曹操閣下の食卓

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曹操閣下の食卓

曹操閣下の食卓

2005.03.30
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カテゴリ: 芸術
(2) 組織内部システムの分析

 われわれの日本は立憲君主制国家であるが、占領時代に制定された日本国憲法によって国民主権が認められ、天皇の大権がなくなった。
 しかしながら、、国民の主権者としての意識も自覚も不足し、特権官僚がほとんどの政策立案にあたり、政権党がその名目的な実行者となり、ほとんどの公職選挙において公共事業の利益誘導によって組織票をまとめ、これが「日本の民主主義体制」なのであると称していた。
 いわゆる「田中角栄のアンシャン・レジーム」というものである。
 そんなものは「大ウソ民主主義」だ。
 官僚独善主義・官尊民卑・官庁OB天下りによる業界支配が厳然と存在しているのに、どうして形ばかりの「民主主義」をふりかざすのか。

 法律そのものは、ほとんどが官僚が条文を執筆して、内閣提出法案として議会に提出され、政権与党の賛成多数で可決されるのであるから、国会は「立法府」ではなく、行政機関の法律執行の通過儀礼の場に過ぎなかったといえるだろう。
 逆に政権与党の国会議員は、国家予算の配分に強い影響力をもつことが自他ともに認める「実力」であると考えられていた。
 つまり行政機関との「見えない癒着」とか、行政官僚たちに対する個人的な威圧と干渉こそが「政治力」だったのである。


 つまり予算委員会は、事実上、「行政干渉委員会」なのである。
 予算委員会が国家予算そのものを積算し、審議する場所であると考えたら大きな間違いである。
 現に、官庁側が予算数字算出プロセスの根拠資料や具体的数値を議会に情報公開することは、ほとんどないではないか。
 野党議員が机を叩いて激しく抗議すると他の国会対策委員の議員たち、通称「国対族」がまるでコウモリのように調整に飛び回り、それでは別の政府提出法案の修正を約束しようとか、野党提案を盛り込んだ政策を実施するという与野党の紳士協定を結んで、その場を収めてしまう場合もある。
 その非公式な交渉を議会内ではなく、芸者さんが踊っている料亭の一室で飲食の接待をしながら話を丸くおさめようとする場合もある。
 これが「料亭政治」だ。
 われわれが日本新党を立ち上げる前、東京都議会議員で都議会自民党副幹事長だった畏友は、生々しい与野党の「料亭交渉」の馴れ合いを暴露してくれたものだ。
 ある与党都議など、特殊な女性たちを集めて、裸踊りを見せたり、その後に野党都議を個室に案内することまでやっていたという。
 小泉内閣の成立まで、わが国は中央も地方も、このような取引こそが「政治だ」と思われていた。
 それは結局、都庁や中央官庁の幹部たちと緊密な信頼関係をつくり、予算上の「箇所づけ」、つまり選挙区に対する特定利益の供与という形で報いられるだろうという期待で進んでいたことだ。
 今ではもう少なくなったが、それでも老政治家たちの間では一切皆無なことではない。

 しかし、政界の巨頭が、わざわざ記者たちを連れて「ゴルフ場会談」をやっているのは、いわば老人のデモンストレーションであり、首相官邸に露骨な圧力をかける政治的な「芝居」なのである。
 しばしば老政治家たちが料亭に出入りするスクープ映像がニュースで流れるのは、主催側の関係者が意図的にマスコミにリークしているわけだ。
 すべて筋書きの上に仕組まれた「芝居」なのである。

 こうして与野党の政治権力者は、社会福祉の政策決定や地方の公共事業の推進に深く関係し、その受益者を組織して「票田」と称する。
 国民主権ではなく、公金で灌漑された「票田」が公職選挙を支配しているのである。

 いわゆる「官庁の利権構造」である。
 許認可権限や予算の配分、そして「天下り官僚OB」で官庁利権の下に組織化した特殊法人や民間企業のピラミッドから、政治資金や有権者名簿は湯水のように集まってくる。
 このことによって、官僚と官庁OBは与党の政治権力に喰い込み、公金であがなわれた公務員の勤務時間と職務権限などを不当に利用して政権内部を部分的に支配している。
 これが官僚政治の牙城なのだ。
 細川内閣の前には、某省の課長が関連業界の各企業のトップに直接電話をかけて、特定の政治家のパーティー券の購入を依頼するという恥ずべき実態もあった。
 政治家も「パーティー券を引き受けますよ」という官僚の恥ずべき甘い誘いに転んだのだ。
 官庁の「票田」は、まことに旨味が多いので、都市部以外の与党議員は、誰も手放したくないのが本音である。
 公然と不法な行為を共有して持ちつ持たれつの関係を結ぶのは、心理的には未成年の喫煙常習グループと大差のない幼児的なふるまいであるが、税金の浪費によって犠牲になるのは国民だ。
 主権者の国民が、幼稚な不法行為をする公務員たちの犠牲になるのは「悪政」に間違いない。
 だから私は真理を追究する講義において、この事実を告発する。
 郵政省幹部が参議院選挙に立候補し、郵政省の現役職員が「票の取りまとめ」で選挙運動に関わったとして相次いで逮捕されているが、こんなことは氷山の一角だということは誰でも知っている。
 これまでは知っている人間ほど口を割らないので、公然と公務員の不法行為がまかり通ってきたのである。
 郵政民営化で、役人たちの「票田」の資金源・郵便貯金を国家から切断し、資金供給のパイプをぶち壊すことが、その第一歩といえるだろう。

