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前回の日記で呼吸困難になったことを書いたけど、私と大家さんの中ではこの呼吸困難が何故起こるかは、『義理母の異常な行動』しかないだろうと答えがはっきり出てしまった。そもそもこの状態は、私が1年半前スイス生活を始めてきた時から頻繁に起こることだったから、何も前回の日記に書いたことは初めてでも何でもなく、私はこういう状態の中に、1年半どっぷり浸かっていたのだ。昨日は土曜日だったが、呼吸困難はやっぱりそれなりにあった。カラ夫が義理母に「カラハリをそっとしといてやってくれ」と言ってくれて義理母から私に電話がかかってくることは、とりあえずなくなった。なのにやっぱり呼吸困難を感じる。何故なくならないのか。それは、私に電話してこなくても、カラ夫に電話してくるんで結局電話の音はうちで四六時中鳴っている。 これが理由。もう電話の音がなるだけで、私は形相が変わり、ストレスを感じる。昨日の夜、カラ夫の同僚からバーベキューに招待されていたので彼らの住むイタリアの家へ、カラ夫と二人で行ってきた。家を出る30分くらい前に、3回目の電話がなった。カラ夫が電話に出たんだけど、声のトーンで電話の相手は再び義理母だと一発でわかる。私が黙って聞いていると、カラ夫が「ノー、 夜は同僚の家で食事をするから」と義理母に言っている。てことで、彼女の電話の用件は「夜は3人で食事しない?」だったとすぐに想像することができた。私が彼女を完璧無視すれば、当然彼女は直接カラ夫にむけて行動をする。昨日あった出来事からも、義理母のカラ夫への執着ぶりがよくわかる。カラ夫の勤め先は、家から歩いて5分程度のところにある。なので、昼食は家に帰ってきて、私と一緒にご飯を食べる。いつものように、カラ夫の昼食を用意していた。献立は、焼きソーセージとポテトサラダだった。正午になって、カラ夫が帰ってきた。私が「おかえりー」と言って彼に目をやると、何やらお皿を抱えている。そして何故か、お皿の上にはポテトサラダ。このポテトサラダ、義理母がカラ夫のために作ったらしく、彼女はカラ夫がいつも通る坂道でこのポテトサラダを持って彼をじっと待ち彼の姿が見えたところで「食べなさい」と渡したらしい。私が「ポテトサラダ、私作っちゃったんだけど。。。。」と言うと、カラ夫「こっちの(義理母の)は、まあ後で考えればいいよ。」と言ってこの場はとりあえず喧嘩もせずに済んだ。バーベキューから帰ってきたら、やっぱり「義理母の近くにいる」という考えがあるのか、心なしか息苦しくなった。なのでカラ夫に「話がある」と言って、私は再度自分の要求を彼に伝えた。「今までは義理母の行動を、もう年だし旦那さんもいないしってことで可哀想だと思って我慢してきた。でも自分が呼吸困難になって今はとうとう我慢ができないところにきたんだって実感している。O型の血液の中にAB型の血液を入れられないみたいに私の体が義理母を拒否している。だから呼吸困難が起こらないように、せめて回復するまでは私が彼女のことでイライラしなくてすむように、カラ夫に協力してほしい。」と訴えた。すると彼、いつものように「わかってる。心配しなくていいよ。」と言ってくれた。義理母のことは大嫌いだ。でも大嫌いでも、自分の愛する旦那の実母である。自分の身内を悪く言われてることを聞くことが、カラ夫にとってどれだけ辛いことか、私にはそれがわかる。それでもカラ夫は、私の義理母への非難を聞いても文句一つ言わずに、私の意見を尊重してくれる。そう思うとなんだか悲しくなって、また呼吸困難が出てしまった。疲れているからもう寝ようってことになったんだけど、息苦しくてベッドに横たわるという動作ができない。なので色々な体勢を試みるが、どうやっても息苦しい。気分を変えるために、リビングのソファーに行って寝ようと思った。枕と掛け布団をもってリビングに行こうとした。私の手から、枕が床に落ちた。枕をとろうとするんだけど、息苦しくてしゃがめない。枕がとれない。カラ夫がとってくれて、そのままリビングに行こうとしたら、酸素ボンベのコードが植木にひっかかった。とろうとしてもなかなかとれず、ますます息苦しい。と、こんな風に、呼吸困難になると、私は「」普通の動作』ができなくなる。「枕がとれない、コードをほどけない、こんなちっぽけなことさえできない」と思うと、悲しくて泣くしかなかった。今日の昼頃、また電話がなって、案の定相手は義理母で、カラ夫が対応。今日のお昼はパスタだったんだけど、カラ夫が電話口で義理母に「パスタだよ」って言ってたんで、彼女の質問は「何食べたの?」だったんだろう。その後彼が「大丈夫だよ。安定してる。」と言うんで、義理母は「カラハリの調子はどう?」と聞いたんだろう。カラ夫が「だから安定してるって言ってるじゃん!」と言ったんで、義理母は再び同じ質問「カラハリの調子はどう?」