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2012年11月01日
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テーマ: 歳時記(403)
カテゴリ: 季語
11月1日 (木) 22℃。晴。
今日の1句   長き夜や初夜(そや)の鐘撞く東大寺 正岡子規 『子規全集』
子規が奈良の角定(対山楼)に泊ったのは1895年(明治28年)10月24日(宿帳から)であるが『子規全集』では10月26日となっている。例の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の句はそのとき作られたとして、10月26日が柿の日となった。この日は雨であった。この日のことは「鴎座」2012年3月号の「名句入門」で書いている。また「東京紅団」の「 正岡子規の奈良を歩く 」に詳しい。
松田ひろむ 1日10句
2141 柿食えば初夜(そや)を打ち出す東大寺 -------- 季語( 柿 )
2142 柿を剥く指の白さの初夜(そや)が鳴る -------- 季語( 柿 )
2143 柿を剥く十六七で月ヶ瀬出 -------------------- 季語( 柿 )
2144 御所柿の味はごつんと初夜(そや)の鐘 -------- 季語( 柿 )
2145 山盛の柿御所柿の精ならば -------------------- 季語( 柿 )
2146 柿を剥く項(うなじ)に惚れて余と書いて ------ 季語( 柿 )

2148 角定(かどさだ)の子規がさびしむ鹿の声 ------ 季語( 鹿 )
2149 法隆寺雨の茶店の柿の味 ---------------------- 季語( 柿 )
2150 秋しぐれ田端の駅も斑鳩も -------------------- 季語( 鹿 )
1101kaki.jpg
法隆寺の子規句碑

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子規の「柿食へば」の句の瞬間(「鴎座」2012年3月号)
 俳句の「瞬間」、それは、子規の「柿食へば」の句に典型的に見られる。と思うのだ。

柿食へば鐘がなるなり法隆寺

この句は法隆寺ではなく東大寺近くの宿屋で着想されたのではないかと考えられている。
子規が奈良を訪れたのは、松山での漱石との共同生活を打ち切って東京へ戻る途中である。大病の後であるし、また脊椎カリエスのために腰が痛み始めた頃だったので、子規の健康状態は悪かったのだが、奈良を訪れることは年来の念願だった。子規は奈良へ着くと東大寺南大門近くの「角貞」という旅館に宿をとった。そこでは

  大仏の足もとに寝る夜寒かな

という句を残している。子規が部屋で寛いでいると、旅館の女中が現れて、子規の好きな柿を剥いてくれた。そのときの様子を子規は、後に「くだもの」と題する随筆の中で回想している。
「此女は年は十六七位で、色は雪の如く白くて、目鼻立ちまで申分のない様にできてをる。生れは何処かと聞くと、月ヶ瀬の者だといふので余は梅の精霊でもあるまいかと思ふた。やがて柿はむけた。余は其を食ふてゐると彼は更に他の柿をむいてゐる。柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしてゐるとボーンといふ釣鐘の音がひとつ聞こえた。彼女は初夜(そや)が鳴るといふて尚柿をむき続けてゐる。余には此初夜といふのが非常に珍しく面白かったのである。あれはどこの鐘かと聞くと、東大寺の大釣鐘が初夜を打つのであるといふ。」

子規が法隆寺にやってきたのは奈良に到着して四日目、その日の天候は上記の本によれば雨模様であったらしい。子規には法隆寺を詠んだ句がほかにいくつかあるが、それらは
いく秋をしぐれかけたり法隆寺
のように、雨を読み込んでいる。柿食えばの句は、やはり冴え渡った空を連想させるので、雨の中で詠んだというのでは格好がつかぬ。(日下徳一『子規もう一つの顔』)

子規のように法隆寺の茶店で柿を食べているときに鐘が鳴るのだろうか。現在の観光寺院のように、拝観者が自由に鐘を撞けるものではない。時間が決まっているのだ。本当は日下のいうように鐘は鳴らなかったと考えていい。

子規が、奈良を訪れたのは明治二十八年十月、二十八歳の秋でした。肺結核を病む身で従軍記者として中国の金州(大連の東北)、旅順へ赴いた子規の病状は、船中の喀血で瀕死の状態となりましたが、四ヶ月の療養後、郷里松山を出て、上京の旅の途中で奈良を訪れました。


 明治三十四年、病床にあった子規は、奈良の旅を回想し、随筆「くだもの」に、「柿に思ふ奈良の旅籠の下女の顔」と詠んでいる。 子規は、松山を発つ際に漱石から十円を借りた。それを奈良で遣い果たす。
また、「(俳句で)奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新しい配合を見つけ出して非常に嬉しかった」とも見えます。對山樓の跡地(日本料理天平倶楽部)には、今でも子規が宿泊した当時からの柿の古木があります。子規は奈良の旅で、「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」 など多くの句を作りました。對山樓で柿を食べながら、東大寺の鐘を聞いたことも記されています。(今日の出来事ロジーhttp://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49608808.html)

初夜(そや)(「しょや」に同じ)は戌の刻で午後八時から九時のこと。初夜とは「戌の刻の鐘」の意味もあった。
子規は女性を下女と思っていたが、彼女は当時の主人、角谷定七の姪で評判の美人だった。(前記・日下書)子規がこれほどまでに女性を美しく描いているのは、ここだけではないだろうか。
「柿食へば」の句はまさに瞬間である。しかし、それがその時その場所で瞬間にして生れなくてもいいのだ。

実際の時間や空間は離れていても、時間を圧縮し瞬間のこととして詠むのが「俳句は瞬間を切り取る」ということなのだ。
この点を理解している俳人は少ない。

再度、山本健吉を引用しておこう。

詠嘆を基調としない俳句は必然的に用言よりも体言に愛着する。俳句は時間の法則に反抗し、様式の時間制をみずから拒否する。言わば時間を質量感のなかに圧縮してしまう。一つ一つの言葉は繋ぎ合わされて楽しい韻律を奏でるものではなく、一つ一つが安定した位置に言わば「置かれる」のだ。(「挨拶と滑稽」)

ところで「柿食へば」に先行して、漱石の

鐘撞けば銀杏散るなり建長寺                    夏目 漱石

の句がある。これは「海南新聞」一九〇五年(明治二十八年)九月六日に載っている。子規の柿の句は同じ「海南新聞」の十一月八日に載っている。しかし、漱石の句は因果関係があって名句とはいえない。ただし建長寺には「清浄である」「きれい」「なにもない」という意味がある。

 けんちょうじ(建長寺)1(略) 2<名>(建長寺の境内は昔から掃除がゆき届いていたところからいう)清浄であること。きれいなさま、また何もないこと。*雑俳・三また竹「ねじてみる火鉢の灰のけん長寺」、*洒落本「おごりかけるとちかい中に身上はけん長寺」、*雑俳・柳多留「料理人建長寺だと鍋を見せ」(『日本国語大辞典』小学館)
 建長寺の庭を鳥箒(竹箒)で掃いたよう 掃除が行き届いていて、塵一つ落ちていないさま。(狂言・鐘の音、俚言集覧)(『日本国語大辞典』小学館)

漱石の句の「建長寺」にこんな意味があることは、これまでだれも指摘していない。
きれいに掃除の行き届いた建長寺だからこそ、漱石は銀杏が散ることに感興を覚えたのだろう。もっともこの句は実景というよりも構成の句であろう。
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Last updated  2012年12月03日 02時24分35秒
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