 さて、《孫子兵法》は特殊な事情によって成立した著作である。
 孫武は、軍事的な覇権をめざす「呉」というベンチャー国家に、外部の専門家として参加したコンサルタント的な立場であった。
 したがって《孫子兵法》は二千五百年以上も昔の思想でありながら、《賢君治国、賢人治政》という近代的な政治理念を主張している。
 君主は一種の帝王学によって自分の感情や欲望を抑制し、常に合理的判断を下さなければならない。
 そして、現場で働いている一般庶民や戦場で生命を賭ける兵士たちにも敬愛され、その立派な態度が尊敬を集めなければならない。
 これが《賢君治国》の思想である。
 いわば不文律の立憲君主制によって粗暴な君主や暗愚の君主の登場を阻止しようとしたのである。

 これは周王朝が成立した時、商(殷)王朝を武力で打倒して易姓革命(王朝交代)をした公然の理由であったから、周王室の初期には君主が毎日使用する食器類にも
 「自分自身を節制せよ、君主は賢人であれ」という教訓が刻まれていて、それで王朝の権威は維持された。
 しかし世代が代わると大臣たち実力者の政治が始まり、君主は「お飾り人形でよい」とされた。
 孔子の時代には大臣も世襲なので「人形化」し、大臣の側近が実質的な権力を支配していた。孔子は君主を説得して君主政治の再生を試み、賢君治国の理想を実現しようとしたが、これは挫折してしまった。
 それで教育者として手塩にかけて養成した弟子たちを、各国の大臣たちの要請で側近として推薦して、現実の行政の改善にあたらせるという結果に落ち着いた。
 これが《賢人治政》である。
 国家の主要ポストの世襲制はのこしながら、実際の官僚的実務、地方行政は才能のある実力者が担当すべきだというのである。

 孫武も同じ理想主義を追求したのであるが、そのために呉王の最愛の妾二人の首を切り落とすという有名なエピソードもある。
 幸いにも呉王が開明的な君主であり、孫武を「なくてはならない人材」と評価する外務大臣の伍子胥の応援もあって、孫武は陸戦担当の参謀部長に採用された。
 そして「この妾たちがいないと食事もまずくなる」と泣き言までいっていた女好きの呉王がキッパリと禁欲的な生活をはじめ、老人や孤児を優遇する福祉政策を実施し、農業振興政策としてニワトリの繁殖を奨励したりした。
 呉王愛用の道具には、龍や虎ではなく、誇らしげにニワトリの群れが刻印されているので、この歴史記録は正しいと思われる。
 また、広く国策を国民に提案を募集したので、ある商人は染色業で使われていたアカギレ防止用の膏薬の製造方法を高額で買い取り、呉王に提案した。
 すると商人は直ちに製薬局長を任命され、膏薬は大量生産され、呉軍は兵士の凍傷がネックだった冬季厳寒期の水戦が可能になり、これで呉は隣国の越を徹底的に撃ち破った。
 また呉王は道路や架橋など公共工事現場にもみずから足を運んだ。また、大規模な兵器工場をつくり、そこに最高の技術者を集め、後宮の美人の女性たちを工場のサービス係として奉仕させた。
 二千五百年前以上も昔の話である。
 現在の低開発諸国でも、ここまではなかなかやれないであろう。
 しかし、呉王と孫武たちは、この国家経済の構造改革を三年ほどで完成してしまった。
 《左氏春秋》はその当時の諸国が「呉」の急成長に非常に大きな衝撃を受けたことを記している。

 兵器工場で生産された武器は、厳格に品質管理され、優良なものは呉王が自費で買い取って、《呉王自作の兵器》という銘文を刻印させた。
 これは現代でもあちこちの墳墓から出土しており、漢時代にも宝物として売買された記録がある。
 その中には《呉王が用剣を自作して、成績抜群の勇士を奨励するために贈る》と記銘された「勲記付の兵器」も発見されている。
 まったく信じられないことだが、これは真実である。
 始皇帝の暗殺未遂事件に使われた《徐夫人剣》という短刀も、この呉王の兵器工場で生産されたものであろう。
 これは首謀者の燕国の王子が商人から高額で購入したと記録されている。
 「徐」という国は、呉の隣国で、呉と一時は友好関係を保ち、徐の君主が呉の剣のすばらしさに惚れ込んだが、君主が急死した後に埋葬用に宝剣を送り届けたというエピソードもある。
 しかし、その直後に呉王と孫武の西進戦略のために滅ぼされて国は消滅した。
 したがって《徐夫人剣》は孫武と同時代のものであった確率は非常に高い。
 これらの話も《孫子兵法》の超近代性を物語っている。
 今日の政治家として、経営者として、呉王や孫武たちを優越するような人々は本当に数少ないに違いない。





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Last updated  2005.03.30 01:09:02


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