と聞いたんだろう。その後カラ夫は「うん」とだけ言ったんで、これに対する義理母の質問はわからない。だから私はカラ夫の返答を聞くことに集中するのをやめた。カラ夫が電話を切って、私はいつもだったら、カラ夫と義理母の会話の内容を電話が終わった後に「お義母さん、何て言ったの?」と聞くことはしないけど今日はなぜかカラ夫に「彼女、何だって?」と聞いてみた。するとカラ夫「『そっちは暑いの?』って聞かれたから『うん』って言った。」と私に言う。はあ?????歩いて1分しかかからない距離に住んでて『そっちは暑いの?』って質問、何??彼女がいる所が「暑い」と感じれば、私達の家だって暑いに決まってるじゃん。。。歩いて1分、しかも窓からお互いの家が見える近距離で、義理母のゾーンだけ気温30度で、私達のゾーンが15度のはずないだろ。。。あいつはまたそんなバカな質問のためだけに、うちに電話をしてきたのか?カラ夫に「これだよ!こういうバカな質問をするために、1日に何回も電話してくるってことが、呼吸困難の原因。原因はこれなのよ!!」と私はぶちきれて、庭に出る。しばらく無言だったカラ夫、庭にやってきて、気を取り直したかのように「ねえ。午後、どっかコーヒーでも飲みに行く?」と私に訪ねる。なので私も気をとりなおして「そうしよっか。」と言ってみる。それでカフェに行く準備をしようとしたんだけど、やっぱり息苦しい。この暑い中、息苦しい思いをしながら、重い酸素ボンベを持って歩くことに自信がなかったんで、カラ夫に「ごめん。やっぱり家にいたい。涼しくなったら家の周り散歩しよ。」と言った。するとカラ夫「いいよ。じゃ、僕は昼寝でもするか。」と言って、今ベッドで寝ている。カラ夫が寝ているので私はこの日記を書いているんだけど、彼が寝ている間電話線をわざと切ってやった。これで外部からの電話はつながらない。義理母の家から見えるうちの窓のブラインドを全部締め切って私達の家の中が見えないようにしてやった。こうやって、自分の身は自分で守るしかない。私は義理母と直接派手な喧嘩をしたことがない。理由は彼女と喧嘩はしたくなかったから。でももう喧嘩になっても怖くない。だから私が義理母に怒鳴ることになっても電話線を切るという陰険な行動を私がしたとしても、それで呼吸困難が避けられるなら、何でもやってやろうと思った。てことで、この日記の後は、呼吸の仕方の練習と、お医者さんから教えてもらった肺を強くする運動でもしよっと。これも、呼吸困難を避ける方法の1つだからね。ところで、明日またチューリッヒに行くけど、やっぱり入院かしら。。。。前回はカラ夫がずっと付き添ってくれたけど、今回は入院になってもチューリッヒで一人になるなぁ。。。。だから、検査だけで帰ってこれるといいなぁ。。。でも、ま、しょうがないか。。。。何があっても医者はすぐに私の所に来れる位置にいるし、と思ってポジティブに考える方がいいな。ところで今回、サーモンの刺身は食えるんだろうか。。。。。
June 26, 2005
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と、声を大にして叫びたいむかつく人間は『義理母。』もう我慢できん!彼女のせいで、またしても入院しなきゃいけないかもしれん。怒り心頭なんで、今日の日記は汚い言葉が飛び交う可能性あり。その辺、最初に謝っときます。すみません。義理母はイタリア人で、スイスの家とは別に、イタリアにも家を持っている。彼女はスイスにいるよりも、イタリアにいる方が気分がいいと言う。理由は「スイスでは誰も私を気にかけてくれないけど、イタリアに行けば友達も多いし、元気?って声をかけてくれる人がいるから。」らしい。この故郷を恋しがる気持ち、私にもわかる。そういうわけで今週の月曜日、彼女はイタリアにむかった。「2週間滞在して、今月末に帰ってくるからね」と言ってイタリアに行った。それが何故か、2日後の水曜日にスイスに帰ってきてしまった。私が「あれ?2週間滞在するって言ってなかった?」と言うと「あなたのことが心配だから、やっぱり帰ってきたの。」と言う。その時私は「そんなに心配しなくても私は平気なのに。義理母だってイタリアに友達がいることで気分いいなら、たまに自分の時間を楽しめばいいのに。」くらいに思っていた。しかし、ここからが悪夢のはじまり。スイスに帰ってきた途端、私に「ご飯ちゃんと食べなさい。」だの「ご飯ちゃんと食べたの?」だの「ちゃんと食べたでしょうね」だのうちに来て、私に色々と命令するようになった。心配する気持ちはわからないでもないが、私は自分で料理できる。そして子供じゃないんだから、お腹がすけば自分で何かあさって食べる。それなのに毎日のように「ご飯食べたの?」ってことを聞くだけで1日5回以上は電話してくるか、うちにやってきて窓をたたく。しかもご飯を食べなさいという命令ならともかく、栄養をつけるために寝る前に牛乳を飲めだとか、メニューの指定までしてくる(笑)←笑い事じゃない。