「あなたはわたしの愛の十字架」
「・・・俺が・・愛の十字架?」
「そう。あなたを愛することは耐えきれない苦しみ・・・あなたは道に迷った野良犬のナンパ師だから・・・苦しいわ・・」
「・・・・」
一瞬、村山 桜の言葉の意味が理解できない。
「あなたを愛することは・・・果てしない悲しみ・・だけど・・無限の嬉しさ・・・あなたは神から贈られた愛の十字架・・逃げられないの・・・」
「何だい?・・・俺が愛の十字架って・・・愛してるって、俺をか?・・・苦しいって?」
「そう。苦しくて堪らない」
「・・・そんなに苦しいなら・・愛さなければいい・・」
「そうね。それができれば・・・いいのにね」
村山 桜は小さく頷くと眼から一粒の聖水の様なものを滴らした。
「村山 桜・・・そんなに苦しいなら、愛さなければいい・・・俺はそんな愛、いらねえよ・・・愛の十字架だって?・・・そんな重苦しい愛・・・俺はいらねえ」
「光か暗きか。あなたはどっちを求めているの?」
「光か暗きか・・・俺はうろうろしているだけさ・・・答えなんか知らねえ・・・だからさ・・・この暗闇の中で溶けてゆくのが一番いいんだ・・・優しい都会の闇の中で溶けていきたいだけなんだ・・」
「・・・暗闇の中・・溶けてゆきたい・・・そう?・・・ならば溶けてゆけば良いわ・・・」
「・・ああ、そうするよ・・・光なんかいらねえさ・・・この甘い闇の底が居心地が良い・・・このまま・・・このまま・・溶けてゆくんだ・・・」
「愚か者のナンパ師・・・東京の闇の底で滅んでゆくのね・・・それでいいわ・・・それでいい・・
わたしはあなたのために祈りつづける・・・そして・・・愛しつづける・・・救いようもない野良犬みたいなナンパ師・・・だから・・私は・・・愛しつづけるわ」
「愛の十字架。そんなもの俺はいらねえ!!」
私は呻くと膝から崩れてゆく。
愛しつづける?
俺を愛しつづける?
なんて事、言うんだろう。
俺は、愛なんて、いらねえ!!
全身から力が抜けて、立っていられない。
私はダンス・フロアーの床に膝まづくと山村 桜の脚にむしゃぶり付いた。
「・・・俺はこの甘くて優しい都会の闇底で溶けてゆくんだ・・・光なんかいらねえさ・・・愛なんか・・・欲しくねえ・・・たおやかな夜の帳に包まれて溶けてゆきたいんだ・・・」
山村 桜は私の頭に手を添えると静かに撫でだした。
「都会の闇の帳に包まれて・・・溶けてゆきたい・・・そう・・それでいいわ・・・それがあなたの望みなら・・それでいいわ・・・
あなたはわたしの愛の十字架・・・光を拒み、暗闇を求めるなら・・・それでいいわ・・・
あなたは・・・わたしの愛の十字架・・・耐え難い痛みだけど・・・わたしは祈りつづける・・・そして愛しつづけるわ・・・」
私は頭に添えられた村山 桜の両手の温もりを感じながら、心の底から、魂の底から、静かな、極めて静かな絶叫をこぼした。
「なあ、村山 桜。教えてくれ。本当に神は愛なのか? 500万人が死んで、やっとベトナム戦争が終わった・・・そしてしばらくすればまた何処かで戦争が始まる・・この星は戦争の星だから、どこかで必ず戦争がある・・・戦争が絶えない、この星は戦争の星・・・殺し合いの星なんだ・・・そして絶え間ない災害・・・治らない病気の蔓延・・・数億人のホームレスたち・・・食べるものも無く、震えながら餓死してゆく夥しい人間たち・・・子供らは誘拐され、レイプされ、なぶり殺されて、道端に捨てられている・・・・この世は地獄じゃねえのか?・・・こんな地獄を創った神は・・・本当に愛なのかい?・・・なあ、村山 桜、教えてくれ。本当に神は愛なのかい?」
私は静かに、静かに、叫ぶと村山 桜を見上げた。
村山 桜は答えない。
「君には殺されてゆく子供らの悲鳴が聞こえてないかい?」
村山 桜は微笑みながら、私を見詰めている。
「俺には光なんか見えねえさ。だから、暗闇でいいんだ。なあ、答えがあるなら、教えてくれ。光はあるのか? 地獄みてえなこの世界を創った神は、本当に愛なのかい?」
村山 桜は答えない。
「なあ、教えてくれ。神は愛なのかい?」
村山 桜は沈黙のまま、微笑んでいる。そして、ただ、涙を滂沱しながら、優しく私の頭を撫で続けていた。
了
水道橋大学ナンパ同好会第一部
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日本人の大好きなドストエフスキーもキリスト教文学です。
水道橋大学ナンパ同好会も一種のキリスト教文学なので、どうぞお読みください。
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