かずやんの旅日誌

かずやんの旅日誌

2024年06月26日
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カテゴリ: バイク旅
前回まで瓊瓊杵尊と木花咲耶姫のお話をお送りしてまいりました。
今回はそのおふたりのお子、彦火火出見尊こと山幸彦とその妻豊玉姫のお話。


第3章、豊玉姫





豊玉姫は海神(豊玉姫の父)の宮にやってきた火折尊と結婚し、火折尊はその宮に3年間住んだが、火折尊は故郷のことをおもってなげいた。これを聞いた豊玉姫は、自らの父である海神に「天孫悽然として数(しばしば)歎きたまう。蓋し土(くに)を懐(おも)いたまうの憂えありてか」と言った。海神は火折尊に助言を与え、故郷に帰した。帰ろうとする火折尊に、豊玉姫は「妾(やっこ)已に娠めり。当に産まんとき久しからじ。妾必ず風濤急峻の日を以て海浜に出で到らん。請う我が為に産室を作りて相い持ちたまえ」と言った。
のちに豊玉姫は約束の通り、妹の玉依姫を従えて海辺にいたった。出産に望んで、豊玉姫は火折尊に「妾産む時に幸(ねが)わくはな看(み)ましそ」と請うた。しかし火折尊は我慢できず、ひそかに盗み見た。豊玉姫は出産の時にヤヒロワニ(『古事記』では「八尋和邇」、『日本書紀』一書では「八尋大熊鰐」)となり、腹這い、蛇のようにうねっていた(『古事記』)。
豊玉姫は恥じて、「如(も)し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将(まさ)に何を以て親昵なる情を結ばんや」と言い、子を草でつつんで海辺にすてて、海途を閉じて去った。これにより、子を彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と名付けたという。


~Wikipediaより転載

豊玉姫のお話は、宮崎の日南あたりが有名ですが、今回は鹿児島ツーリングということで、鹿児島に残る豊玉姫と山幸彦の足跡を辿ろうと思います。

まず、豊玉姫は海神の宮にお住まいとありますが、これは竜宮のことを指すようです。
ここら辺のお話は、宮崎県の青島海岸や、日南の鵜戸神宮あたりとされることが多いですが、実は薩摩半島最南端の長崎鼻にも竜宮伝説があるのです。
今回は長崎鼻からスタート。







仕事でこの近辺はよく訪れるのですが、プライベートで来るのは10数年ぶり。
風景がガラリと変わっており、竜宮だけに浦島太郎になった気分。
駐車場にバイクを停め、岬まで歩いていきます。








すると竜宮伝説を彷彿とさせる神社が出迎えてくれました。








岬からは弓状に伸びた浜の先に開聞岳が凛々しく佇んでいました。





なるほど、確かに竜宮があっても不思議ではない光景だ。








観光客が増えてきたので駐車場のお店で限定の芋焼酎を買って撤収します。

お次は開聞岳の麓にある枚聞神社へ。
ここも神話が存在するのですが、それはまた別のお話。
まず向かったのが、日本最古の井戸【玉の井】







山幸彦と豊玉姫が出会ったとされる場所です。





一説にはこの玉の井が竜宮の門前であり、ここからほど近い唐船峡(とうせんきょう)が上古(じょうこ)、和田津見神(わたつみのかみ)である豊玉彦命(とよたまひこのみこと)の宮地(みやち)、鴨着島(かもつくしま)と称され、海幸彦(うみさちひこ)(火照命 ほでりのみこと)と山幸彦(やまさちひこ)(彦火々出見命 ひこほほでみのみこと)の神話舞台となった龍宮(りゅうぐう)であったとされています。
枚聞神社ホームページより引用。

確かに唐船峡はそのお話のように素晴らしい場所であります。





今では夏になると名物そうめん流しを求めて県内外から多くの観光客が訪れます。







そしてこの近辺には、山幸彦が豊玉姫に結婚を申し込み、その返事をいただいたことに由来する御返事川や、おふたりの宮殿があったとされる婿入谷など存在しております。

さて、それではこの神話で有名な産室はどこにあるのか。
これはやはり宮崎の鵜戸神宮周辺となります。
単に私が鹿児島での産室の話を見つけられなかっただけかもしれませんが。





昼食にそうめん流しと鱒の塩焼きをいただいてから出発。







お次は豊玉姫とその妹、玉依姫の足跡を辿ります。

訪れたのは南九州市知覧町取違。





珍しい地名ですが、豊玉姫と玉依姫の神話に由来する地名なのです。





海の神である父親に、川辺と知覧をそれぞれ治めるため、豊玉姫と玉依姫姉妹が遣わされました。
ところがこの集落で一晩の宿を取られた際、妹である玉依姫は水田の多い川辺の方がよくなり、朝一番に馬で出かけてしまいました。朝起きた豊玉姫はしかたなく牛に乗って知覧へ向かいました。活発で知恵のきく玉依姫の気質は、川辺人気質に受け継がれ、のんびりした優しい気質は知覧人に受け継がれたと今でも語り継がれています。
行き先をこの集落で取り違えてしまったことから、この集落を取達と言うようになりました。

取違由来記より転載

神話でのほんの些細な出来事が地名になるとはなんとも興味深い。
しかもよくある腰掛け岩や化粧水川などではないのがまたいい。

それでは神話を辿り、豊玉姫が知覧を納めた豊玉姫神社へ向かいます。





豊玉姫神社は知覧の街の外れに静かに存在しています。
しかし昔は現在の地より東側へ約1.5km離れた武家屋敷群の中心にあったのだとか。

それでは参拝していきます。
境内は七五三だろうか、小さい子供を連れた家族がたくさんいらっしゃいました。





参拝を済ませ出発。
最後に向かうのは、豊玉姫が葬られていると言われる豊玉姫陵です。
豊玉姫神社から知覧の中心部を東に横断し、レンゲ畑の真ん中にそれはひっそりとありました。








こんな目立たない場所なのに、しっかり草刈りがされていて管理されている。
地元の方々が管理されているのでしょう。
今でも強い信仰があることを感じさせます。
私も静かに手を合わせるのでした。

番外編
豊玉姫神社から北西に5kmほど離れた場所に豊玉姫の妹、玉依姫を祭った飯倉神社があります。





地元ではここで病気の回復をお願いすると、たちまち治ると言われているパワースポットです。
私もここのお導きで、今の環境があると言っても過言ではありません。
こちらでも静かに手を合わせるのでした。







次回、豊玉姫のお子、鸕鶿草葺不合尊と豊玉姫の妹であり鸕鶿草葺不合尊の乳母、また妻でもある玉依姫と初代天皇である神武天皇のお話。


最終章 神武天皇に続く





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最終更新日  2024年06月26日 06時00分12秒
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