退院してから意外と呼吸が安定していた私。だが、彼女が帰ってきて私に命令し始めた日から、呼吸困難がまた始まってしまった。そして次の日も「ご飯食べなさい」攻撃。私が電話に出ないと、家までやってきて、窓をゴンゴンと叩く。私が「お腹がすけばなんか食べるよ。子供じゃあるまいし!」とちょっと怒鳴る。でも全然効き目なし。その後私が「明日検査のために病院に行ってくる。ドクターと1時半に予約とった。」ととりあえず病院に行くことを知らせる。すると次の日の朝9時、義理母から電話がかかってくる。「ドクターは何て言った?」と挨拶もなしにいきなり私にこう言う。予約は1時半!家に戻ったら連絡するからって何度も言っただろ!!!検査に行った日は大家さんが付き添ってくれたんだけど、帰りは大家さんとちょっとしたドライブに行ったり、カフェでアイスティーを飲んだりしたため家に帰るのが少し遅くなった。家に戻ってきて大家さんとうちのドアの前で話してると、電話の音が聞こえた。大家さんが「電話だよ。出な。またね。」と私を放してくれた。そして鍵をあけて電話に出ようとしたら、電話が切れた。急いで義理母に折り返し電話したら、話し中。私が電話に出なかったもんだから、なんと大家さんに電話をしたらしい。帰ってきたらちゃんと電話するからねって何度も言ったのにそれでも待てないらしく、大家さんにまで電話攻撃を始めている。。。(汗)。そして次の日(昨日の朝)。朝また家にやって来て、「調子どう?ちゃんとご飯食べなさいよ」と言ってくる。私が「またか」と思いながらも、昨日は呼吸困難が悪化してたんで「ちょっと体調が悪いの。だから今日はゆっくり休むつもり。」と言う。そしたら義理母「じゃ、カラ夫の昼食は私が作るわね。」と言う。私は「お願い、助かるわ」と言って、彼女は家に帰ったすると家についてからすぐ私に電話してきて彼女は「ところでカラ夫は、昼食私と食べること知ってるのかしら」と言う。私が「大丈夫。彼の休憩時間に私が電話しとくから。」と言う。すると約20分後また電話。そして彼女「カラ夫に電話した?」と私に聞く。休憩時間に電話するって言ったでしょ!まだむこうは休憩時間じゃないの!!!するとまた30分後くらいに、義理母が家にやって来る。チャイムが鳴ったんで私がドアを開けると、彼女「実はカラハリと一緒に散歩に行こうと思ったんだけど、大家さん一家に『暑いしここは空気も汚いし、肺に悪いからやめた方がいい。』って言われたの。」と、大家さん一家との会話を私に話して、家に戻っていく。結局、何が言いたかったんだ?あんた。。。。。この辺で終わると思いきや、昼前にまた家にやってくる。(もう笑うしかない)そして私に「あなたの呼吸困難はね、この暑さのせい。だから私扇風機持ってきた。これを使いなさい。そしてトイレの窓は閉めなさい。そしてベッドでゆっくり休みなさい。」と言う。休みたいのに、お前がくるから休めんやんか!!これ、全て同じ日の朝(2時間以内)に起こった出来事。信じられます?このしつこさ!そしてこの話のオチ。彼女の持ってきた扇風機、機能しまへん。。。。。(汗)ここから私の呼吸困難が悪化してきた。いてもたってもいられなく心配になってきたんで、ドクターPに電話した。そして「昨日は検査で安定って言われたけど、やっぱり呼吸困難があるんです。どうしたらいいでしょうか。」と相談。するとドクターP「明日朝一番でレントゲンをとりましょう。」と言う。てことで、今日の朝、また大家さんに付き添ってもらって病院に行った。ドクターPに「息苦しいんで私としては、また肺の病気が再発したと思います。」と告げる。ドクターPは顔をちょっと濁しながら「そうかもしれないね」と言う。ゼエゼエいいながら、レントゲン室まで歩いて行く。そしてレントゲンをとる。そしてレントゲン写真を持って、ゼエゼエ言いながら、ドクターPの部屋に戻る。ドクターP、私のレントゲン写真を見て「ん?一昨日言った通り、レントゲンによると今のところ安定してるけど?」と言う。「でも息苦しいんですけど、肺に水が溜まってるとかないですか?」と言うと「ないよ」と言う。私が恐る恐る「実は昨日、イライラしたり動揺したりストレスが1日中ずっと続いてたんですけど、そのせいで呼吸困難になるってことあります?」と聞くと、ドクターP「あ、それはありうるよ。」と言う。やっぱり義理母の訪問&電話攻撃のせいだ。。。。。(汗)ドクターP「とりあえずレントゲンによれば、病気は再発してない。これはとても大切なことだね。でも念のためチューリッヒにいる君の担当医ドクターRにも知らせておくね。」と言って、電話をしに行った。するとドクターR、本当は来週の金曜日に検査のためにチューリッヒにいくはずだったんだけど、予定を早めて月曜日にチューリッヒに来いと私に要求。理由は心配だから念のため検査を早くしようとのこと。私が「月曜日は検査だけで済みますか。