、河川改修工事で今の場所に移されたのだとか。この地にはイヤ塚と呼ばれる場所があり、この場所に神武天皇がお生まれになった際に包まれた胞衣(子袋)を埋めたとされています。この土地の言葉で胞衣のことをイヤと呼ぶそうで、イヤ塚となったわけです。なお日本書紀では神武天皇が御降誕されたのは筑紫の日向とされています。有名なのは宮崎県の高原町にある狭野神社と皇子原神社。こちらの神社は手入れも行き届いており、多くの参拝者で賑わっています。果たしてここが御降誕された場所なのか。このお話には宮崎説や北九州説など多くの説があり、興味が尽きないところでもあります。ともあれ、私をこの地に導いてくださった。そして、鹿児島のことを再発見するきっかけをくださったことに感謝し、深く一礼するのでした。さて、時刻はお昼前。今回の旅最後の目的地に向かう前に、お昼ご飯を済ませます。到着したのは鹿屋市の中心にあるとんかつ竹亭。ここのとんかつが美味しくて美味しくて。お昼時は平日でも行列ができます。本店は改修中だったので、リナシティにある仮店舗で食べて行きます。今回は上とんかつ定食を注文。柔らかく甘い脂に大満足。ご飯を3杯お代わりしたかったけど、このあとトレッキングが待ってるので控えめに。とんかつ竹亭、おすすめです。鹿屋以外にも県内各所にありますのでぜひ一度お召し上がりください。さて、今回の旅最後の目的地は肝付川沿いにある神武天皇御出航碑。戸柱神社とキャンプ場に隣接してひっそりと碑が建っていました。この場所から神武東征が始まり、日本国建国の伝説が始まったのです。遥か古の時代に思いを馳せます。さて、御出航地の碑はここだけではありません。近くの肝付川の河口付近には、神武天皇御發航傳説地の碑があり、こちらも訪れます。結構な階段と山道を登ります。雨が降ったわけでもないのに足元が濡れており、ヤマビルに怯えながら進んでいきます。登り切った草が覆い茂る場所にひっそりと石碑が立っていました。おそらく訪れる人もほとんどいないのであろう石碑。石碑は柏原海岸を見つめながらじっと佇んでいました。建立されたのは昭和15年とあります。戦前から世の移り変わりを眺めてきた石碑。いったいどのような思いだったのでしょう。そしてこれから先の時代をどう見つめていくのでしょう。私は静かに一礼するのでした。遥か古代の神話から、今我々が生きる時代へ脈々と続く歴史。今回はその一端に触れるツーリングとなりました。神話は鹿児島以外にも宮崎や出雲、伊勢など日本各地に存在しており、私も一度は訪れたことのある場所ですが、神話に想いを寄せつつ改めて訪れてみるのもいいかもしれません。それが今回のような再発見となり、新たな出会いや考えを生むきっかけとなることでしょう。今回の出会いに感謝しつつ、神話の里、鹿児島ツーリングを終えさせていただきます。最後までお読みくださり、ありがとうございました。神話の里、鹿児島ツーリング 完
2024年06月30日
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