わたし海光和幸は20代でキリスト教へ帰依し、クリスチャンとなりました。
そして60代で天風哲学により悟りを開きました。
悟りを開いたのは良いのですが、天風哲学で幸福になり、いい気持ちになったものですから、キリスト教によって罪赦され救われた御恩を綺麗に忘れてしまいました。
それで調子に乗って、キリスト教の悪口を書いてしまった。
恩に仇をもって報いてしまった。
若い時も68歳の現在も私を愛し、助けてくれているのはクリスチャンの兄弟姉妹です。
今ここに神様とクリスチャンの兄弟姉妹に謝罪します。
恩知らずの罪をお赦し下さい。
主イエス・キリストの御名によって、お願いいたします。アーメン
メルNO・95
< キリスト教と天風哲学 >
すべての宗教は一つである。
信仰。信念。信心。
全部、信である。
信とは神である。
ゆえにすべての宗教は神様の宗教なので、真理であり、一つである。
わたし海光和幸は20代でキリスト教に帰依し、プロテスタント・クリスチャンとなった。
30代でホーリネス系神学校で学び、キリスト教伝道師になった。
故郷の茨城県に戻り、キリスト教の伝道師として活動した。
残念ながらキリスト教の伝道活動もうまくいかず、事業も失敗し、失望落胆のどん底で心が崩れた。
クリスチャンとして、人間として生きて行けなくなってしまったのである。
生きんがために苦悩しながら、真理を探求した。
60歳の頃、天風哲学により悟りを開くことができた。
2023年11月現在。私は68歳となった。
糖尿病で生死の境目を歩き続けている。
しかし、心は幸福である。
なぜなら青春時代のキリスト教と晩年の天風哲学は今わたしの中で完全に一つと成ったからである。
キリスト教と天風哲学は完全に一つであった。
キリスト教信仰とは、父、御子、御霊を信じ、敬う事。
つまり聖書を信じ、敬う事。
天風哲学の信念とは、神様を信じ、そして一体と成ることなのである。
信仰と信念の違いは、信仰は神様を信じ敬う事。
信念は神様を信じ、一体感を感じる事なのである。
だから信念の特質は、神との一体感であろう。
そして信仰と信念は信において一つなのであった。
私が提唱する信念のキリスト教とは積極的精神のキリスト教である。
積極的精神のキリスト教とは私だけの専売特許ではない。
先輩がちゃんと存在している。
その方が米沢興譲教会の田中信生牧師である。
田中信生牧師こそが典型的な積極的精神のキリスト教なのである。
一番有名なメッセージにこうゆうものがある。
「そのままの貴方が素晴らしい!」
これぞ積極的精神のキリスト教であろう。
またこうも語っておられる。
「クリスチャンであろうと無かろうと人間はみんな信者なのである」
味わい深い真理のお言葉であろう。
幸福を求める方はぜひ田中信生牧師のメッセージを聞いて頂きたい。
必ずや道が開かれるであろう。
YOU TUBEで無料で聞けるのだから、ぜひ聞いてみて欲しい。
積極的精神のキリスト教牧師、田中信生先生は稀有な存在であるから心から感謝であります。
最後に誤解されたくないから付け加えますが、田中信生牧師と天風哲学は何の関係もありません。
田中信生牧師の前向きな素晴らしいキリスト教信仰を私が勝手に積極的精神のキリスト教と言っているだけです。
積極的精神のキリスト教とは前向きなプラス思考のキリスト教信仰という意味なのです。
第九十五配信。感謝。