それともまた入院する可能性もありますか。」と聞くと「もしかしたら検査のために入院してもらう可能性もあるから、パンツとか着替えを一応持ってきて」と言う。おいおい、また入院かよ。。。。。(泣)問題あるならともかく、レントゲンで問題ないって言われたのに入院かい。しかも、あの病院のご飯まずいんだよな。。。。また私はガイコツになるんかい。。。。(泣)家に帰る途中、一昨日のように、また大家さんとカフェで話をした。すると大家さん突然「カラ夫ママね、一昨日うちにも電話してきたんだけど、あの人ちょっと行き過ぎだよね。なんであんなにしつこいんだ?あれじゃカラ夫もカラハリも全然休まんないじゃないか。だから呼吸が悪化するんだよ。」と言う。ああ大家様、あなたはやっぱり私をわかって下さる。(涙)。「とりあえずカラ夫ママなんとかしないと、あれじゃ周りの身が持たんよ」と言って実は大家さんの奥様も、カラ夫ママからの電話攻撃にあうことがあると私に告白。そして大家さんも奥様も「笑うしかない」状態だと言う。カラ夫ママ、そこら辺の人みんなを巻き込んでやがる(怒)。大家さん「今日ちょっとカラ夫に言うわ。カラ夫ママは電話攻撃をやめて少しは周りに自由な時間を与えてやらなきゃいけないってことをね。」と言う。私が「でもカラ夫が悪いんじゃないよ。彼は私が義理母に対して文句言っても私にいつも『悪かった。ママに注意しとくよ』って言ってくれるもん。」と言う。すると大家さん「そうだよね。彼も被害者だよね。それはみんな知ってるよ」だと。ああ、かわいそうなカラ夫。。。。。カラ夫は全然悪くないのに、義理母がトラブルを起こすために、カラ夫がみんなから責められる。そしてみんなに謝る羽目に。あの母親は、自分のせいで息子が被害にあってることを知ってるんだろうか。私は義理母にそのことを指摘してやろうかと思ったけど、どうせあの性格じゃ「私の変わりに謝るのは当たり前でしょ。息子なんだから」とか言いそう(汗)。義理母は哀れでかわいそうな人だけど、私にもう「彼女はかわいそう」などと同情する余裕も弁護する優しさも、完璧になくなってしまった。あまりにも頭に来て、このことを電話で一部始終、日本にいるおかんに説明。そして「そういうわけで、もしかしたら来週からまた入院かも。」とおかんに告げる。するとおかん、あっけらかんと私にこう言った。「入院か。でも入院すれば義理母と会わなくて済むからいいんじゃない?非難できて。てことで、いってらっしゃい。」だと。あんた、随分冷めてるのね。。。。(汗)
June 24, 2005
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昨日は検査のために、先月入院していた病院に行った。この病院には8日間入院していたのだけど、面倒を見てくれた看護婦さんがイタリア人気質からか、親しみやすい感じの人ばかりでそれなりに打ち解けることができた。中でも特に仲良くなったのが、看護婦さんのR。彼女はイタリア人なんだけど、私が病室で頭おかしくなって発狂した時も私の気分を鎮めるために、車椅子に乗せて気分転換に外に連れてってくれたり私が自分の病気に対して怖がって入る時も、「怖がっちゃだめ。とにかく信じて前に進むのよ」と、精神的に一番助けてくれた看護婦さんだった。1時半にドクターPとの予約があって、このドクターが私の体をチェックしたり「調子はどう?」「息切れはする?」「食欲は?」「トイレも普通にできる?」など質問すること30分弱。ドクターPから「今のところ安定」という答えをもらってその場を去った後一緒に付き添ってくれた大家さんが「看護婦さん達に挨拶に行ってみる?」と言ってくれたんで、私は迷わず彼女達のいるオフィスに行くことにした。というのも実は、先週ドクターPとの予約を電話で確保した時点で検査が終わったらR達に挨拶に行こうかなと私は考えていた。でも看護婦という職業柄、私が訪れた時にRがお手すきだとは限らない。それに備えて、私はおかんが日本から送ってくれた和紙で、面倒を見てくれた医者や看護婦さん達にメッセージを書いたカードを作った。メッセージの内容は「今日はドクターPとの予約のためにここにきました。みなさん元気ですか。私はだいぶ良くなりましたよ。」ってな感じ。そしてそのカードに、これまたおかんが送ってくれた、和染千代紙で折った鶴をテープでくっつけてみた。R達がいなかったら、机の上にこのカードを置いてくればいいやと思って。完璧だ。R達のいるオフィスは私が寝ていた病室のすぐとなりだが、実は私この病院ではただベッドで寝てただけなんで、どこが彼女のオフィスなのか方角が全くわからない。お見舞いに何度が来てくれた大家さんは、どこが私のいた病室かわかっていたんで、「こっちだよ」と私を誘導してくれたのだが「カラハリはここで寝てたんだよ」と彼が指をさすドアを見てびっくり。なんと「特別集中治療室」と書いてある!!