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ご挨拶
ごきげんよう。海光和幸(かいこう・かずゆき)です。
お互いの人生にとって一番大切な事とは何でしょうか?
誰にとっても人生は「生老病死」(しょう・ろう・びょう・し)
一回限りの厳しい人生。
だからこそ、すべての悩み苦しみから解脱(げだつ)して、喜びに満ちた最高の人生を送りたいものですね。
生老病死の苦しみから超越して喜びの人生を送ることは難しいことではありません。
すでに先人たちが悟りを開き、答えをだしておられます。
その答えの一つがヨガ哲学であります。
日本におけるヨガの第一人者、沖正弘(おき・まさひろ)先生は端的に人生真理の真髄を喝破しておられます。
「ヨガの目的は臍下丹田と信仰を養うことである」
つまり、臍下丹田と信仰(信念)こそ人生の本質なんだと仰っている訳です。
わたし海光和幸は修行50年、ひたすらに臍下丹田と信念を養い続け、幸いにも悟りを開いて喜びの人生となりました。
臍下丹田と信念を鍛えてゆくなら、誰であろうと悟りは開かれ、極楽浄土の境涯となるのです。
すなわち臍下丹田、正中心は肉体における無限の喜び。
そして信念は心の花園、心における無限の歓喜。
神は、大宇宙は、人間に二つの無限をお与え下さった。
この二つをしっかり体得するなら、人生は喜びの花園となるのであります。
わたし海光和幸(かいこう・かずゆき)は感謝をもって貴方を身も心も極楽浄土という最高の境地へとご案内いたします。
人生の真理はここにしか在りません。感謝。
自己紹介
昭和30年、茨城県に生まれる。
18歳の時、日本大学法学部に入学する。
20歳の頃、池袋の極真空手本部道場に入門。
極真空手がわが丹田修行の始まりである。
30代の頃、目黒にあった中国拳法道場に入門する。
40代の頃、渋谷の西野流呼吸法の本部道場に入門した。
30代、40代と肥田式強健術も熱心に実践する。
50代は自宅隣りの杉林に入り、孤独な武道修行に励んだ。
60代、社交ダンスを通して、臍下丹田の奧義を体得した。
心の修行の方は、20代でキリスト教に帰依した。
60代で中村天風先生の天風哲学により、悟りを開く。
今、ここに至り、身も心も極楽浄土の境涯となる。感謝。
NO、1
いきなり最高最善の丹田修行法を教示しましょう。
この丹田錬磨法は私、海光和幸48年に及ぶ修行における到達点であり、奧義であります。
< 寝禅 >
丹田錬磨法は沢山あります。代表的なものは中国拳法の立禅、座禅、借力呼吸法、肥田式強健術、西野流呼吸法。
それぞれに趣があり素晴らしい丹田錬磨法でありますが、最高のものは寝禅でありました。
なぜ寝禅が到達点なのか?
その理由は寝禅が最も純粋な丹田錬磨法だからです。
仰向けに寝っ転がっている
のだから、体の何処にも余計な力を入れることができない。
できることは、心を用いての丹田錬磨だけ。
ここに真髄がある。
肥田式強健術においても、仰向けに寝っ転がった自然体休養姿勢が極意と呼ばれている。
なぜなのだろう?
なぜリラックスして、仰向けに寝た姿勢が極意なのだろう?
この真実をお考え頂きたい。
この謎が解けたら、すべての秘密が判る。
ウエイト・トレーニングをやったことのある人はご存じだろうが、筋肉を鍛えるためには、力を用いて、重い物を持ち上げる。
しかし臍下丹田を鍛えるためには力を用いない。
筋肉鍛錬と丹田鍛錬の違いは、ここにあります。
その違いというものを正しく理解することが非常に大切になってきます。
特に初心者の方は、丹田訓練を筋肉訓練の一種だと思っています。
そうした誤解を解くためにも寝禅は最善の答えとなるでしょう。
知識、概念で臍下丹田というものを理解してゆくことも重要ですが、それ以上に重要なことは体で感じるということ、つまり体得ということです。
有り体に言えば、筋肉を体得することは簡単ですが、臍下丹田を体得するのは、非常に難しい。
難しいが大丈夫です。
毎日、気楽に楽しく寝禅をやっていれば、自然と臍下丹田の真の意義が判ってきますから。
寝禅は真髄である。
真髄であるからこそ、始めであり、終わりである。
つまり一番簡単で、一番難しい。
最初であって、最後なのです。
日本における丹田修行者はどのぐらいいるんでしょうか?
禅宗も丹田修行ですから、宗教を含めるとそれこそ何百万人となるでしょう。
何百万人という膨大な数の丹田修行者。
そうした全ての丹田修行者のレベルの一切はこの寝禅の理解により判断できるのです。
さきほども書いたように、寝禅こそが最も純粋な丹田錬磨法。
つまり寝禅の意味が判らない人は、臍下丹田の意味も本当は判っていないんです。
中国拳法をやる人は立禅(タンチュン)を必ずやりますが、あの立禅はかなり純粋な丹田錬磨法なんですが、寝禅ほど純粋な鍛錬法ではないんです。
足腰を鍛えるという筋肉鍛錬も伴っているからです。
寝禅には筋肉鍛錬という要素は一切ありません。
そこに無限の価値がある。
それじゃ、一体、筋肉を鍛えないで、何を鍛えるのか?
臍下丹田を鍛えるとは、本当はどうゆうことなのか?
日本における数百万人の丹田修行者でこの秘密を理解した者が
どこにいるでしょう?
たった独り、わたし海光和幸がここにたった独りで笑って立っているだけです。
そして縁あって生徒となって下さった貴方だけが臍下丹田の真意義を体得し、力と快感に満たされ、笑うようになるのです。
日本のそれこそ何百万人という沢山の丹田修行者。
残念ながら、彼らが臍下丹田を体得することは無いでしょう。
なぜなら丹田修行の方向性が完全に間違っているからです。
腹と腰を鍛えれば、臍下丹田、いわゆる正中心が体得できると考えている。
だから彼らは必死に徹底的に腹と腰を鍛えている。
それで正中心は体得できましたか?
無限の気の力と無限のエクスタシーを体得できましたか?
とんでもない事です。
みんな腰を痛めて苦しんでいるだけ。
修行の方向性が完全に間違っているのです。
まず第一に臍下丹田そのものを開発してゆく。
さすればどんどん中心部分から気が吹き出すようになります。
第二段階として、その臍下丹田から発生した気をいうものを用いて、腹と腰を鍛えてゆく。
つまり臍下丹田を理解し、気を発生させ、その気によって、筋肉鍛錬をすればいい訳です。
これが正しい修行の方向性です。
呼吸法の達人、西野流呼吸法の創始者、西野晧三先生は不思議な言葉を残しておられます。
「体は鍛えてはいけません」
臍下丹田の達人、西野晧三先生はなんでこんなことを仰ったのでしょう?
それは臍下丹田の秘密をご存知だったからです。
またこんな極意も残して下さった。
「臍下丹田をふわーと意識すると気が出るんですね」
何気ないお言葉ですがこれこそが丹田錬磨の極意なのです。