そしてドアを開くと狭い通路があって、またドアがあって、また通路があってこの部屋を訪れる人達がつける消毒液が設置されてて、またドアがあって、まるで隔離室のような病室。あたしゃそんなに容態悪かったんか!?私としては、まだ息切れする時があるし、酸素ボンベをとってしまうと若干めまいを感じる時もあるから、今の自分の容態、自分としてはかなり気に入らないんだけど、どうりでドクターPとか他の人が私を見て「だいぶ調子良さそうだね」なんて言ってくるわけだ。そりゃ、特別集中治療室で寝てたんじゃ、今は料理したりできるし家の近くを散歩したり歩いたりできるし、確かに飛躍的な前進だよな。。。看護婦さんのいるオフィスに行ったら、Rの姿が見当たらなかったんでその辺の人に「Rはいます?」と訪ねてみた。そしたら「2,3分で戻ってくるよ」と言ってくれたんで、彼女を待っていると本当に2,3分で戻ってきた。Rは私を見るなり超笑顔になって「カラハリ~、心配してたのよ~。でもだいぶ調子良さそうで安心したわ~。嬉しいわね~。」と言っていた。Rに「私、Rや他の看護婦さん達にもカード作ってきたから、彼女達にもこれ回してくれる?」とメッセージを書いたカードを見せると、彼女は大喜び。そういえばチューリッヒの病院に入院してた時、日本にいるおかんに電話して私はおかんに「看護婦って仕事すごいよね。だって他人のう○こを平気な顔して拭くんだよ。よく耐えられるよね毎日。」と言ったら「でも看護婦さんに友達いるけど、患者が良くなっていく姿を見るとそれが嬉しくて『看護婦やっててよかった』って思うらしいよ。」と言っていた。Rの様子を見て、おかんのこの言葉は当たっているんだなと実感。
June 23, 2005
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ちゃんとした言葉で感謝や謝罪の気持ちを表現するのってものすごく大切なことだと思う。これができるかできないかで「人間関係うまくいくかいかないか」あるいは「人が寄ってくるか離れていくか」が決まると思っている。さて、どうして私はこんなことを思ったのでしょーか。それはズバリ、私の周りには言葉で感謝の気持ちを表せない不器用な人間が結構多いから。そして私は彼らから「絶対にこうなってはいけない」と「人の振り見て我がふり直せ」って言葉の意味を学んだんですね。‐‐不器用な人間その1。‐‐それは何を隠そう、うちの両親。おとー、おかん両方とも、相手を褒めること、謝ることを絶対にしない性格。おかげで結婚30年目にして、完全に修復不可能な夫婦になってしまった。‐‐不器用な人間その2‐‐カラ夫ママこと、私の義理母。彼女は年なので体が弱っている。そのため家の掃除や買い物をカラ夫に頼むことが多い。頼む時に「体調悪いから掃除手伝ってくれる?」と言えば済むものをいきなり「私は体調が悪いんだから掃除くらい手伝いなさいよ!」とくる。カラ夫はこういうの慣れっこで最終的に言われた事何でもやるんだけどやっぱりママの言い方が気に入らない時は「うるせえ!」とぶちきれる。私はその光景を見ながら「絶対イタリア女にだけはなりたくないわ」と思う。っていうのは、こういう女王様ぶりって実は義理母に限ったことではなくイタリア女に結構見られる傾向なもんで。あ、念のため言っておきますが、うちの義理母、口うるさいところありますが基本的に性格そのものはラブリーで優しいです。ってなんだかんだ、イタリア女の悪口を書いてしまいましたがね、なんと今回病気になった事で、私本人が思うように体が動かなくなりイタリア女のようにカラ夫に「あれやって」「これとって」と物を頼むことが非常に多くなってしまった。でも「こんな時こそ感謝の気持ちを表現!」と思って、ここぞとばかりにカラ夫を「Grazie」という言葉で褒めまくっております。例えばティッシュをとってくれて「Grazie」の一言で済むものを私は5倍くらい大げさにして褒めまくる。「Grazie,カラ夫が優しくて私は超幸福♪」とか(←演技入ってます。)あと何をしてくれたというわけでもないんだけど、とりあえず私は「Grazie」と言う。するとカラ夫が「何が?」と訪ねるんで、私は「うーん、とにかく全部」と言う。(←あながち嘘でもないが、やっぱり演技)あまりにも頻繁にこういう事言うと、むこうもしらじらしいと思い始めるかな?と思いきや、お単細胞なカラ夫、これでかなり上機嫌になり、はりきって何でもやってくれる(笑)。うん、これでいいのね、男を操る方法ってのは(笑)。なんて、実は結構したたかなわたくしであります。
June 22, 2005
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毎日暇なこともあって、私はよくネット漬けになる。だいたいこの楽天の他の人のブログをネットサーフィンすることが多いんだけどたまたま昨日、ちょっと興味深い現象を見つけた。あるHPページの管理者が、どうやら変な男に騙されてしまったらしく彼女の胸の内(悔しさなど)を彼女のHPで語られていた。そしたら何人かが彼女に対してコメントを残したらしいんだけどそのコメントが荒らしだったのか、からかい半分だったのか(コメント削除されてるからどんなものかはわからないんだけど)「頂いたコメントは私にとって気に入らないものだったんで削除しました」となっていた。まあ自分のHPに、自分にとって気に入らないことを書かれると確かにそれは本人にとっては「目障り」なものにしかならないだろう。だからこの管理人の気持ちもわからないわけではないし、きっと心の傷が癒えてない時って「聞きたくないこと」とか「耳の痛い話」ってのが誰にでもあると思うんだよね。ただ思ったのが、HPって管理人の書き込みに自由があれば当然コメントする側にも自由があるんだよな。そして人各々意見があるわけだから、違う考え方のコメントがくるのも当たり前な訳で。ま、人の意見を「意見」と捉えるか、「目障りなもの」として削除するかは管理人が決めればいいことなんだけど、やっぱり色んな人が見てるHPである以上こういうことってこれからも起きやすいと思うんだよね。私はどっちかっつーと、このブログには知られたくないことや触れたくない話題は書かないようにしている。言い換えれば、突っ込まれても反論されてもいいような、暴露しても全然支障のない、どーしよーもない話題しか書かない。理由は誰がHPを見てるかわからんってことと、やっぱり自分のHPで荒れるのは嫌だってこともあるし、最大の理由は、自分の心のどこかに「ネットは信用できん」って警戒心があるみたい。もちろん私のHPを訪れてコメントを残してくれる人達に対しては全て信頼できる人達ばかりだから警戒心はないけど。日記だから自分の心を癒す為に、自分の気持ちや私生活を正直に打ち明けて気分を晴らす、そのためにブログを利用してる人も当然いるだろうし普通のことだと思う。でも私はやっぱり、ネットに対する警戒心があるせいか、触れられたり突っ込まれたりしたくない事がある場合は、隅々まで自分を語らない派。ネットって超便利だけど、やっぱり怖い面もたくさんあるから警戒心というか「こういう事を書いたらこういう反論やコメントがあるかもしれないな」っていう予想をしてないと、自分のHPで自分の神経を逆撫でされる様なことが起こると思う。世の中にはバカな人って必ずいるから、やっぱりネットに対するそれなりの注意は払っていかないとな、なんて思ったのであります。
June 20, 2005
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嬉しくないが人生新記録。入院していた約20日間、ろくなものを食べれなかった私。食欲はあったんだけど、やっぱり病院食、しかも海外のとなるとおいしくご飯を食べることは期待できず、体重は人生ミニマム40kg台前半の前半を記録いたしました。昔は痩せることが嬉しかった私。でもここまで来るともう怖いです。鏡で見ると、骸骨もいいところ。胸はもちろんない。デコルテの骨がすごい。ついでにあばらの骨もすごい。そして背中もがりがり。それに輪をかけて、手術の跡。もう自分で言っちゃいますが、可哀想な哀れな体です。痩せこけて今回辛いのが、おしりの肉がなくなったせいで椅子に座るとおしりの骨が椅子にあたって、痛くて長時間座ってられない。もちろんトイレの便器に座る時も、便器におしりの骨がもろにあたって結構痛い。なので病院のカフェテリアやお庭のベンチに座る時は、いつも座ってはおしりをいすから離す、そしてまた座っては、すぐにおしりを上げるそんな行動を繰り返しておりました。今思うと、これって「痔」を持ってる人がよくやる仕草なような。私も病院で「あ、あの子痔患者だ」と思われた可能性大だな(笑)病院でやせ細っていく私、それでもご飯を食べようとしない私を見てカラ夫もこれはやばいと思ったらしい。退院する2日前に、なんとか私に物を食わせようと思ったのかなんとどっかから(たぶん日本料理レストランだと思うんだけど)サーモンのお刺身とお米を調達してきてくれた!!何日も続いたまずい病院食の後の、わさび醤油たっぷりのお刺身が私にとってどれだけおいしかったか、みなさんおわかりいただけます?となりには別の患者さんもいたというのに、わたくしときたら奇声を発しながら食べてしまいました。はっきり言って、医者の治療や薬よりも効き目大だったな@刺身。
June 17, 2005
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そういえば結婚式の事日記に書いてなかったけれど結婚式は入院する2日前に無事に教会で済ませた。本当は一生に一度の記念日になるはずだったんだけどこの時すでに呼吸困難が悪化していたため、式の最中は「なんとか持ちこたえなきゃ」ってことしか頭になくて、今思うと式の事、カラ夫の様子など、あまり覚えていない(涙)。今になってあの時の写真を見てみると、自分で言うのもなんだけどスーツ姿のカラ夫、なかなかイケテル。それなのに、式の最中はそんなことに気づきもしなかった。式の内容をあまり覚えてないところを見ると、きっと息苦しくてカラ夫を見つめる余裕や、幸福に浸る余裕がなかったんだと思われる。あー、もったいないことをした。式の流れなどほとんど覚えていないけど、鮮明に覚えていることが一つある。それは、うちのおかんが私の斜め後ろで号泣していたということ。私の花嫁衣裳姿を見たいとはりきっていたおかん。それが、実際その場を目の当たりにすると「自分の娘がよそ様にもらわれていく」というのを実感してしまったらしく、しかも日本とスイスという距離感がその実感をさらに大きくしてしまったらしく、それで号泣。カメラをもって教会に入ったおかん、泣くだけで結局1枚も私の写真を撮らなかった。「どうして写真とらなかったの?」と言うと、おかん一言「だって嬉しくなかったんだもん。」と言う。この時「国際結婚て親不孝なものなんだ」と妙に悟ってしまい、とても寂しかった。ところで日本ではさっきも書いたとおり、特にうちのおかんくらいの世代になると「嫁はよそ様にもらわれていく」という意識があると思うけど、スイスでは結婚すると特にカラ夫の友達の間で「これでカラハリも私達を受け入れた。」という意識が強くなるらしい。最初はこれがどういうことかわからなかったんだけど、どうやら友達のSちゃんによると「カラハリは私達を受け入れたから、私達はいつでもカラハリを訪ねることができる。」ということらしく、それを本当に実感したのが入院していた時。私はここスイスで日本人の友達というのがほとんどいないから友達というと、カラ夫の友達ばかり。今まではこういう友達に対して「私の友達」という意識はなく「カラ夫の友達」という意識がものすごく強かった。だけど入院してる間に、カラ夫の友達が限りなくお見舞いにやって来てくれた。そして普段あまりうちには電話をかけてこない人達が、ほぼ毎日電話をくれた。病院を訪れる人のあまりの数に、看護婦さんが「これじゃ患者が休まりませんから、ちょっと面会は避けて下さい」と怒る一幕もあったし、私も病院のベッドの上で、みんな電話をくれるのはありがたいけどこれじゃ全く休まらない、休もうと思ったら毎回電話が鳴って受話器をとっては「調子はだいぶ良くなった。」と毎回みんなに同じことを言ったり説明するのが、正直面倒くさい時もあった。病気になったせいか、結婚式が終わって周りの意識が変わったせいか理由はよくわからんけど、とにかく周りのみんなが異常に私に優しい。今の私は「これがエスカレートするとやばいんじゃ?」と思うほど甘やかされて、お姫様状態(笑)。家の中が汚かったり洋服が脱ぎっぱなしになってても「体調が悪いから仕方ないよね」って感じで許されちゃうし、カフェに行ってもグラスをわざわざ私の前においてくれたりストローをさしてくれたり、手があれば自分でもできるようなことを周りがやってくれるのだ。これはスイスやヨーロッパでは当たり前のことなのかしら。。。。。人に何でもやってもらう習慣がついちゃうと、人間わがままになると思う。ヨーロッパの女性が自分のことしか考えずにわがままで気が強いのはこういうところから来るんじゃないか、そして一般的に旦那に尽くすと言われる日本人女性を奥さんにもらう日本人男性が横柄なのも、こういうところから来るんじゃないかしら、なんて勝手に思ってしまった。もちろんみんながみんなそういうわけじゃないけどね。ところでこの事を日本にいるおかんに電話で話した。「みんなとっても優しくて、私によくしてくれるんだよね」と。するとおかん、「きっとスイス人の男の人は離婚されるのが怖いんじゃ?だから奥さんってのはとても大切にされるんじゃないかな。」と言う。うーん、的を得た答え。結構あたってる気がするわ(笑)。
June 16, 2005
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注:お食事中の方は読まないで下さい。闘病または入院生活をしたのが生まれて初めてだった私。おかげでびっくりすること盛りだくさんだった。そんな私がびっくりしたというか、精神的に打撃を受けたことの一つ。それは『フライパンの上に、う○こをする』ということ。日本では入院したことないからわからないんだけど、やっぱり寝たきりになると日本でも医者は患者に、フライパンにう○こさせるもの?おしっこの場合は、手術中に医者が、尿道に管を通してくれたらしいからベッドの上でもおしっこできるしくみになっていたんだけどやっぱりう○ことなると、おしっこに比べて状況が格別に衝撃的になる。スイスの病院で「すみません、う○ちしたいんですけどトイレは?」と聞いたら看護婦さんフライパンもってきて、私のおしりの下にそれを置いて「じゃ、終わったら呼んでね♪」と言って、さっさと部屋を出て行った。しばらくそのまま放心状態になる私。そしてフライパンの上におしりをのせて寝そべったまま、腕を組んでまじで考え込んでしまった。料理道具の上に、なぜう○こを。。。。。???結局寝そべったままの『フライパンう○こ』はできず、看護婦さんに座り形式のトイレを要求。(座り形式のトイレとは、「おまる」はまたぎ形式だと思いますが「椅子に座るような形でするおまるみたいなもん」とでもいうのかな)だってやっぱり寝そべったままおしりにフライパン置かれてもね、出るものも出なくなるんだな、これが。。。。手術をしてから1週間後、肺の治療に専念するためにチューリッヒの病院に移った。チューリッヒの病院の集中治療室のベッドの上で何時間も待たされたんだけどやっぱりう○こがしたくなって、看護婦さんにその旨を伝えた。看護婦さん「ちょっと待って」と私に言ってから、しばらくたって部屋に戻ってきて私に「はい」と手渡したもの。やっぱりフライパン。。。。(泣)私が「フライパンだとう○こ出来ないタイプなんですけど」と言うと看護婦さん「ごめんなさい。これしかないの。」と言う。やっぱりスイスはどこもフライパンなのか。。。?フライパンのせいで結局3時間我慢するはめになった。でも3時間後、自分の部屋に戻った時に看護婦さんから「歩いてもいい許可」が出て、自分の部屋のトイレでちゃんと済ませ平和を取り戻した。それにしても思ったんだけど、他人のう○この始末を平気な顔してできる「看護婦」という職業はすごい!!もう脱帽としかいいようがありません。「あんたはエライ!!」と叫びたかった。と、今回は汚いお話で、みなさん申し訳ありませんでした。。。。。。
June 14, 2005
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お久しぶりです。昨日病院から釈放されました。しばらく闘病ネタでいきます、よろしく(笑)********************************生まれて初めて手術というものを経験。私今まで何も知らなかったんだけど、手術をしたらてっきり次の日には意識が戻るもんかと思ってたんだよね。でもカラ夫曰く、手術後私は3日間意識不明(正確には寝通し)だったらしい。でも自分がそんなに寝てるなんて思ってなかったから、手術は25日だったんだけどある朝目が覚めて看護婦さんに「今日は29日よ」と言われた時は、さすがに頭ん中が?マークだらけになった(笑)だって26,27,28日の記憶が全く無くて何も覚えてないし、いきなり日にち飛んでるしさ。カラ夫が教えてくれるまで「あれ~?おかしいなあ。。。」って、頭ん中がずっと混乱状態でした(笑)ただカラ夫曰く、28日にわたくし一度目が開いたらしく、看護婦さんが私に「カラハリ調子どう?」と声をかけたら、私は興奮しながら手をバタバタさせて「IO NON CAPISCO NIENTE!!(わけわからん!!)」とイタリア語で叫び続けたらしく、看護婦さんが「カラハリ落ち着いて!」と私をなだめていたらしい。そして精神安定剤だか睡眠薬を飲んで、再び私は眠ったとのこと。ってかそんなの全然覚えてねーよ。。。。。。(汗)カラ夫が看護婦さんから聞いた話によると、手術後初めて意識が戻った時はたいていの人が動揺したり興奮状態に陥るものらしく、でもほとんどの人が自分がそういう状態になったことを覚えていないらしい。だから私が手をバタバタさせて叫んでいたのは普通らしいんだけど、私にとってどう考えても普通じゃないのは、動揺した時に叫んだ言葉が、なぜか日本語でもなく英語でもなく『イタリア語』だったってことなんだよね。しかし、なんでイタリア語なんだ???これはなんか別の病気か???とりあえず、卵巣と肺の手術をして、肺の方はまだまだ時間がかかるんだけど呼吸困難はだいぶなくなったし、卵巣の方はさほど問題ないみたい。ところで怖くてなかなか見れなかったけど、先日初めて手術の跡ってのを見た。傷口がふさいでかさぶたになってきたんで、思い切って自分のお腹を見た。あるよあるよ、おへその下に手術の跡が。初めての手術の跡をみた感想は『線路』だ! コワッ!!!!でもこの線路、時間がたつにつれて、ちゃんと白くなってくれるのかしら。。。。。この線路が赤いままおへその下に残ってたら、かなり怖いぞ。。。(汗)ところで私の病気は主に肺が原因で、医者によると、これが卵巣にも転移したとのこと。そう、病気ってのは厄介なことに『転移』するんだよね。今までずっと医者にかかることもない健康な生活を何年も続けてきたから転移のことなんてあまり考えなかったわ。。。。早い方がいいってのはこういうことなんだって、つくづく実感。これからは定期的に病院でチェックをしないと。
June 13, 2005
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